その日の朝、ドルトムント財閥宇宙事業部の旅行会社フロアは、いつも通りの空気に包まれていた。
始業時間までは、まだ少しだけ余裕がある。
ククルは自席で今日の訓練予定を確認しながら、昨日エリンに注意された「声量」と「足音」の二つをメモの端に大きく書いていた。
『声量!
足音!
周りを見る!』
書いた本人は真剣だったが、横から見れば少し勢いがありすぎる文字だった。
エマはその隣で、休憩用の小さなお菓子を引き出しにしまっている。
ミラは姿勢よく端末を立ち上げ、その日使う資料を一つずつ開いていた。
エリンはすでに席についており、フライト予定と乗務員配置の確認をしている。
リュウジは少し離れた席で、操縦ログの確認をしていた。
そしてカイエは。
珍しく、朝から少しそわそわしていた。
普段のカイエは、朝に強い方ではない。
寝不足気味の日は特に、コーヒーを片手に静かに端末を立ち上げ、しばらく画面を見つめてからようやく動き出す。
ゲームの大型アップデート翌日などは、目の下にうっすら疲れを残しながらも、妙に満足そうな顔をしていることもあった。
だが、その日のカイエは違った。
眠そうではある。
けれど、どこか落ち着かない。
端末を開き、閉じる。
資料を確認し、また閉じる。
そしてちらりとリュウジの席を見る。
また端末を見る。
またリュウジを見る。
その様子に最初に気づいたのは、やはりククルだった。
「……カイエ?」
「何?」
カイエはすぐに反応したが、少しだけ声が早かった。
「何かあった?」
「別に」
「本当?」
「本当」
答えは短い。
しかし、ククルはじっとカイエを見た。
カイエは視線を逸らす。
「……何?」
「いや、なんか今日のカイエ、変だなって」
「いつも通りだよ」
「いつも通りにしては、リュウジさんの方を見すぎじゃない?」
カイエの指が、ほんの少し止まった。
ククルは目を細めた。
「あれ?」
エマもそれに気づき、そっとカイエを見る。
「カイエ、リュウジさんに用事があるの?」
「……少しだけ」
カイエは観念したように答えた。
ミラが顔を上げる。
「リュウジさんにですか?」
「うん」
「操縦関係ですか?」
ミラが素直に聞くと、カイエは一瞬だけ言葉に詰まった。
「まあ……近いような、遠いような」
「近いような遠いような?」
ククルが身を乗り出す。
「何それ、気になる!」
「大したことじゃないよ」
カイエはそう言ったが、普段ならすぐに話を切り上げるところを、どこか言い切れないような雰囲気がある。
エマが柔らかく微笑む。
「話しづらいことなら、無理に聞かないけど」
「うん。ちょっと、本人に確認してからにしたい」
「本人?」
ククルの目がさらに輝いた。
カイエは小さく息を吐いた。
「ククル、そんな目で見ない」
「見てない!」
「見てる」
その時、カイエは時計を見た。
始業時間まで、あと数分。
カイエは静かに立ち上がった。
その動きに、ククル、エマ、ミラの三人が同時に反応した。
カイエは三人の視線を気にしつつも、リュウジの席へ向かった。
リュウジは端末から顔を上げる。
「リュウジさん、ちょっといいですか?」
「ああ」
リュウジはすぐに頷いた。
その迷いのなさに、三人はさらに驚いた。
カイエは少しだけ声を落とす。
「始業前に少しだけ、外で話してもいいですか?」
「分かった」
リュウジは端末を閉じ、席を立った。
二人はそのままフロアを出ていく。
ククルはぽかんと口を開けた。
「……え?」
エマも少し目を丸くしている。
「二人で席を外したね」
ミラは不安と興味が混じった顔で二人の背中を見送った。
「何のお話でしょうか……」
ククルはすぐに立ち上がりかけた。
「ちょっと見に――」
「ククル」
エリンの声が飛ぶ。
ククルはぴたりと止まった。
「はい」
エリンは端末から視線を上げずに言った。
「あまり詮索しないの」
「で、でもエリンさん、気になりませんか?」
「本人達が必要だと思って話しているなら、戻ってくるまで待てばいいわ」
落ち着き払った声だった。
ククルは少しだけ不満そうに座る。
「エリンさん、余裕ですね」
「余裕というより、信頼しているだけよ」
「信頼……」
エマが小さく微笑む。
ミラはその言葉を聞いて、少しだけほっとしたようだった。
しかし、ククルの中では疑問が膨らみ続けていた。
カイエが、あんなにそわそわしていた。
リュウジにだけ声をかけた。
二人でフロアの外へ行った。
