サヴァイヴ〜ドルトムント財閥〜   作:一塔

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再会

 一週間は、思っていたよりも早く過ぎていった。

 

 最初の日、フォクス達がドルトムント財閥の旅行会社フロアに現れた時、十四班の空気は明らかに揺れた。

 

 宇宙管理局。

 統括官直属チーム。

 スターフォクス。

 そして、ペルシアが一方的に送り込んできたという、あまりにもペルシアらしい紹介。

 

 戸惑いがなかったと言えば嘘になる。

 

 けれど、その戸惑いは、初日の訓練が始まった瞬間に別のものへ変わっていった。

 

 フォクス達は強かった。

 

 操縦だけではない。

 現場での判断、危険の読み方、引くべき時と踏み込むべき時の見極め。

 それぞれに癖はあるが、それぞれに明確な強みがあった。

 

 フォクスは、状況全体を見る力が抜けていた。

 危険の中心に飛び込むのではなく、現場の要になる位置へ機体を置く。救助対象、敵性反応、味方の動き、障害物の流れ。そのすべてを一つの盤面として捉えていた。

 

 ファルコは、圧倒的な反応速度と攻撃的な操縦が際立っていた。

 前に出る。踏み込む。相手に自由を与えない。

 その分、守る対象との距離が開く癖もあったが、リュウジの指摘を受けてからは、その距離管理に意識を向けるようになった。

 

 クリスタルは、支援と救助の判断が速かった。

 無理に戦わない。必要なら避ける。見つける。近づく。離脱する。

 医療資格を持つだけあって、負傷者をどう回収するか、現場で何を優先するかという視点が鋭かった。

 

 スリッピーは、純粋な操縦技術では三人に及ばない部分があった。

 だが、機械とシステムの理解は群を抜いていた。壊れた機体をどう動かすか、どの制御を切り、どの系統を残すか。操縦しながら機体を組み直すような発想は、リュウジにも新鮮だった。

 

 そして、その四人にとって、リュウジの教えは刺激的だった。

 

 リュウジは多くを語らない。

 

 長々と理論を並べることもない。

 感情的に叱ることもない。

 ただ、見たものを正確に言う。

 

「今の入り方はいい。ただ、戻る場所を一つ余分に残した方がいい」

 

「そこは速度を上げる必要はない。相手を急がせれば、自分は動かなくてもいい」

 

「今の判断は遅くない。ただ、迷った理由を自分で分かっておいた方がいい」

 

「スリッピー、今の制御切替は面白い。だが、切り替えた後の機体の重さを先に見ておけ」

 

 淡々としている。

 

 けれど、的確だった。

 

 フォクスは、リュウジの言葉を受け止めるたび、黙って次の動きに反映した。

 ファルコは最初こそ「細けぇな」と笑っていたが、三日目には「もう一回だ」と自分からシミュレーターに座るようになった。

 クリスタルは、リュウジの指摘を一度聞けば、次には必ず違う動きを見せた。

 スリッピーは、リュウジからログの見方を教わるたびに目を輝かせ、「これ、すごい! こういう見方もあるんだ!」と端末に食いついていた。

 

 一週間の間に、訓練室の空気は少しずつ変わっていった。

 

 最初は、互いに相手を見る目だった。

 どの程度の腕なのか。

 信用していいのか。

 どこまで踏み込んでいいのか。

 

 それが三日目には、互いに課題を指摘し合う空気になった。

 

 四日目には、ファルコがククルに「お前、声でかいけど反応はいいな」と言い、ククルが「声が大きいのは余計です!」と返していた。

 五日目には、スリッピーとカイエが休憩室で携帯ゲームの話で盛り上がり、二人だけで妙な専門用語を並べ始めたため、ミラが「何を話しているのか全然分かりません……」と困った顔をしていた。

 六日目には、クリスタルとエリン、フレイが訓練後の記録整理をしながら、ペルシアの無茶について深く頷き合う場面まであった。

 

「統括官は、食事を抜くことがあります」

 

 フレイが真顔で言えば、エリンは静かに眉を寄せた。

 

「昔からそういうところがあるの。自分のことを後回しにするのよ」

 

「寝不足でお酒を飲もうとするわ」

 

 クリスタルが言うと、エリンの顔がさらに険しくなる。

 

「それは止めて正解ね」

 

「止めたわ」

 

「ありがとう」

 

「当然よ」

 

 その横でフレイが端末に何かを入力していた。

 

「統括官生活管理項目に、クリスタルさん及びエリンさんの意見を追記します」

 

「そんな項目があるの?」

 

 エリンが驚くと、フレイは真面目に頷いた。

 

「必要ですので」

 

 クリスタルも当然のように頷いた。

 

「必要ね」

 

 エリンは少しだけ笑った。

 

「ペルシアが聞いたら嫌がりそうね」

 

「嫌がっても記録します」

 

 フレイの返事は揺るがなかった。

 

 そのやり取りを見たククルは、小声でエマに言った。

 

「ねぇ、エリンさんとクリスタルさんとフレイさんが揃うと、ペルシアさん逃げ場ないね」

 

 エマはにっこり笑った。

 

「うん。ペルシアさんの健康には良さそう」

 

 カイエは携帯ゲームを操作しながら、スリッピーに言った。

 

「ここは回避優先じゃなくて、あえて受けてからカウンターの方が安定するよ」

 

「えっ、そうなの? でもこの敵、二段目が早いよ?」

 

「だから一段目だけガードして、二段目の前に横へ抜けるの」

 

「なるほど! カイエ、すごいね!」

 

「ゲームだけならね」

 

「いや、システムの読み方が上手いよ。機体制御にも通じるところあるかも」

 

「そうかな?」

 

「うん!」

 

 カイエは少しだけ照れたように笑った。

 

 ミラはその横で二人の画面を覗き込みながら、困ったように言う。

 

「カイエさんもスリッピーさんも、どうしてそんなにすぐ分かるんですか……?」

 

「慣れだよ」

 

 カイエが柔らかく言う。

 

「僕も慣れだと思う」

 

 スリッピーも頷く。

 

 ミラは真面目な顔で呟いた。

 

「慣れってすごいですね……」

 

 そんなふうに、最初は異物のようだったスターフォクスの四人は、少しずつ十四班の空気に馴染んでいった。

 

 もちろん、完全に同じになるわけではない。

 

 フォクス達には、宇宙ハンターとしての空気がある。

 十四班には、民間旅行会社として乗客を運ぶ空気がある。

 

 けれど、それはぶつかるばかりではなかった。

 

 互いに足りないものを見せ合う一週間だった。

 

 リュウジは、フォクス達の現場判断から学ぶものがあった。

 フォクスとファルコは、リュウジの「人を乗せる操縦」から刺激を受けた。

 クリスタルは、エリンの客室全体を整える考え方に深く興味を持った。

 スリッピーは、ドルトムントの訓練設備とカイエのゲーム思考に妙な親近感を覚えた。

 フレイは、エリンの記録整理と指導の丁寧さに強い信頼を寄せるようになった。

 

 そして、その中心には、本人不在にもかかわらず、常にペルシアの存在があった。

 

 訓練がうまくいけば、誰かが「ペルシアが見たら喜びそう」と言った。

 無茶な課題が出れば、誰かが「ペルシアなら笑ってやらせる」と言った。

 食事や休憩の話になれば、「ペルシアはちゃんと休んでいるのか」という話になった。

 

 いないのに、いる。

 

 それがペルシアだった。

 

 

 そして、一週間の最終日。

 

 朝の朝礼の時間。

 

 十四班のフロアには、いつもより多くの人が集まっていた。

 

 エリン、リュウジ、タツヤ班長。

 ククル、エマ、カイエ、ミラ。

 フォクス、ファルコ、クリスタル、スリッピー、フレイ。

 それだけではなく、他の乗務員やパイロット達も、どこか名残惜しそうに集まっている。

 

 この一週間、スターフォクスの訓練はフロア全体の話題になっていた。

 

 リュウジの操縦を見たフォクス達が黙り込んだこと。

 ファルコがシミュレーターで悔しそうに何度も再挑戦したこと。

 スリッピーが訓練設備の端末に夢中になりすぎて、フレイに「許可なく設定を変更しないでください」と注意されたこと。

 クリスタルとエリンが並ぶと、空気が妙に引き締まること。

 カイエとスリッピーが休憩時間にゲームで妙な絆を築いていたこと。

 

 すべてが、この一週間の濃さを物語っていた。

 

 タツヤ班長は、朝礼の前に軽く手を叩いた。

 

「はいはい、それじゃあ朝礼始めるよ〜。今日はスターフォクスのみんなの最終日でもあるからね。訓練の総括は後でエリンとリュウジにお願いするとして……」

 

 そこまで言ったところで、フロアの入口の扉が開いた。

 

 軽い足音。

 

 そして、聞き慣れた声。

 

「相変わらず変わらないね、ここは」

 

 その瞬間。

 

 フロアの空気が止まった。

 

 ククルが真っ先に振り返る。

 

 エマが目を丸くする。

 

 カイエの手が止まる。

 

 ミラは息を呑んだ。

 

 エリンは一瞬だけ動きを止め、次の瞬間、目を見開いた。

 

 リュウジも顔を上げる。

 

 タツヤ班長は、ゆっくりと笑った。

 

 入口に立っていたのは、ペルシアだった。

 

 宇宙管理局の制服ではない。

 少しラフな上着に、いつものように余裕のある立ち姿。

 片手には大きな紙袋。

 もう片方の肩には、小さめのバッグをかけている。

 

 髪型も、表情も、声も。

 

 変わっていない。

 

 少し大人びたようにも見える。

 けれど、そこにいるのは確かに、十四班にいたペルシアだった。

 

「久しぶり、皆んな」

 

 ペルシアが軽く手を振った。

 

 その声を合図にしたように、フロアが一気に動いた。

 

「ペルシアさん!」

 

 ククルが真っ先に駆け出した。

 

「ペルシアさん!」

 

 ミラも少し遅れて、けれど必死に後を追う。

 

 エマも穏やかな笑みを浮かべながら近づき、カイエも珍しく足早に歩いていく。

 

 それだけではない。

 

 他の乗務員達も、次々とペルシアのもとへ向かった。

 

「ペルシアさん、久しぶりです!」

 

「元気そうでよかった!」

 

「宇宙管理局どうですか?」

 

「本当に捕まったって聞いたんですけど!」

 

「ちょっと、それ最初に聞くことじゃないでしょ!」

 

 フロアが一気に騒がしくなる。

 

 ペルシアは「あはは」と笑いながら、近づいてきたククルを受け止めた。

 

「おっと、ククル、相変わらず勢いあるわね」

 

「ペルシアさん! 本当に久しぶりです!」

 

「うん、久しぶり」

 

 ペルシアはククルの頭をぽんぽんと撫でた。

 

「よしよし。ちゃんと頑張ってた?」

 

「頑張ってました!」

 

「足音は?」

 

