サヴァイヴ〜ドルトムント財閥〜   作:一塔

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出動

 意識の底で、誰かの声がした。

 

「おい、起きろ」

 

 低く、短い声。

 聞き慣れたような、まだ聞き慣れていないような声。

 

 ペルシアは、毛布の中で小さく眉を寄せた。

 

 眠い。

 とにかく眠い。

 身体が鉛のように重い。まぶたの裏にまだ深い眠気が貼りついていて、起き上がる気力がどこにもない。

 

「……ん」

 

「起きろ、ペルシア」

 

 今度は、少し強い声だった。

 

 ペルシアはゆっくりと目を開けた。

 

 視界に入ったのは、見慣れない天井だった。

 白くもなく、ホテルの天井でもなく、宇宙管理局の宿直室でもない。配管が剥き出しになった、簡素な休憩室の天井。

 

 数秒、頭が働かなかった。

 

 そして、視界の端に立つフォクスを見て、ようやく記憶が戻ってくる。

 

 倉庫。

 スターフォクスの拠点。

 酒。

 寝不足。

 クリスタルに怒られて、休憩室に押し込まれて――。

 

「……おはよう」

 

 ペルシアは、寝起きの掠れた声で言った。

 

 フォクスは呆れたように眉を寄せる。

 

「寝ぼけてる場合か」

 

「今、何時?」

 

 ペルシアは毛布の中から片手だけ出し、額を押さえた。

 

「昼過ぎだ」

 

「……昼過ぎ?」

 

 ペルシアの目が、ゆっくりと開いた。

 

 次の瞬間。

 

「昼過ぎ!?」

 

 勢いよく身体を起こした。

 だが、急に起き上がったせいで頭がくらりと揺れ、ペルシアは思わず片手でこめかみを押さえる。

 

「うっ……」

 

「無理するな」

 

「寝過ごした……!」

 

 ペルシアは頭を抱えた。

 

「最悪。完全に寝過ごした。私、管理局に戻るって言ってた? 言ってない? フレイに連絡した? してないわよね。ああ、絶対怒られる。いや、怒るタイプじゃないけど、無表情で刺してくるわ。『統括官、勤務時間中です』って言われる。絶対言われる」

 

「そんな事より、いいのか?」

 

 フォクスの声は、冷静だった。

 

 ペルシアは顔を上げる。

 

「何が?」

 

「宇宙で事故が発生したみたいだぞ」

 

 その一言で、ペルシアの眠気は完全に吹き飛んだ。

 

「……はぁ? 本当に?」

 

「ああ。自分で確認しろ」

 

 フォクスはそれだけ言うと、休憩室の扉へ向かった。

 

「ちょっと待って、どこで聞いたの?」

 

「ナウスが拾った」

 

「管理局の回線?」

 

「一部だけな」

 

 フォクスは扉を開ける。

 

「詳しいことは司令室で聞け」

 

 そして、そのまま出ていった。

 

 ペルシアは数秒だけその背中を見つめていたが、すぐに毛布を跳ね除けた。

 

「……冗談じゃない」

 

 床に足を下ろす。

 まだ身体は重い。喉も少し乾いている。酒は抜けているが、寝過ぎたせいで頭の奥がぼんやりする。

 だが、そんなものは関係ない。

 

 事故。

 

 その言葉だけで、ペルシアの中の何かが切り替わる。

 

 統括官。

 緊急時の捜索・救出・事故対応。

 そのために作られた役職。

 そのために、自分はここにいる。

 

 ペルシアは上着を掴み、休憩室を飛び出した。

 

 

 司令室へ駆け込むと、空気は既に変わっていた。

 

 昨日の酒とつまみの残りは端に寄せられ、机の中央にはホログラム表示が展開されている。モニターには複数の航路図、通信ログ、位置情報らしき座標が並んでいた。

 

 フォクスは中央の端末前に立っている。

 ファルコは壁際のモニターを睨み、腕を組んでいた。

 スリッピーは機材の前で猛烈な速度で端末を叩いている。

 クリスタルは少し離れた位置で、ペルシアが入ってくるのを見ていた。

 

 その目に、昨日までとは違う緊張がある。

 

 ペルシアは司令室に入るなり叫んだ。

 

「ナウス! 状況は?」

 

『確認中。現時点で取得できている情報は限定的です』

 

「限定的でもいい。出して」

 

『宇宙管理局の緊急回線において、未探索航路外縁部での事故発生を示す通信を確認。発信源は民間小型輸送船と思われます。通信は断続的。救難信号は二度発信後、消失』

 

 ペルシアの表情が変わる。

 

「場所は?」

 

『座標表示します』

 

 ホログラム台に宇宙図が浮かぶ。

 コロニー航路から外れた、未探索航路外縁に近い空域。

 完全な未探索領域ではない。だが、管理局の監視網は薄い。民間船が入るには、少し危うい場所だ。

 

 ペルシアは舌打ちする。

 

「……よりによってそこ」

 

 フォクスが横目で見る。

 

「知っているのか」

 

「昨日のシミュレーションで使った想定に近い。未探索航路、通信障害、救難信号の消失」

 

「偶然か?」

 

「偶然なら嫌な偶然ね」

 

 ペルシアはすぐに自分の上着のポケットを探った。

 

 宇宙管理局の携帯端末。

 ここに来る時は必ず電源を切っている。スターフォクスの拠点に管理局端末の電波を持ち込むわけにはいかない。約束でもあり、自分なりの最低限の礼儀だった。

 

 だが今は違う。

 

 ペルシアは端末の電源を入れた。

 

 起動画面。

 認証。

 通信復帰。

 

 次の瞬間、通知が一気に流れ込んできた。

 

 不在着信。

 不在着信。

 不在着信。

 

 フレイから複数件。

 局長から複数件。

 緊急連絡。

 統括官呼び出し。

 事故発生通知。

 状況確認要請。

 

「……最悪」

 

 ペルシアは端末画面を見て、額を押さえた。

 

 フレイからのメッセージ。

 

『統括官、緊急案件です。至急ご連絡ください。』

 

 次のメッセージ。

 

『統括官、応答願います。未探索航路外縁部にて事故発生の可能性があります。』

 

 さらに次。

 

『局長より、統括官判断が必要とのことです。至急折り返しください。』

 

 局長からも短いメッセージが入っている。

 

『起きていたら連絡を。起きていなくても起きなさい。』

 

 ペルシアは思わず言った。

 

「起きていなくても起きろって何よ……」

 

 ファルコが横から覗き込み、笑いそうになる。

 

「信頼されてんじゃねぇか」

 

「されてるのかしらね、これ」

 

 クリスタルが静かに言う。

 

「連絡しなさい」

 

「分かってる」

 

 ペルシアはすぐにフレイへ発信した。

 

 呼び出し音は一回で切れた。

 

『統括官!』

 

 フレイの声が、いつもの落ち着きをかなり失っていた。

 

「ごめん、今確認した。状況は?」

 

『ご無事ですか?』

 

「無事。寝てた」

 

 数秒、沈黙。

 

『……寝ていた、ですか』

 

 その静かな声に、ペルシアは少しだけ背筋が伸びた。

 

「ええ。寝てた。説教は後で聞く。今は状況」

 

『承知しました』

 

 フレイはすぐに声を切り替えた。

 さすがだ、とペルシアは思う。

 

『本日十一時四十二分、未探索航路外縁部を航行中と見られる民間小型輸送船から救難信号が発信されました。信号は二度確認、その後消失。船名は現在照合中ですが、民間登録番号から貨物輸送船の可能性が高いです』

 

「乗員数は?」

 

『登録上は三名。ただし積載貨物の種類、航行目的は未確認です』

 

「周辺環境」

 

『通信障害あり。小規模デブリ帯の可能性。監視衛星の範囲外に近く、現時点で詳細不明です』

 

 ペルシアはホログラムの座標を見ながら頷く。

 

「救出班は?」

 

『第一救出班が準備中です。ただ、出動判断について局長が統括官判断を求めています』

 

「遅い」

 

 ペルシアの声が低くなる。

 

 フレイは一瞬だけ黙った。

 

『はい』

 

「今、何分経ってる?」

 

『救難信号確認から約三十八分です』

 

「三十八分……」

 

 ペルシアは歯を噛んだ。

 

 シミュレーションでは、まさに言った。

 最初の数分が命を分ける。

 確認に時間をかけすぎるな。

 迷っても仮判断を出せ。

 動きながら修正しろ。

 

 それなのに、現実で既に三十八分。

 

 ペルシアは目を閉じて、一度だけ深く息を吸った。

 

「フレイ、局長に繋いで。通信をこっちに回せる?」

 

『可能です。ただ、現在どちらに?』

 

 ペルシアは一瞬だけ答えに詰まった。

 

 スターフォクスの拠点。

 言えるわけがない。

 いや、局長には言えるかもしれない。だが、今この通信がどこまで記録されるか分からない。

 

「外部協力候補者との接触中」

 

『……承知しました』

 

 フレイはそれ以上聞かなかった。

 

『局長へ接続します』

 

 数秒後、局長の声が入る。

 

『ペルシア、ようやく起きたか』

 

「ごめん。説教は後で」

 

『君がそう言う時は、本当に後で逃げる時だ』

 

「逃げないわよ。今は事故」

 

 局長の声が少しだけ鋭くなる。

 

『状況は聞いたか』

 

