ジェームズの説得は、想像以上に骨が折れていた。
ペルシアは、火星圏補助整備エアポートの一角にある小さな整備管理室で、腕を組んだまま立っていた。
目の前には、無愛想な整備士――ジェームズ。
そして、その横ではスリッピーが整備ログを食い入るように見ている。ナウスは端末を広げ、ジェームズが口にした専門用語を即座に記録していた。イーナは資料を整理しながら、必要な項目を静かに抜き出している。
フレイは少し離れた位置に立ち、全体の空気を見ていた。
「つまり、このログのこの波形、姿勢制御ユニットの癖だけじゃなくて、通信遅延の補正が一瞬噛んでるってことだよね?」
スリッピーが目を輝かせながら言った。
ジェームズは不機嫌そうに眉を寄せる。
「見れば分かるだろ」
「見ても普通は分からないよ。だから聞いてるんだよ」
「聞く前に考えろ」
「考えた上で聞いてるんだって」
二人の会話は、噛み合っているのか噛み合っていないのか分からない。
だが、少なくともジェームズは、スリッピーを完全には追い払っていなかった。
それだけでも前進だった。
ペルシアはその様子を見て、心の中で小さく息を吐いた。
面倒くさい。
だが、悪くない。
ジェームズは人付き合いが悪い。
言葉もきつい。
協力する気があるのかないのか、表情だけでは分からない。
しかし、技術に関しては嘘をつかない。
分からないことを分かったふりで済ませる人間を嫌い、逆に、分かろうとする相手には不機嫌ながらも答える。
スリッピーはそこに食いついた。
ナウスは記録する。
イーナは整理する。
フレイは全体を調整する。
この四人に任せれば、ジェームズを完全に逃がすことはないだろう。
そう判断しかけた時、ペルシアの端末に通信が入った。
発信者は、ケレス管制に派遣していたフォックスだった。
ペルシアは画面を開く。
『ペルシア、今いいか?』
画面に映ったフォックスは、いつものように落ち着いた顔をしていた。
ただ、その目には少しだけ面白がっているような色がある。
ペルシアは眉を上げた。
「フォックスがその顔をする時って、大体何か見つけた時よね」
『分かるか』
「分かるわよ。で、何?」
画面の横からファルコが顔を出した。
『面白い奴を見つけたぜ』
その奥には、クリスタルもいた。
彼女は少し困ったように笑いながら、しかし興味深そうに頷いていた。
『名前はシャオメイ。ケレス管制の通信技師よ。まだ若いけれど、かなり目がいいわ』
「通信技師?」
ペルシアの目が細くなる。
宇宙管理局の新体制において、通信系統は重要だった。
航行、管制、整備、救助、民間航路、特別案件。
それらを結ぶ通信網に穴があれば、どれだけ優秀なパイロットや整備士がいても現場は崩れる。
フレイがちらりとペルシアを見る。
スリッピーもログから顔を上げた。
ナウスはすでに記録の手を止め、通信内容に意識を向けている。
イーナも静かに資料を閉じた。
フォックスが続ける。
『若いが、物怖じしない。上官相手でも、必要なら真正面から意見を言う』
ファルコがにやりと笑う。
『さっきなんか、管制主任に向かって「その手順だと遅いです」って言いやがった』
「へえ」
ペルシアの口元が少し上がった。
「それで?」
クリスタルが答える。
『ただ強気なだけではないわ。指摘の根拠がある。通信遅延の原因を、管制側では航路混雑と判断していたのだけれど、シャオメイは中継局の圧縮処理の癖だと言ったの』
「当たってたの?」
『当たっていた』
フォックスが短く言った。
『俺たちが確認した。彼女の判断が正しい』
ペルシアは腕を組み直した。
通信技師。
若い。
物怖じしない。
上に意見を言える。
そして、根拠がある。
宇宙管理局に必要なのは、まさにそういう人材だった。
上の顔色を見て黙る人間ではない。
現場で危ないと思った時に、声を出せる人間。
