サヴァイヴ〜ドルトムント財閥〜   作:一塔

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異動

 赤ん坊のミオを預かった騒動から、数日が過ぎた。

 

 十四班のフロアは、いつもの日常に戻っていた。

 

 朝は各自の予定確認。

 午前は次回フライトに向けた資料整理と訓練準備。

 午後は接客対応、緊急時動線、機内アナウンス、乗務員間の情報伝達の反復確認。

 

 ミオがいた一日は、たった一日だけの出来事だったはずなのに、不思議と十四班の空気を少しだけ柔らかくしていた。

 

 エマはあれ以来、休憩中に「赤ちゃんってすごいですね」と時々呟くようになった。

 ククルは、泣き声を思い出すたびに「私、絶対声量気をつけます」と言っては、次の瞬間に大きな声を出してカイエに注意されていた。

 ミラは「赤ちゃんへの声かけも、お客様対応に似ているんですね」と真面目にメモを取り、カイエは「床に落ちている小物の確認も大事」と、なぜか休憩室の安全確認に少し敏感になった。

 

 リュウジは、ミオに指を握られた時のことを誰かにからかわれるたび、少しだけ困った顔をした。

 

 そしてエリンは。

 

 いつも通りだった。

 

 いつも通り、穏やかで。

 いつも通り、厳しくて。

 いつも通り、誰よりも周りを見ていた。

 

 ただ、ククル達の目には、ミオを抱いていた時のエリンの姿が強く残っていた。

 

 小さな命を抱き、泣き声に慌てるエマを落ち着かせ、床を確認するカイエに指示を出し、ミラに声かけを任せ、ククルの声量を抑えながらも、全員を責めずに導いていた姿。

 

 優しく、温かく、強い。

 

 十四班の誰もが、改めて思った。

 

 やっぱりエリンは、すごい人だと。

 

 

 その日の午前。

 

 エリンは自席で端末を操作していた。

 

 画面には、各班の人員表、フライト予定、訓練実績、業務負担の一覧が並んでいる。

 

 ペルシアが抜けてから、十四班は形を変えながらも何とか回っていた。

 

 ミラが入った。

 カイエが教育係として成長した。

 ククルとエマも、以前よりずっと周りを見るようになった。

 それでも、ペルシアがいた頃と比べれば、副パーサー相当の役割は空いたままだ。

 

 エリン自身がそこを補っている。

 

 けれど、それは長く続けるべき形ではなかった。

 

 エリンは資料を確認しながら、小さく息を吐いた。

 

「……そろそろ配置換えの時期ね」

 

 ぽつりと呟いた。

 

 周りに聞かせるつもりはなかった。

 

 けれど、その言葉は、少し離れた席で資料を整理していたククルの耳に届いた。

 

 ククルの手が止まった。

 

 配置換え。

 

 その言葉が、胸の奥に小さく刺さる。

 

 エリンは気づかず、画面を見ながら続ける。

 

「今年も申請しなくちゃ」

 

 ククルの心臓が、どくんと跳ねた。

 

 申請。

 

 配置換えの申請。

 

 年に一度だけ、各班のチーフパーサーが、各班の業務量や人数、乗務員の適性、今後の運航予定に応じて、乗務員の入れ替えや補充を申請する時期がある。

 

 ククルも制度としては知っていた。

 

 でも、これまで自分に関係するものだと思ったことはなかった。

 

 十四班は十四班で。

 皆で訓練して。

 皆でフライトして。

 皆で怒られて。

 皆で笑って。

 

 それが当たり前だと思っていた。

 

 でも、配置換えという言葉を聞いた瞬間、その当たり前が急に揺らいだ。

 

 ククルは手元の資料を見つめたまま、指先に力を込めた。

 

 エリンは端末に入力を続けている。

 

「副パーサー枠は……やっぱり必要ね。あと乗務員も一人……申請だけは出しておかないと」

 

 副パーサー。

 乗務員。

 申請。

 

 言葉だけが耳に残る。

 

 ククルの胸が、またどくんと鳴った。

 

 乗務員一人。

 

 それは、誰かを入れるという意味なのか。

 それとも、誰かを出すという意味なのか。

 

 ククルの中で、勝手に不安が膨らんでいく。

 

 もしかして。

 

 私かもしれない。

 

 そう思った瞬間、背中に冷たいものが走った。

 

 ククルは訓練で、いつもエリンに注意される。

 

 声が大きい。

 足音が大きい。

 動き出しが早すぎる。

 周囲確認が足りない。

 焦ると表情に出る。

 元気なのはいいけれど、乗客の不安を煽らないように。

 明るさは武器だけれど、場面に合わせて使いなさい。

 

 何度も、何度も言われてきた。

 

 エリンは褒める時は褒めてくれる。

 けれど、注意の方が多い気がする。

 

 最近だって、ミラの指導が始まってから、ククルは「先輩」として見られることが増えた。

 それなのに、まだ注意される。

 

 ミラは一生懸命で、着実に伸びている。

 エマは落ち着いていて、乗客への声かけが上手い。

 カイエは冷静で、判断も正確。

 自分は。

 

 自分は、元気だけが取り柄で。

 

 もし十四班から誰かを出すなら。

 