しかも、始業前の短い時間に。
何かある。
絶対に何かある。
ククルは端末の画面を見つめながらも、内容がまったく頭に入ってこなかった。
◇
二人が戻ってきたのは、始業時間ぎりぎりだった。
扉が開き、まずリュウジが入ってくる。
表情はいつも通りだった。
落ち着いている。
特に変化はない。
何かを隠しているようにも見えない。
その後ろから、カイエが入ってきた。
ククル達は、すぐに気づいた。
カイエの表情が違う。
普段の静かな顔ではない。
口元が少しだけ緩んでいる。
目がわずかに明るい。
足取りも、いつもより軽い。
まるで、何か楽しい予定ができた時のような顔だった。
ククルは小声で言う。
「……カイエ、嬉しそう」
エマも頷く。
「うん。ちょっとウキウキしてるね」
ミラは両手を胸の前で握った。
「何があったんでしょう……」
カイエは三人の視線に気づいたのか、少しだけ目を逸らしながら自席へ戻った。
リュウジは何事もなかったように席へ戻る。
エリンはその様子をちらりと見た。
カイエが嬉しそうであることにも、もちろん気づいている。
リュウジが普段通りであることにも気づいている。
ただ、何も聞かなかった。
「それでは、始業します」
エリンの声で、その日の業務が始まった。
ククルは気になって仕方なかったが、業務中は聞けない。
エマも、ちらちらとカイエを見ながらも、書類作業に集中しようとしている。
ミラは気になりすぎて、端末の入力を一度間違え、カイエに小さく訂正されていた。
カイエはいつも通り仕事をしているように見える。
ただ、時折、ほんの少しだけ口元が緩む。
それが、余計に気になった。
ククルは昼休みに聞こうとした。
「カイエ、朝の――」
「ごめん、ちょっと用事」
カイエはそう言って、端末を持って席を外してしまった。
エマも声をかけようとしたが、カイエは自然にかわした。
ミラもタイミングを見失う。
結局、誰も聞けないまま、時間は過ぎていった。
◇
終業後。
その日の業務が終わると同時に、カイエは驚くほど手早く片付けを始めた。
端末を閉じる。
資料を整理する。
椅子を戻す。
鞄を持つ。
いつものカイエなら、業務後に少しコーヒーを飲んだり、ゲームの通知を確認したりしてから帰ることが多い。
だが今日は違う。
明らかに、何か予定がある。
ククルはその様子をじっと見ていた。
「……早い」
エマも頷く。
「朝と同じ感じだね」
ミラは小声で言う。
「やっぱり、リュウジさんと何か……」
その瞬間。
カイエは鞄を持ったまま、まっすぐリュウジの席へ向かった。
ククル達の背筋が伸びる。
リュウジはすでに端末を閉じ、帰り支度を終えていた。
カイエが少し嬉しそうに言う。
「お待たせしました。それでは行きましょう」
リュウジは静かに頷いた。
「ああ、行こうか」
二人はそのまま足早にフロアを出ていった。
静寂。
ククル、エマ、ミラの三人は、同時に顔を見合わせた。
「……怪しい」
ククルが低く言う。
「確かに、少し気になるね」
エマも否定しなかった。
ミラは少し慌てた。
「で、でも、もしかしたら真面目なお話かもしれませんし……」
「真面目なお話なら、カイエがあんなにウキウキするかな?」
ククルの指摘に、ミラは言葉に詰まる。
「そ、それは……」
エマが少し考える。
「カイエがあんなに楽しそうなのは、ゲーム関連の時くらいだけど……リュウジさんと?」
「そこが謎なの!」
ククルは机に手をついた。
「これは確認するしかないよ」
「確認って……」
ミラが恐る恐る言う。
「まさか、後をつけるんですか?」
「うん」
即答だった。
「ええっ」
ミラは目を丸くする。
エマは少し困ったように微笑む。
「尾行はあまりよくない気もするけど……」
「でも、気にならない?」
「……気になる」
エマは正直だった。
ミラも小さく手を上げる。
「私も、少し……」
「決まり!」
ククルは鞄を掴んだ。
その時、エリンが近くを通りかかった。
「三人とも、どうしたの?」
三人は一斉にびくっとした。
ククルが慌てて言う。
「い、いえ! ちょっと、カイエとリュウジさんがどこに行くのかなって!」
「つまり、後をつけるつもりなのね」
エリンは即座に言った。
三人は固まった。
「……分かります?」
エマが苦笑する。
「分かるわ」
エリンは小さくため息を吐いた。
「あんまり詮索しすぎないようにね」
「止めないんですか?」
ククルが驚く。
