サヴァイヴ〜ドルトムント財閥〜   作:一塔

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出張

 イーナの名前が、オペレーションルーム中核要員候補の一覧に初めて刻まれた。

 

 それは、ペルシアにとって久しぶりの前進だった。

 

 第一管制室でもない。

 通信監視室でもない。

 救助艇管制でもない。

 システム部でもない。

 整備管理部でもない。

 

 見つけたのは、総務部だった。

 

 しかも、総務部長からは「仕事が遅くてダメ」と言われていた女性。

 

 けれど、ペルシアの耳は違うと言っていた。

 フレイの調査も、それを裏付けていた。

 クリスタルの医療的な視点でも、イーナの情報整理は十分に評価できるものだった。

 

 あとは、次の段階へ進ませるだけ。

 

 だが、その前に越えなければならない相手がいた。

 

 総務部長である。

 

 

 翌日、ペルシアはフレイを伴い、再び総務部へ向かった。

 

 今度は視察ではない。

 

 目的は明確だった。

 

 イーナをオペレーションルーム中核要員候補として、一次訓練に参加させること。

 

 正式な配置転換ではない。

 あくまで候補者訓練である。

 

 だが、それでも総務部から一定時間、人を引き抜くことになる。

 

 反発は予想できた。

 

 総務部の扉の前で、フレイが静かに言った。

 

「統括官」

 

「何?」

 

「冷静にお願いします」

 

「分かってるわよ」

 

「部長の発言に反応しすぎないように」

 

「分かってるって」

 

「イーナさんの評価について、強い言葉を使いすぎないように」

 

「フレイ、私を何だと思ってるの?」

 

「正直に申し上げてよろしいですか」

 

「やめて」

 

 フレイは無言で頷いた。

 

 ペルシアは少しだけ頬を膨らませたが、すぐに表情を引き締めた。

 

「大丈夫。今日は喧嘩しに来たんじゃないわ」

 

「はい」

 

「ただし、必要な人材は引く」

 

「そこは承知しています」

 

「なら行くわよ」

 

 二人は総務部へ入った。

 

 総務部長は、すでに応接スペースで待っていた。

 

 相変わらず、柔らかい笑みを浮かべている。

 

「ペルシア統括官、フレイさん。お待ちしておりました」

 

「時間をいただいてありがとう」

 

「いえいえ。統括官自らお越しいただけるとは光栄です」

 

 言葉は丁寧だ。

 

 しかし、ペルシアの耳には、薄い警戒が混じって聞こえた。

 

 昨日、ペルシアがイーナに個別ヒアリングを行ったことは、当然、総務部長も知っている。

 

 そして、その意図も完全には分からずとも、何かを感じ取っているのだろう。

 

 三人が座ると、フレイが端末を開いた。

 

 ペルシアは単刀直入に切り出した。

 

「イーナを、オペレーションルーム中核要員候補として一次訓練に参加させたい」

 

 総務部長の笑みが、一瞬だけ固まった。

 

「イーナを、ですか?」

 

「ええ」

 

「それはまた……意外なお名前ですな」

 

「そう?」

 

「ええ。昨日も申し上げたかと思いますが、彼女は少々仕事が遅くてですね。総務部内でも、もう少し要領よく進めてもらいたいと常々指導しているところでして」

 

 ペルシアは足を組んだまま、静かに聞いた。

 

 フレイが横目でペルシアを見る。

 

 反応するな、という視線だった。

 

 ペルシアは一度だけ息を吐き、穏やかに言う。

 

「その評価は把握しているわ」

 

「でしたら、なおさら。オペレーションルームの中核要員など、迅速な判断と処理が求められる重要な役割でしょう。彼女では負担が大きいのではないかと」

 

「迅速な判断と処理が必要なのはその通り」

 

「ええ」

 

「でも、速く流すことと、必要な確認を省くことは違う」

 

 総務部長の笑みが少し浅くなる。

 

「もちろん、それはそうですが」

 

「イーナの処理時間が総務部平均より長いことは見たわ」

 

「やはりそうでしょう」

 

「でも、差し戻し率は最少。後工程での再照会も少ない。他部署評価は高い。特に救助班、医療班、整備管理部からは“話が早い”“戻りが少ない”“困った時に助かる”という評価が複数ある」

 

 総務部長は少し眉を動かした。

 

 フレイが端末の資料を静かに提示する。

 

「こちらが確認資料です」

 

 部長は資料に目を落とした。

 

 そこには、イーナの業務実績が数字で示されている。

 

 平均処理時間は長い。

 だが、差し戻し率は極めて低い。

 他部署からの再照会も少ない。

 さらに、イーナが関わった案件は、納品遅延や会議室調整ミス、備品分類の誤りが少ない。

 

 総務部長は少しだけ唇を引き結んだ。

 

「しかし、総務部全体としては件数をこなす必要があります。彼女一人が丁寧でも、周囲との速度差が出れば、業務全体が滞ります」

 

「だから総務部では評価しづらいのかもしれないわね」

 

 ペルシアは淡々と言った。

 

「でも、私が探しているのは総務部の大量処理担当じゃない。オペレーションルームで、曖昧な情報を確認し、危険な抜けを止め、統括官の判断材料へ変える人材よ」

 

「それが、彼女だと?」

 

「少なくとも、候補として見る価値はある」

 

 部長は軽く笑った。

 

「統括官は、まだ彼女をご覧になって日が浅い。総務部では、日々こちらが彼女を見ております。能力を否定するつもりはありませんが、少々慎重すぎるのです」

 

「慎重すぎる、ね」

 

「ええ。こちらが急いでいる時でも、前例や様式、関係部署の確認に時間をかける。現場ではそれが必要な場面もあるのかもしれませんが、総務では困ることもあります」

 

「それ、困るのは誰?」

 

 ペルシアの声が少しだけ低くなった。

 

