夜のロカD2は、昼間の陽気をそのまま瓶に詰めて熟成させたみたいに、やわらかい熱を帯びていた。
ホテルの近くにあるレストランは、ガラス張りの外壁に街灯の光を映して、ふわりと落ち着いた雰囲気を作っている。入口のドアを開けると、香草と焼き肉とスープの匂いが一気に鼻をくすぐった。軽いジャズが流れていて、床の上は忙しなく歩くスタッフの靴音が跳ねる。
十四班は、予約していた大きめのテーブルに通された。
エリン、タツヤ、ユイ、ミラ、カイエ、ククル、エマ、リュウジ。八人が一つの円を作ると、いつもの事務所とは違う“余裕”が、そこだけに生まれた。制服じゃなく、私服の色が混ざり合うのも妙に新鮮で、誰の顔も少しだけ柔らかい。
メニューをめくる音。グラスが触れ合う音。ユイの椅子がちょこんと揺れる音。
エリンは最初にユイへ視線を向ける。視線の温度だけで、場を落ち着かせるような、そんな自然な動きだった。
「ユイ、今日はどこ行ったの?」
声が優しい。指摘ではなく確認。命令ではなく興味。ユイがそれを見逃すはずがない。
「今日は、すいぞくかん行った!」
ユイが満面の笑みで言う。両手を少しだけ上げ、魚が泳ぐ真似をしてみせる。
「いっぱいお魚さん、見れた?」
「うん!」
ユイは全力で頷いて、頬がぷにっと揺れた。
「そう」
エリンも笑って、ユイの頭を撫でる。髪の毛を梳くみたいに、ゆっくりと。ユイはその手の温度に安心したように目を細めて、「えへへ」と小さく笑った。
その光景を見て、ククルが思わず声を漏らした。
「うわぁ……」
カイエが箸を持つ手を止める。
「どうしたの?」
ククルは頬を掻きながら、恥ずかしそうに言う。
「いや、その……エリンさんの包容力って凄いなって思って……」
ミラが、間髪入れずに頷いた。
「それ、分かります」
エマも、涼しい顔で乗ってくる。
「私も分かる。なんだろう、見ててホッとする」
「そうそう!」
ククルが勢いよく頷く。
ミラが、真面目な顔で続けた。
「……お母さんみたいです」
一瞬、場が固まった。
言葉の破壊力をミラだけが気づいていない。
エリンは箸を置きもせず、笑みを崩さないまま、穏やかに返す。
「誰がお母さんよ」
声は優しい。優しいのに、ぴしりと線が引かれる。
ククルとエマは肩を震わせ、カイエは口元を押さえて笑いをこらえていた。ミラだけが「あ……」と気づき、耳まで赤くなった。
エリンはそんなミラを助けるように、話題をすっと変える。さすがだ、とカイエは心の中で頷く。
「それよりククル、何かいいもの買えたの?」
「あ、はい!」
ククルの顔がぱっと明るくなる。
「買いすぎてバックに入らないー!って叫んでたもんね」
カイエが、さらっと爆弾を落とした。
「ちょっと、言わないでよ!」
ククルが頬を膨らませる。けれど怒っているというより、からかわれて照れている。
エリンはククルを見て、ふふっと笑う。
「ククル、変なもの買わされないようにね」
「大丈夫です! 良い買い物でした!」
その“良い買い物”が何なのかは聞かない方がいい気がした。エマが小さく「きっと変なものだ」と呟き、カイエが「エマ、聞こえるよ」と笑って突っ込む。
料理が運ばれてくる。皿がテーブルに並ぶ度、湯気と香りが増えていく。肉、魚、サラダ、スープ、パン、そしてエマが最初から狙っているであろうデザートのワゴン。
タツヤはビールを受け取り、喉を鳴らして飲み干した。
「ぷはぁー!」
その音が、場の空気をさらに軽くする。
「おかわり貰ってくる」
タツヤが椅子から立ち上がると、リュウジも同じタイミングで立ち上がった。
「じゃあ、俺は肉を貰ってきます」
ユイの目がきらっと光る。
「ユイもいく!」
ユイは椅子から降りるようにしてリュウジの側へ移動した。小さな手が、迷いなくリュウジの服の裾を掴む。
エリンはそれを見て、反射で声を出す。
「リュウジ、ユイをちゃんと見ててよ」
いつもの指示。いつもの確認。
だけど、その“いつも”に、ほんの少しだけ違う温度が混ざっていることに、エリン本人だけが気づいてしまった。
――あれ。
今、声、少し強かった?
