「……でかい」
旅人は半ば現実逃避しながら目の前の光景を見つめていた。光景というか、一見すると目前にあるのは明るい橙色の光だけだ。それがゆらゆらと時折揺らいでいることから、ぱっと見はすぐ傍で巨大な篝火が燃えているだけに思えるかもしれない。
しかし、そこから数歩下がり、天を仰げば『これ』が何なのかはすぐに理解できるだろう。その正体を知らずとも、それは人間が想像する通りの姿をしているからだ。巨大な体躯、鱗に覆われた体表、すらりと伸びた角、蛇のような細長い瞳孔──そこにいるのは燃え盛る龍だった。竜ではない、龍である。
「えっと……ウーレア、体は大丈夫? 急に大きくなったけど……」
「大丈夫……でも、元に戻る方法が分からない……」
「そっか……うーん、困ったな」
そう、目の前にいる巨大な龍はウーレアである。龍王になったのだから龍の姿になってもおかしくはない。寧ろ人型よりも余程それらしい姿になったと言えるが、そんな呑気なことを言っている場合でもない。
巨大化してもウーレアの体調に異変がなくて何よりだが、このままではどこにも行けない。というより、このまま動こうとすればどう足掻いても人目についてしまう。普通の人間しかいないような場所ならともかく、この周辺にはファデュイも堂々と拠点を構えているのだ。彼らが長らく光界の力にご執心なことを踏まえれば、龍なんて見つけた途端に喜び勇んで捕まえに来るのは間違いない。
幸いにして巨大化した場所が空寂の回廊だったため、深い渓谷のお陰で今は誰にも見られていない。龍は基本的に体内の元素が循環していれば食事や睡眠の必要はないため、動けないからといって飢えて困ることもない。だが、いくら遮蔽物が多くても永遠に人が来ない保証はないのだ。何とかして早く元に戻る方法を探さなければならない。
だが、探しに行くとなればこの場にウーレアを置いていかなければならない。しかも、こういう時に限ってパイモンと別行動している。せめてパイモンがいてくれたら──
「うわぁぁぁ!? なんだこいつ!?」
悩んでいる間に恐れていた事態が起きてしまった。いくら人気のないところだからといって、決して誰も通らないわけではないのだ。特に、宝盗団のような良からぬ輩は寧ろこういう人目につきにくい場所を好むのだから。
旅人は慌てて声の出所を探したが、どうやら巨大なウーレアの体の向こう側にいるらしくて正確な位置が分からない。体をよじ登ってでも向こう側に行くしかないかと考えた矢先、ウーレアの体がもぞりと身じろいだ。何故だか悪い出来事というのはドミノ倒しのように連鎖するのだ。
「ば、ばけも──」
その瞬間、目の前で強烈な熱気が渦巻いた。ナタで時折見かける気体燃素の噴出口に近づいてしまった時の感覚に似ている。竜ですら命の危険を感じるほどの驚異的な熱。そんなものを間近で、しかも小さな噴出口よりも遥かに大きな規模で浴びたらどうなるか。
「ウーレア、落ち着いて!」
声を張り上げると、ほどなくして熱は引いていった。しかし、先程まで聞こえていた誰かの声はもう聞こえない。この大きな体の向こう側がどうなっているか不安だったが、今はひとまずウーレアを宥めるのが先だ。
「大丈夫だよ、深呼吸して……深呼吸した拍子に炎は吐いちゃ駄目だよ」
「うん……空、この人動かなくなっちゃった」
「……大丈夫。あとで俺がどうにかするから、今は自分のことだけに集中して」
ウーレアは濫りに人を傷つけるような子ではない。しかし、感情が高ぶれば力を制御できず、意図せず人を傷つけてしまうことは珍しくない。これは龍王になったウーレアに限らず、ナタにいる多くの竜でも同じことだ。可愛く無邪気な竜達を見ていると忘れてしまいがちだが、彼らは基本的にどの竜であっても人間より強い。神の目を持っているか、あるいは厳しい訓練を受けた戦士ならばともかく、一般人が舐めてかかれば命を落とす可能性も十分ある。