 エリンが「配置換えを申請しなくちゃ」と言ったのなら。

 

 もしかして、自分なのではないか。

 

 そう思ったら、胸が苦しくなった。

 

「ククル?」

 

 不意にカイエの声が聞こえた。

 

 ククルははっと顔を上げる。

 

「えっ、何?」

 

「その資料、さっきから同じページ見てるけど大丈夫?」

 

「あ、うん! 大丈夫!」

 

 声が少し大きくなった。

 

 エリンがちらりと視線を向ける。

 

「ククル、声量」

 

「あ……はい」

 

 いつもの注意。

 

 いつもなら「すみません!」と返して終わる。

 

 でも今日は、その一言が胸に刺さった。

 

 やっぱり。

 

 私は、駄目なのかもしれない。

 

 ククルは小さく返事をした。

 

「……すみません」

 

 その声がいつもより弱かったので、カイエが少しだけ眉をひそめた。

 

 エリンも一瞬、ククルを見た。

 

 けれど、ククルはすぐに資料へ視線を戻した。

 

 気づかれたくない。

 不安になっているなんて、知られたくない。

 

 だって、もし本当に異動対象だったら。

 ここで慌てたり、落ち込んだりしたら、ますます駄目だと思われる。

 

 ククルは必死に平静を装った。

 

 けれど、資料の文字は、もう頭に入ってこなかった。

 

 

 昼休み。

 

 休憩スペースには、ククル、エマ、カイエ、ミラが集まっていた。

 

 いつもなら、ククルが真っ先に弁当を広げて「今日のおかず何?」と騒ぎ、エマが甘いものを取り出し、カイエが眠そうにコーヒーを飲み、ミラが丁寧に手を合わせる。

 

 だが、その日のククルは静かだった。

 

 弁当は開けている。

 けれど、箸が進んでいない。

 

 唐揚げをじっと見つめたまま、考え込んでいる。

 

 エマが最初に気づいた。

 

「ククル、どうしたの?」

 

「え?」

 

「お昼、全然食べてないよ」

 

「あ、うん。ちょっと考え事」

 

 ククルは笑おうとした。

 

 でも、うまく笑えなかった。

 

 カイエがコーヒーを置く。

 

「朝から様子が変だよ」

 

「そんなことないよ」

 

「ある」

 

 カイエは淡々と言った。

 

 ククルは言葉に詰まる。

 

 ミラが心配そうに身を乗り出した。

 

「ククルさん、具合悪いんですか?」

 

「違う違う! 具合は悪くないよ!」

 

「それなら……」

 

 エマが優しく言う。

 

「何か気になることがあるの?」

 

 ククルは箸を置いた。

 

 少しだけ迷う。

 

 言っていいのか分からない。

 

 でも、このまま一人で考えていると、もっと悪い方へ行ってしまいそうだった。

 

 ククルは小さく息を吸った。

 

「……エリンさんが」

 

 三人が静かに聞く姿勢になる。

 

「エリンさんが、朝、配置換えの申請しなくちゃって言ってたの」

 

 エマが少し目を瞬いた。

 

 カイエは「ああ」と小さく呟いた。

 

 ミラは不安そうにククルを見る。

 

「配置換え……」

 

 ククルは俯いた。

 

「年に一回あるでしょ? 各班のチーフパーサーが、乗務員の入れ替えとか補充とか申請するやつ」

 

「うん」

 

 カイエが頷く。

 

「それで、エリンさんが申請しなくちゃって言ってて……乗務員一人って……」

 

 ククルの声が小さくなる。

 

「もしかして、私かなって」

 

 休憩スペースが静かになった。

 

 エマはすぐに首を横に振った。

 

「ククル、それは違うと思うよ」

 

「でも、私、いつもエリンさんに注意されてる」

 

 ククルは指先を握った。

 

「訓練でも、声が大きいとか、足音が大きいとか、周りを見てとか、焦らないとか……毎回言われてるし」

 

「それは、私も言われてるよ」

 

 エマが言った。

 

 ククルは顔を上げる。

 

「エマはそんなに言われないじゃん」

 

「言われるよ。声かけはいいけど周囲確認が遅いとか、体調不良者に寄りすぎるとか、優先順位を忘れないようにとか」

 

 エマは穏やかに続ける。

 

「カイエも言われてるよね」

 

 カイエは頷いた。

 

「私は、判断は正確だけど説明が足りないってよく言われる。あと、冷静すぎて乗客に感情が伝わりにくい時があるって」

 

 ミラも小さく手を上げた。

 

「私は……毎日たくさん言われています」

 

 ククルはミラを見る。

 

「でもミラは新人だから」

 

「新人でも、言われると落ち込みます」

 

 ミラは少しだけ困ったように笑った。

 

「でも、エリンさんは、私を駄目だと思って注意しているわけじゃないと思います。ちゃんとできるようになるために、言ってくれているんだって……最近、少し分かってきました」

 

 その言葉に、ククルは黙った。

 

 分かっている。

 

 エリンが自分を嫌って注意しているわけではないことくらい、ククルだって分かっている。

 

 だけど、不安は理屈だけで消えない。

 

「でも……」

 

 ククルは唇を噛んだ。

 

