サヴァイヴ〜ドルトムント財閥〜   作:一塔

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操縦士の命

 

調査船との通信は、まだ繋がっていた。

 

大型画面の片隅には、北部未探索領域を進む調査船の現在位置が表示されている。

 

推進出力、十パーセント。

 

護衛艦二隻はすでに離脱。

 

機体外壁は修復済みと記録されているが、推進器周辺の支持構造には、動的負荷がかかった時だけ現れる損傷の可能性がある。

 

通信も、未探索領域の奥へ進むほど不安定になる。

 

ジェームズの解析によって、出力を上げれば推進機能そのものを失う危険性まで判明した。

 

それでも。

 

調査船は、まだ調査航路の上にいた。

 

ペルシアは宇宙連邦連盟の職員へ向き直った。

 

「それで」

 

職員の肩が僅かに強張る。

 

「調査船に対する指揮権限は、宇宙管理局に引き継いだということでいいの?」

 

「いえ」

 

返ってきた答えは、ペルシアが予想していたものとは違った。

 

「いえ?」

 

「権限移譲については、現在、ヴァレン准将と宇宙管理局長が協議しています」

 

ペルシアの眉がゆっくりと上がる。

 

「協議中?」

 

「はい」

 

「護衛艦が二隻とも引き返して、調査船の推進器が壊れかけて、通信まで悪化しているのに?」

 

「技術評価については、先ほど正式に報告を受けたばかりです」

 

「リュウジはもっと前から違和感を報告していたでしょう」

 

「計器上の異常は確認されていませんでした」

 

「計器に出ないから、今ここにいるんでしょうが」

 

ペルシアの声が低くなる。

 

職員は反論できず、僅かに視線を下げた。

 

ジェームズが推進系統の波形を見たまま言う。

 

「連盟は出力を戻させるつもりだったのか」

 

職員は答えに迷った。

 

「修理及び検査の完了後、段階的な出力回復を指示しています」

 

「殺す気か」

 

ジェームズは振り返りもしなかった。

 

指令室内の空気が一瞬で冷える。

 

「表面を塞いで、停止状態の検査を通しただけだ。推進力がかかった時に開く歪みは、それじゃ見つからない。十五パーセントで負荷が跳ねる。二十五パーセントで振れ幅が増える。通常巡航まで上げれば、推進軸がずれる可能性がある」

 

職員が小さく答える。

 

「しかし、断定は――」

 

「壊れるまで上げなきゃ断定できないとでも言うつもりか」

 

ジェームズの声は静かだった。

 

静かだからこそ、強い。

 

「それは検査じゃない―――破壊だ」

 

シャオメイも通信情報を表示する。

 

「第三中継点の応答遅延も増加しています。現在の位置であれば音声通信を維持できますが、さらに奥へ進んだ場合、常時接続は保証できません」

 

ペルシアは職員を見た。

 

「機体も駄目。通信も駄目。護衛もいない。その状態で、まだ誰が命令するか話し合ってるの?」

 

「ヴァレン准将は、任務の継続を――」

 

「だから、そのヴァレン准将はどこなの?」

 

ペルシアが問い終えた時だった。

 

指令室奥の扉が開いた。

 

二人の男が入ってくる。

 

一人は宇宙管理局長、マーカス。

 

もう一人は、宇宙連邦連盟のヴァレン准将だった。

 

二人の間には、協議を終えた者の空気がなかった。

 

互いに一歩も譲らず、話を途中で切り上げたまま指令室へ戻ってきたことが見て取れる。

 

マーカスは普段の余裕を消し、ヴァレン准将は険しい表情を崩していない。

 

ペルシアは二人を見るなり尋ねた。

 

「局長」

 

「ペルシア」

 

「権限移譲は?」

 

マーカスは短く息を吐いた。

 

「難航している」

 

「何で?」

 

「ヴァレン准将は、連盟が引き続き指揮権を保持すべきだと主張している」

 

ペルシアの視線がヴァレン准将へ移る。

 

「本気?」

 

「当然だ」

 

「当然?」

 

「本調査は宇宙連邦連盟が計画し、実施している。調査船の航行及び任務遂行に関する最終権限は、連盟調査本部にある」

 

「機体が正常ならね」

 

「運航は継続している」

 

「十パーセントで」

 

「停止はしていない」

 

ペルシアの目が細くなる。

 

「止まっていないから、まだ進ませるの?」

 

「そうは言っていない」

 

「じゃあどうするの?」

 

ヴァレン准将は主画面に表示された調査船を見る。

 

「調査を継続する」

 

指令室の音が消えた。

 

実際には、通信機器も端末も動いている。

 

だが、その言葉が落ちた瞬間、誰もが動きを止めた。

 

ペルシアは数秒、ヴァレン准将を見つめた。

 

「もう一度言って」

 

「調査を継続する」

 

「護衛艦二隻は?」

 

「帰還中だ」

 

「調査船の推進器は?」

 

「出力制限を行えば航行可能だ」

 

「通信は?」

 

「中継設備の追加配置を検討している」

 

「検討している間も先へ行かせるの?」

 

「調査船には、調査可能な能力が残っている」

 

「操縦士が一人で持たせているだけでしょう」

 

ヴァレン准将は表情を変えない。

 

「操縦責任者には、その能力がある」

 

その言葉に、ペルシアの指先が動いた。

 

能力がある。

 

だから使う。

 

危険でも。

 

