サヴァイヴ〜ドルトムント財閥〜   作:一塔

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ハロウィン

 

 ドルトムント財閥宇宙事業部の旅行会社フロアは、いつも通り忙しなく動いていた。

 

 翌月のフライト予定、乗務員の配置確認、訓練記録の整理、各班との調整。

 表面上は普段と何も変わらない。

 

 けれど、その日の十四班には、どこか少しだけ浮ついた空気があった。

 

 原因は、エマの席だった。

 

 エマの机の上には、小さなかぼちゃの飾りが置かれていた。

 その横には、黒猫の形をしたチョコレート。

 透明な袋に入ったクッキー。

 紫と橙色のリボンで結ばれた焼き菓子。

 さらに、小さな紙袋がいくつも並んでいる。

 

 ククルがそれに気づいたのは、午前の書類確認を終えた直後だった。

 

「エマ、それ何!?」

 

 ククルはぱっと顔を輝かせ、エマの席へ駆け寄った。

 

 エマはにこにこと穏やかな笑みを浮かべる。

 

「ハロウィンのお菓子だよ」

 

「ハロウィン!」

 

 ククルの声が一段高くなる。

 

 近くで端末を確認していたカイエが、ちらりと視線を向けた。

 

「ククル、声が大きい」

 

「あ、はい」

 

 ククルは慌てて声を落とす。

 

 それでも、目は輝いたままだった。

 

「でも、すごい! 可愛い! これ全部エマが用意したの?」

 

「うん。せっかくだから、今日の終業後に十四班で少しだけハロウィンをできたらいいなって思って」

 

 エマの言葉に、少し離れていたミラも顔を上げた。

 

「ハロウィン……ですか?」

 

「そう。大きなことはしないよ。業務が終わった後に、お菓子を配って、少しだけ飾り付けして、皆で楽しめたらいいなって」

 

 エマはそう言って、かぼちゃ型のクッキーを一つ持ち上げた。

 

「ハッピーハロウィンって」

 

 ククルは両手を握った。

 

「やりたい! やりたいです!」

 

 ミラも少し頬を赤くしながら、控えめに頷く。

 

「私も……楽しそうだと思います」

 

 カイエは端末を置き、エマの机の上を見た。

 

「業務に支障が出ない範囲なら、いいんじゃないかな。終業後なら」

 

「仮装も!」

 

 ククルが勢いよく言った。

 

 カイエがすぐに視線を向ける。

 

「業務中は駄目だよ」

 

「分かってるよ。終業後! ちょっとだけ!」

 

「ちょっとだけなら……」

 

 カイエは少し迷う。

 

 ククルはすかさず詰め寄った。

 

「カイエもやろう!」

 

「私は見るだけでいい」

 

「駄目! 皆でやるから楽しいんだよ!」

 

「私はそういうの、あまり得意じゃないんだけど」

 

 エマがやわらかく助け舟を出す。

 

「小さな飾りだけでもいいんじゃない? 帽子とか、マントとか」

 

「それくらいなら……」

 

 カイエは小さく息を吐いた。

 

「考えておくよ」

 

「やった!」

 

 ククルは嬉しそうに跳ねそうになり、慌てて自分で足を止めた。

 

「足音も気をつけます」

 

「よろしい」

 

 カイエが少し笑った。

 

 エマは満足げに頷く。

 

「じゃあ、まずはエリンさんに相談しよう」

 

 その言葉で、四人の視線が自然にエリンの席へ向いた。

 

 エリンはいつも通り、整った姿勢で資料を確認していた。

 端末に目を落とし、時折メモを取りながら、次のフライトに関する確認を進めている。

 

 ククルは少しだけ小声になった。

 

「エリンさん、許してくれるかな」

 

 カイエが言う。

 

「業務後なら、たぶん大丈夫。ただ、騒ぎすぎると注意されると思う」

 

「それ、私に言ってる?」

 

「うん」

 

「やっぱり」

 

 ミラは緊張したようにお菓子の袋を抱えた。

 

「あの、私も一緒にお願いしていいですか?」

 

「もちろん」

 

 エマはお菓子の入った籠を持ち、エリンの席へ向かった。

 

「エリンさん」

 

 エリンが顔を上げる。

 

「どうしたの、エマ?」

 

「今日、終業後に、十四班で少しだけハロウィンをしてもいいでしょうか?」

 

「ハロウィン?」

 

 エリンは少しだけ目を瞬いた。

 

 エマは丁寧に続ける。

 

「大きなことはしません。お菓子を配ったり、軽く飾りを置いたりする程度です。業務時間中は通常通りで、終業後に片付けもします」

 

 ククルが横から勢いよく頭を下げた。

 

「お願いします、エリンさん!」

 

 ミラも少し遅れて頭を下げる。

 

「私も……やってみたいです」

 

