姫騎士(肉食)共から貞操を守りつつ、僕の騎士道がハードモードすぎる   作:お庭屋さん

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今回クッソ長いです。
キリがいいところ見つからなくて.....


第66話:覇王の深謀

「さあ、貴様の悩みの種は消し飛ばしてやったぞ! 今すぐ余の胸に飛び込んで、存分に愛を囁くが良い、エヴァン!!」

 

 ひしゃげた黒鉄の扉から舞い上がった土埃が晴れていく中、狂気的なまでに甘い声を響かせ、グラディウス帝国皇太女――アンドレア殿下は満面の笑みで両手を広げた。

 乱暴に叩きつけられた鋼鉄の箱からは、無数の金貨が滝のように溢れ出し、冷たい石造りの会議室を暴力的なまでの黄金色で照らし出している。

 

 絶句。

 その場にいる全員が、ただただ沈黙するしかなかった。

  そりゃそうだ。本当に有り得ないゲストなんだもの。

 今すぐ「お呼びじゃねーよ」と叩き出してやりたい。

  

「あ……あぁ……。」

 

 先ほどまで「王都の資金力には敵わない」と、もっともらしい現実論を振りかざして僕を追い詰めていたダ・アース領主、グンダ伯爵は、床にへたり込んだままカタカタと歯の根を鳴らしていた。

 

 無理もない。彼女らが恐れていた「王都の予算」など、大陸全土の富の過半を握る帝国の財力からすれば、子供の小遣い銭に等しい。今、彼らの目の前に無造作に積まれたこの金貨の山だけで、東部全体の数年分の税収を軽く凌駕しているのだ。

 東部最大の怪物であるはずのゲルダ伯爵でさえ、開いた扇子を口元に当てたまま、ピクリとも動けないでいた。

 

 圧倒的。あまりにも次元が違う絶対的な『権力』と『富』の暴力。

 それを一人の男への「愛の贈り物」として、敵国の辺境の地に平然と持ち込んでくる異常性。

 何もかも異常で、我々の思考回路はショート寸前なのだ。

 

「……ッ、エヴ様に気安く声をかけるな、発情した狂女が。」

 

 この絶対零度の静寂と恐怖を切り裂いたのは、地を這うような低い声音だった。

 僕の背後に控えていたルイーズだ。彼女は髪を逆立て、碧眼に特大の殺意を宿しながら、背中の大剣の柄に手をかけていた。その全身から放たれるプレッシャーは、先日の王都正規軍との戦いの時すらも上回っている。

 

「ガッハッハ! 驚いたねェ、帝国の親玉が護衛もそこそこにノコノコとアタシらのシマに現れるとは! その首、王都に持っていけばいくらで売れるかねェ!?」

 

 バルバラもまた、大斧を引き抜き、獰猛な笑みを浮かべて殿下を睨みつけていた。

 二人の放つ明確な敵意に呼応し、殿下の背後に整列していた白銀の鎧を纏う帝国の近衛騎士たちが、一斉に剣を抜く。

 チャキ、と無機質な金属音が会議室に響き渡り、東部の領主たちが短い悲鳴を上げた。

 

「身の程を知れ、番犬風情が。余は今、余の騎士と話をしているのだ。下賎な獣はすっこんでいろ。」

 

 殿下は僕に向けた甘い笑顔から一転、汚物を虫ケラを見るような冷酷な目でルイーズたちを一瞥した。

 

「……殺すッ!」

「上等だ、帝国ご自慢の鎧がどれだけ硬てェか試してやるよッ!」

「やめろッ!! 二人とも、武器を収めろ!!」

 

 ルイーズとバルバラが床を蹴ろうとした瞬間、僕は喉が裂けんばかりの声を張り上げ、両手を広げて二人の前に立ち塞がった。

 

「エ、エヴ様!? お退きください、その女は帝国の……!」

「武器を収めろと言っているんだ、ルイーズ! バルバラもだ!」

 

 僕の強い語気に、二人はビクッと肩を震わせ、渋々といった様子で刃を下げた。だが、その瞳は依然として殿下を射殺さんばかりに睨みつけている。

 僕は痛む胃を必死に押さえ込みながら、荒くなった呼吸を整えた。

 

