コロニー外縁――貨物区画のさらに奥。
照明が必要最低限しか点いていない通路を、ペルシアは一人で歩いていた。
地図アプリの誘導は、途中から露骨に雑になる。
「この先、案内できません」みたいな無機質な表示。
つまり、ここは“表の街”じゃない。管理局の巡回ドローンの巡回ルートも薄い。人が来ないから、空気が冷たく澄んでいる。
「……倉庫って聞いてたけど、ほんとに倉庫ね」
目の前にあるのは、古い整備用のハンガーを改装したような建物だった。錆びた外板。厚い扉。扉の上に、消えかけた英数字の管理番号。
それでも、ただ古いだけじゃない。端っこに新しいセンサーが付いている。出入口の角度も、カメラの死角がない。古い皮を被った、今の設備。
(……隠れてるつもりが、隠し慣れてる)
カラスが送ってきた位置情報は、ここでぴたりと止まっている。
ペルシアは息を整え、扉の前に立った。
ノックはしない。代わりに、指先で端末を二回タップして、通信を投げる。
返事は、思ったより早かった。
『――認証されません。どちら様ですか』
機械音声。だが、ただの受付AIじゃない。声の“間”が妙に自然だ。
そして、音の出る方向が一定じゃない。天井、壁、床――どこからでも出せる。つまりこの倉庫全体がスピーカーだ。
ペルシアは口角を上げた。
「宇宙管理局のペルシアよ。貴方は?」
数拍の沈黙。倉庫の内部で何かが“考える”気配。機械音はしないのに、空気が少しだけ張る。
『――ナウスです』
「ナウス?」
『スターフォックスの補助人工知能。倉庫設備の管理、通信の中継、侵入者の判定を担います』
淡々と、しかし誇るようでもない説明。
ペルシアはその“語り方”を聞いて、妙に納得した。
(フォクスの作ったAI……そりゃ愛想はないわよね)
「じゃあ、ナウス。フォクスはいる?」
『現在、フォクスは――』
そこで、ペルシアは言葉を切った。
背後。
ほんの僅かに床材が鳴った。
呼吸の音。衣擦れ。指が何かを“構える”音。
ペルシアは、反射で身体を捻らない。
捻れば、相手の狙いが“正当化”される。
代わりに、声だけを落とした。
「……来たわね」
次の瞬間。
背中、肩甲骨の少し下。
冷たい金属が、布越しに押し当てられた。
(レーザー銃。しかも軽量型。安全ロック、外れてる)
押し当てられた圧で分かる。銃口のリング形状。微弱な熱。
ペルシアはゆっくりと息を吐き、両手を軽く上げた。大げさに見せるのではなく、“見える範囲”で。
「……それで。貴方は何者?」
背後の声は、澄んでいるのに刃がある。
若い。けれど油断のない声。
「私はクリスタル。貴方こそ、何者なの」
ペルシアは肩をすくめる。銃口が少しだけずれる。相手が無意識に“反応”した証拠だ。
「だから言ったでしょ。宇宙管理局のペルシア」
「宇宙管理局が、何の用なの」
警戒。嫌悪。……それと、少しの怒り。
ペルシアはその混ざり具合が分かった。耳が拾うのは声色だけじゃない。呼吸の速さ、言葉の詰まり、足の重心――全部、情報だ。
「ちょっとね」
ペルシアはわざと軽く言った。
“深刻”にすると相手は深刻で返す。深刻で返されたら、銃は引き金に近づく。
「フォクスはいないの?」
「答える必要はない」
「……へぇ。クリスタル、あなたが答えないなら、ナウスに聞くけど」
『――回答権限は、現在クリスタルに移譲されています』
ペルシアは心の中で舌打ちした。
(その連携、きっちりしてる。……フォクス、抜け目ない)
クリスタルの銃口が、わずかに押し込まれる。
「余計なこと言わないで。ナウス」
『了解しました』
機械音声が従う。だが従い方が“感情を抑えた”みたいに聞こえるのが面白い。AIなのに。
ペルシアはゆっくりと言った。
「私は敵じゃない。少なくとも、今ここで撃ち合いに来たんじゃない」
「それを信じろって?」
「信じろなんて言わない。疑っていい。……ただ、撃つ前に一つだけ教えて。フォクスはどこ」
背後で、クリスタルが息を吸った。
答えようとした瞬間――別の声が割り込む。
「おいおいおい。いきなり銃口突きつけてんのか?クリスタル」
軽い。ふざけてる。けれど、音の芯が硬い。
