サヴァイヴ〜ドルトムント財閥〜   作:一塔

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取材

 ある日の事務所。

 午前の定例業務が一段落し、各自が日誌の入力やフライト関連の書類整理に戻っていた頃――空調の音に混じって、入口側が少しざわついた。

 

 エリンが端末から顔を上げ、いつもの落ち着いた調子で言う。

 

「リュウジ、取材が来ているよ」

 

「……取材?」

 

 リュウジは思わず椅子を引き、立ち上がった。

 取材。広報。インタビュー。

 言葉の響きは分かるが、彼の生活の中に馴染みがない種類の予定だ。

 

 事務所の入り口に視線を向けると――そこに一人、男が立っていた。

 

 茶色い癖毛。

 スーツはきちんとしているが、取材者特有の“肩の力の抜けた身軽さ”がある。

 手には薄い資料ファイルと、録音用の小型端末。

 

 男は一歩前に出て、丁寧に頭を下げた。

 

「初めまして。フレデリックと申します。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」

 

「……初めまして」

 

 リュウジは首を傾げたまま、ぎこちなく返した。

 挨拶はできる。礼儀も分かる。だが、状況が飲み込めない。

 

「今日、取材のアポありましたか?」

 

 リュウジがそう言った瞬間、エリンの目が一瞬、泳いだ。

 “ある”と言い切るには不確かな顔。

 ペルシアも、わずかに口元を引きつらせた。

 

 フレデリックは慌ててファイルを開き、確認するように言う。

 

「え、ええ。先日、広報部に依頼しましたが……」

 

 空気が一拍、止まった。

 

 ――依頼した?

 ――誰が?

 ――いつ?

 

 リュウジの視線が自然とタツヤへ向く。

 

「……タツヤ班長?」

 

 タツヤは自席で椅子を回しながら、のらりとした口調で言った。

 

「あれ? 俺はペルシアに言ったよ〜」

 

「え?」

 

 ペルシアが、即座に口を尖らせる。

 

「私はエリンに言ったわよ」

 

「え?」

 

 エリンが、まるで初耳みたいな顔で返す。

 

「聞いてないわよ」

 

 場の空気が、数秒で“いつもの十四班”に変わった。

 つまり――平和な混乱。

 

 リュウジは一瞬、目を閉じて息を整えた。

 S級パイロットの仕事より、こっちの方が予測不能だ、と頭の片隅で思う。

 

 ペルシアは手をひらひらさせながら続ける。

 

「また〜。ほら、こないだのバーベキューの前に言ったじゃない」

 

 エリンが、即座に言い返す。

 

「バーベキューの前は私、買い出しに行ったし、会場に着いたらあなた、もう酔っ払ってたじゃない」

 

「えっ、酔ってないし!」

 

「酔ってたわよ」

 

「酔ってない!」

 

「酔ってた!」

 

 言い合いのテンポが良すぎて、周りの乗務員が仕事の手を止めて見てしまう。

 フレデリックは困ったように笑い、視線の置き場を探していた。

 

 タツヤが顎に手を当て、思い出すように言う。

 

「あれ? じゃあ俺、誰に言ったんだろ〜」

 

 ペルシアも首を傾げる。

 

「私も……あれ? 私、誰に言ったんだろ」

 

 そのとき、机の端で黙々と作業していたカイエが、淡々と口を開いた。

 

「……それ、私に言ってましたよ」

 

 全員の視線がカイエに集まった。

 

 ペルシアが「あっ」と声を上げる。

 

「カイエに言ったのか」

 

 納得するのが早い。

 タツヤも、妙に感心したように頷く。

 

「そっかそっか。カイエに言ったなら安心だね〜」

 

 カイエは眉をひそめた。

 

「だから、エリンさんに言ってくださいって、伝えたじゃないですか」

 

 ペルシアが指を鳴らす。

 

「あー! あれ? その後、エリンの家に泊まった時に朝、言ったじゃない」

 

「……そうだったかしら」

 

 エリンは自分の端末を取り出し、メモ帳を開く。

 指が素早く動き、日付の一覧が流れる。

 そして――

 

「あー……やっちゃった」

 

 エリンが、こめかみを押さえた。

 その声は小さいが、完全に“自分のミスを認めた人”の声だった。

 

 瞬間、タツヤが「お」と口を開け、ペルシアがニヤっとする。

 

「珍しい。エリンが“やっちゃった”って言った」

 

「今は言わなくていいわよ」

 

 エリンはペルシアを一瞥してから、すぐにフレデリックへ向き直った。

 呼吸を整え、背筋を伸ばし、丁寧に頭を下げる。

 

「ごめんなさい。こちらの伝達が行き届いていませんでした」

 

「あ、いえ!」

 

