サヴァイヴ〜ドルトムント財閥〜   作:一塔

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買い物

 リュウジやエリン、ペルシアたちは「固定休暇」というものを持たない。週休二日は約束されているものの、フライトや訓練、待機の都合で休みの曜日は人それぞれ――同じ班にいても、同じ日に休めるとは限らない。

 

 だからこそ、たまに休みが重なると、それは少しだけ特別になる。

 

 その日、ペルシアとリュウジの休みが重なった。

 

 

 朝。まだ日が高くない時間帯。

 リュウジの部屋のインターホンが短く鳴った。

 

 リュウジは寝癖を手で押さえながらドアを開ける。するとそこに、いつも通りの調子でペルシアが立っていた。薄手のジャケットに、肩掛けの小さなバッグ。目がきらきらしている。

 

「おはよ、リュウジ」

 

「……早いな。何時だと思ってる」

 

「早いのがいいの。ほら、買い物行くよ!」

 

「ちょっと待て。顔洗ってくる」

 

「待たない」

 

「待て」

 

 リュウジが言い切ると、ペルシアは一瞬だけ口を尖らせてから、勝手に部屋へ入ってくる。靴を脱ぐのが妙に早い。

 

「待つならソファで待つ。冷蔵庫、勝手に開けていい?」

 

「だめ」

 

「けち!」

 

「水ならいい」

 

「水かぁ……」

 

 ペルシアはぶつぶつ言いながらも、結局水をコップに注いだ。氷まで入れている。勝手に。

 リュウジは洗面所へ行き、顔を洗いながら小さくため息を吐いた。

 

(休みが重なるとこうなる)

 

 悪い気はしない。

 ただ、朝のペルシアは嵐だ。

 

 

 準備を終え、二人は外へ出た。

 休日のコロニーの街は、平日とは違う匂いがする。少し緩んだ空気。屋台の甘い匂い。早朝ランナーの足音。ショーウィンドウの光が、どこか柔らかい。

 

 ペルシアは歩きながら、さっそく腕をぶんぶん振る。

 

「まずは服。次に生活用品。最後に、食べ物!」

 

「最後にって、順番決めてるのかよ」

 

「決めてるよ。だって今日は“満喫”する日だもん」

 

「満喫って……買い物だろ」

 

「買い物は満喫するもの!」

 

 言い切って、ペルシアは前を歩く。

 人混みの流れを読むのが上手い。客室を縦横無尽に動く時みたいに、自然に隙間を抜ける。

 

 リュウジはその背中を見ながら、ふと考える。

 操縦席では感じない“地上の速度”がある。

 焦る必要はないのに、ペルシアがいると、なぜか一日が速くなる気がする。

 

 しばらく歩いたところで、ペルシアが急に振り返った。

 

「ねえ」

 

「ん?」

 

 ペルシアはわざとらしく声を落とす。秘密の話をするみたいに。

 

「リュウジってさ、給料いくらもらってるの?」

 

 リュウジは足を止めた。

 そして、すぐ周りを見た。人通りは多いが、誰もこちらに注意を向けていない。噂が消えたわけじゃない。油断はしない。

 

「……なんで急にそれ聞く」

 

「気になるじゃん。S級だし。ドルトムントだし」

 

「気になるだけで聞くな」

 

「聞くよ。ねえ、いくら?」

 

 ペルシアはにやにやしている。

 それが“興味本位”なのか、“確認”なのか、判別がつきにくい。彼女はいつもそうだ。

 

 リュウジは少しだけ黙って、それからペルシアの耳元へ顔を寄せた。

 彼女が得意な“耳打ち”を、こちらがやり返す形になる。

 

「……これくらい」

 

 金額は言った。

 でも、それは言葉としてここには残らない。

 ただ、ペルシアの瞳の大きさが一瞬で変わったから、相当な数字だったのだろう。

 

「ええ!? そんなに貰ってるの!?」

 

 ペルシアが思わず声を上げる。

 リュウジはすぐにペルシアの額を軽く指で押して、距離を取らせた。

 

「声、でかい」

 

「だって! え、嘘でしょ!? なにそれ、どこの王族!?」

 

「王族じゃない」

 

「王族より貰ってるかもしれない!」

 

「知らねえよ」

 

 ペルシアはぶつぶつ言いながらも、すぐ別の角度から突っ込んでくる。

 

「でもさ、ドルトムントからだけでしょ?」

 

「いや」

 

 リュウジが短く返すと、ペルシアの顔が止まった。

 

「え、なに」

 

「宇宙連邦連盟からも入る」

 

 言った瞬間、ペルシアが完全に固まる。

 固まってから、じわじわと笑みを浮かべた。

 

「……二重取り?」

 

「違う。所属権が二つにあるから、その分の補償」

 

