サヴァイヴ〜ドルトムント財閥〜   作:一塔

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カラス

 統括官用の執務席――と言っても、今はまだ「席が用意されただけ」の机だった。真新しい端末、真新しい椅子、真新しい名札。どれもが綺麗で、どれもがまだ誰の手にも馴染んでいない。

 

 ペルシアは椅子に深く腰を落とし、端末の画面を睨むように眺めた。モニターに映るのは、宇宙管理局が保有する操縦士ライセンス取得者の一覧。名前、等級、所属、契約状況、直近の稼働履歴――機械的な項目が縦に並び、冷たい情報の列が続く。

 

 指先でスクロールしていくたび、ペルシアの眉間がじわりと寄った。

 

(……想像以上に、現実は渋い)

 

 統括官専属の探索チーム。四人から五人。局長は「君が守れると思う人間を」と軽く言ったが、守るための“手足”に必要なのは感情じゃない。必要なのは、切り札だ。特に――操縦士。

 

 探索も救出も、捜索補助も、最終的には「現場に着けるか」が勝負になる。着けなければ始まらない。着いても動けなければ意味がない。だからこそ、少なくともA級ライセンスの操縦士が欲しい。A級――最前線で無理が効く。判断も早い。腕もある。

 

 ペルシアは画面に向かって、小さく呟いた。

 

「少なくともA級ライセンスの操縦士は入れたいわね」

 

 言ったそばから、頭の中で反論が返ってくる。

 

 A級のほとんどは民間企業と業務契約を結んでいる。財閥の輸送会社、観光便、長距離定期便、資源輸送――金も待遇も、表向きの名誉も、民間のほうが圧倒的にいい。宇宙管理局は「守る」側だが、「稼ぐ」側ではない。安定はあっても、派手さはない。もちろん、給料も派手ではない。

 

 ――それで、A級がこっちに来るか?

 

 ペルシアは口元を曲げた。

 

「……思ったよりも難儀な任務ね」

 

 愚痴は、吐くためにある。吐いた瞬間に少しだけ冷静になれる。

 

 ペルシアはスクロールの速度を上げた。A級、A級、A級――所属欄がほとんど民間で埋まっている。財閥名を見るたび、胃の奥が少しだけ重くなる。あの世界の匂いが戻ってくるからだ。

 

 それでも、目は止まった。

 

 名簿の中に、取り消し線が引かれている名前が複数ある。一本線。二本線。薄い灰色の取り消し。まるで「ここにいない」と主張するみたいに、無機質に消されている。

 

「……ん?」

 

 ペルシアは指を止め、画面を拡大した。

 

 取り消し線の付いた名前の横には、簡素な注記があるだけだった。

 

 ――不明

 ――稼働停止

 ――所在確認不可

 ――引退

 

 その言葉だけが、やけに目立つ。

 

 ペルシアは椅子から少し身を乗り出し、画面をもう一度じっと見た。取り消し線の数は、ひとつふたつではない。全体の中で小さな割合ではあるが、妙にまとまっている。偶然にしては、同じ扱いが続きすぎている。

 

(何よこれ。……行方不明? 引退? 所在確認不可? そんな都合よく“消える”もの?)

 

 そして、ペルシアの耳が拾った。

 

 背後の通路――誰かの足音。一定のリズム。焦りはない。けれど無駄もない。硬い床に靴底が当たる音が、やけに整っている。

 

 ペルシアは画面から目を離さないまま、声だけで呼んだ。

 

「フレイ」

 

 即座に返事が返る。

 

「はい、何でしょうか」

 

 フレイは統括官室の外側で、書類整理をしていた年上の局員だ。研修の中盤から何度か顔を合わせていたが、妙に礼儀正しい。というか、礼儀正しすぎる。ペルシアが嫌う種類の正しさではない。むしろ、きちんとした人間の正しさだ。

 

 ペルシアは椅子を回し、フレイに視線を向けた。

 

「敬語はいいのに。フレイの方が年上でしょ?」

 

 フレイは一瞬だけ困った顔をした。困った顔をしたあと、完璧に整えた顔に戻す。たぶん癖だ。役所の癖。組織の癖。――いや、管理局の癖か。

 

「ここでは役職が上ですから」

 

「まぁいいけど」

 

 ペルシアは手をひらひらさせ、話を切り替える。フレイの“正しさ”を崩すのは、今じゃない。

 

