サヴァイヴ〜ドルトムント財閥〜   作:一塔

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事前調整

 一週間後。

 

 ドルトムント財閥宇宙事業部の旅行会社フロアは、いつも通りの朝を迎えていた。

 

 とはいえ、十四班の中では、どこか落ち着かない空気が漂っていた。

 

 理由は一つ。

 

 ペルシアからの電話である。

 

 あの日、タツヤ班長の端末に突然かかってきた電話で、ペルシアは近況をひとしきり話したあと、こう言い残して一方的に切った。

 

 ――リュウジに操縦を見てもらいたい子達がいるのよ。今度、行かせるからよろしく。

 

 それだけならまだいい。

 

 その後に、さらりと爆弾を置いていった。

 

 ――私、宇宙警察に捕まったんだけど、タツヤ班長も捕まらないように気をつけてね。

 

 当然、十四班はざわついた。

 

 エリンは本気で心配した。

 リュウジは眉間に皺を寄せた。

 ククルは「ペルシアさん、何したんですか!?」と何度も言った。

 エマは苦笑しながらも、どこか「ペルシアさんならあり得る」と納得していた。

 カイエは「普通はあり得ないんですけどね」と言いつつ、否定しきれない顔をしていた。

 ミラはしばらく「宇宙警察……逮捕……大丈夫なんですか……」と呟いていた。

 

 そしてタツヤ班長は、いつもの調子でこう言った。

 

「まあ、ペルシアだからねぇ」

 

 その一言で、なぜか全員が妙に納得してしまった。

 

 しかし、肝心の「操縦を見てもらいたい子達」については、まともな資料が届かないまま一週間が過ぎた。

 

 タツヤ班長は何度か端末を確認した。

 

「ペルシア、後で資料送るって言ってたんだけどなぁ」

 

 エリンも何度か尋ねた。

 

「班長、詳細は?」

 

「それがねぇ、来ないんだよ」

 

 リュウジは静かに言った。

 

「当日になって来る可能性がありますね」

 

「やめてよ、リュウジ。そういうこと言うと本当にそうなるから」

 

 タツヤ班長は苦笑した。

 

 そして、その予感は当たった。

 

 

 その日の午前。

 

 ミラは受付用の端末を確認しながら、来客対応の練習も兼ねてフロア入口近くに立っていた。

 

 最近のミラは、少しずつ十四班の空気にも慣れてきた。

 まだ緊張しやすいところはあるが、それでも以前のように何かあるたび肩を跳ねさせることは減っている。

 

 カイエの指導が効いているのだろう。

 ククルやエマが適度に緊張をほぐしてくれるのも大きい。

 何より、エリンが厳しくも丁寧に見守ってくれている。

 

 そんなミラが端末から顔を上げた時、フロア入口に五人の姿が見えた。

 

 先頭に立っているのは、落ち着いた雰囲気の女性だった。

 

 背筋が真っ直ぐで、髪も服装もきちんと整えられている。

 宇宙管理局の制服を着ており、手には端末と薄い資料ケースを持っている。年齢はそれほど上ではなさそうだが、雰囲気は非常に硬い。どこかエリンに似ている、とミラは思った。

 

 その後ろに、四人。

 

 一人は、落ち着いた目をした青年。

 鋭いが、荒くはない。周囲を一目で確認し、必要以上には動かない。リュウジとはまた違う種類の、現場を知っている者の空気をまとっていた。

 

 もう一人は、少し軽そうな雰囲気の青年。

 腕を組み、フロアの中を興味深そうに見回している。口元には余裕のある笑み。けれど、その目は油断していない。

 

 さらに一人は、機械好きらしい雰囲気を漂わせた青年。

 視線があちこちの端末や設備へ向かっている。好奇心を隠しきれていない。

 

 最後の一人は、凛とした女性だった。

 静かで、落ち着きがあり、こちらを見つめる目には警戒と理性が同居している。美しいというより、透き通るような強さを感じる人だった。

 

 ミラは一瞬、固まった。

 

 明らかに普通の来客ではない。

 

 けれど、ここで固まってはいけない。

 受付対応も乗務員の基本。

 まずは笑顔で、丁寧に。

 

 ミラは背筋を伸ばし、軽く頭を下げた。

 

「い、いらっしゃいませ。どちら様でしょうか?」

 

 先頭の女性が、丁寧に頭を下げる。

 

「宇宙管理局のフレイと言います。統括官から、一週間、操縦を教えていただけると聞いて参りました」

 

 その一言で、周囲の空気が止まった。

 

 ミラの目が見開かれる。

 

「統括官……」

 

 その言葉を聞いた瞬間、近くにいたククルが顔を上げた。

 

「えっ?」

 

 エマも振り返る。

 

 カイエも端末から視線を上げた。

 

 タツヤ班長の席にも、その声は届いたらしい。タツヤはゆっくりと立ち上がった。

 

「え? まさか、ペルシアの言っていた?」

 

 フレイは真面目な顔で頷いた。

 

「はい。統括官からは、事前に話はしておくと聞いております」

 

 その瞬間、タツヤ班長はゆっくりと天井を見上げた。

 

「あいつ……後で資料を送るって言ってたのに」

 

 カイエが端末を確認しながら、少し困ったように言う。

 

「班長、メールは来てましたよ」

 

「え、来てた?」

 

「はい。件名が……」

 

 カイエは一瞬、読み上げていいものか迷った顔をした。

 

 エリンも近づいてくる。

 

「カイエ、件名は?」

 

「……『よろしく☆』です」

 

 フロアが沈黙した。

 

 フレイの表情が、わずかに固まった。

 

 後ろにいた軽そうな青年――ファルコが、口元を押さえて笑いを堪える。

 

「ぶっ……」

 

 機械好きらしい青年――スリッピーも肩を震わせる。

 

「ペルシアらしい……」

 

 落ち着いた青年――フォクスは無言で目を閉じた。

 

 凛とした女性――クリスタルは、深くため息を吐いた。

 

 カイエは続ける。

 

「本文は、『宇宙管理局からエリンみたいな子が一人と、操縦を教えてほしい子を四人、送るからよろしく』……だけです」

 

 フレイは完全に頭を抱えた。

 

「……統括官」

 

 その声には、怒りではなく、深い疲労が滲んでいた。

 

 ファルコはとうとう笑った。

 

「ははっ、ひでぇな。説明になってねぇじゃねぇか」

 

 スリッピーも困ったように笑う。

 

「でも、ペルシアならやりそうだよね」

 

 クリスタルは額に手を当てる。

 

「こちらでも相変わらずなのね」

 

 フォクスは低く言った。

 

「想定内だ」

 

 フレイがフォクスを見る。

 

「想定内にしないでください」

 

 タツヤ班長は、苦笑いを浮かべた。

 

「ペルシアはそっちでも相変わらずのようだね」

 

「はい」

 

 フレイは即答した。

 

「非常に、相変わらずです」

 

 その言い方があまりにも実感に満ちていたので、エマが小さく笑った。

 

 ククルも顔をほころばせる。

 

「ペルシアさん、どこに行ってもペルシアさんなんですね」

 

 エリンはフレイの様子を見て、少し同情するような表情を浮かべた。

 

「大変そうね」

 

 フレイはエリンを見た。

 

 その瞬間、ほんの少しだけ目を見開いた。

 

 おそらく、ペルシアから「エリンみたいな子」と表現されていた自分が、実際のエリンを見てしまったからだろう。

 

 エリンは落ち着いた姿勢で立っていた。

 柔らかな表情。整った所作。相手を安心させる穏やかな声。

 けれど、ただ優しいだけではない。空気を見て、必要な判断をする芯の強さがある。

 

 フレイは少しだけ背筋を伸ばした。

 

「初めまして。宇宙管理局のフレイです。統括官ペルシアの補佐をしております」

 

「初めまして。十四班のエリンです。遠いところ、お疲れ様でした」

 

 エリンが丁寧に頭を下げる。

 

 タツヤ班長は軽く手を振った。

 

「エリン、任せていい?」

 

「はい」

 

 エリンは頷いた。

 

「まずは会議室でお話を伺います。リュウジ、ククル、一緒に来てくれる?」

 

 リュウジは静かに立ち上がった。

 

「分かりました、エリンさん」

 

 ククルも元気よく返事をする。

 

「はい、エリンさん!」

 

 エリンは来客五人へ向き直る。

 

「それでは、こちらへどうぞ」

 

 フレイが頷く。

 

「よろしくお願いいたします」

 

 後ろの四人も動き出す。

 

 その時だった。

 

 エリンが先導して歩き出した瞬間、スターフォクスの三人――フォクス、ファルコ、スリッピーの視線が、自然とエリンに吸い寄せられた。

 

 優雅な所作。

 無駄のない歩き方。

 柔らかな声。

 しかし、ただ美しいだけではなく、全体を見ながら動くプロの空気。

 

 ファルコが小さく呟いた。

 

「……へぇ」

 

 スリッピーは素直に目を丸くする。

 

「すごい……なんか、ペルシアが言ってたの分かるかも」

 