 フレデリックは慌てて手を振った。

 

「自分は大丈夫ですから。取材自体は、時間をいただければ……」

 

 エリンはすぐにリュウジへ視線を戻す。

 “無理させない”という目だ。

 

「リュウジ、ごめんなさい。今日は対応できるかしら」

 

 リュウジは即座に答える。

 

「ええ、俺は大丈夫ですが……エリンさんこそ、大丈夫ですか?」

 

 彼の敬語は変わらない。

 けれど、その言い方には確かな気遣いが含まれていた。

 

「え? 私は大丈夫よ」

 

 エリンは笑って見せ、普段の業務モードに切り替える。

 

「仕事も、今日は私が引き継ぐから」

 

「あ、はい」

 

 リュウジは頷きながら、ふとペルシアに視線を送った。

 

 ペルシアは肩をすくめ、目だけで返す。

 

(様子を見ましょう)

 

 いつもの合図。

 “やらかした時ほど落ち着け”という意味でもある。

 

 リュウジは短く息を吐いて、フレデリックに向き直った。

 

「とりあえず、取材の内容を把握したいので……会議室にどうぞ」

 

「はい。失礼します」

 

 フレデリックは丁寧に頭を下げ、リュウジの後に続く。

 

 会議室へ向かう廊下。

 ガラス越しに見える執務エリアには、十四班の席が並び、普段なら静かなはずの空気が、今は微妙にざわついていた。

 ――“取材”という単語だけで、職場は簡単に色を変える。

 

 リュウジは歩きながら、ふと頭の中で確認する。

 

(取材……内容は何だ? S級パイロットの話か。ドルトムント財閥の宇宙事業部の話か。十四班の運航体制か。あるいは――)

 

 想像が広がるほど、危険も広がる。

 広報案件は、操縦と違って“手順通り”では終わらないことが多い。

 

 会議室の前に着き、リュウジは扉を開けて中へ案内した。

 

「こちらへ」

 

 室内は簡素だ。

 長机と椅子、壁面モニター。

 外の喧騒が少し遠くなる。

 

 フレデリックは席につき、録音端末を机に置いた。

 だが、その手がほんの少し震えているのを、リュウジは見逃さなかった。

 

 緊張している。

 相手は記者。慣れているはずなのに――

 

 リュウジが椅子に座り、静かに尋ねる。

 

「それで、今日はどういった取材でしょうか」

 

 フレデリックは一度、息を整えた。

 口角だけを上げる、取材者の笑み。

 

「はい。今回のテーマは――“コロニーに三人しかいないS級パイロット”についてです」

 

 リュウジの目が、わずかに細くなる。

 

「……俺について、ですか」

 

「ええ。英雄、と呼ばれる方がドルトムント財閥に入社されたというのは、社内だけでなく外部にも大きな話題でして」

 

 英雄。

 その単語に、リュウジは反射的に表情を動かしそうになった。

 だが、すぐに抑える。

 代わりに出たのは、淡々とした声だった。

 

「英雄、ですか。……そういう呼び方は、俺は好きじゃない」

 

 フレデリックは慌てて首を振る。

 

「あ、いえ! もちろん、ご本人の意向も踏まえて……えっと、失礼しました」

 

 リュウジは短く頷いた。

 

「いえ。取材としてそういう言葉が必要なのは分かります」

 

 その言い方が丁寧すぎて、逆に線引きがはっきりする。

 フレデリックはそこで悟ったのか、姿勢を正した。

 

「ありがとうございます。可能であれば、S級としての訓練や、宇宙事業部での役割……そして“ドルトムント財閥に所属することになった意味”について伺いたいと」

 

 リュウジは目を伏せ、数秒だけ考える。

 答えはすぐに出る。

 だが、“どう言うか”は慎重にならざるを得ない。

 

(所属権はドルトムントと宇宙連邦連盟にある――その話は、どこまで言える?)

 

 会議室の外では、たぶんエリンがすでに“仕事の引き継ぎ”を回している。

 ペルシアはきっと面白がって、耳を立てている。

 タツヤはのらりくらりと、必要なところだけ守る準備をしている。

 

 リュウジは、机の上に手を置き、静かに言った。

 

「お答えできる範囲で、話します。ただし、運航と契約に関わる情報は制限があります。広報部の規定に沿って、内容は確認をお願いします」

 

 フレデリックは深く頷いた。

 

「もちろんです。事前に広報部にも確認の上で記事化します」

 

 リュウジがほんの少しだけ肩の力を抜いた、その瞬間――

 会議室のドアが、控えめにノックされた。

 

 扉が開き、エリンが顔を覗かせる。

 

「リュウジ、準備は大丈夫?」

 

