調査船との通信は、まだ繋がっていた。
大型画面の片隅には、北部未探索領域を進む調査船の現在位置が表示されている。
推進出力、十パーセント。
護衛艦二隻はすでに離脱。
機体外壁は修復済みと記録されているが、推進器周辺の支持構造には、動的負荷がかかった時だけ現れる損傷の可能性がある。
通信も、未探索領域の奥へ進むほど不安定になる。
ジェームズの解析によって、出力を上げれば推進機能そのものを失う危険性まで判明した。
それでも。
調査船は、まだ調査航路の上にいた。
ペルシアは宇宙連邦連盟の職員へ向き直った。
「それで」
職員の肩が僅かに強張る。
「調査船に対する指揮権限は、宇宙管理局に引き継いだということでいいの?」
「いえ」
返ってきた答えは、ペルシアが予想していたものとは違った。
「いえ?」
「権限移譲については、現在、ヴァレン准将と宇宙管理局長が協議しています」
ペルシアの眉がゆっくりと上がる。
「協議中?」
「はい」
「護衛艦が二隻とも引き返して、調査船の推進器が壊れかけて、通信まで悪化しているのに?」
「技術評価については、先ほど正式に報告を受けたばかりです」
「リュウジはもっと前から違和感を報告していたでしょう」
「計器上の異常は確認されていませんでした」
「計器に出ないから、今ここにいるんでしょうが」
ペルシアの声が低くなる。
職員は反論できず、僅かに視線を下げた。
ジェームズが推進系統の波形を見たまま言う。
「連盟は出力を戻させるつもりだったのか」
職員は答えに迷った。
「修理及び検査の完了後、段階的な出力回復を指示しています」
「殺す気か」
ジェームズは振り返りもしなかった。
指令室内の空気が一瞬で冷える。
「表面を塞いで、停止状態の検査を通しただけだ。推進力がかかった時に開く歪みは、それじゃ見つからない。十五パーセントで負荷が跳ねる。二十五パーセントで振れ幅が増える。通常巡航まで上げれば、推進軸がずれる可能性がある」
職員が小さく答える。
「しかし、断定は――」
「壊れるまで上げなきゃ断定できないとでも言うつもりか」
ジェームズの声は静かだった。
静かだからこそ、強い。
「それは検査じゃない―――破壊だ」
シャオメイも通信情報を表示する。
「第三中継点の応答遅延も増加しています。現在の位置であれば音声通信を維持できますが、さらに奥へ進んだ場合、常時接続は保証できません」
ペルシアは職員を見た。
「機体も駄目。通信も駄目。護衛もいない。その状態で、まだ誰が命令するか話し合ってるの?」
「ヴァレン准将は、任務の継続を――」
「だから、そのヴァレン准将はどこなの?」
ペルシアが問い終えた時だった。
指令室奥の扉が開いた。
二人の男が入ってくる。
一人は宇宙管理局長、マーカス。
もう一人は、宇宙連邦連盟のヴァレン准将だった。
二人の間には、協議を終えた者の空気がなかった。
互いに一歩も譲らず、話を途中で切り上げたまま指令室へ戻ってきたことが見て取れる。
マーカスは普段の余裕を消し、ヴァレン准将は険しい表情を崩していない。
ペルシアは二人を見るなり尋ねた。
「局長」
「ペルシア」
「権限移譲は?」
マーカスは短く息を吐いた。
「難航している」
「何で?」
「ヴァレン准将は、連盟が引き続き指揮権を保持すべきだと主張している」
ペルシアの視線がヴァレン准将へ移る。
「本気?」
「当然だ」
「当然?」
「本調査は宇宙連邦連盟が計画し、実施している。調査船の航行及び任務遂行に関する最終権限は、連盟調査本部にある」
「機体が正常ならね」
「運航は継続している」
「十パーセントで」
「停止はしていない」
ペルシアの目が細くなる。
「止まっていないから、まだ進ませるの?」
「そうは言っていない」
「じゃあどうするの?」
ヴァレン准将は主画面に表示された調査船を見る。
「調査を継続する」
指令室の音が消えた。
実際には、通信機器も端末も動いている。
だが、その言葉が落ちた瞬間、誰もが動きを止めた。
ペルシアは数秒、ヴァレン准将を見つめた。
「もう一度言って」
「調査を継続する」
「護衛艦二隻は?」
「帰還中だ」
「調査船の推進器は?」
「出力制限を行えば航行可能だ」
「通信は?」
「中継設備の追加配置を検討している」
「検討している間も先へ行かせるの?」
「調査船には、調査可能な能力が残っている」
「操縦士が一人で持たせているだけでしょう」
ヴァレン准将は表情を変えない。
「操縦責任者には、その能力がある」
その言葉に、ペルシアの指先が動いた。
能力がある。
だから使う。
危険でも。
孤立していても。
限界が近くても。
まだ操縦できるから。
マーカスが二人の間へ入るように口を開く。