 フォクスも、ほんのわずかに目を細めていた。

 

 その様子を見たクリスタルが、横でわざとらしく咳払いをした。

 

「んっ」

 

 三人が一瞬で我に返る。

 

 ファルコが少し慌てたように視線を逸らした。

 

「いや、別に何でもねぇよ」

 

 スリッピーも小声で言う。

 

「うん、何でもないよ」

 

 フォクスは無言で前を向いた。

 

 クリスタルは呆れたように言う。

 

「分かりやすすぎるわ」

 

 フレイも小さくため息をついた。

 

「皆さん、失礼のないようにお願いします」

 

 ファルコが肩をすくめる。

 

「分かってるって」

 

 そのやり取りを、ククルはしっかり見ていた。

 

 そして心の中で思った。

 

(あ、エリンさんに見惚れてる)

 

 しかし、口には出さなかった。

 

 言えば、あとでエリンに怒られる気がしたからである。

 

 

 第一会議室。

 

 エリンが上座側に立ち、フレイとスターフォクスの四人が席についた。

 リュウジはエリンの隣に控える形で座り、ククルは少し後ろの補助席に座った。

 

 フレイは資料ケースから端末と簡易資料を取り出す。

 

 その所作は実に丁寧で、無駄がない。

 

 エリンはフレイに向かって、柔らかく口を開いた。

 

「それでは、改めて内容を聞いてもいいですか?」

 

 フレイは深く頭を下げた。

 

「こちらの連絡が十分に届いておらず、大変申し訳ございません」

 

「いえ。事情は何となく分かります」

 

 エリンが苦笑する。

 

 ククルが小さく呟く。

 

「ペルシアさんですもんね」

 

 フレイは真面目に頷いた。

 

「はい。統括官ですので」

 

 その言い方に、ファルコがまた笑いそうになる。

 

 クリスタルが横目で睨むと、ファルコは咳払いして誤魔化した。

 

 フレイは資料を開いた。

 

「今回は、宇宙管理局統括官直属のチーム、スターフォクスに対し、操縦及び対人戦闘、現場対応について、一週間の指導をお願いしたいと考えております」

 

 エリンは静かに頷いた。

 

「操縦と対人戦闘ですね」

 

「はい。特に、統括官からは『リュウジに一度見てもらって』と強く言われています」

 

 全員の視線がリュウジに向いた。

 

 リュウジは表情を変えずに聞いていた。

 

 エリンが確認するように言う。

 

「リュウジに任せてもいい?」

 

 リュウジは静かに頷いた。

 

「ええ、大丈夫です、エリンさん」

 

 ファルコがリュウジを見る。

 

「へぇ。あんたがリュウジか」

 

 リュウジもファルコを見る。

 

「ああ」

 

「ペルシアから聞いてるぜ。S級ライセンス持ちなんだってな」

 

「そうだ」

 

「操縦、相当やるって話だが」

 

「見れば分かる」

 

 リュウジは静かに言った。

 

 その声に挑発はない。

 ただ、事実を言っているだけ。

 

 ファルコは一瞬目を細め、それからにやりと笑った。

 

「いいねぇ。そういうの嫌いじゃねぇ」

 

 フォクスもリュウジを見ていた。

 

 落ち着いている。

 自分の腕を誇示しない。

 だが、引く気もない。

 

 確かに、ただのパイロットではない。

 

 スリッピーは少し緊張したように言う。

 

「僕はC級だから、操縦はみんなほどじゃないんだけど……機械やシステム設備なら得意だよ」

 

 リュウジはスリッピーを見る。

 

「なら、操縦そのものだけではなく、機体の癖や制御の理解も見る」

 

 スリッピーの目が輝いた。

 

「そういうの、すごく興味ある!」

 

 クリスタルは静かに口を開いた。

 

「私はB級よ。操縦より、医療支援や索敵、対人対応の方が得意だけれど、必要なら訓練は受けるわ」

 

 エリンが頷く。

 

「医療資格もお持ちなんですね」

 

「ええ」

 

「では、乗務員側の緊急時対応とも相性が良さそうです。もしよろしければ、私の方でも少しお話を伺いたいわ」

 

 クリスタルは一瞬だけエリンを見る。

 

 そして、静かに頷いた。

 

「構わないわ」

 

 フレイは資料を確認しながら続ける。

 

「一週間の予定ですが、初日は顔合わせと能力確認。二日目以降、午前に操縦及び機体制御、午後に対人戦闘及び現場判断訓練を想定しております。ただし、詳細は現地で調整するようにと統括官から指示を受けています」

 

 エリンが少しだけ首を傾げる。

 

「他には何かありますか?」

 

 フレイの口がわずかに止まった。

 

「他には……」

 

 その歯切れの悪さに、エリンは察した。

 

「ペルシアが、何か言っていたんですね」

 

 フレイは少しだけ視線を落とした。

 

「……はい」

 

「どうぞ。言ってください」

 

 フレイは諦めたように息を吐いた。

 

「後はエリンに任せる、と統括官は言っていました」

 

 一瞬の沈黙。

 

 エリンは「あはは」と苦笑した。

 

「ペルシアらしいわね」

 

 ククルも小さく笑う。

 

「丸投げですね」

 

 リュウジは静かに言った。

 

「いつものことだな」

 

 フレイは深々と頭を下げる。

 

「申し訳ありません」

 

「フレイさんが謝ることじゃないわ」

 

 エリンは微笑んだ。

 

「分かりました。では、こちらで一週間の流れを組みます。リュウジが操縦面を担当し、対人戦闘についてもリュウジを中心に見ます。ククルには補助についてもらいます」

 

「私、補助ですか?」

 

 ククルが目を丸くする。

 

「ええ。あなたは勢いがあるから、現場での反応役に向いているわ。ただし、足音には気をつけてね」

 

「は、はい……!」

 

 ククルは背筋を伸ばした。

 

 ファルコが小声でスリッピーに言う。

 

「足音って、そんなとこまで見るのか?」

 

 スリッピーが小声で返す。

 

「客室乗務員ってすごいね……」

 

 クリスタルはエリンを見ながら、小さく言った。

 

「ペルシアが言っていた意味が少し分かったわ」

 

「何を言っていたの?」

 

 エリンが聞く。

 

 クリスタルは少しだけ考えた。

 

「エリンは優しい顔をしているけれど、絶対に甘くないって」

 

 ククルが思わず噴き出しそうになった。

 

 エリンは笑顔のまま、目だけを細めた。

 

「ペルシアには後で連絡しておくわ」

 

 その声に、ククルの背筋がぞくっとした。

 

(ペルシアさん、逃げて……)

 

 フレイは真面目に頷いた。

 

「統括官への連絡は、こちらでも行います」

 

「お願いします」

 

 エリンは次に尋ねた。

 

「それで、フレイさんはどうされますか?」

 

「私は訓練を見守ります」

 

「記録も?」

 

「はい。必要に応じて訓練内容を統括官へ報告します」

 

「分かりました。では、フレイさんにも訓練室への立ち入り許可を出します。見学位置はこちらで指定しますので、危険がないようにお願いします」

 

「承知しました」

 

 話が一段落したところで、ククルがおずおずと手を上げた。

 

「あの……」

 

 エリンが見る。

 

「何?」

 

「ちなみに、ペルシアさんが捕まったというのは……」

 

 会議室の空気が、また少し変わった。

 

 フレイは一瞬、目を閉じた。

 

 フォクスは無言。

 ファルコは楽しそうに口元を上げる。

 スリッピーは困ったように笑い、クリスタルは静かにため息を吐いた。

 

 エリンの表情が、わずかに険しくなる。

 

「やっぱり本当なの?」

 

 フレイはゆっくり頷いた。

 

「はい。事実です」

 

 ククルが目を見開く。

 

「ほ、本当に捕まったんですか!?」

 

「はい」

 

 リュウジの眉間に皺が寄る。

 

「何をしたんだ」

 

 フレイは非常に言いにくそうにした。

 

 ファルコが横から笑いながら言う。

 

「俺達が宇宙警察に拘束されたんだよ。そしたらペルシアが『不当逮捕だ』って騒いで、俺達を取り返そうとして暴れた」

 

「暴れた……」

 

 ククルが呟く。

 

 スリッピーが慌てて補足する。

 

「たぶん、本人は暴れたつもりじゃないんだけど……」

 

 クリスタルが冷静に言う。

 

「警備員五名を突破しようとして、本部長室の扉を蹴ったらしいわ」

 

「扉を……蹴った?」

 

 エリンの声が低くなる。

 

 フレイは静かに言った。

 

「結果、公務執行妨害で拘留されました」

 

 ククルは両手で口を覆った。

 

「ペルシアさん……」

 

 リュウジは額に手を当てた。

 

「あいつは何をしてるんだ」

 

 エリンはしばらく黙っていた。

 

 そして、深く息を吐いた。

 

「本当に……本当にペルシアは……」

 

 怒っている。

 心配している。

 呆れている。

 でも、完全には驚いていない。

 

 フレイはエリンの反応を見て、少しだけ不思議そうな顔をした。

 

