帝国にこき使われてます。   作:未履修くん

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宮廷魔法使いとは何ぞや

 

研究所の朝は静かだ。

 

紙の擦れる音と、ペン先が止まる気配。気づけば机の上は、また紙で埋まっていた。

 

開発を進めていた魔法のメモ。結果は悪くない。ただ、切っていい情報と残すべき情報の線引きがまだ甘い部分もあって保留にしてあるものだ。

 

今日はこれを徹底的に詰めるか――そう思った、その時だった。その静けさを割るように、足音がこちらに近づいてくる。

 

顔を上げると、そこに立っていたのは上司だった。珍しく、視線がこちらではなく、少し後ろを気にしている。

 

 

「時間、少しいいか?」

 

 

短い一言。それだけで、空気が変わったのが分かった。雑談でも確認でもない。用件がある時の声だ。

 

 

「来客だ。君に話があるらしい」

 

 

来客、ね。研究所に来る人間なんて限られているが、心当たりは特にない。そう思っていると、上司はそれ以上の説明をせず「私は少し席を外す」とだけ言い残した。

 

そして入れ替わるように中へ入ってきたのが、その人物だった。上司が去る前に、男は一度だけ小さく頷いた。合図――そういうやり取りに見えた。

 

中年ほどの年齢。仕立ての良い外套に、無駄のない所作をしている。立っているだけで、周囲の魔力の流れが僅かに歪むのが分かる。だが、無秩序ではない。徹底的に制御されたものだ。

 

それでいて、表情は妙に穏やかだった。

 

 

「失礼。君が<やる気を出す魔法(アンツリープト)>の開発者だね」

 

 

ああ、一応そうなってますけど……どなたでしょう?

 

 

「……私もそれなりに知れ渡っているとは思っていたが。どうやら、自惚れていたようだ」

 

 

苦笑を浮かべながら、彼はそう口にする。そう言いながらも咎める様子はない。

 

むしろ、観察するような視線がこちらに向けられていた。値踏みというほど露骨ではないが、何かを確かめているのは確かだろう。

 

 

「安心してほしい。今日は公式な場でも、査定でもない。ただの個人的な訪問だ」

 

 

個人的、ね。研究所に来ておいてそれを言われると、逆に警戒したくなるもんだけど。

 

そもそもの話、個人的という言葉を使う人はだいたい"個人的ではない事情"を抱えているんですが。

 

そう言ってから、僕は紙束を揃える手を止めずにあえてストレートに。

 

どこまでが"個人"で、どこからが"役職"なんです?

 

……彼は、すぐには答えなかった。

 

一瞬だけ視線を伏せ、何かを測るような間が落ちる。

その沈黙が、逆に雄弁だった。

 

軽い雑談のつもりなら、こんな間は必要ない。肩書きを外すか、背負ったまま話すか――その線引きを、こちらに委ねている。

 

あ~なるほど。

 

最初から踏み込むつもりはないが、逃げるつもりもない、というわけだ。僕は紙束の端を指で揃えながら、余計な言葉を足さない。

 

相手が決めるのを、ただ待つ。

 

この場の速度を決めるのは、今は僕じゃない――そう理解している相手かどうかを、見極めるために。

 

男は室内を軽く見渡し、机の上のメモや、積み上がった紙束に視線を走らせた。だが、内容を覗き込むことはしない。そこにも、妙な節度というかそんなものがあった。

 

 

「君の魔法について、少し話を聞きたくなってね。噂は、耳に入る」

 

 

その言い方が、引っかかった。噂を"集めている"側の口調だ。それでも名は明かされないまま、男は穏やかな笑みを浮かべて、こちらを見ている……いや、見ているようで見ていない。

 

視線が僅かに僕の目からズレていることが分かった。あれは癖じゃない。わざとだ。

 

目を合わせるのを避けている――というより、「相手の術式に自分を乗せない」ための距離の取り方に近い。

 

まあ、僕は精神魔法を生業にしている……生業か? まあ、いいや。ともかく僕を前にそうするほど警戒をしているわけだろう。

 

見たところ、強固な精神術式も展開しているようだ。それも高度なもので一般的な精神操作魔法ではまず突破できないであろう類のもの。

 

精神術式は丁寧に組まれているが、用途は防御に限定されている。外からの干渉を拒むための術式であって、その隙を突くことはできる。

 

……いや、正確には突けるけど突くことはしない。

 

突いた瞬間に「突破した」という事実だけが残る。それは、彼の望む情報になり得る可能性がある。

 

だから触らない。触らない方が、こちらの情報が減るからね。

 

それに今は敵対しているわけでもないし、無理に踏み込めば余計な摩擦を生むだけだ。相手が警戒していると分かっているなら、それ以上は進まない方が合理的だろう。

 

それに向こうも同じこと考えてそうだし。

 

――その沈黙を男が破った。

 

 

「……肩書きが必要かな?」

 

 

穏やかな口調だったが、探るような響きが混じっている。そして、肩をすくめるように。

 

 

「宮廷魔法使い。今は、そう呼ばれているね」

 

 

まるで、こちらがそこに辿り着くのを待っていたかのような言い方だった。

 

はぁ。それでその宮廷魔法使い殿がどうしてここにいらっしゃったんですかね。仕事、忙しいんじゃないですか?

