姫騎士(肉食)共から貞操を守りつつ、僕の騎士道がハードモードすぎる   作:お庭屋さん

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第61話:こんな所に居られるか!僕h...

「エヴ様!エヴ様!」

「ん、グ…………。」

 

 僕を呼ぶ声と、冷たく固い石の感触、カビと腐葉土の混じった不快な湿り気が、僕の意識を無理やり現実へと引き戻した。

 

 重い鉛が詰まったような頭を振りながら、ゆっくりと目を開ける。

 最初に視界に飛び込んできたのは、ひび割れた石造りの天井と、そこから規則的に滴り落ちる冷たい水滴だった。視界の端で揺れているのは、壁に掛けられた松明の頼りない炎だけ。

 先ほどまでの、美しく温かな中庭の光景はどこにもない。

 

 身体を起こして周囲を見渡すと、そこが太い鉄格子に囲まれた、地下牢の中であることが分かった。

 自然と調和した美しい東部の街並みとは裏腹に、ここは陽の光を長年浴びていない酷く陰惨な空間だった。壁にはねっとりとした黒い苔が這い、床の冷たさは容赦なく体温を奪っていく。

 

 僕は一人、三歩も歩けば壁にぶつかるような狭い『独房』の中に寝かされていた。

 そして、僕を呼ぶ声は僕の独房を隔てる分厚い鉄格子の向こう側――隣の広い牢屋から響いている。

 

「お目覚めですか、エヴ様……!」

 

 鉄格子にすがりつくようにして声をかけてきたのは、ルイーズだった。

 薄暗い松明の光に照らし出された隣の房には、彼女だけでなく、バルバラやサーシャ、そして傭兵たち全十四名の護衛が、すし詰め状態で押し込められている。

 全員無事に目を覚ましてはいるようだが、その表情は一様に暗く、険しい。

 

「みんな、無事か……怪我はないかい?」

「はい。ですが……不覚です! 毒ではないと油断し、あのような姑息な罠に嵌まるとは……!」

 

 僕と自分たちを隔てる鉄格子を強く握りしめながら、ルイーズがギリッと血が滲むほど唇を噛み締めた。

 無理もない。僕たちは完全にグンダ伯爵の温和な態度に騙され、大義も果たせぬまま、裏切り者共蔓延る王都への手土産に成り下がってしまったようだ。

 

「それにアタシらの得物も綺麗さっぱり奪われちまってる。お姫様のデカい剣も、アタシの斧も、部下たちのナイフ一本残っちゃいねェ。」

 

 バルバラが忌々しそうに舌打ちをしながら、丸腰となった自身の腰回りを叩く。

 見れば、全員の武器が跡形もなく奪い去られていた。

 騎士や傭兵にとって、武器を取り上げられて鉄の檻に閉じ込められることほど無力感を感じることはないだろう。

 

「あんまり気にするな、お姫様。アタシの勘すら誤魔化す芸当だ。……それより、これからどうやってこの状況をひっくり返すか、だねェ。」

「エヴァン、この鉄格子、魔法で強化されてるみたいだ。私の力じゃビクともしないし、魔力も上手く練れない。」

 

 サーシャが鉄格子を蹴りつけながら悔しそうに報告する。

 強固な鉄格子越しに、僕たちは顔を見合わせて深く息を吐き出した。

 グンダ伯爵は、僕たちを王都へ引き渡すと言っていた。ならば、夜が明ければすぐにでも移送の準備が始まるはずだ。

 

 丸腰の状態で、魔法も通じない牢獄。

 ここで僕たちだけで出来ることなど、皆無に等しい。

 絶望的な状況に、冷たく重い沈黙が牢獄を満たそうとした――まさにその時だった。

 

 ドスッ、という鈍い音が、牢屋の外から響く。

 続いて、短い呻き声と、鎧が床に崩れ落ちる重い金属音。

 

「な、なんだ……!?」

 

 僕たちが息を呑んで鉄格子越しに外を窺うと、通路の奥で見張りに立っていた保守派の衛兵たちが、糸が切れたように床に倒れ伏していた。

 そして、暗闇の中から音もなく、数人の人影が姿を現した。

 