 ペルシアは端末をフレイに向け、画面を示した。

 

「それより教えてほしいんだけど。この名簿で、名前に取り消し線があるのは何で?」

 

 フレイは画面を覗き込み、目を細める。軽く頷いたあと、淡々と言った。

 

「それは、行方不明や引退した操縦士だと聞いてます」

 

「そうなんだ」

 

 ペルシアは息を吐き、指先で取り消し線の名前をなぞった。なぞったところで、画面の線は消えない。現実も消えない。

 

「つまりこの人たちは、もう居ないも同然ってことね」

 

「当てにしない方がいいかと思います」

 

 フレイの声には、余計な感情がない。事実を言っているだけだ。そういう声が、一番重い。

 

 ペルシアは短く頷いた。

 

「了解。ありがとう」

 

「また何かありましたら」

 

 フレイは一礼して、元の作業に戻ろうとした。だがペルシアは、ほんの少しだけ声を低くして、呼び止めた。

 

「フレイ」

 

「はい」

 

「……行方不明って、どのくらい前の話?」

 

 フレイは一瞬だけ迷った。迷ったのは、答えが分からないからではない。どこまで話していいか測っている。そういう迷いだ。

 

「詳細は、部署ごとに管理されているはずです。ただ……」

 

「ただ?」

 

「“行方不明”とされている方の中には、正式な事故記録が残っていない方もいる、と」

 

 ペルシアは目を細めた。

 

「事故記録がないのに行方不明?」

 

「……はい」

 

 フレイは言葉を選ぶように、丁寧に息を置いた。

 

「過去の案件で、記録が断片的なものもあります。探索の途中で連絡が途絶えた、など。管理局としては、事故として扱いたいが、証拠が揃わない――そういったケースも」

 

 ペルシアは口の端を上げた。笑ったのではない。噛み締めたのだ。

 

(記録がない。証拠がない。だから曖昧に“消した”)

 

 管理局は正義の塊じゃない。守るための組織だが、完璧ではない。守るために、切り捨てることもある。ペルシアはそれを知っている。知っているから、ここに来た。知っているから――変える側に回った。

 

「ありがとう。十分」

 

 ペルシアがそう言うと、フレイはもう一度だけ一礼し、今度こそ去っていった。

 

 統括官室に残ったのは、端末の白い光と、ペルシアの指先の熱だけ。

 

 ペルシアはもう一度名簿に目を落とした。取り消し線の名前が、やけに黒く見える。画面は光っているのに、そこだけ影みたいに沈んでいる。

 

(A級を探す。財閥に属していない現役。――そんな都合のいい人間がいるなら、そいつはそもそも“都合のいい理由”を持ってる)

 

 都合のいい理由。つまり、何かから逃げているか、何かを追っているか。

 

 ペルシアは端末を閉じた。閉じた瞬間、深い疲れがどっと肩に乗った。研修の疲れとは違う。責任の重さが、ゆっくりと骨に染みてくる感じ。

 

 それでもペルシアは立ち上がり、机の上のファイルを抱えた。候補者リストの白紙が、挑発的に見える。

 

「……やるしかないでしょ」

 

 誰に言うでもなく呟いて、ペルシアはまた歩き出した。

 

 

 ペルシアが宇宙管理局から帰路に着いたのは、日付が変わってからだった。

 

 外の空気は冷たく、夜のコロニーは静かだった。昼間の喧騒が嘘みたいに、通路の照明が一定の明るさで並び、足音がやけに響く。時々、警備ドローンの低い駆動音が遠くで鳴る。宇宙の夜は、いつだって「眠っていないふり」をする。

 

 ペルシアは肩を回し、軽く首を傾けた。

 

「残業なんて、私とは思えないわね」

 

 言いながら、自分で少し笑いそうになる。ドルトムントにいた頃は、残業なんてほとんどしなかった。仕事が終わっていなくても定時には帰る。帰って酒を飲む。眠る。翌日また戦う。そういう“割り切り”で生きていた。

 

 でも今は、違う。

 

 責任感がある役職だし、仕方ないか――そう独り言を言いながら、ペルシアは帰路を歩いていく。

 

 そのとき、ふと足が止まった。

 

 理由は、視界じゃない。耳だ。

 

 背後――自分の足音とは違う足音が、ひとつ。距離はある。けれど、一定の距離を保っている。追いかけるでもなく、離れるでもなく、ただ“合わせている”。

 

