ようこそ生存至上主義の教室へ ~無人島試験 強制延長編~   作:夜照

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エ○同人誌の導入やな○う系サバイバル物じゃねえんだぞ!

 

 

 

     あなたにできることをしなさい。今あるもので、今いる場所で。

      Do what you can, with what you have, where you are.

 

 

                        セオドア ・ルーズベルト

                        Theodore Roosevelt

 

 

 


 

 

 

 炎天下の夏。晴れ渡った空と青々とした木々、それらを囲む水平線の彼方まで続く海。人工物の欠片もない無人島。

 

 電気も空調もなく、柔らかなベッドもない。暇を潰す娯楽品はおろか、今日の食料すら満足に確保できない。

 

 有り体に言えば、人によっては刑務所の方が快適だと感じるかもしれない場所で、俺たちは一週間を過ごした。

 

 それが、俺たちが初めて受けた特別試験だった。

 

※※※※

 

 今のDクラスは、ひどく憔悴している。

 

 少し前まで、訳も分からぬままクラスの圧勝に沸き、表向きの立役者である堀北鈴音を胴上げしていたというのに、それは最後の勢いのようなものだった。試験が終わったからといって、削られた体力や精神力が簡単に戻るわけがない。

 

 生徒たちは各自割り当てられた宿泊室へ向かうが、その足取りは重く、表情も強張っている。あの体力お化けの須藤ですら、動きに精彩を欠いていた。

 

 全員が限界だった。

 

 かく言う俺も、肩全体に重しを乗せられたような感覚があり、とても余裕があるとは言えない。

 

 部屋に着くなり、俺は洋介を押しのけてシャワー室を占領した。汗と潮風で汚れた体を、熱い湯が一気に洗い流していく。無人島でもシャワーは使えたが、水を汲み、湯を沸かし、使用量を気にしながらでは満足とは程遠い。だからこそ、好きなだけ湯を使えるこの空間は――正直、たまらなかった。

 

 なので背後でシャワー室の戸を叩きながら「まだかな?」「僕も一緒にいいかな?」と聞いてくる洋介の声は、いったん無視しようと思う。

 

 シャワーを終え、着替えてベッドに身を投げ出すと、柔らかな感触が体を包み込み、思わず息が漏れた。文明とはなんて素晴らしいのだろう。冷房の効いた部屋、清潔な衣服、冷えたジュース、柔らかなベッド。一週間ぶりのそれらに懐かしさすら感じる。今この瞬間、ここは俺だけの城だ。

 

「ようやく落ち着けそうだね」

 

 意外にも(髪型ボウズなことを考えれば当然か)カラスの行水な彼が、シャワーを浴び終えそう呟く。俺も「確かに」とだけ返した。

 

 学年主任の間嶋先生は、試験の終了と夏休みの始まりを告げた。もう俺たちを縛るものは何もない。今はただ休めばいい。

 

 重たい体をベッドに預け、意識を手放そうとしたとき、瞼の裏に様々な景色が浮かび上がる。

 

 直近のサバイバル試験。そこに至るまでの一学期。

 

 思い返してみれば――高度育成高等学校での生活は、まるで夢のようだった。

 

 


 

 

 入学式の日、俺たちはいきなり十万ポイントなんてものを支給された。

 

 食事も日用品も娯楽も、全部そのポイントで買えるらしい。

 

 クラスメイトたちは浮かれ、俺も多少は舞い上がっていた。ただ、心臓の奥がざわついていたのも事実だ。

 

 

 

 そしてある日の放課後、部活動紹介に参加した。といっても、俺は最初から洋介と一緒にサッカー部に入るつもりだったので、他の部活は正直あまり眼中にない。

 

 軽音部、古典部、ゲーム開発部、美食研修会……。運動部ならまだしも、文化系はどうにも興味を惹かれない。

 

 ただ一つ、文学部だけは妙に記憶に残った。活動内容が「図書館に返却された本を棚に戻すこと」。端的に言えば雑用じゃないか、と。

 

 それはさておき――サッカー部の紹介は早々に終わってしまい、俺は完全に手持ち無沙汰になった。帰りたいが、入部受付は最後にまとめて行うらしく、退室することもできない。そうしている間にも、ステージの上ではどこかの部活が淡々と紹介を続けていた。

 

 

 

 どうやら俺は立ったまま船を漕いでいたらしい。ふと目を覚ますと、ステージには眼鏡をかけた男子生徒が一人。なのに、会場は不自然なほど静まり返っている。

 

 彼はマイクの前に立ったまま、何も話そうとしない。視線だけが右往左往している。

 

 ――ああ、分かった。何を言うか、飛んでしまったんだ。

 

 永遠にも思える沈黙。胸の奥がざわつく。

 

 重い空気に耐えかねて、俺はついに腰を上げた。人混みを掻き分けてステージへ向かっていく。

 

 俺自身も経験がある。どうしようもなく真っ白になり、でも誰も助けてはくれない、あの感覚を。

 

 思い上がりかもしれない。けれど――手を差し伸べる側でいたい。

 

 司会進行役の団子頭の女子からマスクを強奪し、ステージへ上る。会場から小さなどよめき。奇異の視線。だが、俺の足取りは止まらない。

 

 彼の背中を隠す位置に立ち、マイクに向かって言った。

 

「今から親指が外れるマジックやりま~す」

 

 スッ。

 

 ……悲しいほど、誰も笑わなかった。次は人類でも消してみせようかな(ラスボス風)。

 

 

 

 それから先は怒涛だった。マジック、ラップ、ピンネタ、落語、ダンス、アメリカンジョーク。思いつく限りの“とりあえず盛り上がりそうなもの”を、次から次へと披露した。

 

 気づけば、体育館は熱狂に包まれていた。

 

「HAAA!」「WHOO!」「YEAH!」

 

 先ほどまでのお通夜のような雰囲気が嘘みたいだ。新入生だけでなく、運営側の生徒や教師までもが、「歓迎イベントってこういうのだよな」と信じ切っているようだった。

 

 結局、この騒ぎは三時間近く続いた。これだけ時間があれば、カンペを取りに行く余裕も、生徒を落ち着かせる余裕もあったはずだ。

 

 俺は興奮冷めやらぬ生徒たちを片手で制し、背中に隠していた彼へ視線を向けると、静かにステージを降りた。

 

 あとは――彼の番だ。

 

 


 

 

 あの伝説的な部活動紹介から、早くも一ヶ月。先生の嫌がらせのように抜き打ちテストがあった日の夜――結果の惨状など綺麗さっぱり忘れ、俺たちは綾小路の部屋に集まっていた。

 

「今日もひと狩り行くぜ!」

「やっぱ『ハンター・ウォッチ』をやるなら、こんな感じで集まってやるのが一番だな」

 

 やけにテンションの高い宮本と池に、俺も激しく同意する。しかし家主である綾小路だけは、どこか不服そうだった。

 

「そう思うなら、オレの部屋以外でやってくれ」

 

 俺と池、博士にゲームの上手い宮本。部活次第で須藤も来たり来なかったり。そんな面々で夜な夜な集まり、ゲームをするのがすっかり日課になっていた。

 

 綾小路の言い分も理解はできる。だが今さら拠点の変更など現実的ではない。まして――合い鍵を作り直すなんて、ポイントの無駄遣いだ。

 

「堅いこというなよ、綾小路」

「そうだぜ。自分のポイントを払って買ったんだ、これは俺んだ」

「んだんだ」

 

 PSVIVA本体にオプションを付けて二万五千ポイント。そこへソフト代も加わる。決して安い買い物ではない。

 

 さらに合い鍵の作成費もどうにか捻出し、俺たちはこの憩いの場を築き上げたのだ。家主の一存で覆されてはたまらない。

 

「暴論だ」

「そんなに言うなら、綾小路もやってみろよ。」

 

 池の何気ない勧めに、綾小路の心がわずかに揺れたのを見逃さず、俺は自然にそれを手渡した。

 

 この流れは、もはや洗練の域だ。俺と池はこの手口で、クラス内はもちろん、他クラスにも『ハンター・ウォッチ』を布教している。

 

 渋っていた三宅と洋介も、来月には購入予定。あとはこの綾小路、そして隣のクラスの龍園という男を落とせば――一年全員でプレイも夢ではない。

 

 だからこんなチャンスは逃さない、綾小路を含めた4人で狩猟(ゲーム)開始だ。

 

 

 

「なぁ……ひとつ言いか?」

「どうした?」

 

 ゲームを開始してしばらく、俺は綾小路の問いに快く耳を傾ける。ゲーム初心者には優しくする、鉄則だ。にわかお断りになった途端に、人口減少で滅ぶなんてこの業界では珍しくないのである。

 

「ゲーム表記によればこの弾は徹甲弾かつ榴弾なんだろ? なんでこの黄色いホ〇ンデライオンはそんなの喰らって平気なんだ?」

「お前……これメインターゲットじゃないぞ」

「……あなた誰ですか?」

 

