北部セーシング領域へ到達してから、さらに三日。
調査船と二隻の護衛艦は、セーシング領域の北端へ向かっていた。
航路標識は一つずつ減り、通信中継器の間隔も広がっている。
周囲を航行する民間船は、すでに一隻も確認できない。
星図上には、まだ航路を示す青い線が残っていた。
しかし、その線は細く、所々で途切れている。
十年以上前に観測されたまま、更新されていない区間もあった。
調査船は、その古い航路情報を現在の観測結果で修正しながら進んでいた。
機体に異常はない。
護衛艦との通信も維持されている。
それでも、船内の雰囲気は変わらなかった。
必要な報告だけが交わされる。
食事の時間は分かれる。
勤務交代も規定どおりに行われる。
だが、誰も進んで他の者へ声をかけない。
調査隊は一つの船に乗っていながら、役割ごとに分断されていた。
リュウジとカイルの間も同じだった。
互いに命令系統は守っている。
しかし、相手の判断を信頼してはいない。
むしろ、日を追うごとに、相手の言葉の裏にある意図まで疑うようになっていた。
リュウジが安全余裕を取れば、カイルは判断が遅いと考える。
カイルが早めの進路変更を提案すれば、リュウジは事前条件を軽視していると考える。
表面上は冷静だった。
だが、その冷静さは、関係が改善した結果ではない。
互いに必要以上の言葉を交わさないことで、衝突を避けているだけだった。
◇
セーシング領域の北端まで、残り七時間。
主操縦席にはリュウジが座っていた。
第一副操縦士席にはカイル。
ノアは休息中。
ソフィアは後方の副操縦士席で、予備航路を更新している。
マーヤはシステム席。
オスカーは機関席。
ユアンは通信席。
セレナは操縦区画全体の状態を確認していた。
アデルとベンは観測区画にいる。
前方の星図には、セーシング領域の終端が表示されている。
その先は未探索領域。
連盟側に蓄積された記録は、急激に少なくなる。
リュウジは、主画面に表示された航路を見つめていた。
「前方重力偏差、〇・四です」
アデルが報告する。
「過去記録との差は?」
リュウジが聞く。
「〇・〇七高くなっていますが、許容範囲内です」
「変化率は?」
「安定しています」
「了解しました」
ベンが続ける。
「微細な粒子反応を確認しています」
リュウジの目がわずかに動く。
「規模は?」
「現時点では小規模です。過去に小惑星同士が衝突した際の残留物と思われます」
「航路へ影響しますか」
「今の密度であればありません」
カイルが口を開く。
「粉塵帯か」
ベンが答える。
「可能性はあります」
「過去記録には?」
アデルが答える。
「航路の右前方に小規模な粒子帯が記録されています。ただし、最終観測は十二年前です」
カイルは航路図を拡大する。
「予定航路とは離れている」
「現時点では、です」
アデルが付け加える。
「粒子帯は重力の影響で移動します。位置が変わっている可能性があります」
カイルが言う。
「今の観測では航路上にない」
「観測範囲の外側が見えていません」
「見えている範囲では問題ない」
リュウジは二人の会話を聞きながら、前方レーダーを確認した。
微細な反応。
一つ一つは、機体に影響を与えるほどではない。
だが、反応範囲が広い。
しかも、奥側の密度が分からない。
「速度を五パーセント落とします」
リュウジが言う。
カイルが横を見る。
「必要ない」
「観測範囲を広げます」
「セーシング領域内だ」
「北端です」
「未探索領域ではない」
「記録が古いことに変わりはありません」
カイルが低く息を吐く。
「また安全側か」
「はい」
リュウジは否定しなかった。
カイルの表情が硬くなる。
「遅れが積み重なっている」
「現在の到着予定との差は十二分です」
「この先も同じように落とせば増える」
「必要なら増やします」
「計画を守る気はあるのか」
「帰還できる範囲で守ります」
カイルは正面へ視線を戻した。
「それでは計画とは言わない」
リュウジの声も少し硬くなる。
「予定時刻を守るために、観測不足の場所へ入るつもりはありません」
「今は観測不足ではない」
「奥側が見えていません」
「全て見えるまで進まないのか」
「危険の規模を判断できるまでは速度を落とします」
二人の声が強くなる前に、セレナが言った。
「リュウジさん」
「はい」
「連続勤務時間が上限に近づいています」
「あと一時間で交代予定です」
「今、交代してください」
リュウジが振り返る。
「今ですか」
「はい」
「前方の粒子反応を確認してからでは駄目ですか」
「駄目です」
即答だった。
カイルが口を挟む。
「この程度で交代させるのか」
セレナはカイルを見る。
「この程度とは?」
「小規模な粒子反応だ」
「粒子反応の規模ではありません」
「なら何だ」
「リュウジさんの反応速度が、通常値より低下しています」
リュウジの表情が少し固くなる。
「操縦に影響する数値ではありません」
「影響が出てから交代するのでは遅いです」
「あと一時間です」
「一時間を短いと判断している時点で、交代が必要です」
リュウジは黙った。
自分では問題ないと思っている。
だが、それを自分だけで決めないと、何度も言われてきた。
エリン。
セレナ。
どちらも、同じことを言っている。
「分かりました」
リュウジは答えた。
カイルが少しだけ驚いたように横を見る。
「交代するのか」
「セレナさんの指示です」
「この状況で?」
「だからこそです」
「操縦責任者が、異常反応を残して休むのか」
リュウジがカイルを見る。
「引継ぎをします」
「俺が危険だと判断していないのに?」
「セレナさんが、俺の継続勤務を危険と判断しました」
「自分の状態も自分で決められないのか」
セレナの表情が厳しくなる。
「カイルさん」
リュウジが先に答える。
「決めません」
「何?」
「自分で決められると思って、無理をする可能性があるからです」
「責任者がそれを認めるのか」
「はい」
カイルは理解できないものを見るような目を向けた。
「俺なら残る」
「そうですか」
「それだけか」
「今は俺の休息について話しています」
「責任から逃げるのか」
リュウジの目が少し鋭くなる。
「休息も任務です」
「便利な言葉だな」
「カイルさん」
セレナが再び呼ぶ。
「これ以上、交代を遅らせる発言は止めてください」
「俺は確認しているだけだ」
「リュウジさんの心理負荷を上げています」
「俺のせいか」
「今の会話については、そうです」
カイルは不満そうに正面へ視線を戻した。
リュウジは引継ぎ画面を開く。
「カイルさんへ主操縦を引き継ぎます」
「了解」
「前方に微細粒子反応。現時点の観測では小規模ですが、奥側の密度は未確認です」
「確認している」
「現在速度は巡航予定値から五パーセント低下」
「戻す」
リュウジの手が止まる。
「観測範囲が確保できるまでは維持してください」
「異議を出す」
「理由は?」
「前方反応は予定航路から離れている。現在の減速に意味はない」
「奥側の密度が未確認です」
「同じ話だ」
「異議を却下します」
カイルの表情が硬くなる。
「交代後も命令を残すのか」
「操縦責任者は俺です」
「休む人間が?」
「はい」
「なら、異常が出れば起こす」
リュウジは少し間を置く。
「異常が出る前でも、粒子密度が上昇した時点で呼んでください」
「俺が必要だと判断すればな」
「判断基準を共有します」
リュウジは表示を切り替える。
