姫騎士(肉食)共から貞操を守りつつ、僕の騎士道がハードモードすぎる 作:お庭屋さん
ぼちぼち進めていきます。
第56話:目覚めの朝
タラルの戦いから、三日が過ぎた。
北部の空を重く覆っていた雪雲は僅かに切れ、ブレスダン領の要衝たるダンテ市は、今朝も白く冷たい朝霞の中に沈む。
開け放たれた執務室の窓から流れ込んでくる風は、刃のように鋭く、肌を刺すように冷たい。肺の奥まで凍りつくような冬の空気を吸い込むと、まだ微かに、遠く離れた平原で流された血と、焦げた鉄の匂いが混ざっているような錯覚を覚えた。
街には、久方ぶりの静寂が戻りつつある。
この数日、ダンテ市を埋め尽くしていた北部諸侯の軍勢は、タラルでの勝利の余韻もそこそこに、それぞれの領地へと帰還の途につきはじめていた。
だが、それは決して戦いの終わりを意味する退兵ではない。遠ざかっていく彼らの軍靴の音は、これから必ずやってくる次なる戦火――中央からの大規模な侵攻に備え、自らの領地の守りを固めるための、決意に満ちた足音であった。
ゆえに、今この街を包み込んでいる静けさは、平和の訪れなどではなく、全てを呑み込む巨大な嵐がやってくる前のひどく重苦しく、不気味なほどの「凪」に過ぎないのだ。
静まり返った執務室の中で、羽ペンの先端が羊皮紙を擦るカリカリという乾いた音だけが単調に響き続けている。
僕は重厚なマホガニーの執務机に向かい、山のように積まれた書類の束に、一つひとつ目を通し、署名を刻んでいた。
右手に置かれた書類は、先のタラルの戦いで命を落とした自軍の戦死者リストと、その遺族への補償に関する手配書。
左手に置かれた書類は、共に血を流してくれた北部諸侯たちへ送る、礼状と今後の連携を確認する密書。
黒いインクが羊皮紙に染み込んでいくのを見つめながら、僕は酷く冷たくなった自分の指先を、無意識のうちに強く握り込んでいた。
タラルの戦い。
不利な兵力差を覆し、正規軍を正面から叩き潰したという事実は、紛れもなく歴史的な大勝利だ。
だが、今の僕の胸の中に「勝った」という高揚感や、生き延びたという安堵感は、微塵も存在しなかった。
残っているのは、ただひたすらに、己の肩にのしかかる途方もない質量の「重圧」だけだ。
今回、北部の諸侯たちは、逆賊という汚名を着せられるリスクを負ってまで、僕という一人の若輩者のもとに集い、命を懸けて戦ってくれた。
かつての僕は、彼らが動くとしたら、それは「僕が帝国の皇太女とパイプを持っているから」、あるいは「戦後の利権を確保するため」といった、冷徹な損得勘定によるものだろうと考えていた。
貴族とはそういう生き物だと、頭のどこかで割り切っているつもりだった。
だがどうだ。
彼らを突き動かしたのは、そんな薄汚い利害関係などではなく、
『我らは、偉大なるラウラ・マドゥワス辺境伯の御旗のもとに集ったのだ』
『国王陛下を弑逆し、あまつさえその罪を英雄に擦り付けた腐れ外道どもを、断じて許すわけにはいかぬ!』
諸侯の陣を回った際、荒くれ者の老将たちが、涙を流しながら僕の手を握り、そう叫んだのだ。
