サヴァイヴ〜ドルトムント財閥〜   作:一塔

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比較定期便

 翌朝。

 

 十四班の事務所は、いつもより少しだけ空気が張っていた。

 端末の起動音、紙の擦れる音、コーヒーが落ちる微かな滴――どれも変わらない。なのに、誰もが“次”を意識しているのが分かる。

 

 そんな中、扉が勢いよく開いて、ペルシアが入ってきた。

 

「……おはよ」

 

 声は低い。

 髪は整えているのに、目の下には薄い影が残っている。二日酔いの名残というより、心の疲労だ。

 それでもペルシアは、いつものように背筋を伸ばして歩く――はずだった。

 

 彼女の視線が、掲示端末の“運航調整通知”に刺さった瞬間、動きが止まる。

 

「……ええ!? なんでそんな事になるのよ!?」

 

 事務所の空気が一斉に固まる。

 ペルシアは端末の画面を二度見して、三度見して、ようやく“現実”として飲み込んだ。

 

「十班と十四班で、次の定期便……ブロック運用で比較、って……なにそれ。なにその、いっちばん面倒なやつ!」

 

 エリンは席から顔を上げ、静かに言った。

 

「面倒でも必要よ」

 

「そりゃ私が発端だけど、そこまでしなくてもいいでしょう!? もう言い返したし、吐いたし、はい終わり!で良くない!?」

 

 ペルシアが自分で言って自分で頭を押さえる。

 “吐いたし”は最悪の自己申告だ。自分でも分かっている。だから余計に苛立つ。

 

 エリンは手元の書類を揃えながら、落ち着いた声で返した。

 

「ペルシアのためだけじゃないわ。十四班をバカにされて黙っているわけにはいかないもの」

 

「……うっ」

 

 ペルシアは言葉に詰まった。

 “バカにされた”という単語が、胸の奥を刺す。自分が噛みついたのも、結局そこが許せなかったからだ。

 

 隣でカイエも、いつもより低い声で口を開く。

 

「その通りです」

 

 ペルシアがゆっくり振り向く。

 

「……カイエまで?」

 

 カイエは目を逸らさない。

 昨日のブリーフィングルームで、理不尽な言い掛かりに怒りを噛み殺したまま帰ってきた顔だ。

 

「ペルシアさんが正しかったと、現場で証明できます。……証明するべきです」

 

「はぁ~……」

 

 ペルシアは大げさにため息をつき、椅子の背もたれに体を預けた。

 

「あのねぇ。揉めるのは私だけでいいのよ。私が“悪役”でいい。私が嫌われ役で――」

 

「そういうわけにはいかないでしょ」

 

 エリンが即座に切る。

 優しい声なのに、退路がない。

 

「それを一人に背負わせるのが、一番“組織っぽい悪さ”よ」

 

 ペルシアが唇を噛んだ。

 それは、昨夜マーカスに言われたことと同じ匂いがした。“守りたいもの”の話。組織に縛られる嫌悪。現場を守りたい願い。

 それをエリンは、淡々と正論で言い切る。

 

「……くぅ」

 

 ペルシアは眉間を押さえた。頭が痛い。物理的にも、精神的にも。

 

 そこへ、タツヤがあくびを噛み殺しながら言う。

 

「ペルシア、俺に頼るなよ。無理無理」

 

「タツヤ班長~……なんとかしてよぉ……」

 

「無理無理。エリンは本気だし」

 

 タツヤは肩をすくめ、視線だけでエリンを指す。

 

「俺だって、やるからには本気だよ」

 

 ペルシアは“ぐぬぬ”みたいな顔になって、ぐるっと周りを見回した。

 

「ククル~! エマ~! 助けて~!」

 

 ククルが椅子から立ち上がり、拳を握った。

 

「今回ばかりは、私も許せません!」

 

 ペルシアが「えええ……」と引きつった笑いを浮かべる。

 

 さらにエマが、端末を閉じながら淡々と言った。

 

「出る杭は、早めに打った方がいいですよ」

 

「あなた、怖いのよ言い方が!」

 

「合理的です」

 

「合理的って言葉で全部片付けないで!」

 

 事務所の空気が、ほんの少しだけ緩む。

 でもペルシアの胸は、重いままだ。

 

 自分を守ろうとしてくれている。

 それが分かるからこそ――止めたい。

 

 他班との“勝負”なんて、組織が喜ぶだけだ。

 現場の空気が悪くなる。

 そして何より、誰かがまた傷つく。

 

 ペルシアは、息を整えてから小さく言った。

 

「……リュウジは?」

 

 その問いに、エリンが即答する。

 

「今は操縦シミュレーションをやってるわ」

 

「了解~」

 

 ペルシアはあっさり踵を返した。

 

「ちょ、ペルシア――」

 

 カイエが止めようとしたが、ペルシアは手をひらひら振った。

 

「話すのは、本人とよ。あいつが本気なら、止められるのも本人だけでしょ」

 

 言い切って、ペルシアは事務所を出た。

 

 

 シミュレーションルームへ向かう廊下は静かだった。

 ガラス越しに見える訓練スペースは、戦場みたいに整っている。

 照明は一定、空調は一定、機械音は一定。

 だからこそ、ペルシアの心臓の音だけがやけに大きく感じる。

 

 扉の前で立ち止まり、深呼吸を一つ。

 

「……よし」

 

 ペルシアは扉を開けた。

 

 ちょうどシミュレーションが終わったところだった。

 シートから立ち上がったリュウジが、首元のタオルで汗を拭っている。

 髪の先が少し濡れて、呼吸は浅い。訓練の“終わり”特有の空気が肌にまとわりついている。

 

 ペルシアは一直線に近づいた。

 

「リュウジ~! ちょっと聞いてよ」

 

 リュウジがタオルを肩に掛けたまま、普通の口調で返す。

 

「どうした?」

 

 その“普通”が腹立たしい。

 こっちは胃がキリキリしているのに。

 

「ねぇ、十班と十四班で次のフライトで白黒つけるんだって?」

 

「ああ、知ってる」

 

 あっさり。

 

 ペルシアの瞳孔が開く。

 

「知ってるなら、止めなさいよ!」

 

 リュウジは眉を上げただけで、淡々と言う。

 

「止めるも何も、俺が言い出したことだ」

 

「は?」

 

 一拍。

 

「はぁあああ!!」

 

 ペルシアの叫びが、シミュレーションルームに反響した。

 壁が白いせいで、余計に響く。

 

「アンタ何してくれてるのよ!!」

 

