サヴァイヴ〜ドルトムント財閥〜   作:一塔

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褒めては呑む

初回シミュレーションは、予定よりも長くかかった。

 

一度止まり、空気が重くなり、役員達の前で現場回答が遅延した。

 

だが、その後にペルシアが統括官席へ入った瞬間、オペレーションルームは別物のように動いた。

 

情報は増えた。

 

意見も増えた。

 

現場からの声も、通信帯域の問題も、警察照会も、整備リスクも、全部が同時に押し寄せた。

 

それでも止まらなかった。

 

ペルシアが、全てを判断へ変えた。

 

シミュレーション終了後、オペレーションルームには独特の熱が残っていた。

 

成功の熱ではない。

 

達成感とも少し違う。

 

もっと生々しい。

 

失敗した部分を見つけ、それをその場でつなぎ直し、次に進める形にした後の熱だった。

 

フレイは記録端末を閉じ、静かに息を吐いた。

 

「本日のシミュレーション記録、一次整理を開始します」

 

ペルシアは統括官席の背もたれに体を預けた。

 

「今から?」

 

「今からです」

 

「フレイ、余韻って知ってる?」

 

「知っています。ですが、記憶が新しいうちに整理する方が精度が高いです」

 

「正論で殴らないで」

 

「必要な指摘です」

 

ペルシアはげんなりした顔をした。

 

その横で、イーナが少し笑いながら資料をまとめていた。

 

シャオメイは通信ログを保存し、マリは見学記録の背景音欄を整理している。

 

ナミは、通信切断前に取得すべき情報の優先順位を書き出していた。

 

ジェームズは椅子に座ったまま腕を組み、相変わらず不機嫌そうだった。

 

「もう帰っていいか」

 

ペルシアは即答する。

 

「まだ」

 

「終わっただろ」

 

「記録整理がある」

 

「俺は協力者だ」

 

「協力者だからこそ、整備リスクの言い換えを確認して」

 

ジェームズは顔をしかめた。

 

「面倒だな」

 

「あなた、それしか言わないわね」

 

「事実だからな」

 

「便利な言葉ね」

 

そこへ、役員達が近づいてきた。

 

最初に声をかけたのは、白髪混じりの穏やかな役員だった。

 

「ペルシア君」

 

ペルシアはすぐに顔を上げる。

 

「はい」

 

「今日は見応えがあった」

 

「それはよかったです。途中で心臓に悪いところもありましたけど」

 

「君の方が楽しそうだったがね」

 

「楽しかったです。皆んな、思ったよりずっと動けたので」

 

役員達は笑った。

 

最初の停止時にあった不安は、もうかなり薄れていた。

 

むしろ、今は興奮に近い空気があった。

 

ペルシアが統括官席に座ってからの動きは、役員達にとっても衝撃だったのだろう。

 

数字や予算では見えないものを、目の前で見せられた。

 

統括官がいる意味。

 

オペレーションルームが必要な理由。

 

それを、理屈ではなく体感として理解した顔だった。

 

「しかし、初回でここまで見せられるとはな」

 

「役員としては、安心したよ」

 

「まだまだ未完成と言っていたが、むしろ未完成のうちに見られて良かった」

 

「完成後だけを見ても、途中の課題は分からんからな」

 

ペルシアは目を細める。

 

「そう言っていただけるなら助かります」

 

別の役員が、少し砕けた口調で言った。

 

「さて。見学も終わったし、呑みにでも行くか」

 

その言葉に、役員達が一斉に反応した。

 

「いいな」

 

「今日は長かった」

 

「ペルシア君の統括を肴に一杯やるか」

 

「局長も来るだろう?」

 

局長マーカスは、少し離れた場所で静かに見ていた。

 

役員達の誘いに、特に驚いた様子もない。

 

むしろ、こうなることを少し予想していたような顔だった。

 

その時、ペルシアが勢いよく顔を上げた。

 

「え!?」

 

役員達が振り返る。

 

ペルシアは、まるで置いていかれそうになった子どものように目を丸くしていた。

 

「ずるい! 私も行きたい!」

 

オペレーションルームの空気が、一瞬で変わった。

 

イーナが目を瞬かせる。

 

シャオメイが小さく口を開ける。

 

