サヴァイヴ〜ドルトムント財閥〜   作:一塔

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異議なし

 

「調査継続命令に異議を出します」

 

リュウジの声が、静まり返ったコックピットへ響いた。

 

声は落ち着いていた。

 

粉塵帯を突破した直後とは思えないほど、呼吸も整っている。

 

だが、その表情には操縦中とは異なる硬さがあった。

 

操縦している時のリュウジは、危険が増すほど余計な感情を削っていく。

 

見るべき数値を絞り、聞くべき報告を選び、必要な操作だけを行う。

 

今も静かだった。

 

しかし、それは危機へ集中している静けさではない。

 

自分の判断を、組織に対して通さなければならない者の静けさだった。

 

通信画面の向こうにいるヴァレン准将は、すぐには返答しなかった。

 

通信遅延がある。

 

調査船から送られた言葉が本部へ届き、向こうの返答がこちらへ戻るまでに、数秒を要する。

 

そのわずかな空白が、コックピットにいる全員の緊張を引き延ばしていた。

 

やがて、雑音を挟んでヴァレン准将の声が入る。

 

「異議の内容を具体的に述べよ」

 

リュウジは主画面に表示された船体状況を確認した。

 

主推進器は正常。

 

補助推進器二基は停止。

 

装甲損傷は修理可能範囲。

 

外部センサーは予備へ切り替えることができる。

 

数字だけを見れば、本部の判断にも根拠はある。

 

だからこそ、リュウジは機体の損傷だけを理由にはしなかった。

 

「船体の修理可否だけで、調査継続を判断することに反対します」

 

「続けろ」

 

「今回の異常では、操縦責任者への報告基準を超えた後も、報告が行われませんでした」

 

カイルの顔がわずかに動いた。

 

リュウジは振り返らない。

 

「複数の隊員から撤退提案が出ました」

 

「ああ」

 

「護衛艦二隻からも突破不能との判断が出ました」

 

「ああ」

 

「それでも操縦担当者は進行を続けました」

 

「ああ」

 

短い言葉を重ねる。

 

責めるための説明ではない。

 

記録された事実を並べている。

 

そのはずだった。

 

だが、後方席に座るカイルには、一つずつ自分の失敗を読み上げられているように聞こえていた。

 

「操縦交代の要求も、すぐには受け入れられませんでした」

 

リュウジは続けた。

 

「この船の指揮命令系統は、一度、完全に機能を失っています」

 

ヴァレン准将からの返答が届く。

 

「その問題については、すでに対応を指示した」

 

「カイルさんの主操縦を禁止することですか」

 

「そうだ」

 

「それだけでは、指揮命令系統は戻りません」

 

カイルがリュウジを見る。

 

他の隊員達も、それぞれの席から主操縦席へ視線を向けた。

 

ヴァレン准将の声が低くなる。

 

「操縦権限はお前に戻った」

 

「権限の問題だけではありません」

 

「では何だ」

 

「信頼の問題です」

 

コックピットの空気が、わずかに変わった。

 

リュウジは、その言葉を避けなかった。

 

「この隊では、俺とカイルさんの判断が衝突するたびに、他の隊員の報告が遅れています。今回、実際に報告が止まりました。誰の指示へ従うべきか迷った者もいます」

 

ユアンの指が、通信端末の上で僅かに動いた。

 

「操縦担当者の判断を止められなかった者もいます」

 

ソフィアが視線を伏せる。

 

「異常が拡大していると分かっていても、操縦責任者を起こせませんでした」

 

マーヤは画面を見つめたまま動かなかった。

 

「この状態で調査を続ければ、次の異常でも同じことが起きます」

 

ヴァレン准将は答えた。

 

「同じことを起こさないために、カイルの主操縦を禁止した」

 

「カイルさん一人を操縦席から外せば解決する問題ではありません」

 

カイルの眉が動く。

 

リュウジは続けた。

 

「俺自身も、隊員達から十分に信頼されていません」

 

その言葉を聞き、ノアが顔を上げた。

 

「訓練の時点から、俺の判断基準が見えないと言われています。調査開始後も、それは解消できていません。今回、俺が粉塵帯を突破できたことで、操縦技術への評価は変わるかもしれません。ですが、それは指揮への信頼とは別です」

 

ヴァレン准将の返答は変わらなかった。

 

「操縦技術があり、命令権限があり、任務を継続できる船がある」

 

「調査継続に必要な条件は満たしている」

 

リュウジの目が僅かに細くなる。

 

「隊員の状態は、条件に含まれないんですか」

 

「生命維持に問題はない」

 

「身体状態の話ではありません」

 

「心理状態についても、セレナの報告では任務中止基準に達していない」

 

セレナの表情が固まった。

 

ヴァレン准将は続ける。

 

「高い心理負荷があることは把握している。だが、長期調査において心理負荷が発生すること自体は想定内だ」

 

リュウジはセレナを見ることなく尋ねた。

 

「任務中止基準に達していなければ、安全だと判断するんですか」

 

「安全であるとは言っていない」

 

「では、危険を認識した上で継続させるんですか」

 

「任務には常に危険がある」

 

「今回の危険は、任務そのものから発生したものではありません」

 

リュウジの声に、初めて僅かな強さが混ざった。

 

「隊内の不信と、命令不履行から発生しました」

 

「それを是正するのが操縦責任者の役割だ」

 

その言葉が返ってくるまでの数秒間。

 

リュウジは何も言わなかった。

 

返答が届いた後も、すぐには言葉を発しなかった。

 

「俺の役割ですか」

 

「そうだ」

 

「命令を守らなかった者を残し、信頼を失った隊員達をまとめ、そのまま調査を続けることがですか」

 

