宇宙管理局の統括官室には、朝から重たい空気が漂っていた。
いや、正確に言えば、重たい空気を漂わせているのは一人だけだった。
ペルシアである。
統括官用の大きなデスクにだらりと上半身を預け、片肘をつき、もう片方の手でパソコンの画面をぼんやり眺めている。
画面には、いくつもの文書ファイルが開かれていた。
『救助班連携訓練計画案』
『宇宙海賊介入事案に係る初動対応手順改定案』
『統括官直属チーム運用規程素案』
『外部協力者に係る責任範囲整理』
『事故発生時の情報集約フロー見直し』
『宇宙警察及び宇宙管理局共同対応に関する協議メモ』
どれも大事な資料である。
どれもペルシアが統括官として関わらなければならない資料である。
そして、どれもペルシアの気力を削っていく資料だった。
「……毎日、毎日、資料ばっかり」
ペルシアは画面を見つめたまま、低く呟いた。
その声には、心の底からの疲労が滲んでいる。
「私、何になるために宇宙管理局に来たのかしら。統括官よ? 統括官ってもっとこう、現場で颯爽と指示出して、皆から『ペルシア統括官、すごいです!』って言われる役職じゃないの?」
向かい側のソファでは、フォクスが腕を組んで座っていた。
その隣では、ファルコが足を組んでいる。
スリッピーは小型端末をいじりながら、何かの回路図を見ていた。
クリスタルは資料を読みながら、時折ペルシアへ冷静な視線を向けている。
スターフォクスの面々は、統括官直属チームとして宇宙管理局に出入りすることが増えていた。
正式な配置に向けた手続きや訓練計画が進む中で、彼らもまた、宇宙管理局の独特の事務量というものを知り始めていた。
もっとも、最も苦しんでいるのはペルシアだったが。
ファルコは呆れたように鼻で笑った。
「颯爽と指示出す前に、書類の山で遭難してるけどな」
「うるさい、ファルコ」
ペルシアは画面から目を離さずに言う。
「私は今、知的作業で命を削っているのよ」
「キーボード打ってるだけだろ」
「そのキーボードが重いのよ。精神的に」
スリッピーが顔を上げる。
「でもペルシア、昨日も同じこと言ってたよね」
「昨日も資料だったからよ」
「一昨日も言ってたよ」
「一昨日も資料だったからよ」
「その前も――」
「スリッピー、それ以上言うと、あなたのシステム部提出用の改善報告書を倍にするわよ」
「ごめん、言わない」
スリッピーはすぐ端末に視線を戻した。
フォクスは静かに言った。
「統括官なら、事務処理も仕事のうちだろう」
「分かってるわよ」
ペルシアは顔だけフォクスへ向けた。
「分かってるけど、分かってるからこそ嫌なの。現場は動けば進む。人に言えば動く。状況を見て判断すればいい。でも資料は違う。書いても書いても終わらない。しかも、ちゃんと書かないとフレイが戻してくる」
クリスタルが静かにページをめくる。
「戻されるような書き方をするからでしょう」
「クリスタルまで」
「事実よ」
「今日はみんな私に冷たくない?」
ファルコが即答する。
「いつもだろ」
「違うわ。今日は特に冷たい」
「自分がだらけてる自覚はあるんだな」
「だらけてるんじゃないの。省エネ運転」
ペルシアは椅子の背もたれに体を預け、天井を見上げた。
「私、可哀想〜。まだ若いのに、こんな遅くまで仕事して、朝から資料と睨めっこして、身も心もボロボロになっちゃう」
クリスタルはまったく動じなかった。
「まったくオーバーね」
「オーバーじゃないわよ。私は繊細なの」
「繊細な人は、宇宙警察の拘留所で不当逮捕だと騒いで暴れないわ」
「それは正義感」
「正義感で拘留所に入る人はあまりいないわね」
ファルコが笑う。
「しかも迎えに来てもらった時、“あと一日遅かったら脱獄してた”って言ってたしな」
「言ったわね」
フォクスが淡々と頷く。
「あれを聞いた時、本当にやりそうだと思った」
「信用されてるわね、私」
「別の意味でな」
ペルシアは机に突っ伏した。
「もう嫌。資料嫌い。誰か私の代わりにやって」
「統括官の仕事でしょう」
クリスタルが言う。
「統括官って響きは好きなのに」
「響きだけで仕事を選ぶからよ」
「違うわよ。守りたいものを守るために来たの」
ペルシアは突っ伏したまま、少しだけ声を低くした。
「でも、守りたいものを守るために、こんなに資料が必要だとは思わなかったのよ」
その言葉に、フォクス達は一瞬だけ黙った。
ペルシアはふざけている。
だらける。
逃げようとする。
甘いものや酒につられる。
資料を嫌がる。
けれど、何のためにここへ来たのかは、忘れていない。
だからこそ、結局は机に戻ってくる。
そこがペルシアという人間だった。
ただし、戻ってきた後に文句を言わないとは限らない。
「……とはいえ、嫌なものは嫌」
ペルシアは顔だけ上げた。
「フォクス、私の代わりに局長提出用のワンペーパー書いて」
「断る」
「ファルコ、救助班訓練計画案」
「やだね」
「スリッピー、システム関係の資料だけでも」
「システムなら手伝うけど、文章は苦手だよ」
「クリスタル、医療対応の手順整理」
「必要な補足はするわ。でも書くのは貴方」
「全滅」
ペルシアは再び机に突っ伏した。
「私、孤独」
「周りにこれだけいるのに孤独って言えるの、ある意味すごいね」
スリッピーが苦笑する。
その時、統括官室の扉が開いた。
「統括官」
フレイだった。
手には端末。
表情はいつも通り整っている。
無駄のない足取りで入ってくる。
ペルシアは机に突っ伏したまま、顔だけ向けた。
「フレイ〜、資料が私をいじめる」