ナミとマリも、見学記録の端末から顔を上げた。

 

ジェームズは露骨に眉をひそめる。

 

「……おい」

 

フレイは即座にペルシアへ向き直った。

 

「統括官、まだ仕事があります」

 

ペルシアは聞こえないふりをした。

 

役員達はむしろ楽しそうに笑う。

 

「もちろん来るといい」

 

「今日の主役だろう」

 

「ペルシア君が来ないなら、誰を褒めればいいんだ」

 

「統括官の慰労会だな」

 

ペルシアの表情がぱっと明るくなる。

 

「行きます!」

 

フレイが一歩前に出た。

 

「統括官」

 

「細かいこと気にしない」

 

「細かくありません。シミュレーション記録の一次整理、改善項目の抽出、役員向け報告の骨子作成、現場側への確認事項が残っています」

 

「それは明日の私が頑張る」

 

「明日の統括官は、本日の統括官を恨むと思います」

 

「未来の私なら耐えられる」

 

「耐えられません」

 

フレイは淡々としているが、声は少しだけ強かった。

 

ペルシアは役員達の方を見る。

 

「ほら、フレイが厳しいんです」

 

役員達は面白がるようにフレイを見た。

 

「フレイ君、今日くらいは許してやってくれ」

 

「彼女はよくやった」

 

「記録は逃げないだろう?」

 

フレイは即答した。

 

「記憶は逃げます」

 

役員の一人が笑う。

 

「それは正しいな」

 

「ですが、酒席で話すことで拾える記録もある」

 

別の役員が言った。

 

フレイがわずかに目を動かす。

 

「酒席での情報収集を理由にされるのは困ります」

 

「困るほど真面目だな」

 

「補佐ですので」

 

役員達はまた笑った。

 

ペルシアは、ここぞとばかりにフレイの横へ回り込む。

 

「フレイ、今日は初回シミュレーションが終わった日よ」

 

「はい」

 

「しかも途中で止まった」

 

「はい」

 

「でも再開後は回った」

 

「はい」

 

「役員達も見てくれた」

 

「はい」

 

「つまり、呑む理由が多い」

 

「論理が飛躍しています」

 

「飛躍してない。流れよ、流れ」

 

ジェームズが低く言う。

 

「仕事から逃げたいだけだろ」

 

ペルシアは即座に返す。

 

「そうよ」

 

「認めるのか」

 

「認めた方が早い」

 

シャオメイが小さく笑った。

 

イーナは困ったようにフレイを見ている。

 

ナミは通常口調でマリに小声で言った。

 

「マリ、統括官って本当に自由だね」

 

マリも通常口調で返す。

 

「うん。でも、役員の人達も嬉しそう」

 

「人懐っこいって、こういうことなんだね」

 

「たぶん」

 

フレイはその会話まで聞こえていたのか、少しだけため息を吐いた。

 

そして、役員達、局長、ペルシアを順番に見た。

 

「……分かりました」

 

ペルシアの顔が輝いた。

 

「やった!」

 

「ただし」

 

フレイがすぐに釘を刺す。

 

「明日の午前中に一次整理を行います。統括官は遅刻禁止です」

 

「分かった」

 

「二日酔い禁止です」

 

「それは保証できない」

 

「保証してください」

 

「努力する」

 

「努力ではなく、実行してください」

 

役員達が笑う。

 

ペルシアは両手を軽く上げた。

 

「はいはい。分かりました。明日ちゃんと来ます」

 

「“ちゃんと”の定義を明確にしてください」

 

「フレイ、呑み会前に細かい」

 

「細かいことを気にするのが私の仕事です」

 

ペルシアはにやりと笑う。

 

「じゃあ、フレイ達もみんなで呑みにでも行っていいから。後で合流しよう」

 

フレイは目を細めた。

 

「私達も、ですか」

 

「そう。今日動いたのは皆んなでしょ。役員達と私だけで呑むのもずるいじゃない」

 

イーナが驚いたように顔を上げる。

 

「私達も行ってよろしいのですか?」

 

「もちろん。無理にとは言わないけど、今日くらいはいいでしょ」

 

シャオメイは少し戸惑う。

 

「私は協力者ですが……」

 

「協力者でも今日の席にはいた。参加資格あり」

 