「お前は調査隊の操縦責任者だ」

 

「操縦責任者であって、全員の感情を命令で変えることはできません」

 

「感情を変える必要はない」

 

ヴァレン准将は言い切った。

 

「必要なのは命令への服従だ」

 

その言葉に、コックピットの空気が冷えた。

 

リュウジの指が、操縦桿の横でゆっくりと握られる。

 

「互いを信頼していなくても、決められた命令に従えば船は動く。任務に必要なのは、隊員同士の親密さではない。役割を果たすことだ」

 

リュウジは低い声で答えた。

 

「今回、役割が果たされなかったから異議を出しています」

 

「だから対応した」

 

「対応は終わっていません」

 

「終わっている」

 

ヴァレン准将の声が、僅かに強くなった。

 

「カイルは主操縦を禁止する。操縦責任者への報告義務を改めて命じる。今後、同様の命令不履行があれば、任務終了後に処分する」

 

リュウジの表情が変わった。

 

「任務終了後ですか」

 

「そうだ」

 

「次に同じことが起きても、処分は帰還後ですか」

 

「仮定の話をするな」

 

「今起きたことと同じです」

 

「次に起こさせないことがお前の役割だ」

 

再び、同じ言葉。

 

責任者だから。

 

権限があるから。

 

まとめるべきだから。

 

リュウジの中で、本部の説明が一つの形へ収束していく。

 

船が動く限り進め。

 

隊員が倒れていない限り進め。

 

命令違反者も、今すぐ使えるなら残せ。

 

問題が起きれば、責任者が止めろ。

 

それでも起きたなら、帰還後に処理する。

 

現場に負わせる。

 

後から記録する。

 

「ヴァレン准将」

 

「何だ」

 

「本部は、今回の件をどのように評価していますか」

 

「評価?」

 

「調査計画に伴う想定内の事故ですか」

 

「違う」

 

「操縦担当者の判断ミスですか」

 

「調査中の重大な判断不履行だ」

 

「では、重大な判断不履行を起こした者を、第一副操縦士として残す理由は何ですか」

 

カイルの表情が僅かに歪んだ。

 

ヴァレン准将は答えた。

 

「カイルがこの船と北部航路について、最も多くの経験を持つからだ」

 

「経験があれば、命令不履行を起こしても必要だということですか」

 

「必要な能力と、処分すべき行為を分けて考えている」

 

「俺がカイルさんを信用できなくてもですか」

 

「信用の有無は、任務から外す直接の理由にならない」

 

リュウジの声がさらに低くなる。

 

「では、誰を隣へ置くかについて、操縦責任者に判断する権限はないんですか」

 

「現編成の変更権限は本部にある」

 

「俺は、現場で判断する余地を与えられていると説明を受けています」

 

それは、リュウジがドルトムントへ入社した日に確認したことだった。

 

命令が来た時、自分に現場で判断する余地があるのか。

 

タツヤ班長は、あるようにすると答えた。

 

現場で判断する人間を、契約や組織の都合で黙らせれば、事故になる。

 

その考えを信じてきた。

 

だが、今ここにタツヤはいない。

 

エリンもいない。

 

この任務における指揮権は、宇宙連邦連盟にある。

 

ヴァレン准将の返答が届く。

 

「航路と危険回避については、お前に判断権限がある。人事と任務継続については、本部が決める」

 

「なら、俺は何に責任を負うんですか」

 

「現場の安全と調査船の帰還だ」

 

「帰還が困難になると判断しているから、撤退を求めています」

 

「機体は帰還可能だ」

 

「隊が帰還可能かを聞いています」

 

「隊員全員、任務継続可能と報告されている」

 

また、数値。

 

基準。

 

報告書。

 

誰も倒れていない。

 

誰も任務不能と診断されていない。

 

だから続けられる。

 

リュウジは一度、目を閉じた。

 

「俺は、この状態で調査を続けることを安全だとは判断できません」

 

「安全を保証しろとは命じていない」

 

ヴァレン准将は答えた。

 

「危険を管理しながら任務を遂行せよと命じている」

 

「管理できない危険があります」

 

「具体的に述べよ」

 

「誰が、次の異常で報告を止めるか分かりません。誰が、異議を言えずに黙るか分かりません。誰が、相手への不信を理由に必要な情報を遅らせるか分かりません。それは機器の数値には出ません。だから、今撤退して再編すべきです」

 

リュウジは、はっきりと言った。

 

「調査可能期間を失っても、一度戻るべきです」

 

「編成を見直し、命令系統を再構築してから再出発すべきです」

 

通信画面の向こうで、ヴァレン准将が僅かに姿勢を変えた。

 

「調査可能期間を失えば、次の機会は一年以上先になる」

 

「分かっています」

 

「今回の調査には、複数の航路開発計画と通信中継計画が関係している」

 

「分かっています」

 

「お前達が持ち帰る情報によって、今後の北部航路の安全性が決まる」

 

「はい」

 

「調査の延期によって影響を受けるのは、お前達だけではない」

 

「分かっています」

 

「では、なぜ任務全体より現在の隊内不和を優先する」

 

リュウジは僅かに息を止めた。

 

隊内不和。

 

その一言でまとめられた。

 

命令不履行も。

 

報告の停止も。

 

粉塵帯への無謀な進入も。

 

操縦交代の拒否も。

 

護衛艦二隻からの撤退要請を退けたことも。

 

全てが、隊内不和という言葉の中へ押し込まれる。

 

「不和ではありません」

 

リュウジは答えた。

 

「安全管理上の問題です」

 

「呼び方の問題ではない」

 