孤立していても。

 

限界が近くても。

 

まだ操縦できるから。

 

マーカスが二人の間へ入るように口を開く。

 

「私は調査中止を提案している」

 

ヴァレン准将がマーカスを見る。

 

「調査予定区域の七割まで到達している。残り三割の観測を完了すれば、北部航路開発に必要な主要データが揃う。調査可能期間を逃せば、次の機会は一年以上先になる可能性がある」

 

マーカスは答える。

 

「それでも中止だ」

 

「護衛艦二隻が離脱した時点で、当初の安全条件は失われている」

 

「推進器にも重大な損傷の疑いがある」

 

「救援船を派遣し、調査船を帰還させる」

 

「機体は自力航行できている」

 

「今はな」

 

「出力を十パーセントに制限すればよい」

 

「十パーセントで未探索領域の調査を続けるのか?」

 

「航行時間は増えるが、不可能ではない」

 

「通信が切れた場合は?」

 

「中継設備を増設する」

 

「増設用の船は、まだ出ていない」

 

「準備を進めている」

 

「調査船は、その準備を待たずに進んでいる」

 

マーカスの声が低くなる。

 

「順番が逆だ」

 

ヴァレン准将は譲らない。

 

「調査を中止すれば、将来この宙域を通る船の安全に影響する。今回の調査結果によって、多くの命が将来、救われる可能性がある。そのための任務だ」

 

マーカスも引かなかった。

 

「将来救えるかもしれない命のために、今いる調査隊を失うつもりか」

 

「失うと決まったわけではない」

 

「失う可能性を示す材料は揃っている」

 

「危険があることは、当初から調査隊も承知している」

 

「当初想定されていなかった粉塵帯だ」

 

「未知の危険があることも含めて未探索領域だ」

 

「未知だから、何が起きても進ませていいわけじゃない」

 

「危険が発生するたびに撤退していては、未探索領域の調査は成立しない」

 

マーカスとヴァレン准将。

 

二人の主張は、完全に拮抗していた。

 

ヴァレン准将は任務の価値を語る。

 

マーカスは帰還能力を語る。

 

ヴァレン准将は将来の航路安全を語る。

 

マーカスは現在そこにいる者達の安全を語る。

 

どちらも、組織の責任者としては成立している。

 

だからこそ、決着がつかない。

 

ペルシアは二人の会話を聞きながら、調査船の通信表示を見た。

 

回線は開いている。

 

リュウジも聞いている。

 

だが、何も言わない。

 

異議を出して。

 

却下されて。

 

隊員達に黙られて。

 

それでも一か月間、船を動かしてきた。

 

今も、自分の生死に関わる話を聞きながら、口を挟まない。

 

命令を待っている。

 

また誰かが、自分の進む方向を決めるのを待っている。

 

ペルシアの胸の奥で、熱いものが膨れ上がった。

 

「局長」

 

マーカスがペルシアを見る。

 

「何だ?」

 

「代わって」

 

「ペルシア?」

 

「私が話す」

 

マーカスは数秒、ペルシアを見た。

 

普段なら、すぐに任せなかったかもしれない。

 

ペルシアは感情が先に出る。

 

相手の矛盾を見つければ、立場に関係なく踏み込む。

 

だが今。

 

マーカスは静かに一歩下がった。

 

「分かった」

 

ペルシアがヴァレン准将の前へ立つ。

 

「ヴァレン准将」

 

「何だ」

 

「あなたは、調査を続ければ将来の命を救えると言った」

 

「そうだ」

 

「その考え自体は否定しない」

 

ヴァレン准将の目が僅かに動く。

 

ペルシアは続ける。

 

「航路情報が増えれば、事故は減る。通信中継点が整備されれば、救難もしやすくなる。未探索領域を誰かが調べなければ、何も前へ進まない。そこまでは分かる」

 

「なら――」

 

「でも」

 

ペルシアの声が低くなる。

 

「どうして、そのために今そこにいる人間を壊していいことになるの?」

 

「壊すとは言っていない」

 

「もう壊れ始めてるでしょう!」

 

一気に声が上がった。

 

指令室にいた全員の視線が、ペルシアへ向く。

 

「護衛艦二隻が戻った!推進器は通常出力を出せない!通信は悪化してる!隊内の指揮系統は一度完全に崩れた!操縦責任者が撤退を求めた!それでも、まだ壊れてないって言うの!?」

 

「機体は運航可能だ」

 

「リュウジが持たせてるだけよ!」

 

ペルシアは調査船の機体ログを指さした。

 

「粉塵帯を抜けたのは誰?」

 

「リュウジだ」

 

「出力を十パーセントまで落としたのは?」

 

「リュウジだ」

 

「計器に出ない違和感を報告したのは?」

 

「リュウジだ」

 

「護衛艦が戻った後も、一か月間、調査船を動かしたのは?」

 

ヴァレン准将は答えなかった。

 

「リュウジでしょう!」

 

ペルシアの声が指令室に響く。

 

「本部が船を守ったんじゃない!調査隊が守ったんでもない!リュウジが、自分の感覚と操縦技術で、壊れかけた船を動かしてるの!その人間に向かって、まだ動けるから進めって言うの!?」

 

ヴァレン准将の声も強くなる。

 

「彼はS級操縦士だ」

 

「だから何!」

 

ペルシアが即座に叫び返した。

 

「S級なら死なないの!?――S級なら怖くないの!?――S級なら、誰にも支えられなくても一人で全員の命を背負えるの!?