「粒子密度が現在値の二倍。レーダー有効距離が三〇パーセント低下。護衛艦との通信に一秒以上の遅延。このいずれかで呼んでください」
カイルは答えない。
「カイルさん」
「聞いている」
「返事をしてください」
「了解」
短い返答。
納得していないことは明らかだった。
リュウジは席を立つ。
カイルが主操縦席へ移る。
「主操縦、カイルさんへ移管」
マーヤが確認する。
「操縦権限、正常に移行しました」
「第一副操縦、ソフィアへ交代します」
ノアは休息中。
ソフィアが前方席へ移動する。
「第一副操縦、引継ぎ完了しました」
リュウジはカイルを見る。
「お願いします」
カイルは正面を向いたまま答える。
「休め」
リュウジは何も言わなかった。
今度は反発せず、コックピットを出る。
セレナも後を追った。
◇
居住区画へ向かう通路。
リュウジは歩きながら、何度か後ろを振り返った。
コックピットの扉は、すでに閉じている。
「戻らないでください」
隣を歩くセレナが言う。
「戻るとは言っていません」
「顔に出ています」
「粒子反応が気になります」
「引継ぎました」
「カイルさんは、減速が必要ないと思っています」
「それも引継ぎ時に確認しました」
「速度を戻すかもしれません」
「命令に従うと返事をしました」
リュウジは黙った。
返事はした。
だが、カイルは自分を認めていない。
操縦技術への自信も強い。
リュウジが席を離れた後、自分の判断を優先する可能性はある。
その不安が消えない。
「信用できませんか」
セレナが聞いた。
「はい」
リュウジは隠さなかった。
「では、なぜ引き継いだのですか」
「セレナさんが交代を指示したからです」
「私の指示だけですか」
「俺の反応速度が落ちているなら、交代が必要です」
「カイルさんが信用できなくても?」
「それと俺の状態は別です」
セレナは小さく頷いた。
「正しい判断です」
「ですが、不安です」
「それも正しい反応です」
「両方、正しいんですか」
「はい」
「分かりづらいですね」
「人間の状態は、一つの答えにはなりません」
個室の前へ着く。
セレナが端末を確認する。
「二時間、休息してください」
「二時間後には戻ります」
「睡眠状態によります」
「起きていれば?」
「休息判定が十分でなければ、延長します」
「異常が発生した場合は?」
「呼びます」
「粒子密度の上昇でも?」
「操縦区画から報告があれば」
リュウジは扉の前で止まった。
「報告がなかった場合は?」
セレナの表情が少し曇る。
「それを考え始めると、休めません」
「ですが」
「リュウジさん」
セレナの声が少し強くなる。
「今、あなたがすべきことは、他の人が規則を破る可能性を考え続けることではありません」
「では?」
「自分が戻った時に判断できる状態を作ることです」
リュウジはしばらく黙った。
「分かりました」
「照明を落としてください」
「はい」
「端末も閉じてください」
「はい」
「休んでください」
「はい」
リュウジは個室へ入る。
扉が閉じる。
ベッドへ横になり、照明を落とす。
すぐには眠れなかった。
カイル。
前方の粒子反応。
観測できていない奥側。
不安が頭の中を回り続ける。
それでも、数日間の疲労は蓄積していた。
呼吸がゆっくりになる。
意識が薄れる。
リュウジは、胸元の帰還守へ一度だけ触れた。
そして、眠りに落ちた。
◇
コックピット。
リュウジが退出してから十五分。
カイルは主操縦席で、前方レーダーを見ていた。
速度は、リュウジが落としたまま。
予定巡航速度より五パーセント低い。
カイルの指が推進出力へ触れる。
ソフィアがその動きに気づく。
「速度を変更しますか」
「予定値へ戻す」
「リュウジさんの指示は、観測範囲が確保されるまで維持です」
「確保されている」
「奥側の密度は未確認です」
「反応は航路から右へ外れている」
「粒子帯が広がっている可能性があります」
「今のレーダーでは確認されていない」
ソフィアは少し間を置いた。
「異議を出します」
カイルの指が止まる。
「理由は?」
「リュウジさんの引継ぎ条件を変更する新しい情報がありません」
「操縦担当として、現状を再評価した」
「操縦責任者の命令は残っています」
「俺は操縦担当だ」
「操縦担当に速度変更の裁量があっても、明確な指示を覆す権限はありません」
カイルがソフィアを見る。
「お前も規則しか見ないのか」
「命令系統を見ています」
「今の状態で五パーセント落とす意味はない」
「意味がないと判断した根拠を記録してください」
カイルの表情が硬くなる。
「俺に記録を求めるのか」
「規定です」
マーヤがシステム席から言う。
「速度変更を行う場合、操縦責任者の既存命令との差分を記録します」
カイルは二人を見る。
「全員、リュウジの監視役か」
ユアンが通信席から答える。
「違う」
「なら何だ」
「また命令が割れるのを防いでいる」
「今、リュウジはいない」
「操縦責任者ではある」
カイルは苛立ったように正面へ戻る。
「速度は維持する」
ソフィアは小さく息を吐いた。
「了解しました」
一度は、命令が守られた。
だが、カイルの不満は残った。
自分が主操縦席に座っている。
目の前の状況も見ている。
それでも、眠っているリュウジの判断に縛られる。
第一副操縦士としてではなく、一人の操縦士として、それを受け入れられなかった。
◇
さらに二十分後。
アデルから報告が入った。
「粒子反応、増加しています」
カイルが聞く。
「現在値は?」
「引継ぎ時の一・五倍です」
「二倍には届いていない」
「ですが、増加速度が上がっています」
「航路との距離は?」
「右前方から接近しています」
ソフィアが言う。
「リュウジさんを起こした方がいいのではありませんか」
カイルは即座に答えた。
「まだ基準に届いていない」
「増加速度が変わっています」
「引継ぎ条件は二倍だ」
ソフィアが少し眉を寄せる。
「数字だけで判断するんですか」
カイルの目が動く。
それは、カイルが何度もリュウジへ向けた言葉だった。
「皮肉のつもりか」
「違います」
「なら余計なことを言うな」
「余計ではありません」
「今は俺が操縦している」
「操縦責任者はリュウジさんです」
カイルの声が低くなる。
「起こす必要はない」
アデルが続ける。
「粒子帯の全体像が見え始めました」
「規模は?」
「予測より大きいです」
「数値で言え」
「幅、およそ六万。上下方向は観測限界を超えています」
ソフィアの表情が変わる。
「回避できますか」
アデルは少し間を置く。
「左へ大きく迂回すれば可能です」
「迂回時間は?」
「現時点で十四時間程度」
カイルが眉を寄せる。
「十四時間?」
「粒子帯の移動方向を考えると、さらに増える可能性があります」
ベンが観測区画から言う。
「粉塵の中心密度は不明です。微小粒子だけではなく、内部に大きな破片が存在する可能性があります」
カイルはレーダーを拡大する。
画面には、細かな点が無数に表示され始めていた。
一つ一つは小さい。
だが、範囲が広い。
まるで、宇宙空間に薄い霧が広がっているようだった。
「予定航路を維持する」
ソフィアが振り向く。
「突破するつもりですか」
「船体装甲は、この程度の粒子衝突を想定している」
オスカーが機関席から言う。
「想定しているのは低密度だ」
「現時点では低密度だ」
「中心が見えていない」
「速度を落とせば衝突負荷は減る」
「入り込んでから中心密度が上がれば、減速しても抜けられない」
カイルはオスカーを見る。
「回避に十四時間だ」
