イーナの正式採用は、思っていたよりも静かに決まった。
もっと大きな会議になるかと思っていた。
総務部長が反発し、局長が間に入り、ペルシアが苛立ち、フレイが淡々と資料を示し、最終的に押し切るような形になるかもしれない。
ペルシアはそう覚悟していた。
しかし、実際には違った。
イーナの一次訓練結果。
継続訓練での評価。
資料整理補助としての実績。
オペレーションルームの役割別分類表。
他部署評価。
医療班経験。
総務部内での差し戻し率の低さ。
それらをまとめたフレイの資料は、文句のつけようがないほど整っていた。
ペルシアは局長室で、イーナについて説明した。
「イーナは、オペレーションルームに必要よ」
局長は資料に目を通しながら、静かに聞いていた。
「総務部では処理が遅いと評価されていた職員だな」
「ええ。でも、その評価は総務部の処理件数を基準にしたもの。オペレーションルームで必要な確認力、曖昧情報の具体化、医療搬送連携への理解、資料整理能力は高い」
「訓練結果も悪くない」
「悪くないどころじゃないわ。現場から急かされても、“待ってください”と言えた。怖がりながらでも、必要な確認を捨てなかった」
ペルシアは一枚の資料を指で叩いた。
「ここが重要なの」
局長は顔を上げる。
「現場に待てと言えることか」
「そう。現場は焦る。救助艇は行きたがる。通信は急かす。医療班は情報を欲しがる。その中で、分からないことを分からないと言い、今行けば危ないと止められる人間がいる」
ペルシアは少しだけ声を落とした。
「イーナは、そういう人材になる」
局長はしばらく黙った。
そして、フレイが作成した評価表を見る。
『イーナ
役割:医療搬送連携、曖昧情報具体化、選定資料整理補助
適性:高
課題:報告速度、自己評価の低さ、抱え込み傾向
対応:継続訓練、作業分担管理、スリッピーによる画面操作補助、クリスタルによる医療連携補助』
局長は小さく頷いた。
「総務部との調整は?」
フレイが答えた。
「総務部長には、正式採用ではなく段階的な配置変更として説明予定です。まずは兼務扱いでオペレーションルーム訓練及び資料整理補助に従事。その後、正式発足時に所属変更を行う案です」
「総務部の業務影響は?」
「イーナさんが担当していた差し戻し防止業務について、総務部内で分担表を作成します。既に、イーナさんの整理手順をもとにチェックリスト化を進めています」
ペルシアが少し笑う。
「イーナが抜けても困らないように、イーナ自身が総務部の仕組みを整えてるのよ。皮肉だけどね」
局長は苦笑した。
「なるほど。本人はどうだ」
「やる気はある。ただ、自信はまだ足りない」
「それは育てればいい」
「ええ」
局長は資料を閉じた。
「分かった。イーナをオペレーションルーム正式メンバー候補として採用方向で承認する。段階的配置変更を進めなさい」
ペルシアの表情が明るくなった。
「本当?」
「ただし、無理をさせないこと」
「分かってる」
「君は必要な人材だと思うと、かなり強く引っ張る傾向がある」
「……そんなことないわよ」
フレイが横で静かに言った。
「あります」
「フレイ」
「事実です」
局長は笑った。
「イーナは抱え込みやすい性格だ。使い潰してはいけない」
ペルシアは真面目な顔で頷いた。
「それは本当に分かってる。あの子は必要だから、雑に扱わない」
「ならいい」
こうして、イーナは正式にオペレーションルームのメンバーとして採用される方向で決まった。
◇
統括官室に戻ると、ペルシアはすぐにイーナを呼んだ。
イーナは少し緊張した様子で入室した。
まだ、統括官室に入るたびに背筋が伸びる。
総務部で長く染みついた癖なのか、彼女はいつも「何か失敗したのではないか」という顔をして入ってくる。
ペルシアは椅子に座ったまま、少し呆れたように言った。
「イーナ」
「はい」
「そんな顔しない」
「え?」
「怒られると思ってる顔」
イーナは慌てて首を振った。
「いえ、そのようなつもりでは」
「してるわよ」
フレイが横から淡々と言う。
「しています」
「フレイさんまで……」
ペルシアは少し笑った。
「今日は怒る話じゃない。むしろ、いい話」
イーナの表情が変わる。
「いい話、ですか」
「ええ」
ペルシアは立ち上がり、イーナの前に立った。
「局長承認が出た。あなたを、オペレーションルームの正式メンバーとして採用する方向で進める」