 

「そのための資格ではない」

 

「でも、あなたはそう扱ってる!」

 

ペルシアは一歩、ヴァレン准将へ近づいた。

 

「操縦できるから操縦させる。異議を出しても却下する。隊が崩れても、まとめるのは責任者の仕事だと言う。機体が壊れかけても、まだ出力が残っていると言う。あなた達がやっているのは、能力の高い人間を限界まで使うことよ!」

 

「任務には危険が伴う」

 

「危険を受け入れることと、止まる判断を奪うことは違う!」

 

「操縦責任者には航路判断権限を与えている」

 

「撤退の判断は却下したでしょう!」

 

「任務全体を考慮した結果だ」

 

「リュウジの命は、任務全体に入ってないの!?」

 

ヴァレン准将が黙る。

 

ペルシアの呼吸は荒くなっていた。

 

普段のペルシアなら、ここで皮肉を挟む。

 

相手の言葉を利用し、笑いながら追い込む。

 

だが、今はできなかった。

 

通信の向こうにはリュウジがいる。

 

いつもより刺々しい声。

 

ペルシアと分かった時だけ、ほんの僅かに緩んだ声。

 

そして。

 

「通信を切らないで」と言った時。

 

小さく。

 

『切るな』

 

そう答えた。

 

あの一言を思い出すだけで、胸が痛んだ。

 

一か月。

 

誰にも本音を言えないまま。

 

帰りたいとも言わないまま。

 

問題ない。

 

運航可能。

 

任務継続可能。

 

そう言い続けた。

 

あのリュウジが、通信を切るなと言った。

 

それがどれほどのことか。

 

ここにいる者達は誰も分かっていない。

 

「人の命を何だと思ってるの!!」

 

ペルシアの叫びが、指令室全体を震わせた。

 

声が僅かに裏返る。

 

怒りが強すぎて、身体が追いついていない。

 

「まだ死んでないから使えると思ってるの!?――まだ操縦できるから大丈夫!?――まだ報告できるから正常!?――まだ命令に返事をするから、続けられる!?――そんなもの、安全管理でも指揮でもない!」

 

ペルシアの目に、僅かに涙が浮かんでいた。

 

泣きたいわけではない。

 

怒りと恐怖で、身体が勝手に反応している。

 

「現場の人間はね、限界になっても問題ないって言うのよ!――乗務員は緊急時には乗客の前では笑う!――救助する人間は、自分の酸素を後回しにする!――整備士は、自分が寝なくても機体を直す!――操縦士は、自分が怖くても操縦桿を離さない!――責任者は、自分が倒れそうでも、全員を帰そうとする!」

 

ペルシアは通信画面を指さした。

 

「リュウジは、そういう人間なの!――自分が止まったら、船も止まると思ってる!――自分が弱音を吐いたら、全員が不安になると思ってる!――自分が間違えたら、全員死ぬと思ってる!――だから問題ないって言う!――だから、まだできるって言う!――その言葉を、本当にそのまま信じて使い続けるのが本部の仕事なの!?」

 

ヴァレン准将は何も答えない。

 

「違うでしょう!」

 

ペルシアは叫ぶ。

 

「まだ帰れるうちに帰すのが本部の仕事でしょう!――壊れてから救難へ切り替えるんじゃ遅いの!――通信が切れてから異常だったと判断しても遅い!――死人が出てから、想定外だったって報告書を書いても遅いのよ!」

 

ペルシアは息を吸った。

 

声が震えている。

 

それでも、止めなかった。

 

「あなたは将来の命を守ると言った――でも、今そこにいる人達だって将来を持ってる!――帰る場所がある!――待ってる人がいる!――リュウジにはエリンがいる!――十四班がいる!――ドルトムントがある!――調査が終わった後も、生きて帰って続ける人生があるの!――その全部を、まだ動けるからって数字の中に入れないで!」

 

指令室に沈黙が落ちる。

 

マーカスは何も言わず、ペルシアを見ていた。

 

ジェームズは視線を伏せることなく、ヴァレン准将を見ている。

 

シャオメイは通信状況を確認しながらも、その手を止めていた。

 

フォックスが静かに口を開く。

 

「護衛艦二隻が必要だから、調査隊へ編成された」

 

ヴァレン准将がフォックスを見る。

 

「その二隻は離脱した。当初の安全条件は失われている。調査船が動くことと、調査隊が任務を継続できることは同じではない」

 

シャオメイも続ける。

 

「通信条件も、計画時の基準を満たしていません。現時点では回線を維持しています。ですが、これ以上進んだ場合、通信継続を保証できません」

 

ジェームズは短く言う。

 

「機体も同じだ。今は動く。次も動く保証はない」

 

ペルシアはヴァレン准将から目を逸らさなかった。

 

「まだ進ませる?」

 

ヴァレン准将は調査船の表示を見る。

 

長い沈黙。

 

「調査を停止すれば、今回の成果は不完全となる」

 

「不完全でいい」

 

ペルシアは即答する。

 

「生きて帰れば、次がある。船が戻れば、調べ直せる。ログを持ち帰れば、機体も検証できる。でも、死んだ人間に次はない」

 

ヴァレン准将の視線が僅かに下がる。

 

マーカスが口を開いた。

 

「ヴァレン准将」

 

