「この特異点は、
ホームズは断言したが、その口調は少しばかり早口に見えた。
いつになく性急な結論。
藤丸はふわりとした違和感を覚えた。ホームズの横で管制室にいる全員に茶を配るマリスの笑顔が不思議と気になった。正しい道を法定速度プラス10キロで走行するような、軽いリスクを無視した人を見ているような感覚が脳裏をよぎった。
「魔神柱の目的は未だに不明だ。推測は出来るが…私は自分の手で調べてみるまで何も断定するつもりはない。すでに分かっている範囲で、非常に簡潔に事件の概況を説明しよう」
ホームズは息を吐いた。
「特異点は大小あれど人類史の舵取りを変更するターニングポイント。セイレムに発生した特異点という時点で私は年代を粗方予想出来た」
セイレム魔女裁判。
年若い少女のささやかな詐病により発生した、植民地時代アメリカにおける集団パニックの最も深刻な事例のひとつ。後のアメリカの裁判制度に対して非常に強い影響力を及ぼした事件だ。
孤立主義、宗教過激主義、虚偽の告発。魔神柱が目を付けるほどの規模となるセイレムの歴史はこれしかあり得ないほどに有名だった。
「正直、この1週間でアビゲイル嬢と仲良くパンを配り歩いたミスター藤丸は理解していてやらかしたのかと思ったほどだ」
「いや…アメリカの歴史までは追っつかないよ」
そして何も知らなかった藤丸達はその事件の発端人であるアビゲイル・ウィリアムズと友誼を深めていた。積み重なる日常に違和感を感じていた彼女は爆速で藤丸と仲良くなり、途中からはパン配りの手伝いまでするようになっていた。
「セイレム魔女裁判を起点とするならば、魔神柱の行動は2つに絞られる。即ち、裁判を起こすか、酷くするか」
拉致された被害者は現代知識を基盤として日常を過ごしている。当時のセイレムでチョコクロワッサンは一介の神父が慶事で配るには高級過ぎる。気安く受け取れるのは魔女裁判を過去としている被害者と、茶番だと理解している魔神柱の関係者だけ。
アビゲイルの真横で
「アメリカのバレンタインは男性から女性へ贈り物をするのが文化になる。定番の贈り物は花束やジュエリー、メッセージカードなど。バレンタイン当日はディナーや演劇、ミュージカルなどを楽しむ恋人や夫婦が多い。
何もない平凡な日常だからこそ、異常。
最先端の文化を模倣しながら質素倹約な日常を行う矛盾。しかし、祝日を祝えない理由があるのならば話は別だ。誰だって悪魔憑きを仕掛けた犯人が不明な状態で歩き回る危険は冒さない。
異常の発端人に憤っていたアビゲイルすらドン引きして閉口するほどの露呈だった。
「魔女裁判の記録では2月中旬に地元の医師ドクター・グリッグスは
現代人は詐病も精神病も知っている。教養があれば魔女裁判は起こらない。ラウムは特異点を完成させ、カルデアがレイシフトするのを待ち構えていた。
でも翌日に眼前にくるのは想定してないよ。
皮肉にも、最初から最後まで震え上がっていたために吃音症の小娘として偽装出来てしまったラウムである。
ラウムはリスクを冒してアビゲイルに目的を説明し、彼女は納得した上でラウムの本拠地である教会の地下空間に攫われた。
置き手紙付きだった。
家出かよ。
アメリカのお偉いさんであるポールは呟いた。分かりやすく素直に出た感想に、カルデアの大半が噴き出した。
「ですが、それならば何故アビゲイルさんはラウムについて行ったのでしょう。いえ、魔女裁判を起こしたくないのはわかりますが、それにしては敗北を望んでいるように見えます」
マシュの当然の疑問に、ホームズは片眉を上げた。
「間違いなくひとつのことを示しているように見えても、ほんの少し視点を変えると、最初と同じ確かさで全く別の物を指していると気付く可能性もある。この事件が犯人にとってとてつもなく深刻で、実際に彼女が犯人に絆されるレベルで致命的な可能性が非常に高いことは、私も認めざるを得ない」
しかし、とホームズは目を瞑った。
「魔神柱ラウムはアビゲイルの友人であり、真摯に被害者達からの風除け役を務めていた。私達の見識とは異なり、人心を理解した上で真犯人の対象とされた彼女だ。カルデアに敗北することは織り込み済みのはず」
ホームズは深くタバコを吸った。
「ラウムは藤丸立香とマシュ・キリエライトだけに話さなければならない情報を抱えている。そのためにラウムは特異点を作り上げた」