「もし、十四班から誰かを出すってなったら、やっぱり私かなって思っちゃって」

 

 エマは表情を柔らかくした。

 

「ククルは、十四班に必要だよ」

 

「本当?」

 

「本当」

 

 エマは迷わず言った。

 

「ククルがいると、空気が明るくなる。緊張している人も、ククルの声で少し安心することがある。もちろん声量は調整しないといけないけど」

 

「最後に注意が入った……」

 

「でも、それもククルの武器だからだよ」

 

 カイエも続ける。

 

「エリンさんは、ククルの元気さを潰そうとはしていないと思う。むしろ、武器として使えるように整えている」

 

「整える……」

 

「うん。ククルの明るさは、場面によってはすごく強い。でも、危機対応の時や不安な乗客がいる時にそのまま出ると、逆に不安を大きくすることがある。だからエリンさんは、調整できるように言ってるんだと思う」

 

 ククルは箸を握りしめた。

 

「私、調整できてるかな」

 

「前よりずっとできてるよ」

 

 カイエは柔らかく言った。

 

「ミラの訓練を見ている時も、声かけが優しくなった。前は勢いで励ますことが多かったけど、最近は相手の様子を見て声を変えてる」

 

 ミラが大きく頷いた。

 

「はい。ククルさんの声、私はすごく助かっています」

 

「ミラ……」

 

「私が緊張して固まった時、ククルさんが明るく声をかけてくれると、少し動けるんです。だから、ククルさんがいなくなったら困ります」

 

 ククルの目が少し潤んだ。

 

「そんなこと言われると……泣きそう」

 

「泣いていいよ」

 

 エマが言う。

 

「駄目。泣いたら午後の訓練で目が赤くなる」

 

「それもククルらしいけどね」

 

 カイエが少し笑った。

 

 ククルも少しだけ笑った。

 

 でも、不安は完全には消えなかった。

 

 皆が優しいことは分かった。

 自分を必要だと言ってくれるのも嬉しかった。

 

 それでも、エリンがどう思っているかは分からない。

 

 エリンが申請する配置換え。

 

 それが、自分に関わることではないと、どうしても思い切れなかった。

 

「ありがとう」

 

 ククルは小さく言った。

 

「ちょっと、楽になった」

 

 エマは心配そうに見つめる。

 

「本当に?」

 

「うん。大丈夫」

 

 そう答えたが、声にはまだ不安が残っていた。

 

 カイエはそれに気づいた。

 

 でも、今はこれ以上押さなかった。

 

 ククルが自分で消化しようとしているのが分かったからだ。

 

 

 午後の訓練は、いつも通り厳しかった。

 

 エリンは一切手を抜かない。

 

 次回フライトを想定した接客動線。

 揺れ発生時の声かけ。

 急な乗客対応。

 体調不良者発生時の役割分担。

 

 ククルはいつも以上に気を張っていた。

 

 声量。

 足音。

 周囲確認。

 視線。

 表情。

 

 全部、意識しようとした。

 

 でも、意識しすぎると動きが硬くなる。

 

「ククル」

 

 エリンの声が飛ぶ。

 

 ククルの肩が跳ねた。

 

「はい!」

 

「今の動き、少し硬いわ。声を抑えることに意識が行きすぎて、表情まで固まっている」

 

「はい……!」

 

「あなたの良さは明るさよ。ただ小さくなればいいわけじゃない。場面に合わせて、明るさを調整するの」

 

「はい!」

 

 注意。

 

 また注意だ。

 

 分かっている。

 

 必要な注意だと分かっている。

 

 けれど、今日だけは胸に刺さる。

 

 あなたの良さは明るさ。

 

 そう言われたのに、なぜか素直に受け取れない。

 

 その良さを、私はちゃんと活かせているのだろうか。

 

 エリンにとって、私は十四班に必要な乗務員なのだろうか。

 

 訓練後、ククルはいつもより疲れていた。

 

 身体よりも、心が重かった。

 

 ククルは更衣室に向かう途中、皆と少し離れた。

 

 エマが声をかけようとしたが、カイエがそっと首を横に振った。

 

「少し、一人で考えたいんだと思う」

 

 エマは心配そうに頷いた。

 

「でも、あまり溜め込まないといいけど」

 

「そうだね」

 

 ミラはククルの背中を見つめた。

 

「ククルさん、大丈夫でしょうか……」

 

「たぶん、大丈夫。でも、誰かがもう一度声をかけた方がいいかも」

 

 カイエはそう言いながら、少し考えた。

 

 そして、ふと廊下の向こうに目を向けた。

 

 訓練室の方から、首にタオルをかけたリュウジが歩いてくるのが見えた。

 

 午後のパイロット訓練を終えたところなのだろう。

 少し汗を拭いながら、静かに歩いている。

 

 カイエは小さく呟いた。

 

「……ちょうどいいかもしれない」

 

 

 ククルは、休憩スペースの端に座っていた。

 

 飲み物も持たず、ただぼんやりとテーブルを見つめている。

 

 周囲には誰もいない。

 

 業務後まではまだ少し時間がある。

 夕方の休憩スペースは、人が少ないことが多い。

 

 ククルは膝の上で手を握った。

 

「……異動かぁ」

 

 小さく呟く。

 