 彼らは森の暗がりに溶け込むような黒い軽装束に身を包み、口元を布で隠している。手には、特有の美しい木目の短剣が握られていた。

 

「何者だ……! エヴ様に指一本でも触れてみろ!殺すぞ……!」

 

 隣の房で、丸腰のルイーズが咄嗟に僕を庇うように立ち塞がる。バルバラや傭兵たちも、いつでも素手で殴りかかれるよう重心を落とした。

 だが、襲撃者たちは僕たちに武器を向けることなく、鉄格子の前で静かに短剣を納め、その場に片膝をついたのだ。

 

「ご安心を。我々は、貴方方の敵ではありません。」

 

 先頭にいた小柄な影が立ち上がり、カチャリと手慣れた動作で僕の独房、そして隣の大部屋の鍵を次々と外していく。

 重い鉄格子が開かれ、襲撃者が顔を覆っていた布を下ろした。そこから現れたのは、鋭い眼光を持った若いハーフリングの女性だった。

 

「東部ダ・グルント領領主、ゲルダ・フォン・グルント伯爵の命により、貴方方をお救いしに参りました。」

 

 

 ☆

 

 

 ゲルダ・フォン・グルント伯爵。

 初めて聞く名前に、僕たちは鉄格子越しに顔を見合わせた。

 

「ゲルダ伯爵……? グンダ伯爵とは違うのか?」

「はい。我らが主は、グンダ伯爵らの体制に強く異を唱える、言わば『改革派』の筆頭でございます。」

 

 黒い軽装束の女性は、素早く周囲を警戒しながら小声で告げた。

 

「古い考えに固執するグンダ伯爵は、分かっていないのです。王都の連中が、東部の独立と不干渉の約束など守るはずがないということを。このままでは、東部は中央の思惑に飲み込まれてしまいます。」

「東部までも、二つに割れているというのか……。」

「水面下で、我々は激しく対立しております。……若き北部の狼よ。東部の未来を切り開くため、どうか我らが主の話を聞いていただきたいのです。さあ、追手の巡回が来る前にここを抜け出しましょう。」

 

 どうやら、僕たちの外交戦はまだ終わっていなかったらしい。

 最悪の盤面から差し出された、蜘蛛の糸のような細い希望。ここに留まって王都へ送られるよりは遥かにマシだ。

 僕たちが頷き、牢の外へと足を踏み出そうとしたその時だった。

 

「……待て。案内する前に、一つ聞かせろ。」

 

 ルイーズが、鋭い声で女性を引き止めた。

 彼女の双眸には、暗く焼け焦げるような怒りの炎が揺らめいている。

 

「我々の武器はどこにある? 私のクレイモアと彼女の大斧、何よりエヴ様の剣。あれはマドゥワス家の……ラウラ様がエヴ様にお与えになったものだ。あれを置いて、ここを去るわけにはいかない。」

 

 その問いに、バルバラも無言で首の骨を鳴らして同調する。しかし、女性の返答は無情なものだった。

 

「申し訳ありません。貴方方の武器は、この館の最下層にある厳重な保管庫に収められており、複数の魔術的な封印が施されています。今からあれを取り戻しに向かえば、確実に朝を迎えてしまう。……今はどうか、命を最優先に。」

 

 その言葉に、ルイーズはギリッと奥歯を強く噛み締めた。

 騎士にとって、主君から与えられた己の武器は魂そのものだ。それを敵地に残したまま逃げ出すなど、本来ならば絶対に受け入れられない屈辱だろう。

 僕にとっても、だが。

 

「……ルイーズ。彼女の言う通りだ。今は脱出を優先しよう。必ず取り戻すと約束する。」

「……ッ! はい、エヴ様。」

 

 僕が宥めるように声をかけると、彼女は悔しげに俯きながらも頷いた。

 そして彼女は、気絶している保守派の衛兵たちに近づき、彼らの腰に提げられていた標準的な鉄の剣を無造作に引き抜いた。

 軽く二度ほど振り抜き、ひどく不満げな顔で刀身を睨みつける。

 

「……軽すぎる。重心も最悪だ。まるで子供の玩具だな。」

「贅沢言うんじゃないよ。丸腰よりはマシだろうが。」

 

 バルバラは鼻で笑うと、衛兵の武器には一切目もくれず、両手の拳をバンッと打ち合わせた。

 