「機体を壊すより短い」
「壊れると決まったわけではない」
マーヤが言う。
「外部センサーの一部は、粉塵による長時間の衝突を想定していません」
「予備がある」
「予備を未探索領域へ入る前に使うのですか」
「必要なら使う」
マーヤの声がわずかに硬くなる。
「リュウジさんを起こしてください」
カイルが正面へ向き直る。
「必要ない」
「操縦責任者へ報告すべき規模です」
「引継ぎ条件には届いていない」
「粒子密度だけを見ればです」
「条件は条件だ」
ソフィアが言う。
「異常の全体像が変わっています」
カイルの声が強くなる。
「余計なことをするな」
室内が静まり返る。
ソフィアはカイルを見る。
「余計なことではありません」
「俺が判断する」
「操縦担当としてですか」
「そうだ」
「責任者としてではありません」
カイルがソフィアを睨む。
「今、この席に座っているのは俺だ」
「だからこそ、責任者へ報告する必要があります」
「必要ないと言っている」
ユアンが通信席から振り返る。
「護衛艦にも粒子帯の情報を送る」
「許可する」
「許可ではなく報告だ」
以前決めた言い方。
だが、今の空気では、その確認すら対立になる。
ユアンは通信を開始した。
「こちら調査船。前方に広域粉塵帯を確認。密度上昇中。現在、予定航路を維持」
すぐにヴァルキュリアから応答が入る。
「こちらヴァルキュリア。粉塵反応を確認した。調査船、回避航路へ移行するのか」
カイルが答える。
「現航路を維持する」
ユアンがカイルを見る。
「そのまま送るのか」
「送れ」
ユアンは一瞬迷った。
「調査船よりヴァルキュリア。現航路を維持する」
アストライアのミレイユ少佐からも通信が入る。
「こちらアストライア。前方視界、急速に悪化している。先行偵察の継続は困難」
カイルは言う。
「アストライアは調査船右前方五百へ戻れ」
ミレイユ少佐が少し間を置いて答える。
「了解。編隊距離を縮める」
ソフィアが低い声で言う。
「本当に入るんですか」
「突破できる」
「根拠は?」
「船体装甲と現在の密度だ」
「中心密度は不明です」
「未知だから止まるのか」
「未知だから確認するんです」
「十四時間も迂回する必要はない」
カイルは推進出力を維持する。
粉塵反応が、前方画面全体へ広がっていく。
◇
最初の衝突音は小さかった。
船体外装を、細かな砂が叩くような音。
宇宙空間では、本来、音は伝わらない。
だが、船体へ衝突した振動が内部構造を通じ、低く乾いた音として伝わってくる。
一度。
二度。
やがて、それは途切れなくなった。
細かな振動が床へ伝わる。
外部カメラの映像に、白い筋が走り始める。
「外部粒子衝突、毎秒三百二十」
マーヤが報告する。
「センサー表面温度、上昇」
オスカーが続ける。
「前方装甲、損傷率〇・二。まだ問題ない」
カイルは操縦桿を握る。
「速度を七パーセント落とす」
ソフィアが言う。
「回避へ移るなら、今です」
「突破する」
「密度が上がっています」
「まだ許容範囲内だ」
アデルが叫ぶ。
「前方に高密度域!」
「距離は?」
「五千!」
「左右の幅は?」
「測定できません。レーダーが乱反射しています」
カイルの表情が変わる。
「上方向は?」
「同じです」
「下は?」
「反応が続いています」
ベンの声が入る。
「粉塵ではありません。内部に小型隕石群があります」
警告音が鳴る。
「右前方、衝突予測!」
ソフィアが叫ぶ。
カイルが操縦桿を左へ切る。
船体が大きく傾く。
直後。
激しい衝撃。
全員の身体が座席へ押しつけられる。
外部カメラの一つが消える。
「右舷外部センサー一基、喪失!」
マーヤが報告する。
オスカーが声を上げる。
「右舷装甲、損傷率三・八!」
「推進器は?」
カイルが聞く。
「正常だ。だが、これ以上は保証できない!」
カイルはレーダーを見る。
表示が乱れている。
細かな反応が多すぎる。
進行方向。
速度。
周囲の隕石。
それらが重なり、画面がほとんど白くなっていた。
「左へ二度!」
ソフィアが言う。
「左側に反応!」
「右はさらに密度が高い!」
カイルが操縦桿を左へ切る。
また衝撃。
今度は下方から突き上げられる。
船体が大きく揺れる。
警告音が複数重なった。
「補助推進器三番、出力低下!」
オスカーが叫ぶ。
「外部通信、雑音増加!」
ユアンが報告する。
「ヴァルキュリアとの通信遅延、一・四秒!」
リュウジを起こす基準を越えた。
ソフィアがカイルを見る。
「リュウジさんを起こします」
「待て」
「基準を越えています」
「今、呼んでも変わらない」
「操縦責任者です」
「俺が突破する」
カイルの声が強くなる。
「カイルさん」
「余計なことをするな!」
怒鳴り声がコックピットへ響いた。
誰も動けなくなる。
カイル自身も、自分の声の大きさに驚いたように一瞬止まった。
だが、すぐに正面へ戻る。
「前方に薄い場所がある」
アデルが答える。
「薄く見えるだけです。レーダーが遮られています」
「そこを抜ける」
「危険です」
「他に道はない」
ソフィアが言う。
「後退できます」
「今さら引き返せない」
「どうしてですか」
「ここまで入った」
「それは理由になりません」
「後方も密度が上がっている」
「入ってきた航路は記録されています」
「隕石が移動している」
「だから、リュウジさんを起こしてください」
カイルが操縦桿を強く握る。
「俺が抜ける」
その声には、すでに余裕がなかった。
◇
再び大きな衝撃。
照明が一瞬消える。
非常灯が点灯する。
マーヤが叫ぶ。
「主システム瞬間電圧低下!」
オスカーが続ける。
「左舷補助推進器二番、応答遅延!」
カイルは操縦桿を動かす。
船体が思うように反応しない。
「左へ行け!」
再入力。
反応が遅い。
外部レーダーには、無数の反応。
どこが前方なのか。
どこが薄いのか。
判断できない。
ソフィアが言う。
「速度を落としてください!」
「落とせば押し戻される!」
「何にですか」
「粉塵流だ!」
アデルが答える。
「流れではありません。複数方向から隕石が接近しています!」
「なら、速度が必要だ!」
「進行方向が見えていません!」
カイルの呼吸が荒くなる。
額に汗が浮かぶ。
セレナの席は空いている。
リュウジを休ませた後、乗員状態を確認するため一時的に医療区画へ移っていた。
今、この場でカイルの状態を止める者がいない。
ソフィアが生体表示を見る。
「カイルさん、心拍が上がっています」
「操縦に集中しろ」
「呼吸も乱れています」
「黙れ」
「一度、操縦を交代してください」
「誰に?」
「私が取ります」
カイルがソフィアを睨む。
「お前にこの船を抜けさせられるのか」
ソフィアの表情が固くなる。
「今のカイルさんよりは、冷静です」
「何だと」
その瞬間。
前方警告。
大きな隕石反応。
距離、八百。
カイルが正面へ向き直る。
「右へ!」
右側にも反応。
判断が遅れる。
「カイルさん!」
ソフィアが叫ぶ。
カイルは操縦桿を左へ切った。
船体が横滑りする。
隕石が外部装甲を擦る。
金属を引き裂くような振動。
警告表示が赤く染まる。
「左舷前部装甲、損傷率一二!」
オスカーが叫ぶ。
「このままでは抜けられない!」
カイルの口から、言葉が漏れた。
誰へ向けたものでもない。
自分自身が、初めて認めた言葉だった。
抜けられない。
その瞬間、コックピットの全員がカイルを見た。
カイル自身も、言ってしまったことに気づく。
「違う」