“強い奴”の声だ。
金属の扉が、内側から開いたわけじゃない。横のシャッターが、いつの間にか半分だけ上がっていた。そこから影が二つ滑り込む。
「ったく、警戒心は分かるけどよ。話くらい聞けって」
赤茶けた羽根のような髪――いや、ヘアスタイルがやたら尖っている男。
眼光は鋭いのに、口元は笑っている。
「ファルコ……」
クリスタルが小さく呟く。名前を知ってるのは仲間だからだ。
もう一人は、工具袋を肩に掛けた少年――いや、青年。丸い眼鏡の奥で目が忙しく動いている。入ってくるなり、天井と壁を見て「うわぁ……」と感嘆の息を漏らした。
「すっご……この倉庫、外見だけ古いのに中身は最新だよ。ナウス、センサー配置、完璧すぎるって!」
『ありがとうございます、スリッピー』
「えへへ、だろ?僕の名前もちゃんと覚えてるし!」
ペルシアは一瞬だけ口角を上げた。
(……スリッピー。ファルコ。クリスタル。……で、フォクス)
名前を聞いた瞬間に、脳内の情報が並ぶ。
“スターフォックス”という呼び名が独り歩きしているせいで、噂だけは山ほど聞いた。
だが実物は――想像より人間臭い。
ファルコがペルシアの背中越しに声を投げる。
「で?管理局のお嬢さん。こんなところまで何しに来た?」
“お嬢さん”という言い方が、わざとらしい。
試してる。揺さぶって、反応を見るタイプだ。
ペルシアは振り返らずに、肩越しに答えた。
「お嬢さんじゃない。統括官」
「へぇ、偉いんだ?」
「偉いだけ。給料は偉くない」
ファルコが吹き出した。
「ははっ!言うじゃねぇか」
その笑い声が空気を少しだけ緩めた。
けれど、背中の銃口はまだ離れない。
ペルシアは、クリスタルに言う。
「クリスタル。銃、下ろして。今ここで撃ったら、面倒なのはあなた達よ」
「脅し?」
「忠告。私は管理局の人間。撃たれたら、ここを潰す口実ができる」
クリスタルが息を詰めた。
――図星。
ペルシアは続ける。
「私は、口実が欲しいわけじゃない。潰したいわけでもない。……だから、撃たないで話したい」
沈黙。
その沈黙を破ったのは、スリッピーだった。
「ね、クリスタル。とりあえず下ろしたら?この人、嘘ついてる声じゃないよ。……いや、声色じゃなくて、呼吸の揺れが――」
「スリッピー、黙って」
「は、はい」
クリスタルの声は鋭い。だが、ほんの少しだけ揺れている。
迷いだ。
ペルシアは、その迷いを押し込むように、あえて笑って言った。
「ほら。私、ちゃんと怖がってる。だから、撃たないで。ね?」
クリスタルの銃口が、ほんの数ミリだけ離れた。
それだけでペルシアは分かる。――撃つつもりなら、距離は詰める。離れない。
ファルコが肩をすくめた。
「まあまあ。撃ったら面倒ってのはその通りだ。フォクス、どうする?」
その名前が出た瞬間――倉庫の空気が変わった。
ファルコの軽さが一段落ちる。スリッピーの目が一瞬だけ真面目になる。クリスタルの呼吸が少し浅くなる。
そして、鉄骨の上――キャットウォークの影から、ゆっくりと人影が現れた。
足音が、ほとんどしない。
それなのに、存在感だけが落ちてくる。
「……ここまで来るのは、勇気があるのか、無謀なのか」
低い声。
怒っていない。
でも、油断もない。
ペルシアはようやく振り返り、上を見上げた。
男は、軽装だった。動きやすいジャケット。腰にホルスター。
目は落ち着いていて、獲物を見る目ではない。
けれど、“世界を見る目”をしている。
「フォクス?」
「そう呼ばれてる」
男はキャットウォークから階段を降りてくる。
段差を踏むたびに、金属が鳴るはずなのに、ほとんど鳴らない。体重移動が上手い。鍛えた人間の歩き方だ。
クリスタルが銃を下ろす。
完全に下ろしたわけじゃない。いつでも戻せる位置。
でもそれで十分だった。
フォクスはペルシアの正面に立ち、距離を測るように視線を走らせた。
「宇宙管理局の統括官が、こんな場所に何の用だ」
ペルシアは腕を組み、堂々と答えた。
「あなた達を探してた」
ファルコが口笛を吹く。
「ストレートだな」
「遠回しに言うの嫌いなの」