「なにそれ、合法的な二重取り」

 

「言い方」

 

 ペルシアは肩を揺らしながら笑い、次にすっと真顔に戻った。切り替えが速い。

 

「ドルトムントとは何年契約なの?」

 

「五年」

 

「五年……」

 

 ペルシアは指を折って数え、何かを計算するような顔をした。

 そして顔を上げる。目が悪い。

 

「なら、私に好きなもの奢ってよ」

 

 直球。

 躊躇なし。

 その潔さが、逆に清々しい。

 

 リュウジは少しだけ考えるふりをして、肩をすくめた。

 

「まぁ構わない」

 

「よっしゃあ!」

 

 ペルシアの足取りが一気に軽くなる。さっきまでより軽い。いや、跳ねている。

 

「満喫するぞー! リュウジの財布で!」

 

「言い方が最悪だぞ」

 

「えへへ。冗談冗談」

 

 冗談に聞こえない笑顔で言うから、たちが悪い。

 

 

 最初に入ったのは、ドルトムント財閥系列の大きなモールだった。

 入口のゲートで、セキュリティが一瞬だけリュウジの顔を見る。認証が通るのが早い。

 ペルシアがその様子を見て、わざとらしく口を尖らせる。

 

「うわ、VIP」

 

「やめろ」

 

「ねえ、今の見た? “通した”って感じ」

 

「感じじゃない」

 

「じゃあ“通された”?」

 

「言葉遊びするな」

 

 モールの中は広い。衣類、生活用品、家財、食料品――全部が一つの動線に収まっている。

 ペルシアは迷いなく衣類コーナーへ向かった。

 

「ほら、まず服!」

 

「本当に最初なんだな」

 

「当然。休みが重なった記念に、新しいの欲しい」

 

「記念が軽い」

 

「軽い方がいいの。重いと疲れるでしょ?」

 

 それを言うペルシアの目は、妙に鋭い。

 “重いと疲れる”のは、仕事で嫌というほど知っている目だ。

 

 ペルシアはハンガーラックから何枚も引っ張り出し、リュウジの前に並べた。

 

「どれが似合うと思う?」

 

「俺に聞くな」

 

「聞くよ。彼氏でしょ?」

 

「……その設定まだ続ける気か」

 

「続けるよ? 便利だもん」

 

 ペルシアはさらっと言う。

 便利――その一言で、この噂の扱い方を決めているのが分かる。

 

 リュウジは仕方なく、手に取ったジャケットを一枚ずつ見ていく。

 派手すぎない。仕事にも使える。

 ペルシアの趣味は意外と実用的だ。

 

「……これ」

 

「おっ、いいじゃん。じゃあそれと、これと、これも」

 

「増えた」

 

「満喫する日だもん」

 

 試着室でペルシアが着替えて出てくるたび、店員が露骨に笑顔になる。

 ペルシアはそれに気づいて、わざとリュウジの腕に絡む。

 

「ねえ、どう?」

 

「似合う」

 

「即答。よし、買う」

 

「結論早いな」

 

「迷う時間がもったいない」

 

 そのテンポに、リュウジは少しだけ笑ってしまう。

 客室で状況判断をする時の彼女は、いつもこうだ。迷わない。迷わせない。

 

 

 次は生活用品。

 ペルシアはカゴを持ち、リュウジの部屋に足りないものを勝手に選び始める。

 

「スポンジ、これ古いやつ使ってるでしょ。替え。

 洗剤、これ。タオル、これ。あと、シーツも替えよ」

 

「俺の部屋の事情、なんで知ってる」

 

「前に見た」

 

「勝手に見たな」

 

「勝手にじゃないよ、勝手に入っただけ」

 

「それを勝手って言うんだ」

 

 ペルシアは笑って流す。

 笑って流すくせに、カゴの中身は的確だ。

 “部屋を整える”ことを、当たり前のようにやる。

 

 その間、リュウジは周囲の視線を感じていた。

 すれ違う社員が、ちらりとこちらを見る。目が合うと慌てて逸らす。

 噂はまだ生きている。

 ただ、以前のような「寄ってくる」視線ではない。今は「見守る」――いや、「距離を取る」視線。

 

 ペルシアがその変化に気づかないわけがない。

 でも彼女は、気づいていないふりをする。

 あえて噂を“現実にしない”ために。

 

「ねえリゅウジ」

 

「ん?」

 

「今日はさ、変なこと言われても気にしなくていいから」

 

 突然、声の温度が変わる。

 軽いままなのに、芯がある。

 

「……別に気にしてない」

 

「ふーん」

 

 ペルシアは耳に指を当て、少しだけ笑う。

 

「ならいい。今の声、疲れてないから」

 