「聞いた。救出班を出す。ただし、位置確定が甘いまま突っ込ませない。通信班に周辺ノイズの解析を優先させて。救出班は出動準備を継続。後方支援は医療パック、船体補修キット、予備酸素、牽引用小型ユニットを優先。全部積もうとして遅れるなって言って」

 

『了解。出動判断は?』

 

「第一救出班は待機解除。十二区画エアロックへ移動開始。ただし発進は私の最終判断。通信解析の結果が五分で出なければ、推定座標で先行する」

 

『危険だぞ』

 

「待っても危険よ」

 

 ペルシアはホログラムを見ながら言う。

 

「救難信号が二度で消えたなら、船の電源か通信系が死んでる可能性が高い。乗員三名。小型輸送船なら、生命維持の予備は長くない。デブリ帯があるなら船体損傷も考える。遅れたら詰む」

 

 局長は短く沈黙した。

 

『君は今、現場端末を見ているのか?』

 

「別経路で情報を見てる」

 

『別経路?』

 

「詳しくは後で」

 

『……分かった。今は問わない』

 

 局長のその判断に、ペルシアは少しだけ安心した。

 この人は、面倒だが分かっている。今、優先すべきことを。

 

 ペルシアは続ける。

 

「それと、昨日のシミュレーション参加者を招集して。今すぐ。訓練じゃなく本番だって言って」

 

『厳しいな』

 

「本番だから」

 

『分かった』

 

 通信の向こうで、局長が誰かに指示を飛ばしている気配がした。

 

 ペルシアはフレイへ戻す。

 

「フレイ」

 

『はい』

 

「通信班に伝えて。救難信号の二回目の波形を優先解析。背景ノイズも捨てないで。船内音や衝突音が混じっているかもしれない」

 

『承知しました』

 

「それと、私の端末に全部転送して」

 

『はい。……統括官』

 

「何?」

 

『ご無事で何よりです』

 

 その一言に、ペルシアは少しだけ言葉を失った。

 

「……心配かけたわね」

 

『説教は後ほど』

 

「やっぱりするのね」

 

『当然です』

 

「はいはい」

 

 通信を切る。

 

 司令室が、静かだった。

 

 フォクス達は、全員ペルシアを見ていた。

 

 ファルコが最初に口を開く。

 

「……お前、声が変わるんだな」

 

「何が?」

 

「今の。統括官の声ってやつ」

 

 ペルシアは端末を見ながら答える。

 

「仕事だから」

 

 クリスタルが静かに言う。

 

「本当に事故なのね」

 

「ええ」

 

 ペルシアは短く答え、ナウスを見るように天井へ視線を向けた。

 

「ナウス、管理局からこっちの端末にデータが来る。外へ漏らさず、ここのモニターに一時表示できる?」

 

『可能です。ただし、管理局端末の通信内容を当拠点で表示することは、情報保安上のリスクがあります』

 

「分かってる。表示だけ。保存はしないで」

 

『了解。揮発表示モードで処理します』

 

「ありがとう」

 

『感謝は不要です』

 

「今は言わせて」

 

 ナウスはそれ以上返さなかった。

 

 フォクスが低く言う。

 

「俺たちに見せる気か」

 

「見せる気はない。でも、今ここにいる。あなた達の目の前で状況が動いてる。隠しても意味ないでしょ」

 

「巻き込む気か」

 

「巻き込まない」

 

 ペルシアは即答した。

 

「これは宇宙管理局の案件。あなた達に出ろとは言わない」

 

 ファルコが口元を歪める。

 

「言わないのか?」

 

「言わない」

 

 ペルシアはフォクスを見る。

 

「あなた達は管理局を信用していない。私は線を越えないって言った。だから、出ろとは言わない」

 

 フォクスは黙った。

 

 その沈黙の中、ナウスが告げる。

 

『管理局よりデータ受信。救難信号波形、推定座標、周辺航路情報を表示します』

 

 モニターに波形が映る。

 

 ペルシアはすぐに近づいた。

 まだ寝起きの身体なのに、目だけは完全に覚めている。

 

「二回目の信号、こっち拡大して」

 

『拡大』

 

 スリッピーが思わず横から覗き込む。

 

「……ノイズ多いね。でも、これただの通信障害じゃないかも」

 

 ペルシアがスリッピーを見る。

 

「分かる?」

 

「うん。周期が変。デブリの反射だけなら、もっと散るはずだけど、これは何か人工的な干渉が混じってる感じがする」

 

 フォクスの目が鋭くなる。

 

「人工的?」

 

 クリスタルもモニターを見る。

 

「事故じゃなく、何かに巻き込まれた可能性がある?」

 

 ペルシアは唇を噛んだ。

 

「まだ断定しない。でも、その可能性はある」

 

 ファルコが腕を組む。

 

「場所が嫌だな。未探索航路外縁。普通の貨物船が好んで通る場所じゃねぇ」

 

「近道か、何かを避けたか、誰かに誘導されたか」

 

 ペルシアは言いながら、端末に指示を打ち込む。

 

「フレイ、通信班に追加。人工干渉の可能性あり。周辺の違法通信、未登録ビーコン、民間船の航跡を洗って」

 

 すぐに返事が来る。

 

『承知しました』

 

 フォクスが静かに言う。

 

「救出班だけでは危ないかもしれない」

 

「分かってる」

 

「管理局の救出班は、戦闘を想定しているのか」

 

「基本はしてない」

 

「なら、行かせるな」

 

 フォクスの声が強くなる。

 

 ペルシアはフォクスを見た。

 

「でも、行かせないと三名が死ぬかもしれない」

 

「準備不足で行かせても死ぬ」

 

「だから準備を変える」

 

 ペルシアはすぐに局長へ発信した。

 

「局長、追加。救出班に警戒装備を持たせて。非戦闘想定から、不審干渉ありに切り替え」

 

『根拠は?』

 

「救難信号のノイズ。人工干渉の可能性。今解析中」

 

『分かった。宇宙警察へ連絡するか?』

 

 ペルシアは一瞬だけ黙った。

 

 宇宙警察。

 昨日、スターフォクスの倉庫を監視していた相手。

 今ここで連絡すれば、また面倒が増える。

 

 だが、事故が事件に変わる可能性があるなら、警察を完全に外すわけにもいかない。

 

「局長、最低限の連絡だけ。主導権は管理局で握って。救出優先。捜査優先にさせないで」

 

『承知した』

 

 通信を切る。

 

 ペルシアは深く息を吐いた。

 

 その時、少しだけ身体が揺れた。

 寝起き、疲労、酒の残り、緊急対応。全部が一気に来た。

 

 クリスタルがすぐに気づく。

 

「座りなさい」

 

「大丈夫」

 

「座りなさい」

 

 強い声。

 

 ペルシアは反論しかけたが、フォクスも言った。

 

「座れ。倒れられると邪魔だ」

 

「……みんなして」

 

 ペルシアは渋々椅子に座った。

 

 スリッピーが水を渡す。

 

「飲んで」

 

「ありがとう」

 

 ペルシアは水を受け取り、一口飲む。

 

 ファルコがモニターを見ながら言う。

 

「統括官さんよ。俺たちに出ろとは言わねぇんだよな」

 

「言わない」

 

「じゃあ、助言くらいは?」

 

 ペルシアは顔を上げた。

 

 ファルコは、少しだけ挑発するように笑っている。

 

「別に管理局に協力するってわけじゃねぇ。俺たちの前で事故情報を見せられたら、黙ってるのも寝覚めが悪いだけだ」

 

 スリッピーも言う。

 

「僕、通信解析なら手伝えるかも。保存しない。見るだけ。ナウスと一緒に」

 

 クリスタルは少し黙ってから、静かに言った。

 

「乗員三名がいるなら、早く見つけるべきよ」

 

 フォクスは何も言わなかった。

 

 ペルシアは、ゆっくりとフォクスを見る。

 

「……いいの?」

 

 フォクスは低く答えた。

 

「勘違いするな。管理局を信用したわけじゃない」

 

「分かってる」

 

「お前のチームに入るわけでもない」

 

「それも分かってる」

 

「これは、目の前の事故に対する助言だ」

 

 ペルシアは少しだけ笑った。

 

「十分よ」

 

 フォクスはモニターへ視線を戻した。

 

「ナウス、周辺航路の未登録熱源を出せ」

 

『表示します』

 

 スリッピーが端末に飛びつく。

 

「通信ノイズ、僕が分離する! ナウス、波形三番と五番を重ねて!」

 

『実行』

 

 ファルコは航路図を見て、指で一点を示す。

 

「この座標、デブリ帯の流れから見ると、船が流されるならこっちだ。管理局の推定より少し外側を見るべきだぜ」

 

 クリスタルは救難信号の間隔を見て言う。

 

「二度目の信号が短い。意図的に切れたというより、出した直後に遮られたように見える」

 

 ペルシアは、全員の言葉を聞きながら、端末に指示を打ち込んでいく。

 

 速い。

 判断が速い。

 視点が違う。

 管理局の訓練で何度やっても足りなかったものが、ここには自然にある。

 

 ――だから、欲しい。

 

 この人達が必要だ。

 

 ペルシアは胸の奥で強く思いながら、フレイへ追加指示を送る。

 

「フレイ、推定座標を修正。デブリ帯の流れを加味して外側を優先探索。通信干渉分離結果、こっちで解析中。救出班には警戒を強めさせて」

 

『承知しました。統括官、情報源は?』

 

 ペルシアは一瞬だけフォクスを見る。

 

