翌日。
宇宙管理局本部のオペレーションルームは、朝から落ち着かない空気に包まれていた。
まだ正式運用前の部屋。
壁面には大きな航路表示。
中央には統括用の大型卓。
その周囲に、通信、記録、外部連携、技術助言、警察連携の仮席が並べられている。
席の配置は、昨日の夜まで何度も変えられた。
通信が前に出すぎれば、整備情報が遅れる。
整備情報を中心に置きすぎれば、通報者の音声や警察連携が遅れる。
警察連携を早く出しすぎれば、救助判断が止まる。
全部を同時に見せようとすると、誰も見られない。
ペルシアは、昨日の時点でそう判断し、初回のシミュレーションではあえて完璧な配置にしなかった。
詰まる場所を見るためだ。
失敗を見つけるためだ。
うまくいかない部分こそ、今日見たいものだった。
だが、その訓練に役員達が来る。
ペルシアは、オペレーションルームの入り口近くに立ち、腕を組んでいた。
「……本当に来るのね」
隣でフレイが端末を持ったまま答える。
「はい。予定では、あと五分で到着です」
「帰ってくれないかしら」
「帰りません」
「分かってるわよ」
「統括官、冒頭説明の資料は最終版でよろしいですか」
「ええ。成功を見せる場ではない、失敗を見つける場。役員は見学のみ。介入禁止。参加者個人への直接質問禁止。見学者席から出ない。これでいく」
「承知しました」
フレイは静かに頷いた。
その少し後ろでは、イーナが資料端末を確認していた。
今日は正式メンバーとして、情報整理席に座る。
緊張はしている。
だが、手は止まっていない。
昨日の夜に追加された役員向け資料も、彼女が中心になって整えた。
「イーナ」
ペルシアが声をかける。
イーナはすぐに顔を上げた。
「はい、ペルシア統括官」
「役員がいても、いつも通りでいいわ。ジェームズの言葉が短かったら、あなたが判断できる形に整える。それだけ」
「はい。分かっています」
「緊張してる?」
「しています」
「正直でよろしい」
イーナは少しだけ苦笑した。
その隣では、リリアが警察連携席の表示を確認していた。
彼女も正式メンバーになったばかりだ。
宇宙警察連携の補助。
未登録信号。
事故か事件かの境界。
警察照会のタイミング。
その全てを見なければならない。
リリアは小さく息を吸い、表示を切り替えた。
「リリア」
ペルシアが声をかける。
リリアは振り返る。
「はい」
「今日は警察連携を急ぎすぎないで。未登録信号が出ても、救助判断を止めないこと」
「分かりました。警察照会は並行、救助判断の停止条件にはしません」
「そう。それでいい」
反対側では、シャオメイが通信席の設定を確認していた。
正式メンバーではない。
通信解析の協力者。
だが、今日は実際に通信席に座る。
管制側から送られる遅延データ、現場のスターフォックスからの通信、対象船から発信される自動信号。
それらを比較する役割だ。
シャオメイは端末に向かいながら、何度も小さく呼吸を整えていた。
ジェームズは、その隣から少し離れた技術助言席に座っている。
腕を組み、不機嫌そうな顔をしている。
「帰りたい」
ペルシアは即答した。
「駄目」
「まだ何も始まってない」
「始まってないから駄目」
「役員が来るなら俺は要らないだろ」
「むしろ要るわ。整備ログを読める人間がいないと、現場判断が見た目だけになる」
ジェームズは舌打ちした。
「面倒だな」
「知ってる」
「見られるのは嫌いだ」
「分かってる。だから役員には口出しさせない」
ジェームズはちらりとペルシアを見る。
「本当に止めるんだろうな」
「止めるわよ。そのために私は今日、参加しないんだから」
そう。
今回のシミュレーションに、ペルシアはオペレーション要員として参加しない。
本来なら、統括官として中央卓に座るべきだった。
情報を受け、判断し、優先順位を決める。
それが統括官の役割だ。
だが、今日は違う。
役員達が来る。
なら、ペルシアがやるべきことは一つだった。
現場を守る。
役員を止める。
見学者が訓練を壊さないようにする。
そのために、ペルシアはあえて中央卓に座らないことを決めた。
中央卓には、フレイが記録統括として入り、各席から上がる情報を整理する。
最終判断役は置かない。
初回だからだ。
誰がどこで詰まるかを見るために、あえて完全な統括判断を入れない。
それが今日の設計だった。
ナミとマリは、後方の見学席に並んで座っていた。
二人とも訓練枠。
今日は参加ではなく、見学。
ナミは長い黒髪をポニーテールにまとめ、見学記録用の端末を膝の上に置いている。
マリは短い髪をきれいにまとめ、背景音記録用の補助端末を開いていた。
「ナミ」
マリが小声で言う。
「何?」
ナミはマリには通常口調で返す。
「今日、口を挟まない練習だね」
「うん。危険に気づいても、まず記録」
「背景音も?」
「マリも、まず記録」
「分かってる」
マリは小さく頷いた。
「でも、言いたくなると思う」
「私も」
二人は互いに顔を見合わせ、少しだけ苦笑した。
その様子を見ていたペルシアが目を細める。
「そこ、聞こえてるわよ」
二人はすぐに姿勢を正した。
「失礼しました」
「申し訳ありません」
ペルシアは小さく笑った。
「いいわ。自覚があるなら」
◇
やがて、オペレーションルームの扉の外が少し騒がしくなった。
フレイが端末を確認する。
「役員の方々が到着されました」
ペルシアは軽く息を吐き、姿勢を整えた。
「じゃあ、始めましょうか」
扉が開く。
数名の役員達が入ってきた。
年齢も雰囲気もさまざまだ。
厳格そうな者。
数字に強そうな者。
穏やかそうな者。
現場には慣れていなさそうな者。
だが、その表情は、ペルシアを見た瞬間に少し変わった。
「ああ、ペルシア統括官」
「久しぶりだな」
「今日の説明は君がするのか」
「いやあ、楽しみにしていたよ」
「君が作っている部屋なら、きっと面白いものになるだろう」
役員達は、思った以上に嬉しそうだった。
硬い視察の空気ではない。
むしろ、ペルシアに会うことを楽しみにしていたような雰囲気すらある。
ペルシアは、少しだけ表情を柔らかくした。
「こんにちは。お忙しい中、ありがとうございます」
その声は、いつもの統括官室での鋭さより少し丸い。
明るく、自然で、人懐っこい。
役員の一人が笑う。
「相変わらず元気そうだな、ペルシア君」
