帝国にこき使われてます。   作:未履修くん

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経過報告と下地になった魔法

 

今日は休みの日だ。

 

そんな日のことを考えながら、ふと、昨日のやり取りを思い出す。

 

「明日、妹がまた来るそうでな」

 

そう父に言われて、へえ、と曖昧に返事をしながら、僕は手元のメモから視線を上げた。

 

前に来た時からはそう日は経っていないはずだ。にもかかわらず、「また来る」という言葉に、少しだけ間が空いた気がした。

 

まぁ、いいか。前回と同じような用事だろう。

 

来るものは来る。特に断る理由もない……というか、僕が断れるような話じゃない。

 

そして今日。

 

玄関の方が少しだけ賑やかになったので、顔を出してみると――そこにいた叔母は、前に会った時よりも、表情が柔らかかった。ほんのわずか、目尻の緊張が抜けている。声の調子も、心なしか丸い。

 

気のせい、じゃあないねこれは。

 

その隣で、いとこであるエルナが少しだけ距離を詰めて立っていた。前は、無意識に一歩引いていたはずなのに、今日は肩が触れそうな距離だ――うん、少なくとも悪い方向には進んでいないらしい。

 

それで「こんにちは」と挨拶する。そうすると、エルナは一瞬だけ驚いたように目を瞬かせ、それから「こんにちは、お兄様。お邪魔します」と頷いた。

 

……お兄様? 前はそんな呼び方していなかったような。いやよく考えれば彼女と会った事なんて数回もないし、元からかな。

 

まあ、いいや。それから前と同じく居間で腰を下ろす。父と叔母は前と同じように書斎に籠って話している。

 

特別な話題はない。天気だとか、最近の屋敷の様子だとか、学院の様子だとかそういうたわいもない話を彼女と二人で話をする。

 

何気ない会話の途中で、ふと気づく。エルナの視線が、今日はやけに落ち着いている。

 

以前は、話をしていてもどこか宙を彷徨うような目をしていたはずだ。言葉を探しているというより、考えが追いつかずに置いていかれている――そんな印象だった。

 

けれど今は違う。視線が定まっているわけでも、自信に満ちているわけでもない。ただこちらを見て、聞いて、次に何を言うかを自分の中で選んでいる……なるほど。

 

彼女は、前と同じじゃない。これはいい経過かな?

 

ある程度話をすると、エルナが少しだけ姿勢を正して、「あの、お兄様。前に教えて貰った魔法のことなのですが」と、こちらを見る。

 

言葉を探すように視線が揺れる。以前なら、ここで言葉に詰まって終わっていたはずだ。

 

だが、今日は違った。

 

 

「<賢くなる魔法(デンクラハイト)>の魔法、最近はあまり使っていません」

 

 

おっ、経過報告かい。なるほどなるほど。

 

それは使わなくなった、じゃなくて? と聞くと「はい。使わなくても、できることが増えてきたという感じです」と。

 

うん、いいね。僕は小さく頷いてからどんなところができてきた? と聞いてみる。

 

 

「考え事をするとき、前は……全部が一度に浮かんできて、何から考えたらいいのか分からなくなってたんですけど」

 

 

エルナは、自分の胸の辺りに手を当てる。

 

 

「でも今は……最初に『これは今考えること』『これは後でいいこと』って、分けられるようになりました」

 

 

おお、それは、まさにいい傾向だね。

 

以前彼女に説明した通りだが、<賢くなる魔法(デンクラハイト)>は、思考を速くする魔法じゃない。

 

エルナの言葉を聞いて、少しだけ考えを改める。彼女はちゃんと理解している。いや……理解しようとした、という方が正しいか。

 

魔法の効果をそのまま信じるのではなく、自分の中で噛み砕いて自分なりの使い方を探している。その様子が、言葉の端々から伝わってくる。それだけで、充分だ。

 

 

「最初は、使った後の感覚を思い出す感じでした。でも最近は――意識しなくても、自然に」

 

 

エルナは少し照れたように笑った。「だから、魔法を使う頻度は減りました。でも、使わなくなったわけじゃありません」と……うんうん、それでいいんだよ。

 

そう言うとエルナは少し驚いた顔をした。まるで、いいんですか? と言わんばかりに。

 

それはむしろ理想的だ。魔法に頼り続ける必要はないけど、必要な時に使うのをやめる理由もない。

 