 綾小路は徹甲榴弾の爆発を物ともしないモンスターに困惑しつつも、存外楽しんでいるようである。それに初めての割には普通に動けている。ひとりで力尽きないだけでも立派だ。案外、こういうタイプが海外のプロにスカウトされたりするのかもしれない。

 

 ……いや、俺の指導が上手いのか。

 

「もうひとつ言いか?」

「おう」

「この画面中央の華奢なのがオレだよな」

「そうだな」

「あっちで飛び跳ねてるのが宮本だよな」

「そうだな」

「今……力尽きたのが池だよな」

「そうだな」

「……なんで皆、女の子なんだ?」

 

 瞬間、部屋内の空気が凍り付いた。和気藹々と穏やかな空気が流れていた空間が嘘のようである。当の綾小路はそのような変化にはまるで気がついていおらず、「防具はプラスチックか?」や「こんな鉄で出来てるなら、須藤の体格でも厳しそうに見えるぞ」だとか、「須藤のキャラは筋肉質な男性のようだし、重装備ならそっちの方が都合が良くないか」とやけに現実的な問いを重ねているが誰も応えない。

 

 俺も池も宮本も、すべからく罰の悪そうな表情だ。もちろん理由を付けることは可能だ。綾小路が言うように華奢なのだから、操作するキャラが小さい方が画面内でキャラを占める割合が減り、よりモンスターを視野に入れやすいだとか。男女で装備に搭載されているスキルが違うだとか、オンラインプレイで受けがいいだとか。

 

 これに関して綾小路が悪いというわけではない。ゲームを楽しむ上で現実的な物の見方……切り口というのは、考察系ゲームなどでは非常に重要な要素だ。だが……それはそれとして……

 

「綾小路……それは一番冷めるって奴だ」

 

 ……思春期男子というのは複雑なんだよ。

 

 


 

 

 ゴールデンウィークも終わり、俺達に衝撃が走る。ポイントは無制限にもらえるものではなく、クラスの評価に由来し、算出されたcpがそのままptに反映されるというのだ。そして各クラスのcpはこうなった。

 

 Aクラス:870 Bクラス:540 Cクラス:370 Dクラス:0

 

 ……0。

 

 つまり俺たちDクラスの今月の支給ポイントは――ゼロ。

 

 もう一度言う。ゼロだ。

 

「ゼロで良いのはカロリーだけだろ⁉」

「……急にどうした?」

 

 茶柱先生の衝撃発表からしばらく。クラス内の揉め事を洋介と櫛田とでなんとか収め、どうにか立ち直った俺は──今、綾小路の机に噛り付いていた。

 

「なぁ綾小路、このゲーム機を20000ポイントで買ってくれ」

「1000ポイントなら買ってやるよ」

「ぶち殺されてぇのか、てめぇはよ」

「急にキャラ変わりすぎだろ」

「綾小路、俺は15000で良いぞ」

「おいおい池、横から搔っ攫うような真似はさすがに汚いんじゃぁないか。俺と清隆が友達(ダチ)として話してんだぜ」

 

 俺は主導権を握らせまいと、綾小路の肩に腕を回す。ついでに綾小路が言って欲しそうな言葉で揺すり、ここぞとばかりに下の名で呼ぶ。──交渉は勢いが肝心だ。

 

 そう思っていた矢先、予想外の人物が口を開いた。

 

「……綾小路くん、貴方ちゃんと友達がいたのね」

「……あぁ、一応d「あたぼうよ! 俺と清隆の仲の良さっていえば北はシベリア、南はアマゾンの大河にまで知れ渡ってるってんで有名さ。俺達生まれた場所は違えど、死すときは同じってね。当然ゲーム機程度快く買い取ってくれるさ!!」……」

「お前さっきぶっ殺すとか言ってなかったか? 心中だったのか?」

「オレは今ほど友達とは何なのか、考えさせられたことはないぞ」

 

 隣でこちらのやり取りを見ていた堀北が綾小路に友達がいたことに驚き、俺はここぞとばかりに嘘八百を交え存在感をアピール。池には痛い所を突かれ、当の綾小路は困惑しているが構わない。

今、俺に必要なのはポイントだけだ。とにもかくにも横やりをいれてくる池を他所にやり、俺は引き続き綾小路に交渉を持ちかける。

 

「このままじゃポイントなくて何も買えないんだよ、頼む…後生の願いだ」

命寿(いぶき)……これを見てくれ」

 

 綾小路がそっと鞄から何かを取り出し、俺は前のめりにカッ……と目を見開いた。そこには俺のと同じ色のPSVIVAが握られていた。

 

「ついに買ったのか」

「ああ」

「ソフトもか」

「ああ」

「ではもう一台……」

「いや……おかしいだろ。ここまでされたら引き下がれよ」

 

 確かに。スマホでもないのにゲーム機を二台持ちする学生なんて、そうそういない。

 

 ここが引き際か。目先の懐事情は解決されないが、当初の目的であった布教自体は成功したのだ。それで良しとしよう。

 

「それじゃあ、放課後はみんなで一狩り行くとするか!」

「おう!」

 

 ──ポイントは寒いが、それでも笑っていられるのが今の俺たちだった。

 

 


 

 

 俺が夜分にココアを買いに寮の裏手に行くと、綾小路がやけにコソコソしていた。

 

 ――怪しい。

 

 面倒事の匂いがプンプンするが、それ以上に面白そうだった。

 

 俺は抜き足差し足、忍者よろしく後を追う。気づけば茂みに身を潜めていて、その先に見れば見覚えのある二人の男女がいた。

 

 ひとりは、Dクラスのクールビューティー担当・堀北鈴音。そしてもうひとりは、生徒会長。

 

 そういえば、二人とも姓が堀北だったな……。断定はできないが、雰囲気もどことなく似ている。親戚か、兄妹の線が濃厚だ。

 

 そして、そのすぐ近くに綾小路が――

 

 ……え?この距離感、どういう状況だ?

 

 とりあえず不健全イベントではなさそうだと判断し、帰ろうとして――茂みから顔を出しかけて、俺は慌てて引っ込めた。生徒会長と綾小路が、目にも止まらぬ速度で拳を交わし始めたからだ。

 

 思わず、スマホを構えていた。

 

 現代っ子だった。

 

 拳の動きは追えない。だが、筋肉が波打つのが、妙に鮮明に見える。美しいとさえ思ってしまった。

 

「中々ユニークな……何者だっ!!」

 

 俺は少しでも近くで見ようと、気づけば茂みから体を出てしまっていた。そしてこちらに気がついた会長が視線を向ける。

 

「この間の……」

「……命寿」

「……それは証拠のつもりか?」

 

 会長の視線が、俺のスマホに落ちる。高度育成高等学校は色々おかしい学校だが、暴力沙汰は基本ご法度だ。会長の立場からすれば、「クラスメイトを守るために証拠を押さえている」そう見えたのかもしれない。

 

 実際のところ、そんな殊勝な動機は無いのだが――

 

「鈴音、お前にも友達が居たとはな。しかも二人も」

「彼は……友達なんかじゃありません。ただのクラスメイトです。あと……もうひとりはクラスメイトではなくコメディアンです」

「言われてるぞ……綾小路」

「いや……お前のことだろ」

 

 俺は隣の席の人間からそこまで言われる綾小路に憐憫を感じざるを得なかった。しかも受け止めもせず、現実からも目を背けているとは。人類ってのはどこまで行っても救えねぇ(ラスボス風)。

 

「重ねて言うぞ、お前のことだぞ」

 

 誰がコメディアンだっての。ちょっと生徒会長の前で、芸を披露して客席(全校生徒)を湧かせただけだろ?

