サヴァイヴ〜ドルトムント財閥〜   作:一塔

71 / 76
ソーラ・デッラ・ルーナへ

 

 

ロカA2へ行く日。

 

火星のエアポートには、朝早くから十四班の面々が揃っていた。

 

年末の火星エアポートは、いつもより少し慌ただしい。

 

帰省便、観光便、貨物便。

 

発着案内の音が絶えず、行き交う乗客の足取りもどこか早い。

 

だが、十四班の周囲だけは、少しだけ違う空気があった。

 

仕事ではない。

 

訓練でもない。

 

年明けからの応援前、わずかにできた休みに、全員でロカA2へ行く。

 

リュウジが、連れて行きたい場所があると言った。

 

ただし、詳しい目的は当日まで内緒。

 

そのせいで、まだ事情をよく知らないミラとランは、朝から少し落ち着かない様子だった。

 

「ミラ、ロカA2って、どんな所なんだろうね」

 

ランが小さく聞いた。

 

ミラは荷物を確認しながら答える。

 

「私も詳しくは知らない。でも、リュウジさんがわざわざみんなを連れて行くなら、ただの観光じゃないと思う」

 

「だよね」

 

「ラン、今日は声は大丈夫そう」

 

「うん。旅行だから、仕事じゃない時に大声だと目立つから」

 

ミラは少し笑った。

 

「それ、仕事の時も少し意識して」

 

「あ……うん」

 

少し離れた場所では、ククルが出発表示を何度も見上げていた。

 

「ガーネットさん」

 

カイエが声をかける。

 

ガーネットは顔を上げた。

 

「何?」

 

「寒くないですか。ロカA2の外縁区画は少し冷えるかもしれません」

 

ガーネットは少しだけ笑う。

 

「大丈夫。準備してきたわ。心配してくれてありがとう」

 

カイエは小さく頷いた。

 

「いえ」

 

ククルがその様子を見て、小さくエマに言う。

 

「カイエ、最近ガーネットさんに少し柔らかくなったよね」

 

エマも頷く。

 

「うん」

 

「でも、まだ敬語なんだよね」

 

「距離は残している」

 

「カイエらしいね」

 

「うん」

 

その時、タツヤ班長が軽い足取りでやってきた。

 

「お、みんな揃ってるね」

 

エリンがすぐに振り返る。

 

「班長、おはようございます」

 

「おはよう、エリン。今日は仕事じゃないから、そんなに固くなくていいよ」

 

「分かっています。でも、班長は班長ですから」

 

「そういうところ、エリンらしいねぇ」

 

タツヤ班長は笑いながら、全員を見渡した。

 

「リュウジは?」

 

エリンが少し視線を動かす。

 

「まだ来ていません」

 

「珍しいね。リュウジが最後か」

 

ククルが少し驚いたように言う。

 

「リュウジさんが遅いの、珍しいですね」

 

エマは冷静に言った。

 

「遅刻ではありません。集合時間の五分前です」

 

「エマ、細かい」

 

「事実」

 

カイエが端末を見ながら言う。

 

「リュウジさんなら、発着手続きかもしれませんね」

 

その言葉のすぐ後だった。

 

リュウジがエアポートの奥から歩いてきた。

 

いつもの落ち着いた歩き方。

 

だが、今日は仕事の制服ではない。

 

動きやすい上着に、落ち着いた色のマフラーを巻いていた。

 

以前、エリンがこっそり渡したマフラーだった。

 

エリンはそれを見た瞬間、少しだけ目を細めた。

 

リュウジは近づいてきて、タツヤ班長に軽く頭を下げる。

 

「おはようございます」

 

「おはよう。いいマフラーしてるねぇ」

 

タツヤ班長がにやりと笑う。

 

リュウジは少しだけ目を伏せた。

 

「いただきものです」

 

エリンは少し頬を赤くした。

 

「……似合ってるよ」

 

リュウジはエリンを見る。

 

「ありがとうございます」

 

ククルがエマの袖を軽く引いた。

 

「今の、いいね」

 

エマは小さく頷く。

 

「かなりいいです」

 

カイエが小声で言う。

 

「二人とも、声が少し大きい」

 

ククルは慌てて口を押さえた。

 

「ごめん」

 

ランもミラの横で小さく言った。

 

「やっぱり、似合ってるね」

 

ミラが頷く。

 

「うん」

 

リュウジは全員を見渡した。

 

「全員、揃ってるな」

 

ククルが元気よく頷く。

 

「はい!」

 

エマも静かに言う。

 

「揃っています」

 

カイエは端末を閉じた。

 

「出発できます」

 

ミラは丁寧に言う。

 

「準備できています」

 

ランも続ける。

 

「私も大丈夫です」

 

ガーネットはリュウジに向き直る。

 

「リュウジさん、今日はよろしくお願いします」

 

リュウジは頷いた。

 

「よろしく」

 

タツヤ班長が軽く手を叩いた。

 

「それで、リュウジ。そろそろ行き先をちゃんと言ってもいいんじゃない?」

 

ククルが身を乗り出す。

 

「ロカA2のどこへ行くんですか?」

 

エマも言う。

 

「休息室は見られますか」

 

カイエが少し笑う。

 

「エマ、まずそこなんだ」

 

「確認は大事」

 

ミラも控えめに聞く。

 

「リュウジさん、目的地は決まっているんですよね?」

 

ランも少しだけ声を抑えながら続けた。

 

「私も、気になっていました」

 

ガーネットもリュウジを見る。

 

「リュウジさん、ここまで内緒にした理由はあるんですよね」

 

リュウジは少し黙った。

 

視線を一度、エアポートの大きな窓へ向ける。

 

窓の向こうには、火星の赤い大地と、発着する船の光が見えていた。

 

そして、その先に、ロカA2へ向かう航路がある。

 

リュウジは静かに口を開いた。

 

「行き先は、ソーラ・デッラ・ルーナ」

 

その名前に、ミラとランが目を見開いた。

 

ガーネットも、はっきりと反応する。

 

だが、エリン、タツヤ班長、ククル、カイエ、エマの反応は違った。

 

初めて聞いた驚きではない。

 

ようやくその場所を見られるという、静かな実感だった。

 

ククルが小さく息を吸う。

 

「ソーラ・デッラ・ルーナ……完成したんですね」

 

エマも静かに言う。

 

「本当に、完成したんですね」

 

カイエは少しだけ目を伏せた。

 

「図面で見ていた場所が、形になったんですね」

 

タツヤ班長は腕を組んで、窓の外を見る。

 

「早かったような、長かったような感じだねぇ」

 

エリンはリュウジを見た。

 

「リュウジ、もう見られる状態なの?」

 

「はい」

 

リュウジは頷いた。

 

「正式な運用はまだ先です。管制、整備、医療導線、乗務員の休息区画、商業区画、連絡航路。全部が完全に動くには、まだ調整が残っています」

 

エリンは静かに頷く。

 

「でも、施設としては完成しているんだね」

 

「はい」

 

リュウジは少しだけ息を吸った。

 

「だから、最初に十四班に見てもらいたいと思いました」

 

その言葉に、空気が少しだけ変わった。

 

ククルが目を潤ませるように笑う。

 

「私たちが、最初でいいんですか?」

 

リュウジは頷いた。

 

「ああ」

 

エマが静かに言う。

 

「休息室の意見を出したからですか」

 

「それもある」

 

カイエが聞く。

 

「迷子導線や、働く側が壊れない導線も?」

 

「もちろん」

 

リュウジは全員を見る。

 

「ソーラ・デッラ・ルーナは、俺一人で作った場所じゃない。タツヤ班長に相談して、設計士を紹介してもらって、エリンさんに現場の部屋を削るなと言われて、ククル、カイエ、エマにも意見をもらった」

 

ククルは少しだけ照れた。

 

「私、迷子の話ばかりした気がします」

 

「大事だった」

 

リュウジは即答した。

 

「声が届く場所と、走らないで済む場所。あれはそのまま入っている」

 

ククルの表情が明るくなる。

 

「本当に?」

 

「うん」

 

エマが続ける。

 

「待機室と仮眠室は?」

 

「入っている。視線から外れているけど、すぐ客室側に出られる導線にした」

 

エマは深く頷いた。

 

「それなら安心です」

 

カイエが静かに言う。

 

「働く側が壊れない場所」

 

「うん」

 

リュウジは頷いた。

 

「それも、入っている」

 

カイエは少しだけ表情を緩めた。

 