 リュウジは耳を塞がない。顔色も変えない。

 それがさらにムカつく。

 

「わざわざ揉め事起こす必要ないでしょう!? ただでさえ、あいつら面倒くさいのよ!? しかも相手、財閥の取引先の娘でしょ? 政治の匂いプンプンでしょ? 危ない橋の上に“勝負”って看板立てて飛び込むようなもんじゃない!」

 

 ペルシアは一息で言い切って、ゼエ、と息を吐いた。

 頭がズキンと痛む。

 二日酔いの残りが、ここで牙を剥く。

 

 リュウジが一歩だけ近づいた。

 距離が詰まる。

 無意識にペルシアは一瞬だけ身構える――でも、それは恐怖じゃない。

 この男が“本気”の顔をしているとき、空気の重さが変わるからだ。

 

「揉め事でも、やらなきゃいけない事だ」

 

 低い声。

 その一言が、ペルシアの胸の奥に刺さった。

 

「……やらなきゃいけない事?」

 

 ペルシアが眉を寄せる。

 

「なにそれ。正義ぶってんの? アンタ、そういうタイプだっけ?」

 

 リュウジは目を逸らさない。

 

「ああ」

 

 あっさり肯定する。

 ペルシアの苛立ちがさらに増す。

 

「意味わかんない。現場って、勝てば勝つほど恨まれるのよ? 目立てば目立つほど潰されるのよ? 私、そういうの散々見てきた!」

 

 その言葉は、どこか自分に向けてもいた。

 ペルシアの耳は、嫌なものほど拾ってしまう。

 政治の声、噂話、陰口、利害の音。

 聞こえるから、嫌いになる。

 嫌いだから、反射的に噛みつく。

 そして疲れる。

 

 リュウジは、少しだけ表情を柔らげた。

 

「分かってる」

 

 それがまた腹立たしいほど落ち着いている。

 

「だったら止めてよ!」

 

 ペルシアは一歩踏み込んで、リュウジの胸元を指でつついた。

 

「私のせいで、十四班が巻き込まれるの、嫌なの。

 私が勝手にキレて、私が勝手に叫んで、私が勝手に吐いて……!

 それで、“十四班が”ってなるの、やだ。みんなに迷惑かけるの、もう嫌!」

 

 最後の一言だけ、声が少し震えた。

 ペルシア自身が、それに気づいてしまって、悔しくて唇を噛む。

 

 リュウジは、タオルを握り直した。

 汗の匂いと石鹸の匂いが混じって、妙に現実的だ。

 

「ペルシア」

 

 名前を呼ばれるだけで、胸が詰まる。

 自分でも分からない。苛立ちのせいか、疲労のせいか。

 

「揉め事を起こしたいんじゃない」

 

 リュウジは淡々と言う。

 

「ただ、“流す”のが一番危ないんだ」

 

「……は?」

 

 ペルシアが目を細める。

 

 リュウジは続ける。

 

「昨日の便みたいな運用が“いつもの事”として続くなら、いつか必ず事故になる。

 乗務員が焦ってるのに焦ってない顔をして、声が震えてるのに震えてないって言い張って、責任を擦り付け合う」

 

 ペルシアの眉が僅かに動いた。

 まるで、あのブリーフィングルームが目の前に蘇ったみたいに。

 

「それを放置すると、乗客が死ぬ」

 

 リュウジの言葉は短い。

 でも、重い。

 操縦士の言葉は、いつもそうだ。

 命の重さが、文に混ざる。

 

 ペルシアは反射的に言い返しかけて――言葉を失った。

 

「……」

 

 リュウジが視線を少しだけ落とし、また上げる。

 

「俺は操縦で守る。エリンさんは船内で守る。

 お前は、“聞こえる”力で守ってる」

 

 ペルシアの喉がきゅっと鳴った。

 褒められるのが苦手だ。

 照れるとかじゃない。

 “認められると責任が増える”気がするから。

 

「だから、お前が潰れる形は駄目だ」

 

 ペルシアが息を吐く。

 

「……はぁ? 何それ。優しくしてくれるの? 今さら?」

 

 強がり。

 分かってる。

 でも言わないと、涙が出そうだった。

 

 リュウジは少しだけ眉を寄せた。

 

「優しくしてるつもりはない」

 

「じゃあ何よ!」

 

 リュウジは、少し間を置いて言った。

 

「この宇宙を守るためにも」

 

 ペルシアが目を瞬く。

 

「……」

 

 そして、次の一言が落ちる。

 

「お前を守るためにもな」

 

 ペルシアは、言葉を失った。

 胸がぎゅっと縮む。

 頭の痛みが、一瞬だけ遠のく。

 

「……は?」

 

 弱い声が漏れた。

 いつものペルシアなら絶対出さない声。

 

 リュウジは言い直さない。

 ただ、事実としてそこに置いたまま、目を逸らさない。

 

 ペルシアは、笑うべきか、怒るべきか分からなくて、唇をわなわなさせた。

 そして、苦し紛れにいつもの調子を引っ張り出す。

 

「……アンタさぁ、ほんとそういうとこ、ズルいのよ」

 

「ズルくない」

 

「ズルい!」

 

 ペルシアは叫んで、頭がズキンと痛んで、うっ、と顔をしかめた。

 

 リュウジが即座に言う。

 

「無理するな。座れ」

 

「命令しないで」

 

「命令じゃない。提案だ」

 

「言い方が命令なのよ!」

 

 言い返しながらも、ペルシアはふらっと椅子に腰を下ろした。

 座ると、少しだけ世界が安定する。

 自分が思っていたより、弱っている。

 

 リュウジが水のボトルを取って、キャップを開けて渡してくる。

 その動作がやたら手慣れているのが、腹立たしいほど自然だった。

 

「……ありがと」

 

 ペルシアは小さく言って、少しだけ飲んだ。

 冷たい水が喉を通って、ようやく言葉が整う。

 

「私ね」

 

 ペルシアはボトルを握りしめる。

 

「揉めたくないの。

 揉めると、余計に嫌な声が増える。

 裏で何言われるか、何企まれるか、全部聞こえちゃうから」

 

 リュウジは頷くだけで、遮らない。

 それが、ペルシアには救いだった。

 

「だから、勝負なんてさせたくない。

 十班も十四班も、乗務員は乗務員でしょ。

 同じ船で、同じ空で、同じ命背負ってるのに、“勝った負けた”なんて……」

 

 ペルシアはそこで言葉を切った。

 思っていた以上に、声が震えている。

 

