姫騎士(肉食)共から貞操を守りつつ、僕の騎士道がハードモードすぎる   作:お庭屋さん

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第47話:絶望の淵

 王都からの決死の脱出から、一夜が明けた。

 ブレスダンの空は、僕たちの心を表すかのように分厚い鉛色の雲に覆われ、音もなく重い雪を降らせ続けている。

 

 窓の外、白一色に染まった庭を見つめる。

 昨日まで、そこには雪かきをする男性たちの活気ある声や、アグニの無邪気な笑い声が響いていたはずだ。けれど今は、死んだように静まり返っている。

 

 僕は鏡の前に立ち、黒い布切れを左腕に巻いた。

 喪章だ。

 鏡の中に映る自分と目が合う。泣き腫らして充血した瞳。無精髭が伸び、頬の傷跡が痛々しく引きつっている。酷い顔だ。

 だが、もう泣いている時間はない。

 

「……行かなくちゃな。」

 

 僕は自分の頬を両手で叩き、無理やりに気合を入れた。

 母上は逝った。

 国の頂点である国王陛下も、暗殺された。

 僕たちは今、国王殺しの大罪人であり、国を売ろうとする逆賊たちから追われる「獲物」だ。

 悲しみに暮れている暇など、一秒たりとも残されていない。

 

 部屋を出て、廊下を歩く。

 屋敷の中は冷え切っていた。使用人たちともすれ違ったが、誰も言葉を発しない。

 ただ、赤く腫れた目で僕を見て、深く頭を下げるだけだった。

 その沈黙が、失ったものの大きさを物語っている。

 

 僕は広間へ向かう前に、一つの部屋の前で足を止めた。

 ネリーが使っている客室だ。

 静かに扉を開けると、暖炉の火が揺らめく薄暗い部屋の中で、ベッドに横たわるネリーの姿があった。

 顔色は蝋のように白く、浅い呼吸を繰り返している。

 王城の階段での死闘。失血と、限界を超えた魔力の行使。命を取り留めたのが奇跡と言える状態だった。

 

「……アグリム。」

 

 ベッドの脇、椅子に座り込んでいたアグニが、僕に気づいて顔を上げた。

 彼女はネリーの冷たい手を両手で包み込み、自分の頬を押し付けて温めようとしていた。

 

「ネリー、オキナイ。……ズット、ネテル。」

 

 アグニの声は震えていた。

 野生の勘が鋭い彼女は、死の匂いに敏感なのだろう。

 だからこそ、ネリーの命の灯火が弱まっていることに、誰よりも怯えている。

 

「大丈夫だ、アグニ。ネリーは強いから、きっと目を覚ますよ。」

 

 僕はアグニの頭を撫でた。

 だが、アグニは首を横に振った。

 その瞳に、涙が滲む。

 

「カアチャンモ……ソウダッタ。」

「え……?」

「カアチャン、サイゴ……ツメタカッタ。……ネリーモ、ツメタイ。……イヤダ。アグリム、ナントカシテ。」

 

 その言葉が、鋭利な刃物のように僕の胸を抉った。

 カアチャン。母上のことだろう。

 アグニにとって、あの強くて温かい人は、短い間でも確かな「母親」だったのかもしれない。

 その母が冷たくなって消えてしまった記憶が、ネリーの状態と重なって見えることに恐怖を抱いてるのだ。

 

「……ごめん。ごめんな、アグニ。」

 

 僕は唇を噛み締め、アグニを抱きしめることしかできなかった。

 何とかしてやりたい。

 でも、僕には祈ることしかできない。

 ……無力だ。

 王都へ行き、何も成せず、ただ傷ついて帰ってきただけ。母上をあそこに置き去りにして。

 

「……行ってくるよ。ネリーのこと頼めるか?」

「ウン………。ネリート、イッショニイル。」

 

 僕は逃げるように部屋を出た。

 これ以上ここにいれば、また膝が折れてしまいそうだったから。

 今は、領主として振る舞わなければならない。

 領地と領民と、付き従ってくれる皆のために。

 生き残った者たちの命を、これ以上散らせないために。

 

 屋敷の大広間。

 重厚な扉を開けると、そこには既に主要なメンバーが集まっていた。

 

 全身に包帯を巻き、痛々しい姿ながらも直立不動で待つルイーズ。

 いつもの豪快さは鳴りを潜め、腕を組んで壁に寄りかかるバルバラ。

 そして、主を失った悲しみを押し殺し、毅然と控える老執事ガーベラ。

 部屋の中央にある長机。

 その上座――かつて母上が座っていた席は、空席のままになっている。 

 僕はその席の前に立ち、全員を見渡した。

 

