姫騎士(肉食)共から貞操を守りつつ、僕の騎士道がハードモードすぎる 作:お庭屋さん
魔獣の群れとの死闘を終え、興奮と熱気が徐々に冷めていくと同時に、東部の山脈は本来の容赦ない牙を剥き始めた。
西の空が赤銅色から深い藍色へと沈んでいくにつれ、谷底から吹き上げる風は急激に温度を下げ、濡れた衣服や泥まみれの肌から容赦なく体温を奪っていく。
日はすっかり傾き、視界は薄暗闇に閉ざされつつあった。これ以上の行軍は、足場の悪さも相まって致命的な事故を招きかねない。
「今日はここまでだ。前方の…あの岩陰を野営地とする。各自、速やかに準備に取り掛かってくれ。」
僕の指示を受け、十四名の護衛たちは一斉に動き出した。
選んだ場所は、山道から少し外れた、風除けとなる巨大な岩壁が迫り出したくぼ地である。
馬たちを風の当たらない奥へと繋ぎ、手早く陣幕や簡易テントの設営が始まる。
その中で、一際重労働を強いられている者たちがいた。
バルバラ率いる傭兵団『赤錆の風』から選抜された、四人の屈強な傭兵たちだ。
今回の過酷な道中にあたり、彼女達は自身の武器や防具だけでなく、一行全員が命を繋ぐための野営道具一式を背負わされていた。
分厚い予備の毛皮の束、数人用の簡易テントの骨組みと帆布、雪を溶かしスープを作るための大きく重い鉄鍋や調理器具。それらを四人分に分け、馬の鞍に括り付けるだけでなく、自身の広い背中にも山のように背負い込んでいたのだ。
ただでさえ雪解けの泥濘で足を取られる悪路である。さらに先ほどの魔獣との戦闘では、その重い荷物を背負ったまま機敏に立ち回り、僕たちの後方をしっかりと守り抜いてくれた。
岩陰にドサリと重い荷物を下ろした彼女らの額には、この極寒の中でさえ玉のような汗が浮かび、白い息を荒く吐き出している。
「……ふぅ、やっと肩の荷が下りたわ。おい、さっさと雪をかき集めて火を熾せ! 凍え死んじまうぞ!」
傭兵の一人が仲間に発破をかけながら、凝り固まった肩を回している。
僕はオニキスの手綱を従騎士クロエに預けると、迷うことなく彼らのもとへと歩み寄った。
「エヴの旦那? どうかなさいましたか?」
不思議そうに振り返る彼女らの前で、僕は深く頭を下げた。
「過酷な道中で、君たちにばかり重い荷物を背負わせてしまって本当にすまない。だが、君たちのその働きには心から感謝している。……ありがとう。君たちが運んでくれたこの道具があるからこそ、皆が凍えずに夜を越せるんだ。本当に助かっているよ。」
僕が真っ直ぐに目を見てそう告げると、四人の傭兵たちは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まってしまった。
無理もないのかもしれない。彼女らのような傭兵は、貴族や権力者から「金で雇った使い捨ての駒」や「荷物持ちの駄馬」のように扱われるのが常なのだ。
雇い主である領主から、直接こんな風に労いの言葉をかけられることなど、彼らの長い傭兵稼業の中でも皆無だったのだろう。
「あ、いや……。」
「えっと……。」
屈強で荒々しい女たちが、困ったように顔を見合わせている。
やがて、その中の一番年嵩の傭兵が、柄にもなくバツが悪そうに頬を掻いた。
「……へへっ。まぁ、ウチらは雇われてる身っすから、これくらいは当然の仕事でさぁ。……って、エヴの旦那にそう真っ直ぐな目で言われると、流石のウチらも照れやすね。」
「全くだぜ。貴族の坊ちゃんなんて偉ぶってる奴ばっかだと思ってたが……マドゥワスの血ってのは伊達じゃねぇな。おいお前ら、旦那がこう言ってくれてんだ。最高の陣幕を張ってやるぞ!」
「おうよ!」
彼女らの顔に浮かんだのは、金のための義務感ではなく、確かな敬意と忠誠が入り交じった頼もしい笑みだった。
その様子を見て、僕の胸にも温かいものが広がる。
先のタラルでの戦いや、東部という未知の脅威を前に、僕たちは確実に一つの「集団」から「仲間」へと変わりつつあるのを実感出来たからだ。
……ゆくゆくは傭兵ではなく、彼女達が了承さえしてくれるなら、マドゥワスの正規軍として召抱えてもいいかもしれない。