立板に水。
タバコを吹かしながら流暢に解説したホームズを眺めながら、アメリカのお偉いさん…FBI捜査官ポールは恐怖を覚えた。
ポールは国から人身御供として推参した生贄である。ある意味で死すらコストとして計算されて訪問した生きた監視カメラ。彼の役割はそれだけであり、事実上何の権限も持たされていなかった。
とはいえ、カルデアは世間知らず…正確には政治下手な技術職の権化のような組織だった。ポールの経験で最も近い組織で例えるならば設立数年の新興カルト宗教組織だろうか。
暴力と信仰が狂気を固く結束している組織だとポールは判断する。善人だから許される管理の甘さは引き継ぎの難しさの現れだ。
一騎当千の気性難の人材を母国の管理下に置く事を不可能とは思わない。しかし、その維持には間違いなく人命と莫大な資金が投じられるのは間違いない。数百を超える多国籍軍を20名前後でまがいなりにも管理しきった実績は偉業そのものである。
国としてはこのまま
ポールの仕事はカルデア業務の監査である。藤丸の退職に関して特に忌避を覚える感情はない。それはそれとして、これからのカルデアに彼が有用であると上に報告するだけである。
というかカルデア解散の場合に備えてセーフティが欲しい。
自分の名前はポール=アンチーンだが、日本の血は一滴も入っていない。仏門には全く興味が湧かないし、正直言って目が怖い。サーヴァントの視線とは、物理的な干渉力すら備わっているとは思わなかった。
カルデアでは既に突入の話まで手際良く進んでいる。半ば決定している会議に、彼はため息をついた。
策も危険も承知で安易なミーティングだけで結論し、最大戦力で突入する。ポールが口出しをする暇もない。長官が見たら発狂しかねない光景だ。ポールは一息つけてから、意を決して口を挟んだ。
「せめて作戦とかは…」
『…ポールさん。俺達は何だかんだ沢山の特異点を解決しました。カルデアの魔力供給に聖杯が使われるくらいに。その結論が、『アレ』です』
藤丸は窓かららぶらぶはぁとヨハンナ像を見せた。
存在しない偉人がサーヴァントとしてトンチキな力を振る舞っている物証だった。
『特異点は例外しか起こらない。その場の雰囲気で味方を励ますのがマスターの最優先事項だと確信しています』
「嫌なマニュアルだな…!」
ポールは常に心がけていた無表情をぞんざいに崩した。アメリカとて死を前提とした作戦に注力してくれる人材は多くない。ポールは
ポールはキヨヒメに生命の危機を感じていた。
「つまり、オレ達は何をすりゃあいい」
ホームズの解説を聞き流していたカイニスは頭を掻いた。
『この特異点の敵は2つ。地下に立て篭もった魔神柱ラウムと、地上で発生する特異点に湧き出るウェアウルフ。ウェアウルフは昏睡して魔力タンクとなっているだろう監禁された被害者達の怨嗟と解放の思念から発生した残滓そのもの。
「仕方ねえ」
名残惜しげに立ち上がったカイニスは肩を回した。
「首級はテメェらに譲る。地上はオレ達に任せな」
「今更怖気付いたのかい?」
「ちげぇよ!だが、…逸話再現に引っ掛かる。多分、地下に行ったらオレは
「あー…」
藤丸の頷きに合わせてポールも納得した。カイニスの死因は罠による生き埋めである。敵の
「巡り合わせが悪いねえ。折角の年末年始も仕事漬けになりそうだ」
「医者には悪いが、元旦そうそう手術を頑張って貰おう」
そして。
『カルデア…いや、藤丸とマシュ。おまえ達はフォーリナーとして覚醒した我が友アビゲイルと戦ってもらう』
『殺しはしない。勝ち負けも要らない。拉致した人間は健康体を維持している。我が推し進めるのは、
『過程は無数だが、おまえ達に必要なのは結果だ。この世界はカルデアの末路を模倣したもの。おまえ達がこの世界を否定した時点で、フォーリナーを対抗軸に据えた時点で、我が不安は解消した』
『アビゲイルはカルデア。住民は人類。ヨハンナはオルガマリー。ヨハンナ像に声をかけたか?アレは本人だ。擦り切れて、義務をこなすだけの機構となったヨハンナだ。
『オルガマリーだけに伝えろ。
特に問題なく戦闘をこなした藤丸は情報を持ち帰り、特異点は解消した。
オルガマリー達が戻ってくる、1週間前の出来事だった。