「違います」

 

「同じだ」

 

カイルが何度も使った言葉と同じだった。

 

リュウジの表情から、僅かに残っていた熱が消えていく。

 

「現場の人間関係が悪いことを理由に、重要任務を中止することはできない」

 

ヴァレン准将は続けた。

 

「それを認めれば、意見の対立が発生するたびに任務が停止する」

 

「対立を管理するのも、責任者の職務だ」

 

「お前には、その能力があると判断している」

 

「俺ができると言えば、皆が従うんですか」

 

「従わせろ」

 

リュウジは黙った。

 

その沈黙を、ヴァレン准将は異議の終わりと判断した。

 

「リュウジの異議は記録した」

 

「ただし、調査継続判断を変更する根拠としては不十分だ」

 

リュウジの視線が、ゆっくりと通信画面へ戻る。

 

「異議を却下する」

 

明確な言葉だった。

 

「調査船は現在位置で修理を行い、護衛艦二隻との合流後、当初計画に従って北部未探索領域へ進入せよ」

 

コックピットの誰も、声を出さなかった。

 

ヴァレン准将はそこで通信を終わらせなかった。

 

画面越しに、調査隊全体を見るように僅かに視線を動かした。

 

「調査隊各員へ確認する」

 

全員の身体が、僅かに強張った。

 

「リュウジ以外に、調査継続命令へ異議がある者はいるか」

 

コックピットに、沈黙が落ちた。

 

 

ソフィアは、反射的に口を開きかけた。

 

粉塵帯を抜けた直後。

 

自分は撤退すべきだとはっきり言った。

 

機体だけの問題ではない。

 

指揮系統が崩れている。

 

カイルを残したままでは、同じことが起きる。

 

そう主張した。

 

今も考えは変わっていない。

 

だが、通信画面の向こうにいるのはヴァレン准将だった。

 

調査隊の編成を決定し、任務継続を命じる立場。

 

ここで異議を口にすれば、それはコックピット内の協議ではない。

 

正式な命令への反対として記録される。

 

自分は第三副操縦士。

 

操縦責任者ではない。

 

全体の船体状況を最終評価する立場でもない。

 

本当に、任務を止めるだけの根拠を自分の言葉で説明できるのか。

 

その一瞬の迷いが、ソフィアの口を閉じさせた。

 

隣に立つノアも、動かなかった。

 

ノアも撤退に賛成した。

 

カイルの判断は間違っていたと、本人へ言った。

 

現在のカイルを操縦責任者にはできないとも言った。

 

だが、本部はカイルの主操縦を禁止した。

 

自分が最も危険だと思った部分は、形式上は排除された。

 

それでも撤退すべきだと言うなら、別の理由を示さなければならない。

 

隊内の信頼。

 

心理負荷。

 

指揮系統への不安。

 

どれも事実だ。

 

だが、ヴァレン准将が先ほど一つずつ退けたばかりだった。

 

リュウジがあれだけ説明しても却下された。

 

自分が同じことを繰り返して、何か変わるのか。

 

ノアは、主操縦席に座るリュウジの背中を見た。

 

何か言うべきだと思った。

 

それでも、声は出なかった。

 

ユアンの手は、通信端末の送信操作の上にあった。

 

通信士であるユアンが話せば、その音声は最も明瞭に本部へ届く。

 

粉塵帯の中で、カイルの命令を護衛艦へ送ることが怖かった。

 

誰の指示へ従うべきか分からなかった。

 

撤退に賛成すると明言した。

 

その記録も残っている。

 

だが、今は公式回線上だった。

 

通信士は、自分の意見を伝える者ではない。

 

情報と命令を正確に届ける者。

 

そう教えられてきた。

 

今ここで口を開くことは、役割を越えることではないのか。

 

操縦責任者がすでに異議を出した。

 

自分まで重ねる必要があるのか。

 

一瞬の逡巡。

 

それだけで、沈黙は長くなった。

 

マーヤは、損傷したシステム表示を見つめていた。

 

自分も撤退を提案した。

 

指揮系統が機能しなかったと、はっきり言った。

 

だが、船体は修理できる。

 

システムも予備へ切り替えられる。

 

技術者として、任務続行不能だと断言できる状態ではなかった。

 

心理的な不安を理由に、自分が船を止めていいのか。

 

それはセレナの領域ではないのか。

 

操縦判断なら、リュウジの領域ではないのか。

 

マーヤは指先を握った。

 

自分の判断を修正できる者を信用すると、リュウジへ言った。

 

今、本部が判断を変えないことへ反発を感じている。

 

それでも、自分自身もまた、一度下された命令に対して声を上げることができなかった。

 

オスカーは腕を組んだまま、唇を強く結んでいた。

 

修理はできる。

 

それを言ったのは自分だった。

 

機械は直せる。

 

だが、今の隊で飛ばしたくない。

 

確かにそう言った。

 

本部へ同じことを言えばいい。

 

難しい言葉は必要ない。

 

船は直せるが、この隊では飛ばせない。

 

それだけでいい。

 

だが、整備士である自分が、飛ばせる船を飛ばせないと言っていいのか。

 

主推進器は正常。

 

生命維持も正常。

 

装甲も修理可能。

 

整備上は継続できる。

 

自分が止めたいのは、機械ではなく人間の問題だ。

 

その人間の問題を、整備士である自分が本部へ断言することに、オスカーは躊躇した。

 

アデルも、口を開かなかった。

 

粉塵帯から取得したデータは極めて重要だった。

 

前方には、過去記録と一致しない現象がある。

 

本来の調査区域へ到達すらしていない。

 

ここで戻れば、今回の観測窓は失われる。

 