 

我ながら遠慮のない言い方だが、宮廷魔法使いは気にした様子もなく、軽く肩をすくめた。

 

 

「はは、マイペースって言われないかい君? まあ忙しいよ。だからこそ、時間を作った」

 

 

へえ、それは大変そうだな……と他人事のように思う。前に来たお偉いさんといい何かあるんだろうけど。

 

 

「私の訪問は非公式だ。視察というほどのものでもない、記録には残らないから安心してくれ」

 

 

それで、一体何を安心しろとでも言うんですかね。

 

研究所は帝国の管理下ではあるが、即時介入の対象ではない。研究所というのは、そういう曖昧な場所だ。

 

 

「君の研究報告を読んだ。精神魔法の件でね」

 

 

ああ、どれのことです? 心当たりが多すぎて、聞き返してしまう。

 

 

「<やる気を出す魔法(アンツリープト)>や<平常心を保つ魔法(ベゾンネンハイト)>……まあ、君が発表した精神魔法その全部だ」

 

 

扉から背を離さず、逃げ道と視線の角度だけを先に確保してから彼は座る。

 

机の上に積まれた紙束を一度だけ眺めた。散らかっている、と言えば散らかっている。だが、無秩序ではない。必要なものが、必要な順に手の届く位置へ寄せられている。そういう散らかり方だった。

 

 

「君の研究報告は、こちら側にも回ってきてね」

 

 

そうなんですか、と僕は軽く相槌を打ちながら、紙を一枚ずらした。

 

インクが乾ききっていない箇所があったので、指先で触れないようにする。こういう小さな手間が、後から面倒を減らす。

 

「精神魔法は、扱い方を間違えれば危険だ。だが君の報告には、それがない……大変珍しいものだと」

 

そりゃ危ないことをする理由がないんで。そう反射で出た言葉だった。理由がないことはしない、単純なだけだ。

 

「なるほど。では確認しよう――君は魔法でやる気を作ったわけではない。抵抗だけを弱める、と」

 

ええ。"やりたい"を作るんじゃなくて、"やりたいのに動けない"の抵抗だけを削ります。意思がゼロの人間を動かすなら、それはもう別の系統ですので。

 

そう口にすると、彼は頷いた。その頷き方が褒めるでも否定するでもなく、ただ観測したという感じだね。

 

 

「<平常心を保つ魔法(ベゾンネンハイト)>も同様か」

 

 

感情は必要です。ただ必要以上に乱すのが問題なだけで。

 

 

「……君は、随分と線引きが明確だな」

 

 

線引き。確かに、僕は「どこまでなら許容するか」を決めないと気が済まないタイプかもしれないね。決めてしまえば、後は迷わないからというのもある。

 

まあ、要するに曖昧なままだと後で困るのもありますね。

 

 

「困る、か。君は困りたくないのだな」

 

 

そうですね、困ると研究が止まります。彼が小さく息を吐いた。笑ったのか、呆れたのかそのどちらにも見えた。

 

 

「話してみて分かったよ。君の世界は、研究を中心に回っている」

 

 

ええ、回ってます――それで、いつまでこの問答をやればいいんですかねコレは。

 

僕がそう答えると、彼は机の上の紙束へ視線を落とした。それから数拍の沈黙が落ちて。

 

 

「君の魔法は、研究所で終わる類ではない」

 

 

無視かい。さっきの質問に答えてないぞ。とりあえず無難な返事だけしておく。

 

研究所で終わる終わらないは、僕が決めることではない。勝手に広まるならそれはそれだし、止めたいなら止める工夫をするだけだ。

 

 

「君は授賞を受けただろう。陛下直々に」

 

 

ああ、はい。あれは確かに有難かったですね。

 

 

「有難い、で終わらせるのか。陛下直々の授賞を」

 

 

終わります。感謝はしますけど、それと僕が今やっている研究とは関係ないので。

 

彼は、しばらく僕の顔を見ていた。視線の圧がやや強くなっている。けれど、居心地が悪くなることはなかった。

 

 

「陛下直々の授賞だ。それはつまり君が、帝国にとって"価値がある"と認められたということだ」

 

 

そうなんでしょうね。否定も肯定もせず、僕はそう答えた。

 

 

「……価値がある、と言われてどう思う?」

 

 

少し考えてから、言葉をこう足す。価値があるかどうかは、状況次第で変わります。今はそう評価された、というだけではないですかね。

 

すると彼は、そこで言葉を切った。それはまるで次の一手を探しているようだった。

 

 

「君は、自分がどう扱われるかに興味がないのか」

 

 

興味がない、と言うより今それを決める理由がないんですよね。

 

静かに、そう告げる。

 

陛下に感謝していないわけではありません。ただ、それと研究をどうするかは、別の話です……ああ、もし陛下が"研究を帝城に移せ"と仰るなら従います。

 

