サヴァイヴ〜ドルトムント財閥〜   作:一塔

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イーナ

 翌日から、ペルシアの管制視察が始まった。

 

 最初に向かったのは、本局第一管制室だった。

 

 民間航路を常時監視し、事故や異常の初報が最初に入ることも多い部署である。

 宇宙管理局の中でも、日常業務の緊張感が比較的高い場所だった。

 

 ペルシアはフレイとともに、局長通達を片手に第一管制室へ入った。

 

 中には複数の管制卓が並び、職員達がそれぞれの画面に向き合っている。

 航路情報、民間船の位置、気象ならぬ宇宙環境情報、通信ログ、遅延情報。

 

 整然としている。

 

 だが、ペルシアは入った瞬間から眉をひそめていた。

 

「……静かすぎる」

 

 隣にいたフレイが小声で聞く。

 

「静かすぎる、ですか?」

 

「うん。緊張感がある静けさじゃない。余計なことをしないようにしている静けさ」

 

 ペルシアは周囲を見渡した。

 

 職員達は一応、作業をしている。

 手も動いている。

 画面も見ている。

 だが、誰も周囲の音を拾っていない。

 

 自分の端末。

 自分の画面。

 自分の担当航路。

 

 そこに閉じている。

 

「初報を拾う場所なのに、耳が前に向いてないわね」

 

 ペルシアは呟いた。

 

 しばらく観察した後、軽い確認を行った。

 

 フレイが事前に用意した訓練用の短い通信音声を、担当者の許可を得て流す。

 

『こちら民間輸送船ラーク三号。推進出力が不安定。現在、船内に揺れあり。乗客に軽傷者の可能性――』

 

 管制卓の一人が反応した。

 

 しかし、反応が遅い。

 

 通信音声の途中で別の画面へ目を移し、最後まで聞き取れていない。

 

 ペルシアは腕を組んだ。

 

「今、何を拾った?」

 

 担当者は慌てて答える。

 

「推進出力が不安定で、乗客に軽傷者の可能性があると……」

 

「揺れは?」

 

「あっ」

 

「船内に揺れあり、と言っていたわ。推進出力不安定と揺れが同時に出ているなら、姿勢制御も確認しないといけない。軽傷者の可能性も、転倒か、固定具不備か、衝突かで意味が変わる」

 

「はい……」

 

「初報は一度しか取れないことがあるの。最初に落とした情報は、後で取り返せないかもしれない」

 

 担当者は真面目に頷いた。

 

 悪い人材ではない。

 

 だが、中核には置けない。

 

 ペルシアは第一管制室を出た後、廊下で短く言った。

 

「いない」

 

 フレイは端末に記録しながら頷いた。

 

「第一管制室、中核候補なし、ですか?」

 

「補助なら鍛えられる人はいる。でも私の隣に置く人はいない」

 

「理由は?」

 

「初報の聞き方が浅い。自分の担当画面に意識が閉じすぎてる」

 

 フレイはそのまま入力した。

 

「承知しました」

 

 

 次に通信監視室へ向かった。

 

 ここは音が多い。

 

 複数の通信回線が常に流れ、職員達は異常な信号や不明通信を拾う。

 ペルシアは少し期待していた。

 

 耳がいい人間がいるなら、この部署かもしれない。

 

 だが、結果は芳しくなかった。

 

 確かに音を拾う力はある。

 通信の混線にも慣れている。

 言葉を聞き分ける能力は高い。

 

 しかし、拾った音をどう判断するかが弱かった。

 

「今の通信、重要度は?」

 

 ペルシアが聞くと、候補になりそうな職員は答えた。

 

「ノイズ混じりでしたが、救助艇側の通信と思われます」

 

「内容は?」

 

「接近困難、と」

 

「何に対して接近困難?」

 

「そこまでは……」

 

「なら、聞き返す。救助対象に近づけないのか、障害物で進路が塞がれているのか、敵性対象がいて近づけないのか。全部意味が違う」

 

「はい」

 

「音を拾うだけなら、あなた達は優秀。でも、音を判断につなげられない」

 

 通信監視室を出ると、ペルシアは肩を回した。

 

「惜しい人はいたけど、まだ違う」

 

 フレイが言う。

 

「通信監視室は、候補者を再訓練する余地はありますか?」

 

「ある。耳は鍛えられてる。でも、今すぐ中核は無理。情報を聞いた後に、何を確認すべきかが遅い」

 

「訓練候補として記録します」

 

「そうして」

 

 

 午後は救助艇管制だった。

 

 フォクスも同行した。

 

 救助艇管制は、現場との距離が近い。

 救助艇の位置、燃料、接近角、牽引可能範囲、待機艇の状況。

 実際の救助を支える場所だ。

 

 ここには、ペルシアもかなり期待していた。

 

 だが、ここでも壁に当たった。

 

 救助艇管制の職員達は、現場のことを分かっている。

 救助艇の運用にも詳しい。

 現場の苦労も知っている。

 

 しかし、全体を見る力が弱い。

 

 救助艇をどう動かすかには強いが、救助対象船、宇宙警察、医療班、外部航路調整まで含めた全体像になると、急に視野が狭くなる。

 

 ペルシアは、ある職員に質問した。

 

「救助艇一号が接近できない。二号は十分後に到着。対象船は推進停止、姿勢制御は不安定。あなたは何を見る?」

 

 職員は即答した。

 

「二号の到着時間と、一号の再接近可能角です」

 

「それだけ?」

 

「まず救助艇を入れる必要がありますので」

 

「医療班は?」

 

「救助後に」

 

「対象船の姿勢がさらに崩れたら?」

 

「その時点で接近角を修正します」

 

「遅い」

 

 ペルシアは即座に言った。

 

「姿勢が崩れてから接近角を修正するんじゃなくて、崩れる可能性を見て二号の待機位置を変える。医療班も救助後じゃなくて、救助前から搬送優先順位を考える。救助艇だけ見ていたら、助けた後に詰まる」

 

 職員は言葉を失った。

 

 フォクスも静かに言った。

 

「現場に近い分、救助艇中心に見すぎている」

 

「そう」

 

 ペルシアは頷いた。

 

「悪くない。でも中核にはまだ置けない」

 

 救助艇管制を出た後、ペルシアは廊下で壁にもたれかかった。

 

「いない」

 

 フレイが記録する。

 

「三か所続けて、該当者なしですね」

 

「いると思ったんだけどなぁ」

 

 ペルシアは額に手を当てた。

 

「管制って言っても、それぞれ自分の管制しか見てないのよね。オペレーションルームに欲しいのは、その隙間を拾える人なのに」

 

 フォクスが腕を組む。

 

「現場に近い者ほど、担当範囲に意識が寄るのかもしれない」

 

「そうね。専門性はある。でも広げると弱い」

 

 ペルシアは小さく舌打ちした。

 

「面倒ね」

 

 フレイは淡々と言う。

 

「まだ初日です」

 

「分かってるわよ」

 

 

 それから数日。

 

 ペルシアは本当に自分の足で回った。

 

 軌道監視室。

 

 そこでは、数字に強い職員がいた。

 軌道変化を読む速度は速い。

 だが、現場からの声に反応できなかった。

 

 医療搬送連携室。

 

 そこでは、クリスタルが同行した。

 搬送先の選定や医療班との連携には強いが、事故全体の進行を追うには情報を待ちすぎる傾向があった。

 

 システム部。

 

 スリッピーとナウスが同行した。

 優秀な技術者はいた。

 画面構成のセンスもある。

 だが、緊急時に現場が何を欲しがるかを想像する力が弱い。

 

 外部調整課。

 

 言葉は丁寧。

 交渉もできる。

 だが、あまりに調整を優先しすぎて、救命の速度を落とす危険があった。

 

 整備管理部。

 

 機体構造に詳しい人間はいる。

 損傷箇所の判断もできる。

 しかし、声に出して説明するのが遅い。

 頭の中では分かっているのに、統括官へ渡る言葉にならない。

 

 ペルシアは、帰るたびに統括官室で椅子に沈んだ。

 

「違う」

 

 その言葉が何度も繰り返された。

 

「惜しいけど違う」

「補助ならいいけど中核じゃない」

「現場なら強いけど、部屋の中では弱い」

「頭はいい。でも声が死んでる」

「手は速い。でも見てない」

「正確。でも遅い」

「丁寧。でも決められない」

「責任を取りたくない声をしてる」

 

 フレイは、その一つひとつを記録した。

 

 最初は候補者を探すための視察だった。

 

 だが、日が経つにつれ、それは宇宙管理局全体の弱点を洗い出す作業にもなっていった。

 

