サヴァイヴ〜ドルトムント財閥〜   作:一塔

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統括官

 午前中は海で遊び、昼は海の家で腹を満たし、午後になると――十四班はそれぞれの「自由」を取り戻していた。

 

 ユイとタツヤはプールへ向かった。ユイは浮き輪を抱えて跳ねるように走り、タツヤは「転ぶなよー!」と叫びながら、結局いちばんはしゃいでいた。

 ククルとエマとエリンは水族館へ移動した。ククルは「見てください、あの魚、絶対こっち見てます!」と騒ぎ、エマは売店のスイーツコーナーの場所を既に把握していた。エリンは「節度」と言いつつ、彼女たちのテンポに合わせて歩いていた。

 カイエはホテルに戻り、寝ると言った。「浜辺で寝る」から「ベッドで寝る」に変わっただけだ。潔いほどの休息。

 ミラはショッピングモールでお土産を買っていた。

 

 巨大なモールの天井はガラス張りで、外の光が柔らかく落ちてくる。潮風は届かないけれど、代わりに涼しい空調と、どこか甘い匂いが漂っていた。観光客の笑い声、紙袋の擦れる音、店員の呼び込み――にぎやかさに包まれているのに、なぜかミラは落ち着いていた。

 

 買う物はもう決めてある。

 家族や同期、そして、あの便のときに「言っていいことと、言わなくていいこと」を全部飲み込んでくれた人たちへ。

 自分の失敗も、怖さも、全部を否定せずに「次」を示してくれた人たちへ。

 

 袋の中には小さな箱がふたつ、包みがひとつ。どれも軽いのに、気持ちはぎゅっと詰まっている。

 

 ――そろそろ戻ろうか。

 

 そう思い、モール中央の広場を抜けようとしたときだった。

 

 端末を見ながら辺りを見渡している男の姿が目に入った。

 背が高く、肩が広い。人混みの中にいても、そこだけ空気が薄くなるような、静かな存在感。

 リュウジだった。

 

 ただ、いつもの「静か」ではない。

 端末の画面と店の看板を交互に見て、ほんの少しだけ眉間に皺が寄っている。迷子というより――困っている。

 

 ミラは一瞬、足が止まった。

 声をかけるべきか迷う。リュウジは必要なこと以外はあまり話さない。訓練でも、会議でも、言葉は短い。でも短い言葉が、いつも正確で、重い。

 

 それでも、困っているように見えた。

 

 ミラは袋を抱え直し、思い切って近づいた。

 

「り、リュウジさん?」

 

 声が震えたのが自分でも分かった。

 リュウジが顔を上げ、ミラを見た。

 

「ん? ミラか」

 

「お、お疲れ様です!」

 

「ああ、お疲れ」

 

 そこで会話が止まる。

 沈黙が嫌なわけじゃない。ただ、ミラは自分の口が勝手に何かを探してしまう。余計な言葉を言ってしまいそうで怖い。

 

 リュウジは端末を片手に、軽く息を吐いた。困っているのは間違いないらしい。

 

 ミラは、勇気をもう一段だけ踏み出した。

 

「リュウジさんは……何をされているんですか?」

 

 リュウジは少しだけ視線を泳がせ、端末の画面を見せるでもなく、そのまま答えた。

 

「どうやら俺たちがリゾート地に来てることを、どこかで嗅ぎ付けたみたいでな」

 

「嗅ぎ付けた……?」

 

「ああ。ペルシアだ」

 

 その名前が出た瞬間、ミラの胸が小さく鳴った。

 十四班に来てからも、ずっと「いない席」が刺さっている。笑うとき、気を抜くとき、ふとした瞬間に思い出してしまう。

 

 リュウジは端末を見下ろしたまま、続ける。

 

「お土産を送れってメールが来た」

 

 ミラは思わず苦笑した。

 

「なるほど……それで、どれにしようか探していらっしゃるんですね」

 

「ああ。どれがいいのか分からなくてな」

 