 声は落ち着いているが、目が少し鋭い。

 “私のミスをこれ以上広げない”という覚悟の目だ。

 

「はい、大丈夫です」

 

 リュウジが答えると、エリンはフレデリックに向けて改めて頭を下げた。

 

「改めて、本日は失礼いたしました。取材対応中、こちらの業務は私が引き継ぎますので、何かあれば広報部経由で」

 

「ありがとうございます」

 

 フレデリックが丁寧に返す。

 

 エリンは一度だけリュウジに目を向け、軽く頷いた。

 ――“任せたよ”という合図。

 

 扉が閉まる。

 会議室は再び静かになる。

 

 リュウジはフレデリックへ視線を戻し、淡々と、しかし確かに言った。

 

「では、どこから話しましょうか。……S級の訓練からでいいですか」

 

 フレデリックの目が輝いた。

 

「はい。ぜひ」

 

 録音端末のランプが点く。

 その小さな光が、これから言葉が“外へ出ていく”合図みたいに見えて、リュウジは一瞬だけ胸の奥が冷えるのを感じた。

 

 ――操縦なら、機体を守ればいい。

 でも取材は、“言葉”を守らなければいけない。

 

 リュウジは、静かに息を吸い込んだ。

 

ーーーー

 

 会議室の空気が落ち着いたところで、フレデリックは録音端末の位置をほんの少しだけ整えた。

 赤いランプが静かに点灯している。

 

 彼は一度、リュウジを見上げて言った。

 

「取材なので、敬語は大丈夫です」

 

 “緊張しないでいい”という配慮のつもりなのだろう。

 相手の言葉を引き出すための、記者の技術でもある。

 

 リュウジは一拍置いて、短く頷いた。

 

「分かった」

 

 その返事だけで、空気が少し変わる。

 丁寧な壁が一枚薄くなった感じ。

 

 フレデリックはペンを取り、端末の画面を確認しながら切り出す。

 

「とりあえず、訓練について教えてください」

 

「訓練か」

 

 リュウジは椅子の背に軽く体重を預け、視線を上へ向けた。

 思い出すというより、頭の中で“並べる”感じだ。

 

「S級だから特別ってわけじゃない。基本は同じ。ただ、求められる領域が広い」

 

 フレデリックのペン先がすぐに動き出す。

 

「領域……」

 

「機体を操る技術だけじゃない。状況判断、計器の読み、異常の兆候、整備報告書の読み込み、法規、航路設計、緊急時の手順……全部、毎日触れる」

 

「毎日……?」

 

 フレデリックが目を丸くする。

 リュウジは淡々と、しかし誇張なく言った。

 

「ああ。俺の場合は、朝と夜で分けてる」

 

 フレデリックは思わず身を乗り出す。

 

「具体的に、どんなスケジュールなんですか?」

 

 リュウジは机の上に指を置き、見えないカレンダーをなぞるように説明を始めた。

 

「まず、朝。出社してる日は早めに来る。日誌を書いて、連絡事項を拾う。班の動きがある日は、そこで情報のズレを潰す」

 

「情報のズレ?」

 

「出発時刻、機体の割り当て、乗務員の配置、整備の進捗、乗客の特記事項。誰かが把握してると思ってる情報が、実は誰も“責任を持って”持ってないことがある。そういうのを先に拾っておく」

 

 フレデリックは一瞬、ペンを止めた。

 

「……それって、本来は班長やチーフパーサーの仕事では?」

 

「そうだ」

 

 リュウジはあっさり認める。

 

「でも、俺がやれるならやる。それで事故の芽が一つ減るなら、そっちの方がいい」

 

 言い切り方がまっすぐすぎて、フレデリックが少し笑ってしまった。

 

「合理的ですね」

 

「合理的じゃないと宙では生き残れない」

 

 リュウジは淡々と返す。

 

「その後は?」

 

 フレデリックが続きを促す。

 

「午前のメニューは二つ。体の訓練か、机上訓練。日によって入れ替える。体はランニングかインターバル、酸素制限をかける日もある。机上訓練は、法規と機体の仕様、過去の事故例の解析」

 

 フレデリックが目を見開いた。

 

「事故例の解析も、日課なんですか?」

 

「日課だ。人のミスはパターンがある。機体の不具合にも癖がある。過去を知らない操縦は、いつか同じ穴に落ちる」

 

 言葉が重い。

 だが、表情は冷静で、淡々としている。

 重さを感情に乗せないのが、リュウジという人間の癖だとフレデリックは感じた。

 

「午後は?」

 

「午後はシミュレーターが多い。実機は案件次第。シミュレーターは“回数”じゃなく、“再現性”。同じ条件で十回やって十回同じ結果を出せるか。違う条件が来たら、それをどう崩して立て直すか」