 

「……相変わらず、孤高と孤独を履き違えているようだな。上のクラスに上がりたかったら、死に物狂いで足掻け。そしてこのポイントはその為にでも当てろ」

 

 そう言って提示されたのは――三百万ポイント。

 

 対価はひとつ。俺の撮った映像を消すこと。

 

 三百万。十万ですら実感の無い学生にとって、それは天文学的数字だ。

 

 う〇い棒換算だと3000本……?いや……値上げしたんだっけか。

 

 とにかく、Dクラスの現状を考えれば、喉から手が出るほど欲しいポイントだ。

 

 ただ、一つだけ問題がある。

 

「すんません。これ写真とか動画じゃなくて、リアルタイムなんすよね」

「……ん?……どういうことだ」

「えっと……これ学校の裏サイトにそのまま載せちゃってます。あっ……南の雲が雅さん、5万ポイントのスパチャありがとうございます。『会長のカッコイイところが見れてサイコーです』……ですって」

 

 とりあえずネットに乗せるという現代人の悪癖が出ていた。急だったからモザイクも無し。つまり――完全に垂れ流し。会長の表情が、見る見る青ざめていく。

 

 夜風が冷たかった。それでも、背中に汗が滲む。

 

「……なんだと」

 

 低い声が、夜気を震わせた。

 

 

 

 あの後、生徒会長は退任・退学処分。

 

 何でも――「現役生徒会長が下級生二人に暴行を加えようとした映像」という扱いで、学校も動かざるを得なくなったようだ。

 

 ただし後者は二千万ポイント+三百クラスポイントの支払いで取り消しとなったとか。

 

 しかもその余波で、上級生AとBのクラス順位が入れ替わり――三年生は今、大変なことになっているらしい。……まあ、俺には詳しいことはよく分からない。

 

 ただ一つだけ言えるのは――あの夜を境に、学校の空気が少し変わったってことだ。

 

 


 

 

 平穏な生活は唐突に終わりを迎える。

 

 ことの発端は、俺が綾小路と部屋でハンター・ウォッチをやっていた時だ。突然、綾小路のスマホが騒がしく鳴り響いた。普段は寡黙で影の薄い男の持ち物とは思えないほど、元気よく自己主張している。

 

 いま絶好調で戦っている最中だ。できれば静かにしてほしい。しかしスマホはお構いなしに鳴り続ける。

 

 ちらりと画面を見て、俺は違和感を覚えた。今はもう深夜。布団に入っている生徒の方が多い時間帯に、“彼”に電話してくる相手なんて、いるのだろうか。

 

 しぶしぶ通話に出た綾小路は、短くため息をついた。同時に操作を失った彼のキャラは一撃でキャンプ送り。はい、これでクエスト失敗。ため息をつきたいのはこっちである。

 

 どうやら相手は相当焦っているらしく、今すぐ部屋に来るよう告げてきたらしい。

 

 ゲームは一旦中断。俺は勝手にベッドを占領してゴロゴロしていたが、15分後、俺のスマホが震えた。

 

『……命寿、今すぐ堀北の部屋に来てくれ』

「……なんで」

『緊急事態だ。オレと堀北は今、生命の危機に瀕している』

「それ……俺がどうにかできるレベルじゃないだろ」

 

 何があったが知らないが、普通なら先生や警察案件である。

 いち高校生には同級生男女の命をどうこうは、荷が重い。

 

「……今一度聞くぞ、本当に俺がいるのか?」

『もちろんだ』

「……具体的には?」

『部屋に〇キブリが出た』

 

 盛大に肩透かしである。

 

 虫嫌いの女子は珍しくない。堀北がそうでも驚きはしない。

 

 だが、ひとつ疑問が浮かぶ。

 

「……なるほど、それで俺に退治をお願いしたいと……ひとつ言いか?」

『ああ……』

「……綾小路は今何している?」

『電話をしている』

「そういうことじゃねぇ」

『すまん、ゴキ〇リに関する知識は持っていたが、実際に目にすると……』

「今まで見たことなかったのか?よっぽど清潔な所に住んでたんだな」

 

 面倒ごとに巻き込まれた苛立ちもあって、俺は思わず皮肉たっぷりの返答を返した。俺の住んでいたところは片田舎で、虫や野生動物なんて珍しくもない。今や少数精鋭のマタギのおじちゃんが新鮮なクマ肉を振舞ってくれ、今や絶滅危惧種のカタギではないおじちゃんが死体を山に埋めるような辺境の地……富山。クマを相手取る雄姿や敵マフィアとの抗争、その危険性は口酸っぱく教えられたものだ。

 

『ああ……床も天井も壁も一面真っ白な場所だった』

「センスわるっ……病院かよ」

 

 ……とまあそんなやり取りを経て、俺は渋々部屋を出た。

 

 

 

「……で、来てみたらコレか」

「すまん」

 

 堀北の部屋へ入る――普通なら男子高校生的に少し甘酸っぱいイベントになるはずだが、現実は違った。

 

 逃げられないよう腕を極められ、半ば強制的に押し込まれるという屈辱付きである。

 

 完璧に罠だ。中学時代はそれどころでは無かったため、ちょっと期待していたのもあり残念という他ない。一向に状況の読めない俺は問いかける。

 

「どういうことなんです」

「本当にすまん」

「謝るのはあなたじゃないわ、綾小路くん」

 

 堀北は静かに告げる。

 

「私は、正当な対価を受け取るだけ」

 

 細い腕から、信じられないほどの力が伝わってくる。嫌な音が肘からした。……俺、何かしたっけ? ちょっと実兄が退学処分になりかけた程度のことだろう。

 

「貴方は許可なく配信し、スパチャで利益を得た。つまり――私の肖像を使って、ね?」

「まぁ……言われてみれば、そうなるかも」

 

 確かにあの動画配信は色々アウトだった。そして堀北は代案を提示する。

 

「赤点組を集めて、勉強会を再開するわ。それが条件」

 

 ここで揉めるよりはマシだろう。

 

「……わかった。綾小路、お前も付き合えよ」

「できる範囲でな」

「あと、契約書は明日までに用意しておくわ」

 

 本格派だ。

 

「それと――ゴ〇ブリも退治していきなさい」

 

 ……マジで出てたんだな、アレ。

 

 

 

 結局、俺は赤点組をかき集める役を任された。結果として集まったのは赤点勢、勉強に不安を覚えた沖谷、女性が多い平田組を避けた長谷部、クラスから浮いていて勉強会に参加していなかった佐倉、元ヤンの三宅、ひとり狼の幸村、そして赤点なのに声すらかけてもらっていなかった俺、気付けば大所帯である。

 

 こうして「堀北組」は結成されたのだった。

 

 


 

 

 そして迎えた中間テスト結果発表の日。何も不安が無いかと言われれば嘘になるが、できる限りのことはやった。心配なことといえばちょっとトイレが近いことぐらいだ。

 

 先に済ませておこうと思ったが、教室前で先生と鉢合わせし、そのまま席に着くよう促される。みんなの顔が強張っているのを見て、どうやら理由は俺と違うらしいと理解した。「先生、トイレ」なんてとても言い出せる空気ではない。

 

 結果は――過去問の効果もあり、クラスの多くが高得点を獲得。須藤ですら英語で42点を叩き出した。

 

 これなら大丈夫。俺は胸を撫で下ろし、尿道の主張を誤魔化した。

 

 ……その瞬間だった。

 

「お前は赤点だ、須藤」

「は?ウソだろ?ふかしてんじゃねぇぞタコ、なんで俺が赤なんだよ」

 

 先生の無情な宣告。

 

 しばらく何を言っているのか理解できなかった。膀胱がそれどころではない。綾小路によれば――クラス平均が87.2点になった結果、赤点ラインが43点に上がったらしい。

 

「つまり俺達の頑張り過ぎって訳か。採点ミスはないのか⁉採点ミスは⁉」

「採点ミスは……ない。それどころか英語のテストは名前をローマ字で書くように言われてたのに、漢字だ!!」

「しかもよく見れば須藤の須の彡の部分が4本になっている!!」

 

 声にもならない悲鳴を叫び、洋介は頭を、俺は下腹部を抱える。限界が近い。

 

 須藤、撃沈。洋介、闇堕ち寸前。俺、泣きたいほどトイレに行きたい。

 

 堀北が食い下がり、平均の求め方に難癖をつけるものの、あっさり封殺される。教室は“終わった”空気に満たされた。

 

 俺も考えた。必死に考えた。だが膀胱の限界は刻一刻と迫り、名案より先に尿意が生まれ続けている。

 

 そんな中、綾小路が席を立ち、すごい勢いで教室を飛び出した。

 

「トイレ」

 

 言い残したのはそれだけ。

 

 ――たぶん大。

 

 本気で被らなくてよかったと思いながら、俺も席を立った。

 

 勝負は早い方がいい。俺は1階の、職員室横のトイレへ向かう。便器も多く、人も少ない穴場。混雑リスクも低い。完璧……のはずだった。

 

 職員室前の廊下に差し掛かると、そこには綾小路と先生が、通せんぼのように立っていた。

 

 なぜそこを塞ぐ。

 なぜ真ん中に立つ。

 エスカレーター文化を学んで欲しい。

 

 迂回も難しい距離。だが立ち止まっている暇はない。

 

 俺がそろりと横を抜けようとした時、綾小路が口を開いた。

 

「須藤の英語、その点数を――1点、売ってください」

 

 雷に打たれたような衝撃。

 

 なるほど。そう来たか。

 

 下腹部の危機と、クラスメイトの危機が、俺の中で猛烈な戦いを始める。

 

 先生は少し意地悪そうに微笑んで答えた。

 

「今ここで10万ポイント払うなら、売ってやってもいい」

 

 そこに横から静かな声。

 

「――私も出します」

 

 堀北だった。

 

 そして――なぜか俺の名前もカウントされていた。

 