 フレイが小さく目を向ける。

 

 ペルシアは部長をまっすぐ見た。

 

「急いで流したい人? それとも、後で戻ってくる書類を処理する人?」

 

 部長の笑みが消えかけた。

 

「統括官、それは少々」

 

「私は喧嘩しに来たわけじゃないわ」

 

 ペルシアは言った。

 

「でも、仕事が遅いという評価だけで、イーナの確認力を潰すのはもったいない。少なくとも、私の見立てでは彼女は必要な人材よ」

 

「総務部としても、彼女には現在の担当があります」

 

「一次訓練よ。正式異動ではない」

 

「訓練とはいえ、時間を取られます」

 

「必要な調整はするわ」

 

「他の職員にも負担が」

 

「総務部内での調整が難しいなら、局長経由で正式に依頼を出す」

 

 ペルシアの声は静かだった。

 

 だが、その静かさがかえって重い。

 

 部長は言葉を止めた。

 

 フレイが資料を差し出す。

 

「一次訓練は一日二時間、まずは三日間を予定しています。総務部業務への影響を最小限にするため、時間帯は総務部と調整可能です」

 

「三日間……」

 

「その後、適性が認められた場合に限り、追加訓練及び配置候補として協議します」

 

 総務部長は資料を見つめた。

 

 ペルシアは少しだけ身を乗り出した。

 

「部長」

 

「はい」

 

「イーナは、あなたの部署では“遅い人”かもしれない。でも、私の場所では“止められる人”になるかもしれない」

 

 部長は黙った。

 

「事故対応で必要なのは、ただ速く流す人じゃない。流してはいけないものを止められる人よ」

 

 総務部長はしばらく沈黙した。

 

 やがて、ゆっくりと息を吐く。

 

「……分かりました。一次訓練への参加については、調整しましょう」

 

 ペルシアは小さく頷いた。

 

「ありがとう」

 

「ただし、彼女本人が希望するなら、です」

 

「本人は候補訓練を受ける意思を示している」

 

 部長は少し驚いたように目を上げた。

 

「そうですか」

 

「ええ」

 

 ペルシアは立ち上がった。

 

「では、詳細はフレイから送るわ」

 

「承知しました」

 

 部長は頭を下げた。

 

 ペルシアとフレイは総務部を出る。

 

 廊下へ出た瞬間、ペルシアは小さく息を吐いた。

 

「疲れた」

 

「比較的冷静でした」

 

「比較的って何よ」

 

「率直な評価です」

 

「褒めてる?」

 

「はい」

 

「ならよし」

 

 ペルシアは廊下の先を見た。

 

「これでイーナを動かせる」

 

「はい」

 

「次は本人ね」

 

 

 その日の夕方、イーナは統括官室へ呼ばれた。

 

 総務部長から正式に一次訓練参加の許可が出たことを伝えられた時、彼女はしばらく言葉が出なかった。

 

 嬉しさよりも、不安の方が大きかった。

 

 自分が本当にそんな場所へ行っていいのか。

 総務部の仕事が遅いと言われている自分が、緊急対応の中核候補など務まるのか。

 医療班にいた頃の自分は、もう過去なのではないか。

 

 そんな思いを抱えたまま、統括官室へ向かう。

 

 扉の前で深呼吸し、ノックした。

 

「どうぞ」

 

 中からペルシアの声が聞こえた。

 

 イーナが入ると、そこにはペルシア、フレイ、クリスタルに加え、フォクス、ファルコ、スリッピーもいた。

 

 イーナは一瞬で固まった。

 

 スターフォックス。

 

 宇宙管理局内でも、すでに噂になっている存在だった。

 

 宇宙ハンターでありながら、統括官直属チームとして動いている者達。

 先日の救助事案でも活躍したという話は、総務部にも届いている。

 

 その彼らが、目の前にいる。

 

 イーナは慌てて頭を下げた。

 

「総務部のイーナです。よろしくお願いいたします」

 

 ファルコが小声で言う。

 

「固いな」

 

 クリスタルがすぐに軽く睨む。

 

「ファルコ」

 

「分かってるって」

 

 ペルシアは手を振った。

 

「そんなに緊張しなくていいわ。今日は顔合わせと、訓練の説明」

 

「はい」

 

「あなたをいきなり現場に放り込むわけじゃない。まずはオペレーションルームの役割を知ってもらう。その後、短い訓練を何度かやる」

 

 フレイが資料を送る。

 

「こちらが一次訓練の予定です」

 

 イーナの端末に予定表が届いた。

 

 一日目。

 オペレーションルームの役割説明、通信情報整理、時系列記録訓練。

 

 二日目。

 医療搬送情報の整理、救助班情報との接続、現場映像の読み取り。

 

 三日目。

 簡易シミュレーション。複数通信下での情報選別、統括官への報告。

 

 イーナは資料を見て、少し顔を強張らせた。

 

「私にできるでしょうか」

 

 ペルシアは即答した。

 

「やってみないと分からない」

 

 イーナは少し目を伏せた。

 

 その返答は、優しいようで厳しい。

 

 だが、不思議と突き放された感じはなかった。

 

 ペルシアは続ける。

 

「できる前提で呼んだわけじゃない。できるようになる可能性があると思ったから呼んだの」

 

「可能性……」

 

「そう。訓練で見極める。あなたも、合わないと思ったら言っていい」

 

 イーナは顔を上げる。

 

「辞退しても、いいということですか?」

 

「ええ」

 

 ペルシアは頷いた。

 

「ただし、怖いから辞めるのか、本当に適性が違うのかは一緒に考える」

 

 イーナは少し戸惑った。

 

 辞退していいと言いながら、逃げの理由は見抜くと言われているようだった。

 

 でも、それも不思議と嫌ではなかった。

 

 フレイが静かに補足する。

 