ミラとランは、その会話を聞いていた。

 

自分たちが知らなかった時間。

 

リュウジが、タツヤ班長やエリン、ククル、カイエ、エマと一緒に、エアポートを作る話を進めていた時間。

 

それが、ようやく自分たちの前に出てきたのだと分かる。

 

ミラは静かに言った。

 

「そんな大切な場所だったんですね」

 

リュウジはミラを見る。

 

「ああ」

 

ランも少し緊張した声で言った。

 

「私、見てみたいです」

 

「見てほしい」

 

リュウジの返事は短かった。

 

だが、その声は真っ直ぐだった。

 

ガーネットはしばらく黙っていた。

 

彼女は、その計画の始まりを知らない。

 

ペルシアが図面を覗き込み、キッズスペースや生活導線を指摘したことも。

 

エリンが現場の部屋を削るなと言ったことも。

 

ククル、カイエ、エマの意見が入ったことも。

 

タツヤ班長が、冗談のように班長席を欲しがり、最後には統括席として小さな居場所が残されたことも。

 

ガーネットにとっては、後から知る話だった。

 

それでも今、その場所に連れて行ってもらえる。

 

それが何を意味するのか、ガーネットには分かった。

 

「リュウジさん」

 

「何?」

 

「私も、見ていいんですね」

 

リュウジは少しだけ首を傾げた。

 

「もちろん。十四班だから」

 

ガーネットは一瞬、言葉を失った。

 

そして、丁寧に頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

 

カイエはその横で何も言わなかった。

 

だが、視線だけは少し柔らかかった。

 

タツヤ班長が口を開く。

 

「それで、リュウジ。統括席は残ってる?」

 

その一言に、ククルが吹き出しかけた。

 

エマも口元を押さえる。

 

カイエは肩を震わせている。

 

エリンは額に手を当てた。

 

「班長……」

 

タツヤ班長は平然としている。

 

「いや、大事だよ。俺の居場所だからね」

 

リュウジは少しだけ目を伏せた。

 

「残っています」

 

タツヤ班長の目が輝く。

 

「本当?」

 

「はい。整備区画の隣、静音壁の外側。現場が見えて、乗客導線からは外れています」

 

「最高だね」

 

エリンがため息をつく。

 

「班長、今日はそこを見に行く日ではありません」

 

「でも見るよ?」

 

「見るんですね」

 

「そりゃ見るよ。統括席だよ?」

 

ククルがとうとう笑った。

 

「班長、すごく嬉しそうです」

 

エマも頷く。

 

「分かりやすいです」

 

カイエが小さく言う。

 

「班長席ではなく、統括席です」

 

「そこ大事だねぇ」

 

タツヤ班長が楽しそうに言う。

 

エリンは苦笑した。

 

その空気に、ミラとランも少し笑った。

 

ガーネットも、ようやく肩の力を抜く。

 

リュウジは、その光景を見ていた。

 

自分が作った場所。

 

いや、自分だけでは作れなかった場所。

 

ソーラ・デッラ・ルーナ。

 

月の太陽。

 

闇を照らす月のように。

 

艦を導く太陽のように。

 

帰る灯りを残すための場所。

 

その名前を決めた夜のことを、リュウジは覚えている。

 

図面の上で、ペルシアが三日月の形を提案した。

 

エリンが、内からも外からも月が見えるようにしようと言った。

 

アミューズと生活圏を分けること。

 

乗務員向けと家族向けのレストランを分けること。

 

屋上に水耕栽培を置くこと。

 

月の回廊。

 

祈る場所。

 

静音整備区画。

 

休息導線。

 

それらが少しずつ重なり、港はただの施設ではなくなった。

 

戻ってきた人が、少し楽になれる場所。

 

働く側が、壊れずに済む場所。

 

乗客も乗務員も整備士も、管制もパイロットも、ちゃんと呼吸できる場所。

 

それを、今日、十四班に見せる。

 

リュウジは静かに言った。

 

「ソーラ・デッラ・ルーナは、まだ正式運用前です。でも、形にはなりました」

 

皆がリュウジを見る。

 

「最初に見せるなら、十四班がいいと思いました。あの場所は、十四班の意見が入っているから」

 

エリンはリュウジを見つめた。

 

「リュウジ」

 

「はい」

 

「見せてくれてありがとう」

 

リュウジは少しだけ目を伏せた。

 

「こちらこそ、ありがとうございます」

 

「まだ見てないよ」

 

「それでもです」

 

エリンは少しだけ笑った。

 

「そういうところ、リュウジらしいね」

 

ククルが目を輝かせる。

 

「私、すごく楽しみです!」

 

エマも静かに頷く。

 

「休息室を見ます」

 

カイエが笑う。

 

「エマ、本当にそこなんだね」

 

「重要」

 

ミラは丁寧に言う。

 

「大切に見学します」

 

ランも少し声を抑えて続けた。

 

「私も、ちゃんと見たいです」

 

ガーネットは包み込むように静かに言う。

 

「私も、見させていただきます」

 

リュウジは頷いた。

 

「ああ」

 

タツヤ班長が軽く手を叩いた。

 

「じゃあ、行こうか。ソーラ・デッラ・ルーナへ」

 

その言葉と同時に、ロカA2行きの搭乗案内が流れた。

 

十四班の全員が、それぞれ荷物を持つ。

 

リュウジが先頭に立つわけではなかった。

 

だが、自然と皆の視線はリュウジへ向いた。

 

今日の行き先を決めたのはリュウジだ。

 

彼がS級の契約金で建てたエアポートへ向かう。

 

ただし、その港は、もう彼一人のものではなかった。

 

タツヤ班長の冗談のような願望。

 

エリンの現場を見る目。

 

ククルの迷子導線。

 

エマの休息室。

 

カイエの働く側を守る視点。

 

そして、十四班の空気。

 

それらが入っている。

 

エリンはリュウジの横に並んだ。

 

「リュウジ」

 

「はい」

 

「楽しみにしてる」

 

リュウジはエリンを見る。

 

「はい」

 

短い返事。

 

けれど、その声は確かだった。

 

十四班は、火星のエアポートからロカA2へ向かう便へ乗り込んだ。

 

目指す先は、ソーラ・デッラ・ルーナ。

 

月の太陽。

 

闇の中でも、帰る灯りを残すための場所。

 

そして、リュウジが十四班に最初に見せたいと願った場所だった。

 

 

 

ーーーー

 

 

 

 

ロカA2行きの船は、火星のエアポートを離れた。

 

窓の外で、火星の赤い地表がゆっくりと遠ざかっていく。

 

船内は年末の移動客でそれなりに混んでいたが、十四班の周囲だけは、どこか静かだった。

 

それは、仕事ではない移動だからというだけではない。

 

これから向かう場所が、ただの目的地ではないからだった。

 

ソーラ・デッラ・ルーナ。

 

リュウジがS級の契約金で建てたエアポート。

 

ただし、そこはリュウジ一人の思いつきで作られた場所ではない。

 

タツヤ班長に相談し、設計士ルーカスを紹介され、エリンやペルシアと図面を見直し、ククル、カイエ、エマの現場の声を取り入れ、整備士の意見も入れて形になった港。

 

戻ってきた人が、ちゃんと人に戻れる場所。

 

乗務員が座って息を吐ける場所。

 

整備士が安心して異常を報告できる場所。

 

迷子になっても、走らずに声が届く場所。

 

疲れた家族が、少しだけ安心できる場所。

 

闇の中でも、帰る灯りを残すための場所。

 

その名前を聞いた時、ミラとラン、そしてガーネットは、まだ完全には意味を掴めていなかった。

 

だが、エリン、タツヤ班長、ククル、カイエ、エマは違う。

 

図面の上で、その場所が少しずつ形になっていく過程を知っている。

 

だから、皆の期待には温度差があった。

 

初めて聞く驚きと、ようやく見る実感。

 

その二つが、船内の静けさの中でゆっくり混ざっていた。

 

「リュウジさん」

 

通路側に座っていたククルが、小さく声をかけた。

 

リュウジは顔を上げる。

 

「どうした?」

 

「本当に、完成したんですね」

 

その声は、いつもの明るさより少しだけ柔らかかった。

 

「ああ。施設としては完成している」

 

「正式運用はまだなんですよね?」

 

「ああ。管制、整備、商業区画、連絡航路、緊急時の医療導線。全部を通常運用に乗せるには、まだ調整が残っている」

 

エマが隣で静かに言う。

 

「休息室は使えますか」

 

