帝国にこき使われてます。 作:未履修くん
今日は休みの日。だから朝からのんびり過ごそうと思ってたんだけど……朝から屋敷の空気が少しだけ違っていた。
メイドさんや執事さんたちの動きがどこか慌ただしく、廊下を行き交う足音にも無駄がない。昨日、父から来客があるというのは分かっていたが、どうやらただの挨拶という雰囲気ではなさそうだ。
「私の妹が来る事になってな」
朝食の席で、父が淡々とそう告げた。用件は父宛らしい。帝国の書類関係だとか、確認事項だとか。詳しい話は聞いていないし、聞いたところで僕に分かる話でもない。
父は魔導特務隊で、母は帝国の中枢に関わる文官。
この屋敷は、家というより半分は仕事場みたいなものだ。仕事で屋敷を空けることもあるし、仕事で引きこもっていることもある。親族の訪問であっても、理由がなければ来ることはまずない。
だから、叔母が来ると聞いても「久しぶりだな」以上の感想は浮かばなかった。問題は――その娘、つまり僕のいとこも一緒に来る、という点だ。
「退屈させるだろうから、相手してやってくれないか」
父はそう言っていたが、言い方からしてあまり期待はされていないらしい。いとこ……エルナという名前なんだけど、彼女については、僕も話には聞いている。
魔法適性はそこそこ。だけど覚えが悪く、要領も良くない。
――大成は難しいだろう。そんな評価が、親族内でも半ば共通認識になっている、らしい。
まあ、会ってみなければ分からないだろう。
叔母と父が書斎に籠もって話を始めてから、しばらく経った頃に、広い居間の片隅で、いとこはそわそわしながら座っていた。
年は、僕より少し下だったはずだ。多分。姿勢は悪く、手持ち無沙汰なのか、指先を落ち着きなく動かしていた。
暇かい? と声をかけると、少し驚いたようにこちらを見た。彼女からの返事は遅いが、視線の動きは悪くない。少なくとも、反応が鈍いタイプではなさそうだなと思った。
時間かかりそうだし、適当に話そうか? とそう言って隣に腰を下ろす。特に深い意味はない。ただ、空気が持たなそうだっただけに見えたというかそんな感じだけど。
しばらくは当たり障りのない話をした。通っている学院のこと、最近の魔法課程の話、授業が退屈だとか難しいとか、そんなよくある内容だ。
ただ、彼女と話していて違和感を覚えたんだよね。理解は遅くないし、むしろこちらの話をちゃんと噛み砕いて聞いている。
今の話、分かった? と聞いてみれば「……うん。少し考えれば」という返答が来た。
"少し考えれば"。その言い方が、妙に引っかかった。
じゃあ、これもいける? と魔法理論の、ごく初歩的な話を振ってみる。すると、彼女は一瞬だけ黙り込み、視線を彷徨わせたあと、ぽつりと「たぶん、こう?」と答えた。
完璧ではない。けれど、筋は通っている――なるほどね。処理速度が遅いだけで、地頭自体は悪くないと見た。評価が低い理由が少し見えた気もする。そう考えるともったいないなぁ、というのが僕の素直な感想だった。
彼女は、ちょっとした補助があれば、普通に伸びる……ああ、そういえばアレがあったか?
