同じ頃、木星圏内にある宇宙管理局本部では、ドルトムントの復帰便とはまったく違う種類の緊張が流れていた。
オペレーションルーム奥の会議区画。中央の大型ホログラムには北部未探索領域の宇宙図が表示され、その周囲には調査船が辿った帰還航路、損傷した二隻の護衛艦、第三セーシングポイント、そして途中で発生した高密度の粉塵帯が色分けされている。
ペルシアは自分の席に座ったまま資料を眺めていたが、不意に何かを思い出したように顔を上げた。
「そういえば今日、リュウジの復帰フライトみたいよ」
会議開始直前の、あまりにも唐突な一言だった。
フレイが端末から顔を上げる。
「今、その話をされますか?」
「思い出したから」
「会議開始予定時刻を二分過ぎています」
「二分なら誤差よ」
「統括官にとってはそうでも、会議予定表にとっては誤差ではありません」
ペルシアは少しだけ口を尖らせた。
「フレイって予定表の味方よね」
「予定表には逃げませんので」
その横でイーナが苦笑し、リリアは何も言わず薄く笑っていた。シャオメイは既に議事記録用の端末を開き、ナミとマリは壁際の通信席に並んでいる。ジェームズは腕を組んだまま立っており、大型画面の別ウィンドウにはグレートフォックスからフォックス、ファルコ、スリッピー、クリスタルが接続していた。
『復帰できる程度には戻ったのか』
フォックスが静かに尋ねる。
「ええ。エリンから聞いた限りではね。一週間入院して、その後もかなり休まされたみたい」
『“休んだ”じゃなくて“休まされた”なんだな』
ファルコが笑う。
「リュウジだからね。放っておいたらたぶん二日くらいで仕事するわよ」
「三日だ」
ジェームズが低く言った。
ペルシアが振り向く。
「何でちょっとだけ甘いのよ」
「二日目はエリンに止められる」
『それはありそう』
スリッピーが笑い、クリスタルも僅かに表情を緩めた。
「でも、復帰したのなら良かったです」
イーナが素直に言う。
「はい。本当に」
ナミも頷いた。
マリは少し迷った後、ペルシアを見る。
「統括官は、連絡されないのですか?」
「今?」
「はい」
「しない。エリンがいるもの。今日くらいは邪魔しないでおく」
ペルシアはそう言いながら、端末へ一度だけ視線を落とした。本当は少しくらい連絡してもいいかと思っている顔だった。
フレイが無言でペルシアを見る。
「……何よ」
「何も申し上げておりません」
「その顔が言ってる」
「会議を始めます」
「はいはい」
ペルシアは椅子へ座り直した。
空気が変わる。
先ほどまでの軽いやり取りが消え、中央の宇宙図へ全員の視線が集まった。
「じゃあ始めましょう。議題は先日の宇宙連邦連盟による北部未探索領域調査。事故原因そのものについては連盟側でも検証中だから、今日は宇宙管理局として見えた問題を整理する。責任者探しじゃなくて、次に同じ調査をする時に同じ状態を作らないための話ね」
ペルシアが指を動かすと、宇宙図の中央に調査船の航跡が浮かび上がった。
出発時には、調査船と二隻の護衛艦が一つの編成を組んでいた。だが北部未探索領域の奥で調査船が粉塵帯の影響を受け、主推進器の支持部に重大な損傷が発生した。護衛艦二隻も同時に損傷し、継続護衛が困難となったため、先に未探索領域から離脱している。
結果として、損傷した調査船だけが未探索領域に残った。
「まずここ」
ペルシアが航跡の一点を拡大する。
「護衛艦が二隻とも離脱した時点。私はこの時点で、調査継続じゃなく帰還判断そのものをもっと早く固めるべきだったと思ってる」
「調査自体はその時点で中止されています」
フレイが確認する。