 気づけば俺も一緒に学生証を差し出し、3人で負担する形になっていた。

 

 俺はただ、トイレに行きたかっただけなのに。先生は満足そうに去っていく。

 

 残された俺は、尿意の波に意識を持っていかれながら、ようやく廊下の奥の“聖域”へ歩き出した。

 

 ――長かった。

 

 


 

 

 何とか中間試験を乗り越えた俺たちは、今、クラス単位で危機に瀕している。

 

 ことの発端は、五月も終わりかけのある日のことだった。須藤の部活終わりに合わせてコンビニに向かい、半額タイムを狙って弁当を買った日だ。

 

 その日は練習が特にきついと聞いていたので、須藤の好物であるステーキ弁当を、どうしても押さえておきたかった。

 

 当然、洋介は協力してくれて、ついでに綾小路にも手を貸してもらった。

 

 須藤が退学にならなかったのは心から嬉しい。が、三万ポイントの出費を忘れたわけではないので、このくらいこき使っても罰は当たらないだろう。

 

「どうする? 三割引で手を打つか?」

「いや……まだだ」

 

 今日の目的はステーキ弁当。これは夜遅い時間にならないと半額がつかない。店もそうだが、レジのおばちゃんも元値の高いこの商品には渋い。だが、そこも抜かりはない。

 

 フツメンの俺では視界にも入らない相手でも、男子一年のイケメンランキング二位の洋介と、五位の綾小路は無視できない。

 

 予想通り、頬を赤らめたおばちゃんは、二人の視線の先がステーキ弁当だと気づくと、半額シールを貼って「はい」と笑顔で手渡してくれた。

 

 無事目的は達成。……したのだが、綾小路がおばちゃんから離れるのに少々手間取り、帰りが少し遅くなった。

 

 先に須藤が帰った可能性も考えつつ歩いていると、少し先で「特別棟」へ入っていく須藤を見つけた。

 

 理科室をはじめとした“知的な用途”の教室が集まるあの棟は、正直、須藤とは縁遠い場所だ。

 

 嫌な予感しかしない。俺たちは自然と足を速め、後を追った。

 

 

 

 案の定、須藤は三人組に囲まれていた。相手は明らかにやる気満々で、拳を握り締めている。

 

「まずい」

 

 洋介が短く言い、俺も同感だった。

 

 だから、すぐに指示を飛ばす。

 

「行け! 綾小路! 須藤を助けるんだぁ!」

「……オレがか?」

 

 ここで綾小路を指名したのには理由がある。

 

 確かに須藤の体格なら、素の殴り合いで負けることはまずない。だがあいつは本能のまま突っ込むタイプで、周りへの被害も考えると不安が大きい。

 

 洋介は運動神経こそいいが、喧嘩向きの性格じゃない。俺に至っては虫も殺せないタイプだ。

 

 一方で――以前、ココアを奢ってもらったとき、堀北がこんな話をしていた。「生徒会長は空手五段、合気道四段らしい」と。

 

 ……規定上、どう考えても年齢が足りないので、段位そのものは怪しい。だがそれでも「そのレベルの実力」という意味である可能性は高い。

 

 そんな怪物とタイマンを張れる綾小路。だったら、ここは彼に任せるのが最善だ。アイツなら、難なく場を制圧できる――

 

 

 

 実際、瞬殺だった。

 

 目にも止まらぬ速さで三人を制し、軽く気絶させてしまった綾小路。須藤は傷ひとつなく、むしろ「もうちょっとやれた」と言いたげな顔をしている。

 

「助太刀がなくても、なんとかなったっつーの。それより綾小路、見かけによらねぇな。動画以上の動きだったぜ」

「でも、暴力沙汰はダメだよ」

「気絶してっから言っても意味ねぇんだろうけどよ。ま、なんだ。俺たち1-Dに手ぇ出そうってんなら――この暴力の化身、破壊衝動の権化、諸悪の根源たる綾小路清隆が黙ってねぇぞ。いつでもかかってこい、相手になってやんよ」

「……オレは何も言ってないし、勘弁してくれ」

 

 念のため、気絶した三人がちゃんと呼吸しているのを確認してから、俺たちは寮へ戻った。ステーキ弁当は、大変おいしゅうございました。

 

 

 

 後日。

 

 今月もポイントが振り込まれず、茶柱先生から「校内で暴力事件があった」と告げられた。

 

 内容はこうだ。

 

 夕方から夜にかけて、特別棟にいた三人の生徒が、四人組に暴行を受けた。怪我の程度も重く、気絶もした。さらに罵詈雑言と「黙ってないぞ」という脅しまで受けた――と。

 

 そして、その事件の主犯と目されているのが、綾小路清隆……らしい。

 

「……どうしたもんかねぇ」

 

 俺たちは綾小路の部屋に集まり、頭を抱えていた。

 

 このままでは須藤はバスケ部のレギュラー剥奪に加えて処分。洋介と俺も、しばらく停学を食らう。

 

 そして綾小路に至っては――退学。

 

「別に退学になるわけでなし、黙って停学を受け入れるしかないか」

「……オレは退学なんだが? 退学なんだが?」

「実際に暴力振るったのがまずいよな」

 

 今回の件は、Cクラスの三人がレギュラー候補になった須藤を妬み、呼び出して襲い掛かった――と俺たちは見ている。

 

 だが、その「先に絡んできた」事実を証明する手段がない。特別棟には監視カメラがない。一方、四人で寮に戻る姿は、外のカメラにしっかり映っていた。

 

 細身の綾小路が三人を組み伏せるなんて、常識的にはあり得ない。そう反論してみたものの、「生徒会長との素手の攻防」が“証拠動画”として出され、あっさり却下された。

 

 ……誰だよ、そんな迷惑なもん撮ったヤツは!

 

「……困った話ではあるが、綾小路一人の生贄で済むなら安いか」

「なぁ命寿。オレたちの仲は北はシベリア、南はアマゾンの大河にまで知れ渡ってるぐらい有名なんだろ?生まれた場所は違えど、死ぬ時は一緒って話なら、オレが退学になったら――」

「………」

「今、僕らが表立って動くのはまずいよ。みんなを信じよう」

 

 ひとつだけ、こちらにとって都合のいい点がある。それは「洋介も処罰対象に含まれている」ということだ。そのおかげで、軽井沢は“彼女役”として焦り、積極的に動き出している。

 

 櫛田に釣られた男子たちも動き、須藤と関係の深い連中、堀北組も動いている。結果として、Dクラス全体が水面下で動き出しているわけだ。

 

 偽の恋人関係と聞かされたときは口が塞がらなかったが、こうなってくると心強い。洋介の庇護を求め続ける限り、軽井沢も協力せざるを得ない。

 

「それしかねぇか」

「オレはまた……あの場所に戻るのか」

 

 須藤の呑気な一言に紛れて、隣の綾小路が小さく呟いた。俺にだけ聞こえるくらいの声で。

 

 俺は綾小路のことを深くは知らない。付き合いは、たかが数か月。けれど、俺がこの学校に“逃げるように”来たように――こいつにも、何か事情があるのだろう。

 

 それを聞いてしまった以上、他人事で済ませることはできない。

 

 できる限り――何とかしてみせるさ。

 

 

 

 しかし決意はあれど、策はなし。展望もなければ、活路も見いだせず。しかも当事者につき、派手に動くことも叶わず。

 

 八方塞がり、四面楚歌。絶体絶命、万事休す。今の俺らは、だいたいそんな感じだ。

 

 したがって廊下一つ通るにも、端っこを陰に日向に歩くしかない。あまりにみじめである。

 

 そんな俺たちの前から、杖をついた少女が現れた。その背後には、何人もの生徒を従えている。

 

 ……病院の回診かよ。世話になるとしたらむしろそっちだろ。

 

 そう言いたくなるが、俺も馬鹿ではない。これ以上トラブルはごめんだし、自分たちが話題の中心でもない限り、絡みたい理由もない。

 

 だから今は壁に貼り付き、腹を引っ込めて薄くなり、さっさと通り過ぎてもらうに限る。目立つのは避けなければならない。

 

「! いつかのコメディアン!」

「誰がコメディアンだ、この野郎!」

 

 俺に懸けられた容疑はあくまで“暴力事件”であって、お笑い芸人としてデビューした覚えはない。

 

 ……体育館でちょっと芸を披露して、新入生の前で場を繋いだだけだ。

 

 つい反射で言い返してしまい、結果として一行とかち合うことになった。

 

 先頭の杖つき少女も含め、ほとんど見覚えはない。だが、その中の一人だけは知っている。たしか神室真澄――だったか。部活紹介のとき、あの体育館の隅っこでこちらを指さして笑っていた女だ。

 

「マジで出た、即興芸人」「一年から芸人枠いるのヤバくない?」

 