 ここで彼女たちが殿下に斬りかかれば、どうなるか。

 運良く殿下を討ち取れたとしても、待っているのはグラディウス帝国全軍によるベレイン王国への報復戦争だ。王都との内乱どころの騒ぎではない。

 それだけは、絶対に避けなければならない。

 

「……ふふっ。素晴らしいぞ、エヴァン。主としての威厳もすっかり板について……んっ……! その鋭い視線で見つめられると、余の下腹部が疼いて仕方が……。」

 

 僕が庇うような立ち位置になったのを『自分への愛』とでも勘違いしたのか、殿下は両手で自身の頬を包み込み、頬を紅潮させて身悶えし始めた。

 最後に殿下と会ったのは帝都を出る前だっただろうか。しばらく会わないうちに良くない方向へ傾倒して行ってしまったらしい。こんな変態じみた御人では無かったと思うんだが……。

 

 ――落ち着け。

 僕は目を閉じ、深く、長く息を吐き出した。

 胃が千切れそうに痛む。逃げ出したい。タラルの戦場で敵の歩兵に先陣切って突っ込んだ時よりも、今の状況の方がよほど恐ろしい。

 

 だが、僕はマドゥワス領の領主だ。

 母上からこの国を託されたのだ。

 ここで僕が帝国皇太女の狂気に呑まれ、怯え、あるいは言われるがままに彼女の胸に飛び込んでしまえば、東部の領主たちは僕に完全に失望するだろう。「北部の狼は、帝国の飼い犬だった」と。

 それは、大義の死を意味する。

 

 目を開く。

 視界の端で、ゲルダ伯爵が僕をじっと見つめているのが分かった。グンダ伯爵たち保守派の領主たちも、震えながら僕の背中を見ている。

 僕は、恐怖で震えそうになる膝に力の限り力を込め、ゆっくりと、かつて自分を良いように使い倒した絶対的な支配者へと向き直った。

 

「……感謝します、アンドレア殿下。この莫大な資金の提供、我々北部諸侯連合軍を代表し、厚く御礼申し上げます。」

 

 僕は右手で胸を押さえ、貴族としての完璧な礼をとった。

 怯えた獲物としてではない。一人の対等な『領主』としての仮面を、顔面に強固に張り付けて。

 

「固い挨拶など不要だぞ? さあ、早くこちらへ……。」

「ですが。」

 

 僕は礼を解き、甘い言葉を紡ごうとする殿下の言葉を、冷徹な声音で遮る。

 

「我々はこの資金を、ただで受け取るわけにはいきません。……いえ、貴女も最初から、無償でこれを渡すつもりなどないのでしょう?」

「……何?」

 

 殿下の顔から、ヘラヘラとした狂気的な笑みがスッと消えた。

 代わりに浮かび上がったのは、微かな驚きと、底知れぬ興味の色。

 

「エヴ様……?」

 

 背後でルイーズが困惑したような声を漏らすが、僕は構わずに言葉を続けた。

 相手のペースに巻き込まれれば負けだ。この異常な空間を、強制的に政治交渉の場へと引きずり下ろさなければならない。

 

「『愛を囁け』と仰いますが……なるほど、私に随分とご執心遊ばされているご様子。しかし、貴女はグラディウス帝国の次期皇帝だ。どれほど狂気に身を任せようとも、決して愚かではありますまい。」

 

 僕は机の上の金貨を一瞥し、再び殿下の濁った瞳を真っ直ぐに射抜いた。

 

「これだけの国家予算規模の国費を動かし、精鋭たる近衛騎士団を引き連れて国境を越える。それがどれほど重大な政治的意味を持つか、貴女が理解していないはずがない。……一国の皇太女が、個人的な感情と情欲だけで、これほどの真似をするはずがないのです。」

 

 会議室の空気が、ピンと張り詰める。

 僕は一歩だけ前へ踏み出し、言葉に確固たる力を込めた。

 