「分かってる。でも中止と帰還計画の確立は別。調査をやめました、だけじゃ人は帰ってこない。損傷船をどう戻すのか、誰が操縦するのか、どこまで行けば支援を受けられるのか。そこが後追いになった」
リリアが表示された記録へ目を向ける。
「連盟側の指揮判断についても整理が必要ですね。調査船内部の指揮系統、船長権限の扱い、操縦責任者が変更された経緯。そのあたりは、まだ聞き取りが完全ではありません」
「そうね。リュウジが操縦を引き受けた結果だけ見れば帰還できた。でも、“帰還できたから正しかった”では終わらせない」
ペルシアの声が少し低くなる。
ホログラム上の調査船がゆっくりと帰還航路へ移動する。その横に表示された推進出力は、通常運用から見れば異常なほど低い。
約十%。
壊れかけた主推進器を庇いながら、機体を進ませるための出力だった。
「十日以上です」
シャオメイが記録を確認しながら言う。
「調査中止後、救援船団との合流までを含め、長期間にわたり低出力での帰還航行が継続しています」
「その間、実質的な操縦負担がリュウジさんへ集中していた時間帯があります」
イーナが小さく付け加えた。
「そこ」
ペルシアが即座に反応する。
「今日一番話したいのはそこよ」
ジェームズが腕を組んだまま、ホログラムを睨む。
「機械より人間が先に限界へ近づいた」
「ええ」
ペルシアは頷く。
「調査船は壊れてた。でもログを見れば、船は一応持ってる。危なかったのはむしろ、操縦してる人間の方」
ナミが端末を操作する。画面に当時の通信記録が表示された。
――今、何時間起きてる?
――分からない。
ペルシアがリュウジへ尋ねた時の記録。
その後も、いつ寝たのかという問いに「昨日」、何時間寝たのかという問いには「二時間くらい」、正確な時間については「覚えてない」と返している。
会議室の空気が重くなった。
「これ」
ペルシアは記録を指した。
「操縦技術の問題じゃない。むしろ技術がありすぎたから成立しちゃったのよ」
ファルコが画面の向こうで眉を寄せる。
『できるやつだから任せ続けたってことか』
「結果的にはね」
『最悪じゃねぇか』
「最悪よ」
ペルシアは否定しなかった。
「本人が飛べるって言う。実際に飛べる。船も進む。報告も正確。だから周りから見ると、“まだ大丈夫”に見える。でも、それで十日以上引っ張ったらどうなるか。今回、最後は時間感覚まで怪しくなってた」
ジェームズが低い声で言う。
「操縦不能になってから交代を考えるのでは遅い」
「そういうこと」
『じゃあ、強制的に休ませる基準を作る?』
スリッピーが尋ねる。
「必要だと思う。未探索領域の場合は特にね」
ペルシアは新しい項目を画面へ出した。
「連続操縦時間、睡眠時間、判断反応、会話応答、心拍。本人の自己申告だけにしない。本人が“大丈夫”って言っても休ませられる仕組みにする」
『あいつには特に必要そうだな』
ファルコが言う。
「リュウジ専用規則じゃないからね」
『ほぼ専用だろ』
「違う」
「結果的には有効だ」
ジェームズが真顔で言った。
「ジェームズまで!」
ペルシアが抗議するが、誰も否定しなかった。
フレイが淡々と議事を戻す。
「操縦者疲労管理について、未探索領域任務時の強制交代基準案を作成します。次に、護衛体制についてお願いします」
画面が切り替わる。
二隻の護衛艦。
どちらも無事とは言い難い損傷状態で未探索領域から離脱し、その後、第三セーシングポイントへ戻る途中でさらに高密度粒子反応に遭遇した。
そして、その二隻を迎えに行ったのがスターフォックスだった。
「ここはあなた達に聞く」
ペルシアが画面を見る。
「フォックス、実際どうだった?」
フォックスは少し考えてから答える。
『一隻は支持部。もう一隻は冷却系統。どちらも自力航行は可能だったが、無理をさせれば悪化した』