エリンは自分の喉の奥を意識する。やけに乾く。ウーロン茶を口に含んで、誤魔化すように飲み込む。
リュウジは当然のように答えた。
「分かりました」
そしてユイの頭を撫でる。
撫で方が、不器用なのに優しい。
強くもなく、弱くもなく、一定のリズム。
ユイは嬉しそうに笑い、リュウジの横にぴたりと並んで歩き出した。リュウジはユイの速度に合わせて、歩幅を小さくする。そんな細かいところまで自然にできるのが、妙に腹立たしいほどだ。
その姿を見たククル、エマ、カイエ、ミラの四人は、言葉を失った。
――見えた。
いけないものが見えた。
夫婦のやり取りみたいに見える。
いや、夫婦っていうか、もっと自然に。
当たり前みたいに、呼吸が合っている。
エマが小声で、耐えきれずに吐き出した。
「ねぇ、本当に付き合ってないんだよね!?」
ミラが慌てて、きちんとした声で答える。
「エリンさんは否定していました」
カイエが箸で肉をつつきながら、視線だけで二人の背中を追う。
「噂はペルシアさんが流したって歓迎会で言ってたよね」
ククルが真顔で頷く。
「でも噂がなくても、あの二人なら勝手に噂が流れそう」
……その瞬間。
ゴホン。
わざとらしい咳払いが、テーブルの中心から落ちた。
四人は反射で背筋を伸ばした。怖い。怖いけど見たい。見たいけど怖い。そんな複雑な顔になる。
エリンはウーロン茶を飲みながら、照れたように言う。
「聞こえてるわよ」
声は柔らかい。
柔らかいのに、逃げ場がない。
「す、すみません……!」
ミラが勢いよく頭を下げる。丁寧すぎて逆に面白い。
「別に怒ってない」
エリンは言いながら、グラスをテーブルに置く。
その手元が少しだけ、落ち着かない。
ククルが恐る恐る口を開く。
「でも……見えました。なんか……自然すぎて……」
「自然?」
「自然です!」
「自然って何」
エリンの問いが、なぜかちょっとだけ鋭い。
その鋭さが、自分の内側の“何か”を守る刃になっているのが分かる。
エマが、あえて軽く言う。
「ほら、夫婦みたいっていうか……」
「夫婦じゃない」
エリンは即答した。
即答しすぎて、エリン自身が自分に驚く。
否定が速い。速すぎる。
その速さは、“否定したい何か”があるみたいに見えてしまう。
カイエが、わざとらしく咳払いして場を整える。
「エリンさん、みんな悪気ないですから」
エリンはカイエを見て、少しだけ目を細める。
カイエは引き攣った顔でニコニコしている。
「……分かってる」
エリンは言って、またウーロン茶を飲む。
胸の奥が、ふわっと熱い。
怒りではない。
恥ずかしさとも違う。
“何かを見られた”ような、ぞわっとした感覚。
エリンは、テーブルの上の料理に視線を落とす。
魚の皿、肉の皿、サラダ、スープ、パン。
どれも美味しそうなのに、味が一瞬だけ遠くなる。
――意識してる?
私が?
エリンは自分に問いかける。
けれど答えはすぐには出ない。
リュウジのことは、ずっと“仲間”として見てきた。
操縦士として尊敬している。
十四班の支柱の一つとして信頼している。
危ないところに飛び込む癖があるから、止めたくなる。
無茶をするから、叱りたくなる。
無理をしてるのが見えるから、守りたくなる。
――守りたくなる?
その言葉が、胸の奥で小さく跳ねた。
恋愛感情?