「驚かれないのですね」

 

「驚いているわ」

 

 エリンは即答した。

 

「でも、ペルシアならやりかねないとも思ってしまうの」

 

 リュウジも静かに頷いた。

 

「分かります」

 

 ククルも小さく頷く。

 

「分かっちゃいます……」

 

 ファルコが笑った。

 

「こっちでも扱い同じなんだな」

 

 クリスタルが呆れたように言う。

 

「本当にどこへ行ってもペルシアなのね」

 

 エリンは真剣な顔でフレイを見る。

 

「怪我は?」

 

「ありません。拘留中も食事と睡眠は取っていました」

 

「睡眠?」

 

 クリスタルが静かに言った。

 

「本人は寝てないと言っていたけれど、いびきをかいていたそうよ」

 

 ククルが吹き出した。

 

「ペルシアさん!」

 

 エリンは額を押さえた。

 

「……元気そうで何よりだわ」

 

 リュウジが静かに言う。

 

「後で連絡を入れます」

 

「ええ」

 

 エリンは頷いた。

 

「私からも言いたいことがたくさんあるわ」

 

 フレイは真面目に言った。

 

「その際は、睡眠と食事についても強く言っていただけると助かります」

 

 エリンはフレイを見る。

 

「やっぱり無茶しているのね」

 

「はい」

 

 フレイは即答した。

 

「非常に」

 

 クリスタルも頷く。

 

「寝不足で酒を飲もうとするから、目を離せないわ」

 

 エリンの目が鋭くなった。

 

「寝不足で、お酒?」

 

 会議室の温度が下がった気がした。

 

 ククルは小さく震える。

 

 ファルコが小声でスリッピーに言う。

 

「おい、今の声、怖くねぇか?」

 

「うん、ちょっと怖い」

 

 クリスタルは淡々と言った。

 

「だから止めたわ」

 

 エリンはクリスタルへ静かに頭を下げた。

 

「ありがとう。これからも止めてあげて」

 

「そのつもりよ」

 

「お願いします」

 

 フレイも真剣に頷いた。

 

「私からもお願いします」

 

 クリスタルは少しだけ困ったような顔をした。

 

「……ペルシアの周りには、心配する人が多いのね」

 

 エリンは少しだけ微笑んだ。

 

「そうね。あの子は心配させる天才だから」

 

 リュウジが低く言う。

 

「本当にそうですね」

 

 ククルが頷く。

 

「でも、ペルシアさんらしいです」

 

 その言葉に、エリンは苦笑した。

 

「らしいで済ませてはいけないのだけどね」

 

 フレイは静かに言う。

 

「統括官は、こちらでも多くの人を巻き込み、心配させ、そして結果的に動かしています」

 

 ファルコが笑う。

 

「巻き込まれた側から言うと、だいたい迷惑だけどな」

 

「でも、嫌ではないでしょう?」

 

 クリスタルが言う。

 

 ファルコは一瞬黙り、肩をすくめた。

 

「まあな」

 

 フォクスはそれまで黙っていたが、静かに口を開いた。

 

「ペルシアには借りがある」

 

 会議室の視線がフォクスに集まる。

 

 フォクスは淡々と続けた。

 

「だから、今回ここに来た。リュウジの操縦を見るためでもあるが、ペルシアが信頼している十四班を見るためでもある」

 

 エリンは少し驚いたようにフォクスを見る。

 

「ペルシアが、私達を?」

 

「よく話している」

 

 フォクスは短く答えた。

 

「エリンは怖い。リュウジは操縦馬鹿。ククルはうるさい。エマは甘いもの。カイエはゲーム。ミラは真面目で伸びる」

 

 ククルが声を上げた。

 

「うるさい!?」

 

 リュウジも少し眉を動かす。

 

「操縦馬鹿……」

 

 会議室の外で待機していたエマとカイエとミラが、もし聞いていたらそれぞれ反応しただろう。

 

 エリンはこめかみを押さえた。

 

「ペルシア……」

 

 フレイは真面目に言う。

 

「統括官は、褒めているつもりだと思います」

 

「余計に困るわ」

 

 エリンはため息を吐いたが、少しだけ笑っていた。

 

「分かりました。では、一週間、しっかり見させてもらいます」

 

 フォクスが頷く。

 

「頼む」

 

 ファルコはにやりと笑う。

 

「こっちも楽しみにしてるぜ。S級の操縦ってやつをな」

 

 リュウジは静かにファルコを見る。

 

「期待に応えられるかは分からないが、見せられるものは見せる」

 

「言うじゃねぇか」

 

「事実だ」

 

 その短いやり取りだけで、空気が少し熱を帯びた。

 

 ククルは小さく拳を握る。

 

(これ、絶対すごい訓練になる……!)

 

 エリンは会議室全体を見渡し、穏やかに言った。

 

「それでは、今日はまず能力確認から始めましょう。午前は操縦シミュレーター、午後は対人戦闘と現場対応。無理はさせませんが、手加減もしません」

 

 クリスタルが少しだけ口元を上げた。

 

「ペルシアの言っていた通りね」

 

「何が?」

 

「優しい顔をしているけれど、甘くない」

 

 エリンは微笑んだ。

 

「必要な時だけよ」

 

 フレイは端末に記録を打ち込んだ。

 

「初日訓練、開始準備。記録します」

 

 その時、会議室の空気が、新しい緊張に包まれた。

 

 ペルシアが一方的に置いていった縁。

 宇宙管理局の新しいチーム。

 スターフォクス。

 リュウジの操縦。

 エリンの現場対応。

 そして、ペルシアの無茶な信頼。

 

 そのすべてが、ここから一週間、ドルトムント財閥の旅行会社で交わることになる。

 

 エリンは静かに立ち上がった。

 

「では、訓練室へ案内します」

 

 フォクス達も立ち上がる。

 

 ファルコは軽く肩を回し、スリッピーは少し緊張しながらも目を輝かせ、クリスタルは落ち着いた表情でエリンの後に続いた。

 フレイは端末を抱え、きっちりとした歩幅で歩く。

 

 リュウジは最後に立ち上がり、ファルコとフォクスを一瞥した。

 

 操縦士同士の、言葉にしない挨拶。

 

 ファルコは笑った。

 

 フォクスは静かに頷いた。

 

 ククルは胸を高鳴らせながら、その後ろをついていく。

 

 そしてエリンは、会議室の扉を開けながら心の中で呟いた。

 

(ペルシア、また大変な人達を送ってきたわね)

 

 けれど、不思議と嫌ではなかった。

 

 むしろ、少し楽しみですらあった。

 

 ペルシアが信じたチーム。

 ならば、きっと何かがある。

 

 その何かを見極める一週間が、今、始まろうとしていた。

 

 

 

ーーーー

 

 

 訓練室へ移動すると、空気が一段変わった。

 

 ドルトムント財閥宇宙事業部の訓練室は、ただ広いだけの部屋ではない。

 

 壁一面に展開される大型モニター。

 中央に据えられた操縦シミュレーター。

 周囲には観測用端末と記録席。

 さらに奥には、客室側の揺れや乗務員の動線まで再現できる副次モジュールが並んでいる。

 

 宇宙船の操縦だけを見る施設ではない。

 

 乗客がいる。

 客室乗務員がいる。

 荷物がある。

 飲み物がある。

 高齢者がいる。

 子どもがいる。

 体調不良者がいる。

 

 この訓練室は、宇宙船という一つの空間全体を再現するための場所だった。

 

 スターフォクスの面々は、部屋へ入った瞬間にそれぞれ反応を見せた。

 

 スリッピーは真っ先に設備へ目を輝かせた。

 

「すごい……! これ、操縦系だけじゃなくて、客室負荷も連動してるんだ。揺れの伝達値も出せるんだね。あっちの端末、たぶん乗客のストレス値を疑似的に計算してるんだ。へぇ、すごいなぁ……!」

 

 フレイは端末を取り出し、すぐに記録を始める。

 

「訓練室設備、想定以上に総合的です。統括官への報告事項として記録します」

 

 ファルコは腕を組み、操縦シミュレーターを見て口元を上げた。

 

「へぇ。悪くねぇな。こういうのなら退屈しなさそうだ」

 

 クリスタルは訓練室全体を見回しながら、静かに言った。

 

「操縦だけではなく、乗客への影響も見るのね」

 

 エリンが頷く。

 

「ええ。私達の仕事では、操縦の良し悪しは客室にも大きく影響するわ。どれだけ安全でも、乗客が不安を感じ続ければ、それは良いフライトとは言えないもの」

 

 クリスタルはエリンを見る。

 

「ペルシアが言っていたわ。エリンは客室の空気を見ているって」

 

「ペルシアが?」

 

「ええ。正確には、見ていないようで全部見ているから怖い、だったかしら」

 

 ククルが小さく吹き出しそうになった。

 

 エリンは笑顔のまま、少しだけ目を細める。

 

「ペルシアには、あとで一度きちんと話をしないといけないわね」

 

 フレイが真面目な顔で言う。

 