誰も何も言っていないのに、否定する。
「まだ抜けられる」
ソフィアが低い声で言う。
「リュウジさんを起こします」
カイルは答えなかった。
止める言葉が出なかった。
◇
その時、ユアンの通信席から警告音が鳴った。
「ヴァルキュリアから緊急通信!」
雑音の向こうから、エドガー大佐の声が届く。
「調査船、応答せよ。こちらヴァルキュリア。粉塵帯の突破は不可能と判断する。我々は後退する」
続いて、アストライアからも通信。
「こちらアストライア。前方航路を維持できない。右舷推進器に損傷。ヴァルキュリアと共に引き上げる」
ユアンがカイルを見る。
「護衛艦二機が後退する」
「調査船も引き上げるべきです」
ソフィアが言う。
オスカーも声を上げる。
「これ以上入れば、推進器が持たない!」
マーヤが続く。
「外部センサー損失率二八パーセント。航路演算精度も低下しています」
アデルが言う。
「前方の密度はさらに上がっています」
ベンも続ける。
「この粉塵帯は、記録されていたものと規模が違います。撤退を提案します」
複数の声。
全員が、同じ方向を向いた。
撤退。
初めて意見がそろった。
だが、カイルだけが動かなかった。
「今さら引き返せない」
声は低かった。
ソフィアが聞き返す。
「何を言っているんですか」
「後方にも隕石が流れている」
「入ってきた航路を使います」
「安全だという保証はない」
「前方より観測できています」
「戻れば、調査計画は遅れる」
オスカーが怒鳴る。
「船が壊れたら、計画どころじゃない!」
カイルの声も大きくなる。
「ここで戻れば、俺達は何のために来た!」
ユアンが言う。
「生きて戻るためだ!」
「調査のためだ!」
「護衛艦も引いている!」
「軍用艦が判断を誤っている可能性もある!」
マーヤが信じられないものを見るように言う。
「二隻ともですか」
「軍用艦は調査船より機動性が高い。小型隕石の影響も受けやすい」
「アストライアだけではありません。ヴァルキュリアも撤退を判断しています」
「だから何だ」
「護衛機能を失います」
「この帯を抜ければ合流できる」
「抜けられないと言ったのは、カイルさんです」
ソフィアの言葉で、カイルの顔が歪む。
「言っていない」
「言いました」
「一時的に航路が見えないという意味だ」
「違います」
「お前に俺の意図を決める権利はない!」
カイルの怒鳴り声が響く。
その直後。
コックピットの扉が開いた。
◇
「何があった」
リュウジの声だった。
全員が振り返る。
リュウジは操縦服の上着を着ながら、コックピットへ入ってきた。
髪はわずかに乱れている。
完全に目が覚めきっていないようにも見えた。
だが、視線だけはすでに状況を捉え始めていた。
その後ろにはセレナがいる。
船体の激しい揺れと警報で、二人とも異常を察知して戻ってきたのだった。
「リュウジさん」
ソフィアが呼ぶ。
「報告してください」
リュウジは歩きながら言った。
マーヤが最初に答える。
「広域粉塵帯へ進入しました。内部に小型隕石群。外部センサー損失率二八パーセント」
オスカーが続く。
「左舷前部装甲、損傷率一二。補助推進器三番、出力低下。二番も応答遅延」
ユアンが言う。
「ヴァルキュリアとアストライアは突破不能と判断。後退を開始しています」
アデルが答える。
「前方の粒子密度は上昇中。全体規模は測定不能です」
ベンが続ける。
「内部に複数の隕石群があります」
リュウジは主画面へ近づく。
レーダー表示を確認する。
前方。
左右。
上下。
全てに無数の反応。
通常のレーダーでは、近距離の反応が重なりすぎている。
「いつ進入しましたか」
ソフィアが答える。
「十二分前です」
「粒子密度上昇時に、なぜ呼ばなかったんですか」
誰もすぐには答えなかった。
リュウジの視線がカイルへ向く。
カイルは主操縦席で、操縦桿を握ったままだった。
「俺が必要ないと判断した」
リュウジの表情が消える。
「引継ぎ条件を越えています」
「越えた時には、すでに内部だった」
「その前に、全体規模が変わっています」
「突破できると判断した」
船体が再び大きく揺れる。
リュウジは近くの支柱へ手をつき、姿勢を保つ。
「現在の進路は?」
カイルが答える。
「前方の低密度域を探している」
「見つかっていませんね」
「レーダーが使えない」
「速度は?」
「巡航値から一二パーセント低下」
リュウジは表示を切り替える。
外部センサー。
粒子密度。
推進器出力。
装甲損傷。
護衛艦の位置。
後退する二隻の航跡。
短い時間で、次々に確認する。
「カイルさん」
「何だ」
「操縦を代わってください」
カイルの表情が硬くなる。
「まだ終わっていない」
「代わってください」
「俺が入った航路だ。俺が抜ける」
「抜けられないと言ったそうですね」
カイルがソフィアを見る。
「余計なことを」
リュウジの声が低くなる。
「カイルさん」
「一時的に航路を見失っただけだ」
「操縦を代わってください」
「命令か」
「はい」
「俺の判断を否定するのか」
「今は、その話をしている時間はありません」
「俺はまだ操縦できる」
セレナがカイルの生体表示を見る。
「カイルさん。心拍、呼吸、視線移動が基準を超えています」
「操縦には問題ない」
「問題があります」
「俺は——」
リュウジが強く言う。
「代われ」
それまでの丁寧な言い方ではなかった。
コックピットが静まり返る。
カイルも言葉を止めた。
リュウジの目には、怒りがあった。
だが、それ以上に、時間がないことへの焦りがあった。
「操縦を代われ」
もう一度。
短い命令。
カイルの手が操縦桿から離れない。
リュウジは主操縦席の横に立つ。
「このまま続ければ、全員死にます」
「俺の操縦が原因だと言うのか」
「今は原因を決めていません」
「なら」
「ですが、今のカイルさんには任せられません」
その言葉で、カイルの顔が固まった。
「俺を操縦士として否定するのか」
「現在の状態を否定しています」
「同じだ」
「違います」
「違わない」
ソフィアが声を上げる。
「カイルさん、代わってください!」
マーヤも続く。
「操縦権限を移行してください!」
オスカーが怒鳴る。
「早くしろ! 次に大きいのが来たら装甲が持たない!」
全員の視線がカイルへ集まる。
カイルは、味方がいないことに気づいた。
誰も自分を信じていない。
その事実が、表情に浮かぶ。
ゆっくりと、操縦桿から手を離した。
「主操縦を移管する」
声は掠れていた。
マーヤが即座に操作する。
「操縦権限、リュウジさんへ移行」
カイルが席を立つ。
リュウジが入れ替わるように座った。
「ソフィアさん、第一副操縦を継続してください」
「はい」
「カイルさんは後方席へ」
カイルは答えない。
セレナが言う。
「カイルさん、着席してください」
カイルは、主操縦席のすぐ後ろにある補助席へ座った。
目の前には、自分が座るはずだった中央席。
そこへリュウジが座っている。
それを見つめることしかできなかった。
◇
リュウジは操縦桿を握った。
レーダーはほとんど使えない。
通常の航路表示も乱れている。
外部カメラも三割近く失われていた。
前方には、粉塵と隕石。
後方にも、入ってきた航路を塞ぐように反応が動いている。
「アデルさん」
「はい」
「重力偏差ではなく、粒子の移動速度を見られますか」
「重力観測装置を転用すれば可能です」
「お願いします」
「粒子を重力反応として拾います」
「ベンさん」
「はい」
「隕石の材質差を見てください」