イーナは一瞬、理解できなかったように固まった。
それから、ゆっくり目を見開いた。
「私を……ですか」
「そう」
「本当に……」
「本当に」
イーナの手が震えた。
彼女は何か言おうとして、言葉が出てこなかった。
ペルシアは少しだけ声を柔らかくした。
「もちろん、いきなり全部任せるわけじゃない。最初は兼務扱いで、訓練と資料整理補助を続ける。正式発足に合わせて配置変更を進める」
「はい……」
「あなたの役割は、医療搬送連携と曖昧情報の具体化。それから、候補者選定資料の整理補助」
「はい」
「あなたの整理力は、オペレーションルームを作る段階でも必要よ」
イーナの目に涙が浮かんだ。
彼女は慌てて俯きかけたが、ペルシアが先に言った。
「謝らない」
イーナは小さく息を詰めた。
そして、涙をこらえながら頷いた。
「……はい。ありがとうございます」
「泣くのはいいわよ。嬉しい時は」
その言葉で、イーナの目から涙が一粒落ちた。
「すみませ……」
言いかけて、イーナは止まった。
ペルシアがじっと見ている。
イーナは少しだけ笑って言い直した。
「ありがとうございます」
ペルシアは満足そうに頷いた。
「よろしい」
フレイも静かに言った。
「イーナさん、今後は正式な訓練計画に基づいて進めます。作業範囲と時間は管理しますので、一人で抱え込まないようにしてください」
「はい」
「特に夜間の無断作業は禁止です」
「……はい」
ペルシアが横で笑う。
「フレイ、そこ強調するわね」
「重要です」
「でも本当にそう。イーナ、あなたは必要だから、勝手に疲れ果てないで」
「はい。気をつけます」
イーナは涙を拭い、深く頭を下げた。
「精一杯、務めます」
ペルシアは少しだけ目を細めた。
「精一杯じゃなくて、ちゃんと周りを使いなさい」
「はい」
「そこも訓練」
「分かりました」
その日、イーナの名前は候補者一覧から正式メンバー予定欄へ移された。
小さな変化だった。
だが、ペルシアにとっては大きな一歩だった。
オペレーションルームの一人目。
ようやく決まった。
◇
嬉しいことだった。
間違いなく、嬉しいことだった。
イーナの採用が決まり、オペレーションルームの骨格は少しずつ見え始めていた。
だが、ペルシアはその日の午後から、ずっと難しい顔をしていた。
理由は一つ。
ジェームズである。
火星圏補助整備エアポートで見つけた整備士。
機体の癖を読み、許容範囲内の違和感を見逃さず、牽引時の危険を即座に判断できる男。
知識も経験も申し分ない。
オペレーションルームの現場判断補助として、明らかに必要な人材だった。
しかし、問題は本人だった。
無愛想。
寡黙。
机仕事嫌い。
会議嫌い。
自分を整備士だと言い切り、オペレーションルームなど知ったことではないという態度。
ペルシアは統括官室の机に肘をつき、額に手を当てていた。
「どう説得すればいいのよ……」
フレイが端末を確認しながら言う。
「ジェームズさんについての調査結果は、概ね統括官の見立てどおりです」
「聞きたいような、聞きたくないような」
「整備士としての評価は非常に高いです。特に救助艇、監視艇、牽引機構、姿勢制御補助装置に関する知識は、火星圏補助整備エアポート内でも上位です」
「でしょうね」
「過去に、正式な不具合ではない軽微な兆候を指摘し、実際に後の故障を未然に防いだ記録が複数あります」
「やっぱり」
「ただし、勤務評価には“協調性に難あり”“説明が簡潔すぎる”“新人教育には不向き”“会議参加を嫌う”とあります」
「でしょうね!」
ペルシアは机に突っ伏した。
「知ってた! 知ってたわよ!」
ファルコがソファで笑う。
「最高じゃねぇか。いかにも面倒くさい職人って感じで」
「笑い事じゃない」
「お前、そういう奴好きだろ」
「好き嫌いじゃないの。必要なの。でも説得方法が分からないの」
クリスタルが静かに言う。
「本人の価値観に合わせる必要があるわね」
「価値観?」
「彼は整備士として船を守っている。机上で指示を出す仕事だと捉えれば拒否するでしょう。でも、整備士としての知識で救助艇を守る、現場の無茶を止める、と伝えれば届くかもしれない」
「それは考えた」
ペルシアは顔を上げる。
「でも、言い方を間違えると“俺は整備士だ、現場で船を触る”で終わる」
フォクスが腕を組みながら言った。
「現場から完全に引き離す話にしない方がいい」