 カイエも穏やかに言った。

 

「通路を塞がないようにして、片付けもこちらで行います」

 

 エリンは四人を見た。

 

 ククルは期待を隠しきれない顔。

 エマは穏やかだが、どこか楽しみにしている顔。

 カイエは控えめに見えて、少しだけ興味がありそうな顔。

 ミラは緊張しつつも、目が輝いている。

 

 エリンは小さく微笑んだ。

 

「いいわよ」

 

「本当ですか!?」

 

 ククルが声を上げかける。

 

 エリンはすぐに視線を向けた。

 

「ククル」

 

「はい。声量ですね」

 

「そう」

 

 ククルは両手で口を押さえた。

 

 エリンは改めて言う。

 

「ただし、業務時間中は通常通り。飾り付けは休憩時間か終業後。通路を塞がないこと。食べ物の管理をきちんとすること。騒ぎすぎないこと」

 

「はい!」

 

 四人が頷く。

 

 エリンはエマを見る。

 

「エマが言い出しっぺなのね?」

 

「はい」

 

「それなら、全体の管理をお願いしてもいい?」

 

「もちろんです」

 

「頼むわね」

 

 エマは嬉しそうに頷いた。

 

 そこで、ククルが勢いよく言った。

 

「エリンさんも仮装しましょう!」

 

 エリンの手が止まる。

 

「私も?」

 

「もちろんです!」

 

「私は遠慮しておくわ」

 

「ええー!」

 

 ククルが思わず声を上げる。

 

 カイエが横から冷静に言う。

 

「エリンさんなら、上品な魔女みたいなのが似合いそうですね。帽子だけでも」

 

 エマも頷く。

 

「黒い帽子と、小さなケープだけでも素敵だと思います」

 

 ミラも遠慮がちに言った。

 

「私も……エリンさんの仮装、見てみたいです」

 

「ミラまで?」

 

 エリンは困ったように笑った。

 

「帽子だけなら、考えておくわ」

 

「やった!」

 

 ククルがまた声を出しかけ、自分で抑えた。

 

 エリンは苦笑した。

 

「それと、リュウジにも声をかけるの?」

 

 その瞬間、四人の空気が変わった。

 

 ククルの目がきらりと光る。

 

「リュウジさんの仮装……」

 

 エマが微笑む。

 

「見てみたいですね」

 

 カイエは真面目な顔で考えた。

 

「吸血鬼とか似合いそう」

 

 ミラはぱっと顔を赤くする。

 

「リュウジさんの吸血鬼……」

 

 四人の視線が自然とリュウジの席へ向いた。

 

 リュウジは少し離れた席で、操縦ログを確認している。

 端末の画面に視線を落とし、時折、静かにメモを残している。

 

 普段通りの落ち着いた姿。

 

 そのリュウジに、黒いマントを羽織らせたら。

 

 ククルは両手を握った。

 

「絶対似合う!」

 

 エリンは少しだけ想像しかけて、すぐに視線を戻した。

 

「本人が嫌がるなら無理にさせないのよ」

 

「大丈夫です! 頼んでみます!」

 

 ククルは自信満々だった。

 

 だが、その自信はすぐに砕かれることになる。

 

 

 昼休憩の少し前。

 

 ククル、エマ、カイエ、ミラは、リュウジの席へ向かった。

 

 エリンは少し離れた場所で、あえて見守ることにした。

 

 リュウジは四人に気づき、顔を上げる。

 

「どうした?」

 

 ククルが満面の笑みで言った。

 

「リュウジさん!」

 

「何だ?」

 

「今日、終業後に十四班でハロウィンをやることになったんです!」

 

「そうか」

 

「それで、リュウジさんにも参加してほしくて!」

 

「業務後なら構わない」

 

 そこまでは早かった。

 

 ククルはさらに勢いづく。

 

「ありがとうございます! それで、仮装もお願いしたくて!」

 

「断る」

 

 即答だった。

 

 あまりにも速かった。

 

 ククルの笑顔が固まる。

 

「え?」

 

「仮装はしない」

 

 リュウジは端末へ視線を戻しかけた。

 

 エマが穏やかに言う。

 

「あの、軽いもので大丈夫です。帽子やマントだけでも」

 

「しない」

 

 カイエが少しだけ苦笑する。

 

「リュウジさん、かなり頑なですね」

 

「必要がない」

 

 ミラが恐る恐る言う。

 

「あの……リュウジさん、きっと似合うと思います」

 

「似合うかどうかの問題じゃない」

 

「で、でも……」

 

 ミラはそこで言葉に詰まった。

 

 ククルが諦めずに続ける。

 

「吸血鬼とか、絶対似合いますよ!」

 

「やらない」

 

「黒いマントだけでも!」

 

「やらない」

 

「写真は撮らなくてもいいですから!」

 