 リュウジが言う「分からない」は珍しい。操縦も、訓練も、判断が速い人が、モールの土産コーナーで詰まっている。

 そのギャップに、ミラは少しだけ安心した。リュウジも、完璧じゃない。いや、完璧に見える人ほど、別のところで迷うのかもしれない。

 

 ミラは袋を抱え直し、少し顔を上げた。

 

「それでしたら……一緒に探しましょうか?」

 

「いいのか?」

 

「はい。私は買い物は終わりましたし……私もペルシアさんに何か買いたいですし」

 

 言いながら、ミラの喉が少し熱くなる。

 買いたい。――それは、自分でも驚くほど強い気持ちだった。

 

 リュウジは短く頷いた。

 

「……なら頼む」

 

 その一言で、ミラの背筋がすっと伸びた。

 頼む、という言葉の重さ。任せられた感覚。胸が少しだけ誇らしくなる。

 

 ふたりは土産物エリアへ歩き出した。

 

 通路の両側に並ぶ店は、どこも派手だ。海産物の乾き物、限定スイーツ、リゾートロゴ入りのTシャツ、キーホルダー、星砂入りの小瓶、アクセサリー、香水のようなアロマ。

 ミラは一つ一つ見ながら、ペルシアの顔を思い浮かべた。

 

 ペルシアなら、どんなものを喜ぶだろう。

 

 強い言葉で笑うくせに、実は気遣いが細かい。

 いらないと言いながら、誰よりも「守る」ことに敏感で、怒る理由がいつも誰かのためだった。

 そして、耳が良い。音が好き。空気の揺れも、声色の違いも拾う。

 

 ミラは無意識に、音が鳴る小物の棚に目を向けた。小さな風鈴、貝殻のチャーム、ガラスのベル。

 

「……こういうの、お好きでしょうか」

 

 ミラが呟くと、リュウジが足を止めた。

 

「ペルシアが?」

 

「はい。なんとなく……ペルシアさんって、音に敏感というか、好きというか……」

 

 リュウジは棚の風鈴を見て、少し考えた。

 

「……確かに、音は好きだな。嫌な音も拾うが」

 

 ミラは小さく頷いた。嫌な音も拾う。それは、強さじゃなくて、痛さでもある。

 リュウジは風鈴のひとつを手に取り、軽く揺らした。ちりん、と澄んだ音が鳴る。

 その音に、リュウジの表情がほんの少しだけ柔らかくなる。

 

「これは……悪くない」

 

「きれいな音ですね」

 

「ああ。ペルシアは、変なものも喜ぶが、こういうのも……」

 

 そこでリュウジは言葉を切った。

 “喜ぶ”というより、“救われる”に近い何かを言いかけたように見えた。

 

 ミラは、あえて踏み込まなかった。

 踏み込めば、崩れてしまう何かがある気がしたからだ。

 

 ふたりは別の棚に移る。限定の焼き菓子コーナー。星型のクッキー、海塩キャラメル、シトラスのケーキ。

 ミラがパッケージを見ていると、リュウジがぼそっと言った。

 

「……甘いのは、どうなんだ」

 

「ペルシアさんですか?」

 

「そうだ」

 

 ミラは首を傾げた。

 ペルシアが何を好むか、ミラはそこまで知らない。だが、ペルシアの“ノリ”なら想像できる。

 

「ペルシアさんは……甘いものが苦手というより、気分で選びそうです。『甘いのもいいけど、酒に合うのが良い』って言いそうです」

 

 ミラが言うと、リュウジの口元がほんの少しだけ上がった。

 

「言いそうだな」

 

 その“言いそうだな”の言い方が、妙に優しくて、ミラは思わず見上げた。

 リュウジは、いつもより少しだけ柔らかい目をしていた。ペルシアの話になると、硬い殻の隙間から人間味が覗く。

 

 ミラは思い切って提案した。

 

「でしたら、二つ買うのはどうでしょうか。

 ちゃんとしたお土産と……ペルシアさんが笑うやつ」

 