「その際は、私も同席してよろしいでしょうか。統括官には、最近さらに書類の提出遅延が見られますので」

 

「もちろん」

 

「ありがとうございます」

 

 ファルコが小声でスリッピーに言う。

 

「ペルシア、逃げ場なくなってねぇか?」

 

「うん……。でも自業自得かも」

 

 フォクスは黙っていた。

 

 彼の目は、操縦シミュレーターへ向いている。

 

 訓練室に入ってから、フォクスは必要最低限しか話していない。

 だが、その静かな目は確かに動いていた。

 

 計器配置。

 視界投影。

 操作系の応答幅。

 操縦桿の可動域。

 緊急時の切替スイッチ。

 そして、シミュレーター周囲の記録装置。

 

 パイロットとして見ている。

 

 ファルコも同じだった。

 軽口を叩きながらも、目の奥は完全に操縦士のものになっている。

 

 リュウジは、二人の視線を横目で確認していた。

 

 見られている。

 

 値踏みされているわけではない。

 同じ操縦士として、相手の技量を測る前段階の観察だ。

 

 それはリュウジにも分かる。

 

 リュウジは静かにシミュレーターへ近づいた。

 

 エリンが声をかける。

 

「リュウジ、最初はあなたが見せる形でいいかしら?」

 

「はい、エリンさん」

 

 リュウジは短く答え、操縦席へ座った。

 

 その動きだけで、少し空気が変わった。

 

 派手さはない。

 気負いもない。

 だが、座った瞬間に、その場所がリュウジの空間になったようだった。

 

 フォクスの目がわずかに細くなる。

 

 ファルコは腕を組み直した。

 

 スリッピーは期待と緊張が混じった顔でモニターを見つめる。

 

 クリスタルも一歩後ろから、リュウジの手元を見た。

 

 フレイは記録端末を構えた。

 

 ククルは補助端末の前に立ちながら、どこか誇らしげな顔をしていた。

 

 エリンは、訓練用端末を操作する。

 

「今回のデモンストレーションは、定期便を想定します。機体は旧式中型客船。乗客数は八十名。ブロックはAからDまで。出発後、重力遷移域で断続的な揺れが発生。途中で小規模デブリ帯を避けるための針路修正が必要になります」

 

 ファルコが片眉を上げる。

 

「旧式中型客船か。面倒なやつだな」

 

 リュウジは操縦桿に手を置きながら、静かに言った。

 

「重い。反応も遅い。だが、癖が分かれば扱える」

 

 フォクスが低く言う。

 

「癖が分かれば、か」

 

「ああ」

 

 エリンが続ける。

 

「客室側では、揺れに弱い乗客、子ども、高齢者がいます。飲み物の配膳中に揺れが来る想定も入れています。目的は、単に航路を抜けることではなく、乗客に余計な不安を与えずに目的地まで運ぶことです」

 

 フレイが記録する手を一瞬止めた。

 

「乗客の心理状態まで評価対象に含めるのですね」

 

「ええ」

 

 エリンは頷く。

 

「操縦は、客室と切り離せないから」

 

 その言葉に、クリスタルが少しだけ表情を動かした。

 

 スターフォクスの訓練では、操縦は生き残るため、戦うため、目的地へ到達するためのものだった。

 もちろん救助もする。輸送もする。だが、乗客の不安を最小限に抑える、という視点は、民間定期便ならではのものだ。

 

 フォクス達にとって、それは少し新鮮だった。

 

 エリンが端末を操作する。

 

「シミュレーション開始」

 

 訓練室の照明が一段落ちた。

 

 大型モニターに、宇宙船の外部映像が映る。

 操縦席前方には、コロニー外縁部の発進路。

 計器が点灯し、模擬エンジン音が低く響く。

 

 客室モジュール側のモニターには、乗客の疑似データが並んだ。

 

 不安度。

 体調値。

 酔いの兆候。

 着席状態。

 荷物棚の固定状態。

 乗務員の移動負荷。

 

 スリッピーは目を輝かせる。

 

「これ、すごく細かい……! 操縦の揺れが客室側の数値にすぐ反映されるんだ」

 

 ククルは嬉しそうに胸を張った。

 

「そうなんです! リュウジさんの操縦を見ると、客室側の数値が全然違うんですよ!」

 

 ファルコが笑う。

 

「へぇ。そこまで言うなら見せてもらおうじゃねぇか」

 

 リュウジは何も言わなかった。

 

 ただ、操縦桿を握る指が、静かに動いた。

 

 発進。

 

 旧式中型客船が、重い船体を押し出すように動き始めた。

 

 通常、旧式機の発進はわずかに重い。

 初速が鈍く、重力制御の切り替わりで船体に揺れが出る。

 操縦士が下手なら、客室では小さく身体が沈み込むような感覚が出る。

 

 だが、リュウジの発進は違った。

 

 最初の加速が滑らかだった。

 

 強く押し出すのではなく、船体そのものが進みたい方向へ自然に流れたように見えた。

 操縦桿の動きはほんのわずか。

 スロットルの上げ方も小刻みではない。

 だが、計器上では出力が段階的に、極めて滑らかに上昇している。

 

 フレイの端末に、客室揺れ係数が表示された。

 

 基準値を大きく下回っている。

 

「……揺れが少ない」

 

 フレイが思わず呟いた。

 

 ククルは嬉しそうに言う。

 

「そうなんです! リュウジさんの発進って、客室だとすごく楽なんです!」

 

 ファルコはまだ余裕の顔をしていた。

 

「発進は上手いな」

 

 フォクスは黙っている。

 

 リュウジは静かに針路を修正し、重力遷移域へ入った。

 

 ここからが本番だった。

 

 モニターに警告が出る。

 

『重力遷移域突入。船体負荷上昇。断続的揺れ発生予測』

 

 通常なら、この区間で船体が左右に揺れる。

 旧式客船は反応が遅く、細かい補正を入れても揺れが後から返ってくる。

 補正しすぎると逆に揺れが増える。

 補正しなければ、客室は不快な振動に包まれる。

 

 リュウジの目が、わずかに細くなった。

 

 操縦桿が小さく動く。

 

 右へ。

 戻す。

 下げる。

 ほんの少し上げる。

 出力を落とす。

 次の瞬間には戻す。

 

 動きは小さすぎて、操縦に慣れていない者にはほとんど分からない。

 

 だが、フォクスとファルコには分かった。

 

 リュウジは、揺れが起きてから抑えているのではない。

 

 起きる前に、船体が揺れようとする方向を読んでいる。

 

 ファルコの顔から、少しずつ笑みが消えていく。

 

「……今の、先に入れたのか?」

 

 フォクスが低く答える。

 

「ああ」

 

「見えてんのか?」

 

「見ているというより、読んでいる」

 

 ファルコは舌打ちに近い息を漏らした。

 

「マジかよ」

 

 スリッピーは端末に表示される波形を見て、完全に前のめりになっていた。

 

「すごい……揺れの山が出る前に潰してる。しかも全部潰してるわけじゃない。客室に伝わらない程度に、船体側で逃がしてるんだ。無理にゼロにしようとしてない」

 

 クリスタルがモニターを見る。

 

「客室の不安度も上がっていないわ」

 

 フレイの指が止まる。

 

「揺れ予測値に対して、体感揺れが半分以下……いえ、それ以下です」

 

 ククルは嬉しそうに頷く。

 

「そうなんです! リュウジさんって、揺れを消すんじゃなくて、乗ってる人が嫌だって思う揺れだけ消すんです!」

 

 その言い方は少し感覚的だったが、核心を突いていた。

 

 リュウジは揺れを完全に殺しているのではない。

 

 船体には必要な逃げを残す。

 だが、乗客が不快に感じる揺れ、飲み物がこぼれる揺れ、体調不良を誘発する揺れは客室へ届く前に抑える。

 

 操縦士としての技術だけでなく、客室を知っていなければできない操縦だった。

 

 ファルコは黙った。

 

 自分にはできるか。

 

 できない、とは言いたくない。

 操縦には自信がある。

 戦闘機動なら誰にも負けないと思っている。

 危険宙域も、海賊との追撃戦も、デブリ帯の抜け方も、身体に染み込んでいる。

 

 だが、今リュウジがやっていることは、自分の得意な操縦とは違う。

 

 速く動くのではない。

 強く捻じ伏せるのでもない。

 船の重さ、遅れ、癖、乗客の体感、そのすべてを受け入れた上で、最小限の動きで整えている。

 

 ファルコは、知らず知らずのうちに拳を握っていた。

 

 フォクスもまた、同じように驚いていた。

 

 表情には出にくい。

 だが、目が変わっている。

 

 フォクスも操縦には自信がある。

 冷静な判断、現場指揮、操縦精度。

 スターフォクスの中心として、数えきれないほど危険な宙域を抜けてきた。

 

 そのフォクスから見ても、リュウジの操縦は異質だった。

 

 ただ上手いのではない。

 

 無駄がない。

 

 操縦士の主張がない。

 

 俺はこんなに上手い、という誇示がない。

 船を従わせるのではなく、船が最も自然に動ける道筋を作っている。

 