『第一護衛艦は特に細かい出力調整が必要だったよ』
スリッピーが続ける。
『だから僕達は二機ずつに分かれて、状態を見ながら牽引した。速度より、支持部とグラップリングの負荷を優先したんだ』
「大型救援艦なら十六時間。アーウィンなら八時間で接触できた」
ナミが当時の移動記録を表示する。
「実際には?」
『だいたい計画通り』
フォックスが答えた。
『ファルコがもっと飛ばそうとしたけどね』
スリッピーが笑う。
『余計なこと言うな』
「言ったでしょ。速さを競う任務じゃないって」
クリスタルが静かに言う。
『まだ覚えてんのかよ』
「覚えてるわよ」
ペルシアは少しだけ笑ったが、すぐに表情を戻した。
「ここから分かったことも大きい。救援側にも、小型で早く動ける部隊が必要。大型船だけだと間に合わない場所がある」
「統括官専属探索チームを設けた目的とも一致します」
フレイが言う。
「そうね。最初に局長から言われた時は“便利屋班じゃん”って思ったけど」
「実際におっしゃっていましたね」
「覚えてなくていいのよ」
フレイは無視して続ける。
「未探索領域では、事故発生後に部署間調整を開始する方式では初動が遅れます。状況把握、捜索支援、救出側との連携を同じ指揮系統で動かせる体制が必要です」
「そこは今回、かなりはっきりしたわね」
ペルシアは頷いた。
マリが遠慮がちに手を上げる。
「統括官、通信についてよろしいでしょうか」
「もちろん」
「今回は、各船の位置が分かってからはナウスによる航路管理が機能しました。ただ、未探索領域内部では通信が断続的で、位置情報そのものが取得できない時間帯がありました。次回も同じ場所へ入るのであれば、救難信号だけでは足りないと思います」
「具体的には?」
「中継装置を置くべきです。恒久設備でなくても、調査船団が進入する際に一定間隔で簡易中継ビーコンを展開すれば、完全な通信断になる範囲を減らせます」
ナミも頷く。
「位置だけでも拾えれば、救援側の初動は変わります。今回のように、まず“どこにいるのか”を探すところから始める必要がなくなります」
『それはいいと思うよ』
スリッピーが即座に反応する。
『ビーコン側に最低限の環境センサーも付ければ、粉塵濃度とか粒子流の変化も拾えるかもしれない』
『壊されなければな』
ファルコが言う。
『だから複数置くんだよ』
『金かかるぞ』
「予算はフレイが何とかする」
ペルシアが即答した。
フレイがゆっくり顔を上げる。
「統括官」
「何?」
「私が予算を生み出すわけではありません」
「でも通すの得意じゃない」
「必要性を整理して申請するだけです」
「それを得意って言うの」
イーナが笑いを堪え、リリアも少し視線を逸らした。
フレイは何も反応せず、端末へ記録する。
「簡易中継ビーコン案。費用及び配備方法を技術班と検討します」
「さすが」
「次へ進みます」
「はい」
ペルシアは素直に戻った。
次に表示されたのは、帰還航路途中で突然形成された粉塵帯だった。
赤く表示された粒子群が、調査船と帰還側の支援部隊を分断するように伸びている。
この時、リュウジは損傷した調査船を操縦したまま粉塵帯へ入り、主推進器へ極端な負担をかけないよう出力を抑えながら突破した。
突破後、支持部の負荷は限界近くまで上がり、ペルシアとジェームズは主推進器を停止させている。
「ここも問題」
ペルシアが言う。
『突破したことが?』
クリスタルが尋ねる。
「突破した判断そのものは、あの時点では否定しない。迂回すれば船が持たない可能性もあったし、粉塵帯の変化速度を考えたら待機も危険だった。でも、こういう判断を一人へ持たせちゃ駄目」
ジェームズが頷く。