賢くなる魔法(デンクラハイト)>は、君の代わりに考えるものじゃない。考える"順番"を教えるだけだ。

 

だから、もう自分で順番を決められるなら――それを補うために使う分には何も問題ない。

 

それは、もう君自身の力だからね。

 

その言葉を聞いて、エルナは一瞬だけ黙り込んだ。それから、ゆっくりと頷く。

 

 

「……最近、自分で決めることが、少し怖くなくなりました。前は、間違えたらどうしようって思っていました。でも今は――考えた上で選んだなら、それはそれでいいって思えます」

 

 

ふむふむ……それはいい兆候とも言えるね。思考の整理は、感情の整理にも繋がる――それが分かり始めているなら、もう大丈夫だろう。エルナ、君は充分前に進んでるよ。

 

そう言うと、エルナは小さく、でも確かな笑顔を見せた。

 

 

「ふふっ……ありがとうございます、お兄様」

 

 

可愛い顔するじゃあないか、いとこよ。

 

――精神魔法というのは、便利だ。けれど同時に、終わりを用意しておかないといけない。いつまでも使い続けられる魔法は、気づかないうちに人の足を止めてしまう。

 

その点で、<賢くなる魔法(デンクラハイト)>は理想的とも言えるだろう。考えることを代わりに引き受けるのではなく考え方だけを示して、あとは手を放す……エルナは、もうその段階に来ている。

 

なら、あとは彼女自身だ。

 

エルナにとっての<賢くなる魔法(デンクラハイト)>はもう、役目を果たし終え始めている。あとは、彼女自身が歩いていくだけ。

 

……そんなことを考えていると、ふと、エルナがこちらを見上げていることに気づいた。

 

何か言いたそうで、でも言い出しかねている。視線が揺れて、口を開きかけては閉じる。その様子を見て、僕は何も言わずに待つことにした。

 

こういう時は、急かさない方がいいからね。

 

しばらくして、エルナは小さく息を吸い込んだ。

 

 

「あの、お兄様。もし、よろしければ……その――」

 

 

一瞬、言葉が途切れる。だが、今度は逃げなかった。

 

 

「お兄様の……お部屋を、見てみてもいいですか?」

 

 

あ、そういう。

 

その申し出に、少しだけ考える。自室――正直に言えば、綺麗とは言い難い。というか、かなり散らかっている。床に転がるメモ、壁に貼り付けた走り書き、棚の上に積まれた古い記録。

 

一見すると、ただの紙の山だが、中身はそれなりに厄介なものも混じっている。

 

もっとも、何もしていないわけじゃない。自室に不審なことがあったら警報が鳴る魔法をかけてあるし、肝心な部分は自分にしか分からない略号で書いてある。

 

まあ慎重すぎて困ることはないってやつだね。これで問題になるなら、そもそも家の中にいる相手を疑うべきだろうが。

 

とはいえ……まぁ、可愛い従妹のためなら別にいいかな。場所に気をつけるなら、いいよと伝えておく。

 

 

「本当ですか?」

 

 

エルナの顔がぱっと明るくなった。ただし、条件付きねとも言い加えておく。条件、という言葉に少しだけ緊張した様子で、エルナは姿勢を正す。

 

どれがどこまで危ないかは僕も把握しきれてないけどね。

 

ただ、細部までは把握しきれてないけど大まかな分け方は付けてあるからまあ、大丈夫と言える。

 

そもそもの話、威力や規模が一定以上になるであろう魔法は、そもそも机の外に出してないというのもあるけど。

 

そういう訳で、見せられる範囲は限られるけどいいかい? と聞いて。

 

 

「はい!」

 

 

やけに元気な返事だ。そんなに僕の自室が嬉しいのだろうか。

 

まあ、いいや。嫌がられるよりはいいよね。そう思いながら僕はエルナを自室へ案内した。掛けてある魔法を解除して、自室の扉を開けた瞬間エルナは目を見開いた。

 

 

「わ……」

 

 

感嘆とも驚愕とも取れる声。

 

部屋は――うん、まあ、相変わらずだ。整理整頓という概念が途中で放棄された空間ともいえばいいか。机の上も床も、等しく"作業場"として機能している。

 

だが、エルナの反応は予想と少し違っていた。

 

 

「……すごい」

 

 

すごい? これを見て何が凄いと思ったのか気になった僕は、理由を聞いてみる。

 

