サヴァイヴ〜ドルトムント財閥〜   作:一塔

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糖分

 次の日。

 

 ペルシアは、朝から嫌な予感がしていた。

 

 統括官室に入った瞬間、空気が少しだけ重かったのだ。

 空調の音はいつも通り。端末の起動音もいつも通り。フレイが整理した書類の角も、いつも通りきっちり揃っている。

 

 だけど、廊下を歩く局員たちの足音が、ほんのわずかに硬い。

 

 誰かが何かを知っている時の足音。

 誰かが何かを隠している時の呼吸。

 誰かが「触れない方がいい」と判断した時の、あの不自然な静けさ。

 

 ペルシアは自席に腰を下ろし、端末を立ち上げる前に、椅子の背もたれへ深く寄りかかった。

 

「……嫌な感じ」

 

 呟いた直後、内線が鳴った。

 

 画面には局長室からの呼び出し。

 

 ペルシアは無言で画面を見つめた。

 数秒。

 そして、深くため息をつく。

 

「はいはい。昨日のことね」

 

 予想はついていた。

 

 昨日、倉庫近くで追い払った連中。

 ペルシアはあの時、管理局の警備監視班と局長室へ同時に連絡を入れた。自分の権限を盾にするためだ。あれ自体は正当な手段だった。少なくとも、書類上はそうなる。

 

 ただし、追い払った相手が何者だったか。

 それによって、面倒の種類が変わる。

 

 民間なら警告で終わる。

 企業の私兵なら、局長が裏で釘を刺して終わる。

 裏稼業なら、こちらが記録を握っているだけで相手は引く。

 

 だが――もし相手が、公的な組織だったら。

 

「……最悪」

 

 ペルシアは椅子から立ち上がり、上着を羽織った。

 フレイが書類を抱えたまま振り返る。

 

「統括官、局長室ですか?」

 

「ええ。たぶん、朝から面倒ごと」

 

「……お気をつけて」

 

「何を?」

 

 ペルシアがわざと聞き返すと、フレイは少しだけ困ったように目を伏せた。

 

「局長室に、宇宙警察の方が入られたと聞きました」

 

 ペルシアは一瞬だけ目を閉じた。

 

「……やっぱりね」

 

 フレイの眉がぴくりと動く。

 

「何かご存知で?」

 

「昨日、夜道で変なのを追い払ったのよ。未登録ドローン飛ばして、所属も名乗らない連中」

 

「それが宇宙警察だったと?」

 

「たぶんね。最悪でしょ」

 

 ペルシアは軽く手を振り、局長室へ向かった。

 

 廊下を進むたび、局員たちの視線がさりげなく流れてくる。直接見る者はいない。だが、気配で分かる。

 統括官が呼ばれた。

 宇宙警察が来ている。

 何かが起きている。

 

 ペルシアは、そういう空気が嫌いだった。

 

 情報だけが先に走り、誰も口にしない。

 不安だけが増え、責任だけが曖昧になる。

 

 だから、ペルシアはわざとゆっくり歩いた。焦っているように見せたくない。焦りは相手に餌を与える。

 

 局長室の扉の前に立ち、二回ノックする。

 

「入れ」

 

 局長――マーカスの声はいつも通りだった。

 いつも通りすぎて、逆に腹が立つ。

 

「失礼しまーす」

 

 ペルシアは軽い調子で扉を開けた。

 

 局長室の中には、二人いた。

 

 一人は局長マーカス。机の向こうで、いつものように余裕のある顔をしている。

 もう一人は、窓際の椅子に腰掛けていた男だった。

 

 濃紺の制服。肩章。銀色の襟章。背筋の伸び方、目の置き方、指先の動き――警察組織の人間だと一目で分かる。

 年齢は局長と同じくらいか、少し上。顔には深い皺があり、目は細い。だが、眠そうな目ではない。相手の弱点を探す目だ。

 

 ペルシアが入ると、男はゆっくりこちらを見た。

 

「君がペルシア統括官か」

 

「はい。宇宙管理局統括官のペルシアです」

 

 ペルシアは丁寧に頭を下げた。

 丁寧に。

 必要以上に丁寧に。

 

 相手が“権威”を持っているなら、まず礼儀を見せる。礼儀を見せた上で、心の中では一歩も下がらない。

 

 男は名乗った。

 

「宇宙警察本部長、グレイだ」

 

「本部長直々ですか。朝からご苦労さまです」

 

 ペルシアがにっこり笑うと、局長がわずかに口元を引きつらせた。

 

 グレイは笑わない。

 

「昨夜、貨物区画外周通路において、君が宇宙警察の監視活動を妨害した件について確認したい」

 

 ペルシアは心の中で舌打ちした。

 

(やっぱり宇宙警察だったか)

 

 しかし顔には出さない。

 驚いたように、ほんの少しだけ目を丸くする。

 

「妨害、ですか?」

 

「そうだ」

 

「私は未登録監視機と、所属を名乗らない人物を確認したため、管理局統括官として警備監視班へ連絡し、所属確認を求めただけです」

 

「結果として、こちらの捜査活動は中断された」

 

「捜査活動でしたら、所属と許可証を提示していただければよかったのでは?」

 

 グレイの目がわずかに細くなる。

 

 局長が机の上で指を組み、黙っている。

 助け舟を出す気はないらしい。

 つまり、まずはペルシアにやらせるつもりだ。

 

 ペルシアは内心で「このおっさん」と呟いた。

 

 グレイが続ける。

 

「あの区画では、宇宙ハンターの活動拠点に関する情報があり、宇宙警察としても慎重に監視していた」

 

「なるほど」

 

「君は、その監視対象に接近していた」

 

「そうですか」

 

「そうですか、ではない」

 

 グレイの声が低くなる。

 

「宇宙管理局は宇宙ハンターとの関与を禁じているはずだ。統括官という立場にある者が、なぜそのような場所にいた」

 

 ペルシアは、にっこり笑ったまま沈黙した。

 

 ――今は、話を聞いているふりをする時間。

 

 相手は説教をしたい。

 権限を確認したい。

 自分たちの領域を侵されたことに腹を立てている。

 

 なら、まず喋らせる。

 喋らせれば、情報が出る。

 

 グレイは続けた。

 

「宇宙ハンターは無許可探索、違法回収、未申告資源の売買、さらには民間航路への妨害行為に関与することもある。彼らと公的機関が関係を持つことは、秩序を崩す」

 

「はい」

 

「君が新設の統括官であることは承知している。しかし、新しい役職だからこそ、軽率な行動は許されない」

 

「はい」

 

「宇宙管理局と宇宙警察は、互いに管轄が異なる。だが、秩序維持においては連携が必要だ。今回のような独断は――」

 

「はい」

 

 ペルシアは、適切な間隔で頷いた。

 内容は半分くらい聞いている。

 半分くらいは流している。

 

 グレイの声には、怒りよりも警戒が強い。

 つまり、単に「邪魔された」だけではない。

 

 宇宙警察は、スターフォクスを見ている。

 しかも、かなり前から。

 だが踏み込めていない。

 だから監視している。

 

 そして、ペルシアがそこへ入った。

 管理局の新設統括官が。

 それが、気に入らない。

 

(なるほどね。縄張り意識もあるけど、それだけじゃない)

 

 ペルシアは視線だけでグレイを見る。

 この男は、スターフォクスを捕まえたいのか。

 それとも、監視を続けたいだけなのか。

 どちらにしても、今ここで正面からぶつかるのは得策じゃない。

 

 グレイは最後に、机の上へ薄い資料を置いた。

 

「今後、宇宙ハンター関係者への接触を行う場合、宇宙警察への事前連絡を求める」

 

 ペルシアは笑顔のまま首を傾げた。

 

「求める、ですか?」

 

「そうだ」

 

「命令ではなく?」

 

 グレイの目が一段鋭くなった。

 

 局長がそこでようやく口を開く。

 

「グレイ本部長。統括官の職務範囲は、緊急時の捜索・救出・事故対応の調整にあります。外部接触が必要となる場合、全てを宇宙警察へ事前連絡する運用は、少々難しいかもしれません」

 

 声は柔らかい。

 だが、内容はしっかり拒否している。

 

 グレイは局長を見た。

 

「管理局が、宇宙ハンターとの接触を容認するつもりか」

 

「容認ではありません。情報収集です」

 

「言葉遊びだ」

 

「行政とは、言葉を正しく使う仕事でもありますので」

 

 局長がにっこり笑う。

 ペルシアは内心で「腹黒」と呟いた。

 

