ガイル少佐のヘルシーフード戦記 ~食文化に撃墜された空軍士官~   作:パワーポイント・レンジャー

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※作者は大阪人ではないので、大阪弁に間違いがあっても大目に見てやってください。


第六章 納豆嫌い同盟結成や~! ついに見つけた同志はナニワのバニーガールだった

 経理課の連中の心臓は、使い古されたタイプライターのインクリボンよりも乾いているらしい。

 俺が提出したPDF――キングの店『Bar Illusion』の修繕費に関する領収書は、無慈悲な電子音と共に突き返された。

 理由は『公務との関連性が不明』。レオナの暴走を食い止めたことが国防に繋がらないというのなら、この国の安全保障の定義を辞書で引き直すべきだろう。

 溜息を一つ、煙と共に吐き出そうとしたが、手元に火を貸してくれる(タバコ)はもういなかった。

 自宅のドアを開けると、そこには冷気が漂っていた。エアコンの故障ではない。娘のクリスの視線だ。

 

「ねえ、お父さん。どうしてディズニーランドに行けなくなっちゃったの?」

 

 彼女の声は、冬の朝の凍ったフロントガラスのように刺々しかった。俺は軍人としての規律を保ちながら、最大限の誠実さを持って説明を試みた。

 

「キングさんの店が壊れただろう? 俺が壊したわけじゃないが、連帯責任だと言われてな。修理代を支払わなければならなくなった。だから、ミッキーに会うのは少し先の話だ」

「連帯責任?」

 

 クリスが眉をひそめる。

 

「一人が問題を起こせば、グループ全体が泥を被る。それが大人の世界の、あまりスマートとは言えないルールだ」

「でも、お店を壊したのはレオナさんじゃない! なんでお父さんまで払わなきゃならないの!?」

 

 彼女の正論は、ソニックブームよりも鋭く俺の胸を抉った。

 

「そう言われてもだな、それがあの店のルールなんだ……」

 

 助けを求めて妻のユリアに視線を送ったが、彼女はキッチンで淡々とした包丁捌きを見せているだけだった。

 

「クリス、お父さんに文句を言っても仕方がないでしょう。ディズニーランドは諦めなさい」

 

 ユリアの言葉は援護射撃ではなく、とどめの一撃だった。

 

「お父さんの嘘つき! クリスマスに連れて行ってくれるって約束したのに!」

 

 クリスはそう言い残し、自室に立て籠もった。それ以来、俺と彼女の間の連絡手段は完全に遮断された。

 追い打ちをかけるように、ユリアが家計という名の軍事予算の縮小を宣言した。

 

「今月から引き締めていくわよ。破産したら笑えないもの。それから、あなた。煙草はやめてくださいね。あんな不健康なものに費やすお金があるのなら、食費に回すべきよ。毎日、ディスカウントショップの冷凍ピザの味に耐え続けるのは、あなたも嫌でしょう?」

 

 家庭という名のベースキャンプは、いつの間にか地雷原に変わっていた。俺の居場所は、リビングの片隅にある狭い陣地――古びたソファだけとなった。

 

 

 

 三ヶ月後、運命の女神が俺にウィンクを送った。いや、正確には人事課の命令書が、俺に救命ボートを差し出したのだ。

 

【日本、横田基地への二年間の単身赴任】

 

 その内示を読んだ瞬間、俺は心の中で激しくガッツポーズを決めた。

 日本。アメリカの軍人にとって、そこは最高級のステーキのような赴任先である。しかも単身赴任だ。それは二年間、家庭内紛争から離脱し、一時的な停戦協定を結ぶことを意味する。

 前任者が健康上の理由で急遽帰国することになったらしく、俺に白羽の矢が立ったというわけだ。気の毒だが、彼が空けた穴は、俺にとっての聖域(サンクチュアリ)となった。

 そして二月下旬、俺は冬の凍てつくアメリカを後にすることに決めた。

 

「お父さん、本当に行っちゃうの?」

 

 出発の日、クリスはまだ少し拗ねていたが、その瞳には寂しさが滲んでいた。俺は彼女の頭を軽く撫で、自分に言い聞かせるように呟いた。

 