 

 フレデリックのペンが走る。

 

「S級っていうのは、そういう……再現性が求められる?」

 

「求められるのは、限界域での再現性だ。余裕のある航路だけなら、誰でもできる」

 

 リュウジの言い方は淡白だが、どこか刃物みたいな鋭さがある。

 それは自慢ではなく、事実を述べているだけ――そんな響きだ。

 

「日々のスケジュールは、どれくらい詰まってるんです?」

 

 フレデリックが尋ねる。

 

 リュウジは少しだけ首を傾けた。

 

「詰めてるつもりはない。休息も訓練の一部だから」

 

「休息……取れてるんですか?」

 

 フレデリックが少し心配そうに言う。

 

「取れてる。取れてないと判断が鈍る。判断が鈍ると、俺だけじゃなく、乗務員も乗客も巻き込む。だから寝る。食べる。走る」

 

 フレデリックはその言葉の並びに、ふっと笑った。

 

「食べる、走る……なんだか、生活がすべて訓練みたいですね」

 

「そうだよ」

 

 リュウジはあっさり言った。

 

「生活を整えられないやつが、宙で機体を整えられるわけがない」

 

 その言葉に、フレデリックは一瞬、息を止めたように見えた。

 “名言”を拾った記者の顔だ。

 

「……すごいですね。毎日、そのルーティンを続けてるんですか?」

 

「続けてる」

 

「休みの日も?」

 

「休みの日も、軽くはやる。フルで追い込まないだけだ」

 

 フレデリックは端末の画面を確認し、次の質問を準備する。

 だが、その前に、もう一つ確認した。

 

「それって、会社から義務として課されているわけではなく?」

 

「義務じゃない」

 

 リュウジは首を振る。

 

「俺がそうしないと落ち着かないだけだ。……それに、S級はコロニーでも三人しかいない。俺が崩れたら、穴が空く」

 

 フレデリックの手が止まる。

 

「三人……アズベルト、ブライアン、そしてあなた」

 

「そう」

 

 リュウジは短く答えた。

 名を口にするだけで、そこに重さが宿る。

 

 フレデリックは、その重さを逃さないように、慎重に問いを続ける。

 

「訓練の中で、一番大事にしていることは何ですか?」

 

 リュウジは少しだけ考えた。

 沈黙は短い。

 そして、答えは明確だった。

 

「“当たり前”を崩さないこと」

 

「当たり前?」

 

「毎回同じ確認をする。面倒でも省かない。慣れてるから大丈夫、っていう油断を作らない。宙で一番怖いのは、機体の故障じゃない。人間の慣れだ」

 

 フレデリックが小さく頷く。

 

「……だから、初フライトのときも、姿勢制御ユニットの交換を判断した」

 

 その言葉に、リュウジの目がわずかに細くなる。

 

「……そこまで知ってるのか」

 

「関係者から、少しだけ。あの判断があったから、乗務員も安心できたと」

 

 リュウジはほんの少しだけ息を吐く。

 それは照れではなく、情報が外に出ていることへの確認だ。

 

「俺は、整備士の報告を信じてないわけじゃない。ただ、自分の目で“違和感”を見た。違和感は放置しない。それだけ」

 

「違和感……」

 

 フレデリックはその単語を大事そうに紙に書いた。

 

「訓練の話に戻ると、違和感を拾う感覚も鍛えるんですか?」

 

「鍛える。機体の音、振動、レスポンス、視界のズレ。全部、体が覚える。だから、シミュレーターでも“感じる”練習をする。数字だけ追ってると遅れる」

 

 フレデリックは頷きながら、ふと笑った。

 

「……それ、乗務員の話と少し似てますね。声色から状態を拾う、とか」

 

 リュウジは一瞬、口角を上げる。

 

「ペルシアのことか」

 

「え、やっぱり……」

 

「あいつは耳がいい。……いや、耳だけじゃない。拾ったものを、ちゃんと形にして指示に変える。そこが凄い」

 

 フレデリックの目がさらに輝く。

 

「つまり、訓練は個人だけでなく、チームの能力にもつながる?」

 

「当然」

 

 リュウジは即答した。

 

「操縦は俺がする。でも、船を動かしてるのは俺だけじゃない。乗務員がいなければ客は守れないし、班の連携がなければ運航は回らない。だから訓練も“自分のため”で終わらせない」

 

 フレデリックが頷き、次のページをめくる。

 

「すごく分かりやすいです。では――その訓練を、いつまで続けるつもりですか?」

 

 リュウジは少し笑った。

 

「いつまでって?」

 

「目標とか、区切りとか」

 

 リュウジは視線を落とし、机の上の自分の指先を見た。

 そして、淡々と答えた。

 