「資料は統括官をいじめません。未処理のまま残っているだけです」
「それがいじめなのよ」
「処理してください」
「冷たい」
フレイはペルシアのぼやきを自然に流した。
「皆様のパソコンに給与明細を送付しましたので、ご確認ください」
その言葉に、スリッピーが顔を上げた。
「給与明細?」
ファルコも反応する。
「お、来たか」
フォクスは静かに端末を開いた。
クリスタルも資料を閉じ、画面を確認する。
ペルシアだけは、相変わらず気のない声だった。
「給与ね〜」
いかにも期待していない声で言う。
「どうせ管理局でしょ? ドルトムントより待遇悪いって聞いてたし。まあ、生活できる程度ならいいわよ。私は高望みしない女だから」
ファルコがすぐに言った。
「さっきまで可哀想とか言ってた女が何言ってんだ」
「それとこれとは別」
ペルシアはだらだらと端末を操作し、給与明細のファイルを開いた。
そして。
固まった。
画面を見つめる。
瞬きが止まる。
背筋が、ゆっくり伸びる。
「……ん?」
ペルシアはもう一度、画面を見た。
支給額。
手当。
統括官職務手当。
緊急対応待機手当。
危険職務加算。
外部連携調整手当。
特別任務手当。
数字が並んでいる。
その合計額は。
ドルトムント財閥の旅行会社で客室乗務員として働いていた頃の給与を、軽く超えていた。
いや、軽くどころではない。
倍以上。
ペルシアは画面を見たまま、静かに口を開いた。
「……ねぇ」
フレイが顔を上げる。
「はい」
「フレイ?」
「はい」
「これ、間違い?」
「何がでしょうか」
「この数字」
「給与明細です」
「いや、それは分かるんだけど」
ペルシアは端末を指差した。
「私、こんなに貰っていいの!?」
声が一気に大きくなった。
フレイは少し不思議そうに首を傾げた。
「統括官となれば、普通だと思いますが」
「普通!?」
ペルシアは椅子から半分立ち上がった。
「これで普通なの!?」
「はい。統括官は緊急時に広範な指揮権限と責任を負います。平時の業務量も多く、危険職務に関わることもありますので」
「でも、こんなに?」
「むしろ、職務内容を考えれば適正範囲かと」
ペルシアは両手で頭を抱えた。
「え、待って。私、ドルトムントの時よりめちゃくちゃ貰ってるんだけど」
ファルコが画面を見ながら笑った。
「よかったじゃねぇか。資料に泣いてた甲斐があったな」
「ちょっと待って。涙の価値、高すぎない?」
スリッピーも自分の明細を見て、目を丸くしていた。
「僕も思ったより多い」
ペルシアはすぐにスリッピーを見る。
「スリッピーも?」
「うん。生活には困らないよ。機材も少し買えるかも」
「機材買う前提なのね」
フォクスも明細を確認し、静かに言った。
「基準額は知らないが、多い方じゃないか?」
「フォクスが多いって言うなら、多いのね」
クリスタルも画面を見て、少しだけ目を細めた。
「外部協力者から正式な直属チームとして扱われることで、手当が加算されているのね。悪くないわ」
「悪くないどころじゃないわよ!」
ペルシアは完全に目が覚めていた。
さっきまで机に溶けていた人間とは思えない。
背筋が伸び、目が輝き、頬に生気が戻っている。
「え、じゃあさ」
全員が嫌な予感を覚えた。
ペルシアは満面の笑みで言った。
「今日、呑み行こうよ!」
ファルコが即座に乗った。
「いいじゃねぇか」
スリッピーも笑う。
「たまにはいいかも」
フォクスは少し考えた後、頷いた。
「仕事が終わっていればな」
クリスタルも肩をすくめる。
「節度を守るなら」
「よし、決まり!」
ペルシアは立ち上がりかけた。
「今日は私の奢り! 統括官ペルシア、初給与記念!」
だが。
「無理です」
フレイの冷静な声が、ペルシアの上機嫌を切り裂いた。
ペルシアは動きを止めた。
「……フレイ?」
「書類が終わっていませんので、無理です」
部屋の空気が一瞬止まった。
ペルシアはゆっくり振り返る。
「書類?」
「はい」
「どれくらいあるの?」
フレイは端末を確認した。
「え?」
その反応に、ペルシアの顔が引きつる。
「何、その“え?”は」
「少々お待ちください」
フレイは端末を操作する。
そして、淡々と言った。
「十二種類ほどですね」
沈黙。
ファルコが小さく吹き出した。
「十二」
スリッピーが苦笑する。
「それは多いね」
クリスタルはペルシアを見る。
「飲みに行くには遠い道のりね」
ペルシアは目を閉じた。
深く息を吸う。
先ほどまでなら、ここで机に突っ伏していた。
ハゲそう、と言っていた。
資料が私を殺す、と嘆いていた。
だが今のペルシアは違った。
給与明細を見た後のペルシアである。
ペルシアはカッと目を開いた。
「オッケー」
フレイが少しだけ眉を動かす。
「はい?」
「今からやるから、全部持ってきて」
「……全部ですか?」
「全部」
ペルシアは椅子に座り直し、髪を後ろに払った。
「十二種類? 上等じゃない。今日の私は高給取りの統括官よ。お金を貰う女は仕事をするの」
ファルコが目を丸くする。
「現金すぎるだろ」
「現金は大事よ」
スリッピーが感心したように言う。
「すごい切り替えだね」
クリスタルが小さく笑う。
「分かりやすいわね」
フォクスは静かに腕を組み直した。
「やる気が出たならいい」
フレイは少しだけ驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。
「承知しました。資料を転送します」
「お願い。あと紙で確認が必要なものは机に並べて。優先順位順に。局長確認が必要なものは赤、フレイ確認で止められるものは青、各部署へ投げるものは黄」