「任務だ。二年は長いようで短い」

 

 嘘だ。俺はこの自由を、砂漠で得た冷えたビールのように喉に流し込みたい気分だった。

 

 ワシントン・ダレス国際空港から飛び立った機体が、アメリカの大地をジオラマのように小さく変えていく。俺は機内食の安っぽいオムレツを口に運びながら、妙な安心感に包まれていた。

 約15時間のフライトを経て成田国際空港に降り立ち、下士官の案内で駐車場へ向かう。迎えの公用車に揺られ、夕方の渋滞という名の洗礼を受けながら、俺はその夜、横田基地の宿舎に辿り着いた。

 

 翌朝、俺はプレスの効いた制服に身を包み、ネクタイを締め直した。

 空軍士官にとって、横田への異動は出世の階段を一段登ったことを意味する。だがそれは同時に、愛機を駆って空を駆ける日々から遠ざかり、書類という名の紙の翼を操る日々が始まることも意味していた。

 デスクに座り、パソコンの電源を入れる。静寂が心地よい。ここには「ディズニーランド」と叫ぶ娘も、「タバコをやめろ」と迫る妻もいない。

 だが、俺にはやらねばならないことがあった。

 プライベートの時間は東京観光と称して街へ出たが、俺の目的はスカイツリーでも浅草寺でもなかった。

 

「日本語の勉強か。熱心だな、ガイル少佐」

 

 同僚にそう声をかけられるたび、俺は曖昧な微笑を返す。

 俺が日本語を学ぶ理由。それは日本人と高尚な哲学を語らうためではない。レストランのメニューに潜む、あの忌まわしき二文字――『納豆』という名の地雷を事前に、かつ確実に察知し、回避するためだ。

 

「……な、つ、と……う……」

 

 単語帳をめくる俺の指先は、爆弾処理班のように慎重だった。

 かつてリュウという男に食わされた、あの腐敗した豆の悪夢。リョウ・サカザキに食わされた納豆餅の絶望。そして、カーン家の食卓にまで紛れ込んでいた乾燥納豆という小型地雷。二度とあのような不覚を取るわけにはいかない。俺の戦いは、極東の地で静かに幕を開けた。

 次は、この街のどこかに潜んでいるはずの『ヘルシーフード』の罠を見極める必要があるだろう。俺の胃袋は、まだアメリカ軍人としての誇りを捨ててはいないのだから。

 

 

 

 早くも十ヶ月が過ぎた。ようやくクリスマス休暇に入り、横田基地での規律正しい生活から解き放たれた。

 俺は東京駅から新幹線に乗り、大阪へやって来た。

 目的地は、阪急東通商店街の一角にある、絶賛話題沸騰中のレストラン『The Rival』だ。バニーガール・レストランという、戦士の休息にはいささか華やかすぎる場所だが、戦友たちへの土産話という大義名分があれば、軍人の倫理規定に抵触することもないだろう。

 店内に足を踏み入れる。まだ11時台だというのにほぼ満席だ。

 予約の名前を告げると、カウンター席へ案内された。そこにいたのは二人のバニーガールだった。一人はおそらく日本人だろうが、もう一人は金髪碧眼の女だ。

 

「いらっしゃい!」

 

 彼女の朗らかな声は、ワシントンの公文書には逆立ちしても出てこない、濃厚なナニワの色彩を帯びていた。

 

「はい、お冷とおしぼり。ほんでこれがメニュー。注文決まったら呼んでな」

 

 流暢すぎる大阪弁が、金髪碧眼のバニーガールの口から次々に発せられる。外見と発声のギャップに、俺の脳内レーダーが一瞬狂いを生じた。

 

「ありがとう。お勧めのメニューは?」

「近江牛の粗挽きハンバーグセットやな。少々値は張るけど、味は保証するで」

 

 俺はメニューを精査し、そのハンバーグセットとマスカット・ベーリーAを注文した。

 

「お兄さん、観光で来たん?」

 

 彼女がハンディを操作しながら問いかけてくる。

 