 ペルシアの口元がわずかに歪んだ。

 

(……分かりやすい)

 

 彼女は振り返らずに、声だけで投げた。

 

「それで、私に何か用なの?」

 

 間髪入れずに、影から声が返ってくる。

 

「おや。私に気づいていましたか」

 

 ペルシアはゆっくり振り返った。

 

 照明の端、薄暗い角――そこから、男が姿を現す。黒いネクタイ、スーツ。端正だが、どこか“作られた”雰囲気。笑っているのに目が笑っていない。笑顔の形を知っているだけの顔。

 

 男は軽く会釈した。

 

「やはりその耳は、噂どおりのようですね」

 

 ペルシアは片眉を上げる。

 

「へぇ〜。私のことをよく知ってるのね」

 

 男は笑みを崩さない。

 

「それで? こんな夜道で私に何のよう? ストーカー?」

 

 あえて軽口にする。相手が“様子を見る”タイプなら、軽口に乗るか、無視するかで性格が分かる。

 

 男は軽く首を振った。

 

「これは失礼。お初にお目にかかります。私はフリージャーナリストのカラスと申します。以後、お見知り置きを」

 

 名乗りの仕方が綺麗すぎる。丁寧すぎる。丁寧は武器だ。丁寧な人間は、その丁寧さで人を刺せる。

 

 ペルシアは腕を組み、足を動かさずに言った。

 

「それで、カラスは何のようなの?」

 

「ただの営業ですよ。若くして宇宙管理局の新設ポスト――統括官に任命された貴方に」

 

「営業? ジャーナリストが私に?」

 

「ええ。私はジャーナリストです。調べてほしい情報などがあれば、必ずご用意することが可能です」

 

 ペルシアはわざとらしく小さく笑った。

 

「へぇ〜。何でも?」

 

「ええ、ご要望に応じて何でも」

 

 “何でも”と言った瞬間、カラスの声の芯が少しだけ硬くなった。覚悟の硬さではない。自信の硬さ。裏に何かある硬さ。

 

 ペルシアは一歩も動かず、距離を詰めないまま言った。

 

「便利ね」

 

「ありがとうございます」

 

「だけど、貴方に頼むことはないわよ」

 

 断る。まず断る。相手が本当に営業なら、ここで引く。引かないなら、営業じゃない。

 

 カラスは引かなかった。

 

「いいのですか? A級ライセンスの操縦士を探しているのでは?」

 

 その言葉が、夜の空気を切った。

 

 ペルシアの眉が、ほんの僅かに動く。表情は変えない。変えないが、耳は拾う。カラスの声には確信が混ざっている。探りではない。断定だ。

 

「……本当に、何でも情報を得られるのね」

 

 ペルシアの声は、さっきまでの軽さを捨てた。

 

 カラスは微笑む。

 

「理解が早くて助かります」

 

(助かる? お前が?)

 

 その言い回しだけで、カラスが“依頼者のため”に動く人間ではないと分かる。こいつは自分の利益のために動く。だからこそ、危険だ。だからこそ、使いようによっては便利だ。

 

 ペルシアは考える。

 

 今の自分は統括官ひとり。新設役職。敵も味方も定まっていない。正しさだけでは、手に入らない情報もある。民間との契約状況、裏の人脈、現役操縦士の事情、移籍の可能性――そういうものは、机の上の名簿には出ない。

 

 ただし。

 

(こいつに頼れば、こいつに“借り”ができる)

 

 借りは、刃物だ。握れば自分が切れる。握らなければ守れない。

 

 ペルシアは数秒、沈黙した。その沈黙が、夜の通路の静けさを余計に際立たせる。遠くで警備ドローンの音が鳴り、また消える。

 

 ペルシアはようやく口を開いた。

 

「本当に、A級ライセンスの操縦士を探せるの?」

 

「勿論」

 

「お金は?」

 

 カラスは、待ってましたと言わんばかりに少しだけ笑みを深くした。

 

「本来でしたら内容に応じた報酬をいただきますが、今回は初回ですので無料でいいです」

 

 ペルシアは鼻で笑う。

 

「商売上手ね」

 

「お褒めに預かり光栄です」

 

 ここまで来たら、使わない理由が薄くなる。ただし条件はつける。こちらが上だと分からせる。統括官の権限を見せる必要はない。見せるのは、覚悟だ。

 