 リュウジが静かに言う。

 

「勝った負けたにしない」

 

「……え?」

 

「勝負の形を借りるだけだ。

 乗客にとって何が正しいかを“見せる”。

 十班を叩き潰すためじゃない。十班の乗務員も、守るためだ」

 

 ペルシアは目を見開いた。

 

「……十班を、守る?」

 

 リュウジは頷く。

 

「十班の中にも、昨日の便で小さくなってた奴がいたんだろ。

 そういう奴は、言い訳する上の奴に潰される。

 “いつもの事”で流されて、育たないまま現場に出されて、いつか壊れる」

 

 ペルシアの脳裏に、ミラの顔が浮かんだ。

 若い、怯えと憧れが混ざった目。

 昨日、ペルシアを見て「凄かった」と言った目。

 

「……」

 

 ペルシアは、ボトルを握り直す。

 

「……私さ、宇宙管理局長にも同じこと言われたのよ。

 “守る人間が必要だ”って。

 嫌なのに、そういう言葉だけは、やたら胸に残る」

 

 リュウジは少しだけ目を細めた。

 

「……あの局長か」

 

「知ってんの?」

 

「話くらいは聞いてる」

 

 ペルシアはふっと笑って、でもすぐに顔を曇らせる。

 

「私、守りたいのよ。

 だけどさ、守ろうとすると、すぐ誰かとぶつかる。

 私のやり方、下手くそでしょ」

 

 リュウジが、いつもの調子で言った。

 

「下手くそだな」

 

「はぁ!? ちょっと!?」

 

 ペルシアが反射で噛みついた。

 でも、リュウジは続ける。

 

「でも、お前は逃げない。

 守ろうとしてる。

 それが出来る奴は、少ない」

 

 ペルシアは一瞬固まって、次にぷいっと横を向いた。

 

「……褒めないで。照れるからじゃない、腹立つから」

 

「分かった」

 

「分かってないでしょ」

 

 リュウジは小さく笑った。

 その笑みが、ペルシアには余計にズルい。

 

「だからさ」

 

 ペルシアは、ようやく本音を言う。

 

「私を守るって言うなら、私の“嫌いなやり方”で守らないで。

 政治とか勝負とか、そういうの……私は苦手なの」

 

 リュウジは少しだけ考え、頷いた。

 

「分かった。お前の嫌いな形にはしない」

 

「……ほんと?」

 

「ああ」

 

 嘘をつかない目だった。

 それが、ペルシアを少しだけ安心させた。

 

 でも、安心すると同時に――別の不安が湧く。

 

「じゃあ、どうするの」

 

 ペルシアが問いかけると、リュウジは言った。

 

「エリンさんが“形”を整える。

 俺が“安全”を担保する。

 お前は――」

 

 リュウジは、ペルシアをまっすぐ見た。

 

「お前の耳で、“客の状態”と“現場の歪み”を拾え。

 怒鳴るんじゃなくて、拾って、繋げて、動かせ」

 

 ペルシアの胸が、少しだけ熱くなった。

 

「……それ、私の得意分野じゃん」

 

「そうだ」

 

 ペルシアはふっと笑って、すぐに鼻で笑うふりをした。

 

「なにそれ。最初からそう言えばいいのに。

 “宇宙を守るため”とか、厨二みたいなこと言うから……」

 

 リュウジが淡々と返す。

 

「厨二じゃない。事実だ」

 

「言い方が厨二なのよ!」

 

 ペルシアが言って、二人の間に小さな沈黙が落ちる。

 その沈黙は、さっきまでの険悪なものとは違う。

 少しだけ、落ち着いた空気。

 

 ペルシアは水をもう一口飲んで、立ち上がった。

 頭はまだ痛い。

 でも、胸の中のぐちゃぐちゃは、少しだけ形になった。

 

「……分かった。止めるのは無理ね」

 

 リュウジが頷く。

 

「ああ」

 

「その代わり」

 

 ペルシアは人差し指を立てて、リュウジに向けた。

 

「私の“嫌いな勝負”にしない。

 私が守りたいのは、十四班だけじゃない。

 乗客も、現場も、十班の若い子も……全部よ。分かった?」

 

 リュウジは、驚くほど素直に答えた。

 

「分かった」

 

「よろしい」

 

 ペルシアは満足そうに頷き――そして顔をしかめた。

 

「……あ、やば。頭痛い」

 

 リュウジが即座に言う。

 

「休め」

 

「命令しないで」

 

「提案だ」

 

「言い方が命令なのよ!」

 

 同じやり取りを繰り返して、ペルシアは少しだけ笑った。

 腹の底からじゃない。

 でも、昨日までの苦さだけの笑いではない。

 

 ペルシアはシミュレーションルームの扉に手をかけ、振り返る。

 

「……リュウジ」

 

「ん?」

 

 ペルシアはほんの一瞬だけ言葉を探し、いつもの調子で誤魔化した。

 

「……変なこと言うなよ。宇宙とか守るとか。

 私、そういうの弱いから」

 

 リュウジは、少しだけ口角を上げた。

 

「じゃあ、お前を守るって言うのもやめるか?」

 

 ペルシアの目が大きく開く。

 

「やめなくていい!!」

 

 反射で叫んで、頭がズキンと痛んだ。

 

「……うっ」

 

 ペルシアは額を押さえて、悔しそうに睨む。

 

 リュウジは、いつもの淡々とした声で言った。

 

「ほら、無理するな」

 

「……うるさい」

 

 ペルシアはぷいっと顔を背けて、扉を開けた。

 

 廊下に出ると、空調の冷気が頬を撫でる。

 それでも胸の中は、少し熱い。

 

 ――勝負は嫌い。政治は嫌い。揉めるのも嫌い。

 でも守りたいものがある。

 守るために戦うのは、嫌いじゃない。

 

 ペルシアは小さく息を吐いて、心の中でだけ呟いた。

 

(……最悪。ちょっとだけ、やる気出ちゃったじゃない)

 

 そして、まだ少し痛む頭を押さえながら、十四班の事務所へ戻る足を早めた。

 

ーーーー

 

ブリーフィングルームの自動扉が開くと、冷たい空気が頬を撫でた。

天井の照明は白く均一で、壁一面の大型モニターには航路と客室ブロック図が表示されている。椅子と机は整然と並び、まるで“正解の形”だけが許される場所みたいだった。

 

十四班側の席に、ペルシア、カイエ、ククル。少し後ろにエリンが立つ。

リュウジは壁際、操縦関連の表示を確認しながら静かに腕を組んでいた。

 