「現場判断は必要だ。だが、判断材料を出す人間がもっと必要だった」
「そう。今回、最終的にリュウジがやるしかない状況になった。でも本来は、操縦士が“飛べるかどうか”だけを判断する形にしないと駄目。構造、環境、航法、医療、それぞれが判断材料を渡す」
「ナウス」
ペルシアが呼ぶ。
『はい』
「当時の通信ログから、判断に必要だった情報を分類して」
『分類済みです。主要項目は、船体構造健全性、主推進器支持部負荷、粉塵密度推移、航路閉塞予測、補助推進器残存能力、操縦者疲労度、救援船団到達予測の七項目です』
「最後の一個だけ、人間なのよね」
『はい』
「そこを忘れたら駄目」
ペルシアの声が静かになる。
誰も茶化さなかった。
あの時、リュウジは調査船を戻した。
粉塵帯を突破した。
損傷を悪化させないよう出力を抑え、救援船団へ船を繋いだ。
それでも帰還した時、ペルシアが最も怖かったのは船の損傷ではなかった。
会話ができる。
自分で歩ける。
報告もできる。
それでも、明らかに限界を超えていたリュウジの姿だった。
「今回、全員戻ったから良かった。でも、成功例にはしないで」
ペルシアが全員を見る。
「これは事故対応が成功した記録じゃない。ギリギリまで崩れたものを、人と船と救援側が無理やり繋いで帰した記録。次も同じやり方をしたら、今度は誰か帰ってこないかもしれない」
会議室が静かになる。
フォックスが画面の向こうで小さく頷いた。
『同意する』
クリスタルも続く。
『今回は条件が重なりすぎた。でも、未探索領域なら同じことはまた起こるわ』
『むしろ、もっと悪いこともあるかもしれない』
スリッピーが言う。
『だったら、次に行く前に準備するしかないね』
「そういうこと」
ペルシアは椅子へ背を預ける。
「だから次回の調査については、宇宙連邦連盟から“いつ行けますか”って聞かれても、こっちの条件が整うまで了承しない」
フレイが確認する。
「宇宙管理局として、再調査に条件を付すということでよろしいですか?」
「ええ。最低でも、通信中継、救援待機地点、操縦者交代基準、護衛艦が離脱した場合の帰還手順。それから、調査船内部の指揮権限を事前に明文化する」
「医療面も追加してください」
イーナが言った。
「疲労度を自己申告だけにしないのであれば、医療班から基準を出していただいた方が良いと思います」
「入れましょう」
リリアも続ける。
「連盟側の指揮判断については、私の方で記録を整理します。ただし、責任追及と再発防止は分けて扱うべきです」
「お願い」
「承知しました」
「ナミとマリは通信案。スリッピーとナウスは中継ビーコンの技術案。ジェームズは船体側の撤退基準。フォックス達は救援側から見た改善点をまとめて」
『俺達まで宿題かよ』
ファルコが露骨に嫌そうな顔をする。
「当事者でしょう」
『管理局職員じゃねぇぞ』
「知ってる」
『じゃあ何で当然みたいに仕事振ってんだ』
「チームペルシアだから?」
『疑問形にするな』
スリッピーが笑い出し、クリスタルも口元を緩める。
フォックスだけは静かにペルシアを見る。
『提出期限は?』
「三日後」
『分かった』
『おいフォックス!』
「はい、決定」
ペルシアは満足そうに端末へ記録した。
フレイが最後の項目を確認する。
「統括官は何を担当されますか?」
「全体を見る」
「具体的には?」
「皆が出したのを読んでまとめる」
「逃げないでください」
「逃げてない」
「では、最終報告書の取りまとめ及び宇宙連邦連盟との協議資料作成を統括官担当とします」
ペルシアの顔が止まる。
「……フレイ」
「何でしょう」
「私、さっきリュウジの復帰フライトの話してた時が一番幸せだった」
「そうですか」