「本当に嫌がることなら止めるけれど、カイエとリュウジでしょう? 大丈夫だと思うわ」
「エリンさん、気にならないんですか!?」
ククルが思わず聞く。
エリンは少しだけ微笑んだ。
「気にならないと言えば嘘になるけれど、二人とも必要があって行っているんでしょう。何か危ないことをするわけではないと思うわ」
「すごい余裕……」
エマがぽつりと言った。
ミラも小声で続ける。
「なんだか……正妻感が……」
エリンの眉がぴくりと動いた。
「ミラ?」
「す、すみません!」
ミラは慌てて頭を下げる。
ククルはエマの袖を引いた。
「でも分かる。エリンさん、リュウジさんのことで動じなさすぎる」
エマも小声で言う。
「信頼してる感じがすごいよね」
エリンは聞こえていた。
少しだけ頬を染めたが、すぐに咳払いする。
「とにかく、迷惑をかけないこと。もし本人達に見つかったら、素直に謝ること」
「はい!」
ククルが元気よく返事をする。
「ククル、声量」
「あ、はい」
エリンは三人を見送りながら、ふっと微笑んだ。
本当に、何をしに行くのかは気になる。
だが、リュウジが一緒なら大きな問題にはならないだろう。
カイエが嬉しそうだったのなら、きっと彼女にとって大事なことなのだ。
そう思えた。
ただ、ミラの「正妻感」という言葉だけは、少しだけ胸に残った。
「……正妻って何よ」
エリンは小さく呟き、自席へ戻った。
◇
ククル、エマ、ミラの三人は、少し距離を空けながらリュウジとカイエの後を追った。
尾行。
と言っても、三人とも本格的に人を尾行した経験などない。
ククルはすぐ前に出すぎる。
エマは人混みに紛れようとして、逆に周囲に謝りながら歩く。
ミラは緊張しすぎて、何度も柱の陰に隠れようとする。
「ククル、近いよ」
エマが小声で注意する。
「あ、ごめん」
「ミラ、隠れすぎると逆に怪しいよ」
「す、すみません!」
ククルは前を見つめる。
少し先に、リュウジとカイエが歩いていた。
リュウジはいつも通り落ち着いた歩き方。
カイエはその横で、どこか楽しそうだった。
いつもの静かなカイエとは違う。
表情が柔らかい。
会話の内容は聞こえないが、リュウジに何か説明しているようで、時々手を動かしている。
ミラが小声で言った。
「なんか……カイエさん、幸せそうです」
ククルは頷く。
「分かる。すごく楽しそう」
エマも少し微笑む。
「カイエがあんなに表情に出すの、珍しいね」
「やっぱりゲームかな?」
「でも、リュウジさんとゲーム……?」
ミラが首を傾げる。
「リュウジさん、ゲームをされるんでしょうか」
「想像できない」
ククルが即答した。
「リュウジさんって、ゲームでも無言で上手そう」
「分かる」
エマが笑う。
「淡々と高得点を出しそう」
「でも、カイエが誘うくらいだから、何かあるんだよ」
三人はさらに追う。
リュウジとカイエは、ドルトムント財閥のビルを出て、近くの商業エリアへ向かった。
飲食店街ではない。
カフェでもない。
書店でもない。
さらに奥へ進む。
そして、二人が入っていったのは。
大きなゲームセンターだった。
三人は入口の少し手前で固まった。
「……え?」
ククルが声を漏らす。
エマも目を丸くした。
「ゲームセンター……?」
ミラはぽかんとしている。
「カイエさんが行くのは分かりますけど……リュウジさんも……?」
目の前の建物からは、賑やかな電子音が漏れている。
リズムゲームの音。
格闘ゲームの効果音。
クレーンゲームの軽快な音楽。
子どもや学生、仕事帰りの人々の声。
カイエなら自然に馴染む場所かもしれない。
だが、リュウジが入っていったと思うと、どうにも不思議だった。
ククルは入口を見つめた。
「……入ろう」
「本当に?」
エマが聞く。
「ここまで来たら確認するしかないよ」
ミラは少し迷ったが、結局頷いた。
「はい……」
三人はそっとゲームセンターへ入った。
◇
ゲームセンターの中は、予想以上に広かった。
入口付近にはクレーンゲームが並び、ぬいぐるみやフィギュア、お菓子が景品として置かれている。
奥にはリズムゲーム。
さらに奥へ進むと、対戦ゲームや大型筐体が並ぶエリアがあった。
カイエが向かったのは、その一番奥。
宇宙船を操縦して戦うアーケードゲームの筐体だった。
大きな座席型の筐体。
左右に操縦桿。
足元にペダル。
正面には大型モニター。
さらに左右にも視界補助用の小型モニターがついている。
まるで簡易的な操縦シミュレーターのようだった。
