聖杯の所持者であるメタトロンはジャンヌを依代に降臨した天使である。
マリスビリーの遺志によって呼び寄せられた彼女は、何ひとつ影響を及ぼせない現状に歯噛みしながら只管に祈りを捧げていた。
第2圏谷、肉欲の罪。
メタトロンが制定した情と不貞の階層。男の欲望と女の情念が詰まった空間をカルデアは顔を顰めて乗り越えた。浮気や不貞を常態とした狂気の空間の筈が、
「何故です…」
第3圏谷、大食の罪。マシュ・キリエライトにより踏破。
『ただ腹減りモンスターが襲いかかるだけならキリエライトで十分じゃんね』
「いいからケルベロスに対して
第4圏谷、浪費貪欲の罪。言峰綺礼により突破。
「惨たらしく死んでください。その方が余程世の中の利益となります」
「親として聞くが、衛宮士郎に秋波を寄せているというのは事実なのかね?」
「(無言の中指)」
第5圏谷、激怒の罪。藤丸立香により踏破。
「交渉で済んでよかった」
『どんどん詐欺師に近づいてるネ。ま、悪いことじゃないけど』
「悪いことだと思うんだけど!?」
第6圏谷、異形異端の罪。オルガマリー・アニムスフィアにより踏破。
「ただ天使が屯しているだけ…大したことないわね」
「流石元所長。原始の宗教を語れば無敵無敗ですね!」
「アンタの顔に浴びせても良いのよ?」
第7圏谷、暴力の罪。衛宮士郎により踏破。
「知ってる顔が知らない人格で知ってる顔と喧嘩してる…」
「よくあることです。分裂しないだけマシですよ」
「そうなのか。…分裂!?」
その全てが、容易く乗り越えられていく。
「何故ですか!!」
メタトロンの叫びは無知故の咆哮だった。カルデアスによる大偽聖杯特異点の発生から、カルデアは数多の悪徳を攻略していた。座という人類の平均値からしか計算されない大罪の事例など、指で数えきれないほど経験している。
実の子を食することしか栄養にならない特異点。少数の男の精を求めて老婆が殺し合う田舎。預金通帳が寿命と直結する都会。憤れば憤るほど戦闘力が向上していく戦場。全てが単独の信仰者として国教を選定するコンクラーベ。ただ殺し合うだけに作られた不死のコロシアム。
人間が積み上げた業の深さは、サーヴァントの神秘よりも余程罪深い。マリスに召喚されたメタトロンでは再現することは出来ない。粛々と言峰の解説を聞き流しながら攻略するカルデアを、歯噛みして見守るだけだった。
第8圏谷、
サーヴァントがひたすらに殺し合う戦場の地。不運にも武器や宝具を禁じられた彼らは嬉々として近接戦にて誉を奪い合う修羅道。メタトロンの計画ではここで召喚したバーサーク・サーヴァントを尖兵として地上に戻る算段だったが、言峰綺礼の召喚が重なったことにより無意味に殺戮する木偶の坊に劣化した。
ここでようやくカルデアは1日を費やした。
全てのサーヴァントが狂化した戦地で恐ろしいのは流れ弾(という名の肉片)である。万一の被害を藤丸は嫌った。言峰より次の階層がラストだと知らされたのもあり、AI人類へある許可と調査を取りに一度地上に戻った藤丸は、第8圏谷に相応しい悪徳をメタトロンの監視下で実現させた。
2000基以上のサーヴァントをカルデアは皆殺しにしたのである。
モリアーティ藤丸が少人数を呼び込み、マシュと衛宮が蠱毒の勝者を闇討ちする。大まかな作戦をアドリブで調整しながら最短最高率でサーヴァントを消滅させる。たった1日で終了した殺戮劇に、メタトロンは恐怖から口を閉じた。
英霊化した藤丸立香はサーヴァントの使役においては誰よりも勝る。
誰よりも英霊を使役したとは、即ち全ての英霊に勝機を齎すことに他ならない。狂った理論とソロモンの回路、そして世界の常識が暴挙を創り出す。藤丸立香は逸話によりサーヴァントの弱味を常に与えられる。情を抜きさえすれば、サーヴァントに負ける道理はなかった。
最後のサーヴァントが倒れた時、メタトロンは思わず息を漏らした。知らぬ間に息を止めていたらしい。このまま地下への扉に手をかけたカルデアは、しかし諦めたのか身を翻して地上まで引き返した。疲弊した状態で決戦するのも馬鹿らしいと判断されたことに、メタトロンは腹の底が熱くなった。
意識して深呼吸を繰り返しながら、メタトロンは悔しげに机を叩いた。
「…くっ。主よ、私に少しばかりの慈悲を…!!」
第9圏谷、コキュートスはメタトロンの支配下だ。つまりは、数年かけて構築した階層をカルデアはたったの3日で攻略した。明日は決戦かとメタトロンは身構え、使い魔の天使をありったけ増産した。メタトロンは独りで、カルデアは多数だ。勝ち目を作るには霊基を軋ませながら頭数を増産するしかない。