彼らの瞳に宿っていたのは、亡き母上への絶対的な敬意と、狂おしいまでの忠誠。そして、王と英雄を卑劣な手段で暗殺した『徹底抗戦派』への、底知れぬ怒りであった。
無論、全く思惑がなかったかと言われればそうでは無いだろう。諸侯の中には少なからず損得勘定を持って集まった者もいたであろうし。
だが、純粋な義憤と、愛する者を奪われた悲しみ。
それが、彼らを一つに束ねたのに違いはない。
「……重いな。」
乾いた唇から、ぽつりと独り言が漏れた。
もし彼らが己が利益のみのために動いているのであれば、交渉も計算もできた。だが、「純粋な想い」で託された命は、ごまかしが利かない。
母上が己の命を賭して守り抜いた、この国の民の誇り。
僕は今、何千、何万という人々の期待と、彼らの流す血の責任を、この両腕に抱え込んでしまったのだ。
その事実が、僕の背骨を軋ませるほどに重かった。もう僕は、母上の背中に隠れて泣いているだけの子供ではいられない。
ふう、と深く息を吐き出し、次の書類にペンを落とそうとした、その時だった。
静寂に沈んでいた廊下から、ひどく慌ただしい、床板を踏み鳴らすような足音が近づいてきた。
一つは硬い革靴の音。もう一つは、しなやかで軽い、獣のような足音。
それが執務室の前でピタリと止まり、ノックもそこそこに、重い木扉が乱暴に開け放たれる。
「エヴァン様! 執務中と存じ上げますが火急の知らせにて失礼致します!」
血相を変えた使用人の言葉を遮るように、小柄な人影が僕の机の前に飛び込んできた。
ボロボロになった民族衣装の端を翻し、特徴的な獣の耳をピンと立てた亜人の少女、アグニだ。
彼女は息を切らしながら、仮面の奥の瞳を大きく見開いて、僕に向かって叫んだ。
「ガウッ! アグリム! ネリー、オキタ! オキタァ!」
手にしていた羽ペンが、指の間から滑り落ちる。
ペン先がインク壺の縁に当たり、真っ黒な飛沫が、たった今書き上げたばかりの羊皮紙を汚してしまうが、そんなことはどうでも良い。
僕の思考は、アグニの放ったその短い言葉だけで、完全に真っ白に染め上げられていた。
ネリーが、起きた。
あの王城の冷たい階段で、僕を庇って重装騎士の槍に肩を貫かれ。
血の海の中で、それでも僕を逃がすために氷の壁を創り出し、絶望的な殿を務めた彼女が。
ブレスダンへ帰還してからも、ずっと生死の境を彷徨い、冷たくなった手を握ることしかできなかった、僕の愛する騎士が。
「――っ!!」
ガタンッ、と大きな音を立てて、重いマホガニーの椅子が後ろに倒れた。
僕は声を発することすら忘れ、机を迂回して執務室を飛び出す。
使用人が何かを言いかけたが、耳には入らない。
心臓が、早鐘のように肋骨を内側から叩き続けている。
ただひたすらに、彼女が眠る客室へと向かって、無我夢中で廊下を駆け出していた。
☆
廊下を走る足が、もつれそうになるのを必死に堪える。
脳裏にフラッシュバックするのは、王城の冷たい階段だ。僕を庇って重装騎士の槍に肩を貫かれ、血の海の中で氷の壁を創り出した、あの絶望的なネリーの姿。
(目が覚めた、あぁネリー……!)