ジェームズが即座に言う。

 

「俺は帰る」

 

ペルシアは指を向ける。

 

「ジェームズも来る」

 

「なぜ」

 

「今日、褒められる側だから」

 

「いらない」

 

「いる」

 

「いらない」

 

「いる」

 

ジェームズは心底嫌そうな顔をした。

 

「褒められるために呑むのか」

 

ペルシアは当然のように答える。

 

「そうよ」

 

「馬鹿じゃないのか」

 

「褒められるのは大事よ。あんた、褒められ慣れてないでしょ」

 

「余計なお世話だ」

 

フレイはまたため息をこぼした。

 

「……分かりました。こちらはこちらで整理を切り上げ、希望者で合流します」

 

「さすがフレイ」

 

「褒めても仕事は減りません」

 

「呑み会では減るかもしれない」

 

「減りません」

 

局長マーカスが静かに口を挟んだ。

 

「フレイ、今日は少し緩めてやりなさい」

 

フレイは局長を見る。

 

「局長まで」

 

「今日の成果は、記録だけで残すものではない。人の中にも残しておく必要がある」

 

フレイはしばらく黙った。

 

そして、小さく頭を下げた。

 

「承知しました」

 

ペルシアは嬉しそうに笑った。

 

「決まりね!」

 

 

役員達とペルシアは、一足先に宇宙管理局本部近くの店へ向かった。

 

木星圏の管理局本部周辺には、職員向けの飲食区画がある。

 

高級店もあるが、役員達が選んだのは意外にも落ち着いた居酒屋風の店だった。

 

個室に近い広めの席。

 

木目調の内装。

 

人工重力の効いた床。

 

窓の外には、木星圏の淡い光が広がっている。

 

ペルシアは席に着くなり、上機嫌だった。

 

「今日は飲みます」

 

役員の一人が笑う。

 

「ほどほどにな」

 

「無理です」

 

「無理なのか」

 

「今日、皆んなが凄かったので」

 

「それが飲む理由になるのかね」

 

「なります」

 

ペルシアはきっぱり言った。

 

最初の乾杯は、局長の短い挨拶だった。

 

「初回シミュレーション、お疲れ様でした」

 

全員がグラスを持つ。

 

ペルシアも持つ。

 

「失敗を見つける場として、十分な成果があった。加えて、オペレーションルームが機能する可能性も見えた。今日は、その両方を確認できた日だ」

 

局長はペルシアを見る。

 

「統括官、よくやった」

 

ペルシアは少しだけ照れたように笑った。

 

「ありがとうございます」

 

「では、乾杯」

 

「乾杯!」

 

グラスが鳴った。

 

ペルシアは一口目から勢いが違った。

 

ぐっと飲む。

 

本当に、喉を通す速度が速い。

 

役員の一人が目を丸くした。

 

「相変わらず飲むな」

 

ペルシアはグラスを置く。

 

「今日は褒めることが多いので」

 

「褒めることと飲むことがつながっているのか」

 

「つながっています」

 

「どこがだ」

 

「褒めると喉が渇くんです」

 

役員達が笑った。

 

ペルシアはすぐに次のグラスを手に取る。

 

「まず、ジェームズですね」

 

役員の一人が聞く。

 

「あの技術助言者か」

 

「そう。無愛想で、口が悪くて、帰りたがって、面倒って十回くらい言ってましたけど」

 

「褒める前に随分言うな」

 

「でも、整備リスクを見る目は本物です。右舷後方の危険を最初に出したのはジェームズ。あれがなかったら、現場は接近方向を間違えた可能性があります」

 

ペルシアはそう言って、ぐいっと飲む。

 

「いい判断でした。はい、一杯」

 

役員達が笑う。

 

「本人がいないところで褒めて飲むのか」

 

「本人の前でも褒めます。嫌がるけど」

 

ペルシアは次のグラスへ手を伸ばす。

 

「次、シャオメイ」

 

「通信の若い子か」

 

「そう。まだ正式メンバーじゃないです。協力者。でも、通信帯域の限界をちゃんと出しました。警察照会を入れたら映像更新が落ちる。あれを言えたのは大きい」

 

また飲む。

 

「数字だけじゃなくて、現場が何を失うかまで見てた。偉い。はい、一杯」

 