「笑うやつ?」

 

「はい。例えば……この『海塩ナッツ』とか。お酒に合いそうですし」

 

 ミラが指差すと、そこには小袋のナッツが山のように積まれていた。

 リュウジがパッケージを手に取る。

 

「……確かに酒に合いそうだ」

 

「それに、ペルシアさんって、真面目なものだけだと逆に照れる気がします」

 

「……分かる」

 

 短い一言。だが、それで十分だった。

 ミラは胸の中で、小さく“やった”と叫ぶ。会話が続いている。ちゃんと、同じ方向を向けている。

 

 次にミラが目に入れたのは、星砂入りの小瓶だった。小さなガラス瓶に、光る粒が詰まっている。

 “ロカD2の夜空を閉じ込めた”と書かれている。観光客向けの常套句だ。

 

 ミラは瓶を持ち上げ、光に透かしてみた。

 きらきらとした粒が揺れて、どこか心が落ち着く。

 

「……これは、どうでしょう」

 

 リュウジが見た。

 

「星砂か」

 

「はい。ペルシアさんって、強い言い方をするのに、こういう綺麗なものを雑に扱わない気がして……」

 

 ミラの言葉に、リュウジは少しだけ黙った。

 そして、ふっと息を吐く。

 

「……あいつは、そういうところがある」

 

 その声には、懐かしさと、少しの寂しさが混じっていた。

 ミラは、胸の奥がきゅっと縮むのを感じた。

 

 ペルシアはもう、ここにいない。

 けれど、こうして話題に上るたび、確かに存在している。

 それは痛いけれど、同時に温かい。

 

「買うか」

 

 リュウジが言った。

 

「はい。私も……買いたいです」

 

 ミラは自分の分も手に取った。

 同じものをふたつ。ひとつはリュウジから、ひとつはミラから。

 それだけで、ペルシアはきっと、何かを察して笑うだろう。「なにそれ、二人でデート?」と、絶対に言う。

 

 その想像に、ミラは少しだけ笑ってしまった。

 

「……どうした」

 

 リュウジが不思議そうに尋ねる。

 

「いえ。ペルシアさんなら、こういうの見たら、絶対に変なこと言うなって思って」

 

「……言うな」

 

「ですよね」

 

 ミラが頷くと、リュウジも小さく頷いた。

 リュウジが笑うことは少ない。でも、こういう“同意の頷き”が、ミラには笑顔に見えた。

 

 会計を済ませて、袋を受け取る。

 レジ袋の持ち手が指に食い込む。軽い。けれど、不思議と胸が重い。

 “ペルシアへ”という宛先が、現実を強くする。

 

 店を出て、少し広い休憩スペースに移動した。ベンチと植栽があり、上から光が落ちる。

 ミラは袋を膝に置き、リュウジを見た。

 

「……リュウジさん、ペルシアさんに送るとき、メッセージって……何て書かれるんですか?」

 

 聞いてから、ミラはしまったと思った。踏み込んだかもしれない。

 でもリュウジは、意外にもすぐ答えた。

 

「……『土産だ』でいいだろ」

 

「短いですね……」

 

「余計なこと書くと、揶揄われる」

 

「確かに……ペルシアさん、絶対に揶揄います」

 

 ミラが苦笑すると、リュウジが端末を操作した。

 画面に、ペルシアからのメッセージが出ているのがちらっと見えた。

 

『ロカD2の土産。面白いやつ。あと酒に合うやつ。

 それと、ちゃんと元気にしてるって言え。

 ……言わないと拗ねる』

 

 ミラは思わず声を漏らしそうになって、慌てて口元を押さえた。

 リュウジは画面を閉じ、淡々とした顔で言う。

 

「……面倒だろ」

 

「い、いえ……ペルシアさんらしいです」

 

「……ああ」

 

 その“ああ”が、少しだけ優しい。

 ミラは、胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。

 

「ペルシアさんって、強い人ですよね」

 

 ミラがぽつりと言うと、リュウジはベンチの背に少しだけもたれた。

 