「……頑張ってます」

 

「そこは現在進行形なのね」

 

 ククルが少しだけ肩を落とすと、ペルシアは笑った。

 

「いいのよ。ククルは元気が取り柄なんだから。あとはエリンに怒られながら覚えなさい」

 

「それが一番怖いんです……」

 

「分かるわ〜」

 

 続いて、ミラがペルシアの前に立った。

 

 目が少し潤んでいる。

 

「ペルシアさん……」

 

「ミラ」

 

 ペルシアは少し柔らかい声になった。

 

「ちゃんとやってる?」

 

「はい……! まだまだですけど、皆さんに教えていただいて、頑張っています」

 

「そう」

 

 ペルシアはミラの頭にも手を伸ばし、優しく撫でた。

 

「よしよし。顔つきが変わったじゃない」

 

「そ、そうですか?」

 

「うん。前よりちゃんと前を見てる」

 

 ミラの目から、ぽろっと涙がこぼれそうになった。

 

「ペルシアさん……ありがとうございます」

 

「泣かないの。まだ朝礼前でしょ」

 

「はい……!」

 

 ミラは慌てて涙を拭った。

 

 ククルが横から言う。

 

「ペルシアさん、私ももっと撫でてください!」

 

「はいはい、ククルもね」

 

 ペルシアは再びククルの頭を雑に撫でた。

 

「わ、雑です!」

 

「愛情よ」

 

「愛情って便利な言葉ですね!」

 

 そのやり取りに、周囲から笑いが起こる。

 

 エマが静かに近づいてきた。

 

「ペルシアさん、お久しぶりです」

 

「エマ、久しぶり。元気そうね」

 

「はい。ペルシアさんもお元気そうで安心しました」

 

「もちろん。私がそんな簡単に弱るわけないでしょ」

 

 ペルシアはそう言って、持っていた大きな紙袋をエマに差し出した。

 

「あ、これお土産のドーナツ」

 

 エマの目が、静かに輝いた。

 

「ドーナツ……」

 

「宇宙管理局の近くで人気のお店。結構並ぶのよ」

 

 エマは紙袋を受け取り、大切そうに抱えた。

 

「これだからペルシアさん好き」

 

 あまりにも素直な言葉だった。

 

 ククルが笑う。

 

「エマ、ドーナツで簡単に落ちた!」

 

「簡単じゃないよ。ペルシアさんの気持ちが嬉しいの」

 

「九割ドーナツじゃない?」

 

「否定はしない」

 

 エマは幸せそうに紙袋を抱えた。

 

 ペルシアはそんなエマを見て、満足そうに頷く。

 

「エマにはやっぱり甘いものよね」

 

「はい。大歓迎です」

 

 カイエも近づいてきた。

 

「ペルシアさん、お久しぶりです」

 

「カイエ、久しぶり。ゲームばっかりしてない?」

 

 カイエは少しだけ視線を逸らした。

 

「仕事はしています」

 

「仕事は、ね」

 

「ゲームもしています」

 

「素直でよろしい」

 

 ペルシアは笑った。

 

「スリッピーと仲良くなったんだって?」

 

 カイエは少し驚いたようにスリッピーを見た。

 

「はい。ゲームの話を少し」

 

「少しじゃなかったけどね」

 

 スリッピーが笑いながら言う。

 

「カイエ、すごく詳しいんだよ。僕、戦闘システムの組み方でかなり参考になった」

 

「ゲームの話が宇宙管理局のシステムに影響するのは少し不安ですね」

 

 フレイが真面目に言う。

 

 スリッピーが慌てる。

 

「違うよ! あくまで考え方の話だから!」

 

 カイエは柔らかく笑った。

 

「でも、スリッピーさんと話すのは楽しかったです」

 

「僕も!」

 

 ペルシアはその様子を見て、にやりと笑った。

 

「いいじゃない。カイエにもゲーム仲間ができて」

 

「ペルシアさん、言い方が少し変です」

 

「褒めてるのよ」

 

「本当ですか?」

 

「半分くらい」

 

「半分……」

 

 また笑いが広がる。

 

 その輪を少し離れた場所で見ていたエリンは、静かに歩み寄った。

 

 ペルシアはエリンに気づくと、少しだけ笑みを柔らかくした。

 

「エリン」

 

「ペルシア」

 

 二人はしばらく見つめ合った。

 

 久しぶり。

 元気だった?

 無茶してない?

 ちゃんと食べてる?

 言いたいことは、きっと山ほどあった。

 

 けれど、最初に口を開いたのはペルシアだった。

 

「相変わらず綺麗にまとめてるわね、このフロア」

 

 エリンは少し呆れたように笑った。

 

「あなたがいなくなって、少し静かになったからね」

 

「ひどいわね」

 

「事実でしょう?」

 

「否定できないけど」

 

 ペルシアは肩をすくめた。

 

 エリンは一歩近づき、声を少し低くした。

 

「宇宙警察に捕まったって聞いたわ」

 

「あー……それね」

 

「あと、寝不足でお酒を飲もうとしたとも聞いたわ」

 

 ペルシアの顔がぴくっと動いた。

 

「誰から?」

 

 クリスタルが横から静かに言った。

 

「私よ」

 

 フレイも続ける。

 

「私も報告しました」

 

 エリンはにっこり笑った。

 

「後で話しましょうね、ペルシア」

 

 ペルシアは一歩後ずさる。

 

「えっと、今日は感動の再会ってことで、説教は後日にしない?」

 

「後で話しましょうね」

 

「はい……」

 

 ククルが小声でミラに言う。

 

「ペルシアさん、完全に逃げ場ないね」

 

「はい……」

 

 ミラも小さく頷いた。

 

 リュウジも近づいてきた。

 

 ペルシアはリュウジを見ると、少しだけ表情を明るくした。

 

「リュウジ、久しぶり」

 

「ああ、久しぶりだな、ペルシア」

 

「私のチーム、見てくれてありがとね」

 

「いいチームだった」

 

 リュウジは短く言った。

 

 その言葉に、フォクス達の視線が少しだけ動く。

 

 ペルシアは嬉しそうに目を細めた。

 

「そうでしょ?」

 

「ああ」

 

「リュウジにそう言ってもらえるなら、連れてきた甲斐があったわ」

 

「ただ、連絡はちゃんとしろ」

 

 リュウジの声は静かだが、少しだけ厳しかった。

 

 タツヤ班長も横から歩いてくる。

 

「そうそう。件名『よろしく☆』で済ませるのは、ちょっとどうかと思うよ、ペルシア」

 

 ペルシアは笑顔で手を合わせた。

 

「ごめん、タツヤ班長。忙しかったのよ」

 

「忙しいのは分かるけどねぇ。本文が『エリンみたいな子が一人と、操縦を教えてほしい子を四人送るから』だけって、雑すぎるよね」

 

「伝わったでしょ?」

 

「伝わってないから混乱したんだよ」

 

 タツヤ班長は苦笑する。

 

「まあ、結果的には面白い一週間だったけどね」

 

 ペルシアはフォクス達を見た。

 

「どうだった? ここの一週間」

 

 ファルコが先に答える。

 

「刺激的だったぜ。特にリュウジの操縦。あれは反則だな」

 

 リュウジは少し眉を下げる。

 

「反則ではない」

 

「反則みたいなもんだろ。あんな滑らかに動かされたら、こっちも燃えるしかねぇ」

 

 フォクスも静かに言う。

 

「学ぶことは多かった」

 

 ペルシアは少し驚いたようにフォクスを見る。

 

「フォクスが素直に褒めた」

 

「事実だ」

 

「そっか」

 

 ペルシアは嬉しそうに笑った。

 

 クリスタルはエリンの隣に立った。

 

「エリンにも、とても世話になったわ」

 

「こちらこそ。クリスタルと話せて、私も勉強になったわ」

 

「私もよ」

 

 そのやり取りは静かだったが、確かな信頼があった。

 

 フレイも丁寧に頭を下げる。

 

「エリンさんには、訓練記録の整理方法や乗務員視点での現場評価について多く学ばせていただきました」

 

「フレイさんの記録の正確さにも驚いたわ。ペルシアはいい補佐を持ったわね」

 

「統括官が記録を読まない時は、読ませます」

 

「ぜひお願い」

 

 ペルシアが小さく言う。

 

「私の前でそういう同盟を組まないでくれる?」

 

 エリン、クリスタル、フレイの三人が同時にペルシアを見た。

 

 ペルシアはすぐに目を逸らした。

 

「……はい」

 

 フロアに笑いが起こる。

 

 タツヤ班長は手を叩いた。

 

「はいはい、感動の再会はまだ続けたいところだけど、朝礼を始めるよ〜。今日はスターフォクスのみんなの最終日で、しかもペルシアも来てくれたからね。少しだけ特別な朝礼にしようか」

 

 みんなが自然と集まり直す。

 

 ペルシアは、かつて自分が立っていたフロアを見回した。

 

 懐かしい席。

 ククルの明るい声。

 エマの甘いものへの執念。

 カイエの少し柔らかくなった表情。

 ミラの成長した顔。

 タツヤ班長ののらりくらりとした優しさ。

 エリンの変わらない芯の強さ。

 リュウジの静かな存在感。

 

 胸の奥が、少しだけ熱くなる。

 

 ここはもう、自分の職場ではない。

 

 でも、確かに自分の帰ってこられる場所だった。

 

 ペルシアは笑った。

 

「本当に、相変わらずね」

 

 エリンが隣で言う。

 

「あなたもね」

 

「そう?」

 

「ええ。全然変わってないわ」

 

 ペルシアは少しだけ考えてから、肩をすくめた。

 

「変わったところもあるわよ」

 

「例えば?」

 

「責任感が増した」

 

 エリンは少し黙った。

 

 そして、優しく笑った。

 

「それは前からあったわ」

 

 ペルシアは一瞬だけ言葉を失った。

 

 それから、照れ隠しのように笑う。

 

「エリンって、そういうことさらっと言うわよね」

 

「本当のことだもの」

 

「……ありがと」

 

 その小さな声を、エリンは聞き逃さなかった。

 

 ククルが遠くから叫ぶ。

 

「ペルシアさん、朝礼終わったらお話いっぱい聞かせてくださいね!」

 

「いいわよ。ただし、宇宙警察に捕まった話は有料ね」

 

「有料なんですか!?」

 

「ドーナツ一個」

 

「安い!」

 

 エマが紙袋を抱えたまま言う。

 

「ドーナツならあります」

 

「エマ、あなたから取るつもりはないわよ」

 

「少しなら分けます」

 

「本当にドーナツ好きね」

 

 カイエが笑う。

 

「ペルシアさん、あとでスリッピーさんとゲームの話をしてもいいですか?」

 

「もちろん。仕事が終わってからね」

 

「ペルシアさんに言われると説得力が……」

 

「何か言った?」

 

「何でもありません」

 

 ミラは少し緊張しながらも、ペルシアへ笑いかけた。

 