「ああ。大阪は初めてだ」

「そうなんや! 大阪は見どころも美味いもんもぎょうさんあるから、存分に楽しんでいってや! で、どっから来たん?」

「アメリカからだ。今は横田基地にいる」

「へえ、軍人さんやったんや! どうりでガタイええわけやわぁ。納得やわ!」

 

 陽の気を振りまきながら喋り倒すナニワの金髪碧眼バニーガールに、俺は少しばかりの好奇心を禁じ得なかった。

 

「君はずっと日本に住んでいるのかい?」

「それ、よう聞かれるんやけどな。こう見えてもな、ウチ、生まれも育ちも大阪の、生粋の大阪人やねん。見た目はこんなんやけど、英語なんか一言も喋られへんからな」

 

 彼女は自嘲気味に笑った。その屈託のなさは、雲一つないカリフォルニアの空を思わせた。

 

「そうか。英語が話せないとは意外だな」

「それもよう言われんねん。人生で100万回は聞いたな。もう耳にタコどころかイカまでできるわ! ところでお兄さん、ウィリアムさん言うんやろ? 予約の名前見て、えらいカッコええ名前やなぁ思ててん!」

「ありがとう。俺の世代には多い名前だがな。君の名前は?」

「エリナ・ゴールドスミス言うねん。『えりりん』って呼んだってな」

「そうか。では、えりりんと呼ばせてもらうよ」

「よろしくなぁ~! ウチがえりりんなら、お兄さんは『うぃりりん』やな!」

 

 その瞬間、俺の頭の中で警報が鳴り響いた。

 うぃりりん――空軍少佐としての俺の尊厳が、音を立てて崩れ去る音がした。

 

「いや、それは……」

「語呂ええやん、めっちゃ可愛いやんか! 拒否権なしやで~!」

 

 戦場において命令は絶対だ。そしていま、このカウンター越しに下された命令に、俺は屈するしかなかった。

 俺は静かに、その不名誉なコードネームを受け入れた。

 

「はい、うぃりりんお待たせ! 焼きたてホヤホヤ、近江牛のハンバーグやで~!」

 

 えりりんが運んできたプレートは、暴力的なまでに芳醇な香りを放っていた。

 

「こっちがマスカット・ベーリーAな。このワイン、醤油ベースのソースにめっちゃ合うねん。最高のコンビやで!」

 

 俺はワインを一口含み、ハンバーグを口に運んだ。肉の旨味と醤油のコク、そしてワインの酸味が、俺の舌の上で完璧な編隊飛行(フォーメーション)を披露した。

 

「うむ……君の言う通りだ。素晴らしい組み合わせだよ」

「せやろ? ウチのイチオシやもん。これを選んだうぃりりんも、なかなかの『通』やね。お目が高いわ~!」

 

 俺を褒めつつ、自画自賛が入り混じったようなドヤ顔を浮かべている彼女を見ていると、自然と口角が上がった。

 

「君は面白いな。話してて飽きないよ」

「ほんま!? 最高の褒め言葉やん! おおきに~! そんなん言われたら、調子乗って一生喋り続けてまうで? ええの?」

「構わんが……君の口はマシンガンか?」

「マシンガン? そんな可愛いもんちゃうで。ウチの口はノンストップや! 弾切れなんて一生せえへんから、覚悟しぃや〜!」

「それは恐ろしいな。まさか言葉で蜂の巣にされる日が来るとは思わなかったよ」

「あはは! 蜂の巣どころか、明日の朝には跡形もなく吹っ飛んでるかもしれへんで?」

「だろうな。君は喋る殺戮兵器だ」

「殺戮兵器って! 物騒やな〜。でも、それくらいインパクトあるってことやんな? おおきに、光栄やわ! ほな、その兵器の燃料補給に、うぃりりんももっと食べて、もっと飲まなあかんな! ワインのおかわりは? サイドメニューもあるで~」

 

 見事な誘導尋問と鮮やかなセールストークだ。俺は苦笑しながら、ワインのおかわりとフライドポテトを追加注文した。

 

「よっしゃ、まいど~!」

 

 彼女がハンディを叩いた直後、ホールの喧騒が一段と激しさを増してきた。

 

「えりりん、ごめん! ホールめっちゃ立て込んできたから、ちょっと出てくれへん?」

 

