姫騎士(肉食)共から貞操を守りつつ、僕の騎士道がハードモードすぎる   作:お庭屋さん

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殿下だ余。


第27話(閑話):皇女殿下の『目』

 グラディウス帝国の夜は、冷徹な美しさに満ちている。

 帝都の最高点に位置する皇太女執務室の窓からは、無数の灯火が地上の星のように瞬いているのが見える。

 だが、余――アンドレア・フォン・グラディウスの瞳に映っているのは、その華やかな夜景ではない。

 さらにその先、遥か南、暗雲立ち込める辺境の地「ブレスダン」だ。

 

「……ふむ。やはり、ここから見える訳もなし……か。」

 

 余は手元にある琥珀色の酒――最高級のヴィンテージブランデーを揺らしながら、独りごちた。

 つい3週程前まで、この執務室には「彼」の気配があった。

 

 余の向かい側に座り、物理的な距離を保とうと身を固くし、それでいて放たれる野性味と誠実さを隠しきれなかった、あの男。

 

 エヴァン・クロード・マドゥワス。

 彼が座っていたソファーの窪みは、もうとっくに消えてしまった。だが、余の肌にはまだ、彼が放っていた熱い体温の残滓が焼き付いているような錯覚さえある。

 

 彼が帝都を出立する前日の、あの甘美な夜を思い返していると、控えめなノックの音が静寂を破った。

 

「入れ。」 

「失礼致します殿下、例の『目』より報告が届いております。」

 

 入室してきたのは、側近であり余の数少ない理解者、フリーダ・マイヤ女爵だ。彼女は慇懃な礼を崩さぬまま、一束の書簡を差し出した。

 

「ああ、マイヤか。待っていたぞ。……南の果てで、余の騎士はどう足掻いている?」

「『騎士』、ですか。……今の彼は、騎士というよりは泥塗れの農夫、あるいは崩れかけた家の主と呼ぶ方が相応しい状況のようですが。」

 

 マイヤの声には、微かな懸念が含まれていた。

 彼女もまた、エヴァンという男の特異さを認めている一人。

 だからこそ、彼が直面している「現実」の過酷さを、余以上に案じているのかもしれない。

 余は書簡を受け取ると、そこに記された「事実」を一つずつ、舌の上で転がすように読み解いていった。

 

『マドゥワス領ブレスダン。昨秋の収穫量は例年の三割。貯蔵庫の底は見え、冬を越すための薪さえ不足。領内の主力であった女性兵の多くは帝都への供出により不在。残されたのは、明日をも知れぬ老人と子供、そして戦う術を持たぬ民のみ。まさに死に体である。』

 

「ククッ……クフフ……。」

 

 喉の奥から、乾いた笑いが漏れた。

 ひどい惨状だ。余の庭にある果実が、これほどまでに痩せ細り、毒に侵された土壌に放り出されたとはな。普通に考えれば、その果実は熟す前に枯れ、泥の中に消えていくのが道理だろう。

 

「殿下、あまりお喜びになるような状況ではございません。報告によれば、マドゥワスの屋敷もまた荒廃し、領主代行である彼を支える資金も労働力も皆無に等しいとのこと。……このままでは、彼が騎士として立ち上がる前に、空腹と絶望に押し潰されてしまいます。」

「マイヤ。お前は相変わらず、物事の『表層』しか見ぬな。」

 

 余は立ち上がり、窓辺へと歩み寄った。ガラスに映る自分自身の瞳が、獲物を待ちわびる捕食者のように鋭く光っている。

 

「土壌が肥沃である必要などない。むしろ、その土が毒に満ち、石が敷き詰められているからこそ、それを突き破って芽吹く生命は、天を衝くほどの大樹となる。……奴は、余が戦場へ送った時でさえ、一度たりとも膝をつかなかった男だ。これしきの飢えが、奴の魂を汚せるとでも思うか?」

 

 余はグラスを掲げ、見えない南の騎士へ向けて杯を捧げる。

 彼に過酷な軍務を命じたのは、余だ。蛮族の刃を浴び、魔物の牙を凌がせ、その肉体に幾つもの不名誉を刻ませたのも、余の意志だ。

 だが、それは彼を壊すためではない。

 

 手折ってしまえば花は枯れる。

 籠に閉じ込めれば、鳥は歌を忘れる。

 