龍になったウーレアなら尚更だ。ウーレアからしてみれば突然人間に叫ばれ、負の感情を向けられ、ちょっとびっくりして身構えただけなのだろう。だが、そのちょっとした防御姿勢で体内に渦巻く燃素が噴出し、人間にとっては近づくことすらできないほどの熱を帯びている。その姿を見ていると、やはりウーレアを置いていくのは躊躇われた。
どうにかしてウーレアを独りにせず、元に戻る方法を探せないものか。そう思案していたところに、またしても第三者の声が響いた。但し、今度は旅人の背後からだ。
「魔物達が何やら妙な動きをしていると思って調べてみれば……これは一体どういう状況でしょうか?」
「ふ、フリンズ……!」
ばっと振り向けば、いつものようにランプ片手に佇むフリンズが視界に入る。普段なら和やかに挨拶して世間話でもする状況だが、今はそれどころではない。尤も、いくら焦ったところでここまで巨大な体躯を隠せるはずもなく、龍の姿はしっかりとフリンズの視界にも入っているのだが。
「これが噂に聞く龍というものでしょうか。それに、先程聞こえてきた声……ウーレアさんのものですよね? 以前お会いした時に人間ではないだろうとは思いましたが、まさか龍は人の姿にもなれるとは」
駄目だ、全部バレている。知り合いなので殴って有耶無耶にするわけにもいかず、旅人は腹を括った。ウーレアとフリンズの初対面が最悪だったことを考えると未だ躊躇いは残るが、全くの見知らぬ人間よりは遥かに良いだろう。
「お察しの通りウーレアは龍なんだけど、まだ幼いせいで力が安定してないのかこうなっちゃって……」
「幼い……確かに言動からしてそうだろうとは思いましたが、龍というのは幼くともこれほど大きくなれるものなんですね」
「俺も初めて見たけどそうみたい。どうにかして元の姿に戻したいんだけど、手掛かりを探しに行こうにも今のウーレアをひとりで残していくのは心配で……フリンズはこの後時間ある?」
「ありますよ。見回り中でしたが、急ぎというわけではありませんから」
「……そういえばさっき魔物がどうとか言っていた気がするけど、もしかしてもう周りに影響が出始めてる?」
「ええ。どういうわけかワイルドハントの魔物達は龍を恐れており、おそらくは彼がこの姿になってからなるべく距離を取ろうと島の中心部から海岸線に向かって移動しています。通行人はあまり不自然に思わないかもしれませんが、見回り中のライトキーパーなどには気付かれる可能性が高いでしょうね」
ワイルドハントは虚界から齎されたアビスの造物である。そして、虚界と光界の力は反発し合う性質がある。故に、龍によって作られた月の力であるクーヴァキを恐れ、その造物主たる龍のことも恐れるのだろう。最初は人間にさえ見つからなければ誤魔化せると思っていたが、龍が及ぼす影響を考えれば想像以上に差し迫った状況なのかもしれない。
「ご安心を。ライトキーパーが近づいた時は僕が上手く取り繕っておきましょう。ですから、旅人さんはどうかウーレアさんを元に戻す手掛かりを探してきてください」
「……うん。見つけ次第すぐ戻ってくるから、それまでウーレアのことをよろしくね」
「勿論です。以前のように怖がらせることもしないと約束しましょう……今この姿のウーレアさんを怖がらせたら、おそらく僕も無事では済まないでしょうからね」
「フリンズ、それ笑えないから……」
ついさっき一人焼かれたことを考えると本当に笑えない。
それでも他に選択肢はないため、旅人は足早に空寂の回廊から走り出した。その小さな背中を見送り、フリンズはどことなく緊張している巨大な体躯に向き直る。道幅の問題でこの場で方向転換はできないのか、ウーレアはこちらに正面を向けることなく、長い首を活かして背後に立つフリンズを覗き込んでいた。
「こんにちは、ウーレアさん」
「……こんにちは」
若干警戒している様子だが、以前よりは落ち着いている。前回の遭遇から少し時間が空いたのと、今はウーレアの方が高い場所から見下ろしているからだろう。それがフリンズからすると少し不思議で可笑しかった。龍という神よりも強大な伝説の存在が、たかが体の大きさに惑わされて感じ方すら変わるというのだ。まだ幼いからなのだろうが、能力と感性がちぐはぐな様が興味深かった。