「元気じゃないです。今日、初回のシミュレーションに役員の皆様が来ると聞いて、昨夜から頭が痛いです」
役員達の間に笑いが起きた。
「ははは、正直だな」
「君は昔からそうだ」
「でも、そこがいい」
ペルシアは肩をすくめる。
「褒められていると思っておきます」
そのやり取りを、オペレーション席の端からジェームズが見ていた。
彼は露骨に眉をひそめる。
「……なんだあいつは」
隣でフレイが端末を確認したまま、静かに答えた。
「統括官は人懐っこいですから」
ジェームズはフレイを見る。
「あれが?」
「はい」
「普段と違いすぎるだろ」
「統括官は、相手に合わせて距離を詰めるのが上手い方です」
「俺には詰めてこないぞ」
「ジェームズさんは、詰められると逃げるからでは?」
ジェームズは一瞬黙った。
「……お前も言うな」
フレイは表情を変えない。
「事実です」
ジェームズは面倒くさそうに目を逸らした。
一方、ペルシアは役員達を見学席へ案内していた。
「皆様の席は後方です。オペレーション席には近づかないでください」
「随分はっきり言うな」
「はい。今日はそういう日です」
ペルシアは微笑んでいる。
だが、声には芯があった。
「本日のシミュレーションは、成功を披露する場ではありません。失敗を見つける場です」
役員達の表情が少し変わる。
ペルシアは続けた。
「初回です。詰まります。迷います。意見がぶつかります。通信が遅れ、整備判断と警察連携が噛み合わず、現場からの声と本部側の整理がずれる可能性もあります」
役員の一人が少し眉を上げる。
「それを見せるのかね」
「はい」
ペルシアは即答した。
「見せます。初回から綺麗に動く部屋は、実戦では信用できません。どこで止まるか。誰が黙るか。どの情報が遅れるか。どの言葉が届かないか。そこを見るための初回です」
オペレーション席の方で、イーナが少しだけ顔を上げた。
シャオメイも、手を止めてペルシアを見た。
ジェームズは腕を組んだまま、わずかに目を細める。
ナミとマリも後方で黙って聞いていた。
「そのため、見学者の皆様にお願いがあります」
ペルシアの声が少し低くなる。
「シミュレーション中の発言は禁止です。参加者への直接質問も禁止です。個人評価を目的とした記録も禁止です。終了後の質疑は、局長と私が受けます」
役員達の間に、わずかな沈黙が落ちた。
ペルシアは笑顔のまま続ける。
「もし途中で口を挟んだ場合、私が止めます」
「君が?」
「はい。私が止めます」
役員の一人が苦笑した。
「相変わらずだな」
「相変わらずです」
ペルシアは軽く頭を下げた。
「今日は、現場を守るためにここにいます。ご理解ください」
役員達は互いに顔を見合わせた。
そして、一人が笑った。
「分かった。見学に徹しよう」
「ありがとうござます」
「君に止められるのは少し怖いからな」
「怖がっていただけるなら助かります」
また小さな笑いが起きた。
ペルシアはその場を柔らかくしながら、同時に境界線を引いていた。
役員達は、それを嫌がるどころか、むしろ楽しそうに受け取っている。
ペルシアが役員達に気に入られているのは、明らかだった。
ただ媚びているのではない。
言うべきことは言う。
止めるべき時は止める。
だが、相手の懐へ入るのが早い。
ジェームズはそれを見ながら、もう一度小さく呟いた。
「本当に、なんだあいつは」
フレイは静かに答えた。
「統括官です」
「説明になってない」
「十分な説明です」
◇
シミュレーションの概要が表示された。
今回の訓練は、机上だけではない。
今年度中に廃棄予定の旧式宇宙船を、実際に管理区域内の宇宙空間へ浮かべている。
もちろん、燃料系統や危険物は抜かれている。
自動姿勢制御も制限され、遠隔停止装置も備えられている。
だが、外観、質量、反射、通信応答、回転挙動は実機に近い。
それを対象船として使用する。
現場には、スターフォックスが近づく。
フォックス、ファルコ、クリスタル、スリッピー。
彼らは実際に現場付近へ入り、対象船の観測、接近判断、通信、救助艇との位置関係を模擬する。
本部側は、オペレーションルームとして情報を受け取り、整理し、判断材料を出す。
ただし、最終判断を完璧に下すことが目的ではない。
どこで詰まるかを見ることが目的だった。
大型画面に、現場映像が映る。
暗い宇宙空間。
その中に、旧式宇宙船が浮かんでいる。
廃棄予定とはいえ、船体はまだ形を保っていた。
片側の外装には古い傷。
右舷側の補助推進部には、わずかな歪み。
姿勢は完全に安定しておらず、ゆっくりと回転している。
通信画面には、スターフォックス側の映像が表示された。
『こちらフォックス。現場付近に到着。対象船を確認した』
フォックスの声が入る。
シャオメイがすぐに通信席で応答する。
「こちら宇宙管理局オペレーションルーム。フォックス、通信状態確認。遅延〇・八秒。映像受信良好です」
『了解』
ファルコの声が続く。
『見た目より回ってるぞ。右舷側、少し嫌な揺れ方だ』
ジェームズが画面を見て低く言う。
「右舷補助が跳ねてる」
イーナがすぐに顔を上げる。
「ジェームズさん、判断材料をお願いします」
「映像だけじゃ弱い。回転差、右舷補助の戻り、グラップル負荷予測がいる」
イーナは素早く入力する。
「整備側確認項目。回転差、右舷補助の戻り、グラップル負荷予測」
フレイが記録する。
「時刻〇九一二。整備助言、追加情報要求」
リリアが警察連携席で表示を見ていた。
「未登録信号が近くに出ています。対象船からではなく、二時方向の外縁側です。宇宙警察への照会を並行します」
シャオメイがすぐに言う。
「待ってください。今、通信帯域が細くなっています。警察照会を同時にかけると、フォックス側の映像更新が落ちる可能性があります」
リリアは画面を見る。
「ですが、未登録信号が妨害源だった場合、警察照会が遅れると接近判断に影響します」
シャオメイは少しだけ声を強くした。
「映像更新が落ちれば、接近判断そのものが遅れます」
イーナが間に入ろうとする。
「一度整理します。救助判断に必要な映像維持と、未登録信号照会を並行する場合の通信帯域を——」
その時、現場からファルコの声が入った。
『おい、右舷側に近づくのはやめた方がいい。こいつ、外から見るより戻りが悪い』
フォックスが続ける。
『本部、接近方向の推奨はあるか?』
シャオメイが通信席を見る。
