サヴァイヴ〜ドルトムント財閥〜   作:一塔

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補充

 ジェームズが「少しは面倒を見る」と言った。

 

 それだけだった。

 

 正式にオペレーションルームへ入るとは言っていない。

 本局へ来るとも言っていない。

 机に座って統括官を補佐するなど、一言も承諾していない。

 

 ただ、スリッピーとナウスに整備ログの見方を教える。

 

 その程度の協力だった。

 

 だが、ペルシアにとっては十分だった。

 

 最初の扉が開いた。

 

 あの面倒くさそうな整備士が、完全に拒絶しなかった。

 それどころか、スリッピーに向かって機体ログを見せ、指摘し、問い返していた。

 

 ペルシアはそれだけで、内心かなり浮かれていた。

 

「フレイ」

 

「はい」

 

「今日、勝ちよね」

 

「初期協力を得られたという意味では、前進です」

 

「つまり勝ち」

 

「正式採用ではありません」

 

「でも勝ち」

 

「限定的勝利です」

 

「何その言い方」

 

 フレイは端末を見ながら淡々と答える。

 

「ジェームズさんは、技術助言者としての協力には応じました。しかし、オペレーションルームの中核メンバーとしての参加には同意していません」

 

「分かってるわよ」

 

「また、協力条件も明文化されていません。勤務時間、情報管理、機密ログの取扱い、スリッピーさん及びナウスとのデータ共有範囲、整備主任との調整が必要です」

 

「出た、資料」

 

「必要です」

 

 ペルシアは思わず格納区画の天井を見上げた。

 

「せっかくいい感じで終わったのに、すぐ資料」

 

「いい感じで終わったからこそ、正式化が必要です」

 

「分かってるわよ」

 

 少し離れた場所では、スリッピーがまだジェームズと話していた。

 

「じゃあ、この牽引ログって、機体側じゃなくて対象船の回転癖も影響してるんだよね?」

 

「そうだ」

 

「対象船側の質量分布が偏ってると?」

 

「さらに悪くなる」

 

「じゃあ、オペレーションルームで必要なのは、救助艇の情報だけじゃなくて、対象船の積載情報も?」

 

「当たり前だ。牽く相手の重さも形も分からずに牽引判断なんかできるか」

 

「そっか。管制だと“牽引可能”って一言で片づけちゃうことあるけど、本当は全然足りないんだね」

 

「足りない。足りなすぎる」

 

 ジェームズの声は相変わらず低い。

 言い方もぶっきらぼうだ。

 

 だが、会話は途切れない。

 

 スリッピーが聞く。

 ジェームズが答える。

 スリッピーがさらに考える。

 ジェームズが訂正する。

 

 その流れが自然にできていた。

 

 ペルシアは腕を組んだまま、少し感心していた。

 

「スリッピーって、ああいう相手と相性いいのね」

 

「専門分野が近いことに加え、相手の言葉を否定せずに受け取る姿勢があります」

 

「フレイ、分析が早い」

 

「観察結果です」

 

「でも本当にそうね。私だったら、途中で“つまりこういうこと?”ってまとめに行っちゃう」

 

「統括官の場合、結論を急ぎます」

 

「悪い?」

 

「状況によります」

 

「今は?」

 

「ジェームズさん相手には、やや不向きです」

 

「はっきり言うわね」

 

「必要な指摘です」

 

 ペルシアは苦笑した。

 

 確かに、ジェームズには急ぎすぎない方がいい。

 

 彼は、自分の見ているものを簡単には渡さない。

 相手が分かるかどうかを見ている。

 分からない相手に説明しても無駄だと、どこかで諦めている。

 

 だからこそ、スリッピーのように「分かりたい」と目を輝かせる相手には、少しだけ扉を開く。

 

 ペルシアは小さく頷いた。

 

「先にスリッピーとナウスで関係を作る。それから、イーナが情報を整理する」

 

「はい」

 

「ジェームズの言葉を、オペレーションルームで使える判断材料に変える」

 

「それが現実的です」

 

「フレイ」

 

「はい」

 

「イーナに連絡して。戻ったら、ジェームズの資料を一緒に見直す」

 

「承知しました」

 

 フレイはすぐに端末を操作した。

 

 

 本局へ戻ったのは、また夜だった。

 

 ペルシアは連絡船の中で一度、端末を開いたが、すぐに閉じた。

 

「今日は無理」

 

「記録は明朝でも構いません」

 

 フレイが珍しくそう言った。

 

 ペルシアは目を細める。

 

「フレイ、本当に優しい時あるわよね」

 

「疲労状態を考慮した判断です」

 

「優しさって言って」

 

「疲労状態を考慮した優しさです」

 

「硬い」

 

 スリッピーは座席でまだ興奮気味だった。

 

「ジェームズ、すごかったなぁ。ログの読み方が全然違うんだよ。僕がシステムで見るところを、彼は整備履歴と実際の機体の癖で見てる。しかも、言葉にしてないだけで、頭の中ではかなり細かく分解してると思う」

 

「スリッピー、すごく楽しそうね」

 

「楽しかったよ!」

 

「ジェームズも楽しそうだった」

 

「そうかな?」

 

「楽しそうだったわよ」

 

 フレイが補足する。

 

「表情変化は少なかったですが、会話継続時間、質問への応答速度、追加ログ提示の回数から見て、一定以上の関心を示していました」

 

「ほら」

 

 ペルシアが言うと、スリッピーは嬉しそうに笑った。

 

「また話せるかな」

 

「話せるようにする」

 

「ありがとう、ペルシア」

 

「こちらこそ。あなたを連れて行って正解だった」

 

 スリッピーは少し照れたように笑った。

 

「僕も役に立ててよかった」

 

 ペルシアは窓の外を見た。

 

 火星圏の光が遠ざかり、木星本局へ向かう航路が静かに伸びている。

 

 二人目。

 

 まだ正式ではない。

 まだ逃げる可能性もある。

 だが、ジェームズは協力の入口に立った。

 

 イーナが正式メンバーに決まり、ジェームズが技術助言者として動き始める。

 

 オペレーションルームは、ただの構想から、少しずつ本物になっていた。

 

 

 翌朝。

 

 統括官室には、イーナが早めに来ていた。

 

 ただし、今回は夜中に一人で作業していたわけではない。

 フレイが指定した時間内で、正式な作業として来ている。

 

 机の上には、ジェームズの資料を整理するための分類表が用意されていた。

 

 ペルシアが入室すると、イーナはすぐに立ち上がる。

 

「おはようございます、統括官」

 

「おはよう、イーナ。早いわね」

 

「フレイさんから、八時十五分から作業開始と伺っていましたので」

 

「時間ぴったり」

 

「はい」

 

 フレイが横から言う。

 

「本日は勤務時間内です」

 

「そこ強調するのね」

 

「重要です」

 

 イーナは少し恥ずかしそうに笑った。

 

「気をつけています」

 

「よろしい」

 

 ペルシアは椅子に座り、端末を開いた。

 

「じゃあ、昨日の話をするわ。ジェームズ、少しだけ協力してくれることになった」

 

 イーナの表情が明るくなる。

 

「本当ですか」

 

「ええ。スリッピーのおかげでね」

 

 スリッピーも入室しながら手を振った。

 

「おはよう!」

 

「おはようございます、スリッピーさん」

 

「ジェームズ、すごかったよ。イーナにも早く聞いてほしいな」

 

「はい。資料を拝見した限りでも、とても重要な方だと思っています」

 

 ペルシアはイーナの前に資料を送る。

 

「昨日の会話メモ。スリッピーとジェームズの会話も入ってる」

 

 イーナはすぐに目を通し始めた。

 

 読む速度は速くない。

 

 しかし、重要な箇所に印をつける手が早い。

 