「旅人さんが戻ってくるまで僕とお喋りでもしながら待っていましょう。どんな話題でも構いませんよ」
「……じゃあ、君のことを教えて」
「おや、僕のことに興味がおありですか? しかし、僕は至って平凡なライトキーパーですから、龍を満足させられるような話は──」
「そうじゃなくて……君の気配、なんか変。この体になってからより一層感じるけど……とても不自然な感じがする」
唐突な指摘に虚を衝かれ、ややあってからどう答えたものかと考え込んだ。
ウーレアの言わんとするところはすぐに理解できた。フェイという種族が抱える歪さを感じ取ったのだろう。幼くともやはり龍王だからか。
フェイはかつて北国に住んでいた人々が作り出した人工精霊である。生命の創造は天理が人類に対して定めた禁忌だったが、いつの世も禁じられればそれを破る人間がいるということだ。
龍はテイワットにおいて生命の根源とも言える存在である。だからこそ、余計に人工精霊の歪さが際立って感じられるのだろう。具体的に何なのかまでは分かっていないようだが、人間と違って特殊な知覚を持つ龍を誤魔化すのは難しい。
「……それはおそらく、フェイというもの自体が自然に生まれた命ではないからでしょうね」
結局、フリンズはわずかな逡巡の末に打ち明けることを選んだ。平時ならば滅多なことで素性を明かしたりはしないが、相手がすでに何かを感じ取っているのなら隠し切れない。なら、妙な疑念を植え付けてしまう前に自分から語った方がマシだ。
それに、人間相手だと正体を知られた時にあれこれと詮索される恐れがあるが、龍相手ならそういう心配もないだろうという予感があった。実際、フェイと聞いたウーレアの反応は淡白なもので、少し考え込むように長い首を傾げただけだ。
「前に空から聞いたよ。スネージナヤに昔いた貴族達がフェイという存在だったんだって」
「おや、スネージナヤ・グラードの方にはまだフェイが残っていますよ。この辺りで珍しいのは事実ですが」
「ふーん……いっぱいいるの?」
「いっぱいというほどではありませんが、滅多にいないというほどでもありません」
北国の首都には未だ少なくないフェイがいると聞き、ウーレアは些か落ち着かない様子で身じろいだ。フリンズ一人を前にしただけでその歪さが気になるというのだから、大勢のフェイに囲まれることがあれば我慢できずに飛び出してしまうかもしれない。その懸念はフリンズにも理解できたのか、彼はふと何かを思いついた様子で微笑んだ。
「ウーレアさんさえよろしければ、今度から時折僕とお出かけでもしましょうか」
「えっ」
「ウーレアさんは今後も旅人さんと旅をしたいのでしょう? そして、彼はいつかスネージナヤ・グラードにも行くはずです。その時に備え、僕で慣れておくのは悪くないことだと思いますよ」
「う……」
ウーレアもその辺は気にしていたのだろう。思案するように長い尻尾を揺らしている。ゆらゆらと長い尾がこれまた長い影を落とすのを眺めながら、フリンズはこれまで出会ってきた人々の気持ちを少しだけ理解していた。
人は珍しいもの、変わったものに興味を惹かれる性質がある。だからこそ、同じような古物でも物珍しい逸話がある方が高く売れるのだ。長く生き、多くのものを見てきたフェイからすれば本当の意味で希少な物語というのは限られるのだが、現代において本物の龍に見えるというのは彼からしても真に貴重な経験だと言えた。
正直に言おう。フリンズはこの幼い巨龍を一目見た時から、焔の形が瞼に焼き付くほどに興味を惹かれている。以前は琉鱗石に関心を持ったが、今は目の前に並ぶ鱗の一枚か、叶うことならば角の欠片でも貰えたら手放し難いコレクションになるだろうと思わずにはいられなかった。
勿論、無理矢理剥ぎ取るつもりはないし、仮にしたくとも実現はしないだろう。それに、アビスの侵食から守ってくれた旅人への恩義もある。今は折角軌道修正しかけた関係を悪化させるべきではないと己を戒め、繕い慣れた澄まし顔でウーレアを見上げた。
「どうでしょう。僕とお友達になりませんか?」