 部署ごとの強み。

 部署ごとの限界。

 現場と事務の断絶。

 通信と判断の距離。

 情報を拾う者と、情報を使う者の分断。

 

 ペルシアは疲れていた。

 

 しかし、やめなかった。

 

 ファルコはある晩、統括官室で笑った。

 

「おいおい、本当に全部見る気か?」

 

 ペルシアは机に突っ伏したまま答えた。

 

「見る」

 

「根性あるじゃねぇか」

 

「根性じゃないわよ。ここまで来たら意地よ」

 

 クリスタルが静かに言う。

 

「無理しすぎないように」

 

「してない」

 

 フレイが即答した。

 

「しています」

 

「フレイ」

 

「本日も昼食を抜きました」

 

「抜いてない。飴食べた」

 

「昼食ではありません」

 

 スリッピーが苦笑する。

 

「ペルシア、ちゃんと食べようよ」

 

「候補が見つかったら食べる」

 

 フォクスが静かに言った。

 

「見つからないと倒れるぞ」

 

「じゃあ早く見つける」

 

 ペルシアは顔を上げた。

 

 目の下に少し疲れがある。

 だが、目そのものはまだ鋭い。

 

「絶対どこかにいるのよ」

 

 

 その日、ペルシアが向かったのは総務部だった。

 

 フレイが日程表を見ながら言った。

 

「本日は総務部、備品管理室、文書管理室、職員支援係を確認します」

 

 ペルシアは少しだけ肩を落とした。

 

「ついに総務まで来たわね」

 

「統括官が“全部見る”と仰いましたので」

 

「言ったけど」

 

「総務部にも、外部連携や記録に強い人材がいる可能性はあります」

 

「分かってる。分かってるけど、オペレーションルームの中核って考えると、少し遠い気がするのよね」

 

「先入観は危険です」

 

 フレイが静かに言う。

 

 ペルシアは少しだけ笑った。

 

「フレイが私に説教するようになった」

 

「必要ですので」

 

「はいはい」

 

 二人は総務部のフロアへ入った。

 

 そこは、これまで回った管制系の部署とは明らかに空気が違った。

 

 管制室のような緊張感はない。

 通信監視室のような音の多さもない。

 救助艇管制のような現場臭さもない。

 

 代わりに、別の忙しさがあった。

 

 電話。

 書類。

 庁内連絡。

 備品管理。

 各部署からの問い合わせ。

 人事関連の調整。

 勤務表。

 会議室予約。

 申請書類の確認。

 

 どこか地味だが、全体を支える部署である。

 

 ペルシアが入ると、総務部長がすぐに近づいてきた。

 

 年配の男性で、柔らかい笑みを浮かべている。

 しかし、その声には少しだけ探るような色があった。

 

「これはこれは、ペルシア統括官。総務部へようこそ」

 

「お邪魔するわ」

 

「局長からお話は伺っております。オペレーションルームの人材をお探しとか」

 

「ええ。部署推薦だけだと見つからなくてね。直接見て回ってるの」

 

「なるほど。統括官自らとは、熱心ですな」

 

 部長は笑った。

 

 表面上は丁寧だ。

 

 だが、ペルシアの耳には別の響きが混じって聞こえた。

 

 若い統括官が、総務部まで何を見に来たのか。

 どうせここにはいないだろう。

 現場を分かっているつもりか。

 

 そんな薄い皮肉。

 

 ペルシアはにこりと笑った。

 

「熱心なの。私、意外と仕事するから」

 

 フレイが横で少しだけ目を伏せた。

 

 部長は笑みを崩さない。

 

「もちろんでございます。では、簡単にご案内しましょう」

 

 総務部長はフロアを案内した。

 

「こちらが職員支援係です。休暇、勤務調整、各種申請の処理をしております」

 

「ふうん」

 

「こちらが文書管理。局内文書の収受、保存、廃棄、回付の管理ですね」

 

「文書ね……」

 

「備品管理もこちらで行っています。現場の皆さんは、何かと急に必要だと言ってくるので大変ですよ」

 

 部長は軽く笑った。

 

 ペルシアは曖昧に頷きながら、周囲の職員達を見ていた。

 

 総務部の職員は、よく動いていた。

 

 だが、ペルシアが欲しい種類の緊急対応とは少し違う。

 整然と処理する力はある。

 問い合わせ対応も丁寧。

 しかし、突発的な情報を判断につなげるような動きはまだ見えない。

 

 やっぱり違うか。

 

 そう思いかけた時だった。

 

 ペルシアの目が、フロアの奥で止まった。

 

 一人の女性が、慌ただしく動いていた。

 

 年齢は二十代後半から三十代前半ほど。

 髪をひとつにまとめ、端末と書類を両手に抱えている。

 

 彼女は、かなり忙しそうだった。

 

 電話が鳴る。

 

 彼女が取る。

 

「はい、総務部イーナです。……はい、会議室Bですね。十三時からは既に使用予定があります。十四時半以降でしたら空いています。……いえ、救助班との打ち合わせでしたら、資料投影設備のあるA室の方が適しています。確認しますので少々お待ちください」

 

 通話しながら、彼女は別の端末で会議室の空き状況を確認する。

 

 その途中で、別の職員が声をかける。

 

「イーナさん、この申請書、様式が違うって戻ってきたんだけど」

 

 イーナは電話を肩で挟むようにしながら、ちらりと書類を見る。

 

「それは旧様式です。右上の改定番号が去年のものなので、新様式は共有フォルダの総務、申請様式、今年度版にあります。今、リンク送ります」

 

 また別の職員が来る。

 

「イーナ、備品の発注番号ってどこ?」

 

「第三倉庫分ですか? それなら通常備品じゃなくて緊急対応備品扱いです。番号が違います。少し待ってください」

 

 さらに電話の相手に戻る。

 

「お待たせしました。A室でしたら十四時から空いています。ただし十五時半から局長室の打ち合わせが入っていますので、延長の可能性があるならC室の方が安全です」

 

 彼女は走ってはいない。

 

 だが、止まらない。

 

 ひとつひとつの動きは慎重だ。

 確認してから返す。

 だから一見、遅く見える。

 

 しかし、ペルシアの耳には違って聞こえた。

 

 声が乱れていない。

 複数の問い合わせを受けても、返答の優先順位を崩していない。

 相手に合わせて言葉を変えている。

 そして何より、曖昧な質問をそのまま受け取っていない。

 

『会議室を取りたい』という依頼に対して、ただ空き部屋を答えていない。

 目的を聞き、設備を考え、延長可能性まで見ている。

 

『申請書が戻ってきた』という曖昧な相談に対して、様式の改定番号を見て原因を特定している。

 

『備品番号はどこ』という雑な質問に対して、用途を確認し、分類違いを指摘している。

 

 ペルシアは少しだけ目を細めた。

 

「……彼女は?」

 

 総務部長がペルシアの視線を追った。

 

「ああ、彼女ですか。イーナと言いましてね」

 

「イーナ」

 

「ええ。まあ、仕事が遅くてダメですよ」

 

 部長は何気ない調子で言った。

 

 ペルシアの耳が、ぴくりと反応した。

 

「仕事が遅くて?」

 

「ええ。見ての通り、いつもああしてバタバタしています。ひとつ確認するにも時間がかかる。もっと要領よく処理すればいいんですがね」

 

 部長は苦笑する。

 

「真面目ではあるんですが、どうにも手が遅い。総務は処理件数が多いですから、ああいうタイプは少し困りますな」

 

 ペルシアはイーナを見続けた。

 

 イーナは今、電話を終えた直後に、さっきの職員へリンクを送信している。

 その間に、別の職員から受け取った発注番号の件を確認し、備品分類の表を開いている。

 

 遅い?