「そうね。兼務か、助言役から入るか」
フレイが補足する。
「正式配置ではなく、まずはオペレーションルーム訓練への技術助言者として参加を求める案が現実的です」
「それなら少しは抵抗が減るかしら」
「不明です」
「不明って言わないで」
「現時点では不明です」
ペルシアは再び机に突っ伏した。
「ジェームズ、絶対面倒くさい」
ファルコが笑う。
「お前といい勝負だな」
「私、あそこまで無愛想じゃないわよ」
「資料からは逃げるけどな」
「ファルコ」
スリッピーはその会話を聞きながら、端末で何かを見ていた。
ジェームズの簡易資料。
整備記録。
姿勢制御補助装置の指摘履歴。
救助艇の牽引機構に関する改善提案。
スリッピーは目を輝かせた。
「ねぇ、ペルシア」
「何?」
「ジェームズって整備士なんでしょ?」
「そうよ」
「僕も行くよ」
ペルシアは顔を上げた。
「スリッピーが?」
「うん。整備とか機体システムなら、僕も話せると思う。ナウスのデータとも照合できるし」
ナウスの声が端末から響く。
『スリッピーの同行は有効と判断します。ジェームズ氏の技術的指摘を理解し、オペレーションルーム用の情報形式に変換する補助が可能です』
ペルシアは少し考えた。
確かに、スリッピーならジェームズと技術的な話ができる。
ペルシアは人を見る耳はある。
フレイは記録と調整に強い。
しかし、整備士としての深い技術の話になると、ペルシアも完全には踏み込めない。
リュウジやタツヤ班長なら機体の癖を体感で語れるかもしれないが、今は宇宙管理局の案件だ。
スリッピーなら、システム、機体、センサー、整備ログの話を自然にできる。
そして、彼は相手を警戒させにくい。
ファルコはニヤリと笑った。
「いいんじゃねぇか。あの無愛想整備士も、ペルシアよりスリッピーの方が話しやすいかもな」
「何よそれ」
「お前は最初から“必要だから来い”って顔してんだよ」
「そんな顔してない」
クリスタルが優しく言う。
「しているわ」
「クリスタルまで」
フォクスも静かに言った。
「スリッピーなら、まず技術の話から入れる。説得ではなく、理解から始められる」
ペルシアは腕を組んだ。
「……そうね」
フレイも頷く。
「同行者にスリッピーさんを追加します」
「決まり」
ペルシアはスリッピーを見る。
「お願いできる?」
「もちろん!」
スリッピーは明るく笑った。
「僕、ジェームズの整備記録すごく気になってたんだ。救助艇二号の左舷姿勢補助の指摘、あれかなり面白いよ。数値だけだと見落としそうだけど、連続ログで見ると確かに癖が出てる」
「もう見てるの?」
「うん。フレイが共有してくれた資料の範囲だけだけど」
フレイが言う。
「閲覧権限内です」
「さすが」
ペルシアは少し肩の力を抜いた。
「じゃあ、ジェームズに会う時は、私とフレイとスリッピーで行く」
「はい!」
「ただし、最初から説得しようとしない」
フレイが言った。
「まずは技術助言者としての協力可能性を確認します」
「そうね」
ペルシアは深く息を吐いた。
「……これで少しは何とかなるかしら」
しかし、その後もペルシアの悩みは消えなかった。
どう切り出すか。
どこまで話すか。
机仕事だと思われないようにするにはどう言えばいいか。
整備士としての誇りを傷つけずに、オペレーションルームの必要性を伝えるにはどうすればいいか。
考えても、考えても、決定的な解決策は出ない。
結局、ジェームズに会う日まで、ペルシアはずっと「どうしよう」と呟き続けた。
フレイは何度も言った。
「統括官、考えすぎです」
「でも、逃げられたら困る」
「逃げられた場合は、再度調整します」
「逃げられる前提にしないで」
「可能性はあります」
「フレイ、正直すぎる」
そんな状態のまま、再び火星圏補助整備エアポートへ向かう日になった。
◇
整備エアポートに着いた時、ペルシアは前回より少し緊張していた。
前回は偶然だった。
予定外に立ち寄り、偶然ジェームズを見つけた。
その場の直感で話し、必要だと感じた。
だが、今回は違う。
正式に会いに来た。
話を聞き、協力を求め、場合によってはオペレーションルームへの参加を打診する。
相手はあのジェームズ。
面倒くさそうに「何かようか」と言う男。
ペルシアは格納区画へ入る前に、小さく息を吐いた。
「よし」
フレイが横で言う。
「統括官、最初から強く出すぎないように」
