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設定について年齢などずらしていますので、ご承知おきください。
慣れない関係、慣れた展開
冬の空気は、痛いほどに澄んでいる。 二月も半ばを過ぎ、総武高の校舎を包む風は、物理的に肌を刺す冷たさで感傷的に胸を刺す。
俺、比企谷八幡は、特別棟の廊下で自販機の明かりに照らされている。缶のマックスコーヒーを啜りながら、吐き出す息の白さを眺めていた。
もうすぐ、ここからいなくなる。 その事実に、不思議なほどの感慨はなかった。あるのは、微かな安堵と、それを上回る焦燥感だ。
「……寒い」
思わず漏れた独り言は、誰に拾われるでもなく虚空に消える。
…いや、違う。拾われる相手は…
「比企谷くん」
すぐ隣から、鈴を転がすような、しかし芯のある声がした。 見れば、雪ノ下雪乃が、俺と同じように白い息を吐きながら立っている。その手には、温かいコーヒーのペットボトル。俺がいつも飲んでいるマックスコーヒーでも、彼女が好む銘柄でもない、その中庸な選択が、今の彼女の気遣いを表しているようだった。
「……おう。寒いな」
「そうね。……でも、もう少しだけ」
そう言って、雪ノ下は俺の着ているダッフルコートの袖を、そっと掴んで動きを制した。 それだけ。ただ、それだけの行為に、俺の心臓は慣れない音を立てる。
高校三年生の冬。俺と雪ノ下雪乃は、いわゆる「交際」という関係にある。 あの長い長い回り道と、数えきれないほどのすれ違いと、お互いに差し出した不格好な「本物」の要求を経て、俺たちはようやく隣に立つことを選んだ。
選んだ、はずだった。
「……そろそろ戻らないと。小町たちが待っているわ」
「そうだな」
袖を掴む指が、わずかに強くなる。 戻る場所は、奉仕部室。 あそこには今、部長を引き継いだ俺の妹・比企谷小町と、あざとマシーンにして現生徒会長・一色いろはがいる。俺と雪ノ下は、OB・OGという名の後見人として、時折こうして顔を出していた。卒業を間近に控えた今、それはほとんど日課のようになっていたが。
関係は変わった。世界も変わった、とまでは言わないが、少なくとも俺の周囲の景色は一変した。 だが、俺は。 比企谷八幡という人間の根幹は、果たして変わったのだろうか。
「……比企谷くん?」
「いや。なんでもない」
首を振り、ぬるくなったマックスコーヒーを飲み干す。 この、隣にある温かさに。手を伸ばせば触れられる「本物」の感触に。 俺は、まだ、慣れることができずにいた。
「というわけでして! せんぱい、雪乃せんぱい! この案件、どうにかしてくださいよー!」
奉仕部室の扉を開けるなり、一色いろはがパイプ椅子を回転させながら大袈裟に嘆いてみせた。その手には、なにやら印刷されたA4の束。 対する小町は、テーブルに突っ伏して「うー……小町の胃がキリキリ……」と、こちらも実年齢に似つかわしくない疲労困憊ぶりだ。社畜の血が受け継がれたようで、僅かばかりの同情心を抱く。
「落ち着きなさい、一色さん。それに、私たちはもう部員ではないのだけれど」
雪ノ下は冷静にそう窘めつつも、上着を脱ぎ、当たり前のように紅茶の準備を始める。
「そーですけど! でも、これ、結構ヤバい案件なんですよ! ね、お米ちゃん」
「はい……ヤバいです……。小町的にポイント低いどころかマイナスです……」
俺はため息混じりに自分の席だった場所に腰を下ろす。
「で、なんだ。また生徒会でなんかやったのか」
「人聞きの悪いこと言わないでくださいよ。私だって真面目にやってるんです。……ていうか、案件を持ってきたのは、私じゃなくて」
いろはが視線で示した先。 部室の隅、来客用の椅子に、一人の少女が固い表情で座っていた。
見慣れない、他校の制服。ブレザーに、チェックのスカート。 しかし、その顔には見覚えがあった。いや、見間違えるはずがない。 あの頃の面影を残しながらも、背は伸び、顔立ちは整い、なによりその瞳からかつての「澱み」は消え去っている。 意志の強さを感じさせる、まっすぐな目。
「……鶴見、留美」
俺がそう呟くと、彼女はビクリと肩を揺らし、それからゆっくりと立ち上がって、深々と頭を下げた。
「ご無沙汰、してます。比企谷、さん。雪ノ下、さん」
「鶴見さん……。大きくなったのね」
雪ノ下が驚きと懐かしさをないまぜにしたような表情で目を丸くしている。
確かに、あの千葉村のキャンプ以来だ。 あの時、俺が最悪の方法で「救った」と思い込み、その実、ただ問題を先送りにしただけの、あの少女。 聞けば、今は別の中学校に通っており、中学三年生。つまり、来月には俺たちと同じように「卒業」を控えている。
「あ、えっと、鶴見さんは小町の中学の友達の友達、みたいな感じで。それで、生徒会やってるってことでいろは先輩にも繋がってて……」
小町が慌てて関係性を説明する。 なるほど。生徒会繋がりでいろはに相談が持ち込まれ、手に余るからと奉仕部に回ってきた、と。そういうわけか。
「小町、紹介はいい …知り合いだ」
小町は驚きつつ、鶴見に視線を戻した。
「それで、問題というのは?」
雪ノ下が紅茶を差し出しながら、本題を促す。 留美はカップを受け取ると、一度唇を引き結び、それから意を決したように口を開いた。
「私、今、通っている中学で、生徒会副会長をしています」
その事実に、俺は少し驚いた。あの、人間関係から完全に孤立していた少女が、生徒会。
「……すごいじゃないか」
「いえ……。あの時の……比企谷さんたちのおかげで、私は『慣れる』んじゃなくて、『変えよう』って思えたから。……でも」
彼女は俯き、手に持った資料をテーブルに置いた。
「今、生徒会が、機能していません。……いえ、それどころか、すごく、汚いことになっています」