『許容範囲内の周期性』

『単独ログではなく複数回の訓練記録を重ねる』

『牽引対象船の質量分布』

『接近可否ではなく、行って戻れるか』

『整備士の暗黙知を判断材料化する必要』

 

 イーナはしばらく黙って読んでいた。

 

 そして、顔を上げる。

 

「統括官」

 

「何?」

 

「ジェームズさんは、オペレーションルームに常駐するより、まず“機体判断助言”として段階的に関わっていただく方が良いと思います」

 

 ペルシアは少し笑う。

 

「同じこと考えてた」

 

「やはり、本人が机上業務に抵抗を持たれているようですので、最初から中核メンバーとして勧誘すると反発が強いと思います」

 

「ええ」

 

「ただ、スリッピーさんとの技術会話には応じています。ですので、ジェームズさんの知識を直接オペレーションルームへ持ち込むのではなく、まずスリッピーさんとナウスさんが整備ログの読み方を学び、その内容を私が判断材料として整理する形が良いのではないでしょうか」

 

 スリッピーが目を輝かせる。

 

「それ、すごくいいと思う!」

 

 フレイも頷いた。

 

「現実的です」

 

 ペルシアは椅子の背にもたれた。

 

「本当に、イーナがいて助かるわね」

 

 イーナは少し戸惑った。

 

「私は、整理しているだけです」

 

「また“だけ”」

 

「あ……」

 

 ペルシアは笑う。

 

「でも、今回は自分で気づいた?」

 

「はい。言いかけてしまいました」

 

「進歩」

 

 イーナは小さく笑った。

 

 そして、すぐに真剣な顔へ戻る。

 

「ジェームズさんの判断を、オペレーションルームで使うには、三段階必要だと思います」

 

「聞かせて」

 

「一つ目は、ジェームズさんの暗黙知を言葉にすること。何を危険と見ているのか、どのログを重ねているのか、どの機体癖を重視しているのかを聞き出す段階です」

 

「うん」

 

「二つ目は、それをスリッピーさんとナウスさんで解析し、再現可能な形にすること。完全な自動化ではなく、注意すべき兆候を抽出する補助機能としてです」

 

「いいわね」

 

「三つ目は、オペレーションルーム用に短く整えることです。例えば、“直進接近不可。接近角十七度変更推奨。理由、左舷補助遅れと牽引負荷集中”のように、統括官が即時判断できる形にします」

 

 ペルシアは思わずフレイを見た。

 

 フレイも静かに頷く。

 

「非常に適切です」

 

 スリッピーも興奮気味に言った。

 

「それなら僕もやりやすい! ジェームズの説明って、整備士には分かるけど管制には難しいところがあるから、イーナが報告文にしてくれたらすごく助かるよ」

 

 イーナは少し照れながら答える。

 

「私も、専門的な内容はスリッピーさんに確認しながらでないと難しいです」

 

「もちろん! 一緒にやろう!」

 

 そのやり取りを見て、ペルシアは胸の奥が少し温かくなるのを感じた。

 

 イーナとスリッピー。

 

 そして、ジェームズ。

 

 それぞれまったく違う人材だ。

 

 イーナは整理する。

 スリッピーは理解して広げる。

 ジェームズは見えない機体の危険を読む。

 

 この三人がつながれば、オペレーションルームの一部が確実に強くなる。

 

 ペルシアは机を軽く叩いた。

 

「決まり。ジェームズ協力計画、第一段階は“整備ログ解析訓練”」

 

 フレイがすぐに入力する。

 

「参加者は、ジェームズさん、スリッピーさん、ナウス、イーナさん。監督として統括官及び私」

 

「私も?」

 

 イーナが少し驚く。

 

「もちろん。あなたが変換役」

 

「はい」

 

「ただし、抱え込まない」

 

「はい」

 

「スリッピー、技術面の橋渡しお願い」

 

「任せて!」

 

「フレイ、日程と文書」

 

「承知しました」

 

 ペルシアは少しだけ笑った。

 

「なんか、チームっぽくなってきたわね」

 

 フレイが静かに答える。

 

「まだ準備段階です」

 

「でも、チームっぽい」

 

「否定はしません」

 

「素直じゃないわね」

 

 

 数日後、第一回の整備ログ解析訓練が行われることになった。

 

 場所は、火星圏補助整備エアポートと本局をつなぐ遠隔会議室。

 

 ジェームズは現地から接続。

 スリッピーとナウスは本局のシステム解析席。

 イーナは資料整理席。

 ペルシアとフレイは後方で全体を見る。

 

 画面にジェームズの顔が映った時、彼は明らかに不機嫌そうだった。

 

『……映ってるか』

 

「映ってるわよ」

 

 ペルシアが答える。

 

『面倒だな』

 

「第一声がそれ?」

 

『事実だ』

 

 スリッピーが元気に手を振る。

 

「ジェームズ、おはよう!」

 

『声がでかい』

 

「ごめん。でも楽しみにしてた」

 

『変な奴だ』

 

「よく言われる」

 

 ジェームズは少しだけ目を逸らした。

 

 ペルシアはその様子を見て、こっそり笑う。

 

 イーナは端末を構え、緊張した顔で座っていた。

 

 ジェームズとは初対面に近い。

 

 前回の資料では見ているが、直接話すのは初めてだ。

 

 ペルシアはイーナに小声で言った。

 

「大丈夫?」

 

「はい。少し緊張しています」

 

「正直でよろしい」

 

 フレイが進行を始めた。

 

「本日は、救助艇二号及び三号の牽引ログを用いて、整備士視点での危険兆候抽出を行います。目的は、ジェームズさんの判断基準を整理し、オペレーションルーム用の報告形式へ変換することです」

 

『長い』

 

 ジェームズが言った。

 

 フレイは表情を変えずに答える。

 

「正式説明です」

 

『もっと短くしろ』

 

「では、ジェームズさんの見方を本局で使える形にします」

 

『それでいい』

 

 ペルシアは思わず笑った。

 

「ジェームズ、フレイに文句言えるのすごいわね」

 

『長いものは長い』

 

 フレイは少しだけ目を細めた。

 

「今後の説明文作成時の参考にします」

 

 イーナが小さく笑いそうになり、慌てて口元を押さえた。

 

 訓練が始まった。

 

 最初のログは、救助艇二号の牽引訓練記録。

 

 画面には、姿勢制御、補助推進、グラップル負荷、対象船回転、救助艇接近角のデータが並ぶ。

 

 スリッピーが説明する。

 

「このログ、僕が見た時は右舷補助の跳ねが気になった。でもジェームズは、それだけじゃなくてグラップル固定の硬さを見てたんだよね」

 

『見てたんじゃない。出てる』

 

「僕には最初出てるって分からなかった」

 

『だから見る場所が違う』

 

「教えて」

 

 ジェームズは少し黙り、画面に印をつけた。

 

『ここだ。牽引開始から四秒後、対象船が左へ振れる。普通なら救助艇側は右舷補助で戻す。そこまではいい』

 

 スリッピーが頷く。

 

「うん」

 

『だが、戻りが硬い。補助推進が戻す前に、グラップル固定が負荷を逃がしてない。だから右舷補助が跳ねる』

 

 イーナは必死にメモを取る。

 

「すみません、確認してもよろしいでしょうか」

 

 ジェームズの視線が画面越しにイーナへ向いた。

 

『誰だ』

 

 イーナは少し緊張しながらも答える。

 

「イーナです。オペレーションルームで、医療搬送連携と情報整理を担当する予定です」

 

『整備士じゃないな』

 

「はい。整備士ではありません」

 

『なら分からんだろ』

 

 空気が少し固くなった。

 

 ペルシアが口を開きかける。

 

 だが、イーナが先に言った。

 