 もし、本当に十四班を出ることになったら。

 

 別の班で頑張れるだろうか。

 

 もちろん、どこの班でも乗務員として働く以上、頑張らなければならない。

 

 でも、十四班は特別だった。

 

 エリンがいる。

 エマがいる。

 カイエがいる。

 ミラがいる。

 タツヤ班長がいる。

 リュウジがいる。

 

 ペルシアが抜けた時、寂しかった。

 でも、皆で頑張ってきた。

 

 ミラが来て、少しずつ十四班に馴染んでいくのを見て、自分も先輩として頑張ろうと思った。

 

 それなのに、自分が出ていくことになったら。

 

「……やだな」

 

 思わず本音が漏れた。

 

 その時だった。

 

「何がだ?」

 

 静かな声がした。

 

 ククルはびくっとして顔を上げる。

 

 リュウジが立っていた。

 

 首にタオルをかけ、片手にスポーツドリンクを持っている。

 

「リュウジさん……!」

 

「邪魔だったか?」

 

「い、いえ! 大丈夫です!」

 

 ククルは慌てて姿勢を正した。

 

 リュウジは向かいの席を見た。

 

「座っていいか?」

 

「はい、もちろんです」

 

 リュウジは静かに腰を下ろした。

 

 しばらく、二人の間に沈黙が流れた。

 

 ククルは何を言えばいいか分からない。

 

 リュウジは無理に聞き出そうとはしなかった。

 

 ただ、スポーツドリンクを一口飲み、少し落ち着いた声で言った。

 

「訓練、疲れたか」

 

「はい……少し」

 

「今日は動きが硬かったな」

 

 ククルの胸がきゅっとなる。

 

「リュウジさんにも分かりましたか」

 

「ああ」

 

「やっぱり……」

 

 ククルは俯いた。

 

 リュウジは静かに言う。

 

「いつものククルらしくなかった」

 

「いつもの私って……うるさいですか?」

 

 リュウジは少しだけ眉を動かした。

 

「突然だな」

 

「すみません」

 

「うるさい時はある」

 

「やっぱり……」

 

「でも、それだけじゃない」

 

 ククルは顔を上げた。

 

 リュウジは真っ直ぐに言った。

 

「ククルの声で助かる時もある」

 

「私の声で?」

 

「ああ」

 

 リュウジは少し考えるように視線を落とした。

 

「フライト中、客室の空気が硬くなる時がある。乗客が不安を感じている時、乗務員の声はよく響く。ククルの声は、明るい。使い方を間違えなければ、空気を変えられる」

 

 ククルは黙って聞いた。

 

「エリンさんが注意するのは、それが武器になるからだと思う」

 

「武器……」

 

「使えないものなら、そこまで細かく言わない」

 

 リュウジの言葉は、静かだった。

 

 慰めるために大げさに言っているわけではない。

 ただ、見たままを伝えている。

 

 だからこそ、ククルの胸に届いた。

 

「でも、私、いつも注意されてます」

 

「俺も注意される」

 

 ククルは驚いた。

 

「リュウジさんもですか?」

 

「エリンさんには、細かいところをよく言われる」

 

「操縦ですか?」

 

「操縦そのものではない。客室への伝え方や、乗務員への共有のタイミングだ」

 

 リュウジは少しだけ苦笑した。

 

「俺は必要なことだけ言えばいいと思うことがある。でも、エリンさんは、それだけでは客室が動けないと言う」

 

「エリンさんらしいですね」

 

「ああ」

 

 リュウジは頷いた。

 

「正しいと思う」

 

 ククルは小さく息を吐いた。

 

「リュウジさんでも、そうなんですね」

 

「完璧な人間はいない」

 

「エリンさんは完璧に見えます」

 

「エリンさんも、自分には厳しい」

 

「そうですね……」

 

 ククルはテーブルに視線を落とした。

 

 少しだけ、言葉が出やすくなった。

 

「リュウジさん」

 

「何だ?」

 

「配置換えって……怖いですね」

 

 リュウジは黙って聞いた。

 

「朝、エリンさんが申請しなくちゃって言ってて。乗務員一人って聞こえて。もしかして私かなって思ってしまって」

 

「ククルが異動すると思ったのか」

 

「はい」

 

「なぜ?」

 

「だって、私、いつも注意されてるから」

 

 ククルは笑おうとしたが、うまくいかなかった。

 

「声も大きいし、足音も大きいし、焦るし、ミラの前では先輩らしくしなきゃって思うのに、まだまだで……。エリンさんが、十四班には合わないって思ってるんじゃないかって」

 

 リュウジは少しだけ眉を寄せた。

 

「それはないと思う」

 

 ククルは顔を上げた。

 

「どうして分かるんですか?」

 

「エリンさんは、必要ない人に時間をかけない」

 

 はっきりと言った。

 

「え……」

 

「ククルに注意するのは、期待しているからだと思う」

 

「期待……」

 

「少なくとも、俺にはそう見える」

 

 リュウジは続けた。

 

「エリンさんは、ククルの良さを分かっている。だから、良さを失わないように注意している。元気を消せとは言っていないだろう」

 

「はい」

 

「調整しろと言っている」

 

「はい……」

 