「接近方向の推奨には、回転差データが必要です。現場側、対象船の回転周期を送れますか」
スリッピーの声が入る。
『今送ってる! でも、対象船の自動応答が途切れてる。外部測定で出すから少し待って!』
ジェームズが低く言う。
「少し待つと近づきすぎる」
イーナが振り返る。
「では、現時点で禁止方向だけ先に出しますか」
ジェームズは少し苛立ったように言う。
「右舷後方は駄目だ。牽引したら救助艇側に負荷が返る」
リリアが警察連携席から言う。
「未登録信号が二時方向なら、左舷前方へ逃がすと警察確認の未了区域に近づきます」
シャオメイが画面を見ながら言う。
「通信帯域がさらに落ちています。警察照会を一旦止めるか、映像を落とすか選ばないと——」
「映像を落とすな」
ジェームズが即座に言う。
「でも警察照会を止めると、未登録信号の扱いが遅れます」
リリアの声も少し強くなる。
イーナが両方の情報を整理しようとする。
「現在の優先順位を確認します。第一に現場接近安全、第二に未登録信号確認、第三に牽引可否判断——」
「牽引可否は第二だ」
ジェームズが遮る。
「牽引可否が分からないまま接近するな」
シャオメイが言う。
「牽引判断に必要なデータが来るまで通信を維持する必要があります。警察照会は後段に回すべきです」
リリアは首を横に振る。
「未登録信号が妨害源なら、通信維持そのものに影響します。後段に回す判断は危険です」
フレイが記録しながら言う。
「意見整理。通信維持優先、牽引可否優先、警察照会優先の三点で衝突」
現場からクリスタルの声が入った。
『本部、対象船の近くに微弱な反射がある。未登録信号と同じ方向だけど、距離感が少し違う。信号だけで判断しない方がいい』
フォックスが続ける。
『接近判断がほしい。こちらは一旦距離を維持する』
ファルコが苛立った声で言う。
『維持って言っても、こっちもずっと止まってられねぇぞ。対象船が流れてる』
スリッピーの声。
『回転周期データ出た! でも一部欠けてる。右舷補助の跳ね、予測より大きい!』
ジェームズが画面を見て、さらに険しい顔をする。
「駄目だ。右舷後方からの接近禁止。牽引は左舷前方か下方。ただし下方は視界が悪い」
シャオメイがすぐに言う。
「左舷前方へ誘導するなら、未登録信号方向との関係確認が必要です」
リリアが重ねる。
「警察照会を入れます」
「今入れると通信が落ちます」
「落ちる可能性です。未登録信号のリスクも可能性です」
「通信が落ちたら、現場とのやり取りが止まります」
「未登録信号が妨害なら、いずれ止まります」
イーナが必死に整理しようとする。
「待ってください。まず接近禁止方向だけ現場に返して、警察照会は帯域を落とした形式で——」
「帯域を落とすと照会結果が遅れます」
リリアが言う。
「でも現場は今、接近判断を待っています」
イーナの声にも焦りが混じる。
フレイは記録を続けていたが、眉がわずかに動いた。
「判断が分岐したまま、現場への回答が遅延しています」
その言葉に、オペレーションルームの空気が一瞬張り詰めた。
後方席で見ていたナミは、端末に素早く記録を入れていた。
“通信切断前取得情報の優先順位が共有されていない”
“接近禁止方向のみ先行回答可能”
“未登録信号と警察照会が救助判断を停止させている”
マリも別の欄に記録している。
“背景音なし。現場側音声に焦りあり”
“フォックスは距離維持可能と判断。ただしファルコは対象船流動を懸念”
“警察照会による帯域消費と、妨害可能性のリスク比較が未整理”
ナミは小声でマリに言った。
「これ、今言いたい」
マリも小声で返す。
「分かる。でも見学」
「うん」
「ただ、止まると思う」
「私もそう思う」
二人は口を閉じた。
ペルシアは、役員席の近くに立ったまま、黙って見ていた。
本当なら、今すぐ中央に入って整理したい。
接近禁止方向だけ先に出す。
警察照会は最低帯域でリリアが並行。
シャオメイは通信維持。
ジェームズは牽引不可方向を確定。
イーナは現場への短文回答。
フレイは分岐記録。
そう言えば、おそらく一度は流れる。
だが、今日はペルシアは参加しない。
彼女の役目は、役員を止めること。
そして、詰まる場所を見ること。
ペルシアは唇を結び、動かなかった。
役員の一人が、たまらず少し身を乗り出した。
「これは、誰が判断を——」
ペルシアは即座に片手を上げた。
「発言は終了後にお願いします」
声は穏やかだった。
だが、有無を言わせない強さがあった。
役員は少し驚き、すぐに口を閉じた。
ジェームズがちらりとその様子を見た。
そして、小さく呟く。
「本当に止めたな」
フレイが記録しながら答える。
「統括官ですので」
その間にも、現場から通信が入る。
『本部、指示は?』
フォックスの声だった。
シャオメイが一瞬、画面を見た。
イーナが回答文を作ろうとする。
リリアが警察照会の入力を止めかける。
ジェームズが牽引不可方向を再度出そうとする。
フレイが全てを記録する。
だが、誰も最終的な一本化ができない。
情報は出ている。
意見も出ている。
それぞれ正しい。
だが、まとまっていない。
ペルシアは目を細めた。
これが見たかった。
そして、これが痛かった。
フレイが静かに言った。
「統括不在による判断停滞。現場回答遅延、二十秒」
イーナの手が止まった。
シャオメイが唇を噛む。
リリアが警察連携席で目を伏せる。
ジェームズは舌打ちした。
「止めろ」
その声は低かったが、はっきりしていた。
フレイが顔を上げる。
「訓練停止要請ですか」
「このまま続けても、同じところで詰まる。現場を無駄に待たせるだけだ」
画面の向こうで、フォックスも頷いた。
『本部、一度止めた方がいい。こちらは安全距離を維持する』
ファルコが続く。
『実戦なら怒鳴ってるところだな』
クリスタルの声が静かに入る。
『でも、止める判断は早い方がいい』
スリッピーも言った。
『データは取れたよ。どこで詰まったか、かなりはっきりしてる』
フレイはペルシアを見る。
ペルシアは、役員席の前に立ったまま、静かに頷いた。
「シミュレーション、一時停止」
フレイがすぐに宣言する。
「シミュレーションを一時停止します。現場、距離維持。対象船遠隔安定化へ移行」
シャオメイが通信を入れる。
「こちら宇宙管理局オペレーションルーム。シミュレーション一時停止。フォックス、距離維持をお願いします」