「……集まってくれて、ありがとう。」

 

 僕の声は、自分の声か分からないほどにしわがれていた。

 

「全員、昨日の今日で心の整理も付いていないだろうが……。……だが、状況は待ってくれない。僕たちがこれからどう動くか、決めなければならない。」

「エヴァン様。」

 

 ガーベラが一歩進み出た。

 その手には、王都周辺の地図と、周辺諸侯の配置図が握られている。

 

「現状の整理を。……宜しいでしょうか。」

「ああ。頼む。」

 

 ガーベラは地図を机に広げ、赤い駒を王都の位置に置いた。

 

「現在、王都ベルリネはグルーゲル子爵や反ラウラ派を主体を中心とする『徹底抗戦派』……実質的な売国派によって完全に掌握されております。彼らは国王陛下暗殺の罪をラウラ様とエヴァン様に被せ、既に『逆賊討伐』の勅命を出しているとの情報が入りました。」

 

 逆賊。

 予想はしていたが、やはり早い。彼らにとって、僕たちは生かしておけない証人だからな。

 

「敵の戦力は、王都を守護する正規軍と彼らの私兵を合わせて数千、あるいは一万を超えるでしょう。対して、我々の戦力は……。」

 

 ガーベラは言葉を濁し、僕たちを見た。

 満身創痍の僕とルイーズ。

 マドゥワス騎士団、二十八名。

 バルバラ率いる傭兵団、約百名。

 

 勝負にすらならない。

 蟻が巨象に挑むようなものだ。

 

「……追っ手がブレスダンに来るまでの猶予は?」

 

 僕が問うと、バルバラが重い口を開いた。

 

「早けりゃ三日。……遅くても一週間だ。奴らは本気だぜ。野盗の時みたいに、舐めてかかってくることはねえ。正規軍が、攻城兵器を持って押し寄せてくるだろうよ。」

 

 三日。

 それが、僕たちに残された時間だ。

 

「……選択肢は、二つだ。」

 

 僕はテーブルに両手をつき、全員の目を見て告げた。

 

「この屋敷に籠もり、徹底抗戦するか。……あるいは、別の道を探すか。」

 

 重苦しい沈黙が落ちる。

 戦えば全滅。それは明白だ。言わなくたって皆わかっているはず。

 どれだけバルバラたちが強くても、数千の軍勢には勝てない。

 そして何より、ブレスダンが戦場になれば領民が巻き添えになる。

 

「……僕の考えを言う。」

 

 僕は覚悟を決めて、言葉を紡いだ。

 

「土地を、捨てる。」

「なッ……!?」

 

 ルイーズが目を見開き、悲鳴のような声を上げた。

 ガーベラも息を呑む。

 無理もない。このブレスダンは、母上が一代で築き、僕たちが泥にまみれて再生を誓ったばかりの土地だ。

 それを捨てろというのは、領地を治める者にとって、魂を捨てろと言うに等しい。

 

「勘違いしないでくれ。諦めるわけじゃない。」

 

 僕は拳を握りしめた。

 

「土地は、また取り戻せる。……だが、命は戻らない。母上が命を賭して僕たちを生かしたのは、ここで犬死にさせるためじゃないはずだ。」

 

 僕は地図上のカステ高原、そしてその先にある帝国との国境を指差した。

 

「領民全員を連れて、国外へ脱出する。……生きてさえいれば、必ずまた再起できる。この国を取り戻すチャンスは来るはずだ。」

 

 ただの逃亡ではない。

 未来へ繋ぐための、血を吐くような撤退戦の提案だった。

 

 

 ☆

 

 

 

「……領民全員を連れて、国外へ脱出する。生きてさえいれば、必ずまた再起できる。」

 

 僕の提案に対し、広間は氷ついたような静寂に包まれた。

 土地を捨てる。

 それは、貴族にとって、そしてこの地に根を張る者たちにとって、死にも等しい屈辱であり、敗北だ。

 

 だが、僕にはそれしか道が見えなかった。

 数千の正規軍相手に、この屋敷で籠城戦を行えば、待っているのは確実な「全滅」だ。兵士だけでなく、女子供、老人までが嬲り殺しにされるだろう。

 母上が守ろうとした命を、僕の意地で散らすわけにはいかない。

 

「……移動ルートはカステ高原を抜ける山道だ。この時期の雪山は過酷だが、街道を封鎖している敵の目を欺くことはできる。バルバラ、君たちの経験と体力があれば、民を先導できるはずだ。」

 

 僕は地図を指でなぞりながら、言葉を続けた。

 

「そして、追っ手の足止めだが……。誰かがここで敵を引きつけ、時間を稼ぐ必要がある。」

 

 僕は顔を上げ、全員を見渡した。

 

「僕が、残る。」

 

 その言葉が落ちた瞬間だった。

 ダンッ!!