筐体の上には、派手な文字でタイトルが表示されている。
『STAR BATTLE FRONTIER』
ククルが小声で読む。
「スター・バトル・フロンティア……?」
エマが首を傾げる。
「宇宙船で戦うゲームみたいだね」
ミラは画面を見て驚く。
「本格的です……」
リュウジとカイエはその筐体の前にいた。
カイエは、明らかに楽しそうだった。
普段の落ち着いた表情ではない。
目が輝いている。
説明する手の動きも早い。
リュウジは筐体を見ながら、静かに説明を聞いている。
「これがメインスティックです。こっちで姿勢制御、こっちで推進方向を調整します。ペダルがブーストと制動で、右側のボタンが主砲、左側が補助兵装です」
「ああ」
「ゲームなので実機とは違うんですけど、癖が少し独特で……慣性が変に残るというか、旋回後の戻しが遅いというか」
「なるほど」
「私は最近これにハマっているんですけど、上位ステージの敵機動がどうしても読めなくて。操縦の基本を分かっている人なら、最初にどこを見るのか知りたくて……」
カイエはそこで少しだけ恥ずかしそうに言葉を濁した。
リュウジは淡々と頷く。
「分かった。一度やってみればいいんだな」
「はい。お願いします」
リュウジは筐体の座席に座った。
その姿に、三人は物陰から目を見開く。
ククルが小声で言う。
「リュウジさんがゲームの椅子に座ってる……」
エマが微笑む。
「なんだか新鮮」
ミラは両手を胸の前で握っている。
「でも、似合います……」
ククルが頷く。
「確かに。ゲームセンターなのに、なんか本物の操縦席に見える」
リュウジは画面の説明を読み、操縦桿を軽く動かした。
カイエが横で説明する。
「最初はチュートリアルでもいいですか?」
「いや、通常ステージでいい」
「えっ、初見ですよ?」
「操作確認しながらやる」
カイエの目がさらに輝いた。
「はい!」
ゲームが始まった。
画面に宇宙空間が広がる。
プレイヤー機が発進し、敵機が数機現れる。
リュウジは最初、操作感を確かめるようにゆっくり動かした。
操縦桿の重さ。
画面内の慣性。
旋回時の遅れ。
ブースト後の制動。
武器の発射間隔。
数秒。
本当に、数秒だった。
リュウジの手の動きが変わった。
無駄が減る。
機体の向きが安定する。
敵機の射線を避けながら、最小限の動きで背後を取る。
画面の中の宇宙船が、まるで本当にリュウジの手足のように動き始めた。
カイエの口が少し開く。
「……え」
ククル達も物陰で固まった。
「……上手い」
エマが呟く。
「初めてですよね?」
ミラが小声で言う。
「リュウジさん、やっぱりすごいです……」
敵機が一機、二機と撃墜される。
リュウジは派手に動かない。
むしろ、画面上では地味にすら見える。
だが、敵の攻撃が当たらない。
無駄なブーストを使わない。
必要な時だけ加速し、必要な分だけ旋回し、撃つべきタイミングで撃つ。
ゲーム特有の派手さよりも、実戦的な安定感がある。
カイエは真剣に画面を見ていた。
「今、どうして左に逃げなかったんですか?」
リュウジは画面を見たまま答える。
「左は敵の増援が来る空間が空きすぎている。右の小惑星を盾にした方が射線を切れる」
「でも、右だと旋回が遅れて……」
「だから先に機首を戻した」
「先に……」
「このゲーム、旋回後に慣性が少し残る。敵を見てから戻すと遅い。敵が撃つ前に戻す」
カイエは完全に聞き入っていた。
「なるほど……」
リュウジはさらに続ける。
「ブーストは逃げるためだけに使うと足りなくなる。敵の射線が重なる前に短く使う。長く踏むと制動が遅れる」
「短く……」
「あと、補助兵装は敵を倒すためより、動かすために使った方がいい」
「動かすため?」
「敵の進路を変えさせる。そこに主砲を置く」
その瞬間、リュウジは画面上で補助兵装を放った。
敵機が回避行動を取る。
その回避先に、すでに主砲の照準が置かれていた。
撃墜。
カイエは感動したように息を呑んだ。
「……すごい」
ククルも物陰で興奮を抑えきれない。
「リュウジさん、ゲームでも操縦士だ……」
エマが小さく笑う。
「本当に」
ミラは完全に見惚れていた。
「かっこいいです……」
その時だった。
リュウジが、画面を見たまま言った。
「ククル、エマ、ミラ」
三人は凍りついた。
リュウジは操縦桿から手を離さず、敵の攻撃を避けながら続ける。
「そこにいるなら出てこい」
ククルの顔が引きつる。