「やらない」

 

「トリック・オア・トリートって言うだけでも!」

 

「言わない」

 

 完全に拒否だった。

 

 ククルは半泣きになりかける。

 

「リュウジさん、そこまで嫌ですか?」

 

「嫌というより、必要がない」

 

「必要とかじゃなくて、楽しいからやるんです!」

 

「俺がやる必要はない」

 

 エマが少し困ったように笑う。

 

「リュウジさんらしいですね」

 

 カイエは小さく息を吐いた。

 

「これは手強いね」

 

 ミラはしゅんとした。

 

「すみません……」

 

 リュウジは少しだけ表情を動かした。

 

「謝ることじゃない。ただ、俺は仮装はしない」

 

 そこへ、エリンが静かに近づいた。

 

「リュウジ」

 

 リュウジが顔を上げる。

 

「はい、エリンさん」

 

 エリンは四人の様子を見て、だいたいの流れを察していた。

 

 ククルは明らかに落ち込んでいる。

 ミラも少し残念そうだ。

 エマは穏やかに見守っているが、困っている。

 カイエも苦笑している。

 

 エリンはリュウジの前に立ち、少しだけ声を柔らかくした。

 

「無理にとは言わないわ」

 

「はい」

 

「でも、今日はエマが皆のために準備してくれたの。ククルもミラも、とても楽しみにしているわ。カイエも、珍しく少し乗り気なの」

 

 カイエが少しだけ視線を逸らした。

 

 エリンは続ける。

 

「リュウジが仮装をしたくない気持ちも分かるわ。だけど、ほんの少しだけでいいから、皆の気持ちを汲んであげてくれない?」

 

 リュウジは黙った。

 

 エリンは無理に押さなかった。

 

 ただ、静かに見つめる。

 

「帽子やマントだけでもいいの。写真も嫌なら撮らなくていい。終業後の短い時間だけ、皆と同じ空気に付き合ってあげて」

 

 ククルが祈るようにリュウジを見る。

 

 ミラも真剣な顔で見つめている。

 

 エマは穏やかに微笑み、カイエは何も言わずに待った。

 

 リュウジはしばらく黙っていた。

 

 やがて、小さく息を吐く。

 

「……エリンさんがそこまで言うなら」

 

 ククルの顔がぱっと明るくなる。

 

「本当ですか!?」

 

 リュウジは少し不満そうに眉を寄せた。

 

「ただし、少しだけだ」

 

「はい!」

 

「派手なものはしない」

 

「はい!」

 

「写真も必要以上に撮らない」

 

「はい!」

 

「騒がない」

 

「それは……頑張ります!」

 

「ククル」

 

「はい、騒ぎません!」

 

 リュウジはもう一度ため息を吐いた。

 

「仕方なくやるだけだ」

 

 エリンは少しだけ微笑む。

 

「ありがとう、リュウジ」

 

「……いえ」

 

 リュウジは少しだけ視線を逸らした。

 

 その様子を見て、ククルはエマの袖を引いた。

 

「エリンさんが頼んだら、やってくれた……」

 

 エマは小さく頷く。

 

「うん」

 

 カイエも控えめに言う。

 

「やっぱりエリンさんは強いね」

 

 ミラは頬を赤くしていた。

 

「素敵です……」

 

 エリンは四人の声が聞こえていたのか、静かに振り返った。

 

「みんな?」

 

「何でもありません!」

 

 ククルが勢いよく返事をした。

 

 

 終業後。

 

 十四班のフロアは、いつもと少しだけ違う姿になっていた。

 

 大掛かりな飾り付けではない。

 

 通路を塞がないように、机の端に小さなかぼちゃの飾り。

 休憩スペースに黒猫の紙飾り。

 壁には控えめな「Happy Halloween」のプレート。

 エマが用意したお菓子は、きれいに小分けされて籠に入っている。

 

 エマは黒いワンピースに、小さな魔女帽子をかぶっていた。

 

 派手ではない。

 けれど、穏やかな雰囲気と相まって、お菓子を配る優しい魔女のようだった。

 

「ハッピーハロウィン」

 

 エマが柔らかく言うと、ククルが元気よく返した。

 

「ハッピーハロウィン!」

 

 ククルは黒猫の耳と尻尾をつけている。

 赤髪のポニーテールと黒猫耳の組み合わせは、驚くほど似合っていた。

 

「ククル、声量」

 

 カイエがすぐに言う。

 

「はい!」

 

 カイエは薄い黒マントを羽織り、小さな銀色の飾りをつけていた。

 本人は「軽いもの」と言っていたが、どこかゲームの魔法使いのような雰囲気がある。

 

 ミラは白いケープを羽織り、星飾りのヘアピンをつけていた。

 恥ずかしそうにしているが、その控えめな雰囲気がよく似合っている。

 