以前、思考を補助する系の魔法について、机上で考えたことがあった。研究として形にするほどではないが、理論自体は単純だ。
集中力の維持、情報整理の補助。思考の切り替えを滑らかにする。攻撃魔法ほど派手じゃないし、危険性も低い。使い方を誤らなければ、ただの補助魔法だ。
……秘密だけどさ、と声を落として彼女に向き直る。
もしも、少しだけ頭が良くなる魔法があるとしたら、使いたい? とそう聞いてみた。すると彼女は目を見開いていた。
誤解されないように、言葉を選ぶ。魔法で人格を変えるつもりはない。ただ、引っかかりを減らすだけだ。正確には、考えやすくなる魔法、かな。才能を増やすわけじゃない。
それに、嫌だったらちゃんと拒否してもいいとも言い加えておく。無理矢理はしたくないからね。
――数秒ほど間を置いてから、彼女は強く頷いた。それを見た僕は、少し微笑みながら彼女に魔法を行使することに。
「じゃあ行くね――<
この魔法を、ほんの少し流す。すると変化は、すぐに出た。
「なんか……頭、静か……」と彼女はそう口にした。それを聞いて、内心で頷く。
うん、成功だね。それに加えて無理しなくていいよー。使うのは、必要な時だけだよ、とそう加えておく。
賢くなる魔法――と、一言で言ってしまえばそれまでだが、実際のところそんな単純なものではない。
僕が作った<
やっていることは、極めて地味なんだよね。
頭の中に浮かぶ思考の"順番"を、ほんの少しだけ整えるだけ。情報が同時に押し寄せたとき、重要度の低いものを後ろに回して必要なものだけを前に出す。考えが行き詰まったとき、余計な枝葉を刈り取って一本の道筋に戻しやすくするイメージ。
それだけ。
だから頭が良くなるというより、考えやすくなる。それがこの魔法の正しい表現だと思っている。
思考を「整理」するだけであり、空白を知識で埋めるような効果は、最初から持っていないんだよね。
もともと考える者だけが、より深く考えられるように補助する――ただそれだけの魔法だ。決して凡人を天才にさせるような魔法ではない。
成長していると錯覚した人間ほど、厄介なものはない。自分が何を理解していないのか、分からなくなるからだ。
実際、前世の知識を思い返しても思考力そのものを底上げする薬や栄養素は思い当たらなかった。あるのは集中力を保つものや、疲労を癒す類。
賢くなるのではなく、考える時に立ちはだかる"邪魔"を減らすだけ。
そのため、ワーキングメモリや実行機能といった域に踏み込む必要が出てきて……魔法として成り立たせるまでこぎつけるのに苦労した。
この魔法は、思考を増やさない。代わりに今考えなくていいものを後ろに回す。それで、驚くほど賢く見える――だから、見栄を張って<
まぁ、これぐらいのお遊びは許されるよね?
だけど、自分で経験してみて気づいたこともある。
人は、自分がどれだけ考えづらい状態にいたのかを案外自覚していない。思考が整理された瞬間を基準にしてしまえば、それ以前の状態は"鈍っていた"ように感じられる。
結果として、本人の感覚では――賢くなった、という実感だけが残る傾向にあるんじゃないかと思う。ま、それ含めて遊び心で凄そうな魔法名にしたんだけどね。
そこまで考えて、僕はこの魔法を研究報告会に出すのをやめたわけだ。危険だからというよりは……説明が難しすぎるのだ。
仕組みを正確に説明しようとすれば、抽象的な話ばかりになる。かといって効果だけを伝えれば、誰でも賢くなれる魔法として一人歩きするだろう。
<
これは、使う側の"思考そのもの"に触れる魔法だ。用途を誤れば依存が生まれる可能性もある。
「これがないと考えられない」「これがあったから理解できた」――そんな風に、魔法そのものが判断基準になってしまう……いや、可能性というよりほぼ確実だ。だから、これは出さない。まぁ、少なくとも今の段階ではだけど。
そう判断したところで、屋敷に遊びに来ていた"いとこ"という存在。彼女は、決して出来が悪いわけではない。むしろ、物事の本質を掴む力はある。ただ、考える速度が遅く、要領が悪い。それだけなんだよね。
質問は的確なのに、答えに辿り着くまでに迷う。迷っているうちに、周囲が先に進んでしまう。それを、本人が一番分かっている。
――この魔法を世に出さない理由は山ほどある。けれど、目の前の彼女は、ただ"追いつきたい"だけなのだ。誰かを出し抜きたいわけでも、上に立ちたいわけでもない。ただ、ちゃんと理解したいだけ。
ならばと思って、限定的に。
効果も時間も、制御した状態で。依存が生まれないよう、常時使用は禁止して、あくまで補助。あくまで一時的なものに留まらせる。
そう思って、僕は彼女にだけ<
「これ、二人だけの秘密ね」
彼女は何度も頷いた。その目が、少しだけ――いや、かなり輝いていることに僕は嬉しい気持ちになってきた。
助けになったならそれでいい。そう思っただけだ、うん。いとこよ、強く生きろよ。くれぐれも僕のようにぐーたら暮らすのはやめた方がいいぞ~なんちゃって。
――私は、昔から要領が悪かった。