逸る気持ちで、客室の重い扉を勢いよく押し開けた。
「ネリー!」
飛び込む様に入った部屋の中は、ツンとした薬草と消毒用アルコールの匂いが充満している。
朝の光が差し込むベッドの上。痛々しい真っ白な包帯に巻かれた身体を起こそうとしている彼女と目が合った。
「……もう。走ってこられたのですか?危ないですよエヴ様。」
掠れてはいるが、理知的で落ち着いた、僕のよく知る彼女の声だった。
僕は弾かれたようにベッドへ歩み寄り、シーツの上に置かれた彼女の細い手を、両手で力強く握りしめた。確かな、生きている温もりがあった。
「ネリー……よかった。本当によかった……っ! 君が、目を覚まさなかったら、僕は……!」
視界が滲み、声が情けなく震えてしまう。
僕の涙が一滴、繋いだ彼女の手の甲に落ちた。ネリーは僅かに目を細めると、もう片方の包帯だらけの手をゆっくりと伸ばし、僕の頬にそっと触れる。
「泣かないでください、エヴ様。……ご心配おかけして申し訳ございません。おはようございます、私の主君。」
その酷く弱々しい、けれど慈愛に満ちた微笑みを見た瞬間、僕の胸の奥で張り詰めていた糸が、ぷつりと切れたような気がした。
思わず僕は彼女の小さな手のひらに額を押し当てる。
「ガウッ! ネリー、ダイジョウブカ!?」
僕の背後から、心配そうにひょっこりと顔を出したのはアグニだ。
彼女はベッドの脇にしゃがみ込むと、クンクンとネリーの匂いを嗅ぎ、耳をペタリと寝かせて安堵の声を漏らした。
「……アグニ。貴女も、無事だったのですね。エヴ様をお守りしてくれて、感謝します。」
ネリーは労うようにアグニの頭を撫でた。
傍らに控えていた使用人たちも、涙ぐみながら「本当によくぞご無事で……」と口々に喜びの言葉を漏らしている。
「……怪我の具合はどうだ? 痛みは? 医者は何て言ってる!?」
矢継ぎ早に尋ねる僕を制するように、ネリーはふるふると首を横に振った。
彼女の瞳に宿る光は、重傷人のそれではない。己の命よりも優先すべきものを確認しようとする、鋭く冷徹な『騎士』の色だった。
「私の傷など。……それよりもエヴ様。お怪我はありませんか? ラウラ様は……どうなりましたか?」
死の淵から蘇って最初の問いがそれか。
彼女の僕に対する、執念にも似た底知れぬ忠誠心に、が締め付けられる。僕は涙を拭い、主君として、彼女を安心させるために力強く頷いた。
「心配ない。僕も、ルイーズも、皆無事だ。……だが母上は…………。」
「……そう、ですか。ラウラ様は本当に討たれてしまったのですね。」
ネリーはふっと息を吐き出し、ベッドの背もたれに深く身体を預ける。
その表情からは強烈な後悔と共に、英雌ラウラの死を信じられない困惑の色が入り交じっているように見えた。
「ああ。……すまないネリー、君が目覚めるまで色々な事があったんだ。すぐにでも説明したい所だけれど、まだ回復しきっていないだろう?」
僕の言葉を聞き、ネリーは静かに目を伏せた。
「いえ、エヴ様。どうかお聞かせください。あの時、無力だった私には……。」
「だ、だが今は回復に専念して欲しくてだな。」
「エヴ様。お願いします。」
彼女の胸の内でどのような感情が渦巻いているのか、僕には分からない。だが、その細い指先が、シーツをきつく握りしめているのだけは分かった。
☆
王都脱出後、ネリーが目を覚ますまでの経緯をこと細やかに説明し終えると、部屋に静寂が落ちた。
ネリーは僕が話終えるまでの間、伏せていた目をゆっくりと開くと、僕の顔をじっと見つめ返す。その知的な双眸には、戦果に対する喜びよりも、鋭い観察の光が宿っている様であった。
「……素晴らしい戦果です。ですがエヴ様。貴方のその沈痛な面持ち……戦いは、これで終わった訳ではないのですね?」
彼女の鋭敏な問いに、僕は自嘲気味に口元を歪めた。
やはり、ネリーの目は誤魔化せない。僕はベッドの傍らから立ち上がり、凍てつくような冬空が広がる窓の外へと視線を向けた。
「ああ。むしろ、これからが本当の地獄だ。……僕が、玉の間に辿り着くのが遅すぎたから。」
僕が絞り出すようにそう告げると、背後でネリーが小さく息を呑む気配がした。
タラルの戦いで敵の先鋒を砕いたとはいえ、敵である徹底抗戦派は王都を占拠し、玉座と国璽を握っている。
つまり、彼らこそが今の『官軍』なのだ。
「奴らは莫大な資金と権力を餌に、西の商業連盟と、南の穀倉地帯を巻き込もうとしている。大義名分は『逆賊マドゥワスの討伐』だ。」
