姫騎士(肉食)共から貞操を守りつつ、僕の騎士道がハードモードすぎる 作:お庭屋さん
夜明け前のマドゥワス屋敷は、凍てつくような静寂に包まれていた。
窓の外、ダンテ市の家々の屋根が薄っすらと白く染まっている。冬の足音は、僕たちが思っているよりもずっと近くまで迫っているようだ。
僕は寝室の鏡の前に立ち、ゆっくりとマントを脱ぎ捨てた。
鏡の中に映っているのは、もう見慣れてしまった自分の姿。
180センチを超える長身に、死線を潜り抜けるたびに厚みを増した肩の筋肉。そして、首筋から腕、腹部にかけて這い回る、無数の、生々しい傷跡。
この世界の「男としての美徳」に照らせば、この肉体は醜悪そのものだろう。
男は細く、白く、淑やかでなければならない。
傷などはもっての外で、ましてや力仕事に耐えうる筋肉など、野蛮の象徴として蔑まれるのが当たり前だ。
だが、僕はもう、あの頃の「お飾りの若様」には戻れない。
戻るつもりもなかった。
「……よし。」
僕は椅子に置いてあった「衣装」を手に取った。
それは、王都から持ち帰った金糸の刺繍が施された騎士服ではない。マドゥワス家の紋章が入った重厚なサーコートでもない。
それは、かつて僕が帝都へ労役に出向く前に、ココノ村の農民たちと共に灌漑を直していた際に使っていた、古びた麻の作業着だった。
ばあやが、いつか僕が帰ってきた時のためにと、大切に保管してくれていたものだ。
生地は硬く、あちこちに当時の泥の汚れが染み付いている。今の僕の体格には少し窮屈だったが、袖を通すと、懐かしい土の匂いが鼻腔をくすぐった。
革のベルトをきつく締め直し、使い古した長靴を履く。
腰に下げるは、剣ではなく、多目的に使える実用的な短剣と、作業用のスコップだ。
鏡の中の僕は、もうどこからどう見ても、貴族の嫡男には見えないな。
ただの、泥まみれになることを決めた一人の男。
だが、その瞳に宿る光だけは、帝国にいた頃よりもずっと強く、澄んでいた。
部屋を出ようとした時、扉の横に影が立っているのに気づき、僕は足を止める。
「……起きていたのか、ばあや。」
ガーベラだった。
彼女はいつも通り、乱れ一つないメイド服に身を包み、背筋を正して僕を見つめていた。その手に、使い込まれた裁縫道具を持っているのを見て、僕は苦笑した。
「ああ、すまない。少し肩周りがきつくてね。綻ばせてしまうかもしれない」
「構いませんよ、エヴァン様。綻んだのであれば、そのたびに私めが縫い直しましょう。主の歩みに合わせて形を変えるのが、服というものでございますから。」
ガーベラは僕の元へ歩み寄ると、作業着の襟元を整えた。
彼女の指先は冷たかったが、その眼差しは陽だまりのように温かい。
「エヴァン様。世の女性たちは、男が外で働くことを『辱め』と呼びましょう。ですが、マドゥワスの血は、民の飢えを放っておくことを何よりの屈辱と教えました。……今日、あなたがなさることは、どの武勲よりも尊き戦いでございます。」
「……ありがとう、ばあや。」
彼女の言葉が、僕の迷いを完全に払拭してくれた。
この世界の常識を敵に回しても、この屋敷だけは、僕を騎士として認めてくれている。それがどれほど心強いことか。
「朝食は、広場で皆と同じものを食べる。……屋敷の備蓄は、今日からすべて配給に回してくれ。僕の分もだ。」
「承知いたしました。……エヴァン様、どうかお怪我のないよう。あなたのその御手は、この領地の宝なのですから。」
ガーベラの深々とした一礼に見送られ、僕は屋敷を後にした。
外の空気は、肺を凍らせるほどに鋭かった。
まだ夜の帳が降りているダンテ市の通りを、僕は一人で歩き出す。
向かう先は、市内を抜け、荒野へと繋がる主要灌漑路の起点だ。
昨日の演説で、民の心は一つになった。
だが、心だけでは腹は膨れない。
今日、僕は証明しなければならない。
僕のこの体が、この肉が、そしてこの傷跡が――。
ただの醜い変質ではなく、ブレスダンを再生させるための「盾」であり、「剣」であることを。
夜明けの光が、東の空から薄っすらと漏れ始めた。
僕は足を早める。
僕たちの、本当の戦いが始まる。
☆
ダンテ市の外れ、荒野との境界に近い主要灌漑路。
そこは、かつて母上がこの街を興した際に命綱として整備したはずの場所だった。
だが、目の前に広がる光景は無残だった。
水路は堆積した泥と、上流から流れてきたであろう巨石によって完全に塞がれ、澱んだ水が腐臭を放っている。本来ならここを通って下流の麦畑を潤すべき水が、行き場を失って湿地のように溢れ出していた。
そこでは、十数人の女性たちが泥にまみれて作業をしていた。
徴兵や重い労役から外れた、年配の者や体の細い若い娘たちだ。彼女たちは錆びついた鍬や、底の抜けた手桶を使い、必死に泥を掻き出そうとしている。だが、その動きは鈍い。寒さと飢え、そして終わりの見えない重労働が、彼女たちの気力を根こそぎ奪っているのは明らかだった。