「私は調査中止を提案している」
ヴァレン准将がマーカスを見る。
「調査予定区域の七割まで到達している。残り三割の観測を完了すれば、北部航路開発に必要な主要データが揃う。調査可能期間を逃せば、次の機会は一年以上先になる可能性がある」
マーカスは答える。
「それでも中止だ」
「護衛艦二隻が離脱した時点で、当初の安全条件は失われている」
「推進器にも重大な損傷の疑いがある」
「救援船を派遣し、調査船を帰還させる」
「機体は自力航行できている」
「今はな」
「出力を十パーセントに制限すればよい」
「十パーセントで未探索領域の調査を続けるのか?」
「航行時間は増えるが、不可能ではない」
「通信が切れた場合は?」
「中継設備を増設する」
「増設用の船は、まだ出ていない」
「準備を進めている」
「調査船は、その準備を待たずに進んでいる」
マーカスの声が低くなる。
「順番が逆だ」
ヴァレン准将は譲らない。
「調査を中止すれば、将来この宙域を通る船の安全に影響する。今回の調査結果によって、多くの命が将来、救われる可能性がある。そのための任務だ」
マーカスも引かなかった。
「将来救えるかもしれない命のために、今いる調査隊を失うつもりか」
「失うと決まったわけではない」
「失う可能性を示す材料は揃っている」
「危険があることは、当初から調査隊も承知している」
「当初想定されていなかった粉塵帯だ」
「未知の危険があることも含めて未探索領域だ」
「未知だから、何が起きても進ませていいわけじゃない」
「危険が発生するたびに撤退していては、未探索領域の調査は成立しない」
マーカスとヴァレン准将。
二人の主張は、完全に拮抗していた。
ヴァレン准将は任務の価値を語る。
マーカスは帰還能力を語る。
ヴァレン准将は将来の航路安全を語る。
マーカスは現在そこにいる者達の安全を語る。
どちらも、組織の責任者としては成立している。
だからこそ、決着がつかない。
ペルシアは二人の会話を聞きながら、調査船の通信表示を見た。
回線は開いている。
リュウジも聞いている。
だが、何も言わない。
異議を出して。
却下されて。
隊員達に黙られて。
それでも一か月間、船を動かしてきた。
今も、自分の生死に関わる話を聞きながら、口を挟まない。
命令を待っている。
また誰かが、自分の進む方向を決めるのを待っている。
ペルシアの胸の奥で、熱いものが膨れ上がった。
「局長」
マーカスがペルシアを見る。
「何だ?」
「代わって」
「ペルシア?」
「私が話す」
マーカスは数秒、ペルシアを見た。
普段なら、すぐに任せなかったかもしれない。
ペルシアは感情が先に出る。
相手の矛盾を見つければ、立場に関係なく踏み込む。
だが今。
マーカスは静かに一歩下がった。
「分かった」
ペルシアがヴァレン准将の前へ立つ。
「ヴァレン准将」
「何だ」
「あなたは、調査を続ければ将来の命を救えると言った」
「そうだ」
「その考え自体は否定しない」
ヴァレン准将の目が僅かに動く。
ペルシアは続ける。
「航路情報が増えれば、事故は減る。通信中継点が整備されれば、救難もしやすくなる。未探索領域を誰かが調べなければ、何も前へ進まない。そこまでは分かる」
「なら――」
「でも」
ペルシアの声が低くなる。
「どうして、そのために今そこにいる人間を壊していいことになるの?」
「壊すとは言っていない」
「もう壊れ始めてるでしょう!」
一気に声が上がった。
指令室にいた全員の視線が、ペルシアへ向く。
「護衛艦二隻が戻った!推進器は通常出力を出せない!通信は悪化してる!隊内の指揮系統は一度完全に崩れた!操縦責任者が撤退を求めた!それでも、まだ壊れてないって言うの!?」
「機体は運航可能だ」
「リュウジが持たせてるだけよ!」
ペルシアは調査船の機体ログを指さした。
「粉塵帯を抜けたのは誰?」
「リュウジだ」
「出力を十パーセントまで落としたのは?」
「リュウジだ」
「計器に出ない違和感を報告したのは?」
「リュウジだ」
「護衛艦が戻った後も、一か月間、調査船を動かしたのは?」
ヴァレン准将は答えなかった。
「リュウジでしょう!」
ペルシアの声が指令室に響く。
「本部が船を守ったんじゃない!調査隊が守ったんでもない!リュウジが、自分の感覚と操縦技術で、壊れかけた船を動かしてるの!その人間に向かって、まだ動けるから進めって言うの!?」
ヴァレン准将の声も強くなる。
「彼はS級操縦士だ」
「だから何!」
ペルシアが即座に叫び返した。
「S級なら死なないの!?――S級なら怖くないの!?――S級なら、誰にも支えられなくても一人で全員の命を背負えるの!?
