サヴァイヴ〜ドルトムント財閥〜   作:一塔

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 それから、ペルシアは本当にしつこかった。

 

 最初の数日は、フォクス達も明らかに警戒していた。

 

 ペルシアがナウスに連絡を入れるたび、返ってくる答えはだいたい同じだった。

 

『フォクスは不在です』

 

『ファルコは不在です』

 

『クリスタルは応答を拒否しています』

 

『スリッピーは作業中です』

 

 それでもペルシアは、まるでそれが当然の手順であるかのように言った。

 

「じゃあ、待っていい?」

 

『推奨しません』

 

「許可してくれればいいのよ」

 

『訪問目的は?』

 

「顔を出すだけ」

 

『非効率です』

 

「信用って、非効率なものなのよ」

 

 そう言って、ペルシアは今日も倉庫へ向かった。

 

 もちろん、手ぶらではない。

 

 ある日はドーナツ。

 ある日はシュークリーム。

 ある日は宇宙港近くの屋台で買った揚げ菓子。

 またある日は、やたら高級そうなチョコレート。

 

 ただし、毎回のようにペルシアはそれを机に置いて、こう言う。

 

「お土産よ。食べて」

 

 そして、最初に自分で食べ始める。

 

 ファルコは最初こそ呆れた。

 

「おい。土産って、自分で食うもんなのか?」

 

「味見よ」

 

「毎回味見してるよな」

 

「毎回味が違うんだから、毎回味見は必要でしょ」

 

「屁理屈だな」

 

「交渉術よ」

 

「絶対違うだろ」

 

 スリッピーはかなり早い段階で慣れた。

 

「今日は何? クッキー? チーズ味? わ、すごい! これ、初めて見る!」

 

「限定品らしいわよ」

 

「食べていい?」

 

「いいわよ。お土産だもの」

 

「やった!」

 

「スリッピー」

 

 フォクスが低く呼ぶと、スリッピーは一度手を止める。

 

「……一個だけ」

 

「好きにしろ」

 

「やった!」

 

 ファルコは、なんだかんだ言いながら毎回食べた。

 

「毒味だ、毒味」

 

「それ、この前も言ってたわね」

 

「毒が入ってたら困るだろ」

 

「毎回、毒味のわりに一番減らしてるの誰かしらね」

 

「うるせぇな」

 

 クリスタルは、最後まで簡単には手を出さなかった。

 

 ペルシアが置いた菓子を一度見る。

 ペルシアを見る。

 ナウスを見る。

 そして、黙って雑誌や端末に視線を戻す。

 

 だが、ペルシアは見逃していなかった。

 

 ペルシアが帰った後、箱の中の小さな焼き菓子が一つだけ減っている日がある。

 チョコレートの包み紙が、ゴミ箱の奥にそっと捨てられている日がある。

 クリスタルがコーヒーを淹れる時、わずかに甘い香りのする菓子を横に置いていることもある。

 

 もちろん、ペルシアは指摘しない。

 

 指摘したら、きっと二度と食べない。

 

 信用というのは、そういうものだ。

 小さな変化を、こちらが勝手に大きくしないこと。

 相手が差し出したほんの小さな余白を、踏み荒らさないこと。

 

 ペルシアはそれを、客室乗務員時代に嫌というほど学んでいた。

 

 人は、最初から本音を言わない。

 弱いところは見せない。

 だから、声色を聞く。

 息遣いを見る。

 目線を拾う。

 手の震えを見逃さない。

 

 そして、何も聞かないで隣にいる。

 

 それが、時に一番効く。

 

 だからペルシアは、フォクス達に拒まれても、怒られても、嫌味を言われても、毎回同じようにやって来た。

 

「お疲れ〜。今日もお邪魔してるわ」

 

 そのたびにフォクスは眉間に皺を寄せた。

 

「また来たのか」

 

「ええ」

 

「何度来ても答えは同じだ」

 

「知ってる」

 

「なら帰れ」

 

「お茶飲んだら帰る」

 

「ここは喫茶店じゃない」

 

「コーヒー美味しいのよね、ここ」

 

「……ナウス」

 

『ペルシアの入室は条件付きで許可しています』

 

「許可するな」

 

『フォクスによる禁止命令が明確ではありませんでした』

 

「今した」

 

『次回から反映します』

 

「次回ある前提やめてくれる?」

 

 そう言いつつ、次回もペルシアは来た。

 

 フォクスは追い返さなかった。

 ファルコは呆れながらも、菓子だけは受け取った。

 スリッピーは普通に喜ぶようになった。

 クリスタルは警戒しながらも、銃を構える回数が減った。

 

 それは、ほんの少しずつの変化だった。

 

 けれど、ペルシアには十分だった。

 

 ――進んでいる。

 

 相手はまだ信用していない。

 宇宙管理局も信用していない。

 ペルシア自身にも警戒している。

 

 それでも、完全に扉を閉ざしてはいない。

 

 なら、通う理由になる。

 

 

 そんなある日。

 

 ペルシアはいつものように倉庫へ向かった。

 手には、小さな紙袋を持っている。

 

 今日の土産は、宇宙管理局近くの喫茶店で買った小さな焼き菓子だった。

 バターの香りが強い、少し固めのクッキー。

 フレイに「また甘いものですか」と言われたが、「交渉用よ」と言い張って買ってきたものだ。

 

 実際には、半分くらい自分が食べるつもりだった。

 

 ナウスに連絡を入れる。

 

「ナウス、いる?」

 

『ペルシア、認識しました』

 

「今日は誰かいる?」

 

『現在、スリッピーとクリスタルが滞在しています』

 

「フォクスとファルコは?」

 

『不在です』

 

「そっか。じゃあ、入っていい?」

 

『条件付きで許可します』

 

「条件はいつもの?」

 

『一、指定区画以外へ立ち入らないこと。二、機材に触れないこと。三、通信端末の発信機能を停止すること。四、飲食物の残渣を設備に付着させないこと』

 

「はいはい。あと五、私がお菓子を食べすぎないこと?」

 

『それは推奨事項です』

 

「推奨されちゃった」

 

 ペルシアは笑いながら、倉庫の中に入った。

 

 司令室に入ると、スリッピーは床に座り込んで機械を弄っていた。

 膝の上には小型端末、横には工具箱、さらにその横には分解された部品がいくつも並んでいる。

 目が輝いている。

 完全に楽しい時の顔だ。

 

「うーん、ここをこうして……いや、でもこっちの回路を通すと反応が遅れるんだよなぁ。ナウス、さっきのログもう一回出して」

 

『表示します』

 

「ありがと! ……あ、ペルシア来た」

 

「お疲れ〜」

 

「お疲れ! 今日は何持ってきたの?」

 

「クッキー」

 

「やった!」

 

 スリッピーは工具を置き、ぱっと笑った。

 その素直さは、何度見ても少し眩しい。

 

 一方、クリスタルはソファに座り、雑誌を読んでいた。

 宇宙航路の特集らしい。表紙には新型民間小型艇の写真が載っている。

 ペルシアが入ってきても、クリスタルは顔を上げただけだった。

 

「また来たの」

 

「ええ。また来たわ」

 

「本当にしつこいわね」

 

「褒め言葉として受け取る」

 

「褒めてない」

 

「知ってる」

 

 ペルシアは机に紙袋を置いた。

 

「お土産。クッキーね」

 

 そう言いながら、自分で袋を開けた。

 

 クリスタルがじっと見る。

 

「……置いたそばから開けるのね」

 

「味見よ」

 

「聞き飽きたわ」

 

「でも美味しいわよ」

 

 ペルシアはクッキーを一枚取り、口に入れた。

 サクッという音。バターの香りが広がる。

 

「うん、当たり」

 

 スリッピーが手を伸ばす。

 

「僕も食べていい?」

 

「いいわよ」

 

「やった」

 

 スリッピーはクッキーを一枚取り、もぐもぐ食べる。

 

「おいしい! これ、食感いいね。硬すぎないし、崩れ方が均一。焼き加減がすごくいい」

 

「スリッピー、機械以外にも分析するのね」

 

「食べ物も構造があるからね!」

 

「なるほどね」

 

 ペルシアはコーヒーを淹れに行った。

 もう飲料機の操作にも慣れている。

 ナウスも、最初ほど細かく注意してこなくなった。

 それでも、こう言う。

 

『粉をこぼさないでください』

 

「こぼさないわよ」

 

『前々回、砂糖を少量こぼしました』

 

「あれは事故」

 

『記録上、事故として処理しています』

 

「記録しなくていいのに」

 