「はい。分かりません。ですので、確認させてください」

 

 ジェームズの目が少し変わった。

 

 イーナは続ける。

 

「今の説明を、統括官へ報告する場合、“グラップル固定が負荷を逃がしていないため、右舷補助に跳ねが出ている。牽引継続時は姿勢崩れの可能性あり”という形でよろしいでしょうか」

 

 ジェームズは黙った。

 

 スリッピーが画面を見る。

 

「僕は分かりやすいと思う」

 

 ジェームズはしばらくして、短く言った。

 

『半分足りない』

 

 イーナはすぐにメモを構えた。

 

「何が足りませんか」

 

『姿勢崩れだけじゃない。グラップル基部に負荷が戻る。継続すれば固定部が損傷する』

 

「つまり、救助艇側の損傷可能性もありますか」

 

『ある』

 

 イーナはすぐに文章を直した。

 

「では、“グラップル固定が負荷を逃がしておらず、右舷補助に跳ねが発生。牽引継続時、対象船姿勢の再悪化及び救助艇グラップル基部損傷の可能性あり”」

 

 ジェームズはまた黙った。

 

 今度は少し長い沈黙だった。

 

 ペルシアもフレイも、黙って待った。

 

 やがて、ジェームズが言った。

 

『……それなら通じる』

 

 イーナの表情が少し明るくなる。

 

「ありがとうございます」

 

 ペルシアは心の中で拳を握った。

 

 通じた。

 

 ジェームズの技術判断を、イーナが報告文へ変換した。

 ジェームズがそれを認めた。

 

 小さな一歩だが、これは大きい。

 

 スリッピーも嬉しそうに言う。

 

「いいね! これ、すごくいいよ」

 

『騒ぐな』

 

「ごめん。でも本当にいい」

 

 ナウスの声が響く。

 

『ジェームズ氏の判断指標を抽出しました。グラップル負荷、右舷補助跳ね、対象船回転差、牽引開始後四秒以内の補正波形。今後、同様のログ検出候補として記録します』

 

 ジェームズが画面を見る。

 

『AIがそこまで拾うのか』

 

「ナウスは優秀だよ」

 

『……悪くない』

 

 スリッピーがまた嬉しそうにする。

 

「ナウス、褒められたよ!」

 

『評価を記録しました』

 

 ペルシアは笑いをこらえる。

 

 ジェームズは気難しい。

 だが、一度技術の話になれば、ちゃんと応じる。

 

 そして、イーナはその言葉を拾える。

 

 この組み合わせは、想像以上に良かった。

 

 

 訓練は一時間の予定だったが、結局一時間半続いた。

 

 ジェームズは途中で何度も「長い」「面倒だ」「そこは違う」と言った。

 

 だが、切断しなかった。

 

 むしろ、後半になるほど自分からログを出した。

 

『これは見えるか』

 

 そう言って、別の整備記録を提示する。

 

 スリッピーが考える。

 ナウスが解析する。

 イーナが報告文に変換する。

 ジェームズが修正する。

 

 ペルシアはそれを後ろで見ていた。

 

 少しずつ、形になっている。

 

 オペレーションルームで必要なのは、個人の天才ではない。

 

 天才の見ているものを、部屋全体で使える形にすることだ。

 

 ジェームズ一人が機体の危険を読めても、伝わらなければ意味がない。

 スリッピー一人が理解しても、判断材料にならなければ足りない。

 イーナが整理して、フレイが時系列に置き、ペルシアが判断する。

 

 つながり始めていた。

 

 訓練終了後、ジェームズは画面越しに言った。

 

『今日はここまでだ』

 

「ありがとう、ジェームズ」

 

 スリッピーが笑顔で言う。

 

『次までに、救助艇三号の牽引後ログを見ておけ』

 

「いいの?」

 

『見ておけと言った』

 

「分かった!」

 

 イーナが控えめに言う。

 

「ジェームズさん、本日の内容を整理した資料を作成します。確認いただいてもよろしいでしょうか」

 

『長いのは読む気がしない』

 

「では、一枚にまとめます」

 

『一枚なら見る』

 

「ありがとうございます」

 

 ペルシアはにやりと笑った。

 

「ジェームズ、次もあるってことでいいのね」

 

 ジェームズは面倒くさそうにペルシアを見る。

 

『勝手にしろ』

 

「言質取った」

 

『取るな』

 

 通信が切れた。

 

 会議室に一瞬、静けさが落ちる。

 

 そして、スリッピーが両手を上げた。

 

「やったー!」

 

 ペルシアも笑った。

 

「これは大きいわね」

 

 フレイが端末に記録する。

 

「ジェームズさん、継続協力の意思あり。整備ログ解析訓練第二回実施予定」

 

 イーナは自分のメモを見つめ、ほっと息を吐いた。

 

「緊張しました……」

 

「でも、すごく良かった」

 

 スリッピーが言う。

 

「イーナのまとめ、ジェームズにも通じてたよ」

 

「ありがとうございます。ただ、何度も足りないところがあったので」

 

「それでいいのよ」

 

 ペルシアはイーナを見る。

 

「足りないところを直せば、判断材料になる。今日、それが証明できた」

 

 イーナは少しだけ目を伏せ、そして静かに頷いた。

 

「はい」

 

 ペルシアは会議室の画面を見た。

 

 切断された通信の跡。

 残されたログ。

 イーナの整理文。

 ナウスの抽出データ。

 

 そこに、二人目の輪郭がはっきりと浮かんでいた。

 

「ジェームズは、まだメンバーじゃない」

 

 ペルシアは静かに言った。

 

「でも、もうオペレーションルームの一部になり始めてる」

 

 フレイが頷く。

 

「はい」

 

 スリッピーも笑う。

 

「次が楽しみだね」

 

 イーナも、少しだけ微笑んだ。

 

「はい。もっと、分かりやすく整理できるようにします」

 

「抱え込みすぎない」

 

 ペルシアがすかさず言うと、イーナは少し笑った。

 

「はい。スリッピーさんと相談します」

 

「よろしい」

 

 ペルシアは椅子に深く座り、天井を見上げた。

 

 イーナ。

 ジェームズ。

 スリッピー。

 ナウス。

 フレイ。

 

 まだ完成ではない。

 まだ足りない役割もある。

 だが、確かに部屋が生まれ始めている。

 

 ペルシアは小さく息を吐き、口元に笑みを浮かべた。

 

「面白くなってきたわね」

 

 フレイが即座に言う。

 

「面白さだけで進めないでください」

 

「分かってるわよ」

 

「本当にお願いします」

 

「はいはい」

 

 それでも、ペルシアの声は軽かった。

 

 今度の軽さは、逃げるためのものではない。

 

 前に進むためのものだった。

 

 

 

ーーーー

 

 

 

ペルシアが宇宙管理局の一員として、ジェームズを説得している頃。

 

ドルトムント旅行会社、宇宙事業部十四班の事務所にも、新しい空気が入り込もうとしていた。

 

十四班の事務所は、いつも通り整っているようで、どこか落ち着きがなかった。

 

タツヤ班長の机には、確認済みの書類と未確認の書類が半分ずつ積まれている。整っているのか、散らかっているのか分からない。だが、本人にとっては必要なものがすぐ手に取れる位置にあるらしく、誰かが勝手に片づけようものなら、逆に困った顔をする。

 

リュウジは壁際の端末で、次回航路のデータを確認していた。姿勢制御ユニットの交換後、機体の反応に微妙な癖が出ていないかを見ている。外から見ればただ数字を眺めているだけだが、リュウジの目は細かく動き、揺れの癖や航路上の微細な乱れを拾っていた。

 

エリンは、提出した補填要員の資料を手にしていた。

 