「そのための資格ではない」
「でも、あなたはそう扱ってる!」
ペルシアは一歩、ヴァレン准将へ近づいた。
「操縦できるから操縦させる。異議を出しても却下する。隊が崩れても、まとめるのは責任者の仕事だと言う。機体が壊れかけても、まだ出力が残っていると言う。あなた達がやっているのは、能力の高い人間を限界まで使うことよ!」
「任務には危険が伴う」
「危険を受け入れることと、止まる判断を奪うことは違う!」
「操縦責任者には航路判断権限を与えている」
「撤退の判断は却下したでしょう!」
「任務全体を考慮した結果だ」
「リュウジの命は、任務全体に入ってないの!?」
ヴァレン准将が黙る。
ペルシアの呼吸は荒くなっていた。
普段のペルシアなら、ここで皮肉を挟む。
相手の言葉を利用し、笑いながら追い込む。
だが、今はできなかった。
通信の向こうにはリュウジがいる。
いつもより刺々しい声。
ペルシアと分かった時だけ、ほんの僅かに緩んだ声。
そして。
「通信を切らないで」と言った時。
小さく。
『切るな』
そう答えた。
あの一言を思い出すだけで、胸が痛んだ。
一か月。
誰にも本音を言えないまま。
帰りたいとも言わないまま。
問題ない。
運航可能。
任務継続可能。
そう言い続けた。
あのリュウジが、通信を切るなと言った。
それがどれほどのことか。
ここにいる者達は誰も分かっていない。
「人の命を何だと思ってるの!!」
ペルシアの叫びが、指令室全体を震わせた。
声が僅かに裏返る。
怒りが強すぎて、身体が追いついていない。
「まだ死んでないから使えると思ってるの!?――まだ操縦できるから大丈夫!?――まだ報告できるから正常!?――まだ命令に返事をするから、続けられる!?――そんなもの、安全管理でも指揮でもない!」
ペルシアの目に、僅かに涙が浮かんでいた。
泣きたいわけではない。
怒りと恐怖で、身体が勝手に反応している。
「現場の人間はね、限界になっても問題ないって言うのよ!――乗務員は緊急時には乗客の前では笑う!――救助する人間は、自分の酸素を後回しにする!――整備士は、自分が寝なくても機体を直す!――操縦士は、自分が怖くても操縦桿を離さない!――責任者は、自分が倒れそうでも、全員を帰そうとする!」
ペルシアは通信画面を指さした。
「リュウジは、そういう人間なの!――自分が止まったら、船も止まると思ってる!――自分が弱音を吐いたら、全員が不安になると思ってる!――自分が間違えたら、全員死ぬと思ってる!――だから問題ないって言う!――だから、まだできるって言う!――その言葉を、本当にそのまま信じて使い続けるのが本部の仕事なの!?」
ヴァレン准将は何も答えない。
「違うでしょう!」
ペルシアは叫ぶ。
「まだ帰れるうちに帰すのが本部の仕事でしょう!――壊れてから救難へ切り替えるんじゃ遅いの!――通信が切れてから異常だったと判断しても遅い!――死人が出てから、想定外だったって報告書を書いても遅いのよ!」
ペルシアは息を吸った。
声が震えている。
それでも、止めなかった。
「あなたは将来の命を守ると言った――でも、今そこにいる人達だって将来を持ってる!――帰る場所がある!――待ってる人がいる!――リュウジにはエリンがいる!――十四班がいる!――ドルトムントがある!――調査が終わった後も、生きて帰って続ける人生があるの!――その全部を、まだ動けるからって数字の中に入れないで!」
指令室に沈黙が落ちる。
マーカスは何も言わず、ペルシアを見ていた。
ジェームズは視線を伏せることなく、ヴァレン准将を見ている。
シャオメイは通信状況を確認しながらも、その手を止めていた。
フォックスが静かに口を開く。
「護衛艦二隻が必要だから、調査隊へ編成された」
ヴァレン准将がフォックスを見る。
「その二隻は離脱した。当初の安全条件は失われている。調査船が動くことと、調査隊が任務を継続できることは同じではない」
シャオメイも続ける。
「通信条件も、計画時の基準を満たしていません。現時点では回線を維持しています。ですが、これ以上進んだ場合、通信継続を保証できません」
ジェームズは短く言う。
「機体も同じだ。今は動く。次も動く保証はない」
ペルシアはヴァレン准将から目を逸らさなかった。
「まだ進ませる?」
ヴァレン准将は調査船の表示を見る。
長い沈黙。
「調査を停止すれば、今回の成果は不完全となる」
「不完全でいい」
ペルシアは即答する。
「生きて帰れば、次がある。船が戻れば、調べ直せる。ログを持ち帰れば、機体も検証できる。でも、死んだ人間に次はない」
ヴァレン准将の視線が僅かに下がる。
マーカスが口を開いた。
「ヴァレン准将」