「ペルシアさん、また来てくださいね」

 

 ペルシアはミラの頭をもう一度軽く撫でた。

 

「もちろん。ミラがちゃんと成長してるか、抜き打ちで見に来るわ」

 

「ぬ、抜き打ちですか!?」

 

「そう。油断してたらすぐ分かるからね」

 

「が、頑張ります!」

 

 ペルシアは満足そうに頷いた。

 

 フォクスは、その様子を少し離れた場所で見ていた。

 

 ファルコが横から言う。

 

「ペルシア、こっちでもああなんだな」

 

「そうだな」

 

 フォクスが答える。

 

「どこでも変わらない」

 

 クリスタルが静かに言う。

 

「でも、少し安心したわ」

 

「何が?」

 

 スリッピーが聞く。

 

「ペルシアが大事にしていた場所が、ちゃんと温かい場所だったこと」

 

 フォクスは何も言わなかった。

 

 だが、その目は穏やかだった。

 

 フレイは端末に短く記録する。

 

『ドルトムント財閥旅行会社十四班。統括官との関係性、極めて良好。人的信頼関係が厚い。今後の連携に有益』

 

 その横でペルシアが覗き込む。

 

「フレイ、何書いてるの?」

 

「報告事項です」

 

「また真面目なこと書いてる」

 

「必要です」

 

「私の感動の再会も記録してくれる?」

 

「必要であれば」

 

「じゃあ、ペルシアは皆んなに愛されていた、と書いて」

 

「主観が強すぎます」

 

「事実でしょ?」

 

 フレイは少しだけ周囲を見た。

 

 ククル、エマ、カイエ、ミラ、エリン、リュウジ、タツヤ班長。

 みんなが、それぞれの表情でペルシアを見ている。

 

 呆れ。

 心配。

 懐かしさ。

 嬉しさ。

 親しみ。

 

 フレイは端末に視線を戻し、静かに入力した。

 

『統括官は、旧所属先においても強い信頼と愛着を持たれている』

 

 ペルシアはそれを見て、少しだけ目を丸くした。

 

「……フレイ」

 

「何でしょうか」

 

「そういうの、さらっと書かれると照れるんだけど」

 

「事実ですので」

 

 ペルシアは苦笑した。

 

「まったく、私の周りって真面目な人ばっかりね」

 

 エリンが言う。

 

「あなたが不真面目な分、ちょうどいいのよ」

 

「ひどい」

 

「褒めてるの」

 

「絶対違うわ」

 

 タツヤ班長が笑いながら、再び手を叩いた。

 久しぶりの十四班。

 

 変わったものもある。

 変わらないものもある。

 

 でも、その両方が、ペルシアにはたまらなく嬉しかった。

 

 朝礼が始まるその前の短い時間。

 フロアには、再会の温かさと、新しい繋がりの高揚が満ちていた。

 

 

ーーーー

 

 

 

 午前中の訓練は、最終日らしく濃いものになっていた。

 

 訓練室では、リュウジがフォクス達を相手に、これまでの総仕上げとなる操縦訓練を行っている。

 

 フォクス、ファルコ、クリスタル、スリッピー。

 四人は一週間の中で、それぞれ確実に変化していた。

 

 フォクスは、現場全体を見る力に加えて、ほんの少しだけ踏み込む判断が早くなった。

 ファルコは、前へ出る強さを保ちながらも、守る対象との距離を意識するようになった。

 クリスタルは、支援と救助における安全寄りの判断に、ほんの少しだけ攻めの幅が加わった。

 スリッピーは、機体理解を操縦そのものへ落とし込む感覚を掴み始めていた。

 

 リュウジは相変わらず多くを語らない。

 

 ただ、必要な時にだけ言う。

 

「フォクス、今の入り方はいい。ただ、相手が二機いた場合、左側の退路が細い」

 

「ファルコ、速さはそのままでいい。だが、戻る位置を一つ先に作っておけ」

 

「クリスタル、そこで引く判断は正しい。ただ、もう半歩だけ進んでも戻れる」

 

「スリッピー、今の制御切替は面白い。だが、切った後に機体が流れる方向まで先に見ておくといい」

 

 その言葉を受けて、四人が次の動きに反映する。

 

 訓練室の空気は熱を帯びていた。

 

 けれど、その熱の中心にいるはずのペルシアは、そこにはいなかった。

 

 

 十四班の事務所。

 

 ペルシアは、かつて自分がいた席とは少し離れた予備席に座らされていた。

 

 目の前には端末。

 横には資料束。

 さらにその横には、フレイが置いていったメモ。

 

『統括官へ

 未提出の資料を作成してください。

 最低限、本日午前中に概要版を作成すること。

 訓練見学は、資料作成後です。

                 フレイ』

 

 ペルシアはそのメモをじっと見つめた。

 

 そして、深くため息を吐く。

 

「……フレイって、たまにエリンより怖いのよね」

 

 隣の席で書類を整理していたタツヤ班長が、のんびりと笑った。

 

「それ、ペルシアが悪いんじゃないかなぁ」

 

「タツヤ班長までそんなこと言うの?」

 

「だって、資料作らないで来たんでしょ?」

 

「作ろうとは思ってたわよ」

 

「思ってただけ?」

 

「思いは大事でしょ」

 

「書類にはならないねぇ」

 

 タツヤ班長は、まったく責めるでもなく、いつものゆるい口調で言った。

 

 そのゆるさが逆に刺さる。

 

 ペルシアは頬杖をつき、端末の画面を見つめた。

 

 画面には、作りかけの資料が表示されている。

 

『統括官直属チームにおける外部連携訓練報告書』

 

 表題だけは立派だった。

 

 その下には、まだ三行しかない。

 

『1 目的

 スターフォクスの操縦技術及び現場対応能力について、外部専門者から助言を受ける。

 2 実施場所

 ドルトムント財閥宇宙事業部旅行会社訓練室』

 

 そこから先が進んでいない。

 

 ペルシアはキーボードに指を置いたまま、天井を見上げた。

 

「資料って、どうして勝手に完成しないのかしら」

 

「完成したら便利ですね」

 

 近くでミラが真面目に答えた。

 

 ペルシアはミラを見た。

 

「ミラ、そこは笑うところよ」

 

「あっ、す、すみません!」

 

「いいのよ。ミラは真面目ねぇ」

 

 ペルシアはにこにこしながら手招きした。

 

「ちょっとこっち来て」

 

「はい?」

 

 ミラが不思議そうに近づく。

 

 ペルシアはミラの顔をじっと見た。

 

「うん、やっぱり顔つき変わったわね」

 

「え?」

 

「前より、目が泳がなくなった」

 

「そ、そうでしょうか」

 

「そうよ。ちゃんと自分の立ってる場所が分かってきた感じ」

 

 ミラは少し頬を赤くした。

 

「ありがとうございます。でも、まだまだです。カイエさんにも、エリンさんにも、毎日教えていただいていますし……」

 

「うんうん。いいことよ」

 

 ペルシアはミラの頭をぽんと撫でた。

 

「ミラは伸びるわ。ちゃんと吸収する耳を持ってる」

 

「耳、ですか?」

 

「そう。人の言葉をちゃんと聞けるって大事なのよ」

 

 ミラは嬉しそうに頷いた。

 

「はい、頑張ります!」

 

 その様子を見ていたククルが、少し離れた席から声を上げた。

 

「あー、ペルシアさん! ミラだけずるいです!」

 

「何が?」

 

「頭撫でるやつです!」

 

「ククルは朝撫でたでしょ」

 

「もう一回お願いします!」

 

「しょうがないわねぇ」

 

 ペルシアは立ち上がりかけた。

 

 その瞬間、背後から静かな声が飛んだ。

 

「ペルシア」

 

 ペルシアの動きがぴたりと止まる。

 

 エリンだった。

 

 書類を片手に、柔らかな笑みを浮かべて立っている。

 ただし、その笑みはとても綺麗で、とても怖かった。

 

「資料は?」

 

 ペルシアはゆっくりと座り直した。

 

「……今、作ってるところ」

 

「今、ミラの頭を撫でていたように見えたけれど」

 

「資料作成に必要な現地ヒアリングよ」

 

「ククルの頭を撫でに行こうとしていたようにも見えたわ」

 

「追加調査?」

 

「ペルシア」

 

「はい」

 

 エリンは端末の画面を見た。

 

 表題。

 目的。

 実施場所。

 

 以上。

 

 エリンは少しだけ目を細めた。

 

「一週間の訓練報告書が、まだ実施場所までしか進んでいないのね」

 

「まだ午前中だし」

 

「午前中に概要版を作るように、フレイさんから言われていたわよね?」

 

「フレイは厳しいのよ」

 

「フレイさんが正しいの」

 

「……はい」

 

 エリンはペルシアの隣に立ち、端末を指差した。

 

「まず、実施目的。次に訓練概要。参加者。日程。指導内容。成果。課題。今後の対応。この順で書きなさい」

 

「うわ、エリンが本気で資料の構成を出してきた」

 

「当然でしょう」

 

「ここ、ドルトムントなのに、宇宙管理局の仕事してる気分になるわ」

 

「あなたは宇宙管理局の統括官でしょう」

 

「そうだったわ」

 

「忘れないで」

 

 ペルシアは肩をすくめながら、キーボードに向かった。

 

 エリンは続ける。

 

「訓練内容は、リュウジが見ている操縦訓練と、午後の現場対応訓練を分けて書くといいわ。フォクスさん達それぞれの強みと課題も、簡潔にまとめて。あまり長くしすぎると読まれないから、概要版は一人三行程度で十分」

 

「エリン、私の補佐にならない?」

 

「なりません」

 

「即答」

 

「あなたの面倒は、フレイさんとクリスタルさんで十分でしょう」

 

「二人とも厳しいのよ」

 

「厳しくされる理由を考えなさい」

 

「……はい」

 

 タツヤ班長が横から笑う。

 

「ペルシア、昔より怒られ慣れてない?」

 

「タツヤ班長、違うの。私の周りに怒る人が増えたの」

 

「それは、ペルシアが怒られることをしてるからじゃないかなぁ」

 

「今日のタツヤ班長、地味に刺すわね」

 

「久しぶりだからね」

 

 ククルが笑いを堪えながら言う。

 

「ペルシアさん、頑張ってください!」

 

「ククル、応援するならドーナツ持ってきて」

 

「ドーナツはエマが守ってます」

 

 ペルシアがエマを見る。

 

 エマは先ほどペルシアからもらったドーナツの紙袋を、自分の席の横に大切に置いていた。

 

 まるで宝物を守る番人のようだった。

 

「エマ、ドーナツ一個ちょうだい」

 

 エマは柔らかく微笑んだ。

 

「資料が一ページ進んだら一個あげます」

 

「エマまで!?」

 

「エリンさんに頼まれました」

 

 ペルシアはエリンを見る。

 

 エリンはにこりと笑う。

 

「ご褒美方式よ」

 