「区切りはない。俺は“完成”しない。完成したと思った瞬間に落ちるから」

 

 言い切る。

 その言葉に、フレデリックは深く息を吸った。

 記事の核になる言葉を拾った顔だ。

 

「……分かりました。訓練スケジュール、すごく具体的で助かります」

 

「まだある」

 

 リュウジが言うと、フレデリックが驚く。

 

「まだ?」

 

「最後に、確認の訓練がある。寝る前」

 

「寝る前に?」

 

「その日あったことを全部、頭の中で反芻する。判断が正しかったか、足りなかったか。もし次が同じ状況ならどうするか。これをやらないと、次の日が同じになる」

 

 フレデリックは、呆れたような、感心したような顔で笑った。

 

「……本当に、生活が訓練なんですね」

 

「そうだよ」

 

 リュウジは淡々と繰り返す。

 そして、少しだけ言葉を加えた。

 

「でも、そのおかげで守れるものがあるなら、悪くない」

 

 フレデリックのペンが止まる。

 その瞬間だけ、取材者の顔から“仕事”が消えた。

 

 ――この男は、淡々と話しているのに、言葉の奥が熱い。

 そういう種類の人間だと、フレデリックは確信した。

 

 彼は小さく頷き、次の質問へ進むために資料ファイルを開く。

 

「ありがとうございます。じゃあ次に――その訓練が、実際のフライトでどう活きるのか、具体例を伺ってもいいですか?」

 

 リュウジは頷いた。

 

「ああ。……」

 

言ってから、少しだけ考える。

 “どの話がいい?”と口にしかけて、やめた。

 取材で一番伝わるのは、機体の凄さじゃない。

 宙の旅を“安全”に見せる仕組み――つまり、人の働きだ。

 

 リュウジは机に肘をつかず、背筋を伸ばしたまま言った。

 

「まず言っておく。俺がすごいんじゃない。船を動かしてるのは、全員だ」

 

 フレデリックの眉がわずかに上がる。

 記者はこういう一言を待っていたのだろう。

 “英雄の言葉”として、記事に乗りやすい。

 

「全員、というと……操縦室以外も?」

 

「特に、客室」

 

 リュウジは迷いなく言う。

 

「客室乗務員の連携が見事だ。俺が操縦に集中できるのは、あいつらが“状態”を整えてくれてるからだ」

 

「状態……」

 

 フレデリックが反復して書き留める。

 “状態”という言葉は抽象的だ。けれどリュウジの声には、具体の重さが乗っている。

 

 リュウジは続けた。

 

「例えば、同じ航路でも日によって客は違う。落ち着いてる日もあれば、ざわつく日もある。子どもが多い、年配が多い、VIPが多い、慣れてない客が多い……それだけで船内の空気が変わる」

 

 フレデリックが頷き、質問を挟む。

 

「空気が変わると、何が起きるんですか?」

 

「小さな乱れが増える」

 

 リュウジは淡々と答えた。

 

「通路の動線が詰まる。声が大きくなる。クレームが出る。乗務員の手が足りなくなる。そういうのが積み重なると、最後は安全に影響する」

 

 “安全”という単語を出した瞬間、会議室の空気が少し締まる。

 フレデリックも、その単語の重さを理解して、ペンを握り直した。

 

 リュウジは言った。

 

「その積み重なりを、乗務員は先に潰してる。しかも、露骨に潰さない」

 

「露骨に……?」

 

「露骨にやると客は不安になる。『何かあったのか?』って顔になる。だから、何も起きてないように見せたまま整える」

 

 フレデリックが思わず笑う。

 

「それ、魔法みたいですね」

 

「魔法じゃない。技術だ」

 

 リュウジは即答した。

 その言い方は、誰かを守る時のリュウジの声に似ていた。

 

「乗務員の連携は、役割がはっきりしてる。誰が何を拾うか、誰が誰の背中を押すか、誰が空気の“芯”を作るか――それぞれが自分の力を活かしてる」

 

 フレデリックが頷きながら言う。

 

「具体的には、誰がどんな役割を?」

 

 リュウジは一瞬だけ口角を上げた。

 記者が求めているのが“ヒーローの武勇伝”ではなく、チームの仕組みだと分かったからだ。

 

「副パーサーのペルシアは、耳で拾う。声色、トーン、息の浅さ、遠慮してる間、迷ってる間、疲れてる間。そういう細い糸を拾って、必要な人に必要な指示を飛ばす」

 

 フレデリックが「なるほど」と呟き、ペンを走らせる。

 

「乗務員は多いから抜粋でな。ククルは明るさ。あいつの元気は、客の不安を薄める。カイエは落ち着き。エマは品。客が“安心して頼れる大人”を見たい時に、あの二人は効く」