反対側――十班の席は、空気が違う。

代表として出てきたのは、副パーサーのガーネット。表情は凛としているが、どこか硬い。周囲の乗務員も“会議に参加している”というより、“参加させられている”顔をしていた。

その隣に十班パイロット、ディーンが腰を下ろす。視線の置き方が淡々としていて、余計な感情を持ち込まないタイプだ。

 

遅れて、運航管理の担当者が入ってくる。

咳払いひとつ。場の空気が、音もなく締まった。

 

「本日は比較運航に伴う合同ブリーフィングです。目的は“優劣”ではなく“運用差の可視化”。現場負担の軽減と全体品質の底上げが主眼です」

 

よく通る声で説明される言葉は、綺麗すぎて、逆に怖い。

ペルシアは背もたれに体重を預け、腕を組んだまま鼻で小さく笑った。

 

(また始まった。上はいつも、言葉が綺麗で現場は血を流す)

 

その“血”を知っているのは、十班の若手たちのほうかもしれない。

視線が落ちる。指が落ち着かない。誰かがペンを回す音だけがやけに大きい。

 

運航管理が続ける。

 

「当便では、客室をブロック単位で運用観測します。Bブロック――中央区画を十四班が担当。十班は従来通り、他ブロックを運用。エリン・チーフパーサーは同乗、ただしサポートに留まり、現場主導は担当者に委ねます」

 

「……へぇ」

 

ガーネットが小さく息を吐いた。挑発ではない。けれど“試されるのはそっちも同じよ”という匂いが混じる。

 

運航管理が画面を切り替える。

表示されたのは、評価軸。初動、沈静化、復唱率、導線、クレーム分類、改善提案――数字と項目の羅列。

 

「以上が観測項目です。異議がある場合は――」

 

「あります」

 

手を上げたのは、ペルシアだった。

場の視線が一斉に集まり、空気が尖る。ペルシアは気にせず、顎を軽く上げる。

 

「“優劣じゃない”って言いながら、優劣が出る項目しかないじゃん。クレーム件数とか、導線詰まりとか。そりゃ現場で差は出るよ」

 

運航管理が困ったように眉を寄せる前に、エリンが口を開いた。

 

「ペルシア、言い方」

 

エリンの声は低くない。怒っていない。

けれど“そこは正しく”という圧がある。ペルシアは口を尖らせる。

 

「だってさ。現場を知らない数字遊びに見えるんだもん」

 

「数字遊びにしないために、私たちがいる」

 

エリンはそう言い切ってから、運航管理に向けて頭を下げた。

 

「失礼しました。ペルシアの懸念は理解できます。ただ、今回の観測は“見せつける”ためではなく、“改善に繋げる”ためです。十四班も、その前提で動きます」

 

“十四班も”という言い方が、十班側の神経を逆撫でる。

ガーネットが口を開く。

 

「改善、ね。十四班は最初から完成品だから、そりゃ楽でしょう」

 

「完成品じゃないよ」

 

ペルシアが即座に返す。

口調は軽いのに、目が笑っていない。

 

「こっちは“積み重ね”で回してる。毎回、必死に整えてる。完成品だったら、前みたいなことになってない」

 

ガーネットの唇が僅かに歪む。

言い返そうとした、その瞬間。

 

「そこまで」

 

エリンの声が落ちた。静かで、鋭い。

ペルシアも、ガーネットも、言葉を飲み込む。

 

エリンは背筋を伸ばし、場全体を見た。

“誰かを押さえつける”視線ではない。

“場の温度を整える”視線だ。

 

「今回は“喧嘩の続きをする場”じゃない。十班も十四班も、同じ宇宙船の中で、お客様の命と心を守る仕事をしてる。その前提が揺れたら、比較も観測も全部意味がなくなる」

 

言い終えると、エリンは一度だけ息を吐いた。

その息で、部屋の空気が少しだけ柔らかくなるのが分かる。

 

リュウジが、淡々と口を開いた。

 

「補足します。操縦は安全最優先です。比較は客室運用の範囲に限定してください。操縦への介入や無理な要求が出た場合は、こちらで止めます」

 

「あなたが止めるの?」

 

ガーネットがリュウジを見る。

S級パイロットの肩書きが、嫌でも場に影を落とす。

 

「はい。安全のためです」

 

リュウジは敬語のまま、視線を逸らさない。

その“変わらなさ”が、逆に圧になる。

 

ディーンが小さく頷く。

 

「同意。俺も操縦の質はぶらさない。客室の比較で操縦が歪むのは本末転倒だ」

 

運航管理が「では次に、ブロック運用の具体手順です」と画面を切り替えた。

 

 

Bブロックの座席構成、導線、サービス順、緊急時の声掛けテンプレ。

そして“復唱確認”のルールが、太字で映し出される。

 

「担当ブロックでは、無線指示は必ず復唱。復唱がない場合は、指示は未完了扱い」

 

それを見た十班側の若手が、わずかに身じろぎした。

復唱――それは簡単で、面倒で、でも命を救うやつだ。

 

ガーネットが腕を組み、冷静を装って言う。

 

「そこまでやるのは、時間の無駄じゃない?」

 

「無駄じゃない」

 

カイエが初めて、真っ直ぐ言った。

 

「復唱は、迷いを消します。迷いが消えると、お客様の不安も減る。私たちはそのためにやってます」

 

「理想論ね」

 

「理想じゃない。現場論です」

 

カイエの声は穏やかなのに、引かない。

ペルシアが横目で見て、内心ちょっとだけ嬉しくなる。

 

(いいぞカイエ。そうやって、正面から言えばいい)

 

でも同時に、胃も痛くなる。

 

(……やばい、ほんとに勝負みたいになってきた)

 

エリンがカイエに視線を向け、短く頷いた。

“いい”という合図。

そして次に、ペルシアを見る。

 

「ペルシア」

 

「なに」

 

「煽らない」

 

「煽ってないし」

 

「顔が煽ってる」

 

「……それは知らない」

 

エリンは小さくため息をついて、でも口元だけ少し緩めた。

 

「なら、声だけは落ち着いて。お願い」

 

その“お願い”は、命令よりずっと重い。

ペルシアは、やれやれと肩をすくめた。

 

「はいはい。分かった」

 

ククルがこっそり息を吐いた。

ペルシアが爆発しないだけで、場の温度がだいぶ違う。

 

 