「分かってる」
「“あなたが必要”は事実ですが、最初に言うと警戒されます」
「分かってるって」
「“逃がさない”も禁止です」
「それは言わない」
「“口説く”も禁止です」
「分かってるわよ!」
スリッピーが苦笑する。
「ペルシア、すごく注意されてるね」
「いつものことよ」
「いつものことなんだ」
フレイは淡々と言った。
「いつものことです」
ペルシアは少し不満そうにしたが、言い返さなかった。
格納区画に入ると、前回と同じように金属音と整備の匂いが広がっていた。
救助艇、監視艇、連絡船。
整備士達がそれぞれの持ち場で作業している。
整備主任が三人を迎えた。
「ペルシア統括官、フレイさん、スリッピーさん。お待ちしておりました」
「今日は時間を取ってくれてありがとう」
「いえ。ジェームズには一応伝えてありますが……」
整備主任は少し困った顔をした。
「反応は?」
ペルシアが聞く。
「“忙しい”と」
「予想通り」
「ただ、来るなとは言っていません」
「進歩ね」
フレイが静かに言う。
「前回も明確な拒否ではありませんでした」
「そうそう。完全拒否じゃないならいける」
スリッピーは格納区画を興味深そうに見ていた。
「わぁ……ここ、いい設備だね。救助艇の姿勢制御ユニット、こっちの型なんだ」
整備主任が少し驚く。
「分かるのですか」
「うん。前に似たタイプを触ったことがあるよ。こっちは補助推進の応答性が良いけど、負荷が偏るとログに出にくい癖があるんだよね」
整備主任の目が変わった。
「よくご存じで」
「好きなんだ、こういうの」
スリッピーはにこにこしていた。
ペルシアはその様子を見て、少し安心した。
やはり連れてきて正解だったかもしれない。
そして、格納区画の奥。
ジェームズはいた。
前回と同じように、作業服を油で汚し、機体の下に半身を入れるようにして作業している。
周りの整備士達がペルシア達に気づく中、ジェームズだけは振り向かなかった。
ペルシアはゆっくり近づいた。
前回、後ろに立つと邪魔だと言われたので、今回は最初から横に立つ。
「ジェームズ」
男は手を止めずに言った。
「また来たのか」
「来るって言ったでしょ」
「聞いてない」
「言ったわ」
「覚えてない」
「絶対覚えてる顔してる」
ジェームズはようやく顔を少し向けた。
相変わらず面倒くさそうな目だった。
「何の用だ」
「今日は正式に話を聞きに来たの」
「忙しい」
「知ってる。作業の邪魔はしない」
「してる」
「まだしてない」
「来た時点で邪魔だ」
整備主任が慌てて口を挟もうとしたが、ペルシアは手で制した。
「前回よりは邪魔にならない位置に立ってるわ」
ジェームズは無言でペルシアを見た。
そして、小さく鼻を鳴らした。
「少しは学習したか」
「私は成長する女なの」
「知らん」
フレイは横で淡々と記録を取っていたが、少しだけ目元が疲れている。
スリッピーはその間も、ジェームズの作業している機体をじっと見ていた。
「それ、救助艇三号の牽引補助ライン?」
ジェームズの手が止まった。
ペルシアもフレイも、スリッピーを見る。
ジェームズは初めて、スリッピーへ視線を向けた。
「……見て分かるのか」
「うん。配線の取り回しが二号と違うから。三号は後から補強入ってるよね?」
ジェームズはわずかに目を細めた。
「そうだ」
「やっぱり。たぶん前の型だと牽引時に左側の負荷が逃げにくかったんだよね」
「……」
ジェームズは何も言わなかった。
だが、拒絶の空気が少しだけ薄くなった。
ペルシアはそれに気づいた。
その時、整備主任がフレイに声をかけた。
「フレイさん、正式照会いただいた整備記録の件ですが、一部確認いただきたい資料があります。別室でご説明してもよろしいでしょうか」
フレイはペルシアを見る。
「統括官」
「行きましょう」
ペルシアはジェームズに視線を戻した。
「少し席を外すわ。戻ったら話を聞かせて」
「聞かせるとは言ってない」
「聞くわ」
「勝手にしろ」
スリッピーが手を上げた。
「あの、僕、もう少しジェームズの整備見ててもいい?」
ペルシアは少し迷った。
ジェームズは嫌がるかもしれない。
しかし、スリッピーの目は完全に整備士のそれだった。
ただの同行者ではなく、機体に興味を持つ技術者の目。
ペルシアはジェームズを見る。
「邪魔?」
ジェームズはスリッピーを一瞥した。