「宇宙管理局として、調査継続を安全とは認定しない。推進系統の危険性。通信維持の困難。護衛編成の喪失。隊内指揮系統の崩壊。これらを認識した上で継続を命じるなら、その判断は連盟単独の責任として全記録へ残してもらう」

 

ヴァレン准将がマーカスを見る。

 

「共同機関としての責任を放棄するのか」

 

「逆だ」

 

マーカスの声は静かだった。

 

「責任を引き受けるから、止めろと言っている。私は継続命令には署名しない。宇宙管理局も、調査船の先行を支援しない。救援船は帰還支援のために出す。それでも調査を続けさせるか?」

 

ペルシアも続ける。

 

「リュウジが、もう一度止めるべきだと判断したら?また却下する?今度は推進が止まるかもしれない。通信が切れるかもしれない。それでも、本部の計画を優先する?」

 

ヴァレン准将は答えなかった。

 

ペルシアは最後に、低い声で言った。

 

「リュウジの命を賭ける権利なんて、あなたにはない」

 

長い沈黙の後。

 

ヴァレン准将が口を開いた。

 

「……調査船の運航及び安全管理権限を、宇宙管理局へ移譲する」

 

指令室の職員達が、一斉に顔を上げる。

 

「調査任務そのものの扱いについては、宇宙管理局の判断を確認した上で再協議とする」

 

ペルシアはすぐに言う。

 

「先へ進むかどうかを決めるのは、現場の操縦士よ」

 

ヴァレン准将の眉が僅かに動く。

 

「任務判断を操縦士一人へ委ねるのか」

 

「違う」

 

ペルシアは答えた。

 

「船が進めるか、戻れるか、どこまでなら安全に動かせるか、それを決めるのは操縦士。調査の価値を決めるのは本部。でも、操縦できる範囲を本部が決めるのは間違いよ」

 

マーカスが頷く。

 

「安全上の航行判断は、操縦責任者へ委ねる。宇宙管理局は、その判断を支持する」

 

ヴァレン准将は数秒黙り、やがて答えた。

 

「了解した」

 

マーカスが指示を出す。

 

「権限移譲時刻を記録。査船へ宇宙管理局の指揮識別コードを送れ。連盟からの直接運航命令は、本時刻をもって停止する。はい」

 

指令室の職員達が動き始める。

 

ペルシアは大きく息を吐いた。

 

だが、怒りはまだ消えていなかった。

 

むしろ。

 

これから見るものによって、さらに強くなることを、どこかで分かっていた。

 

 

「通信ログを開いて」

 

ペルシアが言う。

 

連盟職員が僅かに戸惑う。

 

「どの範囲でしょうか」

 

「粉塵帯へ入る前から、今まで全部」

 

「操縦室内の記録も含まれます」

 

「全部って言ったでしょう」

 

「隊員の個人情報や医療情報が――」

 

「今見るのは、命令と報告の流れよ」

 

「不要な個人情報は後で除外して」

 

「でも、生の記録は消さないで」

 

シャオメイが通信ログを整理する。

 

粉塵帯への進入。

 

粒子密度の上昇。

 

護衛艦二隻からの撤退要請。

 

調査船内の意見。

 

リュウジを起こすべきだという声。

 

それを拒むカイル。

 

進行継続。

 

小隕石との接触。

 

センサー損傷。

 

装甲損傷。

 

補助推進器停止。

 

リュウジの覚醒。

 

状況報告。

 

操縦交代要求。

 

カイルの拒否。

 

そして。

 

『代われ』

 

低い声。

 

それまで丁寧な言葉を使っていたリュウジが、初めて切り捨てるように命じた声。

 

ペルシアの表情が硬くなる。

 

ログは続く。

 

粉塵帯の突破。

 

船体損傷の確認。

 

撤退か継続かの隊内協議。

 

複数の隊員から撤退意見。

 

本部との通信。

 

リュウジの異議。

 

ヴァレン准将による却下。

 

そして。

 

『リュウジ以外に、調査継続命令へ異議がある者はいるか』

 

沈黙。

 

長い沈黙。

 

誰も答えない。

 

『異議のある者はいないのか』

 

それでも、誰も答えない。

 

『了解した。リュウジ以外から異議はないものと記録する』

 

ペルシアの両手が、ゆっくりと握られていく。

 

続いて流れたのは、リュウジの声だった。

 

『受領します』

 

硬い。

 

感情を全て切り落とした声。

 

『現在位置で修理を実施します』

 

『護衛艦二隻との合流後、当初計画に従い北部未探索領域へ進入します』

 

それ以降。

 

リュウジの会話は、必要な命令と報告だけになっていた。

 

理由を説明しない。

 

感情を見せない。

 

相談しない。

 

必要事項だけを聞き。

 

必要事項だけを返す。

 

セレナが心理状態を確認しても。

 

『任務中止基準に達していますか』

 

『達していないなら、問題ありません』

 

ソフィアが撤退の意思は変わっていないと言っても。

 

『本部から聞かれた時に言ってください』

 

ユアンが謝罪しても。

 

『謝る必要はありません』

 

マーヤが話し合いを求めても。

 

『これ以上、何を話せばいいんですか』

 

ログの最後。

 

リュウジは全員へ役割だけを与えていた。

 

人間として向き合うことをやめたように。

 

命令を出し。

 

返答を受け。

 

それだけで船を動かしている。

 

ペルシアは何も言わず、ログを最後まで見た。

 

指令室にいる者達も、声を出さなかった。

 