「宇宙管理局として、調査継続を安全とは認定しない。推進系統の危険性。通信維持の困難。護衛編成の喪失。隊内指揮系統の崩壊。これらを認識した上で継続を命じるなら、その判断は連盟単独の責任として全記録へ残してもらう」
ヴァレン准将がマーカスを見る。
「共同機関としての責任を放棄するのか」
「逆だ」
マーカスの声は静かだった。
「責任を引き受けるから、止めろと言っている。私は継続命令には署名しない。宇宙管理局も、調査船の先行を支援しない。救援船は帰還支援のために出す。それでも調査を続けさせるか?」
ペルシアも続ける。
「リュウジが、もう一度止めるべきだと判断したら?また却下する?今度は推進が止まるかもしれない。通信が切れるかもしれない。それでも、本部の計画を優先する?」
ヴァレン准将は答えなかった。
ペルシアは最後に、低い声で言った。
「リュウジの命を賭ける権利なんて、あなたにはない」
長い沈黙の後。
ヴァレン准将が口を開いた。
「……調査船の運航及び安全管理権限を、宇宙管理局へ移譲する」
指令室の職員達が、一斉に顔を上げる。
「調査任務そのものの扱いについては、宇宙管理局の判断を確認した上で再協議とする」
ペルシアはすぐに言う。
「先へ進むかどうかを決めるのは、現場の操縦士よ」
ヴァレン准将の眉が僅かに動く。
「任務判断を操縦士一人へ委ねるのか」
「違う」
ペルシアは答えた。
「船が進めるか、戻れるか、どこまでなら安全に動かせるか、それを決めるのは操縦士。調査の価値を決めるのは本部。でも、操縦できる範囲を本部が決めるのは間違いよ」
マーカスが頷く。
「安全上の航行判断は、操縦責任者へ委ねる。宇宙管理局は、その判断を支持する」
ヴァレン准将は数秒黙り、やがて答えた。
「了解した」
マーカスが指示を出す。
「権限移譲時刻を記録。査船へ宇宙管理局の指揮識別コードを送れ。連盟からの直接運航命令は、本時刻をもって停止する。はい」
指令室の職員達が動き始める。
ペルシアは大きく息を吐いた。
だが、怒りはまだ消えていなかった。
むしろ。
これから見るものによって、さらに強くなることを、どこかで分かっていた。
◇
「通信ログを開いて」
ペルシアが言う。
連盟職員が僅かに戸惑う。
「どの範囲でしょうか」
「粉塵帯へ入る前から、今まで全部」
「操縦室内の記録も含まれます」
「全部って言ったでしょう」
「隊員の個人情報や医療情報が――」
「今見るのは、命令と報告の流れよ」
「不要な個人情報は後で除外して」
「でも、生の記録は消さないで」
シャオメイが通信ログを整理する。
粉塵帯への進入。
粒子密度の上昇。
護衛艦二隻からの撤退要請。
調査船内の意見。
リュウジを起こすべきだという声。
それを拒むカイル。
進行継続。
小隕石との接触。
センサー損傷。
装甲損傷。
補助推進器停止。
リュウジの覚醒。
状況報告。
操縦交代要求。
カイルの拒否。
そして。
『代われ』
低い声。
それまで丁寧な言葉を使っていたリュウジが、初めて切り捨てるように命じた声。
ペルシアの表情が硬くなる。
ログは続く。
粉塵帯の突破。
船体損傷の確認。
撤退か継続かの隊内協議。
複数の隊員から撤退意見。
本部との通信。
リュウジの異議。
ヴァレン准将による却下。
そして。
『リュウジ以外に、調査継続命令へ異議がある者はいるか』
沈黙。
長い沈黙。
誰も答えない。
『異議のある者はいないのか』
それでも、誰も答えない。
『了解した。リュウジ以外から異議はないものと記録する』
ペルシアの両手が、ゆっくりと握られていく。
続いて流れたのは、リュウジの声だった。
『受領します』
硬い。
感情を全て切り落とした声。
『現在位置で修理を実施します』
『護衛艦二隻との合流後、当初計画に従い北部未探索領域へ進入します』
それ以降。
リュウジの会話は、必要な命令と報告だけになっていた。
理由を説明しない。
感情を見せない。
相談しない。
必要事項だけを聞き。
必要事項だけを返す。
セレナが心理状態を確認しても。
『任務中止基準に達していますか』
『達していないなら、問題ありません』
ソフィアが撤退の意思は変わっていないと言っても。
『本部から聞かれた時に言ってください』
ユアンが謝罪しても。
『謝る必要はありません』
マーヤが話し合いを求めても。
『これ以上、何を話せばいいんですか』
ログの最後。
リュウジは全員へ役割だけを与えていた。
人間として向き合うことをやめたように。
命令を出し。
返答を受け。
それだけで船を動かしている。
ペルシアは何も言わず、ログを最後まで見た。
指令室にいる者達も、声を出さなかった。
フォックスの表情は険しい。
シャオメイは口を結んでいる。
ジェームズは腕を組み、通信画面を睨んでいた。