しかし、今までの快進撃が嘘のようにカルデアは1週間経っても第9圏谷へ入らなかった。第8圏谷に毎日訪問しては地層調査を繰り返して帰宅する。彼らが扉に近寄るごとに身を震わせる己自身に、メタトロンは虚しいほど嫌悪感を重ねていた。
この瞬間が一番嫌いだと、メタトロンは舌打ちをする。惨めさに、怒りに、不甲斐なさに、信仰を蔑ろにされているようで。ただただ、少しずつ勝率を上げるために彼らの遅参を渇望してしまう。
まるで、カルデアに対して祈りを捧げているようだ。
こんな傀儡同然の状況で、悪意を捨てなければ消滅する現状に、まるで感謝しているようで。私をこんな目にあわせた奴に頭を下げているようで、ひどくプライドを傷付けられる。
惨めだ。
『惨めな天使』と題して額縁に飾りたいほど、その姿はそれそのものだった。惨めという言葉を汚くキャンバスに投げつけたら、こんな形に落ち着いたのだと、見るもの全てを納得させてしまいそうなほど。
地獄は、自分で作れるのだと知った。
ここには、自分しかいない。その自分が自分を苦しめているのだから、自分が原因ということになる。カルデアの足止めとなった7つの
規模が劣っているわけではない。強さが不足しているわけでもない。純粋なる悪意の熱量が不足している。『慈悲』による断罪は全てが薄っぺらい代物と化していく。
言峰綺礼はメタトロンと対話して彼女を見限った。マリスビリーが呼び寄せられる天使の霊基は浅はかで傲慢で、本人すらうっすら自覚していた。自分よりも相手が上だと認めればメタトロンにも勝ち目はあった。マリス・カルデアスから派遣された言峰綺礼が味方として助力していた。
メタトロンには人生経験がない。マリスビリーが知る天使は神の使いであり、俗世に学ぶ価値はないから。同様に誤信念を他人に帰する社会的認知能力も皆無だ。正しく生きる存在が他者に遜る必要はないから。
言峰綺礼が愛した
彼女は何故カルデアが侵攻を止めたのかを理解していない。
地上で人類の後継として生み出された
ムーンキャンサーがAI人類と予定していた後継者のどちらを認定することも出来ずにAI人類と後継者の救済と抹殺を併合して暴れていることを知らない。カルデアチームの不運の相殺が消えた藤村により、26桁の暗号で隠されていたORTの討伐内容が彼女の生誕に関わっていることを知らない。
マリスビリーに改心する権利は与えられない。人類に反する敵はそんなものだとマリスビリーは確信していた。それは遥か昔に◼︎によって奪われた代物だった。天使が悪に心変わりするのが許されないように、メタトロンは望まれたままの機能に過不足なく、大量殺戮の発端となったカルデアの抹殺を進めていく。
設計通り、想定内に、理想のままに、最短最高率で、他者の全てを無視した残状のまま。最早カルデアに勝つことが不可能にも関わらず、オルガマリーの劣化模倣の
この特異点はほぼ解決に近づいている。
ムーンキャンサーは既にチェックメイトに持って行った。どちらも欲深く両取りすることにしたAI人類がムーンキャンサーを跳ね除けてカルデアに駆除を依頼した。聖杯を有しているだけのメタトロンは彼らを妨げることは出来ない。
ついでに滅亡の原因たるメタトロンごと殲滅を狙ったのを、メタトロンは異常者としか理解出来ない。正しく生きる人類に対してマリスビリーが何も出来ないように、メタトロンは善意故の害意に対応することが出来ない。
「
「────は?」
歴史の中で最も人類を危機に晒した魔術爆弾は、カルデアにより解析され『指定した種族の73億分の24まで殺し切るだけの威力を増す逸話宝具』として初の実戦投入が行われ、その設計を遺憾なく発揮した。被爆した種族そのものに犠牲を強いる殺戮宝具に対して、ムーンキャンサーは『俺ら超えたな色んな意味で』と満足気に爆死を受け入ながらあっさりと死に絶え。
ついでに構築した裁判所と天使が第8圏谷の地盤によって潰された。
地獄:メタトロン(天使(本物とは言ってない))にとっての想像上の場所。この特異点唯一の人間である現実主義者のマリスビリーの思想を軸に召喚されたためクソ高いスペックに反して幸運と情緒が大幅に足りていない。
ムーンキャンサー:1つを選べないと集合意識で暴走してたがAI人類の強欲傲慢の結論に納得。全エネルギーを受け入れて爆死した。それはそれとしてレフとはいったい…?
レフボム:逸話宝具として最悪の実績が付いたので魔術的な弱体化も兼ねて核爆弾に代わるクリーンエネルギーボムとして量産された。それでも核並みの威力がある。某弟子によると説明役を務めたエルメロイ2世の胃は弾け飛んだらしい。