「本当に耳がいいな」

 

「でしょ?」

 

 その会話で、リュウジの胸の奥が少しだけ軽くなる。

 彼女が“面白がっているだけ”じゃないことを、こういう瞬間に思い出す。

 

 

 最後は食べ物。

 フードコートの香りが混ざり合うエリアで、ペルシアが急に立ち止まった。

 

「……あ」

 

「どうした」

 

「これ」

 

 ペルシアが指差したのは、期間限定のスイーツの看板だった。

 目が完全に子どもになる。

 

「食べる」

 

「買い物の予定に“食べ物”入ってたもんな」

 

「そう。計画通り」

 

 列に並び、受け取ったカップを持って席へ向かう。

 ペルシアは一口食べて、幸せそうに目を細めた。

 

「ん〜……これ、最高」

 

「良かったな」

 

「ねえ、これも奢り?」

 

「さっきから全部奢ってるだろ」

 

「やった。五年契約、最高」

 

「契約を俺の財布みたいに扱うな」

 

「扱うよ。だって“満喫する”って言ったもん」

 

 ペルシアは笑う。

 リュウジは苦笑する。

 そのやり取りが、妙に自然になってきていることに、リュウジ自身が少し驚いた。

 

 ふと、ペルシアがカップを置き、顔を近づけてくる。

 

「ねえ」

 

「また何だ」

 

「さっきの給料の話、エリンには言わない方がいいよ」

 

「言う気ない」

 

「よし」

 

 ペルシアは満足げに頷く。

 

「エリン、こういうの聞くと“計画表”作り始めるから」

 

「……分かる」

 

 リュウジが言うと、ペルシアが吹き出した。

 

「でしょ!? しかも本人、悪気ゼロなの」

 

「悪気ないのが一番強い」

 

「そうそう」

 

 笑いながら、ペルシアは残りを食べ切った。

 そして、カップを捨てに立ち上がる。

 

「じゃ、次!」

 

「次って、まだ何かあるのか」

 

「あるよ。奢りタイム、延長」

 

「無限かよ」

 

「五年契約だもん」

 

 ペルシアはまた足取りを軽くする。

 リュウジは荷物を持ち直し、ついていった。

 

 休みが重なる日なんて、そうそうない。

 だからこそ――この慌ただしさが、少しだけ心地いい。

 噂のせいで生まれた距離も、仕事のせいで生まれた緊張も、今日は一旦、モールの明るさの中に溶けていく。

 

 ペルシアが振り返り、悪い顔で言った。

 

「ねえリゅウジ、次は家具コーナー行こ。リュウジの部屋、まだ“生活感”足りない」

 

「余計なお世話だ」

 

「余計な世話が得意なの、私」

 

「知ってる」

 

 そう言いながら、リュウジは少しだけ笑った。

 彼女の“余計な世話”が、たまに命を守ることを、もう知っているから。

 

 ペルシアは「ふふん」と鼻を鳴らし、先に歩き出す。足取りは相変わらず軽い。まるで航路が見えているみたいに迷いがない。

 

「家具コーナー、こっち!」

 

「お前、どこまで把握してんだよ」

 

「モールの地図くらい頭に入ってるよ。仕事柄ね」

 

 “仕事柄”という言葉が、妙に説得力を持つ。

 客室の動線を読み、人の流れを整え、混乱の芽を先に潰す。そういう種類の才能が、買い物でも発揮されるのだから。

 

 エスカレーターで上階に上がると、空気が少し変わった。

 衣類フロアの香水と柔軟剤の匂いから、木材と樹脂と新品の布の匂いへ。

 ソファ、テーブル、照明、棚――生活を形作る物が、整然と並んでいる。

 

 ペルシアは「見て!」とでも言うように手を広げた。

 

「ここが“生活感”が生まれる場所」

 

「生活感って……俺、生活してるけど」

 

「してない。生存してるだけ」

 

「ひどいな」

 

「事実だよ。君の部屋、必要最低限すぎる」

 

 ペルシアはさらりと言う。

 さらりと言うくせに、リュウジの反論を待たずに棚の間へ入っていく。

 

「まずはラグ。床が寒い」

 

「寒いって……コロニーだぞ」

 

「コロニーでも寒い日くらいある。足元が冷えると、疲れが抜けにくい」

 

 言い切る声が、意外と真面目で、リュウジは少し黙った。

 疲れが抜けにくい。

 それを“感覚”で言っているのではなく、“人を見てきた経験”で言っている気がした。

 

 ペルシアはラグのサンプルにしゃがみ、手のひらで触り比べる。

 毛足の長さ、柔らかさ、滑りにくさ。

 その手つきが、点検みたいに正確だ。

 

「これ。踏んだ時に沈みすぎない。寝落ちしても首が死なない」

 