撤退すべきだと思ったのは本当だ。

 

だが、それは粉塵帯を抜けた直後の判断だった。

 

現在は安全圏。

 

修理も可能。

 

カイルの主操縦も禁止された。

 

条件が変わった。

 

自分は本当に、今も撤退だけが正しいと思っているのか。

 

確信を持てなかった。

 

ベンは、最初から継続の可能性を捨てていなかった。

 

本来の調査へ入っていない。

 

ここで戻れば、何も得られない。

 

粉塵帯のデータは重要でも、それだけでは計画全体の目的を果たせない。

 

操縦編成の変更が必要だとは思う。

 

カイルをそのまま残すことには不安がある。

 

だが、本部は主操縦を禁止した。

 

自分が条件として挙げた操縦編成の変更に、完全ではないが近い措置が取られた。

 

そのため、ベンは異議を持っていなかった。

 

ただ、継続に賛成だと言うこともしなかった。

 

今口を開けば、リュウジの異議を否定することになる。

 

自分が黙っていれば、本部が決める。

 

ベンはそう考えた。

 

セレナは、全員の生体数値を見ていた。

 

心拍上昇。

 

呼吸の乱れ。

 

筋緊張。

 

視線の固定。

 

全員が強い負荷状態にある。

 

リュウジは特に高い。

 

粉塵帯突破による身体的疲労。

 

本部との対話による心理負荷。

 

そして、今、他の隊員の反応を待っている。

 

セレナには分かっていた。

 

リュウジが、誰かの言葉を待っていることが。

 

自分だけの意見ではない。

 

粉塵帯を抜けた直後、複数の者が撤退を提案した。

 

それを本部へ示すためには、誰かがもう一度声を上げる必要がある。

 

セレナ自身も撤退を提案した。

 

操縦区画の心理状態を理由に。

 

今も負荷は下がっていない。

 

むしろ上がっている。

 

なら、言うべきだった。

 

だが、任務中止基準には達していない。

 

ヴァレン准将が指摘したとおりだった。

 

医療担当者として、継続不能と診断できる者はいない。

 

心理負荷が高い。

 

関係が悪化している。

 

判断に影響する可能性がある。

 

それは報告できる。

 

しかし、任務を中止すべきだと断定すれば、医療判断を越えるのではないか。

 

リュウジの異議を支持するために、診断を歪めることにならないか。

 

セレナは迷った。

 

その迷いを整理する間に、沈黙はさらに長くなった。

 

カイルも何も言わなかった。

 

継続命令には反対していない。

 

自分は調査を続けるべきだと主張してきた。

 

ここで異議を出す理由はない。

 

だが、賛成だと言うこともできなかった。

 

粉塵帯へ入ったのは自分だ。

 

全員を危険にさらした。

 

リュウジが操縦を代わり、突破した。

 

その直後に、自分が調査継続を支持すれば、誰も聞かないだろう。

 

それどころか、任務を続けるために失敗を軽く扱っていると思われる。

 

カイルは黙っていた。

 

誰も、口を開かなかった。

 

 

リュウジは、一人ずつ見た。

 

ソフィア。

 

先ほど、真っ先に撤退すべきだと言った。

 

今は、唇を僅かに噛んでいる。

 

ノア。

 

カイルの判断が間違っていたと、はっきり言った。

 

今は、視線を落としている。

 

ユアン。

 

命令を送ることが怖かったと告白した。

 

今は、通信画面を見つめたまま動かない。

 

マーヤ。

 

指揮系統が機能しなかったと指摘した。

 

今は、損傷表示へ視線を固定している。

 

オスカー。

 

今の隊では飛ばしたくないと言った。

 

今は、腕を組んだまま目を伏せている。

 

アデル。

 

撤退に賛成した。

 

今は、何かを考えるように観測画面を見ている。

 

セレナ。

 

心理状態を理由に撤退を提案した。

 

今は、端末上の数値を見ている。

 

誰も、リュウジを見なかった。

 

ベンだけは、元々条件付きで継続を検討していた。

 

カイルは最初から継続を主張している。

 

二人が黙っていることは理解できる。

 

だが、他の者達も何も言わなかった。

 

リュウジは、すぐに失望したわけではなかった。

 

初めは待った。

 

通信遅延がある。

 

発言の順番を考えているのかもしれない。

 

ヴァレン准将に対して、どう言えばいいか迷っているのかもしれない。

 

だから、待った。

 

誰かが息を吸う音が聞こえた。

 

だが、言葉にはならなかった。

 

ソフィアの指が動いた。

 

それでも、声は出なかった。

 

ユアンが一度だけリュウジを見た。

 

すぐに視線を戻した。

 

セレナの唇が僅かに開いた。

 

だが、そのまま閉じた。

 

リュウジは、それ以上待つのをやめた。

 

胸の奥で、何かがゆっくりと冷えていった。

 

怒りではなかった。

 

怒鳴りたいとも思わなかった。

 

なぜ言わないのかと責める気持ちも、最初はなかった。

 

皆にも立場がある。

 

本部へ異議を出すことが怖い者もいる。

 

自分の判断へ確信を持てない者もいる。

 

船体が修理可能なら継続できると考え直した者もいる。

 

理解はできる。

 

理由も想像できる。

 

だが、その理解は、リュウジの中に生まれた孤独を消さなかった。

 

粉塵帯を抜けた直後。

 

皆は撤退すべきだと言った。

 

カイルを信用できないと言った。

 

今の隊で飛びたくないと言った。

 

リュウジは、その意見を受け取った。

 

自分の判断だけではないと考えた。

 

だから本部へ異議を出した。

 