 フォクスは何も言わない。

 

 ペルシアは答えた。

 

「外部協力候補者からの助言」

 

 フレイは短く沈黙した。

 

『……承知しました』

 

「フレイ」

 

『はい』

 

「記録には、私の判断として残して」

 

『分かりました』

 

 通信が切れる。

 

 司令室の空気は、完全に現場になっていた。

 

 つい数時間前まで、ペルシアはここで寝ていた。

 昨日は酒を飲み、倒れかけ、クリスタルに怒られた。

 それなのに今、スターフォクスの司令室で、宇宙管理局の統括官として事故対応をしている。

 

 不思議な状況だ。

 危うい状況だ。

 でも、確かに何かが動いている。

 

 ナウスが告げる。

 

『通信ノイズ分離完了。微弱な音声断片を抽出』

 

 全員の視線がモニターに向く。

 

 短いノイズ。

 途切れ途切れの声。

 

『……こちら……輸送船……船体……損傷……誰か……』

 

 ペルシアの表情が鋭くなる。

 

「生きてる」

 

 フォクスが頷く。

 

「ああ」

 

 ペルシアは即座に立ち上がろうとして、クリスタルに肩を押さえられた。

 

「座って」

 

「今は――」

 

「座ったまま指示できるでしょ」

 

 ペルシアは一瞬だけ睨み返したが、すぐに座り直した。

 

「……分かった」

 

 そして、端末を握る。

 

「フレイ、音声断片を確認。生存者あり。救出班、発進準備から発進へ切り替え。推定座標修正値を送る。急いで」

 

『了解しました』

 

 ペルシアの声は、もう眠気も疲れも忘れていた。

 

 統括官の声だった。

 

 そして、その声を、フォクス達は黙って聞いていた。

 

 

 

ーーーー

 

 

 ペルシアは、最低限の指示を出し終えると、ゆっくりと息を吐いた。

 

 スターフォクスの司令室には、緊張した空気がまだ残っている。モニターには、未探索航路外縁部の宙域図、救難信号の波形、デブリ帯の推定移動線、そして宇宙管理局から送られてくる断片的な情報が映っていた。

 

 だが、ここに長く留まるわけにはいかない。

 

 ここはスターフォクスの拠点だ。

 宇宙管理局の統括官として、事故対応の指揮を執る場所ではない。

 何より、ここに管理局端末を開いたまま居続けること自体が、スターフォクスにとって危険になる。

 

 ペルシアは端末を手に取り、素早く画面を閉じた。

 

「ナウス、今表示していた管理局データは?」

 

『揮発表示処理済み。保存はしていません』

 

「ありがとう」

 

『感謝は不要です』

 

「今は言わせて」

 

 ペルシアは短く言い、フォクス達を見た。

 

「私は管理局に戻る」

 

 スリッピーが思わず立ち上がった。

 

「一人で大丈夫? まだ顔色悪いよ」

 

「大丈夫。寝たから少しは動ける」

 

「少しって……」

 

 クリスタルが眉を寄せる。

 

「少しで事故対応に戻るつもり?」

 

「戻るわよ。統括官だもの」

 

「だからって、無茶していい理由にはならないわ」

 

「無茶かどうかは終わってから考える」

 

「終わる前に倒れたら意味がないでしょう」

 

 クリスタルの声は厳しい。けれど、そこに以前のような刺々しい警戒だけではなく、本物の心配が混じっていることをペルシアは感じ取った。

 

 だから、ペルシアは少しだけ笑った。

 

「ありがとう。ちゃんと倒れないようにはする」

 

「信用できないわね」

 

「そこは信用してほしいんだけど」

 

「貴方、自分の行動を振り返ってから言いなさい」

 

 ファルコが横から笑う。

 

「ははっ、言われてるぜ、統括官」

 

「うるさいわね」

 

 ペルシアは軽く睨んでから、フォクスへ視線を向けた。

 

 フォクスは腕を組み、黙っていた。

 その目は、ペルシアを見ているようで、既に宙域図の向こうを見ている。

 

「フォクス」

 

「何だ」

 

「さっきの助言、助かった」

 

「助言しただけだ」

 

「それでも助かった」

 

「勘違いするな。管理局に協力したわけじゃない」

 

「分かってる」

 

 ペルシアは頷いた。

 

「でも、乗員三人はまだ生きてる可能性がある。助言だけでも、私は使う。使えるものは全部使う」

 

「……そうか」

 

「それと」

 

 ペルシアは少しだけ真剣な声になる。

 

「今から先は、管理局の責任で動く。あなた達は巻き込まない。だから、ここにいたことも、今見た情報も、表には出さない」

 

 フォクスは目を細めた。

 

「俺たちが口外するとでも?」

 

「そういう意味じゃない。私が守るって意味」

 

 フォクスは何も言わなかった。

 

 代わりに、クリスタルが静かに言った。

 

「早く行きなさい。時間がないのでしょう」

 

「ええ」

 

 ペルシアは頷き、出口へ向かった。

 

 だが、扉の手前で一度だけ振り返る。

 

「……フォクス」

 

「まだ何かあるのか」

 

「私は、あなた達を諦めてないから」

 

 こんな時でも、それだけは言う。

 

 ファルコが呆れたように笑った。

 

「事故対応の最中に勧誘かよ」

 

「違うわよ。確認」

 

「同じだろ」

 

「違う」

 

 フォクスは短く息を吐いた。

 

「早く行け」

 

「はいはい」

 

 ペルシアは手を振り、倉庫を出ていった。

 

 扉が閉まる。

 

 司令室に、少しだけ静けさが戻った。

 

 だが、静けさは一瞬だった。

 

 スリッピーがモニターを見ながら、不安そうに言った。

 

「……ねぇ、僕たち、このまま見てるだけでいいのかな」

 

 ファルコも腕を組んだまま、舌打ちする。

 

「正直、気分はよくねぇな。管理局の救出班が遅れたら、あの三人は終わりだ」

 

 クリスタルも無言で宙域図を見つめていた。

 救難信号が消えた場所。

 デブリ帯の移動予測。

 人工干渉の可能性。

 

 どれも、ただの事故としては嫌な匂いがする。

 

「フォクス」

 

 クリスタルが静かに言う。

 

「本当に、私たちは見ているだけでいいの?」

 

 フォクスは、しばらく答えなかった。

 

 モニターに表示された推定座標を見つめている。

 ペルシアが修正した探索範囲。

 ファルコが示したデブリ帯の流れ。

 スリッピーが分離した通信ノイズ。

 クリスタルが指摘した信号遮断の違和感。

 

 全てを合わせると、見えてくるものがある。

 

 この事故は、単純ではない。

 

 フォクスは静かに言った。

 

「準備だけしろ」

 

 三人の視線が一斉にフォクスへ向く。

 

 ファルコが口元を上げる。

 

「準備だけ?」

 

「ああ」

 

「出る気はない、って顔じゃねぇな」

 

「出るとは言っていない」

 

「はいはい。そういうことにしといてやるよ」

 

 ファルコは嬉しそうに立ち上がった。

 

 スリッピーも工具箱を抱える。

 

「船のチェックする! ナウス、アーウィンの状態出して!」

 

『表示します』

 

 モニターが切り替わり、スターフォクスの機体状態が表示される。

 待機状態。燃料残量。武装システム。航行制御。通信装置。救難装備。

 

 クリスタルは静かに装備ラックへ向かった。

 

「医療パックと救難ビーコンも積むわ。もし本当に出るなら、戦闘だけでは済まない」

 

「出るとは言っていない」

 

 フォクスが繰り返す。

 

 ファルコが笑った。

 

「しつこいな、フォクス。ペルシアが移ったんじゃねぇか?」

 

「黙れ」

 

 だが、フォクスの手も既に端末を操作していた。

 

 準備だけ。

 

 その言葉は、彼らにとって十分だった。

 

 

 宇宙管理局に戻ったペルシアは、オペレーションルームの扉を開けた瞬間に、空気の悪さを感じ取った。

 

 広い室内には大型モニターが並び、中央卓には各班の職員が集まっている。

 通信班、救出班、後方支援班、記録班、技術解析班。

 誰もが忙しそうに端末を叩き、声を飛ばし、画面を見ている。

 

 だが、忙しそうなだけだった。

 

 音が悪い。

 

 ペルシアは、まずそれを感じた。

 

 声が重なりすぎている。

 必要な情報と不要な情報が混ざっている。

 報告が長い。

 確認の声が多い。

 誰かが判断しようとして、別の誰かが遮る。

 端末の操作音が焦っていて、でも手順が遅い。

 

 緊急対応の音ではない。

 混乱している事務室の音だ。

 

 ペルシアの眉間に皺が寄る。

 

「……遅い」

 

 小さく呟いた言葉は、近くにいた職員には聞こえなかった。

 だが、彼女の中ではもう苛立ちが膨らみ始めていた。

 

 フレイがすぐに駆け寄ってくる。

 

「統括官!」

 

「状況」

 

 挨拶も謝罪も後回し。

 ペルシアは端末を起動しながら中央卓へ向かった。

 

 フレイは資料端末を差し出す。

 

「救出班は十二区画エアロックへ移動完了。現在、出動前確認中です。通信班は救難信号の解析を継続。推定座標は統括官からの修正値を反映済みです」

 

「出動前確認に何分かけてる?」

 

「八分です」

 

「長い」

 

「安全確認項目が――」

 