リュウジは少しだけ目を伏せた。

 

「使える。今日はそこも見せる」

 

エマは深く頷いた。

 

「重要です」

 

カイエが少し笑う。

 

「エマはずっとそこを気にしてたね」

 

「大事だから」

 

「うん。大事」

 

カイエも否定しなかった。

 

あの時、エマが真顔で言い切った。

 

待機室、仮眠室は絶対。

 

お客様より先に倒れたら意味がない。

 

その言葉は、図面の中に残った。

 

乗客の目からは見えない。

 

けれど、すぐ現場へ戻れる導線。

 

疲れた者が、焦って人とぶつからずに座れる部屋。

 

それは、エマの意見がなければ、ここまで強く残らなかったかもしれない。

 

ククルが少し身を乗り出す。

 

「迷子導線も、ほんとに入ってます?」

 

「入っている」

 

リュウジは即答した。

 

「キッズスペースは救護室と案内カウンターに近い場所。声が広がりすぎないように壁材も変えている。走らなくても、すぐ誰かが気づける配置にした」

 

ククルの目が明るくなる。

 

「ほんとに、入ってるんですね」

 

「ククルが言ったことだから」

 

「私、すごく勢いで言ってましたよ?」

 

「勢いがある方が、現場の本音に近い」

 

ククルは少し照れたように笑った。

 

「そう言われると、嬉しいです」

 

ミラはその会話を聞きながら、静かに目を伏せていた。

 

ミラも乗務員として、迷子の対応や乗客の不安を見たことがある。

 

だが、それをエアポート全体の設計にまで反映するという発想は、まだ自分にはなかった。

 

ランはさらに分かりやすく目を輝かせていた。

 

「すごいですね。現場の声って、本当に建物になるんですね」

 

ミラが少し笑う。

 

「ラン、声」

 

「あ、ごめん。でも、すごいと思って」

 

「うん。それは私も思う」

 

ガーネットは窓の外を見ていた。

 

まだ言葉は少ない。

 

十四班の中で、自分が知らない時間。

 

自分が来る前に積み重なっていたもの。

 

その存在を、今さら突きつけられているようでもあった。

 

けれど、不思議と疎外感だけではなかった。

 

リュウジは「十四班だから」と言った。

 

なら、今の自分も見ていい。

 

後から知る者として、ちゃんと見ればいい。

 

ガーネットはそう思い、膝の上で手を重ねた。

 

 

ロカA2に近づくと、船内の照明が少し落ちた。

 

到着案内が流れ、窓の外に人工天体の外縁光が見えてくる。

 

通常のロカA2のエアポートへ向かう便ではなく、今回は途中で専用の連絡便へ乗り換える予定だった。

 

正式運用前のソーラ・デッラ・ルーナには、一般客用の通常導線はまだ開かれていない。

 

ロカA2のメインターミナルに到着した後、リュウジの手配した連絡便が、十四班を新しい港へ連れていくことになっていた。

 

「本当に特別見学ですね」

 

ミラが丁寧に言った。

 

リュウジは頷く。

 

「正式運用前だから、今日は一部だけだ」

 

ランが小さく聞く。

 

「全部は見られないんですか?」

 

「全部はまだ無理だ。整備中の区画や、調整中の管制室もある」

 

エマがすぐに反応する。

 

「休息室は?」

 

「見る」

 

「安心しました」

 

カイエが笑う。

 

「エマ、それ最優先だね」

 

「最優先」

 

タツヤ班長は窓の外を見ながら、楽しそうに言う。

 

「統括席も見るよ」

 

エリンがすぐに振り返った。

 

「班長、そこはまだ言うんですね」

 

「言うよ。俺の居場所だからね」

 

「班長の居場所ではなく、統括席です」

 

「ほら、名前がある時点で居場所だよ」

 

エリンは小さくため息をついた。

 

「班長……」

 

ククルが笑いをこらえる。

 

エマも口元を押さえる。

 

カイエは少し肩を震わせた。

 

ミラとランは、何の話かまだ完全には分からないながらも、タツヤ班長が本気で楽しみにしていることだけは理解していた。

 

ガーネットはそのやり取りを見ながら、少しだけ笑った。

 

「タツヤ班長、その統括席というのは、そんなに重要なんですか」

 

タツヤ班長は真面目な顔で頷いた。

 

「重要だよ。現場が見えて、お客さんの導線からは外れてて、静音壁の外側。最高じゃない」

 

「最高、なんですね」

 

「最高だよ」

 

エリンが静かに言う。

 

「リュウジ、あの時、本当に描いたんだね」

 

リュウジは少し目を伏せた。

 

「はい」

 

「班長席って書かなかっただけ、偉い」

 

「そこは分かっていました」

 

「うん。そこは分かっていてくれてよかった」

 

タツヤ班長が不満そうに言う。

 

「班長席でも良かったんだけどなぁ」

 

エリンは即答した。

 

「駄目です」

 

「即答だね」

 

「即答です」

 

その場に小さな笑いが広がった。

 

リュウジはそれを聞きながら、少しだけ表情を緩めていた。

 

未探索領域の話は、まだ彼の中にある。

 

二月から四月。

 

およそ二か月。

 

その重さは消えていない。

 

けれど、今は違う。

 

今日は、自分が作った場所へ、十四班を連れていく日だ。

 

自分一人では作れなかった場所。

 

自分の契約金が、ただの数字ではなく、誰かの呼吸になった場所。

 

それを見せる。

 

そのことに、リュウジは静かな緊張を覚えていた。

 

 

ロカA2のメインターミナルで一度降り、専用ゲートへ移動する。

 

通常の乗客導線とは別に、まだ仮設案内が残る通路が伸びていた。

 

壁には簡易の表示。

 

関係者用。

 

試験運用区画。

 

一部立入制限。

 

ミラとランは少し緊張した様子で足元のラインを見ていた。

 

ククルは、さっそく案内表示を見比べている。

 

「仮設表示でも、分かりやすいですね」

 

カイエが頷く。

 

「迷いにくい。色分けもきつすぎない」

 

エマが静かに言う。

 

「眩しくない」

 

リュウジは短く頷いた。

 

「入口で疲れさせないようにしている」

 

エリンがその言葉に反応する。

 

「前に言ってたね。疲れて降りてきた人に、光が刺さらないようにって」

 

「はい」

 

「ちゃんと残ったんだ」

 

「残しました」

 

ペルシアが以前、入口には生活を置くべきだと言った。

 

薬局、軽食、飲み物、案内カウンター。

 

ブランドの光は奥でいい。

 

疲れて降りてきた人に、いきなり飾られた眩しさをぶつける必要はない。

 

その考えは、図面に入った。

 

今、仮設通路の照明にも、その思想が残っている。

 

強すぎない光。

 

足元を自然に導くライン。

 

視線の先に必ず案内がある構造。

 

まだ正式運用前の通路でさえ、港の性格が出ていた。

 

専用連絡便は、小型のシャトルだった。

 

一般客用の便ではないため、座席数は少ない。

 

十四班全員と案内担当者が乗れば、ほぼ埋まる。

 

案内担当者は、ドルトムント系列の運用準備スタッフだった。

 

「本日は、ソーラ・デッラ・ルーナ完成前見学にお越しいただき、ありがとうございます」

 

若いスタッフが丁寧に頭を下げる。

 

リュウジは軽く頷いた。

 

「よろしく頼む」

 

スタッフは少し緊張したように背筋を伸ばす。

 

「はい。リュウジ様」

 

リュウジはその呼び方に少しだけ眉を動かした。

 

エリンが横で小さく笑う。

 

「慣れない?」

 

「はい」

 

「エアポートの所有者なんだから、仕方ないよ」

 

「所有者、という感覚がまだありません」

 

タツヤ班長が後ろで言う。

 

「まあ、これから慣れなよ。ソーラ・デッラ・ルーナのリュウジ様」

 

「タツヤ班長、やめてください」

 

「いいじゃない」

 

ククルが笑う。

 

「リュウジさん、すごく嫌そうです」

 

エマが頷く。

 

「顔に出ています」

 

カイエが少し笑う。

 

「珍しく分かりやすいですね」

 

ミラは少し遠慮がちに笑い、ランは口を押さえながら肩を揺らしていた。

 

ガーネットはリュウジに向けて丁寧に言う。

 

「リュウジさん、でも実際に所有者ではあるんですよね」

 

「そうですが、呼び方は普通でいいです」

 

「では、普通にします。見学中は無理かもしれませんが」

 