ただし、感情で押し切るだけでは駄目だ。
必要なのは、根拠を持って、場を動かせること。
ペルシアは少し考えた後、フレイに視線を向けた。
「フレイ」
「はい」
「ジェームズは一旦任せる。スリッピー、ナウス、イーナと一緒に、技術助言者として協力範囲を詰めて」
フレイはすぐに頷いた。
「承知しました」
ジェームズが不機嫌そうに言う。
「勝手に決めるな」
ペルシアはジェームズを見る。
「勝手に決めてないわよ。あなたがまだ正式に協力するって言ってないのは分かってる。でも、スリッピーとは話すでしょ?」
ジェームズは黙った。
スリッピーが横からにこにこしながら言う。
「じゃあ、このログの続き見ようよ」
「お前は少し黙れ」
「黙ってたら質問できないよ」
「なら質問を減らせ」
「それは無理かな」
ジェームズは深くため息をついた。
だが、端末を閉じなかった。
ペルシアはそれを見て、勝った、と心の中で呟いた。
完全に落ちてはいない。
だが、逃げてもいない。
それで十分だった。
イーナがペルシアを見る。
「ペルシア、ケレス管制へ向かうの?」
「ええ。面白い通信技師って聞いたら、見ないわけにはいかないでしょ」
ナウスが端末に予定を表示する。
「ケレス行きの最短便は三十分後です。管理局の優先移動権限を使えば、接続込みで二時間以内に到着可能です」
「じゃあそれで」
フレイが一歩前に出る。
「こちらはお任せください。ただし、ジェームズさんへの交渉条件は、まだ確定させません。技術協力の範囲、報酬、守秘義務、局内での立場を確認してからにします」
「助かる」
ペルシアは頷いた。
「ジェームズ」
「あ?」
「逃げないでよ」
ジェームズは露骨に嫌そうな顔をした。
「逃げる理由がない」
「ならいいわ」
「お前の言い方は腹が立つ」
「よく言われる」
「直せ」
「無理」
ジェームズはまたため息をついた。
スリッピーが小さく笑う。
「ペルシアとジェームズ、案外相性いいんじゃない?」
「最悪だ」
「最悪ね」
ジェームズとペルシアの声が同時に重なった。
イーナが思わず笑い、ナウスもわずかに表情を緩めた。
ペルシアは上着を手に取る。
「じゃあ、私はケレスに行く。何かあったらすぐ連絡して」
「承知しました」
フレイが静かに答えた。
スリッピーは端末に視線を戻しながら手を振る。
「いってらっしゃい。シャオメイって子、面白そうだね」
「面白いだけなら採らないわよ」
ペルシアはそう言いながら、扉へ向かった。
「必要なら、引っ張る」
◇
ケレス管制センターは、派手さこそないが、重要な施設だった。
小惑星帯の航路調整、資源輸送船の誘導、民間船の通過許可、緊急時の救難通信。
地球や火星ほど大規模ではない。
だが、ここを通る情報は細かく、複雑で、途切れればすぐに現場へ影響する。
ペルシアが到着すると、入口でフォックスが待っていた。
「来たな」
「来たわよ。ジェームズを置いてまで来たんだから、つまらなかったら怒るわよ」
フォックスは小さく笑った。
「それはないと思う」
「自信あるわね」
「少なくとも、俺は面白いと思った」
管制室へ向かう通路で、クリスタルとファルコも合流した。
クリスタルは穏やかな表情で言う。
「シャオメイは今、第三通信卓にいるわ。通常なら新人が触るには少し重い卓だけれど、今は人手不足で入っているみたい」
ファルコが肩をすくめる。
「人手不足って言っても、あいつは普通に回してるぜ。むしろ周りの方がついていけてない」
ペルシアは足を止めずに聞く。
「性格は?」
フォックスが答える。
「強い」
ファルコが続ける。
「生意気」
クリスタルが少し笑う。
「でも、乱暴ではないわ。言い方はまっすぐすぎるけれど、相手を潰そうとしているわけではない」
「なるほど」
ペルシアは口元を上げた。