 同僚のバニーガールからの出動要請だ。

 

「おっと、任務発生や! うぃりりん、ごめんやけどちょっと行ってくるわ。ポテト冷めへんうちに……って、まだ来てへんかったな。すぐ持ってこさすから、ゆっくり飲んでてや! ほなね!」

 

 彼女は嵐のようにカウンターから去っていった。

 静寂が戻った席で、俺は残りのワインを喉に流し込む。運ばれてきたポテトをつまみながら、俺はふと思った。戦士の休息に必要なのは、静寂ではなく、あのような破壊的な明るさなのかもしれないと。

 

 食事を済ませて『The Rival』を後にした俺は、ホテルにチェックインして荷物を置き、再び梅田の街へと繰り出した。

 煌びやかな繁華街を避け、戦前の残像を留める中崎町を歩く。古い長屋が並ぶ路地は、セピア色のフィルムのように静まり返っていた。

 中崎町を出て大型書店に立ち寄り、洋書コーナーを見て回る。活字という名の弾丸を脳内に装填しているうちに、空は群青色から漆黒へと塗り替えられていた。

 せっかくの休暇だ。地上173メートルの哨戒地点――梅田スカイビルの展望台でこの街を見下ろすのも悪くないだろう。

 早速、梅田スカイビルへ向かい、エレベーターに乗って35階へ。そこから伸びるシースルーエスカレーターは、まるで異次元へと続く発射台だった。

 39階でチケットを購入し、屋上の空中庭園へ出る。そこでは無数のカップルや家族連れが、夜景という名の甘い毒に酔い痴れていた。

 冬の夜風が鋭利なナイフのように肌を切り裂いていく。一人、手すりに寄りかかりながら光の海を眺める。脳裏を過るのはアメリカに残してきた、凍土のような我が家の食卓だった。俺の心は、氷点下の成層圏よりも冷え切っていた。

 その時、静寂を切り裂く信号弾のような声が響いた。

 

「潤ちゃーん、待ってぇーなぁ」

 

 聞き間違えるはずもない。あの『喋る殺戮兵器』の声だ。

 振り返ると、長い黒髪をなびかせた、狼のような鋭い眼光を持つ女を追いかけながら、えりりんが小走りにやってくるのが見えた。

 彼女は俺を見つけるなり、人差し指を向けて叫んだ。

 

「あ! うぃりりん!」

 

 周囲の視線が一斉に俺に集まる。俺は努めて冷静に、ポーカーフェイスを維持しながら彼女たちへ歩み寄った。

 

「やあ、えりりん。また会ったな」

「知り合いか?」

 

 潤と呼ばれていた女が、ぶっきらぼうな声でえりりんに尋ねる。

 

「今日、ウチの店に来てくれはったお客さんや。うぃりりん言うねん」

「うぃりりん? 変わった名前だな」

 

 潤が微かに笑う。えりりんは得意げに付け加えた。

 

「ちゃうちゃう。このお兄さんはウィリアムさんやから、うぃりりんや」

「ああ、あだ名だったのか」

 

 公共の場で『うぃりりん』と連呼されるのは、空軍少佐の階級章を剥奪されるよりも屈辱的だったが、俺は右手を差し出した。

 

「初めまして。ウィリアムだ。よろしく」

「おう、初めまして。オレは潤だ。よろしくな」

 

 握り返してきた彼女の掌は、鋼鉄の万力のようだった。

 かつてウィップと握手した時の戦慄が背筋を駆け抜ける。この女、ただ者ではない。

 

「彼女は君の友人か?」

 

 俺が尋ねると、えりりんは潤の腕にしがみつき、桃色のオーラを放ち始めた。

 

「えへへ……潤ちゃんはなぁ、ウチのステディやねん」

「おい、えりりん! 誤解を招くようなことを言うんじゃねえよ!」

 

 潤の否定がマッハの速度で飛んできた。

 

「またまたぁ。この前、ウチのおばあちゃん家に連れってって、ステディや~言うて紹介したばかりやないの」

「それはおめぇがオレを嵌めただけだろ! オレはおめぇの恋人になった覚えはねえ!」

 