ペルシアがドルトムントを辞め、宇宙管理局に移ってから、十四班の客室側には大きな穴が空いていた。

 

それは単に、副パーサーが一人いなくなったというだけではない。

 

ペルシアは、乗客の声色や表情のわずかな変化を拾うのが抜群にうまかった。場の空気が重くなれば軽口で流し、不安が出れば一歩踏み込み、誰かが言葉を飲み込めば、その背中を押す。

 

怒りすぎることもある。

 

言い方が強すぎることもある。

 

だが、ペルシアはいつも現場を見ていた。

 

そのペルシアが、今はもうドルトムントにはいない。

 

宇宙管理局で、オペレーションルームの立ち上げに関わり、フレイやスリッピーたちと共に、新しい仕組みを作ろうとしている。

 

十四班は、ペルシアの代わりを探しているわけではなかった。

 

代わりなどいない。

 

だが、次のフライトは待ってくれない。

 

だからエリンは、補填要員を申請した。

 

今日、その二人が来る。

 

一人は、ミラと同期で、同じ十班にいたラン。

 

もう一人は、十班で副パーサーを務めていたガーネット。

 

エリンは資料から顔を上げた。

 

「班長、そろそろ来ると思います」

 

「うん。よろしく頼むよ、エリン」

 

「はい」

 

タツヤ班長に対してだけ、エリンの口調は自然と丁寧になる。

 

それ以外の相手には、いつもの柔らかい通常口調だ。

 

ククルは少しそわそわしていた。

 

「エリンさん、ランって、ミラと同期なんですよね?」

 

「そう。十班で一緒だったって聞いてる」

 

「ミラ、嬉しそうでしたね」

 

エマが静かに言う。

 

「同期が来るのは心強いでしょうね。十四班は、初日から空気が独特ですし」

 

カイエが腕を組む。

 

「独特というか、濃いですよね」

 

ククルが小さく笑った。

 

「カイエ、それ自分も含まれてるよ」

 

「ククルも含まれてる」

 

「え、私も?」

 

「もちろん」

 

エマが淡々と付け加える。

 

「私たち全員、外から見れば十分濃いと思う」

 

「エマまで……」

 

三人のやり取りは軽い。

 

ククル、エマ、カイエは互いに通常口調だ。十四班の中でも、距離が近い三人である。

 

だが、エリンやタツヤ班長、リュウジに向ける時は、きちんと敬語になる。

 

その切り替えが十四班らしかった。

 

やがて、事務所の扉がノックされた。

 

「どうぞ」

 

エリンが声をかける。

 

扉が開いた。

 

先に入ってきたのは、黒髪をポニーテールにまとめた女性だった。紫がかった瞳が忙しなく動き、胸の前で両手をきゅっと握っている。

 

明らかに緊張していた。

 

肩が上がり、背筋も必要以上に伸びている。立ち姿は真面目だが、今にも声が裏返りそうな空気をまとっていた。

 

「し、失礼します! 本日付で十四班の補填要員として参りました、ランです! よろしくお願いいたします!」

 

声が大きい。

 

大きすぎる。

 

ククルが目を丸くし、エマが口元に手を添えた。

 

タツヤ班長がのんびり笑う。

 

「元気だねぇ」

 

「す、すみません!」

 

「謝らなくていいよ。ただ、客室では三割くらい落とそうか」

 

「はい! 三割落とします!」

 

また大きい。

 

タツヤ班長が苦笑する。

 

「今ので二割くらいかな」

 

「すみません!」

 

エリンが微笑んだ。

 

「ラン、来てくれてありがとう。緊張してると思うけど、無理に完璧に見せなくていいから」

 

「はい! ありがとうございます!」

 

その時、奥の資料棚のそばにいたミラが顔を出した。

 

「ラン?」

 

ランの顔がぱっと明るくなる。

 

「ミラ!」

 

二人の間だけ、空気が一気に柔らかくなった。

 

「本当に来たんだ」

 

「来たよ。朝からずっと胃が痛い」

 

「ラン、昔から緊張すると声が大きくなるよね」

 

「ミラだって初日はガチガチだったって聞いたよ」

 

「それは言わなくていいでしょ」

 

「だって本当でしょ?」

 

「本当だけど」

 

ランとミラは互いに通常口調だった。

 

十班で同期だった二人にとって、それは自然な距離感だ。

 

だが、ランはすぐに我に返り、エリンの方へ向き直る。

 

「す、すみません。私語でした」

 

「いいよ。同期がいるのは心強いでしょ」

 

「はい。とても心強いです」

 

ミラもエリンに向かって、丁寧に頭を下げる。

 

「エリンさん、ランのこと、よろしくお願いします」

 

「もちろん。ミラも支えてあげて」

 

「はい」

 

その時、もう一度扉がノックされた。

 

今度の音は、短く、整っていた。

 

エリンが視線を向ける。

 

「どうぞ」

 

扉が開く。

 

入ってきた女性を見た瞬間、カイエの表情が固まった。

 

整えられた髪。

 

隙のない姿勢。

 

落ち着いた目線。

 

十班で副パーサーを務めていたガーネットだった。

 

「失礼します。本日付で十四班の補填要員として参りました。ガーネットです。タツヤ班長、エリンさん、よろしくお願いいたします」

 

タツヤ班長が軽く頷く。

 

「よろしく、ガーネット」

 

「はい。よろしくお願いいたします」

 

ガーネットはタツヤ班長とエリンには敬語で話す。

 

その声は落ち着いていた。

 

だが、事務所の空気は一瞬で重くなった。

 

ランが小さく息を呑む。

 

ミラも表情を硬くする。

 

ククルとエマは互いに視線を交わした。

 

そしてカイエは、思わず声を漏らした。

 

「げっ……」

 

その声は小さかったが、全員に聞こえた。

 

エリンがすぐにカイエを見る。

 

「カイエ」

 

「……すみません、エリンさん」

 

カイエは謝った。

 

だが、その視線はガーネットから離れない。

 

ガーネットは、その反応を受け止めるように一歩前に出た。

 

「気持ちは分かる」

 

その言葉は、カイエに向けたものだった。

 

ガーネットはカイエには敬語を使わない。

 

だが、いつものような高圧さはなかった。

 

「まず謝らせてほしい」

 

そう言って、ガーネットは深く頭を下げた。

 

事務所が静まり返る。

 

カイエの表情は硬いままだった。

 

ガーネットは頭を下げたまま続ける。

 

「十班の件、悪かった。あの時、私は副パーサーとして間違えた。乗客の不安を見るより、自分たちの立場を守ろうとした。ペルシアやカイエが十班を動かそうとしてくれたのに、私はそれを受け入れきれなかった」

 

カイエの眉がわずかに動く。

 

ガーネットは言葉を止めなかった。

 

「あの時、私は言った。私たちはエリートの十四班とは違う、と。あれは、自分ができない理由を十四班の特別さのせいにしただけだった。現場に立つ者として、最低の言い訳だったと思っている」

 

ミラが目を伏せた。

 

ランも唇を結ぶ。

 

二人とも十班にいた。

 

あの空気を知っている。

 

十四班を羨みながら、同時に遠ざけようとする空気。

 

自分たちは違う。

 

自分たちはあそこまでできない。

 

そう言ってしまえば、変わらずに済む。

 

ガーネットは、それを副パーサーとして口にしてしまった。

 

そして、その一件はペルシアの中にも深く残った。

 

ペルシアは十四班を離れた。

 

ドルトムントを辞め、宇宙管理局へ移った。

 

それはペルシア自身の選択だった。

 

だが、その背中を押した要因の一つに、十班での出来事があったことを、カイエは忘れていない。

 

ガーネットは顔を上げない。

 

「ペルシアがドルトムントを辞めるきっかけの一つになったことも、分かっている。全部を私のせいだとは言わない。でも、私が無関係だとも思っていない」

 

