ナカムラが発狂したと聞いた時、アルトリアは特に驚くことが出来なかった。
アルトリアの認識では、彼は元から狂っていたようなものだった。だから、茶をしばくオーロラに剣を向けた時には、ついに発狂したかと思ってしまった。少しだけ予想外だったのは、態々オーロラ婆を見つけて人質にした上でアルトリアに脅迫したことくらいだ。
慌てている。言い方がおかしい。ナカムラはオーロラを捕まえて、地下室に軟禁したアルトリアを訪ねて、既に所持している聖剣を寄越せと脅している。何故かカルデアが不在の隙をついて。
いや、何で???
「アルトリア!妖精國歴代随一の鍛治師!貴様の渾身の一振り!後生大事に身に付けている聖剣を私に譲るのだ!!」
鼻を膨らませて顔色を赤く染めるナカムラはどう見ても正気ではない。そもそも、ナカムラがオーロラに向けている聖剣の方が出来は良い。アルトリアが武器として使う聖剣は訪問販売用の商品であって、昨年販売した
「あら、アルトリア。メリュジーヌは何処にいるの?私、お腹が空いたの。不思議と首がチクチクするし、病院に行った方がいいのかしら…」
「そりゃあお腹以外のとこが刺激されてるからね!」
オーロラはもっと酷い。アルトリアの卓越した
「ねえ、人質追加しても良いからオーロラ婆は解放しない?剣先を突き付けられていることを認識してるかすら怪しいよこの人」
「黙れ!貴様は武具の妖精らしく大人しく聖剣を渡せば良い!!」
「別にそんなことしなくても普通に渡すけどさあ…」
アルトリアはナカムラに指示された聖剣(ver841)を鞘ごと渡した。瞳孔がおかしいナカムラはオーロラに向けていた剣を素早くしまうと、聖剣の握りを確かめながら素振りを繰り返した。
その軌跡は滑らかで美しさすらあった。
外の世界から漂流した死体から抽出した魂の欠片を産まれたての妖精に捩じ込んだ第48次剣聖計画。ナカムラはその検体であり、失敗例の中の成功作だった。人の自意識を有したまま成長したのはナカムラだけで、自らを日本人と主張する程度には精神に疾患を持つような妖精だった。
しかし、ナカムラはそれでもマトモだったはずだ。彼は自らが優秀だと称して憚らない妖精だが、その自負を他人にも納得させるほど勤勉で努力家である。考えなしの策を犯す馬鹿ではなかった。
というか市販されている聖剣をアルトリアに集る時点で既におかしい。
つまりこの何ら無意味な行為が何らかの策になるのだが、地位だけの鍛治妖精であるアルトリアには全くわからなかった。マイナスにしかならないからだ。
「策で負けた以上、頭を使う側の私は言い訳出来ない。下剋上の権利が復活するまでは大人しくナカムラ…じゃないか、カルデアの命令に従うよ」
「ありがたい限りだ。情報提供者として、身の安全は保証しよう」
「1日5時間の睡眠と1時間の自由時間はカルデアでも保証してもらうからね」
「キリシュタリア」
「法律で定められてたのか…!ああ、構わない…どうしたんだいオフェリア」
「キリシュタリア。ちょっと向こうへ来なさい」
「はい」
数日前のカルデアの
長期的で、割りかし賭けの割合が高い狂気の策である。しかし、妖精の本分を忘れていない以上アルトリアが文句を口にするつもりはない。頑張って付喪神の妖精として名を広げてくれと、応援だってした。
アルトリアの役割は『被害者』である。
義務を半ば放棄した堕落者とも言い換えられる。
その手段は何でもいい。カルデアの強敵として対峙するのも、味方として献身するのも、あるいは世界の敵として上り詰めるのも。ある事情によって聖剣を鍛造する技術を有したアルトリアは
聖剣を創る妖精として、アルトリアはカルデアと妖精國に貢献した。仲良くなったマシュは聖剣を盾に組み込んで霊基を改造していた。処女を失った際に萎えたユニコーン男子により弱体化した力を無理矢理取り戻しているらしい。