「私、そういう子嫌いじゃないわ」
管制室に入ると、まず耳に入ってきたのは、複数の通信音声だった。
各卓から短い報告が飛び、モニターには航路情報と通信状況が流れている。
その中で、第三通信卓だけが少し騒がしかった。
「だから、今その順番で呼び出したら、外縁側の輸送船が先に待機に入ります。優先順位が逆です」
若い女の子の声がした。
声は高めだが、はっきりしている。
苛立っているわけではない。
だが、引く気もない。
管制主任らしき男が困ったように言う。
「シャオメイ、手順書ではこの順番だ」
「その手順書、更新前の中継局配置が前提です。今の配置だと、ケレス第三中継を先に噛ませた方が早いです」
「だが、正式な改訂はまだ――」
「正式改訂を待っている間に、通信待機が六分伸びます。今なら二分で済みます」
「勝手な判断は困る」
「勝手じゃありません。ログを見てください。昨日も同じ遅延が出ています」
ペルシアは少し離れた位置で足を止めた。
第三通信卓に座っている少女。
それがシャオメイだった。
年齢は若い。
まだ新人に近いのだろう。
赤い髪を団子にまとめ、管制用のヘッドセットを片耳に掛けている。手元の端末には複数の通信ログが開かれており、指先は迷いなく動いていた。
周囲の大人たちは困っている。
だが、シャオメイは怯んでいない。
ただし、感情的に叫んでいるわけでもない。
必要な情報を出し、根拠を示し、判断を迫っている。
ペルシアは小さく呟いた。
「面白いわね」
ファルコがにやりと笑う。
「だろ?」
クリスタルが静かに言う。
「彼女は、相手が誰でも同じように言うわ」
「それで嫌われてる?」
フォックスが頷いた。
「一部には」
「でしょうね」
ペルシアは苦笑した。
こういう人材は、組織の中では扱いづらい。
正しいことを言う。
だが、正しさだけでは組織は動かない。
相手が受け取れる形にしなければ、せっかくの判断も反発で潰される。
シャオメイには、その危うさがあった。
ペルシアは第三通信卓へ歩いていった。
管制主任が気づき、慌てて姿勢を正す。
「宇宙管理局の方ですね。失礼しました。今、少し確認を――」
「続けて」
ペルシアは短く言った。
「私は見に来ただけだから」
シャオメイが一瞬だけペルシアを見る。
目が合った。
その目は、初対面の相手を前にしても揺れなかった。
シャオメイはすぐに画面へ視線を戻す。
「第三中継を先に噛ませます。許可をください」
管制主任は困った顔をした。
「しかし――」
「責任は私が持ちます」
シャオメイが言う。
その瞬間、ペルシアは口を挟んだ。
「それは違うわ」
シャオメイの手が止まる。
「何がですか」
ペルシアはシャオメイの横に立った。
「現場判断を提案するのはいい。でも、責任を私が持つ、は駄目」
シャオメイの眉がわずかに動く。
「なぜですか」
「あなた一人で持てる責任じゃないから。通信経路を変えるなら、管制全体の判断になる。あなたが背負うって言えば格好はつくけど、それは周りを巻き込まない言い方でもある」
シャオメイは黙った。
ペルシアは続けた。
「正しい判断を通したいなら、自分が背負うんじゃなくて、周りに判断させる材料を渡しなさい」
シャオメイの目が細くなる。
「材料は出しています」
「足りないわ」
「どこがですか」
空気が張る。
管制主任が慌てて止めようとした。
しかし、フォックスが軽く手で制した。
ペルシアはシャオメイの端末を見た。
「昨日のログ、今日の遅延、第三中継の処理速度。そこまでは出してる。でも、変更した場合のリスクを出してない」
シャオメイがすぐに答える。
「第三中継の負荷上昇は許容範囲です」
「それを主任に見える形で出した?」
「……」
「出してないでしょ」
シャオメイの唇が少し固くなる。
ペルシアは責めるようには言わなかった。