「寝落ち前提なのかよ」

 

「前提だよ。リュウジ、寝落ちするもん」

 

「するけど」

 

「でしょ」

 

 ペルシアは勝ち誇った顔で立ち上がり、値札を見る。

 そして、ちらりとリュウジを見る。

 

「……奢り?」

 

「言い方」

 

「確認」

 

「まぁ、いい」

 

「よっし」

 

 ペルシアは満足げに頷いて、店員を呼び止めた。

 

「これ、在庫ある? サイズは――」

 

 その瞬間、リュウジは“視線”を感じた。

 背中側から、明らかに“こちらを見ている”視線。

 買い物客の無関心な視線じゃない。会社の人間の、距離を測る視線。

 

 リュウジが自然にそちらを見やると、案の定、見覚えのある制服姿が二人。

 別部署の女性社員だ。

 一瞬だけ目が合って、二人は「っ」と固まった。

 

 そして――気まずそうに頭を下げて、すぐ横を向いた。

 

「……」

 

 ペルシアがその空気の変化に気づかないわけがない。

 彼女は店員と話しながらも、声色だけで“何が起きたか”を拾ってしまう。

 

「ねえリゅウジ」

 

 ペルシアは店員に向けた笑顔のまま、リュウジにだけ聞こえる声で言った。

 

「今の、会社の人?」

 

「たぶん」

 

「ふーん」

 

 短い返事。

 その“ふーん”が、余計なことをしない合図なのも、リュウジはもう分かっていた。

 

 ペルシアは店員への説明を終えると、何事もなかったようにリュウジの腕を取った。

 

「次、照明」

 

「……腕、離せ」

 

「離さない。こうしとくと面倒が起きない」

 

「面倒って」

 

「面倒は面倒。言葉通り」

 

 言い切る。

 それが“噂”の延長線上にある行為だと分かっていても、ペルシアは躊躇がない。

 ただし、嫌がらせのためではない。

 「現場を回す」ためだ。

 

 リュウジはため息を吐きかけて、やめた。

 やめた理由は、面倒だからではない。

 ペルシアがここで“守ってくれている”ことを、否定したくなかったから。

 

 

 照明コーナーには、様々な色温度の光が並んでいた。

 白い光、黄色い光、柔らかい光、鋭い光。

 ペルシアはその中で、少し温かい色のスタンドライトを指差した。

 

「これ、いい」

 

「理由は」

 

「疲れて帰ってきた時、白すぎる光だと脳が仕事モードのままになる」

 

「……詳しいな」

 

「客室でも同じ。明るさで気分が変わるの、みんな」

 

 ペルシアはライトのスイッチを入れて、顔の影を確かめるように手をかざした。

 その横顔が、一瞬だけ“副パーサー”の顔になる。

 

「ほら、影が柔らかい。顔がきつく見えない」

 

「俺の顔がきついみたいな言い方」

 

「きつく“見える”のは損だよ」

 

「……損か」

 

「損。だから、損しないようにしてあげる」

 

 ペルシアはあっけらかんと言う。

 だけど、その言葉は案外、優しい。

 

 スタンドライトと、ラグと、ついでにクッションが二つ。

 紙袋が増えていく。

 

「お前、俺の部屋を改造する気か」

 

「改造じゃない。改善」

 

「改善って言うと正当っぽいな」

 

「正当だよ。生活は大事」

 

 ペルシアが言い切った時、また遠くで視線が刺さった。

 今度は男性社員も混ざっている。

 “見てはいけないものを見た”みたいな顔で、すぐ逸らす。

 

 リュウジが気にしない顔を作ると、ペルシアが小さく笑った。

 

「リュウジ、そういうの慣れた?」

 

「慣れたくない」

 

「慣れないと、ここで生きていけないよ」

 

「……宇宙の方が単純だった」

 

「宇宙は単純。人間が複雑」

 

 ペルシアの言葉は軽いのに、妙に真理だった。

 宇宙船は、機械が相手だ。

 人間は、感情が相手だ。

 そして感情は、重力みたいに見えないのに引っ張ってくる。

 

 

 家具コーナーをひと通り見たところで、ペルシアが急に足を止めた。

 大きな鏡の前。

 鏡には、荷物を抱えたリュウジと、隣に立つペルシアが映っている。

 

「……ねえ」

 

「今度は何だ」

 

 ペルシアは鏡を見たまま、少しだけ声を落とした。

 

「こうやって並ぶとさ」

 

「うん」

 

「……ほんとに付き合ってるみたいに見えるね」

 

 リュウジは、返事を迷った。

 冗談にして流すのは簡単だ。

 でも、ペルシアの声が“冗談の温度”じゃない。

 

「噂のせいだろ」

 