「触るな。口を出すなら分かることだけ言え」
スリッピーの顔が明るくなる。
「うん! ありがとう!」
ペルシアは少し驚いた。
許可した。
あのジェームズが。
フレイもわずかに目を細めた。
ペルシアはスリッピーに言った。
「じゃあ、少しだけお願い」
「任せて」
こうして、ペルシアとフレイは整備主任に連れられて別室へ向かった。
◇
別室での説明は、思ったより長くなった。
整備主任は、ジェームズに関する整備記録を丁寧に説明した。
過去の指摘履歴。
未然に防いだ故障。
救助艇の癖を記録したメモ。
正式な報告書には残っていないが、整備士達の間で共有されている注意点。
「ジェームズは、口は悪いですが腕は本物です」
整備主任は苦笑しながら言った。
「それは分かってる」
ペルシアは資料を見ながら答える。
「むしろ、腕が本物すぎて困ってる」
「困っている、ですか」
「必要なのに、本人が絶対嫌がりそうだから」
整備主任は深く息を吐いた。
「ええ。そこは私も想像できます」
「彼は、なぜああいう働き方を?」
「昔からです。若い頃はもう少し人当たりも良かったそうですが、何度か自分の指摘を軽く見られたことがありまして」
ペルシアの目が変わった。
「指摘を?」
「はい。数値上は許容範囲だったため、上が重要視しなかった。結果として大事故にはなりませんでしたが、後に不具合が表面化したことがあるそうです」
「それで、他人を信用しなくなった?」
「完全にではありません。ただ、“分からない奴に説明しても無駄だ”という態度は強くなりました」
フレイが静かに記録する。
ペルシアは資料を見つめた。
なるほど。
ジェームズは最初から無愛想だったわけではないのかもしれない。
自分が見つけた違和感を軽く扱われた。
分かる人間にしか分からない危険を、数字だけで流された。
それが積み重なって、説明することを諦めた。
ペルシアは小さく呟いた。
「面倒な人じゃなくて、諦めた人か」
整備主任は少し驚いた顔をした。
「……そうかもしれません」
フレイが言う。
「統括官、説得方針に関わる情報です」
「そうね」
ペルシアは資料を閉じた。
「ジェームズに必要なのは、“説明しろ”じゃなくて、“あなたの見ているものを使える形にしたい”って伝えることね」
「はい」
「彼の言葉を無理に変えさせるんじゃなくて、変換役をつける」
「スリッピーさんやイーナさんが、その役割を担える可能性があります」
「……そうか」
ペルシアはそこで、はっとした。
スリッピー。
今、ジェームズの整備を見ている。
技術の言葉が分かる。
ジェームズが見ている機体の癖を、理解できる可能性がある。
もしジェームズが「説明しても無駄」と思っているなら、まずは「分かる相手」が必要だ。
ペルシアは少しだけ笑った。
「連れてきて正解だったかも」
フレイも頷いた。
「確認しましょう」
◇
ペルシアとフレイが格納区画へ戻ると、最初に耳に入ったのはスリッピーの明るい声だった。
「でも、それってセンサーのログだけ見ると、ただのノイズに見えちゃうよね?」
次に、ジェームズの低い声。
「だからノイズじゃないと言ってる。右回頭時だけ、同じ周期で出る。ランダムじゃない」
「うんうん。周期性があるなら、制御側の補正と干渉してる可能性あるよね」
「そうだ。だが制御班は“許容範囲”で片づける」
「もったいないなぁ。これ、ナウスに読ませたらパターン抽出できると思う」
「ナウス?」
「僕達のAI。すごく優秀だよ。整備ログと実運用ログを重ねれば、ジェームズが見てる癖を検出できるかもしれない」
「……そんなことができるのか」
「できると思う! ただ、ジェームズの見方を教師データにしたいかな。何が危険な癖で、何がただの許容範囲内のばらつきなのか、そこを教えてもらえたら」
「簡単に言うな」
「簡単じゃないよ。でも面白そう」
「面白いで済む話じゃない」
「うん。救助艇が壊れたら命に関わるもんね」
「……」
ペルシアとフレイは、思わず足を止めた。
格納区画の奥。
救助艇三号の横で、スリッピーとジェームズが並んで端末を覗き込んでいた。
スリッピーは身を乗り出し、目を輝かせている。
ジェームズは相変わらず無愛想な顔だ。
だが、明らかに先ほどとは違う。
面倒くさそうではない。
むしろ、真剣に話している。
しかも、楽しそうに。
いや、ジェームズ本人は楽しそうに見えない。
口角も上がっていない。
