夜の街は、眠っているようでいて完全には静まらない。
ネオンの残光、終電を逃した人々の足音、シャッターを下ろす店の金属音。そんな雑多な気配の中を、怪人は疾走していた。
アクアは屋根の縁からそれを追う。
変身した身体が夜風を切り裂き、靴底がコンクリートを叩くたび、胸の奥で嫌な予感が膨らんでいく。
――街に出たか。最悪だ。
怪人は無秩序に混ざり合った獣の輪郭を持ち、頭部を左右に揺らしながら立ち止まった。
人々はまだ、それを「異常」と認識していない。誰かが笑いながら言う。
「なにこれ、撮影じゃね?」
怪人は鼻先をひくつかせる。
匂いを嗅ぐように、空気を裂くように、何かを探している。
そして、視線が一人に定まった。
少し離れた場所。
スマートフォンを構え、半ば面白がるように、半ば仕事の癖で、騒ぎを撮っていた若い女性。
怪人の影が、じわりとそちらへ向く。
「……え?」
遅れて気づいた彼女の声が、夜に溶ける。
次の瞬間、怪人が地面を蹴った。
――来る。
アクアは迷わない。
屋根から飛び降り、アスファルトを砕く勢いで二人の間に割り込む。
衝突音。
衝撃波のような空気が広がり、周囲の人々も、ようやく「撮影じゃない」と悟り、悲鳴とともに散っていった。
怪人の爪が振り下ろされるが、アクアは受け流し、反転し、拳を叩き込む。
獣じみた咆哮が夜に響く。
「下がれ!」
誰に向けた言葉か、自分でも分からない。女性は尻もちをついたまま目を見開き、理解するより先に身体が動く。
怪人はすぐに立ち上がり、再び唸り声を上げる。
アクアは間合いを測りながら、街灯の位置、人の逃げた方向を一瞬で確認する。ここで派手にやれば、被害が出る。
「……チッ」
短く舌打ちし、アクアは怪人を挑発するように一歩踏み出した。
怪人が反応し、一直線に突進してくる。アクアはそれを受け流し、路地裏へと誘導する。コンクリートの壁が近づき、音が反響する狭い空間。
数合。
爪をかわし、拳を叩き込み、装甲越しに伝わる手応えを確かめる。怪人は強いが――読み切れる。
最後の一撃。
低く踏み込み、渾身の力を叩き込むと、怪人の身体はひび割れるように崩れ、影の塊へと還っていった。闇が夜に溶け、最初から存在しなかったかのように消える。
静寂。
遠くでサイレンの音が近づいてくる。
残るのは、砕けたアスファルトと、ざわめきだけ。
アクアはすぐにその場を離れる。
人気のない路地へ入り、影の中で変身を解く。
呼吸を整え、夜に紛れる。
――手がかりは、なし。
そう思った、その時。
少し離れた物陰で、息を殺している気配に気づいた。
レンズ越しの視線。
震える指でスマートフォンを握りしめる影。
彼女は、見ていた。
怪人よりも、ヒーローよりも、何より「ありえないもの」を。
「……なに、今の」
小さな声。
興奮と恐怖と、好奇心が混ざった声。
「なんか……すごいの、撮っちゃったどころじゃないんだけど……」
画面を見下ろし、指先がわずかに震える。
胸の奥で、恐怖よりも強い何かが芽生え始めていることに、彼女自身はまだ気づいていなかった。
彼女の名は―― MEMちょ。