フォックスの表情は険しい。

 

シャオメイは口を結んでいる。

 

ジェームズは腕を組み、通信画面を睨んでいた。

 

マーカスも、普段の笑みを完全に消していた。

 

ペルシアが調査船の回線へ向き直る。

 

「リュウジ」

 

数秒後。

 

『聞こえてる』

 

先ほどよりも、さらに硬い声。

 

自分の通信ログを全て聞かれた。

 

知られたくなかった部分も。

 

誰にも支えられなかった瞬間も。

 

全て見られた。

 

「権限は宇宙管理局へ移った」

 

『了解』

 

「これからの操縦は、全部あなたに任せる」

 

調査船の操縦室で、全員の視線がリュウジへ向いた。

 

リュウジ自身も、僅かに眉を動かす。

 

『全部?』

 

「そう」

 

「調査を続けるか、どこで止まるか、引き返すか、機体をどう動かすか、誰を操縦席に置くか、全部、あなたが決めて」

 

『任務本部の計画は』

 

「今は考えなくていい」

 

『観測予定が残っている』

 

「気にしなくていい」

 

ペルシアは、はっきりと言った。

 

「こんな調査隊の馬鹿な連中も―――気にしなくていい」

 

操縦室の空気が凍った。

 

ソフィアが顔を上げる。

 

ノアの表情が険しくなる。

 

セレナもペルシアを見る。

 

『ペルシア』

 

リュウジが止めようとする。

 

だが、ペルシアは止まらなかった。

 

「いつもどおり操縦すればいい。あなたが船を見て、あなたが危険だと思ったら止める。戻るべきだと思ったら戻る。進めると思うなら進む。誰かの顔色も、本部の期待も、調査の成果も、今は考えなくていい」

 

『それでは責任者として――』

 

「あなたはもう十分責任を取った!」

 

ペルシアの声が強くなる。

 

「他の人間の分まで!――命令を破ったカイルの分も!――黙った隊員達の分も!――現場を見なかった本部の分も!――全部あなた一人が背負った!――これ以上、何を背負うのよ!」

 

調査船の中で、誰も動かなかった。

 

最初に声を上げたのはソフィアだった。

 

「待ってください」

 

ペルシアの目が細くなる。

 

「何?」

 

「私達を馬鹿と呼ぶのは違います」

 

ソフィアの声には、怒りと傷つきが混じっていた。

 

「私も撤退すべきだと思っていました。粉塵帯を抜けた後も、そう言いました」

 

「言ったわね」

 

「なら――」

 

「ヴァレン准将に聞かれた時は?」

 

ソフィアの声が止まる。

 

「何て言った?」

 

「……言えませんでした」

 

「どうして?」

 

「正式な異議として記録されることが怖くて」

 

「リュウジは記録されても言ったわよ」

 

「操縦責任者だからです」

 

「責任者なら怖くないと思ってるの?」

 

ソフィアが息を詰める。

 

ペルシアは容赦しなかった。

 

「あなたは、自分が怖かったから黙った。その間、リュウジ一人に正式な異議を背負わせた。それで今になって、自分も撤退すべきだと思っていたって?思っているだけで船は止まらない!――口にしなかった判断は、リュウジを守らない!」

 

「でも――」

 

「あなたが守ったのは、自分の記録でしょう!」

 

ソフィアの顔から血の気が引く。

 

ノアが立ち上がりかけた。

 

「言い過ぎです」

 

「何が?」

 

「俺達にも立場があります。連盟の命令下でした。上官の判断に、全員が同時に逆らえば指揮系統が崩れます」

 

ペルシアはノアを見る。

 

「もう崩れてたでしょう。カイルが命令を無視した時点で、それを止められなかった。リュウジを起こせなかった。護衛艦が撤退しろと言っても進ませた。その後で指揮系統を理由に黙った?都合が良すぎるわよ」

 

ノアの表情が硬くなる。

 

「俺はカイルの判断が間違っていたと言いました」

 

「カイル本人にはね」

 

「本部には言ってない」

 

「それでは足りないと?」

 

「足りない!」

 

ペルシアの声が響く。

 

「操縦士が間違った時だけ、本人に責任を求める!でも本部が間違った時は、規則だから黙る!その結果、誰が間に立つの?―――リュウジでしょう!――あなた達は規則に従った顔をして、その規則で生まれた危険を、全部操縦士に処理させたのよ!」

 

マーヤが口を開いた。

 

「私達には、任務中止を決定する権限がありません」

 

ペルシアがマーヤを見る。

 

「決定しろなんて言ってない。意見を言えと言われたのよ――それでも黙った」

 

「機体が修理可能だったからです。技術者として、継続不能とは断言できませんでした」

 

「だから操縦士に決めさせた?」

 

「そういう意味では――」

 

「同じよ!」

 

ペルシアは画面上の機体ログを示す。

 

「あなたが修理可能と言った船に、実際には、出力を上げれば止まる損傷が残っていた!」

 

マーヤの顔が強張る。

 

「それは通常検査では――」

 

「見つけられなかった。それは責めてない。技術者でも見えない異常はある。だから操縦士の違和感を信じなきゃいけないの!あなたが数値で断言できない時、最後に船の状態を受け取るのは操縦士の身体よ!――操縦桿の重さ、座席へ返る振動、入力に対する僅かな遅れ、その全部を、リュウジ一人が拾ってる!――なのに数字が正常だから進める?数字で責任を取れない部分を、操縦士に押し付けただけでしょう!」