「強い。……ただ、強いままじゃいられない時がある」

 

 その言葉に、ミラは息を止めた。

 リュウジの声はいつもと変わらないのに、そこだけ、柔らかい痛みが滲んでいる。

 

 ミラは小さく頷いた。

 

「……私、十班にいた頃、正直、怖かったんです。

 何が正しいのか分からなくて。誰に合わせればいいのかも分からなくて。

 でも、ペルシアさんが来てくれたとき……怒られてるのに、救われたんです」

 

 言ってしまった。

 けれど、言わずにはいられなかった。

 

 リュウジは黙って聞いていた。途中で遮らない。評価もしない。

 ミラが話し終えると、リュウジは短く言った。

 

「……あいつは、そういうやつだ」

 

 ミラは涙が出そうになるのを必死に堪え、笑って誤魔化した。

 

「なので……お土産、喜んでくれるといいですね」

 

「ああ」

 

 少し間が空いて、リュウジが続ける。

 

「ミラも……送るんだろ」

 

「はい。もちろんです。

 ……ペルシアさんがいなかったら、今の私はいないので」

 

「そうか」

 

 その“そうか”が、どこか誇らしげに聞こえた。

 ミラは胸を張って頷いた。

 

 ふたりは立ち上がり、モールの出口へ向かった。

 夕方の光がガラス越しに差し込み、床に長い影を落とす。

 外に出れば、また潮風が肌に触れるだろう。

 

 歩きながら、ミラはふと気づく。

 リュウジが、さっきより少しだけ肩の力を抜いている。

 

 ――困っていたのは、お土産選びだけじゃなかったのかもしれない。

 

 ペルシアに送るものを選ぶことは、いない人に触れることだ。

 触れれば痛い。けれど、触れないままだと、もっと痛い。

 

 ミラは袋の持ち手を握り直した。

 

「リュウジさん」

 

「ん?」

 

「……一緒に探せて良かったです」

 

 ミラが言うと、リュウジは少しだけ目を細めた。

 

「……助かった。ありがとな」

 

 その言葉に、ミラの胸がふわっと軽くなる。

 敬語のミラと、短い言葉のリュウジ。

 それでも、ちゃんと通じ合う瞬間がある。

 

 モールの出口が見えてきた。

 外の光が眩しい。潮の匂いがもうすぐ戻ってくる。

 

 ――ペルシアへ。

 面白いやつと、酒に合うやつと、星砂。

 

 そして、言わないと拗ねる「元気にしてる」も。

 

 ミラは小さく笑い、リュウジと並んで外へ出た。

 

ーーーー

 

 端末の通知音は、宇宙管理局の研修棟に特有の「乾いた」電子音だった。どこか無機質で、でも嫌いじゃない。ペルシアは椅子の背にもたれたまま、片手で端末を持ち上げて画面を覗き込む。

 

 差出人――リュウジ。

 

 件名もない。いかにも、あいつらしい。

 

 本文はさらに短かった。

 

『土産。海塩ナッツと星砂。割れ物、気を付けろ。

 ミラも一緒に選んだ。

 元気か』

 

 添付はない。余計な飾りもない。なのに、行間がやたらと目に刺さる。ミラの名前が入っているだけで、向こうの事務所の空気まで思い出してしまうから厄介だ。

 

 ペルシアはふーん、と声に出さずに鼻で笑った。

 

(悪くないセンスね)

 

 星砂。綺麗なものを選ぶのは意外でもない。むしろ、あいつはこういう「言葉にしにくいもの」を、黙って差し出す。海塩ナッツは――完全に私の好みを分かってる。酒に合うやつ、と指定したのは自分だけど、ちゃんと拾ってくるのが腹立つ。

 

 ペルシアは指先で画面をスクロールし、もう一度だけ短い文を読み返した。

 

『元気か』

 

 それだけで、胸の奥が少しだけ緩む。思わず、フッと笑みが漏れた。

 

(元気そうで何より、ね)

 