フレイの手が止まった。
ペルシアはすでに画面を切り替えている。
「フォクス、前回の救助事案の時系列メモ出して。ファルコは海賊追跡時の機動ログ。スリッピー、ナウスに接続して牽引時のシステム負荷データを引っ張って。クリスタル、応急処置講習の項目を三段階に分けて。基礎、現場判断、医療班連携。フレイ、私が今から処理する順番を作るから横で確認して」
全員が一瞬、固まった。
ペルシアの声が変わっていた。
だらけた声ではない。
愚痴でもない。
現場で指揮を取る時の、あの切れ味のある声。
フォクスが少しだけ目を細める。
「了解した」
ファルコが笑う。
「ようやく統括官らしくなったじゃねぇか」
「ファルコ、口動かす前にログ」
「へいへい」
スリッピーは端末を抱え直した。
「ナウス、接続できる?」
部屋のスピーカーから、人工知能ナウスの声が流れた。
『接続済みです。スリッピー、牽引時のシステム負荷データを抽出します』
「ありがとう、ナウス!」
ペルシアはすぐに言う。
「ナウス、抽出が終わったら、救助艇側の通信遅延とグラップル打ち込み位置の補正候補もまとめて」
『承知しました、ペルシア統括官』
「いい返事」
クリスタルは資料を開きながら、少しだけ微笑んだ。
「やるとなったら速いのね」
「私は天才だから」
「それを普段からやりなさい」
「普段からやったら疲れるでしょ」
「今から疲れるわよ」
「飲みのためなら耐える」
フレイは端末を操作しながら、少しだけ表情を引き締めた。
「資料を転送しました。優先順位は一から十二まで設定済みです」
「ありがとう。じゃあ一番から」
「一番は、統括官直属チーム運用規程素案です」
「重いのから来たわね」
「最重要です」
「分かった」
ペルシアは画面を開いた。
そして、そこからのペルシアは、本当に別人のようだった。
◇
最初の資料。
『統括官直属チーム運用規程素案』
ペルシアは一読すると、すぐにキーボードを叩き始めた。
「目的条項が弱い。直属チームの存在意義は“統括官の補助”じゃない。“通常の組織系統では即応困難な救助・捜索・事故対応において、統括官判断に基づき機動的に投入する専門チーム”よ。ここ修正」
フレイがすぐに記録する。
「確認しました」
「権限範囲は曖昧にしない。通常時は助言・訓練協力・技術検証。緊急時は統括官指揮下で現場活動。ただし、宇宙警察管轄事案との境界は協議事項として明記。揉めるから」
フォクスが頷く。
「宇宙警察とはまた衝突する可能性がある」
「だから先に書くの。揉めてから話すと時間を食う」
ファルコが感心したように言う。
「そういうのはちゃんと考えてんだな」
「ファルコ、私はいつも考えてるの。考えた結果、資料が嫌なの」
「意味分かんねぇ」
ペルシアは止まらない。
「責任範囲。ここ、フォクス達を便利屋扱いにされる書き方になってる。駄目。統括官直属チームは、統括官の承認なしに他部署が直接任務を命じることはできない。依頼は統括官を経由。緊急時は例外。ただし事後報告義務あり」
クリスタルがペルシアを見る。
「それは私達を守るため?」
「当然でしょ」
ペルシアは画面を見たまま言った。
「あなた達を管理局の雑用係にするつもりはないわ。私のチームなの。責任は私が持つ。その代わり、勝手に使わせない」
フォクスは黙ってペルシアを見た。
その横で、フレイが少しだけ目を細めた。
「統括官、その文言は重要です。局長確認に回します」
「回して」
ペルシアはさらに入力する。
「チームの構成。フォクス、現場指揮・救助判断。ファルコ、戦闘・高速機動・敵性対象の排除。クリスタル、医療補助・要救助者観察・応急処置指導。スリッピー、機体・システム解析・故障対応。ナウス、情報処理・記録・補正計算支援。以上」
『私も記載されるのですね』
ナウスが言う。
「当然。あなたもチームよ」
『ありがとうございます』
スリッピーが嬉しそうに笑う。
「ナウス、よかったね」
『はい』
ペルシアは手を止めない。
文章が次々と形になっていく。
フレイは隣で確認しながら、内心で驚いていた。
普段のペルシアは、資料を嫌がる。
逃げる。
甘いものや酒に釣られる。
集中が切れると、すぐに椅子から立ち上がろうとする。
だが、本気で処理を始めると速い。
内容の本質を掴むのが早い。
不要な表現を削るのも早い。
誰を守るためにどの文言が必要か、瞬時に判断する。
フレイは思わず呟いた。
「……速いですね」
「褒めた?」
「評価です」
「それ、もう褒め言葉でいいわよ」
ペルシアは笑いながらも、手を止めなかった。
◇
一つ目の資料が終わるまで、二十分もかからなかった。
「フレイ、今送った。確認して」
「受領しました」
フレイが内容を確認する。
通常なら、戻しがいくつも出るはずだった。
だが、文章は整っている。
構成も明確。
重要な責任範囲も整理されている。
「……大きな修正はありません。局長確認へ回せます」
「次」
ペルシアは即座に言った。
フレイは目を上げる。
「はい。二番、救助班連携訓練計画案です」
「それは現場向けね。フォクス、クリスタル、こっち」
フォクスとクリスタルがペルシアの左右に立つ。
ペルシアは画面を開きながら言う。
「救助班に足りないのは、机上判断と現場判断の接続。資料上は分かってても、現場で動けない。だから来週から段階訓練にする」
フレイが記録を始める。
「段階訓練とは?」
「一段階目、グラップル基本。打ち込み位置の選定、機体損傷の見方、牽引負荷の理解。フォクスとクリスタルに指導してもらう」