 みたいなことを言っていたはずだ。あだ名「コメディアン」の元凶である。

 

 本音を言えばここで一発言い返しておきたいが、今の立場で「お前らだってゲラゲラ笑ってたじゃねぇか」などと声を荒げても、余計にキャラが固定されそうなのでやめておく。

 

「知り合いですか、真澄さん?」

「いえ。ただの……芸をされていた方です」

 

 向こうから仕掛けてきた割には、どこか歯切れが悪い。俺の中で「ただの」って何だとツッコミが生まれるが、飲み込んだ。

 

 俺たちはまだ高校一年生。転校もクラス替えもないこの学校で、変なキャラ付けは極力避けたい。今後数年にわたっていじられる危険があるからだ。

 

 ……まあ、暴力事件だの生配信だの、俺は既に手遅れ感はあるけどな。

 

「用があるのはDクラスです。早く向かいますよ」

 

 彼女たちはAクラスの面々だろう。渦中のDとC、Cとやり合っているBならまだしも、蚊帳の外に見えるAが俺たちに何の用だ。

 

「まさか彼が入学していたなんて……どこまでも私の想像を超えてくるのですね、綾小路くん」

「ん? 綾小路が何だって?」

 

 また口が勝手に動いた。過去にそれでひどい目にあったのを、俺は学習していないらしい。杖の少女が、興味深そうにこちらを見つめる。

 

「あなたは綾小路くんと、お知り合いなのですか?」

「えっと……いやそんな――」

「坂柳さん、たしかコイツと綾小路はかなりの仲だそうですよ。噂じゃ北はシベリア、南はアマゾンの大河にまで知れ渡ってるって有名だとか。確か、生まれた場所は違えど、死すときは同じって話でした」

「……あっ、はい」

 

 そのフレーズには、聞き覚えがある。PSVIVAの話をしたとき、俺が調子に乗って口走ったやつだ。

 

 どこでどう広まったのかは知らないが、少なくとも「根も葉もない噂」ではない。誰かが面白がって吹聴したのだろう。

 

「動画もアップしてたよね」

 

 杖の少女――坂柳は引き連れた生徒の一人がスマホを見せると食い入るように見つめていた。体育館での部活紹介やら、生徒会長とのステゴロやら、いくらでもネタはある。ときおり「圧倒的ですね」と呟いているあたり、どうか俺の黒歴史の方じゃないことを祈るばかりだ。

 

 一息おいて、彼女はこちらを向き、静かに告げた。

 

「そういうことなら、話は早いですね。このあと、お時間をいただけますか」

 

 ひとつだけ確実に言える。とても面倒そうなことに巻き込まれた。

 

 しかも――だいたいお前のせいだぞ、綾小路。

 

 


 

 坂柳一行にこってり絞られてから数日後の放課後。俺は棚から牡丹餅で副会長から会長代行へと昇格した南雲雅先輩と会っていた。

 

 場所は先輩御用達の中華系レストラン。完全個室で、人目はゼロ。悪い話をするにはこれ以上ないロケーションだ。

 

 もちろん俺のポイントで来られる場所じゃない。だが先刻の“元会長動画”をいたく気に入ってくれたらしく、今回はその礼としてご招待。ありがたくご馳走になりつつ、俺は今抱えている問題について切り出した。

 

「何とかならんか? 会長代行」

「何ともならんな」

 

 即答。

 

 胃袋は満たされたのに胸の内は晴れない。だが話はそこで終わらなかった。

 

「だが――もし俺が同じ状況にあったなら、相手のリーダー格を動かすな」

「リーダー格?」

「誰かは知らんが、必ず“中心”はいる。そこに揺さぶりをかけるのが一番手っ取り早い」

 

 南雲先輩はそう言って、何食わぬ顔で水を飲んだ。それ以上は教えてくれる気配はない。それがヒントなのか、ただの世間話なのか。判断はつかない。

 

 だが言葉は妙に胸に残った。――“中心に揺さぶり”

 

 龍園の顔が、自然と脳裏に浮かんだ。

 

 

 

 結局、直接的な協力は得られず会食は終了。ただの世間話に終わった――そう思い込みたかったが、どうにも胸騒ぎは収まらない。そんな状態のまま、俺は誰にも知られないよう遠回りで寮へ戻っていた。

 

 その途中、第二体育館の用具室付近から

 

ドッ

 ガッ

 

 と鈍い音が響く。嫌な予感しかしない。

 

 念のため様子を見ると、入口を塞ぐように立つCクラスの黒人マッチョが一人。――もしあれが“見張り”なら。もしこの奥に“証拠”でもあれば。俺たちの嫌疑は崩せる。

 

 そんな考えが頭をよぎる。南雲先輩の「中心を揺さぶれ」という言葉も、背中を押してきた。

 

 帰る? いや、ここまで来たら今さらだ。俺は息を殺し、用具室の奥へと忍び込んだ。

 

 

 

 薄暗い倉庫の奥で、複数の男子が倒れていた。その中心に立っているのは――綾小路清隆。

 

 俺は、しばし言葉を失った。

 

 ひとり、またひとりと倒れていくCクラス。不意打ちも、数も、武器も――全部、意味を成していない。

 

 ただの暴力沙汰では決して片づけられない光景。俺が見入っていると、背後から声。

 

「What are you doing?」

 

 思わず

 

「ほよぉ?」

 

 とかいう間抜けな声が出た。振り返れば、入口にいた黒人マッチョ。完全に気配に気付けなかった。それだけ目の前の光景に魅入っていたのだろう。そして俺は首根っこを掴まれ、そのまま倉庫へ引きずり出された。まるで悪さした子猫である。

 

「……お前は」

「命寿!」

 

 紅一点の女生徒が俺の腕を取り――

 

ゴキッ

 

 嫌な音。

 

「動くな。伊吹、可愛がってやれ」

 

 ……いや、むしろ動けねぇよ。

 

 

 

 俺が捕らえられた瞬間から、流れは一変した。綾小路は反撃を止め、ただ殴られる側に回る。俺が足を引っ張っている――その事実だけで、吐き気がした。

 

 腕の感覚は遠のき、呼吸は浅くなる。昔味わった“あの感覚”が蘇る。――暴力に対する恐怖。

 

 やめろ。やめてくれ。

 

 しかし女生徒の膝が俺の腹を捉え、視界が揺れた。地面が近づいてくる――最後に見たのは、龍園へ殴りかかる綾小路の顔。

 

 そしてくだらないことを考えた。もしこいつに婿入りしたら……伊吹命寿(いぶき いぶき)になるのか。――そこで、意識が途切れた。

 

 あの後、目を覚ますと膝枕だった。相手はもちろん綾小路。すぐにも飛び起きたかったが、体の痛みがそれを許さず、そのまま事の顛末を聞かされる。

 

 どうやら綾小路は、最初からAクラスと手を組んでいたらしい。「黒幕X」なんて得体の知れない存在を演じながら、龍園の疑心と猜疑心を少しずつ煽り、最終的に体育倉庫へと誘導したのだそうだ。龍園さえ潰してしまえば、Cクラスはどうとでもなる。計画は、そこまで綿密に整えられていた。

 

 ――俺が乱入するまでは。

 

 俺が捕まったせいで、せっかく張り巡らせた糸が一気に絡まり、ほぼご破算。それでも綾小路は一歩も退かず、最後は腕力と交渉とを同時に叩き込んで、事態を無理やり収束させたらしい。

 

 結果として、今回の一件は“無かったこと”になった。双方の間で当面の停戦が結ばれ、これ以上の追及もしない――そんな取り決めで手打ちに至ったというわけだ。

 

 ……聞いてるだけで胃が痛くなる話だった。何からツッコめばいいんだよ。俺のせいで台無しになりかけて、それでも丸く収めたとか。本当に何者なんだアイツは。

 

 ただ一つだけ確かなのは、危機は去ったという事実。須藤のレギュラー入りも無事確定。Aクラスは協力を継続。CクラスはDに手出しせず。

 

 その煽りでBとCが大喧嘩しているらしいが、今のところ対岸の火事。

 

 お前がAクラスを引き込んでくれたおかげと言われたが、いや大部分お前のおかげだろ?……と言いたくなった。

 

 


 

 

 学生の夏は青く、そして忙しい。それは高度育成高等学校も例外ではなく、俺たちは夏休み初っ端から学校が企画したクルージング旅行に参加していた。

 

 最初の一週間は無人島のペンション。もう一週間は豪華客船。そんな触れ込みで、船内には一流レストランに高級スパ、シアターにライオンのサーカスまで完備されている。

 

 綾小路曰く、個人で企画すればオフシーズンでもウン十万は飛ぶらしい。それを俺たちはありがたく――強制参加。国立とはいえ、とんでもない学校である。

 