マシュは世界で有名な特異点攻略班の1人だ。その力の礎となったからには、アルトリアの英霊化は確実だろうと主張出来る。
出来る、だ。
アルトリアは妖精の使命などどうでも良かった。所詮死んだ時の人間の血の残滓がスワンプマンとして登録されるだけ。最低限の義務を果たせば、あとは滅びまで流れに沿りながら目的を果たすだけだ。
それだって、出来ないなら諦める程度の話で。
「◼︎◼︎様のためにカルデアの連中を招集しろ!!」
「なんて?」
アルトリアは聞き返した。再度の言葉は、発音が不明瞭を超えて削られた音としてナカムラの口から発せられた。人語を発する分だけオーロラの方がわかりやすい。
首を傾げたアルトリアに、ナカムラは怒髪天をついた。
「◼︎◼︎!◼︎◼︎、◼︎◼︎ ◼︎◼︎!」
「おぅわ!?」
ナカムラが力任せに振り下ろした一撃を、アルトリアはお気に入りの竹刀で防いだ。魔力で強化しているものの、竹刀の耐久力で聖剣を防げたのは幸運だった。ナカムラがそれほど狂っている証明でもある。
くの字に曲がった竹刀で牽制しながら、アルトリアはナカムラに背を向けた。
「分かった!よく分からないけどわかったからさ!?ほら誘導するから!着いてきてよ!!」
牢屋の壁を粉砕してアルトリアは外に出た。元から無理をすれば脱走は可能なちゃちな地下牢だ。捕虜となっているアルトリアにカルデアの場所は知る由もないが、少なくとも徒歩圏内だろうという予測はあった。
そして、その予測は正しかった。
「ひ、ひぎゃあああ!?」
瓦礫となった壁により家が倒壊する前に、ケンタウロスを思わせる多腕の怪生物がナカムラの腕を引きちぎった。カルデアに所属する精霊種が従えているバーサーカーだと気付いたときには、ナカムラはオーロラを血塗れにしてのたうち回っていた。
「…うーわ」
ドン引きしながらアルトリアはオーロラを引き寄せた。紅く染まるドレス越しに触診したが、命には別状はなさそうである。
「計算はしていたが、無事だったか」
「う、うん。…ええと」
「私の名は項羽。我が妻、虞のサーヴァントとしてカルデアに仕えている」
項羽は背に載せている精霊種を愛おしげに撫でた。詳細を知らないアルトリアは汎人類は進んでいるなあと呑気に考えていた。実際にはマリスビリーの爆弾令呪の調査で複数人の過労者が入院する障害を経ての雇用であるのだが。
「ありがとう虞さ「ヒナコと呼びなさい」…ヒナコ。おかげでオーロラ婆も無事に助け出せたよ」
「ふん。項羽様の類稀な頭脳をもってすれば最善の選択を導くことなど朝飯前よ、せいぜい感謝しなさい」
「へぇ。未来視のサーヴァントも居るんだ」
アルトリアもモルガンが執拗に対策していたマーリン某がその力を有していたらしいのは知っていた。しかし、実物を目の当たりにするとサプライズ人類よりも理不尽で衝撃が大きかった。
「あ、それなら今の状況教えてよ。ナカムラがとち狂った原因とかさ」
「解らぬ」
「ええ!?」
「私はただ論理的、かつ効率的に事に当たるよう努めているだけだ。そこに過程は求めぬ」
項羽の未来予知は超高速演算による予測演算の結果である。その演算は項羽自身の意識下・無意識下の知覚を総合して導き出されるため、英霊や妖精などの大局を変える力を有する存在が多いほど難度が上昇する。
「
「はぁ!?態々自分の奥さん見殺しに来たの!?」
つまりは『説明をする』行為自体が予知の妨げとなるため、項羽は項羽の認識での最善を尽くすために暴走するのだ。
Bチーム以下にとっての彼は『歩く死亡フラグ』である。何せ、彼が死ぬと判断した特異点を拝命されれば物理的に差し止められる。怪我、機材破損、サーヴァントの私闘、書類改竄。
Bチーム以下は項羽を畏怖の対象として崇めていた。
「巫山戯ないで!