フォクスが少し眉を動かす。
「俺とクリスタルか」
「そう。フォクスは現場全体と牽引判断。クリスタルは損傷箇所の危険判定と要救助者保護の観点。二人で教えた方がいい」
クリスタルは頷いた。
「理にかなっているわ」
「二段階目、実機想定。救助艇側にグラップルを撃たせる。ただし、最初は静止対象。次に微小回転。最後に姿勢不安定対象」
スリッピーがすぐに反応する。
「それなら、シミュレーターに回転軸のランダム補正を入れた方がいいね」
「スリッピー、後でシステム部に言って」
「分かった」
「三段階目、情報連携。救助艇、オペレーションルーム、統括官室、現場機の通信を同時に回す。ここでフレイの記録テンプレートも試す」
フレイは頷く。
「訓練記録様式を準備します」
「お願い。あと、救助班に言っておいて。失敗したら怒るけど、訓練で失敗する分には歓迎するって」
ファルコが笑う。
「怒るのか歓迎するのかどっちだよ」
「失敗を隠したら怒る。失敗して学ぶなら歓迎」
フォクスが静かに頷いた。
「その方が現場は伸びる」
「でしょ」
ペルシアは文章をまとめていく。
『救助班連携訓練は、グラップル牽引時における機体損傷判定、打ち込み位置選定、牽引負荷理解及び情報共有能力の向上を目的とする。訓練は三段階に分け、基礎技術、実機想定、複合情報連携の順に実施する。』
フレイが画面を見ながら言う。
「明確です」
「次、ファルコ」
「あ?」
「操縦指導」
ペルシアは三番目の資料を開いた。
「ファルコは来週から操縦班に指導お願い」
ファルコは目を丸くした。
「俺が?」
「そう」
「リュウジじゃなくて?」
「リュウジはドルトムントで忙しいし、そもそも管理局の操縦班は基本から鍛え直したいの。ファルコの高速機動と戻りの基点設定、あれを学ばせる」
ファルコは少しだけ嬉しそうに笑った。
「俺の腕を教えろってわけか」
「調子に乗らない」
「乗らせろよ」
「乗ったら訓練計画から“ファルコ指導”を“ファルコ監視付き実演”に変更するわよ」
「分かった、乗らない」
クリスタルが小さく笑う。
ペルシアは続ける。
「ファルコには、速く動くことじゃなくて、速く動いても戻れることを教えてほしいの。管理局の操縦班、敵性対象から逃げる想定は多いけど、救助対象を抱えたまま動く想定が弱い」
フォクスが同意する。
「救助では、速さだけでは危険だ」
「だから、ファルコが必要なの」
ペルシアはファルコを見る。
「あなたは前に出る。速い。圧をかける。でも、リュウジの指導で戻る基点を意識し始めた。そこを教えて」
ファルコは少しだけ真面目な顔になった。
「……了解」
「いい返事」
ペルシアは資料を作りながら言う。
「カリキュラムは三日。初日、基礎機動と基点設定。二日目、敵性対象を想定した回避と牽制。三日目、救助対象の保護を前提とした撤退支援。最後に評価」
フレイがまた驚いたように画面を見る。
「統括官、構成が非常に速いです」
「飲みがかかってるから」
「動機は不純ですが、成果は適切です」
「フレイ、それ褒めてる?」
「評価です」
「もういいわ」
◇
そこからのペルシアは、本当に脅威的だった。
四番。
『システム部連携依頼書』
「スリッピーとナウスはシステム部に行って、現場映像のモニター出力手順を見直して。前回みたいにもたつくの、二度と嫌。オペレーションルームの人間が、現場映像を出すだけで時間食うなんて論外」
スリッピーはすぐに頷く。
「分かった。映像入力の優先順位と、手動切替手順も見直すよ」
『通信遅延時の自動補正案も提示可能です』
ナウスが言う。
「ナウス、最高。システム部が渋ったら私に回して。直接叩くから」
フレイがすぐに言う。
「統括官、“叩く”は比喩としても記録に残さないでください」
「じゃあ“強く改善を求める”」
「適切です」
五番。
『宇宙海賊介入事案に係る初動対応手順改定案』
「人工干渉の確認が遅い。救助艇が近づけない時点で、宇宙警察要請だけじゃなく、代替機動部隊の検討項目を入れる。つまり、私のチームね」
フォクスが言う。
「正式に入れるのか」
「入れる。今までは“そういう時どうするか”が曖昧だった。曖昧だから判断が遅れる。遅れるから人が死ぬ」
部屋の空気が少し引き締まった。
ペルシアの声が低くなる。
「私はそれが嫌でここに来たの」
誰も茶化さなかった。
六番。
『応急処置講習計画案』
「クリスタル、乗務員向けにやった内容を管理局職員向けに再構成したい。救助班だけじゃなく、オペレーション職員にも最低限必要。現場に出ない人でも、映像越しに異変を拾えるように」
クリスタルは真剣に頷く。
「映像越しなら、見るべきポイントを絞る必要があるわ。顔色、呼吸、姿勢、手の動き、反応の遅れ」
「それ入れる」
ペルシアは即座に打ち込む。
「あと、診断しない。悪化させない。医療班に繋ぐ。これを基本方針にする」
「ええ」
七番。
『宇宙警察との連携協議メモ』
これにはペルシアも少し顔をしかめた。
「面倒くさい相手ね」
フォクスが静かに言う。
「必要だろう」
「分かってるわよ。前の件もあるし、関係改善は必要。でも、こっちが下手に出すぎるとまた面倒になる」
フレイが聞く。
「基本方針は?」
「対立回避。ただし、統括官判断による救助活動の即応性は譲らない。宇宙警察管轄事件との重複時は、救命を最優先とし、事後に管轄整理。これで行く」
フレイが頷く。
「局長に確認が必要ですが、合理的です」
「局長には私から説明する」
八番。