 それでいて、必要な瞬間には一切迷わない。

 

 次の警告が出た。

 

『小規模デブリ帯接近。針路修正必要。客室内、配膳中の乗務員あり』

 

 ククルが思わず反応する。

 

「あ、この想定……!」

 

 エリンが横で静かに言う。

 

「配膳中に急な針路修正が入る場面よ。雑に避けると、客室側で転倒や飲み物の転倒が起きるわ」

 

 ファルコがモニターを見る。

 

 前方に、小規模デブリ帯。

 大きな障害物ではない。避けるだけなら難しくない。

 だが、旧式中型客船で、客室への影響を抑えたまま抜けるとなると話が違う。

 

 リュウジは前方映像を見た。

 

 手元が動く。

 

 通常の回避よりも早い。

 だが、急ではない。

 

 船体が進路を変える前に、わずかに上下の姿勢を整える。

 続いて、横方向の出力をほんの少し入れる。

 メイン出力は下げすぎない。

 船体の慣性を殺さず、進行方向を薄くずらす。

 

 まるで大きな布を、水の流れに沿ってそっと動かすようだった。

 

 デブリは避けている。

 だが、客室は揺れない。

 

 いや、揺れてはいる。

 だが、その揺れは緩やかで、乗客が「船が動いた」と理解できる程度。

 不安に変わるほどではない。

 

 客室モニターでは、配膳中の乗務員が立ったままバランスを保っていた。

 

 飲み物の揺れも、許容範囲内。

 

 フレイが記録端末を見ながら、声を失いかける。

 

「配膳中の転倒リスク……上がっていません」

 

 スリッピーが食い入るように波形を見る。

 

「すごい……! 回避に使った推力が、客室の縦揺れと相殺されてる。これ、ただ避けただけじゃない。客室側の負荷まで計算してる」

 

 クリスタルは静かに呟いた。

 

「乗客を見ている操縦ね」

 

 その言葉に、エリンが少しだけ嬉しそうに微笑んだ。

 

「ええ。リュウジの操縦は、そういう操縦なの」

 

 ククルは我が事のように胸を張る。

 

「リュウジさん、すごいんですよ! 本当にすごいんです!」

 

 ファルコがククルを見る。

 

「ずいぶん嬉しそうだな」

 

「嬉しいですよ! だって、リュウジさんの操縦って、客室にいる私達からしたら本当に助かるんです。揺れが少ないだけじゃなくて、こっちが動ける余裕を作ってくれるんです!」

 

 ククルの声には熱があった。

 

「普通、揺れがある時って、乗務員は歩き方も声かけもすごく気を使うんです。飲み物も運べないし、体調悪いお客様が増えるし、子どもも不安になるし。でもリュウジさんが操縦してると、揺れてるのに、こっちが動けるんです。次に揺れが来るって分かるくらい自然で、変に怖くないんです」

 

 スリッピーは驚いたようにククルを見た。

 

「客室側からそんなふうに感じるんだ……」

 

「はい!」

 

 ククルは大きく頷く。

 

「だから、リュウジさんの操縦って、ただ上手いだけじゃないんです。客室の人も、乗客も、みんな一緒に連れていってくれる操縦なんです!」

 

 その言葉に、リュウジの手がほんのわずかに止まりかけた。

 

 しかし、すぐに操縦へ戻る。

 

 エリンはそれに気づき、少しだけ笑みを浮かべた。

 

 照れている。

 

 リュウジは表情には出さない。

 だが、今のククルの言葉は、確かに届いている。

 

 シミュレーションは終盤へ入った。

 

 目的地直前。

 最終進入中に、片側姿勢制御ユニットの反応遅延が発生する想定。

 

 警告音が鳴る。

 

『右舷側姿勢制御ユニット、反応遅延。着陸進入角補正必要』

 

 ファルコの目が鋭くなる。

 

「これは厄介だな」

 

 フォクスも頷く。

 

「旧式客船で片側遅延。着陸で出ると難しい」

 

 普通なら、ここで揺れる。

 あるいは進入角を取り直す。

 安全を重視するなら一度進入を中止し、再進入する選択もある。

 

 だが、リュウジは進入をやめなかった。

 

 もちろん、無理をしたわけではない。

 

 遅れている右舷側を無理に動かさず、左舷側とメイン出力、そして船体の自然な傾きを利用して進入角を作る。

 

 右で足りない分を左で補うのではない。

 足りないまま成立する角度を探す。

 

 操縦桿の動きは、相変わらず小さい。

 

 しかし計器の数字は、恐ろしいほど精密に変化していた。

 

 フォクスが低く呟く。

 

「……そこを通すのか」

 

 ファルコも声を漏らす。

 

「冗談だろ」

 

 スリッピーはほとんど叫びそうになっている。

 

「進入角、基準値内……! でも普通の補正じゃない。右舷側の遅れを逆に使ってる! 反応しない部分を、反応しない前提で組んでるんだ!」

 

 クリスタルは息を呑む。

 

「壊れた部分まで、船の一部として扱っているのね」

 

 フレイは記録する手が止まっていた。

 

 普段なら絶対に手を止めない彼女が、画面を見つめたまま動けなかった。

 

 そのくらい、異常な操縦だった。

 

 着陸。

 

 旧式中型客船が、着陸ポイントへ滑り込む。

 

 衝撃はほとんどなかった。

 

 計器上では着地衝撃が出ている。

 だが、客室側の体感値は極めて低い。

 

 最後に船体がわずかに沈み込むような感覚を残し、シミュレーションは終了した。

 

『シミュレーション完了。航路逸脱なし。客室負荷、低水準。乗客不安度、軽微。体調悪化者、なし。客室内事故、なし』

 

 訓練室に静寂が落ちた。

 

 誰もすぐには喋らなかった。

 

 リュウジは操縦桿から手を離し、静かに息を吐いた。

 

「終わった」

 

 ただそれだけを言った。

 

 ファルコは、しばらく何も言えなかった。

 

 フォクスも黙っていた。

 

 スリッピーは端末とリュウジを交互に見ている。

 クリスタルは深く息を吐いた。

 フレイは記録端末を握ったまま、ようやく瞬きをした。

 

 ククルは、そんな一同の反応を見て、どこか嬉しそうだった。

 

「ね? すごいでしょ?」

 

 その声で、ようやくファルコが我に返った。

 

「……すげぇな」

 

 短い言葉だった。

 

 だが、ファルコの口からそれが出たことに、スリッピーが驚いたようにファルコを見る。

 

「ファルコが素直に褒めた……」

 

「うるせぇ」

 

 ファルコは少し照れたように顔を背ける。

 

「見たもんは見たんだよ」

 

 フォクスはリュウジを見つめた。

 

「今の進入、再進入しない判断をした理由は?」

 

 リュウジは操縦席から立ち上がりながら答える。

 

「再進入すると燃料と時間を使う。乗客の不安も増える。右舷側の遅延は完全停止じゃなかった。反応の癖が読める範囲だったから、そのまま入れた」

 

「反応の癖を、あの短時間で読んだのか」

 

「ああ」

 

 フォクスは沈黙した。

 

 それは簡単な返事だった。

 だが、やっていることは簡単ではない。

 

 ファルコが腕を組む。

 

「正直、戦闘機動なら俺の方が派手に動けると思ってた」

 

「派手さは必要ない」

 

 リュウジが言う。

 

「ああ、今の見たら分かる」

 

 ファルコは苦笑した。

 

「派手に動くんじゃなくて、動かさないために動くってわけか」

 

「そうだ」

 

 その答えに、ファルコはますます苦い顔をした。

 

「分かってても難しいやつだな」

 

 クリスタルがリュウジを見る。

 

「乗客の不安度を常に見ていたの?」

 

「計器は見ていない」

 

「え?」

 

「客室側の数値は見ていない。船体の反応と、客室に伝わる感覚を想定して操縦していた」

 

 スリッピーが声を失う。

 

「見てないのに……?」

 

 リュウジは頷く。

 

「操縦中に客室モニターを見すぎると遅れる。客室で何が起きるかは、船の動きから予測する」

 

 フレイがようやく記録を再開した。

 

「操縦中、客室側数値を直接参照せず。船体挙動から客室影響を予測……」

 

 書きながら、フレイは小さく呟く。

 

「統括官が、リュウジさんに見てもらいたいと言った理由が分かりました」

 

 エリンは静かに微笑んだ。

 

「リュウジは、操縦だけを見る人じゃないから」

 

 フォクスはリュウジへ向き直った。

 

「お前は、客室乗務員の動きまで考えて操縦しているのか」

 

「必要なら」

 

「必要なら、か」

 

 フォクスは少しだけ目を伏せた。

 

「俺達の操縦とは違う」

 

 リュウジは静かに言った。

 

「戦闘や救助の現場なら、お前達の操縦が必要な時もある。俺の操縦が常に正しいわけじゃない」

 

 ファルコが少し驚いたようにリュウジを見る。

 

 リュウジは続ける。

 