運航管理は次に、「担当区画の“想定トラブル”」を読み上げた。

泣く子ども、酔い、揉め事、揺れ、騒音、VIPの要求、乗務員への無茶ぶり。

 

ペルシアはその項目を見ながら、前のフライトを思い出していた。

揺れた瞬間の悲鳴。顔が引きつる乗務員。責任転嫁の言葉。

胸の奥が、まだざらつく。

 

(私が怒ったのは正しい。だけど、同乗拒否届は……やりすぎ。分かってる)

 

ふと、エリンの声が落ちる。

 

「……揺れが来た時は、“不安を拾う人”と“情報を伝える人”を分ける。担当を決めて。Bブロックはククルが不安拾い、カイエが情報線、ペルシアは統括。いい?」

 

「了解」

 

カイエが即答する。

 

「はい、分かりました!」

 

ククルも続く。

ペルシアだけが一瞬遅れて、ぶっきらぼうに言った。

 

「……分かった」

 

エリンは、そこで初めて少しだけ笑った。

 

「よし」

 

短い一言。

それだけで、十四班の背中が少しだけ軽くなる。

 

ガーネットがその様子を見て、僅かに眉を動かした。

“統括”という役割を、軽く見ているわけじゃない。

むしろ、そこに羨望に似たものが混じっている気がした。

 

 

最後に、運航管理が締める。

 

「以上。比較便は次の定期便にて実施。観測結果は報告書として提出し、改善提案を含める。双方、協力をお願いします」

 

席が動き出しそうになったところで、リュウジが静かに言った。

 

「一つだけ」

 

全員の視線が集まる。

 

「これは“十班対十四班”の戦いじゃない。俺は十班を恥かかせたいわけでもない。……ただ、現場が“いつもの事”で崩れるのを見過ごしたくない」

 

言葉が、まっすぐすぎて、痛い。

ガーネットは目を細め、わずかに顎を上げた。

 

「……見ればいいわ。うちの現場を」

 

「見る。だから頼む」

 

リュウジはそう言って、エリンに一度だけ視線を送った。

“俺が余計なことを言っても、止めてください”という、無言のお願い。

 

エリンは小さく頷く。

そして、ペルシアを見た。

 

「ペルシア」

 

「なによ」

 

「当日は、絶対に無理しない」

 

「……それ、私に言う?」

 

「言う。あなたは無理するから」

 

ペルシアは口を尖らせて、でも視線を逸らさなかった。

 

「……分かった。無理しない。……するけど」

 

「しない」

 

「……はいはい」

 

エリンの言葉が、ペルシアを縛る。

縛られるのが嫌なのに、守られているのが分かってしまうから、なおさら腹が立つ。

 

ブリーフィングは解散となり、廊下へ流れていく。

十班の若手の何人かが、ククルに小さく頭を下げた。

ククルは驚いて、慌てて頭を下げ返す。

 

カイエが隣で、息を吐く。

 

「……胃が痛いです」

 

「でしょ?」

 

ペルシアが即答すると、カイエが苦笑した。

 

「でも、やります」

 

「やるしかない」

 

ペルシアも言って、そして小さく付け足す。

 

「……勝つためじゃないけど」

 

エリンが歩きながら、後ろも振り返らずに言う。

 

「うん。整えるため」

 

その言葉が、背中に刺さる。

比較便は、もう引き返せないところまで動いている。

 

そして――その場にいる全員が、薄々分かっていた。

この比較で変わるのは、評価表の数字だけじゃない。

“現場がどこまで自分たちを守れるか”――その答えが、出てしまう。

 

ーーーー

 

比較の決行の日――それは、ただの“運用観測”なんかじゃなかった。

十班と十四班、互いの看板がかかった、静かな衝突の日だった。

 

ブリーフィングルームへ向かう廊下は、いつもより長く感じた。

エリンが先頭を歩く。背筋はまっすぐ、歩幅は一定。無駄な速さがない。

その後ろを、ペルシア、カイエ、ククルが続く。三人とも同じ制服なのに、足音の性格が違う。

 

ペルシアの足音は短く、苛立ちを隠す気もない。

カイエは静かで、耳だけが先に空気を拾いに行っている。

ククルはいつもなら軽いはずなのに、今日は少し重い。肩が強張っている。

 

――扉の前に立った瞬間、ペルシアが小さく鼻を鳴らした。

 

「……この匂い」

 

「匂い?」

 

ククルが小声で聞くと、ペルシアは答えなかった。

代わりに、エリンが短く言う。

 

「……入るわよ」

 

自動扉が開き、四人が足を踏み入れた瞬間――

空気が“軽い”。

 

軽いというのは、和やかという意味じゃない。

背負うべき緊張が、薄い笑いと雑談にすり替わっている、あの軽さだ。

それは、ペルシアが十班に応援で乗り込んだ時に感じたものと、まったく同じだった。

 

(ああ……これ、だ)

 

エリンは表情を変えないが、内側で理解していた。

この空気なら、ペルシアが怒るのも無理はない。

“悪意”よりも厄介な、“慣れ”が染みついている。

 

十班の若い乗務員たちは、四人に気づくと慌てて立ち上がり、頭を下げた。

 

「おはようございます!」

 

「おはようございます……!」

 

声が少し震えている。けれど、彼らは礼儀と敬意を持っている。

問題は、その後ろ――ベテラン勢だった。

 

彼らは座ったまま、視線だけを向ける。

挨拶も返さない。

目の中にあるのは、“よそ者”を計る冷たさ。

その視線が、ペルシアの神経を直接こすった。

 

ペルシアは口角を上げた。笑っていない笑みだ。

カイエがその横顔を見て、喉を鳴らす。

 

(ペルシアさん、爆発しないでください……)

 

――その時。

 

扉が開いた。

高いヒールの音が、部屋の空気を割る。

チーフパーサーが入ってくる。十班の制服を完璧に着こなし、髪は艶やかにまとめられている。表情は余裕。視線は上から。

 

「はいはい、揃ってるわね」

 

一拍置いて、エリンに視線が刺さる。

エリンは、淡く会釈しただけで済ませた。

“礼儀は尽くす、でも卑屈にはならない”。それがエリンの型だ。

 

チーフパーサーは、わざとらしく息を吐いてから言った。

 

「今日は十班と十四班の比較フライト。――まぁ、十班はいつも通りで大丈夫」

 

その言葉に、ベテラン勢が小さく笑う。

若手の肩が、目に見えて強張る。

 

チーフパーサーは続けた。

 

「エリートの十四班に、“現場”を見せつけてあげなさい。ね?」

 

「はい!」

 