『外部協力者に係る責任範囲整理』
「これ、前の資料と重なるから統合できる。別資料にする必要なし。フレイ、これは廃止提案」
「承知しました」
九番。
『事故分析報告書様式改定案』
「現場時系列、判断理由、代替手段、通信記録、責任分界。五項目に整理。長文の感想欄いらない。誰も読まない」
フレイが少しだけ目を細める。
「“感想欄”ではありません」
「でも感想みたいな文章が多いのよ。もっと事実と判断を分けて」
「適切です」
十番。
『訓練評価シート』
「評価項目が多すぎ。現場は使わない。三段階評価と自由記述少しでいい。細かいのは統括官室で分析する」
スリッピーが感心する。
「使う人の負担も考えてるんだね」
「使われない資料は紙の墓場よ」
ファルコが笑う。
「名言っぽく言うな」
十一番。
『局長報告用ワンペーパー』
「これは最後にまとめる。全部終わってから」
十二番。
『統括官室業務負担整理』
ペルシアは画面を見て止まった。
「何これ」
フレイが答える。
「統括官の業務負担が過大であるため、補佐体制の見直しを提案する資料です」
「……フレイが作ったの?」
「はい」
ペルシアは一瞬、言葉を失った。
いつも厳しく、資料を追いかけ、逃げるペルシアを捕まえるフレイ。
そのフレイが、ペルシアの業務負担を見直す資料を作っていた。
ペルシアは画面を見つめた。
「……フレイ」
「はい」
「あなた、優しいのね」
フレイは少しだけ視線を逸らした。
「統括官が倒れると業務が停止しますので」
「照れてる?」
「照れていません」
「照れてるわ」
「照れていません」
クリスタルが小さく笑った。
「優しいじゃない、フレイ」
フレイは表情を変えずに言う。
「必要な措置です」
フォクスも静かに言った。
「補佐体制は必要だろう」
ファルコが肩をすくめる。
「ペルシア一人にやらせると、また資料から逃げるしな」
「ファルコ、一言余計」
スリッピーが笑う。
「でも、チームで手伝えるところは手伝うよ」
ペルシアは少し黙った後、ふっと笑った。
「……じゃあ、これはちゃんと通しましょう」
フレイが頷く。
「はい」
「ただし、“統括官が資料から逃げるため”じゃなくて、“迅速な指揮判断を確保するため”って書いて」
「当然です」
ペルシアはキーボードを叩いた。
最後の資料も、驚くほど速く形になっていった。
◇
作業開始から数時間。
部屋の空気は熱を帯びていた。
ペルシアはほとんど休まずに資料を処理し続けた。
「フレイ、今資料送った! 確認して!」
「受領しました。確認します」
「フォクスとクリスタルは来週から救助班にグラップルの指導をお願い!」
「了解した」
「分かったわ」
「ファルコは操縦の指導!」
「任せな」
「スリッピーとナウスはシステム部に行って、映像出力と通信補正、あと記録保存手順の見直し!」
「了解!」
『承知しました』
「フレイ、局長報告用ワンペーパーはこの三点でまとめる。直属チーム運用、救助班訓練、システム改善。最後に補佐体制見直しを添える。反対されそうな順に根拠をつけて」
「はい」
「宇宙警察との協議メモは私が説明する。局長に明日の午前、十五分もらって」
「既に空き時間を確認しています。十時二十分から十時四十分まで確保可能です」
「さすがフレイ」
「評価として受け取ります」
「もう褒められなさいよ」
フォクス達は、ペルシアの作業速度に驚きを隠せなかった。
ファルコは腕を組みながら、半ば呆れたように言った。
「おい、こいつ本当にさっきまで机に溶けてた奴か?」
スリッピーも目を丸くしている。
「処理速度が全然違うよね。ペルシア、頭の中でどう整理してるんだろう」
クリスタルは感心したように言った。
「普段からこれをやれば、苦労しないのに」
フォクスは静かにペルシアを見ていた。
「本気になれば、これだけできるということか」
ペルシアは画面から目を離さずに言った。
「違うわ。飲みたいからできるの」
「動機が不純だ」
「結果が大事」
フレイが淡々と言う。
「動機は不純ですが、成果は非常に高いです」
「フレイ、それ好きね」
「事実です」
ペルシアは最後のワンペーパーをまとめ始めた。
『統括官直属チーム運用及び救助体制強化に係る報告』
文字が並んでいく。
目的。
現状課題。
対応方針。
訓練計画。
システム改善。
今後の協議事項。
補佐体制見直し。
必要な情報だけを残し、余計なものを削ぎ落とす。
読み手が局長であることを意識し、結論を先に置く。
判断に必要なリスクと効果を明記する。
反対されそうな点には先に根拠を付ける。
それは、先ほどまで「資料嫌い」と机に沈んでいた人物の作る資料とは思えないほど、鋭く整っていた。
フレイは確認しながら、思わず呟いた。
「……統括官」
「何?」
「なぜ、最初からこの速度でされないのですか」
ペルシアは真顔で答えた。
「疲れるから」
「……」
「フレイ?」
「いえ。非常にもったいないと思いました」
「褒めてる?」
「半分は」
「もう半分は?」
「呆れています」
「正直」
ペルシアは最後の一文を打ち込む。
『以上の対応により、宇宙管理局における救助・捜索・事故対応の即応性及び現場判断力の向上を図る。』
保存。
送信。
ペルシアは椅子に背中を預けた。
「終わったー!」
部屋にペルシアの声が響いた。
フレイは端末を確認する。
「全十二種類、受領しました。大きな未提出はありません。局長確認が必要なものは明日回付します」
「つまり?」
ペルシアが期待に満ちた目で見る。
「本日の必須業務は完了です」
ペルシアは立ち上がった。