「……そうか」

 

「はい」

 

シャトルが静かに動き出した。

 

ロカA2のメインターミナルから離れ、外縁軌道へ向かう。

 

数分後、窓の外に巨大な構造物が見え始めた。

 

最初は、ただの光の弧に見えた。

 

暗い空間に、細い銀色の線が浮いている。

 

それが近づくにつれて、線ではなく建造物だと分かる。

 

長く、柔らかく湾曲した外殻。

 

三日月のように弧を描くエアポート。

 

その内側には発着用の光点が並び、外側には歩行回廊の照明が薄く輝いている。

 

暗い宇宙の中で、それは確かに月のようだった。

 

だが、ただ静かに浮いているだけではない。

 

内側の発着光が、太陽のように船を導いている。

 

ソーラ・デッラ・ルーナ。

 

月の太陽。

 

その名前が、形になっていた。

 

「……わ」

 

最初に声を漏らしたのは、ククルだった。

 

いつもならもっと大きな声を出すところだが、その声は小さかった。

 

驚きすぎて、逆に声が出なかったのかもしれない。

 

エマも窓に近づき、静かに言った。

 

「本当に、三日月です」

 

カイエは言葉を探すように見つめていた。

 

「図面で見た時より、ずっと……」

 

その先が出てこない。

 

エリンは、窓の外をまっすぐ見ていた。

 

彼女の目に、三日月の弧が映っている。

 

「内からでも外からでも、月が見えるように」

 

小さく呟く。

 

「あの話、本当にそのまま形になったんだね」

 

リュウジは隣で頷いた。

 

「はい」

 

「すごいね」

 

エリンの声は、静かだった。

 

「本当に、すごい」

 

タツヤ班長はしばらく黙って見ていた。

 

いつもの軽い言葉が出ない。

 

その代わり、低く言った。

 

「いい港だ」

 

リュウジはタツヤ班長を見る。

 

「まだ中を見ていません」

 

「外だけで分かるよ。少なくとも、見せびらかすための形じゃない」

 

タツヤ班長は窓の向こうを見たまま続けた。

 

「人を迎える形だ」

 

その言葉に、リュウジは何も返せなかった。

 

ただ、小さく頷いた。

 

ミラは窓の外を見たまま、息を吸う。

 

「綺麗です……」

 

ランも声を抑えながら言った。

 

「すごい。ほんとに月みたい」

 

ガーネットは、しばらく無言だった。

 

彼女は初めて、この港の外観を見た。

 

そして理解した。

 

これは、ただ金をかけた施設ではない。

 

リュウジの性格が、そのまま建物になったような場所だ。

 

派手に見せるためではなく、帰ってくる人を受け止めるための形。

 

その内側にあるものを、まだ見てもいないのに、少しだけ感じてしまった。

 

「リュウジさん」

 

ガーネットは静かに言った。

 

「これは、すごいですね」

 

リュウジは小さく頷く。

 

「ありがとう」

 

シャトルは三日月の内側へ滑り込むように進み、まだ正式運用前の専用ドックへ接近した。

 

 

ドッキングゲートが開くと、最初に感じたのは、空気の柔らかさだった。

 

新しい施設特有の清潔な匂い。

 

金属と樹脂の匂い。

 

それに、わずかな植物の匂いが混ざっている。

 

「緑の匂いがします」

 

ミラが言った。

 

案内スタッフが頷く。

 

「はい。ソーラ・デッラ・ルーナでは、屋上水耕栽培区画と一部アトリウムの循環空調を連動させています。まだ本格稼働前ですが、空気の調整にはすでに使用されています」

 

エマが静かに言う。

 

「呼吸しやすい」

 

カイエも頷く。

 

「新しい施設なのに、圧が少ないですね」

 

ククルは足元のラインを見ていた。

 

「導線が丸い」

 

リュウジは頷いた。

 

「角を減らしている。焦っている人がぶつかりにくいように」

 

ククルは顔を上げる。

 

「ペルシアさんが言っていた曲線の話ですね」

 

「うん」

 

「人を撫でる形」

 

エリンが静かに言った。

 

リュウジは少しだけ彼女を見る。

 

「あの言葉、残ってるんだね」

 

「はい」

 

エリンは微笑んだ。

 

「覚えてるよ。だって、いい言葉だったもの」

 

ゲートを抜けると、広い到着ロビーに出た。

 

まだ正式運用前のため、人はいない。

 

けれど、無人の空間にありがちな冷たさはなかった。

 

天井は高いが、照明は低めに抑えられている。

 

壁面には三日月の弧を思わせる柔らかなラインが走り、床の案内表示は、足元に沿って自然に視線を誘導する。

 

正面には案内カウンター。

 

そのすぐ近くに薬局予定区画、軽食予定区画、飲み物の自動提供スペース。

 

ブランドショップや展示型の店舗区画は、ロビー奥のアミューズ側へ分けられていた。

 

エマが周囲を見て頷く。

 

「入口に生活があります」

 

リュウジは頷いた。

 

「疲れて降りてきた人には、まず生活がいる」

 

ククルが続ける。

 

「飲み物、薬、案内、休める場所」

 

「うん」

 

カイエがロビー奥を見た。

 

「華やかなものは奥ですね」

 

「買い物をしたい人は、自分で奥へ行く。でも降りてすぐの人に光を刺さない」

 

エリンが柔らかく言う。

 

「ペルシアの言い方、そのままだね」

 

「はい」

 

タツヤ班長は案内カウンターの位置を見て、少し感心したように言った。

 

「これはいいね。乗客が迷う前に、目に入る」

 

案内スタッフが頷く。

 

「はい。到着後、最初に正面案内が視界に入り、そこから医療、休憩、乗継、商業への導線が分かれる設計です」

 

ククルは案内カウンターの横から、少し離れた壁の向こうを覗き込んだ。

 

「キッズスペースは?」

 

リュウジは歩き出す。

 

「こっち」

 

全員が続く。

 

ロビーから少し曲線を描く通路を進むと、視界が少し開けた。

 

明るい色の床。

 

低いクッション壁。

 

丸い窓。

 

そして、その奥に小さなキッズスペースがあった。

 

ただし、騒がしい色ではない。

 

落ち着いた色調で、子どもが安心できる柔らかさはあるが、大人のラウンジへ音が漏れすぎないように壁の高さと素材が調整されている。

 

すぐ隣には救護室。

 

反対側にはトイレと授乳室。

 

通路の少し先には案内スタッフが立てる小さなカウンター。

 

ククルは目を見開いた。

 

「本当に……本当に、走らなくて済む位置だ」

 

リュウジは頷いた。

 

「迷子が出ても、ここなら声が届く。泣いても救護室が近い。親が焦って走らなくても、案内が来られる」

 

ククルはしばらく黙っていた。

 

それから、少しだけ笑った。

 

「私、あの時、勢いで言っただけなのに」

 

「勢いで言ったから、必要だった」

 

リュウジが言う。

 

ククルは目を伏せる。

 

「嬉しいです」

 

エリンがククルを見る。

 

「ククルの意見、ちゃんと港になってるね」

 

「はい」

 

ククルは顔を上げ、キッズスペースを見つめた。

 

ここには、いつか子どもたちが来る。

 

走り回る子もいる。

 

泣く子もいる。

 

眠くてぐずる子もいる。

 

その時、親が困らず、スタッフが走り回らず、誰かの声が届く。

 

そんな場所になる。

 

ククルは、その光景を想像して、胸が少し熱くなった。

 

 

次に向かったのは、乗務員休息導線だった。

 

一般客のロビーからは見えない。

 

だが、遠すぎない。

 

専用の認証ゲートを抜け、短い曲線通路を進むと、空気が変わった。

 

照明がさらに柔らかくなる。

 

床が足音を吸う。

 

壁には視線を落ち着かせる低い色が使われていた。

 

「ここから先が、乗務員側の休息区画です」

 

案内スタッフが説明する。

 

「正式運用後は、乗務員、整備、管制関係者の休息、仮眠、簡易打合せに使用されます」

 

エマは、入った瞬間に立ち止まった。

 

「静か」

 

リュウジは頷く。

 

「見せる場所じゃない。休む場所だから」

 

エマはゆっくり歩いた。

 

仮眠室の扉。

 

待機ラウンジ。

 

小さな給湯スペース。

 

荷物を置けるロッカー。

 

仮眠室の入口には、簡易の使用状況表示。

 

照明は直接目に入らない。

 

