コーヒーの湯気が、夜のリビングにゆっくりと広がっていく。
アクアはソファに腰を下ろし、カップを両手で包みながら考えていた。
――仮面ライダーは、最初からこの世界にいなかったことになっている。
――アイも、同じだ。
思い返せば不自然な点はいくつもあった。
幼い頃、仮面ライダーの話をした時、アイは首を傾げ、ルビーはぽかんとしていた。テレビも、本も、ネットも、どこを探しても存在しなかった。まるで“最初から無かったもの”のように。
それは、アイが消えた時と同じだった。
アイは確かに存在していた。声も、体温も、笑顔もあった。
だが、消えた瞬間から世界は整合性を取り戻すように書き換えられた。
B小町は最初から四人。
俺とルビーは、最初から社長に保護された子役。
世界は、何事もなかったかのように進み続けている。
「……似てるよな」
ぽつりと零れた声は、誰にも届かない。
仮面ライダーは“俺の記憶にしか存在しない”。
アイも“俺とルビーの記憶にしか存在しない”。
なら――逆に。
この世界に後から現れるものは、どこから来る?
怪人だ。
仮面ライダーに変身できるようになってから、妙な感覚がある。
理由はわからない。だが、わかるのだ。
「ここに来る」と。
その夜、アクアは町外れの廃工場に立っていた。
錆びついた鉄骨、割れた窓、風に揺れるビニールの音。
月明かりだけが、静かに地面を照らしている。
ルビーはミヤコに任せた。
――これは、俺が行く場所だ。
すでに変身は済ませている。
仮面の内側で、呼吸は静かだった。
そして、来た。
最初は影だった。
壁に貼りつくような、地面を這うような、形の定まらない闇。
それらが、引き寄せられるように集まり――歪む。
「……やっぱりな」
動物の牙、鱗、羽毛、節足。
秩序のない組み合わせ。
見るだけで生理的な嫌悪を覚える“怪人”。
影が集まる場所。
――そこに、向こう側と繋がる何かがある。
そう踏み出した瞬間、怪人は完成し、咆哮をあげた。
「待て!」
アクアは距離を取る。
バックステップ、床に火花が散る。
「お前は何だ。どこから来た。目的は何だ」
返事はない。
あるのは、獣じみた殺意だけ。
何度問いかけても同じだった。
知能がないのか、それとも――答えられないのか。
やがて怪人は、何かにひかれるように向きを変え、街の方角へ走り出す。
「……くそ」
追うしかなかった。
守るために倒す。
だが、倒しても何も残らない。
答えも、手がかりも。
それでも、アクアは拳を握る。
――怪人は“向こう側”から来る。
――アイも“向こう側”に消えた。
なら、必ず繋がっている。
「待ってろよ……」
誰に向けた言葉か、自分でもわからないまま、
アクアは夜の中へと駆け出していった。
失われたものを取り戻すために。
書き換えられた世界の、その向こう側へ辿り着くために。
仮面の奥で、決意だけが静かに燃えていた。