「アタシしゃ、こんなつまらねェ楊枝なんて使わねェよ。鬱憤晴らしも兼ねて、拳一つで十分だ。陰湿な騙し討ちのツケ……この森のエルフもどき共に、たっぷりと教えてやらねェとなァ。」

 

 獰猛な笑みを浮かべる護衛たち。

 いや……いざ戦闘になって血の海を築かれては困るのだが。

 

「みんな、聞いてくれ。これからの脱出にあたり、絶対に死人は出すな。」

「エヴ様……?」

「ここで僕たちが彼らを一人でも殺せば、グンダ伯爵ら保守派に『野蛮な北部の民が東部の民を惨殺した』という最高の大義名分を与えることになる。……どんなに腹が立っても、全員、急所を外して無力化しろ。」

 

 命を奪わず、手加減をして突破しろという無茶な命令。

 しかし、僕の自慢の護衛たちは不満を漏らすどころか、最高に頼もしい笑みを浮かべてみせた。

 

「……承知いたしました。この玩具でも、峰打ちくらいなら造作もありません。」

「へっ、全員まとめて物理でおねんねさせてやるよ。」

 

 方針は決まった。

 僕たちは案内人の後に続き、陰惨な地下牢を抜け出し、館の裏手へと繋がる薄暗い通路へと足を踏み入れた。

 

「……止まってください。」

 

 通路の角を曲がろうとしたその時、案内人がピタリと足を止めた。

 前方から、複数の重い足音と松明の明かりが近づいてくる。異常に気付いた保守派の精鋭部隊だ。

 

「侵入者だ! 牢が破られているぞ! 脱走者どもを逃がすなッ!」

「……仕方ねェ。アタシらが道を切り拓く。旦那は下がってな!」

「エヴ様への不敬、その身をもって後悔するがいい!」

 

 バルバラが前傾姿勢で床を蹴り、ルイーズが借り物の剣を正眼に構える。

 

「お待ちください。正面からの衝突は時間を食います。ここは私の『目眩まし』で!」

 

 案内人の女性が、パチンと指を鳴らした。

 瞬間、彼女の全身を覆っていた黒い装束と長身のシルエットが、ガラスが割れるような音と共に砕け散る。

 姿を現したのは、子供のように小柄な体躯に、愛嬌のある丸い輪郭を持った若いハーフリングの女性だった。

 

「なっ……!?」

「ハーフリング……!? 変装の魔術を使っていたのか!」

「ふふっ、保守派の目を欺くための術ですので。……さぁ、いきますよ!」

 

 ハーフリングの女性は悪戯っぽく微笑むと、小さな手から強烈な閃光の魔術を放った。

 

「目がァッ!?」

 

 炸裂した光に、突入してきた衛兵たちが一斉に視界を奪われる。

 

「さぁ、今のうちに! 」

「任せなァッ!!」

 

 彼女の援護を受け、徒手空拳のバルバラが敵陣へと突っ込んだ。

 視界を奪われて闇雲に槍を振り回す衛兵の懐に潜り込むと、分厚い胸当てを鷲掴みにする。

 

「おらよッ!!」

「ぐはァッ!?」

 

 バルバラの強靭な腕力で、大柄な衛兵の身体が軽々と宙を舞う。投げ飛ばされた衛兵は仲間たちをボウリングのピンのように巻き込み、凄まじい音を立てて壁に激突して昏倒した。

 

「……ふん、相変わらず野蛮な戦い方だ。」

 

 ルイーズが呆れたように鼻を鳴らし、鋭い踏み込みで斬り込む。

 辛うじて光から回復した衛兵の突きを最小限の動きで躱すと、借り物の剣の『腹』で槍の柄を弾き飛ばし、そのまま剣のポンメルを衛兵の顎に正確に叩き込んだ。

 

 カハッ、と空気を吐き出し、衛兵は白目を剥いて崩れ落ちる。さらに横合いから迫る敵には、刃を反した『峰打ち』で首筋を的確に打ち据えた。

 

「……やはり軽すぎる。手加減をする方が骨が折れるな。」

 

 次々に昏倒していく衛兵たちを一瞥し、ルイーズはひどく不満げにため息をついた。

 