「お答え下さい、アンドレア殿下。……貴女の、いや、グラディウス帝国の真の目的を。貴女は一体、このベレイン王国をどうするおつもりで、この金を持ってきたのです?」

 

 僕の問いかけが空気に溶け込んだ後、数秒の、永遠にも似た沈黙が訪れた。

 やがて。

 

「…………ク、クク……あーっはっはっはっは!!」

 

 殿下は、顔を天に仰いで今日一番の高笑いを響かせた。

 それは先ほどまでの、恋に狂った乙女のような笑い声ではない。

 他者の命も、国の運命も、全てを盤上の駒として弄ぶ『絶対者』としての、重く、低く、腹の底を揺らすような冷酷な笑いだった。

 

「素晴らしい……! ああ、素晴らしいぞエヴァン! 余の狂気に呑まれず、その本質を真っ直ぐに見透かしてくるとは! やはり貴様は、余が見込んだ通りの男だ!!」

 

 殿下の纏う空気が、一変する。

 甘ったるい淫靡な香りが消え去り、代わりに会議室を満たしたのは、大陸の覇権を握る超大国の次期皇帝――『覇王』としての、圧倒的なまでの威圧感。

 カリスマというやつだろうか。

 グンダ伯爵がヒッと短い悲鳴を上げて気を失いかけ、ゲルダ伯爵ですら冷や汗を流して一歩後ずさる。

 

「……よかろう。そこまで余を理解し、王としての器を見せるというのなら。貴様らのような辺境の木っ端貴族には大きすぎる真実を、余の口から直接教えてやろうではないか。」

 

 殿下は扇情的に唇を歪め、僕たちを見下ろした。

 その瞳の奥には、狂愛と共に、氷のように冷たく計算高い、為政者の光が宿っていた。

 

 

 ☆

 

 

 殿下の纏う空気に、大広間の温度がさらに数度下がったように感じられた。

 先ほどまで僕の貞操を狙って(?)身悶えしていた変態的な皇太女の姿は、もうどこにもない。

 そこにあるのは、無数の命と国家の運命を天秤にかける、冷酷なる覇王の顔だった。

 

「よいか、エヴァン。そしてそこで震えている凡俗共。貴様らが恐れ、戦おうとしている王都の『徹底抗戦派』……あのグルーゲル子爵をはじめとする欲深き豚どもの背後に、誰がいると思う?」

 

 殿下は円卓の上に散らばる金貨を、白魚のような指先で弄びながら言った。

 

「まさか……。」

 

 息を呑んだのは、ゲルダ伯爵だった。彼女は東部最大の情報網を持つ為政者だ。不自然なまでに自信過剰な王都の貴族達、突如として現れた帝国の皇太女。

 殿下の言葉の先に繋がる、最も最悪な『可能性』に思い至ったのだろう。

 

「いかにも。奴らに国家予算に匹敵する莫大な資金と武器を流し込み、貴様の母、英雌ラウラ・マドゥワスを暗殺させた黒幕。……それは他でもない、我がグラディウス帝国の『元老院』の老害どもよ。」

「ッ……!!」

 

 心臓を、冷たい手で直接鷲掴みにされたような感覚だった。

 母上を殺し、国を二分する内乱を引き起こした王都の連中。そのさらに背後で糸を引いていたのが、グラディウス帝国の元老院だというのか。

 僕の中で、黒く重い怒りが腹の底から湧き上がり、胃の痛みを麻痺させていく。

 背後のルイーズが、ギリッと歯を食いしばる音が聞こえた。

 

「帝国も、決して一枚岩ではない。……余の描く大戦略を理解できず、地図の色分けと帳簿の数字しか見えぬ愚か者どもが、帝国の玉座の周りには腐るほど群がっておるのだ。」

 

 殿下は忌々しそうに、手の中の金貨を卓上に放り投げた。チャリン、という乾いた音が、静まり返った会議室に虚しく響く。

 

「奴らは目先の利益、『ベレイン王国の属国化』と『国内資源の独占的採掘権』という甘い蜜に目が眩み、余の制止を振り切って王国の不満分子に餌を撒いた……。その結果が、国王とラウラを失い、真っ二つに割れたこの王国の惨状というわけだ。」