局長が少し眉を上げる。

 

「ペルシア、ペースが早い」

 

「まだ序盤です」

 

「序盤でそれか」

 

「次、イーナ」

 

役員達も面白がって聞いている。

 

ペルシアは止まらなかった。

 

「イーナは、今日かなり頑張りました。全員の言葉を拾おうとした。最初は長くなりすぎたけど、後半は現場が復唱できる短文に変えた。あれ、地味だけど凄いんです」

 

ペルシアはまた飲む。

 

「現場に届く言葉にする。これ、オペレーションルームでは命です。はい、一杯」

 

「どんどん飲むな」

 

「褒める人が多いんです」

 

「なるほど」

 

「次、リリア」

 

ペルシアは笑いながら続ける。

 

「リリアは、宇宙警察連携を抱えてます。警察照会って、入れるのが遅くても駄目、早すぎても救助を止める。難しいんです。でも後半、救助判断を止めずに警察監視へ回した。あれで一段上がりました」

 

また飲む。

 

「はい、一杯」

 

役員の一人が小さく言う。

 

「これは、褒め終わる頃にはかなり飲んでいるな」

 

局長が静かに答える。

 

「ペルシアは飲む」

 

「知っているが、改めて見ると凄いな」

 

ペルシアは聞こえているのかいないのか、次へ進む。

 

「フレイ」

 

役員達の顔が少し柔らかくなる。

 

「あの補佐は優秀だな」

 

「優秀です。むかつくくらい正確です」

 

「褒めているのか?」

 

「褒めてます」

 

ペルシアは笑った。

 

「フレイが判断停滞を記録したから、止めるタイミングが見えました。あの人がいなかったら、たぶん皆んな“なんとなく止まった”で終わってた。でも記録があったから、“どこで止まったか”が残った」

 

また飲む。

 

「はい、一杯」

 

役員達が拍手のようにグラスを軽く鳴らした。

 

「いい補佐だ」

 

「ええ。厳しいけど」

 

「君には必要だろう」

 

「分かってます」

 

ペルシアは少しだけ目を細めた。

 

「だから、後で合流したらちゃんと褒めます」

 

「本人の前で?」

 

「もちろん」

 

「嫌がりそうだな」

 

「嫌がりますね」

 

ペルシアは楽しそうに笑い、さらに飲む。

 

「次、ナミとマリ」

 

役員の一人が思い出したように言う。

 

「見学の新人二人か」

 

「はい。あの二人も良かったです。見学枠なのに、口を挟まなかった。これ、簡単じゃないです」

 

「言いたいことがあったようだな」

 

「山ほどあったと思います」

 

ペルシアは頷いた。

 

「ナミは危険の順番を見る子です。通信が切れる前に何を取るべきか。位置情報、再接続条件、接近禁止方向。そういうものを見ます」

 

ペルシアは飲む。

 

「今日は黙って記録していた。偉い。はい、一杯」

 

続けて、またグラスを持つ。

 

「マリは、背景音や未登録信号、通報者が言えていない情報を見る子です。あの子も言いたかったはず。でも見学者として記録に回った。これも偉い」

 

また飲む。

 

「はい、一杯」

 

役員達はもう笑うしかなかった。

 

「褒めては飲み、褒めては飲むな」

 

「そういう日です」

 

「君は本当に嬉しそうだな」

 

ペルシアはグラスを置き、少しだけ真面目な顔になった。

 

「嬉しいですよ」

 

役員達の笑いが少し静まる。

 

ペルシアは、窓の外の木星圏の光をちらりと見た。

 

「オペレーションルームって、部屋を作ればできるものじゃないんです。人が必要なんです。しかも、ただ優秀な人を置けばいいわけじゃない」

 

局長が静かに聞いていた。

 

ペルシアは続ける。

 

「整備を見る人。通信を見る人。言葉を整える人。警察連携を見る人。記録する人。現場で違和感を拾う人。危険の順番を見る人。言えていない情報を聞く人」

 

ペルシアはグラスを軽く揺らす。

 

「今日、それがちゃんといたんです」

 

誰も茶化さなかった。

 

ペルシアの声は、少しだけ柔らかかった。

 

「まだ未完成です。止まりました。荒れました。でも、皆んな必要な情報を出していた。私はそれが嬉しかった」

 