笑ってもいない。
だが、会話が続いている。
拒絶していない。
質問に答えている。
スリッピーの提案に反応している。
ペルシアは完全に呆気に取られた。
「……何あれ」
フレイも珍しく、数秒黙った。
「……想定外です」
「ジェームズ、喋ってる」
「はい」
「しかも楽しそう」
「ジェームズさんの表情変化は軽微ですが、会話継続性から判断すると、興味を持っている可能性が高いです」
「フレイ、分析しなくても分かるわよ」
ペルシアは小声で言いながらも、目を離せなかった。
スリッピーが端末を指差す。
「ここ、ジェームズはどう判断してるの?」
「その波形だけなら問題ない」
「うん」
「だが、その前に推進補助が一瞬遅れてる。遅れた後に姿勢補助が補正している。つまり、姿勢補助そのものが悪いんじゃなくて、推進補助の遅れを姿勢側が拾ってる」
「なるほど! だから姿勢ログだけ見ても原因が見えないんだ」
「そうだ」
「それ、すごい。管制側だと絶対見落とすよ」
「見落とすだろうな」
「オペレーションルームにこういう見方があったら、救助艇の接近判断かなり変わるよ」
ジェームズは少しだけ顔をしかめた。
「またその話か」
「うん。でも、僕ちょっと分かったよ」
「何がだ」
「ペルシアがジェームズを必要って思った理由」
ジェームズは黙る。
スリッピーは端末から顔を上げた。
「ジェームズは、機体の“声”を聞いてるんだね」
ペルシアはその言葉に目を細めた。
機体の声。
それは、ペルシアが人の声を聞くのと少し似ている。
ジェームズは機械の声を聞いている。
数値になりきらない違和感。
ログに埋もれる癖。
許容範囲内に隠れた危険。
ジェームズは少し不機嫌そうに言った。
「気持ち悪い言い方をするな」
「ごめん。でも、そう感じたんだ」
「俺は音と癖を見てるだけだ」
「それがすごいんだよ」
「……」
「僕はシステムで見ようとする。ナウスはパターンで見る。でも、ジェームズは実際に船を触って、何度も飛ばして、戻ってきた後の状態まで見てる。だから分かるんだよね」
ジェームズは答えなかった。
だが、目を逸らさなかった。
スリッピーは続けた。
「もしジェームズがオペレーションルームにずっといるのが嫌なら、最初は全部じゃなくてもいいと思うんだ。訓練の時だけでも、整備ログの読み方を教えてほしい。僕もナウスも、それをシステムに落とし込みたい」
「……俺は教師じゃない」
「うん。先生っぽくなくていいよ。ジェームズが“これは危ない”“これはただのばらつき”って言ってくれるだけでいい」
「雑だな」
「最初はね。でも、そこから一緒に形にできると思う」
ジェームズは端末を見たまま、低く言った。
「お前、機械は分かるのか」
「好きだよ。宇宙船も、制御系も、センサーも。全部じゃないけど、分かるようになりたい」
「……なら、これは?」
ジェームズは別のログを開いた。
「救助艇二号。牽引後に右舷補助が跳ねてる。原因は?」
スリッピーは画面に顔を近づけた。
「えっと……牽引後だから、対象船側の負荷かな。でも右舷補助だけなら、グラップルの戻り? いや、戻りならもっと短いか。これ、牽引中に微妙に角度ずれてる?」
ジェームズの目が少し動いた。
「続けろ」
「対象船の回転を抑えるために、救助艇側が右舷補助で補正し続けてる。でも、補正しすぎて戻した時に跳ねてる……かな?」
「半分だ」
「半分かぁ」
「対象船の回転だけじゃない。救助艇側のグラップル固定が硬すぎる。逃げがないから補正が跳ねる」
「なるほど! 固定が強すぎても駄目なんだ」
「当たり前だ」
「面白い!」
「面白がるな」
「ごめん。でも、すごく面白い」
ジェームズは呆れたように息を吐いた。
しかし、その目は少しだけ柔らかかった。
ペルシアとフレイは、まだ少し離れた場所に立っていた。
整備主任も横で目を丸くしている。
「ジェームズが……あんなに話すとは」
整備主任が小声で呟く。
ペルシアも同じ気持ちだった。
「スリッピー、すごいわね」
フレイが静かに言う。
「説得の糸口が見えました」
「ええ」
ペルシアは腕を組んだ。
「私が真正面から必要だって言っても、たぶん逃げる。でもスリッピーとなら、技術の話から入れる」
「ジェームズさんは、自分の知識を理解しようとする相手には応じるようです」
「そうね」
「ペルシア統括官」
整備主任が静かに言った。