 

 本当にそうだろうか。

 

 ペルシアは黙ったまま見た。

 

 イーナの動きは、確かに速くはない。

 

 だが、雑ではない。

 無駄に見える確認が、実は後戻りを防いでいる。

 

 一つの処理を終えるまでに時間がかかるように見える。

 しかし、その一つが後で戻ってこない。

 

 ペルシアは、部長の声を聞いた。

 

「彼女には何度も言っているんですよ。もっと早く処理しなさいと。ですが、どうにも確認癖が強くてね」

 

「確認癖」

 

「はい。些細なことまで確認するんです。前例、様式、関係部署、使用目的。総務ではそこまでやっていたら時間がいくらあっても足りません」

 

「そう」

 

 ペルシアは短く返した。

 

 だが、内心では別のことを考えていた。

 

 前例。

 様式。

 関係部署。

 使用目的。

 

 それを確認する人間。

 

 曖昧な依頼を、そのまま流さない人間。

 

 それは、オペレーションルームで必要な力に近い。

 

 もちろん、今すぐ使えるかは分からない。

 緊急時の声に耐えられるかも分からない。

 情報量の多さに潰れるかもしれない。

 

 だが、ペルシアの耳には、イーナの声が妙に引っかかっていた。

 

 慌ただしいのに、焦りすぎていない。

 急かされているのに、確認を捨てていない。

 部長に「遅い」と言われても、仕事の精度を落としていない。

 

 ペルシアは小さく呟いた。

 

「仕事が遅くて、ね」

 

 フレイが横で少しだけペルシアを見る。

 

 ペルシアの声の色が変わったことに気づいたのだ。

 

 総務部長は気づかず、案内を続けようとする。

 

「では、次に文書管理の棚をご覧になりますか?」

 

「ええ」

 

 ペルシアは歩き出した。

 

 だが、その視線は何度もイーナへ戻った。

 

 

 総務部の視察は、予定通り進んだ。

 

 文書管理。

 備品管理。

 職員支援係。

 庁内調整。

 

 どれも重要な仕事だったが、ペルシアが求めている中核人材にはなかなか結びつかない。

 

 それでも、ペルシアの意識はずっとイーナに引っかかっていた。

 

 視察の途中、別の場面でもイーナを見かけた。

 

 会議室前で、二つの部署の職員が言い合いになっていた。

 

「こちらは十四時から予約していました」

 

「いや、こちらも急ぎの打ち合わせで、総務に確認したら使えると」

 

 その間に、イーナが入った。

 

「失礼します。確認します」

 

 彼女は双方の話を聞いた。

 

 すぐに結論を出さない。

 

 片方に肩入れもしない。

 

「十四時からの予約は、救助班連携会議ですね。こちらはA室で投影設備が必要です。一方、通信管理課の打ち合わせは音声確認が主で、投影設備は不要と伺っています」

 

「ですが、こちらも急ぎで」

 

「承知しています。通信管理課の打ち合わせは、C室であれば十三時五十分から使用できます。音声確認用の簡易端末も持ち込み可能です。A室を使用するより移動時間も短いです」

 

 通信管理課の職員が少し黙る。

 

 イーナは続けた。

 

「救助班連携会議は外部参加者が既にA室へ向かっていますので、ここで変更すると外部連絡が必要になります。通信管理課は内部のみと確認していますので、C室への変更の方が影響が少ないです」

 

 言い方は柔らかい。

 

 だが、判断は明確だった。

 

 双方の不満を最小限にしながら、影響の少ない方を動かしている。

 

 ペルシアは少し離れた場所からそれを見ていた。

 

「……へぇ」

 

 フレイが小声で聞く。

 

「イーナさんですか?」

 

「うん」

 

「気になりますか」

 

「かなり」

 

 ペルシアは目を細める。

 

「今の、部長なら“先に予約した方が優先”で終わらせるか、“急ぎなら譲ってください”で揉める。イーナは、どっちの予定を動かした方が影響が少ないかを見た」

 

「確かに」

 

「しかも、相手に“負けた”と思わせない言い方をした。内部だけの会議だから移動可能、外部参加者がいるから変更影響が大きい。理由が具体的」

 

 フレイは端末に短く記録した。

 

「調整能力あり」

 

「まだ書かないで。部長に見られる」

 

「承知しました」

 

 その後、イーナは別の職員から叱られていた。

 

「イーナさん、これまだ終わってないの?」

 

「申し訳ありません。確認中です」

 

「また確認? 早く処理してよ。皆待ってるんだから」

 

「はい。ただ、この申請は前回の内容と部署名が違っていて、支出科目が変わる可能性があります。誤って処理すると戻るので、財務へ確認しています」

 

「そんなの後でいいから」

 

「後で戻ると、納品日が遅れます。今日中に確定しますので、少しお時間をください」

 

「本当に遅いんだから」

 

 職員は不満げに去っていった。

 

 イーナは一瞬だけ肩を落とした。

 

 だが、すぐに端末へ向き直る。

 

 泣き言は言わない。

 言い返しもしない。

 ただ、必要な確認を続ける。

 

 ペルシアは、その小さな肩の動きを見逃さなかった。

 

 フレイもまた、静かに見ていた。

 

 

 視察の最後、総務部長は笑顔で言った。

 

「いかがでしたか、統括官。総務部は現場のような派手さはありませんが、局内を支える大切な部署でして」

 

「ええ。よく分かったわ」

 

「オペレーションルーム向きの人材となると、やはり管制や通信の方がよろしいのではないかと思いますが」

 

「そうね」

 

 ペルシアは曖昧に微笑む。

 

「でも、総務も見ておいてよかった」

 

「それは何よりです」

 

 部長は満足そうに頷いた。

 

 ペルシアはあえてイーナの話をそれ以上しなかった。

 

 ここで下手に興味を示せば、部長が何かを察する。

 イーナに余計な圧がかかるかもしれない。

 

 それに、まだ確信はない。

 

 彼女が本当に使えるかは、調べなければ分からない。

 

 ペルシアとフレイは総務部を出た。

 

 廊下へ出て、エレベーターへ向かう。

 

 総務部の扉が閉まった瞬間、ペルシアは歩く速度を落とさず、フレイの耳元に顔を寄せた。

 

「フレイ」

 

「はい」

 

「イーナのこと調べて」

 

 声は小さかった。

 

 だが、はっきりしていた。

 

 フレイは表情を変えずに頷く。

 

「総務部のイーナさんですね」

 

「そう。経歴、異動歴、評価、処理件数、差し戻し率、残業時間、周囲からの評判。あと、彼女が関わった調整案件も」

 

「承知しました」

 

「部長には気づかれないように」

 

「はい」

 

「それと、彼女が本当に仕事が遅いのか見て。処理時間だけじゃなくて、戻りの少なさ、再調整の少なさ、後工程への影響も」

 

 フレイは一瞬だけ目を動かした。

 

「統括官も、そう見ましたか」

 

「あなたも?」

 

「はい。彼女は遅いのではなく、前段で潰している可能性があります」

 

 ペルシアは小さく笑った。

 

「やっぱり」

 

「ただ、緊急時対応に向くかは未知数です」

 

「分かってる。だから調べるの」

 

 エレベーターが到着した。

 

 二人は乗り込む。

 

 扉が閉まる。

 

 ペルシアは壁にもたれかかり、天井を見上げた。

 

「仕事が遅くてダメ、ね」

 

 その声には、少しだけ怒りが混じっていた。

 

 フレイは静かに言う。

 

「評価者が見ている基準と、統括官が求める基準が違う可能性があります」

 

「そうね」

 

「総務部では、単純処理件数が重視されているのかもしれません」

 

「でもオペレーションルームでは、戻りの少なさと確認の質が命になる」

 

「はい」

 

 ペルシアは目を閉じた。

 

 イーナの声を思い出す。

 

 慌ただしい中でも崩れない声。

 相手の曖昧な依頼を、具体的な条件へ変える声。

 急かされても、確認を捨てない声。

 

 それが、ペルシアの耳に残っていた。

 

「フレイ」

 

「はい」

 

「もし彼女が本物なら、総務部長は絶対反対するわね」

 

「可能性は高いです」

 

「仕事が遅くてダメって言いながら?」

 

「そういう人材ほど、実際には部署内で多くの問題を吸収している場合があります。抜けると困るため、低く評価して留め置いている可能性もあります」

 

「嫌な話ね」

 

「よくある話です」

 

 ペルシアは目を開けた。

 

「なら、なおさら引っ張る」

 

「まだ適性確認前です」

 

「分かってるわよ」

 

 ペルシアは少しだけ笑った。

 

「でも、久しぶりに引っかかった」

 

 フレイは頷いた。

 

「私も、調べる価値はあると思います」

 

 エレベーターが統括官室のフロアへ着いた。

 

 扉が開く。

 

 ペルシアは歩き出しながら、低く呟いた。

 

「さて、イーナ。あなたは本当に遅いだけの人なのかしら」

 

 その目には、疲労の中にも確かな光が戻っていた。

 

 ここ数日、どこにも見つからなかった候補者。

 

 ようやく見つけた小さな違和感。

 

 それはまだ、ただの可能性にすぎない。

 

 けれどペルシアは、その可能性を逃すつもりはなかった。 

 

 

 

ーーーー

 

 

 