マーカスも、普段の笑みを完全に消していた。
ペルシアが調査船の回線へ向き直る。
「リュウジ」
数秒後。
『聞こえてる』
先ほどよりも、さらに硬い声。
自分の通信ログを全て聞かれた。
知られたくなかった部分も。
誰にも支えられなかった瞬間も。
全て見られた。
「権限は宇宙管理局へ移った」
『了解』
「これからの操縦は、全部あなたに任せる」
調査船の操縦室で、全員の視線がリュウジへ向いた。
リュウジ自身も、僅かに眉を動かす。
『全部?』
「そう」
「調査を続けるか、どこで止まるか、引き返すか、機体をどう動かすか、誰を操縦席に置くか、全部、あなたが決めて」
『任務本部の計画は』
「今は考えなくていい」
『観測予定が残っている』
「気にしなくていい」
ペルシアは、はっきりと言った。
「こんな調査隊の馬鹿な連中も―――気にしなくていい」
操縦室の空気が凍った。
ソフィアが顔を上げる。
ノアの表情が険しくなる。
セレナもペルシアを見る。
『ペルシア』
リュウジが止めようとする。
だが、ペルシアは止まらなかった。
「いつもどおり操縦すればいい。あなたが船を見て、あなたが危険だと思ったら止める。戻るべきだと思ったら戻る。進めると思うなら進む。誰かの顔色も、本部の期待も、調査の成果も、今は考えなくていい」
『それでは責任者として――』
「あなたはもう十分責任を取った!」
ペルシアの声が強くなる。
「他の人間の分まで!――命令を破ったカイルの分も!――黙った隊員達の分も!――現場を見なかった本部の分も!――全部あなた一人が背負った!――これ以上、何を背負うのよ!」
調査船の中で、誰も動かなかった。
最初に声を上げたのはソフィアだった。
「待ってください」
ペルシアの目が細くなる。
「何?」
「私達を馬鹿と呼ぶのは違います」
ソフィアの声には、怒りと傷つきが混じっていた。
「私も撤退すべきだと思っていました。粉塵帯を抜けた後も、そう言いました」
「言ったわね」
「なら――」
「ヴァレン准将に聞かれた時は?」
ソフィアの声が止まる。
「何て言った?」
「……言えませんでした」
「どうして?」
「正式な異議として記録されることが怖くて」
「リュウジは記録されても言ったわよ」
「操縦責任者だからです」
「責任者なら怖くないと思ってるの?」
ソフィアが息を詰める。
ペルシアは容赦しなかった。
「あなたは、自分が怖かったから黙った。その間、リュウジ一人に正式な異議を背負わせた。それで今になって、自分も撤退すべきだと思っていたって?思っているだけで船は止まらない!――口にしなかった判断は、リュウジを守らない!」
「でも――」
「あなたが守ったのは、自分の記録でしょう!」
ソフィアの顔から血の気が引く。
ノアが立ち上がりかけた。
「言い過ぎです」
「何が?」
「俺達にも立場があります。連盟の命令下でした。上官の判断に、全員が同時に逆らえば指揮系統が崩れます」
ペルシアはノアを見る。
「もう崩れてたでしょう。カイルが命令を無視した時点で、それを止められなかった。リュウジを起こせなかった。護衛艦が撤退しろと言っても進ませた。その後で指揮系統を理由に黙った?都合が良すぎるわよ」
ノアの表情が硬くなる。
「俺はカイルの判断が間違っていたと言いました」
「カイル本人にはね」
「本部には言ってない」
「それでは足りないと?」
「足りない!」
ペルシアの声が響く。
「操縦士が間違った時だけ、本人に責任を求める!でも本部が間違った時は、規則だから黙る!その結果、誰が間に立つの?―――リュウジでしょう!――あなた達は規則に従った顔をして、その規則で生まれた危険を、全部操縦士に処理させたのよ!」
マーヤが口を開いた。
「私達には、任務中止を決定する権限がありません」
ペルシアがマーヤを見る。
「決定しろなんて言ってない。意見を言えと言われたのよ――それでも黙った」
「機体が修理可能だったからです。技術者として、継続不能とは断言できませんでした」
「だから操縦士に決めさせた?」
「そういう意味では――」
「同じよ!」
ペルシアは画面上の機体ログを示す。
「あなたが修理可能と言った船に、実際には、出力を上げれば止まる損傷が残っていた!」
マーヤの顔が強張る。
「それは通常検査では――」
「見つけられなかった。それは責めてない。技術者でも見えない異常はある。だから操縦士の違和感を信じなきゃいけないの!あなたが数値で断言できない時、最後に船の状態を受け取るのは操縦士の身体よ!――操縦桿の重さ、座席へ返る振動、入力に対する僅かな遅れ、その全部を、リュウジ一人が拾ってる!――なのに数字が正常だから進める?数字で責任を取れない部分を、操縦士に押し付けただけでしょう!」