椅子は広すぎず、狭すぎない。

 

ひとりで黙れる席と、二、三人で短く話せる席が分けられている。

 

エマは手すりに触れ、静かに言った。

 

「ちゃんと、逃げられる」

 

ククルが首を傾げる。

 

「逃げられる?」

 

エマは頷く。

 

「人から。音から。仕事の顔から」

 

カイエがその言葉に頷いた。

 

「でも、すぐ戻れる」

 

「うん」

 

エマは待機ラウンジから現場側への出口を見た。

 

「遠すぎると不安になる。近すぎると休めない。ここは、ちょうどいい」

 

リュウジは静かに答えた。

 

「エマの意見を入れた」

 

エマはリュウジを見る。

 

「ありがとうございます、リュウジさん」

 

「礼を言うのは俺の方だ」

 

「いえ。これは、助かる人が多いです」

 

エマの声は淡々としていたが、いつもより少しだけ温かかった。

 

カイエは壁際の席に腰を下ろし、すぐに立ち上がった。

 

「深く沈みすぎない椅子ですね」

 

リュウジは頷く。

 

「仮眠前提の席じゃない。短く座って、すぐ立てる」

 

「なるほど」

 

カイエは周囲を見た。

 

「働く側が壊れない場所。本当に、その通りですね」

 

リュウジは少しだけ目を伏せた。

 

「そうしたかった」

 

エリンは、休息区画を静かに見回していた。

 

彼女は、この部分に一番厳しかった。

 

複合施設を作るなら、現場の部屋を削らないで。

 

乗務員が座って息を吐ける場所。

 

整備士が眠れる場所。

 

それが無いなら、何も作らない方がマシ。

 

あの時、エリンはそう言った。

 

その言葉は、この区画に残っている。

 

エリンはリュウジに言った。

 

「ここ、削らなかったんだね」

 

「はい」

 

「予算、きつかったんじゃない?」

 

「きつかったです」

 

「でも残した」

 

「残しました」

 

エリンは少しだけ微笑んだ。

 

「偉い」

 

リュウジは目を伏せる。

 

「ありがとうございます」

 

タツヤ班長が横から言う。

 

「エリンに褒められるの、珍しいねぇ」

 

エリンがすぐ振り返る。

 

「班長」

 

「いや、褒める時は褒めるんだなって」

 

「褒めますよ。必要なら」

 

「怖い時も多いけどね」

 

「班長」

 

タツヤ班長は軽く笑って、休息区画の奥へ歩いた。

 

「冗談冗談。でも、本当にいい場所だよ」

 

リュウジは小さく頷いた。

 

 

次に向かったのは、整備区画だった。

 

ただし、通常の見学者が入る場所ではない。

 

正式運用前のため、まだ大きな機材の一部は調整中で、入口からの見学に限られた。

 

それでも、扉が開いた瞬間、空気が変わった。

 

金属。

 

油。

 

樹脂。

 

消毒。

 

そして、まだ新しい設備の匂い。

 

先ほどの休息区画とはまったく違う。

 

ここは、働く場所だ。

 

だが、騒がしくはない。

 

音はある。

 

機械の低い駆動音。

 

遠くで調整される工具の音。

 

けれど、それらは乱れていない。

 

静音壁と床材が、余計な反響を抑えている。

 

ミラが驚いたように言った。

 

「静かです」

 

案内スタッフが説明する。

 

「整備主任ミゲル氏の意見をもとに、静音性を優先しています。重力制御ユニットの点検区画では、異音を拾いやすいよう、振動と反響を抑えています」

 

リュウジは整備区画を見つめる。

 

「整備区画は、港の心臓だから」

 

ガーネットが静かに聞いた。

 

「リュウジさんが考えたんですか」

 

「ミゲルの意見だ。俺だけならここまで考えられなかった」

 

カイエが頷く。

 

「現場の話を聞いたからですね」

 

「うん」

 

ククルが小さく言う。

 

「静かって、休む場所だけじゃなくて、働く場所にも必要なんですね」

 

リュウジは頷いた。

 

「整備士は機械の音を聞く。音が乱れると、異常を拾えない」

 

エマが静かに言う。

 

「言いやすさは設備」

 

リュウジはエマを見た。

 

「覚えてたのか」

 

「覚えています」

 

エマは整備区画を見ながら続けた。

 

「壁や床と同じくらい重要」

 

その言葉に、リュウジは少しだけ目を伏せた。

 

あの言葉は、自分がフレデリックに話したものだった。

 

整備士が安心して報告できる空気。

 

異常を言いやすい構造。

 

それは、声かけだけで作るものではない。

 

報告しに行く場所の距離。

 

周囲の目線。

 

音。

 

照明。

 

すべてが関わる。

 

だから、設備なのだ。

 

「ここなら」

 

ガーネットが静かに言った。

 

「整備士が、言いに行けそうですね」

 

リュウジは彼女を見る。

 

「そう見えるか」

 

「はい」

 

ガーネットは少しだけ表情を引き締めた。

 

「広すぎると、声をかけにくい。狭すぎると、逃げ場がない。でもここは、作業している人の距離が見える。行き先も分かる。報告する場所が浮いていない」

 

リュウジは頷いた。

 

「それが欲しかった」

 

ガーネットは静かに息を吐いた。

 

彼女は、かつて十班で起きたことを思い出していた。

 

声を上げにくい空気。

 

言えないまま溜まっていく違和感。

 

誰かが告発しなければ、変わらなかったもの。

 

この整備区画には、それとは反対の思想がある。

 

言えるようにする。

 

聞こえるようにする。

 

それを設備にする。

 

ガーネットは、胸の奥が少し痛くなった。

 

だが、その痛みは不快ではなかった。

 

「リュウジさん」

 

「何?」

 

「ここ、いい場所になると思います」

 

リュウジは短く答えた。

 

「ありがとう」

 

 

整備区画の次は、医療導線だった。

 

ここは、エリンも特に真剣に見ていた。

 

緊急搬送ライン。

 

隔離室。

 

診療室。

 

一時待機スペース。

 

負傷者や体調不良者を一般導線に出さず、しかし隠しすぎず、必要な人員がすぐ動ける配置。

 

案内スタッフが淡々と説明していく。

 

「こちらが緊急搬送ラインです。発着区画から直接入れる導線と、到着ロビーからの搬送導線が別にあります。感染症疑い、外傷、意識障害などで入口を分ける運用を想定しています」

 

ミラは真剣に聞いていた。

 

ランも声を出さずに頷いている。

 

ククルは、キッズスペースと救護室の位置関係を思い出していた。

 

カイエは導線を端末にメモしている。

 

エマは、医療区画に隣接したスタッフ用の小さな待機スペースを見ていた。

 

「ここにも休む場所がある」

 

リュウジは頷いた。

 

「医療側も、ずっと立っていられない」

 

エリンが静かに言った。

 

「最悪に備える場所だね」

 

「はい」

 

リュウジは少し声を落とす。

 

「最悪が起きないのが一番です。でも、起きた時に取り返しがつくようにしたかった」

 

タツヤ班長はその言葉を聞いて、少しだけ目を細めた。

 

「リュウジらしいね」

 

「そうですか」

 

「うん。最悪を見てる。でも、そこに人を残そうとしてる」

 

リュウジは何も言わなかった。

 

エリンは医療区画の透明な隔壁を見ていた。

 

視線は遮らない。

 

だが、音と感染導線は分ける。

 

待つ人が完全に孤立しないように、しかし処置する側が乱されないように。

 

そのバランスが取られていた。

 

「ここも、ちゃんと人の気持ちを考えてある」

 

エリンが言う。

 

リュウジは頷いた。

 

「エリンさんが言ったからです」

 

「私?」

 

「はい。港は導線だけじゃなくて、人の不安も運ぶ場所だと」

 

エリンは少し目を伏せた。

 

「そんな言い方したかな」

 

「しました」

 

「覚えてるんだ」

 

「はい」

 

エリンは静かに笑った。

 

「なら、言ってよかった」

 

 

医療区画を抜け、次は月の回廊へ向かった。

 

そこは、ソーラ・デッラ・ルーナの特徴を最も強く感じられる場所だった。

 

三日月形の外側に沿って伸びる歩行回廊。

 

一部は透明素材になっており、宇宙の暗さと港の光を同時に見られる。

 

外から見れば、三日月の弧。

 

内から歩けば、月の中を進んでいるような感覚。

 

回廊の足元には低い緑が続いていた。

 

本物の土ではない。

 