考えれば分かる。時間をかければ、ちゃんと理解できる。けれど、それがどうしても他の人より遅い。
魔法学院にいた頃から、何度も言われてきた。「惜しい」「才能はある」「でも、向いていない」。
魔法使いは、瞬時に判断し、術式を組み立てるものだ。敵の動き、魔力の流れ、地形、味方の位置――それらを同時に把握し、選択を下す。
考える速度が遅い私は、その時点で不利だった。
なまじ、魔力そのものへの適性は高かったから、余計に目立った。魔力の出力も、制御も、教えられたことはきちんとできる。だからこそ、先生たちは口を揃えて言った。
「もったいない」
その言葉が、一番つらかった。
出来ない、と言われるよりも。向いていない、と切り捨てられるよりも。"惜しい"という言葉は、期待と失望を同時に突きつけてくる。
そんな私が、あの屋敷を訪れたのは、お母様の用事に付き添った時だった。
お母様のお義兄様の息子――私より年上の、いとこ。帝国の研究機関に勤める、少し変わった人。
初めて会った時の印象は、正直よく覚えていない。穏やかで、淡々としていて、どこか距離を感じる人だった。なのに、話してみると、不思議と緊張しなかった。
私が言葉を探している間も、急かすことはなく、途中で言い直しても、眉一つ動かさず聞いてくれる。そのことが、嬉しかった。
……そんな私に、そのいとこ――お兄様がそう口にした言葉が。
「もしも、少しだけ頭が良くなる魔法があるとしたら、使いたい?」
思えば、あれは軽い冗談のつもりなのかなと思った。でも、話を聞いていく内に、本当だというのは理解できた。
一瞬、迷いはした。魔法というものは、便利な反面、怖さもある。まして"賢くなる"なんて、聞こえのいい言葉ほど疑うべきだと、どこかで分かっていた。
「嫌ならやめていいよ。君の意思を尊重する」
けれど、お兄様は押しつけるような言い方をしなかった。その態度が、逆に決め手になった。この人なら、大丈夫だ――そう思ったから。
そうしてかけてもらったのが、<
魔法をかけてもらった瞬間、何かが劇的に変わったわけではない。頭が熱くなるわけでも、視界が広がるわけでもない。
ただ――思考が、静かになった。
頭の中で絡んだ思考が、一つずつ整理されていく。考えが、迷子にならない。理解するまでの道筋が、はっきり見える。
……ああ。
私は、こんなにも考えるのが下手だったのか。そう気づいた瞬間、胸が少しだけ痛んだ。けれど、それでも、嬉しかった。
手に取る物事すべてが、すぐに理解できる。魔法の理論も、術式構築も、今まで曖昧だった部分が繋がっていく。
――お兄様に、<
授業での理解が早くなり、質問への返答も的確になる。以前は指摘されがちだった"詰まり"が減り、評価は自然と上向いていった。
「最近、随分と冴えているな」
「惜しい子だったけど、今は一段違う」
そんな言葉を、先生や同級生から向けられるようになる。けれど、それを誇らしいとはあまり思わなかった。
だって、それは私自身の力じゃない。お兄様の力だ。この程度の変化で驚かれること自体、どれほど皆が"考えづらい状態"で生きているのかを示しているだけだと分かってしまった。
本当に凄いのは、この魔法を作った人――お兄様なんだ。
私は、魔法の効果を確かめるように、毎日少しずつ<
なのに、不思議なことが起き始めた。
使っていない時間でさえ、考えが前より整理されている。理解の"型"が、頭に残っているような感覚。これは……慣れだろうか?それとも、私がようやく考える側に追いついただけ?
周囲は努力が実を結んだと言う。でも、私は知っている。努力の方向を示してくれたのは、お兄様だ。正しく考える"道"を、先に作ってくれた。
周囲は私を「成長した」と言う。でも、本当に成長しているのは――お兄様の作った理屈だ。私は、それをなぞっているだけ。
だって、試しに<
それでも、使えてしまう。理解できないはずのものが、動いてしまう。
――これは、私が賢くなったわけじゃない。お兄様の"考え方そのもの"を、<
驚くほど難解な術式だった。構造は理解できる。けれど、全体像が掴めない。この魔法を使っている"今の私"でさえ、だ!
だから、はっきり分かった。この魔法を作ったお兄様は、私とは違う。同じ景色を見ていない。だから、私にとって憧れは――お兄様だけだ。
『これ、二人だけの秘密ね』
そう言った時のお兄様の顔を、私は忘れない。少しだけ困ったようで、それでも当然のように頷いた。
二人だけの秘密。その言葉が、胸の奥で静かに響いた。
<
だって、私にはお兄様がいるんだから。この魔法を作った人で、私を"分かる側"に引き上げてくれた人。また近いうちに、会えるだろうか。今度は、どんな話をしよう。どんな質問をしよう。
もっと理解できるようになった私なら、きっと、前よりちゃんと話せるはずだ。
「また近いうちに、会いに行くね――お兄様」
お兄様の答えが欲しいかと言われれば欲しいと思う。けれど、気づけば自分の判断を下す前に、お兄様ならどう考えるかを主として考えていたのもあるから。
自分の思考がそこへ辿り着いているかを、お兄様と確かめたいだけとも言えるのだった。