カイエは低い声で言った。

 

「分かってるなら、どうしてここに来たんですか」

 

カイエの口調は敬語だった。

 

相手がガーネットだからだ。

 

だが、その声には明らかな棘がある。

 

ガーネットは頭を下げたまま答える。

 

「逃げたくなかったから」

 

「……」

 

「十班で副パーサーをしていた時、私は役職に甘えていた。自分は指示する側だと思っていた。でも、本当は現場を見ていなかった。だから、エリンさんの元で学びたいと思った」

 

エリンが静かに歩み寄る。

 

「ガーネット」

 

「はい」

 

「頭を上げて」

 

ガーネットはゆっくり顔を上げた。

 

エリンはまっすぐにガーネットを見る。

 

「過去のことを、なかったことにはしないよ」

 

「はい」

 

「でも、今日から同じ十四班だから、過去だけであなたを決めることもしない」

 

ガーネットの表情が少し揺れた。

 

エリンは続ける。

 

「十四班は、完璧な人だけがいる班じゃない。失敗した人もいる。言いすぎた人もいる。走りすぎた人もいる。怖くなって、立ち止まった人もいる」

 

ククルが少し気まずそうに目を逸らす。

 

エマが横で静かに笑った。

 

カイエは黙ったままだ。

 

「大事なのは、次にどう動くか。だから、今日から見せて」

 

「はい。ありがとうございます、エリンさん」

 

エリンは頷いた。

 

それからランとガーネットを見る。

 

「それじゃあ、二人から一言もらっていい?」

 

ランがびくっと肩を跳ねさせた。

 

「わ、私からですか?」

 

「うん。まずランから」

 

「はい」

 

ランは一度深く息を吸った。

 

ミラが小声で言う。

 

「息、吐いてから」

 

「うん」

 

ランは息を吐き、少しだけ声を落ち着けた。

 

「私は、前に一度、十四班のフライトを見ました」

 

リュウジが端末から顔を上げる。

 

ランは真剣な表情で続けた。

 

「その時、すごいと思いました。大きな声で指示しているわけでも、派手なことをしているわけでもないのに、客室の空気が崩れませんでした。お客様が不安そうにしたら、誰かが先に気づいて、必要な声をかけて、必要なものを出していました」

 

ランの手が少し震えていた。

 

だが、声は先ほどより落ち着いている。

 

「私は十班で、どう動けばいいか分からなくなることが多かったです。でも、十四班のフライトを見て、私もああなりたいと思いました。ミラが十四班に来て変わっていくのを見て、私も変わりたいと思いました」

 

ミラが少し照れたように視線を下げる。

 

ランはエリンに向き直る。

 

「まだ未熟です。緊張しますし、声も大きいです。でも、十四班で学びたいです。よろしくお願いします」

 

深く頭を下げる。

 

エリンは柔らかく笑った。

 

「よろしくね、ラン」

 

「はい!」

 

タツヤ班長が軽く手を上げる。

 

「三割ね」

 

「……はい」

 

今度は少し抑えられていた。

 

事務所に小さな笑いが起きる。

 

次に、ガーネットが一歩前に出た。

 

「私は、自分の成長のため、エリンさんの元で学びたいと思い、十四班への補填を志願しました」

 

エリンには敬語。

 

だが、カイエたちへ向ける視線には、どこか覚悟があった。

 

「十班にいた時、私は自分を守ることばかり考えていた。副パーサーとして、乗務員を育てることも、乗客を見ることも、できていなかった。あの日、ペルシアが十班の空気を変えようとした時、私はそれを受け入れるべきだった」

 

カイエは黙って聞いている。

 

ガーネットは続けた。

 

「十四班だからできる、特別だからできる。そう言えば楽だった。でも、本当は違う。十四班は特別な班だけれど、最初から特別だったわけではない。積み重ねて、判断して、何度も失敗して、それでも動いてきた班なんだと思う」

 

エリンの目がわずかに細くなる。

 

その言葉は、ただの建前ではなかった。

 

ガーネット自身が、十四班を見直した言葉だった。

 

「だから、学びたい。エリンさんの下で、もう一度現場を見直したいです」

 

「分かった」

 

エリンは静かに頷いた。

 

「ただし、十四班は甘くないよ」

 

「承知しています」

 

「承知しているだけじゃ足りない。動きで見せて」

 

「はい」

 

カイエが口を開く。

 

「ガーネットさん」

 

ガーネットはカイエを見る。

 

「何」

 

「私は、まだ納得していません」

 

「分かってる」

 

「ペルシアさんがどんな顔で十四班を離れたか、私は覚えています。怒っていたけど、それだけじゃありませんでした。自分がやりすぎたことも分かっていて、それでも何かを変えなきゃいけないと思っていました」

 

ガーネットは黙っている。

 

「だから、謝ったから終わり、にはしないでください」

 

「しない」

 

「なら、仕事で見せてください」

 

「分かった」

 

ガーネットは短く頷いた。

 

カイエはそれ以上言わなかった。

 

許したわけではない。

 

だが、拒絶もしなかった。

 

その線引きを、ガーネットも理解していた。

 

タツヤ班長が椅子から立ち上がる。

 

「じゃあ、挨拶はここまでにしようか」

 

その声はいつものように軽い。

 

だが、場を切り替えるには十分だった。

 

「ラン、ガーネット。今日から君たちは十四班の補填要員だ。補填っていう言葉に甘えないこと。穴埋めじゃなく、ちゃんと歯車になってもらうよ」

 

「はい!」

 

「はい。よろしくお願いいたします」

 

タツヤ班長はリュウジの方を見る。

 

「リュウジ、午後の訓練、航行側から見てくれる?」

 

リュウジはすぐに頷いた。

 

「はい、分かりました」

 

リュウジはタツヤ班長には敬語だ。

 

それからエリンに視線を向ける。

 

「エリンさん、訓練用の揺れは通常設定でいいですか?」

 

「最初は通常でお願い。ランとガーネットの動きを見てから、後半で少し負荷を上げよう」

 

「分かりました」

 

エリンに対しても、リュウジは敬語で答える。

 

タツヤ班長が満足げに頷いた。

 

「いいねぇ。初日から十四班らしくなってきた」

 

ククルがランに近づいた。

 

「ラン、よろしく」

 

「はい。よろしくお願いします」

 

ランはククルには敬語で返す。

 

エマも静かに頭を下げる。

 

「エマ。よろしく」

 

「よろしくお願いします」

 

カイエも一歩近づく。

 

「カイエ。訓練では厳しく言うこともあるけど、よろしく」

 

「はい。よろしくお願いします」

 

ミラが隣で笑う。

 

「ラン、大丈夫?」

 

「大丈夫じゃない」

 

「だよね」

 

「でも、ミラがいるから少し安心した」

 

「私もランが来てくれて嬉しい」

 

二人だけの会話は、いつもの同期の空気だった。

 

 

第一訓練室に移動すると、ランは目を丸くした。

 

十四班の訓練室は、通常の客室訓練設備とは明らかに違っていた。

 

客室の一部を再現したモジュール。

 

揺れを再現する床。

 

照明の明滅。

 

緊急放送の模擬音声。

 

乗客役のホログラム。

 

航行側との通信ログを表示する壁面モニター。

 

ランは思わず呟いた。

 

「すごい……」

 

ミラが横で小さく笑う。

 

「見とれてると置いていかれるよ」

 

「分かってる。でも、すごいものはすごいでしょ」

 

「それはそう」

 

エリンが前に立つと、自然に全員の視線が集まった。

 

「まず、十四班の客室対応で大事にしていることを確認するよ」

 

壁面モニターに文字が映る。

 

「一つ。乗客の不安を増やさないこと」

 