皆の意見を背負って、操縦責任者として説明した。

 

だが、本部から直接問われた瞬間。

 

その意見は、誰の口からも出なかった。

 

結果として、本部に対して異議を示したのはリュウジ一人になった。

 

自分だけが調査継続に反対しているように見える。

 

自分だけが隊をまとめられず、任務を止めようとしているように見える。

 

自分だけが、感情的な不和を安全問題へ置き換えているように見える。

 

ヴァレン准将が再び尋ねた。

 

「異議のある者はいないのか」

 

今度は、最初よりも短い問いだった。

 

返答はなかった。

 

ヴァレン准将は数秒待った。

 

「了解した」

 

その一言が、重く落ちた。

 

「リュウジ以外から異議はないものと記録する」

 

リュウジの目が僅かに動いた。

 

「異議がないとは限りません」

 

思わず出た言葉だった。

 

ヴァレン准将が返す。

 

「発言されない意見を、命令判断へ反映することはできない」

 

「先ほどまで、撤退を提案していた者がいます」

 

その言葉に、何人かの身体が僅かに強張った。

 

ヴァレン准将の声は変わらない。

 

「今、本人達へ確認した。返答はなかった」

 

「沈黙を賛成として扱うんですか」

 

「少なくとも、正式な異議とは扱わない」

 

「……そうですか」

 

短い返事だった。

 

その声を聞き、セレナが顔を上げる。

 

先ほどまでのリュウジの声とは違った。

 

異議を通そうとする力が消えていた。

 

諦めた声とも違う。

 

何かを切り離した声だった。

 

ヴァレン准将は続ける。

 

「調査隊の意見を確認した。調査継続命令に変更はない。リュウジ」

 

「はい」

 

「操縦責任者として、命令を受領するか」

 

リュウジは通信画面を見た。

 

その背後にいる隊員達を、もう一度見ることはしなかった。

 

「受領します」

 

平坦な声だった。

 

「現在位置で修理を実施します。護衛艦二隻との合流後、当初計画に従い北部未探索領域へ進入します」

 

ヴァレン准将が頷く。

 

「了解した」

 

「修理完了予定と、隊員の勤務再編案を三時間以内に報告せよ」

 

「了解しました」

 

「カイルの主操縦は禁止する。第一副操縦士として、航路分析及び機体情報の補助に限定せよ」

 

「了解しました」

 

「リュウジ」

 

「はい」

 

「隊をまとめろ」

 

その言葉にも、リュウジの表情は動かなかった。

 

「了解しました」

 

通信が終了する。

 

画面からヴァレン准将の姿が消えた。

 

本部との回線が待機状態へ戻る。

 

コックピットには、船内機器の作動音だけが残った。

 

 

誰もすぐには話さなかった。

 

本部へ異議を言えなかった者達は、今さら何を口にすればいいのか分からなかった。

 

リュウジへ謝るべきなのか。

 

迷った理由を説明すべきなのか。

 

撤退の考えが変わったと伝えるべきなのか。

 

何を言っても、言い訳に聞こえる。

 

沈黙が続く中、ソフィアが最初に声を出した。

 

「リュウジさん」

 

リュウジは主画面から目を離さなかった。

 

「修理計画を立てます。‥‥先ほどのことですが」

 

「マーヤさん」

 

リュウジはソフィアの言葉を遮った。

 

声は強くない。

 

だが、話を続ける余地を与えなかった。

 

「予備センサーへの切替に必要な時間を算出してください」

 

マーヤは一瞬反応が遅れた。

 

「はい」

 

「オスカーさん」

 

「何だ」

 

「補助推進器二番、三番の修理手順を確認してください」

 

「ヴァルキュリアの設備が必要だ」

 

「合流予定時刻までに、船内でできる作業を進めてください」

 

「了解した」

 

「ユアンさん」

 

「はい」

 

「ヴァルキュリアとアストライアへ、本部から調査継続命令が出たことを伝えてください」

 

ユアンの顔が僅かに曇る。

 

「そのまま送るのか」

 

「はい」

 

「隊内で異議があったことは?」

 

「本部へ記録されています」

 

リュウジは淡々と答えた。

 

「護衛艦へ追加説明は不要です」

 

「……了解」

 

「アデルさん、ベンさん」

 

二人の音声回線が開く。

 

「粉塵帯の観測データを整理してください。調査継続後の観測機器使用に影響があるか、二時間以内に報告をお願いします」

 

アデルが答える。

 

「分かりました」

 

ベンも続く。

 

「了解しました」

 

「ノアさん」

 

「はい」

 

「修理中の主操縦監視をお願いします」

 

「リュウジさんは?」

 

「勤務表を再編します」

 

「その後、休むんですか」

 

「必要であれば休みます」

 

以前なら、セレナに確認すると答えたかもしれない。

 

疲労状態を共有したかもしれない。

 

今は、それ以上言わなかった。

 

「ソフィアさん」

 

「はい」

 

「ノアさんの補助をお願いします」

 

「分かりました」

 

「カイルさん」

 

カイルが僅かに顔を上げる。

 

「何だ」

 

「本部命令どおり、主操縦は禁止します」

 

「分かっている」

 

「修理完了まで、現在の航跡と粉塵帯進入時の操縦記録を整理してください」

 

カイルの表情が硬くなる。

 

「俺に事故報告を書かせるのか」

 

「操縦記録の整理です」

 

「同じだろ」

 

「必要な作業です」

 

カイルはリュウジの横顔を見る。

 

先ほどまで、本部へ強く異議を出していた人物とは思えない。

 

感情が見えない。

 

怒りも。

 

非難も。

 