 納税者の皆様に最大限の感謝を捧げつつ、俺たちは贅沢の限りを満喫していた。途中、妙なアナウンスが入りはしたが、俺の脳内は既に無人島でのペンション生活に向かっていた。

 

 海水浴、野外炊事、キャンプファイヤー、枕投げ、そして恋バナ。何十年経っても色褪せない青春の一ページ――そう疑いもしなかった。

 

 ――ついさっきまでは。そして現在。

 

 夏の太陽が照り付ける中、俺たちは何もない無人島の砂浜で、現実に叩き落されていた。

 

 当然ながらペンションは影も形もなく、今日の食料も寝床もない。あの贅沢な船旅は学校の罠であり、その正体は特別試験。

 

「ここで一週間生きろ」

 

 要約すると、そういうことだ。

 

 とはいえ先生方も悪魔ではない。

 

・テント

・懐中電灯2つ

・マッチ1箱

・歯ブラシ(全員)

 

 そして300ポイント。このポイントを使えば、食料・設備などと交換が可能。ただし、試験終了時に残っているポイント=クラスポイントに加算される。

 

 さらに島の各所にあるスポットを占有すれば、8時間ごとに1ポイントを獲得。占有にはクラスごとのリーダー登録が必要で、リーダーを最終日に言い当てられた場合は大きな減点が発生する。

 

 ……という、要するに「無駄遣いせず、でも死なない範囲でポイントを使いながら、リーダーを隠しつつ我慢比べを続けろ」そういう試験である。

 

 Aクラスは参加辞退者が出たらしく、270ポイントスタート。杖付き少女は恐らく医師判断だろう。参加したくてもできなかったのだと思う。念のため不参加者は後で確認しておきたい。リーダー当ての候補を減らせるしな。

 

 そして俺たちDクラス。ポイント節約のため、基本はサバイバル生活。――のはずが。

 

 開始から30分以上、砂浜から一歩も動けていない。他クラスはすでに森へ散っているというのに、池・幸村・篠原あたりがトイレ問題で言い争い中。

 

 八月の炎天下でよくやるな、と変な感心をしつつ、俺の中では「いい加減にしろ」と赤ランプが点滅し始める。

 

 暇を持て余し、「じゃあビーチバレーでもしようぜ、先生審判で」と小野寺たちに声を掛けたが、背中が痛くなるほど刺さる視線が降ってきたので取り下げた。

 

 冗談の通じない世界である。

 

 まぁ、トイレは重要だし、テントの数も足りていない以上、ポイント使用は避けられない。学校側もそれを前提にしているはずだ。――が、今ここで言っても聞く耳はなさそうだ。

 

 結局、痺れを切らした池と須藤が森の奥へ探索に向かい、ようやく俺たちも移動を開始することになった。

 

 日陰で話し合おう――洋介の案に従って。

 

 

 

 しばらく森を進み、トイレ論争はひとまず決着。有志でベースキャンプ候補地の捜索、そして食料調達を開始することになった。

 

 俺は洋介と組めず、余った結果――綾小路、高円寺という、問題児全開の組み合わせに。

 

「美しい……! 大自然の中に佇む私という存在! 究極の美!!」

「あいつは本当に人間なのか⁉」

「多彩な才能の持ち主だな。アレは」

「そういう問題じゃない! あとお前もな!」

 

 開始三分で、高円寺は枝から枝へパルクールじみた移動をし、綾小路も難なくそれを追い、俺はただ呆然と見送るだけの存在に成り果てた。

 

 全力で食らいつき、途中で綾小路が引き返してきてくれなければ、間違いなく迷子コース。死ぬかと思った。

 

 ――佐倉とでも組めばよかった。心の底からそう思った。

 

 その後、高円寺は完全に姿を消し、俺たちは二人で歩調を落として進むことに。息を整えていると、綾小路がふいに尋ねてきた。

 

「なぁ命寿。この森、どう見えてる?」

「どうって……森は森だろ」

 

 俺の返答が雑すぎたのか、綾小路は少しだけ間を置き、「さっきのは忘れてくれ。高円寺に聞かれて、つい」とだけ言った。

 

 そこは忘れろと言われても難しいが――それ以上は掘らないでおく。

 

 そして突如俺の腕を掴み、藪の中へ引きずり込む綾小路。いやホモか? と思ったのは内緒だ。

 

 が、視線は俺ではなく、森の奥へ。そこには洞窟。そして、中から聞こえるのは男二人の声――クラス。葛城。そしてスポットの占有計画。

 

 もし不用意に近づいていたら確実に見つかっていた。俺が綾小路をホモ疑惑でジャッジしている場合ではなかった。二人が立ち去った後、スポットを確認。占有中の表示はAクラス。

 

 綾小路が小声で問う。

 

「どうする?」

 

 俺は即答した。

 

「戻ろう」

 

 理由は単純。高円寺の捜索は無理ゲー、まだ一日目、無理をする意味がない。

 

 命はひとつ、ポイントは有限、体力は残機制。

 

 だったら――撤退が最善だ。

 

 


 

 

それから数日は、驚くほど平穏な日々が続いた。

 

もちろん、俺が用意した首輪を事も無げに引きちぎり、「体調不良」でさっさとリタイアしていった高円寺については頭を抱えざるを得なかったが……それ以外は大きな問題もなく、Dクラスは意外なほど上手く回っていた。

 

 池はアウトドア知識が豊富で、火起こしから探索班の編成に至るまで各所で大活躍。櫛田率いる食料班も畑や果樹を発見し、安定した供給体制を築く。トイレ問題に固執していた幸村も、女子が十名リタイアすればポイントが0になることに気づき、購入を了承。そこからは各班の無駄を削る調整係として動いてくれている。

 

 綾小路は川で魚を釣り、佐藤中心の料理班が腕を振るい、最後に洋介が全体を取りまとめる。

 

 ――正直、出来すぎなくらいだ。ただ一点、Cクラスから転がり込んできた厄介者がいた。

 

 金田。ヒョロッとした体に眼鏡、キノコヘアー。龍園のやり方に反抗して制裁を受け、逃げてきたらしい。

 

 偵察した綾小路たちの話では、Cクラスは早々にポイントを使い切り、全員そろって船へ帰還。実質リタイア――というわけだ。

 

 まるで五月のどこぞのクラスのようだ。俺は「Dクラス戦法って名前でどうだ」と提案したが、堀北に普通に殴られた。

 

 金田を保護するかどうかでクラス内は割れたが、最終的には「保護しない」で決着した。洋介だけは最後まで反対していたが、こればかりは仕方ない。

 

 順調と言ってもDクラスは常に綱渡り。他クラスの人間を背負い込む余力なんてない。しかもキノコ眼鏡男子だ。女子であればまだ票が伸びたかもしれないが――残念ながら市場価値ゼロである。

 

 

 

 ――そして問題は起きた。

 

 声色の怖い女子に叩き起こされ、状況を飲み込めないまま集められた俺たちに告げられたのは、軽井沢の下着が無くなったという最悪な一報だった。

 

 男子が疑われるのは当然だ。しかし、俺たちの中にそんな真似をする奴が本当にいるのか。それとも――“潔白を証明してほしい”という意味なのか。

 

 どちらにせよ、持ち物検査が始まる。俺は問題なくクリアした。

 

 そして正直、男子の中に犯人はいないだろうとも感じていた。

 

 証拠の隠滅は困難。逃げ場もない。この状況で犯行に踏み切るほど愚かなやつは――少なくともDクラスにはいない。

 

 むしろ他クラスが足並みを乱すために仕掛けた工作と考える方が自然だ。Cクラスあたりが怪しい。そういえば先日、自由に動けるキノコの存在を確認したところだし。そう考えながら、俺は列の後ろの方を何気なく見た。

 

 ――綾小路の手元が、目に入った。奴は女性物らしきハンカチを持ち、一瞬ためらい、そのままポケットに押し込んだ。

 

 その直後。ほんの一瞬――ほんの刹那だけ。あいつの表情が、歪んだ。

 

 その瞬間、俺は確信した。

 

 綾小路――やっちまったな。

 

 

 

 下着泥に関しては、確認役の洋介が口をつぐんだこと、そして“キノコ”が犯人の可能性がある――というところで一応の落ち着きを見せた。命拾いしたな、綾小路。

 

 だが悪いことは続く、当然のように“事件”は起こる。

 

 それは5日目の昼過ぎ――症状の悪化した堀北が、動けなくなった頃だった。病人だからこそ狙われる。そしてこの試験で最も狙われやすいものといえば“リーダーカード”当然の帰結だ。

 

 護衛役の俺は、まさかCクラスがここまで露骨に来るとは思っておらず、あっさりと攫われるようにカードを奪われた。

 

 ――致命傷だ。リーダーさえ割れてしまえば、これまでのポイントは無効化。Dクラスに未来はない。

 

 俺は膝から崩れ落ちた。胃がねじれ、冷汗が背中を這う。

 