 

 言いながら、リュウジはふっと息を吐いた。

 

「……でもな」

 

 フレデリックが顔を上げる。

 

「中でも、ってことですね」

 

 リュウジは頷いた。

 

「中でも、エリンさんだ」

 

 その名が出た瞬間、フレデリックの目が少し大きくなった。

 チーフパーサー。

 一般の読者にとっては馴染みが薄い役職だが、記事にした時の“深み”が増す。

 

「エリンさんの、どんなところを?」

 

 リュウジは、言葉を選ぶように一拍置いてから言った。

 

「船内の“状態を整える役”だ」

 

 フレデリックがペンを止める。

 その言葉をそのまま、見出しにできる。そういう顔だ。

 

 だがリュウジは、そこで止まらない。

 むしろ、そこからが本題だというように声を落とした。

 

「それを、ただの気配りだと思うなら間違いだ」

 

 会議室の空気がさらに締まる。

 

 リュウジは続けた。

 

「船内で一番、周囲の状況を読んでる。視野が広い。些細な変化にすぐ気づく。客の表情、歩き方、座り直しの回数、会話の間、手荷物の触り方――そういうのを見て、『この人は今、何に引っかかってるか』を当てる」

 

 フレデリックが驚いたように言う。

 

「そこまで……?」

 

「そこまで」

 

 リュウジは淡々と返した。

 

「しかも、誰も傷つけずに動かすのが上手い。これが一番難しい」

 

 フレデリックはうなずきながら、少し首を傾げる。

 

「傷つけずに動かす、というのは?」

 

 リュウジは、答えを短い例に落とした。

 

「例えば、乗務員が焦ってる。普通なら『落ち着いて』って言う。でもそれは、言われた側には“責められてる”みたいに聞こえることがある。エリンさんは言わない。代わりに、手を出す。指示を短くする。声を低くする。視線を合わせて頷く。そうやって、相手の呼吸を整える」

 

 フレデリックのペンが止まる。

 “技術”としてのコミュニケーション。

 記事の読者が想像しにくい領域を、リュウジは言語化していく。

 

「客に対しても同じだ。『走らないでください』じゃなく、『こちらの景色、今が一番綺麗ですよ』って誘導する。『席に戻ってください』じゃなく、『次の案内まで少しお席でお待ちくださいね』って流れを作る。命令じゃなく、自然に人が動く形を作る」

 

 言葉が淡々としているのに、妙に説得力がある。

 それは、リュウジ自身が“命令”で動く世界に長くいたからだ。

 だからこそ、命令の危うさも知っている。

 

 リュウジは最後に、はっきりと言った。

 

「いるのといないのじゃ、背中の力の抜け方がまるで違う」

 

 フレデリックが顔を上げる。

 

「背中の力……?」

 

「操縦してると分かる。客室が落ち着いてると、機体の反応が同じでも、判断が速くなる。余計な心配が消える。エリンさんがいると、“船が一つの生き物として整ってる”感じがする」

 

 フレデリックは、その表現を何度か心の中で反芻している顔をした。

 そして、慎重に聞く。

 

「それは、操縦に直接影響するんですか?」

 

「する」

 

 リュウジは即答した。

 

「操縦は数字と物理だけじゃない。人の動きも含めて“全体”だ。客室が乱れてれば、緊急時の対応も乱れる。乗務員が疲弊してれば、判断が鈍る。エリンさんはそこを先に整える」

 

 フレデリックが小さく頷く。

 

「……つまり、機長が安心して操縦できる環境を作る」

 

「そう」

 

 リュウジは頷いた。

 

「機長だけじゃない。乗務員も、客も。誰もが“余計な力”を使わずに済む。エリンさんがいると、船の中が静かに回り始める」

 

 フレデリックは、そこまで聞いてからふと笑った。

 

「……すごい褒め方ですね。チーフパーサーの仕事を、ここまで具体的に語れる機長は珍しいと思います」

 

 リュウジは少しだけ視線を逸らした。

 

「俺は、乗務員を“道具”だと思ってない」

 

 その言葉は短いが、釘を打つみたいな強さがあった。

 リュウジがこれまで見てきた現場、これまで拒んできたもの――それらが一瞬だけ滲む。

 

「乗務員は、船を守る仲間だ。仕事は違っても、守るものは同じ。だから、ちゃんと見てる。ちゃんと評価する。……それだけだ」

 

 フレデリックは、ペンを止めたまま静かに頷いた。

 

 会議室の外から、かすかに事務所の雑音が聞こえる。

 端末の空調音も、いつもより大きく感じる。

 

 フレデリックは慎重に質問を続けた。

 

「エリンさん本人には、その評価を伝えたことは?」

 