「それは、十四班で必要な力だからだ」

 

 ククルの目が潤んだ。

 

「私、必要ですか?」

 

「ああ」

 

 迷いのない返事だった。

 

「少なくとも、俺はそう思う」

 

 ククルは泣きそうになった。

 

 でも、必死にこらえた。

 

「……ありがとうございます」

 

「エリンさんに聞いた方が早い」

 

「それが怖いんです」

 

「怖くても、聞いた方がいいこともある」

 

 リュウジの言葉は静かだった。

 

「一人で考えると、悪い方へ行くことがある」

 

 ククルは、その言葉に少しだけ驚いた。

 

 リュウジがそう言うと、重みが違う。

 

 彼自身も、一人で抱え込みがちな人だから。

 

「リュウジさんも、そういうことありますか?」

 

「ある」

 

 短い返事。

 

 でも、それだけで十分だった。

 

 ククルは小さく頷いた。

 

「……私、エリンさんに聞いてみます」

 

「その方がいい」

 

「怒られますかね?」

 

「勘違いだと分かったら、笑われるかもしれない」

 

「うわぁ……それも恥ずかしいです」

 

「だが、ずっと不安でいるよりいい」

 

「はい」

 

 ククルはようやく少し笑った。

 

「リュウジさん、ありがとうございます」

 

「大したことは言っていない」

 

「でも、助かりました」

 

「そうか」

 

 リュウジは立ち上がった。

 

「戻るか?」

 

「はい」

 

 ククルも立ち上がる。

 

 まだ不安は残っている。

 

 でも、さっきよりは歩ける気がした。

 

 

 夕方。

 

 エリンは自席で配置換え申請の資料を確認していた。

 

 十四班の業務負担。

 ペルシア退職後の副パーサー枠の空白。

 ミラ加入後の教育状況。

 今後のフライト増加見込み。

 乗務員の安全管理と訓練負荷。

 

 申請書には、こう書かれている。

 

『副パーサー候補者の配置希望』

『乗務員一名の補充希望』

 

 異動希望ではない。

 

 補充希望だ。

 

 エリンは、十四班の誰かを出すつもりなどなかった。

 

 むしろ逆だった。

 

 今の十四班を維持した上で、負担を分散させたい。

 ペルシアが抜けた穴を、いつまでも自分だけで埋め続けるのではなく、班として安定させたい。

 

 ククルは明るさと瞬発力。

 エマは穏やかさと寄り添う力。

 カイエは冷静な判断と教育力。

 ミラは吸収力と丁寧さ。

 

 誰も欠けてほしくない。

 

 そう思いながら資料を見ていると、控えめな声がした。

 

「エリンさん」

 

 エリンは顔を上げた。

 

 ククルが立っていた。

 

 いつもの元気な表情ではない。

 少し緊張し、背筋を伸ばしている。

 

「どうしたの、ククル?」

 

「あの……少し、お話してもいいですか?」

 

「ええ。もちろん」

 

 エリンは端末を閉じた。

 

「座る?」

 

「いえ、このままで大丈夫です」

 

 ククルはぎゅっと手を握った。

 

 言わなきゃ。

 

 聞かなきゃ。

 

 リュウジに言われた通り、一人で考えても悪い方へ行くだけだ。

 

 ククルは深く息を吸った。

 

「エリンさん」

 

「うん」

 

「私、もし異動されても、頑張ります」

 

 エリンは、きょとんとした。

 

「……異動?」

 

「はい」

 

「ククルが?」

 

「はい」

 

「異動したいの?」

 

 エリンは首を傾げた。

 

 予想外の返事だった。

 

 ククルは慌てて首を横に振る。

 

「違います! したくないです!」

 

「そうなの?」

 

「はい!」

 

 声が大きくなった。

 

 エリンの視線が少しだけ鋭くなる。

 

「ククル」

 

「あ、声量……」

 

「今はいいわ。それより、どういうこと?」

 

 エリンは立ち上がり、ククルを休憩スペースの端へ促した。

 

「落ち着いて話しましょう」

 

「はい……」

 

 二人は休憩スペースの端に座った。

 

 ククルは膝の上で手を握りしめた。

 

 エリンは急かさず、静かに待つ。

 

 その落ち着いた雰囲気に、ククルは少しずつ話し始めた。

 

「今朝、エリンさんが配置換えの申請って言っていたのを聞いてしまって」

 

「ああ……」

 

 エリンはそこで少し察した。

 

「それで?」

 

「乗務員一人って聞こえたので……もしかして、私が十四班から異動になるのかなって思ってしまって」

 

「どうしてそう思ったの?」

 

 エリンの声は責めていない。

 

 ただ、理由を聞いている。

 

 ククルは俯いた。

 

「私、いつもエリンさんに注意されているので」

 

「……」

 

「声が大きいとか、足音が大きいとか、周りを見てとか、焦らないとか。ミラも入ってきたのに、私、まだ注意されてばかりで。もしかして、十四班に合わないって思われてるんじゃないかって」

 

 言葉にしたら、胸がぎゅっと痛んだ。

 

「昼休みに皆が違うって言ってくれて、リュウジさんもフォローしてくれたんですけど……でも、やっぱり不安で」

 

 ククルは顔を上げた。

 