 

「いっぱい、考えた跡があります」

 

 

あ~なるほど、そう来たか。この紙の山は確かに考えた跡とも言えるか。ここにいるのが慣れすぎて当たり前のような感覚になっていた。

 

……エルナは部屋の中をゆっくりと見回していた。視線は壁のメモ、床の紙束、棚の走り書きへと次々に移っていく。落ち着きがないというより、興味が抑えきれていない様子だ。

 

だが――不思議と、どこにも手を伸ばさない。

 

代わりに、視線だけがあちこちを彷徨っている。最終的には、どこを見ればいいのか分からなくなったのか、天井を見上げて固まってしまった。

 

 

はは。そんなに気になる? そう言うとエルナは少しだけ恥ずかしそうに頷いた。

 

 

「見たいです。でも、勝手に触るのは……」

 

 

うんうん、偉いね。勝手な行動を起こさないのは良いぞ、いとこよ。それじゃあ、ここからここまで――と僕は部屋の一角を指さした。

 

机から離れた、壁際のスペース。そこに散らばっているのは、比較的小規模な魔法のメモばかりだ。

 

ここら辺は、そこまで大きなことにはならない魔法だ。好きに見ていいよ。そう言うと、エルナは一瞬だけ目を瞬かせ――次の瞬間、ぱっと花が咲いたような表情になった。

 

――ただし!

 

そう声に出すと、エルナはびくっと肩を揺らした。ちょっと怖がらせちゃったかな。でもごめんね、流石にそこら辺の線引きはしなきゃいけなくてさ……机の近くに行っちゃだめだよ?

 

 

「……どうしてですか?」

 

 

素直な疑問だ。それに対する回答は、うーんちょっとぼかして……面倒なことになるからかなぁと答えておく。

 

正確な理由を説明し始めたら、きっと収拾がつかなくなると思うからね。言葉を選んだ結果、それ以上の説明はしない。

 

それに、面倒な事になりうるメモがあるのは"机の引き出しの中"だ。

 

分類の仕方がそうなっているのもあるけど。というかそういうメモは、僕にしか読めない略号で書いてある。万が一盗まれても読めないならただの紙……というわけだ。

 

それ以外のメモも、まあ書いてあるのは発想の骨組みだけだ。肝心な部分は略号と感覚に寄せてあるから、見ただけじゃ真似はできないようにしてはある。

 

エルナは即答するように、こくりと頷いた。

 

 

「分かりました。約束します」

 

 

うんうん、僕との約束だぞ。

 

そうして、僕は机でちょっとメモを整理しながら、彼女を見守る事にした。小さく、でも抑えきれない喜びを滲ませて、エルナはその一角でメモを一枚一枚、宝物を扱うように丁寧に眺めている。

 

……本当に、研究向きだなぁこの子。もしこの子が研究所に来てくれたら面倒を見ることになりそうだね。

 

こうしてしばらくの間、エルナは壁際に貼られたメモや、棚に無造作に積まれた紙束を楽しそうに眺めていた。どれも、ぱっと見ただけでは意味が分からない走り書きばかりだ。

 

まあそれもよく見てみたら骨組みぐらいはわかるとは思うけど。

 

……と思っていたら、ふと彼女の動きが止まる。視線が、一枚の紙に吸い寄せられるように留まっていた。

 

 

「お兄様――これ、なんですか?」

 

 

んん、なんだいなんだい? 彼女から手渡されたメモは、文字数の少ない、だがやけに線が多いメモだった。矢印と囲みが何重にも重なり、中央には短い言葉が書かれている。

 

あー……これね。僕は少しだけ懐かしい気分になりながらもこう答える。

 

それは<集中する魔法(デンクライテン)>のメモだね。

 

正確には、<賢くなる魔法(デンクラハイト)>の"下地"みたいなものかな。

 

 

「下地?」

 

 

そうそう、下地。当時のことを思い出しながら、言葉を選ぶ。

 

いちばん重要な思考を前に固定して、それ以外を後ろに回させる発想でね。一番優先度が高いことだけを意識の中央に置く。

 

まあ……名前通り、ものすごく集中する魔法って言えば分かりやすいかな。そう言うとエルナは目を丸くしていた。

 

 

「それってすごく、便利そうです」

 

 

うんうん、便利だった――けど精神魔法として考える場合当時は考えが甘かったんだ。

 