『了解。距離維持』
大型画面の表示が、訓練停止状態へ切り替わる。
オペレーションルームには、重い沈黙が落ちた。
イーナは悔しそうに端末を見ている。
リリアは唇を結んでいた。
シャオメイは目を伏せ、通信ログを見つめている。
ジェームズは腕を組んだまま、何も言わない。
フレイは記録を止めず、淡々とタイムラインを整理していた。
ナミとマリは、後方で黙って端末を閉じかけたが、まだ閉じなかった。
書くべきことが多すぎた。
役員達も、先ほどまでの楽しげな雰囲気を失っていた。
初回だから失敗する。
そう説明されていた。
だが、実際に止まるのを見ると、空気は重い。
続きです。
ペルシアが「失敗」と見られた停止を、実は“ほぼ完成に近い材料が揃っていた状態”だと見抜き、統括官席に入った瞬間に全員の能力を噛み合わせていく場面です。
オペレーションルームは、重く沈んでいた。
大型画面には、シミュレーション一時停止の表示。
現場側のスターフォックスは安全距離を維持し、廃棄予定の旧式宇宙船は遠隔安定化モードに移行している。
音は少ない。
だが、静かではなかった。
誰も声を出さないことで、かえって全員の呼吸が聞こえるようだった。
イーナは端末に視線を落としたまま、指を止めていた。
整理しようとした。
ジェームズの整備判断も、リリアの警察連携も、シャオメイの通信帯域の懸念も、現場のフォックス達の声も、全部見えていた。
だが、それを一本にできなかった。
リリアは警察連携席で、唇を結んでいる。
未登録信号を後回しにする危険も、通信帯域を守らなければ現場回答が遅れることも、どちらも分かっていた。
だからこそ、止まった。
シャオメイは通信ログを見つめていた。
自分は間違っていない。
通信帯域が落ちれば、現場映像が途切れる。
だが、リリアの言う未登録信号の危険も、否定できなかった。
ジェームズは腕を組んで座っていた。
いつも通り不機嫌そうに見える。
けれど、眉間の皺はいつもより深い。
整備側の危険は出した。
右舷後方は駄目だ。
牽引すれば救助艇側に負荷が返る。
そこまでは言った。
だが、それを現場指示へ変換する前に、全体が止まった。
フレイは記録を続けていた。
顔には出さない。
だが、記録欄には、判断停滞、現場回答遅延、優先順位未確定、統括判断不在という言葉が並んでいる。
ナミとマリも、後方の見学席で黙っていた。
ナミは、端末に書いた記録を見つめている。
通信切断前に取るべき情報。
接近禁止方向のみ先行回答可能。
救助判断を止めずに、警察照会を並行する方法。
それらが見えているのに、見学者として口を挟まなかった。
マリも、背景情報と未登録信号の扱いを記録していた。
警察照会をしなければいけない。
だが、照会そのものが通信帯域を圧迫する。
この比較を誰が判断に変えるのか。
そこが止まった。
役員達も黙っていた。
最初は、ペルシアに会えて嬉しそうだった。
彼女の軽い口調に笑い、見学の注意点にも納得していた。
だが、実際にシミュレーションが途中で止まると、空気は変わった。
役員の一人が、小さく呟く。
「……これで大丈夫なのか?」
別の役員も、声を潜めて言った。
「初回とはいえ、現場回答が止まるのは……」
「統括官が入っていないとは聞いていたが」
「本番でこれなら危険だな」
その声は大きくない。
だが、参加者には聞こえた。
イーナの肩がわずかに固まる。
シャオメイが唇を噛む。
リリアの視線が落ちる。
ナミとマリも、端末から顔を上げた。
ペルシアは、役員席の前に立っていた。
さっきまで、役員の発言を止めるためにそこにいた。
今も、そこにいる。
だが、彼女はすぐには何も言わなかった。
目を閉じ、顔を少し伏せる。
その表情は見えない。
がっかりしているのか。
呆れているのか。
怒っているのか。
誰にも分からなかった。
オペレーションルームの空気がさらに重くなる。
ジェームズが小さく舌打ちした。
「……」
シャオメイは、何か言おうとしてやめた。
イーナは資料端末を握りしめる。
リリアは呼吸を整えようとしていた。
ナミとマリは、互いに顔を見合わせることもできなかった。
その時、ペルシアが低く呟いた。
「言ったよね」
声は小さい。
だが、よく通った。
全員の視線が、ペルシアへ向く。
「今日のシミュレーションは、成功を披露する場ではなくて、失敗を見つける場だって」
ジェームズが顔を上げた。
シャオメイも目を向ける。
イーナ、フレイ、リリア。
後方席のナミとマリ。
そして役員達も、ペルシアを見る。
ペルシアはゆっくりと顔を上げた。
その表情を見て、全員が一瞬、言葉を失った。
嬉しそうだった。
目元に笑みが浮かんでいる。
呆れているわけでも、怒っているわけでも、失望しているわけでもない。
むしろ、満足しているように見えた。
「それなのに」
ペルシアは、いつもの軽い口調に戻った。
「いきなり完璧に近い結果を出すなんて、なに? 皆んな、本番に強いタイプなの?」
オペレーションルームの空気が止まった。
誰もすぐには理解できなかった。
ジェームズが眉を寄せる。
シャオメイは目を瞬かせた。
イーナは、手元の端末から顔を上げたまま固まっている。
リリアは驚いたようにペルシアを見た。
ナミとマリも、ぽかんとしていた。
役員の一人が、思わず声を漏らす。
「……完璧?」
ペルシアは役員の方を向いた。
「ええ」
その声は、はっきりしていた。
「皆んな、情報を的確に上げていました。後はそれを整えて判断するだけですから」
役員達がざわめいた。
ペルシアは一歩、中央へ進む。
「ジェームズは、整備側の危険を最短で出した。右舷後方接近禁止。牽引負荷の逆流。救助艇側の損傷リスク。これは出ていました」
ジェームズは少しだけ目を逸らした。
「事実を言っただけだ」
「その事実が必要なの」
ペルシアは次にシャオメイを見る。
「シャオメイは、通信帯域の限界を見た。映像を落とせば接近判断が遅れる。警察照会を同時に入れれば通信が細くなる。これも必要な指摘」
シャオメイは息を呑む。
「でも、まとめられませんでした」
「まとめるのは、あなた一人の仕事じゃない」
ペルシアはリリアを見る。
「リリアは、未登録信号を見落とさなかった。警察照会を救助判断と切り離せていなかったのは課題。でも、危険を出したこと自体は正しい」
リリアは小さく頷いた。
「はい」