ペルシアは視線をフォクスから逸らさない。
「私、統括官専属の探索チームを作ってる。……A級ライセンスの操縦士が欲しい」
スリッピーが「おっ」と小さく声を漏らす。
クリスタルの目が細くなる。
ファルコが面白そうに笑う。
フォクスは、ほんの少しだけ眉を動かした。
「……うちの連中を雇う気か?」
「雇うって言い方は違う。協力してほしい」
「管理局は宇宙ハンターと関わらない。そういうルールだろ」
フォクスの声は平坦だ。
だが、その平坦さの奥に、確かな憎しみがある。
“ルールで人を切り捨てる”組織への憎しみ。
ペルシアは息を吐いた。
「知ってる。だからここに来た」
「矛盾してる」
「矛盾してるのは世界のほうよ」
ペルシアは言い切った。
「管理局は、守る組織。だけど守るための手足が足りない。現場は穴だらけ。穴を埋めるには、腕のある人間が必要」
フォクスは目を細める。
「腕のある人間が、宇宙ハンターに堕ちた理由も分かって言ってるのか?」
空気が冷える。
それは問いではなく、試しだ。
ここで薄っぺらい正義を語れば、終わる。
ペルシアは一瞬、口を閉じた。
“答えを選ぶ”ために、沈黙を使う。
そして言った。
「分かってるつもり。……管理局は正しくない。少なくとも、あなた達にとっては」
スリッピーが目を見開く。
ファルコが「へぇ」と呟く。
クリスタルの呼吸が、ほんの少しだけ落ち着く。
ペルシアは続ける。
「でもね、私は“正しさ”を売りに来たんじゃない。私は“仕事”をしに来た。守る仕事」
フォクスの視線が揺れない。
だからペルシアは、さらに踏み込む。
「あなた達が何をしてきたか、全部は知らない。知る権利もない。……でも、今も現場で困ってる人がいる。それは事実」
「……」
「私はその人達を助けたい。そのために腕が欲しい。あなた達の腕が」
フォクスが一拍置いて言う。
「それで、俺達が協力すれば、管理局の中でお前はどうなる?」
ペルシアは鼻で笑う。
「面倒なことになる。多分、死ぬほど」
ファルコが腹を抱えて笑った。
「正直すぎんだろ!」
「正直じゃないと嫌いなのよ。私」
フォクスは笑わない。
でも、目の奥の氷がほんの少しだけ薄くなる。
「……目的は分かった。だが、信用は別だ」
「信用なんて最初からいらない」
ペルシアは即答した。
「必要なのは契約。条件」
その言葉に、ファルコが「出た」と笑う。
スリッピーが嬉しそうに頷く。
クリスタルはまだ警戒を解かないが、銃は下げたままだ。
フォクスが言った。
「条件を聞こう」
ペルシアは指を一本立てた。
「第一。探索チームは少数で動く。四〜五人。機密も多い。あなた達の身元は私が守る」
「守れるのか」
「守る。統括官の権限でね」
ペルシアは二本目の指を立てる。
「第二。現場の判断は私がする。でも現場で必要なら、あなた達の判断も尊重する。上の命令で無茶はさせない」
フォクスの目がわずかに細くなる。
“上の命令で無茶”――それを止められるかどうか。
彼はそこを見ている。
ペルシアは三本目。
「第三。……あなた達が“宇宙ハンター”としてやってきたことを、私は問わない。今、守るために動けるか、それだけ」
クリスタルが小さく息を吸った。
ファルコが笑みを消す。
スリッピーが真剣な顔になる。
フォクスだけが、黙っている。
ペルシアは最後に言った。
「で、返事は今すぐじゃなくていい。……ただ、A級操縦士が必要。あなた達の中にいるでしょ。もしくは知ってるでしょ」
フォクスは視線を少しだけ逸らした。
それは否定ではない。
つまり、“いる”。
ペルシアはその小さな反応を見逃さない。
「……あとは、あなた達の条件を聞く番」
フォクスはしばらく沈黙した。
倉庫のどこかで換気ファンが回る音がする。
ナウスが息をしているみたいに、低い音。
そして、フォクスは言った。
「ここでは話せない」
「じゃあどこで?」
「奥」
フォクスが顎で示す。倉庫のさらに奥――外から見えない区画。
つまり、彼らの“心臓部”。
ペルシアは一瞬だけ笑った。
(招き入れるってことは、少なくとも“撃たない”ってこと)
「いいわ。案内して」