 リュウジは一瞬だけ迷った。

 そして、正直に答える。

 

「……直接は、あまり」

 

「どうして?」

 

「言うと、仕事が増える」

 

 リュウジの言葉に、フレデリックが吹き出した。

 

「増える?」

 

「褒めると、エリンさんは『じゃあもっと整える』ってなる。あの人はそういう人だ。」

 

 フレデリックは笑いながら、深く頷く。

 

「なるほど……その距離感も、チームとして機能している」

 

 リュウジは短く頷いた。

 

「そうだと思う」

 

 フレデリックはページをめくり、次の質問へ行く準備をする。

 だが、最後にもう一度だけ確認するように言った。

 

「では、記事にする際、エリンさんの役割を“船内の状態を整える役”として紹介してもよろしいですか?」

 

「……いい」

 

 リュウジは答える。

 

「ただし、“気配り”って軽い言葉で片づけるなら、やめてくれ」

 

 フレデリックは真剣な顔で頷いた。

 

「分かりました。技術として、責任として、描きます」

 

 リュウジはそれを聞いて、少しだけ肩の力を抜いた。

 そして、淡々と付け加える。

 

「俺が操縦で守れるのは機体の安定までだ。船内の“人の安定”を守ってるのは、あいつらだ。」

 

 フレデリックのペンが、また静かに走り出した。

 赤い録音ランプが、その言葉を丁寧に拾っている。

 

 ――英雄の話ではなく、船を守る人たちの話として。

 

ーーーー

 

 会議室の中。

 フレデリックは録音端末のランプを消し、ペンを閉じた。取材者としての“区切り”を作る動きだ。

 

「今日はここまでにさせてもらいます」

 

「ああ。……また何かあったら連絡してくれ」

 

 リュウジがそう言うと、フレデリックは深く頭を下げた。

 

「ええ。連載ですから、数ヶ月はよろしくお願いします」

 

「……連載?」

 

 リュウジの眉がわずかに動く。

 取材は一回きりだと思っていた――というより、そうだと勝手に決めていた。

 

「ええ。毎月発行する週刊誌です」

 

「……はぁ」

 

 リュウジは頷いたが、納得したというより“飲み込んだ”という頷きだった。

 週刊誌。連載。毎月発行。

 情報が少し渋滞する。

 

 フレデリックは会議室を出る前に、もう一度だけ丁寧に言った。

 

「次回は、S級パイロットの“判断”の話を軸にしたいと思っています。今日の内容は、広報部確認の上で掲載します」

 

「分かった」

 

 リュウジは短く頷き、見送った。

 

 扉が閉まって静かになる。

 椅子の背にもたれたリュウジは、天井を見上げて一つ息を吐いた。

 

(……連載、か)

 

 操縦や訓練と違って、取材は“終わり”のタイミングが読めない。

 しかも、言葉は残る。残り続ける。

 それを今さら実感して、少しだけ胃のあたりが重くなった。

 

 ――ただ、それでも。

 あの記者の目は真剣だった。

 少なくとも、雑に消費するための取材ではなかった。

 

 リュウジは立ち上がり、会議室の灯りを落とした。

 

    *

 

 それから、しばらくして。

 

 いつものように事務所へ出社すると、入口の空気が妙に“浮いて”いた。

 ざわざわではなく、にやにや。

 悪い予感しかしない。

 

 リュウジが一歩入った瞬間――

 

「おはよ、リュウジ」

 

 ペルシアが、口元を押さえて笑いをこらえながら出迎えた。

 その手には、薄い冊子が一冊。

 

 週刊誌。

 

 リュウジは足を止める。

 

「……それ」

 

「ふふ」

 

 ペルシアはニヤニヤを隠さない。

 ページをぱらりと開き、わざとらしく音読した。

 

「なになに――『あいつは耳がいい。……いや、耳だけじゃない。拾ったものを、ちゃんと形にして指示に変える。そこが凄い』……って」

 

 リュウジが目を細めた。

 

「……お前、それ、読むな」

 

「べた褒めじゃない」

 

 ペルシアは嬉しそうに言い放つ。

 その声が少し大きかったのか、周囲から「読んで読んで」と小さな笑いが起きた。

 

 リュウジが視線を巡らせると――

 気がつけば十四班の面々が、当たり前のように週刊誌を手にしていた。

 

 ククルは表紙を抱え、目を輝かせている。

 カイエは平静を装っているが、ページの端を大事そうに押さえている。

 エマに至っては、上品に微笑みながらも頬がわずかに赤い。

 

「……なんで全員持ってるんだ」

 

 リュウジが呆れ半分に言うと、ククルが元気よく答えた。

 

「だって! 十四班が載ってるんですよ!? 買います!」

 