「項目は必要。でも優先順位がある。全部同じ重さで見るから遅くなるのよ」

 

 ペルシアは中央卓に到着するなり、全体を見渡した。

 

「全員、手を止めないで聞いて」

 

 声は大きくない。

 だが、通る声だった。

 

 オペレーションルームの空気が、少しだけ変わる。

 職員たちの視線がペルシアへ向く。

 

「今から報告は短く。結論から。未確定情報は未確定と言って。憶測と事実を混ぜない。記録班、今の指示をそのまま記録」

 

「は、はい!」

 

「通信班、救難信号の二回目。人工干渉の有無は?」

 

 通信班の職員が慌てて立ち上がる。

 

「現在解析中でして、ノイズが複数混在しており、確認に時間が――」

 

「結論」

 

「……人工干渉の可能性は否定できません」

 

「その言い方は遅い。次から『可能性あり、解析継続』でいい」

 

「はい!」

 

 ペルシアはすぐに次を見る。

 

「救出班、発進準備は?」

 

 別の職員が答える。

 

「機体確認、救難装備積載、医療パック確認、牽引用小型ユニットの接続確認を――」

 

「結論」

 

「発進可能まで、あと四分です」

 

「二分に短縮。牽引用ユニットは予備を一基減らしていい。重くして遅れる方が危険」

 

「し、しかし、予備がない場合――」

 

「現場に到着できなければ予備も意味ない。減らして」

 

「はい!」

 

 ペルシアの声は鋭い。

 だが、怒鳴ってはいない。

 

 ただ、苛立ちは隠せていなかった。

 

 情報が遅い。

 報告が雑。

 判断が散らばっている。

 昨日のシミュレーションで何度も叩き込んだことが、現実になるとまた崩れている。

 

 ペルシアは奥歯を噛み締めた。

 

「後方支援、医療パックは何を積んだ?」

 

「外傷処置キット、簡易酸素、止血材、熱傷対応、鎮痛剤、簡易担架――」

 

「乗員三名。船体損傷ありの可能性。低温症対応は?」

 

「あ……」

 

 その一音で、ペルシアの視線が鋭くなる。

 

「入ってないの?」

 

「至急追加します!」

 

「至急じゃない。今。船内の生命維持が落ちてるなら、低温環境になってる可能性がある。熱源毛布と保温シートを追加。医療班にも伝えて」

 

「はい!」

 

 フレイが横で素早く指示を補助する。

 

「保温資材、優先追加。医療班へ共有します」

 

 ペルシアは頷く。

 

「技術解析班、周辺航路の未登録ビーコンは?」

 

「該当三件です。ただし、二件は過去の廃棄信号と思われ――」

 

「一件は?」

 

「今回の救難信号の二分前に短時間だけ発信あり。位置は推定座標の外縁側です」

 

 ペルシアの目が変わった。

 

「それを早く言いなさい」

 

 職員が息を呑む。

 

「す、すみません」

 

「謝罪は後。座標出して」

 

 大型モニターに座標が追加される。

 

 ペルシアはそれを見た瞬間、息を止めた。

 

 スターフォクスの司令室で、ファルコが示したデブリの流れ。

 スリッピーが拾ったノイズ。

 クリスタルが言った、信号が遮られたように見えるという違和感。

 

 それらが、この未登録ビーコンの座標と重なる。

 

「……誘導された?」

 

 ペルシアが呟く。

 

 フレイが隣で聞く。

 

「統括官?」

 

「この事故、偶発じゃない可能性がある」

 

 オペレーションルームの空気がさらに固くなる。

 

「宇宙警察には?」

 

 フレイが言う。

 

「局長が最低限連絡してる。でも主導権は渡さない」

 

「承知しました」

 

 ペルシアは大型モニターを見つめながら、素早く判断する。

 

「救出班に通達。不審ビーコンあり。救出優先だが、接近時は周辺警戒。通信障害が人工的な可能性あり。救出艇は単独で深追いしない。後続支援艇を待機させて」

 

「了解!」

 

「通信班、救出艇と本部の間に中継ドローンを一機入れて。通信が切れる前提で動く」

 

「はい!」

 

「記録班、今の情報は分類注意。事故から事件へ切り替わる可能性がある。余計な共有はしない」

 

「承知しました!」

 

 指示を出しながら、ペルシアの苛立ちは消えなかった。

 

 むしろ増えていく。

 

 なぜ、この情報が先に上がってこない。

 なぜ、未登録ビーコンを「該当三件」とだけまとめる。

 なぜ、救出班は予備装備にこだわって発進を遅らせる。

 なぜ、医療班は低温症を抜かす。

 なぜ、通信班は結論を言わない。

 

 雑。

 遅い。

 全体が見えていない。

 

 ペルシアは中央卓に手をついた。

 

「全員、聞いて」

 

 今度は、声に明確な怒りが混じった。

 

「これはシミュレーションじゃない。本番よ。昨日みたいにやり直しはできない。情報が遅れたら、その分だけ救出が遅れる。報告が雑なら、判断が歪む。自分の担当だけ見てたら、全体が死ぬ」

 

 誰も喋らない。

 

 ペルシアは続けた。

 

「分からないなら分からないと言って。遅れるなら遅れる理由を言って。危ないと思ったなら、根拠が弱くても上げて。黙って抱えるのが一番悪い」

 

 職員たちの顔が引き締まる。

 

 フレイが静かに頷いた。

 

 ペルシアは息を吐く。

 

「救出班、発進は?」

 

 返事は、さっきより短かった。

 

「発進可能。残り三十秒」

 

「よし。発進」

 

 オペレーションルームに緊張が走る。

 

 大型モニターに、救出艇の発進表示が出る。

 十二区画エアロックから、管理局の救出艇が宇宙へ滑り出していく。

 

 ペルシアはそれを見ながら、小さく呟いた。

 

「……間に合って」

 

 その声は、誰にも聞こえないほど小さかった。

 

 だが、フレイだけは聞き取った。

 

 彼女はペルシアの横に立ち、静かに言った。

 

「統括官、次の指示を」

 

 ペルシアは目を上げる。

 

 疲労は残っている。

 身体は重い。

 頭の奥も痛い。

 

 だが、今は止まれない。

 

「次は、救出艇が通信障害域に入る前に、全部整える」

 

 ペルシアの声が、再びオペレーションルームに通る。

 

「通信班、救出艇との回線維持。技術解析班、未登録ビーコンの発信元を追って。後方支援、第二陣の準備。医療班、受け入れ態勢。記録班、時系列を整理。フレイ、局長に状況共有」

 

「はい」

 

 ペルシアは大型モニターを睨む。

 

 その眼差しは、まだ遠い宙域を見ていた。

 

 そして、心の奥では、スターフォクスの司令室で準備を始めているであろう彼らのことが、ほんの少しだけよぎっていた。

 

 出ろとは言わない。

 巻き込まない。

 線は越えない。

 

 でも――。

 

 もし、管理局だけでは届かない場所があるなら。

 

 その時、自分はどうするのか。

 

 ペルシアはその問いを胸の奥に押し込め、今は目の前の救出に集中した。

 

 

ーーーー

 

 

 

 救出艇が通信障害域へ近づくにつれ、オペレーションルームの空気はさらに重くなっていった。

 

 大型モニターには、管理局救出艇の航路、推定事故座標、デブリ帯の移動予測、未登録ビーコンの発信位置が重ねて表示されている。通信班の端末には、断続的なノイズ波形が走り続け、技術解析班はそれを必死に分解していた。

 

 ペルシアは中央卓に片手をつき、画面を睨む。

 

 眠気はもうない。

 身体の奥に疲労は残っている。目元のクマも消えていない。だが、今のペルシアには、疲れを気にしている余裕などなかった。

 

 救出艇は既に発進している。

 乗員三名の生存可能性はある。

 救難信号は二度。

 そして、その裏には人工干渉の気配。

 

 嫌な条件が揃いすぎていた。

 

「通信班、救出艇との回線は?」

 

「現在、安定しています。ただし、通信障害域まであと三分です」

 

「障害域に入る前に、中継ドローンを前へ。回線が切れる前提で動かして」

 

「はい!」

 

「技術解析班、未登録ビーコンの発信元は?」

 

「追跡中です。発信時間が短く、断定には至っていませんが……」

 

「結論」

 

 ペルシアの声が鋭く飛ぶ。

 

 技術解析班の職員が喉を鳴らした。

 

「……ビーコンは、事故船を誘導する目的で発信された可能性があります」

 

 オペレーションルームの空気が冷えた。

 

 ペルシアは目を細める。

 

「つまり、偶発事故じゃない可能性が高い」

 

「はい」

 

「根拠は?」

 

「ビーコンの周波数が民間航路誘導用に偽装されています。ただ、信号の揺らぎが正規ビーコンと一致しません。短時間だけ発信し、事故船が航路を外れた直後に消失しています」

 

「誘導して、消した」

 

「その可能性があります」

 

 ペルシアは奥歯を噛んだ。

 

 嫌な予感が、形を持ち始めていた。

 

「救出艇へ通達。不審ビーコンによる誘導の可能性あり。事故船周辺に第三者の存在を想定。単独接近禁止。距離を取って確認」

 

「了解!」

 

 フレイが隣で情報を整理し、別端末に時系列を打ち込んでいる。

 局長は少し離れた位置で、宇宙警察との連絡を担当していた。だが、その声色は硬い。

 

「……宇宙警察側の初動部隊は?」

 