 グレイは立ち上がった。

 

「いずれにせよ、昨夜の件については正式に記録する。統括官、今後は軽率な行動を慎むことだ」

 

「ご忠告、ありがとうございます」

 

 ペルシアは丁寧に頭を下げた。

 心の中では、全く従う気がなかった。

 

 グレイは一度だけペルシアを見てから、局長へ軽く会釈し、局長室を出ていった。

 

 扉が閉まる。

 

 数秒の沈黙。

 

 ペルシアは、深く息を吐いた。

 

「……堅っ苦しい」

 

 局長が苦笑する。

 

「よく最後まで黙って聞いたね」

 

「聞いてたフリよ。半分は流してた」

 

「正直だな」

 

「褒め言葉として受け取るわ」

 

 ペルシアは空いている椅子にどかっと座った。

 局長は机の向こうで指を組み直す。

 

「それで、昨日、何をしていたんだい?」

 

 ペルシアは肩をすくめた。

 

「聞くの遅くない?」

 

「宇宙警察本部長の前で聞くわけにはいかないだろう」

 

「それもそうね」

 

 ペルシアは足を組み、昨日の流れを簡潔に話した。

 

 カラスからの情報。

 A級ライセンスの操縦士候補の多くが、宇宙ハンターになっていたこと。

 その中でも、フォクス――スターフォクスが穏健派だと聞いたこと。

 倉庫へ向かったこと。

 ナウス、クリスタル、ファルコ、スリッピー、フォクスと会ったこと。

 スターフォクスを統括官直属の探索チームに迎えたいと伝えたこと。

 全員に断られたこと。

 宇宙管理局は信用しないと言われたこと。

 過去に何があったか聞いても、答えなかったこと。

 そして、それでも諦めるつもりがないこと。

 

 局長は、途中から表情を変えた。

 

 驚き。

 興味。

 少しの警戒。

 そして、最後には呆れに近い笑み。

 

「君は……本当に一人で行ったのか」

 

「一人じゃなきゃ、会ってくれないでしょ」

 

「それはそうかもしれないが」

 

「それに、複数で行ったら捕まえに来たと思われる。私は勧誘に行ったのよ」

 

「宇宙ハンターを、管理局に?」

 

「そう」

 

 局長は天井を見るように顔を上げた。

 

「……驚いたな」

 

「褒めてる?」

 

「半分は」

 

「もう半分は?」

 

「無茶だと思っている」

 

 ペルシアは笑った。

 

「無茶じゃないと、あの連中は動かないわよ」

 

 局長は小さく息を吐いた。

 

「スターフォクス……フォクス達か。名前は聞いたことがある。だが、詳細までは知らない。宇宙ハンターだしな」

 

「でも穏健派らしいよ」

 

「それは誰から?」

 

「カラス」

 

 局長の目が一瞬だけ細くなった。

 

「その名は、あまり軽く扱わない方がいい」

 

「知ってる。気持ち悪いくらい情報持ってるもの」

 

「彼は便利だが、便利な情報屋は必ず代価を取る」

 

「初回無料って言ってた」

 

「それが一番高くつく」

 

「分かってる」

 

 ペルシアは肩をすくめた。

 

「でも、必要だった。管理局の名簿だけじゃ、取り消し線の向こう側には届かない」

 

 局長は黙った。

 

 ペルシアはその沈黙を見逃さなかった。

 

「ねぇ、局長」

 

「何かな」

 

「それよりも、宇宙管理局とスターフォクスの間で、何かあったの?」

 

 局長は眉を上げた。

 

「なぜそう思う」

 

「フォクス達、管理局を信用しないって、はっきり言った。理由は言わない。過去に何があったのか聞いても答えない。

 ただの宇宙ハンターだから拒否してるって感じじゃなかった。もっと深い。もっと硬い」

 

 ペルシアは指先で机を軽く叩く。

 

「それに、宇宙警察が監視してた。管理局じゃなくて警察がね。おかしくない?」

 

 局長は少しだけ目を伏せた。

 

「宇宙ハンターを警察が監視するのは、不自然ではない」

 

「でも、昨日のあれは普通の監視じゃなかった。機体番号なしのドローン。所属を名乗らない二人。しかも管理局の権限を知っている反応だった」

 

「……」

 

「何か、あるんでしょ」

 

 局長は椅子に深く腰を沈めた。

 いつもの飄々とした顔が、少しだけ消える。

 

「いや、私も聞いた覚えがない」

 

 ペルシアは目を細める。

 

「本当に?」

 

「ああ。少なくとも、私が局長になってから、スターフォクスと管理局の間で正式な衝突があった記録は見ていない」

 

「正式な記録は、ね」

 

「君は嫌なところを突く」

 

「統括官だから」

 

 局長は苦笑した。

 

「古い記録なら、残っていない可能性もある。あるいは、意図的に別分類へ移されたかもしれない。宇宙ハンター関係の記録は、宇宙警察や連邦連盟の管轄に分かれる場合もある」

 

「つまり、管理局の中にない可能性がある」

 

「そうだ」

 

「もしくは、消されてる」

 

 局長は否定しなかった。

 

 ペルシアはそれだけで十分だった。

 

「そっか」

 

 彼女は椅子から立ち上がる。

 

「なら、直接聞いてくるか」

 

 局長が目を見開いた。

 

「待ちなさい」

 

「何?」

 

「昨日会ったばかりで、また行くつもりか?」

 

「ええ」

 

「彼らは警戒心が高いんだろう?」

 

「高いわね。凄く」

 

「それなら、急に行くのは逆効果だ」

 

「急に行かないわよ。連絡する。許可を取る。断られたら引く」

 

「そしてまた連絡する?」

 

「そう」

 

 局長は額に手を当てた。

 

「……君は本当にしつこいな」

 

「守りたいものがある時の私は、しつこいの」

 

 ペルシアはにっこり笑う。

 

 局長はしばらくペルシアを見つめた。

 彼女の目に迷いがないことを確認したのだろう。

 やがて、深くため息を吐いた。

 

「分かった。ただし、条件がある」

 

「何?」

 

「宇宙警察と正面から衝突しないこと」

 

「努力する」

 

「努力ではなく、約束しなさい」

 

「……分かった。なるべく正面衝突はしない」

 

「なるべく?」

 

「局長、相手が殴ってきたら避けるけど、殴り返す時もあるでしょ」

 

「君は本当に……」

 

 局長は言葉を失い、苦笑した。

 

「もう一つ。彼らと接触するなら、記録を残すこと」

 

「録音は無理よ。信用されない」

 

「録音しろとは言わない。君自身の報告でいい。日時、場所、接触内容、リスク。統括官として記録を残せ」

 

「それならいいわ」

 

「そして、危険だと思ったら引くこと」

 

「危険の基準は?」

 

「命が危ないと思ったら」

 

 ペルシアは笑った。

 

「昨日、銃を突きつけられたけど?」

 

「それを先に言いなさい!」

 

 局長の声が珍しく跳ねた。

 

 ペルシアは平然としている。

 

「撃たれなかったからいいでしょ」

 

「よくない」

 

「結果論では?」

 

「結果論で片付けるな」

 

 局長は本気で眉をひそめた。

 

「ペルシア、君は自分の価値を軽く見すぎだ。統括官は新設役職だが、君一人の判断が今後の仕組みを決める。君が倒れたら、計画ごと止まる」

 

 ペルシアは少しだけ表情を緩めた。

 

「……分かってる」

 

「分かっている顔ではない」

 

「分かってるわよ」

 

 ペルシアは視線を逸らした。

 

「でもね、局長。私が安全な場所で書類だけ見てても、あの連中は絶対に来ない。スターフォクスみたいな人達は、“来い”じゃ動かない。“行く”しかないの」

 

 局長は黙った。

 

「管理局は信用しないって言われた。なら、私が信用されるしかない。私が何度も行って、何度も断られて、それでも線を越えずに話すしかない」

 

「……時間がかかるぞ」

 

「いいわよ」

 

「成果が出ないかもしれない」

 

「それでもやる」

 

「なぜそこまで、彼らにこだわる?」

 

 ペルシアは、少しだけ考えた。

 

 答えは簡単だ。

 だけど、口にすると重くなる。

 

「必要だから」

 

 まず、それだけ言う。

 

「彼らは疑うことを知ってる。逃げ道を作れる。自分の判断で動ける。誰かの命令で簡単に人を見捨てない。……そういう人間が、私のチームには必要」

 

 そして、続けた。

 

「それに」

 