 ペルシアがコーヒーを持って戻ると、スリッピーはまた機械弄りに戻っていた。

 クリスタルは雑誌へ視線を戻している。

 部屋の中に、以前のような張り詰めた空気はない。

 

 もちろん、完全に気を許したわけではない。

 クリスタルの腰には銃がある。

 スリッピーの近くには、緊急遮断用の端末が置かれている。

 ナウスは常にペルシアを監視している。

 

 けれど、ペルシアが椅子に座ってコーヒーを飲んでいても、誰もすぐに追い出そうとはしなかった。

 

 それが、今の距離だった。

 

 ペルシアはクッキーをもう一枚取りながら、スリッピーの手元を覗き込む。

 

「何を作ってるの?」

 

「センサー補助ユニット。ナウスの外部補助に使うやつなんだけど、反応速度をもう少し上げたくて」

 

『現在の反応速度は十分基準値内です』

 

「十分じゃなくて、もっと良くしたいんだよ」

 

『過剰性能は整備負荷を増大させます』

 

「でも楽しいじゃん」

 

『楽しさは設計基準に含まれていません』

 

「含めようよ」

 

「ナウスとスリッピーって、ほんと仲良いわね」

 

 ペルシアが言うと、スリッピーは嬉しそうに笑った。

 

「そうかな?」

 

『関係性の定義が曖昧です』

 

「ほら、こういうところ」

 

 ペルシアが笑うと、クリスタルが雑誌をめくりながら言った。

 

「ナウスは誰にでもそうよ」

 

「でも、私にはちょっと優しくなってきたわよね」

 

『否定します』

 

「即答」

 

「当然でしょ」

 

 クリスタルが淡々と言う。

 

 ペルシアはコーヒーを一口飲み、ふっと息を吐いた。

 

 こういう時間は、嫌いじゃない。

 敵意がなくなったわけではない。

 信用されたわけでもない。

 でも、同じ空間にいられる。

 それだけで十分な日もある。

 

 しばらく、スリッピーの工具の音だけが響いた。

 

 カチ。

 キュッ。

 小さな電子音。

 ナウスの短い応答。

 クリスタルが雑誌をめくる音。

 ペルシアがクッキーを食べる音。

 

 そして、ふいにスリッピーが顔を上げた。

 

「そういえばさ」

 

「ん?」

 

 ペルシアがコーヒーを飲みながら返す。

 

「ペルシアって、元々ドルトムントにいたって言ってたよね」

 

 クリスタルの雑誌をめくる手が、ほんの少し止まった。

 

 ペルシアはその小さな変化を聞き逃さなかったが、気づかないふりをした。

 

「ええ。元々、ドルトムント財閥の旅行会社で客室乗務員をやってたのよ」

 

「客室乗務員?」

 

 スリッピーの目が丸くなる。

 

「うん。宇宙船の中で乗客対応。案内して、飲み物出して、体調悪い人見て、トラブルが起きたら整えて、荒れた空気をどうにかする仕事」

 

「へぇ……なんか、今と結構違うね」

 

「違うようで、似てるわよ」

 

「そうなの?」

 

「人を見る仕事って意味ではね」

 

 ペルシアはクッキーを指先で弄びながら、少しだけ目を細めた。

 

「客室って、小さな宇宙なのよ。いろんな人がいて、いろんな不安があって、いろんな不満があって。ちょっとした揺れで空気が悪くなる。誰か一人が騒げば広がる。誰か一人が我慢しすぎても崩れる」

 

 スリッピーは工具を置き、興味深そうに聞いている。

 

「それを整えるのが仕事?」

 

「そう。飲み物を出すだけじゃない。毛布を渡すだけでもない。声の出し方、歩く速さ、視線の向け方、笑うタイミング。全部で空気を作る」

 

「すごいなぁ」

 

「すごく見えないのが、いい仕事なのよ」

 

 ペルシアは少し笑った。

 

「誰も気づかないうちに、不安を減らす。誰も気づかないうちに、怒りを消す。誰も気づかないうちに、事故の芽を摘む」

 

 クリスタルが雑誌から目を離さずに言った。

 

「それで、どうして辞めたの」

 

 声は冷たくない。

 けれど、簡単に踏み込ませる声でもない。

 

 ペルシアはその問いに、少しだけ沈黙した。

 

 クッキーを置く。

 コーヒーを飲む。

 息を吐く。

 

「色々あったのよ」

 

「答えになってない」

 

「でしょうね」

 

 ペルシアは苦笑した。

 

 スリッピーが慌てて言う。

 

「あ、無理に言わなくていいよ。僕、ちょっと気になっただけで……」

 

「いいの。話すわ」

 

 ペルシアは椅子にもたれ、天井を見上げた。

 

 部屋の空気が少しだけ静かになる。

 

 ペルシアは、この話をして良いのかと少し悩んだ。

 弱さを見せてしまうかもしれない。

 フォクス達には、自分の弱さを見せるつもりなんてなかったのに。

 

 でも、信用を求めるなら、こちらも少しは差し出さないといけない。

 

「十四班っていう班にいたの。タツヤ班長がいて、エリンがいて、リュウジがいて、ククル、エマ、カイエ……みんな個性的でね」

 

 スリッピーが楽しそうに聞く。

 

「仲良かったの?」

 

「うん。口ではいろいろ言ったけど、好きだったわ」

 

 ペルシアは素直に言った。

 

「面倒だけど、好き。真面目すぎる子も、すぐ騒ぐ子も、ゲームばっかりしてる子も、何でも背負い込む子も、全部ね」

 

「それで、どうして辞めたの」

 

 クリスタルがもう一度聞いた。

 今度は少しだけ声が柔らかかった。

 

 ペルシアは、視線を落とした。

 

「守りたかったから」

 

 短い言葉。

 だが、それが一番近かった。

 

「あるフライトで、他の班と揉めたの。十班っていうところ。そこのチーフパーサーが、エリンを潰そうとした」

 

「潰す?」

 

「解雇か、子会社へ異動。そんな話が出た」

 

 スリッピーの表情が変わる。

 

「ひどいね」

 

「ひどいわよ」

 

 ペルシアは笑った。笑ったが、目は笑っていなかった。

 

「でも、組織ってそういうところがある。上に繋がりがある人間が、現場の正しさを捻じ曲げる。実力じゃなくて、家や権力で人を動かす」

 

 クリスタルの目が、ほんの少し鋭くなった。

 ペルシアは気づいたが、止まらなかった。

 

「私は、そのチーフパーサーと取引した。エリンの代わりに、私が辞めるって」

 

「……自分で?」

 

「ええ」

 

「誰にも相談せずに?」

 

「うん」

 

 クリスタルの眉が寄る。

 

「馬鹿ね」

 

「分かってる」

 

 ペルシアは即答した。

 

「エリンにも怒られた。リュウジにも怒られた。タツヤ班長にも怒られた。何のために班長がいると思ってるんだって」

 

 思い出すと、胸が少し痛む。

 エリンの涙。

 リュウジの拳。

 タツヤの本気の怒り。

 カイエの叫び。

 ククルの泣きそうな顔。

 

「でも、あの時の私は、それしか思いつかなかった。エリンがいない会社で乗務員を続けるなんて嫌だった。あの子達が傷つくのも嫌だった。だったら、私が出る方がいいって思った」

 

「それで宇宙管理局に?」

 

「前から誘われてたのよ。局長に」

 

 ペルシアは肩をすくめる。

 

「あのおっさん、私の耳を買ってた。音を拾う力、人の声色を拾う力。宇宙管理局でなら、それをもっと広く使えるって言った」

 

「それで来たんだ」

 

「ええ」

 

 ペルシアは机の上に指を置いた。

 

「私は、ドルトムントを辞めた。逃げたとも言えるし、選んだとも言える。どっちでもあるわね」

 

 スリッピーは何か言おうとして、口を閉じた。

 簡単に慰めるのは違うと思ったのだろう。

 

 クリスタルは、静かにペルシアを見ていた。

 

「後悔してるの?」

 

 ペルシアは少し考えた。

 

「してない。……って言いたいけど、少しはしてる」

 

「正直ね」

 

「正直じゃないと、あなた達には通じないでしょ」

 

 ペルシアは苦笑した。

 

「十四班にいたかった。エリンとくだらないことで言い合いたかった。リュウジをからかいたかった。ククルやエマやカイエの面倒を見たかった。タツヤ班長にビールを奢らせたかった」

 

「最後は何?」

 

「大事なことよ」

 

 スリッピーが小さく笑う。

 

 ペルシアも笑ったが、すぐに表情を戻した。

 

「でも、今の私は宇宙管理局の統括官。ここで、もっと広く守れる。あの子達も含めてね」

 

 クリスタルは目を細める。

 