 ペルシアが訊くと、フレイが即座に答えた。

 

「現在、最寄りの警察艦が出動準備中。ただし当該宙域までの到達には、早くても四十分以上かかるとのことです」

 

「四十分……」

 

 ペルシアは低く呟いた。

 

 長い。

 

 長すぎる。

 

 もし本当に宇宙海賊が絡んでいるなら、四十分後には何も残っていない可能性がある。

 船体も、積荷も、乗員も。

 

「救出艇の武装は?」

 

「救出用装備のみです。最低限の防御シールドと回避機動は可能ですが、戦闘を想定した機体ではありません」

 

「分かってる」

 

 分かっているからこそ、腹が立った。

 

 救出艇は人を助けるための機体だ。

 戦うための機体ではない。

 だからこそ、宇宙海賊がいる可能性がある宙域へ無理に近づけるわけにはいかない。

 

 だが、近づかなければ救えない。

 

「通信班、救出艇からの映像は?」

 

「まもなく障害域外縁です。映像入ります!」

 

 大型モニターの一角に、救出艇の前方映像が映し出された。

 

 暗い宇宙。

 散らばる微細なデブリ。

 遠くに、歪んだ光点。

 それが事故船なのか、漂流物なのか、まだ判別できない。

 

 ノイズが走る。

 

 画面が乱れる。

 

「補正して」

 

「はい!」

 

 映像が少しだけ鮮明になる。

 

 その瞬間、技術解析班の職員が声を上げた。

 

「待ってください。熱源、複数!」

 

「数」

 

「三……いえ、四。事故船と思われる熱源の周囲に、小型艇が三機います!」

 

 オペレーションルームがざわつく。

 

 ペルシアは鋭く言った。

 

「静かに」

 

 その一言で、ざわつきが止まる。

 

「映像、拡大」

 

「拡大します」

 

 画面に、小さな機影が映る。

 

 民間艇ではない。

 形状が違う。

 船体の輪郭が粗い。増設された推進器、外付けの補助装甲、正規登録表示のない外殻。

 

 ファルコなら一目で言っただろう。

 

 ペルシアにも分かった。

 

「……宇宙海賊」

 

 通信班が震える声で言う。

 

「救出艇より通信! 『前方に未登録小型艇複数。事故船へ接近中。こちらへの照準反応あり』」

 

「救出艇に停止命令。これ以上近づけないで」

 

「はい!」

 

 ペルシアは即座に言った。

 

「救出艇、障害域外縁で待機。相手の射程に入らない距離を維持。通信途絶に備えて中継ドローンを二機展開。事故船の位置確認を継続」

 

「了解!」

 

 フレイが顔を上げる。

 

「統括官、宇宙警察へ本格出動要請を出しますか」

 

「出す」

 

 ペルシアは即答した。

 

「ただし、それだけじゃ間に合わない」

 

 局長がこちらを見る。

 

「ペルシア」

 

「分かってます」

 

 ペルシアは局長の目を見た。

 

「宇宙警察の到着を待てば、四十分以上。海賊が事故船を制圧しているなら、乗員はその前に連れ去られるか、船ごと処理される可能性があります」

 

「救出艇は近づけない」

 

「はい」

 

「管理局に戦闘部隊はない」

 

「はい」

 

 局長は数秒、ペルシアを見つめた。

 

 その目は、次に彼女が何を言うか、もう分かっている目だった。

 

「……君の考えていることは分かる」

 

「なら話が早いです」

 

「スターフォクスか」

 

 その名前が出た瞬間、フレイがわずかに目を見開いた。

 

「スターフォクス……宇宙ハンターの?」

 

「穏健派よ」

 

 ペルシアは短く言った。

 

 フレイは困惑した顔になる。

 

「しかし、宇宙管理局は宇宙ハンターとの関与を――」

 

「今その話してる場合?」

 

 ペルシアの声が鋭くなる。

 

 フレイは言葉を止めた。

 

 ペルシアはすぐに、少しだけ声を抑える。

 

「ごめん。でも、今は規則の顔色を見てる時間はない」

 

 フレイは一瞬沈黙し、すぐに頷いた。

 

「……承知しました」

 

 局長は腕を組み、低く言う。

 

「スターフォクスは協力するのか」

 

「分かりません」

 

「断られているのだろう」

 

「はい」

 

「宇宙管理局を信用しない、と」

 

「はい」

 

「それでも要請するのか」

 

「します」

 

 ペルシアは迷わなかった。

 

「彼らは管理局を信用していない。でも、目の前の命を見捨てる人達じゃない」

 

 局長はペルシアを見つめる。

 

「確信か?」

 

「賭けです」

 

「統括官が賭けで動くのか」

 

「違います」

 

 ペルシアは大型モニターを見た。

 

 救出艇は停止している。

 事故船周辺の未登録小型艇は、まだ動いている。

 救難信号は消えたまま。

 乗員三名の状況は不明。

 

「これは、可能性の選択です。宇宙警察を待つだけでは間に合わない。救出艇は近づけない。管理局内に戦闘対応可能な即応部隊はない。なら、今この宙域に間に合う可能性がある外部戦力へ要請するしかない」

 

 ペルシアは局長へ向き直る。

 

「責任は私が取ります」

 

「軽く言うな」

 

「軽く言ってません」

 

 声がぶつかる。

 

 オペレーションルームの職員たちは、息を呑んでいた。

 フレイも何も言わずに、二人を見ている。

 

 局長はしばらく沈黙した。

 

 やがて、深く息を吐く。

 

「……正式要請にはできない」

 

「分かっています」

 

「宇宙ハンターへ管理局が戦闘支援を正式要請したとなれば、宇宙警察も連邦連盟も黙っていない」

 

「分かっています」

 

「だから、あくまで統括官判断による緊急外部協力要請。救出優先。戦闘行為の依頼ではなく、事故船乗員の救命支援および救出艇の安全確保に関する協力要請」

 

「十分です」

 

 局長はフレイを見る。

 

「記録は慎重に」

 

「はい」

 

 フレイはすぐに端末へ入力する。

 

 局長はペルシアへ視線を戻した。

 

「要請は君がしなさい。君が築いてきた細い糸だ」

 

「はい」

 

「ただし、断られる可能性が高い」

 

「それでも、かけます」

 

 ペルシアは端末を握った。

 

 手が少しだけ汗ばんでいる。

 疲労か、緊張か。

 どちらでもいい。

 

 彼女はスターフォクスへの通信経路を呼び出した。

 

 フォクスへ直接。

 

 呼び出し音。

 

 一回。

 二回。

 三回。

 

 出ない。

 

 ペルシアは歯を噛む。

 

 ナウスへ切り替える。

 

『こちらナウス。ペルシア、認識しました』

 

「ナウス、緊急。フォクスに繋いで」

 

『フォクスは現在、出撃準備中です』

 

 ペルシアの目が見開かれた。

 

「……準備?」

 

『はい』

 

「フォクスに繋いで」

 

『接続します』

 

 数秒。

 

 通信が切り替わる。

 

 画面にフォクスが映った。

 その背後には、格納庫らしき空間。

 ファルコが機体の脇で何かを確認し、スリッピーが端末を叩き、クリスタルが装備を整えているのが見えた。

 

 ペルシアは一瞬だけ言葉を失った。

 

 フォクスが静かに言う。

 

『何だ』

 

「……状況、見てたの?」

 

『見ていたわけじゃない。ナウスが拾える範囲で確認していた』

 

「宇宙海賊を確認した。救出艇は近づけない。宇宙警察の到着には時間がかかる」

 

『だろうな』

 

 フォクスの声は落ち着いていた。

 

 ペルシアは息を吸う。

 

 ここから先は、軽口では駄目だ。

 

 勧誘でも、押しかけでも、ドーナツでもない。

 

 要請だ。

 

 ペルシアは背筋を伸ばした。

 

「宇宙管理局統括官として、スターフォクスに緊急協力を要請します」

 

 オペレーションルームが静まり返る。

 

 画面の向こうでも、ファルコが手を止めた。

 スリッピーがこちらを見た。

 クリスタルの目が鋭くなる。

 

 フォクスは何も言わない。

 

 ペルシアは続ける。

 

「未探索航路外縁部で発生した民間小型輸送船事故について、周辺に宇宙海賊三機を確認。管理局救出艇は接近困難。宇宙警察到着まで最短四十分。乗員三名の生存可能性あり。救命のため、事故船周辺の安全確保および救出艇の進入支援をお願いしたい」

 

 フォクスの表情は動かない。

 

『管理局が、宇宙ハンターに要請するのか』

 

「ええ」

 

『規則はどうした』

 

「今は命が優先」

 

『宇宙警察は』

 

「向かっている。でも間に合わない」

 

『俺たちは管理局を信用していない』

 

「分かってる」

 

『お前のチームに入るわけでもない』

 

「それも分かってる」

 

『これを受けても、俺たちは管理局の下にはつかない』

 

「当然よ」

 

 ペルシアは即答した。

 

「これは命を救うための協力要請。あなた達を管理局の指揮下に置くためのものじゃない」

 

『都合がいいな』

 

「そうね」

 

 ペルシアは認めた。

 

「都合がいい。散々断られてる相手に、困った時だけ頼んでる。分かってるわ」

 

 フォクスの目が少しだけ細くなる。

 

 ペルシアは声を落とした。

 

「でも、私には他に届く手がない」

 