 ペルシアは顔を上げ、カラスの目を真正面から見た。

 

「なら、A級ライセンスの操縦士で――財閥に属していない現役の操縦士を探して」

 

 カラスは即答した。

 

「承知しました」

 

 即答できるのは、既に何か掴んでいるからかもしれない。あるいは、即答することで安心させる手口かもしれない。どちらでもいい。重要なのは結果だ。

 

「何日かかる?」

 

「明後日には」

 

 ペルシアは小さく息を吐いた。驚きそうになったが、驚かない。驚いたら負けだ。

 

「……優秀ね」

 

「ありがとうございます」

 

「分かってると思うけど、この件は他言無用よ」

 

 ペルシアがそう言った瞬間、夜の空気がさらに冷えた気がした。冗談ではない。これは“命”に繋がる依頼だ。もし漏れれば、どこからでも嗅ぎつけられる。財閥は金と人脈で嗅ぎつける。管理局内の政治も嗅ぎつける。そうなれば、探索チームは生まれる前に潰される。

 

 カラスは、丁寧に頭を下げた。

 

「依頼者の守秘義務は守ります」

 

「……信用してるわけじゃないけどね」

 

「当然です。信用は、結果の後に生まれるものですから」

 

 言い方が上手い。上手すぎる。腹が立つ。

 

 ペルシアは踵を返した。

 

「それじゃあよろしく」

 

 背中を向けた瞬間、カラスが何か言うかと思った。引き止める声。追加の条件。あるいは、探り。

 

 でも、カラスは言わなかった。

 

 代わりに、ペルシアの耳が拾ったのは、カラスの小さな独り言だった。

 

「聡明な方だ」

 

 その声は、夜の闇にすぐ溶けた。

 

 ペルシアは歩きながら、口元を歪めた。

 

(褒めるな。気持ち悪い)

 

 けれど、胸の奥で何かが静かに動いたのも事実だった。

 

 ――明後日。

 

 たった二日後。

 

 もし本当に、財閥に属していないA級操縦士が見つかるなら、探索チームの核ができる。核ができれば、手足が生える。手足が生えれば、守れる範囲が広がる。

 

 ペルシアは夜道を進みながら、ふと遠い記憶を思い出した。

 

 荒れた客室。揺れる宇宙船。連携の取れない乗務員。苛立ちと怒り。守りたかったのに、守りきれなかった瞬間。――あのとき感じた、自分の無力さ。

 

 今は違う。

 

 ここは管理局だ。権限がある。責任がある。面倒が山ほどある。

 

 それでも、ペルシアは歩く速度を少しだけ上げた。

 

(残業なんて私らしくないけど……)

 

 口にしそうになって、ペルシアは飲み込んだ。

 

(私らしくない、じゃない。――今の私らしさが、これなんだ)

 

 夜の通路の照明が、一定のリズムで足元を照らす。ペルシアの影が伸び、縮み、伸びる。影の形は揺れる。でも歩みは止まらない。

 

 背後の闇には、もうカラスの気配はない。

 

 ――消えるのが上手い男だ。

 

 ペルシアはそれを覚えておくことにした。便利なものほど、よく切れる。切れる刃ほど、扱いを間違えれば自分を傷つける。

 

 自分を傷つけてもいい。

 

 でも――守りたいものを傷つけるわけにはいかない。

 

 ペルシアは夜の空気を肺いっぱいに吸い込み、静かに吐いた。

 

「明後日、ね」

 

 短い言葉が、決意の代わりに夜へ落ちていった。

 

ーーーー

 

 二日後。

 ペルシアは統括官専属の探索チームを探す日々に追われていた。

 

 ――追われていた、なんて生易しい言い方では足りない。机に向かえば向かうほど、現実が机の上に積み上がってくる。候補者の所属、契約状況、過去の稼働履歴、医療適性、メンタルチェック、局内の派遣規定、組織間の縄張り、そして何より「前例がない」という最大の壁。

 

 新設役職。新設チーム。新設の権限。

 “新しい”は聞こえがいい。でも組織にとって「新しい」は「面倒くさい」と同義だ。誰もが無意識に逃げる。誰もが無意識に他部署に押し付ける。

 

 ペルシアは端末の画面を睨みながら、ペンでメモを殴り書きしていた。

 候補者の名前を丸で囲んでは消し、矢印を引いては×を書き、最後には「無理」と大きく書いて二重線で潰す。

 