そう言うとエルナが不思議そうに首を傾げる。

 

思考を固定する、ってことはさ。裏を返せば、"他のことを考えなくなる"ってこと。

 

集中はできる。でも、視野が狭くなる。本当にそれ以外のことが"雑音ですらないもの"として処理されてその事しか考えられなくなる……だから、作った当時はあらかじめ使う前に制限をかけていた。

 

思考の余地ができるように、とか一定時間が過ぎたら自動で解除されるように<集中する魔法(デンクライテン)>に術式を組んでおいたんだけどね。

 

そうでもしないと、途中でやめるって判断ができなくなるからね。自分で止められない魔法、ってやつだ。

 

 

「……それは、怖いですね」

 

 

でしょ、と僕は苦笑した。まあ、でも使い方さえ間違えなければそれなりに有用な魔法ではあるかな。十分だけ集中したいとか。まあそれも環境と場所をちゃんと選んだ上でのことだけど。ただ、実用化という意味ではこの魔法は出さなかった。

 

理由は単純だ。この魔法は、使う側に"判断を任せすぎる"のだ。

 

最初は思考の固定が強すぎたから、意図的に"思考の余白"を残すように組み直した。時間制限も付けて、暴走しない形にはできた。

 

術式としては成立しているし、再現性もある。時間制限を付ければ、安全性も確保できる。だから実験結果だけを見れば、実用化は十分可能だと当時の僕は考えていた。

 

でも、現場で使う魔法として考えると話は別だ。集中すべきかどうか――その判断を誤った瞬間、この魔法は使用者の思考を奪う側に回る。

 

それに一度<集中する魔法(デンクライテン)>を行使したら、制限時間が来るまでの間、その事に集中する他にない。途中でやめるという思考すら後ろに回されやすくなってしまい、結果的に集中が乱れることになる。

 

だから、この魔法は使い方を誤った瞬間に、判断そのものを奪う。

 

魔法そのものよりも、使う人間の成熟度に依存しすぎている。誰でも使える形に落とし込めない以上、広く出すべきものじゃないと判断したわけだ、結果的にはあまり使い勝手が良くなかったということだ。

 

でもね――と視線を、エルナに向ける。

 

この"魔法"があったからこそ、<賢くなる魔法(デンクラハイト)>が生まれたんだ。

 

固定するんじゃなくて、順番を示す。考えることを代わりに引き受けるんじゃなくて、考え方だけを教える。そこに気づけたのは、このメモのおかげだよ。

 

そう口にすると、エルナは、もう一度その紙を見つめた。さっきまでとは違って、今度は少しだけ真剣な目で。

 

 

「全部は分からないです。でも……どうして今の魔法になったのかは、少し分かった気がします……お兄様らしいですね」

 

 

それが褒め言葉なのかどうかは分からないけれど、悪い気はしなかった。

 

少なくとも、この部屋に散らばったメモたちは、ただの紙切れじゃない。全部が、今に繋がっている。そう思えるいとこに見せられたのは――悪くない選択だったかもしれないね、うん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お母様の用事で、お兄様の屋敷へ向かうことになったと聞いたとき、胸の奥がふわりと温かくなった。

 

理由を言葉にするのは少し恥ずかしいけれど、それでも会えるのが、嬉しかった。前に会ったときから、それほど時間が経っていないはずなのに。

 

それでも「また会える」と思うだけで、心が落ち着くのだから不思議だ。

 

屋敷に着いて、顔を合わせたお兄様は、相変わらず穏やかな表情をしていた。声も、仕草も、言葉の選び方も、柔らかい。

 

それからお母様は叔父様と書斎の方に行って。それからお兄様と居間、二人で何気ない会話をしているだけなのに、胸の中に溜まっていた緊張が、少しずつほどけていくのが分かる。

 

お兄様に教えてもらった、<賢くなる魔法(デンクラハイト)>を使う頻度が減ってきたことと、この魔法を用いなくても『これは今考えること』『これは後でいいこと』って、分けられるようになったことも伝えた。

 

そうしたら、お兄様はこういった。

 

賢くなる魔法(デンクラハイト)>を使う頻度が減ってきたのなら、それは魔法のおかげじゃない。君自身が、考えて選べるようになったということだ――と。

 

助けられているのではなく、信じられている。導かれているのではなく、前に進んでいると認めてもらえた。

 

それが、どれほど嬉しかったか。

 

