ラビットキラーへようこそ!   作:たぎおみ

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オーナー

朝の通学路。

一人の男が校門に近づく。

ただそれだけで周囲の空気がわずかに張りつめる。

 

「……来た」

「目、合わさないほうがいいよ」

 

小声が、ひそひそと背後から流れてくる。

当の本人である坂本は聞こえていないふりをして歩き続けた。

実際、もう何年も前から聞き慣れている。

 

「はぁ……。」

 

身長は同年代より頭ひとつ分高く、無駄な肉のない体つき。

眉が濃く、目が切れ長で、黙っていると不機嫌そうに見えるらしい。

本人はただ考え事をしているだけなのに、それだけで「怒っている」「近寄ると危ない」と勝手に解釈される。

 

下駄箱で靴を履き替えるときも同じだ。

隣にいた男子が、優斗に気づいた瞬間、わざとらしく一歩距離を取る。

 

「……お、おはよう」

 

勇気を振り絞ったような声。

優斗は一瞬どう返すべきか迷い、結局小さく「……おはよう」と返した。

 

その返事を聞いた相手は、なぜかさらに緊張した顔で、そそくさと立ち去っていく。

 

なんでだよ。

 

教室に入ると、ざわついていた空気が一瞬だけ静まる。

誰も彼を睨んでいるわけではない。

ただ、視線が合うのを避けるように、全員が一斉に目を逸らす。その不自然さが、逆に胸に刺さる。

 

席に座ると、前の席の女子が椅子を少し前にずらした。

後ろの席の男子は、友人に耳打ちする。

 

「坂本、今日は特に機嫌悪そうじゃない?」

「何もしてないのに?」

「でも怖いじゃん。」

 

優斗は机の上に肘をつき、窓の外を見る。

反論する気力は、もうなかった。

 

体育の時間も同じだ。

バスケットボールで同じチームになると、露骨にパスを避けられる。

 

「坂本さん、ゴール下立ってて!」

「いや、そこ動かないで!」

 

まるで、ぶつかったら何か起きるかのような扱い。

優斗は言われた通りに立ち、ボールが来ないまま時間が過ぎていく。

 

教師でさえ、少し距離を取る。

注意されるときも、「……えーと、坂本くん」と、慎重に言葉を選ぶ。

 

昼休み、弁当を食べる場所も自然と決まっていた。

別校舎の空き教室。

そこは静かで、誰にも邪魔されない。良く言えば自由、悪く言えば孤立。

 

優斗は黙々と弁当を食べながら、ふとポケットの中のスマートフォンに触れる。

ロック画面の壁紙は、家で飼っているウサギだった。

 

白くて、小さくて、臆病なくせに、撫でると安心したように目を細める。

 

この子は、俺を怖がらない。

 

その事実だけが、救いだった。

周囲からどう見られようと、自分が何者かは自分が一番知っている。

 

優斗は箸を置き、窓の外に目を向ける。

校庭では楽しそうな笑い声が響いていたが、その輪の中に自分の居場所があるとは、まだ思えなかった。

 

「俺はただ、普通の学生生活を送りたいだけなんだけどなぁ……。」

 

それでも彼は、静かにそこに座り続けていた。

怖がられることに慣れた背中で。

 

 

 

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優斗が「自分は怖がられる存在なんだ」とはっきり自覚したのは、ずっと昔のことだった。

 

まだ背も今ほど高くなく、ただ少し目つきが鋭いだけの頃。

保育園の砂場で、彼は一人、崩れないように慎重に山を作っていた。

 

「……ねえ」

 

壊さないように、邪魔にならないように。

そう思って声をかけただけだった。

 

だが、同じクラスの男の子は顔を向けた瞬間、びくっと肩を震わせ、泣き出した。

 

「こわい!」

「せんせー!坂本くんがにらんだー!」

 

優斗は慌てて首を振った。

違う、そんなつもりじゃない。そう言いたかったのに、言葉が喉で詰まる。

先生は困ったように彼の前にしゃがみ込み、優しく頭を撫でた。

 

「坂本くん、そんな怖い顔しないの。ね?」

 