「生死に価値を求めないのは此方も同様。私は虞のためにカルデアの状況を利用したに過ぎない。
お互い様だと慰めた項羽をアルトリアは睨んだ。死後の人生を楽しむために今生を棄てる理屈を、アルトリアは飲み込めない。
「項羽様が此処で私が死ぬのが最適だと謝った。なら、私はそれに従うだけよ。私は私の判断として、此処に死ににきた」
「…そう。凄いね、ヒナコは」
記憶やら、後悔やら、おそらくアルトリアが考えつく以上の熟慮から結論したのは分かるが、それでも納得出来ないほど生き抜いても良いではないか。
「はー。項羽様が許容してるし、まあいいわ」
ヒナコは怒りを含んだため息を吐いた。
「で、今の状況だったわね。アンタ以外の妖精は全員狂ってるわ」
「……は?」
「
アルトリアは今更ながら辺りを見渡した。崩れたビル街はアルトリアが見知ったナカムラが治める大都市のひとつだった。10万人以上の人口を誇る街中にも関わらず、妖精の声は皆無だ。
騒音の代わりに与えられた濃厚な血の匂いに、アルトリアはかろうじて吐き気を抑えた。口元に当てた手のひらからはぬるりとした液体が当てられる。項羽に食ってかかった際に触れてしまった返り血だと、アルトリアは漸く気が付いた。
「何でアンタは正気なのかしら?」
ヒナコの詰問にアルトリアは答えられない。本当に身に覚えがない。
「虞よ。その解は此方だ」
「「ぐえっ」」
「オーロラ婆ぁ!?」
苛立ちに指を痙攣させたヒナコを心配した項羽は、最善の手としてナカムラとオーロラに深々と突き刺した。致命傷を負った2人は盛大に血を吐いた後、刺さった剣よりも深いため息を吐いた。
「ありがとうは言わないわよ…まさか死の間際なら解放されるとは思わなかったわ…ナカムラは地獄まで一緒になるわね」
「…嫌な道連れだ」
ナカムラの声はか細い。数秒後にでも死にそうなバイタルだった。それでも崖から手を離さないのは、彼自身も真相を知りたいからだろう。
「オーロラ婆!私が大丈夫なのは何で!?もしかして黒幕を知っていたからボケさせられたの!?」
「正気というかボケてたのは本気だったけれど…貴方が無事なのは魂が保護されているおかげよ。妖精には出来ない、純粋な技術による業のおかげ」
「…まって。もしかして、私が正気なのって…」
「ふふふ。モルガンも随分と家族思いだと思っただけよ」
「どうでもいいからさっさと黒幕を吐きなさい」
ヒナコの命令にかつてを思い出したオーロラは苦笑した。
「黒幕はバーゲスト。…正確には、その魂に残る巫女の残滓かしらね」
「誰よ」
「妖精騎士の筆頭。だけど…彼女が?あれほど妖精國を想う妖精は居なかった筈だけど…」
アルトリアの所感に、オーロラはゆっくりと首を振った。
「私は純血の妖精。そして、他の純血の妖精が今の妖精國に居ないように、本来ならとうの昔に死んでるはずだったの。
妖精も神も、誰もが人間の弱さを知らなかった。
「この世界の人間は1人だけ。生き残ったのはたったひとり。聖剣を振るに相応しい人格でもなく、ただ神の巫女としてたまたま生き残っただけの女の子。彼女が恐怖したのは、指ひとつで全てを支配してしまう友達だった」
近場にいる無軌道な
ケルヌンノスの巫女という肩書きだけの人間は、妖精と迎合するだけの度量を持ち合わせていなかった。自己嫌悪と自己愛が混ざり合った生き残りたい妄執が彼女を変化させた。