「だが、乗客を乗せた船では、速さや強さだけでは足りない。人を運ぶ操縦が必要になる」

 

 クリスタルが頷く。

 

「人を運ぶ操縦……」

 

 ククルが嬉しそうに言った。

 

「そうなんです! リュウジさんって、ただ船を動かしてるんじゃなくて、お客様も乗務員も一緒に運んでくれるんです!」

 

「ククル、少し大げさだ」

 

 リュウジが静かに言う。

 

「大げさじゃないです!」

 

 ククルは勢いよく首を横に振った。

 

「リュウジさんは自分ではそう言いますけど、私達は本当に助かってるんです。揺れが少ないと、お客様への声かけにも余裕が出るし、飲み物を運ぶ時も怖くないし、体調悪い人にも早く気づけるし。操縦が客室を支えてるんですよ!」

 

 リュウジは少しだけ視線を逸らした。

 

「……そうか」

 

 エリンが横から静かに言う。

 

「そうよ、リュウジ」

 

 リュウジはエリンを見る。

 

 エリンは穏やかに微笑んでいた。

 

「あなたの操縦は、客室をちゃんと支えているわ」

 

 リュウジは一瞬だけ黙った。

 

 そして、静かに頷いた。

 

「ありがとうございます、エリンさん」

 

 ファルコはそのやり取りを見て、ちらりとククルへ視線を向けた。

 

「なあ、あの二人って……」

 

 ククルは即座に小声で言う。

 

「その話題は危険です」

 

「危険?」

 

「エリンさんに聞こえたら、後が怖いです」

 

 ファルコはエリンをちらりと見る。

 

 エリンはにっこりと笑っていた。

 

 聞こえているのか、いないのか。

 

 ファルコは即座に黙った。

 

 スリッピーは端末のデータを見ながら、まだ興奮していた。

 

「リュウジ、今のログ、あとで見てもいい? すごく参考になる。特に重力遷移域の補正と、最後の右舷遅延のところ!」

 

「構わない」

 

「本当? ありがとう!」

 

 フレイがすぐに言う。

 

「ログの共有については、機密区分を確認した上でお願いいたします」

 

 スリッピーが肩を落とす。

 

「あ、はい……」

 

 リュウジは少しだけ苦笑した。

 

「見せられる範囲で共有する」

 

 フォクスはゆっくりと操縦シミュレーターへ視線を向けた。

 

「次は俺達の番だな」

 

 その声で、空気がまた変わった。

 

 見せられた。

 

 圧倒的なものを。

 

 ならば、次は自分達が見せる番だ。

 

 ファルコが首を鳴らす。

 

「ようやくか。さすがに今の後だと、ちょっと燃えるな」

 

 クリスタルは落ち着いた声で言う。

 

「無理に張り合う必要はないわ」

 

「分かってるって」

 

「本当に?」

 

「たぶん」

 

 クリスタルはため息を吐いた。

 

 スリッピーは少し緊張した顔になった。

 

「僕、最初じゃないよね?」

 

 ファルコが笑う。

 

「お前は後でいいだろ。まずはフォクスか俺だな」

 

 フォクスはリュウジを見る。

 

「こちらの操縦を見るなら、どういう順番がいい」

 

 リュウジは少し考えた。

 

「まずフォクス。次にファルコ。クリスタル、スリッピーの順で見たい」

 

 ファルコが眉を上げる。

 

「俺が二番か」

 

「ああ」

 

「理由は?」

 

「フォクスは指揮を含めた操縦を見る。ファルコは機体制御の癖を見たい。クリスタルは戦闘より支援寄りだと聞いた。スリッピーは最後に、操縦とシステム理解を合わせて見る」

 

 スリッピーが感心したように言う。

 

「もうそこまで考えてるんだ……」

 

 フレイが記録する。

 

「訓練順、フォクス、ファルコ、クリスタル、スリッピー。理由明確」

 

 エリンはリュウジへ確認する。

 

「評価項目はどうする?」

 

 リュウジは答える。

 

「操縦精度、判断速度、機体負荷、緊急時の切替。加えて、本人の癖を見る」

 

「分かったわ」

 

 エリンは端末を操作し、次のシミュレーション設定を開いた。

 

「では、次からはスターフォクスの皆さんの操縦を確認します。最初はフォクスさん」

 

 フォクスは静かに頷き、操縦席へ向かった。

 

 彼が座ると、先ほどのリュウジとはまた違う空気が生まれた。

 

 リュウジは船を包み込むように座った。

 フォクスは現場全体を掌握するように座る。

 

 姿勢は自然。

 視線は前方だけではなく、周囲の計器にも素早く走る。

 手は操縦桿に置かれているが、力みはない。

 

 リュウジはその姿を見て、静かに言った。

 

「いい座り方だ」

 

 フォクスがちらりと見る。

 

「評価は始まっているのか」

 

「ああ」

 

「厳しいな」

 

「ペルシアから頼まれているからな」

 

 フォクスは少しだけ口元を動かした。

 

「なら仕方ない」

 

 ファルコが後ろから声をかける。

 

「フォクス、さっきの見た後だ。変に綺麗にやろうとすんなよ」

 

「分かっている」

 

「お前はお前の操縦でいけ」

 

「ああ」

 

 クリスタルは静かにフォクスを見る。

 

「落ち着いて」

 

「問題ない」

 

 スリッピーは端末を構えた。

 

「ログ取るね!」

 

 フレイも記録準備を整える。

 

 ククルは補助席で、どこか緊張した顔をしていた。

 

「次はフォクスさんの操縦……」

 

 エリンが端末を操作する。

 

「フォクスさんには、救助現場想定で見ます。小型船での接近、周辺障害物あり、要救助船あり。現場判断と安全確保を重視します」

 

 リュウジが頷く。

 

「それがいい」

 

 フォクスは前方モニターを見る。

 

「了解した」

 

 訓練室の照明がまた一段落ちる。

 

 新しいシミュレーションが立ち上がる。

 

 先ほどまでリュウジが見せたのは、人を運ぶ操縦だった。

 

 次に見るのは、現場へ踏み込む操縦。

 

 フォクス達の本領。

 

 ファルコは腕を組み、少しだけ笑った。

 

「さて、見せてやろうぜ。俺達の飛び方ってやつを」

 

 ククルは息を呑み、フレイは記録端末を握り、クリスタルは静かに見守る。

 

 リュウジはフォクスの手元を見ていた。

 

 その目は、先ほど見せた操縦士の目とは違う。

 

 今度は、見極める者の目だった。

 

 エリンが静かに告げる。

 

「シミュレーション、開始します」

 

 フォクスの手が、操縦桿を握った。

 

 スターフォクスの操縦を、ドルトムント財閥の訓練室が初めて迎え入れた瞬間だった。

 

 

 

ーーーー

 

 

 

 エリンが端末を操作すると、訓練室の大型モニターが切り替わった。

 

 今度の想定は、先ほどのような定期便ではない。

 

 表示されたのは、暗い宙域。

 小規模なデブリ帯。

 通信障害。

 漂流する小型輸送船。

 その周囲を不規則に流れる金属片。

 さらに遠方には、所属不明の小型艇反応が二つ。

 

 完全に、現場対応のためのシミュレーションだった。

 

 エリンは静かに説明する。

 

「今回の想定は、未探索航路外縁での小型輸送船救助です。要救助船は推進力を失い、姿勢制御も不安定。周辺には小規模デブリが流れています。通信は断続的。所属不明機の反応も確認されています」

 

 ククルは補助端末の前で息を呑んだ。

 

「一気に雰囲気変わりましたね……」

 

 フレイは記録端末を構える。

 

「救助、警戒、操縦、現場判断を複合的に確認する内容ですね」

 

 エリンは頷いた。

 

「ええ。ここからは、操縦技術だけでなく、現場に入る時の判断を見ます」

 

 リュウジはフォクスの後ろに立ち、静かにモニターを見つめていた。

 

「フォクス、まずは普段通りでいい」

 

「ああ」

 

 フォクスは短く答えた。

 

 操縦席に座る姿に、余計な力はなかった。

 肩は落ち着き、視線は正面映像と計器を素早く行き来する。

 操縦桿を握る手にも、緊張は見えない。

 

 だが、空気が張り詰めている。

 

 フォクスは、ただ船を動かそうとしているのではない。

 現場全体を見ようとしている。

 

 ファルコは腕を組み、少し離れた位置で見ていた。

 

「フォクス、最初から固く行くなよ」

 

「分かっている」

 

 クリスタルは静かに言う。

 

「所属不明機の位置、見落とさないで」

 

「見えている」

 

 スリッピーは端末にかじりつくようにして、訓練データを見ていた。

 

「デブリの流れ、右上から左下へ。周期は不安定。これ、途中で進路が変わる設定かもしれない」

 

 エリンがリュウジを見る。

 

「スリッピーさん、もう読み始めているわね」

 

「はい。機械とシステムに強いという話は本当のようです」

 

 リュウジはそう答えながらも、視線はフォクスの手元から離さなかった。

 

 エリンが告げる。

 