責められているわけじゃないのに、胸がきゅっと縮んだ。

怖い顔って、どんな顔だろう。

自分は、ただ普通にしていただけなのに。

 

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小学生になると、優斗はますます静かになった。

クラス替えの自己紹介。

名前を呼ばれて立ち上がると、緊張で手のひらが汗ばむ。

 

「坂本優斗です。よろしくお願いします」

 

声が震えないように、精一杯落ち着いて言ったつもりだった。

それでも教室のあちこちがざわつく。

 

「声低くない?」

「なんか怒ってるみたい」

 

怒ってなんかいない。

むしろ、失敗しないか、そればかり考えていた。

 

休み時間、図書室で本を読んでいると、近くの女子が友達に小さく囁く。

 

「ここ、坂本くんいるから……」

「じゃあ移動しよ…」

 

ページをめくる音だけが、やけに大きく聞こえた。

引き止める勇気も、「大丈夫だよ」と言う勇気も、彼にはなかった。

 

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中学生になる頃には、優斗は学んでいた。

 

自分から近づかない。

声をかけない。

目立たないように、静かにしている。

 

それが一番、誰にも嫌な思いをさせない方法だと信じていた。

 

雨の日、昇降口で折り畳み傘を落とした女子がいた。

拾ってあげようと近づき、そっと差し出す。

 

「……」

 

だが彼女は一歩後ずさり、視線を逸らした。

 

「……いいです」

 

その声が震えていることに気づき、優斗は胸が痛くなった。

怖がらせてしまった。

それだけが分かって、何も言えなくなる。

 

彼は傘を床に置き、深く頭を下げて、その場を離れた。

 

 

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家に帰ると、空気が変わる。

 

ケージの中のウサギは、足音に気づくと耳を立て、近寄ってきた。

優斗が手を差し入れると、ためらいもなく鼻先を押し付けてくる。

 

「……お前は、優しいな」

 

自分よりずっと小さくて、弱い存在。

だからこそ、怖がらせないように、いつも慎重に触れる。

 

ウサギはそんなこと気にも留めず、安心したように目を細める。

 

誰かに避けられるたび、胸の奥に溜まっていく不安や戸惑い。

それをそっとほどいてくれるのは、この小さな体温だけだった。

 

優斗は昔から、気弱で、傷つきやすくて、

それでも誰かを怖がらせることだけは、心の底から嫌っていた。

 

ただ、その優しさは、見た目の奥に隠れてしまっていただけだった。

 

「いつか、兎に毎日囲まれるようなカフェを作りたいな……。」

 

彼の夢は、うさぎカフェを経営することだった。

それは、兎好きな人はもちろん、自分と同じ思いをしている人に少しでも楽な気持になってほしいという思いもあった。

 

 

 

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昔のことを考えていると、いつの間にか放課後を迎えていた。

放課後の空はまだ明るく、優斗は人通りの少ない裏道を選んで帰っていた。

目立たずに歩けるその道が、彼にとっては一番気が楽だった。

 

そのとき、路地の奥から荒い声が聞こえた。

 

「は? 無視すんなって言ってんだろ。」

「聞こえてんのか?」

 

笑い混じりだが、刺のある声。

優斗は足を止めた。胸の奥が、嫌な音を立てる。

 

角を曲がると、壁際に追い詰められた少女がいた。

制服の袖を強く握り、視線を落としている。

制服は自身と同じ高校の制服。

同い年で見た記憶もない、1年生か2年生だろう。

その前に立っているのは、同年代の男子が二人。

腕を組み、逃げ道を塞ぐように立っていた。

 

関わらないほうがいい。

いつもの思考が頭をよぎる。

 

優斗は一瞬、足を引いた。

だが、少女の肩が小さく震えたのが目に入った。

 

「……」

 

心臓が早鐘を打つ。

それでも、気づけば一歩前に出ていた。

 

「……何をしている。」

 

低く、落ち着かせた声。

優しく言ったつもりだったが、路地に響いたそれは、やはり重かった。

 

男子たちが振り返る。

優斗の姿を認めた瞬間、表情が一変した。

 