そして、にっと笑った。

 

「だから飲みます」

 

役員達が一斉に笑った。

 

「結局そこか」

 

「そこです」

 

ペルシアはまた飲んだ。

 

 

一方その頃。

 

フレイ達は、オペレーションルームで最低限の片付けを終えていた。

 

フレイは記録を保存し、翌朝の整理項目を並べる。

 

イーナは、現場回答文の変化を抽出していた。

 

シャオメイは通信帯域の閾値表をまとめている。

 

リリアは警察照会と救助判断を分けた表を作り始めていた。

 

ナミとマリは見学記録を整理しながら、互いに確認していた。

 

「ナミ、ここ、接近禁止方向だけ先に出せるって書いてるけど、最初は注意で出す方がいいんじゃない?」

 

マリが通常口調で言う。

 

ナミは頷く。

 

「うん。確定前は注意、確定後は禁止。統括官がやってた流れだね」

 

「そう。危険を出すけど、現場を止めすぎない」

 

「難しいね」

 

「難しい」

 

ジェームズは部屋の隅で、まだ帰らずに座っていた。

 

シャオメイが少し驚いたように聞く。

 

「ジェームズさん、帰らないんですか」

 

「帰るつもりだった」

 

「では、なぜまだ」

 

「……整備リスクの一文を確認しろと言われた」

 

フレイが端末を見ながら言う。

 

「統括官からの指示です」

 

「分かってる」

 

ジェームズは不機嫌そうに言いながらも、イーナの作った一文を見ていた。

 

“右舷後方接近は、補助推進部の跳ねにより牽引負荷が救助艇側へ逆流する可能性があるため禁止。”

 

ジェームズは少し黙り、短く言った。

 

「悪くない」

 

イーナの表情が少し明るくなる。

 

「ありがとうございます」

 

「長いけどな」

 

「短くします」

 

「いや、役員向けならそれでいい」

 

イーナは少し驚いた。

 

ジェームズは目を逸らす。

 

「現場向けは三語でいい。役員向けは、理由がいる」

 

フレイが記録する。

 

「整備リスク説明、役員向け文として承認」

 

「いちいち記録するな」

 

「必要です」

 

ジェームズはため息を吐いた。

 

「お前ら、統括官がいない方が静かだな」

 

ナミが通常口調でマリに小声で言う。

 

「でも、統括官がいないと少し物足りない」

 

マリも頷く。

 

「うん。うるさいけど、軸がある」

 

ジェームズが聞こえたのか、低く言う。

 

「うるさいのは同意だ」

 

シャオメイが笑った。

 

フレイは端末を閉じる。

 

「最低限の整理は完了しました」

 

イーナが顔を上げる。

 

「では、合流しますか?」

 

フレイは少しだけため息を吐いた。

 

「統括官が後で合流と言っていました。行かない場合、明日面倒なことになります」

 

ジェームズが眉をひそめる。

 

「行っても面倒だろ」

 

「はい」

 

「なら帰る」

 

フレイは静かに見る。

 

「ジェームズさん」

 

「何だ」

 

「統括官は、おそらくあなたを褒めています」

 

ジェームズの顔が露骨に嫌そうになった。

 

「最悪だ」

 

シャオメイが笑う。

 

「聞きに行きましょう」

 

「行かない」

 

「でも、褒められてますよ」

 

「だから行かない」

 

イーナが少し困ったように言う。

 

「ジェームズさんが来ないと、ペルシア統括官が迎えに来るかもしれません」

 

その一言で、ジェームズの動きが止まった。

 

ナミが真面目に言う。

 

「その場合、逃げる方が難しくなると思います」

 

マリも淡々と続ける。

 

「統括官は役員達にも気に入られているため、複数名で迎えに来る可能性があります」

 

ジェームズはしばらく黙った。

 

そして、深いため息を吐いた。

 

「……行けばいいんだろ」

 

フレイは頷く。

 

「はい」

 

「面倒だ」

 

「承知しています」

 

そうして、フレイ達も店へ向かうことになった。

 

 

ペルシアがいる個室にフレイ達が到着した時、既に場はかなり温まっていた。

 

扉を開けた瞬間、明るい声が飛んでくる。

 