「エヴァン、後ろからも追手が来てる!」

 

 サーシャの叫び声。通路の後方からも別の衛兵部隊が迫る。

 

「ここは私と、我が部下たちにお任せを!」

 

 ハーフリングの女性が指示を飛ばすと、隠密部隊が一斉に魔術を発動させた。

 足元の石畳を泥濘に変え、天井から強靭な蔦を這わせて足を絡め取る、徹底した『足止め』の魔術だ。

 完全に動きの止まった衛兵たちを、サーシャや傭兵たちが流れるような動きで気絶させていく。

 

「すごいな……。」

「流石は北部の精鋭ですね。これほどの手加減をして、この制圧力……恐ろしいほどです。」

 

 ハーフリングの女性が呆れたように息を吐く。

 

「あぁ。うちの自慢の仲間たちだからね。」

 

 僕が笑って答えると、前線からバルバラが「旦那、急ぐよ!」と声を張り上げた。

 

「道は開けた! 追手が増える前に、一気にこの館を抜け出すぞ!」

 

 誰一人殺さず、一滴の致死の血も流させない。

 圧倒的な不殺の強行突破を、僕たちの結束と実力を、東部の暗闇に鮮烈に刻み込んでいく。

 

 

 

 

 領主の館の裏手、鬱蒼と生い茂る木々の隙間から、冷たい夜風が地下通路の出口へと吹き込んでくる。

 僕たちは、ダ・アース市の外周部に設けられた抜け穴へと辿り着いた。

 

「……追手の気配はありません。どうやら、完全に振り切ったようですね。」

 

 ハーフリングの案内人が、背後の暗闇に耳を澄ませてから小さく息を吐き出した。

 彼女の言葉に、戦闘態勢を解いたルイーズが借り物の剣を無造作に放り捨て、バルバラが軽く肩を回す。

 数十分にも及ぶ強行突破だったというのに、彼女たちの息は微かに弾んでいる程度で、怪我一つ負っていない。

 

 それどころか、館からここに至るまでに遭遇した数十名の精鋭魔術騎兵たちを、ただの一人も殺めることなく、突破してみせたのだ。ボッコボコにして……。

 ハーフリングの女性は、信じられないものを見るような目でルイーズたちを見上げ、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 

「グンダ伯爵の精鋭たちを相手に、これほどの手加減をして無傷で切り抜けるなど……。北部の騎士や傭兵とは、これほどまでに規格外の強さなのですか。」

「ふん。あれだけ軽い剣では、逆に加減が難しかったがな。」

「ま、あいつらも野戦じゃ厄介だろうが、狭い通路でちまちま槍なんか振り回してるようじゃ、アタシらの敵じゃねェよ。」

 

 呆然とするハーフリングの女性に、僕はいずまいを正して笑いかけた。

 

「驚かせてすまない。でも、言っただろう? うちの自慢の部下たちだって。」

「ええ……本当に。我らが主、ゲルダ様が貴方方に目をつけられた理由が、よく分かりました。」

 

 彼女は感服したように深く頭を下げると、夜の深い森の奥へと視線を向けた。

 

「さぁ、ここから先は獣道です。見つかること無く、夜明け前にはゲルダ様の待つダ・グルント領の境界へと辿り着けるでしょう。」

「あぁ。案内を頼む。」

 

 僕たちは再び歩き出した。

 振り返れば、木々の隙間からダ・アース市の淡く光る苔の街並みが、まるで蜃気楼のように美しく、そして不気味に浮かび上がっている。

 あそこで出された甘い果実酒の味も、グンダ伯爵の温和な笑顔に隠された冷酷な本性も、決して忘れることはないだろう。

 東部も決して一枚岩ではない。

 

 今まで通りの生活を守る保守派と、戦乱に備える改革派。

 王国の内乱が、この閉ざされた森の奥深くにまで深い亀裂を生んでいるのだ。

 

(ここからが本番だ……!)

 

 武器は奪われ、一度は死地に追いやられた。だが、盤面はまだ終わっていない。

 冷たい夜の森を駆け抜けながら、僕はこれから対面する新たな交渉相手、ゲルダ・フォン・グルント伯爵との会談に向け、静かに、しかし確かな闘志の炎を燃やしていた。

 

 

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