 目が少し潤んでいる。

 

「もし異動になるなら、ちゃんと頑張ります。でも……本当は、十四班にいたいです」

 

 最後の言葉は、ほとんど本音だった。

 

 隠せなかった。

 

 エリンはしばらくククルを見つめた。

 

 そして。

 

 くすっ、と笑った。

 

 ククルは目を丸くする。

 

「エリンさん?」

 

 エリンは口元に手を添え、少しだけ笑いをこらえるようにした。

 

「ごめんなさい。笑うところではないわね」

 

「え、えっと……」

 

「でも、ククルがあまりにも真剣に勘違いしているから」

 

「勘違い……?」

 

 エリンは優しく頷いた。

 

「ええ。完全に勘違いよ」

 

 ククルは固まった。

 

「……勘違い?」

 

「そう」

 

 エリンは申請資料の一部を端末で開き、ククルに見せた。

 

「今回私が申請したのは、副パーサー候補者の配置と、乗務員一人の補充よ」

 

「補充……」

 

「ええ。十四班は、ペルシアが抜けてから副パーサー相当の役割が空いたままなの。今は私と皆で補っているけれど、長期的には負担が大きい。だから副パーサーの配置を希望しているの」

 

「じゃあ、誰かを出すんじゃなくて……」

 

「入れてほしい、という申請よ」

 

「乗務員一人も?」

 

「そう。今後のフライト予定を考えると、もう一人乗務員がいた方が安全に回せる。もちろん、申請が通るかは別問題だけどね」

 

 ククルはぽかんとした。

 

 頭の中で、今まで膨らんでいた不安が、急に空気を抜かれていく。

 

「じゃあ……私が異動するわけじゃ……」

 

「ないわ」

 

 エリンははっきり言った。

 

「十四班は補充はあるけれど、よっぽどのことがない限り、今いるメンバーを異動させるつもりはないの」

 

「よっぽどのこと……」

 

「本人が強く希望するとか、適性上どうしても別班の方がいいと判断されるとか、安全上の大きな問題が続くとか。そういう場合ね」

 

 ククルの肩から力が抜けた。

 

「よかった……」

 

 思わず声が漏れた。

 

 エリンはその様子を見て、少しだけ表情を柔らかくした。

 

「そんなに不安だったの?」

 

「はい……」

 

 ククルは恥ずかしそうに俯いた。

 

「朝からずっと考えてました」

 

「だから午後の訓練で動きが硬かったのね」

 

「……はい」

 

「なるほど」

 

 エリンは少しだけ納得したように頷いた。

 

 そして、ククルをまっすぐ見た。

 

「ククル」

 

「はい」

 

「私は、あなたを十四班から出そうと思って注意しているわけではないわ」

 

 ククルの目が揺れる。

 

「あなたの明るさは、十四班に必要よ」

 

「……本当ですか?」

 

「本当よ」

 

 エリンは迷わず言った。

 

「あなたの声で、緊張がほどけることがある。あなたの元気さで、ミラが動けることがある。あなたが明るく笑うと、場の空気が前を向くことがある」

 

 ククルの目に涙が溜まる。

 

「でも」

 

 エリンは少しだけ声を引き締めた。

 

「その明るさは、使い方を間違えると、乗客の不安を大きくしてしまうこともある。だから私は注意しているの。あなたの良さを消したいのではなく、ちゃんと必要な場面で使えるようにしてほしいから」

 

 ククルは唇を噛んだ。

 

「……はい」

 

「足音も同じ。声量も同じ。動き出しの速さも同じ。全部、あなたの勢いから来ている。でも、乗務員としては、その勢いを制御する力が必要なの」

 

「制御……」

 

「そう。ククルの良さは、抑え込むものではなく、制御して活かすものよ」

 

 その言葉が、胸の奥にゆっくり染みた。

 

 昼休みにカイエが言ったこと。

 リュウジが言ったこと。

 エマとミラが言ってくれたこと。

 

 全部、同じところにつながっていた。

 

 エリンは、自分を見放しているわけではない。

 

 むしろ、見てくれているから注意している。

 

 ククルは涙をこらえきれず、目元を拭った。

 

「すみません……私、勝手に勘違いして」

 

「いいのよ。不安になったなら、聞きに来てくれてよかったわ」

 

「でも、すごく恥ずかしいです……」

 

「少しね」

 

「エリンさん!」

 

 エリンはクスクス笑った。

 

「でも、素直に言えたのは偉いわ」

 

「……はい」

 

 ククルは小さく頷いた。

 

 その時、少し離れた場所から、ひょこっとククル達を見ている三つの影があった。

 

 エマ、カイエ、ミラだった。

 

 明らかに心配して見に来ている。

 

 エリンが視線を向けると、三人はびくっとした。

 

「あなた達」

 

 エマが穏やかに、しかし少し気まずそうに笑う。

 

「すみません。心配で」

 

 カイエも言う。

 

「一応、様子だけ」

 

 ミラは両手を握りしめる。

 

「ククルさん、大丈夫ですか?」

 

 ククルは涙を拭いながら、笑った。

 

「大丈夫。私の勘違いだった」

 

 三人は一気にほっとした顔になった。

 

 エマが微笑む。

 