「それに?」

 

「彼らみたいな人達を、管理局の外側に追いやったままでいいとは思えない」

 

 局長の目が少しだけ動いた。

 

「管理局を変えるつもりかい?」

 

「大げさね」

 

 ペルシアは笑った。

 

「ただ、守れる範囲を少し広げたいだけよ」

 

 局長はしばらく黙っていた。

 

 やがて、引き出しから一枚の薄いカードを取り出し、ペルシアへ差し出した。

 

「これは?」

 

「旧記録庫への一時閲覧権限だ。表のデータベースには出てこない案件も、断片なら残っている可能性がある」

 

 ペルシアはカードを受け取り、目を丸くした。

 

「いいの?」

 

「君は止めても行くだろう。なら、少しでも情報を持って行った方がいい」

 

「局長、意外と過保護ね」

 

「君が無茶をするからだ」

 

 局長は静かに言う。

 

「ただし、閲覧できるのは今日の午後から三時間だけだ。あまり深追いするな」

 

「深追いするなって言われると、したくなるわね」

 

「ペルシア」

 

「冗談よ」

 

 本当に半分は冗談だった。

 

 ペルシアはカードを胸ポケットにしまい、扉へ向かう。

 

「じゃあ、旧記録庫を漁ってから、フォクス達に連絡してみる」

 

「連絡だけだぞ」

 

「分かってる」

 

「勝手に倉庫へ行くなよ」

 

「分かってるって」

 

「本当に?」

 

「局長、信用ないわね」

 

「昨日の今日で信用しろと言う方が無理だ」

 

 ペルシアは苦笑した。

 

「それ、フォクス達にも同じこと言われそう」

 

「なら、少しは反省しなさい」

 

「反省はする。でも諦めない」

 

 ペルシアは扉を開ける前に、振り返った。

 

「局長」

 

「何だい?」

 

「宇宙警察の本部長、また来るわよ」

 

「だろうね」

 

「面倒ね」

 

「君が面倒を連れてきたんだ」

 

「違うわ。面倒の方から来たのよ」

 

 ペルシアはそう言って、局長室を出た。

 

 

 廊下に出ると、空気は少し軽くなっていた。

 宇宙警察本部長が帰ったからだろう。

 だが、ペルシアの胸の中には、新しい重さが増えていた。

 

 スターフォクス。

 宇宙管理局を信用しない。

 過去は語らない。

 宇宙警察は監視している。

 局長も詳しく知らない。

 旧記録庫に、何か断片があるかもしれない。

 

 ペルシアは歩きながら端末を開いた。

 統括官専属探索チーム候補リスト。

 

 最重要候補。

 スターフォクス。

 

 横に追記する。

 

『宇宙警察が監視対象として把握。管理局との過去接点不明。旧記録庫確認予定。接触継続。絶対に諦めない』

 

 入力して、自分で少し笑った。

 

「絶対に、って書いちゃった」

 

 でも消さない。

 

 それが本音だから。

 

 ペルシアは端末を閉じ、旧記録庫へ向かうために歩き出した。

 

 ――聞けないなら、調べる。

 ――調べても分からないなら、また聞く。

 ――断られても、また行く。

 

 宇宙管理局を信用しないと言うのなら、まずは自分が信用されるしかない。

 

 信用されるまで、何度でも。

 

 ペルシアは、誰にも聞こえない声で呟いた。

 

「待ってなさいよ、フォクス」

 

 廊下の照明が、彼女の影を長く伸ばす。

 

「私は、しつこいんだから」

 

 

ーーーー

 

 旧記録庫は、宇宙管理局本部の地下三階にあった。

 

 正確には地下ではない。コロニー構造上、そこは外殻寄りの低層ブロックであり、地上も地下も本来は意味を持たない。だが、宇宙管理局の職員たちは昔からそこを「地下」と呼んでいた。

 

 理由は単純だ。

 

 暗くて、古くて、湿っぽくて、気分が沈むからだ。

 

 ペルシアは、旧記録庫の前に立った瞬間から嫌な顔をしていた。手には局長から渡された一時閲覧権限カード。隣には、いつものように資料端末と紙の管理簿を抱えたフレイが立っている。

 

 フレイは真面目な顔で扉の認証パネルに目を向けた。

 

「統括官、こちらです」

 

「……本当にここ?」

 

「はい。旧記録庫です」

 

「見た目からして、何か出そうなんだけど」

 

「記録は出るかもしれません」

 

「そういう話じゃないわよ」

 

 ペルシアがぼやくと、フレイは真面目に首を傾げた。

 

「では、何が出ると?」

 

「……もういい。フレイってたまに真面目すぎて怖い」

 

「ありがとうございます」

 

「褒めてない」

 

 ペルシアはカードを認証パネルにかざした。

 

 重い電子音が鳴り、扉のロックが外れる。

 ゴウン、と低い音を立てて分厚い扉が横に滑った。

 

 中から流れてきた空気は、冷たく、古い紙と金属と乾いた埃の匂いがした。ペルシアは思わず鼻に皺を寄せる。

 

「うわ……本当に旧って感じ」

 

「古い紙媒体や、旧式端末にしか残っていない記録もありますから」

 

「デジタル化しなさいよ」

 

「予算と人員の都合で、後回しになっているようです」

 

「そういうところよ、管理局」

 

 ペルシアは文句を言いながら中に入った。

 

 旧記録庫の内部は広かった。

 天井まで届く棚がいくつも並び、古いファイルボックスが整然と収納されている。だが整然としているのはあくまで“見た目”だけで、棚の番号は旧制度の分類で、今の検索体系とは噛み合っていない。

 

 壁際には旧式の端末が複数台置かれていた。起動音が鈍く、画面の明滅も遅い。まるで眠っていた機械を無理やり起こしたようだった。

 

 フレイは持参した端末を開き、記録庫の目録を表示する。

 

「まず、宇宙ハンター関連の旧記録、宇宙警察との共同監視記録、及びライセンス停止・抹消処理の履歴を確認しましょう」

 

「はいはい」

 

「また、スターフォクスという名称が正式記録に残っていない可能性がありますので、フォクス、ファルコ、クリスタル、スリッピー、ナウス等の個別名称でも検索します」

 

「……フレイ、ほんと仕事が早いわね」

 

「仕事ですので」

 

「私も仕事してるんだけどね」

 

「はい」

 

 フレイは即答した。

 即答したが、その声には微妙に「今のところは」と言いたげな響きがあった。

 

 ペルシアは目を細める。

 

「今、何か失礼なこと思った?」

 

「いいえ」

 

「嘘が下手」

 

「統括官ほどではありません」

 

「それ、私が嘘上手いみたいに聞こえるんだけど」

 

「そのような意味ではありません」

 

 フレイは平然としている。

 ペルシアは軽く舌打ちし、旧式端末の前に座った。

 

 検索画面が表示されるまでに、十秒。

 キーワードを打ち込んで反応するまでに、さらに十秒。

 検索結果が出るまでに、また十秒。

 

 ペルシアは一度だけ画面を見て、すぐに机に突っ伏した。

 

「……無理」

 

「まだ始めたばかりです」

 

 フレイが書類棚からファイルを抜き出しながら言う。

 

「全然見つからない」

 

「一件目の検索結果が出たところです」

 

「何もないってことは、ないってことでしょ」

 

「一件目で判断しないでください」

 

「甘いものがほしい〜」

 

 ペルシアは机に頬をつけたまま、情けない声を出した。

 

 フレイは書類を開きながら、深いため息を溢した。

 

「まだ始めたばかりです」

 

「さっきも聞いた」

 

「何度でも言います。まだ始めたばかりです」

 

「鬼」

 

「職務です」

 

「職務の鬼」

 

「ありがとうございます」

 

「だから褒めてない」

 

 フレイは淡々とファイルを確認し始めた。

 

 一方のペルシアは、しばらく机に突っ伏したままだった。

 それでも完全にサボっているわけではない。顔を横に向け、片目だけで画面を見ている。検索結果に並ぶ文字はどれも面倒そうで、しかも目当ての名前は見当たらない。

 

「フォクス……該当なし。スターフォクス……該当なし。宇宙ハンター、穏健派……該当なし。宇宙警察、共同監視……該当多すぎ。何よこれ」

 

「検索語が広すぎます」

 

「じゃあ絞って」

 

「ご自身でお願いします」

 

「冷たい」

 

 ペルシアは渋々身体を起こし、画面に向き直った。

 

