数週間後。俺たちは、それぞれ別の大学に入学した。
雪ノ下との交際は、表面上は続いている。LINEでの連絡は、以前よりも形式的になり、絵文字や私的な感情のやり取りは、ほとんどない。まるで、ビジネスメールのようだ。
「比企谷くん、来週、サークルの説明会で都心に出るのだけれど、夕食でもどうかしら?」
『わかった。時間と場所を教えてくれ』
それが、俺たちの日常になった。
再会した雪ノ下は、どこかやつれていたように見えた。高校時代よりも、化粧は薄く、纏っている雰囲気は、以前にも増して冷たい。
「……大学は、慣れたか」
俺が尋ねると、彼女は冷たい目で俺を見返した。
「ええ。慣れたわ。むしろ、高校時代よりも、ずっと楽よ。周囲に、私の『正しさ』を理解し、その完璧さを求める人がいないから」
「……そうか」
「比企谷くんは? 腐った目の比企谷八幡を演じる必要のない場所で、何を演じているの?」
その言葉は、俺の心を深く抉った。彼女は、俺が変わる努力をしているか、探っているのだ。
「特に何も演じてない。……ただ、ぼっちを極めてるだけだ」
「そう。……それなら、安心ね」
雪ノ下は、俺の言葉を、額面通りに受け取ったようだった。彼女は、俺の「孤独」を、俺が安易に逃げていないことの、証明だと解釈したのだろう。
(違う。俺の孤独は、もう、埋められている。お前には、そのことに、気づいてほしくない)
俺は、罪悪感から、雪ノ下の目を見ることができなかった。
食事中、雪ノ下は、俺との関係について、一度だけ核心に触れた。
「比企谷くん。あなたの言う猶予の意味は、理解しているつもりよ。あなたが、自分自身の歪みを、私たち二人の関係を、どうするのか。……私は、待つわ」
彼女の待つという選択は、俺の誠意を信じているというより、俺の「裏切り」が露見した時のために、彼女の正当性を確保しているかのようだった。
「でも、もし、あなたがその猶予を、私を欺くための時間に使うなら……。私は、もう二度と、あなたのことを信じないわ」
その言葉に、俺の背筋は凍りついた。彼女は、交際を維持することで、俺を、その責任から逃れられないよう、縛り付けているのだ。
俺たちの交際は、愛というより、契約に近くなっていた。
雪ノ下と会った、その翌日。俺は、高校生になったばかりの鶴見留美と、彼女の高校の最寄り駅で密会した。
留美は、俺の姿を見つけるなり、周囲の視線も気にせず、駆け寄ってきた。
「八幡!」
俺は、反射的に彼女の頭に手を置いた。
「おい、人前だぞ」
「いいじゃん。私、八幡の彼女なんだから」
彼女は、そう言って、俺の腕に絡みついた。高校の制服のスカート丈は、驚くほど短くなっていた。
「……雪ノ下さんとは、どうだったの?」
カフェに入り、向かい合って座ると、留美はすぐに核心を突いてきた。
「どうもこうもない。……前と同じだ」
「ふうん」
留美は、ココアを一口啜り、意味深に笑った。
「そっか。よかった」
「何がよかった、だ」
「だって、八幡が雪ノ下さんと別れて、すぐに私と付き合い始めたら、私、八幡の逃げ場所になっちゃうでしょ?」
彼女は、俺の心理を深く理解していた。
「私、八幡が逃げてきた場所じゃなくて、八幡が選んだ場所になりたいの。だから、雪ノ下さんと別れるのは、八幡が、私のことを責任を持って選んでからでいいよ」
「……お前、高校生になって、言葉がキツくなったな」
「八幡のせいでしょ? 八幡に追いつくために、私、頑張ってるんだから」
留美は、テーブルの下で、そっと俺の手に触れた。
「ねえ、八幡。……雪ノ下さんは、八幡に変わってほしいんでしょ? でも、私は違うよ」
彼女は、俺の腐った目を、まっすぐに見つめた。
「八幡は、変わらなくていい。そのままでいいの。私が、八幡の『間違っているところ』も、『最低なところ』も、全部、責任持って受け止めてあげるから」
その言葉は、俺の心に巣食う闇を、暖かく包み込むブランケットのようだった。雪ノ下との関係が、俺の「正しさ」を試す試験であるならば、留美との関係は、俺の「歪み」を肯定する、唯一の聖域だった。
「……お前は、本当に、俺を甘やかすのが上手いな」
「甘やかしてるんじゃないよ。……愛してるんだもん」
その言葉に、俺の心臓は、雪ノ下といる時には感じることのない、熱い痛みのようなものを覚えた。
留美は、俺の腕に、自分の体を預けてきた。
「……ねえ、八幡。大学と、高校。電車で片道二時間もかかるなんて、遠すぎるよ。……早く、私のことも、八幡の『本物』にしてよ」