「飲み!」
即答だった。
ファルコが笑う。
「待ってました」
スリッピーも嬉しそうだ。
「僕、お腹空いた」
フォクスは静かに頷く。
「約束通りだな」
クリスタルはペルシアを見た。
「飲みすぎは禁止よ」
「はいはい」
「本当に」
「分かってるって」
フレイが端末を閉じる。
「私は残務がありますので――」
ペルシアがすぐに振り返った。
「フレイも来るの」
「私は」
「来るの」
「ですが」
「今日、あなたが資料を全部持ってきてくれなかったら終わらなかった。確認もしてくれた。だから来るの」
フレイは少しだけ目を瞬いた。
ペルシアはにっと笑った。
「初給与記念。私の奢り」
「……しかし」
クリスタルが言う。
「行きましょう、フレイ。貴方も休むべきよ」
フォクスも頷く。
「補佐が倒れても困る」
スリッピーが笑う。
「フレイも一緒の方が楽しいよ」
ファルコが軽く手を振る。
「固いこと言うなって」
フレイは少しだけ迷った。
そして、小さく息を吐いた。
「……一時間だけです」
ペルシアが満面の笑みになる。
「よし!」
「ただし、統括官の飲酒量は管理します」
「え?」
「一時間だけですので、上限を設定します」
「フレイ、飲みに行く前から管理しないで」
「必要です」
クリスタルも言う。
「私も見るわ」
「包囲網が飲み屋まで来る……」
ファルコが笑った。
「いいじゃねぇか。逃げられねぇ統括官ってことで」
「ファルコ、後であなたの操縦指導計画、課題増やすわよ」
「やめろ」
◇
宇宙管理局近くの飲み屋は、仕事帰りの職員でほどよく賑わっていた。
店内には温かい照明が灯り、カウンターとテーブル席からは、グラスの音や笑い声が聞こえてくる。
ペルシア達は奥の大きめの席に案内された。
ペルシア、フレイ、フォクス、ファルコ、クリスタル、スリッピー。
さらに、ナウスはスリッピーの端末越しに参加することになった。
『私は飲食できませんが、同席扱いでよろしいでしょうか』
「もちろん」
ペルシアは端末をテーブルの端に置いた。
「ナウスもチームだもの」
『ありがとうございます』
ファルコはメニューを見ながら言う。
「で、統括官の奢りなんだよな?」
「そうよ。今日は私が出すわ」
ペルシアは胸を張った。
「ただし、食べすぎ飲みすぎは各自節度を持って」
クリスタルがすかさず言う。
「その言葉、そっくりそのまま返すわ」
「私はいいのよ。主役だから」
「主役ほど節度が必要よ」
フレイはメニューを見ながら淡々と言う。
「統括官の飲酒量は、最初の一杯と、その後一杯までにします」
「二杯!?」
「前例を踏まえた安全管理です」
「前例って何よ」
「複数あります」
「否定できない」
スリッピーが笑う。
「ペルシア、ビールと焼酎混ぜたりしちゃ駄目だよ」
「しないわよ!」
ファルコが面白そうに聞く。
「何だそれ。やったことあんのか?」
クリスタルが静かに答える。
「聞いた話では、混ぜた酒に弱いそうよ」
「クリスタル、どこで聞いたの」
「エリンから」
「エリン、余計なことを……」
ペルシアは頭を抱えた。
フォクスは少しだけ笑った。
「弱点が多いな」
「弱点じゃないわ。個性」
「便利な言葉だな」
最初の飲み物が届く。
ペルシアはビール。
ファルコもビール。
フォクスは控えめな酒。
スリッピーは甘いカクテル。
クリスタルはワイン。
フレイはノンアルコールの飲み物だった。
ペルシアはグラスを掲げた。
「それじゃあ、統括官直属チーム初給与と、十二種類の資料撃破を祝って」
ファルコが笑う。
「資料撃破って何だよ」
「今日の敵は資料だったのよ」
スリッピーがグラスを持つ。
「かなり強敵だったね」
クリスタルが微笑む。
「勝ったのは確かね」
フォクスも静かにグラスを上げた。
「お疲れ」
フレイも少しだけ表情を和らげた。
「お疲れ様でした」
ペルシアは満足げに笑う。
「乾杯!」
「乾杯」
グラスが軽く触れ合う。
ペルシアはビールを一口飲み、深く息を吐いた。
「……生き返る」
クリスタルがすぐに言う。
「一杯目から飛ばさない」
「まだ一口よ」
「その一口が大きい」
フレイも端末に何かを入力する。
「統括官、飲酒量管理を開始しました」
「本当に記録してるの!?」
「はい」
「飲み会まで仕事にしないで!」
「安全管理です」
ファルコは大笑いした。
「いいなぁ、管理される統括官」
「ファルコ、笑いすぎ」
料理も次々に届いた。
揚げ物、焼き魚、サラダ、枝豆、串焼き、煮込み料理。
ペルシアは唐揚げを一つ取り、満足そうに頷く。
「うん、美味しい」
スリッピーも目を輝かせる。
「これ、ソースが面白いね」
「スリッピー、食べ物も解析しそうね」
「しないよ。たぶん」
「たぶん?」
フォクスは静かに料理を取り分けていた。
ファルコは遠慮なく食べ、クリスタルはペルシアが酒だけでなく食べ物もちゃんと口にしているか見ている。
フレイはノンアルコールを飲みながら、時折ペルシアのグラスを確認していた。
「フレイ、そんなに見なくても逃げないわよ」
「飲み物は逃げませんが、統括官は逃げる前例があります」
「今日の話?」
「今日だけではありません」
「厳しい」
ペルシアは少しだけ頬を膨らませた。
それでも、表情は楽しそうだった。
フォクスが静かに言う。
「今日はよく働いていた」
ペルシアは少し驚く。
「フォクスが褒めた」
「事実だ」
「リュウジみたいなこと言うわね」
「そうか?」
「そう」
ファルコも料理を食べながら言う。
「まあ、正直驚いたぜ。あれだけ速く処理できるなら、普段からやれよって思うけどな」