 それは、弱さを見せる言葉だった。

 

 オペレーションルームの職員たちの前で。

 局長の前で。

 フレイの前で。

 そして、スターフォクスの前で。

 

 ペルシアは続けた。

 

「救出艇だけでは近づけない。宇宙警察を待てば間に合わないかもしれない。管理局の判断は遅い。現場はもう動いてる。……だから、あなた達に頼むしかない」

 

 クリスタルが画面の向こうで小さく息を吸った。

 

 ペルシアの声は震えていない。

 でも、必死だった。

 

「フォクス。お願い。三人を助けたい」

 

 その一言は、統括官としての言葉ではなく、ペルシア自身の言葉だった。

 

 フォクスは沈黙した。

 

 数秒。

 長い数秒だった。

 

 ファルコが横から言う。

 

『フォクス』

 

 スリッピーも言う。

 

『準備はできてるよ』

 

 クリスタルは静かに画面を見つめていた。

 

『……救出艇はどこ』

 

 フォクスが言った。

 

 ペルシアの目がわずかに開く。

 

「現在、障害域外縁で待機中。座標送る」

 

『事故船と海賊の位置』

 

「送る」

 

『海賊の機体数』

 

「確認三。未確認機がいる可能性あり」

 

『救出艇には近づくなと伝えろ。俺たちが先に入る』

 

「分かった」

 

『戦闘が始まったら、管理局の救出艇は俺たちの指示があるまで動かすな』

 

 ペルシアは一瞬だけ局長を見る。

 

 局長は黙って頷いた。

 

「了解」

 

『勘違いするな』

 

 フォクスの声は低い。

 

『管理局のためじゃない』

 

「分かってる」

 

『お前のためでもない』

 

「それも分かってる」

 

『乗員三名のためだ』

 

 ペルシアは、少しだけ笑った。

 

「それで十分」

 

 フォクスは短く頷いた。

 

『ナウス、データを受けろ。スリッピー、通信同期。ファルコ、先行警戒。クリスタル、救出支援装備確認』

 

『了解!』

 

 スリッピーの声。

 ファルコの笑う声が続く。

 

『やっと出番かよ。待たせやがって』

 

 クリスタルは静かに言った。

 

『ペルシア、倒れないで指示を出しなさい』

 

 ペルシアは一瞬驚き、それから苦笑した。

 

「分かってる」

 

『信用できないけど、今は信じるわ』

 

「ありがと」

 

『感謝は後。三人を助けてからよ』

 

「ええ」

 

 通信の向こうで、格納庫の警告灯が点灯する。

 

 スターフォクスが動き出す。

 

 フォクスが最後に言った。

 

『座標を送れ。俺たちが行く』

 

 通信は切れなかった。

 戦術回線へ移行するため、ナウスが管理局側と一時同期を開始する。

 

 フレイが小さく息を呑んだ。

 

「統括官……」

 

「データ送信。事故船、海賊、救出艇、デブリ帯、中継ドローン、全部」

 

「はい!」

 

 ペルシアはオペレーションルーム全体へ振り返った。

 

「全員、聞いて。これより外部協力者スターフォクスが事故宙域へ向かう。管理局救出艇は外縁待機を維持。スターフォクスの安全確保後、私の指示で進入」

 

 職員たちがざわめく。

 

「宇宙ハンターが……?」

 

「大丈夫なのか……?」

 

 ペルシアは机を強く叩いた。

 

 乾いた音が響く。

 

「黙って仕事して」

 

 静まり返る。

 

「今は肩書きじゃなく、命を見る時間よ。相手が宇宙ハンターだろうが何だろうが、三人を助けるために動いてくれるなら、私たちはその動きを無駄にしない」

 

 ペルシアの声が、オペレーションルームに通る。

 

「通信班、スターフォクスとの回線維持。技術解析班、海賊機の動きと干渉源の追跡。救出班、進入準備継続。後方支援、受け入れ態勢を二段階上げて。医療班、負傷者三名以上を想定。記録班、今からの時系列は一秒単位で残して」

 

「はい!」

 

 今度の返事は、少し違った。

 

 声が前に出ている。

 息が入っている。

 少なくとも、さっきよりはマシだった。

 

 ペルシアは大型モニターを見る。

 

 スターフォクスの機体反応が、倉庫を離れた。

 四つの光点が、事故宙域へ向かって加速していく。

 

 ファルコの通信が入る。

 

『こちらファルコ。先行する。海賊共、見えたら蹴散らしていいんだよな?』

 

 ペルシアは即座に返す。

 

「目的は救出支援。無用な深追いは禁止」

 

『はいはい、統括官様は細けぇな』

 

「細かいのが命を拾うのよ」

 

『へいへい』

 

 スリッピーの声。

 

『ペルシア、通信干渉源、事故船の反対側から出てるかも! 今、ナウスと照合中!』

 

「了解。位置が出たらすぐ共有」

 

 クリスタルの声。

 

『事故船周辺、生命反応の有無は?』

 

「管理局側では未確認。救出艇のセンサー射程外。あなた達が近づかないと取れない」

 

『分かった』

 

 フォクスの声が最後に入る。

 

『接敵まで三十分』

 

 ペルシアは拳を握る。

 

「全員、三分で整えて」

 

 オペレーションルームが一斉に動き出す。

 

 ペルシアは息を吐いた。

 

 とうとう、要請した。

 

 断られ続けた相手に。

 信用されていない相手に。

 宇宙管理局が関わることを禁じてきた宇宙ハンターに。

 

 それでも、彼らは動いた。

 

 管理局のためではない。

 ペルシアのためでもない。

 乗員三名のために。

 

 それでいい。

 

 今はそれで十分だった。

 

 大型モニターの中で、スターフォクスの光点が海賊機へ近づいていく。

 

 ペルシアは静かに呟いた。

 

「お願い……間に合って」

 

 その声は小さかった。

 けれど、今度はフレイだけでなく、隣にいた局長にも届いていた。

 

 局長は何も言わなかった。

 

 ただ、画面の中の光点を見つめたまま、静かに息を吐いた。

 

 

 

ーーーー

 

 

 

 大型モニターの右下に、スターフォクスの四つの光点が表示されていた。

 

 フォクス。

 ファルコ。

 スリッピー。

 クリスタル。

 

 宇宙管理局の救助艇よりも後から動いたはずの彼らは、明らかに異常な速度で事故宙域へ向かっていた。

 

「接敵までの予測は?」

 

 ペルシアが言うと、通信班の職員が慌てて端末を叩いた。

 

「当初予測では三十分でしたが……現在の速度だと、二十二分、いえ、二十一分です」

 

「二十一分?」

 

 オペレーションルームの誰かが声を漏らす。

 

「速すぎる……」

 

 その呟きに、ペルシアは視線だけを向けた。

 

「感心してる暇があるなら、次の情報を出して」

 

「は、はい!」

 

 職員が慌てて画面に向き直る。

 

 ペルシアは拳を握った。

 予想以上に早い。

 スターフォクスは、こちらが想定した時間を十分快く削ってきた。

 

 ただ速いだけではない。

 デブリ帯の外縁をなぞるように、危険域をかすめながら最短に近い航路を取っている。管理局の標準救出艇なら絶対に通らない。いや、通れない航路だった。

 

 ファルコの通信が入る。

 

『こちらファルコ。先行してるぜ。海賊の機影、視認まであと少しってとこだ』

 

 ペルシアはすぐに返す。

 

「無理に突っ込まないで。目的は救出支援。海賊機の排除は必要最小限」

 

『必要最小限ってのは、どこまでだ?』

 

「事故船と救助艇に手を出させないところまで」

 

『つまり、邪魔なら叩き落としていいってことだな』

 

「言い方」

 

 ペルシアが眉をひそめると、通信の向こうでファルコが笑った。

 

『へいへい。統括官様のご命令通り、必要最小限に派手にやってやるよ』

 

「派手にしないで」

 

『もう遅ぇな』

 

 その直後、モニター上のファルコの光点が一気に前へ出た。

 

 オペレーションルームがざわつく。

 

「速い……!」

 

「この角度で入るのか?」

 

「デブリ帯の反射を使ってる……?」

 

 ペルシアは一喝した。

 

「実況しない! 観測して! ファルコ機の動き、海賊機の進路、救助艇との相対距離、全部出して!」

 

「はい!」

 

 大型モニターに情報が重ねられていく。

 

 宇宙海賊の小型艇三機は、事故船の周囲を囲むように動いていた。

 一機は事故船の船尾側。

 一機は救助艇側を牽制する位置。

 もう一機は、事故船の上部に張りつくような軌道を取っている。

 

 積荷目的か。

 乗員目的か。

 それとも事故そのものを偽装した襲撃か。

 

 今は断定できない。

 だが、はっきりしていることがある。

 

 このままでは救助艇は近づけない。

 

『接敵する』

 

 フォクスの声が通信に入った。

 

 短い。

 落ち着いている。

 余計な熱がない。

 

 その声が、逆にオペレーションルーム全体を静かにさせた。

 

『ファルコ、左翼側を崩せ。スリッピー、事故船の状態確認準備。クリスタル、こちらと反対側の死角を見ろ』

 

『了解!』

 

『任せな!』

 

『分かったわ』

 

 通信の向こうで、彼らの返事が重なる。

 

 ペルシアは、その連携の速さに一瞬だけ息を呑んだ。

 

 迷いがない。

 確認が短い。

 誰が何をするか、言葉の前に身体が分かっている。

 

