殺生院キアラ戦、4日目。
藤丸は盛大に気絶していた。魔力不足と、運動による疲労と、睡眠不足の三重苦だ。生存本能が脳に与える物質を超えて、割り切って藤丸は横になって寝転んだのが数時間前だ。
死と隣り合わせのチキンレースでも、夢は見る。
「あなた…あなた…いえ、この場合は先輩ですか。10年後から失礼します」
藤丸の脳内で若奥さんのような服を着たマシュが藤丸に膝枕をしていた。
「『過去にこの声を聞いた』とパラドックス対処の為に有休消化している藤丸マシュです。何故有休なのかは知りませんが」
「とにかく、未来の先輩から恨み辛みを吐き出すようにお願いされました」
「とはいえ、先輩に恨みなどないので警告をします」
マシュの目が厳しくなり、藤丸の頬ががっしりと掴まれた。混沌の、ハイライトの消えた瞳が藤丸の眼を突き刺さした。藤丸は思わず痙攣した。動くことは叶わなかった。
「お姫様扱いしてだのニャンだの先輩に媚び売る淫売女は敵です」
「ドンキで深夜に買い物しそうなヤンママの空気を醸し出す女は敵です」
「シャーロキアンなの分かってて嫌がらせにアイリーンと偽名する女は敵です」
それ、1人を指してないかなと藤丸は話そうとしたが、マシュの姿は既に遥か遠くとなっていた。清姫も許容する性格のマシュがそれほどまでに忌避する最後のセイレムの戦いとは一体なんなのだろうか。
「死に際にキスをせがまれますが無視してください!あのアマは唇を食いちぎって死に逃げます!決してムラムラしないように。決して!わかりましたかぁー!」
コロンブスの乱暴な蹴りに、藤丸の目が覚めた。
「相棒!ちと短えが起きな!鉄火場だ!常にそんな気もするがよぉ!」
「はっ!」
跳ね起きた藤丸に、ぼろぼろのコロンブスがニヒルに笑った。
「良い目覚めだなぁ、相棒」
「走馬灯みてた」
「なら俺の治療は格別だったってことよ。六文銭でも後から請求してやるぜ」
人類悪『快楽』殺生院キアラ戦。
ただひたすらにキアラの肉体を破壊する作業は、遂に佳境を迎えていた。
BBからメルトリリスの情報からの解析結果を受け取った藤丸はまともに戦うのは無意味だと判断した。全力の宝具連発でも擦り傷程度なら無駄に魔力を消費する必要もない。
殺生院キアラは平行世界から意識をインストールされて作られたビーストだとゼパルは語った。藤丸はそれをソロモンに対するゲーティアだと認識した。
ゲーティアという魔術式が肉体に取り憑いて無敵のビーストとなっている。それを攻略するのは、ゲーティア同様にロマニをロマニすれば良いと藤丸は浅はかに考えた。
即ち、肉体とキアラを分離する術式を構築すること。
「で、ですが、検体なしにじじ術式の作成など何週間かかるか分かりません」
「目の前で実験すれば良いじゃん」
「へぇああう!?」
ゼパルは督戦隊として藤丸と一緒にコロンブスの船に乗った。初めはガタブルと震えて仕事にならなかったゼパルだったが、キアラが手慰みに放出した虫型の使い魔を見てからは覚悟を決めたのか無言になった。
「まよえ…さまよえ…うえじに、しろぉ!」
「…ああ!また!いいかげんッにぃ!」
「パターン3!迎撃準備!」
殺生院キアラが40回目のアステリオスの宝具に挟まれる。宝具『
閉じる境界を強引に膂力でこじ開けながら、キアラは全身の口から魔力弾をばら撒く。目の前でちんたら構築していた術式は徐々に形を成しているのが本能で分かる。無様であろうとも状況の打開が最優先。
発射された魔力弾は、その全てが多重展開された盾の宝具により防がれた。エミヤオルタの投影による防御だ。霊基を自壊させながら放つ暴挙であり、事実この防御により彼の左脚は崩壊した。
しかし彼に苦痛の表情は無い。寧ろ、キアラを見て喜悦の笑みを浮かべていた。
何せ、キアラが常に行う悪意の盾が存在しない。言葉を操れない悪女がヤケクソに暴力を振り翳す行為。正にキアラが嫌っていた知能の無い虫ケラ同然。戦闘パターンも数えるほどしかなく、規模以外は今までエミヤオルタが屠ってきた悪と大差ない。
悪が地金を曝け出しているならば、エミヤオルタに躊躇はない。
「無様さを間近で拝めるとはな。悪党の死に様ほど見応えのある見世物もない。そのままゆっくり、相応の末路を晒してくれ」