「……は?」

「誰だよ。」

 

強気な態度を取ろうとするが、声がわずかに揺れる。

優斗は近づかず、ただその場に立った。

 

「その子、嫌がっているだろう。」

 

それだけだった。

怒鳴るでも、睨むでもない。

ただ、静かに告げただけ。

 

「関係ねーだろ……。」

「お、おい、行こーぜ……。」

 

そう言いながら、二人は互いに視線を交わし、一歩後ずさる。

沈黙が、重く落ちる。

 

「……チッ」

 

舌打ちを残し、男子たちは路地の外へと去っていった。

足音が遠ざかるのを確認してから、優斗はようやく息を吐いた。

残された少女は、壁に背をつけたまま、動けずにいた。

 

「……だ、大丈夫か?」

 

声が震えないよう、必死に抑える。

怖がらせないように、視線を逸らし、少し距離を取る。

少女はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。

 

「……ありがとう。」

 

か細い声だった。

その一言で、胸の奥に溜め込んでいた緊張が、すっと抜ける。

 

「……よかった。」

 

それ以上、何を言えばいいのか分からず、優斗は立ち尽くした。

助けたつもりなのに、また怖がらせてしまったのではないかという不安が、胸を締めつける。

それでも少女は、その場から逃げなかった。

恐る恐る、優斗を見上げる。

 

「同じ制服。先輩ですか?」

「あ、ああ。3年だ。」

「そうですか……。お名前をお聞きしてもいいですか?」

 

少女は小さく息を吐き、肩の力を抜いた。

その姿を見て、優斗は初めて気づく。

自分の見た目が、誰かを傷つけるだけのものではないことを。

 

ずっと恐れてきた「怖さ」が、

この瞬間だけは、確かに誰かを守っていた。

 

優斗は静かに呟いた。

 

「俺は”坂本優斗”だ。」

「坂本先輩ですね。あっ、お名前をお聞きしておいて私が名乗っていませんでした。」

 

後輩である少女は、少し微笑んでこういった。

 

「私の名前は”紅乃 苺(あかの いちご)”です。よろしくお願いしますね?先輩。」

 

可愛らしく、普通の人間であれば惚れてしまいそうな雰囲気。

ただ、優斗は何か違和感を覚えていた。

その微笑みはかわいいというより

 

悪魔が目覚めたかのような恐ろしさがあったのだ。

 

 

 

-----

 

 

 

あの日以来、苺は優斗を見つけると、必ずと言っていいほど声をかけてくるようになった。

最初は、廊下ですれ違ったときだった。

 

「……あ。」

 

小さな声。

優斗が気づいて振り向くと、彼女は少し慌てた様子で立ち止まった。

 

「こんにちは、坂本先輩。」

「……こんにちは」

 

それだけ返すつもりだった。

だが、苺は続ける。

 

「この前は、ありがとうございました。」

 

深く頭を下げる。

周囲の生徒がちらりとこちらを見るのを感じて、優斗は肩をすくめた。

 

「もう、大丈夫か?」

「はい。それっきり嫌がらせを受けることもなくなりました。」

 

そう言って、ほっとしたように笑う。

その笑顔に、優斗は少し安心した。

 

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それから、昼休み。

優斗がいつものように特別教室で弁当を広げていると、視界の端に影が落ちた。

 

「あの……。」

 

声に気づいて顔を上げると、苺が立っていた。

両手で弁当袋を抱えて、少し緊張している。

 

「ここ、座ってもいいですか」

 

断る理由はなかった。

ただ、どう答えればいいか分からず、一拍遅れて頷く。

 

「問題ないが……。」

 

苺は嬉しそうに「ありがとうございます」と言い、少し距離を空けて座った。

 

「……。」

 

二人の間に、しばらく沈黙が流れる。

だが、それは気まずいというより、穏やかな静けさだった。

 

「坂本先輩って……怖いって言われませんか。」

 

突然の質問に、優斗は箸を止めた。

 

「……言われるな。それがどうした?」

 

正直に答えると、苺は首を横に振る。

 

「私は、全然怖くないです」

 