「あなたは頭の中で分かってる。でも、相手には見えてない。見えてない相手に、何で分からないんですか、って言っても動かないわ」
シャオメイは一瞬だけ目を伏せた。
だが、すぐに画面を操作した。
第三中継の負荷予測。
通信待機時間の比較。
変更しない場合の遅延。
変更した場合のリスク。
それらをまとめ、管制主任の端末へ送る。
「主任、これで判断してください。第三中継を先に使用した場合、負荷上昇は一時的に四パーセント。許容範囲内です。変更しない場合、外縁側輸送船の待機時間は六分以上伸びます」
管制主任は資料を見て、表情を変えた。
「……確かに、これなら変更した方がいい」
「許可を」
「第三中継優先で通せ」
「了解」
シャオメイは即座に通信を切り替えた。
「外縁輸送船カリスト三七、こちらケレス管制。通信経路を第三中継優先に変更します。応答確認」
『こちらカリスト三七。応答良好。遅延、改善しました』
「確認しました。航路指示を更新します」
通信が滑らかに流れ始める。
待機していた別の船にも順に案内が入る。
数分後、第三通信卓の混雑は収まった。
シャオメイはヘッドセットを外し、小さく息を吐いた。
その横顔には、安堵よりも、まだ少し納得していないような悔しさがあった。
ペルシアはそれを見逃さなかった。
「シャオメイ」
少女が顔を上げる。
「はい」
「今の判断、悪くなかったわ」
「ありがとうございます」
「でも、通し方が荒い」
シャオメイの表情が少し硬くなる。
「間違っていましたか」
「判断は間違ってない。だから惜しいのよ」
ペルシアは腕を組む。
「あなたは速い。見えてるものも多い。通信ログの癖を拾う目もある。でも、自分が見えているものを、周りも同じ速度で見えていると思ってる」
シャオメイは黙る。
フォックスが静かに見ている。
ファルコは面白そうに口元を上げていた。
クリスタルは、シャオメイの感情の揺れを確かめるように見つめている。
ペルシアは続ける。
「現場で必要なのは、正しいことを叫ぶことじゃない。正しい判断に、周りを乗せること」
「……周りが遅い場合は?」
シャオメイが尋ねた。
その声には、反発があった。
だが、質問でもあった。
ペルシアは少し笑う。
「遅いなら、速く見える形に変える」
「どういう意味ですか」
「今みたいに、比較を出す。リスクを出す。判断材料を一画面で見せる。相手が迷う時間を減らす。言葉で押すんじゃなくて、判断せざるを得ない形にする」
シャオメイは考え込んだ。
「……それは、説得ですか」
「違うわ。管制技術よ」
シャオメイの目が少し開いた。
ペルシアは第三通信卓を指した。
「通信は、ただ声を繋ぐだけじゃない。情報をどの順番で、どの形で、誰に渡すか。それで現場の動きが変わる。あなたはそれが分かってる。でも、人に渡す形がまだ荒い」
シャオメイは小さく息を呑んだ。
その言葉は、刺さったようだった。
ペルシアは尋ねた。
「シャオメイ、あなた何歳?」
「十七です」
「若いわね」
「若いと駄目ですか」
「いいえ。若いのにここまで見えてるなら、むしろ面白い」
シャオメイは戸惑った顔をした。
褒められると思っていなかったのだろう。
ファルコが横から言う。
「な? 面白いだろ」
ペルシアはファルコを見る。
「あなたが言うと、生意気な後輩を見つけて喜んでるみたいに聞こえる」
「実際、ちょっと喜んでる」
フォックスが軽くため息をつく。
「ファルコ」
「分かってるって」
クリスタルがシャオメイに微笑む。
「あなたの判断は、私たちも確認したわ。通信遅延の原因を最初に見抜いたのは、あなたよ」
シャオメイは少しだけ視線を落とした。
「でも、主任にはすぐ伝わりませんでした」
「それが課題ね」
ペルシアが言う。
シャオメイは顔を上げる。
「あなたは、宇宙管理局の人ですよね」