一方、設営が一段落した岩陰の少し離れた場所では、先ほどの戦いの「主役」であった二人が、泥まみれの清算を行っていた。
大きな鉄鍋で沸かした雪解け水を手桶に移し、布を浸して互いの汚れを落としている。
「おいおい、背中の泥が全然落ちてないじゃないか。ほら、布を貸しな。アタシが擦ってやるよ。」
上半身の装甲を外し、肌着姿になったバルバラが、同じく泥だらけの甲冑を脱いだルイーズの背中を、乱暴だが手際よくゴシゴシと拭いていく。
「いっ……痛ッ! もう少し優しく拭けないのか! 布が破れる!」
「へっ、これくらい強くやらねェと、こびりついた魔獣の臭いは落ちないんだよ。ほら、腕も上げな!」
口を開けば憎まれ口ばかりの二人だが、そこに先ほどまでのピリピリとした殺気や険悪な空気は微塵も感じられない。
「……フン。口ばかり達者だが、貴様こそ髪に小枝が絡まっているぞ。野性味を気取るのも大概にしろ。」
「あぁん? どこだ?」
「全く……動くな。私が取ってやる。」
ルイーズがため息をつきながら、バルバラの赤茶けた髪に手を伸ばし、絡まった小枝や枯れ葉を丁寧に取り除いていく。
育ちも価値観も全く違う二人。だが、泥の海で背中を預け合い、本音をぶつけ合ったことで、奇妙で心地よい距離感が生まれていた。
悪態をつきながらも、互いの背中を流し合うその姿は、長年連れ添った悪友のようでもある。
(……よかった。本当に、よかった……のか?)
二人のやり取りを少し離れた場所から見守っていた僕は、小さく息を吐き出した。
王都での悲劇以来、ルイーズの細い肩にのしかかっていた強迫観念は、あの泥んこプロレスとバルバラの熱い説教によって、多少は洗い流されたように見える。
彼女の横顔には、以前のような気高く、それでいて負けず嫌いな本来の生気が戻りつつある。
「へへっ、いい顔になったろ?」
不意に隣から声をかけられ、肩を揺らす。
振り返ると、サーシャが、湯気の立つ木碗を二つ両手に持って微笑んでいた。
「サーシャか。」
「ほら、エヴァンも冷えただろ。温かいスープだ。干し肉と豆を少し煮込んだだけだが、冷えた体には染みるぜ。」
彼女がフランクな口調で手渡してくれた碗を受け取ると、木の表面からじんわりとした温もりが冷え切った両手に伝わってきた。
彼女もまた、僕がルイーズのことで深く思い悩んでいたことに気付いていたのだろう。その気遣いが嬉しかった。
「……ありがとう、サーシャ。情けない事だが、どうにもなんと声をかけていいものか決めあぐねていたんだ。」
「そんなことないさ。エヴァンがずっと心配して、見守ってくれていたからこそ、ルイーズだってすぐに前を向けたんだ。」
サーシャはそう言ってくれるが、僕は上官として、主としては失格だったのではないだろうか。
良くない方へと傾きかけていたルイーズを、すぐに救えなかったのは僕だ。
「……それにしても、まさかあのルイーズが、バルバラの姉御と泥だらけになって取っ組み合いの喧嘩をするなんてな。騎士団の連中に教えたら、みんな大笑いするぜ?」
サーシャが堪えきれないようにへへっと笑い声を漏らす。
色々と考え直さねばならないと思いつつも、僕もつられて、声を出して笑ってしまった。
パチパチと、中央で熾された焚き火が小気味よい音を立てて燃え上がり、オレンジ色の暖かな光が陣幕を照らし出す。
冷たい風が吹き荒ぶ過酷な雪山の道中でありながら、僕たちの野営地は、かつてないほど和やかで温かい空気に包まれていた。
けれど、この安息が永遠に続くわけではないことを、僕は痛いほど理解している。
僕たちはこれから、この山の奥に広がる未知の領域の門を叩かなければならない。
王都を手に入れた『徹底抗戦派』の連中も、その勢力下に引き込めていないところを見ると、武力による威圧も、安易な利益の提示も通用しないのだろう。
下手な一言が、即座に命取りになる外交戦が待っているのだ。
「……気を引き締めないとな。」
☆
食事を終え、空になった鉄鍋を片付けた後も、僕たちは焚き火の周りから離れられずにいた。
パチパチと爆ぜる薪の音と、時折吹き抜ける冷たい夜風の音だけが、静寂に包まれた山間に響いている。
オレンジ色の炎が、僕たちの顔に濃い影を落としていた。