 どうやら、えりりんの一方的な猛攻を、潤がガードし続けているという構図らしい。俺は軽く咳払いをして、この不毛な戦いに介入した。

 

「あー……君たちがどんな関係でも構わんが、この辺で美味い店を知っているか? 夜景を見た後に、空腹を満たしたくてな」

 

 えりりんがぱっと表情を輝かせる。

 

「美味い店? 両手で数え切れへんほどぎょうさんあるけどな。せや、串カツは食べた?」

「いや、まだだ」

「ほんなら串カツの店に行こか! 大阪来たらな、串カツ食べな嘘やでぇ」

「おっ、いいねえ! 串カツ食いながら飲むビールは最高だよな!」

 

 潤が豪快に笑う。その笑顔は戦場を生き抜く戦士のそれだった。

 

「その言い方やと、串カツよりビールがメインやないの」

 

 えりりんのツッコミに、潤は「あはは、バレたか!」と首の後ろを掻いた。

 ビールに合う料理に間違いはない。俺の直感がそう告げている。

 

「それはいいな。ぜひその店を紹介してくれ」

「オッケー! ほな行こか」

 

 えりりんを先頭に、俺たちは夜の梅田という都会のジャングルへと降下を開始した。そこには、ヘルシーフードという軟弱な概念を高温の油で焼き尽くす、黄金の宴が待っているはずだ。

 空中庭園から地上に降りた俺たちは、新梅田食道街という名の迷宮に足を踏み入れる。えりりんが足を止めたのは、一軒の串カツ屋の前だった。

 

「ここはな、75年の歴史を持つ、地元民御用達の名店なんやで」

 

 歴史という重み。それは空軍の伝統にも通じるものがある。

 期待に胸を躍らせながら暖簾をくぐると、職人たちの「いらっしゃいませ!」という咆哮が、アフターバーナーの轟音のように俺を歓迎した。

 カウンターはすでに、日常という名の戦場を生き抜いた戦士たちで埋まっていた。俺たちは壁際のテーブル席に陣取り、まずは湯豆腐と枝豆、そして生ビールの大ジョッキを三つ、スクランブル発進させた。

 

「うぃりりんはどんな具が好き? 肉? 魚? 野菜?」

「肉だ。特に牛肉を愛している。野菜なら、じゃがいもが最高の相棒だ」

 

 俺の好みに淀みはない。えりりんは手慣れた様子で、牛串、じゃがいも、うずらの卵にカマンベールチーズをオーダーに加えた。

 運ばれてきた生ビールは、極寒のシベリアよりも冷えていた。「乾杯!」というえりりんの陽気な声が響く。俺たちはジョッキをぶつけ合い、ビールを喉へと流し込んだ。

 

「ぷはーっ!」

 

 三人同時に吐き出された吐息は、エンジンの排気ガスのように熱を帯びていた。

 

「ええか、うぃりりん。ここではソースの二度漬けは御法度や。一度きりのチャンスに全神経を集中させるんやで」

 

 えりりんは厳粛な面持ちで、この店の鉄の掟を俺に説いた。

 俺は頷き、黄金色の衣を纏った牛串を黒いソースの海に潜らせた。それを齧ると、サクッという乾いた音の後に、ジューシーな肉の旨味が口内でソニックブームを起こす。

 

「うむ……美味い」

 

 俺はそう呟き、二口目のビールで追撃した。

 宴が深まるにつれ、二人の口から不穏な身の上話が漏れ始めた。

 

「この前カフェバーに行ったらな、ウチ好みのええ男が隣に座ったから声かけたんよ。そしたら『エリナさん、しばかんといてください!』言うて、ぴゃーっ逃げていきよってな! ウチは茶ぁしばこ思て声かけたのに、失礼な男やな~思たわ」

 

 えりりんがうずら串をかじりながら愚痴をこぼす。潤もじゃがいも串を頬張りながら、ジョッキをテーブルに叩きつけた。

 

「オレもおんなじようなことがあったよ。レスリングジムにオレ好みのマッチョで強そうな男がいたからさ、トレーニングが終わった後に『一緒に飯食いに行きませんか?』って誘ったら、『いやー、投げ技と極め技のフルコースを味わうのはごめんだよ』って引きつり笑いで逃げやがってさ! オレを何だと思ってんだかねえ」