「守れると思ってるの?」

 

「思ってる。思わないとやってられない」

 

「思うだけで守れるなら苦労しないわ」

 

「そうね。だから、あなた達が必要」

 

 ペルシアは、そこでまっすぐ二人を見た。

 

 スリッピーの目が揺れる。

 クリスタルの表情が硬くなる。

 

「私が話した代わりに、一つ聞いていい?」

 

 クリスタルは即座に警戒した。

 

「内容による」

 

「スターフォクスと宇宙警察。何かあったの?」

 

 部屋の空気が、すっと冷えた。

 

 スリッピーの手が、工具の上で止まる。

 クリスタルの指が、雑誌の端を強く押さえる。

 ナウスの微かな処理音が、いつもより静かに聞こえた。

 

 ペルシアは続けた。

 

「こないだ、宇宙警察の長が管理局に来た。私が追い払った相手は宇宙警察だったみたい。スターフォクスを監視してた。あなた達と宇宙警察、そして管理局……何かあるんでしょ」

 

 スリッピーは俯いた。

 

 答えない。

 答えたくない。

 それが明らかだった。

 

 クリスタルは低く言った。

 

「話さないわ」

 

 ペルシアは頷いた。

 

「そう」

 

「聞いても無駄よ」

 

「分かった」

 

「本当に分かったの?」

 

「今は話さないってことは分かった」

 

 クリスタルの目が鋭くなる。

 

「また聞くつもり?」

 

「ええ」

 

「しつこい」

 

「知ってる」

 

 スリッピーが小さく言った。

 

「……ごめん、ペルシア」

 

 ペルシアは驚いて、スリッピーを見る。

 

「謝らなくていいわよ」

 

「でも、ペルシアは自分のこと話してくれたのに」

 

「交換条件みたいにしたのは私よ。あなたが悪いわけじゃない」

 

 スリッピーは唇を噛んだ。

 

「話せないんだ」

 

「うん」

 

「話したら、たぶん……色々、壊れる」

 

 クリスタルがすぐに言った。

 

「スリッピー」

 

「あ……ごめん」

 

 スリッピーは慌てて口を閉じた。

 

 だが、ペルシアの耳は拾っていた。

 

 話したら壊れる。

 つまり、ただの恨みではない。

 秘密を守っている。

 誰かを守っている。

 あるいは、何かがまだ終わっていない。

 

 ペルシアは、その先を聞かなかった。

 

 聞けば壊れる。

 今は、まだ。

 

「分かった」

 

 ペルシアは静かに言った。

 

「今日はここまでにする」

 

 クリスタルが意外そうに見る。

 

「帰るの?」

 

「ええ。話さないって決めてる人に、今これ以上聞いても無理でしょ」

 

「……珍しく物分かりがいいのね」

 

「いつもいいわよ」

 

「どこが」

 

「細かい」

 

 ペルシアは立ち上がり、紙袋を机に残した。

 

「クッキー、置いていくわ。ちゃんと食べて」

 

「また自分で半分食べたじゃない」

 

「半分は残ってる」

 

「お土産としてどうなの」

 

「気持ちよ、気持ち」

 

 スリッピーが少し笑った。

 

「僕、あとで食べる」

 

「うん。食べて」

 

 ペルシアは端末を手に取り、出口へ向かった。

 扉の前で立ち止まる。

 

「スリッピー」

 

「何?」

 

「聞いてくれてありがと」

 

 スリッピーは目を丸くした。

 

「僕、聞いただけだよ」

 

「聞くだけって、結構大事なのよ」

 

 ペルシアは次に、クリスタルを見た。

 

「クリスタルも」

 

「私は何もしてないわ」

 

「雑誌を読みながらでも、聞いてたでしょ」

 

「……勝手に喋ってただけよ」

 

「うん。それでも、ありがと」

 

 クリスタルは目を逸らした。

 

「変な人」

 

「よく言われる」

 

 ペルシアは笑った。

 

「じゃあ、また来るわ」

 

「来なくていい」

 

「連絡はする」

 

「断るかもしれない」

 

「その時は引く。でも、また聞く」

 

「本当にしつこい」

 

「私、しつこいの」

 

 いつものやり取り。

 けれど、少しだけ違っていた。

 

 ペルシアは倉庫を出た。

 

 外の通路は、いつも通り冷たかった。

 だが、胸の奥には、確かな手応えが残っていた。

 

 彼らはまだ話さない。

 宇宙警察とのことも、管理局とのことも、過去に何があったのかも。

 それでも、スリッピーは「話したら壊れる」と言った。

 クリスタルは止めた。

 ナウスは沈黙した。

 

 何かがある。

 

 そして、それは今も彼らの中で生きている。

 

 ペルシアは端末を開き、候補リストに追記した。

 

『接触継続。スリッピー、会話に応じる。クリスタル、警戒継続も銃なし。土産受領。ドルトムント退職経緯を共有。宇宙警察との関係については回答拒否。「話したら壊れる」とスリッピー発言。深入り注意。諦めない』

 

 入力して、端末を閉じる。

 

「……少しずつね」

 

 ペルシアは夜の通路を歩き出した。

 

 信用は、一気には生まれない。

 無理に聞けば壊れる。

 近づきすぎれば逃げられる。

 離れすぎれば、忘れられる。

 

 だから、ちょうどいい距離で通うしかない。

 

 ドーナツを持って。

 クッキーを持って。

 ときには自分で食べながら。

 

 拒まれても、線を越えずに。

 疑われても、怒られても。

 何度でも。

 

 ペルシアは、小さく笑った。

 

「次は……甘くないものにしようかしら」

 

 そしてすぐに首を振る。

 

「いや、甘いものの方がスリッピーは喜ぶわね」

 

 そんなことを考えながら、彼女は管理局への帰路についた。

 

 守るための道は、今日も遠い。

 

 でも、確かに一歩は進んでいた。

 

 

 

ーーーー

 

 

 

 ペルシアが次にスターフォクスの倉庫に現れたのは、それからしばらく日にちが経ってからだった。

 

 数日、ペルシアから連絡はなかった。

 

 最初の一日は、フォクスも特に気にしなかった。

 あれだけしつこく顔を出していたとはいえ、相手は宇宙管理局の統括官だ。仕事がないわけではない。むしろ、あれだけ頻繁に来ていたことの方がおかしかった。

 

 二日目、スリッピーがぽつりと言った。

 

「ペルシア、今日は来ないね」

 

 ファルコは工具を磨きながら鼻を鳴らした。

 

「ようやく飽きたんじゃねぇの?」

 

「そうかなぁ」

 

「普通はあれだけ断られりゃ来ねぇよ」

 

「でもペルシアだよ?」

 

 スリッピーが真面目に言うと、ファルコは少し黙った。

 

「……まあ、あいつなら来そうだけどな」

 

 クリスタルは雑誌を閉じもせずに言った。

 

「来ないなら来ないで静かでいいわ」

 

 その声は冷静だった。

 ただ、ページをめくる指が、いつもより少しだけ遅かった。

 

 ナウスが淡々と告げる。

 

『ペルシアからの通信は本日ありません』

 

「聞いてないわ」

 

『補足情報です』

 

「いらない」

 

『了解しました』

 

 フォクスは何も言わなかった。

 ただ、壁のモニターに映る外周カメラの映像を一度だけ見た。

 

 何も映っていない。

 古びた通路と、薄暗い照明だけ。

 

 三日目も来なかった。

 四日目も来なかった。

 

 スリッピーは少し気にしていた。

 ファルコは「今度こそ諦めたか」と言いながら、いつもより外の物音に反応していた。

 クリスタルは表面上変わらなかったが、机の上に置かれた空の菓子箱を片付ける時、ほんの少しだけ手を止めた。

 

 フォクスは、やはり何も言わなかった。

 

 けれど、ナウスだけは記録していた。

 

『ペルシアの訪問頻度、直近で低下。理由不明』

 

 誰に聞かせるわけでもない記録だった。

 

 そして、五日目の夕方。

 

『外部通信。ペルシアより入電』

 

 ナウスの声が司令室に響いた。

 

 スリッピーがぱっと顔を上げる。

 

「来た!」

 

 ファルコが口元を歪める。

 

「ほらな。やっぱ来た」

 

「飽きたって言ってたじゃない」

 

 クリスタルが静かに突っ込む。

 

「うるせぇな。予想は変わるもんだ」

 

 フォクスは腕を組んだまま、短く言った。

 

「繋げ」

 

『通信接続』

 

 モニターにペルシアの顔が映る。

 少し疲れていた。

 目元にうっすら影があり、髪もいつもよりわずかに乱れている。けれど、表情だけは相変わらずだった。

 