「一次訓練では、失敗を評価対象から除外するわけではありませんが、失敗そのものを責めることはありません。重要なのは、どの情報を拾い、何を迷い、どのように確認するかです」

 

「はい」

 

 クリスタルが優しく言った。

 

「医療班の経験は、きっと役に立つわ。私も必要に応じて補助するから、安心して」

 

「ありがとうございます」

 

 イーナは少しだけ表情を緩めた。

 

 フォクスは短く言う。

 

「現場は迷う。オペレーションルームは、その迷いを整理する場所だ」

 

 イーナはフォクスを見る。

 

 彼の言葉は少ない。

 だが、重い。

 

「はい」

 

 ファルコは腕を組んだまま言った。

 

「まあ、俺が怒鳴ったくらいで固まらなけりゃ大丈夫だろ」

 

 イーナの顔が少し青くなる。

 

 ペルシアがすぐに言う。

 

「ファルコは最初は出さない」

 

「おい」

 

「あなたは三日目以降」

 

「圧担当かよ」

 

「そう」

 

 スリッピーが笑った。

 

「イーナ、ファルコは怖そうに見えるけど、ちゃんと加減するから大丈夫だよ」

 

「おい、スリッピー」

 

「え、違う?」

 

「……違わねぇけど」

 

 少しだけ場が和らいだ。

 

 イーナも小さく笑った。

 

 ペルシアはその笑みを見て、少しだけ安心した。

 

 完全に萎縮してはいない。

 

 緊張している。

 自信はない。

 だが、話を聞く耳がある。

 

「それじゃあ、明日から訓練開始。今日はこれだけ」

 

「はい」

 

 イーナは立ち上がった。

 

 しかし、すぐには退室しなかった。

 

「あの、統括官」

 

「何?」

 

「どうして、私を選んでくださったんですか」

 

 その問いに、部屋の空気が少し静かになった。

 

 ペルシアは椅子にもたれたまま、少し考えた。

 

「あなたが、止める人だから」

 

「止める……」

 

「総務部では遅いと言われるかもしれない。でも、あなたは気づいた違和感をそのまま流さない。確認して、整理して、後で困らないようにする。それは、オペレーションルームで必要な力よ」

 

 イーナの目が揺れる。

 

「でも、止めることで迷惑をかけることもあります」

 

「あるわね」

 

 ペルシアは正直に言った。

 

「止め方を間違えれば、ただの停滞になる。でも、止めるべきものを止められない方が危ない。あなたには、その見極めを覚えてほしい」

 

 イーナはその言葉を胸に落とし込むように、ゆっくり頷いた。

 

「はい」

 

「あなたが遅いのか、丁寧なのか。それを決めるのは総務部長じゃない。少なくとも、私の場所では私が見る」

 

 ペルシアはまっすぐ言った。

 

「だから、明日からは私の基準で見られなさい」

 

 厳しい言葉だった。

 

 けれど、イーナの胸には温かく響いた。

 

「……はい。よろしくお願いいたします」

 

 イーナは深く頭を下げ、退室した。

 

 扉が閉まる。

 

 少しの沈黙。

 

 ファルコが口を開いた。

 

「いいじゃねぇか」

 

 ペルシアはにやりと笑った。

 

「でしょ」

 

 クリスタルも頷く。

 

「少し自信はないけれど、芯はあるわ」

 

 フォクスが言う。

 

「訓練で化けるかもしれない」

 

 スリッピーも嬉しそうに言った。

 

「やっと候補らしい候補だね」

 

 フレイは端末に記録を残した。

 

「イーナさん、一次訓練参加。初期印象、良好」

 

 ペルシアは椅子に深く座り、天井を見上げた。

 

「長かった……」

 

「まだ一人目です」

 

 フレイが言う。

 

「分かってるわよ」

 

「残りも探す必要があります」

 

「分かってるって」

 

 ペルシアは少しだけ笑った。

 

「でも、一人見つかれば流れは変わる」

 

「はい」

 

「イーナが入れば、オペレーションルームの形が少し見える。記録、医療連携、曖昧情報の具体化。ここを任せられる可能性がある」

 

 フレイが頷く。

 

「私の時系列記録と組ませれば、情報整理の基盤ができます」

 

「そう」

 

 ペルシアは机を軽く叩いた。

 

「まずは明日。彼女がどこまで耐えられるか見る」

 

 

 翌日。

 

 イーナの一次訓練が始まった。

 

 場所は、簡易オペレーション訓練室。

 

 本物のオペレーションルームより規模は小さいが、通信音声、映像、センサー情報、時系列記録を同時に扱えるようになっている。

 

 イーナは訓練室に入った瞬間、息を呑んだ。

 

 複数のモニター。

 通信回線。

 記録端末。

 救助対象船の想定映像。

 医療班連携情報。

 

 総務部の机とはまったく違う。

 

 医療班時代の記憶に少し近いが、それよりも情報の種類が多い。

 

 ペルシアはイーナの隣に立った。

 

「今日は最初だから、いきなり高負荷にはしない」

 

「はい」

 

「あなたにやってほしいのは三つ。聞く、分ける、足りないものを言う」

 

「聞く、分ける、足りないものを言う」

 

「そう。かっこいい判断はしなくていい。まずは情報を整える」

 

 イーナは頷いた。

 

 フレイが記録席に座る。

 

 クリスタルは医療連携側の評価席にいる。

 

 フォクス達は今回は見学だけだったが、後方の席で静かに見ていた。

 

 訓練が始まる。

 

 最初の音声。

 

『こちら民間船ノースライン。船内で急病人発生。年齢は不明。意識はありますが、呼吸が苦しそうです』

 

 イーナはすぐに端末へ入力する。

 

 急病人。

 年齢不明。

 意識あり。

 呼吸苦。

 

 ペルシアが聞く。

 

「足りないもの」

 

 イーナは少し緊張しながら答える。

 