フォクスが背を向けた、その瞬間――
「待って」
クリスタルが低く言った。
ペルシアは振り返る。
「なに」
「……貴方、どうやってここを知ったの」
鋭い目。疑い。
そして、ほんの少しの怒り。
その怒りの矛先はペルシアではない。多分――カラスのような“嗅ぎ回る”存在。
ペルシアは肩をすくめた。
「便利な人がいるのよ。嫌な感じのね」
ファルコが「ハハ」と笑う。
「それ、友達?」
「友達じゃない。取引相手」
ペルシアはきっぱり言った。
「……この件、他言無用。あなた達も、私も」
フォクスが短く頷く。
「分かってる」
その一言に、場の温度が少しだけ落ち着く。
それでも、緊張が消えたわけじゃない。
緊張は、必要だ。
緊張があるから、命は守れる。
フォクスが歩き出す。
ファルコとスリッピーが続く。
クリスタルが最後に、ペルシアの横に並ぶ。まだ完全に信用していない距離感で。
ペルシアは小さく呟いた。
「……スターフォックス、ね」
クリスタルが刺すように返す。
「軽く呼ばないで。私達は、名前で呼び合ってる」
「じゃあ、フォクス。ファルコ。スリッピー。クリスタル」
ペルシアはわざと一人ずつ名前を呼んだ。
呼んだ瞬間、スリッピーが少しだけ嬉しそうに笑ったのを、ペルシアは見逃さなかった。
フォクスは振り返らずに言う。
「……ペルシア。お前が本当に“守る側”なら」
足が止まる。
「これから先で、試す」
ペルシアは笑った。
怖いからじゃない。
高揚だ。
「上等。試しなさいよ。私、試されるの嫌いじゃないの」
倉庫の奥へ続く扉が開く。
暗い。冷たい。静か。
そこには“表の宇宙”では扱えない、裏の現実が眠っている匂いがした。
ペルシアは一歩踏み出す。
(――守るために、汚れる覚悟はできてる)
その覚悟だけは、足音より先に、心の中で鳴っていた。
◇
フォクスの背中について、ペルシアは倉庫の奥へ踏み込んだ。
外から見れば、ただの古い貨物ハンガーだった。錆びた外板、鈍い匂い、消えかけた管理番号。けれど、一歩中に入った瞬間、空気の密度が変わる。
湿り気が消え、温度が一定になり、換気の流れが計算されたものに変わった。床材は古いままだが、踏むたびに鳴るはずの軋みは抑えられている。壁の継ぎ目には薄いパネルが走り、ところどころに新しいセンサーが埋め込まれていた。
ここは、隠れるために作られた場所だ。
フォクスは先頭を歩き、ファルコは少し後ろで退路を確認するように視線を動かしている。スリッピーは壁の配線や端末に興味津々で、クリスタルはペルシアの半歩後ろを保ったまま、まだ銃から完全に手を離していない。
ペルシアはそれを見ても、何も言わなかった。
警戒されて当然だ。
宇宙管理局の人間が、宇宙ハンターの根城に一人で踏み込んできたのだから。
通路を二度曲がり、金属扉の前でフォクスが立ち止まる。
『識別コード確認。フォクス、ファルコ、スリッピー、クリスタル――認証。同行者、未認証』
ナウスの機械音声が流れる。
「未認証で正しいわよ。今日は招かれた客だから」
『招かれた、の定義が曖昧です』
「可愛げないわね」
『可愛げは任務遂行に不要です』
「そういうところよ」
ペルシアが肩をすくめると、スリッピーが小さく笑った。
「ナウス、こう見えて結構気にしてるんだよ」
『気にしていません』
「ほら、気にしてる」
『否定します』
そのやり取りに、わずかに空気が緩む。だが、フォクスの目は緩まない。クリスタルの指も銃の近くから離れない。ファルコも軽口を叩いているようで、視線だけはペルシアの肩、足元、手の位置を見ている。
誰も、完全には油断していない。
扉が開く。
中は、小さな司令室のようだった。壁一面のモニター、中央のホログラム台、機材ラック、整備工具、補給品、古びたソファ。隠れ家であり、基地であり、生活の場でもある。
ペルシアは部屋全体を一望して、感心したように息を吐いた。
「思ったより、ちゃんとしてるのね」
「失礼なこと言うじゃねぇか」
ファルコが笑う。
「もっと散らかってると思ってた?」
「宇宙ハンターの根城って聞いたら、もう少し酒瓶と金塊が転がってるものだと思ってたわ」