 余が愛でたいのは、絶望的な窮地にあってもなお、その眼光を失わずに「再生」を誓う、エヴァン・クロード・マドゥワスという騎士の、魂の輝きなのだ。

 

「……さて。その死にかけた大地で、奴は最初の一歩をどう踏み出した? 報告の続きを話せ。奴は、民の前で何を語ったのだ?」

 

 余の問いに、マイヤは複雑な表情を浮かべながら、次の報告書を捲った。そこには、ダンテ市の広場で行われた、「異質」な演説の内容が記されていた。

 

 

 ☆

 

 

「……ほう。群衆の前で、肌を晒したというのか。あの、潔癖なまでに真面目な男が?」

 

 マイヤが読み上げる報告の一節に、余は思わず身を乗り出した。

 想像するだけで、背筋に心地よい戦慄が走る。

 エヴァンという男は、羞恥心というものを人一倍持ち合わせていた。

 余が帝都の夜に彼を弄んでいた時も、彼は顔を赤く染め、視線を泳がせ、必死に「男としての慎み」を守ろうとしていたものだ。

 

 その彼が、衆目の中で己の肉体を晒した。それも、淑やかな美しさを誇示するためではなく、醜く、荒々しい「戦いの痕」を見せつけるために。

 

「はい。報告によれば、エヴァン卿は自ら軍服の袖を捲り、首元を剥き出しにしたとのこと。……そこには、帝国の最前線での負傷、そしてシルバッツ大森林での死闘で刻まれた無数の傷跡が、まるで地図のように這い回っていたと聞き及んでおります。」

 

 マイヤの声が、微かに震えていた。それは恐怖か、それとも畏怖か。哀れみか。

 余は目を閉じ、その光景を脳裏に鮮明に描き出す。

 

 蛮族の鈍色の刃が引き裂いた、盛り上がった古傷。

 魔物の鋭い爪が深く抉り、歪に癒着した皮膚。

 そして、戦場を駆ける中で幾度となく打ち付けられ、硬く変質した強靭な筋肉。

 

「……ああ、愛い奴だ。実に良い。」

 

 喉の奥から、熱い溜息が漏れた。

 それらの傷は、すべて余が彼に与えた「試練」の副産物だ。

 余の執務室で、余の指先一つで、彼を最前線の地獄へと送った。誰もが「男には無理だ」と嘲笑った死地を、彼は余の命令を完遂するためだけに、泥を啜り、血を流しながら駆け抜けた。

 

 余の指が直接彼を傷つけたわけではない。

 だが、間違いなく、余の意志が彼の肉体にその紋章を刻み込んだのだ。

 

「世間の女どもは、その傷を見て『醜い』と顔を背けるのだろうな。清廉を気取った厚顔無恥の女騎士どもなら、なおさらのことだ。……ククッ、実に滑稽ではないか。奴が手に入れた真実の輝きを、誰も理解できぬとは。」

 

 余は指先で、空中に彼のアゴのラインをなぞるように動かした。

 浅黒く日焼けし、余が近づく度に眉間に皺を寄せる『醜い』顔。余の愛してやまない愛しい顔。

 今はそこに一筋の傷が走り、更に野性味に塗り潰されているだろう。

 嗚呼、堪らない。堪らなく滾る。

 

「マイヤ。余は嬉しいのだ。……奴が、自らの傷を『不名誉』ではなく、『力』として受け入れたことがな。守られるだけの存在であることをやめ、自らの肉体を盾にして民を守る『騎士』としての覚悟を決めた。……それは、余が彼奴に期待した以上の進化だ。」

「……殿下は、最初からこれを見越して、彼を過酷な戦場へ?」

 

 マイヤは引きつった笑みを浮かべ、恐る恐る問う。

 

「まさか。余は神ではない。ただ、奴の魂が窮地でこそ最も激しく燃えることを知っていただけだ。……あの傷は、奴が余の隣に立つための『代価』よ。帝国という巨大な重圧に抗い続け、自らを研ぎ澄ませた結果、剥き出しになった魂の形なのだ。」

 

 余は机に置かれたエヴァンの調査報告書を、愛おしげに指で撫でた。

 この世の男たちが「美しさ」を競い合う中で、ただ一人、自らの「醜さ」を誇りとして掲げる男。

 その異様さ。その孤独な高潔さ。

 

 ああ、エヴァン。お前はどこまで余を愉しませてくれる?

 その傷だらけの腕で、お前は次は何を掴み取るつもりだ?