 旧式端末は入力補助が鈍い。打ち込んだ文字が一拍遅れて表示される。そのたびに、ペルシアの眉間に皺が寄った。

 

「この端末、私のこと嫌いでしょ」

 

「端末に感情はありません」

 

「ナウスはあったわよ」

 

「ナウスは特殊な人工知能です」

 

「あれは可愛げなかったけどね」

 

「人工知能に可愛げを求める必要はありません」

 

「フレイ、ナウスと気が合いそう」

 

「光栄です」

 

「そこは否定して」

 

 言い合いながらも、ペルシアは検索を続けた。

 

 “未探索領域 事故記録”

 “ライセンス抹消 A級”

 “所在不明 操縦士”

 “宇宙ハンター 接触禁止”

 “フォクス”

 “スターフォクス”

 “ファルコ”

 “クリスタル”

 “スリッピー”

 “ナウス”

 

 どれも、手応えがない。

 

 出てくるのは古い通達、一般的な注意喚起、ハンター行為への処分方針、宇宙警察との連携協定。

 どれも制度の話ばかりで、人間の影がない。

 

 ペルシアはしばらく画面を見つめてから、また机に伏せた。

 

「……人間が出てこない」

 

 フレイがファイルをめくる手を止める。

 

「人間?」

 

「そう。規則ばっかり。通達ばっかり。禁止、禁止、禁止。誰が何をしたのか、誰が何を感じたのか、何でそんな規則ができたのか、そこが出てこない」

 

 フレイは少しだけ黙った。

 

「旧記録庫は、あくまで行政記録ですから」

 

「分かってる。でも、フォクス達が信用しない理由は、規則には載ってない。きっと、人の中にある」

 

 ペルシアは顔を上げ、前髪をかき上げた。

 

「だから、面倒なのよ」

 

「面倒だから調べるのでは?」

 

「そうだけど、甘いものがほしい」

 

「それは別問題です」

 

 フレイはそう言いながら、別の棚へ移動する。

 

 ペルシアも仕方なく立ち上がり、紙媒体の棚を漁り始めた。

 ファイルボックスの背表紙には、旧分類コードが書かれている。見ただけでは内容が分からないものも多い。

 

「この分類、誰が考えたの」

 

「当時の管理規程に基づくものかと」

 

「当時の人間、絶対性格悪い」

 

「記録管理者に失礼です」

 

「今の私に対しての方が失礼よ」

 

 ペルシアはぶつぶつ言いながらファイルを抜き出した。

 中身を開く。

 古い紙がぱらぱらと鳴る。

 

 ――宇宙ハンター対策連絡会議議事録

 ――未許可探索行為に関する注意喚起

 ――外部協力者の取扱いについて

 ――ライセンス保有者の所在確認結果

 

 最後のタイトルに、ペルシアの指が止まった。

 

「……フレイ」

 

「何かありましたか?」

 

「所在確認結果ってのがある」

 

 フレイがすぐに近づいてきた。

 二人でファイルを覗き込む。

 

 だが、ページをめくっても、フォクスの名前はない。

 ファルコも、スリッピーも、クリスタルも、ナウスもない。

 A級ライセンス保持者の所在確認結果は載っているが、肝心な部分は黒塗りになっていたり、別紙参照と書かれているだけだった。

 

「別紙は?」

 

 ペルシアが聞くと、フレイはファイルの末尾を確認した。

 

「ありません」

 

「何でよ」

 

「抜き取られているか、別管理かと」

 

「出た。別管理」

 

 ペルシアはファイルを閉じ、ため息を吐いた。

 

「絶対ここに何かあったでしょ」

 

「可能性はあります」

 

「なのに見つからない」

 

「探し方を変えましょう」

 

「フレイ、前向きね」

 

「仕事ですので」

 

「私にもその仕事力を少し分けて」

 

「統括官は、行動力は十分かと」

 

「それ、褒めてる?」

 

「半分は」

 

「もう半分は?」

 

「無鉄砲です」

 

「言うじゃない」

 

 ペルシアは笑いながら、次の棚に向かった。

 

 その後も、二人は記録庫の中を漁り続けた。

 

 フレイは黙々と分類を確認し、関連しそうなファイルを抜き出していく。手際がいい。

 ペルシアはぼちぼち探す。時々、本当に関係なさそうなファイルを開いては「これ違う」とすぐ閉じる。五分に一回は伸びをし、十分に一回は甘いものを欲しがる。

 

「甘いもの〜」

 

「後で」

 

「チョコとか持ってないの?」

 

「旧記録庫内は飲食禁止です」

 

「厳しい」

 

「記録保全のためです」

 

「私の糖分保全は?」

 

「業務終了後にお願いします」

 

 フレイは容赦がない。

 

 ペルシアは仕方なく、別の旧式端末に向かった。

 そこでは古い音声記録の目録が検索できた。

 

「音声記録なら、何かあるかも」

 

「会議録ですか?」

 

「そう。文字に残さないことを音声で喋ってる可能性がある」

 

「古い会議音声は、確認に時間がかかります」

 

「全部は聞かない。耳で拾う」

 

 ペルシアはヘッドセットを装着し、いくつかの音声ファイルを再生した。

 

 古い雑音。

 低い声。

 紙をめくる音。

 咳払い。

 誰かのため息。

 

 だが、どれも一般的な会議だった。

 

『宇宙ハンターとの接触は原則禁止とし――』

『外部協力者の安全確認については――』

『当局としては、宇宙警察との連携を――』

 

 ペルシアは三本聞いたところで、ヘッドセットを外した。

 

「眠くなる」

 

「重要な記録かもしれません」

 

「重要な記録ほど眠くなるの、行政の悪いところよ」

 

「否定はしません」

 

「そこは否定してよ」

 

 フレイは小さく笑った。

 ほんの少しだけ。

 それを見て、ペルシアは眉を上げる。

 

「あ、笑った」

 

「笑っていません」

 

「笑ったわよ」

 

「気のせいです」

 

「フレイも人間だったのね」

 

「統括官」

 

「はいはい、探します」

 

 そこからさらに一時間。

 二人は棚と端末を行き来した。

 

 だが、成果はなかった。

 

 スターフォクスの名前は出ない。

 フォクス達に繋がる明確な記録もない。

 宇宙警察との関連も、一般的な連携文書ばかり。

 

 あるのは、抜き取られた別紙の痕跡。

 黒塗り。

 曖昧な分類。

 そして、古い通達の山。

 

 ペルシアは最後に、大きなファイルを閉じた。

 

「……ない」

 

 フレイも静かにファイルを閉じる。

 

「見つかりませんね」

 

「最初から見つからない気はしてたけど、ほんとに見つからないと腹立つわね」

 

「旧記録庫に残っていない、もしくは別保管か、意図的に削除された可能性があります」

 

「全部嫌な言葉ね」

 

 ペルシアは椅子に座り込み、背もたれに寄りかかった。

 

「仕方ないか。やっぱり直接行くしかないか」

 

 フレイが静かにペルシアを見る。

 

「またスターフォクスのところへ?」

 

「もちろん」

 

「昨日、断られたばかりでは?」

 

「だから行くのよ」

 

「普通は時間を置きます」

 

「私は普通じゃないから」

 

「自覚があるのですね」

 

「失礼ね」

 

 ペルシアは立ち上がり、局長から借りた閲覧カードを胸ポケットに戻した。

 

「でも、今日はもう無理。疲れたし、甘いものでも食べに行こう」

 

 フレイは机の上に散らばったファイルを見た。

 ペルシアが開きっぱなしにしたファイル。

 途中で投げた検索端末。

 分類番号順に戻さなければならない資料。

 

 そして、深くため息をついた。

 

「何もしてないでしょ」

 

 ペルシアは目を丸くした。

 

「したわよ。精神的に」

 

「主に私が探していました」

 

「私は考えてた」

 

「机に伏していました」

 

「考えながら伏してたの」

 

「甘いものが欲しいと言っていました」

 

「糖分は思考の燃料よ」

 

 フレイはまたため息を吐いた。

 

「……分かりました。片付けてから行きましょう」

 

「えー」

 

「片付けてからです」

 

「フレイ、厳しい」

 

「職務です」

 

「職務の鬼」

 

「ありがとうございます」

 

「だから褒めてないって」

 

 結局、ペルシアも片付けを手伝うことになった。

 

 ただし、分類番号を見てもよく分からず、フレイに三回注意された。

 

「統括官、それは第二棚です」

 

「こっちじゃないの?」

 

「違います」

 

「この記号、似てるじゃない」

 

「似ていません」

 

「似てるわよ」

 