「……無理無理無理。世の中、上手くできてないわね」

 

 呟いても、現実は変わらない。

 ――いや、変えないといけないのが自分の仕事だ。

 

 それが分かっているから、余計に腹が立つ。

 

 ペルシアは息を吐き、椅子の背もたれに寄りかかって伸びを一つした。肩甲骨が鳴る。久しぶりに、身体が「疲れてる」と主張してきた気がした。

 

「……少し休憩しようかな」

 

 その瞬間。

 

 ピロン、と端末が短い着信音を鳴らした。

 仕事の通知音。ペルシアが最も嫌いな種類の音。

 

「はいはい、また面倒が増える、と……」

 

 惰性で画面を確認したペルシアは、次の瞬間、大きく目を見開いた。

 

 送信者:カラス

 件名:ご要望の件

 

 本文はたった一行。

 

『ご要望の件、揃いました。』

 

 ……揃った?

 

 ペルシアは端末を持つ手を止め、数秒固まった。

 揃った? 二日で? 冗談でしょ。

 そして、揃ったことより先に、もっと気持ち悪い疑問が脳内を占領する。

 

(……待って。なんで私のアドレス知ってるのよ)

 

 背筋の内側が、ひやりとした。

 耳はいいが、背中に目はない。けれど“見えないところから覗かれている感覚”だけは、誰でも分かる。

 

 ペルシアは即座に返信を叩いた。

 

『そんな事より、どうして私のアドレス知ってるのよ!?』

 

 数秒後。返ってきた返信は、これまた短い。

 

『職業柄です。』

 

「……こ、怖っと」

 

 声に出して言ってしまってから、周囲を見回す。

 幸い、統括官室の周りは夜勤帯の静けさで、フレイも別部署の連絡で席を外していた。誰にも聞かれていない。聞かれていないのに、恥ずかしい。

 

 ペルシアは口元を歪めた。

 

(この男、本当に嫌な感じ。便利だけど)

 

 便利――そう思ってしまった時点で負けだ。

 でも、今は負けてでも勝たないといけない。

 

 カラスから次の文が来る。

 

『それで、お時間をいただきたいです。』

 

 ペルシアは迷わなかった。

 この手の男は“場”が大事だ。局内で会えば、局内の目がある。目がある場所で取り引きはしたくない。喫茶店なら、まだ“偶然の会話”に紛れる。

 

『管理局の近くの喫茶店でどう?』

 

『承知しました。』

 

 短いやり取り。

 短いのに、どこか胸がざわつく。

 ペルシアは端末を閉じ、椅子から立ち上がった。

 

(お茶しに行くみたいなノリで、“裏”を買いに行く。……私、宇宙管理局に来てから、性格悪くなってない?)

 

 ――元からよ。

 

 自分で自分にツッコミを入れながら、ペルシアは上着を掴んで統括官室を出た。

 

 

喫茶店

 

 宇宙管理局の近くにある喫茶店は、管理局職員がよく使う場所だった。

 机も椅子も落ち着いた色で統一され、照明は少し暗め。店内のBGMは控えめで、会話がふっと溶けるように設計されている。――こういう店は、秘密を隠すのにちょうどいい。

 

 ペルシアは奥の席に座り、ブラックコーヒーを頼んだ。甘いものを入れる気分ではない。甘さは今日、必要ない。

 

 時間ぴったり。

 

 カラスが現れた。

 

 扉が開く音すら静かで、男はまるで“最初からそこにいた”みたいに店内に溶け込んだ。

 黒いネクタイ。黒いスーツ。黒い革靴。何も主張しない装いが、逆に“主張”になっている。

 

 カラスはペルシアの前まで来ると、挨拶も会釈もほとんどせず――無言で向かいの席に座った。

 

「……相変わらず愛想ないわね」

 

 ペルシアがそう言うと、カラスは表情をほとんど動かさずに封筒を取り出した。

 厚みのある封筒。紙の質が良い。安いコピーの手触りじゃない。

 

 そして、封筒をスッと差し出す。

 

 まるで「商品です」と言うみたいに。

 

 ペルシアは封筒を受け取った。

 重みが掌に乗った瞬間、喉が少し乾く。

 

 中身を確認する。

 書類。写真。時系列のメモ。航行履歴の断片。外部契約の流れ。匿名の証言。

 ――そして、A級ライセンス保持者の一覧が、民間・財閥・独立に分類されている。

 