僕が足音を立てて近づくと、一人の年配の女性が顔を上げた。
「……若様?」
彼女の掠れた声に、周囲の女性たちが一斉に作業を止め、僕を凝視した。
麻の作業着に身を包み、スコップを手にした僕の姿を見て、彼女たちの顔に驚愕と、それから強い拒絶の色が走る。
「わ、若様、何をなさっているんですか! こんな汚い場所に、男の人が……ましてや領主代行様が来られるなんて!」
「帰ってください、若様! ここは私たちの仕事です!男の人が泥にまみれるなんて、そんな……見ていられません!」
彼女たちは悲鳴に近い声を上げ、僕を押し戻そうと泥だらけの手を伸ばしかけて――僕の「肉体」を間近に見て、その動きを止めた。
捲り上げた袖から覗く、鋼のように硬く盛り上がった前腕。作業着越しにも分かる、厚い胸板と広い肩幅。
そして何より、首筋から覗く生々しい古傷の数々。
彼女たちが知る「男」とは、家の中で守られ、柔らかな肌を慈しまれる存在だ。
だが、目の前に立つ僕は、そのどれにも当てはまらない。
「そこを退いてくれ。」
僕は静かに、だが拒絶を許さない声で言う。
「若様、いけません! ここは冷たいし、泥の中には何があるか……。」
「いいから退くんだ。大丈夫、任せてくれ。」
僕は彼女たちの制止を片手で制し、迷わず水路の縁から飛び降りた。
――冷たい。
秋口の早朝の泥水は、まるで無数の針のように肌を刺した。足首まで泥に埋まり、腐敗した有機物の臭いが鼻を突く。
背後で「ああっ!」という悲鳴が上がったが、僕は構わず、水路を塞いでいる最大の元凶――大人の胴体ほどもある巨石へと歩み寄った。
「……フンッ!」
泥の中に深く手を差し込み、指先を岩の隙間に引っ掛ける。
背筋に力を込め、脚の踏ん張りを泥の底へと伝える。
ぐ、と腕の筋肉がはち切れんばかりに膨らみ、首筋の血管が浮き出た。
同時に全身の魔術回路へと魔力を通し、身体強化魔術を発動させる。
筋繊維や血管を魔力で強化し、自力以上の力を発揮する為の魔術。適正のある者のみにしか使えぬ力だ。
村の者が使えぬというのなら、僕がやる。
――どぷん、と鈍い音がして、水路を塞いでいた岩が泥の中から引き剥がされた。
僕はそれをそのまま、水路の脇の堤防へと放り投げる。
続いて、固着した泥の塊をスコップで叩き壊し、力任せに掻き出していく。
一人で、十人分以上の速度。
作業を止めた女性たちは、ただ呆然と僕の背中を見つめていた。
泥を跳ね上げ、汗を流し、傷だらけの身体を躍動させて働く「男」の姿。
それは彼女たちが信じてきた世界の秩序を、根本から叩き壊す光景だった。
男は弱く、美しいもの。
だが、今そこにいるのは、誰よりも強く、誰よりも荒々しく、そして――。
「……なんて、力だ……。」
誰かが、震える声で漏らした。
その声には、蔑みはなかった。あるのは、剥き出しの「力」に対する、本能的な畏怖と、かすかな希望。
「……すまない。僕が跳ねた泥を運んでくれないか。」
僕は顔にかかった泥を腕で拭い、彼女たちを振り返らずに言った。
その腕に刻まれた傷跡が、朝日に照らされて赤黒く光る。
「……若様……。」
一人、また一人と、彼女たちが鍬を握り直す音が聞こえた。
「……やるよ。若様があそこまでやってるんだ。アタシたちが、休んでられるわけないだろう!」
一人の女性が水路に戻り、僕の隣で泥を運び始める。
やがて、その動きは波のように広がっていった。
冷たかった水路に、熱が宿り始める。
僕はただ、無言でスコップを振り続けた。
泥を掻き出すたびに、マドゥワスの領主代行としての責任が、僕の肉体に重く、確かな充足感となって刻まれていくのを感じていた。
☆
陽が傾き始めた頃、僕の感覚はとうに麻痺していた。
肩の筋肉は悲鳴を上げ、泥を掴む指先は冷たさを通り越して、熱を帯びたような鈍痛に変わっている。
それでも、スコップを振り下ろす手は止めなかった。僕が止めれば、この熱が、ようやく回り始めたこの空気が、冷めてしまうような気がしたからだ。
「……っ、あと少しですっ……!」
僕のすぐ横で、泥まみれになりながら声を上げたのはネリーだった。
村人達の「若様が泥塗れでびちょびちょだよ!」という通報(?)を受け、血相を変えて屋敷から駆けつけてきた彼女とルイーズは、僕の姿を見るなり絶句していたが、僕が「これは戦いだ」と一言告げると、迷わず泥の中に飛び込んできた。
彼女たちの助けは大きい。
僕の身体強化魔術は、彼女たちの物と比べて非常に燃費が悪い。すぐに反動が来るし、持久力もあまり無い。
それに比べ、流石はこの世界の女性と言うべきか、底なしか?疑いたくなるようなスタミナで泥かきを進める彼女たち。
全く……、何のために必死に己の身体を鍛え上げたと思っているんだ……。敗北感半端ないぞコレ。