 

マーヤは何も言えなかった。

 

ユアンが震える声で言う。

 

「俺は、通信士です。命令を正確に伝える役割です。自分の意見を、公式回線で言っていいのか分かりませんでした」

 

「通信士は人間じゃないの?」

 

「そんなことは――」

 

「命令を伝えるだけの機械なの?」

 

「違います」

 

「なら、危険だと思った時に言いなさい!」

 

ペルシアの声が鋭くなる。

 

「あなたは粉塵帯の中で、カイルの命令を送ることが怖かったと言った。誰に従えばいいか分からなかったとも言った。それを知っていたのに、本部から聞かれた時は通信士だから黙った?役割を言い訳にしないで!――リュウジは操縦士よ!操縦しながら、指揮して、機体を守って、隊員の意見を聞いて、本部へ説明して、異議まで一人で出した!――どうして通信士だけが、役割の外だから言えないで済むの!」

 

ユアンは俯いた。

 

「……すみません」

 

「私に謝らないで」

 

ペルシアは冷たく言う。

 

「リュウジに謝ったって、あの時の沈黙は消えない」

 

セレナが静かに口を開く。

 

「私は医療担当者として、任務中止基準へ達していると診断できませんでした」

 

ペルシアの目がセレナへ向く。

 

「だから黙った?」

 

「医療判断を越える発言になる可能性がありました」

 

「あなたは撤退を提案していたでしょう」

 

「心理負荷が高かったからです」

 

「なら、どうして本部へ言わなかったの?」

 

「ヴァレン准将から、任務中止基準には達していないと指摘されました」

 

「それで引いた?」

 

「診断基準は守らなければなりません」

 

ペルシアは数秒、セレナを見つめた。

 

「あなたが一番残酷よ」

 

セレナの顔が強張る。

 

「何ですって?」

 

「リュウジに、本音を言えって求めたんでしょう」

 

セレナは答えなかった。

 

通信ログに残っている。

 

出発前から。

 

自分が何を考えているか。

 

何を怖がっているか。

 

隠さずに言ってほしい。

 

そう求めた。

 

「リュウジは言った。怖いって、隊を信頼できるか分からないって、自分が判断を誤るのが怖いって―――言葉にした!――なのに、あなた自身は本部の前で黙った!――医療基準を理由に!」

 

ペルシアの声が震える。

 

「自分の本音を言えと求めた相手が、一人で異議を出している時に、あなたは専門家の立場へ逃げた!――リュウジが、その後何て言ったか分かってる?」

 

セレナの唇が僅かに動く。

 

ペルシアは通信ログを再生した。

 

『任務中止基準に達していますか』

 

『達していないなら、問題ありません』

 

硬い声が流れる。

 

ペルシアはセレナを見る。

 

「あなた達が教えたのよ、本音を言っても意味がないって、基準に達していなければ、苦しくても問題ないって、だから、リュウジは二度と話さなくなった」

 

セレナの目が揺れる。

 

「私は、そのつもりでは――」

 

「つもりなんて関係ない!」

 

ペルシアが叫ぶ。

 

「言われなかったことは分からない!――そう言ったのは、あなた達でしょう!――リュウジに判断を見せろ、考えを話せ、怖いなら言え、そう求めておいて!――自分達は立場と基準を理由に黙る!――勝手すぎるのよ!」

 

オスカーが低い声で言った。

 

「俺は、船を修理できると言った。だが、今の隊では飛ばしたくないとも言った。本部へ言えなかったのは、俺の責任だ」

 

ペルシアはオスカーを見る。

 

オスカーは目を逸らさなかった。

 

「言い訳しない」

 

「すまなかった」

 

ペルシアは数秒、黙った。

 

「少なくとも、あなたは今、自分の責任だと言った―――でも」

 

声は少しも柔らかくならない。

 

「整備士が修理できると言えば、操縦士はその船を動かす。飛ばしたくないと思ったなら、言わなきゃいけなかった。修理可能と安全に任務継続可能は違う。ジェームズなら、そこを分ける」

 

ジェームズは何も言わない。

 

オスカーは俯く。

 

「……ああ」

 

アデルが声を出した。

 

「私達には、調査を続ける理由もありました。粉塵帯の観測データは重要です。本来の調査区域へ入ったばかりでした。ここで戻れば、一年以上機会を失う可能性が――」

 

「だからリュウジの命と比べた?」

 

ペルシアの声は冷たかった。

 

「そういう意味ではありません」

 

「同じよ」

 

「調査データには将来的な価値があります。将来、事故を防げるかもしれない」

 

「でも、あなた達はその価値を考える時に、今操縦している人間へ、どれだけの命が乗っているか考えた?」

 

アデルが黙る。

 

「調査船の全員。戻れなかった護衛艦の分、本部の期待、将来の航路。全部、リュウジの操縦に乗せた。その重さを計算した?観測点の価値は数値にした、調査期間も数えた、次の機会が一年後だという損失も考えた―――でも!」

 

ペルシアの声が再び荒れる。

 

「リュウジが操縦を一度間違えたら、何人死ぬか!その判断を一か月続けることが、どれだけ人間を削るか!誰も考えてないでしょう!」

 

ベンが静かに言う。

 

「俺は、条件付きで継続できると考えました。カイルを主操縦から外し、船体を修理すれば――」

 