「そうよ」
「私を叱りに来たんですか」
「違うわ」
「では、何をしに来たんですか」
ペルシアはまっすぐにシャオメイを見た。
「あなたを見に来た」
シャオメイの表情が止まる。
「私を?」
「フォックスたちが、面白い通信技師を見つけたって連絡してきたのよ。若いけど、物怖じせず意見を言う子がいるってね」
シャオメイはフォックスたちを見る。
ファルコはひらひらと手を振る。
「推薦したわけじゃねえぞ。面白いって言っただけだ」
フォックスが冷静に言う。
「だが、能力はあると思った」
クリスタルも頷く。
「ただ、今のままでは潰れる可能性もあるわ」
シャオメイの眉が動く。
「潰れる?」
ペルシアが答えた。
「正しいことを言い続けても、通し方を間違えれば、周りから浮く。浮いた人間は、最初は便利に使われる。そのうち面倒がられる。最後は黙らされる」
シャオメイは何も言えなかった。
心当たりがあったのだろう。
管制主任も少し気まずそうに視線を逸らした。
ペルシアは声を柔らかくした。
「あなたの目は必要よ。でも、その目を活かす場所と使い方を間違えると、あなた自身が消耗する」
「……では、どうすればいいんですか」
シャオメイの声は、さっきより小さかった。
初めて、年相応の不安が見えた。
ペルシアは静かに言う。
「宇宙管理局に来ない?」
管制室の空気が止まった。
シャオメイも目を見開く。
「宇宙管理局に、ですか」
「正式採用を今ここで約束するわけじゃない。でも、通信系統の試験配置として推薦できる。オペレーションルームの立ち上げに、通信を見る人間が必要なの」
フォックスが補足する。
「今、宇宙管理局は新しい運用体制を作っている。航行、整備、救助、管制を繋ぐ場所だ」
クリスタルが続ける。
「そこでは、若いから黙っていろ、という扱いはされないわ。ただし、根拠と説明は求められる」
ファルコが笑う。
「意見を言いたいなら、うってつけだぜ。まあ、ペルシアに絞られるけどな」
「ファルコ」
ペルシアが睨む。
「事実だろ」
「余計な一言が多いのよ」
シャオメイはしばらく黙っていた。
その目は揺れていた。
迷い。
興味。
警戒。
そして、少しの期待。
「私は、まだ若いです」
「そうね」
「経験も足りません」
「それもそう」
「それでも、必要なんですか」
ペルシアは即答した。
「必要かどうかを見に来た」
シャオメイは少し息を止める。
ペルシアは続ける。
「今の時点で、あなたは未完成。でも、未完成だから駄目とは思わない。完成してる人材なんて、そうそういないわ。大事なのは、伸びるかどうか。折れずに学べるかどうか」
「……厳しいですか」
「厳しいわよ」
ファルコが笑う。
「そこは否定しないんだな」
ペルシアはファルコを無視した。
「でも、正しいことを言っただけで潰される場所にはしない」
シャオメイの目が、少し変わった。
その言葉は、彼女が一番欲しかったものだったのかもしれない。
正しいと思ったことを言う。
危ないと思った時に止める。
そのせいで浮く。
そのせいで扱いづらいと言われる。
それでも黙れない。
シャオメイは、そういう人間だった。
ペルシアはそれを見抜いていた。
「一つ聞かせて」
ペルシアが言う。
「さっき、なぜあそこまで強く言ったの?」
シャオメイは少し考えてから答えた。
「通信待機が伸びると、外縁輸送船の燃料消費が増えます。あの船は補助推進系が古い型です。六分の待機でも、後続の航路調整に影響が出る可能性がありました」
「それを主任に言った?」
「……言っていません」
「どうして?」
「ログを見れば分かると思ったからです」
ペルシアは頷いた。
「そこね」
シャオメイは悔しそうに唇を結んだ。
「分かりました。私は、相手が見ていないものを、見ている前提で話していました」