違う。
でも、完全に違うと言い切れるほど、エリンは自分の心を軽く扱えなかった。
ここ最近、ペルシアがいなくなってから、エリンの感覚はいつもより敏感になっている。班を守る責任の重さ。みんなの不安。前より増えた“見えない穴”。その穴を埋めようとして、エリンはいつも以上に力を入れてしまっている。
その中で、リュウジは変わらずに、黙って支え続けている。
言葉ではなく動きで。
態度で。
背中で。
だから――たぶん。
それを見て、安心するのだ。
安心するから、近くにいるのが当たり前になって。
当たり前になってしまったから、ふとした瞬間に“特別”に見えてしまう。
エリンは、自分の考えが危険な方向に流れそうなのを感じて、ウーロン茶をもう一口飲んだ。
エマが、恐る恐る話題を戻すように言う。
「……あの……エリンさんは、今日の自由時間は……どこにも行かれなかったのですか?」
「報告書を書いてたわよ」
エリンは即答して、少しだけ笑う。
「仕事熱心……」
ククルがぽつりと言い、エマが「優しい仮面の鬼は仕事も鬼」と言いそうになって、カイエに肘で止められる。
その時、戻ってきたタツヤが、ビールのグラスを片手に、テーブルに近づいてきた。
タツヤの後ろに、肉を皿に山盛り乗せたリュウジと、誇らしげに小さな皿を持ったユイが続く。
「お待たせしました」
リュウジが席に戻る。ユイも椅子に座り、嬉しそうに自分の皿を見せびらかす。
「見て! おにく!」
「うん、すごい」
エリンが笑って言う。
その笑みは自然だった。
自然すぎて――エリン自身が少しだけ困る。
ククルたち四人は、さっきの会話の続きを言いたいような、言いたくないような顔をしている。
けれどエリンが視線を向けるだけで、全員が一斉に“普通”の顔になる。
エリンはその反応を見て、ふっと笑った。
「……なに。私、そんなに怖い?」
「い、いえ!」
ミラが即答する。
カイエが助け舟を出す。
「怖いっていうか、頼れるっていうか。安心するっていうか」
「ほら、包容力」
ククルがぽつりと言い、エマが「またお母さんに戻る」と笑う。ミラが「すみません」と言いかけて、エリンが目で止める。
「謝らなくていい」
エリンはそう言って、料理に手を伸ばす。
箸で魚をほぐし、口に運ぶ。
ちゃんと味がする。
リュウジが肉を切り分けながら、ユイに「熱いから気をつけろ」と言う。ユイが「うん!」と返す。そのやり取りが、また妙に自然で、エリンの胸の奥が小さく揺れた。
さっきまでの“ざわざわ”は、まだ残っている。
でも、そのざわざわは嫌じゃない。
ただ――自分の中で扱い方が分からない。
恋愛なのか。
仲間なのか。
家族のようなものなのか。
責任感なのか。
それとも、ただの疲れが作る錯覚なのか。
エリンは答えを出さないまま、目の前の光景を受け止める。
ユイの笑い声。
タツヤのビールの音。
ククルの明るい相槌。
エマの楽しそうな目。
カイエの柔らかい突っ込み。
ミラの丁寧すぎる敬語。
そして――リュウジの、静かな存在感。
エリンはウーロン茶を持ち上げ、ゆっくり飲む。
そのグラス越しに、リュウジがふとこちらを見る。
目が合う。
ほんの一秒。
リュウジはすぐに視線を逸らして、ユイの皿を直す。
それだけのことなのに。
エリンの胸が、少しだけ――高鳴った。
驚くほど小さな高鳴り。
でも確かにある。
その感覚が、エリンを困らせる。
エリンは、誤魔化すように笑って言った。
「……ほら、食べるわよ。せっかくの夕飯なんだから」
「はい!」
ミラが元気よく返事をし、ククルが「いただきます!」と言い、エマがデザートの場所を確認し、カイエが「ユイ、ジュース飲む?」と聞き、タツヤが「乾杯し直すか!」と騒ぎ、ユイが「かんぱーい!」と叫ぶ。
グラスが触れ合う音が、夜のレストランに軽く響いた。
エリンはその音を聞きながら、心の中で小さく息を吐く。
――今は、これでいい。