「……お待ち下さい。」

 

 僕は絞り出すように声を発した。

 確かに、そう説明されれば何となく腑に落ちる部分もある。何故、反乱を終戦後に起こしたのか。

 

 能動的に反乱を起こし、帝国に国を売るのならば戦時中の方が余程効果的だろう。回りくどい手口を使って国王陛下や母上を暗殺しなくてもいいはずだ。

 殿下の話が本当なら、徹底抗戦派が帝国の元老院に唆されたのは帝国との戦後……。

 穏便な和平交渉は元老院にとって都合が悪かったのだろう。

 

 だが、同時に新たな疑問も浮かび上がる。

  

「帝国の元老院が、我らが国の資源と属国化を狙って内乱を起こさせた。そこまでは理解できます。……では、帝国の次期皇帝である貴女は、なぜそれに反発し、我々に資金を提供してまで元老院の目論見を潰そうとするのですか?」

 

 帝国の利益を考えれば、元老院のやり方は強引とはいえ、国益にかなっているはずだ。

 だが、殿下はそれを「愚か」と切り捨てた。

 僕の問いに、殿下は酷薄な笑みを浮かべ、南の方角――分厚い石壁の向こう側へと視線を向けた。

 

「『防波堤』だ。」

「……防波堤?」

「そうだ。余は本来、ベレイン王国との戦争すら微塵も望んではいなかった。この豊かな王国を無傷のまま帝国の傘下に収め、強固な軍事同盟を結ぶこと。それこそが、余の描いた大戦略だったのだからな。」

 

 殿下は視線を僕に戻し、その瞳の奥に、かつてないほどの警戒と嫌悪の色を浮かべた。

 

「貴様らのような平和ボケした辺境の貴族は知るまい……この大陸の南端、険しい山脈を越えた先に、口を開けて待っている真の絶望を。」

「真の……絶望?」

「ワルキア帝国だ。」

 

 その名を口にした瞬間、殿下の顔に明らかな不快感が走った。

 

「奴らは人間が相手にするべき国家ではない。反抗する全てを喰らい尽くす狂人ども。屍を兵に変え、病を風に乗せ、生けるもの全てを苗床として侵食する災厄そのものだ。」

 

 会議室の空気が、凍りついた。

 屍を兵に変える? 病を風に乗せる?

 それはもはや、おとぎ話に出てくる魔王軍の類ではないか。

 

「遠からず、我らグラディウス帝国は、奴らと種としての存亡を懸けて衝突することになるだろう。……奴らと正面からぶつかれば、帝国とて無傷では済まぬ。だからこそ、余は南の怪物と北の帝国の間に横たわるこのべレニアン地方を、ワルキアに対する強固な『防波堤』として機能させたかったのだ。」

 

 殿下の言葉が、重い鉛のように僕たちの心にのしかかっていく。

 

「その手始めとしてべレイン王国との軍事同盟を考えていた。王国軍を壁とし、帝国の魔導技術でそれを支える。その体制を作るために、武力ではなく理によって国を束ねようとしていた。……だが、元老院の老害どもが目先の欲に目が眩み、その盤面を根底からひっくり返したのだ。」

「……なん、という……。」

 

 グンダ伯爵が、震える手で顔を覆った。

 他の東部領主たちも、顔面を蒼白にしてへたり込んでいる。

 無理もない。彼らが今まで血道を上げていた王国内の権力争いなど、大陸全土を巻き込む巨大な『代理戦争』の、ほんの小さな局地戦に過ぎなかったのだ。

 

 背後にそびえ立つ帝国の元老院。

 そして南から迫り来る、ワルキア帝国という世界規模の災厄。

 自分たちが立っている盤面が、想像を絶するほど巨大で、残酷で、圧倒的な暴力に支配されているという事実。

 

 東部の領主たちは、己の矮小さと無力さを突きつけられ、完全に絶望の淵へと叩き落とされていた。

 

「さあ、理解したかエヴァン? これが真実だ。」

 