「イーナは、全員の情報を拾おうとした。途中で止まったけど、拾えていた。拾えていなかったら、そもそも詰まることもできない」
イーナの目が揺れる。
「……はい」
「フレイは、判断停滞を記録した。止めるべきタイミングを見える形にした」
フレイは静かに頭を下げた。
「記録しただけです」
「その“だけ”がないと、訓練はただの失敗になるのよ」
ペルシアは後方席へ視線を向けた。
「ナミ、マリ」
二人が姿勢を正す。
「見学枠なのに、ちゃんと黙ってたわね」
ナミは少し戸惑いながら答える。
「はい。口を挟まない指示でしたので」
マリも続ける。
「見学記録に残しました」
「それでいい。たぶん二人とも、今すぐ言いたいことが山ほどあるでしょ」
ナミとマリは互いに一瞬だけ顔を見る。
ナミが通常口調で小さく言う。
「あるね」
マリも通常口調で返す。
「かなりある」
ペルシアは笑った。
「後で聞く」
そして、役員達へ向き直る。
「今の停止は、失敗ではありません。材料は揃っていました。各席が危険を拾い、現場も声を出し、記録も止まっていなかった。足りなかったのは、統括判断だけです」
役員の一人が眉をひそめる。
「だが、その統括判断こそが重要なのではないかね」
「その通りです」
ペルシアは即答した。
「だから今から入ります」
オペレーションルームがざわついた。
ペルシアは局長の方を見た。
局長マーカスは、役員席の少し後ろに立っていた。
最初から静かに見ていたのだ。
ペルシアは軽い口調で言う。
「局長、皆んなやる気みたいだし、私もやっぱり参加していい?」
局長はしばらくペルシアを見ていた。
その顔には、わずかな苦笑が浮かんでいる。
「……好きにやりなさい」
ペルシアはにっと笑った。
「了解」
その一言と同時に、空気が変わった。
ペルシアは役員席の前から離れ、中央の統括官席へ向かう。
さっきまで空席だった場所。
情報が集まりながらも、判断へ変換されなかった場所。
そこへ、ペルシアが座った。
座った瞬間、まるで部屋の中心が定まったようだった。
ペルシアは端末を軽く叩く。
大型画面の表示が切り替わり、停止時点の三十秒前へ戻る。
「フレイ、停止三十秒前から再開。記録は別ライン。最初の停止記録は消さない」
「承知しました」
「イーナ、現場回答文を短文形式へ。長文は禁止。最初の一文は“右舷後方接近禁止、距離維持”」
「はい」
「ジェームズ、右舷後方禁止の根拠を三語で」
ジェームズが眉をひそめる。
「三語?」
「役員じゃない。現場へ返す用」
ジェームズは一瞬だけ考え、短く言った。
「補助跳ね、負荷逆流、牽引不可」
ペルシアは頷く。
「採用」
イーナが即座に入力する。
「シャオメイ、通信帯域を三分割。現場映像優先、音声維持、警察照会は低帯域テキストのみ」
シャオメイの手が動く。
「はい。映像六、音声三、照会一で維持します」
「採用。落ちたらすぐ言って」
「はい」
「リリア、警察照会は止めない。ただし救助判断を止める照会は禁止。未登録信号の識別照会だけ低帯域で投げて」
リリアがすぐ頷く。
「はい。照会内容を最小化します。未登録信号識別、発信源照合、妨害可能性のみ」
「採用」
ペルシアは現場通信を開く。
「フォックス、聞こえる?」
『聞こえている』
「再開後、右舷後方接近は禁止。距離維持のまま左舷前方の安全角を探して。ファルコ、右舷側の跳ねを目視継続。クリスタル、未登録信号と反射の距離感を見て。スリッピー、回転周期の欠けを補正できる?」
スリッピーの声が弾んだ。
『できる! ただ、アーウィン側の補正データも使った方が早い』
ペルシアはすぐ言った。
「スリッピー? ナウスはアーウィンにインプットしてる?」
『インプット済みだよ』
「なら、ナウスも参加させていいわよ」
一瞬、現場側の通信がざわついた。
スリッピーの声が明らかに嬉しそうになる。
『いいの?』
「必要なら使う。使えるものは使うの」
通信に、ナウスの落ち着いた合成音声が入った。
『ナウス、補助演算に参加します。アーウィン各機の外部測定値を統合可能です』
ペルシアは即座に判断する。
「ナウス、対象船回転周期、右舷補助跳ね、左舷前方接近角の三点を優先。予測値はシャオメイへ。本部表示は一画面にまとめて」
『了解しました』
ペルシアは軽く息を吸った。
「それじゃあ、やりましょうか」
その声には、先ほどまでの重さはない。
だが、軽いだけでもない。
全員の視線が前を向く。
フレイが宣言する。
「シミュレーション再開。停止三十秒前より再開します」
大型画面が動き出した。
◇
『こちらフォックス。現場付近に到着。対象船を確認した』
再開直後。
同じ場面。
だが、今度は違った。
シャオメイが即座に通信状態を確認する。
「こちら宇宙管理局オペレーションルーム。フォックス、通信状態確認。遅延〇・八秒。映像優先、音声維持。警察照会は低帯域で並行します」
ペルシアが短く言う。
「いい。次」
ファルコの声。
『見た目より回ってるぞ。右舷側、少し嫌な揺れ方だ』
ジェームズが言う。
「右舷補助跳ね。接近禁止候補」
ペルシアは即座に判断する。
「まだ候補。イーナ、現場へは“右舷後方接近注意、距離維持”で先行」
イーナが返答文を作る。
「フォックス、右舷後方接近注意。距離維持を継続してください。詳細確認中です」
『了解。距離維持』
リリアが未登録信号を確認する。
「二時方向外縁に未登録信号。対象船からではありません。警察照会、低帯域テキストで識別のみ投げます」
ペルシアは頷く。
「救助判断は止めない。照会は並行」
「はい」
シャオメイが通信画面を見る。
「照会帯域、一割で維持。映像更新落ちていません」
「採用。そのまま」
スリッピーの声が入る。
『回転周期データ出た! でも一部欠けてる』
ペルシアは即座に言う。
「ナウス、補完」
『補完中。アーウィン三機の外部測定値を統合。右舷補助跳ね、予測値より一二パーセント増大』
ジェームズが画面を見て言う。
「右舷後方、禁止で確定」
ペルシアは迷わない。
「採用。イーナ、現場へ」
イーナが短文で出す。
「フォックス、右舷後方接近禁止。理由、補助跳ね、負荷逆流、牽引不可。距離維持のまま左舷前方角を確認してください」
フォックスの返事は速かった。
『了解。右舷後方接近禁止。左舷前方角を確認する』
ファルコが続く。
『右舷はやめて正解だ。戻りが悪すぎる』
ペルシアはすぐ次へ進む。