「よかった」

 

 カイエは少し肩の力を抜く。

 

「だから言ったでしょ」

 

「カイエの言う通りだった」

 

 ミラは嬉しそうに言った。

 

「ククルさん、異動じゃないんですね?」

 

「うん!」

 

 ククルは大きく頷いた。

 

 そして、すぐにエリンを見て声を落とす。

 

「……十四班に、いられるみたい」

 

 エリンは少しだけ笑う。

 

「声量を落とすのが早くなったわね」

 

「あ、今のは成長ですか?」

 

「ええ。成長ね」

 

 ククルの顔がぱっと明るくなった。

 

「やった!」

 

「ただし、訓練での足音はまだ課題よ」

 

「はい!」

 

 元気よく返事をしてから、ククルは自分で口を押さえた。

 

「……声量」

 

 エリンが微笑む。

 

「そう」

 

 エマ達が笑った。

 

 その笑い声に、少し遅れてリュウジもフロアへ戻ってきた。

 

 ククルはリュウジを見るなり、駆け寄った。

 

「リュウジさん!」

 

「どうした?」

 

「私、異動じゃありませんでした!」

 

「そうか」

 

 リュウジは静かに頷いた。

 

「よかったな」

 

「はい!」

 

 ククルは大きく頷いた。

 

「リュウジさんが言ってくれた通りでした。聞いてよかったです」

 

「ならよかった」

 

 エリンはそのやり取りを見て、少しだけ目を細めた。

 

「リュウジもフォローしてくれたの?」

 

「少しだけです」

 

 リュウジは答えた。

 

「ククルが一人で考えすぎているようだったので」

 

「ありがとう」

 

 エリンが言う。

 

 リュウジは静かに首を振った。

 

「いえ。エリンさんに聞くのが一番早いと思っただけです」

 

「そうね」

 

 エリンはククルを見る。

 

「次からは、不安になったら早めに聞きなさい」

 

「はい」

 

「一人で悪い方へ考えすぎないこと」

 

「はい!」

 

「それと」

 

 エリンは少しだけ真面目な顔になる。

 

「あなたが十四班にいたいと思ってくれていることは、嬉しいわ」

 

 ククルの顔がまた赤くなった。

 

「エリンさん……」

 

「私も、あなたには十四班にいてほしいと思っている」

 

 その一言で、ククルの涙腺は完全に崩れそうになった。

 

「泣きそうです……」

 

「泣いてもいいけれど、訓練記録の整理はしてもらうわよ」

 

「そこは厳しい!」

 

「当然よ」

 

 エリンが微笑む。

 

 ククルは涙目で笑った。

 

「はい! やります!」

 

 

 その日の終業前。

 

 十四班のフロアには、いつもの空気が戻っていた。

 

 いや、いつもより少しだけ明るかった。

 

 ククルはもう不安そうな顔をしていない。

 

 むしろ、午前中の落ち込みを取り戻すように、少し元気が戻りすぎている。

 

「エマ、これどこに置けばいい?」

 

「こっちで大丈夫だよ」

 

「了解!」

 

「ククル、足音」

 

 カイエがすかさず言う。

 

「あ、はい!」

 

「でも、少し良くなったね」

 

「本当?」

 

「うん」

 

 カイエが微笑むと、ククルは嬉しそうにした。

 

 ミラも書類を持って近づく。

 

「ククルさん、この部分、教えてもらってもいいですか?」

 

「もちろん!」

 

 ククルは胸を張る。

 

「先輩に任せて!」

 

 エリンが遠くから言う。

 

「ククル、教える時は声量と速度に注意」

 

「はい!」

 

 ククルは笑顔で返事をした。

 

 その姿を見て、エリンは静かに微笑んだ。

 

 配置換えの申請資料は、まだ通るか分からない。

 

 副パーサー候補者が来るかも分からない。

 乗務員一人の補充が認められるかも分からない。

 

 けれど、エリンの中でははっきりしている。

 

 今の十四班を守る。

 そして、より良くする。

 

 そのための申請だ。

 

 誰かを切り離すためではない。

 

 誰かを追い出すためでもない。

 

 今いるメンバーが、それぞれの力を発揮できるようにするため。

 

 エリンは端末に、申請理由の最後の一文を入力した。

 

『十四班における現行体制は、各乗務員の成長により安定しつつある一方、副パーサー不在に伴うチーフパーサー及び既存乗務員への負担が継続している。今後の安全かつ円滑な運航体制を維持するため、補充配置を希望する。』

 

 入力を終え、保存する。

 

 ふと顔を上げると、ククルがミラに何かを説明していた。

 

「ここはね、先にお客様の表情を見るの。で、焦ってる人がいたら、先に声をかけて……あ、でも声は大きすぎないように」

 

 ミラが真剣に頷く。

 

「はい」

 

「私もよく注意されるから、一緒に頑張ろうね!」

 

「はい!」

 

 ククルの声は、以前より少しだけ抑えられていた。

 

 それでも明るい。

 

 ちゃんとククルらしい。

 

 エリンは満足そうに目を細めた。

 

 そこへ、タツヤ班長がのんびり歩いてきた。

 

「配置換え申請、まとまりそう?」

 