「そういうこと」
「なら、次は先に出します」
「よろしい」
ペルシアは笑った。
その笑いを見て、シャオメイは少しだけ肩の力を抜いた。
管制主任が恐る恐る口を開く。
「宇宙管理局へ、というのは本気ですか」
ペルシアは主任を見る。
「本気よ。ただし、すぐに引き抜くとは言っていない。まずは試験協力。ケレス管制側の許可、本人の意思、管理局側の受け入れ体制を確認する」
主任は複雑そうな顔をした。
手放したくない。
しかし、今のまま置いておけば持て余す。
その両方が見えていた。
フォックスが静かに言う。
「彼女の能力を活かすなら、広い通信網を見せた方がいい」
クリスタルも頷く。
「ここで経験を積むことも大事だけれど、今のままでは彼女の声が届ききらない」
ファルコが肩をすくめる。
「それに、ここで燻ってるより、あっちで揉まれた方が伸びるぜ」
シャオメイはファルコを見る。
「揉まれる前提なんですね」
「そりゃそうだろ。ペルシアの下だぜ」
「ファルコ」
「はいはい」
ペルシアはシャオメイに向き直る。
「どうする? 今すぐ答えなくてもいいわ」
シャオメイは黙った。
しかし、その沈黙は迷いだけではなかった。
考えている。
自分の行き先を。
自分の声を、どこで使うべきかを。
やがて、シャオメイは口を開いた。
「一つ、条件があります」
ペルシアは目を細める。
「言ってみなさい」
「私は、ただ言うことを聞くだけの通信員にはなりたくありません」
「でしょうね」
「危ないと思ったら言います。おかしいと思ったら止めます。相手が上でも、必要なら反論します」
「いいわよ」
シャオメイは少し驚いた。
「いいんですか」
「その代わり、根拠を出しなさい。相手が判断できる形で。感情で押し切るのは無し」
シャオメイは頷いた。
「分かりました」
「あと、言い方は学びなさい」
「……それは苦手です」
「見れば分かる」
シャオメイは少しむっとした顔をした。
ペルシアは笑う。
「でも、苦手なら覚えればいい。あなたは通信技師でしょ。相手に届く形に変換するのも、通信の一部よ」
シャオメイは目を伏せ、それから小さく頷いた。
「分かりました。試験協力、受けます」
管制室の空気が少し揺れた。
フォックスは静かに頷く。
クリスタルは微笑んだ。
ファルコは満足げに笑う。
「決まりだな」
ペルシアは端末を取り出した。
「まだ仮決定よ。フレイに話を通して、手続き組む。イーナにも人事記録を見てもらわないと」
シャオメイが尋ねる。
「フレイさんとイーナさんというのは?」
「宇宙管理局で今、一緒に動いてる人たち。フレイは調整役。イーナは資料整理と人事面が強い。スリッピーは技術。ナウスは記録と運用支援」
「では、私は通信ですか」
「候補ね」
「候補……」
「そこに不満そうな顔しない」
シャオメイは少し慌てた。
「していません」
「してたわよ」
ファルコが笑う。
「してたな」
クリスタルも微笑む。
「少しだけ」
フォックスが淡々と言う。
「分かりやすかった」
シャオメイは視線を逸らした。
「……気をつけます」
ペルシアは端末を操作し、フレイへ通信を入れた。
数秒後、画面にフレイが映る。
『ペルシア、どうしましたか』
「ケレスで通信技師の候補を見つけた。名前はシャオメイ。十七歳。通信ログの解析、遅延原因の特定、現場判断はかなりいい。ただし、言い方が荒い」
シャオメイが少しだけ顔をしかめる。
フレイは落ち着いて頷いた。
『試験協力の候補ですね』
「ええ。手続き組める?」
『可能です。ケレス管制側の承認、本人の同意、管理局側の試験配置枠を確認します』
「お願い」
画面の向こうで、スリッピーの声が聞こえた。
『通信技師? 通信系の子? ログ見たい!』
ナウスの声も続く。
『候補者名、シャオメイ。記録しました』