「年齢、性別、既往歴、症状発生時刻、呼吸の状態、胸痛の有無、意識レベルの変化、医療班への搬送可能性、船内医療キットの有無です」

 

「優先は?」

 

「呼吸状態、胸痛の有無、意識レベル、発生時刻です」

 

 クリスタルが頷く。

 

「いいわ」

 

 次の音声。

 

『救助艇一号、対象船に接近中。ただし船体右側に不安定な回転あり。接近角を再計算中』

 

 イーナは入力しながら言う。

 

「姿勢不安定。右側回転。接近角再計算。足りない情報は回転速度、対象船の姿勢制御残存状況、救助艇の安全距離、接近可能方向」

 

 ペルシアの目が少し細くなる。

 

「続けて」

 

 訓練は進む。

 

 最初は少し緊張していたイーナだったが、情報を整理する作業に入ると、声が安定していった。

 

 速くはない。

 

 けれど、落とさない。

 

 曖昧なものには必ず印をつける。

 足りない情報を言葉にする。

 医療情報と機体情報を混ぜない。

 しかし、必要なところではつなげる。

 

 フレイは記録しながら、静かに思った。

 

 これは、使える。

 

 クリスタルも同じように感じていた。

 

 フォクスは腕を組んだまま、イーナの声を聞いていた。

 

 訓練終了後、ペルシアはイーナに言った。

 

「初日にしては十分」

 

 イーナは少しだけ息を吐いた。

 

「ありがとうございます」

 

「ただし、課題もある」

 

「はい」

 

「報告が少し丁寧すぎる。緊急時はもう少し短くしていい」

 

「はい」

 

「足りない情報を全部言うのはいいけど、優先順位を先に出して。全部並べると私が拾いにくい」

 

「はい」

 

「でも、情報の拾い方はいい」

 

 イーナの目が少しだけ開いた。

 

「……ありがとうございます」

 

 ペルシアは笑った。

 

「明日は少し負荷を上げるわよ」

 

「はい」

 

 声はまだ不安そうだった。

 

 だが、昨日よりもほんの少し強かった。

 

 

 訓練室を出た後、ペルシアはフレイ達と短く確認を行った。

 

「どう?」

 

 クリスタルが最初に言った。

 

「医療情報の拾い方は良いわ。特に、呼吸や意識レベルへの反応が早い。医療班経験が出ている」

 

 フレイも頷く。

 

「情報整理も良好です。報告速度は改善余地がありますが、初回としては十分です」

 

 スリッピーが言う。

 

「画面操作はまだ慣れてないね。でも、どの情報が必要かは分かってる」

 

 フォクスは短く言った。

 

「訓練すれば使える」

 

 ファルコは少し笑った。

 

「まだ俺が圧かけたら固まりそうだけどな」

 

「それは三日目以降」

 

 ペルシアが言う。

 

「今潰す必要はない」

 

 ファルコは肩をすくめた。

 

「へいへい」

 

 ペルシアは訓練室のドアを見た。

 

 イーナは、廊下の向こうでフレイから次回説明を受けている。

 まだ緊張している。

 まだ自信はない。

 

 けれど、あの目は逃げていない。

 

 ペルシアは小さく笑った。

 

「やっぱり必要ね」

 

 フレイが振り返る。

 

「はい。第一候補として、継続訓練でよろしいかと」

 

「決まり」

 

 ペルシアは端末を開き、候補者一覧のイーナの名前を更新した。

 

『第一候補:継続訓練』

 

 長い人材探しの中で、ようやく一つ、確かな印がついた。

 

 ペルシアはその文字を見つめ、満足そうに呟いた。

 

「さあ、次は二人目ね」

 

 フレイがすかさず言う。

 

「その前に、本日の訓練記録を作成してください」

 

「……余韻を壊す天才」

 

「必要です」

 

 ペルシアは小さくため息を吐いた。

 

 けれど、その表情は明るかった。

 

 資料は嫌いだ。

 記録も面倒だ。

 総務部長との調整も疲れる。

 

 それでも、見つけた。

 

 オペレーションルームを変えるための、一人目を。

 

 ペルシアは端末に向かい、珍しく文句を少なめにして記録を打ち始めた。

 

 

ーーーー

 

 

 

 イーナの一次訓練一日目は、想定以上に良い結果で終わった。

 

 もちろん、完璧ではない。

 

 報告はまだ丁寧すぎる。

 緊急時に必要な短さが足りない。

 優先順位を出す前に、拾った情報をすべて並べようとする癖がある。

 画面操作にも不慣れで、必要な映像や情報を探すまでに一拍遅れる。

 

 けれど、ペルシアにとって重要なのはそこではなかった。

 

 イーナは、落とさなかった。

 

 曖昧な情報を、そのまま流さなかった。

 現場から届く不十分な言葉に対して、何が足りないのかを見つけていた。

 医療情報、船体情報、救助艇情報を混同せず、分けていた。

 それでいて、必要な時にはそれらをつなげる視点も持っていた。

 

 遅い。

 

 総務部ではそう評価されていた。

 

 だが、ペルシアには違って見えた。

 

 イーナは、慎重なのだ。

 

 そして、慎重さが必要な場所がある。

 

 オペレーションルームは、まさにその場所だった。

 

 

 訓練後、イーナは一人で総務部へ戻る廊下を歩いていた。

 

 手には、フレイから渡された訓練記録の写しがある。

 

 そこには、今日の評価が簡潔に記載されていた。

 

『情報の拾い方:良好』

『医療情報の優先順位付け:良好』

『不足情報の抽出:良好』

『報告速度:改善余地あり』

『報告順序:優先事項を先に示す訓練が必要』

『画面操作:要訓練』

『総評:継続訓練の価値あり』

 

 継続訓練の価値あり。

 

 イーナは、その一文を何度も見返した。

 