「シミュレーション、開始します」

 

 短い電子音が鳴った。

 

 フォクスの機体が、暗い宙域へ滑り出す。

 

 最初の動きは、驚くほど静かだった。

 

 ファルコのように一気に前へ出るわけではない。

 かといって、慎重すぎるわけでもない。

 機体を必要な速度まで上げながら、デブリの密度、要救助船の位置、所属不明機の反応を同時に確認している。

 

 リュウジは、その数秒だけでフォクスの操縦の性質を理解し始めた。

 

 フォクスは、速さよりも位置を取る。

 

 危険の中心に飛び込むのではなく、現場全体を見渡せる場所へ機体を置く。

 敵が動いても、要救助船が流されても、デブリの方向が変わっても、次の判断ができる位置を選ぶ。

 

 フォクスの機体は、要救助船へ直線で向かわなかった。

 

 一度、左上へ抜ける。

 

 ククルが小さく声を漏らす。

 

「あれ? 真っ直ぐ行かないんですね」

 

 リュウジが答える。

 

「真っ直ぐ行くと、所属不明機と要救助船の間に入れない。今の位置取りなら、相手が動いた時に割って入れる」

 

 フレイが記録する。

 

「要救助船への直行ではなく、周辺制圧と警戒位置の確保を優先……」

 

 ファルコは口元を少し上げた。

 

「フォクスらしいな」

 

 フォクスの機体が、要救助船の斜め上方へ入る。

 

 その瞬間、所属不明機の一つが動いた。

 

 警告音。

 

『所属不明機、加速。要救助船へ接近』

 

 フォクスは一切慌てなかった。

 

 機体を落とし、所属不明機と要救助船の間へ滑り込む。

 速い。

 だが無理がない。

 相手の進路を塞ぐ角度で入りながら、自機の退避方向も残している。

 

 リュウジの目が細くなる。

 

「いい」

 

 短い言葉だった。

 

 それだけで、フォクスの動きが評価に値するものだと分かる。

 

 フォクスは警告射線を入れる。

 所属不明機は進路を変えた。

 

 追わない。

 

 ファルコなら追いかけたくなる場面だ。

 相手の背中を取れる。

 逃げるなら、そこで圧力をかけて完全に遠ざけることもできる。

 

 だが、フォクスは追わなかった。

 

 要救助船から離れすぎない位置を維持する。

 

 クリスタルが静かに言った。

 

「深追いしない」

 

 リュウジは頷いた。

 

「救助優先の判断として正しい。相手を落とすことより、要救助船を守ることを優先している」

 

 ファルコは少しつまらなそうに鼻を鳴らした。

 

「分かってるけどな。あそこで追えば、相手はもっと下がったぜ」

 

 リュウジはファルコを見る。

 

「その間にもう一機が入る」

 

「……まあな」

 

 ファルコは口ではそう言ったが、反論はしなかった。

 

 シミュレーションは進む。

 

 デブリの流れが変わった。

 

 スリッピーが声を上げる。

 

「来る! 右側、流れが速くなる!」

 

 フォクスはその声を待っていたかのように機体をずらした。

 要救助船とデブリの間に入り、牽引のための接近ルートを確保する。

 

 その際、機体を大きく振らない。

 細かく、しかし確実に進路を調整する。

 

 リュウジは手元を見ていた。

 

 フォクスは、操縦桿を強く握っていない。

 余裕を持たせたまま、必要な時だけ入力している。

 現場指揮をしながら操縦するには、あの余裕が必要になる。

 

 最終段階。

 

 要救助船の接続ポイントへ近づき、仮想グラップルを撃ち込む。

 

 フォクスの機体が静かに寄る。

 

 距離を詰める。

 微調整。

 デブリを避ける。

 もう一度、所属不明機の位置を確認。

 接続。

 

『接続成功。要救助船、牽引可能状態』

 

 シミュレーション完了の音が鳴った。

 

 フォクスは操縦桿から手を離した。

 

 訓練室は静かだった。

 

 派手ではなかった。

 だが、無駄がなかった。

 

 エリンがリュウジを見る。

 

「どう?」

 

 リュウジは短く頷いた。

 

「現場指揮をしながらの操縦が上手い。自分が動きすぎず、全体を見ている。救助想定ならかなり強い」

 

 フォクスは静かにリュウジを見る。

 

「改善点は?」

 

「安全幅を取る判断はいい。ただ、相手がもっと攻撃的だった場合、先に圧をかける必要がある場面もある。今の動きは守るには強いが、崩すには少し遅れる」

 

 ファルコがにやりと笑った。

 

「ほらな。言ったろ」

 

 フォクスはファルコを見ずに答える。

 

「それは次の課題だな」

 

 リュウジは続ける。

 

「だが、最初に見る操縦としては十分だ。ペルシアが頼る理由も分かる」

 

 その言葉に、フレイが小さく頷いた。

 

「記録します。フォクス、現場指揮及び救助支援において高評価。課題は攻勢判断の初動速度」

 

 フォクスは静かに頷いた。

 

「分かった」

 

 次はファルコだった。

 

 ファルコは待ってましたと言わんばかりに操縦席へ向かった。

 

「ようやくだな」

 

 ククルは少し身を乗り出す。

 

「ファルコさん、すごく自信ありそうですね」

 

「実際、自信はあるぜ」

 

 ファルコは操縦席に座りながら答えた。

 

「操縦と戦闘で食ってきたんだ。半端な動きはしねぇよ」

 

 リュウジは静かに言った。

 

「見せてもらう」

 

 ファルコは口元を上げた。

 

「見逃すなよ」

 

 エリンが次の想定を立ち上げる。

 

「ファルコには、追撃及び迎撃想定で行います。障害物あり。敵性機三機。目的は、味方支援機を守りながら敵性機を排除、または撤退させること」

 

「いいねぇ」

 

 ファルコの目が鋭くなった。

 

 シミュレーション開始。

 

 ファルコの機体は、最初から速かった。

 

 フォクスとはまったく違う。

 

 開始と同時に前へ出る。

 だが、ただ突っ込んでいるわけではない。

 敵性機の動き出しを読み、最初の一機が射線を取る前に、その側面へ入り込む。

 

 ファルコの操縦は、攻撃的だった。

 

 しかし雑ではない。

 

 機体の軸がぶれない。

 速度を落とさず、狭いデブリの間を抜ける。

 急旋回後の姿勢復帰も早い。

 相手が反応するより先に、次の位置へ移っている。

 

 ククルは思わず声を上げた。

 

「速い……!」

 

 スリッピーは端末を見ながら言う。

 

「ファルコ、やっぱり反応速度がすごい。敵の照準が追いつく前に抜けてる」

 

 クリスタルは腕を組みながらも、目は真剣だった。

 

「ただ、少し前に出すぎているわ」

 

 リュウジも同じ点を見ていた。

 

 ファルコは一機目を圧倒する。

 撃墜判定ではなく、撤退判定に追い込む。

 次に二機目へ向かう。

 

 速い。

 

 強い。

 

 見ていて分かりやすい操縦だ。

 

 だが、支援機から距離が開いた。

 

 敵性機三機目が、支援機の背後へ回り込む。

 

 警告。

 

『味方支援機、被照準』

 

 ファルコは舌打ちした。

 

「ちっ」

 

 即座に反転。

 

 凄まじい速度で戻る。

 

 戻り方も上手い。

 無茶な急停止ではなく、デブリの影を使って機体を滑らせ、最短で支援機の背後へ入る。

 

 ギリギリで間に合った。

 

 敵性機三機目を追い払い、支援機は無事。

 

 シミュレーション完了。

 

 ファルコは操縦桿から手を離し、少し悔しそうに息を吐いた。

 

「最後、釣られたな」

 

 リュウジは頷いた。

 

「ああ」

 

 ファルコは振り返る。

 

「はっきり言うな」

 

「言っていいんだろう」

 

「まあな」

 

 リュウジはモニターに映る航跡を指した。

 

「一対一ならかなり強い。速度、反応、機体制御、どれも高い。戦闘機動なら俺より上の部分もある」

 

 その言葉に、訓練室が少しざわついた。

 

 ファルコも一瞬驚いたように目を開く。

 

「へぇ。そこは認めるんだな」

 

「事実だ」

 

 リュウジは淡々と言った。

 

「ただ、守る対象がある時に前へ出すぎる。相手がそれを読んで支援機を狙うと、今みたいに戻る必要が出る。戻れる腕があるから成立しているが、戻れない状況では危ない」

 

 ファルコはしばらく黙った。

 

 そして、苦笑した。

 

「痛いところ突くな」

 

 フォクスが静かに言う。

 

「いつも言っている」

 

「お前に言われるのと、こいつに言われるのは違ぇんだよ」

 

 ファルコはリュウジを見る。

 

「分かった。次はそこ意識する」

 

 フレイが記録する。

 

「ファルコ、戦闘機動及び高速制圧能力は高評価。課題は守備対象との距離管理、攻勢時の視野維持」

 

 ファルコは肩をすくめた。

 

「書類にされると、余計に刺さるな」

 