 リュウジは結局、当たり前の答えを選んだ。

 

 ペルシアは「そっか」と笑った。

 笑ったけど、目が少しだけ遠い。

 

「噂って便利だけど、めんどくさいね」

 

「便利なのか」

 

「便利だよ。渋滞消えたし」

 

「その代わり、変な距離もできた」

 

「……できたね」

 

 ペルシアは小さく頷く。

 その頷きが、リュウジの胸に引っかかった。

 

「後悔してる?」

 リュウジが聞くと、ペルシアは即答しない。

 珍しい。

 いつもなら、すぐに茶化すのに。

 

 彼女は少し間を置いて、肩をすくめた。

 

「後悔っていうか……私は、“仕事が回る”のが好きなだけ」

 

「それだけか?」

 

「それだけ――じゃない、かも」

 

 ペルシアは言いかけて、また笑った。

 

「やだ、今の重い」

 

「ペルシアが重いって言うの珍しいな」

 

「だって重いの疲れるでしょ?」

 

 さっきの言葉と同じだ。

 疲れる。

 ペルシアは“疲れる”という言葉を、簡単に口にする。

 でも、それは弱さじゃない。観察の結果だ。

 

 リュウジは一息ついて、言った。

 

「……噂のこと、必要なら俺から否定する」

 

「だめ」

 

 ペルシアの返事は即答だった。

 

「だめって」

 

「今否定したら、余計に燃える。

 “否定した”っていう事実が燃料になる」

 

「……厄介だな」

 

「人間は厄介」

 

 ペルシアはさっきと同じ結論を、もう一度繰り返した。

 

 リュウジは鏡の中の自分を見た。

 荷物を抱えた男。

 横にいるのは、笑っているようで、少しだけ疲れた目をした少女。

 

「じゃあどうする」

 

「自然にする」

 

「自然って」

 

「いつも通り。私が余計なこと言って、リュウジがツッコんで、たまに奢ってくれて」

 

「最後が本音だろ」

 

「本音!」

 

 ペルシアはぱっと明るくなり、リュウジの腕をまた取った。

 

「ほら、次はリュウジのデスク用の椅子!

 部屋にも置けるやつにしよ!」

 

「部屋にデスク置くのかよ」

 

「置くよ。日誌とか書くでしょ」

 

「会社で書けばいい」

 

「会社で書けない日もあるでしょ。

 君、毎日出社するくせに、家でも何かしてるタイプ」

 

「……否定できない」

 

「でしょ?」

 

 ペルシアは勝ち誇った顔で、椅子コーナーへ向かう。

 

 

 椅子コーナーは、座り心地の戦場だった。

 ペルシアは片っ端から座る。

 回転、背もたれ、肘掛け、クッション性。

 そして、座った瞬間に結論を出す。

 

「これ、だめ。腰が死ぬ」

 

「まだ座って二秒だろ」

 

「二秒で分かる。私は“人の腰”を見てきた」

 

「そんな見方あるか」

 

「ある。長時間座る人は、肩が落ちる。

 肩が落ちると疲れる。疲れると判断が鈍る。

 判断が鈍ると――事故る」

 

 最後の一言は、軽くない。

 リュウジは自然と姿勢を正した。

 

「……事故る、か」

 

「事故る」

 

 ペルシアはうん、と頷いて、次の椅子へ座る。

 

「これ、いい。背中が“守られてる”感じ」

 

「守られてるって何だよ」

 

「守られてるは守られてる」

 

 ペルシアは立ち上がり、今度はリュウジの肩を押して座らせる。

 

「ほら、座ってみて」

 

「押すな」

 

「座る!」

 

 リュウジは半ば強制的に椅子へ座らされ、背中を預けた。

 確かに、悪くない。

 背中が自然に伸びる。

 余計な力が抜ける。

 

「……悪くないな」

 

「でしょ? リュウジ、こういうの選べないタイプだから」

 

「失礼だな」

 

「事実だよ。カタログ渡されても、たぶん“無難”選ぶでしょ」

 

 言い当てられて、リュウジは黙った。

 無難。

 安全。

 それは操縦でも同じだ。

 けれど、安全と快適は別で、快適は人を守る。

 

 ペルシアは店員を呼んで、支払いの段取りを確認し始めた。

 その背中を見ながら、リュウジはふと思った。

 

(こいつ、適当なようで、ちゃんと見てる)

 

 声色を拾う耳。

 空気を読む目。

 そして、守るための手段を選ぶ速さ。

 

 ――自分が操縦で守るのは、機体と航路と、宙にいる全員。

 ペルシアが守るのは、目の前の人と、現場の空気と、疲れ。

 

 守る範囲が違うだけで、根っこは似ているのかもしれない。

 

 