 返事を打とうと、ペルシアは端末を膝の上に置いて、片手でキー入力を始める。研修の最後の課題を終えたばかりで、まだ頭の中は事故報告と運用規程の条文でいっぱいだったのに、指は不思議と軽かった。

 

『ナッツは当たり。星砂も悪くない。割れたらリュウジのせいにする。

 ミラに礼言っとけ。

 私は元気。そっちは?』

 

 打って、送信ボタンに指をかけたところで、ペルシアは一瞬だけ止まった。

 

 エリンの顔が浮かんだせいだ。

 

 あの人は、こういうのを見たら絶対に余計なことを言う。「へぇ、リュウジ、やるじゃない」とか、「ミラと一緒に選んだの?ふふ」とか、そういう“余計”を、優しい顔で、確信犯みたいに。

 それにリュウジに買わしたとしられればエリンの怒りを買ってしまう。

 

 ペルシアは口の端を上げたまま、追記する。

 

『それと、エリンには言うな。絶対。』

 

 送信。

 

 端末が小さく震え、送信完了の表示が出る。その瞬間、ペルシアは背もたれに頭を預け、天井を見上げた。

 

 白い天井。規則正しい空調の風。遠くで誰かが端末を叩く音。研修棟の廊下を歩く足音。全部、整っている。だからこそ、少しだけ寂しさが目立つ。

 

 ――守りたいものを守る。

 

 口にすると大げさで、笑われそうな言葉なのに、胸の芯はそれで固まってしまった。

 

 その“固まり”が、今日で終わる研修の、次の扉を押し開けるのだとペルシアは理解していた。

 

 

 ペルシアの一ヶ月の研修は、終わった。

 

 修了証と、新しいIDカード。首から下げるストラップの色が変わるだけで、周囲の視線が微妙に変わる。研修生を見る目ではなく、「任せる側」としての目。

 

 そして――正式に、統括官としてのポジションに就いた。

 

 新設の役職。だから余計に、肩書きだけが先行して重い。

 

 呼び出しは簡潔だった。

 

「統括官、局長室へ」

 

 内線の声は丁寧だが、温度がない。その温度のなさが、管理局らしくてペルシアは嫌いじゃなかった。感情で揺れる場所じゃない。揺れるのは、現場で十分だ。

 

 局長室の扉の前で立ち止まり、ペルシアは一度だけ呼吸を整える。背筋を伸ばし、ノックを二回。

 

「入れ」

 

 中から聞こえた声は、いつもの局長の声だった。妙に楽しそうで、妙に軽い。

 

 扉を開けると、局長室は相変わらず無駄が少なかった。壁際に書類棚、机の上に端末が二台。窓の向こうに見えるのは、オペレーションルームの一部――ガラス越しに、モニターの光が青白く揺れている。

 

 ペルシアは反射で頭を下げる。

 

「失礼します」

 

「やあ、統括官。……その顔、まだ“研修生”が抜けてないね」

 

 局長は椅子から立ち上がり、いつものように“歓迎”の顔をした。マーカスは人をその気にさせるのが上手い。だから余計に信用しきれない。

 

「余計なお世話。で、何」

 

「冷たいな。まあいい。座れ」

 

 ペルシアは椅子に腰を下ろす。椅子の座面が硬い。ここは感情を柔らかくする場所じゃない、と言わんばかりだ。

 

 局長は端末を軽く叩き、画面をペルシアに見せるでもなく、淡々と話し始めた。

 

「まず、統括官という役職について、正式に説明する。君は研修で概要は知っているだろうが――運用はこれから形にしていく」

 

 ペルシアは頷いた。頷きながら、心の中でため息をつく。

 

(はいはい、面倒くさいやつ)

 

「統括官は、最終的に四人配置するつもりだ」

 

「四人?」

 

「そう。シフトで回し、平時の分析と、緊急時の指揮を分担する。二十四時間、宇宙は眠らないからね。……ただ、新設した役職だ。今はまだ、君ひとりだ」

 