「戻れない?」
「戻れません」
ジェームズが低く言う。
「仕事しろ」
「はい……」
ペルシアは机へ突っ伏しかけたが、途中で止まった。
中央にはまだ、北部未探索領域の宇宙図が浮かんでいる。
その奥。
まだ名前すら付いていない空域。
調査できていない航路。
分からない環境。
宇宙連邦連盟は、いずれ再びそこへ向かうだろう。
そして宇宙管理局も、また支援することになる。
ペルシアは少しだけ目を細めた。
「……次は」
全員がペルシアを見る。
「次は、誰か一人に全部背負わせない」
軽い声ではなかった。
「リュウジじゃなくても同じ。フォックスでも、ファルコでも、管理局の誰でも。帰ってきてから“よくやったね”で終わるような計画は、最初から駄目」
フレイが静かに頷く。
「承知しました」
ジェームズも短く答える。
「ああ」
イーナ、リリア、ナミ、マリも頷いた。
画面の向こうでは、フォックスが黙ってペルシアを見ていた。その隣でファルコは腕を組み、スリッピーは先ほどの航路データを既に開き、クリスタルは粉塵帯の変化記録を確認し始めている。
ナウスの合成音声が会議室に響いた。
『検証項目を保存しました。次回未探索領域任務計画へ反映するため、暫定改善事項として登録します』
「お願い」
『登録完了しました』
ペルシアはようやく少しだけ肩の力を抜いた。
そして数秒後。
「……ところで」
フレイが嫌な予感を覚えたように顔を上げる。
「何でしょう」
「リュウジ、今頃もう着いたかな」
「統括官」
「一回くらい連絡――」
「報告書」
「……はい」
今度こそ、会議室に小さな笑いが広がった。
北部未探索領域の事故は、終わった出来事ではない。
全員が帰還したからこそ、次へ残さなければならないものがある。
そしてそれを形にすることが、今のペルシア達の仕事だった。
――――
翌日。
宇宙管理局では朝から、前日に整理した北部未探索領域調査の検証作業が続いていた。宇宙連邦連盟から取り寄せた航行記録、調査船の損傷記録、護衛艦二隻の整備ログ、通信断が発生した時間帯、リュウジの操縦記録、スターフォックスによる救援記録。確認しなければならない資料は、まだ山ほど残っている。
ただし、その中心にペルシアはいなかった。
「じゃあフレイ、連盟との照合は任せた。昨日まとめた項目から外れるものが出たら連絡して」
統括官室で上着を羽織りながら言うペルシアに、フレイは端末から顔を上げた。
「承知しました。調査船内部の指揮系統、護衛艦離脱判断、操縦者疲労管理の三点を優先します。ただし、統括官にも確認が必要な事項が発生した場合は連絡しますので、必ず応答してください」
「分かってるって」
「昨日も同じことをおっしゃいました」
「今日は寝てないから大丈夫」
「安心材料としては弱いです」
「フレイって朝から厳しいわね」
「通常運転です」
ペルシアは何か言い返そうとしたが、隣で待っていたリリアが小さく笑ったため諦めた。
「じゃあ行こ、リリア」
「はい」
二人が向かう先は、宇宙警察本部だった。
リリアを連れていく理由は単純だった。今回の話には宇宙警察との連携が不可欠であり、その本部長グレイはリリアの父親でもある。もっとも、ペルシアは親子関係だけを理由に連れてきたわけではない。リリアは宇宙警察側の手続や考え方を理解し、それを管理局側が判断できる形へ置き換えられる。それこそが、今の彼女の役割だった。
◇
宇宙警察本部。
重厚な扉の前で認証を済ませると、二人は本部長室へ通された。
広い室内の正面には大きな机があり、その向こうでグレイが資料を読んでいた。二人が入ってくると、グレイは視線だけを上げる。
「珍しい組み合わせだな」
「そう?」