 支払いを終えて、荷物の配送手続きを済ませた頃には、もう午後になっていた。

 フードコートで軽く食べて帰るか、とリュウジが言う前に、ペルシアが端末を取り出した。

 

「……あ」

 

「どうした」

 

「エリンからメッセージ。

 『会議録、今日中』だって」

 

「当たり前だろ」

 

「うう……休みなのに」

 

「自業自得だ」

 

「ひどい。彼氏なのに」

 

「その設定やめろ」

 

「やめない」

 

 ペルシアは言い切ってから、少しだけ声を落とした。

 

「でもさ、今日は楽しかった」

 

 リュウジは一瞬、言葉を選び損ねた。

 素直に返すのが照れくさい。

 茶化すのも違う。

 

「……悪くなかった」

 

 結局、短く返した。

 それだけで、ペルシアの目が少しだけ柔らかくなる。

 

「よし。じゃあ最後に、これ」

 

 ペルシアが指差したのは、シンプルなマグカップの棚だった。

 白地に小さな線が一本入っているだけの、地味なカップ。

 

「これ、買って」

 

「最後って言ったよな」

 

「最後の最後」

 

「……はいはい」

 

 リュウジがカップを手に取ると、ペルシアが笑った。

 

「それ、リュウジが使うやつ」

 

「俺の?」

 

「うん。

 君、コーヒー飲む時、いつも同じ温度で飲みたい顔してる。

 これ厚いから冷めにくい」

 

 そんな顔をしていた覚えはない。

 けれど――自分が“操縦席”でコーヒーを飲む時のことを思い出すと、確かにそうかもしれないと思ってしまう。

 

「……よく見てるな」

 

「言ったでしょ。耳がいいし、目もいい」

 

 ペルシアは胸を張る。

 その自信が、今日は少しだけ頼もしい。

 

 

 モールを出て、夕方の街を歩く。

 配送があるから荷物は少ない。

 それでも、手に持つ袋が二つ。

 ペルシアはその一つをリュウジから奪い取った。

 

「持つよ」

 

「いいって」

 

「いいの。満喫した分、働く」

 

「言い方」

 

「今日は“彼女”だから」

 

「……」

 

 リュウジは反論する代わりに、少しだけ歩幅を合わせた。

 並ぶと、確かに噂みたいに見えるかもしれない。

 でも、噂は噂だ。

 

 ただ――今日の並び方は、噂のためじゃない。

 休みが重なったから。

 生活の道具を選んだから。

 そして、少しだけ、心が軽くなったから。

 

 ペルシアが横目でリュウジを見る。

 

「ねえリゅウジ」

 

「ん?」

 

「次の休み、いつ一緒になるかな」

 

「分からない」

 

「じゃあ、また重なったら、また満喫しよ」

 

「……考えとく」

 

「よし。約束!」

 

「約束してない」

 

「した。今の声、逃げてない」

 

 ペルシアは耳を触って笑う。

 リュウジは苦笑して、空を見上げた。

 

 コロニーの空は人工の青。

 でも、そこで過ごす一日が“本物じゃない”わけじゃない。

 

 帰り道の足音は、朝より少しだけゆっくりだった。

 

ーーーー

 

 次の日。

 

 宇宙事業部のフロアは、いつも通りの朝だった。

 端末が一斉に起動し、紙の束が机に置かれ、コーヒーの匂いがふわりと漂う。

 廊下の向こうからは、誰かの「おはようございます」が重なって聞こえてくる。

 

 その“重なり”の中心に、今日はやけに軽い足音が混じっていた。

 

「おはよう〜!」

 

 ペルシアが、まるで休日の延長みたいな声で出社してくる。

 肩にかけたバッグもいつもより軽そうで、歩幅も弾んでいる。

 髪も整っている。目が、やたらと明るい。

 

 周囲の社員たちが一斉に顔を上げ、笑いながら挨拶を返した。

 

「おはようございます」

 

「おはよう、ペルシア」

 

「今日、元気だね」

 

「元気どころか眩しいね」

 

 いつもなら軽口を叩く側のペルシアが、今日は“浴びる側”になっていた。

 本人もそれを楽しんでいるようで、ひらひらと手を振りながら席へ向かう。

 

 その途中で、エリンのデスク前を通りかかった。

 

 エリンは資料の束を揃えながら、視線だけでペルシアを捉え、微笑んだ。

 

「おはよう」

 

「おはよー」

 

 返事は軽い。

 軽すぎて、エリンはすぐに“何かあった”と察した。

 

「……ご機嫌だね、ペルシア」

 

 笑顔のまま言う。

 声の温度は柔らかいのに、言葉が鋭い。

 ペルシアは一瞬だけ肩を竦めた。

 

「まぁね」

 