「映画の見過ぎだな」
「そうかもね」
軽口を叩きながらも、ペルシアは観察を止めなかった。
モニターの配置。武器の置き場。出入口。換気経路。逃げ道。
ここは守るための場所であり、逃げるための場所だ。
フォクスは中央の机の前に立ち、低い声で言った。
「端末を置け」
「管理局の機密端末よ」
「だからだ」
短いやり取り。
ペルシアは一瞬だけ目を細めたが、すぐに端末を机に置いた。カードケース、鍵束、通信タグも同じように並べる。
「武器は持ってないわよ」
「確認する」
「信用ないわね」
「あると思ったのか?」
「ないと思ってる」
ペルシアが即答すると、ファルコが鼻で笑った。
「正直すぎんだろ」
「正直じゃないと、こういう場はやってられないのよ」
スリッピーが機器を使って端末や所持品を確認する。軽い電子音が続いた後、彼は顔を上げた。
「追跡タグなし。発信もしてない。端末は生きてるけど、今は通信してないね」
『危険度、低』
「ナウスに低って言われたわ」
「安心しろ。ナウスの“低”は結構信用できる」
ファルコが言うと、ナウスが淡々と続けた。
『ただし、信用可能とは判定していません』
「ほんと可愛くないわね」
ペルシアが椅子に腰を下ろす。クリスタルはまだ座らず、壁際に立ったままだ。フォクスも座らない。
つまり、これは歓迎ではない。交渉だ。
ペルシアは先に切り出した。
「単刀直入に言うわ。私はあなた達――スターフォクスを、宇宙管理局に招き入れたい」
室内の空気が、はっきりと変わった。
スリッピーの手が止まる。
ファルコの笑みが消える。
クリスタルの目が鋭くなる。
フォクスは表情を変えないが、空気だけが固くなる。
「……どういう意味だ」
フォクスが問う。
ペルシアは背筋を伸ばした。
「統括官直属の探索チームを作る。四人から五人。緊急時に救出、捜索、事故対応、未探索領域の調査補助まで動ける少数精鋭のチームよ」
「それと俺たちに何の関係がある」
「あなた達が欲しい」
ペルシアは迷わず言った。
「フォクス、あなたはA級ライセンス保持者。ファルコも操縦士として十分な腕がある。スリッピーは技術支援として申し分ない。クリスタルは索敵、護衛、対人対応に向いている。ナウスの支援もあれば、即応性は一気に上がる」
言葉を切り、一人ずつを見る。
「私は、スターフォクス全員を、宇宙管理局の正式な協力部隊――できるなら、私の直属チームとして迎えたい」
沈黙。
重い沈黙だった。
期待とは違う。
怒りとも少し違う。
拒絶が形になる前の、硬い沈黙。
最初に口を開いたのは、フォクスだった。
「断る」
短い言葉だった。
だが、その短さが一番重かった。
ペルシアは眉を動かす。
「早いわね」
「考える必要がない」
フォクスの声は低く、揺れない。
「宇宙管理局は信用しない」
その一言で、場の空気がさらに冷えた。
ファルコが腕を組み、目を細める。
「俺も同じだ。管理局に入る気はねぇ」
スリッピーは少し困った顔をしたが、それでも首を横に振った。
「僕も……ごめん。ペルシアのことをどうこうじゃなくて、管理局は信用できない」
クリスタルは、壁にもたれたまま静かに言った。
「私も断るわ」
声は冷たい。
それ以上を語るつもりはない、という硬さがあった。
ペルシアは、四人の顔を順番に見た。
「……全員、同じ理由?」
フォクスが答える。
「宇宙管理局を信用しない。それだけだ」
「理由は?」
「答える必要はない」
即答だった。
ペルシアは息を吐いた。怒ってはいない。むしろ、予想通りだった。ただ、ここまで切り捨てるように断られると、胸の奥に鈍い痛みが残る。
「過去に、何かあったの?」
そう聞いた瞬間、クリスタルの目が一段鋭くなった。
ファルコの指がわずかに動く。
スリッピーの顔から、困ったような笑みが消える。
フォクスだけは変わらない。だが、その沈黙が何より答えだった。
「答えない」
フォクスは静かに言った。
「聞くな」
短い。
鋭い。
踏み込ませない。
ペルシアは両手を軽く上げた。
「分かった。聞かない」
クリスタルが少しだけ眉を動かす。