「……バレてる」
エマが苦笑する。
「やっぱり」
ミラは真っ青になった。
「す、すみません……!」
三人はおずおずと物陰から出てきた。
カイエが振り返る。
「えっ、三人とも!?」
ククルは両手を合わせた。
「ご、ごめん! 気になって……」
エマも頭を下げる。
「後をつけるようなことをして、ごめんなさい」
ミラは深々と頭を下げた。
「申し訳ありません!」
リュウジは画面内の敵を撃墜しながら言った。
「エリンさんには?」
「エリンさんには……あんまり詮索しすぎないようにって言われました」
ククルが正直に答える。
「止められなかったのか」
「はい……」
リュウジは少しだけため息を吐いた。
「なら、終わった後で謝っておけ」
「はい!」
カイエは顔を赤くしている。
「見られてたんだ……」
ククルは慌てて言った。
「いや、その、カイエがすごく嬉しそうだったから、何かと思って!」
エマも優しく言う。
「心配というより、気になってしまって」
ミラは小さく続ける。
「カイエさんが、あんなに楽しそうだったので……」
カイエは恥ずかしそうに視線を逸らした。
「……そんなに楽しそうだった?」
三人は同時に頷いた。
「うん」
「はい」
「とても」
カイエはさらに顔を赤くした。
リュウジはステージをクリアした。
画面にスコアが表示される。
初見とは思えない高得点だった。
カイエはスコアを見て、また目を丸くした。
「初見でこのスコア……」
リュウジは席から立ち上がる。
「ゲームの癖は少し分かった」
「少しでこれですか……」
カイエは半ば呆然としている。
ククルがたまらず聞いた。
「それで、結局どういうことだったの?」
カイエは少し困ったように三人を見た。
それから、小さく息を吐き、観念したように話し始めた。
「最近、この宇宙船を操縦して戦うアーケードゲームにハマってるんだ」
「うん、それはカイエらしい」
ククルが言う。
「でも、ステージが進むと敵の動きが急に複雑になって、どうしても癖が掴めなくて。ゲームとしての攻略動画も見たけど、何かしっくり来なくて」
カイエはリュウジを見る。
「それで、実際に操縦が上手い人なら、初めて触った時に何を見るのか、どう動かすのか、手本を見せてもらいたくて」
エマが納得したように頷く。
「それでリュウジさんに」
「うん」
カイエは恥ずかしそうに笑った。
「でも……ゲームの操縦でリュウジさんに頼むところを皆に知られるのは、ちょっと恥ずかしくて」
ククルは一瞬黙り、それからぱっと笑った。
「可愛い!」
「ククル」
カイエがすぐに睨む。
「ごめん! でも、すごくカイエらしい!」
エマも微笑んだ。
「恥ずかしがることじゃないよ。好きなものをもっと上手くなりたいって、素敵なことだと思う」
ミラも頷く。
「はい。カイエさんが楽しそうで、私も嬉しいです」
カイエは少しだけ視線を落とした。
「……ありがとう」
リュウジは静かに言った。
「俺に頼むのが恥ずかしいことか?」
カイエは慌てて首を横に振る。
「違います! リュウジさんに頼むのが恥ずかしいんじゃなくて、ゲームで真剣になっているところを皆に見られるのが……」
「そうか」
「はい」
「なら、気にしなくていい。真剣になるのは悪いことじゃない」
リュウジの言葉に、カイエは少しだけ目を見開いた。
「リュウジさん……」
「それに、これはゲームだが、操縦の考え方は少し使える」
ククルが興味津々で聞く。
「本当ですか?」
「ああ。もちろん実機とは違う。だが、慣性、射線、機体の向き、加速と制動、敵の進路を誘導する考え方は似ている」
カイエは真剣に頷く。
「やっぱり、そうなんですね」
「ただし、ゲームはゲームだ。実機と同じ感覚でやると逆に合わない部分もある」
「そこを知りたかったんです」
カイエは再び筐体を見る。
「私、どうしてもブーストを長く踏みすぎるんです。敵の攻撃を避けようとして、逃げすぎて、その後の制動で隙ができる」
「さっき見た限り、このゲームは短い制動が重要だ」
「はい」
「カイエは状況を見ようとしている分、少し反応が遅れるかもしれない。先に逃げ道を決めておくといい」
「先に逃げ道を……」
「フォクスやファルコにも言ったことがあるが、戻る基点を決める。ゲームでも同じだ」
カイエは完全にメモを取りたい顔になっている。
エマが笑う。
「カイエ、端末出しそう」
「出していい?」
「いいんじゃない?」
カイエはすぐに端末を取り出した。