 統括官室に戻ると、ペルシアは上着を椅子の背に引っ掛けるように置き、そのまま机に両手をついた。

 

 フレイはすでに端末を開いている。

 

 総務部を出てから、ペルシアの顔つきは変わっていた。

 

 ここ数日、どこの部署を回っても「惜しい」「違う」「中核ではない」と言い続けてきた。

 管制にもいた。

 通信にもいた。

 救助艇管制にもいた。

 システム部にもいた。

 それぞれに能力のある人間はいた。

 

 けれど、ペルシアが欲しい人材ではなかった。

 

 オペレーションルームの中核。

 

 統括官の隣で、混線する情報を拾い、現場の声を具体化し、必要な判断材料へ変える人間。

 

 ただ速いだけでは駄目。

 ただ正確なだけでも駄目。

 ただ現場経験があるだけでも駄目。

 

 情報の裏にある危険を読む力。

 曖昧な依頼を、そのまま流さず形にする力。

 人の声の焦りや嘘、無理を拾う力。

 そして、急かされても確認を捨てない強さ。

 

 総務部で見たイーナには、その気配があった。

 

 ペルシアは椅子に座り、足を組んだ。

 

「フレイ」

 

「はい」

 

「どれくらいで分かる?」

 

「人事記録と異動歴はすぐ確認できます。他部署評価や残業状況、処理件数、差し戻し率については、関連記録を照合しますので少々時間をいただきます」

 

「少々って?」

 

「本日中には一次情報をまとめます」

 

「優秀」

 

「統括官が急かすことを想定していますので」

 

「そこは想定しなくていいのに」

 

 ペルシアはそう言いながらも、視線は鋭かった。

 

「部長には気づかれないようにね」

 

「承知しています。表向きは総務部全体の業務分析として処理します」

 

「さすが」

 

 フレイは淡々と端末を操作した。

 

 スターフォックスの面々も統括官室に戻っていた。

 

 フォクスは腕を組み、ペルシアの様子を見ている。

 ファルコは椅子にもたれながら、退屈そうに足を組んでいたが、目だけは興味を示していた。

 スリッピーはナウスと一緒にシステム部の改善案を見直している。

 クリスタルは窓際に立ち、ペルシアの声の変化に気づいたように振り返っていた。

 

「見つけたのか?」

 

 フォクスが聞いた。

 

 ペルシアは少しだけ笑った。

 

「まだ分からない。でも、久しぶりに引っかかった」

 

「総務部でか?」

 

 ファルコが少し意外そうに言う。

 

「おいおい、管制でも通信でもなく総務かよ」

 

「そうよ」

 

 ペルシアは即答した。

 

「総務にいたの。変な子が」

 

「変な子?」

 

 スリッピーが顔を上げる。

 

「仕事が遅くてダメって言われてた子」

 

「それ、褒めてないよね」

 

「部長はね。でも私には違って聞こえた」

 

 クリスタルが静かに言った。

 

「確認を怠らない人だったのね」

 

「そう」

 

 ペルシアは指を鳴らすように机を軽く叩いた。

 

「曖昧な依頼を、そのまま受け取らない。目的、影響範囲、後工程、関係部署を見てから返してた。しかも、相手を怒らせない言い方で」

 

 ファルコが眉を上げる。

 

「総務でそれができるなら、普通に有能なんじゃねぇの?」

 

「部長から見れば遅いんでしょうね。処理件数だけなら」

 

 フレイが端末を操作しながら言った。

 

「単純処理時間だけを評価している可能性があります」

 

「そう。戻りが少ないとか、後で揉めないとか、そういう見えにくい成果は評価されない」

 

 ペルシアの声に、少しだけ怒りが混じった。

 

「そういう人、私は嫌いじゃない」

 

 

 それから数時間。

 

 ペルシアは、他の資料に手をつけているようで、実際にはフレイの調査結果を待っていた。

 

 画面を開く。

 資料を見る。

 少し打つ。

 手が止まる。

 フレイを見る。

 

 それを何度か繰り返した後、フレイが顔を上げた。

 

「統括官」

 

 ペルシアの目がすぐに向く。

 

「出た?」

 

「一次調査がまとまりました」

 

 ペルシアは椅子に座り直した。

 

「聞かせて」

 

 フレイは端末の内容を共有モニターへ送った。

 

 画面にイーナの経歴が表示される。

 

『イーナ

 現所属:総務部 文書・庁内調整担当

 前所属:医療班

 医療班勤務歴:五年

 総務部異動:二年前

 主な担当:文書調整、会議室・備品調整、部署間照会、申請書類確認、緊急時庁内連絡補助』

 

 ペルシアの目が止まった。

 

「医療班?」

 

「はい」

 

 フレイは頷く。

 

「元々は医療班として所属していました。五年間、搬送補助、救助後の負傷者受け入れ調整、医療班と救助班の連絡補助を担当しています」

 

 クリスタルが反応した。

 

「医療班に五年……それなら、負傷者の優先順位や搬送調整の基本は理解しているはずね」

 

「はい」

 

 フレイは続ける。

 

「医療班時代の評価は高いです。特に、救助班からの搬送情報を医療班へ整理して伝える能力、必要な資機材の準備、負傷者の状態変化に応じた連絡調整で評価されています」

 

 ペルシアは画面を見つめたまま、口元に手を当てた。

 

「医療班で五年……それで総務部に異動」

 

「理由は、記録上は本人希望及び庁内調整能力を買われた配置転換となっています。ただし、詳細な経緯は不明です」

 

「本人希望?」

 

「表向きは」

 

 フレイの言い方に、ペルシアは目を細めた。

 

「表向きね」

 

 フレイは次の資料を開いた。

 

「総務部異動後の業務記録です」

 

 画面に、いくつかの数値が表示される。

 

 処理件数。

 平均処理時間。

 差し戻し件数。

 他部署からの再照会件数。

 残業時間。

 関係部署評価。

 

 ペルシアはすぐに見比べた。

 

「平均処理時間は遅い」

 

「はい。総務部平均より二十七パーセント長いです」

 

「差し戻し件数は?」

 

「総務部内で最少です」

 

 ペルシアの口元がわずかに上がった。

 

「やっぱり」

 

「他部署からの再照会件数も少ないです。特に、イーナさんが最初に確認した案件は、後工程での修正が少ない傾向があります」

 

「つまり、一件一件は遅いけど、戻ってこない」

 

「はい」

 

「後で揉めない」

 

「その通りです」

 

 ペルシアは椅子の背にもたれた。

 

「部長は処理時間しか見てないわね」

 

 フレイは画面を切り替える。

 

「残業時間ですが、総務部内で突出しています」

 

 ペルシアの眉が動いた。

 

「どれくらい?」

 

「月平均で、総務部平均の約二倍。ただし、他職員が処理しきれなかった案件の引き取り、差し戻し案件の再整理、他部署から直接相談された案件の処理が多く含まれています」

 

「直接相談?」

 

「はい。正式な担当を経由せず、他部署からイーナさんへ直接確認が入っている記録が複数あります」

 

「内容は?」

 

「会議室調整、申請様式確認、緊急時備品の分類、医療班との連携手続き、救助班訓練時の資機材準備、外部機関への文書送付前確認などです」

 

 スリッピーが目を丸くした。

 

「それ、総務の便利屋みたいになってない?」

 

「なってるわね」

 

 ペルシアの声が冷えた。

 

 フレイはさらに続けた。

 

「他部署からの評価は高いです。特に救助班、医療班、整備管理部からは、イーナさんが確認した案件は後で戻りが少ない、話が通じる、必要な情報を先回りして聞いてくれる、という評価が複数あります」

 

 フォクスが静かに言う。

 

「現場側から評価されているのか」

 

「はい」

 

 フレイは次の画面を出した。

 

 他部署からの簡易コメント。

 

『説明が具体的で助かる』

『こちらが必要なものを先に確認してくれる』

『申請の戻りが少ない』

『医療班との調整経験があるため話が早い』

『緊急対応備品の扱いを理解している』

『一見遅いが、後で助かる』

『困った時はまずイーナに聞く』

 

 ペルシアは最後の一文を見て、目を細めた。

 

「困った時はまずイーナに聞く」

 

 ファルコが鼻で笑った。

 

「仕事が遅くてダメな奴に言う評価じゃねぇな」

 

「でしょ」

 

 ペルシアは低く言った。

 

「総務部では?」

 

 フレイは少しだけ間を置いた。

 

「総務部内での評価は割れています。正確、丁寧、確認が細かいという評価がある一方、処理が遅い、要領が悪い、周囲の速度に合わせられない、という評価もあります」

 