「私、子どもじゃないんだけど」

 

「子どもより手がかかる時があるわ」

 

 ククルが思わず吹き出した。

 

 ミラも口元を押さえている。

 

 カイエは静かに端末を操作しながら、少しだけ肩を震わせていた。

 

 ペルシアは不満そうに唇を尖らせたが、観念したようにキーボードを打ち始めた。

 

「分かったわよ。作るわよ。作ればいいんでしょ」

 

「ええ。作りなさい」

 

 エリンは隣で少しだけ画面を確認した。

 

 ペルシアの指が、意外にも早く動き始める。

 

『3 参加者

 宇宙管理局統括官直属チーム「スターフォクス」

 フォクス、ファルコ、クリスタル、スリッピー

 補佐:フレイ

 指導担当:ドルトムント財閥宇宙事業部旅行会社十四班 リュウジ、エリンほか』

 

「ほら、書けるじゃない」

 

「私、やればできる子だから」

 

「やるまでが長いのよ」

 

「それは否定しないわ」

 

 エリンは呆れながらも、少しだけ笑った。

 

 その後、ペルシアは珍しく真面目に資料を作り始めた。

 

 完全に真面目、とは言えない。

 

 途中でタツヤ班長に「ねぇ、タツヤ班長、資料に“リュウジの操縦が化け物だった”って書いていい?」と聞き、タツヤ班長に「公式資料には向かないねぇ」と返される。

 

 カイエに「スリッピーの項目に“ゲームの話が通じる”って書いていい?」と聞き、カイエに「訓練報告書ですよね?」と柔らかく止められる。

 

 ミラに「ミラ、私のいいところを一つ挙げて」と突然振り、ミラが真剣に「人をよく見ているところです」と答えて、ペルシアが少し照れる。

 

 ククルに「ククル、私が働いてるところ写真撮って。フレイに送るから」と頼み、ククルが本当に撮ろうとしてエリンに止められる。

 

 それでも、資料は少しずつ進んでいった。

 

 エリンが隣で構成を見て、時々修正を入れる。

 

「ここは“操縦技術向上”だけではなく、“現場判断の相互理解”も入れた方がいいわ」

 

「なるほど」

 

「この課題欄は、個人の癖を責める書き方ではなく、今後の伸びしろとして書きなさい」

 

「エリン、そういう言い方上手いわね」

 

「ペルシアも、人を見る時はそれができるでしょう」

 

「資料にすると途端に面倒になるのよ」

 

「分かるけれど、書きなさい」

 

「はい」

 

 ペルシアは素直に打ち込む。

 

 その姿を見て、ミラが小さく言った。

 

「ペルシアさん、本当にエリンさんの言うことは聞くんですね」

 

 ククルが小声で返す。

 

「エリンさんには逆らえないんだよ」

 

 カイエも小さく頷く。

 

「ペルシアさん、昔からそうでした」

 

 エマはドーナツの紙袋を横に置きながら微笑む。

 

「信頼してるんだと思う」

 

 ペルシアは聞こえていたのか、聞こえていないのか、何も言わなかった。

 

 ただ、ほんの少しだけ口元が緩んでいた。

 

 

 しばらくして、エリンの端末に通知が入った。

 

 別班との打ち合わせ開始時刻が近づいている。

 

 エリンは画面を確認し、ペルシアに向き直った。

 

「ペルシア、私はこれから別班との打ち合わせに行ってくるわ」

 

 ペルシアの手が止まる。

 

「え、行くの?」

 

「仕事だから」

 

「そっかぁ」

 

「何その、急に監視役がいなくなるのを喜んでいるような声は」

 

「気のせいよ」

 

「ペルシア」

 

「はい」

 

 エリンはまっすぐペルシアを見る。

 

「資料を作りなさい」

 

「はい」

 

「私が戻ってくるまでに、概要版の最後まで進めておくこと」

 

「はい」

 

「途中で消えない」

 

「はい」

 

「タツヤ班長と雑談しない」

 

「……はい」

 

「ククルを巻き込まない」

 

「はい」

 

「エマのドーナツを奪わない」

 

「それは分からない」

 

「ペルシア」

 

「はい、奪いません」

 

「カイエとゲームの話をしない」

 

「……はい」

 

「ミラをからかわない」

 

「はい」

 

「よろしい」

 

 エリンは少しだけ満足そうに頷いた。

 

 ペルシアは肩を落とした。

 

「エリン、私の行動パターン読みすぎじゃない?」

 

「長い付き合いだもの」

 

「怖いわね」

 

「あなたが分かりやすいの」

 

 エリンは資料を持ち、事務所の出口へ向かう。

 

 途中で、タツヤ班長が声をかけた。

 

「エリン、打ち合わせよろしくね」

 

「はい。戻ったら資料も確認します」

 

「ペルシアの?」

 

「もちろんです」

 

「頑張れ、ペルシア」

 

 タツヤ班長がゆるく手を振る。

 

 ペルシアは机に突っ伏した。

 

「味方がいない……」

 

 エリンは振り返った。

 

「私はあなたの味方よ。だから資料を作らせているの」

 

「そういう味方、厳しい」

 

「では、行ってきます」

 

 エリンは微笑み、事務所を出ていった。

 

 扉が閉まる。

 

 数秒。

 

 事務所の空気が、少しだけ緩んだ。

 

 ペルシアはゆっくりと顔を上げた。

 

 そして、まずタツヤ班長を見た。

 

 タツヤ班長は、何となく先を読んだように苦笑した。

 

「ペルシア、言われたばっかりだよ」

 

「分かってるわよ」

 

 次に、カイエを見る。

 

 カイエは端末から目を上げずに言った。

 

「私はゲームの話をしませんよ」

 

「まだ何も言ってないのに」

 

「言いそうだったので」

 

「カイエまで私を読むようになったわね」

 

 ミラは少し慌てて姿勢を正す。

 

「わ、私はからかわれないように気をつけます!」

 

「ミラ、それ自分で言うと逆にからかいやすいのよ」

 

「えっ!?」

 

 ククルが笑いながら言う。

 

「ペルシアさん、資料ですよ、資料!」

 

「ククルもエリン側?」

 

「私はエリンさんに怒られたくない側です!」

 

「正直でよろしい」

 

 ペルシアは腕を組み、椅子にもたれた。

 

 そして、ゆっくりと視線をエマへ向けた。

 

 エマはドーナツの紙袋を守るように手を置いている。

 

「エマ」

 

「はい」

 

「サボり行こ」

 

 事務所の空気が止まった。

 

 ククルが口を開ける。

 

「言った!」

 

 ミラが目を丸くする。

 

「言いました!」

 

 カイエが静かにため息を吐く。

 

「エリンさんが出ていって、まだ一分も経ってませんよ」

 

 タツヤ班長は天井を見上げた。

 

「ペルシア、期待を裏切らないねぇ」

 

 エマは紙袋を抱えたまま、少し困ったように微笑んだ。

 

「サボり、ですか?」

 

「違うわ。戦略的休憩よ」

 

「さっき資料を作るように言われていましたよね」

 

「だからこそ、休憩が必要なの」

 

「まだほとんど作っていませんよね」

 

「集中力を高めるための前休憩よ」

 

 ククルが小声で言う。

 

「前休憩って何?」

 

「ペルシアさん語だと思います」

 

 ミラが真面目に答える。

 

 エマはしばらくペルシアを見た。

 

 ペルシアはにこにこと笑っている。

 

 ドーナツをちらちら見ている。

 

 明らかに、エマと一緒に甘いものを食べに行きたい顔だった。

 

 エマは少しだけ考えた。

 

「……何を食べに行くんですか?」

 

「エマ!」

 

 ククルが驚く。

 

「乗るんですか!?」

 

 エマは穏やかに言う。

 

「話を聞くだけだよ」

 

「その顔は聞くだけじゃないです!」

 

 カイエが苦笑する。

 

「エマも甘いものが絡むと弱いからね」

 

 ペルシアは勝ち誇ったように笑った。

 

「さすがエマ。話が分かるわ」

 

「まだ行くとは言っていません」

 

「でも行きたいでしょ?」

 

「少し」

 

「ほら」

 

 エマは紙袋を見た。

 

「でも、ドーナツがありますよ」

 

「それはお土産でしょ。今から食べに行くのは別腹」

 

「別腹……」

 

 エマの表情が揺れた。

 

 ククルが慌てる。

 

「エマ! 戻ってきてください! エリンさんに怒られますよ!」

 

 エマは少し真剣に悩んだ。

 

「それは困るね」

 

「でしょ!」

 

「でも、ペルシアさんと久しぶりに甘いものを食べに行くのも魅力的で……」

 

「揺れてる!」

 

 ミラが心配そうに言う。

 

「あの、ペルシアさん。資料を終わらせてから行くのはどうでしょうか?」

 

「ミラ、正論を言うようになったわね」

 

「あ、ありがとうございます?」

 

「褒めてるわ。でも今は聞かない」

 

「聞いてください!」

 

 タツヤ班長が笑いながら口を挟む。

 

「ペルシア、エリンに怒られるよ」

 

「タツヤ班長、そこは見逃してくれるところじゃない?」

 

「俺は見逃しても、エリンは見逃さないよ」

 

「そこなのよねぇ」

 

 ペルシアは椅子の背もたれに体を預け、天井を見た。

 

「でも、考えてみて。私は宇宙管理局の統括官。今日は最終日。久しぶりに十四班に来た。エマと甘いものを食べる機会なんて、そうそうない。つまり、これは重要な交流業務なのよ」

 

 カイエが柔らかく言う。

 

「資料にそう書くんですか?」

 

「書けるわよ。『旧所属先との関係維持及び情報交換』」

 

「食べに行くのはスイーツですよね」

 

「糖分補給を伴う意見交換」

 

「言い方だけは立派ですね」

 

 カイエの突っ込みに、ククルが笑った。

 

 ペルシアは机から立ち上がった。

 

「よし、決めた。エマ、行くわよ」

 

 エマもゆっくり立ち上がりかけた。

 

「少しだけなら……」

 

「エマ!」

 

 ククルとミラが同時に声を上げる。

 

 その瞬間、事務所の扉が開いた。

 

「忘れ物をしたわ」

 

 エリンだった。

 

 ペルシアとエマの動きが、ぴたりと止まった。

 

 ククルは口を押さえた。

 

 ミラは背筋を伸ばした。

 

 カイエはそっと視線を逸らした。

 

 タツヤ班長は「あー」と小さく呟いた。

 

 エリンは部屋の状況を見た。

 

 立ち上がったペルシア。

 立ち上がりかけたエマ。

 机の上の作りかけ資料。

 守られているドーナツ。

 ククルとミラの慌てた顔。

 

 すべてを一瞬で理解した。

 

「ペルシア」

 

「はい」

 

「どこへ行くつもりだったの?」

 

「……資料作成のための、現地調査?」

 

「どこの現地?」

 

「スイーツ店?」

 