ククルは笑いをこらえる。
「本当に出した」
カイエは真剣だった。
「リュウジさん、もう少し教えてもらってもいいですか?」
「ああ」
リュウジは再び筐体に座った。
「次はカイエがやってみろ。横で見る」
カイエの顔がぱっと明るくなる。
「はい!」
その表情を見て、ミラがまた小声で言った。
「やっぱり幸せそうです……」
ククルは頷いた。
「うん。これは邪魔しちゃ駄目なやつだね」
エマも微笑む。
「でも、見守るのはいいよね」
「うん」
◇
カイエが筐体に座った。
普段、訓練中は落ち着いているカイエだが、ゲームの前では少しだけ子どものような期待が見える。
リュウジは横に立ち、画面を見る。
「まず、最初の敵が出る前に、右の小惑星帯を見る」
「はい」
「敵の出現位置は固定か?」
「序盤は固定です。中盤からランダムが混じります」
「なら、序盤で無駄に動かない。最初の二機は正面で落とせる」
「はい」
ゲームが始まる。
カイエは操縦桿を握る。
動きは慣れている。
普段からやり込んでいるのが分かる。
だが、最初の敵を倒した後、次の攻撃を避けるところでブーストを長めに踏んだ。
「長い」
リュウジがすぐに言う。
「はい」
「今の半分でいい。制動を残す」
「半分……」
カイエは次の場面で意識して短く踏む。
機体の戻りが早くなった。
「あ、戻しやすい」
「そこで機首を先に向ける」
「はい」
「撃つ」
カイエが撃つ。
敵機に当たる。
「当たった……!」
カイエの声が弾んだ。
ククルが思わず拍手しそうになり、慌てて手を止める。
「すごい!」
エマも嬉しそうに見ている。
ミラは完全に応援モードだった。
「カイエさん、頑張ってください……!」
カイエはリュウジの指示を受けながら、次々と動きを修正していく。
「敵を追いすぎない」
「はい」
「射線を切る。倒すより、まず当たらない位置」
「はい」
「補助兵装は今」
「はい!」
カイエの機体が、今までよりも安定して動き始めた。
派手さはない。
しかし、被弾が減る。
スコアよりも、生存時間が伸びる。
結果的に、撃墜数も増える。
カイエは集中していた。
目は真剣。
口元は少しだけ楽しそう。
ククルはそれを見て、胸が温かくなった。
「カイエ、楽しそう」
エマが頷く。
「好きなことをしている時の顔だね」
ミラも微笑む。
「私、カイエさんのこういうところ、初めて見ました」
ステージが終わった。
カイエのスコアは、自己最高には届かなかったが、被弾数は明らかに減っていた。
カイエは画面を見つめたまま、しばらく黙った。
そして、ぽつりと言った。
「……分かってきたかもしれません」
リュウジは頷く。
「なら、もう一度やればいい」
「はい!」
カイエは嬉しそうに返事をした。
その姿は、普段の冷静なカイエからは少し想像できないほど素直だった。
ククルは笑った。
「これは、尾行してよかったかも」
「そこは謝るところだよ」
エマが柔らかく言う。
「あ、そうだった」
ククルはリュウジとカイエに向き直った。
「本当にごめんなさい。勝手についてきて」
エマも頭を下げる。
「ごめんなさい。気になってしまって」
ミラも深く頭を下げた。
「すみませんでした」
カイエは少し照れくさそうに首を振った。
「もういいよ。見られたのは恥ずかしいけど……どうせ明日にはバレていた気もするし」
「言っていいの?」
ククルが聞く。
「広めないで」
「はい!」
リュウジも言った。
「エリンさんには謝っておけ」
「はい」
「それと、カイエが嫌がるなら、この話は広げるな」
三人は真剣に頷いた。
「もちろんです」
エマが答える。
カイエは少しだけ笑った。
「別に、絶対秘密というわけじゃないけど……ゲームでリュウジさんに指導してもらったって言うと、ククルが絶対からかうから」
「からかわないよ!」
「もう可愛いって言った」
「あれは褒め言葉!」
「それが恥ずかしいの」
「ごめん」
ククルは素直に謝った。
カイエは少しだけ目を細める。
「でも……来てくれたなら、見ていて。私、もう少しやりたい」
三人は顔を見合わせた。
そして、笑顔で頷いた。
「もちろん!」
エマが言う。
「応援するね」
ミラも小さく拳を握る。
「頑張ってください、カイエさん」
リュウジは筐体の横に立ったまま、静かに言った。
「次は中盤のランダム出現を見る。焦らず、最初に逃げ道を決めろ」
「はい」
カイエは操縦桿を握り直した。