「孤立してる?」

 

「はい。少なくとも、総務部内ではやや孤立しています」

 

 ペルシアは黙った。

 

 フレイは続ける。

 

「他職員が早く流した案件を、イーナさんが確認不足として止めることがあるようです。その結果、周囲からは“細かい”“面倒”“仕事を増やす”と見られることがあります」

 

 クリスタルが静かに眉を寄せた。

 

「必要な確認をしているだけなのに」

 

「総務部内では、件数をこなすことが優先される場面が多いようです」

 

 フレイは画面を閉じた。

 

「以上が一次調査です」

 

 統括官室に、しばらく沈黙が落ちた。

 

 ペルシアは椅子にもたれ、指先で机を叩いている。

 

 一回。

 二回。

 三回。

 

 考えている時の癖だった。

 

 やがて、彼女は静かに言った。

 

「必要ね」

 

 フレイが顔を上げる。

 

「はい?」

 

「イーナは必要」

 

 その声には、迷いがなかった。

 

「オペレーションルームに?」

 

「ええ」

 

 ペルシアは椅子から立ち上がった。

 

「医療班五年。総務で庁内調整。処理は遅いけど差し戻しは少ない。他部署評価は高い。確認を怠らない。曖昧な依頼を具体化できる。残業してでも後工程を守ってる。孤立しても確認を捨ててない」

 

 ペルシアは画面を指差した。

 

「これ、私が探してた人材じゃない」

 

 ファルコが少し笑う。

 

「総務部長はダメって言ってたがな」

 

「だから見る目がないのよ」

 

 ペルシアは即答した。

 

 フレイは慎重に言った。

 

「統括官、適性試験は必要です。緊急時の音声環境に耐えられるか、現場判断へ接続できるかはまだ未知数です」

 

「分かってる。でも、試験を受けさせる価値はある」

 

「それは同意します」

 

「まずは仮候補として呼ぶ」

 

「総務部長は反発する可能性があります」

 

「するでしょうね」

 

 ペルシアは腕を組んだ。

 

「“仕事が遅くてダメ”って言いながら、実際には総務の面倒な案件を吸収してるんだから。抜かれたら困るはず」

 

 スリッピーが小さく言う。

 

「それ、本人は辛そうだね」

 

「辛いでしょうね」

 

 クリスタルが静かに言った。

 

「真面目な人ほど、自分が悪いと思い込むわ」

 

 ペルシアの目がわずかに細くなった。

 

「それも確認する。本人がどう思っているか」

 

 フォクスが聞く。

 

「どうやって呼ぶ?」

 

「面談じゃなくて、まずは話す」

 

 ペルシアは即答した。

 

「面接の形にすると身構える。部長経由で呼ぶと圧がかかる。フレイ、総務部全体の業務改善ヒアリングという名目で、イーナと個別に話す時間を取って」

 

「承知しました」

 

「部長には?」

 

「総務部全体の業務分析の一環として説明します」

 

「いいわね」

 

 ペルシアは少しだけ笑った。

 

「それで、ヒアリングの中で軽く情報整理テストを入れる。医療班時代の話も聞く。声の反応を見る」

 

 クリスタルが言う。

 

「私も同席していいかしら」

 

「もちろん。医療班時代の経験を見るならクリスタルがいた方がいい」

 

 フォクスも言った。

 

「必要なら俺も見る」

 

「最初は圧が強いから後で」

 

 フォクスは少しだけ眉を上げた。

 

「俺は圧が強いか?」

 

 ファルコが笑う。

 

「強いだろ」

 

 スリッピーも頷く。

 

「うん、初対面だとちょっと緊張すると思う」

 

 フォクスは少しだけ納得いかなそうだった。

 

 ペルシアは軽く手を振った。

 

「まずは私、フレイ、クリスタル。必要なら次にフォクス。ファルコは最後」

 

「俺、圧担当固定かよ」

 

「だって便利だし」

 

「便利扱いすんな」

 

 少しだけ空気が軽くなる。

 

 だが、ペルシアの視線は画面のイーナの名前に戻っていた。

 

 

 その夜、ペルシアは一人で統括官室に残っていた。

 

 フレイは資料整理のため、一度別室へ移動している。

 フォクス達も各自の作業へ戻った。

 

 部屋には、ペルシア一人。

 

 画面にはイーナの経歴が表示されたままだった。

 

 元医療班。

 五年勤務。

 総務部へ異動。

 残業多数。

 他部署評価高。

 総務部内では孤立気味。

 仕事が遅いと評価。

 

 ペルシアは椅子に座り、画面を見つめながら呟いた。

 

「仕事が遅い、ね」

 

 違う。

 

 少なくとも、ペルシアには違って見えた。

 

 イーナは遅いのではない。

 止めているのだ。

 

 後で燃える火種を。

 後で戻る書類を。

 後で揉める会議室を。

 後で届かない備品を。

 後で詰まる医療連携を。

 

 その場で止めている。

 

 だから、周りからは遅く見える。

 処理件数だけを見れば遅い。

 声が大きい人からは、面倒な人に見える。

 流したい人からは、邪魔に見える。

 

 けれど、オペレーションルームでは、その“止める力”が必要だった。

 

 間違った情報を、そのまま流さない。

 曖昧な報告を、そのまま統括官へ渡さない。

 現場の焦りを、少しでも具体的な判断材料に変える。

 

 そのためには、確認する勇気がいる。

 

 急かされても。

 嫌な顔をされても。

 「遅い」と言われても。

 

 ペルシアは静かに目を閉じた。

 

 五年前の事件。

 スターフォックスの冤罪。

 情報が潰された過去。

 救助が遅れた可能性。

 真実が届かなかった時間。

 

 情報を正しく扱えない組織は、人を傷つける。

 

 だからこそ、イーナのような人間が必要だった。

 

「……見つけたかもしれない」

 

 小さく呟いた時、扉が開いた。

 

 フレイが戻ってきた。

 

「統括官、まだ残っていたのですか」

 

「うん」

 

「退室予定時刻を過ぎています」

 

「フレイ、今日くらい少しだけ見逃して」

 

「内容によります」

 

「イーナのこと考えてた」

 

 フレイは少しだけ表情を緩めた。

 

「それなら、少しだけ」

 

「優しい」

 

「少しだけです」

 

 フレイはペルシアの隣に立ち、画面を見た。

 

「私も、イーナさんは重要な候補だと思います」

 

「でしょうね」

 

「総務部で孤立していることは懸念材料ですが、逆に言えば、周囲に流されず必要な確認を続けているとも見られます」

 

「そう。そこがいい」

 

「ただし、本人の自己評価が低い可能性があります」

 

 ペルシアは頷いた。

 

「部長に“遅い”“ダメ”って言われ続けてるなら、そうなるでしょうね」

 

「面談時には注意が必要です」

 

「分かってる。責めない。試すけど、潰さない」

 

 フレイは静かに頷いた。

 

「統括官にしては珍しく丁寧ですね」

 

「私はいつも丁寧よ」

 

「そうでしょうか」

 

「フレイ?」

 

「失礼しました」

 

 ペルシアは少しだけ笑った。

 

 そして、改めて言った。

 

「イーナは必要よ」

 

 フレイはその言葉を聞き、端末に記録を残した。

 

『イーナ:統括官判断により、オペレーションルーム中核要員候補として個別確認対象とする』

 

 ペルシアはその文字を見て、満足そうに頷いた。

 

「明日、動くわよ」

 

「はい」

 

「総務部長には、まだ悟らせない」

 

「承知しています」

 

「イーナ本人にも、最初から“引き抜く”なんて言わない。まずは話を聞く」

 

「はい」

 

「でも、必要なら引っ張る」

 

 フレイはペルシアを見る。

 

「反発があってもですか」

 

「もちろん」

 

 ペルシアは迷わず言った。

 

「総務部で“仕事が遅い”って潰されるより、オペレーションルームでその確認力を使った方がいい」

 

 そして、少しだけ口元を上げる。

 

「私の隣でね」

 

 フレイは静かに頷いた。

 

「では、明日の準備を進めます」

 

「お願い」

 

 ペルシアは画面を閉じた。

 

 長い視察の中で、初めてはっきりとした手応えがあった。

 

 まだ確定ではない。

 まだ適性試験もしていない。

 本人の意思も聞いていない。

 

 けれど、ペルシアの耳は告げていた。

 

 イーナは、ただ遅い人間ではない。

 

 必要な人間だと。

 

 統括官室の窓の外では、夜の宇宙管理局が静かに光っていた。

 