 それだけ言って、自分のデスク――いや、今は“自分の席”に座る。

 前にあった「渋滞」の名残はもうない。机の周りはすっきりしている。

 その代わり、周囲の視線はちらちらと残っているが、ペルシアは気にする素振りを見せなかった。

 

 端末を起動し、足を組み、鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気で、ペルシアはふっと息を吐く。

 

(最高)

 

 そんな顔だった。

 

 

 少し遅れて、リュウジが出社してきた。

 いつもの整った足取り。余計な音を立てない。

 けれど今日は、どこか肩が軽く見えた。目元の強張りが少し薄い。

 

「おはようございます」

 

 リュウジが周囲に挨拶を向けると、返事はちゃんと返ってくる。

 以前のような“固まり”はない。

 だが、視線はある。噂の残り香だ。

 

 リュウジはそれに慣れた顔をしながら、エリンの方へ向いた。

 

「おはようございます、エリンさん」

 

「おはよう」

 

 エリンは微笑んで返し、資料を一枚机に置いた。

 そして、仕事の声と私的な声の中間くらいの柔らかさで言う。

 

「昨日の休みは、ちゃんと休めた?」

 

 リュウジは一瞬だけ考えるような間を置いて、頷いた。

 

「はい。休めました」

 

「良かった」

 

 エリンは素直に嬉しそうに微笑む。

 

「リュウジもペルシアも、ちゃんとリフレッシュできたみたいで」

 

 その言葉に、リュウジは自然に眉を上げた。

 

「……ペルシア?」

 

 エリンは視線をペルシアの方へ向け、口元を少しだけ上げた。

 

「ええ。ご機嫌で出社してきたわよ」

 

 その微笑みが、どこか“含み”を持っている。

 ペルシアの機嫌の良さを褒めているようで、観察結果を告げているだけのようでもある。

 

 リュウジは思わず苦笑した。

 

「まぁ……あれだけ買い物したら、気分も良くなりますね」

 

 言い終えた瞬間、空気が一拍止まった。

 

 エリンが首を傾げる。

 

「……買い物?」

 

 たった三文字の問いが、やけに静かに響いた。

 その静かさが、怖い。

 

 リュウジは“しまった”と思った。

 だが、口から出た言葉は戻らない。

 しかも、エリンは聞き逃すタイプではない。

 

 リュウジは一応、フォローのつもりで続けた。

 

「ええ。欲しい物を色々と買って、食べて、満足なんでしょう」

 

 その言葉が終わるより早く――

 

「ストップ!!」

 

 フロアに鋭い声が走った。

 ペルシアが椅子から身を乗り出して叫んでいる。

 だが、時すでに遅し。

 

 エリンはゆっくりと微笑んだ。

 微笑んでいるのに、笑顔とは思えない。

 頬の上がり方が綺麗すぎる。目が、笑っていない。

 

「……ペルシア」

 

 名前を呼ばれただけで、ペルシアの背筋がぴんと伸びた。

 客室で“お客様から呼ばれた”時の反射と同じだ。

 声のトーンで危険度が分かる。

 

「随分と買い込んだのね」

 

 エリンは柔らかく言った。

 柔らかいのに、断定だった。

 

 リュウジは反射で背筋を正した。

 なぜ自分が姿勢を正しているのか分からないのに、体が勝手にそうした。

 操縦室で異常を感じた時と似ている。

 危険は、気配で分かる。

 

 エリンの視線がペルシアに固定される。

 

「あなた、先月もブランド服を買って『お金ない』って言ってたけど」

 

 言葉の刃が、ゆっくり研がれていく。

 

「まさか……リュウジにたかったわけじゃないわよね?」

 

 フロアの空気が、さらに凍る。

 周りの社員は端末に視線を落とすが、耳は確実にこちらを向けている。

 そして、その“耳”を一番向けているのは当の本人――ペルシアだった。

 

 ペルシアは口をぱくぱくさせる。

 いつもなら即答で誤魔化すのに、今回は言葉が詰まった。

 

「た、たかったっていうか……」

 

 ペルシアは苦し紛れにリュウジの方を見る。

 だが、リュウジは“助け舟”を出す顔ではなかった。

 むしろ、目を逸らした。

 ここで下手に介入すると燃料になる。それを理解している目だ。

 

「……五年契約……」

 

 ペルシアがぽろっと言う。

 何の契約なのか分からない人には分からないが、エリンには十分だった。

 

「ペルシア」

 

 エリンはにこやかに言った。

 

「ちょっと」

 

 次の瞬間。

 

 エリンの手が、ぴたりとペルシアの手首を掴んだ。

 強引ではない。

 けれど、逃げられない強さ。

 

「え、エリン?」

 

「会議室、行こうか」

 