ベテラン勢の声だけが、やけに元気に響いた。

それは士気じゃない。

“煽り”だ。

 

「以上」

 

チーフパーサーはそれだけ言って、端末を軽く叩いた。

ブリーフィングという名の“説明”は、終わり。

空気が一気に軽くなる。雑談が戻る。笑いが戻る。

 

その瞬間、ペルシアの口が動きかけた。

毒が、喉元までせり上がっている。

 

だが――

 

「チーフパーサー、一つよろしいでしょうか」

 

エリンの声が落ちた。

静かなのに、部屋の空気を真っ直ぐ切る。

 

雑談が止まる。

ベテラン勢も、若手も、視線が一斉に集まる。

ペルシアは、横目でエリンを見る。

 

(……やるつもりね、エリン)

 

チーフパーサーが眉を上げる。

 

「何かしら?」

 

エリンは顔色ひとつ変えない。

 

「本日の乗客名簿を頂きたいのですが」

 

「……名簿?」

 

チーフパーサーは、そこで小さく笑った。嘲笑だ。

 

「何に使うのかしら?」

 

“そんなの必要?”

“あなた達、暇なの?”

言外にそう言っている。

 

だがエリンは、微動だにしない。

声の温度も、目の高さも変えない。

 

「必要です。端末に送ってください」

 

“お願いします”ではなく、“必要です”。

エリンの言葉は柔らかいのに、退かない芯がある。

 

チーフパーサーの口元が引きつった。

そして、舌打ち混じりに言う。

 

「……分かったわよ」

 

視線を一度、ペルシアに投げる。

“あなたの仲間、面倒ね”と言いたいのだろう。

 

そのまま踵を返し、ブリーフィングルームを後にした。

扉が閉まる音が、妙に大きく聞こえた。

 

しばらく沈黙が落ちる。

 

「……酷いブリーフィングです」

 

カイエが低い声で言った。

抑えているが、怒りが滲む。

 

「本当です……!私たちを罵るだけなんて……!」

 

ククルの声も震える。

悔しさが先に出てしまう。

 

ペルシアは、唇を尖らせたまま天井を見上げる。

 

「……ほんと、性格わる」

 

吐き捨てるように言いかけて、ペルシアは止めた。

エリンがいる。

ここで“毒”を吐くべきじゃないと、本能が知っている。

 

エリンは静かに頷いた。

 

「うん。酷い。――でも」

 

三人の視線が集まる。

エリンは、そこで“現場の人間”の目になる。

 

「……あれで十班の士気は上がったわ」

 

「え?」

 

ククルが目を丸くする。

カイエも、驚いた顔でエリンを見た。

 

ペルシアだけが、鼻で笑う。

 

「そ。伊達にもチーフパーサーだけのことはある。十班の乗務員の“やる気を上げるツボ”は押さえてるのよね」

 

その言葉には、憎しみだけじゃない。

悔しいが、認めている。

 

エリンは、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 

「……だから厄介なの」

 

そして、エリンは椅子の前に立ち、いつもの“十四班の姿勢”で言った。

 

「私たちだけでも、ブリーフィングを始めましょうか」

 

その瞬間、若い乗務員たちの視線が飛んできた。

熱を帯びた、必死な視線。

“聞きたい”。

“学びたい”。

“助けてほしい”。

 

でも、彼らは声に出せない。

ここで「聞きたいです」と言えば、ベテラン勢に何をされるか分からない。

十班の空気は、そういう空気だ。

 

エリンは、それを一瞬で理解した。

 

だから、言葉にせずに合図を送った。

視線だけで。

 

――いいわよ。聞きたいなら、ちゃんと聞いててね。

 

若い乗務員が、微かに頷く。

それだけで、エリンは“入ってきた”と判断した。

 

エリンはモニターを操作し、表示を切り替えた。

定期便の機体情報。

運用年数。

姿勢制御ユニットの型番。

揺れの出やすい区間。

過去のクレーム傾向。

客層。

酔い止めの消費量。

 

「まず、この定期便の船は古い」

 

エリンは淡々と言う。

 

「だから揺れる。揺れる前提で、準備をする。酔い止めは通常より多めに配置。毛布と吐物袋も。――配置を確認する」

 

エリンは視線をカイエに向ける。

 

「カイエ、Bブロックの緊急セット確認。数を。位置を。足りなければ、今ここで言って」

 

「はい。確認します」

 

カイエの返事は速い。

迷いがない。

 

エリンは次にククルを見る。

 

「ククル、今日のBブロックは“声掛けの密度”を上げる。揺れが来る前の段階で、“安心の予告”を入れる。いい?」

 

「はい……!できます!」

 

ククルは、そこで少しだけ顔が明るくなった。

“役割”を与えられると、人は立てる。

 

ペルシアは腕を組んだまま、軽く首を傾げる。

 

「エリン、私の役は?」

 

「現場はペルシアに任せる」

 

エリンは即答した。

その言葉に、ペルシアの眉がわずかに動く。

 

(……信じてくれてる。腹立つくらいに)

 

エリンは続ける。

 

「私はサポート。必要な時だけ入る。基本は、あなたが回す。あなたが“拾って”、あなたが“繋いで”、あなたが“整える”。――できるでしょ?」

 

ペルシアは目を逸らし、ぶっきらぼうに言った。

 

「できるに決まってる」

 

エリンは頷く。

 

「よし」

 

その短い一言が、十四班を一本の線にする。

 

さらにエリンは、十班の若手にも届くように、少しだけ声の通りを意識した。

大きくはしない。

でも、届く高さ。

 

「揺れが来た時は、“情報を伝える人”と“不安を拾う人”を分ける。ひとりで全部やろうとしない。声が震えるのは仕方ない。でも、震えたまま話すなら、言葉を短く。復唱を使う」

 

若い乗務員の何人かが、息を呑む。

彼らは今まで、そういう“やり方”を教わっていなかったのだろう。

 

ベテラン勢が、鼻で笑った。

その音が、ペルシアの神経にまた触れる。

 

だが、ペルシアは言わない。

エリンがいる。

この場で戦うべき相手は、十班のベテランではない。

 

(今日の相手は、“結果”だ)

 

エリンが最後に言う。

 

「――最後に。今日の目的は“勝つ”ことじゃない。“整える”こと。十班にも、十四班にも、必ず使えるものを残す。だから、目の前の乗客だけを見るの。余計な言葉は拾わない」

 