 ペルシアは椅子から立ち上がり、軽く伸びをする。

 

「さて、明日は面白くなりそうね」

 

 フレイは端末を閉じながら言った。

 

「統括官、面白さより慎重さを優先してください」

 

「はいはい」

 

「本当にお願いします」

 

「分かってるわよ」

 

 そう答えるペルシアの声には、久しぶりに疲れよりも期待が混じっていた。

 

 

 

ーーーー

 

 

 

 翌朝。

 

 宇宙管理局の統括官室には、いつもより早い時間から明かりが灯っていた。

 

 ペルシアは珍しく、始業前から自席に座っている。

 

 しかも、机に突っ伏していない。

 甘いものもまだ開けていない。

 パソコン画面を恨めしそうに睨んでもいない。

 

 端末に表示されているのは、総務部のイーナに関する追加資料だった。

 

 フレイが前日の夜にまとめた一次調査に加え、さらに細かい記録がいくつも並んでいる。

 

 医療班時代の勤務記録。

 搬送連携の実績。

 緊急時庁内連絡補助の履歴。

 総務部異動後の業務件数。

 差し戻し率。

 他部署からの問い合わせ件数。

 残業時間。

 会議室調整、備品分類、申請内容確認に関する記録。

 

 ペルシアは資料を見ながら、椅子の背にもたれた。

 

「……やっぱり変よね」

 

 向かいに立つフレイが端末を抱えたまま頷く。

 

「はい。総務部内評価と他部署評価の差が大きすぎます」

 

「総務部では“処理が遅い”“要領が悪い”“確認が細かい”。他部署からは“話が早い”“戻りが少ない”“困った時に助かる”。同じ人への評価とは思えないわ」

 

「見る基準が違うのでしょう」

 

「処理件数だけ見れば遅い。でも、後戻りや手戻りまで含めたら速い」

 

「その可能性が高いです」

 

 フレイは画面を切り替えた。

 

「こちらをご覧ください」

 

 表示されたのは、過去半年の総務部内での書類処理の比較だった。

 

 イーナの平均処理時間は、確かに他の職員より長い。

 

 しかし、差し戻し率は圧倒的に低かった。

 さらに、イーナが事前確認を行った案件は、他部署からの再照会が少ない。

 

 ペルシアは表を見ながら、口元に手を添えた。

 

「一件一件を丁寧に処理して、後で戻ってこないようにしてる。なのに、総務部内では“遅い”になるわけね」

 

「はい」

 

「最悪ね」

 

 ペルシアの声は低かった。

 

「本人は?」

 

「自己評価は低い可能性があります」

 

「でしょうね。周囲から遅い遅いって言われて、部長からもダメ扱いされてる。本人が自分を有能だと思えるわけないわ」

 

「医療班時代の評価はかなり高いです」

 

 フレイは別資料を開く。

 

「特に、救助後の負傷者受け入れ時における情報整理能力が評価されています。救助班から入る曖昧な情報を、医療班が受け入れ可能な形に変換していたようです」

 

「例えば?」

 

「救助班から『意識が薄い者がいる』『腕を押さえている者がいる』『子どもが泣いている』といった報告が入った際に、イーナさんは搬送人数、意識状態、出血の有無、固定具の必要性、搬送優先順位を確認して医療班へ伝達しています」

 

 ペルシアの目が細くなる。

 

「それよ」

 

「はい」

 

「私が欲しいのは、それ」

 

 ペルシアは机を軽く叩いた。

 

「現場の曖昧な声を、判断できる情報に変える。医療班でそれをやってたなら、総務で確認癖が強いのも納得だわ」

 

「医療班では必要な確認だったものが、総務部では“遅さ”として見られている可能性があります」

 

「場所が悪かったのね」

 

「本人の能力と、現在の評価軸が合っていないのだと思われます」

 

 ペルシアは椅子から立ち上がった。

 

「今日、話を聞くわ」

 

「既に総務部へ連絡済みです」

 

「早い」

 

「総務部の業務改善ヒアリングとして、イーナさんとの個別確認時間を十五時から確保しています」

 

「部長は?」

 

「総務部全体の業務分析の一環と説明しています。部長からは『彼女で参考になりますかな』という返答がありました」

 

 ペルシアの眉がぴくりと動いた。

 

「嫌な言い方ね」

 

「はい」

 

「フレイが“はい”って言うくらいだから相当ね」

 

「事実です」

 

 ペルシアは小さく息を吐いた。

 

「クリスタルには?」

 

「同席を依頼済みです。医療班時代の経験を確認するため、必要に応じて質問していただきます」

 

「フォクス達は?」

 

「初回は同席しません。統括官の判断どおり、初対面で圧をかけすぎるのは避けます」

 

「いいわね」

 

 ペルシアは端末を閉じた。

 

「まずは話す。試すのはその後」

 

「ただし、軽い情報整理課題は行います」

 

「もちろん。話だけじゃ分からないもの」

 

 その時、統括官室の扉が開いた。

 

 クリスタルが入ってくる。

 

「おはよう、ペルシア。フレイ」

 

「おはよう、クリスタル」

 

「おはようございます」

 

 クリスタルは二人の顔を見ると、すぐに察したように言った。

 

「イーナの件ね」

 

「ええ」

 

 ペルシアは資料を彼女に送る。

 

「医療班五年。総務部で孤立気味。でも他部署評価は高い。差し戻しは少ない。確認癖が強い」

 

 クリスタルは資料を確認し、目を細めた。

 

「医療班で五年なら、負傷者の状態変化や搬送の優先順位は分かっているはずね」

 

「そこを聞いてほしい」

 

「分かったわ」

 

 クリスタルは静かに頷いた。

 

「ただ、気をつけた方がいいわね」

 

「何に?」

 

「自己評価が低い人は、“試されている”と感じると萎縮するわ。特に、総務部で孤立しているなら、自分が責められると思い込む可能性がある」

 

 ペルシアは頷く。

 

「だからヒアリングって形にした」

 

「ええ。それがいいと思う」

 

 クリスタルは資料を閉じた。

 

「でも、ペルシア」

 

「何?」

 

「貴方、見つけたと思っているでしょう」

 

 ペルシアは少しだけ笑った。

 

「まだ候補よ」

 

「声がそうじゃないわ」

 

「クリスタルまで私の声を読むようになったの?」

 

「貴方ほどではないけれど、少しは分かるわ」

 

 ペルシアは肩をすくめた。

 

「まあ、久しぶりに手応えはある」

 

「なら、大事に見極めましょう」

 

「ええ」

 

 ペルシアは窓の外を見た。

 

 宇宙管理局の建物内では、今日も多くの職員が慌ただしく動いている。

 

 その中に、昨日見つけた小さな違和感がある。

 

 総務部の隅で、遅いと言われながら、誰よりも手戻りを防いでいた女性。

 

 イーナ。

 

 ペルシアは静かに呟いた。

 

「さて、どんな声で話すのかしらね」

 

 

 十五時少し前。

 

 総務部のイーナは、指定された小会議室の前に立っていた。

 

 手には端末とメモ帳。

 表情には緊張が浮かんでいる。

 

 総務部長からは、こう言われていた。

 

『統括官が総務部の業務改善について話を聞きたいそうだ。君にも声がかかった。まあ、あまり余計なことは言わないように』

 

 余計なこと。

 

 その言葉が、イーナの胸に引っかかっていた。

 

 自分はまた、何かまずいことをしたのだろうか。

 処理が遅いことを、統括官にまで指摘されるのだろうか。

 総務部長が言うように、自分はやはり要領が悪いのだろうか。

 

 イーナは小さく息を吸った。

 

 医療班にいた頃は、こんなに自分の仕事が遅いと言われることはなかった。

 

 救助班から情報が入る。

 負傷者の状態を確認する。

 搬送先、必要資機材、医療班の受け入れ準備を整える。

 

 慌ただしかった。

 怖い現場もあった。

 血の匂いが記憶に残る日もあった。

 

 それでも、自分の確認が誰かの役に立っている実感があった。

 

 だが、総務部に異動してからは違った。

 

 早く処理しなければならない。

 件数をこなさなければならない。

 細かく聞くと嫌がられる。

 前例を確認すると「また確認?」と言われる。

 戻りを防ぐために止めると「面倒」と言われる。

 

 自分は本当に遅いのかもしれない。

 

 そう思うようになっていた。

 

 扉の向こうから、フレイの声が聞こえた。

 

「どうぞ」

 

 イーナは背筋を伸ばし、ノックをしてから入室した。

 

「失礼いたします」

 

 中には、三人いた。

 