答えは、まだ出さなくていい。
ただ、分からないまま芽生えた気持ちが、静かに根を伸ばしていくのだけは、もう止められないのだと――エリンは、薄々気づき始めていた。
ーーーー
ホテルに戻り、それぞれの部屋に別れていった。
だがそれで終わりになる筈はない。
夕飯の席を離れた瞬間から、エマの目は“次の戦場”を見据えていた。声には出さないが、あの目は言っていた――「夜はまだ終わってない」と。
結果、当然のように決まった。
エマの部屋集合。女子会。
廊下の照明は暖色で、カーペットは足音を吸い込む。遠くの部屋からはシャワーの音や、誰かの笑い声が漏れていた。ドアの隙間から香るアロマ。ここは仕事の場じゃない。そう分かっているのに、十四班の体はまだ“勤務”の延長にあるみたいで、勝手に背筋が伸びる。
その背筋を、ククルが力づくで緩めにかかった。
「ミラ、準備できた?」
ミラの部屋の前で、ククルが控えめにノックする。ガチャ、と開いて出てきたミラは、髪を丁寧に乾かし終えたばかりらしく、頬がほんのり赤かった。手には小さなポーチ。表情は緊張を残しつつも、どこかワクワクしている。
「はい! 大丈夫です」
返事が元気すぎて、ククルは思わず笑う。
「よし、行こ行こ」
二人は並んで廊下を歩き始めた。ミラは歩幅をククルに合わせようとして少しだけ小走りになる。そういうところがまだ新人らしくて、見ていて胸がくすぐったい。
歩きながらミラが首を傾げる。
「あれ? カイエさんは?」
ククルは肩をすくめた。
「カイエはゲームするからパスだって。なんか今日、ゲームのアップデートがあるんだって」
「そうなんですね……」
ミラは少し残念そうに言うけれど、すぐに表情を整えた。カイエがいない“女子会”――つまり、ここから先は遠慮が要らない。そんな空気になるのは目に見えている。
エマの部屋は角部屋で、廊下の一番奥だ。途中、曲がり角をひとつ越える――その瞬間だった。
視界の先に、見覚えのある背中が現れた。
「あれ? リュウジさんだ」
ククルが思わず声を落とす。ミラも目を凝らして、すぐ気づいた。
「ユイちゃんもいますね」
確かにリュウジは、眠そうなユイを抱えていた。ユイは片手に小さな人形を握りしめている。腕はだらんと垂れ、頬がリュウジの肩にくっついていた。ユイの髪から、甘いシャンプーの匂いがする気がした。
リュウジは廊下の真ん中で立ち止まり、ある部屋の扉を二、三回ノックする。
――コン、コン、コン。
すぐに扉が開いた。
明かりが漏れ、柔らかい匂いが廊下に流れてくる。
そして見えた。
「……!?」
ククルが、声にならない息を吐いた。
ミラが小声で、確信を口にする。
「エリンさん……」
エリンは部屋着姿で扉の向こうに立っていた。髪はほどよく下ろされ、いつもの“仕事の鎧”が少し緩んでいる。だけど目は変わらない。人を見る目。場を見る目。守る目。
リュウジが何か短く告げた。聞き取れない。だがそれが“お願い”であることは、見なくても分かった。
エリンは優しく笑みを浮かべてユイを抱き抱えた。
ユイはエリンの腕の中に収まり、ふにゃりと頬を寄せる。
エリンが、ユイの背中を軽くポンポンと叩く。
――ぽん、ぽん。
それだけで、ユイの瞼が閉じていった。
まるでスイッチが切り替わるみたいに、安心の眠りへ落ちる。
その姿が可愛らしくて、エリンとリュウジは互いに笑みを浮かべていた。
笑みは短い。だけど確かに“共有”されていた。
それが、ククルの胸を不思議にざわつかせる。
エリンは小さく頷いて、扉を静かに閉める。
リュウジは会釈だけを残し、自室へ戻っていく。
廊下には、何事もなかったかのような静けさが戻った。
ククルが、やっと息を吐く。
「……私たちも行こっか」
「……はい」
ミラの返事は、少しだけ遅れた。
遅れたのは、胸の中に生まれた“疑問”が、簡単に処理できないからだ。
――今の、何?
――普通?
――普通……なの?