「ジェームズは、これまで自分の見ているものを理解されないことが多かったのだと思います」
「分かる」
ペルシアはジェームズを見た。
「だから、説明を諦めた。でも、スリッピーは聞いてる。分からないところは分からないと言って、でも理解しようとしてる」
「はい」
ペルシアは少しだけ笑った。
「私、説得の仕方を間違えかけてたわ」
フレイが見る。
「と、言いますと」
「ジェームズ本人を説得しようとしてた。でも、先に必要なのは、ジェームズの言葉を受け取れる場所を作ることだったのね」
フレイは頷いた。
「スリッピーさん、ナウス、イーナさんを介して、ジェームズさんの専門判断をオペレーションルーム用に変換する体制を示せば、本人の抵抗は減るかもしれません」
「そう」
ペルシアは楽しそうに目を細めた。
「見えたわ」
◇
しばらくして、スリッピーがようやくペルシア達に気づいた。
「あ、戻ってたんだ」
ペルシアは近づきながら言った。
「ずいぶん楽しそうだったじゃない」
「うん! ジェームズすごいよ。整備ログの見方が全然違うんだ。僕、もっと聞きたい」
ジェームズは不機嫌そうに言う。
「俺は聞かせるとは言ってない」
「でも、さっきいっぱい教えてくれたよね」
「お前が勝手に聞いただけだ」
「答えてくれたじゃん」
「……」
ペルシアは思わず笑った。
「ジェームズ」
「何だ」
「スリッピーとは話せるのね」
「こいつは多少分かる」
スリッピーが嬉しそうにする。
「多少だって!」
「喜ぶな。褒めてない」
「僕には褒め言葉だよ」
ジェームズは呆れたように目を逸らした。
フレイが静かに言う。
「ジェームズさん。本日は、正式に協力依頼についてお話しする予定でした」
「だろうな」
「ですが、今の様子を見て、提案内容を少し修正した方がよいと判断しました」
ジェームズはフレイを見る。
「修正?」
ペルシアが前に出た。
「あなたをいきなりオペレーションルームへ引っ張る話じゃない」
「なら帰れ」
「最後まで聞きなさい」
「面倒だ」
「面倒でも聞いて」
ジェームズは黙った。
ペルシアは続けた。
「まずは、技術助言者として協力してほしい。スリッピーとナウスに、あなたの整備ログの見方を教える。あなたが危ないと判断する癖、許容範囲でも見逃せない兆候、牽引時の負荷の読み方。それをオペレーションルームで使える形にしたい」
ジェームズは眉を寄せた。
「俺を本局に置く話じゃないのか」
「最初からそれを言えば、あなた逃げるでしょ」
「逃げる」
「正直ね」
「当たり前だ」
ペルシアは笑った。
「だから、段階を踏む。まずは訓練協力。次に、実際のシミュレーションで助言者として参加。そこから、あなた自身が必要だと思えば、正式な役割を相談する」
「俺が必要だと思わなければ?」
「その時はまた考える」
「諦めるとは言わないんだな」
「必要な人材は簡単に諦めない主義なの」
「迷惑な女だ」
「よく言われる」
スリッピーが横から言った。
「ジェームズ、僕ももっと教えてほしい。整備士の視点をシステムに入れたいんだ。ジェームズが全部会議で喋らなくてもいいように、僕とナウスで形にするから」
ジェームズはスリッピーを見る。
「本気でできると思ってるのか」
「うん。全部は無理かもしれない。でも、今よりずっと良くできると思う」
「……」
「それに、ジェームズが見てる危険って、救助艇の人達にも必要だよ。現場が“行ける”と思っても、整備の目で“行ったら戻れない”って分かる時があるんでしょ?」
ジェームズの顔が少しだけ険しくなった。
「ああ」
「それを、ちゃんと届くようにしたい」
その言葉に、ジェームズはしばらく黙った。
整備エアポートの音が響く。
金属音。
工具の音。
遠くで誰かが部品番号を読み上げる声。
ジェームズは手元の工具を見た。
「……俺は、説明が上手くない」
ペルシアはすぐには答えなかった。
ジェームズが自分の弱点を口にしたのは、これが初めてだった。
スリッピーも黙って待った。
ジェームズは続ける。
「見れば分かる。触れば分かる。音を聞けば分かる。だが、言葉にすると伝わらない。伝わらないから、面倒になる」
ペルシアは静かに言った。
「だから、変換役を作る」
ジェームズが顔を上げる。
「あなたの見ているものを、スリッピーとナウスがシステムに落とす。イーナが判断材料として整理する。フレイが時系列に置く。私はそれを使って判断する」