「あなたは条件を考えた」

 

ペルシアが遮る。

 

「その条件を満たすために、誰が判断し続けるかは考えた?」

 

ベンの声が止まる。

 

「カイルを外せば、残る責任者はリュウジ。船体を修理しても、異常を最初に拾うのはリュウジ。通信が切れたら、現場判断をするのもリュウジ。調査データが欲しいのはあなた。でも、そのために操縦席で命を背負うのはリュウジ!――条件付きって、誰にとっての条件なのよ!―――あなたはデータを得る条件を考えただけ――操縦士が生きて帰る条件を考えてない!」

 

ベンは反論できなかった。

 

最後に。

 

カイルが口を開いた。

 

「俺は、調査を続けるべきだと判断した」

 

操縦室の空気がさらに張りつめる。

 

「粉塵帯へ進入した判断は、俺の責任だ。だが、調査そのものの価値まで否定されるべきではない」

 

ペルシアの目が、冷たくカイルへ向く。

 

「あなたがカイル?」

 

「ああ」

 

「第一副操縦士?」

 

「そうだ」

 

「リュウジを起こさなかった?」

 

カイルは一瞬黙る。

 

「休息が必要だった」

 

「複数の隊員が起こすべきだと言った」

 

「俺は突破できると判断した」

 

「護衛艦二隻が撤退を求めた」

 

「調査船の性能なら通過できると――」

 

「実際に通過させたのはリュウジよ」

 

カイルの表情が硬くなる。

 

「最終的にはな」

 

「最終的には?」

 

ペルシアの声が低くなる。

 

「あなたがセンサーを壊して、装甲を削って、補助推進器を止めて、船を粉塵帯の中へ入れた後に、起きたリュウジへ渡した。それで、最終的には?」

 

「俺は操縦を放棄していない」

 

「交代要求も拒否したでしょう」

 

「まだ制御できると判断した」

 

「判断を間違えた人間が、まだ判断できると言い続けたのね」

 

カイルの眉が動く。

 

「結果論だ」

 

「違う!」

 

ペルシアが激しく言い返した。

 

「護衛艦から警告が出た!――隊員から撤退意見が出た!――船体損傷が増えた!――起こせという声も出た!――結果が出る前に、何度も止まる機会があった!――全部無視したのはあなた!――それを結果論って言うな!」

 

カイルが立ち上がる。

 

「俺にも操縦士としての判断がある!」

 

「なら、操縦士にかかる命の重さを理解しなさい!」

 

ペルシアの声がカイルを叩く。

 

「操縦士の判断は、自尊心を証明するためのものじゃない!――自分が正しいと示すために船を進めるものじゃない!一度の判断に、全員の命が乗るの!――だから怖がるべきなの!――迷うべきなの!――周囲の声を聞くべきなの!――あなたは、操縦士の権限だけ欲しがって――操縦士が背負う恐怖を理解していない!」

 

カイルの顔が歪む。

 

「俺が怖くなかったと思うのか」

 

「怖かったなら、どうして止まらなかったの?止まれば、リュウジが正しかったことになるから?」

 

カイルの息が止まる。

 

ペルシアは通信ログから、カイルの発言と操縦経過を読み取っていた。

 

自分の判断を証明しようとした。

 

外部から来たS級。

 

途中参加の操縦責任者。

 

その男に負けたくなかった。

 

「あなたは船を使った」

 

ペルシアは低く言う。

 

「自分の正しさを証明するために…そして失敗したら、リュウジに渡した。それでも調査を続けろと言った。もう操縦判断に口を出さないで」

 

「何だと」

 

「宇宙管理局の権限で命じる」

 

ペルシアは一歩も引かない。

 

「カイルの操縦権限を停止。航路及び推進判断への発言権も停止。機体情報の提供以外、操縦責任者の判断へ介入することを禁止する」

 

「俺は第一副操縦士だ!」

 

「今はただの情報提供者よ」

 

「本部の処分は主操縦禁止だけだ!」

 

「権限は宇宙管理局へ移った」

 

ペルシアは冷たく言い切った。

 

「私が決める」

 

カイルは何も言えなくなった。

 

ペルシアは調査隊全体へ向けて言った。

 

「誰一人、操縦士にかかる命の重さを理解していない。一人が操縦桿を握れば、その手に全員の命が乗る。操縦士が眠れば不安になる。起きていれば休ませろと言う。判断を共有すれば、分かりにくいと言う。一人で決めれば、独断だと言う。危険だと言えば、数値を求める。数値が出なければ、感覚では止められないと言う。事故が起きれば、なぜ止めなかったと責める!」

 

ペルシアの声は、怒りで震えていた。

 

「規則が絡めば、本部のせい!――責任が絡めば、操縦責任者の仕事!――正式記録が絡めば、皆で黙る!――それで最後は、リュウジ一人に責任を押し付けた!――船を守れ!――隊をまとめろ!――本部へ説明しろ!――異常を見つけろ!――命令にも従え!一人の人間に、どれだけ背負わせれば気が済むのよ!」

 

誰も口を開けなかった。

 

今度の沈黙は、ヴァレン准将に問われた時とは違う。

 

何を言っても、ペルシアに返されるからではない。

 

自分達の言葉と行動の間にあった矛盾を、突きつけられたからだった。

 

リュウジが低い声で言う。

 

『ペルシア』

 

「何?」

 

『もういい』

 

「良くない」

 