「ミラ、可愛い!」

 

 ククルが言うと、ミラは顔を真っ赤にした。

 

「そ、そんなことないです……!」

 

「あるよ!」

 

 エマも微笑む。

 

「とても似合ってるよ」

 

「ありがとうございます……」

 

 そこへ、エリンが現れた。

 

 黒い帽子。

 控えめな黒いケープ。

 派手な仮装ではない。

 

 それでも、エリンが身につけると、上品な夜の魔女のように見えた。

 

 フロアが一瞬、静かになる。

 

 ククルが目を輝かせる。

 

「エリンさん……綺麗です!」

 

 エマも頷く。

 

「本当に素敵です」

 

 カイエが静かに言う。

 

「予想以上に似合っています」

 

 ミラは小さく息を呑んだ。

 

「エリンさん、すごく綺麗です……」

 

 エリンは少し照れたように微笑む。

 

「ありがとう。エマが用意してくれたの」

 

「絶対似合うと思いました」

 

 エマは満足そうだった。

 

 そして、全員の視線が自然と入口へ向いた。

 

 リュウジが来る時間だった。

 

 ククルは小声で言う。

 

「本当に来てくれるかな」

 

 カイエが答える。

 

「エリンさんに約束したから来ると思う」

 

 エマは微笑む。

 

「少し不機嫌かもしれませんね」

 

 ミラは緊張した顔で待っている。

 

 やがて、フロアの扉が開いた。

 

 リュウジが入ってきた。

 

 黒いマントを羽織っている。

 首元には控えめな赤い飾り。

 それ以外はほとんど普段と変わらない。

 

 けれど、それだけで十分だった。

 

 背筋の伸びた立ち姿。

 静かな目。

 黒いマント。

 

 完全に吸血鬼だった。

 

 しかも、本人が嫌々やっているため、いつもよりわずかに不機嫌そうな表情をしている。

 それが逆に妙に似合っていた。

 

 ククルは口元を押さえた。

 

「……似合いすぎ」

 

 エマも頷く。

 

「想像以上ですね」

 

 カイエが小さく言う。

 

「嫌々なのが、逆に雰囲気を出してるね」

 

 ミラは声にならない声を漏らした。

 

「リュウジさん……すごいです……」

 

 リュウジは明らかに落ち着かない様子だった。

 

「……これでいいのか?」

 

 ククルが勢いよく頷く。

 

「はい! 最高です!」

 

「最高ではなくていい」

 

「すごく似合ってます!」

 

「似合わなくていい」

 

 リュウジはため息を吐いた。

 

 エリンは少しだけ笑いをこらえながら近づいた。

 

「来てくれてありがとう、リュウジ」

 

「エリンさんに言われたので」

 

「嫌だった?」

 

「嫌です」

 

 即答だった。

 

 エリンは思わず笑ってしまった。

 

「正直ね」

 

「仮装は苦手です」

 

「でも、よく似合っているわ」

 

 リュウジは一瞬、黙った。

 

 そして、少しだけ視線を逸らす。

 

「……ありがとうございます」

 

 ククルが小声でエマに言う。

 

「エリンさんに褒められたら、ちょっと大人しくなった」

 

「うん」

 

 カイエが小声で続ける。

 

「分かりやすいね」

 

 ミラは両手で頬を押さえる。

 

「素敵です……」

 

 リュウジは四人を見る。

 

「聞こえているぞ」

 

「すみません!」

 

 ククルが即座に謝った。

 

 そこへ、タツヤ班長がやってきた。

 

 頭に小さなかぼちゃ帽子を乗せている。

 

「ハッピーハロウィン〜」

 

 ククルが笑う。

 

「班長、それだけですか?」

 

「うん。ユイが選んでくれたんだよ。パパはこれって」

 

「可愛いですね」

 

 エマが言う。

 

「ありがとう。ユイに写真送らないと」

 

 タツヤ班長はフロアを見回し、エリンとリュウジで視線を止めた。

 

「いやぁ、エリンとリュウジは並ぶと雰囲気あるねぇ」

 

「班長」

 

 エリンが静かに呼ぶ。

 

「冗談だよ」

 

 タツヤ班長はすぐに両手を上げた。

 

 リュウジは黙ってマントの端を少し直した。

 

「早く終わらせたい……」

 

 その小さな呟きに、ククルが笑いそうになり、必死に耐えた。

 

 

 エマが籠を持ち、中央へ立った。

 

「それでは、十四班ハロウィンを始めます」

 

 ククルが元気よく言う。

 

「ハッピーハロウィン!」

 

 皆も声を合わせた。

 

「ハッピーハロウィン」

 

 フロアに笑顔が広がる。

 

 エマはお菓子を一人ずつ配っていった。

 

「ククルには、黒猫クッキー」

 