おそらく、もっと食い下がると思っていたのだろう。
ペルシアは椅子に深く座り直した。
「でも、私は諦めないわよ」
フォクスの目が細くなる。
「今、断った」
「聞いた」
「全員、断った」
「それも聞いた」
「なら、話は終わりだ」
「終わらない」
ペルシアは即答した。
その声に、部屋の空気がわずかに揺れた。
「私は今日、あなた達を無理やり連れて帰るつもりはない。そんなことをしたら、あなた達がさらに管理局を嫌いになるだけだもの」
ペルシアは机の上に置かれた自分の端末を指先で軽く叩いた。
「でも、あなた達が必要なのは変わらない。私は統括官として、守るためのチームを作る。その核に、あなた達が必要だと思ってる」
「必要だと言われても、俺たちは行かない」
「うん。今日はね」
ファルコが眉を上げた。
「今日は?」
「そう。今日は断られた。だから今日は引く。でも明日も、明後日も、その先も、私は諦めない」
クリスタルが冷たく言う。
「しつこいのね」
「ええ、しつこいわよ」
ペルシアは堂々と頷いた。
「守りたいものがある時の私は、かなりしつこい」
フォクスは黙ってペルシアを見つめる。
その視線にはまだ警戒がある。
信用など欠片もない。
それでも、ペルシアは視線を逸らさなかった。
「宇宙管理局を信用しない。分かった。過去に何があったのかも言わない。分かった。あなた達が今すぐ来る気がないのも、分かった」
そして、少しだけ身を乗り出す。
「でも、私は“宇宙管理局”を信じろって言いに来たんじゃない。私を見て判断してほしい」
「お前も管理局だ」
「そうね」
ペルシアは頷く。
「私は宇宙管理局の統括官。管理局の人間よ。だからこそ、あなた達の前に来た。安全な局長室から命令書を投げるんじゃなくて、こうしてここまで来た」
「それで信用しろと?」
「違う。信用しなくていい」
ペルシアはきっぱり言った。
「疑って。試して。拒んで。それでも私は来る」
スリッピーが小さく呟いた。
「……すごいこと言うなぁ」
「スリッピー」
クリスタルが鋭く呼ぶと、スリッピーは慌てて口を閉じた。
ファルコは腕を組んだまま、口元だけで笑う。
「面白ぇな。嫌いじゃねぇけど、信用はしねぇぞ」
「それでいいわ」
「いいのかよ」
「最初から信用されると思ってないもの」
ペルシアは、視線をフォクスへ戻した。
「フォクス。私はあなた達を諦めない。直属のチームとして迎えたい。固定のA級として、私のチームに入ってほしい。これは変わらない」
フォクスは、少しだけ低い声で言った。
「何度来ても答えは同じだ」
「そうかしら」
「同じだ」
「なら、何度でも聞くわ」
フォクスの眉がわずかに動いた。
部屋の空気が、また硬くなる。
クリスタルが一歩前に出た。
「貴方、分かっているの? ここは貴方の職場じゃない。私達の場所よ。何度も来られても迷惑だわ」
「分かってる」
「分かってないわ」
「いいえ、分かってる」
ペルシアはクリスタルをまっすぐ見た。
「だから無理やり踏み込まない。今日ここに入ったのは、フォクスが奥へ案内したから。次に来る時も、勝手には入らない。連絡する。拒否されたら引く」
「それでも諦めないの?」
「諦めない」
「……しつこい」
「言ったでしょ」
ペルシアは小さく笑った。
「私はしつこいの」
クリスタルは言葉を失ったように口を閉じる。
怒っている。警戒している。だが、ペルシアの言葉を完全に切り捨てるには、少しだけ戸惑っている。
ファルコが肩をすくめた。
「フォクス、どうする? この女、マジで来るぞ」
フォクスはペルシアを見たまま、しばらく黙っていた。
その沈黙の中で、ナウスの機械音声が静かに流れる。
『ペルシアの発言に、虚偽反応は検出されません』
「ナウス」
フォクスが低く言う。
『補足しただけです』
「余計だ」
『了解しました』
ペルシアは口元を緩めた。
「ナウス、ありがとう」
『感謝は不要です』
「ほんと可愛くないわね」
『可愛げは任務遂行に不要です』
「それ、さっきも聞いた」
わずかに空気が緩む。
だが、フォクスの警戒は解けない。
「ペルシア」
「何?」
「今は断る。これからも信用はしない」