『これ以上言っても、帰還には関係ない』

 

「またそうやって終わらせる」

 

『違う』

 

「何が違うの?」

 

『俺も、説明の仕方を間違えた』

 

ペルシアの表情が変わる。

 

『もっと早く起きるべきだった。カイルさんの判断を把握できなかった。隊員が発言しやすい状態を作れなかった。俺にも責任はある』

 

ペルシアは暫く黙った。

 

それから。

 

「ほら」

 

静かな声で言った。

 

「また自分の責任を足した」

 

リュウジは答えない。

 

「あなたは、自分の悪かったところを考えられる。それは長所よ。でも今は、それをしなくていい」

 

『責任者として必要だ』

 

「今必要なのは操縦。責任の整理は帰ってから」

 

『だが』

 

「リュウジ」

 

ペルシアの声が少しだけ柔らかくなる。

 

「今までどおりでいい」

 

『今までどおり?』

 

「いつものあなたの操縦。機体の違和感を見逃さない。危険だと思ったら止める。他人に無理だと言われても、自分が安全だと思う航路を選ぶ――でも」

 

ペルシアは一度、息を吸った。

 

「誰かの期待に応えるための操縦はしなくていい。カイルへ勝つためでもない。ヴァレン准将を納得させるためでもない。調査隊の評価を守るためでもない。皆を生きて帰すためだけに操縦して」

 

リュウジは主画面を見つめた。

 

推進出力、十パーセント。

 

前方には未観測区域。

 

後方には、すでに通過した航路。

 

現在の機体状態。

 

燃料。

 

通信。

 

帰還までの距離。

 

全てを確認する。

 

『俺が戻ると判断したら』

 

「戻って」

 

『調査を打ち切ることになる』

 

「いい」

 

『一年以上、再調査できない可能性がある』

 

「いい」

 

『本部から責任を問われる』

 

「私と局長が受ける」

 

『調査隊が反対したら』

 

「無視して」

 

操縦室の何人かが顔を上げる。

 

ペルシアは気にしなかった。

 

「操縦の安全判断に関しては、誰の意見も聞かなくていい。必要だと思う情報だけ聞いて。最終判断はリュウジがして。宇宙管理局は、その判断を支持する」

 

リュウジは長く黙った。

 

それは、今まで与えられていたものとは違った。

 

責任だけではない。

 

信頼だった。

 

何か起きた時に責めるための権限ではない。

 

判断した後に、組織が支えるという約束。

 

『分かった』

 

声に、僅かな変化があった。

 

まだ疲れている。

 

まだ硬い。

 

それでも。

 

最初に通信が繋がった時の、刺すような鋭さが少し薄れていた。

 

『船体状況を再評価する』

 

「うん」

 

『推進出力は十パーセントを維持』

 

「うん」

 

『現状では、これ以上未探索領域の奥へ進むべきではない』

 

操縦室が静まる。

 

リュウジは、誰の顔も見なかった。

 

主画面と機体ログだけを見る。

 

『調査を中止する。現在位置から反転し、帰還航路へ入る』

 

誰も口を挟まなかった。

 

ペルシアが答える。

 

「了解」

 

『反転には補助推進器への負荷がかかる。通常手順は使えない』

 

ジェームズがすぐに言う。

 

「一度に回すな。主推進を八まで落とせ、補助推進器一番と四番を交互に使う。一回の姿勢変更は三度以内」

 

『反転まで六時間以上かかる』

 

「かけろ」

 

『燃料消費が増える』

 

「救援船と合流する分は残る」

 

シャオメイも続く。

 

「帰還方向へ転進すれば、中継点との距離は縮まります。通信状態は徐々に改善する見込みです」

 

フォックスが航路を確認する。

 

「後方は通過済みだ。未知の危険は前方より少ない」

 

リュウジは一つずつ情報を受け取る。

 

命令ではない。

 

判断材料。

 

決めるのは自分。

 

だが。

 

決めた後、一人にはされない。

 

『了解』

 

リュウジは操縦桿へ手を置いた。

 

『主推進出力を八パーセントへ低下』

 

『補助推進器一番、四番を交互使用』

 

『姿勢変更角度、三度』

 

『船体負荷を確認しながら反転する』

 

ペルシアは通信画面を見つめる。

 

「リュウジ」

 

『何だ』

 

「今度はちゃんと帰ってきて」

 

『帰る』

 

「絶対?」

 

『可能な限り』

 

「そこは絶対って言いなさいよ」

 

リュウジは僅かに息を吐いた。

 

『努力する』

 

「変わらないわね」

 

『無理な約束はしない』

 

ペルシアは小さく笑った。

 

「それでいい」

 

調査船の補助推進器が、短く噴射する。

 

船体が三度だけ傾く。

 

停止。

 

構造負荷を確認。

 

異常なし。

 

もう一度。

 

三度。

 

それまで調査船は、一か月間、未探索領域の奥だけを向いていた。

 

進め。

 

調べろ。

 

止まるな。

 

命令と期待に押されながら。

 

だが今。

 

リュウジ自身の判断によって。

 

少しずつ。

 

本当に少しずつ。

 

船首が帰還方向へ向き始めた。

 

調査隊の誰かが決めたのではない。

 

ヴァレン准将に従ったのでもない。

 

ペルシアが航路を命じたわけでもない。

 

船を最も近くで感じている操縦士が。

 

全員を生きて帰すために選んだ航路だった。

 

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