 ペルシア。

 フレイ。

 クリスタル。

 

 統括官であるペルシアは、椅子に座って足を組んでいた。

 その横にフレイが端末を持って立っている。

 クリスタルは穏やかな表情で、少し離れた席に座っていた。

 

 イーナは深く頭を下げた。

 

「総務部のイーナです。本日はよろしくお願いいたします」

 

 ペルシアは軽く手を振った。

 

「そんなに固くならなくていいわ。座って」

 

「はい」

 

 イーナは緊張したまま椅子に座った。

 

 手元の端末を膝の上で握っている。

 

 ペルシアはその手元を見た。

 指先に少し力が入りすぎている。

 緊張している。

 

 声も、表面は整っているが、奥に不安がある。

 

 ペルシアはあえて柔らかい声で言った。

 

「今日は総務部の業務について聞きたいの。あなたを責める場じゃないから、まずそこは安心して」

 

 イーナは少し驚いたように顔を上げた。

 

「……はい」

 

「昨日、総務部を見せてもらった時、あなたがいくつか調整しているのを見たわ」

 

「私が、ですか?」

 

「ええ。会議室の調整、申請書類の確認、備品分類。ずいぶん忙しそうだったわね」

 

 イーナは少し恥ずかしそうに視線を落とした。

 

「申し訳ありません。お見苦しいところを……」

 

「どうして謝るの?」

 

「その……慌ただしくしていましたので」

 

「仕事していたんだから、慌ただしいのは当然でしょう」

 

 ペルシアがそう言うと、イーナは言葉に詰まった。

 

 総務部でそんなふうに言われることは少なかった。

 

 いつも言われるのは、もっと早く、要領よく、止めずに流して、だった。

 

 ペルシアは続けた。

 

「あなた、元は医療班だったのね」

 

 イーナの肩が少し動いた。

 

「はい。五年間、医療班に所属していました」

 

「どうして総務部に?」

 

「……庁内調整の経験を活かせるのではないかと、人事異動で」

 

「本人希望って記録にはあったけど」

 

 イーナは少し迷った。

 

 フレイは静かに見ている。

 クリスタルも急かさない。

 

 イーナはゆっくり答えた。

 

「完全に希望したわけではありません。ただ、医療班での搬送調整や、救助班との連絡補助をしていたことから、総務部でも調整業務を担当できるのではないかと話がありました」

 

「嫌だった?」

 

「……その時は、必要とされるならと思いました」

 

 ペルシアはその声を聞いた。

 

 嘘ではない。

 だが、少しだけ諦めの色がある。

 

「医療班に戻りたい?」

 

 イーナは目を伏せた。

 

「分かりません」

 

「分からない?」

 

「はい。医療班の仕事は大変でしたが、やりがいがありました。ですが、今の総務部の仕事も、必要な仕事だと思っています。ただ……」

 

「ただ?」

 

「自分が向いているのかは、分からなくなっています」

 

 声が少し小さくなった。

 

 ペルシアは黙って待った。

 

 イーナは続ける。

 

「私は確認に時間をかけすぎると言われます。早く流せばいいと言われることもあります。でも、確認しないまま進めると、後で戻ったり、別の部署に迷惑がかかったりすることが多くて……」

 

「だから確認する」

 

「はい」

 

「でも、総務部では遅いと言われる」

 

「……はい」

 

 イーナは膝の上で手を握った。

 

「自分でも、もっと早くできればいいとは思っています。でも、途中で気になる点を見つけると、そのまま流すのが怖くて」

 

「怖い?」

 

「はい。医療班の頃、曖昧な情報をそのまま流すと、受け入れ準備が間違うことがありました。負傷者の人数、意識状態、搬送優先順位、必要な固定具……ひとつ違うだけで現場が混乱します」

 

 クリスタルが静かに頷いた。

 

「その通りね」

 

 イーナはクリスタルを見る。

 

 クリスタルは優しく続けた。

 

「医療では、曖昧な情報ほど危険よ。“具合が悪い”だけでは何も準備できない。呼吸なのか、出血なのか、意識なのか、痛みなのか。それを確認する人は必要よ」

 

 イーナの表情が少しだけ和らいだ。

 

「ありがとうございます」

 

 ペルシアは端末を軽く叩いた。

 

「じゃあ、少し試していい?」

 

 イーナはすぐに緊張した。

 

「試す、ですか?」

 

「簡単な情報整理。正解を当てる試験じゃない。あなたがどう考えるかを見たいだけ」

 

「はい」

 

「嫌なら断っていいわ」

 

 イーナは少し驚いた。

 

 断っていい。

 

 そう言われると思っていなかった。

 

 けれど、彼女は小さく頷いた。

 

「大丈夫です。お願いします」

 

 ペルシアはフレイへ合図した。

 

 フレイが端末を操作する。

 

 短い音声が流れた。

 

『こちら民間連絡船アルマ。船内で揺れが発生。乗客数十名。数名が気分不良を訴えています。推進に異常はないと思いますが、詳しくは分かりません』

 

 音声はそこで切れる。

 

 ペルシアはイーナを見た。

 

「あなたが最初に聞き返すなら?」

 

 イーナはすぐには答えなかった。

 

 少しだけ目を伏せ、情報を整理している。

 

 その間は、決して長くなかった。

 

「まず、揺れの発生時刻と継続時間を確認します。単発の揺れなのか、継続しているのかで対応が変わります」

 

 ペルシアの目が少しだけ細くなる。

 

「次は?」

 

「負傷者の有無です。気分不良という言い方だけでは、酔いなのか、転倒による痛みなのか、意識障害なのか分かりません。人数、年齢層、意識状態、出血や強い痛みの有無を確認します」

 

 クリスタルが静かに頷く。

 

「続けて」

 

「推進に異常はない“と思います”という表現なので、推進系だけでなく姿勢制御、重力制御、船内固定具、警報表示の有無を確認します。操縦側が推進異常なしと言っていても、乗客側の揺れがあるなら、別系統の異常かもしれません」

 

 フレイが記録する手を止めずに、ほんの少し目を上げた。

 

 ペルシアは表情を変えない。

 

「他には?」

 

「乗客数十名という表現も曖昧です。正確な乗客数、乗務員数、移動が必要な要配慮者の有無、座席固定ができているかを確認します。あと、現在位置と近い宇宙港、救助艇の接近可否も必要です」

 

 ペルシアは少し黙った。

 

 イーナは不安そうに言う。

 

「あの……多すぎましたでしょうか」

 

「いいえ」

 

 ペルシアは即答した。

 

「続けて」

 

 イーナは少しだけ目を見開く。

 

「はい。通信が切れる可能性があるなら、最初に最低限、揺れの継続、負傷者、姿勢制御、現在位置を優先します。医療班へは“気分不良”ではなく、人数と症状の確認後に搬送可能性を伝えます」

 

 クリスタルが微笑んだ。

 

「いい整理ね」

 

 イーナは驚いたようにクリスタルを見た。

 

「ありがとうございます」

 

 ペルシアは椅子の背にもたれた。

 

「今の、どこで覚えたの?」

 

「医療班の時です。救助班から入る第一報は、どうしても曖昧なことが多かったので……そのまま伝えると、医療班が準備できないことがありました」

 

「でしょうね」

 

「なので、必要なことを先に聞くようにしていました」

 

 ペルシアは心の中で呟いた。

 

 やっぱり。

 

 この子は、遅いのではない。

 

 必要なものを拾っている。

 

 

 次に、フレイが簡易資料をイーナへ渡した。

 

 そこには、架空の緊急事案の情報が雑多に並んでいる。

 

 民間船の位置。

 乗客数。

 推進出力。

 救助艇到着時間。

 医療班受け入れ可能人数。

 通信状態。

 宇宙警察照会。

 船内負傷者情報。

 備品不足。

 近隣宇宙港の使用状況。

 

 ペルシアは言った。

 

「三分で、私に報告する形にまとめて」

 

 イーナの表情が一瞬強張る。

 

 だが、すぐに資料へ目を落とした。

 

 手が動く。

 

 速くはない。

 しかし、迷いの質が違う。

 

 見ている。

 情報を捨てるものと拾うものに分けている。

 時系列を確認している。

 医療情報と救助情報を分けている。

 曖昧な箇所に印をつけている。

 

 三分後。

 

 イーナは顔を上げた。

 

「報告します」

 

 ペルシアは頷く。

 

「どうぞ」

 

「民間船アルマは現在、推進出力が低下していますが完全停止ではありません。ただし、姿勢制御に不安定な表示があります。乗客は四十二名、乗務員三名。負傷者は現在確認できている範囲で三名、そのうち一名は意識が不明瞭です」