ペルシアは一歩近づいた。
「あなた一人に全部説明しろとは言わない。でも、あなたが見ている危険を、私達に渡してほしい」
ジェームズはペルシアを見た。
前回と同じような無愛想な目。
だが、その奥には少しだけ迷いがあった。
「俺が間違ったら?」
「私が最終判断する」
「それで事故が起きたら?」
「責任は私が持つ」
「簡単に言うな」
「簡単じゃないわよ」
ペルシアの声が少し強くなった。
「でも、責任を持つために判断材料が必要なの。間違った材料で判断する方が怖い。あなたの知識があれば、避けられる事故があるかもしれない」
ジェームズは黙った。
スリッピーが小さく言う。
「僕も手伝う。ジェームズが一人で全部言わなくていいように」
フレイも続けた。
「勤務形態についても、まずは短時間の技術協力から調整可能です。現所属を直ちに離れる必要はありません」
ジェームズは深く息を吐いた。
「……面倒だ」
「知ってる」
「会議は嫌いだ」
「最初は会議じゃない。訓練」
「資料も嫌いだ」
「私も嫌い」
フレイが即座に言う。
「統括官は作成しています」
「してるわよ」
ジェームズはペルシアを見て、ほんの少しだけ口元を動かした。
「資料嫌いな統括官か」
「そうよ。でも必要なら作る」
「……なら、俺も少しは面倒を見る」
ペルシアの目が光った。
「本当?」
「少しだ」
「十分」
「勝手に大きくするな」
「しないわ。最初は少し」
ジェームズはスリッピーを見る。
「お前が来るなら、ログの見方くらいは教える」
スリッピーの顔が一気に明るくなった。
「やった!」
「騒ぐな」
「ごめん。でも嬉しい」
「変な奴だな」
「よく言われる」
ペルシアは思わず笑った。
「ジェームズ、人のこと言えないわよ」
「うるさい」
フレイは端末に記録した。
『ジェームズ:技術助言者として初期協力に同意。スリッピー及びナウスとの整備ログ解析訓練を実施予定。正式配置は未定』
ペルシアはその記録を見て、深く息を吐いた。
肩の力が抜ける。
大きな説得ではなかった。
強く言い切って引っ張ったわけでもない。
役職の力で押したわけでもない。
正面から「あなたが必要」と迫ったわけでもない。
スリッピーがジェームズの見ている世界に入り、会話の道を作った。
そこから、ジェームズ自身が少しだけ扉を開いた。
ペルシアはスリッピーを見る。
「スリッピー」
「何?」
「連れてきて正解だった」
スリッピーは照れたように笑った。
「僕も楽しかったよ」
ジェームズが横から言う。
「楽しい話じゃない」
「でも、面白かったでしょ?」
「……少しだけだ」
スリッピーはまた嬉しそうにした。
ペルシアとフレイは顔を見合わせた。
フレイの表情はいつも通り落ち着いている。
だが、少しだけ呆気に取られているようにも見えた。
ペルシアは小さく笑った。
「まさか、ジェームズを楽しそうに喋らせるのがスリッピーとはね」
フレイは静かに答えた。
「人材配置において、相性は重要です」
「本当にね」
整備エアポートの奥で、ジェームズとスリッピーはまたログの話を始めていた。
「ここ、ナウスに送っていい?」
「機密範囲を確認しろ」
「もちろん。フレイ、あとで確認お願い」
「承知しました」
「ジェームズ、この波形も見ていい?」
「見るだけならな」
「やった」
「触るな」
「分かってるって」
そのやり取りを見ながら、ペルシアは思った。
二人目も、形になり始めている。
まだ正式採用ではない。
まだジェームズは本局に来るとは言っていない。
むしろ、今でも面倒だと思っているだろう。
だが、最初の扉は開いた。
それで十分だった。
イーナに続き、ジェームズ。
オペレーションルームは、少しずつ人の形を持ち始めている。
ペルシアは格納区画の金属音を聞きながら、静かに笑った。
「逃がさないわよ」
フレイがすぐに言った。
「本人に聞こえない声量でお願いします」
「聞こえてないわよ」
遠くでジェームズが低く言った。
「聞こえてるぞ」
ペルシアは固まった。
スリッピーが吹き出しそうになり、フレイは静かに目を伏せた。
ジェームズは振り向かずに言った。
「逃げるほど暇じゃない。仕事がある」
ペルシアは一瞬驚き、それから笑った。
「じゃあ、仕事のついでに協力して」
「面倒な女だ」
「よく言われる」
ジェームズは何も返さなかった。
だが、その背中は前回よりも少しだけ、こちらを拒んでいなかった。