 殿下は僕の方へと一歩踏み出し、両手を広げた。

 絶望に沈む会議室の中で、ただ一人、彼女だけが狂気と覇気を入り交じらせた笑みを浮かべている。

 

「貴様は今、帝国元老院という巨大な悪意と、ワルキアという災厄の挟間に立たされているのだ。……だが、案ずることはない。」

 

 殿下は甘く、ひどく危険な声で、僕に悪魔の契約を囁きかけた。

 

「余の庇護下に入れ、エヴァン。余の所有物となり、全てを委ねるのだ。そうすれば……この莫大な資金に加え、余の権力で元老院ごと王都の豚どもをすり潰し、ワルキアの脅威からも貴様を守り抜いてやろう。……さあ、賢明な判断を期待しているぞ?」

 

 

 ☆

 

 

 余の所有物となれ。

 アンドレア殿下の唇から紡がれたその言葉は、あまりにも甘く、そして致死量の毒を含んでいた。

 もしここで僕が膝を屈し、彼女の手を取ればどうなるだろうか。

 

 王都に巣食う元老院の息がかかった徹底抗戦派は、帝国皇太女の権力と武力によって、あっけなくすり潰されるだろう。

 そして南から迫るワルキア帝国の脅威に対しても、グラディウス帝国という最強の盾に守られ、僕はもう二度と戦場に立つことなく、安全な鳥籠の中で一生を終えることができる。

 圧倒的な平穏。圧倒的な保護。

 

「……っ。」

 

 胃が、焼け焦げるように痛んだ。

 魅力的だ。凡人である僕には、あまりにも巨大すぎる重圧から逃れられるその提案は、悪魔の囁き以上に魅力的に聞こえた。

 

 だが。

 

 ――『……私の愛したこの国を、頼みましたよ。』

 

 脳裏に蘇るのは、かつて僕を逃がすために散っていった母上の、優しくも力強い最期の言葉。

 母上が命を懸けて守ろうとしたのは、帝国の属国として首輪を繋がれた、名ばかりの平和ではない。

 僕が幼い頃に見た、皆が笑い合い、自由に明日を夢見ることができる、当たり前の春。

 

「……お断りします、アンドレア殿下。」

 

 静寂に包まれた会議室に、僕の冷たく、はっきりとした声が響いた。

 その瞬間、背後のルイーズがハッと息を呑み、グンダ伯爵たち東部領主が「正気か」と言わんばかりに顔面を蒼白にさせる。

 

「……ほう?」

 

 殿下は広げていた両手をゆっくりと下ろし、スッと目を細めた。

 会議室の温度がさらに下がり、肌を刺すような殺気が空間を満たす。

 

「余の庇護を蹴るか。それがどういう意味を持つのか、理解した上での言葉だろうな? エヴァン。」

「ええ。全て承知の上です殿下。」

 

 僕は震えそうになる足に力の限り力を込め、一歩、殿下へと近づいた。逃げない。もう僕は、帝都で虜囚であった愛玩動物ではないのだ。

 僕は英雌ラウラの子。

 マドゥワス領主 エヴァン・クロード・マドゥワスなのだ。

 

「貴女の力に頼れば、確かに王都はすぐに落とせるでしょう。ですが、それはベレイン王国の死を意味する。帝国の力で取り戻した玉座など、ただの傀儡に過ぎない。」

 

 僕は円卓の上に積まれた、まばゆい金貨の山を指差した。

 

「我らは誰の所有物にも、帝国の傀儡にもならない。……ですが、我々にはどうしてもその金が必要です。」

「ッ、エヴァン様!? 何を……。」

 

 ゲルダ伯爵が信じられないものを見る目で僕を見た。

 所有物にはならないと宣言しておいて、金は寄越せと言っているのだ。帝国皇太女に対する、これ以上ない不敬にして傲慢な要求。

 

「……面白い。余の愛を拒みながら、余の金はせびるか。どういう理屈だね?ンン?」

 

 殿下の声はひどく低く、嵐の前の静けさのように不気味に響いた。

 