「ありがとうございます!」

 

「カイエには、小袋のチョコ。ゲームしながらでも食べやすいように」

 

「それは助かる」

 

「ミラには、かぼちゃのマドレーヌ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「エリンさんには、甘さ控えめの焼き菓子です」

 

「ありがとう、エマ」

 

「リュウジさんには、コーヒーに合うビスコッティです」

 

「ありがとう」

 

 リュウジは受け取り、少しだけ表情を和らげた。

 

「甘すぎないのは助かる」

 

「前にそうおっしゃっていたので」

 

「覚えていたのか」

 

「はい」

 

 エマは嬉しそうに微笑んだ。

 

 ククルは黒猫の耳を揺らしながら、皆の席を回る。

 

「トリック・オア・トリート!」

 

 カイエがチョコを差し出す。

 

「はい」

 

「ありがとうございます!」

 

「ククル、さっきも来たよね?」

 

「二回目からが本番です」

 

「何の本番?」

 

 ミラはマドレーヌを大事そうに見つめていた。

 

「食べるのがもったいないです……」

 

 エリンが微笑む。

 

「でも、食べるためのお菓子よ」

 

「はい。大事に食べます」

 

 穏やかな時間が流れる。

 

 業務後だからこそ、皆の表情も少し柔らかい。

 普段は忙しいフロアも、この時だけは小さな季節の行事に包まれていた。

 

 ただ一人、リュウジだけは、相変わらず居心地が悪そうだった。

 

 マントの端を気にし、周囲から向けられる視線にため息を吐く。

 

 ククルがこっそり近づく。

 

「リュウジさん」

 

「何だ?」

 

「写真、一枚だけいいですか?」

 

「断る」

 

「早い!」

 

「必要ない」

 

「記念です!」

 

「必要ない」

 

 ククルは泣きそうな顔でエリンを見た。

 

「エリンさん……」

 

 エリンは少し困ったようにリュウジを見る。

 

「リュウジ、無理にとは言わないけれど、集合写真を一枚だけならどうかしら。皆の記念になるわ」

 

 リュウジは黙った。

 

「またですか、エリンさん」

 

「嫌なら本当に無理はしなくていいの」

 

「……」

 

 リュウジはククル達を見る。

 

 ククルは期待に満ちた目。

 エマは穏やかに微笑み、カイエは少し面白がり、ミラは祈るような顔をしている。

 

 リュウジは深く息を吐いた。

 

「一枚だけだ」

 

 ククルの顔が輝いた。

 

「ありがとうございます!」

 

「一枚だけだぞ」

 

「はい!」

 

「個別は撮らない」

 

「はい!」

 

「変な加工もしない」

 

「しません!」

 

 カイエが小声で言う。

 

「リュウジさん、契約条件みたい」

 

 エマが笑う。

 

「それくらい嫌なんですね」

 

 ミラは小さく言った。

 

「でも、付き合ってくれるんですね」

 

 その言葉に、リュウジは少しだけ視線を落とした。

 

「エリンさんに頼まれたからな」

 

 また自然に言った。

 

 フロアの空気が一瞬だけ止まる。

 

 エリンの頬がわずかに赤くなる。

 

「リュウジ、それは言わなくてもいいのよ」

 

「事実です」

 

「そうだけど」

 

 ククルとエマが目を合わせる。

 カイエは口元を押さえ、ミラは真っ赤になっていた。

 

 集合写真を撮ることになった。

 

 タツヤ班長が端末をセットする。

 

「はい、みんな集まって〜」

 

 ククル、エマ、カイエ、ミラが前へ。

 エリンとリュウジが後ろへ並ぶ。

 タツヤ班長は端に入る。

 

 ククルがすぐに言った。

 

「エリンさんとリュウジさん、もう少し近づいてください」

 

「どうして?」

 

 エリンが聞く。

 

「画角です」

 

「本当?」

 

「本当です!」

 

 カイエが端末画面を見ながら言う。

 

「実際、少し寄った方が収まりはいいですね」

 

 エマも穏やかに頷く。

 

「はい。少しだけ」

 

 ミラは何も言わないが、目が期待に満ちている。

 

 エリンはリュウジを見る。

 

「リュウジ、大丈夫?」

 

「エリンさんがよければ」

 

 また自然に返す。

 

 エリンはもう何も言わず、少しだけリュウジの方へ寄った。

 

 リュウジも、ぎこちなく半歩寄る。

 

 黒い魔女と、嫌々ながらも妙に似合っている吸血鬼。

 

 並んだ姿は、驚くほど絵になっていた。

 

「撮るよ〜」

 

 タツヤ班長がタイマーをセットする。

 

「はい、ハッピーハロウィン」

 

 皆で声を合わせる。

 

「ハッピーハロウィン!」

 

 写真が撮られた。

 