 褒められた、というほど分かりやすい言葉ではない。

 だが、彼女にとっては十分だった。

 

 総務部では、いつも言われる。

 

 遅い。

 確認が細かい。

 要領が悪い。

 もっと早く。

 そこまで聞かなくていい。

 流していい。

 

 そのたびに、自分の仕事の仕方は間違っているのだと思っていた。

 

 けれど今日、ペルシアは言った。

 

『あなたは遅いんじゃない。止めてるの』

 

 その言葉が、胸の中でまだ熱を持っていた。

 

 止める。

 

 それは、悪いことではないのかもしれない。

 

 もちろん、止め方を間違えれば停滞になる。

 ペルシアもそう言っていた。

 

 けれど、止めるべきものを止める力は、必要なのだと。

 

 イーナは廊下の窓に映る自分の顔を見た。

 

 少し疲れている。

 けれど、いつもより目が前を向いている気がした。

 

「……継続訓練」

 

 小さく呟く。

 

 その言葉は、不安でもあり、希望でもあった。

 

 

 一方、統括官室では、ペルシアが珍しく真面目に訓練記録を作成していた。

 

 フレイはその横で、資料の確認をしている。

 クリスタルは医療情報の評価メモを書き、フォクスは訓練映像を確認していた。

 スリッピーはイーナが使用した画面操作ログを見ながら、ナウスと改善案を話している。

 ファルコは椅子に座り、少し退屈そうにしていた。

 

「なぁ」

 

 ファルコが口を開く。

 

「まだ俺の出番はないのか?」

 

 ペルシアは画面から目を離さずに答えた。

 

「まだ」

 

「いつまで待たせるんだよ」

 

「イーナが基本操作と報告に慣れるまで」

 

「甘くないか?」

 

 ファルコの言葉に、クリスタルが視線を向ける。

 

「最初から圧をかけて潰しても意味がないわ」

 

「潰すつもりはねぇよ」

 

「貴方の普通が、相手には圧なのよ」

 

「ひでぇ言い方だな」

 

 スリッピーが端末を見ながら笑う。

 

「でもファルコ、第一声からちょっと怖いよ」

 

「お前まで」

 

 フォクスが静かに言った。

 

「イーナはまだ自信がない。最初に必要なのは、能力を出せる状態にすることだ」

 

 ファルコは少しだけ黙った。

 

 そして、つまらなそうに肩をすくめる。

 

「分かったよ。待つ」

 

 ペルシアはそこでようやく顔を上げた。

 

「でも三日目には出番あるわよ」

 

 ファルコの目が少し輝いた。

 

「本当か?」

 

「ええ。混線環境で、現場側から荒い通信を入れてもらう」

 

「任せろ」

 

「やりすぎたら止める」

 

「分かってるって」

 

 クリスタルが冷静に言う。

 

「本当に分かっているか、当日確認するわ」

 

「信用がねぇな」

 

 ペルシアは小さく笑った。

 

「信用してるから頼むのよ」

 

 その一言に、ファルコは少しだけ言葉を詰まらせた。

 

「……そうかよ」

 

 スリッピーがすぐに反応する。

 

「あ、照れた」

 

「照れてねぇ」

 

「今のは照れたわね」

 

 クリスタルも微笑む。

 

 ファルコは腕を組んでそっぽを向いた。

 

 ペルシアはその様子を横目で見ながら、訓練記録へ視線を戻した。

 

 イーナは第一候補。

 

 ただし、まだ一人目にすぎない。

 

 オペレーションルーム中核要員として必要なのは、少なくとも六人から八人。

 

 情報受信。

 映像・センサー。

 時系列記録。

 現場判断補助。

 外部連携。

 医療搬送連携。

 

 イーナは、そのうち医療搬送連携と曖昧情報の具体化に強い。

 フレイは時系列記録と統括官補佐として確定に近い。

 

 だが、それだけでは足りない。

 

「あと四人から六人……」

 

 ペルシアは小さく呟いた。

 

 フレイがすぐに反応する。

 

「次の視察予定ですが、明日は軌道監視補助室と民間航路調整室を再確認する予定です」

 

「再確認?」

 

「以前の視察では候補者なしとしましたが、イーナさんの例を踏まえると、部署長評価だけでなく、他部署から直接頼られている職員を洗い直す必要があります」

 

 ペルシアは口元を上げた。

 

「いいじゃない、フレイ」

 

「イーナさんの件で、評価軸を一部修正する必要があると判断しました」

 

「そうね。上から見える評価だけじゃなくて、横から見える評価も拾う」

 

「はい」

 

「困った時に誰へ聞くか」

 

 ペルシアは画面にメモを打ち込む。

 

『横評価を確認。

 他部署から非公式に頼られている者。

 差し戻しを防いでいる者。

 トラブルを表面化前に処理している者。

 部署内評価と外部評価に差がある者。』

 

 フレイはそのメモを見て頷いた。

 

「選定基準に追加します」

 

「お願い」

 

 クリスタルが静かに言う。

 

「イーナのような人は、ほかにもいるかもしれないわね」

 

「いるはず」

 

 ペルシアは確信を込めて言った。

 

「組織って、目立つ人だけで回ってるわけじゃない。むしろ、目立たないところで詰まりを取っている人がいる。その人達を見つける」

 

 フォクスは頷いた。

 

「現場でも同じだ。目立つ操縦士だけが優秀とは限らない」

 

「そういうこと」

 

 ペルシアは椅子にもたれた。

 

「総務部長みたいな評価だけ見てたら、絶対に見落とす」

 

 フレイが少しだけ注意するように言う。

 

「統括官、言葉が少し強いです」

 

「本人いないからいいでしょ」

 

「記録には残しません」

 

「助かる」

 

 

 翌日。

 

 イーナの二日目の訓練が行われた。

 

 前日よりも負荷は上がっている。

 