「この金は、貴女からの贈り物ではなく、我がマドゥワス領としての正式な『借款』、あるいは『投資』としてお受けしたく存じます。」

 

 僕は真っ直ぐに、覇王の濁った瞳を見据え返した。

 

「元老院の目論見を潰し、ワルキアに対する防波堤を機能させるのが貴女の大戦略なれば。私は必ず王都を落とし、自分のやり方でこの国に平穏を齎し、貴女の望む盤面を作り上げてみせましょう。……だからこれは、そのための先行投資。必ず利子をつけてお返し致します。」

 

 言い切った。

 もう後戻りはできない。僕は帝国皇太女に対し、一歩も退かずに「対等な取引」を突きつけたのだ。

 数秒間、会議室の時が完全に止まった。

 誰もが、僕の首がその場に落ちる瞬間を覚悟した。

 だが。

 

「…………っ、あぁ。」

 

 殿下の口から漏れたのは、怒りの号令ではなく、熱を帯びた、ひどく甘い吐息だった。

 彼女は自らの身体を抱きしめるように両腕を交差させ、ビクビクと肩を震わせている。

 どこの琴線に触れたかは知らないが、もう見るからにアカンやつだった。

 

「あぁ……! あぁぁッ、素晴らしい!! なんて、なんて不遜で、なんて気高い瞳だ!!」

 

 殿下は頬を極彩色に染め上げ、恍惚とした表情で身悶えした。

 

「死の恐怖も、圧倒的な絶望も、余の甘い誘惑すらも跳ね除け、己の足で王道を征くか! さすがは余が、余だけが見出した若き獅子だ!! んんッ……たまらん! 今すぐその服を剥ぎ取って、その傲慢な唇を塞いでしまいたい……ッ!」

「ちょ、来ないでください! 触るな!」

 

 執着を通り越して完全に変態と化した殿下が迫り、僕が悲鳴を上げて後ずさる。すかさずルイーズとバルバラが盾となって僕を守った。

 圧倒的な絶望の空間は、今度こそ完全に崩壊し、わけのわからないカオスへと変貌していた。

 

「……ふっ、ふふっ。」

 

 その時、誰かの笑い声が聞こえた。

 見れば、腰を抜かしていたはずのグンダ伯爵が、自嘲気味に肩を揺らして笑っていたのだ。

 

「グンダ伯爵……?」

 

 彼女はゆっくりと立ち上がると、衣服の汚れを払い、そして――僕に向かって、深く、深く頭を下げた。

 

「……負けました。我々の完敗です、マドゥワス卿。」

「え……?」

「帝国皇太女という絶対的な暴力と権力を前にしても、一歩も退かず、己の王道を貫くその覇気。……それに比べて、我々はなんと矮小で、臆病であったことか。」

 

 グンダ伯爵の言葉に、他の保守派の領主たちも次々と立ち上がり、僕に向けて恭しく頭を垂れていく。

 その顔に、もう王都への怯えはなかった。

 

「貴方こそが、東部の未来……いや、このベレイン王国を託すに足る御方なのですね。……我らダ・アース領、これよりマドゥワスの若き狼に、全ての忠誠を捧げましょう。」

 

 その光景に、ゲルダ伯爵も扇子で口元を隠しながら、満足げに微笑んでいた。

 帝国の介入という最悪のイレギュラーを乗り越え、僕たちは東部の保守派をなんとかに味方につけることに成功したらしい。

 武力でもなく、金でもなく。絶対者を前にして膝を折らない領主としての覚悟が、彼らの心を動かしたのだ。

 

「ふふ……これで役者は揃ったな、エヴァン。さあ、見せてみろ。貴様がどうやって豚どもを食らい尽くすかを。」

 

 背後で、殿下が妖しく目を細めて笑う。

 東部の無血統一。そして、帝国の金庫をひっくり返したような莫大な軍資金。

 全ては整った。

 待ち受けるは、母上の仇であり、国を腐らせる王都の徹底抗戦派。

 僕は強く拳を握りしめ、来るべき決戦の地、王都ベルリネがある西の空を、静かに睨み据えた。

 

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