『お疲れ〜。今日、顔出していい?』

 

 フォクスは目を細めた。

 

「何の用だ」

 

『会いに行くのに理由いる?』

 

「いる」

 

『じゃあ、理由はあるわ。文句もある。あと、お土産もある』

 

 ファルコが笑う。

 

「お土産が本体だろ」

 

『失礼ね。今回はちゃんとあなた達用よ』

 

「前もそう言って自分で食ってたじゃねぇか」

 

『味見よ』

 

「便利な言葉だな」

 

 フォクスは短く息を吐いた。

 

「ナウス、許可は?」

 

『条件付き入室を提案します』

 

「条件はいつものだな」

 

『はい』

 

 フォクスは少しだけ間を置いた。

 そして言った。

 

「入れ」

 

『やった。すぐ行くわ』

 

 通信が切れる。

 

 スリッピーは少し嬉しそうに工具を片付け始めた。

 

「何持ってくるかな」

 

「お前、完全に餌付けされてるぞ」

 

 ファルコが呆れたように言うと、スリッピーは真顔で返した。

 

「餌付けじゃないよ。交流だよ」

 

「物は言いようだな」

 

 クリスタルは静かに立ち上がった。

 

「私はまだ信用してないわ」

 

「誰も信用しろとは言ってない」

 

 フォクスが言う。

 

「だが、来るなら見る」

 

 クリスタルは小さく頷いた。

 

 それからしばらくして、倉庫の扉が開いた。

 

「お邪魔しまーす」

 

 いつもの声。

 

 ペルシアは片手に紙袋を提げて入ってきた。今日は甘い香りではない。紙袋の中からは、香ばしい匂いと、少しだけスパイスの効いた匂いが漂っていた。

 

 スリッピーが目を輝かせる。

 

「今日は何?」

 

「揚げパンと、しょっぱいチーズパイ。甘いものばっかりだと、クリスタルに怒られそうだから」

 

「別に怒ってないわ」

 

 クリスタルが言う。

 

「そう? 前、チョコ持ってきた時、顔が“また甘いもの?”って言ってたわよ」

 

「顔で勝手に読まないで」

 

「私、そういうの得意なの」

 

 ペルシアは紙袋を机に置く。

 そして当然のように一つ取り出し、自分で食べた。

 

 ファルコが即座に突っ込む。

 

「だから何で自分で食うんだよ」

 

「味見」

 

「もう恒例だな」

 

「安心して。ちゃんと人数分あるから」

 

「お前の分も含めてか?」

 

「もちろん」

 

 スリッピーは笑いながらチーズパイを一つ手に取った。

 

「いただきます!」

 

 クリスタルはまだ手を出さない。

 フォクスも机のそばに立ったまま、ペルシアを見ていた。

 

「しばらく来なかったな」

 

 フォクスが静かに言う。

 

 ファルコがにやりと笑った。

 

「てっきり諦めたのかと思ったぜ」

 

 クリスタルも雑誌を閉じ、ペルシアを見る。

 

「そうね。少しは静かだったわ」

 

 ペルシアは揚げパンをかじりながら、目を丸くした。

 

「諦める訳ないでしょ」

 

 即答だった。

 

 あまりに当然のように言ったせいで、スリッピーが笑いそうになる。

 

 ペルシアは紙ナプキンで指先を拭き、椅子にどかっと座った。

 

「ちょっと忙しかったのよ」

 

「管理局の仕事か」

 

 フォクスが問う。

 

「そう。統括官として、緊急時の捜索、救出、事故対応のシミュレーションをやってたの」

 

「へぇ」

 

 ファルコが興味深そうに眉を上げる。

 

「管理局の訓練ってやつか」

 

「訓練って言うには、あまりにも……」

 

 ペルシアはそこで言葉を切り、深く息を吸った。

 そして、机を軽く叩いた。

 

「全然ダメ!」

 

 司令室に声が響く。

 

 スリッピーがびくっと肩を跳ねさせた。

 

「え、そんなに?」

 

「そんなに!」

 

 ペルシアは怒りを隠さず、両手を広げた。

 

「宇宙管理局の職員って、名前だけは立派なのよ。救出班、捜索班、事故対応班、後方支援班、記録班。肩書きだけはもう完璧。でも、いざシミュレーションをやると、動きは遅いし、要領は悪いし、連携は詰まるし、判断は上に確認しようとするし!」

 

 言葉が止まらない。

 

「緊急時って言ってるのに、まず“確認します”って何よ! 確認してる間に人が死ぬでしょうが! 現場の状況が変わってるのに、最初に立てた手順にしがみつくし! 救出班は救出班だけで動こうとするし、後方支援は物資リスト見ながら固まってるし、通信班は報告を綺麗にまとめようとして遅れるし!」

 

 ファルコが口笛を吹いた。

 

「相当荒れてんな」

 

「荒れるわよ!」

 

 ペルシアはコーヒーを淹れに行こうとして、途中で振り返る。

 

「ナウス、コーヒーもらっていい?」

 

『許可します』

 

「ありがとう」

 

『ペルシアの感情高ぶりを確認。カフェイン摂取は推奨値内に留めてください』

 

「今それ言う?」

 

『健康管理は重要です』

 

「あなた、本当にフレイと気が合うわ」

 

 ペルシアはコーヒーを淹れ、戻ってくるとまた椅子に座った。

 

「それで、腹が立って何回もやり直しさせてたら、時間が空いちゃったのよ」

 

 クリスタルは目を細める。

 

「何回も?」

 

「ええ」

 

「どのくらい?」

 

「初日は五回」

 

 スリッピーが目を丸くする。

 

「五回!?」

 

「二日目は八回」

 

 ファルコが笑い出した。

 

「鬼かよ!」

 

「鬼じゃないわ。統括官よ」

 

「似たようなもんじゃねぇか」

 

 クリスタルが呆れたように言う。

 

「職員たち、嫌がったでしょうね」

 

「嫌がってたわよ。顔に出てたもの」

 

「それでもやらせたの?」

 

「当然」

 

 ペルシアは真顔だった。

 

「本番で失敗したら、嫌だったじゃ済まない。シミュレーションで恥をかく方がずっとマシ」

 

 その言葉に、フォクスの目がわずかに変わった。

 

 ペルシアは続ける。

 

「最初の想定は、未探索航路付近での民間船通信途絶。救難信号は途切れ途切れ。周辺に小規模デブリ帯。しかも乗員に負傷者の可能性あり」

 

 スリッピーがすぐ反応した。

 

「その場合、まず通信復旧と位置特定だね。救出艇をすぐ出すにしても、デブリ帯の動きが読めないと危ない」

 

「そう!」

 

 ペルシアが指を鳴らす。

 

「スリッピー、今のを管理局の連中に言ってやってほしいわ。あの人達、救出艇を出す準備だけ先に始めたのよ。位置も確定してないのに」

 

「うわぁ……それは危ないね」

 

「でしょ?」

 

 ファルコが腕を組む。

 

「焦ったんだろ。救出って言葉に飛びついたんだ」

 

「そう。気持ちは分かる。でも焦って二次遭難起こしたら意味ない」

 

 ペルシアはコーヒーを一口飲む。

 

「二回目の想定は、旅客船内で火災警報。しかも誤報か本物か不明。船長からの報告は混乱気味。乗客のパニックも発生」

 

 クリスタルが口を開いた。

 

「乗客の制御と情報整理を並行する必要があるわね。火災の規模が不明なら、過剰に動きすぎても混乱を広げる」

 

「その通り!」

 

 ペルシアがクリスタルを指差す。

 

「なのに管理局のシミュレーション班は、まず火災対応マニュアルの該当ページを確認し始めたの!」

 

 ファルコが吹き出す。

 

「マニュアル開いてる間に燃えるな」

 

「そうなのよ!」

 

 ペルシアは勢いよく頷いた。

 

「マニュアルは大事。でも、目の前で状況が変わってる時に、文字を追うだけじゃ遅い。現場から上がる声、通信の乱れ、背景音、乗客の悲鳴の数、警報音の種類――拾えるものはいくらでもあるのに」

 

 そこで、ペルシアは少しだけ声を落とした。

 

「なのに、拾わない。聞こえてるのに、聞いてない」

 

 その言葉に、部屋の空気が少しだけ静かになる。

 

 フォクスはペルシアを見つめた。

 

「それで、やり直しさせたのか」

 

「ええ」

 

「何度も」

 

「何度も」

 

「嫌われるぞ」

 

「もう嫌われてるかもね」

 

 ペルシアは肩をすくめた。

 

「でもいいの。好かれるために統括官やってるわけじゃない」

 

 ファルコが少しだけ口元を上げた。

 