 これが、彼らの現場。

 

 これが、ペルシアが求めていたもの。

 

 ファルコ機が海賊艇の側面へ切り込んだ。

 

 映像はまだオペレーションルームに出ていない。航跡表示だけだ。

 だが、その航跡だけでも異常な動きだと分かる。

 真っ直ぐ突っ込むのではなく、デブリの影に身を隠すように接近し、急角度で上昇、海賊艇の上をかすめる。

 相手が照準を上げた瞬間、ファルコは反転し、今度は下から抜ける。

 

 海賊艇の軌道が乱れた。

 

『おらよ! こっち見てみろ!』

 

 ファルコの声。

 

 次の瞬間、モニター上で海賊艇一機が事故船から離れた。

 

 さらに二機目も動く。

 

 ファルコは追われているようで、完全に誘導していた。

 海賊艇を事故船から引き剥がし、救助艇から遠ざけ、なおかつ自分の射線へ乗せない。

 

 戦っている。

 だが、殺しに行っているのではない。

 追い払っている。

 

 ペルシアは小さく呟いた。

 

「上手い……」

 

 フレイが横で頷く。

 

「明らかに、救助艇の進入路を開けています」

 

「ええ。ファルコ、こっちが何をしたいか分かってる」

 

 通信班が声を上げる。

 

「海賊艇一機、離脱方向へ転進!」

 

「二機目も距離を取り始めています!」

 

 ファルコの笑い声が通信に乗る。

 

『おいおい、もう逃げんのか? 根性ねぇな!』

 

「ファルコ、深追い禁止!」

 

『分かってるって! 追い払うだけだろ!』

 

 ペルシアは眉を寄せつつも、少しだけ安堵した。

 

 その一方で、スリッピー機が事故船へ近づいていた。

 

『スリッピー、状態は?』

 

 フォクスが言う。

 

『今見る! ナウス、船体スキャン補助お願い!』

 

『了解。事故船の外部構造を推定します』

 

 ナウスの声が管理局側にも流れ込む。

 

 オペレーションルームの技術解析班が驚いたように顔を上げた。

 

「この解析速度……」

 

 ペルシアは即座に言う。

 

「驚くのは後。必要な情報を取り込んで」

 

「はい!」

 

 スリッピーの声が続く。

 

『船体損傷、大きい! 船尾側のエンジンブロックが……うわ、ほとんど消えてる!』

 

「消えてる?」

 

 ペルシアが聞き返す。

 

『爆発で吹き飛んだか、外部から削られたか……エンジンブロック、反応なし。推進力なし。自力航行不可!』

 

 オペレーションルームがざわついた。

 

「エンジン消滅……」

 

「自力航行不可……」

 

「牽引が必要です!」

 

 ペルシアはすぐに指示を出す。

 

「救助艇、牽引準備。事故船の姿勢制御状態は?」

 

 スリッピーが答える。

 

『姿勢制御も弱い! 完全停止じゃないけど、安定してるってほどじゃない。重力制御も最低限。船内はまだ持ってるけど、無理させると危ない!』

 

 クリスタルの声が入る。

 

『周囲警戒。海賊艇二機は離脱、残り一機は距離を取って様子見。まだ戻ってくる可能性があるわ』

 

 フォクスが短く返す。

 

『分かった。クリスタル、そちらを見張れ。ファルコ、離脱した二機を追いすぎるな。スリッピー、船体構造を続けろ』

 

『了解』

 

 ペルシアはモニターを見た。

 

 だが、オペレーションルームの大型モニターには、まだ航跡図と数値ばかりが映っている。

 スターフォクス機からの映像が出ていない。

 

「映像は?」

 

 ペルシアが言う。

 

 通信班の職員が慌てる。

 

「現在、スターフォクス側からの映像を受信していますが、変換形式が管理局標準と異なっており――」

 

「映して」

 

「ですが、解析を通してからでないと――」

 

「遅い!」

 

 ペルシアの声が、オペレーションルーム全体を叩いた。

 

 職員がびくりと肩を跳ねさせる。

 

「今は綺麗な映像を出す時間じゃない! 多少ノイズがあってもいい、映せるものから映して! 現場はもう動いてるのよ!」

 

「は、はい!」

 

「技術解析班、形式変換は最低限。映像優先。記録用の補正は後!」

 

「了解!」

 

 大型モニターの一部が切り替わる。

 数秒のノイズ。

 青白い乱れ。

 画面が揺れ、歪み、そして――スターフォクス機からの映像が映った。

 

 宇宙の闇に、損傷した輸送船が浮かんでいる。

 

 船尾が大きく破損していた。

 エンジンブロックはほとんど残っていない。

 外殻の一部が剥がれ、内部構造がむき出しになっている。

 それでも船体中央部は辛うじて形を保っていた。

 

 まるで、無理やり命を繋いでいるようだった。

 

 ペルシアは息を呑む。

 

「……よく持ってる」

 

 フレイが横で言う。

 

「ですが、長くは持たないかと」

 

「ええ」

 

 救助艇から通信が入る。

 

『こちら救助艇一号。事故船への牽引準備に入ります。船体側面、第二貨物区画下部へグラップルを打ち込み、低速牽引を開始します』

 

 管理局の救助艇長の声だった。

 手順としては間違っていない。通常なら、そこは牽引点として使える場所だ。

 

 だが、その瞬間、クリスタルの声が鋭く入った。

 

『却下』

 

 救助艇側の通信が一瞬止まる。

 

『……こちら救助艇一号。どなたですか』

 

『クリスタル。そんなところに撃ち込むと、機体が割れるわよ』

 

 オペレーションルームが一瞬静まる。

 

 救助艇長の声が硬くなる。

 

『第二貨物区画下部は、同型船の標準牽引点です』

 

『同型船ならね。でもその船は船尾側のフレームが死んでる。下部に荷重をかけたら、残っている外殻ごと裂けるわ』

 

 ペルシアはすぐに映像を見る。

 

 クリスタルの言う通りだった。

 通常の牽引点は、船尾側の構造が生きていることが前提だ。

 だがこの船はエンジンブロックを失い、後部フレームが歪んでいる。そこへグラップルを打ち込めば、牽引力が一点に集中する。

 

 割れる。

 

 船内にまだ生存者がいるなら、致命的だ。

 

「救助艇、待機。グラップル発射中止」

 

 ペルシアが言う。

 

『しかし、統括官――』

 

「中止」

 

 短く、強い声。

 

『了解。グラップル発射中止』

 

 クリスタルが続ける。

 

『打ち込むなら、船体中央上部の補助フレーム付近。外殻が剥がれているけど、内側のリングフレームが残ってる。そこなら荷重を分散できる』

 

 救助艇長が困惑した声を出す。

 

『その位置は……かなり細かい。救助艇のグラップル精度では、安定して打ち込めません』

 

『なら打たないで』

 

『しかし牽引できません』

 

『だから言ってるの。あなた達が打てない場所にしか、安全な場所がない』

 

 クリスタルの声は冷静だが、容赦がない。

 

 ペルシアはモニターを見つめた。

 

「映像を出して」

 

 職員が戸惑う。

 

「出ていますが――」

 

「アーウィンからの正面映像を拡大。クリスタルが言ってる補助フレームを映して」

 

「はい!」

 

 モニターが切り替わる。

 アーウィンからの映像が拡大される。

 損傷した船体中央上部。剥がれた外殻の奥に、細いリング状のフレームが見える。

 

 確かに、残っている。

 だが、細い。

 救助艇のグラップルで狙うには、かなり厳しい。

 

 ペルシアは目を細めた。

 

 客室乗務員時代、船内構造の基礎は叩き込まれた。

 非常時にどこが危ないか。

 どこが避難路になるか。

 どこが衝撃に弱いか。

 完璧ではないが、見れば分かることがある。

 

 クリスタルは正しい。

 

 救助艇の標準手順では、この船を壊す。

 

 ペルシアは通信を繋いだ。

 

「クリスタル、いける?」

 

 少しの間。

 

 クリスタルの声が返ってくる。

 

『もちろん』

 

 迷いのない声だった。

 

 ペルシアは頷いた。

 

「グラップルの打ち込みと牽引は、スターフォクスに任せる」

 

 オペレーションルームが一斉にざわついた。

 

「統括官、救助艇ではなく外部協力者に?」

 

「グラップル作業まで任せるのですか?」

 

「責任は――」

 

 ペルシアは振り返った。

 

「責任は私が取る」

 

 その声で、ざわめきが止まる。

 

「救助艇の精度では危険。スターフォクスなら、打てる。打てる人間に任せる。それだけよ」

 

 フレイが静かに補足する。

 

「現状、事故船の損傷状態から見て、標準牽引点へのグラップル打ち込みは船体破断の危険があります。統括官判断は妥当です」

 

 ペルシアはフレイを一瞬見る。

 

 フレイは淡々としていた。

 けれど、その一言は大きかった。

 

「ありがとう」

 

「職務です」

 

 ペルシアは通信へ戻る。

 

「フォクス、聞こえる?」

 

『聞こえている』

 

「グラップル打ち込み、スターフォクスでできる?」

 

『できる』

 

「牽引は?」

 

『機体単独では難しい。だが、複数機で姿勢を抑えながらなら可能だ』

 

「事故船の重力制御と姿勢制御は最低限しか使えない。無理に動かすと着陸時に詰む」

 

『分かっている』

 