「バルバラ。……改めて、君が知っている『東部』について教えてくれないか。」
僕は炎から視線を上げ、正面に座るバルバラへと問いかけた。
彼女は組んでいた腕を解き、太い薪を一本火の中へ放り込むと、ゆっくりと口を開いた。
「あぁ、いいぜ。……前にも言ったが、東部の連中はアタシらみたいな余所者を嫌う。だが、勘違いしちゃいけねェのは、奴らが言葉の通じない野蛮人だからってわけじゃねェってことだ。」
「野蛮ではない……?」
「むしろ逆さ。あいつらの暮らしっぷりや考え方は、あの大森林や樹海に住み着いてる『エルフ』に近い。」
エルフ。その単語に、隣で話を聞いていたルイーズやサーシャが微かに眉を動かした。
「エルフ……シルバッツ大森林ではろくな思い出がないのだが?」
「あぁ、ありゃ酷かったな……。」
「やめてくれ、僕の精神が持たん。」
帝国から故郷へ戻る旅路、シルバッツ大森林を通り抜けた時に出会った種族だ。
森林に限らず、王都や帝都グラディティアにも暮らしているが、それまで深く交流した事はなかったのだ。
エルフといえば、前世の記憶もちである僕からすれば森の守護者〜みたいな感じで、あんなド変態集団だとは思いもしなかった。
ルイーズの問いに、バルバラは重々しく頷く。
「あぁ。東部の連中は、自然を敬い、山や森、自然界の万物に宿る精霊を信仰してる。『精霊信仰』ってやつだな。」
「精霊信仰?ベルディア教ではなく?」
精霊信仰。
大陸で広く信仰されている『ベルディア教』とは別の宗教なのだろうが……。
僕達べレイン王国だけでなく、騎士となる者には、いずれかの精霊の加護が与えられる。
正規の騎士が行使する身体強化の魔術や、ネリーが使って見せた氷や水の魔術は、その属性を司る精霊の加護を受けた者にしか行使できない。
故に、叙任される時は必ず加護を受ける為の儀式を行うのだが……。
「……中央やアタシらのいる北部じゃ、魔力を込めた魔石や人工的な魔導具を使うのが当たり前だろう?だが、東部じゃ違う。なんでも、騎士様の受ける精霊の加護とは一線を画す魔術を使うらしい。」
バルバラの言葉に、場に緊張が走る。
魔道具などの物理的な触媒に頼らず、自然そのものの力を借りて放たれる魔術。それがどれほどの威力と汎用性を持っているか、想像するだけで背筋が冷たくなる。
「その最たるものが、奴らの軍事力の要である『魔術騎兵』だ。」
「魔術騎兵?」
「あぁ。険しい山岳地帯を、まるで平地みてェに縦横無尽に駆け抜ける。おまけに自然と同化して奇襲を仕掛けてくるんだから、タチが悪いなんてもんじゃねェ。……中央の徹底抗戦派の連中が、いくら金と数があっても東部に手出しできねェ最大の理由はこれだとアタシは睨んでる。」
圧倒的な機動力と、地形を利用した変幻自在の魔術。
確かに、そんな軍隊が領地に攻め込んでくれば、正規軍の重装歩兵などあっという間に翻弄され、すり潰されてしまうだろう。タラルの戦いで正面からのぶつかり合いを制した北部軍であっても、この険しい山中を根城とする彼らを相手にするのは分が悪すぎる。
「だがな、旦那。」
バルバラはそこで言葉を切り、鋭い眼光で僕を真っ直ぐに見据えた。
「外交って面で言えば、一番厄介なのは奴らの武力じゃねェ。……あいつらの、その『精霊信仰』に基づいた、偏見に満ちた排他的な価値観さね。」
「価値観の、違い……。」
「旦那たちも、大陸で広く信仰されてるベルディア教の教えは知ってるだろ? だが東部の連中からすりゃ、あんなもんは『自然を勝手に切り拓き、自分たちの都合のいい神をでっち上げた、驕った人間の妄信』に過ぎねェのさ。だから奴らは、ベルディア教を信仰してる大多数の外部の人間を、根本的なところで見下してるのさ。」
その言葉は、重い鉛のように僕たちの胃の腑に落ちた。
東部の人間にしてみれば、僕たち北部も、王国の中央も関係ない。等しく「自然を破壊する、野蛮な異教徒」なのだ。
「……つまり、我々がどれだけ大義名分を掲げようと、彼らにとっては『野蛮な異教徒同士の、浅ましい縄張り争い』にしか見えていないということか。全くもって度し難い。自国の危機なのだぞ……!」