「材質?」
「密度が高い物と、粉塵だけの場所を分けたいです」
「分かりました」
「マーヤさん」
「はい」
「通常レーダーを近距離と中距離に分離。近距離は衝突回避だけ。中距離はアデルさんとベンさんの観測結果を重ねてください」
「処理負荷が上がります」
「不要な外部映像を切ってください」
「通信映像も?」
「音声だけ残してください」
「了解しました」
「ユアンさん」
「はい」
「ヴァルキュリアとアストライアへ、こちらは突破経路を探すと伝えてください」
ユアンの表情が変わる。
「後退ではなく?」
「後方にも高密度域が移動しています」
「護衛艦は戻れますか」
「戻らせません。二隻は先に安全圏へ」
「了解」
「現在位置と航跡データを共有してください」
「分かった」
「オスカーさん」
「何だ」
「補助推進器二番、三番を切れますか」
オスカーが驚く。
「切れば姿勢制御が落ちる」
「応答遅延がある推進器を残す方が危険です」
「右側だけで制御するのか」
「主推進器を短く使います」
「船体負荷が上がる」
「装甲はどこまで持ちますか」
「次に正面から大きいのを受ければ危ない」
「正面を向けません」
オスカーがリュウジを見る。
「横で受けるつもりか」
「面積は増えますが、前方装甲の損傷箇所を避けます」
「左舷も一二パーセント損傷している」
「右舷後方を使います」
「推進器があるぞ」
「当てません」
オスカーは一瞬黙った。
「本当にできるのか」
「やります」
「答えになっていない」
「今は、これしかありません」
オスカーは強く息を吐いた。
「補助二番、三番を切る」
「お願いします」
「セレナさん」
「はい」
「俺の状態を見てください」
セレナの目がわずかに変わる。
「分かりました」
「操縦継続が危険になったら、すぐに言ってください」
「従いますか」
「はい」
「記録しました」
リュウジは操縦桿をわずかに動かす。
船体の反応を確かめる。
重い。
左側の補助推進器が不安定。
右側は正常。
主推進器は使える。
だが、前方へ加速すれば、衝突速度が上がる。
止まりすぎれば、動く隕石群に囲まれる。
「ソフィアさん」
「はい」
「俺が右と言ったら、左側の反応を見てください」
ソフィアが一瞬戸惑う。
「逆側を?」
「進む方向ではなく、戻れなくなる方向を見てください」
「分かりました」
「俺が見ている場所と同じ場所を見ないでください」
「はい」
カイルが後ろから言う。
「それでは二人で同じ危険を確認できない」
リュウジは振り返らない。
「別の危険を見てもらいます」
「見落とす可能性がある」
「同じ場所を二人で見て、別の場所を見落とす方が危険です」
カイルは黙った。
リュウジは続ける。
「カイルさん」
「何だ」
「後方の隕石反応を見てください」
カイルの表情が変わる。
「俺に任せるのか」
「必要です」
「今の俺を操縦から外したのに?」
「操縦は任せません」
「なら」
「カイルさんは、この船の推進反応を一番知っています」
カイルはリュウジを見る。
「後方から接近する隕石の中で、現在の推進器応答では避けられないものを教えてください」
「俺の判断を使うのか」
「使います」
「さっきは任せられないと言った」
「操縦は任せられません。推進反応の判断は必要です」
カイルの顔に、怒りとも戸惑いともつかないものが浮かぶ。
「役割だけ使うのか」
「今は全員の役割を使います」
「またそれか」
「嫌なら、後で話します」
リュウジの声が強くなる。
「今は見てください」
カイルは何も言わなかった。
だが、後方レーダーへ視線を移した。
「後方右。中型反応が接近している」
「回避可能ですか」
「今の推進応答なら、左下へ二度」
リュウジは即座に入力する。
船体が傾く。
直後、大きな隕石が右上を通過した。
外部センサーに、巨大な影が一瞬映る。
「通過しました!」
ソフィアが言う。
カイルの手がわずかに震えた。
自分の判断が使われた。
だが、それで認められたわけではない。
リュウジは必要だから使っただけ。
それが、カイルには分かっていた。
◇
アデルが報告する。
「粒子移動解析、出ます」
主画面に、新しい表示が重なる。
粉塵帯全体が、一方向へ流れているわけではない。
複数の小惑星片が衝突し、その周囲に粉塵が広がっている。
中心となる隕石群が、ゆっくりと回転しながら移動していた。
「右上方向に空白があります」
アデルが言う。
ベンが続く。
「ただし、空白の周囲に高密度鉱物反応があります」
「隕石の間ですか」
「はい。幅は狭いです」
ソフィアが航路を計算する。
「現在の船体幅では、余裕が左右一八メートルしかありません」
オスカーが声を上げる。
「無理だ」
リュウジは表示を見た。
「船体を傾ければ?」
マーヤが計算する。
「三二度傾斜で、左右余裕四十六メートル」
「上下は?」
「二十一メートル」
「通れます」
オスカーが反論する。
「姿勢を戻す時に、補助推進器が足りない」
「主推進器を一度だけ使います」
「方向を間違えれば、隕石へ正面から入る」
「間違えません」
カイルが後ろから言う。
「言い切るな」
リュウジの手が止まる。
「何ですか」
「絶対に間違えないとは言うな」
カイルの声は、先ほどまでとは違った。
怒りではない。
自分自身が間違えた直後だからこそ出た言葉だった。
「今のレーダーは不完全だ。推進器も正常ではない」
「分かっています」
「なら、間違えないと言うな」
リュウジは少し黙った。
エリンの言葉を思い出す。
絶対とは言わなくていい。
絶対と言えば、無理をする。
「訂正します」
リュウジは言った。
「間違える可能性はあります」
全員が聞いている。
「ですが、この航路を使います」
カイルの目が少し動く。
「理由は?」
「後退航路より観測範囲が広く、現在位置から最も短く高密度域を抜けられます」
「失敗すれば?」
「左舷側の隕石へ接触します」
「損傷率は一二パーセントだ」
「だから右舷後方を外側へ向けます」
「右舷推進器を失う」
「接触すればです」
「危険だ」
「はい」
リュウジは認めた。
「ですが、他の航路より帰還可能性が高いです」
カイルはそれ以上言わなかった。
異議は出さない。
今は、自分よりリュウジの方が状況を見ている。
それを認めたわけではない。
ただ、否定する根拠がなかった。
「ヴァルキュリアから通信!」
ユアンが言う。
「調査船、後退できるかと確認が来ています」
リュウジは答える。
「後退航路は閉じつつあります。こちらは前方の空白域を突破します」
ユアンが一瞬、リュウジを見る。
「本当に送るぞ」
「お願いします」
「了解」
ユアンが通信する。
「ヴァルキュリア、こちら調査船。後退航路は閉鎖傾向。前方空白域を突破する」
エドガー大佐から応答。
「調査船、単独突破は認められない。我々が戻る」
リュウジが即座に言う。
「戻らないでください」
「護衛任務を放棄できない」
「戻ればヴァルキュリアも閉じ込められます」
「調査船を置いていくことはできない」
「こちらは突破できます」
カイルがわずかに顔を上げる。
リュウジは続ける。
「二隻は安全圏へ退避し、こちらの進行方向で待機してください」
エドガー大佐が言う。
「成功率を示せ」
マーヤが計算する。
「現時点で六二パーセント」
コックピットの空気が固まる。
決して高くない。
リュウジは少し間を置く。
「六二パーセントです」
エドガー大佐が低く言う。
「低すぎる」
「戻る場合は三一パーセントです」