 ペルシアは片眉を上げた。

 

「ひとりで回せって?」

 

「正確には、“君を中心に回る仕組みを作れ”だ」

 

 局長はさらりと言った。さらりと言うのが腹立つ。世界を守る仕組みを、口先だけで軽く投げるな。

 

 局長は指を折るように、淡々と続けた。

 

「統括官は、緊急時にあらゆる権限を付与される。救出、捜索、事故対応――現場指揮の統合権限。必要なら、管制、救難、後方支援の優先順位も、君が決める」

 

「……つまり、現場で揉める暇がないように、私が全部決めるってことね」

 

「その通り」

 

 局長は頷く。迷いがない。迷いがないのが怖い。

 

「その代わり、責任も重い。判断が遅れれば人が死ぬ。判断を誤れば、救える命も救えない。君の名前は、良くも悪くも記録に残る」

 

 ペルシアは視線を落とした。机の木目がやけにくっきり見える。責任、責任、責任。聞き飽きた単語だ。ドルトムントでも、結局それを現場に押し付けてきたのは上の連中だった。

 

 でもここは、少なくとも「責任」を盾にして現場を黙らせる場所じゃない。責任を負う者に権限を渡す――建前じゃなく、それを本気でやろうとしている。

 

 だからこそ、ペルシアは逃げられない。

 

「平時は、事故分析、規則の改正、マニュアルの見直し、作成。運用訓練の設計。各部署の連携手順の整備。……要するに、忙しい」

 

 局長が“忙しい”と口にした瞬間、ペルシアの中で本音が勝手に出た。

 

「面倒くさ……」

 

 途中で飲み込んだが、ため息は止められなかった。

 

「はは。君らしい。だが、君は“面倒くさい”を放置すると、現場で痛い目を見るタイプだ。だから向いている」

 

「褒めてんの、それ」

 

「褒めている。最高の賛辞だよ」

 

 局長は悪びれもしない。ペルシアは軽く肩をすくめた。

 

「で、説明は終わり?」

 

「いや、ここからが本題だ。最初の任務を言い渡す」

 

 局長の声が少しだけ低くなる。空気が変わるのが分かる。こういう瞬間の音の変化――椅子の軋み、端末のファンの回転、遠くの会話の抑揚――ペルシアの耳は勝手に拾う。

 

「統括官専属の探索チームを作ってほしい」

 

 ペルシアは瞬きを一つした。

 

「探索チーム?」

 

「そう。四人から五人。君の指揮下で動く、固定メンバーの小隊だ。事故が起きたとき、現場の初動は各部署が動く。しかし、部署は部署の論理で動く。縦割りは便利だが、緊急時には遅い」

 

 局長は淡々と言う。その“遅い”の一言が、ひどく現実的だった。

 

「だから、統括官が“すぐに動かせる手足”を持つ。状況把握、初動の補助、未探索領域への捜索支援、救出の前線連携。……君が決めていい」

 

「都合のいい便利屋班ね」

 

「言い方」

 

「間違ってないでしょ」

 

 局長は苦笑し、机の引き出しから薄いファイルを取り出した。

 

「必要な書類は全て用意する。人員の引き抜き、装備、研修枠、予算。君が欲しいなら、今ある規程の“穴”も使えるように整える」

 

「穴って言った?」

 

「言った」

 

 局長は悪びれずに言い切った。ペルシアは口元だけで笑う。

 

(やっぱり、このおっさん厄介だ)

 

 厄介で、嫌いじゃない。ドルトムントの上みたいに“現場に丸投げ”ではなく、“現場を動かす道具”を用意する。その点だけは、信用できる。

 

「チームメンバーは四人〜五人で作ってほしい。君の好みでいい。もちろん、能力が前提だがね」

 

「好みって何」

 

「君が“守れる”と思う人間」

 

 局長の言葉に、ペルシアの胸の奥が少しだけ熱くなる。守れる、という言葉は甘い。だが、甘い言葉ほど、現場では鋭い刃になる。

 