「私も買いました」

 

 カイエが淡々と言う。

 エマも微笑んだまま頷く。

 

「記念ですもの」

 

 “記念”という言葉が刺さって、リュウジはこっそり息を吐いた。

 

(素直に言い過ぎたか……)

 

 確かに、あの場では伝えたかった。

 乗務員の仕事は軽く扱われがちだ。

 それを、言葉にして残したかった。

 

 でも、それを週刊誌で読むのは――話が別だ。

 

 ペルシアはさらに追い打ちをかけるように、別の箇所を指でトントン叩いた。

 

「ほら、ここもいい。『船内の“状態を整える役”』だって。エリンも載ってるし」

 

 その瞬間、視線が自然とエリンに集まった。

 

 エリンは自席で端末を見ていたが、熱視線に気づいて顔を上げる。

 そして――記事の切り抜きみたいな言葉を見たのだろう。

 

 頬が、ほんのり赤くなった。

 

 普段のエリンなら、平然としている。

 褒め言葉を受け取っても「ありがとうございます」で終わる。

 だが今日は違った。

 

 エリンは一度視線を落とし、週刊誌の表紙を見つめるようにしてから、ふっと息を吐いた。

 

 そして、リュウジをまっすぐ見て、柔らかく言った。

 

「……ありがとう」

 

 その一言に、リュウジの肩がわずかに揺れる。

 

「……事実を言っただけです」

 

 素っ気ない返答。

 だが、エリンは気にしない。むしろ嬉しそうに、少しだけ笑った。

 

 その空気をぶち壊すように、タツヤが自席から声を上げた。

 

「あーあ。班長のことは一切、書かれてない」

 

 口では拗ねているが、顔は笑っている。

 いつもの、のらりくらりだ。

 

 タツヤはわざとらしく肩を落として見せる。

 

「それにしてもさぁ、俺の名言とかも載せてくれていいのにね〜。『張り詰めて仕事するより適度に休んだ方が効率が上がる』とかさ〜」

 

「それはただの言い訳です」

 

 エリンが即答する。

 冷たい声のはずなのに、今日は少し柔らかい。

 頬の赤みが残っているからだろう。

 

 タツヤが「ひどいなぁ」と笑い、ペルシアが「タツヤ班長の名言、載せたら炎上するわよ」と肩を揺らす。

 

 リュウジはそのやり取りを眺めながら、少しだけ居心地の悪さを感じていた。

 褒めたのは本心だ。

 だが、“外に出た言葉”は、もう自分の手を離れている。

 

 それでも――

 ククルが週刊誌を抱きしめて嬉しそうにしているのを見ると、悪いことばかりではないと思えた。

 

 リュウジは咳払いし、タツヤに言った。

 

「……いや、次は話しますから」

 

 タツヤが目を丸くする。

 

「ほんと?」

 

「ほんとです。班長がうちの班を守ってるのも事実です」

 

 タツヤは一瞬だけ言葉を失い、すぐにいつもの顔に戻った。

 

「……いやぁ、照れるなぁ」

 

 ペルシアがニヤニヤしながらリュウジの肩を叩く。

 

「ほらほら、リュウジ。次回は班長回ね。タイトルは『のらりくらりの守り人』でどう?」

 

「やめろ」

 

 リュウジが即答すると、周囲に笑いが起きる。

 十四班らしい、軽い空気。

 

 その中でエリンだけは、週刊誌をもう一度だけ見てから、そっと閉じた。

 胸の前で抱えるようにして、ほんの少しだけ声を落とす。

 

「……ああいうふうに言葉にしてもらえると、報われるのね」

 

 リュウジは視線を逸らし、短く答えた。

 

「……報われるためにやってるわけじゃないでしょう」

 

「そうね」

 

 エリンは微笑む。

 

「でも、報われてもいいのよ。私たち」

 

 その言い方が、妙に優しくて。

 リュウジは返事を探すのに一瞬遅れた。

 

 ペルシアが空気を読まずに割って入る。

 

「ねぇ、次の取材のときは、私のこともっと褒めて。『ペルシアは天才。全宇宙の宝』って」

 

「嫌だ」

 

「えー」

 

 ククルがくすくす笑い、カイエが小さくため息をつき、エマが上品に口元を隠して笑った。

 

 リュウジは結局、苦笑するしかなかった。

 

 ――言葉は外へ出た。

 でも、その言葉が誰かの背中を少し軽くするなら。

 

 連載が続く数ヶ月、面倒も増えるだろう。

 それでも――悪くない。

 

 リュウジは週刊誌を一冊受け取り、ぱらりとめくった。

 そこに並ぶ文字が、前までとは違って見える。

 

 “十四班”という名前が、紙の上で確かに息をしていた。

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