「言うじゃねぇか」

 

「本音よ」

 

 スリッピーがチーズパイを食べながら言う。

 

「でも、ペルシアが怒るの分かる気がする。緊急時って、最初の数分が大事だもんね」

 

「そう。最初の数分で、助かる命が決まることがある」

 

 ペルシアは机に肘をついた。

 

「それなのに、“上に確認します”“担当部署に照会します”“手順書を確認します”。もう、何回机を叩こうかと思ったか」

 

「叩いたの?」

 

 クリスタルが聞く。

 

「叩いた」

 

「叩いたのね」

 

「三回くらい」

 

『正確には、シミュレーション室の机を六回叩いた記録があります』

 

 ナウスが突然言った。

 

 ペルシアは目を見開く。

 

「何で知ってるの!?」

 

『管理局内公開訓練ログの一部に音声情報が含まれていました』

 

「怖っ! というかナウス、見てたの?」

 

『ペルシア関連情報として監視しています』

 

「さらっと怖いこと言わないで」

 

 スリッピーが楽しそうに笑う。

 

「ナウス、ペルシアに興味あるんだね」

 

『興味ではなく観測です』

 

「それ、ナウス語で興味って意味だよ」

 

『否定します』

 

 クリスタルは小さくため息をついた。

 

「それで、管理局の職員は少しは良くなったの?」

 

「最初よりは」

 

 ペルシアは少しだけ口元を緩めた。

 

「最後のシミュレーションでは、通信班が先に不明点を整理して、救出班に必要な情報だけ渡せるようになった。後方支援も、最初から全部用意しようとせず、優先度順に分けた。現場指揮も、確認の前に仮判断を出すようになった」

 

「なら成果はあったんじゃない」

 

 クリスタルが言う。

 

「まだまだよ」

 

 ペルシアは即座に返す。

 

「遅い。全体的に遅い。動き出すまでに考えすぎる。あと、自分の担当範囲から出るのを怖がりすぎる」

 

「組織の人間らしいな」

 

 フォクスが静かに言った。

 

 その言葉には、皮肉があった。

 ペルシアはそれを聞き取った。

 

「そうね。だから腹が立つ」

 

「お前も組織の人間だ」

 

「そうよ」

 

 ペルシアはフォクスをまっすぐ見た。

 

「だから、中から変えようとしてる」

 

 フォクスは何も言わない。

 

 ペルシアは続ける。

 

「でも、正直に言うと、管理局の中だけじゃ限界がある。規則の中で育った人間は、規則から外れる判断を怖がる。緊急時には、その一瞬の怖がりが命取りになる」

 

 ファルコが目を細める。

 

「だから俺たちが欲しいってか」

 

「ええ」

 

 ペルシアは迷わず答えた。

 

「あなた達なら、状況を見て動ける。上に確認する前に、現場で必要な判断ができる。疑える。逃げ道を作れる。危ない匂いに気づける」

 

「買い被りすぎだ」

 

 フォクスが低く言う。

 

「そうかもね。でも、管理局の訓練を見て、余計に思ったわ」

 

 ペルシアは少し疲れたように笑った。

 

「あなた達が必要だって」

 

 沈黙。

 

 今度の沈黙は、いつもの拒絶だけではなかった。

 

 スリッピーは少し困った顔をした。

 クリスタルは雑誌を閉じたまま、何も言わない。

 ファルコは腕を組み、口元の笑みを消している。

 フォクスは静かにペルシアを見ていた。

 

 やがて、フォクスが言う。

 

「答えは変わらない」

 

「知ってる」

 

「俺たちは管理局に入らない」

 

「聞いた」

 

「信用もしない」

 

「それも聞いた」

 

「なら、なぜ言う」

 

「私の答えも変わらないから」

 

 ペルシアは静かに言った。

 

「私はあなた達を諦めない」

 

 ファルコが小さく笑う。

 

「マジでしつけぇな」

 

「褒め言葉として受け取る」

 

「褒めてねぇ」

 

「知ってる」

 

 スリッピーが恐る恐る聞く。

 

「ペルシア、管理局のシミュレーションって、またやるの?」

 

「やるわよ。むしろ本格的にやる」

 

「見てみたいなぁ」

 

 その瞬間、クリスタルがスリッピーを見る。

 

「スリッピー」

 

「いや、参加するって意味じゃなくて! 技術的に気になるだけで!」

 

 ペルシアはにやりと笑った。

 

「見学なら歓迎するわよ」

 

 フォクスが即座に言う。

 

「行かない」

 

「まだ何も言ってないじゃない」

 

「言う前に断る」

 

「早いわね」

 

「お前はすぐに勧誘へ繋げる」

 

「よく分かってきたじゃない」

 

「分かりたくなかった」

 

 ファルコが笑った。

 

「でもよ、フォクス。見るだけなら面白そうじゃねぇか? 管理局の連中がペルシアに怒鳴られてるとこ」

 

「怒鳴ってないわよ」

 

 ペルシアが言う。

 

『机を六回叩いています』

 

「ナウス、黙って」

 

『了解しました』

 

 クリスタルが少しだけ口元を緩めた。

 それはほんの一瞬だったが、ペルシアは見逃さなかった。

 

「次は怒鳴らないようにするわ」

 

「無理じゃないか?」

 

 ファルコが言う。

 

「努力する」

 

「努力って言ってる時点で無理だろ」

 

 スリッピーが笑う。

 

 空気が、少しだけ軽くなった。

 

 ペルシアはその空気を壊さないよう、コーヒーを飲んだ。

 そして、机の上に残った揚げパンを一つ取る。

 

「それ、何個目だ」

 

 フォクスが静かに言う。

 

「味見」

 

「もう味は分かっただろ」

 

「時間が経つと味が変わるかもしれない」

 

「屁理屈だな」

 

「交渉術よ」

 

「絶対違う」

 

 ファルコが笑う。

 

 スリッピーはチーズパイを食べ、クリスタルは結局、揚げパンを一つ手に取った。

 ペルシアは何も言わない。

 言えば、きっとクリスタルは置いてしまうから。

 

 ナウスだけが静かに記録した。

 

『クリスタル、ペルシア持参の食品を摂取』

 

「ナウス」

 

 クリスタルが低く言う。

 

『訂正します。記録は内部処理に留めます』

 

「最初からそうして」

 

 ペルシアは笑いを堪えた。

 

 フォクスはそれを見て、わずかに息を吐く。

 

「……ペルシア」

 

「何?」

 

「お前の管理局でのシミュレーション。次はいつだ」

 

 ペルシアの手が止まる。

 

 スリッピーも顔を上げた。

 ファルコも笑みを消した。

 クリスタルも、揚げパンを持ったままフォクスを見る。

 

 ペルシアは、すぐに飛びつきたい衝動を抑えた。

 ここで勢いよく食いつけば、フォクスは引く。

 

 だから、いつもより少しだけ落ち着いた声で言った。

 

「三日後。未探索航路での多重事故対応シナリオ」

 

「多重事故?」

 

「救難信号二件。片方は民間貨物船、片方は小型旅客艇。周辺に通信障害あり。加えて、どちらを優先するか判断が必要になる」

 

 ファルコが口元を上げる。

 

「嫌な想定だな」

 

「だからやるのよ」

 

 フォクスはしばらく黙った。

 

 そして、静かに言った。

 

「資料だけ送れ」

 

 ペルシアは瞬きをした。

 

「え?」

 

「見るとは言ってない。参加するとも言ってない。資料だけだ」

 

 ペルシアは口元が緩みそうになるのを必死に抑えた。

 

「分かった。資料だけ送る」

 

「勘違いするな」

 

「しないわよ」

 

「俺たちは管理局には入らない」

 

「分かってる」

 

「信用もしない」

 

「分かってる」

 

「資料を見るだけだ」

 

「ええ」

 

 ペルシアは、今度こそ少しだけ笑った。

 

「ありがとう」

 

 フォクスは視線を逸らした。

 

「礼を言うことじゃない」

 

「私にとっては、礼を言うことなの」

 

 司令室に、静かな時間が流れる。

 

 断られ続けている。

 信用されていない。

 まだ距離は遠い。

 

 けれど、資料だけとはいえ、フォクスが自分から求めた。

 

 小さな一歩。

 でも、確かな一歩。

 

 ペルシアは心の中で、候補リストに書き加える言葉を考えていた。

 

『フォクス、管理局シミュレーション資料の確認を希望。接触継続。前進あり。諦めない』

 

 今日は、それで十分だった。

 

 ペルシアは残りの揚げパンを一口食べ、満足そうに言った。

 

「やっぱり来てよかった」

 

 ファルコが呆れたように笑う。

 