水耕栽培と環境調整を兼ねた植栽帯。

 

人工的ではある。

 

それでも、そこに緑があるだけで、空気が変わる。

 

ランが思わず声を上げそうになり、すぐに口を押さえた。

 

「……すごい」

 

ミラも窓の外を見ていた。

 

「綺麗……」

 

ククルは、ゆっくり歩きながら周囲を見回した。

 

「ここ、走りたくならないですね」

 

カイエが少し笑う。

 

「それ、褒め言葉?」

 

「褒め言葉。走らなくていい空気があるんです」

 

リュウジは頷いた。

 

「そのための回廊だ」

 

エマは植栽帯を見ている。

 

「屋上水耕栽培と繋がっているんですか」

 

案内スタッフが答える。

 

「はい。一部は循環管理されています。正式運用後は、食材供給の一部にも使われる予定です」

 

エマの目が少し明るくなった。

 

「食材」

 

カイエがすぐ見る。

 

「そこに反応するんだね」

 

「重要」

 

ククルが笑う。

 

「エマ、やっぱり戻ってきた」

 

エリンは回廊の透明壁に近づいた。

 

外には、ソーラ・デッラ・ルーナの弧が続いている。

 

ところどころに設置された照明が、まるで月の縁のように淡く輝いていた。

 

「ペルシアが言ってたね。月の回廊」

 

リュウジは頷いた。

 

「はい」

 

「悔しいけど、いい名前」

 

「本人も得意そうでした」

 

「想像できる」

 

エリンは小さく笑った。

 

そして、少しだけ真面目な顔になる。

 

「でも、ここは本当にいい。歩いてるだけで、少し落ち着く」

 

リュウジは回廊を見た。

 

「帰ってきた人が、すぐに次へ急がなくていい場所にしたかったんです」

 

「うん」

 

「飛んで、戻って、降りて、それですぐまた仕事や家族や手続きに戻るんじゃなくて」

 

リュウジは少しだけ言葉を探した。

 

「一度、息をする場所が欲しかった」

 

エリンは静かに聞いていた。

 

「リュウジらしいね」

 

「そうですか」

 

「うん。すごく」

 

その言葉に、リュウジは目を伏せた。

 

タツヤ班長は少し後ろで、回廊の曲線を見ていた。

 

「ここ、正式運用が始まったら人気出るだろうね」

 

カイエが頷く。

 

「観光客も来そうですね」

 

「来るだろうな。でも、騒がしくしすぎると意味が変わる」

 

リュウジはそう言った。

 

エマがすぐに頷く。

 

「アミューズと生活圏を分ける」

 

「ああ」

 

ククルが言う。

 

「この回廊は、どっちですか?」

 

リュウジは少し考える。

 

「生活圏寄り。歩く場所。騒ぐ場所じゃない」

 

ククルは納得したように頷いた。

 

「だから落ち着くんですね」

 

ガーネットは透明壁の前で立ち止まった。

 

外の暗さと、港の光。

 

その境界に、自分が立っている感覚があった。

 

「月の太陽……」

 

小さく呟く。

 

リュウジが振り返る。

 

ガーネットは少しだけ微笑んだ。

 

「名前の意味が、少し分かりました」

 

「そうか」

 

「はい。暗い中で、帰る場所が見えるんですね」

 

リュウジは頷いた。

 

「そういう場所にしたかった」

 

ガーネットは静かに外を見た。

 

「いい名前です」

 

リュウジは短く答えた。

 

「ありがとう」

 

 

月の回廊を抜けると、複合施設側へ出た。

 

ここはまだ正式な店舗運用前のため、多くのシャッターが閉じていた。

 

だが、区画の構成はすでに分かる。

 

生活圏とアミューズが明確に分けられている。

 

入口に近いのは薬局、軽食、案内、簡易休憩。

 

奥へ進むと、書店予定区画、映画ドーム、アミューズメント区画。

 

さらに別方向には、家族向けレストランと乗務員向けレストランが分けられている。

 

「レストランが二つあるんですね」

 

ランが言う。

 

リュウジは頷いた。

 

「家族向けと、乗務員向け」

 

ミラが丁寧に聞く。

 

「分ける理由は、雰囲気ですか?」

 

「それもある。家族向けは明るく、子どもも入りやすい。乗務員向けは静かで、短時間でも食べやすい」

 

エマが深く頷く。

 

「大事です」

 

カイエが続ける。

 

「お客様と同じ場所で休むと、休めない時がありますからね」

 

エリンが頷く。

 

「制服を着ているだけで、声をかけられるものね」

 

ククルも言う。

 

「悪気はなくても、ずっと仕事の顔になっちゃいますよね」

 

リュウジは頷いた。

 

「だから、見えない場所を作った」

 

エマが静かに言う。

 

「見えない優しさですね」

 

その言葉に、リュウジは少しだけ黙った。

 

見えない優しさ。

 

それは、自分が最初から言葉にしていたものではない。

 

でも、そうなのかもしれない。

 

守る場所とは、全部を見せる場所ではない。

 

見えないところにあるものが、人を守る。

 

休息導線。

 

静音壁。

 

報告しやすい整備区画。

 

祈る場所。

 

統括席。

 

どれも、派手ではない。

 

だが、必要なものだ。

 

 

やがて、一行は小さな扉の前で止まった。

 

周囲の通路よりさらに静かだった。

 

扉には大きな表示はない。

 

ただ、小さく文字が刻まれている。

 

祈りの間。

 

ランが小さく読む。

 

「祈りの間……」

 

ミラも少し姿勢を正した。

 

リュウジは扉の前で立ち止まった。

 

「ここは、短く見るだけにする」

 

エリンはリュウジを見る。

 

「うん」

 

扉が開く。

 

中は、とても小さな空間だった。

 

宗教色は強くない。

 

特定の祈りを押しつける場所ではない。

 

静かに座れる椅子。

 

小さな光。

 

外の星が見える細い窓。

 

壁には、月の弧を思わせる淡いライン。

 

それだけだった。

 

ククルは何も言わなかった。

 

エマも黙っていた。

 

カイエは小さく息を吸った。

 

ガーネットは、入口から一歩入ったところで立ち止まった。

 

リュウジは静かに言う。

 

「飛ぶ前でも、戻った後でも、待っている時でも。誰かが少しだけ黙れる場所が欲しかった」

 

タツヤ班長は何も言わなかった。

 

エリンも黙っていた。

 

あの夜、リュウジが図面の三日月の弧の内側に、小さな印を描いた。

 

ここに、祈る場所。

 

その時、ペルシアが「似合わない」と笑った。

 

エリンは、「その似合わないが、あなたの強さなんだと思う」と言った。

 

その場所が、今ここにある。

 

リュウジは少しだけ目を伏せた。

 

未探索領域のことが、胸の奥で静かに重くなる。

 

行くかどうか。

 

まだ決めきれていない。

 

だが、ここを作った自分が、帰る場所を軽く見てはいけないことだけは分かる。

 

誰かのために飛ぶなら、誰かが帰ってこられる場所も必要だ。

 

この港は、その答えの一部だった。

 

エリンはリュウジの横に立つ。

 

「リュウジ」

 

「はい」

 

「ここを残したんだね」

 

「はい」

 

「残してよかったと思う」

 

リュウジは小さく頷いた。

 

「ありがとうございます」

 

ガーネットが静かに言った。

 

「リュウジさん」

 

「何?」

 

「ここは、必要だと思います」

 

「そうか」

 

「はい。言葉にできないものを、置ける場所ですね」

 

リュウジはガーネットを見た。

 

ガーネットの声には、少しだけ過去の重さが混じっていた。

 

だが、今はそれを深く問わない。

 

「ありがとう」

 

短くそう返した。

 

 

最後に向かったのは、タツヤ班長が最も楽しみにしていた場所だった。

 

統括席。

 

正式名称は、運用統括確認席。

 

だが、十四班の中では、どう見てもタツヤ班長のための席として認識されていた。

 

整備区画の隣。

 

静音壁の外側。

 

現場が見えて、乗客導線からは外れている。

 

管制室ほど閉じておらず、ロビーほど開かれていない。

 

全体を眺められるが、現場の邪魔にはならない場所。

 

扉が開いた瞬間、タツヤ班長の顔が分かりやすく明るくなった。

 

「おお……」

 

エリンが横から言う。

 

「班長、顔に出ています」

 

「出るよ。これは出るよ」

 

統括席は、小さな部屋だった。

 

大きすぎない。

 