『どうしようもない』という諦観が、彼女を獣に堕とした。
「私は、
寂しい。だから妖精を改造して人間モドキを模造した。
死にたくない。だから妖精と神を洗脳して配下にした。
人に逢いたい。だから妖精に枷をかけて人を求めさせた。
その想いに呼応して異星の神はモルガンを
だから、彼女は肉体を持って再誕した。
死にたくないから最高の肉体を構築した。しかし中身は人間のままにした。悪いことは全て忘れることにした。モルガンという旗印に考えなしに縋ることにした。罪を無くしたかった。
でも、妖精達は誰が1番かを理解している。誰に従えば良いかを刻んでいる。
原初の血が、傲慢で好き勝手な狂人でも、かつては心優しい偉人だったのを理解しているから。
人類悪『愛護─
「バーゲストから浮上した理由はわからないけど、何か嫌なことでも起きたのかしらね。もしくは、
「つまりは」
あんまりな真実に口を開閉するだけのアルトリアを他所に、ナカムラは微かに呟いた。
「…何も考えていない、と。未来の展望も、権力への執着も、自分の思うまま国を運営する信念も―何もない。『自分がきえたくない』ためだけに、妖精國を滅ぼすだけの女だったと」
「そうね。きっと、何もかも無くなれば自分は悪くないと思っただけよ。力ある妖精らしい結論ね。恨むことも出来ない」
「それならば、私は─いったい、何のために、死んで……─」
呆然と苦悩を混ぜ合わせた顔でナカムラは死んだ。ヒナコは項羽が録音した音声データをカルデアに送りつける際に返信が返ってこないことに舌打ちをした。通信は死に絶えていた。
項羽はナカムラの死体を近場にある森の中へ投げ捨てた。
「虞よ。今度は、私が待ち侘びる番だ」
「はい。次は、人類を守護する英霊として」
森の中から老婆の声が響いた。何かを啜りながら
その眩さに、オーロラは美しく微笑んだ。
「メリュジーヌは強いでしょう?」
「知らないわよ。キリシュタリアが対応してるから、そいつに聞きなさい」
「偶に…本当にたまたま、気まぐれで解放されたの。新しい身体に夢中だったのかしらね。長過ぎた習慣に縛られて。それでも私らしく…美しいモノを揃えるつもりで、馬鹿な娘を拾っちゃった」
「聞きなさいよ耳まで遠くなったの?」
ヒナコのぼやきはオーロラの一瞥に消えた。ヒナコが数え切れないほど繰り返した、死を間近にした老境の眼だった。背後でナカムラの肉体が食い千切られる咀嚼音と咆哮をコーラスにしているのに、オーロラの呟きははっきりとヒナコの耳を貫いた。
「高く、高く。何処までも、あの矛盾した存在で。私だけの娘として、最期まで孤高に生きるの。人間よりも、ずっと素晴らしく」
オーロラは微笑んでバーゲストに潰された。
「ああ!!あああああ!!─■■■■■■■■■■■■■■ッ!!」
「癇癪起こしたお子ちゃまほど迷惑な存在はいないわね、まったく」
返り血をまともに受けたヒナコは、苛立ち混じりにその脚に唾を吐き捨てた。
全妖精が面倒くさいと内心思いながらバーゲスト(巫女)を人類史に登録する使命を受けているために滅びた世界。ケルヌンノスも口調を強制されているし、オーロラに至っては人格をほぼ失っている。
モルガンは反抗精神を発揮してバーヴァンシーに作らせた森に産まれたてのバーゲストを突っ込んだ。