 

 俺はジョッキを口に運びながら、冷や汗が背中を伝うのを感じた。

 

「……君たちは魅力的な女性なのに、なぜそんな事態になるんだ?」

「こう見えてもな、ウチは昔、大阪では名の知れたワルやったんや。そのせいで、男がビビって寄り付かへんようになってしもてな」

「オレは素手で鉄のダンベルをひん曲げるからかな。力の制御が苦手でさ」

 

 ……俺の直感は正しかった。目の前の女たちは、ドレスを着た重火器のようなものだ。

 俺は内心で頭を抱えたが、表情には出さないのがプロというものだ。

 

「そんな悲惨な状況やから、ウチらは『モテない女同盟』を結成したんや。絶賛メンバー大募集中やから、心当たりがおったらスカウトしといてや」

 

 えりりんがにっこりと笑った。あいにく俺の知り合いには彼女たちのような女はいない。

 ほどなく皿の上はほぼ掃討された。黄金色の衣を纏った具材が俺たちの胃袋へと消え、残されたのはわずか三本の串だけだ。

 

「二人とも、もっと食べるやろ? どれ注文しよか?」

 

 えりりんが空になったジョッキを戦利品のように眺めながら尋ねてきた。

 

「若鶏、豚玉、それにうずらだ」

 

 潤が即答する。その選択に一切の迷いはない。弾丸の口径を選ぶような、冷徹でプロフェッショナルな決断だ。

 

「タンパク質ばっかやな~。うぃりりんは? 何か食べたいもんとか、反対に苦手なもんとかある?」

 

 俺はグラスに残ったビールを飲み干し、静かに答えた。

 

「……納豆さえ入っていなければ、何でも構わない」

 

 その瞬間、店内の空気が凍りついた。いや、えりりんの目つきが変わったのだ。

 

「あんた、納豆嫌いなん!?」

 

 彼女が凄まじい勢いで身を乗り出す。その目は恐ろしいほどに爛々と輝いていた。納豆について触れてしまったのがまずかったのだろうか。

 俺は覚悟を決め、「ああ」と短く頷いた。すると、えりりんの表情が一気に太陽のように輝いた。

 

「ウチもなんよ~! あんなネバネバしたくっさい物体、人間の食べ物ちゃうわ! うぃりりんもそう思うやろ?」

「ああ、もちろんだ。あれは断じて食い物ではない。地獄の底から這い出してきた悪魔だ」

「ほんまそれ! あんなん腐った悪魔や!」

 

 えりりんは俺の言葉に激しく同意すると、胸の前で両手を軽く組み、心底嬉しそうな笑みを浮かべた。

 

「ああ、やっと納豆嫌いな人に出会えたわぁ! 昔はな、納豆嫌いな大阪人が多かったんやけど、最近はなんや健康ブームで納豆が人気になってきてな。ウチはいつの間にか少数派になっとったんや」

「それは災難だったな。だが、もう安心しろ。君の同志は目の前にいる」

 

 俺はえりりんの目に宿る孤独を消すべく、力強く宣言した。

 

「えりりん。俺たちはいまこの瞬間から『納豆嫌い同盟』を結成する。ヘルシーという名の偽善に迫害される同志たちを、我々が救い出すのだ!」

「ええやんええやん、最高や~! よっしゃ、同盟結成を祝して乾杯するで!」

 

 えりりんは全種類の串を二本ずつ、さらに生ビールの大を三つ注文した。

 潤は「オレは納豆、嫌いじゃないんだけどな……」と困惑していたが、俺たちの気迫に押され、ジョッキを持ち上げた。

 

「納豆嫌い同盟に――乾杯!」

 

 歴史ある梅田の串カツ屋で、改めてえりりんと乾杯を交わす。この夜、俺はようやく真の戦友を見つけたのだ。

 冷えたビールと熱い串カツが胃袋を満たしていく。納豆という名の巨悪に立ち向かう志を持つ仲間との宴は、何よりも充実した時間となった。

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