「ペルシア」

 

「はい」

 

 エリンはにっこり微笑んだ。

 

「座りなさい」

 

「はい」

 

 ペルシアはすぐに座った。

 

 エマも静かに座った。

 

「エマ」

 

「はい」

 

「ドーナツは逃げないわ」

 

「はい」

 

「ペルシアの誘いに乗らない」

 

「はい」

 

「よろしい」

 

 エリンは忘れ物の資料を机から取り、ペルシアの端末画面を覗いた。

 

 進んでいない。

 

 ほとんど進んでいない。

 

 エリンの笑顔がさらに柔らかくなる。

 

「戻ってくるまでに、成果と課題の欄まで書いておきなさい」

 

「増えた!?」

 

「当然でしょう。サボろうとした罰よ」

 

「未遂よ」

 

「未遂で済んでよかったわね」

 

「はい……」

 

 エリンは今度こそ事務所を出ていった。

 

 扉が閉まる。

 

 しばらく誰も喋らなかった。

 

 ペルシアは端末に向き直り、ぼそっと呟いた。

 

「……エリン、勘が良すぎるのよ」

 

 タツヤ班長が笑う。

 

「それだけペルシアが分かりやすいんだよ」

 

 ククルが元気よく言った。

 

「ペルシアさん、資料頑張ってください!」

 

「ククル、ドーナツ一個で手伝って」

 

「無理です!」

 

 ミラが真面目に言う。

 

「私、誤字の確認ならできます!」

 

「ミラ、天使ね」

 

 カイエも柔らかく笑った。

 

「私も形式の確認くらいなら手伝いますよ。ゲームの話はしませんけど」

 

「カイエも優しい」

 

 エマはドーナツの紙袋を少し開けた。

 

「一ページ進んだら、本当にドーナツ一個あげます」

 

 ペルシアはキーボードに手を置いた。

 

「……仕方ないわね」

 

 そして、ようやく本気で入力を始めた。

 

『4 訓練概要

 本訓練では、スターフォクス各員の操縦技術、現場判断、救助・支援における役割分担について、ドルトムント財閥宇宙事業部旅行会社十四班の協力を得て確認を行った。特に、リュウジによる操縦指導は、各員にとって有益な刺激となり、今後の統括官直属チームの活動に資するものとなった。』

 

 タツヤ班長が画面を見て、少し驚いたように言った。

 

「お、急にちゃんとしてきたね」

 

「私、やればできる子だから」

 

「それ、今日三回目くらいだよ」

 

「何回言っても事実よ」

 

 ペルシアは少しだけ笑い、続けてキーボードを打った。

 

 サボろうとして、すぐ見つかって、結局みんなに囲まれて資料を作る。

 

 それもまた、ペルシアらしかった。

 

 そして十四班の事務所には、久しぶりにあの頃のような、少し騒がしくて、少し温かい空気が戻っていた。

 

 

 

ーーーー

 

 

 

 ペルシアが資料の最後の一文を打ち終えた時、十四班の事務所には小さな拍手が起こった。

 

 いや、正確にはククルが一人で拍手を始め、ミラがつられて控えめに手を叩き、エマがにこにこしながら頷き、タツヤ班長が「お疲れ〜」とゆるく声をかけ、カイエが画面を確認しながら小さく微笑んだ、という形だった。

 

 ペルシアは椅子の背もたれに身体を預け、大きく伸びをした。

 

「終わった〜」

 

 端末画面には、どうにか形になった報告資料が表示されている。

 

『統括官直属チーム外部連携訓練報告書(概要版)』

 

 目的、実施概要、参加者、訓練内容、成果、課題、今後の対応。

 エリンに指定された項目はすべて埋められていた。

 

 途中でククルに話しかけ、ミラを褒め、カイエにゲームの話を振ろうとして止められ、エマのドーナツをちらちら見ては「一ページ進んだら一個」というご褒美制度で釣られながら、ようやくここまで辿り着いたのである。

 

 ペルシアは満足げに画面を見つめた。

 

「ほら、私ってやればできるのよ」

 

 タツヤ班長が苦笑する。

 

「やるまでが長かったけどねぇ」

 

「結果が大事なのよ、タツヤ班長」

 

「過程も大事だよ。たぶんエリンならそう言うね」

 

「エリンの名前を出すのは反則」

 

 ペルシアは少しだけ顔をしかめた。

 

 ククルが端末を覗き込む。

 

「でも本当にちゃんとした資料になってますね!」

 

「でしょ?」

 

「最初、実施場所までしか書いてなかったのに!」

 

「ククル、余計なことは言わない」

 

「すみません!」

 

 ミラも控えめに言う。

 

「あの、誤字もほとんどありませんでした。すごいです」

 

「ミラ、あなたは本当にいい子ね」

 

 ペルシアは嬉しそうにミラの頭を撫でようとした。

 

 だが、ミラは少しだけ身構えた。

 

「えっと、資料が終わったからですか?」

 

「そうよ。ご褒美」

 

「ご褒美なんですか?」

 

「私が撫でるのはだいたいご褒美よ」

 

 カイエが横から柔らかく言う。

 

「たまにからかいも含まれてますよね」

 

「カイエ、鋭くなったわね」

 

「ペルシアさんのおかげです」

 

「それ、褒めてる?」

 

「半分くらいです」

 

「さっき私が言ったやつ返してきたわね」

 

 ペルシアは笑った。

 

 エマは大事に守っていたドーナツの紙袋を開け、約束どおり一つ取り出してペルシアへ渡した。

 

「はい。資料完成のご褒美です」

 

「エマ〜」

 

 ペルシアは両手で受け取った。

 

「これだからエマは好き」

 

「ドーナツがあるからですか?」

 

「エマが優しいからよ。ドーナツ込みで」

 

「込みなんですね」

 

 エマは楽しそうに笑った。

 

 ペルシアはドーナツを一口食べ、幸せそうに目を細めた。

 

「ん〜、やっぱり甘いものは世界を救うわね」

 

「ペルシアさんは何でもそれに繋げますね」

 

 ククルが笑う。

 

「事実よ。甘いものがあれば大抵のことは乗り越えられるわ」

 

「資料もですか?」

 

「資料は……甘いものがあっても厳しいわね」

 

 タツヤ班長が笑う。

 

「そこは正直なんだねぇ」

 

 ペルシアはドーナツを食べ終えると、勢いよく立ち上がった。

 

「よし!」

 

 ククルが反応する。

 

「何ですか?」

 

「エマ」

 

「はい?」

 

「終わったし、行こう〜」

 

 ペルシアは当然のように言った。

 

 エマの目が少しだけ輝く。

 

「どこへですか?」

 

「ドーナツ屋」

 

「またドーナツですか?」

 

「今食べたのはお土産。これから食べるのは現地調達」

 

「現地調達……」

 

 エマは真剣に考え始めた。

 

 ククルが慌てて手を上げる。

 

「私も行きたいです!」

 

「もちろん。ククルも来なさい」

 

「やった!」

 

 ミラが少し心配そうに言う。

 

「あの、フレイさんに見つかったら……」

 

「大丈夫。フレイは訓練室で記録整理してるはずよ」

 

 ペルシアは自信満々に言った。

 

 カイエが静かに言う。

 

「ペルシアさん、そういう時ほど見つかりますよ」

 

「カイエまで縁起でもないこと言わないの」

 

 タツヤ班長は椅子に座ったまま、ゆるく手を振った。

 

「ペルシア、早めに戻るんだよ〜」

 

「もちろん。五分で戻るわ」

 

「絶対五分じゃ戻らないねぇ」

 

「信頼がないわね」

 

「積み重ねだね」

 

 ペルシアは聞かなかったことにした。

 

 そして、エマとククルを連れて事務所を出た。

 

 

 ドルトムント財閥宇宙事業部の建物一階には、小さなドーナツ屋が入っている。

 

 社員向けの店ではあるが、なかなか人気があり、昼前や夕方には列ができることもある。

 ペルシアが十四班にいた頃も、何度もここでドーナツを買っては、何食わぬ顔で事務所へ戻っていた。

 

 もっとも、そのたびにエリンに見つかっていたのだが。

 

 エレベーターで一階へ降りながら、ククルが嬉しそうに言った。

 

「ペルシアさんと行くの、久しぶりですね」

 

「そうね。ククル、前より少し大人っぽくなった?」

 

「本当ですか!?」

 

「うん。ほんの少し」

 

「ほんの少しですか……」

 

「でも元気なのは変わってなくて安心したわ」

 

 ククルは照れたように笑った。

 

「ペルシアさんも変わってないです」

 

「そう?」

 

「はい。資料から逃げようとするところとか」

 

「そこ?」

 

 エマが横で笑う。

 

「でも、ペルシアさんが戻ってきた感じがして、少し嬉しいです」

 

「戻ってきたわけじゃないわよ」

 

 ペルシアは軽く言った。

 

 けれど、その声は少しだけ柔らかかった。

 

「でも、こうしてまた一緒にドーナツを買いに行けるのは、いいわね」

 

「はい」

 

 エマが頷く。

 

「今日は何を買います?」

 

「私はねぇ、シナモンとチョコと、あと新作があれば新作」

 

「三つですか?」

 

「最低三つ」

 

「最低なんですね」

 

 ククルが笑う。

 

「私は苺クリームのやつがいいです!」

 

「ククルらしい」

 

「エマは?」

 

 エマは真剣に考えた。

 

「全部見てから決めます」

 

「出たわね、本気のエマ」

 

 エレベーターが一階に着き、三人はドーナツ屋へ向かった。

 

 甘い香りが漂ってくる。

 

 ショーケースには、丸いドーナツ、ツイスト、クリーム入り、チョコがけ、粉砂糖、ナッツ付き、季節限定の果物ソースまで並んでいた。

 

 ペルシアの足取りが軽くなる。

 

「やっぱりここ、いい匂いねぇ」

 

「ですね!」

 

 ククルも目を輝かせる。

 

 エマはすでにショーケースに意識を奪われていた。

 

「チョコもいいし、カスタードもいいし、抹茶も……」

 

 ペルシアが店に入ろうとした、その時だった。

 

 背後から、すっと手が伸びた。

 

 ペルシアの肩を、誰かが掴んだ。

 

「……統括官」

 

 低く、丁寧で、そして冷たい声。

 

 ペルシアの身体が固まった。

 

 ククルとエマも同時に振り返る。

 

 そこに立っていたのは、フレイだった。

 

 いつものきっちりした姿勢。

 乱れのない髪。

 表情は穏やか。

 ただし目は笑っていない。

 

 ペルシアはゆっくりと振り返った。

 

「あら、フレイ。奇遇ね」

 

「奇遇ではありません」

 

「散歩?」

 

「違います」

 

「ドーナツ?」

 

「違います」

 

「じゃあ何?」

 

 フレイはペルシアの肩を掴んだまま、静かに告げた。

 

「まだ他の資料が残っています」

 