豪華すぎない。

 

だが、窓の向こうに整備区画の一部が見え、別画面には発着導線と休息導線の状況を映せるようになっている。

 

席は一つではなく、補助席が二つ。

 

壁には記録用の端末。

 

緊急時には管制と医療区画へ連絡できる簡易通信ライン。

 

タツヤ班長はゆっくり中へ入った。

 

そして、椅子の前で立ち止まる。

 

「……本当に作ったんだね」

 

リュウジは頷いた。

 

「はい」

 

「冗談だったんだけどなぁ」

 

「半分は、本気でしたよね」

 

タツヤ班長は笑った。

 

「分かる?」

 

「はい」

 

「さすがリュウジ」

 

タツヤ班長は椅子に座った。

 

いつものように軽くもたれる。

 

しかし、その目は真面目だった。

 

窓の向こうに、まだ誰も本格的には働いていない整備区画が見える。

 

いつかここで、人が動く。

 

船が戻る。

 

誰かが報告する。

 

誰かが休む。

 

誰かが泣くかもしれない。

 

誰かが笑うかもしれない。

 

そして、この席から、その全部を見守る人間がいる。

 

「いい席だ」

 

タツヤ班長が言った。

 

「本当に、いい席だよ」

 

エリンは静かに微笑んだ。

 

「班長席ではありませんからね」

 

「分かってるよ。統括席」

 

「ならいいです」

 

ククルが小さく笑う。

 

「でも、タツヤ班長が座ると、すごくしっくりきます」

 

エマも頷く。

 

「似合っています」

 

カイエも言った。

 

「少し悔しいくらい、似合っていますね」

 

タツヤ班長が笑う。

 

「カイエ、それ褒めてる?」

 

「はい。褒めています」

 

ミラは丁寧に言う。

 

「タツヤ班長がいると、安心します」

 

ランも続ける。

 

「はい。見守ってもらえる感じがします」

 

タツヤ班長は少しだけ照れたように目を逸らした。

 

「いやぁ、若い子にそんなこと言われると照れるね」

 

ガーネットは静かに頭を下げた。

 

「タツヤ班長に必要な席だと思います」

 

その言葉に、タツヤ班長は一瞬だけ真面目な顔になる。

 

「ありがとう、ガーネット」

 

ガーネットは少しだけ目を伏せた。

 

「はい」

 

リュウジはそのやり取りを見ていた。

 

タツヤ班長の席。

 

冗談から始まった小さな四角。

 

だが、それは十四班の空気が入った場所だった。

 

のらりくらりしながら、必要な時に現場を守る人。

 

その人の居場所が、この港にも残っている。

 

それが、リュウジには少し嬉しかった。

 

 

見学の最後に、一行は中央アトリウムへ戻った。

 

三日月の内側に落ちる柔らかな光。

 

まだ人の少ない空間。

 

正式運用前の静けさ。

 

しかし、空港特有の冷たさはない。

 

ここは、これから人が入って完成する場所だ。

 

リュウジは皆を見渡した。

 

「今日は、全部は見せられなかった」

 

ククルが首を横に振る。

 

「十分です。すごく、十分です」

 

エマも頷く。

 

「休息室を見られました」

 

カイエが言う。

 

「それだけじゃないでしょ、エマ」

 

「それだけではありません。でも、重要です」

 

ミラは少し緊張したまま、丁寧に言った。

 

「リュウジさん、大切な場所を見せてくださって、ありがとうございます」

 

ランも続ける。

 

「私も、すごく勉強になりました。港って、こんなふうに作るんですね」

 

リュウジは頷いた。

 

「俺も、作りながら知った」

 

ガーネットが静かに言う。

 

「リュウジさん」

 

「何?」

 

「この港は、リュウジさんだけのものではないんですね」

 

リュウジは少しだけ黙った。

 

そして、頷いた。

 

「うん」

 

ガーネットは続ける。

 

「今日見て、分かりました。ククル、エマ、カイエ、エリンさん、タツヤ班長。みんなの言葉が入っている。きっと、ペルシアさんの言葉も」

 

リュウジは静かに答える。

 

「入っている」

 

「それなら、私は後から来た者として、ちゃんと見ます」

 

ガーネットは頭を下げた。

 

「今日、連れてきてくださってありがとうございます」

 

リュウジは少しだけ目を伏せた。

 

「十四班だから」

 

その言葉に、ガーネットはしばらく何も言えなかった。

 

カイエも、すぐには言葉を挟まなかった。

 

ただ静かに、その場に立っていた。

 

エリンはリュウジの横に並んだ。

 

「リュウジ」

 

「はい」

 

「ここを見せたかった理由、少し分かった気がする」

 

リュウジはエリンを見る。

 

「そうですか」

 

「うん。でも、全部はまだ話してないでしょ」

 

「はい」

 

「なら、あとで聞く」

 

「はい」

 

エリンは柔らかく言った。

 

「今日は、まず見せてくれてありがとう」

 

リュウジは少しだけ目を伏せる。

 

「ありがとうございます」

 

「またそれ」

 

「すみません」

 

「謝るところじゃないよ」

 

ククルが二人を見て、小さく笑う。

 

「やっぱり、自然ですね」

 

エリンが振り返る。

 

「ククル」

 

「すみません。でも、今日は言いたくなります」

 

エマも静かに頷く。

 

「分かります」

 

カイエが言う。

 

「エマまで」

 

ランがミラに小声で言う。

 

「やっぱり……」

 

ミラが袖を軽く引く。

 

「ラン、ここでは抑えて」

 

「うん」

 

タツヤ班長は統括席から戻ってきて、楽しそうに笑った。

 

「いいじゃない。今日くらい」

 

エリンは少し頬を赤くした。

 

「班長まで」

 

「だって、いい港を見た後だしねぇ」

 

その場に笑いが広がる。

 

リュウジも、小さく笑った。

 

ほんの少し。

 

けれど、エリンには分かった。

 

その笑いは、火星のエアポートで見た時よりも自然だった。

 

 

見学の終わり、案内スタッフが簡易ラウンジへ案内した。

 

正式店舗はまだ開いていない。

 

だが、見学者用の軽食と飲み物は用意されていた。

 

エマは皿を見た瞬間、静かに満足そうな顔をした。

 

「食事があります」

 

カイエが笑う。

 

「そこは約束通りだね」

 

「はい」

 

ククルも楽しそうに言う。

 

「エマ、今日ずっと安心してるね」

 

「休息室と食事がある港は信頼できます」

 

エリンが笑う。

 

「エマらしい」

 

ミラとランは、ラウンジの窓際に座った。

 

外には三日月の弧が見える。

 

ランはしばらく黙っていたが、やがて小さく言った。

 

「ミラ」

 

「何?」

 

「私、今日来られてよかった」

 

「うん。私も」

 

「まだ十四班に来たばかりだけど、少し分かった気がする」

 

「何が?」

 

ランは窓の外を見る。

 

「十四班って、ただ働くだけじゃなくて、こういうものも作ってきたんだね」

 

ミラは静かに頷いた。

 

「うん」

 

「私も、ちゃんと見ていきたい」

 

「一緒にね」

 

「うん」

 

その少し離れた席で、ガーネットはカイエと並んで座っていた。

 

しばらく沈黙があった。

 

先に口を開いたのは、ガーネットだった。

 

「カイエ」

 

カイエは顔を向ける。

 

「何ですか」

 

「今日、来てよかったわ」

 

「はい」

 

「私は、この港の話を知らなかった。知っているふりもできない。でも、見せてもらえた」

 

「そうですね」

 

ガーネットは少しだけ目を伏せた。

 

「十四班に入ったということを、今日少し実感した気がする」

 

カイエはすぐには答えなかった。

 

それから、静かに言った。

 

「私も、ガーネットさんが一緒に見られてよかったと思います」

 

ガーネットはカイエを見る。

 

「そう」

 

「はい」

 

短いやり取りだった。

 

けれど、ガーネットには十分だった。

 

ククルとエマは軽食を見ながら、ラウンジの構造を確認している。

 

「ここ、外が見えるけど落ち着くね」

 

ククルが言う。

 

エマは頷く。

 

「椅子の向きがいい。視線がぶつかりにくい」

 

「エマ、見るところ細かい」

 

「休む場所だから」

 

「うん。そうだね」

 

タツヤ班長は、飲み物を片手にリュウジの横へ来た。

 

「リュウジ」

 

「はい」

 

「いい港を作ったね」

 