「エヴ様、最後の一押しです! セイッ!」
ルイーズが大きな鉄製の杭を、水路の最奥に固着した泥の塊へと打ち込む。
僕は彼女の合図に合わせて、最後の手掛かりとなる大きな石に肩を預けた。
全身のバネを使い、残ったすべての力を足裏から泥の底へ叩きつける。
「――おおおぉぉっ!!」
ぐ、と世界が動いた。
嫌な音を立てて泥の壁が崩れ、僕の身体は行き場を失った重力に従って前へのめり込む。
その直後だった。
――ゴボッ、という、地の底から湧き上がるような咆哮。
堰き止められていた黒い泥水が、一気に決壊した。
僕の足元を、そして膝を、凄まじい勢いの奔流が通り過ぎていく。最初は汚れを含んだ濁った水だったが、やがてそれは、冬の澄んだ陽光を反射する清らかな流れへと変わっていく。
「流れた……流れたよ!」
「おぉ! 水が来たよ!!」
水路の脇で、土手を補強していた女性たちが歓喜の声を上げた。
乾ききっていた下流へと、水が音を立てて吸い込まれていく。それはただの水ではない。この領地を、民の腹を、そして僕たちの希望を潤すための、ブレスダンの「血」そのものだ。
僕は膝をついたまま、その流れをただ見つめていた。
荒い呼吸と共に、肺が熱く焼ける。だが、これほどまでに心地よい疲労感は、帝国での一年間のどこにもなかった。
「……やり、ましたね。エヴ様。」
ルイーズが泥だらけの顔で、白い歯を見せて笑った。
ネリーもまた、乱れた髪を乱暴にかき上げながら、誇らしげに水路を眺めている。
作業を終えた僕たちが堤防の上に這い上がると、そこにはいつの間にか、大きな鍋が運ばれてきていた。
湯気を上げているのは、ダンテの街から運ばれた配給の粥だ。
「若様……これ、食べてください。こんなものをお貴族様にお出しするなんて本来なら打首ものでしょうが……。」
一人の村の女性が、木の器に盛られた粥を僕に差し出した。
その手は泥で汚れ、あかぎれでひび割れていたが、器を持つ所作には、今朝までの「男への蔑み」や「困惑」などは欠片もなかった。
「そんな事はないさ、有難く頂くよ。ありがとう。」
僕は地面に座り込み、その粥を啜った。
味付けなんてほとんどない、ただの薄い粥だ。だが、喉を通る熱が、震えていた僕の芯を力強く温めていく。
見渡せば、隣では領民たちが、そして僕の騎士たちが、同じように泥だらけのまま肩を並べて粥を啜っていた。
本来なら、領主代行である僕が平民と同じ場所で、しかも地面に座って食事を摂るなど、この国の常識ではあり得ない不祥事だろう。
だが、今ここにあるのは、階級や性別の壁を超えた、一つの「戦場」を生き抜いた戦友たちの連帯感だった。
「…………。」
ふと視線を感じて顔を上げると、少し離れた場所に、屋敷から様子を見に来ていたガーベラの姿があった。
彼女は、泥まみれで地面に座り込む僕を見ても、眉一つ動かさなかった。
ただ、その慈愛に満ちた瞳で、静かに僕を――そして一つになったブレスダンの民を、見守っていた。
彼女が小さく頷き、静かに微笑むのが見えた。
空はいつの間にか、燃えるような夕焼けに染まっている。
僕は空になった器を置き、自分の泥だらけの掌を見つめた。
爪の間に土が入り、豆が潰れ、傷跡はさらに増えたかもしれない。
けれど、この手で掴んだものは、王都の舞踏会で交わされるどんな言葉よりも、帝都の執務室で下されるどんな命令よりも、僕にとっては価値のあるものだった。
マドゥワスの灯火は、まだ消えていない。
再生への第一歩は、泥まみれの足跡となって、確かにこの大地に刻まれたのだ。
メインキャラが増えてきたので....みんなの好きなキャラを教えてくれぇ!!!書くわよ〜!!!!
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ルイーズ・ロンズデール
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ネリー
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サーシャ、クロエ、ミリア他騎士団
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アンドレア殿下
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ガーベラ
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アグニ
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バルバラ
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上記以外のキャラクターは感想等で教えてね