「食い物目当てじゃねぇだろうな」

 

「半分ね」

 

「半分かよ」

 

「残り半分は、あなた達」

 

 ペルシアがそう言うと、スリッピーは少し照れたように笑い、クリスタルは目を逸らし、ファルコは肩をすくめた。

 

 フォクスだけは、何も言わなかった。

 

 だが、机の上の資料端末を見つめるその目は、ほんの少しだけ、前よりもこちら側を向いていた。

 

 

 

ーーーー

 

 

 

 ペルシアから資料が送られてきたのは、フォクスが「資料だけ送れ」と言った翌日の夜だった。

 

 送られてきたファイルは、思っていたよりもずっと分厚かった。

 

 表紙には、宇宙管理局の正式な様式でこう書かれていた。

 

 ――統括官主導・緊急時多重事故対応シミュレーション

 ――想定:未探索航路付近における同時救難事案

 ――作成者:統括官 ペルシア

 

 フォクスは端末に表示されたそれを無言で見つめていた。

 ファルコは横から覗き込み、すぐに口笛を吹く。

 

「うへぇ、硬そうな資料だな」

 

「行政資料だからな」

 

 フォクスが短く答える。

 

 スリッピーは別の端末で資料を開き、目を輝かせた。

 

「でも、シナリオ自体は面白いよ。救難信号が二件。貨物船と小型旅客艇。通信障害あり。周辺に小型デブリ帯。しかも救出可能時間が違う……これ、優先順位の判断がかなり難しいね」

 

 クリスタルは腕を組んで、後ろから画面を見ていた。

 

「嫌な想定ね」

 

「嫌だから意味がある」

 

 フォクスが言う。

 

 クリスタルはちらりとフォクスを見た。

 

「見るの?」

 

「資料だけだ」

 

「それ、もう見るって言ってるのと同じじゃない」

 

「確認するだけだ」

 

 ファルコがにやりと笑う。

 

「言い方が管理局っぽくなってきたな、フォクス」

 

「黙れ」

 

 ナウスの機械音声が静かに挟まる。

 

『資料内に複数の判断分岐があります。訓練設計としては実用性が高いと判断します』

 

「ナウスまで褒めるのかよ」

 

 ファルコが肩をすくめる。

 

『褒めてはいません。評価です』

 

「それ、だいたい褒めてるって言うんだよ」

 

 スリッピーが笑いながら、資料を読み進める。

 

「でもさ、これ、管理局の人たちがちゃんと動けたらすごいと思うよ。救出班と通信班と後方支援班が同時に判断しないといけないし、どっちを優先するかで揉めるよね」

 

「揉めるだろうな」

 

 フォクスは静かに言った。

 

「むしろ揉めなければ、訓練にならない」

 

 クリスタルは資料から目を離さずに呟く。

 

「ペルシア、これを一人で作ったのかしら」

 

『資料作成履歴上、主編集者はペルシアです。補助者としてフレイの名前が一部記録されています』

 

「フレイって、前にペルシアが言ってた真面目な人か」

 

 スリッピーが言う。

 

「ナウスと気が合いそうって言われてた人だよね」

 

『興味があります』

 

「本気で会いたがってるじゃん」

 

 ファルコが呆れたように笑う。

 

 フォクスは資料を最後まで読み終えると、端末を閉じた。

 

 そして、しばらく黙った。

 

 ペルシアは本気だ。

 それは分かっていた。何度も倉庫に顔を出し、断られても、警戒されても、ドーナツやクッキーを持ってきて、時には自分で食べながら居座る。ふざけているようで、彼女の目的は一度もぶれていない。

 

 守るためのチームを作る。

 

 そのために、スターフォクスが必要だと言い続けている。

 

 フォクスはその言葉を信用していない。

 宇宙管理局も信用していない。

 ペルシア個人についても、まだ判断を保留している。

 

 だが、資料には嘘がなかった。

 

 少なくとも、訓練想定は現場を見ている者の作りだった。机上の綺麗な想定ではない。嫌な揺らぎがある。現場で起きる迷いがある。失敗させるための罠ではなく、失敗から引きずり上げるための厳しさがある。

 

 ファルコが横目でフォクスを見る。

 

「で、どう思う?」

 

「悪くない」

 

「素直じゃねぇな。相当いいって顔してるぞ」

 

「黙れ」

 

 クリスタルは少しだけ目を細めた。

 

「でも、これを管理局の職員がこなせるの?」

 

 フォクスは答えなかった。

 

 スリッピーが困ったように笑う。

 

「……大変そうだね」

 

 ナウスが静かに言った。

 

『ペルシアの性格上、想定通りに進まなかった場合、長時間の再訓練を行う可能性が高いです』

 

 ファルコが吹き出した。

 

「あり得るな」

 

 クリスタルは小さくため息をつく。

 

「また机を叩くんじゃないの」

 

『前回の記録では六回です』

 

「増えそうね」

 

 その時は、誰もそれ以上深く考えなかった。

 

 まさか翌日、本当にその予測を超える形でペルシアが現れるとは、誰も思っていなかった。

 

 

 シミュレーションの翌日。

 

 司令室に、ナウスの声が響いた。

 

『外部着信。ペルシアより入電』

 

 スリッピーが機材から顔を上げた。

 

「ペルシア?」

 

 ファルコは椅子に座ったまま足を組み、面白そうに笑った。

 

「結果報告ってやつか?」

 

 クリスタルは雑誌を閉じた。

 

「……嫌な予感がするわ」

 

 フォクスが短く言う。

 

「繋げ」

 

『接続します』

 

 モニターにペルシアの顔が映った。

 

 瞬間、全員が言葉を失った。

 

 ペルシアの目元には、はっきりと分かるクマができていた。髪もいつものように整っておらず、顔色も悪い。口元はいつものように強気に引き結ばれているが、疲労が隠しきれていない。

 

 それでも目だけは、妙にギラギラしていた。

 

『……お疲れ』

 

 声も少し低い。

 

 スリッピーが心配そうに身を乗り出した。

 

「ペルシア、大丈夫?」

 

『大丈夫じゃないわよ!』

 

 いきなり怒鳴った。

 

 スリッピーがびくっと肩を跳ねさせる。

 

 ファルコが「あー」と天井を見た。

 

「やっぱ荒れてるな」

 

 ペルシアは画面の向こうで、机を叩いたようだった。音が少し遅れて響く。

 

『全然なってない! もう本当に全然ダメ! 何よあれ! シミュレーションを何だと思ってるのよ!』

 

 フォクスは黙って聞いている。

 クリスタルは眉をひそめた。

 

「落ち着きなさい。まず何があったの」

 

『落ち着いてるわよ!』

 

「落ち着いている人の声じゃないわ」

 

『声が大きいだけ!』

 

「それを落ち着いていないと言うのよ」

 

 ペルシアは画面の向こうで深く息を吸った。

 しかし、すぐにまた怒りが戻る。

 

『シミュレーションそのもの以前の問題だったのよ』

 

「以前?」

 

 スリッピーが首を傾げる。

 

『始まる前の声が、もうやる気なかったの!』

 

 ファルコがぽかんとする。

 

「声?」

 

『そう、声! 職員たちの声! 返事! 説明を聞く時の呼吸! 端末を操作する手の音! 全部が“また訓練か”って言ってた!』

 

 クリスタルが少しだけ目を細める。

 

「……貴方、そこまで聞き分けるの?」

 

『聞こえるのよ!』

 

 ペルシアは苛立ちを隠さず言う。

 

『やる気がない人間の返事って分かるでしょ。声が前に出てない。息が浅い。語尾が沈む。目の前のことを“自分の仕事”として受け取ってない音がする』

 

 フォクスの目がわずかに変わった。

 

 ペルシアは続ける。

 

『だから、始める前に止めた』

 

「止めた?」

 

 ファルコが笑いを堪えながら言う。

 

『止めたわよ。始まる前から負けてる訓練なんてやる意味ないもの』

 

「それで?」

 

『小一時間、説教した』

 

 沈黙。

 

 ファルコがとうとう笑い出した。

 

「ははははっ! 始まる前に小一時間説教かよ!」

 

『笑いごとじゃないわよ!』

 

「いや、笑うだろそれは!」

 

 スリッピーが困ったように笑う。

 

「で、でも、やる気がなかったなら、そのまま始めても駄目だったかもね」

 

『そうなのよ、スリッピーは分かってる!』

 

 ペルシアは画面越しにスリッピーを指差した。

 

『緊急時に“やらされてる”人間は動けない。自分の判断じゃなくて、誰かの命令を待つ。命令を待つ人間が増えると、現場は止まるのよ』

 