アデルが補足する。
「後方の密度上昇が続いています」
ベンも続ける。
「前方空白域は、今後六分程度で閉じる可能性があります」
エドガー大佐は数秒黙った。
通信遅延がある。
その沈黙が長く感じられる。
「了解した」
やがて応答が入る。
「ヴァルキュリアとアストライアは、安全圏へ後退する。調査船の突破予定地点へ回る」
「お願いします」
「必ず抜けろ」
リュウジは一瞬だけ胸元へ触れた。
「了解しました」
◇
「空白域閉鎖まで五分二十秒」
ベンが報告する。
リュウジは全体へ指示を出す。
「船体傾斜、三二度」
ソフィアが答える。
「三二度入力」
「右舷補助推進器、一番と四番だけ使用」
オスカーが言う。
「一番、四番、待機」
「マーヤさん」
「はい」
「自動姿勢補正を切ってください」
「全てですか」
「はい」
「手動だけになります」
「自動補正が隕石を避ける入力と競合します」
「了解。自動姿勢補正、解除」
警告表示。
通常なら切らない機能。
船体を安定させるためのシステムを、あえて停止する。
リュウジは操縦桿から伝わる、わずかな振動を感じ取る。
旅客船とは違う。
重い。
反応も遅い。
だが、機体がどちらへ流されているのかは分かる。
「右下、小型反応三!」
ソフィアが言う。
リュウジが左上へ修正。
細かな衝撃。
「後方左、中型接近!」
カイルが報告する。
「回避方向は?」
「右へ〇・八。主推進一秒」
リュウジは入力する。
主推進器が短く噴射。
船体がわずかに前へ押し出され、隕石が後方を通過する。
「通過!」
カイルが言う。
「前方空白域まで二千!」
アデルが報告する。
「周辺密度上昇!」
粉塵が外部装甲を叩く。
船体全体へ、激しい振動が広がる。
外部映像はほとんど白い。
レーダー反応だけが頼りだった。
「左上、大型反応!」
ソフィアが叫ぶ。
「右下へ!」
リュウジが操縦桿を切る。
船体が大きく傾く。
身体がシートへ押しつけられる。
大型隕石が左上を通過。
その周囲の粉塵が装甲を叩く。
「装甲損傷率一五!」
オスカーが叫ぶ。
「まだ持ちますか」
「一度なら!」
「空白域まで千二百!」
「上下余裕、十八メートル!」
マーヤが言う。
「予定より狭いです!」
「船体傾斜を三六度へ」
ソフィアが驚く。
「上下余裕が減ります!」
「左側の隕石が動いています」
アデルが答える。
「リュウジさんの判断で合っています。左右がさらに狭くなります!」
「三六度!」
リュウジが強く言う。
ソフィアが入力する。
「三六度!」
船体がさらに傾く。
重力制御が身体の向きを補正しようとする。
だが、姿勢変化が速すぎて追いつかない。
全員の身体が横へ引かれる。
セレナが叫ぶ。
「全員、身体を固定してください!」
「前方、五百!」
ベンが言う。
「空白域閉鎖まで一分!」
「主推進、出力三十パーセント準備」
オスカーが驚く。
「三十は高すぎる!」
「一秒だけです」
「前方衝突速度が上がる!」
「抜けた直後に減速します」
「外したら終わりだぞ!」
「分かっています」
カイルが後方レーダーを見る。
「後ろから大型反応!」
「距離は?」
「七百!」
「回避方向は?」
カイルが計算する。
「回避できない」
「では、前へ出ます」
リュウジが言う。
「主推進、三十パーセント。一秒」
オスカーが歯を食いしばる。
「主推進、三十!」
船体が前方へ押し出される。
轟音に近い振動。
外部粉塵が一気に流れる。
左右の隕石が、船体のすぐ近くを通過する。
警告音。
接触予測。
ソフィアが叫ぶ。
「右舷後方、接触します!」
リュウジが右舷補助推進器を短く噴射。
船体が僅かに横へ滑る。
巨大な影が、右舷後方すれすれを通過した。
外装の一部を粉塵が削る。
だが、直接衝突はしなかった。
「空白域へ進入!」
アデルが叫ぶ。
「まだ抜けていません!」
「前方に小型反応五!」
ソフィアが言う。
「右、左、右下!」
リュウジが一つずつ避ける。
大きく動かさない。
僅かな姿勢変更。
機体の慣性を使い、隕石の間を滑らせる。
調査船の巨大な船体が、まるで小型機のように動く。
だが、その動きは激しくない。
必要な分だけ。
一度の入力で、次の回避位置までつなげる。
カイルは後方席から、その操縦を見ていた。
自分とは違う。
自分は一つずつ隕石を避けようとした。
リュウジは、隕石群全体の動きの中へ船を置いている。
どの隕石を避けるかではなく、どの隕石の流れに乗るかを見ていた。
それでも、カイルの中に素直な賞賛は生まれなかった。
驚き。
悔しさ。
自分にはできなかったという事実。
そして、自分が作った状況を、リュウジが処理していることへの屈辱。
それらが混ざっていた。
「前方密度、低下!」
ベンが叫ぶ。
「外部レーダー、有効距離が戻ります!」
マーヤが報告する。
「千、二千、三千!」
リュウジは操縦桿を戻す。
「船体姿勢を水平へ」
ソフィアが入力する。
「水平へ移行」
「主推進、停止」
オスカーが答える。
「主推進停止!」
船体が粉塵帯の外へ飛び出す。
外部映像が戻る。
前方には、暗い宇宙。
無数の星。
後方には、灰色の雲のように広がる粉塵帯。
調査船は大きく揺れながらも、まだ航行していた。
誰もすぐには声を出さなかった。
激しい警告音だけが残る。
リュウジは呼吸を整える。
「全系統、報告してください」
マーヤが答える。
「主システム正常。外部センサー損失率三四パーセント」
オスカーが続く。
「主推進器正常。補助推進器二番、三番は停止。左舷前部装甲、損傷率一八。右舷後部、九」
ユアンが言う。
「ヴァルキュリア、アストライアとの通信回復」
セレナが全員の状態を見る。
「重大な負傷者なし。カイルさんは継続操縦不可。リュウジさんは現時点で継続可能ですが、高負荷状態です」
アデルが報告する。
「粉塵帯を突破しました」
ベンも続く。
「前方に同規模の反応はありません」
ソフィアが息を吐く。
「抜けました」
その言葉で、ようやく実感が広がった。
生きている。
船も残っている。
粉塵帯を抜けた。
だが、歓声は上がらなかった。
誰もカイルを見ようとしない。
誰もリュウジへ祝いの言葉をかけない。
危機は終わっていなかった。
◇
ヴァルキュリアから通信が入る。
「調査船、こちらヴァルキュリア。映像を確認した。損傷状況を報告せよ」
ユアンが報告内容を送る。
エドガー大佐の声が低くなる。
「調査船は現在位置を維持せよ。こちらから合流する」
リュウジが答える。
「了解しました」
続いて、アストライアからミレイユ少佐。
「こちらアストライア。右舷推進器の出力は八〇パーセントまで回復。自力航行可能」
「了解しました」
「調査船」
「はい」
「今の粉塵帯へ進入した理由を確認したい」
コックピットの空気が再び固まる。
リュウジはカイルを見る。
カイルは後方席に座ったまま、正面を見ていた。
「現在、確認中です」
リュウジは答えた。
「操縦担当者の判断か」
「はい」
「事前の撤退提案は?」
ユアンが記録を見る。
「複数回ありました」
ミレイユ少佐の声が低くなる。
「了解した。後ほど正式な報告を求める」
通信が切れる。
カイルは何も言わなかった。
◇
損傷確認が進む。
オスカーとマーヤの報告では、調査船は航行可能。
主推進器に問題はない。
生命維持も正常。
外部センサーは一部失われたが、予備へ切り替えれば調査を続けることはできる。
ただし、装甲損傷と補助推進器二基の停止は無視できない。
修理には、少なくとも十二時間。