マーヤは何も言えなかった。
ユアンが震える声で言う。
「俺は、通信士です。命令を正確に伝える役割です。自分の意見を、公式回線で言っていいのか分かりませんでした」
「通信士は人間じゃないの?」
「そんなことは――」
「命令を伝えるだけの機械なの?」
「違います」
「なら、危険だと思った時に言いなさい!」
ペルシアの声が鋭くなる。
「あなたは粉塵帯の中で、カイルの命令を送ることが怖かったと言った。誰に従えばいいか分からなかったとも言った。それを知っていたのに、本部から聞かれた時は通信士だから黙った?役割を言い訳にしないで!――リュウジは操縦士よ!操縦しながら、指揮して、機体を守って、隊員の意見を聞いて、本部へ説明して、異議まで一人で出した!――どうして通信士だけが、役割の外だから言えないで済むの!」
ユアンは俯いた。
「……すみません」
「私に謝らないで」
ペルシアは冷たく言う。
「リュウジに謝ったって、あの時の沈黙は消えない」
セレナが静かに口を開く。
「私は医療担当者として、任務中止基準へ達していると診断できませんでした」
ペルシアの目がセレナへ向く。
「だから黙った?」
「医療判断を越える発言になる可能性がありました」
「あなたは撤退を提案していたでしょう」
「心理負荷が高かったからです」
「なら、どうして本部へ言わなかったの?」
「ヴァレン准将から、任務中止基準には達していないと指摘されました」
「それで引いた?」
「診断基準は守らなければなりません」
ペルシアは数秒、セレナを見つめた。
「あなたが一番残酷よ」
セレナの顔が強張る。
「何ですって?」
「リュウジに、本音を言えって求めたんでしょう」
セレナは答えなかった。
通信ログに残っている。
出発前から。
自分が何を考えているか。
何を怖がっているか。
隠さずに言ってほしい。
そう求めた。
「リュウジは言った。怖いって、隊を信頼できるか分からないって、自分が判断を誤るのが怖いって―――言葉にした!――なのに、あなた自身は本部の前で黙った!――医療基準を理由に!」
ペルシアの声が震える。
「自分の本音を言えと求めた相手が、一人で異議を出している時に、あなたは専門家の立場へ逃げた!――リュウジが、その後何て言ったか分かってる?」
セレナの唇が僅かに動く。
ペルシアは通信ログを再生した。
『任務中止基準に達していますか』
『達していないなら、問題ありません』
硬い声が流れる。
ペルシアはセレナを見る。
「あなた達が教えたのよ、本音を言っても意味がないって、基準に達していなければ、苦しくても問題ないって、だから、リュウジは二度と話さなくなった」
セレナの目が揺れる。
「私は、そのつもりでは――」
「つもりなんて関係ない!」
ペルシアが叫ぶ。
「言われなかったことは分からない!――そう言ったのは、あなた達でしょう!――リュウジに判断を見せろ、考えを話せ、怖いなら言え、そう求めておいて!――自分達は立場と基準を理由に黙る!――勝手すぎるのよ!」
オスカーが低い声で言った。
「俺は、船を修理できると言った。だが、今の隊では飛ばしたくないとも言った。本部へ言えなかったのは、俺の責任だ」
ペルシアはオスカーを見る。
オスカーは目を逸らさなかった。
「言い訳しない」
「すまなかった」
ペルシアは数秒、黙った。
「少なくとも、あなたは今、自分の責任だと言った―――でも」
声は少しも柔らかくならない。
「整備士が修理できると言えば、操縦士はその船を動かす。飛ばしたくないと思ったなら、言わなきゃいけなかった。修理可能と安全に任務継続可能は違う。ジェームズなら、そこを分ける」
ジェームズは何も言わない。
オスカーは俯く。
「……ああ」
アデルが声を出した。
「私達には、調査を続ける理由もありました。粉塵帯の観測データは重要です。本来の調査区域へ入ったばかりでした。ここで戻れば、一年以上機会を失う可能性が――」
「だからリュウジの命と比べた?」
ペルシアの声は冷たかった。
「そういう意味ではありません」
「同じよ」
「調査データには将来的な価値があります。将来、事故を防げるかもしれない」
「でも、あなた達はその価値を考える時に、今操縦している人間へ、どれだけの命が乗っているか考えた?」
アデルが黙る。
「調査船の全員。戻れなかった護衛艦の分、本部の期待、将来の航路。全部、リュウジの操縦に乗せた。その重さを計算した?観測点の価値は数値にした、調査期間も数えた、次の機会が一年後だという損失も考えた―――でも!」
ペルシアの声が再び荒れる。
「リュウジが操縦を一度間違えたら、何人死ぬか!その判断を一か月続けることが、どれだけ人間を削るか!誰も考えてないでしょう!」