 ペルシアは数秒、黙った。

 

「……他の資料?」

 

「はい。概要版は終わりましたが、詳細版、訓練参加者別評価表、今後の訓練計画案、宇宙管理局内共有用の要点整理、局長提出用の一枚資料が残っています」

 

 ククルが小さく呟いた。

 

「多い……」

 

 エマも少しだけ目を丸くした。

 

「それは、ドーナツを食べてからでは駄目ですか?」

 

 フレイはエマへ丁寧に頭を下げた。

 

「申し訳ありません。統括官は、食べると戻らない可能性があります」

 

「否定できないですね」

 

 エマが納得した。

 

「エマ、そこは否定して」

 

 ペルシアが言う。

 

 フレイは容赦なく続けた。

 

「戻ります」

 

「今から?」

 

「今からです」

 

「ドーナツは?」

 

「後で」

 

「後で買うと種類が減るわ」

 

「資料は今作らないと進みません」

 

「フレイ、今日いつもより強くない?」

 

「エリンさんの言うとおりになりました」

 

 フレイが小さく呟いた。

 

 ペルシアが眉をひそめる。

 

「エリン?」

 

「エリンさんが言っていました。『ペルシアは概要版が終わったら、まずエマかククルを誘って甘いものを食べに行こうとするから、一階のドーナツ屋を確認してみてください』と」

 

 ククルが小さく叫んだ。

 

「当たってる!」

 

 エマが感心したように言う。

 

「さすがエリンさん」

 

 ペルシアは頭を抱えた。

 

「エリン、私の行動パターン読みすぎでしょ……」

 

「戻ります」

 

「ちょっと待って、せめて一個だけ」

 

「戻ります」

 

「フレイ、お願い。チョコ一個だけ」

 

「戻ります」

 

「フレイ〜」

 

「戻ります」

 

 結局、ペルシアはフレイに肩を掴まれたまま、事務所へ戻されることになった。

 

 ククルとエマはその後ろをついていく。

 

 ククルは笑いを堪えきれず、肩を震わせていた。

 

「ペルシアさん、完全に捕まりましたね」

 

「宇宙警察の次はフレイに捕まるとは思わなかったわ」

 

「今回は正当拘束ですね」

 

 エマが穏やかに言う。

 

「エマまで……」

 

 ペルシアは肩を落とした。

 

 

 事務所へ戻ると、タツヤ班長が「あ、やっぱり捕まったんだね」と笑った。

 

 カイエは端末から顔を上げ、柔らかく言った。

 

「言ったでしょう、見つかるって」

 

「カイエ、予言者なの?」

 

「エリンさんとフレイさんが優秀なだけです」

 

 ミラは心配そうに、しかし少し笑いながら言う。

 

「ペルシアさん、資料……頑張ってください」

 

「ミラまで完全にフレイ側ね」

 

「えっと、ペルシアさんのためです!」

 

「いい子すぎて眩しいわ」

 

 フレイはペルシアを席へ座らせると、端末に資料一覧を表示した。

 

「こちらが残りの資料です」

 

 画面に並んだ項目を見て、ペルシアの顔が引きつった。

 

「……多くない?」

 

「統括官の職務です」

 

「私、ドルトムントに遊びに来たつもりだったんだけど」

 

「業務です」

 

「厳しい」

 

「当然です」

 

 ペルシアは渋々キーボードに向かった。

 

 だが、さすがに一度捕まった直後だけあって、しばらくは真面目に作業をした。

 

 フレイはペルシアの近くで別の記録整理をしていたが、途中で訓練室から呼び出しが入った。

 

「統括官、私は一度訓練室へ戻ります」

 

 ペルシアは顔を上げた。

 

「行ってらっしゃい」

 

「資料を進めてください」

 

「分かってるわよ」

 

「席を離れないでください」

 

「分かってるって」

 

「甘いものを食べに行かないでください」

 

「しつこいわね」

 

「必要ですので」

 

 フレイはそう言い残し、事務所を出ていった。

 

 扉が閉まる。

 

 ペルシアは数秒、画面を見つめた。

 

 そして、ゆっくりと周囲を確認する。

 

 フレイはいない。

 

 エリンも別班との打ち合わせでいない。

 

 クリスタルは訓練室にいるはず。

 

 ペルシアの目が光った。

 

 タツヤ班長はその表情を見て、すぐに察した。

 

「ペルシア」

 

「何もしてないわよ」

 

「まだ何も言ってないよ」

 

「先に言っただけ」

 

 カイエが静かに言う。

 

「今度は何を企んでいますか?」

 

「企むなんて人聞き悪いわね」

 

 ペルシアは立ち上がった。

 

「ミラ、カイエ」

 

「はい?」

 

 ミラが顔を上げる。

 

「屋上でジュース飲みに行こ」

 

 カイエは一瞬黙った。

 

「……今度は屋上ですか」

 

「ドーナツ屋は危険だと分かったからね。戦略的撤退よ」

 

「資料は?」

 

「持っていけばいいのよ」

 

 ペルシアは端末を軽く掲げた。

 

 画面は開かれているが、明らかに作業する気配は薄い。

 

 ミラが慌てる。

 

「あの、フレイさんにまた見つかったら……」

 

「フレイは訓練室。エリンは別班。クリスタルも訓練室。今がチャンス」

 

 タツヤ班長が苦笑する。

 

「完全に逃走計画だねぇ」

 

「違うわ。気分転換」

 

 カイエは少し考えてから、ため息を吐いた。

 

「五分だけですよ」

 

「カイエ!」

 

 ミラが驚く。

 

「いいんですか?」

 

「たぶん、ここで止めても別の方法で行くと思うから」

 

「カイエ、分かってるじゃない」

 

「褒めてません」

 

「ミラも行くわよ」

 

「え、私もですか?」

 

「ミラは見張り」

 

「見張り!?」

 

 ペルシアは笑いながらミラの腕を軽く引いた。

 

「大丈夫。ジュース飲むだけよ」

 

「本当ですか?」

 

「本当、本当」

 

 タツヤ班長は手を振った。

 

「早めに戻っておいで〜。俺は見なかったことにするけど、エリンには勝てないからねぇ」

 

「分かってるわ」

 

「分かってない顔だね」

 

 ペルシアは聞こえないふりをした。

 

 

 屋上は、昼前の風が心地よかった。

 

 ドルトムント財閥の建物の屋上には、簡易休憩スペースがある。

 ベンチと自動販売機、そして隅に小さな喫煙スペース。周囲には透明な防護パネルが張られ、コロニーの人工空が広がっている。

 

 ペルシアは自動販売機で炭酸ジュースを買い、カイエにはコーヒー、ミラには果実ジュースを渡した。

 

「はい、ミラ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「カイエはこれでいい?」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 三人はベンチに座った。

 

 ミラはまだ少し落ち着かない様子で、事務所へ戻る扉をちらちら見ている。

 

「ミラ、そんなに怯えなくていいわよ」

 

「で、でも……」

 

「ここまで来たら堂々としてればいいの」

 

「堂々とサボるのも違う気がします……」

 

 カイエがコーヒーを飲みながら言う。

 

「ミラは正しいよ」

 

「カイエまで」

 

「私は五分だけって言いました」

 

「分かってるわよ」

 

 ペルシアは炭酸ジュースを一口飲んだ後、ふと喫煙スペースへ向かった。

 

 そして、ポケットから煙草を取り出す。

 

 ミラが目を丸くした。

 

「あ、ペルシアさん、煙草吸うんですか?」

 

「たまにね」

 

 ペルシアは喫煙スペースに入り、火をつけた。

 

 細い煙が、屋上の風に流れていく。

 

 ペルシアは一息吸い、ゆっくり吐いた。

 

「はぁ……生き返る」

 

 カイエが少し意外そうに見る。

 

「前から吸ってました?」

 

「たまに。十四班の頃はエリンに見つかると面倒だったから、あんまり吸わなかったけど」

 

「エリンさん、健康面には厳しいですからね」

 

「今はクリスタルとフレイも増えたから、もっと面倒」

 

「自業自得では?」

 

「カイエ、ほんと柔らかく刺すようになったわね」

 

 ミラは心配そうに言う。

 

「あの、吸いすぎは身体に悪いですよ」

 

「ミラまで……」

 

「す、すみません!」

 

「謝らなくていいわ。正論だもの」

 

 ペルシアは苦笑しながら、煙を吐いた。

 

「でも、たまにこういう時間がないと、息が詰まるのよ」

 

 カイエはその横顔を見た。

 

 いつもの軽さ。

 ふざける口調。

 資料から逃げる姿。

 でも、その奥にある疲れも、少しだけ見えた。

 

「宇宙管理局、大変ですか?」

 

 カイエが静かに聞いた。

 

 ペルシアは少しだけ目を細めた。

 

「大変よ。正直、ドルトムントにいた頃よりずっと面倒」

 

「それでも、戻りたいとは思わないんですか?」

 

 ミラがはっとする。

 

「カイエさん……」

 

 ペルシアは怒らなかった。

 

 少しだけ遠くを見て、笑った。

 

「思わないわね」

 

 煙が風に流れる。

 

「ここは好きよ。皆んなも好き。タツヤ班長も、エリンも、リュウジも、ククルもエマもカイエもミラも。ここに戻ると、やっぱり落ち着く」

 

「はい」

 

「でも、私は今、宇宙管理局でやりたいことがある。守りたいものを守るって決めたから」

 

 ミラは静かに聞いていた。

 

 ペルシアは煙草を灰皿に軽く押し当てる。

 

「だから、戻りたいとは思わない。ただ、たまに遊びには来るわ」

 

「それなら嬉しいです」

 

 ミラが柔らかく笑った。

 

 カイエも頷く。

 

「ペルシアさんが来ると、事務所が賑やかになりますから」

 

「賑やかって便利な言葉ね」

 

「騒がしいとも言えます」

 

「カイエ、やっぱり刺すわね」

 

 三人が少し笑った。

 

 その時だった。

 

 屋上の扉が開いた。

 

 ペルシアの手が止まる。

 

 カイエとミラも振り返る。

 

 そこに立っていたのは、クリスタルだった。

 

 静かな表情。

 しかし、目は完全にペルシアを捉えている。

 

 ペルシアは煙草を持ったまま、数秒固まった。

 

 クリスタルはゆっくり歩いてくる。

 

「早く戻りなさい」

 

 第一声がそれだった。

 

 ペルシアは笑顔を作る。

 

「クリスタル、奇遇ね」

 

「奇遇じゃないわ」

 

「散歩?」

 

「違うわ」

 

「風に当たりに?」

 

「違う」

 

「ジュース飲む?」

 

「いらない」

 

「厳しい」

 

 クリスタルは喫煙スペースの前で立ち止まり、ペルシアをじっと見た。

 

「エリンに言われて来てみれば、本当にいたわね」

 

 ペルシアは天を仰いだ。

 

「エリン……また?」

 