 通信音声は二系統。

 画面には救助対象船の映像と、医療班受け入れ状況。

 さらに、救助艇の到着予測と近隣宇宙港の使用状況が表示されている。

 

 イーナは訓練席に座り、少し緊張した面持ちで画面を見た。

 

 ペルシアが横に立つ。

 

「今日は昨日より情報が増える」

 

「はい」

 

「全部を完璧に拾おうとしなくていい。拾った後に、重要度を分ける」

 

「重要度を分ける」

 

「そう。あなたは拾う力がある。でも、全部を同じ重さで抱えると遅くなる」

 

「はい」

 

「今日は、まず一番重い情報を先に言う練習」

 

 イーナは頷いた。

 

 フレイが記録席につく。

 クリスタルが医療情報の評価席に座る。

 フォクス達は後方で見学している。

 

 訓練開始。

 

 第一通信。

 

『民間船アルマ、船内揺れ継続中。乗客一名が頭部を打った可能性あり。意識はありますが、返答が遅いです』

 

 第二通信。

 

『救助艇一号、対象船まで八分。接近角は現状維持可能。ただし対象船の右舷側に破損片あり』

 

 画面に医療班情報。

 

『受け入れ可能人数:二名

 頭部外傷対応可能チーム:一組待機

 小児対応チーム:十五分後到着』

 

 ペルシアが言う。

 

「報告」

 

 イーナは一瞬だけ資料を見る。

 

 そして、昨日より少し短く言った。

 

「最優先は、頭部を打った可能性がある乗客です。意識はありますが返答が遅いとのことなので、意識レベルの継続確認が必要です。医療班は頭部外傷対応可能チームが一組待機しています」

 

 ペルシアは頷く。

 

「続けて」

 

「救助艇一号は八分後到着、接近角は維持可能。ただし右舷側破損片があるため、接近時に破損片の位置確認が必要です。揺れは継続中なので、負傷者の追加発生にも注意が必要です」

 

「足りない情報は?」

 

「頭部を打った乗客の年齢、出血の有無、嘔吐や意識低下の有無。破損片の大きさと移動状況。船内で他に転倒者がいないか。揺れの原因が姿勢制御か重力制御か」

 

 ペルシアは腕を組んだ。

 

「昨日よりいい」

 

 イーナの表情が少しだけ明るくなる。

 

「ありがとうございます」

 

「ただ、まだ少し長い。最初の一文で“頭部外傷疑い、意識反応遅れ、医療班準備あり”とまとめられる」

 

「はい」

 

「でも方向は合ってる」

 

「はい」

 

 訓練はさらに続く。

 

 途中、意図的に曖昧な通信が入る。

 

『船内が少しまずいです。何人か動けません』

 

 イーナはすぐに反応した。

 

「“まずい”の具体化が必要です。動けない人数、意識状態、負傷理由、座席固定状況を確認します」

 

 ペルシアは頷く。

 

「いいわ」

 

 次に、救助艇側からやや苛立った声が入る。

 

『こちら救助艇一号、情報が足りない。接近していいのか悪いのか早くしてくれ』

 

 イーナの手が一瞬止まった。

 

 声に圧があった。

 

 だが、完全には止まらない。

 

 彼女は画面を見て、ゆっくり息を吸った。

 

「救助艇一号へ、現時点では接近角維持可能。ただし右舷破損片の位置確認が未完了。安全距離を保ちつつ待機、破損片情報を確認次第、接近可否を回答……」

 

 声が少し震えた。

 

 だが、内容は通っていた。

 

 フレイが記録する。

 

「高負荷音声下、一時停止一秒未満。回答継続」

 

 ファルコが後方で小さく口笛を吹きかけ、クリスタルに睨まれてやめた。

 

 ペルシアはイーナの横顔を見ていた。

 

 怖がっている。

 

 それは分かる。

 

 だが、怖がりながらも手を動かした。

 

 それが大事だった。

 

 

 二日目の訓練終了後、イーナは明らかに疲れていた。

 

 額にはうっすら汗が浮かび、肩にも力が入っている。

 

 ペルシアは彼女に水を渡した。

 

「飲みなさい」

 

「ありがとうございます」

 

 イーナは両手で受け取り、一口飲んだ。

 

 ペルシアは椅子に座るよう促す。

 

「どうだった?」

 

 イーナは少し考えてから答えた。

 

「……怖かったです」

 

「どこが?」

 

「救助艇から急かされた時です。早くしなければと思って、頭の中が一瞬真っ白になりかけました」

 

「でも止まらなかった」

 

「はい。昨日、足りない情報を先に分けると言われていたので……まだ確認できていないものと、今言えるものを分けようと思いました」

 

「それでいい」

 

 イーナは顔を上げた。

 

「いいんですか?」

 

「ええ。全部分かってから答えるのが正解とは限らない。今言えることと、まだ分からないことを分ける。それができれば、現場は待てる」

 

 クリスタルも頷く。

 

「医療でも同じよ。すべての検査結果が出るまで何も言わないのではなく、現時点で分かっている危険を伝えることが大事」

 

「はい」

 

 フレイが評価を読み上げる。

 

「本日の評価です。情報抽出は良好。優先順位付けは昨日より改善。高負荷音声下での停止は軽微。報告速度は改善傾向。ただし、報告文がまだやや長く、統括官指示への即応性に改善余地があります」

 

 イーナは真剣に頷いた。

 

「はい」

 

 ペルシアは言った。

 

「明日は三日目。複数通信と、少し荒い現場音声を入れる」

 

 イーナの顔が少し強張る。

 

「はい」

 

「怖い?」

 

「……はい」

 

「正直でよろしい」

 

 ペルシアは少し笑った。

 

「怖くない人間の方が危ない。怖い中で、何を拾うかが大事」

 

「はい」

 

「明日、ファルコが現場役で入る」

 

 イーナは後方のファルコを見る。

 