 だがアイツには、まだ諦めるという選択肢が存在しなかった。

 

 夜の森。足音を殺し、闇に溶け込む影。

 

「……命寿。囮は頼む」

 

 そう言って消えた綾小路の背は、冗談抜きで“人間”の動きではなかったと思う。

 

 30分後。

 

 俺の前に、例のカードが投げ返される。奪還成功。説明……ねぇよ。ただ一言、「取り返した」だけだった。

 

 何人病院送りになったのかは知らない。知る必要もない。向こうが仕掛けた戦争、こっちも戦術兵器を起動しただけだ。

 

 だが問題は残る。リーダーが“堀北”だとバレた。もう隠せない。それだけで詰みだ。

 

 そこで俺はポケットから高円寺六介と書かれたリーダーカードを手に、偽装工作を始めた。

 

 

 

 高円寺六介をリーダーにしたのには理由がある。リーダーは正当な理由がなければリタイアできない。その制約で、クラス一の問題児を“縛る”つもりだった。だがその案はあっさりと破られ、高円寺はリタイア。リーダーカードだけが残った。

 

「オレがやる」

 

 須藤が言った。

 

「じゃあ……これ、使って」

 

 頭を丸めた洋介が取り出したのは、自身の頭髪で作られた金髪のカツラ。現地生産・手作り。これが地産地消ってやつだ。ちなみに軽井沢プロデュース。女子達の総力戦による、妙にクオリティの高いウィッグである。

 

 須藤は深く息を吐くと、無言で金髪のカツラをかぶった。手慣れた女子たちの手によって微調整され、あの特徴的な前髪の流れまで再現されていく。

 

 するとどうだ。金髪で大柄、胸を張り仁王立ち。思った以上に……悪くない。正直、顔は似てない。似てないのだが――雰囲気が似ている。

 

「似てはいないんだが……似ている……」

「何言ってんだ、お前」

 

 俺と洋介が頭を抱える一方で、女子たちは妙な達成感に包まれていた。

 

 さらに高円寺の“無駄に鍛え上げられた筋肉”を再現するべく、ジャージの内側に簡易トイレの袋を敷き詰める。学校がいくらでも用意してくれるので、遠慮なくガンガン詰める。肩、胸、背中、腹部――高円寺のシルエットへ近づくまで、惜しみなく。

 

 かなり暑そうだ。いや、暑いどころではない。そのうち蒸し風呂状態になるだろう。だがこちとら退学の危機を救ってやったんだ。このぐらいはしてもらわないと困る。

 

「歩き方は?」

 

 俺が問うと須藤は軽く顎をしゃくり、「問題ない。任せとけ」と短く返す。

 

 次の瞬間――胸を張り、肩で風を切る。意味もなく顎を引き、八割増しで尊大な態度。歩き方が……高円寺だった。

 

 完璧すぎて腹が立つ。

 

「じゃあ高円寺っぽいこと言ってくれ。合否判定するから」

「美しさ……究極……! 俺は須藤じゃねぇ。究極の美、高円寺だ!」

「やかましいわ」

 

 女子たちは拍手した。俺と洋介は顔を覆った。完璧すぎる。

 

 

 

 須藤――もとい“高円寺モドキ”は、堂々と森を進む。普通なら、リーダーであろう人物が一人で歩くなど論外だ。だが、それこそが狙いだった。

 

 わざと音を立てて歩く。枝を蹴り、葉を払い、堂々と足跡を残す。

 

「おい見ろ、あれDクラスの……!」

 

 茂みの奥でささやく声。須藤はわざとらしく溜息をつき、どこか斜に構えた仕草でカードリーダーにキーを差し込む。いちいち素振りが腹立つ奴だ。

 

 ピッ

 

 冷たい電子音が森に響く。

 

 

“更新完了”

 

 

 それだけでいい。彼らは勝手に想像するだろう。――Dクラスはリーダーを変えた、と。

 

 須藤は振り返り、気づいたふりもせず去っていく。背筋を伸ばし、王者の貫禄で。

 

 対して本物の堀北は、森のさらに奥。湿った土の匂いが漂う場所で、静かに息を潜めていた。

 

 綾小路が張り巡らせたルートどおり俺がおんぶで移動し、“人の目に触れない場所”でだけ更新を行う。

 

 だから、他クラスの目に映るのは、あくまで目立つ金髪の男=リーダーという構図だけ。

 

 実際の操作権は、ずっと堀北の手の中にある。だがそれを他クラスで知る者はいない。

 

「やっぱり高円寺がリーダーだ」

「見たか今の更新」

「鈴音は消えたって話だぞ?」

「じゃあ確定だな」

 

 ――勝手に確定させてくれる。

 

 須藤は、ただ歩く。堂々と、華やかに、存在を誇示するように。

 

 堀北は、ただ隠れる。静かに、冷静に、機械の音だけを響かせながら。

 

 同じ“更新”という行為が、まったく別の意味を帯びて森に刻まれていく。

 

 これが――Dクラスの戦い方。

 

 力じゃない。勢いでもない。ただ、見せる真実と隠す真実を入れ替える。それだけで戦況は反転する。

 

 須藤の足音が遠ざかる。堀北の息遣いは、森に溶けて消える。

 

 そして――森に残るのは、「リーダー=高円寺」という“確信”だけだった。

 

 

 

 森ってのは、不思議な場所だ。街中じゃ当たり前みたいに聞こえてくる雑音が、ここには一つもない。代わりに――自分の息遣いと、草木が擦れる音だけが延々と続く。

 

 俺は今、その森の真ん中で、堀北を背負って歩いている。背中から伝わる体温は思っていたより軽くて、でも責任はやたらと重たい。

 

「……重くない?」

 

 堀北が、申し訳なさそうに小声で言った。

 

「軽い軽い。実家の米袋の方がまだ重い」

 

 軽く返してみせる。

 

 半分冗談。半分は、本気。

 

「……褒め言葉として受け取るわ」

「ああ、ぜひそうしてほしい」

 

 俺の背中から、ふっと息を吐く気配。

 

 笑ったのか、呆れたのか――その境界線は、相変わらず謎だ。

 

 しばらく沈黙が続く。俺は足元だけを見て歩く。枝を踏まないように、石ころで足をくじかないように。ただ歩く。

 

 歩き続けないと、きっと立ち止まってしまうから。

 

「……ねえ」

 

 堀北の声が、少しだけ近づいた気がした。

 

「どうして、あなたが運ぶの?」

 

 俺はしばし言葉を探し――結局、飾らない答えを選んだ。

 

「俺の護衛失敗だからな」

 

 それ以上でも、それ以下でもない。

 

「守れなかった。だったら、今守る。責任って、たぶんそういうやつだろ」

 

 俺にとっては、ただそれだけの話だった。堀北はしばらく黙り――「合理的じゃないわね」と、静かに言う。

 

「もっと効率のいい役割が他にあるでしょう。あなたなら、動ける。走れる。稼げる。だから――」

「だからだよ」

 

 俺は言葉を被せる。

 

「俺みたいな奴が、“守れませんでした”って言い訳して、次も同じ顔で笑ってたら……」

 

 少しだけ息を吐く。

 

「たぶん俺、嫌いになる」

 

 誰をって? そりゃ――自分自身をだ。

 

「……馬鹿ね」

 

 短く吐き捨てるように言いながら、

 

「でも」

 

 すごく、柔らかい声で続けた。

 

「嫌いじゃないわ、そういうの」

 

 俺は苦笑する。

 

「そいつはどうも。好みの男のタイプが“馬鹿”ってことでいいのか?」

「調子に乗らないで」

 

 背中越しに、指でつねられた。ちょっと痛い。でも、不思議と悪くはない。

 

 静かな時間が戻る。森は相変わらず静かで、俺たちは相変わらず進み続ける。

 

 やがて――ほとんど聞き逃しそうな声で。

 

「……ありがとう」

 

 堀北が呟いた。

 

 俺は答えない。代わりに一歩、もう一歩と足を前に出す。この足取りが、正しいかどうかなんて知らない。

 

 でも俺は――守れなかったから、今守る。

 

 ただそれだけだ。それだけで、十分だった。

 

 

 

 甲高い汽笛が空を裂き、甲板に生徒たちが次々と集められていく。無人島試験――一週間にも及んだ真夏の悪夢は、ついに幕を下ろそうとしていた。

 

 そして結果発表の主役と言わんばかりに、真っ先に前へ歩み出たのは、Cクラスの龍園だった。口元にはいつものニヤついた笑み。自信満々というより、もはや勝利を前提にした顔つきだ。

 

「やっぱりよォ、無人島で優雅に過ごすならルールを理解しねぇとな?――なぁ、Dクラス?」

 

 当然のようにこちらを見る龍園。その視線には、同情でも敵意でもなく――ただの愉悦。

 

 要は、ナメられている。

 