一拍置いて、続ける。

 

ただ、その場合開発の進み具合は落ちます。研究環境が変わるので。僕はそれを事実として申し上げたく。

 

僕はそう答えることにする。

 

従うのは簡単だ。難しいのは、従った結果を"嘘なく提示する"こと。相手がそれを命令のコストとして理解できるなら話は早い。できないなら――最初から噛み合わないだろうね。

 

まあ、これは反逆でも脅しでもない、単なる仕様の説明だ。どう受け取るかは相手次第だけど、事実は事実だ。

 

……沈黙が落ちた。

 

彼は、僕の顔から視線を外さなかった。だが相変わらずその目は、僕の目から絶妙に外されたままで、どこか戸惑いを含んでいる。

 

しばらくして、彼は小さく息を吐いた。その一言には、警戒と納得が混じっていた。

 

 

「今日は、ここまでにしよう」

 

 

そう言って、彼は席を立つ。絶妙に視線を外されながらも僕を捉えて。

 

 

「君は思っていた以上に、扱いづらいな」

 

 

そうですかね。

 

 

「ああ。だからこそ――……いや、こちらの話だな。失礼するよ」

 

そう言い残して、彼は踵を返した。ここに、いつもの静けさが戻った。

 

僕はペンを取り、研究の続きを書き始める。結局のところ彼が何をしたかったかは分からない……ということにしておく。

 

分かっている情報ほど今は抱えないでおく方がいい事もあるし。まあそういう訳で判断は、先でいいか。

 

今は研究の方が優先だ、うん。そう思うことにして、研究にもどるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

研究所の外へ出た瞬間、空気が一段だけ冷たく感じた。建物の中に残っていたインクと紙の匂いが、背後でふっと薄れる。

 

息を吐く――遅れて、自分が僅かに息を浅くしていたことに気づく。

 

「扱いづらいな」

 

口にしたのは私だ。だが、正確には違う。あれは、扱いづらいのではない。

 

扱えない種類の人間だ。

 

彼は、こちらの言葉に怯えない。権威に反発もしない上に迎合もしない。

 

ただ、必要な線だけを引いて、淡々とそこに立っている。

 

陛下直々の授賞を「有難い」の一言で終わらせた。

 

あれは不敬でも無礼でもない、彼の中では、感謝と研究が、別々の事実として述べられているだけだ。

 

一歩、靴音を鳴らして進む。持ち場に戻るまで私は精神防御を解かない。癖でもあり、用心でもある。

 

精神魔法の研究者を前にして、気を抜くほど私は若くない。

 

だが、それ以上に彼は、こちらが警戒していることを理解したうえで、踏み込んでこなかったようにも見えた。

 

もし私が、ほんの一瞬でも隙を見せていたら――試されていたのは私の方だったのだろう。それもまだ年端もいかない若造に。

 

そこにあるのは合理性。徹底した合理性と言ってもいいか。

 

問題はそこだ。帝国が彼を欲しがれば欲しがるほど、命令は安くなくなる。

 

城に移せ。その一言は簡単だが、彼は従うだろう。従ったうえで、こう言う。

 

――開発の進み具合が落ちます。研究環境が変わるので。

 

脅しでもなく反逆でもない。

 

ただの説明……それが最も厄介だった。

 

彼は「従う」と言いながら、同時に「損失」を正確に提示する。そして、その損失は嘘ではない。こちらにも計算できる。

 

だから、力で押すほどこちらが損をする……いや。損をする、という表現も甘いか。

 

押した瞬間、研究そのものが萎む。萎んだとき、帝国は彼を"得た"のではなく、"失った"ことになる。

 

彼は研究者であって、道具ではない。道具にされた瞬間、研究者としての鋭さが鈍る。いや、それどころかこちらに害が出る可能性も有り得る。

 

そういう類の人間だ。

 

彼は無害を装っているわけでもなく危険を隠してもいない。

 

ただ、必要な時にだけ"選ぶ"……その基準を、私はまだ知らない。それが何より不気味だったと言える。

 

……歩きながら、笑いそうになる。

 

まるで私が、帝国に向かって"彼は利用してはならない"と進言しているようだ。だが、本当のところ、進言先は帝国ではないのかもしれない。

 

私自身だ。

 

私は、どう動くべきかを決めたい。

 

彼を敵に回す必要はない。だが、彼が誰かに利用される可能性は潰すべきだ。

 

精神魔法は、使い手の善意で守られるものではない。奪われた瞬間に下手すれば攻撃魔法よりも最悪な結果を起こす。

 

彼は「理由がないことはしない」と言った。ならば逆に、理由を与えられたときだけ動く。

 

誰かが、彼に"もっともらしい理由"を与えたなら、そのとき初めて世界が変わる。

 

欲しい。

 

帝国が、という意味ではない。私個人があの頭脳を傍に置きたくなる。

 

だが、それは危険なのは言うまでもない。彼は明らかに測れる存在ではない……静かに、世界を変えられる種類のものだ、彼は。

 

「……厄介だな。本当に」

 

私は、そう呟くのだった。

 

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