ベンが静かに言う。
「俺は、条件付きで継続できると考えました。カイルを主操縦から外し、船体を修理すれば――」
「あなたは条件を考えた」
ペルシアが遮る。
「その条件を満たすために、誰が判断し続けるかは考えた?」
ベンの声が止まる。
「カイルを外せば、残る責任者はリュウジ。船体を修理しても、異常を最初に拾うのはリュウジ。通信が切れたら、現場判断をするのもリュウジ。調査データが欲しいのはあなた。でも、そのために操縦席で命を背負うのはリュウジ!――条件付きって、誰にとっての条件なのよ!―――あなたはデータを得る条件を考えただけ――操縦士が生きて帰る条件を考えてない!」
ベンは反論できなかった。
最後に。
カイルが口を開いた。
「俺は、調査を続けるべきだと判断した」
操縦室の空気がさらに張りつめる。
「粉塵帯へ進入した判断は、俺の責任だ。だが、調査そのものの価値まで否定されるべきではない」
ペルシアの目が、冷たくカイルへ向く。
「あなたがカイル?」
「ああ」
「第一副操縦士?」
「そうだ」
「リュウジを起こさなかった?」
カイルは一瞬黙る。
「休息が必要だった」
「複数の隊員が起こすべきだと言った」
「俺は突破できると判断した」
「護衛艦二隻が撤退を求めた」
「調査船の性能なら通過できると――」
「実際に通過させたのはリュウジよ」
カイルの表情が硬くなる。
「最終的にはな」
「最終的には?」
ペルシアの声が低くなる。
「あなたがセンサーを壊して、装甲を削って、補助推進器を止めて、船を粉塵帯の中へ入れた後に、起きたリュウジへ渡した。それで、最終的には?」
「俺は操縦を放棄していない」
「交代要求も拒否したでしょう」
「まだ制御できると判断した」
「判断を間違えた人間が、まだ判断できると言い続けたのね」
カイルの眉が動く。
「結果論だ」
「違う!」
ペルシアが激しく言い返した。
「護衛艦から警告が出た!――隊員から撤退意見が出た!――船体損傷が増えた!――起こせという声も出た!――結果が出る前に、何度も止まる機会があった!――全部無視したのはあなた!――それを結果論って言うな!」
カイルが立ち上がる。
「俺にも操縦士としての判断がある!」
「なら、操縦士にかかる命の重さを理解しなさい!」
ペルシアの声がカイルを叩く。
「操縦士の判断は、自尊心を証明するためのものじゃない!――自分が正しいと示すために船を進めるものじゃない!一度の判断に、全員の命が乗るの!――だから怖がるべきなの!――迷うべきなの!――周囲の声を聞くべきなの!――あなたは、操縦士の権限だけ欲しがって――操縦士が背負う恐怖を理解していない!」
カイルの顔が歪む。
「俺が怖くなかったと思うのか」
「怖かったなら、どうして止まらなかったの?止まれば、リュウジが正しかったことになるから?」
カイルの息が止まる。
ペルシアは通信ログから、カイルの発言と操縦経過を読み取っていた。
自分の判断を証明しようとした。
外部から来たS級。
途中参加の操縦責任者。
その男に負けたくなかった。
「あなたは船を使った」
ペルシアは低く言う。
「自分の正しさを証明するために…そして失敗したら、リュウジに渡した。それでも調査を続けろと言った。もう操縦判断に口を出さないで」
「何だと」
「宇宙管理局の権限で命じる」
ペルシアは一歩も引かない。
「カイルの操縦権限を停止。航路及び推進判断への発言権も停止。機体情報の提供以外、操縦責任者の判断へ介入することを禁止する」
「俺は第一副操縦士だ!」
「今はただの情報提供者よ」
「本部の処分は主操縦禁止だけだ!」
「権限は宇宙管理局へ移った」
ペルシアは冷たく言い切った。
「私が決める」
カイルは何も言えなくなった。
ペルシアは調査隊全体へ向けて言った。
「誰一人、操縦士にかかる命の重さを理解していない。一人が操縦桿を握れば、その手に全員の命が乗る。操縦士が眠れば不安になる。起きていれば休ませろと言う。判断を共有すれば、分かりにくいと言う。一人で決めれば、独断だと言う。危険だと言えば、数値を求める。数値が出なければ、感覚では止められないと言う。事故が起きれば、なぜ止めなかったと責める!」
ペルシアの声は、怒りで震えていた。
「規則が絡めば、本部のせい!――責任が絡めば、操縦責任者の仕事!――正式記録が絡めば、皆で黙る!――それで最後は、リュウジ一人に責任を押し付けた!――船を守れ!――隊をまとめろ!――本部へ説明しろ!――異常を見つけろ!――命令にも従え!一人の人間に、どれだけ背負わせれば気が済むのよ!」
誰も口を開けなかった。
今度の沈黙は、ヴァレン准将に問われた時とは違う。
何を言っても、ペルシアに返されるからではない。