「ええ。『フレイさんに捕まった後、ペルシアは次に屋上へ行く可能性がある。クリスタル、念のため見てきてもらえる?』と言われたわ」

 

 カイエが小さく呟いた。

 

「完全に読まれてますね」

 

 ミラも感心したように言う。

 

「エリンさん、すごいです……」

 

 ペルシアは煙草を灰皿に押し付けた。

 

「エリンの予測精度、怖すぎるでしょ」

 

 クリスタルは腕を組む。

 

「それだけ貴方が分かりやすいのよ」

 

「さっきも言われたわ」

 

「でしょうね」

 

「しかも煙草まで?」

 

「寝不足でお酒、資料から逃げる、そして煙草。健康管理と業務管理の両方で問題ありね」

 

「言い方がフレイみたいになってきたわよ」

 

「フレイも正しいもの」

 

 ペルシアは肩を落とした。

 

 ミラが小声でカイエに囁く。

 

「なんか、三人揃うとペルシアさんの包囲網が完成してますね」

 

 カイエが小さく頷く。

 

「エリンさん、フレイさん、クリスタルさん。完璧だね」

 

 ペルシアはそれを聞き逃さなかった。

 

「ミラ、カイエ、聞こえてるわよ」

 

「す、すみません!」

 

 ミラが慌てる。

 

 カイエは少し笑っている。

 

 クリスタルは淡々と言った。

 

「包囲網という表現は正しいわね」

 

「クリスタルまで認めないで」

 

「貴方には必要でしょう」

 

「ハゲそう」

 

 ペルシアが真顔で言った。

 

 ミラが慌てる。

 

「は、ハゲませんよ!」

 

 カイエが少し困ったように笑う。

 

「そこまで追い詰められてますか?」

 

「追い詰められてるわよ。エリンに読まれ、フレイに捕まり、クリスタルに回収されるのよ? 宇宙海賊より逃げ場がないわ」

 

 クリスタルは眉一つ動かさない。

 

「逃げる必要がないことから逃げるからでしょう」

 

「正論で殴らないで」

 

「殴っていないわ。言っているだけ」

 

「それが痛いのよ」

 

 クリスタルは小さくため息を吐いた。

 

「煙草は終わり?」

 

「今終わった」

 

「では戻るわよ」

 

「せめてジュース飲み終わるまで」

 

「資料を作りながら飲みなさい」

 

「クリスタル、フレイ化してる」

 

「褒め言葉として受け取るわ」

 

「褒めてない」

 

 カイエが立ち上がる。

 

「戻りましょう、ペルシアさん。これ以上遅くなると、本当にエリンさんに怒られます」

 

 ミラも頷く。

 

「私も一緒に戻ります。あの、資料の誤字確認ならまたお手伝いしますので」

 

 ペルシアは二人を見た。

 

 そして、少しだけ笑った。

 

「優しいわねぇ、二人とも」

 

「だから戻りますよ」

 

 カイエが柔らかく言う。

 

「はいはい」

 

 ペルシアは空き缶を片付け、喫煙スペースから出た。

 

 クリスタルはその横に並ぶ。

 

「エリンに報告するわ」

 

「やめて」

 

「事実を報告するだけよ」

 

「それが一番怖いのよ」

 

「自業自得ね」

 

「今日、それ何回言われたかしら」

 

 四人は屋上の扉へ向かった。

 

 ペルシアは最後にもう一度、空を見上げた。

 

 人工の空。

 整った風。

 懐かしいドルトムントの屋上。

 

 少しだけ、胸が軽くなった気がした。

 

 そして同時に、また事務所へ戻れば資料が待っていることを思い出し、深いため息を吐いた。

 

「ねぇ、クリスタル」

 

「何?」

 

「資料、半分くらい手伝ってくれない?」

 

「嫌よ」

 

「即答」

 

「自分の仕事でしょう」

 

「ハゲそう」

 

「その前に資料を作りなさい」

 

 ミラが小さく笑い、カイエも肩を震わせた。

 

 ペルシアは不満そうにしながらも、どこか楽しそうだった。

 

 包囲網は確かに完成していた。

 

 エリンが読み、フレイが捕まえ、クリスタルが回収する。

 そこにカイエとミラの正論が加わり、ククルとエマの甘い誘惑まで絡む。

 

 逃げ場はない。

 

 けれど、その逃げ場のなさは、どこか温かかった。

 

 ペルシアは観念したように両手を上げる。

 

「分かったわよ。戻って資料作ります」

 

 クリスタルは満足そうに頷いた。

 

「よろしい」

 

 ペルシアはぼそっと呟く。

 

「私、統括官なのに……」

 

 カイエが柔らかく言った。

 

「統括官だからこそ、資料は大事ですよ」

 

「カイエまでフレイ側……」

 

 ミラも一生懸命言う。

 

「ペルシアさんなら、きっとできます!」

 

「ミラは天使だけど、言ってる内容はフレイ側ね」

 

 クリスタルが扉を開ける。

 

「行くわよ」

 

「はいはい」

 

 こうしてペルシアは、屋上から再び十四班の事務所へ連行されていった。

 

 宇宙警察に捕まり、フレイに捕まり、クリスタルに捕まり、エリンに読まれる。

 

 それでもペルシアは、どこか楽しそうに笑っていた。

 

 久しぶりの十四班は、やっぱり騒がしくて、厳しくて、温かかった。

 

 

 

ーーーー

 

 

 

 屋上から連れ戻されたペルシアは、再び十四班の事務所の予備席に座らされていた。

 

 目の前には端末。

 その横には、フレイが作った資料一覧。

 さらにその横には、エリンが付箋で貼った簡易メモ。

 

『1 概要版修正

 2 個人別評価表

 3 今後の訓練計画案

 4 局長提出用ワンペーパー

 5 内部共有用要点整理』

 

 ペルシアは、その付箋を見つめながら頭を抱えていた。

 

「……多い」

 

 ぽつりと漏らす。

 

 だが、誰も同情してくれない。

 

 カイエは自席で事務処理をしながら、時々ペルシアの画面を横目で確認している。

 ミラは誤字確認用に紙へ印刷された概要版を真面目に読んでいる。

 ククルは何度も「手伝えることありますか?」と聞いたものの、資料作成そのものは苦手なので、結局「応援係」に回っていた。

 エマはドーナツを大切に守りつつ、ペルシアが一項目終えるたびに小さな甘いものを差し出している。

 

 そして、フレイは訓練室へ戻ったはずなのに、なぜか時折端末へ短いメッセージを送ってくる。

 

『進捗はいかがですか』

 

『個人別評価表は主観が入りすぎないよう注意してください』

 

『統括官、比喩表現は控えてください』

 

『“ファルコは速い。とにかく速い。ちょっと腹立つくらい速い”は公式資料に適しません』

 

 ペルシアはそのたびに顔をしかめた。

 

「フレイ、見てないのに見てるみたいで怖いのよ……」

 

 カイエが静かに言う。

 

「ペルシアさんが書きそうなことを予測しているんじゃないですか?」

 

「私、そんな分かりやすい?」

 

 ミラが少し迷ってから答えた。

 

「えっと……少しだけ」

 

「ミラ、そこは嘘でも否定して」

 

「す、すみません!」

 

 ククルが笑いながら言う。

 

「でも、ペルシアさんの資料、見てるとちょっと面白いです」

 

「ククル、資料は面白くしちゃ駄目なのよ」

 

「ペルシアさんが言うと説得力ないです!」

 

「言うようになったわね、ククル」

 

 ペルシアは苦笑しつつ、端末へ向き直った。

 

 資料作成は嫌いだ。

 正確には、必要性は分かる。

 でも、面倒くさい。

 

 現場なら、耳で空気を読む。

 声色で不安を拾う。

 人の足音や息遣いで状態を判断する。

 それなら得意だ。

 

 だが、それを文章にするとなると途端に面倒になる。

 

 フォクスの強み。

 ファルコの課題。

 クリスタルの支援能力。

 スリッピーの伸びしろ。

 リュウジから受けた指導の効果。

 ドルトムント財閥旅行会社との今後の連携可能性。

 

 全部頭の中にはある。

 

 あるのに、文字にすると固くなる。

 面白くない。

 眠くなる。

 

 ペルシアはまた頭を抱えた。

 

「……資料って、私に向いてないわ」

 

 エマが優しく言う。

 

「でも、ペルシアさんが見たことを書いたら、きっと大事な資料になりますよ」

 

「エマ……」

 

「だから、一項目終わったらドーナツを半分あげます」

 

「半分?」

 

「一個だと食べすぎなので」

 

「エマまで健康管理側に……」

 

「クリスタルさんに頼まれました」

 

「根回しがすごい」

 

 その時、事務所に昼のチャイムが鳴った。

 

 柔らかな電子音がフロア全体に響き、午前業務の区切りを告げる。

 

 ペルシアは反射的に顔を上げた。

 

「昼!」

 

 その声は、まるで救いの鐘を聞いた者のようだった。

 

 ククルが笑う。

 

「ペルシアさん、目が輝いてます」

 

「だって昼よ? お昼休憩よ? 法で守られた休憩の時間よ?」

 

「急に法律っぽいこと言い出しましたね」

 

 カイエが苦笑する。

 

 ちょうどその頃、訓練室から一行が戻ってきた。

 

 リュウジ、フォクス、ファルコ、クリスタル、スリッピー、フレイ。

 そして、別班との打ち合わせを終えたエリンも、少し遅れてフロアに入ってきた。

 

 フォクス達は午前中の操縦訓練を終えたばかりで、全員どこか充実した疲労をまとっている。

 ファルコは首を回しながら、「いやぁ、最後の想定はきつかったな」と笑い、スリッピーは端末を抱えてまだログを見返している。クリスタルは落ち着いているが、目元には少し疲れが見えた。

 

 リュウジは相変わらず静かだったが、訓練後の集中がまだ残っているようだった。

 

 エリンは戻ってくるなり、真っ先にペルシアの端末を見た。

 

「ペルシア、終わった?」

 

 ペルシアは目を逸らした。

 

「ぼちぼち」

 

「ぼちぼち?」

 

「かなり進んだわよ」

 

 フレイが近づき、画面を覗いた。

 

「個人別評価表が途中です。今後の訓練計画案も未完成です。局長提出用ワンペーパーは表題のみです」

 

 ペルシアはフレイを見た。

 

「フレイ、昼休みよ」

 

「事実確認です」

 

「昼休みに事実で殴らないで」

 

「殴っていません」

 

 クリスタルが静かに言う。

 

「では、資料はまだ終わっていないのね」

 

「クリスタルまで……」

 

 ペルシアは肩を落とした。

 

 そこへ、タツヤ班長がゆるく歩いてきた。

 

「まあまあ、午前中ずっと資料だったんだろう? ペルシアも久しぶりに来たんだし、昼くらい外に出てもいいんじゃない?」

 

 ペルシアの顔がぱっと明るくなった。

 

「タツヤ班長!」

 