「うん」
「それでも来ると言うなら、勝手にしろ。ただし、俺たちの線を越えたら、その時は敵と見なす」
クリスタルの手が、銃の近くで止まる。
ファルコの目も笑っていない。
スリッピーも緊張した顔になる。
これは脅しではない。
警告だ。
ペルシアは頷いた。
「分かった。線は越えない。越える時は、ちゃんと許可を取る」
「許可を取っても、断る」
「断られても、また聞く」
ファルコが吹き出した。
「おいおい、会話になってねぇぞ」
「交渉って、最初はそんなものよ」
ペルシアは平然と言う。
フォクスはため息を吐いた。
「……変な女だな」
「よく言われる」
「褒めてない」
「褒め言葉として受け取る」
そこへ、ナウスの声が再び響いた。
『警告。外周通路に未登録の監視ドローン接近。三分後、索敵範囲に侵入します』
空気が一瞬で張りつめる。
ファルコが舌打ちした。
「またかよ」
「最近多いの?」
ペルシアが聞くと、ファルコは低く答えた。
「たまにな。どこの犬か知らねぇが、鼻だけはいい」
クリスタルが銃を手に取る。
「管理局?」
ペルシアは即答した。
「違う。管理局の監視ドローンなら、もっと正規の音がする。あれは隠す音」
フォクスが目を細める。
「分かるのか」
「耳がいいのよ。噂どおりね」
スリッピーが端末を叩く。
「ナウス、映像!」
『表示します』
モニターに外周通路の映像が映る。
黒い小型ドローンが、滑るように通路を進んでいた。外装は反射を抑えられ、機体番号はない。
フォクスが低く言う。
「ペルシア、帰れるか」
「今出たら、私がここから出るところを撮られるわ」
「そうだ」
「なら、私が出ない方がいい」
「その通りだ」
フォクスの目が鋭くなる。
「ファルコ、入口封鎖。スリッピー、通信妨害。クリスタル、ペルシアの退路確保。ナウス、照明制御」
『了解』
照明が落ち、壁の一部が音もなく開く。隠し通路だ。
ペルシアは思わず呟いた。
「……こういうの、大好き」
「ふざけないで」
クリスタルが鋭く言う。
「分かってる。真面目にやる」
ペルシアは端末と所持品を回収し、クリスタルの後に続いた。
隠し通路は狭く、冷たい。配管の匂いがする。金属の壁に手をつけると、わずかに振動が伝わってきた。
スリッピーの声が通信で響く。
『妨害入れた!でも完全じゃない。相手、プロトコル変えてきてる!』
「半自律ね」
ペルシアが呟く。
クリスタルが横目で見る。
「分かるの?」
「音と反応の間。遠隔だけじゃない。機械が自分でも判断してる」
クリスタルは少しだけ目を細めた。
警戒ではなく、評価に近い視線だった。
『追加警告。ドローン操縦者、二名。距離四十』
ナウスの声。
ペルシアは足を止めた。
「人もいる」
「ええ」
クリスタルが銃を構え直す。
ペルシアは端末を取り出し、管理局の緊急連絡テンプレートを開いた。
「私が表に出る」
「何をする気?」
「管理局の人間はね、正規の理由があれば強いの」
ペルシアは素早く文面を打つ。
『宇宙管理局統括官ペルシア。現地点検のため貨物区画外周通路へ移動中。未登録監視機の存在を確認。現場確認を実施』
送信先は、管理局警備監視班と局長室直通。
「……上を巻き込むの?」
クリスタルが驚いたように言う。
「盾にするのよ。こういう時のための“上”でしょ」
「すごい性格ね」
「褒め言葉として受け取る」
ペルシアは隠し通路から外周側へ出た。姿を完全には見せず、影の中に立つ。
外にいる二人の足音が止まった。
「……誰だ」
低い声。
ペルシアは冷たく返した。
「宇宙管理局、統括官ペルシア。そちらの所属と機体番号を名乗りなさい」
沈黙。
相手の呼吸が乱れる。
肩書きに反応した。
つまり、こちらの権限を知っている。
「……通行許可が必要な区画だ」
「統括官権限で移動中。あなた達の許可証を提示して」
さらに沈黙。
ペルシアは続けた。
「今、管理局警備監視班に連絡した。正規の警備が来るわ。逃げるなら今よ」
その一言で、足音が後退する。
「撤収だ」
小声。
ドローンが一瞬こちらを向き、すぐに引いた。
『脅威、離脱。距離百二十。増援兆候なし』