落胆も。

 

何も出てこない。

 

「了解」

 

カイルは低く答えた。

 

最後に、リュウジはセレナを見る。

 

「セレナさん」

 

「はい」

 

「全員の勤務継続可否を再確認してください」

 

「リュウジさんも含めてです」

 

「はい」

 

「それだけですか」

 

リュウジが初めて、セレナへ視線を向けた。

 

「他に何がありますか」

 

セレナは一瞬、言葉を失った。

 

「先ほどのことです」

 

「本部との協議は終了しました」

 

「そうではありません」

 

「では?」

 

「今、何を感じていますか」

 

リュウジはセレナを見た。

 

出発前。

 

何を考えているか。

 

何を怖がっているか。

 

隠さずに言ってほしい。

 

そう言われた。

 

エリンからも、セレナからも。

 

リュウジは言おうとしてきた。

 

怖い。

 

信頼されていない。

 

このまま出発することが不安だ。

 

カイルへの反発で判断を誤ることが怖い。

 

隊員達の報告が止まることが怖い。

 

言葉にした。

 

皆へ判断基準を見せようとした。

 

話そうとした。

 

その結果が、先ほどの沈黙だった。

 

リュウジはゆっくりと答えた。

 

「任務に必要な状態です」

 

セレナの表情が固まる。

 

「それは答えになっていません」

 

「身体状態に問題があるなら報告してください」

 

「心理状態を確認しています」

 

「任務中止基準に達していますか」

 

ヴァレン准将が使った言葉だった。

 

セレナはすぐに答えられなかった。

 

リュウジは続ける。

 

「達していないなら、問題ありません」

 

「リュウジさん」

 

「出発前に、その言い方をやめてくださいと言いましたね」

 

「はい」

 

「ですが、本部はその基準で判断しました」

 

「本部と私は違います」

 

「任務上は同じです」

 

「違います」

 

セレナの声に、初めて焦りが混ざる。

 

「私は、数値だけを見ているわけではありません」

 

「先ほど、何も言いませんでした」

 

その一言で、セレナの声が止まった。

 

リュウジの声は静かだった。

 

責めているようには聞こえない。

 

だからこそ、強く刺さった。

 

「セレナさんは、心理状態を理由に撤退を提案しました」

 

「はい」

 

「ヴァレン准将から異議を聞かれた時、何も言いませんでした」

 

「それは……」

 

「説明は不要です」

 

リュウジは視線を主画面へ戻した。

 

「本部の判断では、任務中止基準に達していない」

 

「セレナさんも、その場で異議を示さなかった」

 

「ですから、俺の心理状態も任務継続可能として扱ってください」

 

「私は、そういう意味で黙ったのではありません」

 

「意味は関係ありません」

 

先ほど、ヴァレン准将が言った。

 

発言されない意見を、命令判断へ反映することはできない。

 

リュウジは、その論理をそのまま使った。

 

「言われなかったことは、俺には分かりません」

 

セレナは何も返せなかった。

 

それは、かつて皆がリュウジへ向けた言葉でもあった。

 

判断基準が見えない。

 

考えていることが分からない。

 

言葉にしてほしい。

 

今、リュウジは同じ言葉を返している。

 

だが、以前のように理解しようとはしていなかった。

 

言われなかった。

 

だから考慮しない。

 

それだけだった。

 

 

ソフィアが耐えきれずに口を開いた。

 

「リュウジさん」

 

「何ですか」

 

「私は、本部へ異議を言おうとしました」

 

「そうですか」

 

「でも、どう説明すればいいか迷って」

 

「分かりました」

 

「分かりましたって……」

 

「勤務再編へ戻ってください」

 

「待ってください」

 

ソフィアが一歩前へ出る。

 

「撤退すべきだという考えは、変わっていません」

 

リュウジはようやくソフィアを見た。

 

「本部から聞かれた時に言ってください」

 

「言えませんでした」

 

「はい」

 

「怖かったんです」

 

「分かります」

 

「本当に分かっていますか」

 

「本部へ正式な異議を出すことには、記録と責任が伴います。だから迷ったんだと思います。それを責めるつもりはありません」

 

穏やかな言葉だった。

 

だが、ソフィアは安心できなかった。

 

「では、どうしてそんな言い方をするんですか」

 

「どんな言い方ですか」

 

「私達の意見は、もう必要ないような言い方です」

 

リュウジは少しだけ黙った。

 

「必要な意見は聞きます」

 

「では、撤退については?」

 

「本部の命令が決まりました」

 

「リュウジさん自身は、まだ撤退すべきだと思っているんですよね」

 

「俺の異議は却下されました」

 

「考えまで変える必要はありません」

 

「任務に不要な考えは、操縦へ持ち込みません」

 

ソフィアの表情が変わる。

 

「任務に不要ではありません」

 

「本部が判断しました」

 

「本部が間違っている可能性は?」

 

「あります」

 

「なら」

 

「ですが、調査継続命令は出ました」

 

リュウジは言った。

 

「俺一人の異議では変更されませんでした」

 

その一言で、全員が再び黙った。

 

責めてはいない。

 

だが、自分一人だったと明確に言った。

 

誰も、それを否定できなかった。

 

ユアンが小さく言う。

 

「俺も撤退に賛成だった」

 

リュウジは答えた。

 

「知っています」

 

「今もだ」

 

「そうですか」

 

「本部には言えなかった」

 

「はい」

 

「悪かった」

 

ユアンは視線を落とした。

 

リュウジはすぐには答えなかった。

 

少し間を置き、静かに言う。

 

「謝る必要はありません」

 

その言葉に、ユアンが顔を上げる。

 