「はい。副パーサーと乗務員一人の補充で出します」

 

「そうだねぇ。今の十四班、いい感じだけど、エリンに負担が寄りすぎてるからね」

 

「ええ」

 

 タツヤ班長はククル達を見る。

 

「誰か出すつもりは?」

 

「ありません」

 

 エリンは即答した。

 

 タツヤ班長は笑った。

 

「だよね」

 

「今のメンバーは、十四班に必要ですから」

 

「うん。俺もそう思う」

 

 タツヤ班長は少しだけ優しい顔になった。

 

「ペルシアが抜けた時は、どうなるかと思ったけどねぇ。皆、ちゃんと育ってる」

 

「はい」

 

「ククルも?」

 

 タツヤ班長が少し冗談めかして言う。

 

 エリンはククルを見た。

 

 ククルはミラに説明しながら、少し声が大きくなりかけ、自分で「あ、声量」と気づいていた。

 

 エリンは小さく笑った。

 

「ええ。育っています」

 

 その言葉は、静かで温かかった。

 

 

 終業後。

 

 ククルは帰り支度をしながら、少しだけエリンの席へ近づいた。

 

「あの、エリンさん」

 

「何?」

 

「今日は、ありがとうございました」

 

「こちらこそ。ちゃんと話してくれてありがとう」

 

「私、勝手に悪い方へ考えてしまって……」

 

「誰にでもあるわ」

 

「エリンさんにもありますか?」

 

 エリンは少し考えた。

 

「あるわよ」

 

「本当ですか?」

 

「ええ。私も、何でも正しく考えられるわけではないもの」

 

 ククルは少し驚いたように見た。

 

「エリンさんでも……」

 

「だから、必要な時は誰かに話すことも大事なの」

 

「はい」

 

 ククルは頷いた。

 

 そして、少しだけ照れくさそうに笑った。

 

「私、十四班にいられるって分かって、すごく安心しました」

 

「そう」

 

「これからも、いっぱい注意されると思いますけど」

 

「ええ、注意するわ」

 

「そこは即答なんですね」

 

「必要だから」

 

 エリンは微笑む。

 

「でも、注意されるのは見放されているからではないと、今日分かりました」

 

「それならよかった」

 

「私、もっと声量と足音、頑張ります」

 

「ええ」

 

「あと、周りを見ることも」

 

「ええ」

 

「あと、焦らないことも」

 

「ええ」

 

「……課題、多いですね」

 

「伸びしろが多いのよ」

 

 ククルは目を丸くした。

 

 そして、嬉しそうに笑った。

 

「伸びしろ」

 

「そう」

 

 エリンは優しく言った。

 

「ククルは、まだまだ伸びるわ」

 

 ククルは胸がいっぱいになった。

 

「はい!」

 

 声が大きくなった。

 

 エリンの眉が少し動く。

 

「ククル」

 

「あっ……声量」

 

「そう」

 

 二人は顔を見合わせ、少し笑った。

 

 その横を通りかかったリュウジが、静かに言った。

 

「よかったな、ククル」

 

「はい!」

 

 ククルは今度は少し抑えた声で返事をした。

 

「ありがとうございます、リュウジさん」

 

 リュウジは頷く。

 

「エリンさんに聞けてよかったな」

 

「はい。本当に」

 

 エリンはリュウジを見る。

 

「あなたも、ありがとう」

 

「俺は少し話しただけです」

 

「それが助けになったのよ」

 

「そうですか」

 

 リュウジは少しだけ視線を落とし、穏やかに頷いた。

 

 ククルは二人を見ながら、心の中で思った。

 

 やっぱり、十四班が好きだ。

 

 エリンがいて。

 リュウジがいて。

 エマがいて、カイエがいて、ミラがいて。

 タツヤ班長がいて。

 

 注意されることもある。

 落ち込むこともある。

 勘違いして不安になることもある。

 

 でも、それでもここにいたい。

 

 ここで、もっと成長したい。

 

 ククルは改めてそう思った。

 

 そして、帰り際にもう一度だけ、エリンへ向き直る。

 

「エリンさん」

 

「何?」

 

「私、十四班で頑張ります」

 

 エリンは静かに微笑んだ。

 

「期待しているわ」

 

 その一言は、ククルにとって何より嬉しかった。

 

 ククルは大きく頷く。

 

「はい!」

 

 今度の声は、明るくて、でも大きすぎなかった。

 

 エリンは満足そうに頷いた。

 

「今の声量は良かったわ」

 

「本当ですか!」

 

「ええ」

 

 ククルは満面の笑みを浮かべた。

 

 その笑顔は、十四班の空気をぱっと明るくした。

 

 エリンはそれを見て、改めて思う。

 

 やはり、この明るさは十四班に必要だ。

 

 そして、これからも大切に育てていきたい。

 

 そう思いながら、エリンは配置換え申請の端末を閉じた。

 

 十四班は、誰かを出すためではなく、皆で前に進むために、また少し形を整えていく。

 

 ククルの勘違いは、少し恥ずかしい笑い話になった。

 

 けれど、それは同時に、ククルが十四班をどれほど大切に思っているかを教えてくれた出来事でもあった。

 

 そしてエリンは、その気持ちを確かに受け止めた。

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