 確認したククルは、端末を見た瞬間、声を上げそうになった。

 

 しかし、すぐに自分で口を押さえる。

 

「……最高です」

 

 エマが覗き込む。

 

「いい写真ですね」

 

 カイエも頷く。

 

「これは保存ですね」

 

 ミラは小さく呟いた。

 

「宝物です……」

 

 リュウジは写真を見て、少しだけ眉を寄せた。

 

「俺はいなくてもよかったんじゃないか?」

 

「駄目です!」

 

 ククルが即答する。

 

「リュウジさんがいるからいいんです!」

 

「そうか?」

 

「そうです!」

 

 エリンも写真を見た。

 

 皆が笑っている。

 ククルは黒猫のように明るく、エマは優しい魔女のように穏やかで、カイエは少し照れながらも楽しそうで、ミラは控えめに笑っている。

 タツヤ班長はかぼちゃ帽子で緩く笑い、リュウジは明らかに不本意そうなのに、ちゃんとそこにいる。

 

 そして自分も、思ったより楽しそうに写っていた。

 

 エリンは少しだけ微笑んだ。

 

「いい写真ね」

 

 リュウジはその声を聞いて、少しだけ表情を和らげた。

 

「……なら、よかったです」

 

 

 しばらくして、エマが大きな箱を取り出した。

 

「それでは、本日のメインです」

 

 ククルが目を輝かせる。

 

「メイン?」

 

「かぼちゃケーキです」

 

「待ってました!」

 

 エマが箱を開けると、中には丸いかぼちゃのケーキが入っていた。

 オレンジ色のクリームに、チョコレートで描かれた顔。

 周囲には小さな焼き菓子が飾られている。

 

 ミラが感動したように言う。

 

「すごい……」

 

 カイエも驚く。

 

「ここまで用意してたんだね」

 

「言い出しっぺなので」

 

 エマは少し誇らしげだった。

 

 エリンがナイフを持つ。

 

「大きさは均等でいい?」

 

 ククルが勢いよく手を挙げる。

 

「私は大きめで!」

 

「ククル」

 

「冗談です!」

 

 エマが静かに言う。

 

「私は少し大きめでお願いします」

 

「エマは本気ね」

 

「はい」

 

 皆が笑った。

 

 ケーキが配られ、フロアの休憩スペースに甘い香りが広がる。

 

 リュウジも一口食べ、静かに頷いた。

 

「甘すぎなくていい」

 

 エマが嬉しそうに言う。

 

「リュウジさんにも合うと思っていました」

 

「美味い」

 

「よかったです」

 

 エリンも一口食べて微笑む。

 

「本当に美味しいわ。エマ、ありがとう」

 

「こちらこそ、許可してくださってありがとうございます」

 

「こういう時間も大事ね」

 

 エリンが言うと、エマは嬉しそうに目を細めた。

 

「はい。皆さんが少しでも楽しい気持ちになれたなら、よかったです」

 

 ククルがケーキを食べながら言う。

 

「エマが言い出してくれてよかった!」

 

「うん」

 

 カイエも頷く。

 

「たまには、こういうのもいいね」

 

 ミラも小さく笑う。

 

「私、十四班に来られてよかったです」

 

 その言葉に、少しだけ静かな空気が広がった。

 

 エリンはミラを見る。

 

「私達も、ミラが来てくれてよかったわ」

 

「エリンさん……」

 

 ミラの目が少し潤む。

 

 ククルが慌てて肩を叩く。

 

「泣かない、泣かない!」

 

「泣いてません!」

 

「目がうるうるしてるよ」

 

「してません!」

 

 そのやり取りに皆が笑った。

 

 タツヤ班長はかぼちゃ帽子を外しながら、しみじみと言う。

 

「十四班も、いい感じになってきたねぇ」

 

 エリンも静かに頷いた。

 

「そうですね」

 

 いろいろな変化があった。

 

 ペルシアが抜けた。

 ミラが来た。

 スターフォクスとの訓練もあった。

 日々の訓練も、フライトも、少しずつ形を変えている。

 

 けれど、こうして皆で笑える時間がある。

 

 それは、とても大切なことだった。

 

 

 片付けの前に、フロアの端末に外部通信が入った。

 

 表示を見たタツヤ班長が笑う。

 

「おや、噂をすれば」

 

 画面に映ったのは、ペルシアだった。

 

 宇宙管理局の執務室らしき場所。

 後ろには書類の山。

 その横にはフレイの姿がちらりと見える。

 

『ハッピーハロウィン〜!』

 

 ペルシアの明るい声が響いた。

 

 ククルが手を振る。

 

「ペルシアさん!」

 

『おお、ククル黒猫! 似合ってるじゃない』

 

「ありがとうございます!」

 

 ペルシアは次々に皆を見る。

 