「救助艇は後方で支援。医療と収容準備に回す。牽引はあなた達に任せる」

 

『了解』

 

 ファルコの声が入る。

 

『へっ、救助艇の連中より細かい作業やれってか?』

 

「できるでしょ」

 

『当然だろ』

 

 スリッピーが続く。

 

『僕がフレーム位置を計算する! ナウス、補助フレームの残存強度、推定出して!』

 

『解析中。リングフレームの荷重許容値は低下しています。複数点牽引を推奨』

 

 クリスタルの声。

 

『打ち込みは一点じゃなく二点。上部リングフレームと、右舷側補助梁。角度を合わせれば荷重が分散する』

 

 フォクスが短く言う。

 

『俺とクリスタルで打つ。ファルコ、海賊を見張れ。スリッピー、強度計算』

 

『了解!』

 

 映像の中で、アーウィンが事故船へ近づく。

 

 近すぎる。

 そう思うほど、近い。

 

 事故船の外殻は不安定に揺れ、剥がれた金属片が周囲を漂っている。少しでも接触すれば、アーウィンの機体に傷が入る。だが、フォクスとクリスタルはその間を滑るように進んだ。

 

 ペルシアは息を止める。

 

 オペレーションルームの誰もが、画面を見つめていた。

 

 スリッピーの声が入る。

 

『打ち込み角度、フォクスは三度下。クリスタルは二度上げて。距離、あと八十……六十……四十……』

 

 クリスタルの声は落ち着いている。

 

『見えてるわ』

 

 ファルコの通信が割り込む。

 

『海賊一機、戻りかけてる! 俺が牽制する!』

 

 ペルシアがすぐに言う。

 

「深追い禁止!」

 

『分かってるって!』

 

 画面の端で、ファルコ機が流星のように走る。

 海賊艇が事故船側へ戻ろうとした瞬間、その進路を塞ぐようにファルコが入る。

 攻撃というより、圧力。

 相手に「戻れば危ない」と分からせる動きだった。

 

 海賊艇が進路を変える。

 

 その間に、フォクスとクリスタルが位置についた。

 

『打つ』

 

 フォクスの声。

 

『合わせるわ』

 

 クリスタル。

 

 スリッピーが叫ぶ。

 

『三、二、一――今!』

 

 二つのグラップルが放たれた。

 

 細いワイヤーが宇宙を走る。

 一本は船体中央上部のリングフレームへ。

 もう一本は右舷側補助梁へ。

 

 着弾。

 

 金属が噛む音は聞こえない。

 だが、映像の中でグラップル先端ががっちりと固定されたのが見えた。

 

 オペレーションルームに、小さなどよめきが起きる。

 

「命中……」

 

「本当にあの細いところへ……」

 

 ペルシアはすぐに言う。

 

「どよめかない! 固定状態は?」

 

 スリッピーが答える。

 

『保持確認! ただし、一気に引いたら駄目! ゆっくり、角度を殺しながら!』

 

 フォクスが言う。

 

『牽引開始。クリスタル、張力合わせろ』

 

『了解』

 

 スターフォクスの二機が、事故船の姿勢を崩さないように、極めてゆっくりと推力をかける。

 

 事故船が、ほんのわずかに動いた。

 

 ペルシアは画面を凝視した。

 

「船体の歪みは?」

 

 技術解析班が答える。

 

「現在、許容範囲内。船体中央部に大きな変形はありません」

 

「乗員反応は?」

 

「まだ未確認です。生命反応スキャンが不安定で――」

 

 スリッピーが割り込む。

 

『こっちで微弱反応拾った! 三つ! 弱いけど三つある!』

 

 ペルシアの胸が跳ねた。

 

「三人生きてる」

 

 フレイが小さく息を吐く。

 

「はい」

 

 ペルシアはすぐに救助艇へ言う。

 

「救助艇、スターフォクスが牽引を開始。あなた達は後方から医療収容準備。事故船の安定を確認次第、ドッキングではなく外部ハッチから救助に入る」

 

『了解。救助準備継続』

 

 フォクスの通信が入る。

 

『牽引先は宇宙管理局でいいか?』

 

 その言葉に、オペレーションルーム内の一人がすぐに声を上げた。

 

「統括官、火星の宇宙港の方が距離は近いです! 医療施設もありますし、牽引距離を考えるなら――」

 

「いえ」

 

 その職員の声を、フレイが静かに遮った。

 

 全員がフレイを見る。

 

 フレイはモニターを見たまま、淡々と言った。

 

「フォクスの言う通り、宇宙管理局がいいでしょう」

 

 ペルシアはフレイを見た。

 

 その判断は正しい。

 そして、ペルシアも同じ結論に至っていた。

 

「私も同意」

 

 先ほどの職員が困惑する。

 

「ですが、距離では火星の宇宙港が――」

 

「距離だけで見ない」

 

 ペルシアの声が通る。

 

「今の事故船には推進力がない。エンジンが消滅して、自力航行不可。少しの弾みで船体が余計な方向に動けば、スターフォクスだけで姿勢維持するのは難しくなる」

 

 ペルシアは大型モニターに軌道を表示させる。

 

「それに、船の姿勢制御と重力制御は最低限しか使えない。今ここで無理に制御を使えば、着陸、もしくは係留時に使えない方が致命的。火星の宇宙港へ向かうには、軌道変更が大きい。推進力のない船をその方向へ振るのは危険よ」

 

 フレイが補足する。

 

「現在、事故船は奇跡的に宇宙管理局方面へ向かう軌道に乗っています。スターフォクスの牽引は、その推進力を補助し、逸れないように制御する形が最も負荷が少ないです」

 

 ペルシアは頷いた。

 

「そう。今は、船が既に持っている慣性を利用する。無理に変えない。生きている流れに乗せる」

 

 職員は納得したように頷いた。

 

「……了解しました」

 

 ペルシアは通信へ戻る。

 

「フォクス、牽引先は宇宙管理局。今の軌道を利用して、無理に大きく変えないで。火星宇宙港の方が近く見えるけど、軌道変更の負荷が大きすぎる」

 

『同じ判断だ』

 

 フォクスの声が返る。

 

 ペルシアは少しだけ笑った。

 

「でしょうね」

 

『姿勢維持はこちらでやる。管理局は受け入れ準備を進めろ』

 

「了解。救助艇は後方支援。医療班と係留班を出す」

 

『海賊が戻る可能性はある』

 

「ファルコが見てるでしょ」

 

『あいつは追いすぎる』

 

「知ってる。だから止めて」

 

『了解』

 

 ファルコの声が割り込む。

 

『聞こえてるぞ!』

 

「聞こえるように言ったのよ」

 

『へいへい、追いすぎませんよ、統括官様』

 

「頼むわよ」

 

 ペルシアはモニターを見つめた。

 

 事故船が、ゆっくりと動き始めている。

 フォクスとクリスタルの機体が、まるで繊細な糸で船を支えるように牽引している。

 スリッピーが張力と船体強度を読み、ナウスが補助計算をし、ファルコが周囲を牽制している。

 

 全員が役割を持ち、短い言葉で動いている。

 

 ペルシアは胸の奥が熱くなるのを感じた。

 

 これだ。

 これが欲しかった。

 この速度、この判断、この連携。

 

 だが、今はその感情に浸っている暇はない。

 

「係留班、宇宙管理局側の受け入れ準備。牽引到着予測を出して」

 

「はい!」

 

「医療班、三名生存反応あり。意識不明、低温、外傷、酸欠を想定。重症度不明で準備」

 

「了解!」

 

「救助艇、事故船との距離を保ったまま後方追随。スターフォクスの牽引ラインに干渉しない位置を維持」

 

『救助艇、了解』

 

 フレイが端末を見ながら言う。

 

「宇宙警察より通信。海賊機の追跡について、スターフォクスの行動確認を求めています」

 

 ペルシアは即答した。

 

「今は救出優先。追跡は宇宙警察の仕事。スターフォクスに深追いさせない。そう返して」

 

「承知しました」

 

 局長が静かにペルシアを見る。

 

「君の判断でいい」

 

「ありがとうございます」

 

「ただし、後で大変だぞ」

 

「分かってます」

 

 ペルシアは大型モニターから目を離さなかった。

 

 事故船はまだ危うい。

 牽引は始まったばかり。

 海賊は完全に去ったわけではない。

 宇宙警察も絡んでくる。

 帰還まで何が起きるか分からない。

 

 それでも、一歩進んだ。

 

 救助艇だけでは近づけなかった。

 宇宙警察を待っていたら間に合わなかった。

 スターフォクスが動いたことで、三人の命に手が届いた。

 

 ペルシアは通信回線へ向かって言う。

 

「フォクス」

 

『何だ』

 

「頼むわよ」

 

 短い言葉だった。

 

 フォクスは少しだけ間を置いて答えた。

 

『任せろ』

 

 その声は、静かだった。

 けれど、不思議なほど頼もしかった。

 

 ペルシアは拳を握りしめ、画面の中の事故船を見つめ続けた。

 

 宇宙管理局のオペレーションルーム。

 スターフォクスの牽引。

 救助艇の後方支援。

 宇宙警察の遅れてくる気配。

 

 規則と現場。

 組織と個人。

 信用と不信。

 

 その全部が絡み合う中で、今はただ一つだけが優先された。

 

 三人を、生きて帰すこと。

 

 ペルシアは、静かに息を吐いた。

 

「全員、気を抜かないで。ここからが本番よ」

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