イーナの声が穏やかに入る。
『人事情報を確認します。経歴と評価記録を送ってください』
ジェームズの低い声が最後に聞こえた。
『また増やすのか』
ペルシアはにやりと笑った。
「面白い子なら増やすわよ」
『面倒を見る気があるならな』
「あるわよ」
『なら好きにしろ』
通信の向こうで、スリッピーが笑った。
『ジェームズ、だんだん協力的になってるね』
『黙れ』
通信が少し騒がしくなる。
ペルシアは苦笑しながら画面を切った。
シャオメイが不思議そうに言う。
「宇宙管理局は、いつもあんな感じなんですか」
ペルシアは少し考えた。
「今は立ち上げ中だから、特に騒がしいわね」
「大丈夫なんですか」
「大丈夫にするのよ」
シャオメイはその言葉を聞き、少しだけ目を見開いた。
大丈夫だから動くのではない。
大丈夫にするために動く。
その考え方は、彼女にとって新鮮だった。
ペルシアはシャオメイの肩越しに、第三通信卓を見る。
「シャオメイ」
「はい」
「最後に一つだけ確認するわ」
「何ですか」
「あなたは、怖くても声を出せる?」
シャオメイはすぐには答えなかった。
その質問は、技術ではない。
能力でもない。
もっと深いところを問うものだった。
しばらくして、シャオメイは静かに答えた。
「怖い時もあります」
「うん」
「言った後で、言わなければよかったと思うこともあります」
「うん」
「でも、言わなかったせいで誰かが困る方が、もっと嫌です」
ペルシアは満足そうに笑った。
「合格」
シャオメイは目を瞬かせる。
「今ので、ですか」
「今のでよ」
「技術試験ではなく?」
「技術はこれから見る。でも、今の答えは必要だった」
フォックスが静かに頷いた。
クリスタルも優しく微笑む。
ファルコは腕を組み、少し楽しそうに言った。
「よかったな、シャオメイ。地獄の入口へようこそ」
「ファルコ」
ペルシアが低い声を出す。
シャオメイは真顔で尋ねた。
「地獄なんですか」
ファルコが笑う。
「半分な」
ペルシアは言った。
「違うわよ」
クリスタルが少し首を傾げる。
「半分くらいは合っているかもしれないわ」
「クリスタルまで」
フォックスが静かに言う。
「厳しい場所ではある」
ペルシアは額に手を当てた。
「あなたたち、勧誘する気ある?」
ファルコが肩をすくめる。
「あるから正直に言ってんだろ」
シャオメイはそのやり取りを見て、初めて少し笑った。
ほんの小さな笑みだった。
だが、ペルシアはそれを見逃さなかった。
この子は、緊張していた。
強く見せていただけだ。
物怖じしないのは事実。
だが、怖くないわけではない。
それでも声を出す。
なら、十分だった。
ペルシアはシャオメイに手を差し出した。
「改めて。ペルシア。宇宙管理局で、今は新しいオペレーションルームの人材集めをしてる」
シャオメイはその手を見つめた。
少し迷い、それから握り返した。
「シャオメイです。ケレス管制、第三通信卓担当。試験協力、受けます」
「よろしく、シャオメイ」
「よろしくお願いします」
握手を交わした瞬間、ペルシアの端末にまた別の通知が入った。
フレイからだった。
内容は短い。
――ジェームズさん、技術助言者としての暫定協力に同意しました。
ペルシアは画面を見て、思わず笑った。
フォックスが尋ねる。
「どうした?」
「ジェームズが落ちた」
ファルコが吹き出した。
「早いな」
クリスタルが微笑む。
「スリッピーが粘ったのね」
「多分ね」
ペルシアは端末をしまった。
「整備にジェームズ。通信にシャオメイ。少しずつ形になってきたわ」
シャオメイが尋ねる。
「他にも人を集めているんですか」
「ええ。操縦、管制、整備、通信、記録、調整。必要な人材はまだ足りない」
「大きな計画なんですね」
ペルシアは窓の向こうに広がるケレスの光を見た。