「クリスタル、未登録信号と反射の距離感」
『未登録信号は対象船より遠い。反射は対象船近く。混ざって見えてるだけだと思う。でも、外縁側に動きがある』
リリアがすぐ反応する。
「警察照会結果、一部返答あり。登録なし。ただし妨害確定ではありません」
ペルシアは判断する。
「未登録信号は警戒継続、救助停止条件にはしない。リリア、警察側には“救助継続、外縁監視依頼”で返して」
「はい」
シャオメイが言う。
「通信帯域、照会分を維持しても映像更新に影響なし」
「継続」
マリは見学席で息を呑んだ。
さっき、自分達が記録していた問題が、次々に判断へ変わっていく。
警察照会は止めない。
でも救助判断も止めない。
通信帯域は守る。
映像は落とさない。
未登録信号は、救助停止ではなく外縁監視へ回す。
ペルシアは、誰かの意見を潰していない。
全部を拾っている。
その上で、今使うものと後に回すものを分けている。
ナミも、端末を握ったまま見ていた。
接近禁止方向だけ先に返す。
危険は確定する前でも、注意として出せる。
確定したら禁止に変える。
通信が切れる前に、現場が動ける最低限の情報だけ先に渡す。
ナミが見ていた“危険の順番”が、そのまま運用になっていた。
「マリ」
ナミが小声で言う。
「何?」
「すごいね」
マリは画面から目を離さずに答えた。
「うん。情報の順番が変わっただけで、全部動いてる」
「うん」
◇
現場映像では、スターフォックスのアーウィンが対象船の周囲を一定距離で回り始めた。
フォックスが距離維持。
ファルコが右舷側の跳ねを目視継続。
クリスタルが未登録信号と反射の違いを確認。
スリッピーとナウスが回転周期と接近角を補正する。
本部側では、シャオメイが通信帯域を維持し、リリアが警察照会を最小限で走らせ、ジェームズが牽引不可方向を判断し、イーナが現場へ短文回答を返し、フレイが全てを時系列へ落とし込む。
ペルシアは統括官席で、ほとんど姿勢を変えない。
だが、全てを聞いていた。
「ジェームズ、左舷前方角、牽引可否」
「角度二十度なら可。ただし対象船回転差が落ちるまで待つ」
「採用。ナウス、回転差低下予測」
『十二秒後に回転差許容範囲へ入ります』
「シャオメイ、十二秒間通信維持。映像落とさないで」
「はい」
「イーナ、フォックスへ。“十二秒後、左舷前方二十度、仮接近可”。仮を入れて」
「はい」
イーナは即座に通信へ乗せる。
「フォックス、十二秒後、左舷前方二十度、仮接近可。牽引はまだ不可。距離維持のまま待機してください」
『了解。十二秒後、左舷前方二十度、仮接近可。牽引不可、距離維持』
ペルシアは頷く。
「復唱良し」
リリアが言う。
「警察側から返信。外縁監視を開始。未登録信号は救助妨害確定ではありません」
「採用。救助継続」
シャオメイが通信席で少し声を上げる。
「通信遅延、一・二秒へ増加」
ペルシアは即座に言う。
「映像は?」
「維持。ただし照会帯域をこのままにすると一・五秒まで増えます」
「リリア、警察照会一時低頻度。監視依頼は維持。追加照会は三十秒後」
リリアは迷わず答える。
「はい。警察照会、低頻度へ移行します」
シャオメイが確認する。
「通信遅延、一・一秒へ戻りました」
「いい。シャオメイ、その判断はあなたからも言っていい。遅延が一・五を超える前に」
シャオメイは一瞬だけ目を見開いた。
「はい」
ペルシアは次へ進む。
「ジェームズ、牽引開始条件」
「回転差許容、左舷前方二十度、グラップル負荷二割以内」
「二割を超えたら?」
「即解除」
「採用。イーナ、現場へ」
イーナはすぐに短文へ整える。
「フォックス、牽引開始条件。回転差許容、左舷前方二十度、グラップル負荷二割以内。二割超過で即解除」
フォックスが応答する。
『了解。条件確認』
スリッピーの声が入る。
『ナウス補正、回転差許容まで三、二、一、入った!』
ペルシアは短く言った。
「フォックス、仮接近開始」
『了解。仮接近開始』
ファルコが言う。
『右舷はまだ跳ねてる。左舷側は安定してるぜ』
クリスタルが続ける。
『外縁側の未登録信号、こちらへの接近なし。救助動線には入っていない』
リリアがすぐ拾う。
「未登録信号、救助動線外。警察監視継続、救助判断への影響なし」
ペルシアは頷く。
「採用」
フレイが記録する。
「時刻〇九二一。仮接近開始。未登録信号は救助判断から分離、警察監視へ移行」
役員達は、後方席で黙って見ていた。
さっきまで、情報がぶつかって止まった部屋。
それが今、同じ情報量のまま動いている。
むしろ、情報は増えている。
スリッピーとナウスの補正が加わり、現場からの声も増えた。
それなのに、混乱しない。
理由は明らかだった。
ペルシアがいる。
彼女は、誰の意見も長く説明させない。
だが、切り捨てもしない。
必要な情報を短く取り、役割を決め、採用か保留かをその場で告げる。
ジェームズの言葉が荒くても、整備判断として拾う。
シャオメイの通信懸念を、通信制御指示へ変える。
リリアの警察連携を、救助判断から分離して並行処理に回す。
イーナには、長い情報を現場が動ける短文へ変えさせる。
フレイには、判断と未決事項を分けて記録させる。
フォックス達には、現場の感覚を遠慮なく出させる。
スリッピーとナウスには、技術補正を演算として組み込ませる。
それぞれが持っている力を、ぶつけるのではなく流れにしている。
役員の一人が、小さく呟いた。
「……これが、統括官か」
別の役員も、目を細める。
「彼女が入った瞬間、情報の意味が変わったな」
局長マーカスは、何も言わずに見ていた。
だが、その表情には、わずかな満足があった。
◇
仮接近は成功した。
次は牽引判断。
ここでも意見はぶつかった。
ジェームズは、グラップル負荷が予想より少し高いと言う。
スリッピーは、ナウス補正なら許容内に収められると言う。
ファルコは、現場感覚として一度離した方がいいと言う。
フォックスは、距離維持の燃料消費を気にする。
クリスタルは、対象船近くの反射がまだ気になると言う。
リリアは、未登録信号がまだ完全に消えていないため、警察監視を続けるべきだと言う。
シャオメイは、通信遅延が再び増え始めていると報告する。
イーナは、その全てを現場返答へまとめようとする。
以前なら、ここでまた止まっていた。
だが、今は違った。
ペルシアは、即座に切った。
「牽引はまだしない」