「似ていません」

 

「はいはい」

 

 十分ほどかけて、ようやく記録庫は元の静けさを取り戻した。

 重い扉を閉め、認証ロックがかかる。

 

 廊下へ出た瞬間、ペルシアは大きく伸びをした。

 

「はぁ〜、終わった。甘いもの」

 

「まだ勤務時間中です」

 

「休憩よ、休憩」

 

「統括官は先ほどから休憩していたように見えましたが」

 

「フレイ、今日はよく刺すわね」

 

「事実ですので」

 

「やっぱりナウスと気が合う」

 

 フレイは少しだけ考え、真面目に答えた。

 

「一度、お話ししてみたいですね」

 

「本気で言ってる?」

 

「はい」

 

「……そのうち会わせてあげる」

 

 ペルシアは笑った。

 

 フレイは意外そうに目を瞬く。

 

「よろしいのですか?」

 

「どうせまた行くし」

 

「諦めないのですね」

 

「当然」

 

 ペルシアは廊下の先を見た。

 

「記録がないなら、本人達から聞く。答えないなら、答えたくなるまで通う。拒まれたら、線を越えない範囲でまた近づく」

 

「……とても時間がかかりそうですね」

 

「いいのよ」

 

 ペルシアは軽く笑った。

 

「信用って、面倒なものだから」

 

 フレイはその横顔を見て、少しだけ表情を和らげた。

 

「では、まずは糖分補給ですね」

 

「そうそう。フレイ、分かってきたじゃない」

 

「統括官の扱いが、少しだけ分かってきました」

 

「扱いって何」

 

「甘いものを与えると、少し仕事に戻る可能性がある」

 

「犬みたいに言わないで」

 

「失礼しました」

 

 ペルシアは呆れたように笑い、フレイと並んで歩き出した。

 

 旧記録庫では何も見つからなかった。

 だが、何も見つからなかったことも、ひとつの情報だ。

 

 記録がない。

 別紙がない。

 名前がない。

 痕跡だけがある。

 

 なら、やはり答えは、彼ら自身の中にある。

 

 ペルシアは心の中で、フォクスの鋭い目を思い浮かべた。

 

(待ってなさいよ。私は諦めないから)

 

 そして次の瞬間には、甘いもののことを考えていた。

 

「ねぇフレイ、ケーキとパフェならどっちがいいと思う?」

 

「勤務中ですので、軽めにしてください」

 

「じゃあ両方半分ずつ」

 

「それは軽いのでしょうか」

 

「心が軽くなる」

 

「……なるほど」

 

「納得しないでよ」

 

 二人の声が、管理局の廊下に小さく響いた。

 収穫のない調査。

 残った謎。

 そして、まだ諦めない統括官。

 

 その全部を抱えたまま、ペルシアは甘いものを求めて、足取りだけは少し軽く歩いていった。

 

 

ーーーー

 

 

 甘いものを堪能したペルシアは、皿の上に残った最後のクリームをスプーンで掬いながら、満足そうに目を細めていた。

 

「……やっぱり糖分って偉大ね」

 

 向かいの席に座るフレイは、紅茶のカップを静かに置いた。

 

「統括官、先ほどまで旧記録庫でほとんど机に伏していた方の言葉とは思えません」

 

「甘いものを食べた私は別人なのよ」

 

「便利な別人ですね」

 

「そうでしょう」

 

「褒めていません」

 

「分かってるわよ」

 

 ペルシアは笑って、背もたれに寄りかかった。

 

 旧記録庫では、何も掴めなかった。

 正確には、“何も残っていない”ことだけを掴んだ。

 

 別紙がない。

 固有名がない。

 宇宙警察との連携記録はあるのに、肝心な人物の記録が出てこない。

 宇宙管理局とスターフォクスの間に何かがあったのか。あったとして、それが誰によって隠されたのか。

 

 分からない。

 

 分からないなら、行くしかない。

 

 ペルシアはスプーンを置いた。

 

「やっぱり、フォクスの所行ってくる」

 

 フレイの手が止まった。

 

「今からですか?」

 

「ええ」

 

 ペルシアは端末を取り出し、立ち上がった。

 

「旧記録庫で見つからないなら、本人達に聞くしかない。もちろん、聞いても答えないと思うけど」

 

「では、なぜ行くのですか」

 

 フレイの問いは真面目だった。

 

 ペルシアは少しだけ考えた。

 

「答えを聞きに行くんじゃないわ」

 

「では?」

 

「私が諦めてないって、分からせに行くの」

 

 フレイは沈黙した。

 

 ペルシアは軽く手を振る。

 

「大丈夫。勝手に踏み込まない。線は越えない。昨日、約束したから」

 

「……本当にお気をつけください」

 

「分かってるって、けど昨日レーザー銃を突きつけられたけどね」

 

「その発言で安心できると思いますか?」

 

「思わない」

 

「統括官」

 

「分かってるって」

 

 ペルシアは店を出る前に、ショーケースの横で足を止めた。

 

 色とりどりのドーナツが並んでいる。チョコレート、シュガー、ナッツ、ベリー、クリーム入り。

 ペルシアはそれをじっと見た。

 

「……お土産、必要よね」

 

「スターフォクスへですか?」

 

「手ぶらで行くよりはいいでしょ」

 

「相手が受け取るかは分かりませんが」

 

「受け取らなかったら私が食べる」

 

「それが目的では?」

 

「半分ね」

 

 ペルシアはドーナツをいくつか選び、包んでもらった。

 フレイはため息をつきつつも、どこか諦めたように見守っていた。

 

「それでは、私は管理局に戻ります」

 

「うん。フレイ、今日の記録まとめといて」

 

「分かりました。」

 

「私はスターフォクスのところに行ってくる」

 

「記録にはどう記載しましょうか」

 

「外部協力候補者との接触継続」

 

「実態は?」

 

「ドーナツ持って押しかける」

 

「記録には書けませんね」

 

「書かないで」

 

 フレイは小さく頭を下げた。

 

「お気をつけて」

 

「ありがとう」

 

 ペルシアはドーナツの包みを片手に、店を出た。

 

 外の空気は少し冷たかった。

 甘いものを食べた後の身体にはちょうどいい。

 

 ペルシアは歩きながら端末を操作し、フォクスへ連絡を入れた。

 

 一回目。

 繋がらない。

 

 二回目。

 繋がらない。

 

 三回目。

 応答なし。

 

「……出なさいよ」

 

 四回目。

 やはり繋がらない。

 

 ペルシアは足を止め、端末を見下ろした。

 

 拒否されているのか。

 単純に不在なのか。

 通信を切っているのか。

 

 いずれにしても、ここで諦める理由にはならない。

 

「じゃあ、ナウス」

 

 ペルシアは前回取得した倉庫側の通信経路を呼び出した。

 数秒の待機音。

 そして、機械音声が流れる。

 

『こちらナウス。識別確認中――ペルシア、認識しました』

 

「やっほー、ナウス」

 

『挨拶の意図が不明です』

 

「普通の挨拶よ。フォクスは?」

 

『フォクス、ファルコ、スリッピー、クリスタルは現在不在です』

 

「全員?」

 

『全員です』

 

「どこに行ったの?」

 

『回答できません』

 

「でしょうね」

 

 ペルシアは空を見上げた。

 薄い照明の下、コロニーの天井に夕方の色が映っている。

 

「じゃあ、待つからそっち行っていい?」

 

『推奨しません』

 

「許可してくれればいいのよ」

 

『ペルシアの訪問は、フォクスの明示許可を得ていません』

 

「でも昨日、私は勝手に入らないって言った。今、ちゃんと聞いてる。偉くない?」

 

『自己評価の高さは確認しました』

 

「ナウス、あなた本当に可愛げないわね」

 

『可愛げは任務遂行に不要です』

 

「はいはい、聞いた聞いた」

 

 ペルシアは笑った。

 

「中に入らせて。勝手に機材には触らない。記録も取らない。フォクス達が戻るまで、椅子に座って待ってる。お土産もある」

 

『お土産の内容は?』

 

「ドーナツ」

 

『糖分ですか』

 

「そう。人間の心を少し柔らかくする魔法よ」

 

『科学的根拠は限定的です』

 

「限定的でも効くの」

 

 ナウスは沈黙した。

 人工知能の沈黙なのに、妙に考えているように感じる。

 

『条件付きで許可します』

 

「やった」

 

『条件。一、指定区画以外へ立ち入らないこと。二、機材に触れないこと。三、通信端末の発信機能を停止すること。四、飲食物の残渣を設備に付着させないこと』

 