そう言い切る声には、迷いがなかった。

 

「助けてくれたときも……ちゃんと優しかったです」

 

優斗は何も言えず、視線を弁当に落とした。

胸の奥が、少しだけ温かくなる。

 

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放課後も、何度かあった。

下駄箱で靴を履き替えていると、

 

「坂本先輩、さようなら。」

 

少し離れた場所から、手を振られる。

周囲の視線が集まり、優斗は戸惑いながらも、小さく手を振り返した。

図書室で本を読んでいれば、

 

「この本、面白いですか?」と話しかけられる。

 

昇降口で雨が降り出せば、

 

「傘、忘れちゃって……」と困った顔を向けられる。

 

どれも、特別なことじゃない。

ただの、学校生活の中のやり取り。

それなのに、優斗にとってはどれも新鮮だった。

 

誰かが、自分を避けるどころか、

わざわざ近づいてきてくれる。

 

「無理してないか?」

 

思わず聞くと、苺はきょとんとした顔をした。

 

「え?」

 

「俺といると周りが変な目で見るだろう?」

 

苺は少し考えてから、笑った。

 

「見ますけど……私は全く気にしていませんよ?」

 

その言葉は、静かだったが、まっすぐだった。

 

「先輩は名前の通り優しい人ですから。」

 

優斗は返事ができず、ただ小さく頷いた。

こうして、紅乃苺は少しずつ、何度も、自然に優斗の学校生活に現れるようになった。

怖がられるだけだった日常に、

一人だけだが、当たり前のように話しかけてくる後輩。

それは優斗にとって、

初めて「誰かと繋がっている」と実感できる時間だった。

 

 

 

-----

 

 

 

放課後、校舎裏のベンチ。

人通りは少なく、優斗が一息つける場所だった。

隣には、苺がいつの間にか座っている。

 

「……先輩」

「なんだ?」

「先輩って、将来やりたいこと、ありますか?」

 

唐突な質問に、優斗は少し考える。

地面に視線を落としながら答えた。

 

「笑わないなら、言うが……。」

「笑いませんよ。」

 

苺はうなずき、静かに聞く態勢を作る。

 

「うさぎに囲まれる店を経営したい。」

 

苺は小さく息を飲むが、驚きは見せない。

むしろ、目が少し光ったように見えた。

 

「うさぎに囲まれる店ですか?面白そうですね。」

「小さくていい。安心できる場所で、ウサギと人が触れ合えるだけの……」

「いいと思います」

 

苺は静かに、だが力強く言った。

微笑みは薄いが、目は優斗から離れない。

 

「先輩がすること、私も全部知っておきたいんです」

「知ってどうする?」

「もちろん協力するんですよ。」

「だいぶ先の話だぞ?」

「ええ、それはわかってます。」

 

苺は少しだけ体を寄せる。距離は近い。

けれど優斗は、それが普通の親しさだと思っている。

 

「私は先輩が平穏にお店を経営できるように……すべてを助けます。」

「いや、そこまで気を使わせなくていいぞ。」

「これは恩返しですよ。」

「そうか。ならいつか困ったときに助けてくれ。」

 

もちろん苺が気を使って話をしてくれていると優斗は考え、愛想笑いに近い笑みを浮かべる。

卒業まであと4か月ほど。

進路先は普通の大学の経営学部だ。

彼女とは卒業を機に関わることもなくなるだろう。

そう思いながら、彼女の話に耳を向ける。

 

 

 

-----

 

 

 

朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。

優斗のまぶたがゆっくり開く。

 

「……ん。」

 

ベッドの上で伸びをしながら、起き上がる。

 

「懐かしい夢を見たな……。」

 

学生時代の思い出、後輩であった苺との思い出。

彼女は元気にやっているだろうか。

携帯電話から通知音が鳴り響く。

答えは、身近にあった。

 

『ボス。昨日捕らえた対象は有益な情報を持っていなかったため、ミツバに”処理”をさせました。すでに掃除済みです。』

「なんでこうなっちゃったんだろう……。」

 

優斗は軽く「了解」と返信をして朝の準備に取り掛かるのであった。

 

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