「あ! 来た!」

 

ペルシアだった。

 

頬は少し赤い。

 

目は輝いている。

 

そして、手元には当然のように酒の入ったグラスがある。

 

フレイは一瞬で状況を把握した。

 

「統括官、どの程度飲まれましたか」

 

ペルシアは笑顔で答える。

 

「褒めた分だけ」

 

「つまり相当ですね」

 

「皆んなが偉かったから」

 

役員達が楽しそうに笑う。

 

「フレイ君、彼女はずっと褒めて飲んでいるよ」

 

「一人褒めるごとに一杯だ」

 

「いや、場合によっては二杯だな」

 

フレイは額に手を当てた。

 

「統括官」

 

「フレイ、座って。今ちょうどフレイを褒めてたところ」

 

「私は結構です」

 

「結構じゃない」

 

ペルシアは席を叩いた。

 

「座る」

 

フレイはため息を吐きながら、ペルシアの近くに座った。

 

イーナ、リリア、シャオメイ、ナミ、マリも少し遠慮しながら席に着く。

 

ジェームズは最後まで入口近くに立っていた。

 

ペルシアはすぐに見つけた。

 

「ジェームズ!」

 

「帰る」

 

「座る」

 

「嫌だ」

 

「役員達、ジェームズが帰ろうとしてます」

 

役員達が一斉に笑う。

 

「座りたまえ」

 

「今日の整備判断の主役だろう」

 

「ペルシア君がずっと褒めていたぞ」

 

ジェームズは顔をしかめた。

 

「余計なことを」

 

ペルシアはにこにこしている。

 

「座って。褒めるから」

 

「いらない」

 

「いる」

 

「いらない」

 

「いる」

 

最終的に、ジェームズは渋々席に座った。

 

シャオメイはその隣に座り、少し楽しそうにしている。

 

ペルシアはグラスを持ち上げた。

 

「では、改めて」

 

フレイがすぐに止める。

 

「統括官、これ以上は」

 

「フレイ」

 

「はい」

 

「私は今、皆んなを褒めています」

 

「はい」

 

「褒めるには喉が必要です」

 

「はい」

 

「喉を潤すには?」

 

「水です」

 

役員達が大笑いした。

 

ペルシアは不満そうにフレイを見る。

 

「そこは酒って言うところでしょ」

 

「水です」

 

「ひどい」

 

「適切です」

 

局長が静かに言う。

 

「水も飲みなさい」

 

ペルシアは少しだけ頬を膨らませた。

 

「局長まで」

 

「明日遅刻されたら困る」

 

「分かりました。水も飲みます」

 

フレイはすぐに店員へ水を頼んだ。

 

ペルシアはその横で、またグラスを持つ。

 

「じゃあ、水が来るまで褒めます」

 

「統括官」

 

「飲まない。褒めるだけ」

 

「それなら」

 

ペルシアはまずフレイを見る。

 

「フレイ」

 

「はい」

 

「今日、あなたがいて本当に助かった」

 

フレイは少しだけ目を伏せた。

 

「業務です」

 

「業務でも助かったの。判断停滞を記録したこと。役員向け説明を整えたこと。私が席に入った後、判断、保留、監視を全部分けて記録したこと。あれがないと、明日何も残らない」

 

フレイは黙って聞いていた。

 

ペルシアは少し柔らかく笑う。

 

「あなたが細かいから、私は雑に動ける」

 

「統括官は、ご自身の雑さを自覚しているのですね」

 

「してるわよ」

 

「でしたら、もう少し普段から——」

 

「今説教しない」

 

役員達がまた笑う。

 

フレイは小さくため息を吐いたが、表情は少しだけ柔らかかった。

 

ペルシアは次にイーナを見る。

 

「イーナ」

 

「はい」

 

「今日、本当に良かった。最初は全部拾おうとして止まった。でも後半、現場が復唱できる言葉に変えた。あれは才能よ」

 

イーナは頬を赤くした。

 

「ありがとうございます」

 

「遠慮しなくていい。あなたの言葉は、人を動かせる」

 

イーナは少しだけ目を伏せた。

 

「……はい」

 

ペルシアはグラスを取ろうとして、フレイに見られた。

 

仕方なく手を引っ込める。

 