「なんてつまらない男…!」
キアラにとっては、藤丸一行はカルデアにいる
被害を無視すれば津波と引き換えにセラフィックスごと崩壊可能な危険人物であるが、キアラとの相性は悪くない。会話さえすれば籠絡は可能だとキアラは確信していた。
そのためには『
何回も繰り返したことで漸くエミヤオルタに隙ができた。無茶な宝具の連発により、エミヤオルタが無事な四肢は右腕しかない。その腕も他の手足と同様に身体の内部から突き出た剣で穴だらけだ。
厄介な
「キアラよ!今こそ我らの必殺技を使用するべきではないかと!」
「…はぁ?」
だからこそ、無防備に駆け寄った三馬鹿を気にも留めなかった。
「理解出来んが、あの黒人はキアラの敵であるのは一目瞭然!」
「半ば無理矢理奪われたが、あの人魚姫2を使えば間違いなくキアラは救われる!」
「我らは死ぬが、それもまた本望!」
「…まあ、いいでしょう」
少し考えて、キアラは三馬鹿をパージすることに決めた。キアラを助けるとひたすらに連呼する彼らに辟易したのと、純粋に手が足りていないからだった。
正義の味方には相応しい最期でしょう。
キアラはエミヤオルタを知っていた。かつて陥れたお気に入りのひとつだった。彼の恩師を利用した殺し合いは胸がすくような愉悦だった。劣化したアレには陳腐な爆死が似合うと、キアラは三馬鹿を分離させた。
「ならば、私のために死んでくださいな」
「「「了解!」」」
三馬鹿は命令を受理した後にエミヤオルタに駆け寄っていく。人魚姫2はその役割を果たすために限界まで魔力が込められていた。赤熱するそれをガッチリと抱えながら突撃する3人にエミヤオルタは動かない。
「「「あとは任せた!!」」」
アペヤキは人魚姫2をエミヤオルタの腹部にそっと置いた。
最猛勝は道中で拾ったキアラの肉片を懐に回収した。
ナマラカインは分身の1人をエミヤオルタの義足として譲渡した。
エミヤオルタはゆっくりと立ち上がった。
「…、…は?」
マルティン・ルターは現世の善行が何もかもが無意味だと語っている。
義人となるための行為に果てなどなく、その行為さえも善行かどうかなど定かではなく、ただの自己満足が己を満たす。
自分が救われるために苦難の道を歩むのではない。
自分が
殺生院キアラは救われない女だった。
殺生院祈荒は救われる女だった。
キアラの霊基情報を強奪した彼らは、迷いなく『祈荒のため』に裏切った。
「─ハッ」
エミヤオルタは、腐り切った肉体に場違いな愉しげな笑みを浮かべた。
「本物の魔性は格が違う。まさか、ここまで崩壊した魂ですら仲間を作るとは!コレが正しさか!コレが味方か!本当の!正義の味方か!」
「─なんでか、妙に嗤えてくる」
エミヤオルタは正義の味方から渡された人魚姫2を抱えてキアラに突貫し、霊基ごと
爆破、動揺、そして落下によりキアラの肉体が半壊する。手足の半分が千切れ飛び、胴体の下部は半分以上穴が空いている。しかしそれでも、肉体は瀕死には程遠い。キアラはおぼつかない足取りで起き上がった。
「がっ…!くっ、また、またですか!」
迷宮に落ちたキアラが苛立ち交じりに血を吐く。当初は負傷に対して快楽に耽っていたキアラも余裕はない。迷宮の
だからこそ、BBが創り上げた彼女は必ず迷宮の番人へと選定される。
『やあ。40回目だね。殺生院キアラ。また我慢くらべといこうか』
「うざったい蜚蠊ですね…!」
『イェイ』
BBの土下座の結晶である岸波白野が再臨のポーズを決めた。
⭐︎★⭐︎★⭐︎★
岸波白野が稼いだ時間は3時間だった。
「なんども…!」
迷宮が崩壊する。再発動しようとしたアステリオスが魔力砲により消滅する。力任せの乱雑な攻撃でコロンブスの船が半分に抉れた。連続して放たれたのは、半径20メートルはある巨大な魔力弾。
「…ッ、ごめん!」
藤丸は間に合わないと悟り回避術の対象を選別した。ゼパルとBBは意識の消失に併せて浮遊した。魔力弾により船が消失したためだ。液体に変化可能なメルトリリスはかろうじて原型を保ったが、パッションリップとコロンブスは全身を塵に変貌させた。
「何度も何度も何度も!!無駄!無意味!無益!私を斃すにはあまりにも熱量が足りていません!