「リリアを連れて君が来る時は、大抵面倒な話だ」
「失礼ね」
「これまでを考えれば妥当な評価だと思うが」
ペルシアは遠慮なく椅子へ座った。
「お父さん」
リリアが少しだけ困ったようにグレイを見る。
「分かっている。座りなさい」
「はい」
リリアもペルシアの隣へ腰を下ろす。
グレイは二人を一度見比べた。
「それで、今日は何だ。スターフォックスの件ではなさそうだな」
「今日は違う。未探索領域」
その一言で、グレイの表情が変わった。
「先日の連邦連盟の調査か」
「そう」
「調査船が大破しかけ、護衛艦二隻も損傷した件だな」
「そこまで分かってるなら話が早い」
ペルシアは持ってきた端末を机へ置き、北部未探索領域の宇宙図を表示した。
「管理局で昨日、今回の件を一通り整理したの。まだ連盟側の検証は終わってないけど、それとは別に、今後どうするかを考え始めてる」
「どうするつもりだ」
ペルシアはグレイを見る。
「未探索領域への航行を、原則禁止にしようと思ってる」
グレイの眉がわずかに動いた。
リリアも黙って父親の反応を見る。
「……随分大きく出たな」
「大きく出たんじゃなくて、今回で分かったの。今までが緩すぎた」
ペルシアは宇宙図の一部を拡大した。
「“未探索領域”って名前なのに、調査船だから、研究だから、企業の資源調査だからって、入る前提で話が進むことがある。でも、航路も環境も通信も分からない。今回なんて粉塵帯が突然帰還航路を塞いだ。護衛艦二隻が先に潰れて、調査船だけが残った。最後はリュウジ一人に近い形で操縦を背負わせた」
「報告は見た」
「だったら分かるでしょ。帰ってこられたから良かった、では次に繋げられない」
「禁止と言っても、全面的に閉鎖するのか?」
「原則は禁止。でも完全禁止にはしない。調査そのものを止めたら、永遠に未探索のままだから」
ペルシアは別の資料を開いた。
「航行する場合は許可制。かなり厳しくするつもり」
グレイは黙って資料へ目を落とした。
そこには、まだ草案段階ではあるものの複数の条件が並んでいる。
目的の明確化。調査主体と責任者の登録。船体強度。複数の推進系統。護衛体制。救援待機地点。通信中継手段。医療体制。操縦士の交代要員。撤退基準。緊急時の指揮権限。そして、事故発生時に管理局と宇宙警察へ位置情報を即時共有すること。
「随分多いな」
「少ないくらいよ」
「これを全部満たさなければ許可しないと?」
「基本的にはね。少なくとも“行ってみないと分からない”だけで入れる場所にはしたくない」
グレイはしばらく資料を読んでいた。
「それで、私に何をさせたい」
「そこが本題」
ペルシアは身体を少し前へ出した。
「管理局で規則を作って、未探索領域を原則航行禁止、許可を受けた船だけ進入できるようにする。でも規則だけ作っても、勝手に入る船は出ると思う」
「当然だろうな」
「だから宇宙警察にも規制をかけてほしい」
グレイの目が細くなる。
「具体的には?」
「未探索領域へ向かう船を確認した時、許可情報を照会してほしい。許可がなければ進入を止める。警告に従わない船については、宇宙警察側で対応してほしい。できる?」
グレイは即答しなかった。
机の上で指を組み、少し考える。
「管理局が未探索領域への航行基準を定め、それに基づいて許可を発行する。警察は、その許可の有無を確認し、無許可船の進入を止める。そういう形か?」
「そう。それが一番分かりやすいと思ってる」
「宇宙警察単独で“未探索領域へ行くな”という新しい規則を作るのは筋が違う」
「うん。それは私も分かってる」
ペルシアは素直に頷いた。
「だから管理局側で作る。ただ、現場で船を止める力は管理局より警察の方が強い」
「正しい認識だ」
「でしょ?」