ランは真剣に頷く。

 

「二つ。小さな火種を大きくしないこと」

 

ミラも姿勢を正す。

 

「三つ。自分だけで抱えないこと」

 

カイエがランとミラを見る。

 

「助けを呼ぶのは恥じゃない。遅れる方が危ない」

 

カイエはランとミラには通常口調で話す。

 

ランはすぐに頷いた。

 

「はい」

 

ミラも頷く。

 

「分かりました」

 

ガーネットはその様子を見ていた。

 

以前の十班なら、できないことを見せるのは恥だった。

 

助けを呼ぶことは、弱さを見せることだった。

 

だから、誰も本当の意味で声を上げられなかった。

 

だが、十四班は違う。

 

できないことを隠さない。

 

その代わり、隠した時には厳しい。

 

そこに、ガーネットは十班との決定的な違いを感じていた。

 

エリンが続ける。

 

「今日の訓練は三段階。まず通常接客。次に小さなトラブル対応。最後に、揺れと通信遅延を入れた複合対応」

 

ランの顔が少し青くなる。

 

「複合対応……」

 

ミラが小声で言う。

 

「大丈夫。最初から完璧にできる人はいないよ」

 

「ミラはできたの?」

 

「できなかった」

 

「即答だね」

 

「本当だから」

 

ランは少しだけ笑った。

 

エリンは配置を告げる。

 

「ランはミラと組んで通常接客。カイエは補助に入って」

 

「はい、エリンさん」

 

カイエは丁寧に返事をする。

 

「ガーネットは私と一緒に全体を見る。その後、副パーサー役として入って」

 

「はい。承知しました」

 

「ククル、エマは乗客役の補助。リュウジは航行側の揺れと通信ログを見て」

 

「はい、エリンさん」

 

ククルとエマが声を揃える。

 

リュウジも頷く。

 

「分かりました」

 

訓練が始まった。

 

最初は通常接客。

 

ランはミラの横で、飲み物を提供する。

 

「お待たせいたしました。温かいお飲み物です」

 

声は丁寧だが、やや硬い。

 

手元も少し緊張している。

 

カイエが横から指摘する。

 

「ラン、置くというより、預ける感じ」

 

「預ける、ですか?」

 

「うん。トレイから離す最後の瞬間まで、重さを見るようにすると安定する」

 

ミラが横で実演する。

 

「こう。力を抜きすぎないで、最後まで見る」

 

「なるほど。こう?」

 

ランがもう一度動く。

 

今度は少し滑らかだった。

 

カイエが頷く。

 

「今の方がいい」

 

「ありがとうございます」

 

ランは嬉しそうに笑う。

 

ミラが少し得意げに言う。

 

「ラン、飲み込み早いね」

 

「ミラに言われると嬉しい」

 

「でも褒められるとすぐ浮くよね」

 

「それはミラもでしょ」

 

「私は少しだけ」

 

「嘘」

 

二人のやり取りに、ククルが小さく笑う。

 

「同期っていいね」

 

エマが横で言う。

 

「ククルにも同期はいたでしょ」

 

「いたけど、私、よく怒られてたから」

 

「想像できる」

 

「エマ、即答ひどい」

 

エリンはその様子を見ながら、少しだけ口元を緩めた。

 

ランとミラの距離感は悪くない。

 

緊張を和らげる力がある。

 

ただし、客室で流れすぎると危ない。

 

そこは後で整えればいい。

 

次の訓練に移る。

 

ホログラムの子どもが通路を走る。

 

ランが反射的に動く。

 

「危な――」

 

その瞬間、ミラが小声で言う。

 

「声、柔らかく」

 

ランは息を吐き直した。

 

「危ないから、ここは歩こうね」

 

声が落ち着いた。

 

子ども役のホログラムが止まる。

 

カイエが頷く。

 

「今のは良かった。止め方が命令になってなかった」

 

「ありがとうございます」

 

だが、すぐに別の乗客役が不満を言う。

 

「さっきから通路が騒がしいんだけど」

 

ランの肩が跳ねる。

 

ミラも一瞬動きかけた。

 

ガーネットは口を開きかけたが、すぐに閉じた。

 

以前の自分なら、ここで副パーサーとして前に出ていただろう。

 

丁寧な言葉で謝罪し、自分が処理し、現場を整えたつもりになっていた。

 

だが、それではランが経験を積めない。

 

ガーネットは一歩引いたまま、ランを見た。

 

エリンもそれを見ていた。

 

ランは乗客役に向き直る。

 

「ご不快な思いをさせて申し訳ありません。すぐに通路の安全を確認します。お席ではお怪我などございませんか?」

 

言葉は少し硬い。

 

しかし、逃げてはいない。

 

乗客役はまだ不満そうに言う。

 

「怪我はないけど、ちゃんとしてよ」

 

ランが固まる。

 

ミラが助けに入ろうとした時、ガーネットが静かに言った。

 

「ラン、謝罪だけじゃなく、安心を渡して」

 

ランははっとした。

 

ガーネットはランには通常口調だ。

 

だが、責める響きはなかった。

 

ランはもう一度乗客役を見る。

 

「はい。通路の確認を強化します。何か気になることがあれば、すぐにお知らせください。こちらでも定期的に確認します」

 

乗客役の表情が少し緩む。

 

エリンが頷いた。

 

「今の判断、良かったよ」

 

ランは胸を押さえた。

 

「緊張しました……」

 

カイエが言う。

 

「声は少し硬かったけど、最後まで崩れなかった」

 

「ありがとうございます」

 

ガーネットは、そのやり取りを見ていた。

 

自分が前に出なかったことで、ランが一つ経験を積んだ。

 

それは小さなことだ。

 

だが、十班で自分ができていなかったことでもあった。

 

エリンがガーネットを見る。

 

「ガーネット、今、口を閉じたね」

 

「はい」

 

「どうして?」

 

「私が対応を奪う場面ではないと思いました。ランが自分で戻せる可能性がありましたし、必要なら補助すればいいと判断しました」

 

エリンは頷いた。

 

「それが副パーサーの仕事。前に出るだけじゃなくて、前に出すことも必要だよ」

 

「はい。ありがとうございます」

 

カイエは黙っていた。

 

だが、ガーネットを見る目は、ほんの少しだけ変わっていた。

 

 

最後の複合訓練が始まった。

 

照明が一段落ちる。

 

床に微細な揺れが入る。

 

壁面モニターには通信遅延の表示が出た。

 

リュウジが航行側から淡々と状況を入れる。

 

「微細揺れ、三十秒後に再発。客室への危険はない。ただし、体感としては不安を誘う可能性あり」

 

エリンがすぐに頷く。

 

「了解。客室側、事前案内」

 

ガーネットが副パーサー位置に入る。

 

ランとミラは通路側。

 

カイエは後方から全体を見る。

 

ククルとエマは乗客役に混ざった。

 

揺れが入る。

 

小さい。

 

だが、不意に来ると不安になる揺れだった。

 

乗客役の一人が声を上げる。

 

「今の何?」

 

別の乗客役が立ち上がりかける。

 

ランが動く。

 

「お客様、安全確認のため、今はお席でお待ちください」

 

声が少し上ずった。

 

乗客役が不安そうに言う。

 

「大丈夫なの?」

 

ランの言葉が一瞬止まる。

 

その時、ガーネットが全体を見た。

 

以前なら、ここで強い声で場を押さえたかもしれない。

 

だが、それでは乗客の不安を大きくする可能性がある。

 

ガーネットは声を低め、落ち着いた調子で案内した。

 

「皆、ただいま航行側で状況を確認している。揺れは小さく、客室内に危険物の落下は確認されていない。乗務員が順に席を確認するから、そのまま待っていてほしい」

 