画面に再び宇宙空間が広がる。
ゲームセンターの喧騒の中で、十四班の小さな放課後のような時間が始まった。
◇
その後、カイエは何度かプレイを重ねた。
リュウジの指導は、ゲームセンターでも変わらず的確だった。
「今の敵は追う必要がない」
「はい」
「スコアを取りに行くなら追ってもいいが、ステージクリア優先なら捨てる」
「なるほど」
「ここで右へ逃げると次の敵に挟まれる。左へ流して、戻る」
「はい」
「撃つ前に機首を安定させる。無理に当てにいくな」
「はい!」
カイエはどんどん吸収していった。
ゲームの操縦に対して、ここまで真剣に向き合うカイエは、ククル達にとって新鮮だった。
普段のカイエは、落ち着いていて、少し眠そうで、ゲーム好きではあるが、ここまで表情を変えることは少ない。
だが今は違う。
悔しがる。
納得する。
目を輝かせる。
少しだけ笑う。
その一つひとつが、カイエの別の一面だった。
ククルは小声で言う。
「カイエって、こんなに楽しそうにするんだね」
エマは優しく答える。
「うん。好きなものを誰かに分かってもらえるのが嬉しいのかも」
ミラも頷く。
「リュウジさんも、ちゃんと真剣に教えてくださっていますし」
そう。
リュウジは、ゲームだからといって適当に扱っていなかった。
実機とは違うと前置きしながらも、カイエが真剣に悩んでいることを真剣に受け止めている。
それが、カイエには嬉しかったのだろう。
やがて、カイエは一つ上のステージをクリアした。
これまで何度も詰まっていたステージだったらしい。
画面にクリア表示が出た瞬間、カイエは小さく息を呑んだ。
「……クリアできた」
ククルが我慢できずに拍手した。
「すごい!」
エマも拍手する。
「おめでとう、カイエ」
ミラも嬉しそうに言う。
「おめでとうございます!」
カイエは少し照れながらも、嬉しさを隠せない顔をしていた。
「ありがとうございます。リュウジさんのおかげです」
リュウジは静かに首を振る。
「カイエが修正したからだ」
「でも、教えていただかなければ分かりませんでした」
「なら、次は自分で考えればいい」
「はい」
カイエは真剣に頷いた。
「次は、自分で戻る基点を決められるようにします」
「それでいい」
リュウジの声は穏やかだった。
◇
ゲームセンターを出る頃には、外はすっかり暗くなっていた。
商業エリアの灯りが夜道を照らし、仕事帰りの人々が行き交っている。
カイエはまだ少しだけ浮かれた表情をしていた。
ククルが横から覗き込む。
「カイエ、楽しかった?」
「……うん」
カイエは素直に頷いた。
「すごく楽しかった」
その言い方があまりにも素直で、ククルはまた「可愛い」と言いそうになったが、ぐっと堪えた。
エマが微笑む。
「よかったね」
「うん」
ミラも言う。
「私も見ていて楽しかったです」
「本当?」
「はい。カイエさんが楽しそうで」
カイエは少し恥ずかしそうに笑った。
「見られるのは恥ずかしかったけど……来てくれてよかったかも」
ククルはぱっと顔を明るくする。
「じゃあ、次も応援に――」
「尾行は駄目」
「はい」
即答で止められた。
リュウジは静かに歩きながら言う。
「次に行く時は、普通に誘えばいい」
カイエが驚く。
「いいんですか?」
「俺は構わない。時間が合えば」
カイエの顔がまた明るくなる。
「ありがとうございます」
「ただし、遅くなるまではやらないぞ」
「はい」
ククルが小声でエマに言う。
「エリンさんに言ったら、また正妻感出そう」
エマが小さく笑う。
「言わない方がいいよ」
ミラは慌てる。
「聞こえますよ」
リュウジは少しだけ振り返った。
「何か言ったか?」
「何でもありません!」
ククルが勢いよく返事をした。
「声が大きい」
「あ、はい」
リュウジに注意され、ククルは思わず笑った。
「リュウジさんもエリンさんみたいです」
「そうか?」
「はい」
「それは……いいことなのか?」
リュウジが少しだけ困った顔をする。
エマが微笑んだ。
「いいことだと思います」
ミラも頷く。
「はい。とても」
カイエも静かに言う。
「エリンさんも、リュウジさんも、ちゃんと見てくれるところが似ています」
リュウジは少しだけ黙った。
そして、視線を前に戻した。
「……そうか」
その声は、ほんの少し柔らかかった。
◇
翌朝。
十四班のフロアでは、当然のようにエリンが三人を待っていた。
いや、待っていたというより、いつも通り席にいただけだ。