 ファルコは軽く手を上げた。

 

「よろしくな」

 

 声は軽い。

 

 だが、イーナは緊張する。

 

 ファルコはそれを見て、少しだけ表情を和らげた。

 

「潰す気はねぇよ。ただ、現場は綺麗な声だけじゃねぇってことだ」

 

 イーナは小さく頷いた。

 

「はい。よろしくお願いいたします」

 

 

 イーナが退室した後、ペルシア達は二日目の評価をまとめた。

 

「どう?」

 

 ペルシアが聞く。

 

 フレイが答える。

 

「順調です。想定以上に改善が早いです」

 

 クリスタルも頷く。

 

「怖がり方が良いわ」

 

 スリッピーが首を傾げる。

 

「怖がり方?」

 

「怖いから逃げるのではなく、怖いから確認しようとしている。そこがいいの」

 

 フォクスが静かに言う。

 

「現場では、怖さを消す必要はない。怖さで止まらなければいい」

 

「そう」

 

 ペルシアは満足そうに頷いた。

 

 ファルコは腕を組んで言う。

 

「明日はどのくらいでやればいい?」

 

「最初は六割」

 

「六割かよ」

 

「終盤で八割」

 

「分かった」

 

 クリスタルがすぐに言う。

 

「十割は駄目よ」

 

「分かってるって」

 

 ペルシアはファルコを見た。

 

「あなたの役目は潰すことじゃない。現場の圧を再現すること」

 

「分かってる」

 

「本当に?」

 

「しつこいな」

 

「大事だから」

 

 ファルコは少しだけ真面目な顔になった。

 

「……ちゃんとやる。あいつ、使えそうだしな」

 

 ペルシアはにやりと笑った。

 

「分かってきたじゃない」

 

「偉そうに言うな」

 

 

 その頃、総務部ではイーナの不在について、少しずつ空気が変わり始めていた。

 

 イーナが訓練で二時間抜ける。

 

 最初、総務部の一部職員は軽く見ていた。

 

「イーナさんがいないなら、処理が早くなるんじゃない?」

 

「確認ばっかりで止まることもないしね」

 

 だが、実際には違った。

 

 イーナが普段止めていた細かい確認が、そのまま流れ始めた。

 

 会議室予約で、投影設備のない部屋が外部説明会に割り当てられそうになる。

 備品申請で、通常備品と緊急対応備品の分類が混ざる。

 古い様式の申請書がそのまま回り、財務から差し戻される。

 医療班との連携文書で、搬送人数の記載が抜ける。

 

 小さなミス。

 

 だが、それが一日に何度も起きた。

 

 職員の一人が思わず言った。

 

「これ、いつもイーナさんが見てたやつじゃ……」

 

 別の職員も黙った。

 

 総務部長は不機嫌そうに眉を寄せる。

 

「確認不足が多いな」

 

 その言葉に、周囲の職員は何とも言えない顔をした。

 

 確認していたのは誰だったのか。

 

 それを、少しずつ思い知り始めていた。

 

 

 三日目。

 

 イーナは訓練室に入る前に、廊下で一度深呼吸した。

 

 怖い。

 

 今日はファルコが現場役で入る。

 

 複数通信もある。

 情報量も増える。

 昨日より、さらに難しいはずだ。

 

 それでも、逃げたいとは思わなかった。

 

 ペルシアに言われた。

 

 怖くない人間の方が危ない。

 怖い中で何を拾うかが大事。

 

 その言葉を思い出す。

 

 訓練室へ入ると、ペルシアがいつものように立っていた。

 

「来たわね」

 

「はい」

 

「今日はしんどいわよ」

 

「はい」

 

「でも、昨日までのことをやればいい。聞く、分ける、足りないものを言う」

 

「はい」

 

「それと、最初に一番重い情報」

 

「はい」

 

 イーナは席に座った。

 

 フレイが記録席へ。

 クリスタルが医療評価席へ。

 スリッピーとナウスが画面操作ログを確認。

 フォクスは後方で全体を見る。

 ファルコは現場通信役として別室から入る。

 

 ペルシアが言った。

 

「開始」

 

 訓練が始まった。

 

 最初から音が多かった。

 

『民間船アルマ、船内揺れ再発!』

『救助艇一号、対象船まで五分、破損片が増えてるぞ』

『医療班、頭部外傷疑い一名受け入れ可能』

『宇宙警察、人工干渉疑いの根拠提出を求める』

『船内乗務員より、乗客二名が移動困難』

 

 イーナの手が一瞬止まりかけた。

 

 だが、止まらない。

 

 彼女は画面を見て、音声を拾い、優先順位をつける。

 

「最優先は、船内揺れ再発と移動困難者二名です。負傷者の追加発生可能性があります。次に、救助艇接近時の破損片増加。接近経路の再確認が必要です。医療班は頭部外傷疑い一名受け入れ可能。宇宙警察への根拠提出は後続対応でよいと考えます」

 

 ペルシアが頷く。

 

「足りない情報」

 

「揺れの継続時間、移動困難者の症状と位置、破損片の大きさと進路、救助艇の安全距離、負傷者の意識変化です」

 

 その時、ファルコの声が通信に割り込んだ。

 

『こちら救助艇一号! 破損片が邪魔で近づけねぇ! こっちは待ってられないんだ、接近していいのか悪いのか早くしろ!』

 

 強い声だった。

 

 イーナの肩が跳ねた。

 

 それでも、彼女は画面から目を離さなかった。

 

 深く息を吸う。

 

「救助艇一号へ。現時点で接近可否は未確定。破損片の進路確認中。安全距離を維持してください。対象船内では揺れ再発、移動困難者二名。接近を急ぐ必要はありますが、破損片情報なしの接近は二次被害の可能性があります」

 

 ファルコがさらに荒く言う。

 

『こっちは目視でいけそうに見える! 行くぞ!』

 