ナウスが告げる。
ペルシアは息を吐いた。
「ほらね」
クリスタルが呆れたように言う。
「命知らず」
「違う。命が大事だから守ったの」
クリスタルは言い返さなかった。
司令室へ戻ると、ファルコが腕を組んで待っていた。
「管理局を盾にするとはな。えげつねぇ」
「褒め言葉?」
「褒め言葉だ」
スリッピーは目を輝かせていた。
「すごかったよ! 権限ってああやって使うんだね!」
「変なところで感心しないで」
クリスタルが言う。
フォクスは静かにペルシアを見ていた。
「……お前が本気で守ろうとしているのは、嘘じゃないらしい」
「やっと分かった?」
「信用はしない」
即答。
ペルシアは苦笑する。
「本当に警戒心が高いわね」
「当然だ」
フォクスは中央の机に手を置いた。
「だが、今日の件で一つだけ分かった」
「何?」
「お前は管理局を守るためだけに動いているわけじゃない」
ペルシアは少しだけ目を細めた。
「そうね。私は、守りたいものを守るために動いてる」
「その言葉も信用しない」
「はいはい」
ペルシアは椅子にもたれ、肩をすくめた。
「それでも、私はあなた達を諦めない」
フォクスは答えない。
ファルコが小さく笑う。
「フォクス、こいつ、相当しつこいぜ」
「分かってる」
スリッピーが困ったように笑う。
「でも……ちょっと面白い人だよね」
「スリッピー」
クリスタルが低く呼ぶ。
「ご、ごめん」
ペルシアは立ち上がり、端末を胸ポケットにしまった。
「今日は帰るわ。これ以上いたら、本当に管理局の警備が来る」
「そうだな」
フォクスが言う。
ペルシアは出口へ向かいかけて、ふと振り返った。
「フォクス」
「何だ」
「私はまた来る」
「来るなと言っても?」
「連絡はする。勝手には入らない。線は越えない。でも、また来る」
クリスタルが呆れたように息を吐く。
「本当に諦めないのね」
「ええ」
ペルシアはまっすぐに答えた。
「私は、あなた達を必要だと思ってる。あなた達が管理局を信用しないなら、まず私が“信用しなくても話せる相手”になる」
フォクスは黙っている。
ペルシアは続けた。
「直属チームに入るかどうかは、その後でいい。今日断られたことは忘れない。でも、今日で終わりにはしない」
「……勝手にしろ」
フォクスの声は冷たい。
だが、完全な拒絶ではなかった。
ペルシアはそれを聞き取り、小さく笑った。
「勝手にする」
ファルコが笑う。
「気に入ったぜ、その性格」
「ありがと。あなた達に気に入られるまで、もう少し頑張るわ」
「いや、そこまで言ってねぇ」
「言ったも同然よ」
ペルシアは軽く手を振った。
「じゃあ、またね。スターフォクス」
クリスタルは何も言わない。
スリッピーは小さく手を振りかけて、クリスタルの視線に気づいて慌てて下ろす。
ファルコはにやりと笑う。
フォクスは最後まで表情を崩さなかった。
ペルシアが倉庫を出ると、外の夜風は冷たかった。
だが、胸の奥は熱い。
スターフォクスは全員、断った。
宇宙管理局は信用しない。
過去に何があったのかも答えない。
直属にもならない。固定のA級にもならない。
それでも、ペルシアは諦めるつもりなどなかった。
むしろ、はっきりした。
彼らは必要だ。
あの警戒心も、あの連携も、あの拒絶も、全部含めて必要だ。
守るためには、綺麗な人間だけを集めても足りない。
傷を知っている者が必要だ。
疑うことをやめない者が必要だ。
命令ではなく、自分の判断で動ける者が必要だ。
ペルシアは端末を開き、統括官専属探索チームの候補リストを表示する。
スターフォクス。
その名前の横に、取り消し線は引かない。
代わりに、短く注記した。
『最重要候補。警戒心極めて高い。管理局を信用せず。継続接触。諦めない』
ペルシアはそれを見て、小さく笑った。
「……見てなさいよ、フォクス」
夜の通路を歩きながら、ペルシアは独り言を落とす。
「私は、しつこいんだから」
その声は、誰にも届かない。
けれど、彼女の中でははっきり響いていた。
断られた。
拒絶された。
信用されなかった。
それでも、終わりじゃない。
むしろ、ここからだ。