だが、ククル、エマ、ミラの三人は、出社するなり自然とエリンの前に並んだ。
エリンは顔を上げる。
「おはよう。三人とも、どうしたの?」
ククルが代表して頭を下げた。
「昨日、リュウジさんとカイエの後をつけました。すみませんでした」
エマも頭を下げる。
「ごめんなさい」
ミラも深く頭を下げる。
「申し訳ありませんでした」
エリンは少しだけ目を瞬いた。
そして、静かに言った。
「ちゃんと謝れたのね」
「はい」
「本人達には?」
「謝りました」
「なら、いいわ。ただし、次からは本人に聞くか、無理に詮索しないこと」
「はい」
エリンは三人を見た。
「それで、何だったの?」
三人は顔を見合わせた。
ククルが言う。
「カイエが、宇宙船を操縦して戦うアーケードゲームにハマっていて」
「……ゲーム?」
エリンが少し意外そうにする。
「はい。それで、操縦の癖が掴めないから、リュウジさんに手本を見せてもらっていたんです」
「そうだったの」
エリンは少しだけ笑った。
「カイエらしいわね」
ちょうどその時、カイエが出社してきた。
昨日より少し眠そうだったが、どこか満足そうでもある。
エリンはカイエを見る。
「カイエ」
「はい」
「昨日、楽しかった?」
カイエは一瞬で顔を赤くした。
「……聞いたんですね」
「ええ」
「すみません。仕事に関係ないことでリュウジさんを」
「いいのよ。業務後でしょう?」
「はい」
「リュウジが嫌がっていないなら問題ないわ」
カイエは少しだけ安心した。
「ありがとうございます」
エリンは微笑む。
「それに、好きなことに真剣になるのは悪いことではないわ。むしろ、カイエの新しい一面が見られて嬉しいわ」
カイエはますます照れた。
「……あまり見ないでください」
「分かったわ」
エリンは柔らかく笑った。
そこへリュウジも出社してくる。
エリンが顔を向けた。
「リュウジ、昨日はカイエに付き合ってくれてありがとう」
「いえ、エリンさん。大したことはしていません」
「ゲームでも、操縦指導は操縦指導でしょう?」
「実機とは違いますが、考え方は少し使えました」
「そう」
エリンは少しだけ楽しそうに微笑んだ。
「今度、私も見てみたいわ」
その一言で、ククル達の目が一斉に輝いた。
カイエが驚く。
「エリンさんもですか?」
「ええ。カイエがそんなに楽しそうなら、少し興味があるわ」
リュウジは静かに言った。
「エリンさんなら、すぐに動きを掴むと思います」
「そうかしら」
「はい」
また自然に褒める。
ククルが小声でエマに言う。
「リュウジさん、エリンさんには本当に素直だよね」
「うん」
ミラは頬を赤くして頷く。
「素敵です……」
エリンは聞こえていたが、今回は注意しなかった。
ただ、少しだけ頬を染めながら、端末を開いた。
「さて、始業前の話はここまで。今日も訓練があります。ククル、昨日遅くまで出歩いた分、集中できるわね?」
「はい!」
「声量」
「あ、はい」
フロアに笑いが広がった。
カイエは自席に座りながら、昨日のゲームの感覚を思い出していた。
戻る基点。
短いブースト。
敵を倒すより、動かす。
射線を切る。
それはゲームの話だった。
けれど、どこかで自分の乗務員としての動きにもつながる気がした。
焦らず、全体を見る。
先に逃げ道を決める。
相手の動きを誘導する。
必要以上に動かない。
リュウジがゲームを通じて教えてくれたことは、ただの遊びでは終わらなかった。
カイエは小さく笑った。
ククルがそれを見逃さない。
「カイエ、また嬉しそう」
「……別に」
「今度、私もやってみたい!」
「ククルはブースト踏みっぱなしにしそう」
「ひどい!」
エマが笑う。
「私は後ろで見てるね」
ミラも小さく言う。
「私も、少しだけなら……」
カイエは三人を見る。
そして、少しだけ照れくさそうに言った。
「じゃあ、今度みんなで行く?」
三人の顔が明るくなる。
「行く!」
「楽しそう」
「はい!」
その様子を、エリンは静かに見ていた。
十四班は、仕事だけでつながっているわけではない。
訓練で支え合い、失敗を共有し、時には勘違いし、時にはこっそり後をつけ、ゲームセンターで笑う。
そういう時間も、きっと班を強くする。
エリンは微笑み、今日の訓練予定を開いた。
そしてリュウジは、カイエに昨日教えたゲームの動きを思い出しながら、淡々と操縦ログの確認を始めた。
十四班の朝は、今日も少し賑やかに始まった。