その瞬間、ペルシアの耳が“空気の変化”を拾った。

若手の呼吸が揃う。

数人が背筋を伸ばした。

ほんの小さな変化。

でも、それは確かに“整い始め”の音だった。

 

ペルシアは小さく息を吐く。

 

(……ちくしょう。エリン、やっぱり凄い)

 

エリンは端末を閉じ、淡く微笑む。

 

「じゃ、行きましょう。……ペルシア、現場よろしく」

 

「はいはい。任された」

 

軽口で返しながら、ペルシアの目は、もう笑っていなかった。

“やる”目だった。

 

扉が開く。

比較フライトの現場へ――。

 

その背中に、十班の若い乗務員たちの視線が刺さる。

誰にも言えなかったはずの声が、目の中にある。

 

――助けて。

――教えて。

――一緒に守って。

 

エリンは振り返らない。

振り返らなくても、分かっているからだ。

 

今日、何かが変わる。

変えなければ、壊れる。

 

そしてその“変化”は、きっと最初に――

最も軽い空気の中から、始まる。

 

ーーーー

 

定期便への搭乗が始まった。

 

通路に人の流れができ、荷物の転がる音、子どもの甲高い声、端末の通知音、スーツの擦れる音――それらが宇宙船の金属の腹に吸い込まれていく。

今回の機体はA~Dブロックに分かれており、中央のBブロックが十四班の担当だ。最も人の往来が多く、揺れの影響も拾いやすい“腹”の位置。事故が起きれば、まずここに波が来る。

 

それを選んだのはエリンだ。

「比較」だろうが何だろうが、現場は現場。

危険に近い場所へ、慣れた者が入る。それが彼女の判断基準だった。

 

そして――乗客名簿を確認した瞬間、エリンの眉がほんの僅かに動いた。

 

Dブロックに、VIP客。

 

定期便の、しかもこの古い機体に?

普通なら、あり得ない配置だ。

 

「……容赦がないな」

 

操縦室で名簿を見下ろしながら、リュウジがぼそりと呟いた。

声は静かだが、目の奥が冷える。

 

隣でチェックリストをめくっていたディーンが、鼻で笑った。

 

「それが十班のやり方だ」

 

「やり方、ですか」

 

「権力を上から振り下ろすような、そんな連中だ。VIPをDに入れれば、“特別対応”が増える。事故が起きれば責任の擦り付け先も作れる」

 

リュウジは淡々と頷いた。

 

「……そうですか」

 

「どうする? どっちが操縦する?」

 

ディーンの問いに、リュウジは迷わなかった。

 

「行きと帰り、交代でどうですか?」

 

「いいだろう。先に俺がやらせてもらう」

 

ディーンが操縦席に座り、リュウジは副操縦席で計器を追う。

この機体は古い。クセがある。

しかも今日の揺れの予測データは、あまり良くない。

ディーンの操縦の癖も、初見ではないが“読み切った”とは言えない。

 

――それでも、今は任せる。

リュウジは、自分の仕事を淡々と積み上げるだけだ。

 

 

静かな震えが、船体を撫でた。

 

それは離陸の前触れのようでいて、もっと嫌なもの――金属が疲労を溜め込んでいる時の、鈍い呻きにも似ていた。

 

「出るぞ」

 

ディーンが短く告げ、操縦桿がわずかに動く。

加速の圧が、船内の空気を押しつぶす。

そして宇宙船は、静かに――だが確実に、宙へ浮き上がった。

 

次の瞬間。

 

――ガンッ。

 

船体が何かに殴られたように揺れ、座席の背が一斉に鳴った。

荷物棚のロックが軋む音が走り、あちこちで小さな悲鳴が上がる。

 

想定していたより、酷い。

 

揺れが“波”ではなく、“拳”のように断続的に襲ってくる。

 

(……思ってたよりも酷いわね、この宇宙船)

 

Bブロックで、ペルシアは息だけで呟いた。

目は冷静だ。

だが、耳はもう過敏に全体を拾い始めている。

 

子どもの笑い声。

高齢者の浅い呼吸。

吐き気を堪える喉の鳴り。

そして、“これ大丈夫なの?”という不安の温度。

 

ペルシアは瞬時に、場の火種を並べた。

燃えやすい順に。

 

視線の先――ククルが、すでに動いていた。

 

小さな子どもには目線を落として、怖くない声で。

高齢者には距離を詰めすぎない、でも放っておかない間合いで。

エリンに言われた通り、“安心の予告”を入れている。

 

「揺れますけど、ちゃんと落ち着く揺れですよ。今は宇宙に出る途中の“通り道”みたいなものです。大丈夫、私たちがいますからね」

 

言葉の選び方がいい。

不安を否定せず、未来を約束しすぎない。

“守る”と言う代わりに、“一緒にいる”と言う。

それだけで、子どもの肩の力が少し抜けた。

 

(……よし)

 

ペルシアの耳が拾う未来が、少しずつ消えていく。

火種が、湿っていく。

 

カイエも動いている。

ドリンクカートを押しながら、目は“乗客”ではなく“呼吸”を見ている。

顔色、手の震え、唇の乾き、肩の上下。

気分が悪い者が出る前に、先に“兆候”を拾う。

 

それは十四班が日々積んできた訓練の結果だ。

今日の比較がどれだけ歪んでいようと、彼らの身体は正しく動く。

 

――無線が鳴った。

 

『ペルシアさん、お客様が温かい飲み物をご所望です』

 

カイエの声。

少しだけ早い。手一杯なのが分かる。

 

ペルシアは瞬時に判断する。

 

揺れる宇宙船で、温かい飲み物をカートに乗せるのは危険だ。

零せば火傷。

火傷は痛み。

痛みは怒り。

怒りは混乱。

混乱は事故。

事故は――“比較”の勝ち負けなんかを吹き飛ばす。

 

十四班では、決まっている。

温かいものはギャレーで作り、蓋をして、手で運ぶ。

 

「温かい飲み物了解。――カイエ、そのシートの二つ先のおじさん、軽く酔ってると思う。呼吸が早いわ。声掛けてあげて」

 

『声掛け了解しました』

 

返事は即答。

カイエが、すぐに動いたのが耳で分かる。

椅子の軋み、足音、声の高さ――そこまで拾える。

 

ペルシアはギャレーへ向かう。

通路は揺れで真っ直ぐ歩けない。

荷物の取っ手が膝に当たり、子どもが走り出しそうになる。

それらを視線だけで制しながら進む。

 

――その途中で、ペルシアの耳が“バタバタ”を拾った。

 