丁寧すぎず、強すぎない。

 

客室の空気が少し落ち着く。

 

ランの肩も下がった。

 

ミラは泣き出した子ども役のそばにしゃがむ。

 

「びっくりしたよね。でも、座っていれば安全だからね」

 

リュウジが航行側から追加情報を入れる。

 

「次の揺れ、十秒後。今度は少し長い」

 

エリンがガーネットを見る。

 

「ガーネット、案内」

 

「はい」

 

ガーネットは迷わず声を出した。

 

「まもなくもう一度、小さな揺れが予想される。飲み物を手元で押さえて、足元の荷物には触れないで、そのまま席で待っていてほしい。乗務員が確認している」

 

揺れが来る。

 

今度は少し長い。

 

ランがトレイを押さえ、ミラが子ども役の視線に合わせる。

 

カイエは後方で、通路に出かけたブランケットを拾い、端に寄せた。

 

ククルが乗客役として不安そうに言う。

 

「本当に大丈夫なんですか?」

 

ランが反応する。

 

「はい、大丈夫――」

 

そこで止まった。

 

ただ「大丈夫」と言うだけでは足りない。

 

根拠のない大丈夫は、乗客の不安を消さない。

 

ランは航行側を見る。

 

リュウジと目が合った。

 

リュウジは短く言う。

 

「機体姿勢は安定。揺れは外部航路調整によるもの。危険値は出ていない」

 

ランは頷いた。

 

「機体姿勢は安定しています。揺れは航路調整によるもので、危険値は出ていません。ご不安でしたら、揺れが収まるまでこちらで様子を確認します」

 

ククルの乗客役が、少し安心した表情になる。

 

「お願いします」

 

「承知しました」

 

エリンが静かに頷いた。

 

今のは良かった。

 

ランは自分だけで抱えず、航行側から根拠を取った。

 

十四班の動きだった。

 

ガーネットも、それを見ていた。

 

パイロット、客室、副パーサー、乗務員。

 

それぞれが勝手に頑張るのではない。

 

必要な情報を渡し合い、乗客の不安を減らす。

 

それが十四班なのだと、改めて分かった。

 

訓練終了の音が鳴る。

 

照明が戻った。

 

ランはその場で大きく息を吐いた。

 

「疲れた……」

 

ミラが笑う。

 

「初日でこれは疲れるよ」

 

「ミラ、よくやってたね」

 

「私も最初は全然できなかったよ」

 

「今も少し慌ててた」

 

「ランもでしょ」

 

「うん」

 

二人は顔を見合わせて笑った。

 

ククルが近づく。

 

「ラン、最後の説明、すごく良かったよ。私、乗客役なのに普通に安心した」

 

「本当ですか?」

 

「うん」

 

エマも頷く。

 

「ククルは少し乗客役に入り込みすぎだけど、評価は合ってる」

 

「エマ、それ褒めてる?」

 

「半分くらい」

 

「半分なんだ」

 

カイエがランに言う。

 

「ランは反応が速い。速い分、言葉が先に出やすいから、そこを整えれば伸びると思う」

 

「ありがとうございます」

 

ランは丁寧に頭を下げた。

 

ミラが横で小さく言う。

 

「ラン、褒められるとすぐ顔に出る」

 

「ミラだって出るでしょ」

 

「少しだけ」

 

「絶対嘘」

 

そのやり取りに、少し笑いが生まれる。

 

エリンはガーネットに近づいた。

 

「ガーネット」

 

「はい、エリンさん」

 

「最後の案内、良かったよ。情報の出し方も、声の高さも」

 

「ありがとうございます」

 

「ただ、一つ」

 

ガーネットの背筋が伸びる。

 

「はい」

 

「あなたはまだ、失敗しないように動いている」

 

ガーネットの表情が少し固まった。

 

エリンは責めるようには言わなかった。

 

「それ自体は悪くない。でも、失敗しないことを一番にすると、現場を見る目が狭くなる。十四班で必要なのは、失敗を避けることだけじゃない。失敗しかけた時に、どう戻すかも大事」

 

「……はい」

 

「もっと周りを使って。ランも、ミラも、カイエも、リュウジも。副パーサーは一人で整える仕事じゃないよ」

 

「はい。分かりました」

 

カイエが横から口を開いた。

 

「ガーネットさん」

 

「何」

 

「今の案内は、悪くなかったと思います」

 

ガーネットは少し目を見開いた。

 

カイエの口調は敬語のままだ。

 

だが、そこには先ほどまでの刺々しさだけではないものがあった。

 

「ただ、まだ全部自分で整えようとしている感じがしました」

 

「……そう見えた?」

 

「はい」

 

「分かった。気をつける」

 

「お願いします」

 

短いやり取りだった。

 

許されたわけではない。

 

だが、初めてカイエが仕事の指摘をした。

 

拒絶ではなく、評価として。

 

ガーネットは小さく息を吐いた。

 

「ありがとう」

 

「いえ」

 

カイエはそれ以上言わなかった。

 

 

訓練後、十四班の事務所に戻ると、端末に通信が入っていた。

 

発信者は、宇宙管理局。

 

エリンが画面を開く。

 

映し出されたのは、ペルシアだった。

 

ペルシアはすでにドルトムントの制服ではなく、宇宙管理局の制服を着ていた。

 

その姿を見た瞬間、十四班の空気が少しだけ変わる。

 

懐かしさ。

 

寂しさ。

 

そして、もう同じ職場ではないという現実。

 

ペルシアは画面越しに軽く手を上げた。

 

『お疲れ。そっちはどう?』

 

エリンが笑う。

 

「補填要員、二人とも合流したよ」

 

『ランとガーネットね』

 

ペルシアの目が、ほんの少しだけ細くなる。

 

カイエが画面の端に立つ。

 

「ペルシアさん、お疲れ様です」

 

『カイエ、お疲れ。ガーネット見て、変な声出した?』

 

カイエは少し目を逸らした。

 

「……出しました」

 

『正直でよろしい』

 

「すみません」

 

『別に。私でも出すかも』

 

エリンが軽くため息をつく。

 

「ペルシア、あなた宇宙管理局の人になったんだから、少しは落ち着いたら?」

 

『無理。役職が変わっても性格は変わらないわ』

 

リュウジが少し笑う。

 

「それはそうだな」

 

リュウジはペルシアには通常口調だ。

 

ペルシアも画面越しにリュウジを見る。

 

『リュウジ、ちゃんと客室側に嫌な揺れ入れた?』

 

「入れた。安全な範囲で」

 

『さすが。性格悪い』

 

「訓練だろ」

 

『そういうところよ』

 

軽いやり取りだった。

 

だが、ガーネットが前に出ると、空気はまた少し静かになった。

 

ガーネットは画面の中のペルシアを見た。

 

「ペルシア」

 

『ガーネット』

 

「十班の件、悪かった」

 

ガーネットはペルシアには敬語を使わない。

 

だが、その声には誠意があった。

 

「私はあの時、自分たちの立場を守ろうとした。十四班を言い訳にして、変わらなくていい理由にした。ペルシアがドルトムントを辞めるきっかけの一つになったことも、分かっている」

 

ペルシアはしばらく黙っていた。

 

画面越しの沈黙は、実際よりも長く感じた。

 

やがて、ペルシアは静かに言った。

 

『謝罪は受け取る』

 

ガーネットは小さく息を吸う。

 

『でも、謝ったから終わりじゃないわよ』

 

「分かってる」

 

『私に謝るだけなら簡単。大事なのは、これから十四班でどう動くか。エリンの下で働くなら、綺麗な言葉より先に動きを見られるわよ』

 

「そのつもりで来た」

 

『ならいい』

 

カイエが画面を見る。

 

「ペルシアさん」

 

『何?』

 