 ペルシアは思わず息を吐いた。

 

「……たった二日で、よくここまで調べ上げたわね」

 

 カラスは淡々と答えた。

 

「造作もないことです」

 

「嫌味に聞こえるわよ、それ」

 

「事実ですので」

 

 ペルシアは舌打ちしたくなるのを堪え、紙をめくる。

 ページの端に、いくつも赤い印が付いている。重要箇所のマーキングだ。

 そのマーキングの仕方が、妙に“親切”だった。

 

(こいつ……私がどこを欲しがるか分かってやってる)

 

 ペルシアは書類から顔を上げた。

 

「財閥の関係者以外で、こんなにまだいるんだ……」

 

 ページをめくりながら続ける。

 

「でも、多くは行方不明や引退してるのよね?」

 

 カラスの声が、少しだけ低くなる。

 

「中にはそういう人もいるのでしょうが」

 

 そして、さらりと言った。

 

「その名簿に載っている人たちは、今も現役です」

 

 ペルシアの指が止まった。

 

「……どういう事?」

 

 カラスは肩をすくめもしない。

 ただ、言葉だけを置く。

 

「詳しいことは今回の件の調査範囲外ですが」

 

 わざと“範囲外”を強調した。

 つまり――知っている。言わないだけ。

 

「恐らく宇宙管理局でも、隠したいことはあるのでしょう」

 

 ペルシアの背筋が、また冷える。

 

(隠したいこと……ね。やっぱり、あるのよね)

 

 フレイが言っていた“事故記録が残っていない行方不明”。

 断片的な記録。連絡途絶。証拠が揃わない。

 全部が、今ここで繋がり始める。

 

 カラスは、最後の一撃を淡々と放った。

 

「つまり――名簿に載っている人は、全員、宇宙ハンターなんです」

 

「……宇宙ハンター!?」

 

 ペルシアは思わず声を上げた。

 喫茶店の空気が一瞬だけ揺れる。隣の席の客が少しだけ視線を向ける。

 ペルシアはすぐに咳払いをして声を落とした。

 

「……待って。宇宙ハンターって、あの“未探索領域に潜って金になるものを持ち帰る”連中?」

 

「ええ」

 

 カラスは頷いた。

 

「A級ライセンスの取得後に、宇宙ハンターに転職したのでしょう」

 

 ペルシアの頭の中で、ピースがガチリと噛み合う。

 

 宇宙管理局は宇宙ハンターとの関わりを禁止している。

 倫理、治安、秩序――大義名分は多い。

 だが本音は、もっと単純だ。

 

(管理局の“正しさ”の外側にいる人間は、都合が悪い)

 

 だから名簿に取り消し線が入っていた。

 “いないことにした”。

 “いない扱いにした”。

 “現役なのに行方不明扱い”。

 ――そういうこと。

 

 ペルシアは封筒の中の資料を軽く揃え、視線だけでカラスを刺した。

 

「なるほどね。宇宙管理局は宇宙ハンターとの関わりは禁止してる。だから名簿に取り消し線……ってわけか」

 

「そうでしょうね」

 

 カラスは一度だけ頷く。

 

「ライセンスの授与は、宇宙管理局と宇宙連邦連盟が審査して授与します。隠しておきたいのは確かでしょう」

 

「……分かった」

 

 ペルシアは頬杖をつき、資料に目を落とした。

 宇宙ハンター。未探索の惑星。財宝。違法な契約。

 金さえ積めば何でもする。

 それは管理局の“守る”とは真逆の生き方だ。

 

(でも――腕はある。腕があるからこそ、あいつらは生き残ってる)

 

 ペルシアは資料の中から、いくつかの名前を指先で弾いた。

 

「……ねぇ」

 

 そして顔を上げる。

 

「この数人の中で、宇宙管理局に就いてくれそうな人は?」

 

 カラスは、予想どおりの返答をした。

 

「それ以上は調査の範囲外です」

 

 ペルシアは口を尖らせる。

 

「固いこと言わないでよ」

 

 そして、少しだけ皮肉を混ぜた。

 

「私がA級の操縦士を探してた事は知ってたくせに」

 

 カラスは初めて“商売人の顔”を見せた。

 目がほんの少しだけ細くなる。

 

「これ以上は料金が発生します」

 

「はぁ……」

 