『エマは魔女ね。完全にお菓子配る側じゃない』

 

「はい。今日は言い出しっぺなので」

 

『納得』

 

『カイエは……ゲームの魔法使い?』

 

「近いです」

 

『似合ってるわ。スリッピーに見せたら喜びそう』

 

 カイエは少し笑った。

 

「後で送っておきます」

 

『ミラは天使? 可愛いじゃない』

 

「は、はい……ありがとうございます」

 

『よしよし。ちゃんと楽しめてる?』

 

「はい!」

 

 そして、ペルシアの視線がエリンへ向く。

 

『エリン、綺麗ねぇ。上品な魔女って感じ』

 

「ありがとう、ペルシア」

 

『で、リュウジは……』

 

 画面越しに、ペルシアが固まった。

 

 そして、次の瞬間、盛大に笑い出した。

 

『あははははっ! 何その顔! めちゃくちゃ嫌々やってるじゃない!』

 

 リュウジは眉を寄せる。

 

「ペルシア、笑うな」

 

『いや、無理! 似合ってるのに本人が嫌そうなのが余計に面白い!』

 

「リュウジ、最初は断っていたのよ」

 

 エリンが少し笑いながら言う。

 

『でしょうね。リュウジが自分からやるわけないもの』

 

「分かってるなら笑うな」

 

『でもやったんでしょ?』

 

 ペルシアはにやりと笑った。

 

『エリンに頼まれた?』

 

 フロアが静かになる。

 

 リュウジは黙った。

 

 エリンも少しだけ視線を逸らした。

 

 ククルが口を押さえる。

 エマはにこにこしている。

 カイエは笑いを堪え、ミラは顔を赤くしている。

 

 ペルシアはすべてを察したように笑った。

 

『やっぱりねぇ』

 

「ペルシア」

 

 エリンの声が低くなる。

 

『はいはい。言わない、言わない。黒魔女エリンに怒られる前に黙るわ』

 

 フレイの声が画面の奥から聞こえた。

 

『統括官、通信は五分だけです。資料が残っています』

 

『フレイ、ハロウィンよ?』

 

『資料に季節行事は関係ありません』

 

『厳しい』

 

 さらにクリスタルの声も聞こえる。

 

『ペルシア、お菓子を食べる前に書類』

 

『クリスタルまで!』

 

 十四班のフロアに笑いが起こる。

 

 ペルシアは肩を落とした。

 

『こっちは相変わらず包囲網が厳しいわ』

 

 エリンが微笑む。

 

「必要でしょう?」

 

『エリンまで遠隔で包囲してくる……ハゲそう』

 

 ククルが笑う。

 

「また言ってる!」

 

 エマが言う。

 

「ペルシアさん、ハロウィンのお菓子、後で送りますね」

 

『エマ、好き』

 

『統括官、食べすぎは禁止です』

 

 フレイの声が飛ぶ。

 

『フレイ、今のは心の栄養よ』

 

『量を管理します』

 

『本当に厳しい!』

 

 ペルシアは最後に、フロア全体を見た。

 

『でも、楽しそうでよかったわ』

 

 その声は少しだけ柔らかかった。

 

『エマ、言い出してくれてありがと。十四班には、こういう時間も必要よ』

 

 エマは嬉しそうに微笑んだ。

 

「はい」

 

『皆んな、ちゃんと楽しんで。仕事も大事だけど、笑える時に笑っておきなさい』

 

 タツヤ班長が頷く。

 

「ペルシアもね」

 

『私はこれから資料地獄よ』

 

『統括官』

 

 フレイの声が迫る。

 

『はいはい! じゃあ皆んな、ハッピーハロウィン!』

 

「ハッピーハロウィン!」

 

 皆で声を合わせた。

 

 通信が切れる直前、ペルシアは最後に言った。

 

『リュウジ、来年はもっとちゃんと仮装しなさいよ〜!』

 

「やらない」

 

 リュウジが即答する。

 

『エリンに頼まれたら?』

 

 通信が切れた。

 

 フロアに沈黙が落ちる。

 

 リュウジは深くため息を吐いた。

 

「最後に余計なことを……」

 

 エリンは少し頬を赤くしながら、視線を逸らした。

 

 ククルは笑いを堪えきれなかった。

 

「ペルシアさん、最後に置いていきましたね」

 

 エマも笑う。

 

「ペルシアさんらしいです」

 

 カイエが小さく言う。

 

「でも、リュウジさん、来年もやることになりそうですね」

 

「やらない」

 

 リュウジはきっぱり言った。

 

 ククルがすぐに聞く。

 

「エリンさんに頼まれても?」

 

 リュウジは一瞬、黙った。

 

 その沈黙だけで、全員が察した。

 

 エリンは慌てて言う。

 

「ククル、からかわないの」

 