「私は、まだガーネットさんを信用していません」

 

『うん。それでいい』

 

カイエが少し驚いた顔をする。

 

ペルシアは軽く肩をすくめた。

 

『無理に許す必要はないわよ。現場では、信用できるかどうかを仕事で見るしかない。使えるなら使う。危ないなら止める。それだけ』

 

「……分かりました」

 

『ただ、見るならちゃんと見てあげなさい。嫌いだから見ない、は十四班っぽくない』

 

カイエは少し黙った。

 

それから、ゆっくり頷いた。

 

「はい」

 

ペルシアは満足そうに笑った。

 

『よろしい』

 

エリンが尋ねる。

 

「そっちはどう? ジェームズさんは」

 

ペルシアの顔に、疲れが浮かんだ。

 

『面倒くさい』

 

即答だった。

 

画面の奥で、スリッピーらしき声が笑った。

 

『でも、話してくれたよ。整備ログの見方、すごく面白いんだ』

 

ペルシアが肩をすくめる。

 

『技術助言者として初期協力には同意。ただし、正式配置はまだ未定。ここからが本番』

 

奥から低い声が聞こえた。

 

『勝手に決めるな』

 

ペルシアが振り返る。

 

『聞こえてた?』

 

『聞こえる距離で言うな』

 

スリッピーの明るい声が続く。

 

『でもジェームズ、もう次のログ開いてるよね?』

 

『見るだけだ』

 

『それを協力って言うんじゃないかな』

 

『黙れ』

 

ペルシアは画面に向き直り、ため息をついた。

 

『ほら、面倒くさいでしょ』

 

ククルが思わず笑った。

 

「ペルシアさん、大変そうですね」

 

『大変よ。ククル、十四班の方が楽だったかもって思い始めてる』

 

エマが静かに言う。

 

「ペルシアさんなら、どこでも同じように騒がしくなると思います」

 

『エマ、今の褒めてる?』

 

「半分くらいです」

 

『半分かぁ』

 

カイエが小さく笑った。

 

その空気は、懐かしかった。

 

ペルシアはもうドルトムントにはいない。

 

十四班の副パーサーでもない。

 

それでも、こうして繋がっている。

 

同じ現場ではなくても、同じ宇宙で、それぞれの役割を果たしている。

 

ペルシアは最後にランを見る。

 

『ラン』

 

「はい!」

 

『声でかい』

 

「すみません!」

 

『謝る声もでかい』

 

「……すみません」

 

『三割落として』

 

「はい……」

 

ミラが横で笑いをこらえる。

 

ペルシアはミラに視線を移す。

 

『ミラ、ランを頼んだわよ』

 

「はい。任せてください」

 

『頼もしくなったわね』

 

ミラの顔が赤くなる。

 

「ありがとうございます」

 

ペルシアは満足げに頷いた。

 

『じゃ、こっちはもう少しジェームズを説得してくる。エリン、十四班を頼んだわよ』

 

エリンは穏やかに笑った。

 

「それはこっちの台詞。ペルシアも宇宙管理局で無理しすぎないで」

 

『無理しないと進まないこともあるのよ』

 

「あなたは無理しすぎるから言ってるの」

 

『はいはい』

 

通信が切れた。

 

事務所に静けさが戻る。

 

だが、重い静けさではなかった。

 

ランが小さく息を吐く。

 

「ペルシアさん、すごい人ですね」

 

ミラが頷く。

 

「うん。すごい人だよ」

 

カイエが静かに言う。

 

「すごくて、面倒くさくて、優しい人です」

 

ククルが頷いた。

 

「分かります」

 

エマも微笑む。

 

「十四班にいた時も、宇宙管理局に行ってからも、そこは変わらないのでしょうね」

 

ガーネットは通信の切れた画面を見つめていた。

 

謝罪は受け取る。

 

でも、終わりではない。

 

その言葉が胸に残る。

 

ガーネットは、十四班の事務所を見渡した。

 

タツヤ班長がのらりくらりと書類をまとめている。

 

エリンが次の訓練内容を組み直している。

 

リュウジが航行ログを保存している。

 

カイエがランとミラに細かい修正点を伝えている。

 

ククルが横から励まし、エマがそれを少し整えている。

 

ここは、整いすぎていない。

 

誰も完璧ではない。

 

だが、誰かが崩れれば、誰かが支える。

 

それが十四班なのだと、ガーネットは思った。

 

「エリンさん」

 

「何?」

 

「次の訓練ですが、私もランとミラの補助に入ってもよろしいでしょうか」

 

「理由は?」

 

「副パーサーとして指示する前に、二人が何に迷うのかを近くで見たいです。上から整えるのではなく、同じ高さで確認したいと思いました」

 

エリンは少しだけ目を細めた。

 

「いいよ。ただし、教えすぎないこと」

 

「はい。ありがとうございます」

 

カイエがガーネットを見る。

 

「ガーネットさん」

 

「何」

 

「今の考え方は、いいと思います」

 

ガーネットは一瞬だけ驚いた。

 

それから、小さく頷いた。

 

「ありがとう」

 

ランが明るく言う。

 

「ガーネットさん、よろしくお願いします!」

 

「よろしく、ラン」

 

ミラも頭を下げる。

 

「よろしくお願いします」

 

「ああ、よろしく」

 

ランとミラは互いには砕けて話す。

 

だが、ガーネットには敬語を使う。

 

その切り替えも、今の十四班では自然に馴染んでいた。

 

リュウジが端末を閉じ、エリンを見る。

 

「エリンさん」

 

「何?」

 

「次の訓練、航行側の揺れを少し変えてもいいですか」

 

「どう変えるの?」

 

「今の揺れは、客室側が対応しやすい波形でした。実際の航路だと、もう少し嫌な揺れ方をする時があります。危険ではないですが、不安を誘いやすい揺れです」

 

ランの顔がまた青くなる。

 

「嫌な揺れ……」

 

ミラも少し緊張する。

 

ガーネットは真剣な表情になった。

 

エリンは頷いた。

 

「お願い」

 

「分かりました」

 

タツヤ班長が笑う。

 

「リュウジも容赦ないねぇ」

 

リュウジはタツヤ班長を見る。

 

「安全な訓練で失敗した方がいいと思います」

 

「うん。いい判断だ」

 

その言葉に、ガーネットは顔を上げた。

 

失敗しないように動くのではない。

 

失敗できる場所で、失敗の戻し方を覚える。

 

それが十四班の訓練。

 

それが、今の自分に必要なものだった。

 

ガーネットは深く息を吸った。

 

「お願いします」

 

ランも続く。

 

「お願いします!」

 

ミラが横で言う。

 

「ラン、三割」

 

「……お願いします」

 

その場に笑いが起きた。

 

エリンは皆を見渡した。

 

ペルシアはもうここにはいない。

 

ドルトムントを辞め、宇宙管理局へ移った。

 

けれど、十四班は止まらない。

 

ペルシアが残したもの。

 

ミラが積み重ねてきたもの。

 

ランがこれから学ぶもの。

 

ガーネットが取り戻そうとしているもの。

 

それらが噛み合えば、十四班はまた新しい形になる。

 

代わりではない。

 

補填でもない。

 

新しい十四班になる。

 

エリンは手を叩いた。

 

「それじゃあ、次の訓練に入るよ」

 

全員が顔を上げる。

 

「十四班、始めるよ」

 

返事が重なった。

 

「はい!」

 

「分かりました」

 

「お願いします」

 

その中に、ランの少し抑えた声と、ガーネットの落ち着いた声が混ざっていた。

 

カイエはそれを聞き、ほんの少しだけ表情を緩めた。

 

まだ、許したわけではない。

 

けれど、見ていこうとは思えた。

 

十四班は、また動き出した。

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