「最後、細かいわね」

 

『重要です』

 

「分かった。約束する」

 

『入室を許可します』

 

「ありがとう、ナウス」

 

『感謝は不要です』

 

「それも聞いた」

 

 通信を切り、ペルシアは倉庫へ向かった。

 

 

 倉庫に到着した時、周囲は静まり返っていた。

 

 外観は相変わらず古く、人気もない。

 だが、ペルシアは知っている。ここはただの倉庫ではない。

 見えないセンサーが動き、ナウスがこちらを認識し、どこかのカメラが自分の指先まで見ている。

 

 ペルシアは扉の前で立ち止まり、軽く手を振った。

 

「来たわよ」

 

『確認しました』

 

 扉が開く。

 

 中に入ると、空気は昨日と同じだった。冷たく、整っていて、どこか人の生活の匂いがする。

 ペルシアはナウスの案内に従い、司令室のような部屋へ向かった。

 

 誰もいない。

 

 モニターは暗い。

 機材ラックは整然と並び、机の上には工具がひとつ置かれている。

 ソファも、ホログラム台も、昨日と同じ場所にある。

 

 ペルシアはドーナツの包みを机に置いた。

 

「お邪魔しまーす」

 

『訪問者は現在ペルシアのみです』

 

「知ってる」

 

 ペルシアは部屋を見回し、コーヒーらしき機械を見つけた。

 

「ナウス、コーヒーもらっていい?」

 

『飲料機の使用を許可します。ただし、操作手順を誤らないでください』

 

「分かってるわよ。コーヒーくらい淹れられる」

 

『前回の訪問時、ペルシアは設備操作経験を申告していません』

 

「コーヒーに申告必要なの?」

 

『誤操作による設備汚損リスクがあります』

 

「ほんと細かい」

 

 ペルシアは飲料機の前に立った。

 表示は少し独特だったが、基本は分かる。豆を選び、カップを置き、抽出ボタンを押す。

 低い音が鳴り、コーヒーの香りが広がった。

 

「悪くない香りね」

 

『フォクスの選定した豆です』

 

「へぇ。意外とこだわるのね」

 

『フォクスは苦味と酸味の均衡を重視します』

 

「そこまで聞いてない」

 

 ペルシアはカップを取り、机に戻った。

 

 そして、ドーナツの包みを開ける。

 

「お土産でドーナツ買ってきたから食べて」

 

『私は摂食機能を持ちません』

 

「ナウスにじゃないわよ」

 

『現在、他の対象者は不在です』

 

「じゃあ、帰ってきたらね」

 

 ペルシアは言いながら、ドーナツを一つ手に取った。

 チョコがかかったやつ。

 一口食べる。

 

「……うん、美味しい」

 

『それはお土産では?』

 

「味見よ」

 

『一個消費しています』

 

「細かい」

 

『事実です』

 

「ナウス、あなた絶対フレイと気が合うわ」

 

『フレイとは誰ですか』

 

「管理局の人。真面目で、私に厳しくて、あなたみたいに可愛げがない」

 

『興味深い人物です』

 

「ほんとに気が合いそうね」

 

 ペルシアはコーヒーを飲み、ドーナツをもう一口食べた。

 部屋は静かだった。

 

 だが、完全な静寂ではない。

 空調の音。機材の待機音。遠くの配管。ナウスの処理音のような、微かな電子的な揺らぎ。

 ペルシアは椅子に座り、足を組んだ。

 

「ねぇ、ナウス」

 

『何でしょう』

 

「フォクス達、私が来たって知ってる?」

 

『通知済みです』

 

「返事は?」

 

『ありません』

 

「でしょうね」

 

 ペルシアは笑った。

 

「怒ってるかな」

 

『怒りの推定は困難です。ただし、クリスタルは高確率で警戒行動を取ると予測します』

 

「銃持って飛び込んでくる?」

 

『可能性は高いです』

 

「じゃあ、ドーナツを前に置いとけば少し和むかしら」

 

『レーザー銃に対するドーナツの抑止効果は不明です』

 

「言い方が面白いわね」

 

 ペルシアは、結局二つ目のドーナツにも手を伸ばした。

 

『二個目です』

 

「だから味見」

 

『味見の範囲を超えています』

 

「うるさいわね」

 

 それから、しばらく時間が流れた。

 

 ペルシアは、ドーナツを食べながら待った。

 コーヒーを飲みながら、時々、部屋の中を見回した。

 ナウスに機材の説明を求めると、「機密です」と返される。

 ナウスにフォクスの好きな食べ物を聞くと、「回答できません」と返される。

 ファルコの弱点を聞くと、「本人に確認してください」と返される。

 クリスタルが甘いものを好きか聞くと、「回答できません」と返される。

 

 ペルシアはそのたびに笑った。

 

「ナウスって、本当に口が堅いのね」

 

『情報管理は任務です』

 

「でも会話はしてくれる」

 

『訪問者の監視を兼ねています』

 

「監視ついでに話し相手ね」

 

『否定はしません』

 

「可愛いところあるじゃない」

 

『可愛げは任務遂行に不要です』

 

「それ、何回目?」

 

『三回目です』

 

 ペルシアが声を出して笑った、その時だった。

 

 外側の通路で、足音がした。

 

 一人。

 速い。

 迷いがない。

 怒っている時の足音だ。

 

 ペルシアはドーナツを片手に、ゆっくり顔を上げた。

 

『クリスタル、接近』

 

「ほらね」

 

 次の瞬間。

 

 扉が乱暴に開いた。

 

 金属が壁に当たり、鋭い音が響く。

 クリスタルが飛び込んできた。片手にはレーザー銃。照準は迷いなくペルシアへ向けられている。

 

 髪が少し乱れている。

 息もわずかに上がっている。

 走ってきたのだろう。

 その目は鋭く、怒りと警戒を隠していない。

 

 ペルシアは椅子に座ったまま、ドーナツを持ち上げて軽く手を振った。

 

「お疲れ〜。お邪魔してるわ」

 

 クリスタルの目が細くなる。

 

「……何をしているの」

 

「待ってる」

 

「誰を」

 

「あなた達を」

 

「勝手に入ったの?」

 

「ナウスに許可もらったわよ」

 

『事実です。条件付き入室を許可しました』

 

「ナウス」

 

 クリスタルの声が低くなる。

 

『ペルシアは条件を遵守しています。ただし、ドーナツを二個消費しました』

 

「報告しなくていいわよ!」

 

 ペルシアが突っ込む。

 クリスタルは一瞬だけ、視線を机の上へ落とした。

 

 開かれた包み。

 ドーナツの箱。

 そして、明らかに減っている中身。

 

「……それ、お土産じゃないの?」

 

「お土産のドーナツね」

 

 ペルシアは食べかけのドーナツを見せる。

 

「食べて」

 

「自分で食べてるじゃない」

 

「味見よ」

 

「二個も?」

 

「ナウスまで同じこと言うのね」

 

 クリスタルは銃を構えたまま、信じられないものを見るような顔をした。

 

 ペルシアはさらに一口食べる。

 

「これ、美味しいわよ。チョコのやつ」

 

「……銃を向けられてるのに、よく食べられるわね」

 

「お腹空いてる時に話しても、いい交渉はできないのよ」

 

「交渉しに来たの?」

 

「半分」

 

「残り半分は?」

 

「顔を見に来た」

 

 クリスタルの目つきが鋭くなる。

 

「ふざけてるの?」

 

「結構、本気よ」

 

 ペルシアはドーナツを紙ナプキンの上に置き、コーヒーを一口飲んだ。

 

「フォクスに電話しても繋がらなかった。だからナウスに聞いたら、全員いないって言うから、待たせてもらってるの」

 

「だから、何のために」

 

「諦めてないって言いに来た」

 

 クリスタルの指が、銃のグリップを強く握る。

 

「昨日、断ったはずよ」

 

「聞いたわ」

 

「全員、断った」

 

「うん」

 

「宇宙管理局は信用しない。そう言ったはずよ」

 

「それも聞いた」

 

「なら、なぜ来たの」

 

 クリスタルの声には、怒りだけではない。

 困惑がある。

 苛立ちがある。

 そして、ごくわずかに恐れがある。

 

 ペルシアはその全部を聞き取った。

 

「信用しないって言われたからよ」

 

「……意味が分からない」

 

「信用しない相手に、一回断られて諦めたら、それこそ終わりでしょ」

 