子どもの靴音。

興奮の足音だ。

この揺れの中で走れば、転倒する。

転倒すれば泣く。

泣けば親が怒る。

怒れば周囲がざわつく。

ざわつけば不安が増幅する。

 

ペルシアは即座に無線に口を寄せた。

 

「ククル、前列の窓際の子どもが興奮してる。星座を教えてあげて」

 

『星座、了解しました!』

 

ククルの声が少し明るくなる。

彼女は“頼られる”と強くなる。

 

ギャレーに入ると、エリンがそこにいた。

 

――まるで最初から待っていたかのように。

 

エリンは揺れのタイミングに合わせて体を固定し、カップを並べ、すでに蓋まで閉めている。

音がしない。

無駄がない。

急いでいるのに、慌てていない。

 

「温かい飲み物。無難にお茶にしといたわ」

 

エリンが差し出す。

ペルシアは受け取りながら、少しだけ笑った。

 

「うん、ナイスサポート」

 

エリンが小さく息を吐く。

 

「宇宙船、だいぶ揺れてるわね」

 

「ええ。この区画でも少しだけど欠伸してる人が増えてきた。……疲れと酔い、両方ね」

 

ペルシアは耳元の無線機に手を当てる。

今、必要なのは“情報の循環”だ。

乗客に何かあれば、言いやすい空気を作る。

それだけで、火種は半分になる。

 

「ククル、乗客に“何かあればいつでも申し付けてください”って言いながら回って」

 

『乗客に伝えます!……じゃなかった、乗客への伝達、了解しました!』

 

言い直した瞬間、エリンとペルシアは同時にクスッと笑った。

その笑いは軽い。

でもそれは、場を軽くするための“道具”だった。

乗務員の呼吸が整う。

それだけで、ブロック全体の空気が少し落ち着く。

 

エリンはペルシアの横を通りすぎながら、低い声で言った。

 

「ペルシア。焦ってる乗務員、二人いる。声の高さで分かるでしょ」

 

「分かる。……でも、今は私が行く」

 

「うん。任せる」

 

短い会話。

それで十分だった。

 

ペルシアはお茶を運びながら、揺れの隙間を読む。

肘と膝を使って壁に当たり、ぶつからない。

乗客の前では絶対に転ばない。

 

お茶を渡す時、ペルシアは笑顔を作る。

作る、というより“装着する”。

それがプロの顔だ。

 

「お待たせしました。熱いのでお気をつけくださいね」

 

「……ありがとう。こんなに揺れると思わなかった」

 

「大丈夫です。揺れは想定内です。落ち着く区間に入りますので、今だけ深呼吸しましょうか」

 

深呼吸。

その言葉は、乗客の呼吸に直接触れる。

呼吸が落ち着けば、心も落ち着く。

 

ペルシアは、ひとりひとりの呼吸を“音”で拾いながら、Bブロックを回していく。

 

――その時、無線が一瞬ノイズを吐いた。

 

『……Bブロック、飲み物の提供が遅い。Aはもう回ってるぞ』

 

十班側の誰かの声。

ベテランの声だ。

挑発に近い。

 

ペルシアは反射で舌打ちしそうになったが、飲み込んだ。

その代わり、静かに返す。

 

「Bは揺れが強い。温かいものはギャレー対応。火傷のリスクは取らない。以上」

 

短く、冷たく。

言い訳はしない。

事実だけを置く。

 

エリンが横から小さく頷いた。

“それでいい”と。

 

ククルの方を見ると、彼女が窓際の子どもに星座を教えていた。

子どもは目を輝かせている。

興奮は“暴れる興奮”から、“学ぶ興奮”に変換された。

その変換こそ、乗務員の仕事だ。

 

カイエは酔いかけていた乗客に水を渡し、呼吸を整えさせている。

その隙に、別の乗客の毛布を整えた。

ひとつの手で、二つの火種を消す。

 

(……いい。ちゃんと回ってる)

 

ペルシアは思う。

この揺れの中で、十四班のBブロックは“崩れていない”。

 

だが同時に、耳の端で拾う。

他ブロックのざわめき。

笑い声。

怒声。

誰かが「遅い!」と叫んだ音。

 

――十班側は、きっとまだ“いつも通り”をやっている。

いつも通り、つまり、混乱を混乱のまま流す運用。

 

比較は、始まったばかりだ。

 

ペルシアは無線に口を寄せる。

 

「カイエ。状況共有。Bは安定。次の揺れ区間の前に、吐物袋と水、前方に追加。ククルは声掛け継続。私、他ブロックの音も拾ってる。必要ならエリンに上げる」

 

『了解です』

 

『了解しました!』

 

二つの返事が重なる。

それが、連携の音だ。

 

ペルシアはギャレーに戻り、エリンと目を合わせた。

 

「……今のところ、Bは持ってる」

 

「うん。持ってる。――だからこそ、次が大事よ」

 

エリンの声は柔らかい。

でも、その目は鋭い。

 

次の揺れが来る。

次の不満が来る。

次の“比較”の罠が来る。

 

それでも――十四班は、やる。

 

ククルが言い直した「乗客への伝達、了解しました」が、ふと胸に残る。

未熟さはある。

でも、正そうとする意志がある。

それが、十四班の強さだ。

 

宇宙船は再び大きく揺れ、船内の照明がわずかに瞬いた。

悲鳴が上がりかける。

しかし――

 

「大丈夫です。今の揺れは想定内です。落ち着きますよ」

 

ククルの声が、はっきり響いた。

カイエの声も続く。

 

「お手伝いします。呼吸、ゆっくりで大丈夫です」

 

ペルシアは耳でそれを確認し、目を閉じずに前を見る。

 

――この比較は、勝つためじゃない。

守るために、やる。

 

その瞬間、ペルシアの中で、むしゃくしゃした何かが少しだけ形を変えた。

怒りではなく、確信に。

 

(私は、ここにいるべきだ)

 

そして同時に――

別の場所で、別の音が拾えた。

 

Dブロック。

VIP周りの空気が、嫌な方向に動き始めている。

 

ペルシアは、無線機に指をかけた。

まだ言わない。

でも、もう準備はできていた。

 

「……エリン。D、きな臭い」

 

エリンは頷き、即答した。

 

「分かった。私が行く。Bは任せた」

 

「もちろん」

 

たったそれだけで、十四班の陣形は崩れない。

Bは守る。

Dは整える。

そして、操縦室では――ディーンが操縦し、リュウジが静かに計器を追い続けている。

 

比較フライトは、まだ序章にすぎなかった。

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