 

 声は緊張している。

 

 だが、整っている。

 

「救助艇一号は十五分後に到着可能ですが、接近角の確認が必要です。近隣宇宙港は受け入れ可能ですが、医療班の即時受け入れは二名までです。意識不明瞭者を最優先として、残りの二名については症状確認が必要です」

 

 ペルシアは黙って聞く。

 

「不足している情報は、姿勢制御異常の程度、揺れの継続状況、負傷者三名の具体症状、船内移動困難者の有無、救助艇接近時の障害物情報です。宇宙警察から照会がありますが、現時点では救命対応を優先し、人工干渉の根拠情報は後続で整理すべきです」

 

 フレイの手が止まった。

 

 クリスタルの表情が変わる。

 

 ペルシアは、しばらくイーナを見つめた。

 

 イーナは緊張している。

 

 自分がうまくできたのか分かっていない顔だ。

 

「あの……」

 

「イーナ」

 

 ペルシアが呼ぶ。

 

「はい」

 

「あなた、総務部長に仕事が遅いって言われてるんだっけ?」

 

 イーナの顔が少し曇る。

 

「はい……」

 

「確かに速くはないわ」

 

 イーナは小さく俯いた。

 

 だが、ペルシアは続けた。

 

「でも、必要なものを落とさない」

 

 イーナの目が揺れた。

 

「え……」

 

「今の報告、完璧ではない。でも、私が欲しい形に近い。何が起きていて、何が分かっていて、何が足りなくて、何を優先するべきか。ちゃんと分けていた」

 

 イーナは言葉を失った。

 

 クリスタルも優しく言う。

 

「医療情報の整理も良かったわ。意識不明瞭者を優先したこと、受け入れ人数と照らしたこと、必要な追加確認を出したこと。現場を知らない人にはなかなかできないわ」

 

「そんな……」

 

 イーナの声が震えた。

 

「私は、ただ確認しているだけで……」

 

「その“ただ確認する”ができない人が多いのよ」

 

 ペルシアの声は静かだった。

 

「あなたは遅いんじゃない。止めてるの。後で事故になるものを、前で止めてる」

 

 イーナの目に、涙が浮かんだ。

 

 彼女は慌てて俯く。

 

「申し訳ありません」

 

「泣いたら謝る癖、やめなさい」

 

 ペルシアは少しだけ笑った。

 

「責めてないわ」

 

 イーナは唇を噛んだ。

 

「……すみません」

 

「それも謝ってる」

 

「……はい」

 

 フレイは静かに端末を閉じた。

 

 その表情は、いつもより少し柔らかい。

 

 

 ペルシアは少し姿勢を正した。

 

「イーナ。ここからが本題」

 

「はい」

 

「あなたに、オペレーションルーム中核要員の候補になってほしい」

 

 イーナは固まった。

 

 目を丸くし、ペルシアを見る。

 

「……私が、ですか?」

 

「そう」

 

「いえ、そんな、私は総務部でも仕事が遅くて……」

 

「その評価は知ってる」

 

「でしたら、なおさら」

 

「だから欲しいの」

 

 ペルシアははっきり言った。

 

「あなたの確認力、医療班での経験、曖昧な情報を具体化する力。今のオペレーションルームに必要よ」

 

 イーナは完全に戸惑っていた。

 

「でも、私は管制の経験がありません」

 

「管制は教えられる」

 

「通信の専門でもありません」

 

「通信技術は教えられる」

 

「緊急対応も、医療班以来で……」

 

「医療班で五年やってる。それは十分な現場経験よ」

 

 ペルシアは少し身を乗り出した。

 

「私が欲しいのは、肩書きじゃない。情報を正しく扱える人。分からないことを分からないと言える人。急かされても確認を捨てない人」

 

 イーナは何も言えなかった。

 

 ペルシアの声が少し柔らかくなる。

 

「すぐに決めろとは言わない。候補として訓練を受けてみてほしい。向いているかどうかは、その中で見る。あなた自身が無理だと思えば、それも聞く」

 

「……私で、役に立てるのでしょうか」

 

 小さな声だった。

 

 ペルシアは迷わず答えた。

 

「役に立つと思ったから呼んでる」

 

 イーナの目が揺れた。

 

「総務部では、私はいつも遅いと言われます」

 

「ここでは、遅いかどうかだけでは見ない」

 

「確認しすぎると言われます」

 

「確認すべきことを確認できる人間が必要」

 

「周りに迷惑をかけているのではないかと……」

 

「迷惑かどうかは、誰の目線で見るかによるわ。総務部の処理件数だけなら迷惑に見えるかもしれない。でも、他部署からは助かってるって評価されてる。少なくとも私は、あなたを必要だと思った」

 

 イーナは両手を握りしめた。

 

 胸の奥に、長い間押し込めていたものがあった。

 

 医療班から離れて以来、自分はどこかで役に立てているのか分からなくなっていた。

 総務部で毎日遅いと言われ、確認しすぎだと言われ、要領が悪いと言われるたびに、自分のやり方が間違っているのだと思っていた。

 

 だが、今、目の前の統括官は違うと言った。

 

 必要だと言った。

 

 イーナは震える声で言った。

 

「……もし、私でよければ」

 

 ペルシアは静かに待った。

 

「候補として、訓練を受けさせてください」

 

 その言葉に、ペルシアの口元がゆっくり上がった。

 

「いい返事」

 

 フレイが端末に記録する。

 

「イーナさん、オペレーションルーム中核要員候補として、一次訓練参加の意思あり」

 

 クリスタルも微笑んだ。

 

「よろしくね、イーナ」

 

「はい。よろしくお願いいたします」

 

 イーナは深く頭を下げた。

 

 

 ヒアリング終了後、イーナが退室すると、部屋には少しの沈黙が残った。

 

 ペルシアは椅子にもたれ、満足げに息を吐いた。

 

「見つけた」

 

 フレイが頷く。

 

「有力候補です」

 

「有力どころじゃないわ。育てる価値がある」

 

 クリスタルも同意する。

 

「医療情報への反応は良かったわ。自己評価の低さは気になるけれど、そこは環境が変われば改善するかもしれない」

 

「フレイ」

 

「はい」

 

「総務部長と話す準備をして」

 

「配置転換の打診ですか」

 

「まだ正式じゃない。でも訓練参加は通す。部長は反発するでしょうね」

 

「可能性は高いです」

 

「“仕事が遅いからダメ”と言ってる人材を、統括官が必要だと言う。向こうは面白くないでしょうね」

 

 ペルシアはにやりと笑った。

 

「でも、関係ない」

 

「統括官」

 

「何?」

 

「揉めすぎないようにお願いします」

 

「努力する」

 

「努力では不安です」

 

「じゃあ、フレイも同席」

 

「承知しました」

 

 クリスタルが苦笑する。

 

「ペルシア、ちゃんと冷静に話すのよ」

 

「分かってるって」

 

 その時、扉の外からファルコの声が聞こえた。

 

「終わったか?」

 

 フォクス、ファルコ、スリッピーも戻ってきた。

 

 ペルシアは振り返り、得意げに言った。

 

「見つけたわ」

 

 スリッピーが目を輝かせる。

 

「本当に?」

 

「ええ。総務部のイーナ。元医療班。確認力あり。情報整理もいい」

 

 ファルコは笑った。

 

「総務部の“仕事が遅い”奴が当たりかよ」

 

「当たりよ」

 

 フォクスが静かに言う。

 

「なら、次は現場負荷に耐えられるかだな」

 

「そう」

 

 ペルシアは頷いた。

 

「でも、今までで一番いい」

 

 スリッピーは嬉しそうに笑った。

 

「やっと一人目だね」

 

「やっとね」

 

 ペルシアは椅子に深く座り直した。

 

「ここからよ」

 

 窓の外では、宇宙管理局の光が静かに揺れている。

 

 総務部の片隅で、遅いと言われ続けていた女性。

 医療班で培った確認力を、総務部では持て余していた女性。

 

 イーナ。

 

 彼女が、オペレーションルームに必要な一人になるかもしれない。

 

 ペルシアは画面に表示された候補者一覧を開き、イーナの名前の横に印をつけた。

 

『第一候補』

 

 その文字を見て、ペルシアは小さく笑った。

 

「さあ、面白くなってきたわね」

 

 フレイはすぐに言った。

 

「面白さではなく、適性を重視してください」

 

「はいはい」

 

「本当にお願いします」

 

 統括官室に、少しだけ笑いが広がった。

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