 ペルシアは椅子から立ち上がらない。

 銃口を刺激しないように。

 けれど、声は逃げない。

 

「私は宇宙管理局そのものを信用しろって言ってるんじゃない。まず私を見てって言ってるの」

 

「貴方も管理局の人間よ」

 

「そうね」

 

「なら同じ」

 

「違うと言っても、今は信じないでしょう」

 

「当然よ」

 

「だから、今日は信じなくていい」

 

 ペルシアは軽く肩をすくめた。

 

「今日は、私がまた来たって覚えてくれればいい」

 

 クリスタルは黙った。

 

 レーザー銃は下がらない。

 だが、引き金にかかる指の力はわずかに抜けた。

 

 ペルシアは続ける。

 

「旧記録庫を漁ってきたわ」

 

「……何を」

 

「あなた達と宇宙管理局の間に何があったのか」

 

 その瞬間、クリスタルの空気が変わった。

 

 銃口が、わずかに上がる。

 

「何を見たの」

 

「何も見つからなかった」

 

 ペルシアは正直に言った。

 

「名前も出ない。記録もない。別紙は抜けてる。黒塗りばかり。だから、余計に何かあるって思った」

 

「……」

 

「でも、あなた達が話したくないなら、無理には聞かない」

 

「聞いたじゃない」

 

「昨日は聞いた。今日は聞かない」

 

「なら、何しに来たの」

 

「言ったでしょ。諦めてないって言いに来た」

 

 クリスタルは深く息を吐いた。

 銃を下ろしはしない。

 それでも、構えにわずかな疲れが滲む。

 

「貴方、しつこいのね」

 

「自覚してる」

 

「迷惑だわ」

 

「それも分かってる」

 

「分かってるなら来ないで」

 

「線は越えない。ナウスに許可は取った。フォクス達が戻るまで待つだけ」

 

「戻っても、答えは変わらない」

 

「それでも聞く」

 

「断られるわよ」

 

「そのたびに考える」

 

「また来るの?」

 

「来る」

 

 即答。

 

 クリスタルは、初めて少しだけ表情を崩した。

 呆れ。

 怒り。

 それから、どうしていいか分からないような顔。

 

「……どうして、そこまで」

 

 声が小さくなる。

 

 ペルシアはしばらく答えなかった。

 ドーナツを食べる手も止める。

 コーヒーの湯気だけが、二人の間でゆらゆら揺れていた。

 

「必要だから」

 

 やがて、ペルシアは言った。

 

「私は、守りたいものを守るために、直属のチームを作る。命令で動く人形じゃなくて、自分の判断で動ける人達が必要なの」

 

「それが私達?」

 

「そう」

 

「買い被りすぎよ」

 

「そうかもね」

 

「私達は綺麗な人間じゃない」

 

「綺麗な人間だけ集めても、現場は守れない」

 

 クリスタルの目がわずかに揺れた。

 

「……貴方、昨日も似たようなことを言ってたわ」

 

「何度でも言うわよ」

 

「聞き飽きる」

 

「慣れて」

 

「慣れたくない」

 

「じゃあ、聞き流して」

 

 ペルシアが軽く言うと、クリスタルはほんの一瞬だけ口元を歪めた。

 笑いそうになったのか、怒りを噛み殺したのか、分からない。

 

 ペルシアは箱をクリスタルの方へ押した。

 

「食べる?」

 

「いらない」

 

「美味しいのに」

 

「いらない」

 

「じゃあファルコ達が戻ったら」

 

「勝手に食べさせないで」

 

「スリッピーは喜びそう」

 

「……否定できないのが腹立つわね」

 

 その瞬間、少しだけ空気が緩んだ。

 

 クリスタルはようやくレーザー銃を下ろした。

 ただし、ホルスターには戻さない。手には持ったまま。

 それが、今の最大限の譲歩なのだろう。

 

 ペルシアはその譲歩を見逃さなかった。

 

「ありがとう」

 

「何が」

 

「撃たないでくれて」

 

「撃つ理由がまだないだけ」

 

「それでもありがとう」

 

 クリスタルは目を逸らした。

 

「……変な人」

 

「よく言われる」

 

「褒めてない」

 

「褒め言葉として受け取る」

 

「本当に、話が通じないわね」

 

「交渉向きでしょ」

 

「逆よ」

 

 ペルシアは笑い、コーヒーを飲み干した。

 

「ナウス、もう一杯もらっていい?」

 

『飲料機の使用は許可済みです。ただし、ドーナツの粉をこぼさないでください』

 

「はいはい」

 

「……本当にくつろいでる」

 

 クリスタルが呆れたように呟いた。

 

 ペルシアは立ち上がり、コーヒーを淹れに行く。

 その背中に銃口は向けられなかった。

 ただ、クリスタルの視線はずっとついてきている。

 

「ねぇ、クリスタル」

 

「何」

 

「あなた、甘いもの嫌い?」

 

「質問の意図は?」

 

「ドーナツの減り具合を計算してる」

 

「……普通」

 

「じゃあ一個残しておく」

 

「いらないって言ってるでしょ」

 

「普通なら食べられるでしょ」

 

「話を聞きなさい」

 

 ペルシアは新しいコーヒーを持って戻り、椅子に座った。

 

「フォクス達、いつ戻るの?」

 

『推定到着まで十八分』

 

 ナウスが答える。

 

「ナウス」

 

 クリスタルが低く呼ぶ。

 

『ペルシアはすでに滞在しています。情報提供による危険度上昇は軽微です』

 

「あなたまで……」

 

 クリスタルは額に手を当てた。

 

 ペルシアは少し嬉しそうに笑う。

 

「ナウス、だんだん私に優しくなってない?」

 

『誤認です』

 

「照れなくていいのに」

 

『照れていません』

 

「絶対照れてる」

 

『否定します』

 

 クリスタルは、さらに深いため息を吐いた。

 

「……フォクスが戻ったら、また断られるわよ」

 

「分かってる」

 

「分かってるのに待つの?」

 

「ええ」

 

「時間の無駄よ」

 

「無駄かどうかは、後で決める」

 

 ペルシアは机に肘をつき、クリスタルを見た。

 

「私ね、ドルトムントにいた頃は、仕事が終わらなくても定時で帰るタイプだったの」

 

「急に何の話?」

 

「残業嫌い。面倒なこと嫌い。人の揉め事もできれば避けたい。お酒飲んで、笑って、寝て、次の日また適当にやる。そういうのが好きだった」

 

「……今もそう見えるけど」

 

「否定はしないわ」

 

 ペルシアは笑った。

 

「でも、今は違う。面倒でも、残業でも、銃向けられても、来る理由がある」

 

「それが守りたいもの?」

 

「そう」

 

 クリスタルは黙った。

 

 ペルシアは柔らかく続けた。

 

「あなた達にもあるんでしょ。守りたいもの」

 

 クリスタルの表情が、ほんの少しだけ変わった。

 すぐに元へ戻る。

 だが、ペルシアは見逃さない。

 

「……だから私は、あなた達が欲しい」

 

「私達は、貴方のものじゃない」

 

「もちろん」

 

 ペルシアは即答する。

 

「だから“欲しい”っていうのは、所有したいって意味じゃない。並んでほしいって意味」

 

「管理局の中で?」

 

「私のチームで」

 

「同じことよ」

 

「今はね」

 

「これからもよ」

 

「それは分からない」

 

「分かるわ」

 

「私は分からないと思ってる」

 

 クリスタルは苛立ったように息を吐いた。

 

「貴方、本当に諦めないのね」

 

「ええ」

 

「なぜ、私達なの」

 

「あなた達が、疑うことをやめてないから」

 

 クリスタルの目が止まる。

 

「疑うこと?」

 

「そう。宇宙管理局を信用しない。私も信用しない。近づけば銃を向ける。情報も渡さない。理由も言わない。……でも、それでいい」

 

「何がいいの」

 

「現場で一番怖いのは、疑わない人間よ。上が言ったから。規則だから。前例がないから。そうやって考えるのをやめる人間は、守る仕事に向いてない」

 

 ペルシアの声は、少しずつ真剣になっていた。

 

「あなた達は疑う。考える。自分で決める。だから必要」

 

「……それは、勝手な評価ね」

 

「勝手よ。でも本気」

 

 クリスタルは答えなかった。

 

 沈黙が落ちる。

 

 先ほどまでの剣呑な沈黙とは違う。

 少しだけ、考えるための沈黙だった。

 

 ナウスが静かに告げる。

 

『フォクス、ファルコ、スリッピー、接近』

 