 ペルシアは椅子に背を預け、天井を見上げた。

 高い。喫茶店の天井がやけに高く感じる。

 ここで金を払ってもいい。統括官の権限を使って予算を回してもいい。

 でも――こいつに金を払った瞬間、関係が固定化する。

 

(それは嫌。私は“使う”側でいたい)

 

 ペルシアは視線を戻し、カラスを見た。

 

「なら、私の知り合いを紹介してあげる」

 

 カラスの眉がわずかに動く。

 

「知り合い?」

 

「ええ」

 

 ペルシアはニヤリと笑った。

 

「絶対、後悔はさせないわよ」

 

 カラスは沈黙した。

 その沈黙は“計算”だ。

 リスクと利益を天秤にかけている。

 

「……お名前を聞いても?」

 

「それは私の質問に答えてから」

 

 ペルシアは即答した。

 主導権を渡さない。

 交換条件を先に飲ませる。

 

 カラスは数秒だけ黙り、諦めたように頷いた。

 

「……いいでしょう」

 

 ペルシアは小さく指を鳴らした。

 

「交渉成立」

 

「それで?」

 

 ペルシアが促すと、カラスは資料を指先で軽く叩き、名簿のある一箇所を示した。

 

「名簿の中にフォックスという宇宙ハンターがいます」

 

「フォックス……」

 

 ペルシアはその名前を口に乗せ、資料の文字を追った。

 

「彼は宇宙ハンターとして“スターフォックス”として活動しています」

 

 ペルシアは口元を上げた。

 

「……厨二くさい」

 

 カラスは無視して続けた。

 

「彼は他の宇宙ハンターと違い、穏健派で、人情を大切にしている珍しい人物です」

 

「へぇ〜」

 

 ペルシアは資料の写真を眺めた。

 顔はぼやけている。加工されたものだ。

 だが雰囲気は分かる。目つきが鋭すぎない。口元の線が硬すぎない。

 ――“人を切り捨てる顔”ではない。

 

「ならフォックスに話をしてみようかしら」

 

 ペルシアがそう言うと、カラスが静かに言った。

 

「次は私の番です」

 

「あー、はいはい」

 

 ペルシアは肘をついたまま、少しだけ身を乗り出した。

 

「私が紹介するのは――S級ライセンスのリュウジ。それでどう?」

 

 カラスの目が、ほんの少しだけ光った。

 興味の色。

 それを隠すつもりもない、正直な反応。

 

「ほぅ……S級ですか。面白いですね」

 

「そうでしょう」

 

 ペルシアは胸を張るように笑った。

 “私のカード”は、強い。

 それが分かっているから、こういう男相手でも強気でいられる。

 

 カラスは頷いた。

 

「いいでしょう」

 

 そして、淡々と告げた。

 

「それではフォックスの居場所は後ほどメールします」

 

「よろしくね」

 

 ペルシアがそう言うと、カラスは立ち上がった。

 会釈は浅い。

 でも、去り方は丁寧だ。

 まるで最初から最後まで、店内の空気を乱さないように。

 

 カラスが出ていく背中を見ながら、ペルシアはコーヒーに口をつけた。

 冷めている。

 なのに、喉の奥が熱い。

 

(宇宙ハンター……か)

 

 守る側の組織に、守らない側の人間を引き込む。

 危険だ。

 矛盾だ。

 でも、今の自分には“綺麗な道”だけでは足りない。

 

 封筒の中の名前が、重くなる。

 フォックス――スターフォックス。

 穏健派。人情派。

 そんな宇宙ハンターが本当にいるなら。

 

 ペルシアはカラスの背中が完全に消えたのを確認し、端末を取り出した。

 メールの下書きを開く。

 

『……フォックスの居場所、待ってる。あと、私のアドレスを調べるのは二度とやめて』

 

 送信しかけて、ペルシアは指を止めた。

 

(やめるわけないか)

 

 代わりに、短く打ち直す。

 

『居場所、頼む。守秘義務、忘れないで』

 

 送信。

 

 ペルシアは深く息を吐き、椅子にもたれた。

 

「……よし」

 

 声が、少しだけ震えていた。

 怖いからじゃない。

 高揚だ。

 

 探索チームの核が、ようやく見えた。

 

 ――次はフォックス。

 

 ペルシアは封筒を抱え直し、目を細めた。

 

(守るために、汚れる覚悟はできてる)

 

 その言葉だけは、誰にも聞かせないように。

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