「だが問題もある」
「何?」
グレイが宇宙図を操作する。
「未探索領域に明確な境界線を引けるのか」
ペルシアが少し黙った。
「……そこなのよね」
未探索領域は、壁で囲まれているわけではない。既知航路の外側から徐々に観測精度が落ち、通信網が薄くなり、その先で完全な未探索空域へ繋がっている。
どの地点を越えたら「進入」とするのか。
規制する以上、それを曖昧にはできない。
リリアが口を開いた。
「管理局側で危険区域を段階指定するのはどうでしょうか」
ペルシアとグレイが同時にリリアを見る。
「段階指定?」
「はい。未探索領域全てを一つの区分にすると、既知航路のすぐ外側まで同じ規制になります。たとえば、管理局の監視が一定程度届く外縁部と、救援到達が著しく困難な区域、それより奥の完全未探索区域で区分を分ければ、警察側も取り締まりの基準を作りやすいと思います」
グレイは娘をしばらく見た後、頷いた。
「悪くない」
「でしょ?」
なぜかペルシアが得意そうな顔をする。
「君が言ったわけではない」
「うちのメンバーだから半分私の手柄」
「違います」
リリアがすぐに訂正した。
「リリアまで」
「事実です」
グレイの口元が、ごく僅かに緩んだ。
「続けなさい」
リリアは端末を操作しながら話す。
「例えば、外縁警戒区域では届出や航行計画の提出を求める。さらに奥の規制区域では管理局の許可を必須とする。そして完全未探索区域については、管理局・連邦連盟・必要に応じて宇宙警察を含めた審査を通過した調査任務のみ認める、という分け方です」
「いいじゃない」
ペルシアが頷く。
「いきなり全部一律禁止より、その方が現実的ね」
「ただし」
グレイが割って入る。
「警察が船を止めるなら、照会に時間がかかる制度では使えない。現場で即座に許可の有無が分かる必要がある」
「電子許可証?」
「それだけでは足りない。偽造される」
リリアが考える。
「管理局の許可データベースと宇宙警察の航行照会システムを接続する必要がありますね」
「そうなるな」
ペルシアが少し嫌そうな顔をした。
「またシステム改修?」
「規則だけ作って現場へ丸投げするよりましだろう」
「それはそうだけど」
グレイは資料へ視線を戻す。
「それと、無許可船を止める場合の対応段階を決める必要がある。最初から強制停止はできない」
「警告、進路変更命令、それでも従わなければ?」
「状況による。事故、操縦不能、救難目的の可能性もある。単純な違反船なのか、遭難船なのか、犯罪目的なのか。その確認なしに排除はできない」
ペルシアは小さく頷いた。
「そこは管理局でも同じ。未登録船だから敵、とはできない」
「そういうことだ」
リリアが二人の話を端末へ記録していく。
「管理局が許可を出す。警察が照会する。無許可の場合は警告し、事情を確認する。救難なら救助、単純な違反なら進路変更、悪質な侵入なら警察対応。整理すると、このような形でしょうか」
「ええ」
「概ねそうだ」
ペルシアは少し考えてからグレイを見る。
「じゃあ、協力してくれる?」
「正式な制度案を見てからだ」
「固いわね」
「当然だ。宇宙船の航行を制限するんだぞ」
「分かってる。でも方向性としては?」
グレイは腕を組んだ。
「必要性は認める」
ペルシアの表情が少し明るくなる。
「今回の調査船事故を見れば、未探索領域を通常航路の延長として扱うべきではない。特に、救援が即時に到達できない区域へ、準備のない民間船が入ることは警察としても看過できない」
「じゃあ決まり」
「まだ決まっていない」
「方向性は決まった」
「君はいつも話を一段先へ進めるな」
「進めないと止まるでしょ」
「だからフレイが必要なのだろう」
ペルシアが少し黙った。