ジェームズが頷く。
「正解だ」
スリッピーが少し慌てる。
『でも、ナウス補正なら——』
「スリッピー、補正は採用。でも牽引判断にはまだ使わない。今は仮接近維持に使う」
『あ、そっか。了解!』
「ファルコの現場感覚は採用。離脱ではなく、仮接近維持で様子を見る。フォックス、燃料消費は?」
『問題ない。短時間なら維持できる』
「なら維持。クリスタル、反射監視継続。リリア、警察監視継続。ただし救助判断を止めない。シャオメイ、通信遅延一・五超えたら即報告。イーナ、現場へ」
イーナは一拍も置かずに返した。
「フォックス、牽引はまだ実施しません。仮接近維持。ナウス補正は姿勢監視に使用。反射監視、警察監視は継続。通信遅延一・五秒超過で再判断します」
『了解。仮接近維持』
ペルシアは短く頷く。
「良し」
その一言で、全員が次へ動いた。
ジェームズは次の負荷予測へ。
シャオメイは通信帯域の再調整へ。
リリアは警察連携の更新へ。
イーナは現場返答の次文へ。
フレイは判断履歴の整理へ。
現場のフォックス達も、今度は本部の回答を待たずに状況確認を続けられている。
ナミは後方で端末を握りしめていた。
「マリ」
「何?」
「統括官、危険を消してない」
「うん。順番を変えてるだけ」
「全部残してる」
「でも、今使うものだけ前に出してる」
マリは画面を見たまま続けた。
「これ、私達がやるべきことも同じだね」
ナミは頷いた。
「うん。見えた危険を全部言うんじゃなくて、今動ける形にする」
「それが難しい」
「でも、見えた」
二人の声は小さい。
だが、ペルシアには聞こえていた。
彼女は前を向いたまま、少しだけ笑った。
◇
シミュレーションは、そこから大きく崩れなかった。
もちろん、完璧ではない。
通信遅延は一度、一・六秒まで伸びた。
シャオメイが即座に報告し、ペルシアが警察照会の更新頻度を下げた。
リリアは一瞬だけ迷ったが、救助判断を止めない範囲で監視依頼を維持した。
ジェームズは、牽引負荷が二割に近づいた時点で解除準備を出した。
ペルシアはそれを採用し、フォックスへ“牽引開始ではなく固定確認”を指示した。
スリッピーとナウスは、アーウィン側の外部測定値を統合し、対象船の回転差を視覚化した。
イーナは、ペルシアの判断を現場が復唱しやすい短文に整え続けた。
フレイは、判断、保留、監視継続、再判断条件をすべて別枠で記録した。
現場では、フォックスが距離を維持し、ファルコが右舷側の危険を監視し、クリスタルが反射と未登録信号の違いを見続けた。
誰か一人が突出しているわけではない。
全員が、自分の役割を果たしている。
そして、その全員を、ペルシアがつないでいた。
役員達は、もう途中で口を挟まなかった。
挟む必要がなかった。
むしろ、挟めなかった。
目の前で、情報が判断へ変わっていく。
危険が整理される。
意見の衝突が、役割分担へ変わる。
保留が放置ではなく、再判断条件として残される。
その流れを見れば、素人でも分かる。
この部屋は、ペルシアが座ると機能する。
いや、ペルシアが全てをやっているわけではない。
ペルシアは、全員に仕事をさせている。
それが凄かった。
自分で抱え込まない。
誰かに丸投げもしない。
聞く。
切る。
残す。
採用する。
保留する。
戻す。
指示する。
その速度が異常だった。
しかも、軽い。
「ジェームズ、それは怖い顔してるだけ? それとも本当に駄目?」
「本当に駄目だ」
「採用。怖い顔だけなら却下だったわ」
「うるさい」
「イーナ、今の“うるさい”は記録しなくていい」
「はい」
「フレイは記録しそうだから止めて」
「既に記録していません」
「偉い」
「必要ないと判断しました」
「言い方」
そんな軽口を挟みながらも、判断は一度も遅れなかった。
シャオメイが緊張で少し声を詰まらせた時も、ペルシアはすぐに言った。
「シャオメイ、数字だけ。理由は後」
「通信遅延一・四、映像維持、音声軽微な乱れ」
「十分。採用」
リリアが警察照会の扱いで迷った時も、ペルシアは短く切った。
「事件判断じゃない。今は救助阻害の確認だけ」
「はい。救助阻害確認に絞ります」
「良し」
イーナが情報をまとめすぎて長文になりかけた時も、ペルシアは笑った。
「イーナ、それは報告書。現場には二行」
「はい。二行にします」
「あなたならできる」
その一言で、イーナの手が速くなった。
ジェームズが短すぎる言葉で済ませようとした時は、ペルシアが止める。
「ジェームズ、“無理”だけじゃ現場が困る。無理な方向と条件」
「右舷後方無理。左舷前方二十度なら条件付き」
「採用」
フレイが記録を取る。
「統括判断、右舷後方不可、左舷前方条件付き」
ペルシアは頷く。
「それでいい」
この流れの中で、誰も余計な自尊心を守っていなかった。
意見がぶつかっても、ペルシアがすぐに意味を分ける。
“それは今使う”
“それは後”
“それは監視”
“それは警察へ”
“それは現場に返す”
“それは記録だけ”
“それは却下”
却下されても、誰も止まらない。
採用されれば、すぐ次へ進む。
この部屋の全員が、ペルシアの判断に引っ張られていた。
◇
やがて、対象船は仮固定に成功した。
牽引は本実施せず、救助艇接近可能範囲の確認までで止める。
未登録信号は警察監視下に置かれ、救助判断からは分離。
通信は遅延を抱えながらも維持。
現場側のスターフォックスは、安全距離を保ったまま対象船を監視し続けた。
フレイが静かに宣言する。
「訓練第二段階、完了。仮固定確認。牽引本実施は保留。救助艇接近可能範囲を確定」
オペレーションルームに、今度は別の沈黙が落ちた。
先ほどの重い沈黙ではない。
誰もが、自分達が動いたことを理解するための沈黙だった。
イーナは、小さく息を吐いた。
シャオメイはヘッドセットを押さえたまま、画面を見つめている。
リリアは警察連携席で、ようやく肩の力を抜いた。
ジェームズは腕を組んだままだが、不機嫌そうな顔の奥に、少しだけ納得があった。
フレイは記録を閉じない。
まだこの後、整理があるからだ。
ナミとマリは、後方席で言葉を失っていた。
役員達も、黙っていた。
その沈黙を破ったのは、局長だった。
「見事だった」
短い言葉だった。
だが、部屋の全員がその重みを感じた。
ペルシアは統括官席で軽く肩をすくめた。
「見事なのは皆んなよ。私は整えただけ」