 

「報告を続けろ、マイヤ。その傷を見た民どもは、どう反応した? ……恐怖に震えたか? それとも、あの高潔な『狂気』に、魅了されたか?」

 

 

 ☆

 

 

「……『共に泥にまみれよう』、か。ククッ、高潔なマドゥワスの若君が、民を率いるために選んだ言葉がそれとはな。」

 

 マイヤが報告を終えると、余は抑えきれない愉悦と共に、背後の重厚な椅子へと深く身を沈めた。

 広場に集まった女どもが、最後には男である彼の足元に跪き、その咆哮に唱和したという。

 想像するだけで、その場に渦巻いた熱気が肌を焼くようだ。

 彼女たちは、エヴァンの「言葉」に屈したのではない。その「傷」に、そしてその「魂」に心を射抜かれたのだ。

 

「殿下。……マドゥワス卿は、私たちが思っていた以上に、あの土地に根を張るつもりのようです。これはもはや、単なる領主代行の仕事ではありません。彼は本気で、あの死に体の大地を『再生』させようとしております。」

「当たり前だ、マイヤ。奴が中途半端な真似をすれば、余がその首を撥ねていたところだ。……だが、面白い。実に面白いではないか」

 

 余は窓の外、漆黒の闇の向こうに広がる南の空を見据えた。

 かつてこの部屋で、奴は余に誓った。『最強の騎士となって、再び余の前に立つ』とな。

 あの時はまだ、ただ余の腕からすり抜ける為の方便に過ぎぬ言葉だと思っていた。

 だが、報告を聞く限り、あの果実は余の思惑を超えた速さで、その皮を脱ぎ捨て、強靭な芯を育てつつある。

 帝国という巨大な重圧。余が与え続けた過酷な軍務。

 それらは奴を壊すための槌ではなく、奴という鋼を打つための槌だったわけだ。

 

「見ていろ、マイヤ。このブレスダンという地は、エヴァン・クロード・マドゥワスという触媒を得て、エテルニア大陸の中央に咲く最も鋭き『茨の城』となるだろう。奴が泥を掻き出し、石を積み上げ、飢えた民を最強の兵へと鍛え上げる様が今からでも目に浮かぶ。」

「……その時、彼はもはや『守られるべき男』ではなく、帝国にとっても無視できぬ存在となるかもしれませんね。」

「それでいい。むしろ、そうでなくては困る。次期グラディウス皇帝となる余が娶るのだからな。」

 

 余は、空になったグラスを執務机の端に置いた。

 もしエヴァンが、ただの美しき令息のままであったなら、余はいつか飽き、奴を籠の鳥として腐らせていただろう。

 だが、今の奴は違う。

 自らの醜さを誇り、自らの腕で運命を切り拓こうとするその姿は、余という捕食者さえも戦慄かせる、真の『個』としての輝きを放ち始めている。

 

「早く育て、エヴァン。お前がその大地を再生させ、真に『最強』を名乗るに相応しい牙を得た時……。」

 

 余は窓に映る自分の顔を見つめた。そこには、帝国を統べる皇太女としての冷徹な仮面ではなく、未知の強敵との相見える日を待ちわびる、一人の女としての残酷な期待が浮かんでいた。

 

「その時こそ、余はお前を『対等』として迎え入れてやろう。余の隣で、共にこの帝国の未来を喰らう一翼としてな。……それまでは、精々その泥水を啜って、己を磨き続けるがいい。」

 

 余は指先で、南の空に向かって一筋の弧を描いた。

 マドゥワスの灯火は、もう消えることはない。

 それがいつか、帝都の夜をさえ焼き尽くすほどの激しい炎となり、余の前に帰還するその日を。

 

「フフッ……待っているぞ、愛しい余の騎士よ。」

 

 夜の静寂が戻った執務室に、余の低い笑い声がいつまでも溶け残っていた。

 南の果て。

 そこには今、一人の騎士が確かに立っている。

 その事実だけで、余の退屈な帝都の夜はこれ以上ないほど甘美なものへと変わったのだ。

メインキャラが増えてきたので....みんなの好きなキャラを教えてくれぇ!!!書くわよ〜!!!!

  • ルイーズ・ロンズデール
  • ネリー
  • サーシャ、クロエ、ミリア他騎士団
  • アンドレア殿下
  • ガーベラ
  • アグニ
  • バルバラ
  • 上記以外のキャラクターは感想等で教えてね
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