自分達の言葉と行動の間にあった矛盾を、突きつけられたからだった。
リュウジが低い声で言う。
『ペルシア』
「何?」
『もういい』
「良くない」
『これ以上言っても、帰還には関係ない』
「またそうやって終わらせる」
『違う』
「何が違うの?」
『俺も、説明の仕方を間違えた』
ペルシアの表情が変わる。
『もっと早く起きるべきだった。カイルさんの判断を把握できなかった。隊員が発言しやすい状態を作れなかった。俺にも責任はある』
ペルシアは暫く黙った。
それから。
「ほら」
静かな声で言った。
「また自分の責任を足した」
リュウジは答えない。
「あなたは、自分の悪かったところを考えられる。それは長所よ。でも今は、それをしなくていい」
『責任者として必要だ』
「今必要なのは操縦。責任の整理は帰ってから」
『だが』
「リュウジ」
ペルシアの声が少しだけ柔らかくなる。
「今までどおりでいい」
『今までどおり?』
「いつものあなたの操縦。機体の違和感を見逃さない。危険だと思ったら止める。他人に無理だと言われても、自分が安全だと思う航路を選ぶ――でも」
ペルシアは一度、息を吸った。
「誰かの期待に応えるための操縦はしなくていい。カイルへ勝つためでもない。ヴァレン准将を納得させるためでもない。調査隊の評価を守るためでもない。皆を生きて帰すためだけに操縦して」
リュウジは主画面を見つめた。
推進出力、十パーセント。
前方には未観測区域。
後方には、すでに通過した航路。
現在の機体状態。
燃料。
通信。
帰還までの距離。
全てを確認する。
『俺が戻ると判断したら』
「戻って」
『調査を打ち切ることになる』
「いい」
『一年以上、再調査できない可能性がある』
「いい」
『本部から責任を問われる』
「私と局長が受ける」
『調査隊が反対したら』
「無視して」
操縦室の何人かが顔を上げる。
ペルシアは気にしなかった。
「操縦の安全判断に関しては、誰の意見も聞かなくていい。必要だと思う情報だけ聞いて。最終判断はリュウジがして。宇宙管理局は、その判断を支持する」
リュウジは長く黙った。
それは、今まで与えられていたものとは違った。
責任だけではない。
信頼だった。
何か起きた時に責めるための権限ではない。
判断した後に、組織が支えるという約束。
『分かった』
声に、僅かな変化があった。
まだ疲れている。
まだ硬い。
それでも。
最初に通信が繋がった時の、刺すような鋭さが少し薄れていた。
『船体状況を再評価する』
「うん」
『推進出力は十パーセントを維持』
「うん」
『現状では、これ以上未探索領域の奥へ進むべきではない』
操縦室が静まる。
リュウジは、誰の顔も見なかった。
主画面と機体ログだけを見る。
『調査を中止する。現在位置から反転し、帰還航路へ入る』
誰も口を挟まなかった。
ペルシアが答える。
「了解」
『反転には補助推進器への負荷がかかる。通常手順は使えない』
ジェームズがすぐに言う。
「一度に回すな。主推進を八まで落とせ、補助推進器一番と四番を交互に使う。一回の姿勢変更は三度以内」
『反転まで六時間以上かかる』
「かけろ」
『燃料消費が増える』
「救援船と合流する分は残る」
シャオメイも続く。
「帰還方向へ転進すれば、中継点との距離は縮まります。通信状態は徐々に改善する見込みです」
フォックスが航路を確認する。
「後方は通過済みだ。未知の危険は前方より少ない」
リュウジは一つずつ情報を受け取る。
命令ではない。
判断材料。
決めるのは自分。
だが。
決めた後、一人にはされない。
『了解』
リュウジは操縦桿へ手を置いた。
『主推進出力を八パーセントへ低下』
『補助推進器一番、四番を交互使用』
『姿勢変更角度、三度』
『船体負荷を確認しながら反転する』
ペルシアは通信画面を見つめる。
「リュウジ」
『何だ』
「今度はちゃんと帰ってきて」
『帰る』
「絶対?」
『可能な限り』
「そこは絶対って言いなさいよ」
リュウジは僅かに息を吐いた。
『努力する』
「変わらないわね」
『無理な約束はしない』
ペルシアは小さく笑った。
「それでいい」
調査船の補助推進器が、短く噴射する。
船体が三度だけ傾く。
停止。
構造負荷を確認。
異常なし。
もう一度。
三度。
それまで調査船は、一か月間、未探索領域の奥だけを向いていた。
進め。
調べろ。
止まるな。
命令と期待に押されながら。
だが今。
リュウジ自身の判断によって。
少しずつ。
本当に少しずつ。
船首が帰還方向へ向き始めた。
調査隊の誰かが決めたのではない。
ヴァレン准将に従ったのでもない。
ペルシアが航路を命じたわけでもない。
船を最も近くで感じている操縦士が。
全員を生きて帰すために選んだ航路だった。