女子会は、“普通じゃない”を言葉にする場所だ。
エマの部屋に着くと、扉が開いた瞬間から甘い匂いが押し寄せた。テーブルの上にはケーキ、アイス、焼き菓子、カップに入ったフルーツ。冷蔵庫の開閉音すら楽しそうに聞こえる。
「女子会ならスイーツをと思って」
エマが満足げに言う。
その満足げな顔が、今日一番“エマらしい”。
「すご……」
ククルが素直に感嘆する。ミラは目を丸くして、きちんと褒めようとして言葉を探している。
「ありがとうございます……えっと……すごく……豪華です」
「でしょ」
エマは得意げに胸を張る。
ククルとミラは靴を脱ぎ、ソファへ座った。エマはスプーンや皿を配り、手際がいい。こういうところ、ほんとに“生活力”が高い。
――そして。
全員の脳裏に、さっきの廊下がまだ残っている。
エマがアイスの蓋を開けながら、何でもないように言った。
「で?」
その一言が、号令だった。
「さっきのリュウジさんとエリンさん、見た?」
ククルが、スプーンを握ったまま固まる。
ミラは姿勢を正してしまう。癖で。
「エマも見てたの!?」
「たまたま、二人が遅いな〜と思って扉を開けたらね」
エマはケーキを切り分けながら、淡々と続ける。
「リュウジさん、ユイちゃん抱えて、エリンさんの部屋。あれは……何?」
ククルは自分の頬を押さえた。熱い。
「……え、普通じゃない?」
言いながら、ククル自身が“普通じゃない”と思ってる。
だから声が上ずる。
ミラは慎重に言葉を選ぶ。
「私……分からないです。でも……とても……自然でした」
「それ」
エマが即座に指を鳴らす。
「自然すぎるのが怖いのよ。自然すぎると、こっちが勝手に意味をつけたくなる」
ククルはアイスを口に入れて、冷たさで頭を落ち着かせようとする。だが甘さが逆に“考える脳”を刺激した。
「でも、ユイちゃんのことだからさ。タツヤ班長が酔っ払って寝ちゃったとか……?」
ククルが推測を出すと、エマが首を振る。
「タツヤ班長、酔ってたけど寝てない。さっきも普通に追加ビール取りに行ってた」
「じゃあ……ユイが先に眠くなって、タツヤ班長が連れて帰るはずだったのに……?」
ミラが控えめに言う。
エマがスプーンで空中を指す。
「多分、タツヤ班長が“任せた”んでしょ。リュウジさんに。で、リュウジさんが“エリンさんのところが一番落ち着く”って判断した」
「……それがもう、すごくない?」
ククルが呟く。
「誰が一番落ち着くか、分かってるのが」
「分かる。ユイちゃんも、あの瞬間で眠ってた」
エマはケーキを口に運びながら、目を細める。
ミラは、今日一日で一番真剣な顔をした。
「エリンさん……抱っこの仕方が……慣れてました」
ククルがこくこく頷く。
「背中ポンポンがね、すごい。あれ、魔法。睡眠魔法」
「“睡眠魔法”は言いすぎ」
エマがツッコミを入れる。だが、その顔は笑っている。
そして、ここからが本題だ。
エマが、ケーキの皿を置く。
「でさ。二人、付き合ってるの?」
ククルの肩が跳ねた。ミラは慌てて両手を膝に置く。
「え、えええ……」
「えええ、じゃなくて。どう思う?」
エマは容赦がない。女子会のエマは、いつも以上に真っ直ぐだ。
ククルは頬を膨らませるように息を吐き、正直に言った。
「……分かんない」
ミラも同じように頷く。
「私も……分からないです」
「でしょ?」
エマはスイーツをすくいながら、何かの答え合わせをするように言う。
「エリンさんってさ、“恋愛”って感じがしないのよ」
ククルが微妙な顔で同意する。
「うん……なんか、恋愛っていうより、もっと……責任?みたいな」
「責任、分かる」
エマは頷く。
「班を守る責任。ユイちゃんを守る責任。空気を整える責任。全部、エリンさんの“当たり前”の中に入ってる」
ミラは胸の前で指を絡めた。
「でも……さっき……笑ってました」
ぽつり。
その一言が、二人の視線をミラに集める。
「エリンさんとリュウジさん、同じタイミングで……笑ってました。……あれは……」
ミラの言葉が途切れる。
言っていいのか分からない“何か”が喉に引っかかる。
ククルが、その続きを代わりに言った。
「……“家族”みたいだった」
エマが、スプーンを止める。
「家族」
口の中で転がすみたいに言う。
「恋人っていうより、家族。すごくしっくりくる」
ククルは、さっきの場面を思い出す。
ユイを抱えたリュウジ。
扉を開けたエリン。
何も言わずにユイを受け取り、背中を叩いて眠らせる。
その間、リュウジが余計なことをしない。
エリンも余計なことを言わない。