 クリスタルは静かに言う。

 

「それで、シミュレーションは?」

 

 ペルシアの顔が、さらに険しくなった。

 

『全然ダメ』

 

「また?」

 

『また! 最初の救難信号の段階で、通信班が情報整理に時間かけすぎ。救出班は出動準備に入ったけど、貨物船と旅客艇の優先順位を決められない。後方支援は必要物資を全部用意しようとして動きが重い。現場指揮は“統括官の判断を仰ぎます”って言うし!』

 

「統括官って、貴方でしょ」

 

『そうよ! でも訓練なのよ! 私の判断を待つだけなら、私一人でいいじゃない!』

 

 ペルシアは心底腹を立てていた。

 

『私が欲しいのは、私が全部指示しなくても動けるチームなの。私が右って言ったから右へ行く人間じゃない。状況を見て、右が危ないと思ったら“左の方がいい”って言える人間が必要なの!』

 

 フォクスは、その言葉を黙って聞いていた。

 

 ファルコも笑うのをやめた。

 スリッピーは真剣な顔になり、クリスタルは画面の中のペルシアをじっと見ている。

 

『なのに、何にも出来てないから、夜中までやってやったわ』

 

 ペルシアが言い切る。

 

 スリッピーが目を丸くする。

 

「夜中まで?」

 

『ええ』

 

「それで、その顔なの?」

 

 クリスタルが静かに言う。

 

『まぁね』

 

「寝てないの?」

 

『まぁね』

 

 ペルシアはあっさり認めた。

 

 クリスタルの眉が寄る。

 

「倒れるわよ」

 

『大丈夫』

 

「大丈夫な顔じゃない」

 

『顔で判断しないで』

 

「貴方は人の声で判断するくせに」

 

 ペルシアが一瞬だけ黙る。

 

 ファルコが小さく笑った。

 

「一本取られたな」

 

『……今のはちょっと上手かったわね』

 

 ペルシアは悔しそうに言った。

 

 クリスタルはため息をつく。

 

「本当に寝なさい。統括官が倒れたら、誰がその訓練を続けるの」

 

『倒れないわよ。私、意外と丈夫なの』

 

「意外じゃなくて、無茶してるだけでしょ」

 

『うるさいわねぇ』

 

 ペルシアは画面の向こうで何かを持ち上げた。

 

 パンパンに膨れた袋だった。

 

 次の瞬間、画面が少し揺れ、通信が切れた。

 

「……切れた?」

 

 スリッピーが言う。

 

 ナウスがすぐに告げる。

 

『外部接近。ペルシア、倉庫へ向かっています』

 

 ファルコが笑った。

 

「来るのかよ!」

 

 クリスタルは額を押さえた。

 

「寝なさいって言ったばかりなのに」

 

 フォクスは短く言った。

 

「ナウス、入室条件」

 

『通常条件に加え、健康状態監視を推奨します』

 

「入れろ」

 

『了解』

 

 

 数分後。

 

 倉庫の扉が開いた。

 

「お邪魔するわよ!」

 

 ペルシアは、いつもより明らかに勢いよく入ってきた。

 

 片手には、画面越しに見えたパンパンの袋。

 もう片方には、別の紙袋。

 顔には疲労。目元にはクマ。だが、足取りだけは妙に力強い。

 

 スリッピーが立ち上がる。

 

「ペルシア、本当に大丈夫?」

 

「大丈夫よ」

 

「大丈夫じゃなさそう」

 

「大丈夫って言ったら大丈夫」

 

 クリスタルが近づき、ペルシアの顔を覗き込む。

 

「目の下、ひどいわ」

 

「余計なお世話」

 

「寝てないのにここへ来る方が悪い」

 

「飲まなきゃやってられないのよ」

 

「飲む?」

 

 クリスタルの目が鋭くなる。

 

 ペルシアはパンパンの袋を机の上に置いた。

 中から取り出したのは、ビールの缶だった。

 一本、二本、三本。

 さらに酒瓶。つまみ。缶詰。ナッツ。チーズ。乾き物。

 

 ファルコが口を開ける。

 

「おいおい、酒盛りかよ」

 

「お土産よ」

 

 ペルシアは堂々と言った。

 

「お土産って言いながら、また自分で飲むんでしょ」

 

 クリスタルが冷たく言う。

 

「もちろん」

 

「当然のように言わないで」

 

 ペルシアは缶ビールを一本開けた。

 プシュッという音が司令室に響く。

 

 そして、勢いよく飲み始めた。

 

 ごく、ごく、ごく。

 

 喉を鳴らして、半分近くまで一気に飲む。

 

「ぷはぁー!」

 

 ペルシアは缶を机に置いた。

 

「生き返る」

 

 クリスタルは呆然としていた。

 

「……本当に飲んだ」

 

「飲まなきゃやってられないって言ったでしょ」

 

「寝てないんでしょ?」

 

「寝てない」

 

「なのに飲むの?」

 

「だから飲むの」

 

「意味が分からないわ」

 

 ファルコが笑いながら、机の上の缶を手に取る。

 

「俺ももらっていいか?」

 

「いいわよ。お土産だもの」

 

「ファルコ」

 

 フォクスが低く呼ぶ。

 

「一缶だけだって」

 

「お前も明日、動く予定がある」

 

「分かってるって」

 

 ファルコは缶を開けるが、ペルシアほどの勢いでは飲まない。

 スリッピーは酒ではなく、つまみのナッツに手を伸ばした。

 

「僕はこっちでいいや」

 

「賢いわね、スリッピー」

 

 クリスタルが言う。

 

「ペルシアも見習って」

 

「私は大人だからいいの」

 

「大人なら寝なさい」

 

「大人は寝る時間も削るのよ」

 

「それは駄目な大人よ」

 

 ペルシアは二口目を飲みながら、むっとする。

 

「クリスタル、今日はやけに刺すわね」

 

「刺してるんじゃなくて、心配してるの」

 

 言ってから、クリスタル自身が少しだけ固まった。

 

 ペルシアも、一瞬だけ目を丸くした。

 

 ファルコがにやりと笑う。

 

「お、心配だってよ」

 

「黙って、ファルコ」

 

 クリスタルが即座に睨む。

 

 ペルシアは缶を持ったまま、少しだけ笑った。

 

「……心配してくれるの?」

 

「倒れられたら迷惑なだけよ」

 

「はいはい、そういうことにしとく」

 

「そういうことよ」

 

 ペルシアはそれ以上からかわなかった。

 からかえば、クリスタルはまた距離を取る。

 そのくらいは分かる。

 

 フォクスは静かにペルシアを見ていた。

 

「シミュレーションの資料は見た」

 

 その一言で、ペルシアの目が少しだけ鋭くなる。

 

「そう。どうだった?」

 

「想定は悪くない」

 

「想定は、ね」

 

「管理局の職員がこなせていないなら、まだ練度が足りない」

 

「足りないなんてもんじゃないわよ」

 

 ペルシアはビールをもう一口飲んだ。

 

「そもそも声が死んでるの。始まる前から。やる気も覚悟もない。訓練を“仕事の一部”として処理してるだけ。違うのよ。あれは命の予行演習なの」

 

 スリッピーがナッツを食べる手を止めた。

 

「命の予行演習……」

 

「そう」

 

 ペルシアは真剣な声で言った。

 

「シミュレーションだから失敗できる。失敗できる場所で本気になれない人間が、本番で本気になれるわけない」

 

 ファルコが缶を片手に言う。

 

「それは正論だな」

 

「でしょ」

 

「でもよ、管理局の連中って、そういう訓練慣れしてねぇんじゃないか?」

 

「慣れてないからやるの」

 

「嫌われるぞ」

 

「もう言われた」

 

「何を?」

 

「統括官は厳しすぎるって」

 

 ペルシアは鼻で笑った。

 

「厳しすぎる? 笑わせないでほしいわ。宇宙はもっと厳しい。事故現場はもっと容赦ない。時間は待ってくれないし、通信は都合よく繋がらないし、助けを待ってる人は綺麗に順番を守ってくれない」

 

 フォクスの目が、わずかに揺れた。

 

 その言葉は、スターフォクスの現場感覚に近かった。

 彼らは知っている。

 宇宙は待たない。

 現場は綺麗に並ばない。

 助ける命に順番を付けなければならない瞬間がある。

 

 ペルシアは続けた。

 

「貨物船と旅客艇、どちらを優先するか。管理局の職員は迷った。迷うのはいい。でも、迷ったまま固まるのは駄目。迷っても判断する。判断したら責任を持つ。間違えたら、次に直す。その繰り返ししかないのよ」

 

 クリスタルは静かに聞いていた。

 