 タツヤはいつもの調子で笑う。

 

「それじゃあペルシア、久しぶりに飯でも行くか?」

 

「え、行く!」

 

 ペルシアは即答した。

 

「天ぷら食べたい!」

 

「いいねぇ〜。天ぷらかぁ。近くに美味しい店あったよね」

 

「あるある! あそこの海老天、衣が軽くて最高なのよ!」

 

「懐かしいねぇ。昔もよく行ってたよね」

 

「そう! それじゃあすぐ行こ! タツヤ班長の奢りね」

 

「え、俺の奢りなの?」

 

「久しぶりの再会祝い」

 

「都合のいい祝いだねぇ」

 

 ペルシアは嬉しそうに立ち上がろうとした。

 

 だが、その瞬間。

 

 両肩を、すっと押さえられた。

 

 後ろからだった。

 

 柔らかい手。

 しかし、逃げられない力。

 

 ペルシアは固まった。

 

「……エリン?」

 

「ペルシア」

 

 エリンの声は優しかった。

 

 優しかったが、怖かった。

 

「まだ資料、終わってないでしょう?」

 

 ペルシアはゆっくり振り返る。

 

 エリンはにっこり微笑んでいた。

 

「えー、でもお腹空いたし、お昼休憩の時間よ」

 

「ええ。お昼休憩ね」

 

「なら」

 

「でも、資料が終わってないから駄目よ」

 

 即答だった。

 

 ペルシアは口を開けたまま固まった。

 

「……駄目?」

 

「駄目」

 

「そこをなんとか」

 

「駄目」

 

「エリン、久しぶりの再会よ?」

 

「今朝したわ」

 

「天ぷらよ?」

 

「資料が終わってからね」

 

「お腹空いたら資料の質が落ちるわ」

 

「お腹いっぱいになると眠くなって資料が進まないでしょう」

 

「……否定できない」

 

「でしょう?」

 

 エリンはさらに笑顔を深めた。

 

 ペルシアは助けを求めるようにタツヤ班長を見た。

 

「タツヤ班長」

 

 タツヤ班長は苦笑した。

 

「俺は誘った側だけどねぇ。エリンに止められたら勝てないかなぁ」

 

「裏切り!」

 

「いやぁ、エリンの言うことも正しいからねぇ」

 

「正論ばかりの職場になってる……」

 

 ファルコが横で笑いを堪えきれずに言う。

 

「ペルシア、完全に子ども扱いじゃねぇか」

 

「ファルコ、うるさい」

 

 スリッピーも少し笑っている。

 

「でも、資料終わってないなら仕方ないよね」

 

「スリッピーまで」

 

 クリスタルは腕を組んで当然のように言った。

 

「当然よ。仕事を終えてから食事に行くべきね」

 

「クリスタル、あなた本当に厳しくなったわね」

 

「貴方の影響で必要になっただけよ」

 

 フレイも端末を持ったまま頷く。

 

「統括官、午後には局長への提出準備もあります。昼食で外出し、戻りが遅れた場合、午後の工程が崩れます」

 

「フレイ、工程とか言わないで。お腹がさらに空く」

 

「工程と空腹は関係ありません」

 

「あるのよ、精神的に」

 

 エマが少し困ったように言う。

 

「ペルシアさん、天ぷらは残念ですけど、資料が終わったら行きましょう?」

 

「エマ……」

 

「その時は私も行きたいです」

 

「天ぷら屋で甘いものあるかしら」

 

「近くに甘味処があります」

 

「行く価値が増したわ」

 

 ククルも励ますように言う。

 

「ペルシアさん、午後までに終わらせたら夕方行けますよ!」

 

「夕方の天ぷら……」

 

 ペルシアは少し考えた。

 

「悪くないわね」

 

 ミラも一生懸命言う。

 

「私も誤字確認、手伝いますので!」

 

「ミラは本当にいい子ね。じゃあ今から一緒に天ぷら行く?」

 

「えっ!? い、行きたいですけど、資料が……」

 

「ほら、ミラも行きたいって」

 

 エリンの手に、少しだけ力が入った。

 

「ペルシア」

 

「はい」

 

「ミラを巻き込まない」

 

「はい」

 

 ペルシアは完全に椅子へ戻された。

 

 その様子に、フロア全体が小さく笑う。

 

 ペルシアは不満そうに腕を組んだ。

 

「それじゃあ、私のお昼は?」

 

「お弁当買ってくるから」

 

 エリンが当然のように言った。

 

「お弁当?」

 

「ええ。食べながら資料を進められるように」

 

「食べながら仕事!?」

 

「あなた、午前中に逃げようとしたでしょう」

 

「未遂よ」

 

「一階のドーナツ屋まで行ったわよね」

 

「未遂の範囲よ」

 

「屋上にも行ったわよね」

 

「休憩よ」

 

「煙草も吸っていたわよね」

 

「……情報が早い」

 

 クリスタルが静かに言った。

 

「報告したわ」

 

「クリスタル!」

 

「事実よ」

 

 エリンはさらににっこり笑った。

 

「だから、お弁当ね」

 

 ペルシアは机に突っ伏した。

 

「天ぷら……」

 

 タツヤ班長が少し申し訳なさそうに笑う。

 

「ごめんねぇ、ペルシア。天ぷらはまた今度にしよう」

 

「タツヤ班長、約束よ」

 

「うん。資料が終わったらね」

 

「みんな資料を人質にする……」

 

 リュウジが静かに言った。

 

「ペルシア、自分の仕事だろう」

 

「リュウジまで正論」

 

「正論じゃなくて事実だ」

 

「事実が一番痛いのよ」

 

 フォクスはそのやり取りを見て、淡々と言った。

 

「お前は、どこでもこうなのか」

 

 ペルシアは顔を上げた。

 

「フォクス、私をどう見てるの?」

 

「目を離すと逃げる」

 

「ひどい」

 

 ファルコが笑う。

 

「合ってるだろ」

 

「合ってるけど、言い方」

 

 スリッピーがにこにこしながら言う。

 

「でも、ペルシアがいると賑やかだね」

 

 カイエが柔らかく頷いた。

 

「そうですね。久しぶりに、事務所がペルシアさんのペースになっています」

 

「それ、褒めてる?」

 

「半分くらいです」

 

「カイエ、その返し気に入ったの?」

 

 エリンはペルシアの肩から手を離し、周囲へ声をかけた。

 

「では、お昼を買ってきます。ペルシアはここで資料作成。フレイさん、進捗を見ていただけますか?」

 

「承知しました」

 

 ペルシアが絶望した顔をする。

 

「フレイ監視付き……」

 

「監視ではありません。進捗管理です」

 

「同じよ」

 

「違います」

 

 クリスタルも横から言う。

 

「私も残るわ」

 

「クリスタルまで!?」

 

「また逃げるでしょう」

 

「逃げないわよ」

 

 全員が黙った。

 

 ペルシアは周囲を見回した。

 

「……何その沈黙」

 

 ククルが言う。

 

「説得力が……」

 

 ミラが小声で続ける。

 

「少し……」

 

 エマが穏やかに言う。

 

「ないかもしれません」

 

「エマまで!」

 

 ペルシアは大きくため息を吐いた。

 

「分かったわよ。作るわよ。作りますよ。だからお弁当はちゃんと美味しいやつにして」

 

 エリンが頷く。

 

「分かったわ。何がいい?」

 

「天ぷら弁当」

 

 即答だった。

 

 エリンは少し呆れたように笑った。

 

「本当に天ぷらが食べたいのね」

 

「朝から口が天ぷらなのよ」

 

「分かった。天ぷら弁当を探してくるわ。ただし、食べたらちゃんと資料を進めること」

 

「はい」

 

「食べて眠くならない」

 

「努力する」

 

「努力ではなく、進めること」

 

「……はい」

 

 エリンは他のメンバーにも昼食の希望を確認し、数人分の弁当をまとめて買いに行くことになった。

 

 タツヤ班長も立ち上がる。

 

「俺も手伝うよ。人数多いしね」

 

「ありがとうございます、班長」

 

「ペルシア、天ぷら弁当でいいんだよね?」

 

「海老天多めで」

 

「それは店次第だねぇ」

 

「タツヤ班長の交渉力で」

 

「お昼の弁当屋で交渉は難しいかなぁ」

 

 ペルシアは少しだけ笑った。

 

 エリンとタツヤ班長が事務所を出ていくと、ペルシアは端末へ向き直った。

 

 フレイが隣に立つ。

 

 クリスタルが反対側に座る。

 

 完全な包囲である。

 

 ペルシアはぼそっと呟いた。

 

「……私、統括官なのに」

 

 フレイが即答する。

 

「統括官だからこそ、資料が必要です」

 

 クリスタルも言う。

 

「統括官だからこそ、逃げてはいけないわ」

 

 ペルシアは机に額をつけた。

 

「ハゲそう」

 

 ファルコが笑う。

 

「それ、今日何回目だよ」

 

「笑うな」

 

 スリッピーが端末を覗き込みながら言う。

 

「ペルシア、ここは僕の評価欄、もう少し機体理解のところを具体的に書いた方がいいかも」

 

「え、手伝ってくれるの?」

 

「うん。僕のことだし」

 

 ペルシアは顔を上げた。

 

「スリッピー、天使?」

 

「えっ、違うよ」

 

「天使よ。間違いない」

 

 フォクスも静かに口を開いた。

 

「俺の評価欄も、必要なら補足する」

 

「フォクスまで……」

 

 クリスタルもため息を吐く。

 

「仕方ないわね。私の欄も確認するわ」

 

 ファルコは肩をすくめた。

 

「俺は何を書かれるか怖ぇから見る」

 

 ペルシアは少しだけ目を丸くした。

 

 そして、ふっと笑った。

 

「……何よ。みんな優しいじゃない」

 

 フレイが静かに言った。

 

「優しさではなく、資料の正確性確保です」

 

「フレイはそういうことにしておいてあげる」

 

「事実です」

 

「はいはい」

 

 こうして、天ぷら弁当が届くまでの間、ペルシアはスターフォクス達本人の協力を得ながら資料を進めることになった。

 

 逃げようとして、止められて。

 天ぷらに釣られて、席に戻されて。

 それでも、みんなが自然に周りに集まってくる。

 

 ペルシアは端末に文字を打ちながら、小さく笑った。

 

「……悪くないわね」

 

 クリスタルが聞く。

 

「何が?」

 

「こういうの」

 

 ペルシアは画面を見たまま答えた。

 

「面倒だけど、悪くない」

 

 クリスタルは少しだけ表情を柔らかくした。

 

「なら、手を動かしなさい」

 

「はいはい」

 

 昼のチャイムが鳴った後の十四班事務所には、弁当を待つ空腹と、資料作成の焦りと、久しぶりに戻ってきたペルシアを囲む温かさが混ざっていた。

 

 天ぷら屋には行けなかった。

 

 けれど、ペルシアは少しだけ満足そうだった。

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