「会議室!? 今!?」

 

「今」

 

 断定。

 そして、優しい笑顔のまま。

 

 ペルシアは椅子から立ち上がりながら、最後の抵抗としてタツヤを見た。

 助けを求める目。

 

 タツヤは端末から顔を上げ、のらりと微笑む。

 

「……自業自得だね、ペルシア」

 

「タツヤぁ班長!」

 

「俺に叫んでも、会議録は減らないよ」

 

「今それ関係ない!」

 

「全部関係ある。仕事は全部繋がってる」

 

 タツヤが珍しく真面目なことを言う。

 それが余計に腹立たしいのか、ペルシアは口を尖らせた。

 

 そして、エリンに引かれるまま、会議室へ向かう。

 

 ドアが閉まる直前――ペルシアがフロアに向かって叫んだ。

 

「みんな、誤解しないで! 私はたかってない!」

 

 エリンが微笑んだまま返す。

 

「“誤解”なら、説明すればいいわよね」

 

「うっ……!」

 

 ドアが閉まる。

 

 かちり、と静かな音。

 

 

 会議室のドアが閉まった途端、フロアは一瞬だけ静まり返った。

 そして、何事もなかったかのように仕事の音が戻る。

 戻るが――空気の密度が少し変わったのを、リュウジは感じた。

 

 隣で、タツヤが小さく息を吐く。

 

「……おー」

 

 のらり声だが、同情が混ざっている。

 

 リュウジはこそっと聞いた。

 

「……エリンさん、怒ってますか」

 

「怒ってるね」

 

 タツヤが即答する。

 

「でも、怒り方が綺麗だね。あれは“教育”」

 

「……教育」

 

 リュウジは会議室のドアを見た。

 中から声は聞こえない。

 けれど、想像できてしまうのが怖い。

 

 そして、思った。

 エリンの怒りは、感情で叩く怒りじゃない。

 現場の秩序を守るための怒りだ。

 

 ――乗務員を守るための怒り。

 自分が客室で見た“覚悟”の延長。

 

 リュウジは小さく背筋を伸ばし直した。

 今度は反射ではなく、意識して。

 

 

 それから、きっかり一時間。

 

 会議室のドアが、静かに開いた。

 

 先に出てきたのはエリンだった。

 表情は落ち着いている。いつもの仕事の顔。

 何事もなかったように資料を抱えて歩く姿は、むしろ怖い。

 

 続いて、ペルシアが出てきた。

 

 髪は乱れていない。服も乱れていない。

 だが、魂が少しだけ削れている顔をしている。

 口がへの字で、目が半分死んでいた。

 

 フロアの誰もが視線を落としているふりをする。

 でも、耳は立っている。

 ペルシアはそれに気づいて、いら立つ力ももう残っていないのか、ただ机に向かった。

 

 自分の席に座り、端末を起動して、ぽつりと呟く。

 

「……洗いざらい話す羽目になった……」

 

 タツヤがのらりと声をかける。

 

「おかえり。生きてる?」

 

「生きてる……ギリ」

 

 ペルシアが答え、次にリュウジを見る。

 視線が恨めしい。

 

「リゅウジ」

 

「……何だ」

 

「黙っててって言ったのに」

 

「言ってない」

 

「言った。空気で」

 

「空気で言うな」

 

 リュウジが淡々と返すと、ペルシアは机に突っ伏した。

 

「……はぁ……」

 

 ため息が深い。

 その背中を見て、エリンが少しだけ柔らかい声で言った。

 

「ペルシア。次からは“奢り”の範囲は節度を持ってね。

 お金の問題じゃなくて、関係が歪む原因になるから」

 

 ペルシアは突っ伏したまま、片手だけ上げる。

 

「……はーい……」

 

 エリンは小さく微笑んでから、リュウジへ視線を向けた。

 今度は“恐ろしい笑み”ではない。

 普通の、少しだけ疲れた笑み。

 

「リュウジも」

 

「はい」

 

「余計なことは、ほどほどにね」

 

 リュウジは、背筋を正して頷いた。

 

「……気をつけます」

 

 周囲の空気が少しだけ緩む。

 そしてまた、仕事の朝が続いていく。

 

 ただ――その日以降、ペルシアが買い物の話をするときは、妙に小声になった。

 そしてエリンは、ペルシアとリュウジのカード明細を“たまたま”覗き込むようになったらしい。

 

 もちろん、ペルシアの抵抗は続く。

 隠れて買う。隠れて食べる。隠れて満喫する。

 でも――エリンの目と耳は、彼女の隠し事を長く許さない。

 

 リュウジはその光景を見て、苦笑するしかなかった。

 守る人と、守られる人と、突き抜ける人。

 この班は今日も、いつも通りに騒がしい。

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