 落雷のような音が響き、目の前の頑丈なオーク材のテーブルが、真っ二つに叩き割られた。

 木片が飛び散る中、立ち上がっていたのはバルバラだった。

 彼女は赤髪を逆立て、獣のような瞳で僕を睨みつけていた。

 

「……ふざけんなよ、色男。」

 

 そこらのゴロツキなんぞ裸足で逃げ出すような低い、地を這うドスの効いた声。

 

「アタシらはなァ、逃げるためにここに来たんじゃねえんだよ! あんたの隣で、あんたの敵をぶっ殺すために来たんだ! それをなんだ? 尻尾巻いて逃げろだ? 挙句の果てに、旦那一人を死地に残してか?」

 

 彼女は割れたテーブルの残骸を蹴り飛ばし、僕の胸倉を掴み上げた。

 至近距離で睨み合う。その瞳には、激しい怒りと、それ以上の悲しみが渦巻いている。

 

「アタシを舐めるな! 『赤錆の風』は金で動くが、誇りは売らねえ! 惚れた男を見捨てて生き延びるくらいなら、ここで華々しく散る方を選ぶね!」

「……バルバラ、分かってくれ。これは全滅を避けるための……」

「詭弁だ!」

 

 今度は、ルイーズが叫んだ。

 彼女は包帯だらけの体を引きずり、僕とバルバラの間に割って入った。

 その目からは、大粒の涙が溢れ出している。

 

「エヴ様……! 貴方は、また繰り返すおつもりですか!?」

「……え?」

「ラウラ様と同じことをなさろうとしている! ご自分だけが犠牲になって、私たちを生かそうと……! それがどれほど、遺された者にとって残酷なことか、貴方が一番よくご存知のはずでしょう!」

 

 ルイーズの悲痛な叫びが、僕の胸を抉った。

 そうだ。母上は僕たちを逃がすために、一人で死地に残った。

 その時の絶望。無力感。

 それを、今度は僕が彼女たちに味わわせようとしている。

 一つ違う点があるとすれば、僕は死ぬ気なんて更々無いということくらい。

 ギリギリまで引き付けて僕もみんなの後を追うつもりだ。……だが、生き残れる確率よりも死ぬ確率の方が遥かに高いことは間違いないだろう。

 

「違う!死ぬ為に残るんじゃない!……オニキスの足なら余裕で逃げられるはず。」

「嫌です……! 私は嫌です! おひとりだけで逃げ切れるとでも!?エヴ様が死ぬなら、私も死にます! 貴方のいない世界で生き延びて、何の意味があるのですか!」

 

 ルイーズが泣き崩れ、僕の足に縋り付く。

 彼女の純粋すぎる愛が、今は痛いほど重い。

 

「……落ち着いてください、皆様。」

 

 混沌とする広間に、静かな声が響いた。

 ガーベラだ。

 彼女は割れたテーブルには目もくれず、静かに進み出ると、僕の乱れた襟元を直した。

 

「エヴァン様。……貴方様のお考えは、領主として、民の命を最優先に考えた立派なものです。ラウラ様ならば、あるいは同じ選択をされたかもしれません。」

「ばあや……。」

「ですが。」

 

 ガーベラは、僕の目を真っ直ぐに見据えた。

 その瞳は、いつもの慈愛に満ちたものではなく、マドゥワス家に仕える執事としての、厳格な光を宿している。

 

「マドゥワスの家訓をお忘れですか? 『舐められたら殺せ』。」

 

 彼女は静かに、しかし断固として首を横に振った。

 

「民を連れての雪山越えなど、不可能です。老人や子供は寒さに耐えられず、半数以上が脱落するでしょう。そして、それを先導する傭兵たちも、主君を見捨てたという汚名を背負い、士気は崩壊します。……それは『撤退』ではありません。緩やかな『自滅』です。」

 

 ガーベラの指摘は、的確すぎて反論の余地がなかった。

 冬のカステ高原。

 訓練された兵士ならともかく、一般の領民を連れての行軍は、死の行進になる。

 追っ手に殺されるか、雪に殺されるか。

 結局のところ、どちらを選んでも「死」は避けられないのだ。

 