ジェームズがぼそりと言う。
「その“整えただけ”が一番おかしいんだよ」
シャオメイが小さく頷いた。
「私も、そう思います」
イーナも、少しだけ笑った。
「ペルシア統括官が入ってから、情報の置き場所が分かりました」
リリアも言う。
「私は、警察連携を救助判断から分ける感覚が、少し分かりました」
フレイは淡々と記録しながら言った。
「統括官参加後、判断遅延は大幅に減少。情報衝突は継続して発生しましたが、全て役割分担または保留条件へ変換されています」
ナミが小さく呟く。
「すごい……」
マリも、珍しく少しだけ表情を崩した。
「うん。全部見えていたのに、全部を前に出していない」
ペルシアは後方席へ視線を向ける。
「ナミ、マリ」
二人はすぐに姿勢を正す。
「はい」
「はい」
「後で記録を見せて。あなた達がどこで口を挟みたくなったか、全部聞く」
ナミは一瞬だけ驚き、それから頷いた。
「分かりました」
マリも続ける。
「承知しました」
ペルシアは笑う。
「今日の見学、かなり勉強になったでしょ」
ナミは、今度は少しだけ素直に答えた。
「はい。とても」
マリも頷いた。
「はい。情報の使い方が見えました」
「よろしい」
役員の一人が、ようやく口を開いた。
「ペルシア統括官」
ペルシアはそちらを見る。
「はい。質疑は今から受けます」
役員は少し苦笑した。
「君が止めるから、ずっと黙っていたよ」
「ありがとうございます。とても助かりました」
「……正直、最初に止まった時は不安になった」
「でしょうね」
ペルシアはあっさり認める。
「でも、今ので分かった。さっきの停止は、材料がなかったのではなく、材料を束ねる手がなかったんだな」
ペルシアは静かに頷いた。
「はい。今日、それが分かりました」
「つまり、オペレーションルームには統括官が必要だと」
「違います」
ペルシアは即答した。
役員達が少し驚く。
ペルシアは続けた。
「オペレーションルームには、“統括判断の機能”が必要です。それを私一人に固定したら、私がいない時にまた止まります」
局長の目がわずかに細くなる。
ペルシアは中央卓の画面を見る。
「今日の次の課題は、私がやった整理を、部屋の仕組みに落とすことです。優先順位表。分割回答の基準。警察照会と救助判断の分離。通信帯域の再判断条件。整備リスクの短文化。現場復唱の書式」
フレイがすぐに記録する。
「次回改善項目として記録します」
ペルシアは頷いた。
「そう。私がすごいで終わったら意味がない。私がいなくても七割動く部屋にする。私が入ったら十割に近づく。それが目標」
役員達は、今度こそ完全に黙った。
それは反論できない沈黙だった。
ペルシアの凄さは、自分の能力を見せることではなかった。
自分の能力を、組織へ移そうとしていることだった。
局長が静かに笑った。
「やはり、君に任せてよかった」
ペルシアは嫌そうに顔を向ける。
「局長、そういうこと言うと仕事が増えるから嫌い」
「増えるだろうな」
「最悪」
ジェームズが低く言う。
「でも、必要だ」
ペルシアはジェームズを見る。
「あなたまで真面目なこと言わないで。調子が狂う」
「うるさい」
シャオメイが小さく笑った。
イーナも、リリアも、少しだけ笑った。
ナミとマリも互いに顔を見合わせる。
ナミが通常口調で言った。
「マリ、ここに来てよかったね」
マリも通常口調で頷いた。
「うん。かなり大変だけど」
「うん。かなり大変」
二人はそう言って、少しだけ笑った。
ペルシアはその笑いを横目で見てから、統括官席に座り直した。
「さて」
全員が再び彼女を見る。
「成功を披露する場じゃないって言ったけど、結果的に少し見せすぎたわね」
役員達が笑う。
ペルシアも笑った。
「でも、ここからが本番よ。今の動きを、次は私なしで半分でも再現する。そのために、まず記録整理」
フレイが頷く。
「開始します」
「イーナ、現場回答文の変化を抽出」
「はい」
「シャオメイ、通信帯域再判断の閾値表」
「はい」
「ジェームズ、整備リスクの短文化。文句は後」
「今言う」
「却下」
「……くそ」
「リリア、警察照会と救助判断の分離表」
「はい」
「ナミ、通信切断前に取る情報の優先順位。見学記録から出して」
「はい」
「マリ、背景音と未登録信号の扱い。警察連携へ回すもの、救助判断へ残すものを分けて」
「承知しました」
「フォックス達は、現場側で“本部から欲しかった一文”を出して。スリッピーとナウスは補正情報の表示形式を後で送って」
通信越しに、フォックスが答えた。
『了解』
ファルコが笑う。
『やっぱり仕切ると速ぇな』
クリスタルも言う。
『今のは見ていて気持ちよかったよ』
スリッピーが明るく続ける。
『ナウスのデータもまとめて送るね!』
ナウスの合成音声が入る。
『補正ログを出力します』
ペルシアは満足そうに頷いた。
「よし。じゃあ全員、仕事」
その一言で、オペレーションルームは一斉に動き出した。
さっきまでの重い空気は、もうない。
そこにあるのは、忙しさだった。
そして、確かな熱だった。
役員達は、後方席からその光景を見ていた。
誰ももう、「これで大丈夫なのか」とは言わなかった。
むしろ、分かってしまった。
この部屋は、まだ未完成だ。
だが、確かに動く。
そして、その中心にペルシアがいる限り、未完成の部品でさえ、判断へ変わる。
ペルシアは統括官席で端末を叩きながら、いつものように軽く呟いた。
「本当に、面倒な部屋になってきたわね」
フレイがすぐに答える。
「統括官が作っている部屋です」
「分かってるわよ」
ジェームズが横から言う。
「一番面倒なのはお前だ」
ペルシアは笑った。
「知ってる」
その笑い声を合図にするように、オペレーションルームはさらに回り始めた。
初回シミュレーション。
それは、途中で止まり、荒れ、役員達の前で重い空気を生んだ。
だが、そこからペルシアが入った瞬間、部屋は姿を変えた。
散らばっていた情報は流れになり、ぶつかっていた意見は判断材料になり、迷っていた人間達は役割を取り戻した。
誰もが理解した。
ペルシアは、ただ人懐っこいだけではない。
ただ口が立つだけでもない。
彼女は、声の高さ、言葉の強さ、視線の揺れ、情報の順番、現場の焦り、役員の圧力、そのすべてを聞き分けながら、必要なものだけを判断へ変える。
統括官。
その言葉が、この日初めて、部屋の全員に実感として落ちた。