 クリスタルが顔を上げる。

 

 ペルシアはドーナツの箱を見た。

 

「あと何個残ってる?」

 

『四個です』

 

「十分ね」

 

「自分で食べすぎよ」

 

 クリスタルが思わず言った。

 

 ペルシアは笑った。

 

「お土産って、持ってきた人も食べていいのよ」

 

「普通は遠慮するものよ」

 

「私はしない」

 

「でしょうね」

 

 外側の扉が開く音がした。

 足音が三つ。

 

 フォクス。

 ファルコ。

 スリッピー。

 

 ペルシアは椅子に座ったまま、コーヒーを片手に待った。

 

 数秒後、司令室の扉が開いた。

 

 先頭にフォクス。

 後ろにファルコ。

 スリッピーは機材の入ったケースを抱えている。

 

 三人は中の光景を見て、同時に止まった。

 

 ペルシアが座っている。

 机の上にドーナツ。

 コーヒー。

 クリスタルは銃を持ったまま立っているが、撃つ気配はない。

 

 ファルコが最初に口を開いた。

 

「……何してんだ、お前」

 

 ペルシアは軽く手を上げた。

 

「お疲れ〜。お邪魔してるわ」

 

 スリッピーが目を丸くする。

 

「本当に来てる……」

 

 フォクスの表情は変わらない。

 だが、明らかに空気が硬くなった。

 

「ペルシア」

 

「はい」

 

「なぜいる」

 

「電話しても出なかったから」

 

「だから来たのか」

 

「ナウスに許可は取ったわよ」

 

『事実です』

 

 フォクスはナウスに視線を向ける。

 

「ナウス」

 

『条件付き入室を許可しました。ペルシアは条件を概ね遵守しています』

 

「概ね?」

 

『ドーナツを二個以上消費しました』

 

「もう三個よ」

 

 ペルシアが訂正する。

 

『三個でした』

 

 ファルコが吹き出した。

 

「ははっ! 何だよそれ。お土産食ってんのかよ」

 

「味見」

 

「三個は味見じゃねぇだろ」

 

「よく言われる」

 

 スリッピーが箱を覗き込む。

 

「ドーナツだ! 食べていい?」

 

「いいわよ。お土産だから」

 

「やった!」

 

「スリッピー」

 

 フォクスが低く呼ぶ。

 

「……あとでにします」

 

 スリッピーはしょんぼりした。

 

 ペルシアはその様子を見て、少し笑った。

 そして、フォクスへ視線を向ける。

 

「昨日の続き」

 

「断ったはずだ」

 

「だから、諦めないって言いに来た」

 

 フォクスの目が冷たくなる。

 

「しつこいな」

 

「ええ。私はしつこいわよ」

 

「管理局は信用しない」

 

「聞いた」

 

「俺たちもお前を信用していない」

 

「それも分かってる」

 

「なら帰れ」

 

「今日は帰るわ。ちゃんと話したらね」

 

 フォクスの目が細くなる。

 

 ファルコは面白そうに腕を組み、スリッピーはドーナツを見つつ、会話も気になってそわそわしている。

 クリスタルは銃をホルスターへ戻した。

 それは、昨日より少しだけ進んだ合図だった。

 

 ペルシアは立ち上がった。

 

「私は、あなた達を諦めない。これを言いに来た」

 

「それだけか」

 

「それだけ」

 

「……それだけのために来たのか」

 

「そうよ」

 

 フォクスはしばらく黙った。

 

 ペルシアは続ける。

 

「あなた達が宇宙管理局を信用しない理由は、まだ聞かない。話したくないなら、今はいい。私は旧記録庫を探したけど、何も出なかった。記録がないことだけ分かった」

 

 フォクスの目が、わずかに動いた。

 

「調べたのか」

 

「もちろん」

 

「勝手に?」

 

「局長の許可を取って」

 

「管理局らしいな」

 

「そうね。でも、管理局らしくないこともしてる」

 

 ペルシアはドーナツの箱を指差した。

 

「例えば、ドーナツ持って押しかけるとか」

 

 ファルコがまた笑う。

 

「それは確かに管理局らしくねぇな」

 

 フォクスは笑わない。

 

「ペルシア。俺たちは行かない」

 

「うん」

 

「何度来ても、答えは同じだ」

 

「それでも来る」

 

「線を越えるな」

 

「越えない」

 

「勝手に調べるな」

 

「それは約束できない」

 

 空気が一瞬で張りつめた。

 

 クリスタルの目が鋭くなる。

 ファルコも笑みを消す。

 スリッピーが息を止める。

 

 ペルシアは、すぐに言葉を続けた。

 

「あなた達個人の秘密を暴くつもりはない。だけど、宇宙管理局の中で何が隠されているのかは調べる。そこにあなた達が傷ついた理由があるなら、私は知る必要がある」

 

 フォクスの声が低くなる。

 

「知ってどうする」

 

「同じことを繰り返さないようにする」

 

「できると思うのか」

 

「分からない。でも、知らなければ絶対にできない」

 

 フォクスは何も言わない。

 

 ペルシアは、まっすぐに言った。

 

「私はあなた達をチームに迎えたい。これは変わらない。けど、それ以上に、あなた達が管理局を信用しない理由を放置したくない」

 

「大きなお世話だ」

 

「そうかもね」

 

「迷惑だ」

 

「それも分かってる」

 

「なら――」

 

「でも、私はやる」

 

 ペルシアの声が、部屋の中に落ちた。

 

「迷惑でも、嫌われても、断られても、やる。あなた達が本当に必要だから」

 

 沈黙。

 

 今度の沈黙は長かった。

 

 フォクスはペルシアを見ている。

 警戒心は消えない。

 むしろ、強くなっている。

 だがその奥に、昨日にはなかったものが微かに混じっていた。

 

 興味。

 いや、確認かもしれない。

 

 この女はどこまで本気なのか。

 どこまで来るのか。

 どこで引くのか。

 どこまで線を守るのか。

 

 フォクスはそれを見ようとしている。

 

 ペルシアは、それで構わなかった。

 

「今日はこれだけ」

 

 ペルシアはドーナツの箱を机に残し、端末を手に取った。

 

「ドーナツ、食べて。嫌なら捨ててもいい。でも、美味しいから捨てるのはおすすめしない」

 

 スリッピーが小さく手を上げる。

 

「……僕、食べてもいい?」

 

 フォクスは答えない。

 ファルコが先に箱へ手を伸ばした。

 

「俺が毒味してやるよ」

 

「普通に食べたいだけでしょ」

 

 クリスタルが呆れたように言う。

 

 ファルコはドーナツを一口食べ、眉を上げた。

 

「……うまい」

 

「でしょう」

 

 ペルシアは満足そうに笑った。

 

 フォクスは、まだ食べない。

 ただ、箱を見ている。

 

 ペルシアは出口へ向かった。

 扉の前で振り返る。

 

「また来るわ」

 

 フォクスが低く言う。

 

「来るなと言ったら?」

 

「連絡する。許可を取る。断られたら引く。……でも、また聞く」

 

「本当にしつこいな」

 

「ええ」

 

 ペルシアは笑った。

 

「私はしつこいの」

 

 そう言って、彼女は倉庫を出た。

 

 外の空気は、少し冷たかった。

 だが、胸の奥は不思議と温かい。

 

 今日も断られた。

 信用されなかった。

 歓迎もされなかった。

 それでも、クリスタルは銃を下ろした。

 ナウスは入室を許した。

 ファルコはドーナツを食べた。

 スリッピーは興味を隠せなかった。

 フォクスは、最後まで追い出す命令を出さなかった。

 

 小さな前進。

 ほんの小さな前進。

 

 ペルシアは端末を開き、候補リストに追記する。

 

『継続接触二回目。拒否継続。警戒心極めて高い。ドーナツ効果、限定的。ナウス入室許可。クリスタル銃を下ろす。ファルコ摂食確認。スリッピー興味あり。フォクス警戒継続。諦めない』

 

 書いてから、自分で笑った。

 

「ドーナツ効果、限定的……か」

 

 でも、ゼロじゃない。

 

 ペルシアは夜道を歩き出した。

 

 明日も、明後日も、その先も。

 必要なら何度でも。

 

 彼らが宇宙管理局を信用しないなら、まずは自分が“信用しなくても話せる相手”になる。

 

 それが、最初の一歩だ。

 

 ペルシアは小さく呟いた。

 

「待ってなさいよ、フォクス」

 

 そして、少しだけ笑った。

 

「次は、何を持って行こうかしら」

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