“やるべきこと”を、呼吸みたいにやっているだけ。
なのに、あの笑みがある。
「……あの笑い方ってさ」
ククルは自分の手を見つめて言う。
「職場の笑い方じゃないよね」
ミラが、こくん、と頷いた。
「はい……。仕事の時のエリンさんの笑みって、もっと……整ってます。綺麗です。でもさっきは……」
「さっきは?」
エマが促す。
ミラは恥ずかしそうに言った。
「……少し、崩れてました」
ククルが「分かる!」と声を上げそうになり、慌てて口を押さえた。
エマがにやりとする。
「崩れてたね」
ククルは頷きながら言う。
「うん。ほんとに、普通の人みたいだった」
「普通の人みたい、って」
エマは笑いながらも、どこか嬉しそうだ。
「それ、良いことだと思う。最近のエリンさん、頑張りすぎだし」
その言葉に、部屋の空気が少しだけ静かになる。
ペルシアがいなくなった穴は、みんなが思っているより深い。
誰も口には出さないけれど、エリンの背中がそれを語っている。
ミラは、ゆっくり言った。
「……私、十四班に来て……皆さんがすごく頑張ってるの、分かります」
ククルが、少しだけ笑って頷く。
「うん。頑張ってる。ギリギリで、ね」
エマが、アイスをすくいながら言う。
「だからこそ、エリンさんが“崩れた笑い”できる相手がいるなら、私はそれでいいと思う」
ククルが目を丸くする。
「え、エマ、急に大人……」
「スイーツ食べると賢くなるの」
エマは真顔で言って、ククルが吹き出した。ミラもくすっと笑う。
でも笑った後、ククルは少しだけ真剣になった。
「……でもさ、恋愛って決めつけるのは違うよね」
「違う」
エマは即答する。
「恋愛かどうかなんて、本人が分かってないかもしれないし」
ミラが小さく手を上げた。
「……あの……でも……」
「なに?」
「エリンさん……リュウジさんのこと……気にしてると思います」
ククルは頷く。
「うん、それは気にしてる」
エマが口元だけで笑う。
「“気にしてる”の種類が問題なのよね」
ククルがスプーンを持ったまま天井を見た。
「守りたいのか、頼りたいのか、怒りたいのか、好きなのか」
「全部かもね」
エマがさらっと言う。
ミラが小声で呟いた。
「全部だったら……すごく、強いですね」
ククルが「それ、エリンさんっぽい」と言い、三人はまた笑った。
――その笑いの中で。
ミラが、ふと真顔になる。
「でも……噂になるの、分かります。あの二人……空気が、合ってます」
ククルは、さっきの廊下を思い出して頷いた。
「合ってる。言葉少なくても合ってる」
エマはケーキの最後の一口を食べて、結論みたいに言った。
「だから私たちは、見守る」
「見守る?」
ククルが聞き返す。
「うん。余計なこと言わない。騒ぎすぎない。……でも、女子会では盛り上がる」
エマがそう言うと、ククルが「それ最高」と笑い、ミラが「はい……」と照れた。
そしてククルが、思い出したように言う。
「ねぇ、もしさ。もし今後、エリンさんが“自分で気づく”瞬間が来たら……」
「来たら?」
エマが促す。
ククルは真剣な顔で言った。
「その時、私たち、ちゃんと味方でいようね」
ミラが、すっと背筋を伸ばす。
「はい。もちろんです」
エマはいつもの調子で肩をすくめる。
「当たり前。味方じゃないと誰がスイーツ食べさせてくれるのよ」
「そこ!?」
ククルが突っ込み、ミラが笑い、エマも笑う。
笑い声が、部屋の中にやわらかく広がった。
――その頃、廊下の向こうの静かな部屋では、ユイの寝息が続いているはずだ。
背中を叩く手が止まっても、安心は残る。
そして、きっとエリンは気づいていないふりをしながら、自分の胸の小さな揺れを、ウーロン茶みたいに飲み込んでいる。
恋愛なのかどうか。
それはまだ誰にも分からない。
けれど、ククルたちは確かに見た。
あの短い笑みが、“仕事”だけのものではないことを。
エマがスプーンを置いて、最後に言った。
「ね、ミラ。これは新人研修の一環だからね」
「え……?」
「十四班で生き残るには、“空気を読む能力”も必要。今日の学び、提出物ね」
「提出物……?」
ミラが目を丸くする。
ククルが慌てて言う。
「エマ、それは冗談だよ! たぶん!」
「たぶんって何ですか!?」
ミラが本気で焦り、三人はまた笑い転げた。
女子会は、夜の終わりじゃない。
“明日を軽くする”ための、秘密の整備だ。
――そしてその整備の中心に、いつの間にかリュウジとエリンの“空気”が入り込んでいることを、三人はスイーツより甘い秘密として、しっかり抱え込んだまま夜更けへ溶けていった。