キアラが叫んだ。口から吐き出された血反吐は酸性の激毒だった。体表はじゅわじゅわと赤黒い煙が吹き出している。怒りに狂った鬼女はこのような存在なのだと、藤丸は確信した。
「…そうだな。藤丸ではビーストを討伐することは不可能だ」
キアラのギラついた眼を見て、ゼパルは諦めて肯定した。生命力の化身となったキアラを討伐するには、いまのサーヴァントでは火力が足りない。唯一の火力要員だったパッションリップも消滅し、カルデアの勝ち目はなくなった。
「藤丸立香。お前の奇跡は、このゼパルの魂に刻まれた」
「ゼパル…」
「私はここで死ぬ。ただ、その前に慰謝料くらいは払っておこうと思ってな」
ゼパルが魔神柱の形態へ変貌する。傷だらけのぼろぼろの霊基でキアラの全身に触手がまとわりついた。
「ビーストは滅ぼせない。─だから、
流し込むのはかつてゲーティアが人類に仕掛けた悪性因子の種。人類が魔神柱として─ビーストとして変化するための情報因子。既にビーストである殺生院キアラには通じないが、中に眠るこの世界の殺生院キアラは別だ。
「私の霊基を根幹にこの世界の殺生院キアラをビーストとして独立させる。そうすれば死んだビーストは死人として確立する。…彼女も助かるだろう…」
「ゼパル…」
「…ふんっ!」
「あっちょっと霊基足りない。すまない無力な私を許してくれ…」
「ゼパル…!!」
駄目な点までロマニに似なくても良いのにと藤丸は歯噛みした。キアラに貪られる魔神柱は蜚蠊に食べられているミミズのようだった。
「仕方ない。この退職金ボーナスを使う時か…」
藤丸は首にぶら下げていたアクセサリーを指にはめた。いざと言う時のためにとロマニから渡されたソロモンの指輪。しかし、しげしげと思い出に浸ってしまった藤丸は横から突っ込んだ三馬鹿の暴挙を見過ごしてしまった。
「「「今助けるぞキアラァー!」」」
「あっ」
専門用語でいえば、ガバミスをした。
「ちょっと?今術式編み込んでるのに霊基混ぜ合わせ…あれ?人魚姫2がない?私をぶん殴る?いや、まって。突然イキイキと蘇ってこないで。え?せいこうするの?こんなギャグな理由で?」
ゼパルの全身が爆発した。
「アーッ!」
ゼパルの魔神柱としての実体が崩壊する。弾き飛ばされたのはゼパルを倒した彼女。アルミノ、アーノルド、マーブルの霊基とゼパルの肉体を掛け合わせて創り上げた新たな肉体が、殺生院キアラとして弾き出される。
「馬鹿じゃないですか!あなた方は!!」
外骨格の手足に蝶の羽根を持つビースト。殺生院キアラがビーストの肉体を突き破った。腰にはマスコットサイズの三馬鹿達が括り付けられている。美しく飛ぶ彼女を見て、蟲のキアラは憎々しげに舌打ちした。
「ゼパル…!!小虫が…!!」
『些か情けないが…これで殺生院キアラは再誕した。今の貴様は核の無いビーストという名の現象。猿の知恵が菩薩の掌を逃れた。後は、運を天に任せるだけだ』
カルデアは勝利する。
不思議と確信を抱きながら、ゼパルは消滅した。
「ゼパァアルゥウ!!」
殺生院キアラの肉体が蟲となる。美しい腕から蟲の体毛が湧き出てくる。殺生院キアラの頭部が転げ落ちた。腐り切った脳髄がキアラの脚部に踏みつけられて腐臭を部屋全体に撒き散らす。
「◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎─ッ!!!」
人類悪、変性。
矮小な規模。死体が蠢く本能的な反射行動。暴走する蟲はセラフィックスごと特異点を崩壊させる。瓦礫が天井から崩落するのを避けながら、藤丸はカルデアからの通信ボタンを押した。
『─く!ようやく繋がった!藤丸君!状況は!?』
「もう終わる!レイシフト退去を急いで!」
『わかった!1分持たせて!』
「10秒も保たない!」
キアラの死体は膨張して赤熱していた。死亡したはずの肉体に過剰に加えられた魔力が指向性を持てずに魔力爆弾として整合性を持たせようとした結果だ。恒星級の魔力を含めた死体は特異点全てを崩壊させて爆破する。
その結末を防いだのは、上半身だけのメルトリリスだった。
「
膨大な霊基を宝具にて吸収して制御し、そのままに自己を崩壊させる。その献身を藤丸は理解して、少しの躊躇いの後に頬に口付けた。その意味を理解したメルトリリスは、痛みを無視して花のように笑った。
「ありがとう!」
「さっさと召喚しなさいよ!待っているから!」
藤丸はカルデアに帰還し、特異点は消滅した。
⭐︎★⭐︎★⭐︎★
「待ってください」
そこまで話を聞いて、オルガマリーは待ったをかけた。
「未来へのレイシフトなら、何故今のセラフィックスが消失しているので?」
「ええと、キアラさんが誕生するときにゼパルが燃料として利用したみたいです」
「りよう」
「後、今回の被害に対して慰謝料と将来の保証に関して話したいと伝言がありました」
オルガマリーは白目を剥いた。
殺生院キアラ:色々あったが生きているのである程度は赦す。ただし、誠意として人権の保障と支度金は欲しい。現在はセラピストとしてカルデアで内勤(非公式)をしている。結構なサーヴァントから不倫の相談をされて困っていたりする。正直辞めて欲しい。