この人と話していると、自分がちゃんと「考えられてる存在」なのだと感じられる。しばらく話してから、私は思い切って口を開いた。

 

「お兄様の……お部屋を、見てみてもいいですか?」

 

言ってから、少しだけ不安になる。断られてもおかしくないお願いだったから。それでも、お兄様は一瞬考えたあと、いつも通りの調子で頷いた。

 

「いいよ。ただし、見る場所は少し制限するけどね」

 

そう言って、私を部屋へ案内してくれる。扉を開けた瞬間、私は思わず息を呑んだ。散らかっている――という表現では、足りない。

 

床にも、棚にも、机の端にも、無数の紙がある。書き殴られた文字、図形、魔法陣の断片。けれど、不思議と嫌な感じはしなかった。

 

むしろ、胸が高鳴る。

 

ここには、お兄様が「考えた跡」が、そのまま残っている。片付けられていないのではなく、考え続けているからこそ、こうなっているのだと直感した。

 

――宝物庫。

 

ふと、そんな言葉が浮かんだ。金貨や宝石ではなく、思考そのものが積み上げられた場所。

 

「この辺りまでなら大丈夫だよ」

 

そう言われて、私は何度も頷いた。

 

ただ、机の近くには近づいてはいけないとお兄様は言っていた。その声音に、脅すような色はなかった。ただ、深く踏み込まれたくないだけなのだと、何となく分かった。

 

その言いつけを守りながら、メモに目を通していく。

 

――理解できないものばかりだった。

 

魔法の構造も、発想も、前提にしている視点そのものが違う。書かれているのは骨組みだけなのに、それですら手が届かない。

 

それなのに、怖くはなかった。むしろ、遠くを見ている人の背中を、静かに見上げているような感覚に近かった。

 

そんな中で、私は一枚のメモに目を留めた。ハッキリと魔法が書かれているわけではない。けれどどことなく胸がざわつく。

 

だからお兄様に尋ねると、彼は少し懐かしそうに笑った。

 

「それは、<集中する魔法(デンクライテン)>だね。<賢くなる魔法(デンクラハイト)>の下地になったものだよ」

 

――説明は、簡潔だった。

 

最も重要な思考を前に固定し、それ以外を切り捨てる。極端な集中を生み出すための魔法。

 

「でも、当時は考えが甘かったんだ」

 

そう言って、困ったように頭を掻く。なんでも、集中するがゆえにそれ以外のことができなくなると。最悪、ずっとその事しか考えられなくなってしまうとも。

 

だから改良を重ねてみたけれど、結局は"使い手"に依存しすぎているから実用化に踏み切らなかったとも。

 

その言葉を聞いて、私はようやく繋がった気がした。

 

集中する魔法(デンクライテン)>があったから、<賢くなる魔法(デンクラハイト)>が生まれた。ただ思考を縛るだけでは終わらせず、どうすれば"手放せる形"にできるかを考えた結果が、あの魔法だったのだ。

 

逆に言えば――この魔法がなければ、<賢くなる魔法(デンクラハイト)>も、今の形では存在しなかったのかもしれない。

 

――理屈として分かったわけじゃない。でも、そういう考え方なのだと、胸に落ちた。

 

けれど、お兄様が口にしたその"考えが甘かった"という言葉に、私は引っかかりを覚えた。

 

甘い――?

 

これほどの危うい発想が?

 

これを「甘かった」と言える感覚そのものが、すでに常識の外にある。

 

それを知った瞬間、私は理解してしまった。お兄様は、魔法を作るとき、それを使わなくなる未来まで同時に考えている。

 

便利であること、強力であること――それ以上に、終わらせ方を先に決めている。

 

それは、とても優しい考え方のようで……少なくとも、私にはそう見えた。

 

誰かが依存しないように、立ち止まらないように。でもそれと同時に、恐ろしくもあった。

 

ここまで見据えて魔法を組み上げる人を、私は他に知らない。だからこそ、理解できてしまう分、距離を思い知らされる。

 

それでも、嫌だとは思わなかった。怖いけれど、尊敬しているのは変わりない。

 

その二つが、胸の中で静かに同居している。

 

お兄様は何も言わず、ただ見守ってくれていた。この人は、私に何かを押し付けたりはしない。

 

ただ、示して、手を放す。その在り方が、今は少しだけ眩しかったのだった。

 

 

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