 ペルシアは一度だけ視線を上げ、局長を見た。

 

「……分かった。やる」

 

 局長が満足そうに頷く。

 

「いい返事だ。では、期限は――」

 

「ちょっと待って。期限とか言わないで。私、まだ統括官一日目なんだけど」

 

「一日目だからこそだ。最初に“核”を作る。君の色でね」

 

 局長はあっさりと言った。ペルシアは天井を仰ぎ、もう一度ため息を吐く。

 

(面倒くさい。最高に面倒くさい)

 

 でも――嫌じゃない。

 

 ペルシアはファイルを受け取り、膝の上で指先を軽く叩いた。頭の中で、条件が勝手に並ぶ。

 

 冷静であること。

 動けること。

 空気に呑まれないこと。

 上の顔色じゃなく、現場の呼吸を見られること。

 そして――誰かを守ることを、仕事として割り切れること。

 

 “守りたい”だけでは足りない。守りたいなら、守る仕組みを作らなきゃいけない。ペルシアはそれを、あの荒れたフライトで嫌というほど知った。

 

「書類は後で渡す。今は仮でいい。候補者の目星を付けろ」

 

「了解」

 

 ペルシアは立ち上がった。椅子の脚が床を擦る音が、やけに大きく響く。局長室の空気は静かすぎる。静かだから、決意の音がよく聞こえる。

 

 扉に向かう背中に、局長の声が飛ぶ。

 

「ペルシア」

 

「何」

 

「君がここに来た意味を、忘れるな。君は、守りたいものを守りに来たんだろう?」

 

 ペルシアは扉の前で立ち止まり、振り返らずに言った。

 

「忘れるわけないでしょ。……だから面倒なんだよ」

 

 局長が笑った気配がした。

 

「それでいい」

 

 

 局長室を出た廊下は、研修棟より少し冷たい。空調の温度が違う。

 “現場側”の空気だ。

 

 ペルシアはファイルを抱え、歩きながら端末を開く。候補者リストの空欄が眩しい。四人、五人。たったそれだけの人数で、この宇宙の“穴”を塞ぐ手足を作る。

 

 視線の先に、研修会場があった。大型モニター、端末、整った背筋。さっきまで自分もそこにいた。

 そして、思い出す。茶髪のマッシュルームヘアーの男――ローズ。

 

(ローズは……うるさいけど、頭は回る)

 

 あいつの軽口は、緊急時に人を救う可能性がある。空気が重くなった瞬間に、必要な“抜け道”を作れるタイプだ。

 ペルシアは端末の候補欄に、まず一つ名前を打ち込んだ。

 

『ローズ』

 

 その瞬間、端末が小さく振動する。新着通知。

 

 差出人――リュウジ。

 

 本文は、相変わらず短い。

 

『分かった。エリンさんには言わない。

 星砂、割れないように送る。

 ……無理するな』

 

 最後の一行を見た瞬間、ペルシアは鼻で笑ってやろうとして、出来なかった。喉の奥が少しだけ詰まる。

 面倒なやつ。優しいふりして、刺さる言葉を選ぶ。こっちはそういうの、嫌いなくせに。

 

 ペルシアは親指で返事を打つ。

 

『無理するなは私の台詞。

 リュウジも無理すんな。

 ――土産、楽しみにしてる』

 

 送信。

 

 画面を閉じ、ペルシアは歩き出す。オペレーションルームの前を通ると、機械音と会話の低い波が耳に入る。落ち着く音だ。心が静かに整う。

 

(ここなら、守れる)

 

 守りたいものを守るために。

 あの事務所の、あの連中を。

 笑っているようで、ギリギリで保っている奴らを。

 

 ペルシアは端末をもう一度開き、候補欄の二つ目にカーソルを置いた。

 

 四人、五人――少なく見える。

 でも、十四班だってそうだった。少数だからこそ、互いの呼吸が分かる。少数だからこそ、空気を整えられる。

 

 ペルシアは小さく息を吐き、次の名前を探し始めた。

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