「だから疲れるのよ」
「飲みがかかると疲れないのか?」
「疲れるけど、未来に希望があるから耐えられる」
スリッピーが笑う。
「希望が飲み屋なんだね」
「大事よ、希望」
クリスタルはワインを一口飲み、少しだけ微笑んだ。
「でも、今日の資料はどれも必要なものだったわ。特に私達の責任範囲を明確にしたところ」
フォクスも頷いた。
「あれは助かる。管理局に入った以上、曖昧な扱いをされる可能性はあると思っていた」
「させないわ」
ペルシアは即座に言った。
その声だけは、酒の席でも真剣だった。
「あなた達は私が口説いて連れてきたチームなの。便利に使われて潰されるなんて、絶対に嫌」
フレイは静かにペルシアを見る。
ペルシアは続ける。
「フォクス達には過去がある。管理局との関係だって、まだ全部きれいになったわけじゃない。それでも来てくれた。なら、私が守るのは当然でしょ」
ファルコは少しだけ目を逸らした。
「……そういうこと、酒の席で真顔で言うなよ」
「照れた?」
「照れてねぇ」
スリッピーは素直に笑った。
「僕は嬉しいよ」
クリスタルも静かに言った。
「私も」
フォクスは少し黙った後、短く言った。
「信じる」
ペルシアは、その言葉に少しだけ目を細めた。
「うん。信じて」
フレイはノンアルコールのグラスを置き、静かに言った。
「統括官は、普段は資料から逃げますが、必要な責任から逃げる方ではありません」
「フレイ」
「そこは信頼しています」
ペルシアは一瞬、言葉を失った。
そして、すぐににやりと笑う。
「フレイ、今日すごく優しいじゃない」
「事実を述べただけです」
「照れてる?」
「照れていません」
「やっぱり照れてる」
「照れていません」
店の席に笑いが広がった。
◇
飲み会は思った以上に盛り上がった。
ファルコは、来週の操縦指導についてすでにやる気を見せていた。
「管理局の操縦班って、どれくらい動けるんだ?」
ペルシアは少し考える。
「基礎はある。でも、現場での応用が弱い。特に救助対象を抱えたまま敵から離脱する想定は甘いわね」
「なら、最初に鼻をへし折るか」
「やめなさい」
クリスタルが止める。
「最初から自信を折ってどうするの」
ファルコは肩をすくめる。
「じゃあ半分だけ」
「半分も折らない」
ペルシアは笑いながら言った。
「ファルコ、あなたに必要なのは“教える”訓練ね」
「俺が?」
「そう。自分ができることを相手に伝えるのは、また別の技術よ」
「面倒だな」
「でも必要」
ファルコは少しだけ考え、酒を飲んだ。
「……まあ、やってみるか」
「いい返事」
スリッピーはナウスと一緒にシステム部改善案を話していた。
「現場映像の出力が遅いのは、たぶん権限確認の階層が多すぎるんだよ」
『緊急時用のショートカット権限を設定すれば改善可能です。ただし、誤出力防止のため二段階認証は必要です』
「でも二段階認証が遅いんだよね」
『音声認証と職務権限コードを組み合わせる案があります』
「それいいね」
ペルシアは枝豆をつまみながら言う。
「それ、明日資料にして」
スリッピーが固まった。
「飲み会中に仕事が増えた」
「思いついた時が一番早いのよ」
フレイがすかさず言う。
「統括官、その資料はシステム部連携依頼に追加できます」
「ほら、フレイも言ってる」
スリッピーは苦笑した。
「分かったよ。ナウス、後でまとめよう」
『承知しました』
クリスタルは応急処置講習の話をしていた。
「管理局職員向けなら、まず“診断しない”を徹底した方がいいわね。映像を見て勝手に判断するのは危険よ」
ペルシアは頷く。
「そうね。オペレーションルームの人間にも、見える範囲と見えない範囲を教える必要がある」
「それと、言葉の選び方。現場に“重症かもしれない”と曖昧に伝えるより、“呼吸が浅い”“反応が遅い”“顔色が悪い”と具体的に伝える方がいい」
「さすがクリスタル」
クリスタルは少しだけ微笑む。
「乗務員に教えた時も思ったけれど、現場では言葉が命綱になるわ」
「エリンも同じこと言いそう」
「そうね」
二人は少しだけ笑った。
フォクスは静かに料理を食べていたが、ペルシアが気づいて言った。
「フォクス、ちゃんと食べてる?」
「食べている」
「飲み会って、もっと喋っていいのよ」
「必要な時に喋る」
「リュウジみたい」
「二回目だな」
「無口な操縦士ってみんなそうなの?」
ファルコが横から言う。
「フォクスはまだ喋る方だぜ」
「そうなの?」
「リュウジは本当に必要なことだけ言う感じだろ」
ペルシアは笑った。
「でもエリンには柔らかい敬語で喋るわよ」
クリスタルが反応する。
「またその話?」
「だって面白いんだもの。リュウジって、エリンにはちゃんと“エリンさん”って言うのよ。で、私には雑」
ファルコがにやりと笑う。
「差があるな」
「あるのよ。絶対ある」
フレイが淡々と言う。
「統括官、旧所属先の方々の私的関係について、過度な詮索は控えた方がよろしいかと」
「フレイ、真面目」
「必要な助言です」
スリッピーが笑う。
「でも、少し気になるよね」
「でしょ?」
クリスタルはため息を吐いた。
「ペルシア、貴方は人の恋愛に構いすぎよ」
「恋愛って言った」
「……言葉の綾よ」
「クリスタルもそう思ってるのね」
「思っていないとは言っていないわ」
「やっぱり!」
ペルシアは楽しそうに笑った。
フレイは飲み物を口にしながら、小さく首を振る。
「統括官、二杯目はこれで最後です」
「まだ一杯目みたいなものよ」
「二杯目です」