「水が来るまで我慢する」

 

「賢明です」

 

「フレイ、厳しい」

 

次に、ペルシアはリリアを見る。

 

「リリア」

 

「はい」

 

「警察連携、難しいでしょ」

 

「はい」

 

「でも今日、救助判断と警察照会を分けた。あれができるなら、あなたはオペレーションルームに必要」

 

リリアは少し驚いたように目を上げる。

 

「ありがとうございます」

 

「宇宙警察の娘だからじゃない。あなた自身が必要」

 

リリアは、一瞬言葉に詰まった。

 

それから、静かに頭を下げた。

 

「……はい」

 

シャオメイは、その様子を見て少し微笑んでいた。

 

ペルシアはすぐにシャオメイへ視線を向ける。

 

「シャオメイ」

 

「はい」

 

「あなたは、今日ちゃんと通信を守った。しかも、途中から“数字だけ”で出せた。あれで判断が速くなった」

 

シャオメイは照れたように笑う。

 

「ペルシア統括官が、理由は後でいいと言ってくれたので」

 

「そう。理由は後でいい時がある。現場が危ない時は、数字が先」

 

「はい」

 

「いい通信席になるわよ」

 

シャオメイは目を丸くした。

 

そして、少しだけ嬉しそうに頷いた。

 

「ありがとうございます」

 

ペルシアはついに我慢できず、置いてあった酒を飲んだ。

 

フレイが即座に言う。

 

「統括官」

 

「今のはシャオメイの分」

 

「水が来るまで待つと言いました」

 

「いい通信席になる記念」

 

「理由になっていません」

 

役員達は笑いっぱなしだった。

 

ペルシアは気にせず、次にナミとマリを見る。

 

「ナミ、マリ」

 

二人は同時に姿勢を正した。

 

「はい」

 

「はい」

 

「今日はよく黙ってた」

 

ナミは少しだけ苦笑した。

 

「かなり言いたかったです」

 

マリも通常口調で小さく言う。

 

「ナミ、三回くらい手が動いてた」

 

「マリも二回、口が開きかけてた」

 

「うん」

 

ペルシアは笑う。

 

「それでいい。言いたいことがあるのに、見学者として記録に回れた。二人とも、ちゃんと訓練枠の仕事をした」

 

ナミは丁寧に言う。

 

「ありがとうございます」

 

マリも続ける。

 

「ありがとうございます」

 

「ナミは、危険の順番を見るのが本当に上手い。マリは、言葉になっていない情報を拾える。その目と耳は、絶対に必要になる」

 

ペルシアは少しだけ真面目な顔になった。

 

「でも、それを届ける形にする練習は続けるわよ」

 

ナミは頷く。

 

「はい」

 

マリも頷いた。

 

「承知しました」

 

ペルシアは満足そうに飲んだ。

 

「はい、一杯」

 

フレイは諦めたように水の到着を待った。

 

最後に、ペルシアはジェームズを見る。

 

ジェームズは既に嫌そうな顔をしていた。

 

「来るな」

 

「来るわよ」

 

「褒めるな」

 

「褒める」

 

「いらない」

 

「いる」

 

ペルシアはグラスを置き、まっすぐジェームズを見た。

 

「ジェームズ」

 

「何だ」

 

「今日、あなたがいなかったら右舷後方から行ってたかもしれない」

 

ジェームズは黙る。

 

「映像だけじゃ分からない。現場感覚だけでも分からない。整備ログと機体の癖を読めるあなたがいたから、救助艇側の危険が見えた」

 

「……誰でも分かる」

 

「分からない」

 

ペルシアは即答した。

 

「あなたが見たから、分かった」

 

ジェームズは目を逸らした。

 

ペルシアは笑う。

 

「だから褒めます」

 

「やめろ」

 

「無理」

 

そして、飲む。

 

「はい、一杯」

 

役員達が拍手のように笑った。

 

ジェームズは顔をしかめていたが、立ち上がらなかった。

 

それを見て、シャオメイが小さく言う。

 

「ジェームズさん、嬉しそうですね」

 

「どこがだ」

 

「逃げていないので」

 

「帰るぞ」

 

ペルシアが即座に言う。

 

「まだ駄目」

 

「なぜ」

 

「まだ二周目がある」

 