「……否定できない」
リリアが思わず笑う。
グレイは再び資料を見る。
「許可条件は厳しくするつもりだと言ったな」
「かなりね」
「どの程度だ」
ペルシアは少しだけ表情を変えた。
「少なくとも今回の調査船と同じ条件なら、次は許可しない」
室内の空気が少し静かになる。
「護衛艦二隻が同時に離脱した時点で、代替護衛が来るまで孤立する。通信も安定しない。操縦士の負担を交代できる人数も足りない。救援船がすぐ来られる位置でもない。その状態で“経験豊富な操縦士がいるから大丈夫”は、もう認めない」
「リュウジのことか」
「そう。でもリュウジに限らない」
ペルシアの声は静かだった。
「一人すごい人がいることを、安全対策に数えない」
グレイが目を細める。
「なるほど」
「今回、帰ってきたから良かった。でもあれを成功例にしたら絶対駄目なの。S級がいれば帰れる、とか、優秀な操縦士なら何とかできる、とか。そんなものを許可条件に入れたら、次は本当に死人が出る」
リリアはペルシアを見た。
昨日の会議でも聞いた言葉だった。
誰か一人に全部背負わせない。
その考えが、今度は制度へ変わろうとしている。
グレイはしばらく黙っていたが、やがて端末を引き寄せた。
「分かった。宇宙警察側でも検討させる」
「本当?」
「ただし、管理局だけで規則を完成させてから持ってくるな。警察側の現場運用に関わる部分は、最初から共同で詰める」
「もちろん。そのために今日来たんだし」
「それならいい」
グレイはリリアを見る。
「リリア」
「はい」
「警察側との調整窓口は君がやりなさい」
リリアが少し驚く。
「私が、ですか?」
「君は今、管理局の人間だ。その上で警察側の手順も知っている。こういう時のためにいるのだろう」
リリアは一瞬だけペルシアを見る。
ペルシアは笑った。
「ほら。連れてきて正解だった」
「最初から狙っていました?」
「半分くらい」
「ペルシアさん……」
「でも任せられると思ってるから連れてきたのよ」
リリアは少しだけ目を伏せ、それから頷いた。
「分かりました。やります」
「よし」
ペルシアが満足そうに頷く。
グレイはその様子を見ながら、深く息を吐いた。
「一つだけ言っておく」
「何?」
「規制を厳しくすれば、無許可で入る者がゼロになるわけではない」
「分かってる」
「むしろ、資源、遺跡、未知技術、調査成果。利益が大きいと思われれば、規制を破って入る者は必ず出る」
ペルシアの表情から笑みが消える。
「だから警察にも頼んでる」
「そうだ。規則を作って終わりではない。監視網、警戒線、照会手順、違反船への対応。それを全部用意して初めて規制になる」
ペルシアは頷いた。
「じゃあ、それも一緒に作ろ」
グレイは少しだけ眉を上げる。
「随分簡単に言うな」
「難しいから一緒にやるんでしょ」
一瞬だけ、グレイが黙った。
そして、ごく僅かに笑った。
「君は本当に遠慮がないな」
「今さらでしょ」
「ああ。今さらだ」
リリアはその二人を見ながら、少しだけ肩の力を抜いた。
以前なら、この二人が同じ部屋にいるだけで緊張した。
宇宙管理局と宇宙警察。
互いに違う権限を持ち、互いに完全には信用していない。
それでも今は、同じ危険を減らすために話をしている。
ペルシアは机の上に浮かぶ未探索領域の宇宙図を見る。
その向こうには、まだ誰も正確に知らない宇宙が広がっている。
未知そのものを閉ざすつもりはない。
いつかは調べなければならない。
人が進まなければ、航路も地図も増えない。
だからこそ、行くなら帰れる準備をしてから行く。
ペルシアが作ろうとしているのは、未知へ進むことを止める規則ではない。
未知へ入った人間を、生きて帰すための線だった。