「発言するかどうかは、ユアンさんの判断です。その結果も含めて、命令は決まりました」

 

「俺達の沈黙のせいだと言うのか」

 

「そうは言っていません」

 

「同じだろ」

 

カイルが何度も使った言葉。

 

ユアンの口から同じ言葉が出た。

 

リュウジの目が僅かに動いた。

 

「では、違わないかもしれません」

 

ユアンは言葉を失った。

 

以前のリュウジなら、違うと説明した。

 

意図を伝えようとした。

 

誤解を解こうとした。

 

今は、それをしなかった。

 

 

マーヤが席を立った。

 

「リュウジさん」

 

「はい」

 

「私は、機体が修理可能だという点で迷いました」

 

「はい」

 

「システムエンジニアとして、継続不能とは言えませんでした」

 

「分かりました」

 

「ですが、指揮系統が戻ったとは思っていません」

 

「本部は戻ったと判断しました」

 

「私自身は、そう思っていません」

 

「では、次に本部から聞かれた時に伝えてください」

 

「今、伝えています」

 

リュウジはマーヤを見る。

 

「俺に伝えて、何が変わりますか」

 

マーヤの表情が固まる。

 

「以前、リュウジさんは、私達の意見を聞くと言いました」

 

「聞いています」

 

「聞くだけですか」

 

「最終判断は本部が行いました」

 

「リュウジさん自身の判断は?」

 

「却下されました」

 

「だから、もう何も言わないんですか」

 

リュウジは答えなかった。

 

マーヤは続ける。

 

「間違いが分かった後に、何をする人かを見たいと私は言いました」

 

「覚えています」

 

「今、本部が間違っていると思うなら、何をするんですか」

 

「命令に従います」

 

「それだけですか」

 

「他に何ができますか」

 

「私達と話すことはできます」

 

リュウジの表情が、僅かに硬くなる。

 

「話しました」

 

短い言葉だった。

 

「出発前から話しました。訓練でも話しました。航行中も話しました。粉塵帯を抜けた後、皆の意見を聞きました。その意見を本部へ伝えました。ですが、本部から皆へ直接確認があった時、誰も話しませんでした」

 

声は荒れていない。

 

それでも、抑えていたものが一つずつ表へ出ていた。

 

「これ以上、何を話せばいいんですか」

 

マーヤは何も答えられなかった。

 

リュウジも答えを求めなかった。

 

「予備センサーの切替時間をお願いします」

 

「……分かりました」

 

マーヤは席へ戻った。

 

 

オスカーは、暫く黙っていた。

 

やがて腕を解き、低い声で言った。

 

「俺も悪かった」

 

リュウジは画面を見たまま答える。

 

「悪いとは言っていません」

 

「言っているのと同じだ」

 

「そう聞こえるなら、すみません」

 

「その謝り方はやめろ」

 

リュウジは黙った。

 

オスカーは頭を掻く。

 

「船は直せる」

 

「はい」

 

「だから、本部に継続不能とは言えなかった」

 

「はい」

 

「だが、今の隊で飛ばしたくないと言ったのも本当だ」

 

「分かっています」

 

「なら、まだ俺の意見は変わっていない」

 

「そうですか」

 

「お前はどうなんだ」

 

「何がですか」

 

「この隊で飛ばしたくないと思っているのか」

 

リュウジは一度、主画面から目を離した。

 

コックピットにいる全員を見る。

 

「関係ありません」

 

「関係あるだろ」

 

「飛ばしたいかどうかで命令は変わりません」

 

「そういう話じゃない」

 

「では、どういう話ですか」

 

オスカーは言葉を探した。

 

「俺達が、これからお前と飛べるかって話だ」

 

リュウジは静かに答えた。

 

「飛んでもらいます」

 

命令としての言葉だった。

 

「本部から調査継続命令が出ました。俺が操縦責任者です。皆さんには、それぞれの役割を果たしてもらいます」

 

エリンが最初に警戒していたパイロット。

 

乗務員や周囲の人間を、機体の部品のように使う者。

 

必要な時だけ呼び、必要な仕事だけさせる者。

 

リュウジは、それを嫌っていた。

 

自分はそうならないようにしてきた。

 

頼む。

 

お願いする。

 

意見を聞く。

 

判断理由を共有する。

 

人として見る。

 

だが今の言葉は、役割だけを求めるものだった。

 

セレナはそれに気づいた。

 

マーヤも。

 

ソフィアも。

 

しかし、誰もすぐには止められなかった。

 

リュウジ自身も、自分が何を切り捨て始めたのか理解していた。

 

理解していて、それでも戻ろうとはしなかった。

 

人として向き合おうとした結果、言葉は返ってこなかった。

 

なら、役割だけを求めればいい。

 

命令系統だけを守ればいい。

 

信頼がなくても船は動く。

 

ヴァレン准将がそう言った。

 

皆も、その命令へ異議を示さなかった。

 

それなら、そのとおりにする。

 

 

カイルが後方席から立ち上がった。

 

「結局、お前も本部へ従うのか」

 

リュウジは振り返らない。

 

「はい」

 

「さっきまで、あれだけ反対していたのに?」

 

「異議は却下されました」

 

「納得したのか」

 

「していません」

 

「なら、なぜ従う」

 

「命令だからです」

 

カイルは僅かに笑った。

 

嘲るような笑いではなかった。

 

疲れたような、歪んだ笑いだった。

 

「俺に言っていたことと同じだな」

 

「何がですか」

 

「間違っていると思っても、却下されたら従え」

 

リュウジは一瞬黙った。

 

「そうですね」

 

「今度はお前が従う側か」

 

「はい」

 