窓枠に置いた手に、ギリッと力が入る。
対する僕たち北部は、兵の質こそ高いが、度重なる戦で資金も食料も底を尽きかけている。このまま消耗戦に持ち込まれれば、北部は干上がり、自滅するしかない。
「これはもう、一介の逆賊討伐じゃない。国を真っ二つに引き裂く、血みどろの内戦になる。」
振り返った僕の言葉に、ネリーは黙ったまま耳を傾けていた。
彼女の瞳に映る僕の姿は、どう写っているのだろう。
頼りない主だろうか。復讐に燃える悪鬼だろうか。
それとも、まだ仕えるべき主として見てくれるのだろうか。
王都、離宮にて背中を預けた彼女と、今の彼女はどこか違うのだ。幼馴染のネリーは、もう居なくなってしまった様な気がしていた。
「……資金も兵糧も足りない、絶え間ない消耗戦。まさに、終わりの見えない茨の道ですね。」
ネリーが静かに、しかし確かな重みを持ってそう呟く。
その言葉通り、これから僕が歩む道は、母上が流した血と、味方の屍を踏み越えていく修羅の道だ。痛みを伴わない決断など、もう二度と訪れない。
「ああ。でも、進むしかないんだ。母上が守ろうとしたこの国を、あんな腐った連中の好きにさせるわけにはいかないから。」
僕の決意を聞き届けたネリーは、やがて、花が綻ぶような、どこか儚げで美しい微笑みを浮かべた。
「ええ。……貴方様が望むのなら、どこまでも。この身が砕けるまで、お供いたします。」
その言葉に嘘はないと、僕は信じる。
痛む体を押して深々と頭を下げる彼女に、「今は傷を治すことだけを考えてくれ」と告げ、僕はアグニと共にネリーの部屋を後にした。次なる一手――東部への外交交渉の準備を進めるために。
☆
バタン、と重い木扉が閉まり、部屋には再び静寂が降りる。
足音が遠ざかっていくのを確認し、私はゆっくりと顔を上げた。
愛する主に向けられていた慈愛の微笑みは、既にそこにはない。
残っているのは、薄暗い執念と、凍りつくような冷たい光を放つ瞳だけだった。
「……強くなりましたね、エヴ様。貴方はもう、自分では止まれないのですね。」
包帯に巻かれた手が、シーツを破れんばかりの力で握りしめられる。
北部の覇王として立ち上がりつつある主を誇らしく思う反面、彼女の胸の内には、強烈な焦燥感と恐怖が渦巻いていた。
彼が前へ進むということは、それだけ死の危険に晒されるということ。
彼が動くのであれば、間違いなく皇女殿下も動くのであろう。このままでは巨大な帝国さえも巻き込む、破滅的な大戦へ発展しかねない。
——愛するエヴ様を中心にして。
「貴方が血塗られた茨の道を征くというのなら、止めはしません。……ですが。」
脳裏に、帰国の道中で交わした、帝国暗部・マイヤとの密約が蘇る。親友を裏切り、国を売り渡してでも、彼を生かすと誓ったあの夜の契約が。
「貴方の命を奪おうとする茨は、私が全て刈り取ります。……ええ、どんな汚い手を使ってでも。最後には必ず、貴方を『安全な鳥籠』へと導いてみせましょう。たとえ貴方が、それを望まなくとも。」
窓から差し込む冬の冷たい光の中。
聡明なる氷の騎士は、ひとり、誰にも言えない狂気の誓いを新たにするのだった。
メインキャラが増えてきたので....みんなの好きなキャラを教えてくれぇ!!!書くわよ〜!!!!
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ルイーズ・ロンズデール
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ネリー
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サーシャ、クロエ、ミリア他騎士団
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アンドレア殿下
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ガーベラ
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アグニ
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バルバラ
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