 次はクリスタルだった。

 

 クリスタルは静かに操縦席へ座った。

 

 ファルコのような勢いはない。

 フォクスのような指揮官の圧も少し違う。

 

 だが、落ち着いている。

 

 彼女が座った瞬間、訓練室の空気が少し澄んだように感じられた。

 

 エリンが想定を告げる。

 

「クリスタルには、負傷者回収支援想定で行います。敵性機の可能性あり。要救助者の位置は不確定。機体操作、索敵、接近、離脱判断を見ます」

 

「分かったわ」

 

 シミュレーション開始。

 

 クリスタルの機体は、最初から無理をしなかった。

 

 速度を上げすぎない。

 かといって遅くもない。

 周辺を確認しながら、要救助反応が出る可能性の高い範囲へ向かう。

 

 スリッピーが小さく言う。

 

「クリスタルは、こういうの上手いんだ」

 

 実際、その通りだった。

 

 クリスタルは、反応の弱い信号を見落とさない。

 デブリの反射と生命反応の疑似データを切り分けながら、無理なく機体を寄せる。

 

 途中、敵性機らしき反応が出た。

 

 ファルコなら迎撃に出る。

 フォクスなら位置取りを優先する。

 

 クリスタルは、さらに一歩違った。

 

 交戦しない。

 

 自分の機体を障害物の影へ滑らせ、敵性機の索敵範囲から外れる。

 そのまま要救助反応へ近づき、回収可能な位置を確保する。

 

 フレイが感心したように言う。

 

「危険を避けながら、目的を失っていない」

 

 リュウジは頷いた。

 

「支援型の操縦だ。戦うためではなく、助けるために動いている」

 

 クリスタルは要救助反応へ接近する。

 

 接近が丁寧だった。

 急がない。

 だが遅れない。

 

 必要な距離まで近づき、回収判定。

 その直後、敵性機が接近。

 

 クリスタルは即座に離脱した。

 

 その判断が早い。

 

 欲張らない。

 一人を助けた後、もう一つの反応に向かう前に、周囲を確認する。

 

 シミュレーション完了時、要救助者回収率は高く、被弾判定はゼロだった。

 

 クリスタルは操縦席から立ち上がる。

 

「どうかしら」

 

 リュウジは静かに言った。

 

「無理がない。支援と救助の操縦として優秀だ。特に危険を避ける判断が早い」

 

 クリスタルは少しだけ目を細める。

 

「課題は?」

 

「接近が丁寧な分、相手が速い場合に先を越される可能性がある。もう少し踏み込める場面がある」

 

「なるほど」

 

 クリスタルは素直に頷いた。

 

「自覚はあるわ。私はフォクスやファルコほど前に出ないから」

 

「前に出る必要はない。ただ、出ても戻れる範囲を広げるといい」

 

「覚えておくわ」

 

 フレイが記録する。

 

「クリスタル、支援及び救助接近に高評価。課題は接近判断の踏み込み幅」

 

 最後はスリッピーだった。

 

 スリッピーは明らかに緊張していた。

 

「うわぁ……僕、最後か……」

 

 ファルコが笑う。

 

「気楽にやれよ。落ちてもログは残るだけだ」

 

「それが怖いんだよ!」

 

 クリスタルが優しく言う。

 

「大丈夫。普段通りでいいわ」

 

 フォクスも短く言った。

 

「スリッピーの強みを出せ」

 

「う、うん」

 

 スリッピーは操縦席へ座る。

 

 リュウジは静かに言った。

 

「スリッピーは、機体そのものをどう理解しているかを見る」

 

「機体そのもの?」

 

「ああ。操縦の腕だけで判断しない」

 

 その言葉で、スリッピーの顔が少し変わった。

 

「……分かった」

 

 エリンが想定を設定する。

 

「スリッピーには、故障機体での離脱想定です。片側推進低下、通信不安定、機体センサーの一部にノイズ。戦闘ではなく、生還と機体制御を目的とします」

 

 スリッピーの目が輝いた。

 

「それ、面白いかも」

 

 シミュレーション開始。

 

 スリッピーの操縦は、最初から他の三人とは違った。

 

 純粋な操縦技術だけなら、フォクスやファルコには届かない。

 機体の動きにも、わずかな遅れがある。

 反応に迷いが出る瞬間もある。

 

 だが、スリッピーは機体の異常を読むのが早かった。

 

「右側推進、完全に死んでるんじゃなくて、出力波形が乱れてるだけだ。これなら周期を合わせれば少し使える……センサーのノイズは三番系統だけ。四番は生きてる。なら、三番を切って四番に寄せる」

 

 操縦しながら、喋っている。

 

 リュウジは目を細めた。

 

 スリッピーは機体を直しながら飛んでいる。

 

 故障を抱えたまま、使える部分を探し、捨てる部分を捨て、残った機能で機体を成立させている。

 

 フレイが驚いたように記録する。

 

「操縦中に制御系を再構成……」

 

 ファルコが笑う。

 

「スリッピーの真骨頂だな」

 

 スリッピーは途中で一度、機体を大きく傾けた。

 

 ククルが息を呑む。

 

「あっ……!」

 

 しかし、墜ちない。

 

 傾いた機体を、乱れた推進出力の周期に合わせて戻す。

 綺麗ではない。

 だが、粘る。

 

 最後は、最低限の推進だけで離脱ポイントへ到達した。

 

『シミュレーション完了。機体損耗あり。生還判定』

 

 スリッピーは大きく息を吐いた。

 

「はぁ……怖かった……」

 

 ファルコが笑う。

 

「でも戻ったじゃねぇか」

 

「ギリギリだよ!」

 

 リュウジは静かに言った。

 

「面白い操縦だ」

 

 スリッピーが顔を上げる。

 

「え?」

 

「操縦技術だけなら課題は多い。判断に迷う時もある。だが、機体の状態を読む力はかなり高い。壊れた機体で戻る力がある」

 

 スリッピーの顔が明るくなる。

 

「本当?」

 

「ああ」

 

 リュウジは続けた。

 

「操縦そのものを鍛えれば、かなり伸びる。システム理解がある分、普通の操縦士とは違う成長をすると思う」

 

 スリッピーは嬉しそうに笑った。

 

「よかった……!」

 

 フレイが記録する。

 

「スリッピー、純粋操縦技術には課題あり。ただし、機体理解、故障時対応、制御再構成能力に高評価」

 

 これで四人全員の初回確認が終わった。

 

 訓練室には、心地よい緊張と疲労が残っていた。

 

 エリンは全員を見渡す。

 

「皆さん、お疲れ様でした。初回確認としては、十分すぎる内容でした」

 

 ファルコが肩を回す。

 

「いやぁ、思ったより濃いな。初日からこれかよ」

 

 ククルが笑う。

 

「エリンさんの訓練は、初日から濃いですよ」

 

 クリスタルが静かに言う。

 

「納得したわ」

 

 フォクスはリュウジを見る。

 

「評価は?」

 

 リュウジは少し間を置いた。

 

「全員、強い」

 

 短い言葉。

 

 だが、重みがあった。

 

「フォクスは現場指揮と救助判断。ファルコは戦闘機動と制圧力。クリスタルは支援と危険回避。スリッピーは機体理解と異常対応。それぞれ強みがはっきりしている」

 

 スターフォクスの四人は、黙って聞いていた。

 

「ただし、癖もはっきりしている。一週間で全部を変える必要はない。むしろ変えない方がいい部分もある。だが、互いの癖を知れば、もっと強くなる」

 

 フォクスが頷いた。

 

「続ける価値はありそうだな」

 

 リュウジは静かに返す。

 

「ああ」

 

 ファルコがにやりと笑う。

 

「面白くなってきたじゃねぇか」

 

 スリッピーは少し興奮したように言う。

 

「僕、リュウジのログももっと見たいし、自分の操縦も直したい!」

 

 クリスタルはエリンを見る。

 

「一週間、よろしくお願いするわ」

 

 エリンは柔らかく微笑んだ。

 

「こちらこそ。かなり濃い一週間になりそうね」

 

 フレイは端末を閉じながら、真面目に言った。

 

「統括官への報告事項が非常に多くなりました」

 

 ククルが笑う。

 

「ペルシアさん、ちゃんと読みますかね?」

 

 フレイは一瞬黙った。

 

「読ませます」

 

 その声があまりにも固かったので、全員が少しだけ笑った。

 

 リュウジは最後に、シミュレーターの電源を落とした。

 

「午後は対人戦闘と現場判断を見る」

 

 ファルコが目を輝かせる。

 

「そっちも楽しみだ」

 

 リュウジは静かに言った。

 

「手加減はしない」

 

 フォクスが頷く。

 

「望むところだ」

 

 訓練室の空気が、再び熱を帯びる。

 

 初回確認は終わった。

 だが、本当の訓練はここからだった。

 

 ペルシアが繋いだ縁は、早くも互いの実力をぶつけ合い、確かめ合う段階へ進んでいた。

 そしてその中心には、静かに見極めるリュウジと、全体を整えるエリンがいた。

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