「どんな気分だ」

 

リュウジの指が止まる。

 

カイルは、その背中を見た。

 

「自分が正しいと思っているのに、上から却下される。現場を見ていない人間から、従えと言われる」

 

「気分が分かったか」

 

リュウジはゆっくりとカイルを見る。

 

「同じではありません」

 

カイルの目が細くなる。

 

「何が違う」

 

「俺は、調査船を危険へ進める命令を出していません」

 

「本部は出した」

 

「はい」

 

「それに従うんだろ」

 

「はい」

 

「なら同じだ」

 

リュウジは、それ以上否定しなかった。

 

「そうかもしれません」

 

カイルの表情が僅かに変わる。

 

勝ったような顔にはならなかった。

 

むしろ、言い返されなかったことに戸惑っていた。

 

リュウジが自分との対話を切ったことを、カイルも感じた。

 

「カイルさん」

 

「何だ」

 

「操縦記録の整理をお願いします」

 

「話は終わりか」

 

「はい」

 

「俺に何も言うことはないのか」

 

リュウジは正面へ向き直った。

 

「今はありません」

 

カイルは暫く立っていた。

 

やがて何も言わずに席へ戻った。

 

 

それから、調査船の中では作業が始まった。

 

マーヤが予備センサーへの切替手順を組む。

 

オスカーが補助推進器の停止箇所を確認する。

 

ユアンが護衛艦二隻へ本部命令を伝える。

 

アデルとベンが粉塵帯の観測データを整理する。

 

ノアとソフィアが航行監視を引き継ぐ。

 

セレナが全員の生体状態を再確認する。

 

カイルが自分の操縦記録を開く。

 

全員が役割へ戻った。

 

先ほどまでと違い、指示は明確だった。

 

迷いもない。

 

誰が何をするのか、完全に分けられている。

 

報告先も一つ。

 

判断者も一人。

 

形式上、指揮系統は回復した。

 

ヴァレン准将が求めた状態だった。

 

だが、誰も安心しなかった。

 

リュウジは、必要な指示だけを出した。

 

理由を説明しない。

 

相手の考えを聞かない。

 

意見が必要な時だけ尋ねる。

 

返答を受ければ、その場で採用か却下を決める。

 

却下理由も、記録に必要な範囲でしか話さない。

 

以前のように、自分が何を怖がっているかは言わなかった。

 

判断基準を見せようともしなかった。

 

皆の表情を確認することも減った。

 

セレナが休息を提案すれば、数値を確認する。

 

数値が基準内なら作業を続ける。

 

食事を取るよう言われれば、時間を指定する。

 

眠れるかどうかは話さない。

 

ソフィアが何度か声をかけようとした。

 

そのたびに、リュウジは業務の話へ戻した。

 

ユアンも謝罪の続きを言おうとした。

 

だが、通信報告を求められ、機会を失った。

 

マーヤは、予備センサー切替時間を報告した。

 

リュウジは短く礼を言った。

 

それ以上、会話は続かなかった。

 

命令は通る。

 

作業も進む。

 

誰も逆らわない。

 

調査船は、以前より整然と動き始めた。

 

しかし、それは隊がまとまったからではない。

 

互いに必要以上のことを言わなくなったからだった。

 

リュウジは、皆に見えるようにしようとしていた自分の判断を、再び内側へ閉じた。

 

エリンから、何を怖がっているのか言葉にするよう言われた。

 

セレナから、異常を隠さないよう言われた。

 

隊員達から、判断基準を共有するよう求められた。

 

リュウジは、それに応えようとした。

 

だが、本部から問われた瞬間。

 

皆は沈黙した。

 

その沈黙を見たリュウジは、もう自分の内側を見せる必要はないと判断した。

 

必要なのは信頼ではない。

 

命令への服従。

 

ヴァレン准将の言葉が、胸の奥へ残っている。

 

それなら、自分も同じように動けばいい。

 

信頼されなくていい。

 

理解されなくていい。

 

ただ、命令を出す。

 

船を進める。

 

危険を避ける。

 

そして、全員を帰す。

 

それだけでいい。

 

リュウジは堅く口を閉ざした。

 

その横顔を見ながら、セレナは端末へ新しい記録を残した。

 

【操縦責任者、感情表出の急激な低下】

 

【対人会話を必要業務へ限定】

 

【心理負荷は継続して高値】

 

【本人は任務継続可能と申告】

 

最後の一文を入力したところで、セレナの指が止まった。

 

本人は申告している。

 

だから、本部の基準では問題ない。

 

だが、セレナには分かっていた。

 

先ほどまでのリュウジより、今のリュウジの方が危険だった。

 

怒っている者は、まだ言葉を出せる。

 

迷っている者は、誰かへ助けを求められる。

 

怖いと言える者は、自分が危険を感じていることを認識している。

 

今のリュウジは、どれも言わない。

 

言うことをやめた。

 

調査船の外では、粉塵帯が遠ざかっていく。

 

ヴァルキュリアとアストライアが、合流するために進路を変えている。

 

船体は修理される。

 

補助推進器も、外部センサーも、時間をかければ戻る。

 

だが、粉塵帯の中で生まれた亀裂は修理されなかった。

 

本部への異議は却下された。

 

他の隊員達は沈黙した。

 

そして、これまで誰よりも帰還を優先し、周囲の意見を聞こうとしていた操縦責任者は、自分の言葉を閉ざした。

 

調査隊は、命令どおり未探索領域へ進む。

 

今度は、表面上の対立すら減っていく。

 

だがそれは、関係が改善したからではなかった。

 

誰よりも対話を必要としていた者が、対話を諦めたからだった。

 

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