 実際、俺たちDクラスの面々は疲労困憊で、あの体力お化けの須藤でさえ座り込みそうなほど消耗していた。

 

 そこに学年主任・間嶋先生の静かな声が響く。

 

「ではこれより保有ポイントの少ない方から、順位を発表する。最下位は――」

 

 一瞬、空気が張り詰めた。

 

 まずは――

 

「Cクラス。0ポイント」

 

 ……静寂。

 

 さすがの龍園も、ニヤついた顔を固まらせている。肩が一瞬だけ揺れたのを俺は見逃さなかった。

 

「おいおい、先生。聞き間違いじゃねぇのか?」

 

 龍園が食い下がるが、間嶋先生は涼しい顔だ。

 

「聞き間違いではない。結果に関する質問は一切受け付けていない。自分たちで受け止め、分析し次の試験へといかしてもらいたい」

 

 龍園は舌打ちしながらも何も言い返せず、瞳の奥でだけ怒りを燃やす。どうやら彼の中で、何かが狂ったらしい。

 

 「続いて、Bクラス、47ポイント。Aクラス、120ポイント」

 

 この瞬間、甲板の空気が一気に揺れる。残されたクラスは――ひとつだけ。

 

 龍園がゆっくりと顔を上げ、周囲を見渡す。眉が僅かに歪む。

 

「……ここよ」

 

 掠れた声。

 

 人垣の向こうから現れたのは、肩を俺に支えられながら歩く――堀北鈴音だった。

 

 ざわめきが走る。龍園の顔色が、はっきりと変わった。その瞬間、すべてを理解したのだ。

 

 そして――

 

「Dクラス、329ポイント」

 

 ざわめきではない。今度は爆発だ。

 

「えっ!?」「嘘でしょ!?」「Dクラスが!?」

 

 俺たちは言葉を失った。須藤も宮本も、池も、口を開いたまま固まっている。唯一、静かな笑みを浮かべた男がいた。綾小路清隆。……この男、やっぱり只者じゃない。

 

 俺は肩を支えながら、堀北に囁く。

 

「やるじゃないか、リーダーさん?」

 

 堀北は少しだけ視線を上げ、かすかに口元で笑った。

 

「当然よ。勝つために動いたんだから」

 

 その声は弱々しいはずなのに、なぜか誇らしげだった。

 

 そして俺は、視線を戻す。顔を引きつらせた龍園。――なんて顔してるんだ、お前。

 

 今にも噛みつきそうなその表情は、竜のような荘厳さはなく、まるで餌を横取りされた野犬のようだった。

 

 試験は終わった。勝者は――Dクラス。

 

 ただひとつ確かなのは、この勝利が偶然なんかじゃないということ。

 

 そして――静かに始まった何かは、もう止まらないということだ。

 

 


 

 

「思い返してみると、夢というより悪夢じゃねーか」

 

 ここまで回想を振り返ってみての率直な感想だった。

 

「命寿……それは、思ってても言わなくていいやつだよ」

「いや、でもさ。入学してからの一ヶ月ちょいで、部活紹介・ポイント騒動・勉強会・会長事件・無人島試験って、おかしくね? 普通の学校生活はどこに行ったんだよ」

 

 洋介は何とも言えない表情をする。そして身だしなみを整え部屋を出て行こうとする。

 

 「どっか行くん?」

 

 洋介は少し照れたように笑って、言いづらそうに口を開いた。

 

「軽井沢さんとサーカス見に行くことになってて……」

「サーカス? あのライオンの火の輪潜りの?」

「うん。船のレクリエーションで企画してるみたいで。せっかくだし、一緒にどう? って誘われて」

 

 南の海のクルーズでカップルがサーカスというのは悪くないと思う。だが俺はつい口が滑ってしまう。

 

「偽彼女にそこまで尽くす意味って、あるのかね?」

「……そういう言い方はやめてくれよ」

 

 洋介の声は静かだった。でも、その芯は固い。

 

「理由がどうあれ、彼女は困ってるんだ。だったら支えたい。それだけだよ」

 

 真っ直ぐで、少し不器用で。俺は肩をすくめるしかなかった。

 

「はいはい。聖人君主様には敵いませんわ」

「そんなんじゃないよ」

 

 互いに苦笑いで終わる。

 

「ま、これで少しは平穏に――」

 

 枕に顔半分埋めながらそう呟くと、急速に身体から力が抜けていくのを感じた。やっと地面でも砂利でもない柔らかいベッドに横になれて、冷房の効いた客室で、ふかふかの枕に頭を預けて――そう思ったところで、俺の意識は、そのまま闇に沈んでいった。

 

 

 

 ——ドンッ!!!!

 

 

 身体が跳ね上がるほどの衝撃音と共に、俺は反射的に目を覚ました。

 

「な、なんだ……?」

 

 次の瞬間、部屋の壁が揺れる。照明がちらつき、天井のどこかで何かが落ちる音が響いた。

 

 嫌な振動が船体を通して何度も伝わってくる。

 

 地震……いや爆発――?

 

 そう直感したときには、爆音が腹の底を殴った。反射でベッドから転げ落ちる。遅れて、焦げた匂いが鼻を刺した。

 

 鉄と油が焼ける匂い。非常灯だけが赤くぼんやりと点灯し、床は微妙に傾いていた。

 

「……嘘だろ」

 

 廊下の向こうから悲鳴が上がる。叫び声、怒号、走る足音。非常ベルが耳障りなほど鳴り響く。

 

 その全てが、ただ事ではない現実を叩きつけてきた。

 

 甲板に出た瞬間、真っ先に耳に飛び込んできたのは洋介の声だった。

 

「軽井沢さんっ!!」

 

 視線の先――荒れ狂う波に、白い影が飲み込まれていく。

 

 軽井沢恵。甲板から海へ、落ちたようだ。

 

「待ってろ!」

 

 洋介は一瞬も迷わず、手すりを飛び越えた。

 

「おい洋介!?」

 

 返事はない。夜の海に彼の姿が消える。真夜中の海は黒い壁のようで、空を覆う分厚い雲が、雷光で一瞬だけ白く浮かび上がる。

 

 そして、船の後方――機関部付近が、炎に包まれていた。燃え盛る炎が、荒れ狂う風に煽られて唸り声を上げる。しかも、船体ははっきりと左へ傾いていた。

 

「——命寿!」

 

 声の方を見ると、濡れた前髪を額にはりつかせた綾小路が立っていた。

 

「無事か?」

「……まぁ、なんとか。だが洋介たちが……」

「平田たちが……?」

 

 続けて堀北の姿も見える。彼女は手すりに掴まりながら、必死に体勢を保っていた。

 

「機関部で爆発が起きたみたい。状況はかなり悪いわ」

 

 その声は冷静だったが、指先は明らかに震えていた。

 

 次の瞬間、船体がさらに大きく揺れる。

 

「きゃっ——!」

 

 堀北の身体が大きくバランスを崩した。

 

「堀北!」

 

 俺が叫ぶより早く、彼女の身体は手すりの外側へ滑りかける。

 

 その瞬間――

 

「っ……!」

 

 綾小路が片手で近くの手すりを掴み、もう片方の手で俺の腕を引っつかんだ。

 

 俺は咄嗟に伸ばした手で、堀北の足首を掴む。

 

 三人で、ギリギリの一本鎖状態。冗談みたいな状況だが、笑えない。

 

「命寿……落とすなよ」

「落とすかバカ! 俺の命もかかってんだぞ!」

 

 必死に手を握りしめながら、俺はふと気づいてしまった。

 

 視界に入る、白い太もも。

 

 そして――水色。

 

「綾小路、ちょっといいか?」

「今は良くないと思うぞ」

「いや、どうしても伝えたい事がある」

「……なんだ」

「堀北のパンツ、水色だ!」

「そうか。オレたちのお先は真っ暗だけどな!」

「比喩のキレが無駄に良いな、お前!」

 

 その瞬間、堀北の足がピクッと動いた。

 

 次に俺が感じたのは――顔面に炸裂する衝撃。

 

「痛ッ!?」

 

 蹴られた。完全に蹴られた。

 

 こんな状況で、パンツを見られた恥ずかしさを優先する精神力に感服する。

 

 いや、感服してる場合じゃない。徐々に船体が傾き限界は近い。状況は最悪だ。

 

 

 とびきり大きな爆発が空を割ったとき、世界が、ひっくり返った。

 

 

 綾小路も、堀北も、俺も——海へ。

 

 

「エ〇同人やな〇う系サバイバルものじゃねーんだぞォォォ!!!! あぁぁぁあああ!!」

 

 

 俺の情けない叫び声だけが、黒い海と荒れ狂う嵐に飲み込まれていった。

 

 そのときの俺はまだ知らなかった。笑いながら流してきた出来事が、本当の地獄の入口だったなんて。

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