「それを夜中まで?」

 

「ええ」

 

「何回やり直したの?」

 

「……十回くらい?」

 

 スリッピーが目を見開く。

 

「十回!?」

 

 ナウスが補足する。

 

『訓練ログ上、全体通し訓練は九回。部分再訓練を含めると二十一回です』

 

 ファルコが腹を抱えて笑った。

 

「鬼だ! やっぱ鬼だ!」

 

「統括官よ!」

 

 ペルシアが言い返す。

 

 クリスタルは深くため息を吐いた。

 

「それで寝ずに、ここへ来て、酒を飲んでいるのね」

 

「そう」

 

「最悪ね」

 

「否定できない」

 

 ペルシアはビールを飲み干し、二本目に手を伸ばそうとした。

 

 その瞬間、クリスタルの手が伸びて、缶を押さえた。

 

「少し待ちなさい」

 

「えー」

 

「えーじゃない」

 

「まだ一本よ」

 

「寝てない人間の一本は重いの」

 

「大丈夫だって」

 

「大丈夫じゃない」

 

 クリスタルの声が少し強くなった。

 

「本当に倒れるわよ」

 

 ペルシアは缶に伸ばした手を止めた。

 

 クリスタルの目は、怒っているというより、本気で心配していた。

 それが分かったから、ペルシアは無理に手を伸ばせなかった。

 

「……じゃあ、少しだけ間を置く」

 

「少しじゃなくて、今日はもう飲まない方がいいわ」

 

「それは無理」

 

「なぜ」

 

「飲まなきゃやってられないから」

 

「だから、それが駄目だと言ってるの」

 

 ファルコが小声で言う。

 

「完全に面倒見られてんな」

 

「黙って」

 

 クリスタルが睨む。

 

 スリッピーは少し笑って、ペルシアに水のボトルを差し出した。

 

「とりあえず水飲んだら?」

 

「スリッピーまで……」

 

「水も大事だよ」

 

 ナウスが続く。

 

『推奨します。ペルシアの疲労状態を考慮すると、アルコール摂取前後の水分補給が必要です』

 

「ナウスまで」

 

『健康管理は重要です』

 

 ペルシアは観念して、水を受け取った。

 

「……分かったわよ」

 

 水を飲む。

 少しだけ頭が冷える。

 でも、胸の奥の苛立ちは消えない。

 

 フォクスが静かに口を開いた。

 

「ペルシア」

 

「何?」

 

「そのシミュレーション、次もやるのか」

 

「やるわよ。やらなきゃ意味ないもの」

 

「なら、資料を送れ」

 

 ペルシアの動きが止まった。

 

「……また?」

 

「まただ」

 

「見るだけ?」

 

「見るだけだ」

 

「参加は?」

 

「しない」

 

「見学は?」

 

「しない」

 

「助言は?」

 

「必要なら、資料に書く」

 

 ペルシアは、思わず笑いそうになった。

 疲れた顔のまま、口元だけが少し上がる。

 

「十分よ」

 

「勘違いするな」

 

「しない」

 

「俺たちは管理局に入らない」

 

「分かってる」

 

「信用もしない」

 

「分かってる」

 

「資料を見るだけだ」

 

「ええ」

 

 ペルシアは、今度は素直に言った。

 

「ありがとう」

 

 フォクスは目を逸らした。

 

「礼を言うな」

 

「言いたいのよ」

 

 ファルコが缶を持ち上げる。

 

「なあ、フォクス。これ、もう半分巻き込まれてねぇか?」

 

「黙れ」

 

 スリッピーが笑う。

 

「でも、資料見るだけでも役に立つかも。僕、通信障害の想定なら改善案出せるかもしれないし」

 

「スリッピー」

 

 クリスタルが呼ぶ。

 

「参加するって意味じゃないよ! 本当に資料見るだけ!」

 

 ペルシアは水を飲みながら、少しだけ満足そうに笑った。

 

「資料、送るわ」

 

「今日はもう帰って寝なさい」

 

 クリスタルが言う。

 

「えー」

 

「えーじゃない」

 

「もう少しだけ飲んでから」

 

「駄目」

 

「少しだけ」

 

「駄目」

 

「クリスタル、厳しい」

 

「貴方が無茶をするからよ」

 

 ペルシアは少しだけ黙った。

 

 そして、ふっと笑った。

 

「……なんか、エリンみたい」

 

「誰?」

 

「ドルトムントにいた頃の同僚。優しい顔で怒るのが上手いの」

 

「私は優しくないわ」

 

「そうね。もっと分かりやすく怖い」

 

「帰りなさい」

 

「はいはい」

 

 ペルシアは立ち上がろうとして、少しふらついた。

 

 クリスタルが即座に腕を掴む。

 

「ほら」

 

「……ちょっと立ちくらみ」

 

「寝てないからよ」

 

 フォクスが短く言う。

 

「ナウス、休憩室を開けろ」

 

『了解』

 

 ペルシアが目を丸くする。

 

「え、何?」

 

「少し寝てから帰れ」

 

 フォクスが言った。

 

 ペルシアは驚いた。

 フォクスがそんなことを言うと思っていなかったからだ。

 

「……いいの?」

 

「ここで倒れられる方が迷惑だ」

 

「またそれ」

 

「事実だ」

 

 ファルコがにやにやする。

 

「泊めてもらえるんだってよ、統括官」

 

「言い方」

 

 クリスタルが睨む。

 

 スリッピーは嬉しそうに言う。

 

「毛布あるよ。僕、持ってくる!」

 

「いや、そんな大げさにしなくても……」

 

「大げさじゃない」

 

 クリスタルがペルシアの腕を掴んだまま言う。

 

「一時間だけでも横になりなさい」

 

 ペルシアは反論しようとした。

 でも、身体が正直だった。

 目の奥が重い。

 足元が少し浮く。

 酒が回ったというより、疲労が一気に押し寄せてきた。

 

「……じゃあ、少しだけ」

 

「少しじゃなくて寝られるだけ寝なさい」

 

「それは困る。仕事あるし」

 

「寝てから仕事しなさい」

 

 ペルシアは小さく笑った。

 

「……本当にエリンみたい」

 

 クリスタルは答えなかった。

 ただ、ペルシアを支える手は離さなかった。

 

 フォクスは机の上の資料端末を見て、静かに言った。

 

「資料は送れ」

 

「分かった」

 

「起きてからでいい」

 

 ペルシアは驚いてフォクスを見る。

 

 フォクスは表情を変えない。

 

「寝不足の資料は信用できない」

 

「ひどい理由ね」

 

「事実だ」

 

 ペルシアは少しだけ笑い、素直に頷いた。

 

「……分かったわ」

 

 スリッピーが毛布を抱えて戻ってくる。

 

「休憩室、準備できたよ!」

 

 ファルコがビールを片手に笑う。

 

「おい統括官。次から酒持ってくるなら、寝てから飲めよ」

 

「それ、順番逆じゃない?」

 

「いや、正しいだろ」

 

 ペルシアはもう言い返す元気もなく、クリスタルに支えられて休憩室へ向かった。

 

 その背中を見送りながら、フォクスは静かに息を吐いた。

 

 宇宙管理局は信用しない。

 それは変わらない。

 

 だが、あの統括官は――

 

 少なくとも、現場を本気で変えようとしている。

 

 ファルコが横から言った。

 

「フォクス」

 

「何だ」

 

「資料、見るんだろ」

 

「ああ」

 

「助言もするんだろ」

 

「必要ならな」

 

「それ、もう半分協力してるぜ」

 

 フォクスは黙った。

 

 少ししてから、低く答えた。

 

「……資料を見るだけだ」

 

 ファルコは笑った。

 

「はいはい。そういうことにしといてやるよ」

 

 ナウスが静かに告げる。

 

『ペルシア、休憩室にて横臥。心拍やや高め。疲労状態。睡眠移行の可能性あり』

 

 スリッピーがほっとしたように息を吐く。

 

「寝られるといいね」

 

 クリスタルは休憩室の扉の前で少しだけ立ち止まり、中を見た。

 ペルシアは毛布をかけられ、すぐに目を閉じていた。口では強がっていたが、本当は限界だったのだろう。

 

 クリスタルは小さく呟いた。

 

「……馬鹿ね」

 

 その声は、とても小さかった。

 けれど、ナウスはきっと記録しただろう。

 

 ただし、誰にも報告しなかった。

 

 司令室には、ペルシアが持ってきたビールとつまみが残っている。

 そして、次のシミュレーション資料を待つ端末が、静かに光っていた。

 

 拒絶はまだ消えていない。

 信用もまだ遠い。

 それでも、何かが少しずつ動き始めていた。

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