「大きいわよ。だから、面白いの」
フォックスがその横に並ぶ。
「次はどうする?」
ペルシアは少し考えた。
「まずはシャオメイの試験配置手続き。ケレス管制との調整。それから、ジェームズの条件確認。フレイに負担が寄りすぎる前に戻る」
ファルコが言う。
「忙しいな」
「忙しくしてるのよ」
クリスタルが穏やかに言った。
「でも、いい流れね」
「ええ」
ペルシアは頷いた。
「ようやく、宇宙管理局らしくなってきた」
シャオメイはその言葉を聞きながら、第三通信卓を振り返った。
今まで自分が座っていた場所。
何度も意見を言い、何度も煙たがられ、それでも離れられなかった場所。
そこから、別の場所へ行くかもしれない。
怖さはある。
だが、それ以上に、胸の奥が少し熱かった。
自分の声が、もっと広い場所へ届くかもしれない。
自分の判断が、誰かの航路を守るかもしれない。
シャオメイはペルシアを見る。
「ペルシア」
「何?」
「私は、まだ未熟です」
「知ってる」
「でも、必要なら言います。おかしいと思ったら、止めます」
「うん」
「その代わり、言い方は学びます」
ペルシアは笑った。
「上出来」
フォックス、クリスタル、ファルコもそれぞれ頷いた。
ケレス管制の通信音が、再び静かに流れ始める。
小惑星帯を行き交う船の声。
中継局を渡る信号。
遅延を調整する無数の判断。
その中で、シャオメイという若い通信技師の声が、確かに一つ、宇宙管理局へ届いた。
ペルシアは端末を開き、フレイへ追加の短文を送る。
――通信候補、確保。名前はシャオメイ。かなり面白い。
すぐに返信が来た。
――承知しました。受け入れ準備を進めます。
その下に、スリッピーからの短い追伸が表示された。
――通信ログ、早く見たい!
さらに、ナウスから。
――候補者データベースに仮登録しました。
最後に、イーナから。
――また個性的な人材のようですね。
ペルシアは画面を見て笑った。
「ええ、個性的よ」
そして、シャオメイの方を見る。
「でも、今の宇宙管理局には、そういう子が必要なのよ」
ケレス管制の窓の外で、小さな輸送船が航路灯を点滅させながら遠ざかっていく。
その光を見送りながら、ペルシアは確信していた。
ジェームズ。
シャオメイ。
フレイ。
イーナ。
スリッピー。
ナウス。
フォックス。
クリスタル。
ファルコ。
少しずつ、必要な歯車が集まり始めている。
まだ形は不完全だ。
不安定で、騒がしくて、扱いづらい者ばかりだ。
だが、それでいい。
完璧な人材を並べるだけでは、現場は動かない。
癖のある人間が、自分の役割を見つけ、ぶつかりながら噛み合っていく。
それこそが、ペルシアの作ろうとしている宇宙管理局の新しい現場だった。
「さて」
ペルシアは軽く息を吐いた。
「次は、この子をどうやってフレイに紹介するかね」
ファルコが笑う。
「そのまま連れて行けばいいだろ」
クリスタルが首を振る。
「フレイは驚かないと思うわ」
フォックスが静かに言う。
「むしろ、ペルシアがまた拾ってきたと思うだけだろう」
「人を拾ってきたみたいに言わないで」
ペルシアは少し不満そうに言った。
シャオメイが真顔で尋ねる。
「私は拾われたんですか」
「違うわよ」
ファルコが横で言う。
「半分くらいはな」
「ファルコ」
ペルシアの低い声に、ファルコは笑いながら肩をすくめた。
シャオメイはそのやり取りを見て、今度ははっきりと笑った。
その笑顔を見て、ペルシアは思った。
大丈夫。
この子は、まだ伸びる。
そして、宇宙管理局の通信席には、きっとこういう声が必要になる。
物怖じせず、根拠を持ち、必要なら止められる声。
その声が、いつかリュウジたちの航路を守ることになるかもしれない。
ペルシアは、まだ見ぬその瞬間を思い浮かべながら、ケレス管制の光の中で小さく笑った。