「リュウジみたいに正直」
「事実です」
結局、ペルシアの飲酒量はフレイとクリスタルにより厳しく管理された。
ビール二杯。
その後は水とお茶。
ペルシアは何度も不満を言ったが、料理が美味しかったことと、初給与で気分が良かったこともあり、最終的には機嫌よく過ごした。
◇
店を出る頃には、夜も深くなっていた。
街の灯りが柔らかく揺れ、宇宙管理局の建物が遠くに見える。
ペルシアは上機嫌で歩いていた。
「いやぁ、働いた後のお酒は美味しいわね」
「飲みすぎていないから、まだまともね」
クリスタルが言う。
「私、いつもまともよ」
「異議あり」
ファルコが言う。
「ファルコは黙って」
スリッピーが笑う。
「でも今日は楽しかったね」
「そうね」
ペルシアは夜空を見上げた。
「資料は嫌いだけど」
「まだ言うのか」
フォクスが呆れたように言う。
「嫌いなものは嫌い。でも、今日みたいに終わらせた後なら悪くない」
フレイが隣を歩きながら言った。
「明日、局長確認があります」
「今それ言う?」
「必要です」
「余韻を壊す天才ね、フレイ」
「明日の午前十時二十分です」
「分かってるわよ」
ペルシアは少しだけ笑った。
「でも、今日はありがと」
フレイが目を向ける。
「何がでしょうか」
「資料を全部並べてくれて。確認してくれて。あと、負担整理の資料」
フレイは少しだけ沈黙した。
「統括官が倒れると困りますので」
「うん。それでもありがと」
ペルシアの声は、珍しく素直だった。
フレイは小さく頷いた。
「……どういたしまして」
クリスタルが少しだけ微笑む。
「いい補佐ね」
「ええ」
ペルシアはにっと笑った。
「厳しいけどね」
「統括官には必要です」
フレイが即答する。
全員が笑った。
フォクスは静かに言った。
「今日の資料で、チームの形が少し見えたな」
「そうね」
ペルシアは頷く。
「まだ始まったばかりだけど、形にはしていくわ。救助も、捜索も、事故対応も。今度こそ、遅れないように」
その言葉に、夜風が少しだけ静かに流れた。
ペルシアはふざける。
逃げる。
だらける。
資料を嫌う。
でも、守ると決めたものからは逃げない。
フォクス達は、それを知っていた。
だから、彼女のチームに入った。
ファルコが軽く肩を回す。
「ま、来週の訓練は任せとけ」
「頼りにしてるわ」
スリッピーも言う。
「僕もシステム部、頑張るよ」
『私も支援します』
ナウスが端末から言う。
クリスタルは静かに頷く。
「応急処置講習も準備しておくわ」
フォクスは短く言った。
「救助班の指導もやる」
フレイも続ける。
「私は資料と日程調整を進めます」
ペルシアは皆を見回した。
そして、満足そうに笑った。
「いいチームになってきたじゃない」
ファルコが言う。
「統括官が逃げなければな」
「そこは包囲網があるから大丈夫でしょう」
クリスタルが言う。
フレイも頷く。
「必要に応じて捕まえます」
「私、統括官なのに扱いが逃亡者」
スリッピーが笑う。
「実績があるからね」
「否定できないのが悔しい」
ペルシアは夜空に向かって大きく伸びをした。
「でもまあ、今日はいい日だったわ」
初めての給与明細。
予想外の高額。
十二種類の資料。
脅威的な集中。
チームへの指示。
そして飲み会。
面倒な一日だった。
でも、悪くない一日だった。
ペルシアは歩きながら、ふと呟いた。
「明日も給料明細出ないかしら」
フレイが即答する。
「出ません」
「夢がない」
「給与は月一回です」
「分かってるわよ」
ファルコが笑う。
「明日からまた資料に沈むな」
「沈まないわよ」
クリスタルが見る。
「本当に?」
「……少しだけ沈むかも」
「やっぱり」
フォクスが静かに言った。
「沈む前に仕事をしろ」
「フォクスまでフレイみたいになってきた」
ペルシアは不満そうに言ったが、その表情は明るかった。
宇宙管理局の夜道を、統括官とその直属チームが並んで歩いていく。
まだ始まったばかりのチーム。
まだ未完成の仕組み。
まだ山ほど残る課題。
けれど、今日、確かに一歩進んだ。
ペルシアはポケットに手を入れ、少しだけ笑う。
「よし。明日も適度に頑張るわ」
フレイがすぐに言う。
「適度ではなく、必要量をお願いします」
「フレイ、最後まで厳しい」
「補佐ですので」
クリスタルが微笑む。
「頑張りなさい、統括官」
ファルコが笑う。
「高給取りなんだろ?」
スリッピーが続ける。
「資料も給料に含まれてるね」
フォクスが締める。
「責任もな」
ペルシアは全員を見た。
そして、肩をすくめる。
「はいはい。分かりましたよ」
それでも、その声はどこか嬉しそうだった。
資料は嫌いだ。
責任は重い。
フレイは厳しい。
クリスタルも厳しい。
フォクス達も遠慮なく皮肉を言う。
けれど、ペルシアは思った。
悪くない。
この場所も。
このチームも。
この面倒くさい役職も。
自分が守りたいものを守るためなら、もう少しだけ頑張ってやってもいい。
ただし。
「次の給与明細の日も、飲みに行くわよ」
ペルシアが言うと、フレイが即座に返した。
「資料が終わっていれば」
「そこは変わらないのね!」
夜道に、スターフォクス達の笑い声が響いた。
統括官ペルシアの初給与記念日は、こうして幕を閉じた。
そして翌日。
局長へ提出された資料の完成度に、局長が驚き、フレイが静かに誇らしげな顔をし、ペルシアが「やればできる女なのよ」と胸を張ることになるのだが。
その直後、局長から追加資料を三件頼まれ、ペルシアが机に突っ伏して「ハゲそう」と呟くのは、また別の話である。