 イーナの手が止まった。

 

 一秒。

 

 二秒。

 

 ペルシアは黙って見ている。

 

 イーナは唇を噛み、声を出した。

 

「待ってください」

 

 その声は震えていた。

 

 だが、はっきりしていた。

 

「目視では接近可能に見えても、右舷側破損片の移動情報が未確認です。救助艇が巻き込まれれば救助不能になります。三十秒ください。破損片進路を確認します」

 

 訓練室が静かになった。

 

 ペルシアの目が細くなる。

 

 ファルコの声が少しだけ変わった。

 

『……三十秒だな』

 

「はい。三十秒です」

 

 イーナはすぐにスリッピー側の画面を確認する。

 

「破損片進路データ、右舷外側。救助艇一号の直進経路と交差可能性あり。接近角を十七度変更すれば回避可能です」

 

 ペルシアが言う。

 

「報告」

 

「救助艇一号、直進接近は危険。接近角十七度変更を推奨。安全距離維持のまま右回り接近。対象船内の移動困難者二名は継続確認。頭部外傷疑い一名は医療班受け入れ準備済み」

 

 フレイの記録する手が止まらない。

 

 クリスタルは静かに微笑んでいた。

 

 フォクスは腕を組んだまま、小さく頷く。

 

 ペルシアは短く言った。

 

「続行」

 

 訓練はさらに続いた。

 

 イーナは何度も詰まりかけた。

 

 報告が長くなる場面もあった。

 画面操作で遅れる場面もあった。

 ファルコの圧に声が震える場面もあった。

 

 けれど、止まらなかった。

 

 確認すべきことを確認し、足りない情報を足りないと言い、現場に待ってほしい時は待ってほしいと言った。

 

 そして、三日目の訓練は終了した。

 

 

 訓練終了後、イーナは椅子に座ったまま、少し放心していた。

 

 ペルシアが水を差し出す。

 

「飲みなさい」

 

「ありがとうございます……」

 

 イーナは受け取り、一口飲んだ。

 

 ペルシアは腕を組む。

 

「今日の自己評価は?」

 

 イーナは少し考えた。

 

「怖かったです」

 

「それは昨日も聞いた」

 

「はい……でも、昨日より、何を怖いと思っているのか分かりました」

 

「何?」

 

「間違えることより、確認しないまま流してしまうことが怖いです」

 

 ペルシアは少しだけ目を細めた。

 

「いい答え」

 

 イーナは顔を上げる。

 

「ただ、報告が遅かったと思います。特に、ファルコさんに急かされた時に二秒ほど止まりました」

 

 フレイが記録を見ながら言う。

 

「正確には一・八秒です」

 

「細かいわね、フレイ」

 

「記録です」

 

 イーナは少しだけ苦笑した。

 

 ペルシアは言った。

 

「一・八秒止まった。でも、その後に“待ってください”と言えた」

 

 イーナは小さく頷く。

 

「はい」

 

「現場に待てと言うのは怖い。でも、必要なら言わないといけない」

 

「はい」

 

「今日、それが言えた。大きいわ」

 

 イーナの目が揺れた。

 

「……ありがとうございます」

 

 ファルコが別室から戻ってきた。

 

「悪くなかったぜ」

 

 イーナは慌てて立ち上がりそうになる。

 

 ファルコは手を振った。

 

「立たなくていい。俺があれだけ急かしても、最後に止めたろ。あれは良かった」

 

「ありがとうございます」

 

「まぁ、まだ声は震えてたけどな」

 

「はい……」

 

「でも、震えてても言えりゃいい。現場は綺麗な声なんか求めてねぇ。必要なことを言ってくれりゃいい」

 

 その言葉に、イーナは少し驚いた。

 

 ファルコの言葉は荒い。

 だが、認めてくれているのが分かった。

 

「はい」

 

 フォクスも言った。

 

「接近角変更の判断材料を出したところは良かった。現場が行けると思っていても、外から見た危険を伝える必要がある」

 

「ありがとうございます」

 

 クリスタルが優しく続ける。

 

「医療情報も落としていなかったわ。頭部外傷疑いを最後まで優先に置けていた」

 

「はい」

 

 スリッピーも笑う。

 

「画面操作は練習すればもっと速くなるよ。必要なら僕が教える」

 

「ありがとうございます」

 

 イーナは深く頭を下げた。

 

 ペルシアはその様子を見て、満足そうに頷いた。

 

「イーナ」

 

「はい」

 

「一次訓練、合格」

 

 イーナは一瞬、意味が分からなかった。

 

「……合格、ですか?」

 

「ええ。もちろん、正式配置じゃない。まだ候補。でも、継続訓練に進む価値は十分ある」

 

 イーナの目に涙が浮かぶ。

 

 彼女は慌てて俯いた。

 

「ありがとうございます……」

 

「泣いてもいいけど、謝らない」

 

 ペルシアが言うと、イーナは涙をこらえながら小さく笑った。

 

「はい……謝りません」

 

「よろしい」

 

 フレイは端末に記録した。

 

『イーナ:一次訓練合格。継続訓練対象。役割候補:医療搬送連携、曖昧情報具体化、統括官補助情報整理』

 

 ペルシアはその文字を見て、静かに頷いた。

 

 ようやく。

 

 ようやく、一人目が決まった。

 

 オペレーションルームを変えるための、一つ目の柱。

 

 イーナはまだ弱い。

 自信も足りない。

 速度も足りない。

 経験も足りない。

 

 けれど、必要なものを持っている。

 

 それを育てればいい。

 

 ペルシアはイーナを見て、にっと笑った。

 

「これから忙しくなるわよ、イーナ」

 

 イーナは涙を拭い、少しだけ強く頷いた。

 

「はい。よろしくお願いいたします」

 

 その声は、初めて統括官室に来た時よりも、確かに前を向いていた。

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