「褒めるのに二周目があるのか」

 

「ある」

 

フレイが深くため息を吐いた。

 

「統括官、水が来ました」

 

「ありがとう」

 

ペルシアは素直に水を飲んだ。

 

そして、すぐに酒へ戻ろうとする。

 

フレイが止める。

 

「統括官」

 

「水を飲んだから大丈夫」

 

「大丈夫の定義が広すぎます」

 

「今日は広くていい日」

 

役員達は楽しそうに見ている。

 

局長も、珍しく少しだけ口元を緩めていた。

 

ペルシアは、褒めては飲み、褒めては飲んだ。

 

フレイを褒めて飲む。

 

イーナを褒めて飲む。

 

リリアを褒めて飲む。

 

シャオメイを褒めて飲む。

 

ナミを褒めて飲む。

 

マリを褒めて飲む。

 

ジェームズを褒めて飲む。

 

フォックス達のことも忘れなかった。

 

「フォックスは距離維持が上手かった。ファルコは嫌な揺れを拾った。クリスタルは反射と未登録信号を分けた。スリッピーとナウスは補正が速かった。はい、全員分!」

 

「それはまとめて飲むのか」

 

役員が笑う。

 

「まとめたら失礼なので、分けます」

 

「まだ飲むのか」

 

「褒める人数が多いので」

 

フレイが額を押さえる。

 

「統括官、さすがにペースを落としてください」

 

「落としてる」

 

「落ちていません」

 

「気持ちは落としてる」

 

「実量が落ちていません」

 

「細かい」

 

「細かくありません」

 

それでも、ペルシアは楽しそうだった。

 

浴びるように飲んでいるのに、ただ酔って騒いでいるだけではない。

 

誰を褒める時も、その内容は的確だった。

 

どの場面で、誰が何をしたか。

 

どの指摘が必要だったか。

 

どの判断が次につながったか。

 

どこが課題で、どこが伸びたか。

 

全部覚えている。

 

酒を飲みながら、彼女は全員を見ていた。

 

その姿に、役員達も、フレイ達も、少しずつ理解していった。

 

ペルシアは、ただ人懐っこいのではない。

 

ただ酒が強いのでもない。

 

人を見ている。

 

声を聞いている。

 

成果を拾っている。

 

そして、それを本人に返している。

 

だから、人が集まる。

 

だから、厳しい言葉を言っても嫌われない。

 

だから、役員達にも気に入られる。

 

フレイは、グラスを片手にしながら、小さく息を吐いた。

 

「本当に、困った統括官です」

 

イーナが隣で微笑む。

 

「でも、嬉しいですね」

 

リリアも頷く。

 

「はい」

 

シャオメイは少し照れたように自分のグラスを見る。

 

ナミとマリは、互いに顔を見合わせた。

 

ナミが通常口調で言う。

 

「マリ、私達も褒められたね」

 

マリも通常口調で返す。

 

「うん。ちゃんと見てくれてた」

 

「うん」

 

ジェームズは黙っていた。

 

だが、さっきより少しだけ肩の力が抜けている。

 

ペルシアはそんな皆を見回し、またグラスを掲げた。

 

「今日は皆んな、よくやりました!」

 

役員達が笑いながら応じる。

 

「乾杯!」

 

「乾杯!」

 

「乾杯!」

 

フレイは、水の入ったグラスをペルシアの隣に置きながら、諦めたように言った。

 

「統括官、次は水です」

 

ペルシアは満面の笑みで答えた。

 

「はいはい。水も飲みます」

 

そして水を飲み、すぐにまた酒を手に取った。

 

フレイは深くため息を吐く。

 

局長は静かに笑う。

 

役員達は楽しそうに杯を重ねる。

 

ペルシアは褒めては呑み、褒めては呑む。

 

その夜、木星圏の宇宙管理局近くの店では、初回シミュレーションの反省会という名の、少し騒がしい慰労会が続いた。

 

そしてその中心には、やはりペルシアがいた。

 

統括官としてではなく。

 

役員達に可愛がられ、部下達を褒め、協力者まで巻き込みながら、浴びるように飲む一人の人間として。

 

それでも、誰も忘れていなかった。

 

今日、オペレーションルームを動かしたのは、この人だったのだと。

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