完全な復旧には、ヴァルキュリアの外部整備設備が必要だった。
全員がコックピットに残ったまま、今後の方針を協議する。
最初にソフィアが言った。
「撤退すべきです」
迷いのない声だった。
カイルの顔が僅かに動く。
「理由は?」
リュウジが聞く。
「調査開始前に、装甲と補助推進器を損傷しました」
「修理は可能です」
「機体だけの問題ではありません」
ソフィアはカイルを見る。
「操縦担当者が、操縦責任者への報告条件を無視しました」
室内の空気が硬くなる。
「撤退提案も却下した」
「異常が拡大した後も、操縦交代を拒みました」
カイルが言う。
「最終的には交代した」
ソフィアの声が強くなる。
「全員が求めた後です」
「交代した事実は同じだ」
「違います」
「何が違う」
「自分で継続不能と判断して交代したのではありません」
カイルの目が鋭くなる。
「俺を責めたいだけか」
「同じことが未探索領域で起きれば、次は助からないと言っています」
ユアンも口を開く。
「俺も撤退に賛成する」
カイルがユアンを見る。
「お前もか」
「護衛艦二隻が撤退を決めた後も、前へ進もうとした」
「後方も危険だった」
「その前から撤退提案は出ていた」
「結果論だ」
「違う」
ユアンは低い声で言う。
「俺は通信士だ。命令を伝える。だが、今日の命令は送るのが怖かった」
カイルが黙る。
「現航路維持。突破継続。護衛艦へ伝えるたび、本当に送っていいのか分からなかった」
「操縦担当の判断だ」
「その判断を信用できなかった」
はっきりした言葉だった。
マーヤも続く。
「私も撤退を提案します」
リュウジが見る。
「理由をお願いします」
「外部システムの損傷だけではありません」
「はい」
「指揮系統が機能しませんでした」
マーヤはカイルを見る。
「粒子帯の規模が変わった時点で、操縦責任者へ報告すべきでした」
「基準には届いていなかった」
「数値基準の一つだけです」
「リュウジも条件を決めた」
「全体像が変わった場合まで、報告不要とは言っていません」
「それは今だから言える」
マーヤの声が冷たくなる。
「私は、呼ぶべきだと言いました」
カイルは返せなかった。
オスカーが腕を組む。
「俺も撤退だ」
「修理できると言っただろ」
カイルが言う。
「直せる」
「なら」
「だが、直した船を今の隊で飛ばしたくない」
カイルの表情が固まる。
オスカーは続ける。
「機械は直せる。だが、誰かが報告を止める状態は、俺には直せない」
アデルも言う。
「撤退に賛成します」
ベンがアデルを見る。
「調査データは?」
「粉塵帯の観測だけでも重要です」
「本来の調査へ入っていません」
「だからといって、この状態で継続できません」
ベンは少し黙った。
「私は……」
全員がベンを見る。
「機体の修理が完了し、指揮系統を再確認できるなら、継続を検討してもいいと思います」
ソフィアが聞く。
「カイルさんを残したままですか」
ベンは答えられなかった。
「操縦編成を変更するなら」
カイルが顔を上げる。
「俺を外せと言うのか」
「今のまま継続するとは言えません」
「リュウジが突破したからか」
「違います」
「同じだ」
カイルは周囲を見る。
「全員、あいつが助けたと思っている」
誰も答えなかった。
「俺が失敗し、リュウジが救った」
「事実の一部です」
ソフィアが言う。
カイルの表情が歪む。
「一部?」
「粉塵帯へ入った判断は、カイルさんです」
「突破できる可能性はあった」
「実際には抜けられなくなった」
「リュウジも危険な航路を選んだ」
「後退より成功率が高かったからです」
「六二パーセントだ」
「三一パーセントより高いです」
「同じ危険な判断だ」
リュウジが初めて口を開く。
「同じではありません」
カイルが見る。
「何が違う」
「俺は、全員へ危険性を説明しました」
カイルの顔が硬くなる。
「成功率も、失敗した場合の損傷も伝えました」
「それが何だ」
「皆の報告を使いました」
「俺も使った」
「使っていません」
リュウジの声は静かだった。
「アデルさんの規模拡大報告を軽視した」
「完全な観測ではなかった」
「マーヤさんのシステム損傷予測も聞かなかった」
「予備があった」
「オスカーさんの撤退提案も却下した」
「機体は持った」
「ソフィアさんが俺を起こすと言ったのを止めた」
「まだ必要ないと判断した」
「護衛艦二隻が撤退すると言った後も、前へ進もうとした」
カイルの声が強くなる。
「今さら引き返せなかった!」
「なぜですか」
「ここまで入ったからだ!」
「それが理由ですか」
カイルは言葉を止めた。
リュウジは続ける。
「ここまで入ったから。今戻れば計画が遅れるから。自分が突破すると決めたから」
「何が言いたい」
「船を帰すための理由ではありません」
カイルが立ち上がる。
「俺が自分の失敗を認めたくなかったと言いたいのか」
リュウジは黙った。
その沈黙が答えになった。
カイルの手が強く握られる。
「言え」
「はい」
リュウジは答えた。
「カイルさんは、引き返す判断をすれば、自分が間違っていたと認めることになると思ったんじゃないですか」
「お前に何が分かる」
「分かりません」
「なら決めつけるな」
「だから聞いています」
「聞いていない。お前は答えを決めている」
「では、違う理由を教えてください」
カイルは何も言えなかった。
怒りだけが表情に残る。
◇
ノアは、これまで黙っていた。
休息から起こされ、粉塵帯突破の後に状況を聞いた。
自分がその場にいなかったことへの後悔。
もし自分が第一副操縦士だったら、カイルを止められたのか。
ソフィアと同じように、リュウジを起こすと強く言えたのか。
答えは出なかった。
「俺は撤退に賛成します」
ノアが言った。
カイルが振り返る。
「お前まで」
「はい」
「俺の操縦を信用すると言っただろ」
「技術は信用しています」
「なら」
「判断は信用できません」
カイルの顔から表情が消える。
ノアの声は震えていた。
それでも、続ける。
「以前、カイルさんに、どちらが正しいか答えろと言われました」
「覚えている」
「今日は答えます」
ノアは一度、息を吸った。
「カイルさんの判断は間違っていました」
コックピットが静まり返る。
カイルはノアを見たまま動かない。
「結果を見て言うのか」
「違います」
「なら何だ」
「途中で何度も止まる機会がありました」
ノアは一つずつ言う。
「粒子密度が上がった時。規模が予測より大きいと分かった時。小型隕石群があると判明した時。最初の外部センサーを失った時。護衛艦が撤退を判断した時」
カイルの呼吸が僅かに乱れる。
「それでも、カイルさんは前へ進んだ」
「後方も危険だった」
「最初から後方が危険だったわけではありません」
「お前はその場にいなかった」
「記録を見ました」
「記録だけで操縦を語るな」
「では、記録に残っていない理由があるんですか」
カイルは答えられない。
ノアは視線を落とした。
「俺は、カイルさんが責任者になると思っていました」
その声は、先ほどより小さかった。
「この船のことを一番知っている。経験もある。俺よりも、ソフィアよりも、ずっと多くの危険航路を飛んでいる」
カイルは黙って聞いている。
「だから、リュウジさんが来た時、俺も納得できない部分がありました」
リュウジの目が少し動く。
ノアは続ける。
「ですが、今日の判断を見て、カイルさんを操縦責任者にはできないと思いました」
「ノア」
「すみません」