ルイーズが、膝の上で固く拳を握りしめながら呻くように言った。
彼女の言う通りだ。
母上を暗殺した徹底抗戦派を討つという大義も、国を二分する内戦の危機も、彼らにとっては他所事。
おまけに、確かな武力を持ち、豊かな自然の恵みだけで自給自足できている彼らには、たとえ自国からの物資や金であっても、そもそも援助してもらう必要すら皆無なのだ。
武力による威圧も通じない。
金銭や利権による交渉も無意味。
おまけに、宗教的な偏見という分厚い壁が立ち塞がっている。
無理だ。普通に考えれば、こんな外交交渉が成功するはずがない。
絶望的とも言えるその状況に、歴戦の傭兵たちも、誇り高き騎士たちも、一様に重い沈黙を落とし、パチパチと燃える炎を見つめることしかできなかった。
「……だからこそ、行くしかないんだ。」
ふと漏れた僕の呟きに、全員の視線が僕へと集まった。
膝の上に置いた両手を強く握りしめ、僕は顔を上げる。
「東部の門をこじ開けるには、剣を突きつけることも、金貨を積むことも間違っている。……彼らの文化と信仰に敬意を払い、対等な『言葉と誠意』で向き合うしかない。僕自身の器と、覚悟が試されるんだ。」
僕が言い切ると、張り詰めていた空気が僅かに揺らいだ。
ルイーズがハッとしたように顔を上げ、バルバラはフッと口角を上げて満足そうに鼻を鳴らす。
「違いないねェ。ま、相手がどれだけ偏屈なエルフもどきだろうと、アタシらは旦那の背中を守るだけだ。存分に、言葉ってやつでぶん殴ってやりな。」
「エヴ様。貴方様を必ず東部の長のもとへ送り届けます。」
仲間たちの力強い言葉に、僕は深く頷いた。
冷たい風は未だ吹き止まないが、焚き火の温もりと、皆の頼もしい眼差しが、僕の胸の奥に確かな熱を灯してくれていた。
☆
夜が更け、谷底を吹き抜ける風がいっそうの冷たさを増す頃。焚き火の勢いが少し落ち始めたのを機に、僕たちは夜営の見張り番を決めることになった。
「前半の番はアタシら『赤錆の風』が引き受ける。旦那と騎士様たちは、明日に備えて先に休んでな。」
バルバラが立ち上がりながらそう提案すると、普段なら「エヴ様の警護は我々マドゥワス騎士団の役目だ」と意地を張るはずのルイーズが、静かに首を横に振った。
「いや、見張りは我々とそちらの合同で回そう。この山中における地形の把握や野生の勘は、我々より傭兵であるお前たちの方が長けている。だが、魔獣討伐は騎士団の専売特許だ。互いの長所を補い合った方が、エヴ様の安全はより確固たるものになるだろう。」
「……へっ、言うじゃねェか。いいぜ、なら合同で見張りに立つとするかね。」
二人は短い言葉を交わし、ニヤリと笑い合った。
昼間の泥まみれの激闘を経て、誇り高き騎士と荒くれ者の傭兵の間には、確かな信頼と連携が芽生えている。その光景を心底頼もしく見届けながら、僕は割り当てられた小さなテントへと潜り込んだ。
傭兵たちが運んでくれた分厚い毛皮の布に包まると、凍えきっていた身体にじんわりと温もりが戻ってくる。
目を閉じれば、今日一日の出来事が脳裏を駆け巡っていった。泥濘の中で魔獣討伐、ルイーズとバルバラの喧嘩、そして焚き火越しに語られた、べレイン王国東部の姿。
圧倒的な武力と、相容れない排他的な宗教的価値観。彼らの閉ざされた門を開くのは、決して容易ではない。だが、僕には背中を預けられる頼もしい仲間がいる。
恐れることはない。
ふと、胸元に微かな重みを感じて、僕は毛皮の下でそっとそれに触れた。
東部へ出立する朝、死の淵から目覚めたばかりのネリーが、僕の無事を祈って手渡してくれた銀色のペンダントだ。
「……ネリー。」
真っ暗なテントの中で、そのペンダントの先端にあしらわれた淡いブルーの宝石が、まるで心臓の鼓動に合わせるかのように、トクン、トクンと微かに青く発光していた。
それは冷たい冬の空気の中でも、彼女の真っ直ぐな忠誠と温もりを伝えてくれるかのようだ。
彼女も今頃、遠く離れたダンテの街で懸命に傷を癒やし、僕の帰りを待っていてくれるのだろう。
(必ず、良い報せを持って帰るよ。)
僕は柔らかな微笑みを浮かべ、そのペンダントを大切に両手で包み込むと、やがて深い眠りへと落ちていった。