「……じゃあ、どうすればいいんだ!」

 

 僕は声を荒らげた。

 冷静さを保とうとしていた仮面が剥がれ落ちる。

 

「戦えば全滅する! 逃げても死ぬ! ……僕にはもう、打つ手がないんだ! 母上のように強くもないし、賢くもない! ただの、無力な男なんだよ!」

 

 本音が漏れる。

 領主なんて肩書きは重すぎる。

 僕はただ、みんなと笑って過ごしたかっただけなのに。

 広間が静まり返る。

 誰も、答えを持っていなかった。

 

 敵は数千。こちらは百。

 奇策も、逆転の手立てもない。

 あるのは、じわじわと迫りくる「死」の足音だけ。

 

「……クソッ!」

 

 バルバラが悔しげに壁を殴りつけた。

 パキ、と壁にひびが入る。

 

「アタシらがもっと多けりゃ……! 千の軍勢がいれば、あんな腐れ貴族ども、蹴散らしてやれるのによぉ!」

 

 彼女の悔しさは本物だ。

 最強を自負する彼女たちでさえ、数の暴力と、国家権力という巨大な敵の前では無力なのだ。

 ――詰み。

 誰の目にも、それは明らかだった。

 

 その時。

 バタンッ!! と、広間の扉が乱暴に開かれた。

 外の冷気と共に飛び込んできたのは、見張りに立っていた若い傭兵。

 彼女は肩で息をし、顔面を蒼白にしている。

 

「だ、旦那! 大変だ!」

「……どうした。敵か?」

 

 僕は身構えた。

 早すぎる。まだ三日はあるはずじゃなかったのか。

 バルバラが即座に斧を手に取り、ルイーズが涙を拭って立ち上がる。

 

「討伐隊か!? 数は!」

「い、いえ! 違います! 王国の旗じゃありません!」

 

 傭兵は首を振り、窓の外を指差した。

 

「ダンテ市の入り口に、武装した一団が現れました! ……数は少数ですが、装備が違います! 重装の騎兵と、それに……空を飛ぶ竜!」

「竜……?」

 

 僕は窓に駆け寄り、目を凝らした。

 雪の降る空の向こう。

 街の入り口に、黒い馬車と、それを護衛する数名の騎士が見える。

 そして、その上空を旋回する、翼を持った人影。

 掲げられている旗印は、マドゥワスのものでも、王家のものでもない。

 黒地に描かれた、二つの頭を持つ竜。

 

「……『双頭の竜』。」

 

 僕はその紋章の名を呟いた。

 忘れるはずがない。

 このブレスダンに来る前、僕たちが散々な目に遭わされ、そして最後には不器用な優しさを見せてくれた、あの領主の紋章だ。

 

「カステ領……。アウグス家の使者ですか。」

 

 ガーベラが息を呑む。

 このタイミングで、なぜ。

 敵か、味方か。

 

 グルーゲル子爵と結託して、挟み撃ちに来たのか?

 有り得なくは無い。

 ゾーラ伯爵も保守派の貴族だし、ラウラ派に対する憎悪も完全に消え去ったわけではない。 

 あのゾーラ伯爵がそんな真似をするとは思いたくないが……。

 今の状況で他領に干渉することは、彼女たちにとってもリスクのはず……。

 

「……馬車が、屋敷に向かってきます。」

 

 ルイーズが警戒を強める。

 重厚な黒塗りの馬車が、雪を踏みしめて近づいてくるが……元より逃げる場所などない。

 

「……通せ。」

 

 僕は傭兵に指示を出した。

 悪かった顔色が更に悪くなり、もはや土気色となった顔を引き攣らせつつも、了承する傭兵。

 

「丁重にお迎えしろ。……僕たちの運命を握る、最後の客かもしれない。」

 

 屋敷の空気が、絶望から緊張へと変わる。

 北からの風。

 それが運んでくるのは、トドメの一撃か、それとも蜘蛛の糸か。

 馬車が正門の前で止まる音が聞こえた。

 僕は広間の出口へと向かう。

 ブレスダン領主として、マドゥワス家当主として、最期の瞬間まで、顔を上げていなければならないのだから。

メインキャラが増えてきたので....みんなの好きなキャラを教えてくれぇ!!!書くわよ〜!!!!

  • ルイーズ・ロンズデール
  • ネリー
  • サーシャ、クロエ、ミリア他騎士団
  • アンドレア殿下
  • ガーベラ
  • アグニ
  • バルバラ
  • 上記以外のキャラクターは感想等で教えてね
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