リュウジは少しだけ目を伏せる。

 

「まだ運用前です」

 

「それでも」

 

タツヤ班長は外の三日月を見た。

 

「形になった。あとは人が入って、港になっていく」

 

「はい」

 

「お前の契約金、ちゃんと港になったよ」

 

リュウジは何も言わなかった。

 

その言葉が、思ったより深く胸に落ちた。

 

契約金。

 

あの数字を最初に見た時、どう扱えばいいのか分からなかった。

 

自分の金であって、自分の金ではないような気がした。

 

S級という肩書きが、勝手に重さを増していくようだった。

 

だが今、その金は港になっている。

 

戻ってきた人が息をつける場所になっている。

 

誰かの声が届く導線になっている。

 

整備士の静かな壁になっている。

 

タツヤ班長の統括席になっている。

 

そして、十四班が座って笑えるラウンジになっている。

 

リュウジは静かに言った。

 

「タツヤ班長に相談してよかったです」

 

タツヤ班長は笑った。

 

「俺はルーカスを紹介しただけだよ」

 

「それが大きかったです」

 

「そう言われると、少し照れるねぇ」

 

タツヤ班長は軽く肩をすくめた。

 

「でも、ここからが本番だよ。運用は設計より面倒だ」

 

「はい」

 

「守るために作ったなら、守り続けなきゃいけない」

 

リュウジは頷いた。

 

「分かっています」

 

タツヤ班長はリュウジの横顔を見た。

 

「それで、例の話は?」

 

リュウジの表情が少しだけ硬くなる。

 

未探索領域。

 

北の調査依頼。

 

二月から四月。

 

エリンが少し離れた場所から、その空気の変化に気づいた。

 

タツヤ班長は声を低くした。

 

「今日は答えを急がせる日じゃない。ただ、お前がここを見せた理由は、少し分かった気がするよ」

 

リュウジは窓の外を見た。

 

「帰る場所を、見ておきたかったんです」

 

タツヤ班長は黙って聞いた。

 

「俺が作った場所というより、皆で作った場所を」

 

「うん」

 

「行くかどうかを考える前に、帰る場所をちゃんと見ておきたかった」

 

その声は静かだった。

 

けれど、確かだった。

 

タツヤ班長は少しだけ目を細めた。

 

「いい判断材料だね」

 

「はい」

 

エリンが近づいてきた。

 

「リュウジ」

 

リュウジは振り返る。

 

「はい」

 

「今の、私も聞いていい話?」

 

リュウジは少しだけ迷った。

 

それから、頷いた。

 

「はい」

 

エリンはリュウジの横に立った。

 

「帰る場所を見ておきたかったんだね」

 

「はい」

 

「それなら、今日来てよかった」

 

リュウジはエリンを見る。

 

「はい」

 

エリンは窓の外の三日月を見た。

 

「ここは、帰る場所だね」

 

「はい」

 

「でも、帰る場所は、建物だけじゃないよ」

 

リュウジは黙った。

 

エリンは続ける。

 

「十四班も、そうだから」

 

その言葉に、リュウジは少しだけ目を伏せた。

 

「……はい」

 

「そこも、忘れないで」

 

「はい」

 

タツヤ班長は二人を見て、少しだけ笑った。

 

「エリンは大事なところを持っていくねぇ」

 

エリンは振り返る。

 

「班長、茶化さないでください」

 

「茶化してないよ。本当にそう思っただけ」

 

エリンは少しだけ目を細めたが、それ以上は言わなかった。

 

ラウンジの向こうでは、ククルがエマの皿を見て笑い、カイエが飲み物を配り、ミラとランが窓の外を見て話している。

 

ガーネットは少し離れた席で、静かにその全体を見ていた。

 

リュウジはその光景を見た。

 

ソーラ・デッラ・ルーナのラウンジに、十四班がいる。

 

自分が見せたかったものが、今ここにある。

 

港そのものだけではない。

 

港の中で、十四班が呼吸している。

 

それを見ることが、きっと必要だったのだ。

 

 

見学を終え、帰りの連絡便へ向かう前。

 

十四班はもう一度、月の回廊に出た。

 

外にはロカA2の光。

 

遠くに、星のような航路灯。

 

三日月の弧に沿って、淡い光が続いている。

 

リュウジは皆を振り返った。

 

「今日は来てくれてありがとう」

 

ククルがすぐに首を横に振る。

 

「こちらこそ、見せてくれてありがとうございます、リュウジさん」

 

エマも静かに言う。

 

「いい港でした」

 

カイエが続ける。

 

「正式運用が始まったら、きっと多くの人を助けると思います」

 

ミラは丁寧に頭を下げた。

 

「勉強になりました。私も、現場を見る目をもっと持ちたいです」

 

ランも少し声を抑えながら言う。

 

「私もです。すごく、ちゃんと見たいと思いました」

 

ガーネットはリュウジの前に立った。

 

「リュウジさん。私を連れてきてくださって、ありがとうございました」

 

「十四班だから」

 

リュウジは同じように答えた。

 

ガーネットは静かに微笑んだ。

 

「はい。そう言っていただけることが、ありがたいです」

 

タツヤ班長が月の回廊を見渡す。

 

「次は正式運用後に来たいね」

 

エリンが頷く。

 

「その時は、もっと人がいますね」

 

「うん。きっと騒がしくなる。でも、騒がしくなってからが港だ」

 

タツヤ班長はそう言った。

 

リュウジは、その言葉を胸に留めた。

 

騒がしくなってからが港。

 

人が来て、迷って、休んで、働いて、報告して、笑って、泣いて。

 

その全部を受け止めて、初めて港になる。

 

ソーラ・デッラ・ルーナは、まだ完成したばかりだ。

 

施設としては完成した。

 

だが、本当の意味での港になるのはこれからだ。

 

エリンはリュウジの隣に並んだ。

 

「リュウジ」

 

「はい」

 

「また来よう」

 

リュウジは彼女を見る。

 

「はい」

 

「正式運用が始まってからも。十四班で」

 

「はい」

 

「その時、今日のことを思い出そう」

 

リュウジは少しだけ目を伏せた。

 

「そうですね」

 

ククルが横から明るく言う。

 

「正式運用後に来たら、迷子導線も本番ですね!」

 

エマが頷く。

 

「休息室も本番です」

 

カイエが笑う。

 

「二人とも見るところが決まってるね」

 

ミラが小さく笑う。

 

「でも、大事な場所ですね」

 

ランも頷く。

 

「うん。私も見たい」

 

ガーネットが静かに言う。

 

「私は、整備区画をもう一度見たいわ」

 

カイエが少し驚いてガーネットを見る。

 

「整備区画ですか」

 

「ええ。言いやすさは設備。あの言葉、残りました」

 

カイエは小さく頷いた。

 

「私も、あの場所はもう一度見たいです」

 

タツヤ班長がにやりと笑う。

 

「俺は統括席だね」

 

エリンが即座に言う。

 

「班長はぶれませんね」

 

「ぶれないよ」

 

皆が笑った。

 

その笑いが、月の回廊に柔らかく響いた。

 

リュウジは、その音を聞いていた。

 

この港は、静けさだけを求めた場所ではない。

 

笑い声も、足音も、泣き声も、報告の声も、全部を受け止める場所だ。

 

その最初の笑い声が十四班でよかった。

 

そう思った。

 

ソーラ・デッラ・ルーナ。

 

月の太陽。

 

闇の中でも、帰る灯りを残すための場所。

 

その灯りの中で、十四班は帰りの便へ向かって歩き出した。

 

リュウジは最後に一度だけ、三日月の回廊を振り返った。

 

エリンがそれに気づく。

 

「リュウジ?」

 

「はい」

 

「どうしたの?」

 

リュウジは少しだけ間を置いた。

 

「見せられてよかったです」

 

エリンは微笑んだ。

 

「うん。見られてよかった」

 

二人は少しだけ並んで立ち、それから皆の後を追った。

 

帰る場所を見た。

 

そして、帰る場所は一つではないことも知った。

 

ソーラ・デッラ・ルーナ。

 

十四班。

 

エリン。

 

タツヤ班長。

 

ククル、エマ、カイエ、ミラ、ラン、ガーネット。

 

その全部が、リュウジの中で静かに繋がっていく。

 

未探索領域への答えは、まだ出ていない。

 

けれど、今日の見学は、その答えに近づくための一歩になった。

 

リュウジはそう思いながら、十四班と共にソーラ・デッラ・ルーナを後にした。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。