「謝るな」
「でも、言わなければいけません」
ノアは顔を上げる。
「今のカイルさんは、自分が正しいと証明するために船を使っています」
カイルが一歩動く。
「言葉を選べ」
ノアは引かなかった。
「選びました」
ソフィアが、ノアの隣へ立つ。
カイルは二人を見る。
以前は、自分の後ろにいると思っていた副操縦士達。
今は、はっきりと距離を取っている。
カイルの中で、何かが切れたように見えた。
「好きにしろ」
カイルは低く言った。
「全員で俺を外せばいい」
「カイルさん」
セレナが呼ぶ。
「触るな」
「状態を確認します」
「必要ない」
「必要です」
「俺は操縦していない」
「だから問題がないとは限りません」
「放っておけ!」
カイルの声が響く。
セレナはそれ以上近づかなかった。
だが、記録を止めなかった。
◇
意見は、ほぼ撤退へ傾いていた。
ソフィア。
ユアン。
マーヤ。
オスカー。
アデル。
ノア。
六人が撤退を支持。
ベンは、条件付きで継続可能とした。
セレナは、操縦区画の心理状態を理由に撤退を提案した。
残るのは、リュウジとカイル。
カイルは明確に継続を主張した。
リュウジは、まだ結論を出していなかった。
ソフィアが聞く。
「リュウジさんは、どう考えていますか」
全員がリュウジを見る。
リュウジは損傷状況を確認していた。
主推進器は正常。
補助推進器は二基停止。
外部センサーは予備への切替が可能。
装甲損傷は修理可能。
生命維持に異常なし。
護衛艦二隻も自力航行可能。
機体だけを見れば、調査継続は不可能ではない。
だが、隊内の状態は悪い。
操縦担当が報告条件を無視した。
命令系統が崩れた。
全員の信頼がさらに失われた。
「現時点では、撤退を検討しています」
リュウジが答えた。
カイルが顔を上げる。
「検討?」
「機体の修理後に、継続可能性を再評価します」
ソフィアが眉を寄せる。
「すぐに撤退を決めないんですか」
「粉塵帯を戻ることはできません」
「別航路でセーシング領域へ戻れます」
アデルが答える。
「南西方向に迂回航路があります。ただし、十六時間かかります」
リュウジは頷く。
「その航路も含めて評価します」
ユアンが言う。
「隊内の問題は評価で直らない」
「分かっています」
「なら、何を待つ」
「本部への報告です」
カイルが冷たく笑う。
「また本部か」
リュウジが見る。
「今回は、任務継続そのものに関わります」
「責任者なら自分で決めろ」
「本部との通信が生きています」
「通信がある時だけ責任を預けるのか」
「違います」
「同じだ」
リュウジの声が硬くなる。
「本部には、調査計画全体の情報があります」
「現場を見ているのは俺達だ」
「だから現場の情報を送ります」
「撤退提案まで?」
「全員の意見を送ります」
カイルは何も言わなかった。
◇
ユアンが本部との長距離通信を確立する。
粉塵帯の影響で通信品質は低下していた。
音声には雑音が混じり、往復にも遅延がある。
調査船から送信した内容。
粉塵帯の規模。
船体損傷。
護衛艦二隻の損傷。
カイルが報告条件を満たした後も、リュウジを起こさなかったこと。
複数の撤退提案を退けたこと。
操縦交代を一時拒否したこと。
リュウジが操縦を引き継ぎ、粉塵帯を突破したこと。
調査隊内で、撤退と継続に意見が割れていること。
全てが本部へ送られた。
返答を待つ間、誰も話さなかった。
カイルは後方席。
リュウジは主操縦席。
互いに視線を合わせない。
セレナは全員の状態を見ている。
ノアとソフィアは隣り合って立っている。
マーヤとオスカーは、修理計画を表示していた。
アデルとベンは、粉塵帯の観測結果を整理している。
ユアンだけが通信波形を見続けていた。
やがて、受信音が鳴る。
「本部から通信」
ユアンが言う。
全員が顔を上げた。
雑音の向こうから、ヴァレン准将の声が届く。
「北部未探索領域調査船。報告を受領した」
数秒遅れて、次の言葉。
「船体の航行能力、生命維持、主推進器に重大な異常がないことを確認した」
さらに遅延。
「護衛艦二隻も、整備後に護衛任務を継続可能と判断されている」
ソフィアの表情が硬くなる。
ヴァレン准将の声が続く。
「調査隊は現在位置で修理を実施せよ」
リュウジは正面を見た。
「修理完了後、調査を継続する」
誰も声を出せなかった。
聞き間違いではない。
本部の結論は、調査継続。
ユアンが確認する。
「本部。撤退提案が隊員多数から出ています」
遅延。
「把握している」
「操縦担当者による報告遅延と、命令系統の不履行もあります」
「把握している」
「それでも継続ですか」
数秒。
「継続する」
ユアンの手が止まる。
ヴァレン准将は続けた。
「操縦担当カイル・レナードについては、当面、主操縦を禁止する」
カイルの顔が僅かに動く。
「第一副操縦士としての職務は継続させる」
ソフィアが信じられないように画面を見る。
「操縦責任者リュウジは、調査隊の指揮を継続せよ」
リュウジはすぐには答えなかった。
本部は、撤退ではなく継続を選んだ。
船は動く。
修理もできる。
調査可能な期間は限られている。
計画は何年も遅れている。
その理由は理解できる。
だが、隊内の状況は数字では直らない。
カイルを残す。
第一副操縦士のまま。
主操縦だけを禁止する。
それで、本当に命令系統が戻るのか。
ソフィアが小声で言う。
「何も分かっていない」
ノアも画面を見つめたまま動かない。
マーヤの表情は冷たかった。
オスカーは腕を組み、苛立ちを隠さない。
アデルは視線を伏せる。
ベンだけが、何かを考えるように観測画面を見ていた。
セレナは、全員の心理負荷が一斉に上がるのを確認していた。
ヴァレン准将の声が再び入る。
「リュウジ。応答せよ」
リュウジは通信画面を見る。
「はい」
「調査継続命令を確認したか」
「確認しました」
「実行できるか」
その問いに、すぐには答えられなかった。
調査船を飛ばすことはできる。
機体も直せる。
自分が操縦することもできる。
だが、調査隊はさらに壊れた。
カイルは、自分の判断で全員を危険へ巻き込んだ。
他の隊員達は、カイルを信用していない。
そして今、本部に対する不信まで生まれている。
それでも、本部は進めと言う。
リュウジは、エリンの言葉を思い出した。
帰る判断をして。
絶対とは言わなくていい。
怖いことを忘れないで。
今、自分が怖いものは明確だった。
船体損傷ではない。
次の異常でもない。
壊れたままの隊を、命令だけで先へ進ませることだった。
「リュウジ」
ヴァレン准将が再び呼ぶ。
「実行できるか」
リュウジはゆっくりと答えた。
「現時点では、保証できません」
コックピットの全員がリュウジを見る。
本部側も数秒黙った。
「理由を述べよ」
「機体は修理できます」
リュウジは言った。
「ですが、調査隊は修理できていません」
カイルの目がわずかに動く。
「この状態で継続すれば、次は同じ形で助からない可能性があります」
ヴァレン准将の声が低くなる。
「命令へ異議を出すのか」
「はい」
リュウジは答えた。
「調査継続命令に異議を出します」
船内の意見は撤退と継続に割れた。
本部は継続を命じた。
そして今度は、操縦責任者であるリュウジ自身が、その命令へ異議を示した。
粉塵帯は突破した。
船も生き残った。
だが、その先で待っていたのは安全ではなかった。
調査隊と本部。
現場と計画。
撤退と継続。
新たな亀裂が、未探索領域の入口で大きく開こうとしていた。