「すみません!」

 

 リュウジは顔を少し横に向けた。

 

「……来年のことは来年考える」

 

 ククル、エマ、カイエ、ミラが同時に目を輝かせた。

 

 エリンは小さくため息を吐いたが、その表情はどこか柔らかかった。

 

 

 ハロウィンの時間も終わりに近づいた。

 

 お菓子はほとんど配られ、ケーキもきれいに食べ終わった。

 写真も撮り、ペルシアとの通信も終わった。

 

 エリンは全体を見回し、軽く手を叩いた。

 

「それじゃあ、そろそろ片付けましょう」

 

「はい!」

 

 ククルが元気よく返事をする。

 

「私、飾り外します!」

 

「声量」

 

「はい……!」

 

 エマはお菓子の残りを整理する。

 

「残りは明日、休憩室に置いておきますね」

 

「食べすぎないようにね」

 

「努力します」

 

「努力ではなく、適量に」

 

「はい」

 

 カイエは飾りを外しながら、ミラに声をかける。

 

「ミラ、その星飾り似合ってたよ」

 

「本当ですか?」

 

「うん。今度、普通の日にもつけたら?」

 

「それは恥ずかしいです……」

 

 タツヤ班長はかぼちゃ帽子を外しながら笑った。

 

「ユイに写真送らないと」

 

「ユイちゃん、喜びそうですね」

 

 ククルが言う。

 

「リュウジさんの写真も見たら、きっと驚きますよ」

 

「リュウジは写真いいの?」

 

 タツヤ班長が聞く。

 

 リュウジは少し考えた後、ため息を吐いた。

 

「十四班内だけなら」

 

「お、許可が出た」

 

「外には出さないでください」

 

「もちろん」

 

 エリンは片付けをしながら、リュウジの近くへ来た。

 

「今日は付き合ってくれてありがとう」

 

「……エリンさんに頼まれたので」

 

「嫌々だったけれど?」

 

「嫌々でした」

 

 エリンは思わず笑った。

 

「正直ね」

 

「ですが」

 

 リュウジは少しだけ周囲を見た。

 

 ククルが楽しそうに飾りを外し、エマが満足げにお菓子を整理し、カイエとミラが笑いながら片付けている。

 

「皆が楽しそうだったので、やってよかったとは思います」

 

 エリンの表情が柔らかくなった。

 

「そう言ってくれて嬉しいわ」

 

「ただし、来年は分かりません」

 

「ええ。無理には頼まないわ」

 

 リュウジはエリンを見る。

 

「エリンさんに頼まれると、断りにくいので」

 

 また自然に言った。

 

 エリンは一瞬、言葉を失う。

 

 近くで片付けをしていたククル達が、明らかに動きを止めた。

 

 エリンは小さく咳払いした。

 

「……そういうことは、あまり大きな声で言わない方がいいわ」

 

「事実ですが」

 

「だからよ」

 

 リュウジは少し不思議そうにしたが、やがて頷いた。

 

「分かりました」

 

 エリンは視線を逸らしながら、少しだけ笑った。

 

 その夜、十四班のフロアには、甘い香りが残っていた。

 

 かぼちゃ。

 チョコレート。

 焼き菓子。

 そして、皆の笑い声の余韻。

 

 エマの一言から始まった、小さなハロウィン。

 

 リュウジは最後まで仮装に納得していなかった。

 それでも、皆のために、そしてエリンに頼まれたから、ほんの少しだけ付き合った。

 

 その不器用さが、十四班らしかった。

 

 ククルが最後に、片付いたフロアを見て言った。

 

「来年もやりたいですね!」

 

 エマが微笑む。

 

「うん。来年はもっと準備しようかな」

 

 カイエが言う。

 

「ほどほどにね」

 

 ミラも嬉しそうに頷く。

 

「私も、来年はもう少しちゃんと仮装したいです」

 

 タツヤ班長が笑う。

 

「来年はペルシアも呼ぼうか」

 

「呼んだら大騒ぎですね」

 

 ククルが言う。

 

 エリンは少しだけ想像した。

 

 ペルシアが十四班に来て、勝手にお菓子を食べ、リュウジをからかい、フレイとクリスタルに連れ戻される姿。

 

 簡単に想像できた。

 

 エリンは微笑んだ。

 

「そうね。来年は、ペルシアも一緒に」

 

 リュウジが静かに言った。

 

「その前に、資料を終わらせてから来てもらいましょう」

 

 全員が笑った。

 

 十四班のフロアに、もう一度、明るい声が響く。

 

「ハッピーハロウィン!」

 

 その夜、十四班は少しだけ特別だった。

 

 甘くて、賑やかで、少し照れくさくて。

 

 そして、リュウジが嫌々ながらも皆に付き合ったことで、いつもより少しだけ温かいハロウィンだった。

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